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ブヨ

真夏


 猛暑日。熱帯夜。やっぱり暑い。家の中の温度計は31度。温度計といっても、どなたかの結婚式の引き出物に頂いたデジタル時計。大きく算用数字で刻まれる時間の下に温度と湿度が表示されるのだ。電波時計というヤツで、同じシステムの壁時計やテレビ、ラジオの時報と1分、1秒違わない。例え狂ったとしても、どこかで必ず合わせてくれるのである。電波でコントロールしているのだそうだが、その理屈がアナログ人間に分かるはずがない。そんな時計に付いているのだから温度計だって正確だろう。




 山梨は県丸ごと内陸地帯に位置しているので、蒸し暑さでは天下一品。特に四方を山に囲まれた甲府盆地は天然の蒸し風呂みたいなものだ。太平洋側であれ、日本海側であれ、海に面した所にお住まいの方々が羨ましい。娘が小さいころは私と女房の両方の親も連れて伊豆の海に行った。避暑などとかっこいいものではなかったが、娘を海で遊ばせてやりたい気持ちと暑さ逃れであったことは間違いない。伊東であったり、下田や土肥の海岸であったりした。そんな親爺達もみんな逝ってしまった。


生み


 誰もがお気付きだろうが、暑い、暑いと言っているうちに、ジワジワと日が短くなっている。ひと頃は7時半頃まで明るかったものが今では6時半といえばボツボツ薄暗くなる。日中は、しゃら暑いので夕方から畑に出て野良仕事の真似をするのだが、日が短くなるのが何かもったいないような気がするのだ。まだちょっと早いが、「秋の日はつるべ落とし」という。すぐそんな時期になる。




 日が長くなったり、短くなるのは季節の変化の証。それはそれで仕方がない。問題は野良にしかいないブヨや夕方から活動し始める藪っ蚊の存在だ。この時期、まるで我が世の春、とばかり畑の草むらや植え込みの中で暗躍。なにしろ小さいので姿、形はほとんど分かり難いから始末が悪い。襟元であれ、顔であれ容赦なく喰いついてくる。足首や手首は地下足袋や手袋で防備できるからいいが、顔や襟元は防ぎようがない。



ブヨ     ブヨ     ブヨ



 人間の体温が彼らを寄せ付けるのか、それとも汗の臭いなのか。仕方なく丸いケース入りの蚊取り線香を腰にぶら下げて作業をするのである。犬の散歩で通りかかった近所のおばさんは「私なんか、うっかりしていたら、この始末ですよ」と、自分の襟元を指差した。ブヨに食われた痕が何箇所も真っ赤に腫れ上がっていた。75歳も過ぎると色気もなくなるのか襟元をさらけ出すようにして見せてくれた。


蚊とり線香

 

 この蚊やブヨ。篤農家の果樹園や野菜畑にはほとんどいない。果樹園はひっきりなしに消毒するし、野菜畑は丹念に草取りをしているからだ。怠け者の畑が彼らの楽園。畑や植え込みをほったらかしにしていると、隅々から必ずつけ込んで来る蔦と同じだ。蔦というのは葦と同じ不思議な植物で、人間が手を加えないことが分かると、ここぞと、ばかり、はびこって来るのである。都会の方々はご存知ないかもしれないが、ブヨは蚊よりも始末が悪い。食われた痕はかさぶたのようになり、周りは真っ赤に腫れ上がるのだ。子供の頃はびっくりもしなかったが、免疫が薄れたせいか、今では百姓の倅も真っ赤に腫れ上がる。





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カブト虫

カブトムシ


 横浜に住む知人夫婦がやって来た。手には虫籠を。中にはカブト虫がうようよ。50匹ぐらいが入っていた。立派な角を持ったものもいれば、角のないヤツもいる。真ん中に置かれた桃に群がり、競うように果汁を吸っている。




 「こんなに沢山のカブト虫どこで採って来たの?」


 「甲州市の塩山です。桃畑にいっぱいいるんですよ」


 「へえ~・・・」


 この二人、夫婦だから、もちろん子供ではない。二人とも40歳近くになるれっきとした大人である。ご主人がカブト虫大好きのようで、日曜日の未明、横浜の自宅を山梨に向けて車で出発。予め話をつけておいた桃畑に直行したという。未明の出発を試みたのは夏の行楽シーズン真っ只中。交通渋滞を避ける意味合いもあった。

虫かご


 「これだけ獲るのに、そんなに時間はかかりませんでしたよ」


 「そんなに沢山いるの?」


 「それがいるんです。木の下に落ちた果熟の桃に一匹、ニ匹と・・・。まるで桃に喰らいつくように、甘い汁を吸っているんです」




 栽培農家は、農協―市場―小売店という流通ルートの所要時間を想定、果肉が硬い未熟のうちに出荷する。完熟してしまった桃は商品にならないのだ。傷物と一緒にジュース用に回されるか、畑に落ちて腐ってしまう運命なのである。カブト虫にとっては格好のご馳走ということになる。出荷期を控えた農家は大分前から消毒をしないので、カブト虫にとって身の危険もない。


桃


 カブト虫は、なにもお百姓さんに叱られないように落ちた不要の桃だけに群がるわけではない。これから商品になる桃にだって喰らいつく。農家にとっては招かざる邪魔者なのだ。「だから天敵駆除にも一役買っているわけ。農家の人たちも快く獲らせてくれました」。カブト虫少年ならぬカブト虫オジサンは真顔で話してくれた。




 私たち田舎者にとってはカブト虫など珍しくも何でもない。畑に行けば一匹や二匹出遭ったし、植え込みにもいた。夏のこの時期、夜、窓を開けていれば茶の間の灯りに誘われ、蝉やカナブンブンと一緒に飛び込んでも来た。クーラーなんかない時代である。春先から初夏の時期、農業用の堆肥置き場をかき回すと「のけさ」と、この地方では呼んだカブト虫の幼虫がいっぱい出てきた。大人の親指ぐらいの太さをした白濁色で、いつも丸くなっているのだ。「これがカブト虫に?」。子供心に不思議でならなかった。


虫取りあみ


 カブト虫やクワガタは、いつの世も子供たちの人気者。横浜からの知人のように大人だって惹きつけるのだ。デパートにはカブト虫コーナーがお目見えし、街角にもカブト虫ショップが。その多くはどこかで養殖しているのだろう。田舎の果樹園では生産性を向上させるための農薬が幅を利かす。当たり前にいたカブト虫は、そこから追いやられる運命なのだ。桃畑で獲れなくなるのも時間の問題だろう。




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魔女狩り?

テレビ


 うんざりする。もういい加減にしたら…。テレビを点ければ、どのチャンネルも「衆議院議員の○○氏は、参議院議員の○○は旧統一教会と…」と、まるで鬼の首を取ったかのようにやっている。




 安倍晋三元首相暗殺事件に端を発した旧統一教会と政治家の関係は、メディアによってクローズアップ。国民的な≪一大事≫に仕立て上げられた。阿呆面してテレビを見ている私のようなオジサンは「政治家、中でも政権与党の自民党は悪者」と、いつの間にか思い込むようにすらなった。




 メディアが報ずる政治家との癒着とは、大方が「旧統一教会の催しに祝電を贈った」、「選挙の応援をしてもらった」など、など。ちょっと待てよ。仮に、オレが選挙に立候補したら、どなただって有難く支援を受けるね。有権者の一票は一票だからだ。当選できるかできないかは、その一票、一票にかかっているからで、そのためなら、日頃、何かの催しに祝電を求められれば、そこは≪お付き合い≫。電報ぐらい打ってやるさ。




 むろん、そこに、とんでもない≪仕掛け≫があったら別。でも、テレビで血祭りに挙げられている人たちは、「祝電を送った」、「祝辞を述べた」程度しか裏づけていない。それも、「〇○新聞の報道によると…」。その根拠となる新聞報道も多くは「○○週刊誌によると」、つまり他人が調べた≪根拠≫である。

英字新聞j

 このやり方は、テレビのワイドショウの常套手段。ほとんどが、自らは、その裏付けなど取っていない。その番組構成に一役買うコメンテーターも新聞報道を根拠に言いたい放題。でもオレなんか、強い者を叩いてくれれば、くれるほど、痛快に思うのだ。自分でも「単純だなあ」と思うことがある。

 論調ばかりでなく、視覚からも訴えるテレビの影響は大きい。私のような無邪気なオジサンたちは、いつの間にかメディアに≪洗脳≫されて行く。むろん、騒ぎの本質「霊感商法」をもくろんだ≪洗脳≫とは違うことは分かっている。普通の神経を持った人間なら、そんな宗教が許容される訳がない。バッシングするなら、そこだろうし、それこそメディアの使命である筈。政治家はなぜか≪叩きやすい≫存在のよう。




 メディアは、ことある度に「表現の自由」を標榜する。でも、政治家の表現については、何故か厳しい。うっかり発言で、どれほどの政治家が窮地に追い込まれたことか。今度の旧統一教会と政治家の関係についても自民党の3役の一人が「私には何が問題なのか分からない」と、発言したらメディアは一斉にバッシング。≪口を封じ≫て訂正に追い込んだ。




 まさに魔女狩り。少しでも≪流れ≫に反した発言をしようものなら、寄ってたかって袋叩きだ。コメンテーターも勢い、過激な批判一辺倒になる。確かに、見ている私のようなオジサンには面白い。リング上で繰り広げられるキックボクシングやレスリングのように過激になればなるほど≪血≫が騒ぐのである。

 番組の流れに反して≪穏やか≫なコメントをしようものなら「あいつは御用評論家だ」と切って捨てる。問題の本質は悪質な霊感商法をする反社会的な宗教団体をどうするかだろう。立法での対処が政治家の役目であり、それを促すのがメディアの使命では…。少なくとも「祝電」や「祝辞」ではないと思うね…。どうせやるなら、もっと≪深掘り≫してくれよ。

 10日は内閣改造。ここを≪潮目≫にメディアは、何時ものように手の平を返して、あれほど騒いで来た、この問題に知らぬ顔をするのか…。





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百日紅とヒマワリ

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 今年も百日紅(さるすべり)の花が咲いた。その下ではヒマワリが黄色い首を振り、緑が繁茂する我が家の植え込みのちょっとしたアクセントに。母屋の前で簾のように咲くアサガオが一服の清涼剤でもある。女房がところ構わず植えたラがあっちこっちで咲いている。バラの顔は種類によってまちまち。バラにはシーズンというものがないのか。一年中どこかで咲くのである。


アサガオ_convert_20110809090501



 百日紅とはよく言ったものだ。この花の開花期間は長い。文字通り百日ではないのだが60日は咲いている。7月中旬に花をつけ、9月中旬まで咲いているのだ。我が家の百日紅は、こうしてパソコンを叩く書斎の窓越しにデンと居座って、存在感がある。



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百日紅



 サルも滑りそうなツルツルした幹。直径は30cm以上あって、その太さは子供の頃と変わっていない。恐らく100年、200年の年輪を刻んでいるのだろう。高さは6mを超す。幼い頃は近所のわんぱく小僧たちと木登りして遊んだ。その頃は花なんてどっちでもいいのだ。サル顔負けに木のてっぺんに上っては誇らしげにしたものだ。


 百日紅
百日紅の幹


 あれから云十年。そんな大きな木は邪魔者。植込みの調和の観点からも鬱陶しい。そればかりではない。脚立や梯子が届かず、選定作業がし難くて困るのだ。昨年冬、チェンソーで頭というか上部を思い切って切り落とした。百日紅ばかりではない。チャボヒバや樫、花梨、金木犀、銀木製も同じ。御身大切。梯子や脚立から落ちたら元も子もないのだ。





 百日紅は切り落とした幹や枝の先から徒長枝を伸ばし、その先にまるで穂のような花をいっぱい付ける。ピンクでもなければ赤でもない。やっぱり紅だ。その数は半端ではない。小さな花をいくつも付け、散らした後には次の蕾が開く。いわば蕾と花の追っかけっこである。「百日紅」と言われるように、開花期間を長く保つ所以がそこにある。




 「お父さん、うちのヒマワリ、いつも陽に背を向けているわね・・・」


 植込みの草取りをしていたら女房が畑に近い所で咲くヒマワリを見ながら妙なことを言った。「そんなこと知らねえよ。ヒマワリに聞いてくれ」。そう言ったら「だってお日様に向かって回るからヒマワリと言うんでしょう」。




 お日様に向かって回るかどうかは別にして、このヒマワリという花、よく見ると逞しい。真ん中に無数と言っていい黒い種を付け、その周りに可憐な黄色い花びらを。ゴッホが描いたあのヒマワリである。東京・新宿副都心の東郷青児美術館で見せて頂いたことがある。分厚く油絵の具を積み重ねた「ひまわり」は、脳裡に鮮明に刻まれている。豪快なタッチのヒマワリだった。ヒマワリはミツバチもたくさん集める。


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ゴッホ・ひまわり


 百日紅の花やヒマワリは、いつもと変わらない夏の光景である。でも、今年の夏はどこか違う。コロナ禍は言うまでもないが、いつもの年と比べて、やたらに暑い。山梨の勝沼では連日、39度台、それも40度近い気温をたたき出し、日本一。私が住む山梨市は、その勝沼と目と鼻の先だから気温は同じ。本当に暑い。助けてくれえ…。




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何かヘンだよ

夏 猛暑


 夏は暑いに決まっている。でも、今年の夏は、何かヘンだ。暑さが半端ではない。私の住む山梨市は甲府盆地の一角。盆地特有の暑さは、今に始まったことではないので、びっくりもしないのだが、今年の暑さは、いつもの年とは明らかに違う。異常だ。




 この暑さ。むろん、ここ山梨ばかりではない。テレビの全国ニュースは連日、「猛暑」がトップニュース。日本列島は、かつて経験したことのないような熱波に襲われているのだ。特に、数日前は勝沼で、39・5度と全国的にも記録的な高温をたたき出した。「お父さん、今に40度を記録するわね」。たわいもなく言う女房の≪観測≫もまんざら的外れでもなさそう。それが日常化しようとしているのである。




 防災無線からは連日、「熱中症警戒アラート」が。我が家に居ついた野良猫の「ピー」も軒先でぐったり。可哀そうだが、手の施しようがない。しかし、自然界は逞しい。向日葵は灼熱のお天道様と正々堂々と睨めっこ。畑の片隅ではアオエや野生のアサガオが赤や紫色の花を付けて何食わぬ顔をしている。ただ、苗を買ってくるなど、人工栽培しているナスやキュウリは、心なしか元気がない。女房が朝晩、せっせと水やり。そうしないと明日の収穫は望めないのだ。泰然自若。動じないようだが、その自然界だって、困惑しているのでは。

朝顔

 暑いのは夏だから仕方がないし、そのヒートアップも地球の温暖化、つまり、私たち人間どもが成せるブーメランと考えれば理解も出来る。でも、今年はやっぱり何かヘンだ。8月に入ったというのにセミの鳴き声を一度も聴かない。こんな年は初めてだ。




 何時もの年だと、梅雨が明ける7月中旬ともなれば、アブラゼミが鳴き始め、下旬から少なくとも8月の声を聞くと同時にミンミンゼミが。この二つは泣き方もさることながら、姿、形も違う。例えば羽を例にしても油紙のような形状のアブラゼミに対して、ミンミンゼミは、透き通った爽やかな羽をしていて、いかにもスマートだ。

セミ

 8月15日。毎年やって来る終戦記念日。この頃がミンミンゼミのピーク・全盛期だ。粘りつくような鳴き声が「夏の暑さ」に拍車をかけてくれるのである。もう何十年も前のことだが、終戦の日をテーマにした「日本の一番長い日」という映画があった。何故か私にはミンミンゼミと、この映画がオーバーラップする。映画で描かれていた、≪この日≫も厚い一日だった。映画は、その暑さをセミに表現させたのである。




 広島、長崎。あの忌まわしい原爆投下から77年。人々は戦争を忘れ、平和を享受しているようにも思ってきた。「平和ボケ」という言葉まで日常化した。しかし、ロシアのウクライナへの武力侵攻によって、そのムードは一変。




 その戦争の構図は単にロシアとウクライナではなく、米欧を中心とした西側諸国とロシアを中心とした反米諸国の対立という構図を浮かび上がらせた。特に超大国と言われる米中の緊張は高まるばかりだ。元をただせば、人間が蒔いた種の温暖化など地球規模の異変もさることながら、人間の性がぶつかり合う戦争。地球という星は今、「何かヘンだ」よ。それにしても、セミはどうしているのだろう。一度も声を上げずに一生を閉じるのか。





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娘の強歩大会

 上州路から信濃路を経て甲斐路へ。群馬県の草津から山梨の我が家に帰る道のりである。甲斐路と言っても途中からは高速道路・中央道。かみさんと娘夫婦を伴って、ゆっくり草津の湯に浸かり、帰りは山梨まで一直線。草津、軽井沢、鬼押し出し、佐久、野辺山、清里、須玉IC。古くは中山道から途中、佐久で佐久往還(国道141)にスイッチするのである。島崎藤村が「小諸なる古城のほとり 緑なすはこべは萌えず・・・」と詠んだ小諸は佐久のすぐ隣、上田寄りだ。


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甲府第一高等学校・強行遠足(写真:HPより)


 「お父さんねえ、甲府一高伝統の強行遠足(剛健旅行)は、この小諸まで来たんだよ。100キロぐらいあったのかなあ。でも、小諸のゴールは男子のこと。女子はずっと手前の松原湖まで。40キロぐらいだったと思うよ…」


 「そうだなあ…。そんなこともあったっけなあ~」


 もう34,5年も前のこと。一人娘で、しかも年寄りっ子に育った娘。のほほ~ンと言ったら叱られるが、のんびりと育ち、闘争心もなければ、根性もなさそうな娘が最後まで歩けるか、内心心配したものだ。


強行遠足 1


 そんな心配をよそに、娘は3年間、立派に完歩した。成績など二の次。正直言って内心ホッとした。親バカちゃんりん。足を引きずり、精根尽きたような姿で帰って来た娘を見直しもした。つい、この間のことのように覚えている。




 「男子は学校のグラウンドからのスタートだったけど、女子は高根町(八ヶ岳山麓の清里近くの町)の高根東小のグラウンドから。最初はみんな走るんだけど、長続きはしないんだよねえ…」「この辺の上り坂が一番きつかったんだよ」



 自らが苦労して歩いた道だけに30年以上も経つ今も記憶は鮮明に残っているらしい。



 「でもねえ、あの頃と道はかなり変わっているわねえ…」


 時代は容赦なく人々の記憶にある環境をも変えていくのである。


 「お父さんだって歩いたんだぞ。山梨市から東京の新宿までだ」



 昭和33年秋。日川高校の1年坊主の時だった。考えてみれば、もう63年も前のことだ。大会は山梨市の甲州街道(国道20号)沿いにある学校から一路新宿へ。ゴールは今のJR新宿駅南口。距離約120キロ一昼夜をかけて歩くのだ。ここでも伝統の強歩大会は時代の荒波にさらされた。ぼつぼつ始まり出していたモータリゼーションの影響である。


日川     日川2



 明治期以来続いて来た伝統の新宿コースは、この年を最後に終止符を打ち、翌年、新たに長野・松本コースに切り替えた。つまり、甲州街道を東から西に変更したのである。しかし、ここでも時代の波はいたずらし、交通事故が。いたずら小僧のちょっとした悪行が誘発したものだが、今のように学校側は≪社会の目≫を気にする時代に入っていた。



 これが長い強歩大会の歴史にダメを押した。しばらく中断し、今は車が少ない≪山岳コース≫を歩いている。血豆を作り、足を引きずってでも歯を食いしばって歩く。忍耐力を培う強歩大会は、なぜか若者たちに今も支持されている。高校時代のいい思い出なのだ。




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映画のノスタルジア

映画

 オジさんのノスタルジアの世界にもう少しお付き合いください。私は密かに「24時の男」と呼んでいるのですが、このブログにおいでいただくmatsuyamaさんも、いみじくも言うように「これと言った娯楽のない時代、娯楽と言えば映画くらいのもの」でした。昭和20年代から30年代にかけてのことで、オジさん達はそんな時代に幼年期、少年期を過ごしたのです。

 情報や交通が著しく発達し、娯楽や遊びを人々のニーズに合わせて、どんどん創出、それを誰でもが享受できる今とは雲泥の差でした。特に山梨の片田舎に住む私たちには車もないのですから、そう簡単に遠くに行くことも叶いません。昭和20年代の終わりにお目見えしたテレビが一般家庭に普及したのは30年代半ば。今の上皇が美智子さまと結婚された34年を前後した頃でした。


ご成婚


 テレビのカラー化が一気に進んだのは39年の東京オリンピックの時期。こんな頃をステップにわが国は高度経済成長へと突っ走って行きました。テレビが出始めた頃はもちろん白黒で、そこでは大相撲やプロレスが中継されていました。吉葉山、鏡里、千代の山・・・。一方、プロレスでは力道山、オルテガ、ルーテーズ、シャープ兄弟などが。とりわけ空手チョップの力道山は大人、子供を問わず人気者でした。


力道山


 このテレビがやがて映画全盛に、とどめを刺していくのですが、少なくとも30年代半ば頃までは、映画が娯楽の王座の位置を占めていたことは間違いないでしょう。街には一つや二つはどこにでも映画館があって、ある時期から邦画の時代劇や現代劇に混じって西部劇など洋画も上映されるようになりました。モーゼの「十戒」や「OK牧場の決闘」もそのひとつ。


十戒


 東映、松竹、大映、東宝、日活・・・。映画制作会社もみんな健在でした。邦画界の大スターと言えば長谷川一夫や鞍馬天狗の嵐覚こと、嵐覚十郎旗本退屈男市川右太衛門多良尾伴内片岡千恵蔵・・・。大河内伝次郎近衛十四郎といったニヒルな役者もいました。これは時代劇の分野ですが、映画全盛時代を支えた、こうした大スター達は遠の昔に鬼籍に入り、例えば「鞍馬天狗」の杉作少年を演じた松島とも子は、もう80歳を過ぎているでしょう。北大路欣也や松方弘樹はその二世。もちろん、往年の父親の歳を上回り、松方はすでに鬼籍に入っています。



旗本退屈男


 当時のご婦人をあの流し目でしびれさせた長谷川一夫。流し目と言うのは目の動きがその人の表情を作り、物言わずして相手に語りかけるものですが、そこにはしっかりした計算があったのです。テレビで拝見したか、本で読んだかは忘れましたが、彼はその極意を宝塚のマドンナ達に、こう説いたと言うのです。


長谷川一夫


 流し目というのはステージで演ずる役者の目線の動きが大事。私は客席の何番シートから何番シートに向けて、つまり、点から点に静かに目線を動かすことをした」




 男の色気を醸し出す長谷川一夫のあの流し目は持って生まれたものだけではなく、長谷川の工夫と緻密な計算のうえに成り立っていたのです。こうした映画全盛時代の名優が懐かしい。みなさんは「オジさん、歳とった証拠だよ」と、仰るでしょうが・・・。








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心の中の裕次郎

石原裕次郎

 もう35
年も経つのか。7月17日は石原裕次郎36回目の命日。時の経つのは早い。時はともかく、裕次郎のスケールはでっかかった。あの東京・代々木の国立競技場を5万人のファンが埋め、入りきれなかった人達がその周辺に溢れたという。さすがにスーパースターだ。亡くなって35年も経つのにフアンの中では少しも色あせない。
裕次郎23回忌
石原裕次郎23回忌特別記念品


 私も裕次郎時代の人間の一人。青春というか、高校時代、裕次郎の映画をまるであさるように観たり、そのスタイルにあこがれた。山梨の片田舎に住む、さもない少年でさえである。都会で暮らしていた、ませた少年だったら、きっと、それに輪をかけていたのだろう。

  最初は、ちょっと趣が異なっていたように思う「太陽の季節」から始まって、その順序はともかく「風速30メートル」「錆びたナイフ」「俺は待ってるぜ」・・・。裕次郎の映画と言えば片っ端から観た。時には授業をサボって、教室から抜け出して映画館に行き、怖い生活指導主任からこっぴどく叱られたこともある。生徒達は「五郎ちゃん」と呼んで、怖がりなららも親しんだ。そんな先生も、もちろん、とっくに鬼籍に入った。

錆びたナイフ


 裕次郎がスクリーンに、と言うより、われわれの前に登場したのは「太陽の季節」だった。彗星のごとく現れ、スター街道を突っ走るのである。言うまでもなく「太陽の季節」は、先頃死去した兄・石原慎太郎が学生時代に執筆、芥川賞を受賞した話題作。当時、学校はこの映画を子供たちに見せることをはばかった。そんな時代だった。


太陽の季節


 今、考えれば、問題のシーンというヤツは、どうということはない。性や風俗に対する時代感覚の違いをいまさらながら思い知らされる。裕次郎作品の相手役は、決まって浅丘ルリ子や北原三枝、南田洋子らだった。北原は後に裕次郎と結婚、スクリーンから姿を消す。脇役には川地民夫たちがいた。

 一方、この時代、裕次郎と人気を競っていたのが小林旭だった。52歳の若さで逝った裕次郎はともかく、こうしたスターたちはどこに行き、今どうしているのだろう。小林旭は後にあの歌姫と言われた美空ひばりと一時は結婚するのである。裕次郎は役者で唄い、ひばりは歌手で映画に出演した。


美空ひばり


 この二人のスーパースターが歌えばレコードは飛ぶように売れたし、映画は劇場に人を集めた。わが国の興業界に、恐らくこんなドル箱はなかっただろう。しかし、この二人のスーパースターは、皮肉にも50台の若さで、相次いでこの世を去った。歌は世につれ、歌につれ・・・。とりわけ、この時代に青春を生きた人々の心には裕次郎やひばりは生きている。

 その青春が、ついこの間と思っていたら・・・。気付いてみたら私は80歳に手が届く。映画全盛時代は遠の昔に終わり?ただ名残を残すのは「ゴールデンウイーク」という言葉だけかも。テレビが人々の映画館への足を遠ざけ、映画制作も同時進行で、ビデオを作る時代になって久しい。裕次郎は私たちの心の底に残りながらも、社会はどんどん変わっていく。

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メイドイン外国

朝


 ロータリークラブの早朝例会で、メンバーの一人がこんな話をした。
 「早起きは3文の得と言う言葉がありますが、その通りなんです。朝一番の陽を浴びると、人間、健康にいいんです。特に、メタボ人間には最適なのです」







 私たちの山梨ロータリークラブは、毎週1回の例会は昼休みの時間、つまり午後零時半から1時半までの1時間を原則に開いているが、夏の時期だと午前6時半からの早朝例会、冬場だと午後6時半からの夜間例会を年何回かは実施する。いずれも水曜日だ。



朝2



 例会では、会員が交代で「卓話」という名の講話をする。メンバーの職域は多岐にわたっている。医者もいれば、機械金属、建設、不動産、測量、旅行、ワインなど会社経営者や、家電時計文房具、花キなどの商店主、公認会計士司法書士学校の校長先生新聞記者のOB銀行マン僧侶だっている。もちろん、果樹地帯のど真ん中だから、桃や葡萄の栽培者だって少なくない。







 目の前の医者をちょっとはばかりながらも、この日の卓話の担当者は「聞いた話」と前置きしながら朝日、早起きとメタボ改善の医学的な因果関係を説いた。この人はアパレル業界で会社を営む人だから、話の中心はファッション



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 「今、女性物、男性物を問わず、値段はどんどん安くなっている。その秘密は外国での生産だ。われわれ専門家から観れば、技術は劣るが、そこそこのファッション性があるから消費者にとって安さは魅力。男性者のスーツが9,000円台で売っているんですねえ。そんな人はいないとは思いますが、この背広を5年も6年も着られたのでは、われわれはたまったものではないんです」






 そう言ってこのアパレルメーカーの社長は、苦笑いした。確かに、安かろう、悪かろうと言ってはいい過ぎかもしれないが、ファッション製品にとどまらず、わが国で売られているのは≪メイドイン外国≫。中国や、タイ、フィリピンなどの東南アジアは当たり前。このアパレルメーカーの社長によれば、ファッション製品の中には、欧州のブルガリアなどで作らせているものもあるのだそうだ。「ヨーグルトだけでたくさん」。この社長は本音とも思えるオチをつけた。


ヨーグルト


 そんな話を聞いた日の昼間、テレビを見ながら飯を食っていたら、タレントさんが商店街を歩いて買い物した衣服を「生着替え」するという中継番組をやっていた。買って着替えた下着はもちろん、ワンピースや帽子から靴まで、値札を貼って、その金額をトータルしてみるのだ。

 なんとその合計金額は5千数百円。一部の千数百円を除いてほとんどが千円未満。テレビだから、その素材だとか仕立ての技術は分からないが、見るからにカッコいいし、イケてる。




 早朝例会でのアパレルメーカー社長の話とオーバーラップさせながら「なるほど」とヘンなところで納得した。その一方で、苦境に立たされる日本のメーカーに同情したくもなった。日本の製造業はまだまだ空洞化が進むのか・・・。 



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暑中見舞いの文化

スイカ

 一葉の暑中見舞いが舞い込んだ。「暑中お見舞い申し上げます」。なんの変わりばえのしない文面だが、「明けましておめでとうございます」の年賀状と同じように、なぜかその季節を感じさせる不思議な魔力を持っている。コロナ禍で気分的にもさっぱりしない日常にありながらも、暑~い夏の到来をいやがうえにも髣髴とさせ、その反対に一抹の涼をも運んでくれる。年賀状からもう7か月。半年以上が過ぎた。一方で月日の経つのが早いことを実感させられたりもする。



風鈴

 暑中見舞いの送り主は、ロータリークラブの仲間で、物販会社を営むオーナー会社の社長さん。「平素は格別のご愛顧を賜り・・・」の、これまたお馴染みの文面からしても、商いを主眼にしたご挨拶状に違いない。

 「お父さん、早速、お返事のご挨拶をしてくださいよね。それにしても暑中見舞い、珍しくなりましたねえ」


蚊取り線香  

 女房がいみじくも言うように、まったく暑中見舞いの習慣が日本人の日常から音を立てて崩れ、忘れ去られようとさえしている。商いというか、商取引上の儀礼はともかく、一般での暑中見舞い状のやり取りは、本当に少なくなった。暑中見舞いをいかにも珍しそうに言う女房だから、それを書いている姿なんか見たこともないし、ましてや娘にいたっては、その存在すら知っていないだろう。そういう自分だってもう何年も書いたことがない。何年どころか、何十年かもしれない。



花火

 暑中見舞いは、季節的には寒中見舞いと対極にある。一年中で最も暑い時期、寒い時期に親しい仲間、親戚や知人の健康を気遣う慣わしだ。その期間は暑中見舞いの場合、梅雨明けから立秋、一方、寒中見舞い寒の入りから立春の前の日、つまり節分までの間に出すものとされている。

 年賀状の後に来る寒中見舞いは、二十四節気で一定しているが、暑中見舞いは「梅雨明けから」とされているので、その期間は一定していない。今年の立秋は8月7日。つまり最後は固定しているが、梅雨明けはその地方によって流動的だから、梅雨が明けるのが遅れれば、その期間は勢い狭まることになる。暑中見舞いの後には残暑見舞いがある。


うちわ

 どうして暑中見舞いや寒中見舞いの習慣が希薄になっていくのだろうか。人々の日常がせわしくなったこともさることながら、ケイタイやパソコンの普及が、それに拍車をかけたことは間違いない。いわゆるメールに依存し、人々が手紙そのものを書かなくなった。単なる儀礼のような暑中見舞いや寒中見舞いは、簡単に忘れられるだろうし、今はまだまだ存在感がある年賀状だって、やがてはその運命をたどるのだろう。

  そして絵文字。ケイタイやパソコン、インターネット上で絵文字はアメーバーのように広がっている。絵文字も文字の文化として認知されるのかも。「浮気、不倫も文化」と、しゃあしゃあと言う芸能人もいるくらいだ。俺だって内心そう思いたいが・・・。

   とにかく今は、何でもありだ。暑中見舞いのように忘れられる文化もあれば、新たに登場する文化もある。ジェネレーションギャップなどと嘆いてみたところで、止められるもんじゃない。


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やまびこ

Author:やまびこ
 職場を離れた後は«農業もどき»で頑張っています。傍ら、人権擁護委員やロータリー、ユネスコなどの活動も。農業は«もどき»とはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定もします。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは、身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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