方言の味

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 若者言葉とか流行語と違って、その地方、その地方に伝わって来た方言には、言うに言われぬ味がある。一方で、難解なものもあれば、それぞれの聴く立場、立場で違和感を覚えるものもある。しゃべる側、話す側に立てば、それが全くの自然であり、心地良いのだ。




 方言を大きく分ければ、関西弁と東北弁が代表格? むろん、方言の分類は、そんな単純なものではなく、その地方、地方でみんな違う。一口に関西弁と言っても大阪弁もあれば、京都弁もある。神戸に行けば、また違う。大阪と東京に挟まれた名古屋には、これまた、れっきとした名古屋弁・河内弁がある。東北弁と言ったって福島弁もあれば、青森や秋田、山形…。微妙どころか大きく違うのである。標準語と言われる東京は、その集積地。




 山梨は、もちろん甲州弁。山梨は時に関東という枠組みに組み入れられたり、中部という枠組みにされてり…。そんなことはともかく。長野、山梨、静岡には「な・や・し言葉」と言って、共通の方言・イントネーションがある。「な・や・し言葉」とは、長野、山梨、静岡の頭文字を取ったもので、「すら言葉」、「じゃん言葉」が、その代表格。


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 例えば、「そうずら」は「そうでしょう」、「行くじゃん」は「行きましょう」。体系的に言うなら「ずら」は、いわば念押し的な要素が多く、「じゃん」は、行動を促すような場合に、よく使う。今では若者たちの間で全国広く使われ、その意味合いも幅を持つようになって来ている。ただ、若い人たちは方言を使わなくなった。背景にはマスメディアがある。




 「な、や、し言葉」は、長野、山梨、静岡三県の交流が源と言えないだろうか。むろん、そこには地理的な要素があって、その交流という観点に立てば、「な、や、し」の中間「や」、つまり山梨が双方への架け橋になった、と見るのが自然のような気がする。交流とは物を媒介とした人の交流を意味する。




 日本列島、東西に細長い国だから、国土面積の割には東と西の距離があるし、その上、国土の70%近くが山林原野。山で生活圏が遮断されていたので、今のように交通網や情報網が乏しかった時代は、なおのこと、その土地、その土地の方言だって育ったはずだ。一口に方言と言っても、言葉自体の違いばかりでなく、《なまり》は、言葉の中身の省略だってある。




 そればかりではない。朝鮮半島など近隣国との人の交流がもたらした言葉もあるだろうし、鹿児島弁のように藩(薩摩)政策?によって生まれたものもある。もう50年も前の話だが、学生時代、鹿児島は指宿出身の友がいた。その男が郷里の友達と電話しているのを耳にして、まるで、どことも知れない外国語を聴いているような不思議な気分になった思い出がある。全くチンプンカンプン。藩政策が、それだけで理解出来たような気がした。




 「方言、結構じゃあないか」と思っている私なんか、普段、方言丸出し。仲間からは、「甲州弁は言葉が荒い」と、よく言われる。これに対して、同じ方言と言っても京都弁は、何故か綺麗で、耳障りもいい。女性がしゃべると、何とも言えない「色気」すら感ずるのだ。ところが「荒っぽい言葉」に慣れた私から見れば、男性の京都弁はいただけない。(次回へ)




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友からのカレンダー

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 月日の経つのがなんと早いことか。そう感ずるのは歳のせいかも知れない。ついこの間、元日・新しい年を迎えたと思ったら、三が日や七日正月、十四日正月(小正月)は、あっという間に過ぎ、節分や立春も過ぎて、短い2月もぼつぼつ終わる。12枚綴りのカレンダーも2枚目を破らなければならない。一年の6分の一が過ぎることになる。




 「甲府盆地に春を告げる」と言われる節分会の「大神宮祭」、長い伝統を誇る「十日市祭り」や「厄よけ地蔵尊祭」も終わった。寒い、寒いと言いながらも陽は一日一日と長くなり、日差しもなんとなく変わって来た。庭の梅も蕾を膨らませ、早咲きの梅は花を開いて、その下では水仙が芽を出した。あっという間に桜への季節へとリレーして行くのだろう。


芽


 過ぎ去る月ごとに一枚、一枚破って行くカレンダー。我が家には、それが沢山ある。大相撲の地方巡業(地方場所)の勧進元などに携わる友からの大相撲のカレンダーやロータリークラブでご一緒する家電店の社長から頂いたもの、割烹旅館や建設会社を営む友からのものもある。朝に夕に、様々な顔を見せる富士山の写真や、見事な日本画を題材にしたもの等々。大相撲のカレンダーは横綱・白鵬や稀勢の里など人気力士が。中には海上自衛隊の護衛艦や潜水艦など船のカレンダーもある。




 一風変わった船のカレンダーは、海上自衛隊で活躍、南極観測隊の先導にも何回も携わったことがある高校時代の同級生からだ。船を12か月、月捲りにしたものと、一枚のカレンダーにまとめたものの2種類。贈り主の、この男は月捲りのものには、それぞれ船の解説・説明を付けてくれた。「へえ~、なるほど…」と、新しい知識を授かるのだ。




 30数年間の海上自衛隊での生活はダテではない。船のことも、海のことも知り尽くしている。それに南極観測隊にも関わっているので、こちらも詳しい。一連の功績が認められて叙勲も受けた。海上に留まらず、陸や空の防衛にも詳しく、ミサイル防衛の実態にも話が及ぶ。彼に言わせれば「日本のミサイル防衛など、能力は、まだまだ子供同然」。




 米国、ソ連を核とした東西冷戦の時代は、とっくに終わり、逆に核を失った世界は、経済はむろん、外交、安全保障など、あらゆる面で《地殻変動》を起こしている。まるで休火山が次から次へと活火山となり、地球のあちこちで噴火をもたらしているようなものだ。テロが各地で起きたかと思えばEUのように離脱が起きたり、経済破綻で混乱する国も。




 経済面、軍事面での中国の台頭は目覚ましく、公海を埋め立てての領土主張や軍事基地?造りまでやってのける。韓国とも絡む尖閣諸島問題もしかりだ。東京都の小池知事の「都民ファースト」ではないが、世界全体が「自分ファースト」、「自国ファースト」に変わって来ているようにも見える。日本でも蔓延する個人主義の延長線上にも見えないか。




 カレンダーの友は、そんな国際背景をも見据えているのだろう。「平和ボケ日本」を、しばしば口にする。「世界の警察官」を標榜していた米国は、新政権で態度を一変、《自国ファースト》に転じたかに見える。《立場上》、戦艦とは言わない海上自衛隊の護衛艦群をカレンダーで観ながら「平和とは何だ」を考えさせられた。




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暗号メール

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 メールに絵文字は、今や当たり前になった。ソフト会社は、奇抜で面白い絵文字をどんどん提供してくれる。ハートマークがあるかと思えば、泣き顔や笑い顔も…。いっぱいある絵文字を若者たちは自由に、というより空気のように使いこなす。絵文字で会話すると言ってもいい。その操作は決して難しいものでも何でもない。文字を打ち込むのと同じだ。




 絵文字とは便利なものだ。例えば、相手に「愛」を伝えるのに、へたくそな表現で綴るより、ハートマーク、一つでいい場合だってある。それをいくつか連ねたら、愛の深さを伝えることが出来るかも知れない。悲しい時、落ち込んでいる時、嬉しい時だって同じ。便利性は言うまでもなく、単純にも見える絵文字を最初に考え、思いついた人のアイディアには敬服さえする。




 むろん、絵文字の《氾濫》に首を傾げ、異を唱える人だって決して少なくない。主には私のようなオジサン世代だろうが、若者たちに好まれる絵文字だって、《その時代》の文化の一つ。自分は使いこなせないし、使うことすら躊躇う(ためらう)のだが、その面白さ、便利さは、分かり過ぎるほど分かる。その一方で、こんな《文化》?が氾濫したら、日本の文字文化は,一体、どうなって行くのか、と柄にもないことを考えたりもする。




 「えっ?オジサン知らないの?」


 絵文字どころか、暗号文字の存在だ。暗号と言えば、オジサンたちは、あの日米開戦に使われたという「ニイタカヤマノボレ」や、スパイ映画に登場するヤツくらいに思っている。でも、そんな大そうなものではない。若者たちが最早、日常的に使っている通信手段。スマホやケイタイの数字、つまり電話ダイヤルと併用する文字を数字のままでの通信だ。




 スマホやケイタイを会話手段として使う場合、当然、ダイヤルを使う。そのダイヤルは、一方で、文字通信のツールでもある。一般的なメールが、それだ。メールの文字が数字だけと考えればいい。例えば「1」は「あ」、「2」は「か」「3」は「さ」…。「い」は「1-2」、「う」は「1-3」とすればいい。「愛してる」は「1,1-2、3-2、4-4、10-3」ということになる。




 「こうするとねえ、仮に親にメールを覗かれても、少なくともメールの内容が分からないんだよ。一事が万事さ」


 もちろん、遊び感覚だろうが、若者たちは上手いことを考える。この若者たちに同調するとすれば、遊び感覚が新しい知恵を生み、新しいモノを開発するきっかけになって行くのかも知れない。侮ることなかれ。若者の知恵だ。




 前に、文字や文章の短絡化について書いた。漢字だってそうだ。漢字のご本家・中国は、あの文化大革命で、漢字の簡略化(略字化)を図った。例えば「雲」を「云」、「技術」の「術」を「ホ」といった具合。その文化大革命を主導した毛沢東は一方で農業の振興策として「農業は大連に学べ」と言った。時が経ち漢字のご本家・中国が「漢字は日本に学べ」という時代が来るのかも…。力時で覚えた中国人が《本当の》漢字を知らなくなることを意味する。時や時代は良くも悪くも文化や人々の習慣まで変えてゆく。




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言葉の短絡化

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 時代や歴史の事象を回顧する場合、その時のニュースが引き合いに出て来ることがある。自分の当時の生き様と重ね合わせて、不思議な懐かしさを覚えるのだが、そのニュースを伝えるアナウンサーの語り口調。「へえ~、《あの頃は》は、あんな、しゃべり方だったのか…」。時代と共に知らず知らずの《言葉》の変化に気付かされる。




 《言葉》としたのは、語り口調にとどまらず、用語も含めてのこと。例えば、映画の時代劇や時代小説に出て来る、武士や公家の言葉。映画や小説として向き合っているから、何の違和感も生じないが、もし、これを今の日常に当てはめたら…。言葉は人間の思考回路まで変えながら《進化》?して来たのである。




 そんな新しい言葉の発祥は、メディアの力であったり、タレントさんのさもないギャグ、スポーツ選手の咄嗟の感激表現などさまざま。「ガッツポーズ」は、ボクサー「ガッツ石松」に因んだものだし、「超○○」は水泳選手の北島康介の感激表現が発端。甲子園を舞台にした夏の高校野球報道でしばしば登場する「アルプススタンド」や「銀傘」などという言葉はマスコミが生み出した。


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 若者たちが生み出したものも多い。ジェネレーションギャップかも知れないが、若者たちが次々と生み出す新しい言葉。その共通点とも言えるのは、言葉の短絡化。「超○○」の「超」もその一例かも知れないが、その他にもいっぱいある。言葉を短かくするばかりでなく、アルファベット、それも二文字ぐらいで一つの用語表現をしてしまうのである。




 Na(ナトリューム)、Ca(カルシューム)、Mg(マグネシューム)、…。果てはNh(ニホニューム)。言わずと知れた元素記号だ。若者たちは、この元素記号さながら、一つの用語を作ってしまう。DJ(ディスクジョッキー)くらいは古い短絡用語だから分かるが、JKとなったら、もう分からない。最近になって知ったのだが「女子高校生」の短絡語だそうだ。こんな言葉は、次々生まれるのだろうが、私なんか、仮にどこかで聞いたとしても、すぐに忘れてしまう。ジェネレーションの違いを思い知らされるのだ。




 「文章(用語)の短絡化は日本の文字文化を壊しかねない」


 定かな文言は覚えていないが、この拙ブログをお読みいただいている京都にお住まいの柳居子さん「柳居子徒然」から、こんなコメントをいただいたことがある。確かにそうだ。少なくとも私を含めた《ある年齢》以上の人たちは、そう感ずるに違いない。しかし、言葉とは不思議な生き物。忘れられ、使われなくなって消えて行くものもあれば、生き残って「広辞苑」のような辞書に載って、やがては一般に《認知》されるものもある。大衆が何気なくでも使っていれば、それが「当たり前」の言葉として大手を振って一人で歩いて行くのだ。




 タレントさん、いや、それを操るプロダクションが仕掛ける漫才やコントのギャグ。多くはテレビなどのメディアによって育てられるのだが、これだって一世を風靡したようでも、いつの間にか消え去ってゆく。しかし、若者たちが《無作為》、《無造作》に作り上げる新語・短絡語はまるで冬草のように根が強く、逞しい。(次回へ続く)




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役所言葉と挨拶文

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 茶の間で女房と二人して阿呆面して観ているテレビ。そこに登場する漫才やコントのタレントさん。その内容の受け止め方は人それぞれだろうが、面白いものもあれば、チャンネルを変えたくなるようなものもある。その一方で「タレントさんとは、大変な商売だなあ~」と、すくづく思う。「素人のくせに…」と、おっしゃる方もお出でだろうが、視聴者とは押しなべて、観客と同時に《評論家》なのだ。




 静かなブームと言ってもいい漫才やコントの世界では、次から次へと新しいギャグ(言葉)が生まれては消えてゆく。面白いものには、人、特に子供たちはすぐ反応する。僅か4歳にも満たない孫娘は「アイ ハブ ア ペン…」とか「サイトウさん…」、「私、失敗しないので…」と、真似をする。このギャグが《後世》に残るかどうかは分からない。


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 人それぞれだろうが、私には何十年か前の漫才やコントのギャグを今にして覚えているものがある。花菱アチャコの「アチャ パー」とかコンビの名前は忘れたが、「田園調布に家が建つ」といった漫才ギャグ。「田園調布に…」は、東京の自由ケ丘や、さらに先の田園調布が世に出ようとした時代であった。つまり、東急電鉄が渋谷から神奈川に向けて地下鉄を絡めて電車の路線を伸ばし、当時とすれば画期的な沿線の「田園開発」をした時代であった。その地域の《今》があるのも、その「田園開発」のおかげと言ってもいいだろう。




 若者言葉であれ、商売が絡んだ漫才、コントのギャグであれ言葉はむろん、それを文字にした文章も時代と共に変化していく。でも変わらない、というよりは変えようとしない言葉、文章だってある。例えば役所や会社、団体が発する通知文書。まず、時候の挨拶から始まって「日頃(平素)は…」とお礼の言葉が続き、「さて」で本論へ。その後に「つきましては…」と用件が続く。このパターンは10年、いや30年、40年…と変わらないのだ。
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 このこ忙しい世の中で、決まりきった時候の挨拶や「平素は云々」の決まり文句など捨てて、用件を伝えたらいいのに、と私のようなせっかち人間は考えてしまう。決まりきった通知文書がいかに多いかを物語るように、パソコンで案内通知を作ろうとすると、「前略」または「謹啓」で始まるソフトがあり、最後は何もしなくても「敬具」で結んでくれるのである。せっかちな私のみならず、お若い方なら間違いなく笑ってしまうに違いない。




 文章だけでなく、用語もしかりだ。私は民間のある公な協力機関に関わっているのだが、その公、分かり易く言ってしまえば霞が関から来る連絡文書。その、あっちこっちに出て来る「組織体」という言葉。「組織」で分かるのに、わざわざ「体」を付けるのである。どっちでもいいことだろうが、《役所用語》の一端を彷彿とさせられる。




 恐らく《短絡語》を当たり前に使いつつある若者たちに言わせれば、「オジサンたち、何時までも古臭い言葉を使っているんじゃあねえよ」と、言うだろう。良くも悪くも言葉は時代とともに変化する。漫才やコントのギャグの消長と同じで、定着するか否かは聞く人、使う人が決める。ただ、標準語の名のもとに地方の方言が消えてゆくのは、ちょっと寂しい。(次回へ続く)




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孫娘の成長

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 これを成長と言っていいかどうかは分からないが、兎に角、危なくて仕様がない。孫娘の日常の行動だ。3歳9か月。私にとっては娘になるが、40も半ばになる母親は毎日、わが子の行動にきりきり舞い。まともに対峙していたら、全く気を抜く暇もないだろう、と同情したくもなる。




 部屋中を飛び回り、私たちのベッドをトランポリン代わりにして遊ぶくらいならまだいい。最近では、台所で食事の支度、つまり料理をしているママや、婆ばに興味を持って台所の包丁まで取り出すのだ。むろん、背丈がないから、調理台には届かない。子供用の椅子を引っ張って来て、そこに乗って《挑戦》するのだ。刃物は危ないことこの上ないので、ママは、おもちゃの包丁を充てがって、その場をしのいでいる。このごまかしも時間の問題で効かなくなるに違いない。何でも興味を持って《実践》?しようとするのである。




 「目を悪くするぞ。包丁で手を切るのは治るし、子供といえども痛さや怖さを知る。でも、知らず知らずに悪くする目(視力)は、治らないぞ」


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 ママのスマホやタブレット端末iパットを持ち出して遊ぶ孫娘を横目に、母親の娘を叱るのである。ただ遊ぶだけではいいのだが、夢中になるあまりか、目をくっつけるように見ているのだ。「もっと工夫してくれないものか」と思うほどスマホや、特にタブレット端末iパット画面のコントラストは強い。





 私も、見よう見真似で、タブレットでゲーム遊びをすることがある。遊んでいる時にはそれほど気にもならないのだが、終わってみれば、くたびれる。目の疲れをてき面に感ずるのだ。幼い子の眼に、いいはずはない。「親が注意してやらないと、やがて《牛乳瓶の底》のような眼鏡をかけなくてはならないようになるぞ」。私は口癖のように言う。




 テレビも同じ。「ドラえもん」や「白雪姫」などの幼児番組になると、テレビの近くに座ってジッと見ている。「見てもいいから、もっと離れて見なさいよ」。これも口癖だ。孫娘は孫娘で、婆(女房)が録画して置いてくれる幼児番組を知っている。親バカ、年寄りバカもさることながら、まさに≪敵もさる者≫である。


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 ビックリさせられるのは、いつの間にかタブレット端末を自分で《操作》するようになったことだ。自分で電源ボタンを押して、お目当ての見たいものを見つけては、一生懸命見ているのだ。恐らく、パパやママのやっていることを見て覚えたのだろう。所詮はアナログ人間かもしれないが、私にも出来ないことを僅か4歳にも満たない子供が、それも誰に教わったわけでもなく、空気のようにやってのけるのである。一抹のショックを隠せないと同時にこれからのICT社会を暗示しているかのようにも思えた。




 すぐ、自らの子供の頃と比較してしまう悪い癖があるのだが、その頃なら考えも及ばなかった現実が目の前にあるのだ。缶蹴りや馬乗り、かくれんぼ…。わんぱく小僧や鼻たらし小僧。今や、そのみんなが全くの過去の遺物と言っていい。目の前で遊ぶ孫娘たちが大きくなった時の社会はどうなっているのだろう…。誰にも予測できまい。




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祭りの光と影

祭り


 私は、お祭り大好き人間。下世話な人間と言われるかも知れないが、飲んで騒ぐ《お祭り騒ぎ》も含めてだ。神の祭事にお供えするお酒を「お神酒」という。「お神酒をたらふく飲むヤツがいるか」と、お叱りを受けるだろうが、人間とは古来、方便上手。私のような不心得者は「飲んでこそ、お神酒」と、勝手に解釈するのだ。




 お酒(お神酒)とは、不思議な力を持つ。若い頃、村の祭りで神輿を担いだことがある。不思議と勢いが。普段にはない力が出て来るのだ。3月、4月になると山梨でも大局で考えれば《新生》の信玄公祭り「甲州軍団出陣」はむろん、あっちこっちで神社や、お寺の伝統的な祭りが繰り広げられる。


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 「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」と漢詩の一節を詠んで織田・徳川連合軍による焼き討ち(1582年)で、寺の山門で死した戒川和尚。武田三代滅亡の、ある意味、《道筋》となってゆく甲州・恵林寺。そこで毎年4月12日に行われる「信玄祭り」や日本一の桃の里・一宮町、甲斐一宮浅間神社の「おみゆきさん」(4月15日)…。神社や、お寺の祭りは古来、氏子や檀家の人たちが人知れない陰の力となって、毎年、決まった日に何事もないように繰り広げるのだ。祭りの境内は近郷近在から参拝客を集めて賑わいを見せるのである。




 浅間神社は浅間信仰の神社だから、祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。神輿の担ぎ手はみな女装。口紅、鼻にはオシロイ、着物姿の男たちである。この神輿はざっと20キロの距離にある富士川の支流・釜無川の「信玄堤」まで行く。だが、いつの時代からか、神輿は途中から車で。「信玄堤」は武田信玄の治水対策の象徴的な存在。これまた信玄とかかわりを持つのだ。因みに恵林寺の祭り4月12日は武田信玄の命日に当たる。


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 こうした今なお、にぎやかさを保つ祭りの一方で、《風前の灯火》の祭りだって少なくない。年ごとに規模を小さくして、《形だけ》の祭りになろうとしているところもあるのだ。祭りを支える氏子などの後継者不足に他ならないし、崖から転げ落ちるように衰弱していくのである。お神酒をいただき、お祭り気分になっていたところに冷や水をぶっかけるようで恐縮だが、これホント。地方、田舎の現実である。




 農家の後継者不足で耕作放棄地がどんどん増えている姿にもよく似ている。お祭りどころか無住寺や、無住の神社となって、地域が何とか管理して息を繋いでいるケースだって珍しくない。宗門や神社庁から分担金(上納金)を強いられ、やむなくお札作りなどやり繰りして小金集めをしている所も。つまり氏子ではなく、地区管理の神社になっているのだ。年に何度かの清掃や草刈りなども地域の人たち。いわば義務人足で維持している。




 どこかの国の先生たちは国会などで「ふるさと創生」だの「地方創生」だのと、頼もしくおっしゃる。祭りは、まだいい。農家の後継者不足は深刻極まりない。あと5年経ったら、10年経ったら、と考えると恐ろしくなる現実が地方にはあるのだ。お神酒をいただき、威勢よく見える神輿だって担ぎ手は、どんどん減っていく。そんなことを考えると神聖なお神酒を《やけ酒》に変えたくもなる。




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祭りと人々の素朴な心

  
お天神講


 そもそもの祭りは、氏神さんの祭りや辻々にある道祖神の祭りなど地域の人たち、言い換えれば、村人たちの神への畏敬の念や、五穀の豊饒、家内の安寧など素朴な心の集積によって作られ、伝えられて来たものだろう。それが証拠に大きなビルの谷間での祭りは似合わない。やがて村おこし、町おこし、地域おこしの具としても活用され、発展して来た。祭りは時代のその時、その時の世相を反映しながら後世に受け継がれていくのである。


氏神様


 山梨の信玄公祭り「甲州軍団出陣」も、その一つ。誕生には時代の変化が背景にあったことは確か。祭りが出来た昭和40年代初頭、山梨県を東西に走る国鉄(現JR)中央線は、それまでの蒸気機関車を捨てて電化。それに合わせて地元経済界は県都の玄関口・甲府駅の駅舎を全面改築、駅前を大きくリニューアルした。中央線に特急「あずさ」が走ったのもこの時。すぐに「かいじ」も加わった。停車駅を増やし、利用者に《小回りが》効く特急だ。




 その先頭に立ったのは、地元の新聞社・放送局のオーナー社長で、経済界のトップ・甲府商工会議所の会頭を務めていた野口二郎。野口の剛腕とも言える指導力で、ちっぽけだった駅舎は、沢山のテナントを収容した駅ビルに姿を変え、駅前広場は当時とすれば見違えるような変化を遂げた。駅前(南口)に信玄公の大きな銅像が出来たのもこの時。信玄公祭り「甲州軍団出陣」は、その集大成でもあった。




 背景とする時節もよかった。昭和30年代後半からの高度経済成長の波は祭りの滑り出しや、定着への足掛かりに大きく影響したと言っていい。経済界はこぞって祭りを協賛の名のもとに後押し。2,000人にも及ぶ軍団編成に企業が先頭に立った。しかし、世の中、そんなに甘くはなかった。その後に起きるバブルの崩壊は、少なからず祭りの華やかさに影を落としたことも、また事実。




 一つ、二つと企業が手を引き、それまで民間主導の実行委員会に行政が顔を出さざるを得なくなったのである。言い換えれば、行政に《助け》を求めた感もないとは言えない。そこには先祖来々、人々が素朴に続けて来た村祭りとは、イメージも中身も違ったところがある。でも武田信玄は山梨県民にとって《永遠の》英雄。祭りのシンボルとすることに誰も異存はない。




 山梨では「甲府盆地に春を告げる」祭りとして節分会でもある「大神宮祭」(2月3日)、「猫の卵と馬の角以外は何でもある」と言われる「十日市祭り」(2月10~11日)、一日に限って、どんな願い事でも聞いてくれる」という「厄よけ地蔵尊祭」(2月13日正午から14日正午)がある。祭りの舞台となる寺や神社の周辺には、さまざまな屋台がズラリとならび、いやが上にも祭りを盛り上げる。



大神宮祭


 ところが、こうした祭りに警察が介入したことがある。「交通上の障害」を理由に屋台を全面撤廃させたのである。住民は猛反発。一年で規制は撤廃された。屋台がなくなったら祭りのムードは丸つぶれ。地元住民はむろん、近郷近在からやって来る人たちが怒るのも無理はない。背景には暴力団やテキヤの排除への思惑があったのだろうが、住民の素朴な祭りに公権力の介入は似合わない。第一、テキヤを排除して屋台の秩序が守れるはずがない。




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信玄公祭り「甲州軍団出陣」と桜吹雪

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画像:やまなし観光ネット


 「今年の信玄公祭り・甲州軍団出陣は何時(いつ)だったっけ?」


 ロータリークラブの仲間との茶飲み話で、こんな話題が出た。


 「4月の第一土曜日だよ。概ね決まっているじゃあないか」


 ところが、今年の4月第一土曜日は1日。この信玄公祭りのメーン「甲州軍団出陣」は《桜の時季》に合わせて設定されたいきさつがあって、その点から言うと、その年の気温差にもよるが、6
日前後が手ごろ。祭りは三日間にわたるので、メーン行事の「甲州軍団出陣」は中日の土曜日と暗黙のうちに決まっているのだ。実行委員会も熟慮したのだろう。今年は第2週の土曜日・8日に決めた。


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 札幌の雪まつり、仙台の七夕祭り、青森のねぶた祭り、大阪・岸和田のだんじり祭り、徳島の阿波踊り、京都の葵祭や祇園祭…。全国には、このほかにも伝統の祭りがいっぱい。その祭りは、地元の人たちによって守られ、脈々と伝え、受け継がれて来た。多くの観光客を呼び、結果的には、それぞれの地元の活性化にも大きく貢献、経済をも潤している。何よりも尊いのは、地域の人々の眼には見えない《誇り》を支えていることだろう。




 いい祭りは、何度見ても飽きないし、色あせない。毎年同じことを繰り返しているのに人々は、繰り返し足を運ぶのだ。祭りには、そういう魔力にも似た魅力がある。信玄公祭り「甲州軍団出陣」は、全国の名だたる祭りと比較すると歴史も伝統も浅い。昭和40年代初頭に出来たものだから、まだ、ざっと半世紀。しかし、関係者の努力で、山梨県のメーンの祭りとして、しっかりと定着。県外からも沢山の観光客を集めている。




 武田信玄公率いる「甲州軍団」は、夜の帳が下りた県都・甲府の玄関口・JR甲府駅前に《陣》を張り、甲府のメーン通り「平和通り」を南下、甲府城跡・舞鶴城公園に集結する。軍団は武田信玄公を頭にした武田二十四将率いる約2,000の将兵。鎧兜姿、槍や刀、鉄砲で身を固めた武者たちの戦国絵巻が繰り広げられる。



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 「一番隊 山本勘助隊出陣、二番隊 真田昌幸隊出陣…」といった具合に、観光客向けのナレーション(沿道放送)も。「平和通り」の両側の商店街やオフイスビルは明かりを消し、松明のかがり火が軍団の出陣を浮かび上がらせる。こうした演出が戦国絵巻に彩を添え、見物客の心を高揚させるのだ。集結地・舞鶴公園では軍団の《勝利の宴》が。特設の舞台では、勝ち戦の舞が披露され、その舞台には、公園いっぱいに植えられた桜が《自然の演出》桜吹雪を舞わせてくれるのである。宴は夜遅くまで続く。




 「甲州軍団出陣」の花形・武田信玄公や山本勘助役は歴代、有名俳優やタレントを充てる。今年は落語界から選び、信玄公役が三遊亭小遊三師匠、山本勘助役が林家三平師匠。いずれもテレビの人気番組、あの「座布団1枚」でお馴染みの「笑点」のレギュラーたち。信玄公を演ずる小遊三は山梨県大月市の出身である。紅一点で隊を編成する「松姫隊」の姫は公募。このほか「外人部隊」の飛び入り参加も。あと2か月。桜の《先発隊》である梅は甲府盆地でも咲き始めた。さて今年の桜は…。気象台によると、平年よりやや遅いとか。(次回へ続く)

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拍手とタイミング

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 ちあきなおみのヒット曲に「喝采」というのがあった。そのイメージからしても、割れるような喝采の拍手は、その場を否応なく盛り上げ、みんなの気持ちを高揚させる相乗効果がある。しかし、拍手には、その時の雰囲気によって躊躇することもあることも確か。




 日常よくある会議の冒頭での挨拶がその一例。素直に拍手を送ってしまえば、何の事はないのだが、そこで、みんなが一瞬ためらうと、会議から拍手が消える。結果は、その会議の雰囲気にも微妙に影響するのだ。人間とは不思議な動物で、ちょっとしたアクションでも、時に際立つことを、ためらうことがあることに気付く。




 拍手をしないのが当たり前?となっているのが仏事での挨拶や関係者のお悔やみの言葉への反応だ。地域によって違いはあるのだろうが、山梨では葬儀・告別式の後、「初七日の法要」を営む習慣がある。この時、喪主の挨拶や個人とゆかりの深い方々の「お悔やみの言葉」があるのだが、参列(会)者は「おときのお膳」を前に、まるで申し合わせたように下を向き神妙な顔つきで話を聞いている。普通といえば普通。でも異様な光景でもある。


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 中には上手いというか、故人を彷彿とさせるような《いい挨拶》がある。私ばかりかも知れないが、そんな時、感動して思わず拍手したくなることがある。でも、拍手しそうになった手を、思わず引っ込め、間が悪い心の内を隠して、周りを見るのだ。私ばかりでなく、そんな経験をお持ちの方もお出でになるに違いない。





 感動したものに拍手を送ることは、仏事、法事に関わる場でも、故人を冒涜することには当たらないのではないか、と思ったりする。むしろ、その方が自然。だが、その場の《なんとなく》の雰囲気が人々の心に「待った」をかけるのだ。




 ある初七日法要の席で、こんなことがあった。おときの席の終わりを告げるタイミングと言っていい親族代表のお礼の言葉が済んだ後、進んでマイクの前に立った喪主(故人の長男)が「オヤジが好きだった歌を歌わせてください」と、自らと個人が卒業した高校の校歌や、「海ゆかば」などの名曲を歌い始めた。




 それまで下を向いていた参列(会)者は、呆気にとられて一斉に顔を上げた。そして、不思議な現象が起きた。誰ともなく手拍子を打ち始め、その手拍子は会場いっぱいに広がった。そこには130人前後がいただろうか。感動したのか、みんなの眼には涙が潤んでいた。そうしながらも手拍子を打ち続けるのだ。参列者は帰り際、答礼する喪主に対して「よかったよ」、「貴方いいことをしたね」と。




 進んでではないが、コンサートを聴きに行くことがある。この時の拍手のタイミング。カーテンコールはいいのだが、曲ごとに送る拍手。元々、音痴人間で、クラッシック音楽に素養があるはずのない私には曲目の終わりがどこか分からない時が多い。拍手を送りたくても送りようがないのだ。どうするかって?誰かの拍手を待って手を叩くのである。もし、演奏が終わったと思い込んで途中で拍手をしようものなら会場は、どっちらけになること必定。ここでも拍手に、ためらう人間は少なからずいるのだ。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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