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葡萄の種の裏話

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 「葡萄の種まで食べてしまうのですか。消化されずに、そのまま出てしまうんでしょうね。自分は葡萄も西瓜も種はしっかり取ります。でも一番気になるのはメロンの種ですね。これもしっかり取りますが、そうすると真ん中あたりの身がほとんどなくなってしまいます。(中略)葡萄は、皮まで食べられて種のないものが好きです。葡萄の皮はけっこう栄養分があるっていいますよね。ポリフェノールとか。(後略)」




 CLIMB_AGAINさんから、こんなコメントをいただいた。先頃、「葡萄の種」をテーマに書かせていただいた拙ブログへのコメントである。




 「鶏と卵」の例えはともかく、どんな植物・果物も種なくして繁殖は望むべきはないことだけは確か。しかし、日本の葡萄は一部の品種を除いて、ある時期から種が消えた。考えてみたら、もう50年・半世紀も前のことだ。お若い方々だったら「葡萄に種があるの?」とおっしゃる方々もおいでになるだろう。

葡萄

 「ジベレリン」という薬の開発が成せる技であった。もう大分前のことだが、そのジベレリンの開発に携わった研究チームのお一人に、その「秘話」をお聞きしたことがある。この方は、今は鬼籍に入られて久しいが、生前、山梨市にお住まいだった。雨宮毅さんと言った。




 「私たちは、果樹試験場で、数人の研究チームを組んで葡萄の促成栽培の研究に取り組んでいました。対象品種は、当時、栽培の主流だったデラウエアー種。研究は試行錯誤を繰り返したことは言うまでもありません。ところが、この促成研究の過程でデラウエアーから種がなくなったのです。まさに瓢箪から駒です。正直言ってビックリしましたねえ。『促成』が研究のテーマでしたから…」




 雨宮さんら研究チームの感激というか、驚きようは、今考えても想像に難くない。以来、研究は「促成」にとどまらず、「種の除去」にもシフトしたことは言を待たない。だから、ジベレリン処理は必ず2回やる。一度目は小さな房に結実したところでやり、二度目に種を抜くための処理をするのである。一度目はもちろん「促成」が狙いだ。


葡萄


 世界的に見れば、葡萄の消費は今もワイン醸造用といっていい。フランスやイタリヤ、中南米など世界の産地は葡萄と言えばワインの原料。主な消費はワイン用なのである。その生産面積も半端ではないはずだ。日本のように良質の水の恵まれないお国柄かも知れない。




 「れば、たら」で言ったら笑われるかも知れないが、もし世界のブドウ栽培がワイン用ではなく、生食用だったら雨宮さんらのジベレリン開発は恐らく、ノーベル賞候補になっていただろう。私は今でもそう信じている。やがては他の果物の種の除去を導くに違いない。




 雨宮さんは東京農業大学の第一期生。「私の卒業証書ナンバーは1番。大学を1番で卒業したんですよ」とニッコリ笑いながら「葡萄の種」ならぬ「ユーモアのタネ」あかしを。「『雨宮』は五十音順で一番先でした」と。雨宮さんとは山梨ロータリークラブでご一緒させていただいた。今、葡萄王国・山梨のこの辺りは2度目のジベレリン処理を済ませて、収穫の秋を待つ。もちろん、消毒など収穫への手厚い作業は続くのだ。(次回へ続く)




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仲間の死

菊

 親しい仲間が逝った。享年69歳。癌だった。手術と入退院を繰り返しながら癌と闘った。必死だっただろう。桃や葡萄など広い果樹園も一部を人に委ね、栽培面積を縮小した。行く末を案じたのだろう。それがまた痛々しい。それでも暗い顔は微塵も見せずに畑にも出、仲間たちとも明るく振舞った。


葡萄畑


 そんな人柄の男だったから、地元にいる特に同級生達は、入院中も自らの仕事の合間を縫って農作業を補った。「うちのことなんか、心配するな。そんな心配より、治療に専念することだよ」。みんなで励ました。しかし、不敵にも癌は強かった。日ごとにこの人の体を蝕み、最後は骨と皮といってもいいほどに肉体まで食い尽くした。


インゲン


 この人には、これまでも身の回りに相次いで不幸が襲った。早くに愛する奥様を亡くし、二人兄弟の弟も何年か前に亡くした。この弟さんは三つ違いで、私と同ない歳だった。どうしてこうも不幸は集中攻撃するのか・・・。この世には神も仏もないのか。





 それでも男手ひとつで一人娘を育てて嫁がせ、二人のお孫さんにも恵まれた。自らの行く末を覚悟しながらも愛らしいお孫さんに目を細め、可愛がった。心の中ではこのお孫さんの成長をもっともっと見届けたかったに違いない。それもふびんでならない。


光


 告別式。仲良しトリオのうちの一人が弔事を読んだ。自他共に認める無二の親友だったこの人は「俺は○○ちゃんと呼ばせてもらうよ」と祭壇の遺影に語り掛け、在りし日の思い出や、その人柄を切々と話した。




 それによると、身の回りを相次いで襲った不幸、その上、自らにも襲い掛かった病魔との闘いにも愚痴ひとつ漏らさなかった。いつも明るく振舞い、周りの仲間達を気遣った。古めかしい言葉かもしれないが、義理人情にも厚かった。「気遣うのはお前ではなく、むしろ俺達だったのに・・・」。そんな故人は息を引き取る数日前、この人の手を握り、弱々しい声で「俺はもうだめだ。あとを頼む。みんなを・・・」と言った。手にはもう力がなかったと言う。無二の親友が読む弔辞は参列者の涙を誘った。


空


 たまたま時期を同じくしたのだが、この告別式の翌日、別の友人の父親が逝った。こちらは98歳だった。69歳の告別式とは対照的だった。年齢差は親子ほどもある。同じ弔辞の中でも「天寿をまっとう・・」という言葉が。人間誰しも、かくありたいと思うのだが、そうはいかないのがこの世の常。




 「人間、60歳を過ぎれば、後先の順番はないんですよ」



 うまい事を言った人がいた。そう思いたくはないが確かにそうだろう。仏教用語で「諸行無常」という言葉がある。人の寿命は神様しか分からない。ただ言えるのは、その人間がどう生きたかなのだろう。寿命の長短だけではない。仲間や周囲を愛しみ、仲間達からも愛された69歳の男を送りながらそうも考えた。


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 梅雨の季節は真っ盛り。その後には暑い夏が待っている。みんなが健康で、仲良くありたい。それが若くして逝った友に報いる道だ。行とし生きるものの鉄則だ、と思っている。





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過剰包装

 それ程、外国を歩いているわけでもないが、そこで、ふと考えさせられることがある。包装の仕方の違いだ。中国やアメリカ、それにフランスやスペインなどヨーロッパの国々。どこで買い物しても、その包装や入れ物は極めてラフ。日本のように包装を過剰にする国はない。その違いは誰が見ても歴然としている。習慣や国民性の違いといってしまえば、それまでだが、やっぱり合理感覚の違いだろう。


包装紙


 わが国の場合、お土産物一つとっても包み紙入れ物に細心とも言える気配りと工夫をする。高級果物のメロンやマンゴーに到っては桐の箱にまで入れてしまうのである。高価イメージのシールやリボンなんかも当たり前。消費者側もそれが当然と思っているし、むしろ、それを求める場合だってある。一流デパートのように包み紙そのものがブランドの証だったりする。ただ、この一流デパートの包み紙は時の流れの中で、地殻変動も。山梨で言えば「岡島」、東京で言えば「三越」もその一つかもしれない。

メロン

 消費が経済成長の原動力、などと分かったようなことを言われると返す言葉もないが、よく考えてみると、間違いなく無駄。なにも立派な紙を使ったカラフルな包み紙や桐の箱を食べるわけでもなく、開いた後はただのゴミ。当然、この包装にはそれなりのコストが。この過剰包装の習慣は、日本人が長い間に身に付けさせられた「見栄」の裏返しなのか。それとも形や外見にこだわる日本人の特性なのか。


包装紙2


 そんなたわいもない事を考えていたら茶の間のテレビで「見た目の損得論」などと、これまたたわいもない番組をやっていた。晩酌をしながら何気なく見ていたバラエティー番組。何人かの人気タレントさんに囲まれた経済アナリストが真面目顔で話していた。それによると、人間、イケメンだったり、感じのいい風貌やイメージを持った人は、それと反対の人と比べると一生のうちでは、お金で換算すると4,000万円の得をするというのだ。




 番組は「実験」と称して街頭にイケメンと、そうでない男の人を二人並べて広告入りのティッシュを道行く人に配らせた。どちらの方が沢山配るか、言い換えれば道行く人たちがどちらからティッシュを受け取るかだ。隠しカメラでそれを追って見せるのだが、結果はイケメン男性に圧倒的な軍配。その差は歴然としていた。女性の場合の就職試験面接にもその差は知らず知らずに現れているのだそうだ。




 「見た目」というのは理屈では分からない不思議な力を持っている証。過剰包装はそんな日本人の心理を商いの中に捉えているのだろうが、考えてみればやっぱり無駄。ゴミの山への貨物列車だ。そんなことを考えるともなく晩酌を重ねていたら、うちのかみさん、「お父さん、これをお中元として送りたいんですけど、包み紙、これでいいかしら。これだと安っぽく見えるかしらねえ」。


ゴミの山


 ひと頃、イケメンの代表格のようにオバサマ方から人気を集め、追っかけに囲まれた、あのヨン様は・・・。どうやら日本の奥様方は包装紙ばかりでなく、マスコミにも弱い。マスコミに取り上げられなくなると、あっさりと忘れてしまうのだ。 国政、地方を問わず、選挙だって「見た目」やマスコミによって作られる「人気」というレッテルにも左右されていく。「総理大臣にふさわしい人」がいい例だ。その人を支持するのもしないのも気まぐれなのだ。



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simple is best

 [Simple is best]。うまいことを言ったものだ。フレーズだって、まさにシンプル。この言葉は古今東西、普遍のような気がする。人間、単純であった方が何事にも分かり易い。しかし、これまた古今東西、単純に行かないのが人間であり、人間の世界かもしれない。

パソコン


 ここで言いたい「Simple is best」は、そんな小難しいことでも屁理屈でも何でもない。このブログをやっていて、つくづく思うことである。アナログ人間が遅ボケにパソコンを習い、インターネット、果てはブログにハマリ、パソコンに向かいながら痛感することなのだ。自ら記事を発信する一方で、人様の記事やメッセージを一人でも多く拝見させて頂く。このこと自体、当たり前なことだと思っている。




 ところが、目指すページがなかなか開かないのだ。「待機中」「不明なゾーン」。10秒、20秒ならまだいい。これが1分、2分となるとイライラするのだ。10分、20分、ましてや1時間、2時間を考えればわずかな時間だが、この待つ時間がなんと長いことか。「お前は気が短いんだよ」とお叱りを受けるかもしれないが、正直言ってうんざりするのである。


時計


 その時どうするか。おっしゃる通り、せっかち者だから、お目当てのページが開かれるのを待ちきれずに次ぎのステップに移ってしまうのだ。百歩譲って、それがまかり通ったとしても、その後にはツケが回って来るのである。




 それを繰り返すと結果的にパソコンがストレスを貯めてしまうのだ。アナログ人間が「ストレスを貯める」などと、分かったようなことを言うのは似合わないかもしれない。しかし経験から、それを繰り返していると必ず、パソコンはトラブルを起こすのだ。その時に、為すすべを知らないので、やることは一つ。再起動して振り出しから改めて手順を踏んでいくのだ。これがまた煩わしい。せっかち者の所以である。




 その原因をアナログ人間なりに考えた。「大きなお世話」とお叱りを受けるかもしれないが、ブログのベテラン、つまり、それへの知識と技術をお持ちの方に、トラブルの原因が多いようにお見受けした。高度なテクニックを施すものだから、コンピュータだって解析するための時間を要するのだろう。動画文字もその一つ。これは単なる私の経験則。シンプルな発信をしてくれるブログにトラブルは少ない。


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 他山の石。同じ轍は踏むまいと思っている自分も人様にご迷惑をかけているのではないかと思うことがある。私のブログは日常生活の中で見たもの、感じたものを文字と写真で綴っているエッセイ。素人なりに文字はともかく写真の多用は、それなりの負荷を招いているのではと思ったりする。事実、次ぎへのステップに時間がかかるようになった。




 私が住む山梨市は甲府盆地の東北部。山間部とはいかないまでも、それに近い。これもアナログ人間の経験則だが、お天気の悪い時の接続はよくない。科学的な根拠を持って言っているのではないのだが、雨の日などは極めて接続がよくないのだ。総じてこの世界に知識豊かな若い方々と反対に、一般的にアナログ層のブログの方がお訪ねの接続がし易い。Simple is bestである。発信する文章は読んで頂くもの、写真は見て頂くものだ。




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葡萄の種

ブドウ


 葡萄の種は気にならないが、西瓜の種は気になる。その反対もあるだろう。それを取り巻く習慣や生まれ、育ちなど環境の違いかもしれない。知人の一人に西瓜を食べる時、ダイナミックにかぶりつき、種まで飲み込んでしまう男がいた。西瓜の産地の人だった。私なんか、あのバラバラにある種がどうにも気になり、スプーンやフォークの先で予め取り除いてから食べるのだ。そんな時、西瓜に種がなかったらいいのになあ~、と正直思う。




 そんな自分はというと、葡萄の種なら平気。何の違和感もなく飲み込んでしまうのだ。甲府盆地の東北部に位置する、この辺りは「勝沼」を中心に古くから葡萄の産地。そんな環境に生まれたせいか、子供の頃から当たり前のように葡萄の粒を種ごと飲み込んだ。汚い話をして恐縮だが、その頃、この辺りはトイレの浄化槽も、ましてや下水道も整備されていなかったので、その種はトイレの槽の底に溜まるのだ。


ブドウ畑



 トイレの糞尿は溜まると「下肥」として野菜作りの肥料に。その頃は今のような少子化の時代と違って子供の数だって4人、5人は当たり前。大勢の家族が食べる葡萄は決して少なくない。必然的にそこに溜まる葡萄の種は半端ではないのだ。下肥の水分は当然、畑に沁み込む。畝(うね)にはその半端でない葡萄の種が残るのである。人間の胃袋を通って排泄された種は、綺麗に洗われてリアルな形で再び世に出てくるのだ。




 西瓜の種にも同じことが言えるのだろうが「葡萄の種をそのまま飲み込むと盲腸(虫垂炎)になる」と言った人がいた。生理学的にも医学的にもそんなことはないはず。もしそうだったら葡萄の種を飲み込んでしまう習慣があった山梨県人は、みんな盲腸になってしまっていることになる。


ブドウ畑2



 「葡萄に種なんかあるの?」。都会の消費者、特に種なし葡萄に慣らされた若い方々は首を傾げるに違いない。ジベレリンの開発と実用化は一部の品種を除いて葡萄の種なし化を可能にした。これは今に始まったものではなく、歴史は古い。この地方では、デラウエアー種に始まったジベレリン処理は巨峰、ピオーネなどの大房系の葡萄に到るまで幅広く取り入れられ、技術的にも完全に成功。今では種なしが当たり前になった。果肉が柔らかい甲州種を除けばほとんどの品種で、この技法は成功している。




 ジベレリン処理は種を抜くという画期的な技のほか果実の促成にも役立つ。2回に分けて行なうのだが、ポイントは処理の時期ジベレリン水溶液の濃度。どちらを間違えても失敗するのだ。当初、デラウエアー種で成功したこの手法は果樹試験場などの研究機関ばかりでなく、果樹栽培農家の試行錯誤が今の完全実用化をもたらした。


ブドウ2


 核、つまり種の周りに酸味が多いのが果実の特性。現代人はなぜか酸味を嫌う。種を抜くと同時にこの酸味を少なくするのだからジベレリン処理の効果は一石二鳥。私なんか種があって、適度の酸味があった方が美味しいように思うのだが・・・。確実に種ありの方が味がいい。でも葡萄には種がない、と消費者に思い込ませてしまった今、あと戻りは出来ない。今がそのジベ処理の最盛期。小さな房には雨除けの傘、蝋紙をかけるのだ。




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時代劇とワイドショー

水戸黄門


 女房や娘たちから笑われるのだが、私は時代劇大好き人間。「鬼平犯科帳」、「桃太郎侍」、「遠山の金さん」、「暴れん坊将軍」・・・。でも、そんな時代劇がテレビから知らぬ間に姿を消した。かすかに残っているものがあるとすれば、「水戸黄門」ぐらいのものだ。残念ながら、これも風前の灯火だろう。




 週末を除いて職場と自宅を往復していた現役時代と違ってリタイア人間の居場所は、言うまでもなく自宅。畑があるから仕方なくやる野良仕事と、こちらは使命感にも似た気持ちで出て行くボランティアのような活動の会合や催しを除けば、家に居る。




 野良仕事はお天道様と相談しながらだが、一向に収まることを知らないコロナウイルス騒動は«問答無用»に人の外出を鈍らせた。「自粛」要請が解かれても、自らの警戒心に留まらず、世間への遠慮から出歩きの足は鈍る。野良仕事は雨が降れば休みだ。




 同級生や地域の人たち、志を共にするグループなどとの「無尽会」と称する飲み会はむろん、あらゆる会合や催しは、みんな中止、中止。家に居るよりほかはない。そこでは本を読むか、テレビを見るか、パソコン遊びをするか…。歳を食ったリタイア人間のやることと言えばタカが知れている。




 「よ~し、じっくり本でも読むか」。そう決め込んで、今話題の本を何冊か通販のアマゾンでまとめ買いして読み始めるのだが、眼がくたびれて、いつしかダウン。仕方なくテレビのリモコンへ。ところがこちらは相も変わらず、どのチャンネルもコロナ一色のワイドショー番組。「どこかで、映画かドラマでもやっていないか…」と、チャンネルを回すと、あった、あった。時代劇「水戸黄門」が。一瞬、ホッとするのである。




 時代劇はみんな「いい者」と「悪者」がいて最後は悪者が懲らしめられるという筋書きだ。いわゆる勧善懲悪のパターンである。クライマックスは「静まれ~、静まれ~。この紋所が目に入らぬか」(水戸黄門)、「この桜吹雪を知らねえとは言わせねえぞ」(遠山の金さん)、「愚か者。オレの顔を見忘れたか」(暴れん坊将軍)といった決め台詞・小気味のいい啖呵で私のような«お気楽オジサン»を喜ばせてくれるのだ。


遠山の金さん

 でも待てよ。テレビのワイドショーなど総じてメディアのやり方だって時代劇とそれほど変わらない。「悪者」を作り、こちらは寄ってたかって袋叩きにするのだ。「国民の声」と称して、街角で«意図する»声を拾い、暗に正当付けもするのである。相手が権力者なら容赦なく言いたい放題。アホ面して観ている私なんか、いつしか痛快感を味わうのだ。




 新聞、雑誌などの活字や、テレビ、ラジオから流れる電波は不思議な力をもっている。その時々の人々の判断や心の持ち様をも、知らず知らずに変えてしまうのだ。活字と電波のメディアが両面で大合唱するのだから、そのターゲットになった人たちはたまったものではない筈。政権なら当然のように世論調査の数字にも反映する。




 この風潮はどんどんエスカレートしそうな気配だ。政治や私たち消費者のマインドまでメディアに左右されないか。考えれば怖くもある。これ、暇なオジサンの考え過ぎ?




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ベランダ菜園と百姓

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 ベランダでナスやキューリ、トマトはもちろん、最近では私達、百姓の倅にすら分からないような外来野菜まで立派に作ってしまう。その種や苗は探さなくても、いくらでも手に入るし、それを栽培するための土や肥料も簡単に入手出来る。テレビのチャンネルをひねれば、「先生」と呼ばれる家庭菜園の専門家?が懇切丁寧に、その作り方から管理の仕方まで解説付きで教えてくれる。




 自らを「百姓の倅でも・・・」と言ったのは、農家に生まれながら、60歳を過ぎるまで農業とかけ離れた生活をしてしまったからだ。中学、高校まで家業の農業に携わった。年齢で言えば、18歳まで。子供の時代なので「手伝った」という方が正しい。以来、東京で生活した学生時代の4年、さらに、これまで、人生の大半・ざっと60年近くを農業とは無縁のサラリーマンとして生きてしてしまった。



ブドウ


 会社人間に終止符を打った時、「よ~し、今度は思う存分、百姓をやってやる」と、正直、心に決めた。ところが、歳月はそれを許してくれなかった。一つ果樹栽培を例にとっても、品種もその栽培技術もガラリと変わっていた。そればかりではない。木や棚の仕立て方、消毒薬やその取り扱いまで一変してしまった。




 決定的な決め手は身体体力と言った方がいい。栽培方法や技術は覚えればいいし、勉強すれば追いつける。でも、体力だけはそうはいかない。若い頃は時間的にも仕事全てに、かなりハードな所に身を置いたし、大抵のことならへこたれない根性も身に付けたと思っている。しかし歳はウソを言わない。


 もちろん、私達の年齢の人たち、仲間たちは今も立派に百姓をやっている。決定的に違うのは60年という歳月のブランクだ。「日曜百姓」と言われるように週末だけでも畑に出る生活をすればよかったのだが、仕事柄、そんな事も許されなかったし、しようとも思わなかった。




 悲しいかな、今の私には「ベランダの野菜作り」の方が理解できる。その一方で「いい世の中」「便利な世の中」になったもんだ、と思う半面、これからの農業はどうなっちまうんだ、と思ったりもする。ベランダ菜園は趣味であったり、遊びだからいい。不気味なのは一方で進む工場農業だ。


トマト


 もう40年ぐらい前になるが茨城県で開かれたつくば万国博覧会で、とてつもなく大きいトマトの水耕栽培を見たことがある。正直言ってド肝を抜かれ、やがて日本の農業は・・・と考えされたりもした。


つくば博
つくば'85


 この時の水耕栽培は今や博覧会のレベルではなく、さまざまな工場農業技術として実用化され、珍しくもなくなった。そこにあるのはコンピューター。太陽の光も土も要らない。そんなやり方は農業ばかりでなく、既に養鶏などでは当たり前になった。コンピューター管理の、しかも無菌状態のハウスの中で食用のニワトリを大量生産する。本当に太陽光や土は要らないのか。そんなことを考えると、まだ自然があるベランダ菜園の方がいい。




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見栄と体裁

 人は「見栄を張るな」とか「見栄を張るもんじゃない」とよく言う。私も言って来たし、言われたりもした。その通りだと思う。でも待てよ。見栄って張ってはいけものないもなのか・・・。むしろ最近は、見栄って張るくらいの方がいいと思うようになった。人がおしなべて見栄を張らず、体裁も考えなくなったら、世間はしたい放題、やりたい放題になってしまう。第一、人間、成長なんかしなくなる。


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 もちろん見栄には、必要以上の背伸びや振る舞いをも含んだ意味がある。ここで言う「見栄」は単なる「虚栄」ではなく「恥ずかしい」とか「みっともない」と言った極めてありふれた心のありようを言うのだ。




 「お父さん、そんな格好でみっともないじゃあありませんか。顔くらい洗ってからにして下さいよ。お客様が来たらどうします。パジャマぐらい着替えてからにしたらいかがですか」




 朝、寝起きのまま無精髭も剃らずに新聞を読み、そのままゴロゴロしていると、女房は私をたしなめるように言う。現役時代はそんなことは絶対無かったし、そんな暇もなかった。でも「毎日が日曜日」だとこんなことは日常茶飯事。これが男だからいいが、女房や娘に置き換えてみたらゾッとする。100年の恋もいっぺんに冷めるに違いない。





 「そんなこと、当たり前じゃあないか」。そういう人も多いだろうが、見栄の原点はこの「みっともない」「恥ずかしい」にある。それがちょっと間違えたり、行き過ぎると人のひんしゅくを買う「虚栄」に繋がるのだろう。そうなると可愛くもないが、一方、考えようによったら、この虚栄が人間の成長を促しもする

風景2



 「身の丈」「身の程」という言葉がある。それに甘んじていたら人生、代わり映えもしなければ、第一、面白くも、なんともない。身の程知らずに何かに挑んだり、振舞ったりするから面白いし、そこに新たな可能性や結果が生ずるのだろう。むしろ若い方々は、もっともっと見栄を張ればいい。その裏づけのために人並み以上の努力もするだろうし、苦労もする。それが結果として成長や成功をももたらす。


風景3



 なにも聖人君子ぶったり、年寄りじみたことを言うつもりはないし、そんな資格もない。でも今の世の中、「恥ずかしい」とか「みっともない」とという言葉がどこかにいってしまったような気がするのだ。事あるたびに言いたい放題のことは言うし、電車に乗ればボックス席ならいざ知らず、衆目の座席でお化粧もすれば物も食べる。それもみんな若い女性だ。そんな人に限って身障者が来ようが、お年寄りだろうが絶対に席を譲ることもしない。




 人様のことだが「お化粧くらい、家でして来いよ」と言いたくなる。でもみんななんとも言わない。しかし心の中では「あいつバカだなあ~」と思わないまでも、いぶかしく感じていることは確か。化粧の話は些細なこと。「みっともない」ことは私達の周りにはいっぱいある。そんなことを言っている自分だってやっているかもしれない。それを知らないから困る。見栄を張るくらいの気持ちがあったら、そんなことはしない。




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孫娘の告白

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 「ママ、キョーちゃん、○○君と結婚するの」


 孫娘が、一緒にいた母親と私たち夫婦の団欒の場所で、こんな「告白」をした。「キョーちゃん」とは孫娘の愛称だ。孫娘は当時、6歳。「結婚相手」は、同じ私立幼稚園のお友達だという。一瞬、ビックリしたが、その無邪気さが可愛らしくもある。




 「〇〇君はキョーちゃんが大好きだって。キョーちゃんも大好き。〇〇君はイケメンなんだ」


 そんな話をするちょっと前だったが、孫娘は、こんなことも言っていた。


 「キョーちゃんは大きくなったら、お巡りさんになるの。〇〇君のパパは警察官だって。かっこいいんだよ」


 今時の子供たちが、幼稚園で交わしている会話や無邪気な日常を垣間見た思いがした。


 「痘痕(あばた)も靨(えくぼ)」。例えは悪いが、好きになれば…。子供も同じか?

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 そういえば、私にとっては娘であるママが、こんなことを言ったことがある。


 「朝、幼稚園バスの停留所まで連れて行く途中、横断歩道で信号待ちしていると、よくパトカーに出会うの。そんな時、キョーちゃんは『敬礼』をするの。それも直立不動でよ。私が教えた訳ではないのに…。パトカーのお巡りさんも、それに気付いてニコニコしながら『敬礼』を返してくれるの」




 「キョーちゃんのパパのお父さん(お爺ちゃん)も警察官だったんだよ」


 「フ~ン…」


 そんなことはどっちでもよく、どうやら〇〇君と、お巡りさんのパパの方がいいらしい。


 孫娘は、この3月、卒園式を済ませて4月から小学生。しかし、卒園も、新たな小学校への入学もコロナ禍の煽りを食った。卒園式は形だけで春休みへ。迎えた小学校の入学式も、これまた形だけ。そのまま臨時休校になって5月下旬まで、ずっと休みだった。

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 お友達を作るどころか、担任の先生の顔すら覚えられなかっただろう。バラバラになって小学校に進んだ幼稚園のお友達もみんな同じに違いない。コロナウイルス感染症予防のため、ということは何となく理解しているにしても、未知なる小学校。幼稚園の延長線上とは思っていないだろうが、さりとて小学校がどんな所かは分かる筈がない。




 5月も終わる頃になって、やっと休校が解けた。でも最初の頃は一日おきの登校。クラスを半分に分けての分散授業で、給食もなくお弁当持参。学校側の神経の使いようも半端ではなかった。今はほぼ平常に戻ったらしい。今では毎朝、自らバスを乗り継いで学校に行っている。ママは心配で、後ろからそっと見守っているのだという。

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 「キョーちゃん、お友達出来た?」


 「ウン、41人で来たよ。お友達、バスの中でも出来たよ」


 子供同士、すぐに仲良しになる。大人には真似が出来まい。もう〇〇君のことなど、すっかり忘れてしまったようだ。女心ならぬ幼心とはそんなものだろう。


 無邪気ながらも、ちょっぴり緊張気味に学校に出かける孫娘。本当の「彼」を連れて来るのは恐らく20年ぐらい先だろう。悲しいかな孫の「彼」の顔は見れまい。




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リークと告げ口

週刊誌


 子供の頃、わんぱく小僧のいたずらを先生に告げ口するのがうまいヤツがいた。社会人になってからも、そんな人間の後ろ姿を見たことがある。むろん無邪気な子供と違って、その手口は巧みだ。上司のやり方に不満を持った部下が「あんなやり方で、本当にいいんでしょうかねえ…」と、問いかけるように上層部に告げ口をするのである。




 「お父さん、買い物に行ってコンビニで立ち読みしたら、今、盛んにテレビでやっているアレ載っていたわ。面白そうなので買ってきましたよ」


 女房が手にしていたのは話題の週刊誌。そこには政治家のスキャンダルが大見出しで何ページにもわたって特集されていた。「〇〇日発売の週刊〇〇によりますと…」と新聞が一斉に報じたアレだ。ページを思いっきり割いてのスクープ記事だから«後追い»の新聞記事より遥かに面白い。




 一方で、どうせ追いかけるなら何故、新聞はハナから書かないのか、という疑問がここでも頭をよぎるのだ。新聞は戦力的にも週刊誌を凌駕する情報ネットワークを備えている筈。ところが、週刊誌がスクープし、それを新聞が後追いするパターンはメディアの世界では、何故か当たり前になった。この種のスッパ抜きは今や週刊誌の専売特許。




 野次馬根性旺盛なオジサンの関心は、そのスクープが出来た経緯だ。もちろん、情報の出所を明かす筈はないが、スクープ記事の舞台裏を勝手に想像してみると面白い。そこには新聞の不可解な«思惑»と、やはり表に出ない奇々怪々の人間模様がありそうだからだ。テレビドラマさながらの陰謀や策略…。




 容易に想像できるのは、子供の告げ口や市井にもままある仲間同士の足の引っ張り合いを、もっと陰湿にしたドロドロした何かがあることだ。単純なやっかみや足の引っ張り合いとは違った策略や陰謀が渦巻いているとしたら、その方が面白い。




 東京高検の検事長さんをめぐる定年延長問題に端を発した政府と野党のバトルの末に出て来た賭け麻雀事件。麻雀の面子となった新聞記者の«同僚»による週刊誌へのリーク。その一点だけでも興味を引く。さらに検察庁内部の権力闘争や政権内部の足の引っ張り合いがあったとしたら…。




 もう大分前、竹下内閣の頃だったが「褒め殺し」という言葉が流行語になったことがある。右翼が大量の街宣車を繰り出して時の政権にダメージを図ろうとした事件だ。ところが、ある日突然、「褒め殺し」の街宣がピタリとやんだ。その舞台裏で何がったのか。その顛末は謎だが、仕掛けと顛末にそれなりのドラマが隠されていたことは想像に難くない。




 新聞やテレビ、いわゆるメディアは、いつも「正義の味方」のような顔をしている。週刊誌の後追いをしたくせに、いつしか、それを我が物顔に尾ひれを付けながらの大合唱。私たちのような弥次喜多夫婦だって否応なく、その事件に関心を持たされる。メディアの表現は、いつの間にか「国民的な関心事」に置き換わる。よく考えたら国民的な関心事ではない。「メディアが煽って出来た虚像」と言ったら言い過ぎか。オレ、検察庁の人事なんて関心ないよ。第一、オレらには検察庁の人事の流れなど分からないもん。これ、ホント。




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やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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