柿の当たり年

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 人間とは勝手なものだとつくづく思う。ついこの間まで「暑い、暑い」と言って閉口していた人間が、今度は「寒い、寒い」である。それだけなら、まだいい。「やっぱり暑い方がいいよなあ」という。「オレ、風邪に弱いんだよ。風邪を引かないだけでもいい。やっぱり夏の方が…」。いいかげんな私なんか憚る事なく、そんなことを言ってしまう。
 



 今年の秋は短かった。夏の猛暑、残暑がいつまでも尾を引いたためだ。「暑いですねえ」。そんな言葉がつい先頃までの挨拶言葉であった。それが、わずか2ヶ月あまりで、一転。「寒いですねえ」。甲府盆地では空っ風が吹き始めた。その間には確かに“秋”もあった。何時ものように木々は紅葉し、もみじを装った。


紅葉



 しかし、それもつかの間。赤く染まった木々はどんどん葉を落とし、あられもない格好に。ただ、実を付けている果実はしっかりと存在感を保っている。柿や林檎。その柿や林檎を野鳥は黙って見ていない。熟れた果実を虎視眈々と狙っているのである。


柿1



 狙われる側もしたたか。裸になった木に橙色の実をさらすは品種によって、しっかりと“渋“を蓄え、鳥たちの餌食にならない。「甲州百目」や「はちや」という品種。主には枯露柿に用いられる品種だが、これもむろん、熟れれば渋が抜ける。ただ、熟れて“ずくし”になってしまったら枯露柿の用を足さなくなる。つまり、鳥の攻撃を受ける前に収穫されてしまうのである。




 今年は、その柿が当たり年。枯露柿用の「甲州百目」や「はちや」ばかりでなく、生食用の「富有」や「大秋」、「御所」など全ての柿が大当たり。だから柿という柿は、だぶつき気味。収穫されないまま木の上で“野ざらし”になっている柿もいっぱいだ。柿だけでなく全ての果物に言えること。生らせ過ぎると実は小粒になる。勢い、商品価値を落とす。



枯露柿



 どうやら今年は、鳥たちにとって餌には事欠かない。「ワッハッハ、ワッハッハ」の年なのである。人々は、ただでも全ての柿を採ってしまうようなことはしない。「守り柿」とか「木守柿」と言って木に何個かの実を残す。収穫への感謝であり、自然への感謝。そればかりではない。鳥たちへの人間達の思いやりなのである。




 柿は“年成り”をするという。当たり年の翌年は「違い年」と言って、少量の実しか付けない。この現象、単なる反動ではない。前年、生らせ過ぎのせいで勢力が衰えて実を付けない、と言うだけではない。




 柿や林檎は小枝の先端に実を着ける。収穫の時、その小枝ごと取ってしまうので、豊作の時ほど、“生り芽”を少なくしてしまうのだ。脚立などを使って手で取れる木はいい。大きな木の場合、竹竿の先をハサミのようにして枝ごと折ってしまうので、必然的に“生り芽“が少なくなると言うわけ。


枯露柿



 特に枯露柿用の柿は紐で吊して天日干しをするため、紐にかける部分の小枝が必要になるのだ。柿の剪定は、葡萄などのそれと違う。私は子どもの頃、それを知らずに見よう見真似の剪定をして笑われたことがある。(次回に続く)




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「あずさ1号」

あずさ
あずさ


 その人は「あずさ1号」でやって来た。奥秩父の山懐に抱かれた「みとみ笛吹の湯」でお会いした山男である。「新宿を朝7時に出て8時40分には韮崎に。そこからバスに乗り、瑞
山へ。瑞山―金峰山―大弛―甲武信岳。一泊二日の縦走コースだった」。途中、金峰山の山小屋近くのキャンプ場でテントを張ったという。

 


 JR中央線を走る特急「あずさ号」は、山梨県人や長野県南部(南信)の人たちにとっては身近な存在。それぞれの郷里と東京を結んでいるのだから、その頻度はともかくお世話になる列車なのである。もちろん「鈍行」と呼ばれる普通列車も走っているのだが、近距離間の連絡と「かいじ号」も含む特急列車の“つなぎ”の役割に過ぎない。


かいじ
かいじ


 「あずさ1号」は文字通り中央線の一番特急。しかし、私たち山梨県に住む人たちには縁が薄い特急列車なのである。朝の7時に新宿を出る。そう、前の晩、遊びすぎて東京泊まりを余儀なくされ、“朝帰り”でもしない限り乗ることのない列車だ。でも山男達にとっては都合のいい列車なのだ。




 この山男氏、聞けば51歳。20日間の有給休暇と、やはり20日間のリフレッシュ休暇を利用して山梨を中心にあちこちの山を歩くのだという。ほとんどが単独行。インターネットを駆使、列車とバスを上手に使ってスケジュールを組む。もう一つ欠かさないのが露天風呂がある山間の温泉だ。「山歩きの後には、これが一番」。


ほったらかし温泉


 そういえば、やはり山好きの方だろう。私のブログにちょくちょくおいでいただく何人かの方がこんな書き込みを




 「昨日、毛無山から下山後、富士宮市にある「花の湯」に立ち寄りました。新しいタイプのクワハウスタイプでしたが、疲れが取れた様な気がしました。山梨市近郊に多くの名湯があることを知り、山梨県の山に登ることが多い小生にとっては嬉しい情報でした」 (ゴチさん)




 「8月に富士登山に行き、帰りに『ほったらかし温泉』に浸かって来ました。露天風呂からの眺めは最高でした」 (hamさん)




 「温泉はいいですね~。日帰りでもホイホイ出かけます 一泊出来るとなればなおさら喜んでホイホイです 」(Eさん)




 ちょっと駄洒落が過ぎるかも知れないが、「山があっても山梨(無し)県」。山には事欠かない。若い頃は富士山はもちろん、南アルプス、八ヶ岳、それに地元の奥秩父。“それなりに“歩いた。露天の風呂で山を下りて来たばかりの山男氏の話を聞きながら、むらむらと…。でもそれは夢のまた夢。歳もさることながらメタボの人間に山を歩けるはずがない。女房にそんな話をしたら一笑に付されるだろう。


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南アルプス連峰と富士山(南アルプス市HPより)



 この山男氏。露天風呂にゆっくり浸かって、すぐ目の前の停留所からバスでJR山梨駅へ。今度は特急「かいじ号」で東京へ帰る。身支度はシンプル。背負っているリュックの中にはテントや防寒具のほか、お湯を沸かすラジウスや食器なども入っているはずだが・・・。山歩きの装備は小気味よくコンパクトに変わっている。
 食料もフリーズ加工物が多く、お湯をかけるだけで食べられるばかりか、後にゴミを残さないように工夫されているのだ。季節は晩秋へ。周囲は紅葉を始めていた。




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叱らない風潮

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 「芽が出ないのは種が悪いんじゃない。蒔くヤツが蒔くすべを知らないから悪いのさ」


 山間の露天風呂。たまたま、その温泉で出会った老人の言葉に妙に頷いた。野菜の種蒔きの話をしていた時に露天風呂に入って来た親子連れ。決して広くはない露天風呂。湯船の淵に身を委ねて温泉を楽しむお客さんは10人ぐらいはいただろうか。




 子どもたちは無邪気だ。若いお父さんに連れられた二人の子供は、下の子は4~5歳、上の子は小学校1~2年ぐらいか。露天の風呂に入って大はしゃぎ。無理もない。家庭の風呂では、味わうことが出来ない露天だ。天真爛漫。兄弟二人で泳いだり、お湯のかけっこで、子供なりの大暴れ。


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 それを見守る湯船の淵にいる大人たちも、さすがに《大人》。子供たちの乱暴とも思える振る舞いを《許容》して見守っていた。しかし、その人たちの顔も時と共に曇って来るのである。それまでの山間の静かな露天風呂の雰囲気をぶっ壊すばかりか、水しぶきならぬ、お湯しぶきを振りまくからだ。若いお父さんは、ニコニコしながら子供たちの無邪気な《乱暴》を見守っている。幼い子にはことの良し悪しは分からない。それを教えるのが大人だ。




 「今時の若い親たちは、子供を叱ることを知らない。よわったもんだ。子供たちには罪はないんだよなあ…」


 私の隣で露天風呂の淵に身を委ねていた老人は、独り言のように、そんなことを言った。確かにそうだ。わが子が他人に迷惑をかける行為をしていたら、親が注意をするのは当たり前。老人の言う通りだ。老人の種蒔きの話は、この子供たち親子にも通じた。




 子どもたちの乱暴な振る舞いに、業を煮やしたのか、別の一人が言った。


 「僕たち、ここはプールじゃあないんだよ」



 若いお父さんは、ここまで言われても、まるで何処吹く風。それまでと同じようにニコニコ笑ったまま。そこで老人は「あんなもんさ」。腹立たしいように言った。




 確かに今の親たちは子供を叱らなくなった。親たちと言うより、大人たちと言った方がいいかも知れない。いや世間全般かも知れない。「昔は昔。今は今」と、お叱りを受けるかも知れないが、私たちが子供の頃は、親も怒った。学校の先生も怒った。そればかりではない。悪いことをすれば、隣のオヤジも怒った。「叱った」と、言う方が正しい。




 悪いことをしたり、他人に迷惑をかけたりしたら親からこっぴどく叱られ、ゲンコツも食った。学校の先生だって同じで、わんぱく小僧だった私なんか、先生からの《お目玉》は日常茶判事で、そのことを家に帰って話そうものなら「お前が悪いからだ」と、また父親からゲンコツを食うのである。だから、そんなことは口が裂けても言わないのだ。




 時代が代わって…。今は、親も学校の先生も、隣のオヤジも、誰も怒らなくなった。叱らなくなった。学校の先生がゲンコツでもくれようものなら、モンスターピアレントたちは、やれ《暴力》だの《体罰》だのと学校や教育委員会相手に大騒ぎだ。体罰の良し悪しは別に、世の中に蔓延しつつある怒らない風潮、叱らない風潮は、本当にいいのだろうか…。




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種まきのコツ

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 そうだったのか。山間の露天風呂で聞いた老人の話に一つ一つ頷いた。種まきや、その後の手入れ、管理のコツ。片田舎と言っていい、山梨の百姓の倅に生まれながら東京での学生生活も含めて45年以上もの間、百姓の世界の外にいた。




 考えてみれば、そのブランクが簡単に埋まるはずがなく、「百姓の倅」というだけの“潜在的な自信”など通じるはずもない。「職場をリタイアしたので、親が残してくれた、だだっ広い農地で今度は百姓をやろう」。世の中そんなに甘くない。




 ほうれん草や人参など野菜の種まき。百姓の入り口だ。何のことはない、極当たり前のこと。ところがお恥ずかしいかな、この歳になるまで、そのコツを知らなかったのである。「かける土は蒔く種の三倍」。老人は言った。


芽


 「だってそうだろう。ほうれん草でも、人参でも、あの小さな種に沢山の土をかけられたら、芽を出す前に窒息してしまうよ。小さな芽が表に出れっこないさ。素人が野菜作りで失敗するのは、たいていが種まき段階だ」




 考えてみれば、その通り。百姓を困らす雑草は、自分で付けた種を地べたに落とすだけで、その翌年には何十倍も、何百倍もの芽を出す。誰も土をかけてはくれないのだ。土をかけて貰うのではなく、土に潜って芽を出すのである。そう考えると、土などあえてかけなくてもいいくらいだろう。もう一つ。ほうれん草などの場合、一晩、水につけて冷蔵庫で寝かせ、水を切った上で播種するのもコツ。石灰をまき、酸性土壌を中和するのは、言うまでもない。


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 雑草に学べ、である。人間にも言えそう。暑さ、寒さを人為的に操作。「安全」の名のもとに、子供達を「小さな危険」からも遠避ける。そんな子供に冒険心など培われるはずもないし、第一、危険への免疫なんか生まれるはずもない。よしんば、親がいる内はいい。守ってくれる親がいなくなったら…。過保護は子供の内だけ。大人になったら親はいない。




 そんな子供が親になる。そこで過保護の怖さを気づけばいいのだが、育ちは育ち。そのまま“立派な”親になる。我が子の“安全”が少しでも損なわれたり、ましてや先生にゲンコツの一つも貰おうものなら、学校に飛んでいって「どうしてくれる」と文句を言う。対する先生も先生。同じような家庭教育を受けた人間だから、それに毅然とした対処が出来ない。その繰り返しが続いていくのである。


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 週末の土曜日。若いお父さんが二人の男の子を連れて露天風呂に入って来た。小学校の低学年か、幼稚園の年齢に見える二人の子供は、大はしゃぎ。露天の湯船を奔放に泳ぎ始めた。湯しぶきが上がる。最初は目を細めてニコニコしていた周りの大人達も次第に顔をしかめ始めた。
 ところが若いお父さん。無邪気に、というより乱暴に湯船で遊ぶ我が子を見てニコニコ笑っているだけ。老人は小声で言った。「今時の若いのはアレだよ。子供を叱ることを忘れちまった。困ったもんだよなあ…」。更に老人は「芽が出ないのは種が悪いんじゃない。蒔くヤツが蒔くすべを知らないから悪いのさ」とも言った。




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露天風呂の語らい

タマネギ


 「タマネギ、ぼつぼつ植え付けをしなきゃあ、いけませんかね」


 「そうだ。霜が来る前に植え付けなくちゃあ…」


 「わたしゃあ、今年はタマネギ作り、失敗しちまいましたよ。ホームセンターから買って来た苗を植えたんですが、玉が大きくならないうちにトウが立っちまって…」


 「買って来る苗には当たり外れがあるのさ。タマネギに限らず、野菜は自分で種を取り、苗作りから始めるのに限るね。でも、忙しかったり、初めての人は、そうするわけにはいかない。そんな時には信頼出来る種屋さんや苗屋さんをみつけることさ」


 山間の露天風呂で知り合った親爺さんとの話は弾んだ。この親爺さんは、山梨県は桃の一大産地・一宮町からやって来る。「この笛吹の湯の露天風呂が大好きだ」。車で3~40分かかるという。御年、84歳。「癌で胃袋を全部取っちまった」。体は痩せているが、元気いっぱい。毎日、朝は5時に起き、畑を見回る。家で食べる野菜は全部、自分の手で作るのだという。広い桃畑は「息子に任せた」。


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 「癌が見つかったのは、この春。腹に出た帯状疱疹の治療で医者に行ったのがきっかけさ。ひょうたんから駒ってヤツさ。医者は『切らなければ三ヶ月と命は持たない』と言った。84歳になる今の今まで医者に10円と払ったことはなかった。それがねえ…。癌だってよ。どうせ死ぬなら痛い思いはご免。手術を拒んだ。でも家族に説得されて切ったのさ」



 親爺さんはそんな話もしてくれた。


 「オレの癌はともかく、露天風呂とはいいものだよ。体の癒しばかりでなく、勉強になるぜ。たわいもない世間話から始まって農作業や政治の話も。ただ聞いているだけでも面白い。一つ野菜作りを例にとっても、種まきの旬から、作り方のコツまで、雑談の中で教わるんだ。この歳になっても『ああ、そうか』と再発見することがいっぱいさ」


はやぶさ温泉鯉


 こうも言う。


 「野菜作りだって何だってそうだが、成功するには人の知恵を借りることさ。みんな、失敗を重ね、工夫を重ねながら本物を掴む。オレは胃袋を切っぱらう前からここに来ているが、湯船の中でたわいもなく教わったことは数知れないね。人間、『ああ、そうか』の繰り返しだよね」



 やっぱり歳の功。うまいことを言う。


 「野菜であろうが、果樹であろうが、手を加える“旬”というヤツがある。野菜の場合、種まきの遅い早いで、その後の手の加え方が異なるし、標高や土壌などによっても違う。隣の家で摘花や摘果を始めたからと言って、うちもやらなければ、というのは間違い。微妙な違いをしっかり掴まなきゃあ…。カボチャでも何でも“花結び”の時期の扱いは特に気を配らなければいけないよ。妊婦のそれと同じなんだから…」


かぼちゃ


 「私はほうれん草や人参作りがへたくそで、毎年、ロクなものが出来ないんです」


 「肝心なことを、あんたは知っていないんだよ。間違いなく土のかけ過ぎだ」
(次回に続く)
 


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祭りと人権啓発

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 所は甲府市の郊外にある県立「小瀬スポーツ公園」。昭和61年の国体(かいじ国体)会場として設けられた大きなスポーツ公園だ。そこで毎年、「県民の日」のお祭りが開かれるのである。メーン通りはむろん、各種の競技場をつなぐ道路はお祭り広場に早変わり。飲食物や金魚釣り、収穫したばかりの大根などの野菜に到るまで多種多様の露店が並ぶ。定番のたこ焼きや焼き鳥、焼きそば、鯛焼き、ビールやお酒、ジュース…。なんでもある。




 目抜き通りには、今や県民的な人気のサッカー-チーム「ヴァンフォーレ甲府」のブースや人権啓発のためのブースも。公園のほぼ中央に設けられたメーンステージでは、二日間の祭り期間中、さまざまなプログラムが組まれて、家族連れのお客さんを楽しませるのである。二日間のお客さんは恐らく10万人を超しただろう。近くには救護本部も。



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 歌やクイズ、お客さん参加型のゲーム…。山梨県人権擁護委員連合会が行う紙芝居もその一つ。ステージに大型のセットを持ち込んで紙芝居を見せるのだ。出演者も一人ではなく、何人もが役割分担して見事に演ずるのである。口調も時代がかった名調子ではなく、登場人物を、それぞれがリアルに演ずるのだ。


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 同県連には「子ども人権委員会」という専門委員会があって、子供達の人権に関わる相談に応じたり、啓発活動をしている。もちろんボランティア。このほか専門委員会は男女共同参画、救済、総務、研修があって、それぞれの分野で委員が自主的に活動しているのである。人権擁護委員は市町村長が議会の同意を経て国に推薦。法務大臣が委嘱する。山梨県には217人の委員がいる。




 時も時。お祭り会場となったスポーツ公園は紅葉に染まっていた。人々はもみじを楽しみながら祭りの世界に。メーン街路は広い。落ち葉が舞う街路脇に設けられたステージ前の観客席。その周りを人々が取り囲んでもまだ街路には余りがある。紙芝居はそんなシチュエーションで始まるのだ。


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 チームは5~6人。“声優“宜しく、登場人物をこなす人もいれば、その画面を変える人もいる。もちろん、ナレーターだって。その呼吸はピッタリ。おじさん達が子どもの頃、村の氏神さま広場に自転車でやって来て、紙芝居を見せてくれた水飴売りのオジサンとは違う。独演の名調子ではなく、こちらはチームプレイ。素人とは思えないほど上手だ。





 それもそのはず。暇を見つけては練習するのだという。人権擁護だから紙芝居のキーワードは「いじめや」「思いやり」「優しさ」。メンバー達は、この日のように祭りでの“公演”よりは学校での“公演”の方が多い。いわゆる「人権教室」だ。子供達は紙芝居を通じて人権の大切さや人権とは何か、を学ぶ。


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 この専門委員会「子ども人権委員会」の努力は地域にも波及、今、山梨県内ではあっちこっちの小中学校で「人権教室」が開かれているのである。いわば民間人の“出前授業”。


 「いじめが原因で若い命が失われるようなことがあってはなりません」


 紙芝居にいじめの防止や人権の擁護を託す「子ども人権」の“役者さん達”は懸命だ。



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紙芝居

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 うまいものだ。仲間でもある人権擁護委員が演ずる紙芝居を見せていただきながらホトホト感心した。その一方で、もう60年以上も前の子供の頃を思い出した。水飴売りの紙芝居屋さんだ。現在の山梨市が市政を敷くずっと前。山梨県は甲府盆地の東部の片田舎。当時は東山梨郡岩手村と言った。のどかと言えば格好いいが、米麦養蚕の、どちらかと言えば貧しい小さな村であった。




 どのくらいの周期でやって来たのかは定かに覚えていないが、紙芝居屋さんのおじさんは、村の氏神さんの広場に自転車を止め、その荷台で紙芝居を始めるのである。子供達はまるで申し合わせたように集まって来て、食い入るように紙芝居を見るのだ。所詮、自転車の荷台にしつらえられたセット。今考えれば、子供だましのようなものだが、わんぱく小僧達は食い入るように見た。


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 「国定忠治」、「銭形平次」、「のらくろ」・・・。「月光仮面」があったかどうかは別にして、紙芝居屋さんの名調子に子供達は興味津々。終われば、小さな手で懸命に拍手した。その紙芝居屋さんは、当たり前のように紙芝居のセットの下に仕込んで来た水飴を売るのである。それが本業だなんて子供達にはどっちでもいい。恐らく3円か5円だったのだろう。おじさんが箸の棒に絡めて売ってくれる水飴はもう一つの楽しみだった。

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 今思えば箸の棒は、使い古しの割り箸。おじさんは水飴の壺から、それは、それは手際よく水飴を箸の棒に絡めてみせる。子供達の“注文”を聞きながら水飴に赤や黄色、ブルーの水溶液を付けてもくれる。それを割り箸で練り合わせる。透明色の水飴はカラフルに。それを美味しそうに食べるのである。食べると言うより、嘗めると言った方がいい。




 子供達はみんな外で遊んだ。今のようにテレビがあるわけでも、ましてやファミコンがあるわけでもない。あるとすれば漫画本を読むくらい。それも、ふんだんにあるわけではない。勢い、遊び場は屋外に。氏神さんの広場や、大きな庭のある家に誰が言うともなく集まってくるのだ。メンコやビー玉、竹馬やかくれんぼ。缶蹴りや石蹴りの遊びもあった。



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 そこにはガキ大将がいて、年下のわんぱく小僧達に教えるともなく“遊び”を教えた。年下のわんぱく達が、やがてまたガキ大将になっていくのである。そんな子供達の所にやって来る紙芝居屋さんは、子供達にとって新鮮だった。子供達は紙芝居に出てくるヒーローを自分とオーバーラップしながら見たり、拍手するのだ。




 今のように「少子化」などと言う言葉は無かった。貧しい小さな村にも子供達の歓声があった。もちろん今のように塾などというものはない。子供達は暗くなるまで外で遊んだ。冬場だと手には皹(ヒビ、アカギレ)をつくり、「ゴボウ鼻」をすすり上げる子供だって珍しくなかった。今の子供達にはない無邪気さがあった。
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 記憶している限り、そこには「いじめ」なんかなかった。縦割りの遊びだから暗黙の内にガキ大将がそれを許さなかったし、年齢から来る体力差を無意識のうちに補い合っていた。人権擁護委員の紙芝居を見ながらいろいろのことを考えた。(次回に続く)




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IT社会と孫娘

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 「そんなに、画面の近くで観たら、眼が悪くなっちゃうぞ」


 テレビの子供番組で放映されるアニメや、ママのスマホやタブレット端末で遊ぶ孫娘に、よく苦言を呈す。


 ママが注意してやらないとダメだよ。やがて《牛乳瓶の底》のような眼鏡をかけなければならないようになるぞ」


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 余計なおせっかいかも知れないが、茶の間での孫娘の遊びを見ていて母親でもある娘に世話を焼くのだ。テレビやスマホ、タブレット端末は画面のコントラストが強いから、近くで見たら子供の眼には絶対に悪いに決まっている。歳のせいかも知れないが、私なんかてきめんに実感する。




 そんな私の心配をよそに女房は、孫娘が喜びそうなテレビのアニメ番組があれば、密かに録画しておくのである。《敵もさる者》。孫娘は先刻、ご存知で「お婆ちゃん、ドラえもん見るの」。白雪姫も知っている。それまで部屋中を飛び回っていたのがウソのようにテレビの前に座ってジッと見ているのである。


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 私は「水戸黄門」などの時代劇や、お気に入りのクイズやシリーズ番組しか見ないが、ニュース番組はよく見る。時間を見ながらチャンネルを変えると孫娘は怒ること、怒ること。大人気ないが、孫娘とチャンネル争いだ。譲らないのは「何でも孫娘の言うことを聞いてしまう爺婆ではいけない」という、細やかな《ポリシー》でもある。




 孫娘は、一旦は抵抗するもののあきらめも早い。「静かになったなあ」と、思ったら、今度はママのスマホやタブレット端末を相手に遊んでいるのだ。孫娘は3歳。むろん、その操作の仕方を知っているわけではない。玩具のように遊んでいるだけである。でも、幼いうちから空気のようにテレビのアニメやIT機器に囲まれ、親しんで来た子供たちが大人になったら…。大人になったらどころか、あと数年もすればそんなものは自在に操り、私達、爺婆が四苦八苦するパソコンやインターネットだって自由に使いこなすだろう。世の中の大抵なことは大人が子供に教える。躾も学問も、遊びだってそうだ。




 しかし、ことITの世界だけは別。私たちの年代では、パソコンの操作どころか、ケイタイやスマホでメールすら打てない仲間も珍しくない。パソコンのメールアドレスの開設に至っては、挑戦すらしない。そんなヤツほど《臆病》で、言い訳は「個人情報が侵害される」だ。「交通事故に遭うかも知れないから車に乗らない」と言うのに等しい。そんなことを言っていたら空気も吸えない。中国大陸から黄砂やPM○○なども飛んでくる。




 手塚治虫が漫画化したアトムの世界は、もう半世紀以上も前。IT(ICT)の社会は急速に進化し、産業界、特にモノ造りの世界はロボット化が当たり前になった。AI・人工知能に学習能力まで持たせ、その進化を追求中だ。近い将来、ロボットが人間の頭脳を凌駕することは間違いないだろう。地球の温暖化にしても、そんな人類の叡知をもって克服するに違いない。いずれにしても、今は無邪気な孫娘たちは、予想すら出来ない進化した社会を生きることになる。




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花より団子

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 子供は綿菓子が好きらしい。孫娘は露店のオジサンがザラメの砂糖を機械で回転させながら、ふわふわの綿菓子を手際よく作る様に、どうやら興味津々。ママの拘りもあって作ってもらった晴れ着を着ての七五三詣でより、ずっと楽しいらしい。なんの変哲もない機械で、あっという間に、綿菓子を作ってくれるのだから、大人だって見ていて面白い。




 「へえい!500円!」。露店のオヤジは、子供が喜びそうなキャラクターを印刷したビニール袋に自分の口で空気を吹き込んで突っ込んだ綿菓子を渡してくれた。正直言って、「こんなものが500円もするの?」と、思うのだが、孫娘の喜ぶ顔を見れば、値段などどっちでもいい。親馬鹿チャンリンならぬ、爺馬鹿チャンリンである。


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 武田神社への参拝の後は、娘たちが用意して置いてくれた甲府市内の寿司屋さんの座敷での昼食会。人気の寿司屋さんとあってか、二階に幾つか設えられた小奇麗な座敷はどこもいっぱい。一つ一つの座敷が、やはり七五三詣での家族連れで埋まっていた。




 「ママ、この着物、脱ぎたい…」




 孫娘は大勢の参拝客に圧倒された七五三詣でから解放されて、そんなことを言った。「親の心、子半分」とは、よく言ったものだ。自らが3歳の時、祖父に贈ってもらった着物を、今風に作り変えて着せた、拘りの晴れ着も3歳の子には、窮屈でしかなかったのだ。


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 座敷には寿司をメーンにしたコース料理が並ぶ。ビールやお酒も。むろん、お子様用のコースも用意するのだが、ここからは、いつの間にか《主役交代》。それまでの《主役》だった孫娘は「花より団子」。晴れ着から普段着に着替えて綿菓子へ。一方の爺たちは、孫娘を忘れたわけでもないのだが、こちらも「花より団子」。可愛い孫娘を《おかず》に、お酒も進んだ。




 盃を置いて、ふと、孫娘を見たら、それまでママや婆がカメラ代わりに使っていたスマホやタブレットを使って楽しそうに遊んでいる。もちろん、操作の仕方が分かっての遊びではない。目の前に特別に用意された《お子様用》の食べ物にも見向きもしないのである。


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 そんな光景を目にしながら、自らの子供の時代を思い起こした。スマホやタブレットがなかったのは言うまでもないが、目の前のご馳走には兄弟が競うように飛びついた。食べる方が先。兄弟も多いから、のろまをしていたら、なくなってしまうのだ。それも、今あるご馳走とは比べ物にならない粗末なものだ。大げさに言えば、口に入る物は何でも食べた。




 「これ、食べてから遊ぶのよ」




 ママの誘いや注意も孫娘にとっては上の空。大きく膨らんだ綿菓子を平らげた後だから、テーブルの上のご馳走も見向きもしないのである。1週間に一度とはいかないまでも孫娘はパパやママに連れられて、私達爺婆のところにやって来る。勢い、私たちの顔もほころぶ。そして「これを食べろ、あれを食べろ」だ。よく考えたら、飽食と言われる時代と、少子化の縮図が我が家にもあった。この孫娘がオレたちの年齢になった日本は、いったい、どんな社会になっているのだろうか。そんなことは誰にも分かるまい。




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孫娘の七五三

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 甲府・武田神社は子供の手を引く、お父さんや、お母さんで賑わっていた。七五三のお参りだ。パパやママのご両親、つまり爺婆まで加わる参拝客も目立つ。むしろ、その方が多く、《主役》一人に大人が六人。我が家も同じであった。《主役》の子供たちは、境内の賑わいに、いささか緊張気味。武田神社は戦国武将・甲斐の武田信玄を祭った神社である。




 「ここに、これ(お賽銭)を投げ、二回お辞儀(2礼)して、二回手を叩く(2拍)の。そして一回お辞儀(1礼)するのよ」




 孫娘は、ママに、そう教わりはしたものの、流石にチンプン、カンプン。わずか3歳。背が小さいから目の前の大きな賽銭箱しか目に入らないはずだ。小さな手を合わせて、言われるままに《拍手》。神妙というより、狐につままれたような顔つきであった。それよりも隣の男の子(5歳)が手綱を振って鳴らす鈴の音の方が興味深そう。

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 そんな孫娘の気持ちは、私達、爺婆夫婦にもよく分かる。幼子には太すぎる手綱を一緒に振ってやると孫娘は、手綱の先にぶら下がる二つの鈴を見上げ、それが奏でる音に大喜び。「もう一度。もう一度」と、大はしゃぎ。子供にとって大人たちの《儀式》なんか、どっちでもいいのだ。大人から見れば、その鈴の音は、なんとも味気ない。「あの音、もうちょっと、いい音が出るように工夫したら…」。初詣や観光旅行の旅先での参拝の時にも、全く余計な心配をするほどだ。大きなお世話だよね。




 本殿の横、ちょっと奥まった所には二張りのテントが。お払い・祈願のための仮設受付所だ。そこから案内された先は控えの間。しばらく待たされて拝殿へ。そこに行く七五三の《主役》を中心にした御一行様は2~30組ずつ。女性の神官が恭しく祝詞を奏上、巫女さんが低頭した参列者を前に鈴を鳴らして儀式は終了。その繰り返しをするのだろう。女性の神官は?…、流れ作業?などと言ったら絶対お叱りを受ける。




 七五三は日本中の神様が出雲大社に集まると言われる神無月(11月)の15日。15日を充てたのは七五三、つまり7十5十3の和から来たとされている。実際には、この日を待たずに1週間前、2週間前の週末を利用して参拝する人たちが多いという。パパやママの仕事の都合や参拝客の混雑を避ける意味合いもあるのだろう。孫娘の場合も同じで、その両方の爺婆も喜び勇んで馳せ参ずるのである。むしろ大人たちの方が嬉しがっているのだ。

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 モノの本によれば、3歳は女の子が髪を伸ばす「髪置き」、5歳は「袴儀」として男の子。男子が袴を着用し始める儀だという。7歳は「帯解きの儀」とし、女子が幅の広い大人と同じ帯を結び始める儀だそうだ。




 めいめい千歳飴を吊るして緊張気味の《主役》たちの、いで立ちは男の子も女の子も和服姿が多い。孫娘の着物は娘が自らの七五三のお祝いの時に着たものを今風に作り替えた。娘の祖父が作ってくれたもので、孫娘にすれば祖祖父の贈り物と言うことになる。親の《趣味》?で、オメカシした孫娘は、どうやら窮屈そう。「あれ、買って」。境内の入口に並んだ露店の綿菓子の方が魅力のよう。「そうか、そうか。お爺ちゃんが買ってやるよ」。





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やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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