水差しの水とワイン

★


 講演を終え、楽屋の控え室に戻ってきた茂太(モタ)さんは、なんとなくしょげていた。





 「今日の講演は、どうも、あとひとつ乗りが悪かった。聴いていて、良くなかったでしょう。こういう時は、いつも気分が落ち込むんです」




 「いやいや、そんなことはありませんでしたよ。面白いお話でした」





 「演壇の、あの水差しがお水ではなく、予定通りワインだったら良かったんだが・・・」



ワイン


 若い女子社員が差し出したおしぼりで手や顔を拭った茂太さんは、しばらくは浮かぬ顔だった。茂太さんとは精神科医で作家の斉藤茂太さん。ご存じない方がいるとすれば、あのアララギ派の詩人・斉藤茂吉のご子息と言えば誰でも知っている。「どくとるマンボウ航海記」の北杜夫のお兄さんでもある。何年か前に故人となられた。本来は「しげた」(茂太)とお読みするのだろうが、なぜかファンには「モタさん」で親しまれていた。


斉藤茂太  


 もう20年ぐらい前のことだ。今は取り壊してなくなったが、山梨県庁前にあった県民会館ホールに、このモタさんこと斉藤茂太先生をお迎えして文化講演会を開いた。演題は忘れたが、モタさんは講演前の控え室で、お世話役に充てていた女子社員に「水差しの中身をワインに替えて欲しい」と言ったという。




 「バカ言え。水差しにお酒など入れちゃあいかんよ。モタさん一流の冗談だよ。冗談」



 モタさんの≪要望≫をけげんな顔で伝えて来た女子社員に言った。入れるとすれば赤ではなく、聴衆席からは水と区別がつかない白ワインだが、ハナから冗談と思い込んでいるのだから答えはひとつ。ワインの産地・山梨へのリップサービスくらいに受け止めたのだ。





 そうと鬱が激しいご性格とお見受けした。前の晩、甲府市内のホテルの座敷で懇談の場を持ち、お酒をご一緒した。飲むほどに愉快な先生で、面白い話がポンポン飛び出すのである。その一方で、精神科医らしい人間の心理を突いたこんな話も。




 「私ゃあねえ、プロ野球のセ・パ両リーグの選手を長男、二男、三男と言うように、その位置づけで分析したことがあるんです。そうしたら面白いことが分かりました。九つのポジションの中で、長男がいないポジションがあるんです。どこだと思います?」
 


 「さて・・・」




 セカンドですよ。セカンド。このポジションはショートを含めたサード側にも、またファースト側にも気配りをしなければならない。一般論で言っても、昔から≪長男の甚六≫というように、長男は二男や三男と比べ周りへの気配りがヘタなんですねえ」


野球


 「もうひとつ、人の笑いを誘う商売、つまり、漫才師なども同じ。長男というのはその生い立ちから言って、どちらかと言うと堅物で、無器用。人に笑われるようなことは嫌うのです。その点、二男の場合、上を見たり、下を見たり、いわゆる柔軟性に長けているんです。半面、長男が多い職場は銀行。堅物にはうってつけです」




 一つ一つが長男である自らに置き換えても頷けた。今の歳になったら、水差しの水とワインの機転くらいは利くのだが・・・。少子化が進む日本。一人っ子にも長男と同じことが言えそう。天国のモタさんは何と言っているだろう?




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一本の河津桜

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 山梨で「河津桜」と言っただけでも、ちょっぴり違和感を覚える方もお出でだろうが、我が家の植え込み越しの「ふれあい広場」にある一本の河津桜が満開。周りに何本となく植えてあるソメイヨシノや枝垂れ桜は、まだ蕾を固くしているだけに、何となく≪場違い≫の感がないでもない。




 何年ぐらい前だっただろうか。女房と二人して静岡県は伊豆の河津を旅した折、背丈1mにも満たない苗を買って来たのが発端。今では高さ10m、幹は太く、枝も横縦に大きく伸ばして立派になった。開花も早いし、ソメイヨシノなどと比べると逞しさも感ずる。でも正直言わせてもらえば、花全体が醸し出す風情はソメイヨシノにはかなわない。




 花は桜。巷に、また四季折々に花は数々あれども、わが国では古来、花と言えば桜。その桜の代表格がソメイヨシノかどうか私には定かなことは分からないが、少なくとも私はそう思っている。河津の皆さんには悪いが河津桜ではないことだけは確かだ。しかしソメイヨシノには見ることが出来ないピンク色の、やや小ぶりの花は、これはこれで風情がある。第一、世の中、桜などと言わない内に花を開いて人々を楽しませてくれるのがいい。


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 全国的に見れば、河津は、ほんの点でしかないし、知らない人がほとんどだろう。でも、山梨に住む私たちにとって伊豆は馴染みの地。≪海なし県≫の人間にしてみれば、ちょっと大げさに言うと、あこがれの地である。若い頃、子供を連れての海水浴と言えば、まぎれもなく伊豆だ。遡れば、千葉の時代もあったが、受け入れる環境は確実に変わった。




 桜と一口に言っても、この河津桜もあれば、ソメイヨシノ、その間に挟まる彼岸桜もある。間もなく4歳になろうとする孫娘を連れて先祖の霊に手を合わせた彼岸も、あっと言う間に過ぎて、今度は≪本当の≫桜、ソメイヨシノの季節。人は何故か、この時を「春本番」という。


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 河津の桜は兎も角、桜とは面白い。季節を代表したり、大きくは国を代表したりもする。「♪さくら、さくら…」と、童謡に歌われたかと思えば「♪貴様と俺とは同期の桜…」と軍歌にも歌われたりもする。軍歌というと、すぐ戦争云々と教条主義的に、お考えになる方もお出でだろうが、歌は、その時代を語り継ぎ、偲ぶものでもある。今は小学校でも中学校でも見かけなくなったが、男の子の制服の金ボタンと言えば、桜であった。




 これも今では、ほとんど影を潜めてしまったが、時代劇映画には必ずと言っていいほど桜のカットが登場した。「遠山の金さん」や「忠臣蔵」の浅野内匠頭の切腹前のカットシーンが典型かも知れない。外交的にも桜は古くから使われ、米国のいくつもの都市には「友好の印」として、しっかりと根付いている。私も罪滅ぼしの女房との外国旅行で、その桜を何か所かで見た。




 WBCの「侍ジャパン」は米国に準決勝で惜敗。勝敗は兎も角、個人的には「今時、≪侍≫でもあるまい…」と思うのだが、外(外国)から見れば、「フジヤマ」、「ゲイシャ」と並んで「サクラ」、「サムライ」は、日本の代名詞かも知れない。良い、悪いは別だ。


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おばあちゃんの失敗談

一宮浅間神社


 世の中にはそそっかしい人はいるものだ。当のご本人によれば、このおばあちゃんは正月もまだ初々しい3日、2人のお孫さんを連れて、甲斐の名刹・一宮浅間神社に初詣した。ご主人も一緒。可愛いお孫さんの手を引いて境内へ。この神社は甲府の武田神社や住吉神社、昇仙峡の金桜神社などと並んで山梨では初詣の名所である。境内は新春を寿ぎ、新しい年がいい年でありますようにと願う善男善女や家族連れで賑わっていた。本殿に手を合わせ、おみくじを引いて新しい年を占う。お孫さんを中心にした、ここまでは何の事はないただの初詣の光景だ。





 そそっかしいおばあちゃんの行状はここから。この神社には、ご神木というほどではないのだろうが、有名な「夫婦梅」というのがある。本殿の裏のほうにあって、→印のガイドがある。おばあちゃんは二人のお孫さんを伴って→印の方向に。あった。立派な枝ぶりの梅の木?が。その梅の木を大切に覆うように金網が囲っていた。この金網を神社のシンボルともいえる「夫婦梅」保護のため、と信じて疑わなかった。


夫婦梅  

夫婦梅

 夫婦梅は浅間神社本殿北側にあり、ひとつの花から二つの実を結ぶ。
祭神の御神徳により子授けの霊験があると伝えられ、参拝祈願して梅の実を請うものがある。
神社では毎年旧暦4月の第2亥の日に梅折の神事を行い収穫する。



 おばあちゃんは、その大きな金網の中の「夫婦梅」に向かって目をつむり、手を合わせた。おばあちゃんに促された2人のお孫さんも可愛い手を合わせて従った。おばあちゃんは手を合わせながら、酒好きなご主人や目の中に入れても痛くないほどのお孫さん、娘さん達夫婦、今年95歳になる年老いた姑の名前を頭の中で一人一人なぞりながら「みんなが今年一年、健康でありますように・・・」と、一心に祈った。正直な気持ちだった。




 お孫さんは小学校5年生と1年生。上の子が長く手を合わせるおばあちゃんに向かって幼いながらも半信半疑に、こう言いかけた。





 「おばあちゃん、この梅、花を咲かせないの?なんだか枯れているみたいだね・・・」




 そんなお孫さんの言葉が終わるか終わらないかの時、一足遅れで追いかけてきたおじいちゃんは神妙な顔つきで手を合わせる奥さん達の姿にびっくり。




 「おい、おい。それは鳥小屋だよ・・・」



 おばあちゃんは、その瞬間、顔から火が出る思いだったと言う。金網の中に尾長の鳥であれ、なんであれ一匹でもいれば何の事はなかったのだが・・・。


鳥



 そんな笑い話のような話は「3人会」と言う酒席の場だった。高校時代の同級生、夫婦同伴で年に3~4回酒席の懇親会を開く。もう10年近く続いている。一人は山梨の信用組合の理事を10 年ほど前、定年で退いた。今では私と同じ「毎日が日曜日」。もう一人は甲府市内のデパートの役員を退いた後も、請われてサラリーマン生活を延長したが、しばらくして卒業。「おめでとう。ご苦労さん。この3人会、今度はちょいちょい開けるなあ~」。3人の奥さん方も一緒に盃を交わした。話題のおばあちゃん。おばあちゃんと言っても私達の同級生の連れ合いだから65歳前後か、それ以下。人柄もよく、綺麗なご婦人だ。日本舞踊もやる。「私はあの時の事を考えると恥ずかしくて・・・」。せっかち屋さんの失敗談は、その夜の格好な酒のつまみになった。二次会はそんなことを忘れて、いつものようにスナックでカラオケを。




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けちん坊と無駄遣い

 ジキルとハイド。二重人格。そう言ったら、ちょっと刺激的かもしれないが、人間、おしなべて二面性を持ち合わせているような気がする。二面性というより多面性と言った方がいいかもしれない。私なんかその典型だ。自分ではお金やモノに執着しないというか、大らかなタイプと思っていたが、意外とけちん坊な自分に気付いて嫌になることがある。


マネーー


 飲み屋街から夜遅くタクシーで家に帰る。「その塀の切れ目でいいよ」。タクシーが止まる寸前、メーターがカチッと廻るのだ。その瞬間、ワンメーターの90円が妙に損をしたような気がするのである。お酒に酔っていてもだから、根っからのけちん坊だろう。店を出る時、女の娘に千円、二千円のチップをやるのにだ。




 こんな経験もある。サラリーマン現役時代だが、東京に出掛け、仲間達とのお酒やカラオケ、時には麻雀で遊び過ぎて終電車に乗り遅れる。しかし、明日の仕事を考えれば帰らざるを得ない。当然、足はタクシーしかない。当時、私が住んでいた甲府の家までは東京から距離にして120㌔から130㌔はある。その頃でもタクシー料金は、帰りの高速道路代やチップを入れると6万円近くになった。

マネー


 承知の上だから、それはそれでいい。しかし深夜の高速道路。スピードは時速100㌔を超す。メーターは「カチ、カチ、カチ」と回転、その音に酔いが覚める思いをしたものだ。6万円近いタクシー代は、一回としたら決して少なくはない。終電車に間に合うように遊びを切り上げればなんでもないのだが、そこがお馬鹿さん。そんな事が何度もあった。




 でもそんな無駄遣いも「俺もバカだなあ」と思うくらいで、それほど気にもならないのだ。ところが、不思議なことに普段、家の前で「カチッ」と廻るワンメーターの90円は気になるのである。俺って少し頭がおかしいのかなあ、と思うことすらある。


小銭


 麻雀や競馬だって同じだ。元々勝負事に弱い私だから大抵は負け組。その金額はお上に申し訳ないので、ここでは詳しくは書けないが、90円でも100円でもないことだけは確か。今は馬鹿馬鹿しくなって足を洗った競馬に至っては一日で10万、20万負けることも珍しくはなかった。不思議なことに、これも苦にならなかった。「また次があるさ」とあっけらかんとするのだ。ある意味ではこれが勝負事の魔力なのかもしれない。




 こんなことをかみさんが知ったら、恐らく即倒するだろう。何しろ新聞折込みのチラシを見てはデパートのバーゲンを目の色を変えて飛び回り、大根が一本10円、20円安いといっては遠くのスーパーへ。男と女の違いといってしまえばそれまでだが・・・。その女房だって高い車のガソリン代を払い、挙句の果てに帰りに車でもこすれば、世話はない。見方を変えれば、女房は女房で、それを結構楽しんでいるのだ。そんなものかもしれない。

小銭2

 政治の世界では「無駄の排除」を目くらまし?に事業予算の削減に躍起だが、庶民は大なり小なりこんなバカなことをしているのだ。税金の無駄遣いは困るが、人間、大きな目で見れば無駄があるからいいのかもしれない。女房はいつも言う。「お父さんは、お酒やタバコばかりでなく、麻雀や競馬。一生のうちでは家が建つわね」。女房はバカな亭主の行状を先刻ご承知? ともかく俺はけちん坊なのかバカなのか。その両方かもしれない。




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漫画と落書き

落書き

 うちの女房はふるっていると言うか、面白い。




 「お父さん、これいいでしょう。上手だと思う?」




 ある研修会で隣り合わせの机に並んで座り、講演を聴いていた私に向かって、女房が自ら書いた漫画を滑らすように差し出した。



 「バカっ。人が話をしているのに、漫画なんか書いているヤツがあるか」





 声を潜めて、そうは言ったものの、その漫画、実に面白い。前の席に座っているオジサンの頭を書いたものだが、はげ頭に何本かの長い髪の毛がミミズのように這っている。もちろん、書かれている側のオジサンは、そんなことは露知らずに、時折こっくりと。後ろの私には、その様と女房の漫画を見比べることが出来るから、思わず噴出しそうになった。


らくがき



 女房は私が所属するユネスコ関係の研修会に義理で連れて来られたのだから無理もない。女房を叱かってしまった引け目からか、反動のように周りを見渡した。何人もが居眠りを。実は私も居眠りを必死にこらえていた。居眠りをしているのは男性ばかり。さすがに女性は誰もいなかった。こんな時の≪知恵≫は女房のように女性の方が優れているのか。真面目顔で講演している講師の先生には失礼千万だが、また噴出しそうになった。




 漫画といえば聞こえはいい。分かり易く言えば、暇つぶしの落書きだ。人間、落書きをする、またしたくなる心理は、どこかに潜んでいる。その場所をわきまえるかどうかは、その人が持ち合わせた理性でしかない。公共的な壁や、公共施設の中でも唯一、密室になる公衆トイレでの落書きがそれだ。




 日常、持ち合わせていることが多いボールペンや鉛筆なら、まだ可愛い。ところがスプレーで壁といわず、電柱や商店街のシャッターに至るまで所かまわず落書きをする奴等がいる。捕まえてぶん殴ってやりたくなるのは私ばかりではないだろう。スプレーもカラフルなものが多いから、大胆至極だ。落書きをする人間と、それを始末する人間のイタチごっこは今日も続いているのだ。





 山梨県甲府市郊外の愛宕山の麓を走る県道沿いにコンクリートの回廊のような壁がある。延長が60mぐらいはあるだろうか。そこはいつも落書きのキャンパスのようで、管理者が消せば書く、書けば消すの繰り返し。たまりかねた管理者は数年前、そのコンクリート壁を本当のキャンパスに見立てて、恐らく近くの中学生だろう、額状に幾つもの絵を書かせた。葡萄の絵もあれば富士山も。

愛宕壁画    愛宕壁画2


 不思議なことに以来、この壁に落書きする人は誰もいなくなった。子供たちが懸命に書いた絵の上に落書きするのはさすがにはばかるのだろう。女房のように自分の紙に密かに落書きの漫画を書いているくらいなら可愛いもの。人様や社会には迷惑ではない。講演をされている先生には失礼千万だが、コンクリート壁のように、それをさせない講演者の知恵と工夫も必要かも。正直言って義理がなければ俺だって漫画でも書いていたかった。ただ、かみさんのように上手に書ければのことだが・・・。




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冬の草と百姓もどき

梅1


 朝晩、特に朝は寒いが、その寒さも何となく和らいで来た。陽も知らず知らずのうちに長くなり、夕暮れも冬至前と比べれば、2時間近く伸びた。庭先の白梅は満開となり、遅咲きの紅梅も一輪、また一輪と花を開き始めている。一足遅い杏子やスモモも固い蕾を心なしか膨らませて、確実に春の足音が…。




 畑の草も目に見えて伸び、気になるようになった。こちらも花を付け始めるのである。放っておいたら来年に向けて≪苦労の種≫をいっぱい付けるのだ。何十倍、いや何百倍もの種を蒔き散らすことになるのだから、ここで退治するのが肝心。先手必勝である。幾分とはいえ、寒さが和らいだことを好期と捉え、畑に出始めた。まずは、その除草から。




 管理機と呼ばれる耕運機での草取り。冬の間、怠けていたせいもあって疲れるばかりか、こちらはやむを得ないが、持病の腰痛にもてテキメンに響く。出かける機会は結構多いものの、何処に行くのもみんな車。田舎が故に、欠くことの出来ないマイカーが結果的に≪足で歩く習慣≫を減らし、そのツケをこんな所で支払わなければならないのである。


雑草


 いくらマイカー生活とはいえ、腰椎手術(昨年)の後を受けた定期検診やボランティアとも言える機関の会合などで、東京に行けば、いやが上にも歩かなければならない。都会にお住いの方々ならお笑になるかも知れないが、普段、歩く習慣がない田舎者にとっては、JRや地下鉄の乗り換えだってバカに出来ないのである。連絡通路の長さには、うんざりさせられる。うんざりどころか、苦痛にすら感ずるのだ。若い時分、つまり、学生時代やサラリーマン現役2年間の在京生活では、全く感じなかったこと。




 収入にもならない畑の面積は結構広く、管理機や立鉋を使っての草取りは、あと2、3日はかかるだろう。その後には、柿や林檎の木の剪定作業も待っている。「寒い」を理由に後伸ばしにして来た。4反歩ほどの葡萄園は数年前、思いきって切ってしまったものの、一部は≪自家用≫に残してある。柿は生食用の「富有」や枯露柿用の「甲州百目」など。果樹は、この時期に剪定してやらないと収穫を大きく作用するのだ。




 剪定作業は脚立を使う。でも高い所に上るのが怖くなった。若い頃だと平気だったのに、今では、その上り下りにすら苦を感ずる。特にアルミ製の脚立は怖い。軽いので、持ち運びには楽である半面、ひっくり返えり易いのである。それが基で大怪我をした知り合いが何人もいるし、自らも怪我こそしなかったが、何度となく経験した。




 冬の草は、夏の草と違って逞しく根を張る。気温や日照時間、それに雨(水分)が少ないからに他ならない。人工の知恵で季節を問わない人間どもと違って、自然界の動植物は皆同じ。例えば冬眠するクマは秋の内に体力、特に脂肪を蓄え、身体を維持する。人間だって、ある意味では同じ。「夏痩せ」という言葉はあるが「冬痩せ」という言葉は聞かない。




 間もなく彼岸。果樹農家にとどまらず、私達百姓にとって本格的な農作業が始まる。玉ねぎの植え付けは昨年の内に終わっているが、ジャガイモの蒔き付けは、これから。予め、その床づくりを。種芋は農協を通じて用意済みである。巻き付けはお彼岸過ぎが目安だ。




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感動の卒業式

  日川高校3


 卒業式は、卒業証書の授与から始まって、皆勤賞などの表彰、校長の式辞、同窓会長やPTA会長の祝辞、来賓の紹介、在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞と続いてゆく。校長はモーニングに身を包み、男性教諭は略式とはいえ黒の式服、女教師は着物に袴姿。卒業生は全員が胸に揃いのコサージュを付け、式場の体育館は、いやが上にも厳粛ムードに包まれた。一番後ろには、国歌や式歌、校歌の伴奏をする吹奏楽部が控えていた。




 校長の式辞は、三年間にわたる学び舎での文武両面での努力、それによってもたらされた、それぞれの成長を称え、卒業生へ餞(はなむけ)の言葉を贈った。卒業生代表の答辞は、右も左も分からない入学時の厳しい「オリエンテーション」や、みんなで取り組んだ学園祭(紫風祭)、忍耐力と共助の精神を培った競歩大会、むろん、学び舎だから勉学や先輩、後輩と生活を共にしたクラブ活動…。去来する思い出は尽きなかった。




 式辞や答辞に初めて登場した言葉は「政治への参加」。キーワードは「18歳からの選挙権」である。校長も卒業生も立場こそ違え、これに触れ、政治への認識を新たにした。校長は政治や社会参加に対する「自覚」を促し、卒業生は、その「決意」を強調したのである。




 卒業証書授与の後の表彰では、皆勤賞に続いて「文武両道賞」も。オヤっと思ったのは、受賞者の大半が女性。「文武両道」のイメージから男性が中心か、と思いきや、可憐な女性たち。我が家も同じだが、こんなところにも《女性上位》の現象が。「文武両道賞」は文字通り、学問とスポーツの両面で優れた者に贈られる賞である。言うまでもなく、どちらが欠けてもダメ。「知」と「体」の卓越したバランスが条件なのだ。


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 これに優先するのが「皆勤賞」。3年間、一日も休まなかった人たちの顕彰だから尊い。しかも、その数は全体のざっと25%を占めた。4人に1人は3年の間、一日たりとも休まず、勉学に励んだことになる。私のような《怠け者》には信じられない数字だ。《怠け》は兎も角、人間、いくら若くても風邪を引くこともあれば、体調に不調をきたすこともあるだろう。一方、ここでも《女性上位》。やっぱり、女性が大半を占めていた。顕彰者の数字だけで断言してはいけないが、「男共よ、どうした!」と、言いたくなった。




 校長の卒業生に贈る「餞の言葉」は、大きく分けて二つ。


 「3年間の学び舎生活で培った《人間力》を生かし、校訓である《質実剛毅》の精神を忘れずに生きることだ。《すべての壁》はドアで開く。自分の力でドアを開け、その向こうにある《未来》を掴め」


 「物事の本質を見極める力を養え。何事もノーサイドの笛が鳴るまで、決して諦めることなく、一生懸命頑張ることだ」




 卒業式のクライマックスは式歌、校歌の斉唱。卒業生が「仰げば尊し」を歌えば、在校生が「蛍の光」。最後は卒業生も在校生も教職員や来賓も全員起立して校歌で締めくくる。卒業生の目には涙が浮かんでいた。私達同窓生も胸が熱くなった。卒業生は3年間の学び舎生活を頭の中に去来させ、その姿を見る私たちは、自らの若き日を重ね合わせるのだ




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卒業式の変化

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 「一組、○○、○○…、2組、○○、○○…、3組、○○、○○…4組、…」


 クラスを受け持った先生が6組まである生徒たち全員の名前を次々と呼んでゆく。卒業式の冒頭行なわれる光景だ。正式には「卒業証書授与式」という。母校(高校)の卒業式に招かれ、来賓席に座りながら自らが経験した卒業式と重ね合わせながら、式場となった体育館にこだます卒業生名簿の呼び声を聴いていた。




 まず気付くのは卒業生の数。私たちの時代(昭和36年)、400人いた卒業生は239人に。私たちのような戦中生まれの子供たちから、戦後、いわゆる「団塊の世代」と言われる頃の450人、500人の時代と比べると、半分に減った。わが国を襲う人口減、少子化の影響は母校の卒業式にも確実に反映していた。クラス編成も、かつての50人から40人に。




 「ハイ!」。名前を呼ばれた卒業生は元気よく、しかも規律正しく起立していくのだ。そこでまた、気付かされるのは女性の数。どのクラスも女性が前に、男性が後ろに座っているのだが、女性の占める割合は全体の半分、いや半分を超えるかも知れない。統計上の、出生率から見れば、女性の方が高いのだから、不自然でも何でもない。




 しかし、この高校は旧制中学の時代から《男の学校》として続いて来たものだから。そんなところにも《違和感》を感ずるのだ。昭和の終わりの頃だったか、山梨県教委は高校の入学者選抜制度を大きく転換。「総合選抜」の名の基に、大枠で割り振った地域ブロックの学校間で順次、成績順で複数校に入学者を振り分ける選抜制を取った


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 公立高校の学校間格差の是正が狙いで、結果的に真の意味での男女共学も実現した。この選抜制度は東京都の「学校群制度」を習ったもの。その導入は全国的に流行った。私学が台頭したのも、この時期である。結果的に同制度がそれを後押ししたことは間違いない。




 ところが、脚光を浴びたはずの東京都の「学校群制度」は間もなく破綻。山梨での「総合選抜」導入は、そのずっと後。私学の台頭と、塾産業も含めた新興は山梨も例外ではなかった。その裏では東京都と同じように伝統校の著しい《地番沈下》を招いた。




 次々と呼ばれる卒業生の名前を聞いていて、改めて日本人の名前の付け方の変化をも思い知らされた。男性、女性を問わず、何と奇抜な名前が多いことか。もちろん、このことは今に始まったことではなく、ずっと以前からだが、何百人と言う大勢の名前を一度に耳にする機会はないので、その変化を改めて思い知ったのである。




 昔は男の子の名前と言えば「○○男」(雄、夫…)や「○○郎」(朗、…)…。女の子では「○○子」や「○○枝」(恵、江、…)などが多く、《定番》と言ってもよかった。そんな名前の《パターン》は全くない。少なくとも「子」の突く女の子は一人としていなかった。「翔、元気、大、…」。「優香、沙織、…」。全く様々で、親御さんの我が子に対する素直な気持ちがストレートに反映されている。かなり前のことだが、わが子の入籍を巡って「悪魔」と言う名前が話題になったことがある。「悪魔を跳ね除ける力を持て」。親の願いだったかも知れない。しかし名前と言うものは、いつの世も《付けられる側》は知らない。




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言葉狩り

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 子供の頃、学校の歴史教科で習った中に「刀狩り」というのがあった。ご存知、有名なのは豊臣秀吉が試みた《政策》の一つ。一揆や政権への謀反を抑えるためのものと教わった。良くも悪くも、そこには大義名分があった。いま国会では「共謀罪」を巡る与野党の論争が盛んに行なわれている。背景にはテロの頻発など世界全体の社会情勢や人々の意識の変化など、複雑な人間模様があるにせよ、この二つには何かしら共通点があるようにも見える。論争は大いにおやりいただきたい。




 ただ、いただけないのは、国会の先生方、特に野党の皆さん方や、マスコミの皆さん方が繰り広げる「言葉狩り」。法律案や政策を巡る論争ならいざ知らず、《言葉尻》を捉えてのやり取りである。いわゆる≪失言≫と言うヤツだ。野党は《ここぞ》とばかり噛みつき、マスコミもマスコミで、これをまともに取り上げる。「オレは大臣の《首》を取ったとか、取らないとかと嘯いた記者もいたとかいないとか。デマに違いないが、そのデマが本当だったら情けない。




 確かに政治家、特に政権を担う大臣など主要ポストの人たちの発言は重い。その発言が一貫しておかしいものであるのならいざ知らず、「言葉尻」、つまり全体の一部分だけを切り取っての追及は、私たち庶民から見れば《イチャモン》に過ぎない。茶の間でアホ面して見ているオジサンですら滑稽に見えるのである。その《失言》が元で、予算委員会などの審議が空転、結果的には国民の税金を浪費するのである。




 「みみっちいこと言うな」と、お叱りを受けるかも知れないが、少なくとも、あの立派な議員バッジをお付けになった《選良》のおやりになることではない。そんなことで《点数稼ぎ》をしている訳ではないだろうが、仮にそうだとしたら、健全な野党は実現しないし、政権の交代が可能な二大政党など夢のまた夢。田舎に住むオジサンだって、そのくらいの想像はつく。




 セクハラ、パワハラ、マタハラ、エイジハラ…。いわゆる「ハラスメント」というヤツ。「言葉尻」とは違うが、嫌な世の中になったものだ、とつくづく思う。なんと、この「ハラスメント」は32種類もあるのだそうだ。その判断基準は、相手方が不快に思うかどうかだと言う。32もの「ハラスメント」を全部言える人がいるかどうかは疑問だが、嫌な世の中になったことだけは確か。うっかり、口もきけないし、ましてや冗談も言えない。




 確かに人を傷つけたり、不快感をもたらしてはいけないことぐらいの心得は、社会人としては当たり前。しかし、冗談を飲み込む寛容さだって大事だろう。第一、言動の節々にいちいち気を使っていたら疲れる。「あっけらかあ~ん」と生きることも処世術? 歳のせいかも知れないし、田舎の大自然の中で暮らすようになったせいかも知れない。お陰かどうか知らないが、女房との夫婦げんかも、めっきり少なくなった。




 一方で言論の自由とか表現の自由と言う。マスコミは報道の自由を声高に言う。話題の多い米国のトランプさんは、そのマスコミと真正面から対立しているとか。さて、さて…。




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病院内のドラマ

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 ある総合病院の外来患者の待合室。朝から席を埋めた、大勢の患者に交じって、診察の順番を待ちながら、ふと思った。




 「一見、何事もないように、と言ったらヘンかも知れないが、毎日が決まったように過ぎて行く病院。一皮むけば、良くも悪くも、様々なドラマが展開されているのだろうな…」


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 例えば、今、自分がいる内科外来の待合室。みんな黙りこくって座っているが、病の種類も症状、厳密に言えば、その緊急性だって違う。回復に向かっている人はいい。でも重い病を抱えた患者の心の内は複雑だろう。「一刻も早く呼んで(診察をして)くれないものか」。そう思っているに違いない。診察までに1時間、2時間待ちは当たり前。やっと順番が来たと思っても診察時間は3~4分から5~6分。待ち時間とのギャップが大きいだけに何とも腑に落ちない気分にも陥るだろう。




 階が変わって入院病棟。ここだって様々だ。入院期間の長短は別に、闘病を乗り越え、花束片手に退院していく人もあれば、今なお必死の思いで病と闘う人もいる。入院患者ひとり一人の症状や病状だって異なる。中には《明日をも知れない》患者さんだっているはずだ。取り巻く、医者や看護師、家族の胸中も、また様々。


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 病院の中を歩いているのは主役の患者さんばかりではない。当然のことながら、その患者さんを治療する医師、サポートする看護師や技師たち…。入院患者を気遣う家族や見舞客もいる。医師ら医療に携わる人たちや事務職の人たちは白衣や制服で、入院患者も病室着だから、すぐ分かる。ただ、外来患者や入院患者の家族、見舞客などは区別がつかない。




 医療の場でありながらも病院とは不思議な所で、他にも様々な人たちが行き交っているのである。製薬会社のセールスマンもいれば、葬儀社の人だっている。「葬儀社の人」というと、病気を治療する病院には不似合いだが、現実には絶対必要な役目を担う。《万一の場合》の応急的な措置や搬送など、その家族をサポートする欠かせない存在でもある。手際のいい措置をしないと、少なからず入院患者に心理的な影響を与えてしまうからだ。




 私には忘れられない出来事がある。義父(女房の父親)が入院。末期の胃癌だった。93歳で亡くなったのだが、その症状は重く、手術も不可能。最後は連日、のたうち回るほど苦しんだ。痛みがひどかったのだ。見るに見かねてナースセンターに跳んで、医師の目を見詰めて言った。「先生、あのままでは可愛そうだ。何とかしてくれないか…」と。




 医師は言った。「あなたは自分が言っている意味が分かっているんですね」。「もちろんです」。医師も私の目を見て言った。「そうでしょうね。実の子供さんは女性ばかり。あなたでなければそんなことは言い出せませんよね。お爺ちゃんは長くもっても後4~5日。正直言って私も同じことを考えましたが医師として、それを率先することは出来ませんでした」。
  薬(注射)で痛みを和らげてやることは患者の《最期》を意味する。ウソのように痛みを訴えなくなり、笑顔すら見せた。その一日後、本当に安らかな顔で逝った。判断は今でも間違いなかったと思っている。ひと時であっても、安らかな時間を与えてやれたからだ。




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やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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