秋の朝顔

朝顔


 「恐れ入谷の鬼子母神」

 日常会話に中でもよく使われるフレーズだ。「恐れ入った」「まいった」。そんなタイミングで使う平たい言葉である。江戸時代、ある大名家の奥女中が腰に腫れ物が出来た。そこで入谷の鬼子母神に願掛けしたら見事に治った。このことを狂歌師・太田蜀山人が「恐れ入谷の・・・」と洒落たのが江戸っ子に受け、流行ったという。江戸の中期のことだそうだ。本人は意識してはいないのだが、麻雀でヤクマンを振り込んだ時などにしばしばこの洒落が出る。そんなさもない日常の言葉としても定着したのである。


朝顔3


 東京・入谷といえば朝顔市。江戸時代から続くという、この朝顔市はちょっと知られた東京の夏の風物詩だ。風流を愛し、それを気風とした江戸庶民にとどまらず、今も近郷近在から善男善女が集まる。今年も7月6日から8日まで開かれ、大勢の人達で賑わった。時代とともに減っていく縁日の風景がそこには残っている。そんな所に行くと、あくせくとした日常がウソのよう。異次元の世界に居るような気分になるのは私だけだろうか。


朝顔4


 朝顔は俳句でも夏の季語。入谷の朝顔市もそうだし、打ち水をする庶民の軒先と朝顔はよく似合う。一首ひねり出したくもなる光景だ。ところが彼岸の中日も過ぎた今、山梨の我が家では、この朝顔が満開。満開というより次から次へと咲くのである。それも直径13cm~15cmもある大輪だ。色は水色がかった紫。深紅にも見える。


朝顔2


 毎年、親しい友達が園芸用の小さなポットに植えつけた苗を6~7本届けてくれるのだ。5月の中旬頃、女房と二人して庭先に植え付けをする。しばらくして近くの山路から採ってきた小箸竹で大きな棚を作ってやると朝顔のつるは空に向かってどんどん伸びる。その逞しさはすごい。竹の棚の頂上まで伸び、その先、行く先を失うと今度は垂れ下がるのだ。そして9月のはじめ頃から一輪、二輪と花を開き始めるのである。


蝶1    蝶2


 開花期は入谷の朝顔市からすれば2ヶ月以上も遅い。開花の時期もさることながら見事な大輪は我が家を訪れる人達の人気者。「是非、種を・・・」という。ところが、この朝顔、どこにも種らしい種を付けないのである。葡萄園の片隅で支柱に這い登るようにして咲く野生の朝顔は、前の年、自らが落とした種に逞しく花をつける。私に朝顔の苗をくれる友達も、どこからかもらってくるのだが、その仲間も「企業秘密」なのか、育成の仕方を教えてくれないという。




 朝顔とは不思議な花。桜のように満開に咲くのではなく、一輪、一輪、飛び飛びに咲く。だから風情があるのかもしれない。戦国の世、あの千利休満開の朝顔を一輪だけ残して、全てを摘み取り、見物の秀吉を迎えたという。有名な話だ。千利休はきっと一輪の朝顔に茶の心を写したかったのだろう。


庭


 とにかく次々と花開く朝顔を横目に7月から咲いていた百日紅(さるすべり)は、さすがに勢いをなくし、紅い花をどんどん落としている。我が家の秋もどんどんと深まっていく。因みに朝顔の花言葉「愛情」とか「あなたは私に絡みつく」だそうだ。




.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!


スポンサーサイト

法事とカラオケ

法事    法事2


 墓地改修の竣工とそれに合わせたご先祖の法要に招かれた。「思い切って墓を直すことにしました」と言う知人は80歳を超えた。息子さんに家業の自動車整備工場を委ね、事実上、隠居の身になったこの人は、やがて誰もが通らなければならない≪行く末≫をも考えたのだろう。秋の彼岸を前にした墓地の改修だった。



 「極、内輪の披露と法事に留めたんですよ」


 この人は、招待者を家族のほかは、兄弟夫婦と極めて親しい友達だけにしたという。墓地の新設や改修は春秋の彼岸に合わせるのが、どうやら慣例のようだ。どの墓地を見ても石塔の裏側には「○○年 秋(春)彼岸 ○○建立」と刻んである。


墓


 出席者は菩提寺の本堂でのご先祖の法要に臨んだ後、改装なった墓地に詣でた。線香を手向け、手を合わせる。そして会場を替えての「おとき」の席と続くのだ。挨拶は「おめでとうございます」でいいのだが、みんな、さすがにその言葉は、ちょっと言いにくいらしい。しかし、おときの席は七七忌や一周忌のそれと違って明るい。法事につき物のある種の暗さはなかった。


花


 墓地の改修、新設などが人ごとではない年齢になったのか、仲間達の酒席で、この話が話題になった。建設費用、お寺さんへのお布施、招待者。みんな身近な話題と受け止めているようだった。その中の一人がこんな話をした。


菊


 「たまたまだが、昨日、叔父の一周忌に招かれた。これが面白いのだ。カラオケのどんちゃん騒ぎとまでは行かないまでも、賑やかな法事だった」





 その友人氏によると、みんなかしこまって、ご仏前に献杯した後、施主である故人の奥さんが、こう挨拶したという。



 「故人は根っからの明るい性格で、お酒が好き、カラオケが大好きでした。今日はそんな、在りし日の主人を偲んでいただくためにも存分に飲み、存分に歌ってください」




 かしこまって、うつむき加減に座っていた招待者は、途端に開放されたかのように賑やかに。やがてカラオケが始まったという。故人の「十八番」や物まねも。もちろん拍手喝さいも。おときの席は、まるで場違いのように盛り上がった。法事の後のおときの席といったら、美味しそうなお膳を前に、みんな神妙な顔付きで座っている、と言うのが一般的だ。




 上手な挨拶、泣かせるような挨拶に、一瞬、拍手しそうになって、その手を照れくさそうに引っ込めた経験をお持ちの方もお出でだろう。法事の雰囲気とは、また誰とはなしに作り上げてきた概念なのかもしれない。


菊2

 でも、待てよ。カラオケで賑やかに故人をしのぶ法事だってあってもいい。むしろ、その方が故人の供養になるはずだ。2時間前後を、暗い表情でお膳に向かい、お隣との会話も声を落とす。そんな習慣はやめたらいい。お酒を飲みながらの仲間達の共通意見だった。しかし、いざとなると、やっぱり出来ないのが、この法事の席なのかもしれない。





.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!


日常生活の鏡

蛸


 「たこ」。一口に「たこ」と言ってもさまざまだ。大空を地上からの糸に引っぱられて果敢に舞う「凧」もあれば、大空とは反対に、海の底で外敵に追われれば真っ黒い墨を吐いて逃げる「蛸」もいる。また、その人の生活習慣の証のように手足など身体の一部に出来る「胼胝(タコ)」だってある。





 お正月の風物詩でもあった凧揚げは、今ではすっかり影を潜め、その一方で静岡県浜松市のように子供たちの健やかな成長を願って大々的に繰り広げる凧揚げもある。遠州灘の砂丘を舞台に繰り広げる、この凧揚げ祭りは爽快だ。誰もが一度は見てみたい行事の一つだろう。


凧揚げ


 花より団子。「たこ」は「たこ」でも「蛸」は食べられる。酢蛸もよし、生の刺身で食べる蛸も旨い。あのたこ焼きには欠かせない具にもなる。祭りや夏の縁日で食べる、たこ焼きは格別だ。子供の頃は、ねじり鉢巻をしたオジサンが、今の年になったら屋台の活きのいいオニイサンさんが売ってくれるたこ焼きは、祭りや縁日には欠かせない味の一つ。都会の街角でのたこ焼き屋さんも街ゆく人達と見事に息が合う。


祭り


 一方、同じ「たこ」でも「胼胝(タコ)」は風情もなければ、味もそっぺもない。OLのかかとに出来る靴擦れのタコのように邪魔者であり、無用の長物だ。しかし、見方を変えれば良くも悪くも、その人の人生の証かもしれない。ちょっと大げさなモノの言いようかもしれないが、そうなのだ。例えば、畳屋さんには肘に、大工さんには手に・・・。およそ職人と言われる方々には、身体のどこかに、この「胼胝(タコ)」がある。考えようによれば、これほど尊いものはない。その人の生き様であり、年輪なのだ。


手


 私にも三箇所にタコがある。いずれも右手。その一つは麻雀タコだ。職人さんの尊いタコと一緒にしたら叱られる。「良くも悪くも・・・」と書いたのはそのためだ。学生時代の4年間、サラリーマン時代の40年間、そしてリタイア後の現在まで、ざっと50年間のろくでもない男の証なのである。言い訳のようだが、職人さんたちに失礼なので繰り返しておく。自慢のできるシロモノではない。


ton.gifman3.gifsha.gifpei.gifman5red.gifhaku.gifhatu.giftyun.gifpin5red.gifsou4.gif



 胼胝(タコ)というものは、同じ習慣を繰り返していれば、成長するのである。場所によっては邪魔になる。私の場合、右手の中指の第二と第三の節に出る。大きくなるので時々、爪切りで削り取るのである。その手を見て女房は、馬鹿にし、あざけるようにこう言う。




 「どこで死んでいてもこの手を見れば麻雀好きの人間とすぐ分かりますよねえ」



 あと二つのタコは、若い時のペンダコと勤めをリタイアした後に出来た農作業によるタコ。時代が一変、今はパソコンだからペンダコなんか出来っこない。そんなものを見せたら「オジサンはいつの人?」と笑われるのがオチ。自分だって今はこうしてパソコンを叩いている。自らは心の底では勲章と思っているペンダコもやせ細る一方だ。もう一つ農作業でのタコは、鍬や立ち鉋を使うからで、こちらはどうやらまとも。野菜作りが主で、ささやかな汗の結晶である。でも我が家の経済にはそれほど結びついてはいない。


トマト            畑



.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!


大根の2枚葉

おでん


 キャベツのロール巻きや卵、大根、竹輪、はんぺん、がんもどき。そう、おでんの具だ。中でも欠かせないのが、大根である。おでんの定番だからと言うわけではないが、今年も大根の種を蒔いた。かなりの広い面積、盛り土の畝を作り、9月4日に蒔き付けをしたのだが、今年は発芽が遅く、やっと二枚葉が顔を見せた。大根は冬場に食べる沢庵漬けにもなる。


大根の芽      大根の芽2


 大根は数ある野菜の中でも際立って発芽率がいい。蒔いた種は100%近く芽が出る。今年は発芽に時間がかかった。蒔きつけた後、全く雨が降らなかったからだ。例年なら7月下旬から8月のお盆にかけて、つまり梅雨明けからしばらくは、好天が続き、桃や葡萄の糖度づくりに一役買い、8月下旬から9月の降雨が野菜の生育に功を奏するのだが、今年はみんなその逆。天候のイレギュラーは、さまざまな所に影響を及ぼしている。




 仕方なく、ホースを畑まで伸ばして毎日、水を撒いた。女房の仕事だ。

水撒き

 「お父さん、大根、芽が出て来ましたよ」


 女房がいかにも嬉しそうに言う。人間とはおかしなものだ。最初は嫌々ながらというか、面倒くさそうに水撒きしていたのに、自分が手をかけた種が芽を出したとなると感慨は別。やっぱり愛着が生まれるのだろう。水撒きぐらい、私がやっても何のことはないのだが、畑仕事など知らない、また知ろうともしない女房には、その経験がいい薬。薬は案外利くものだと一人ほくそえんだ。


大根


 種は25cmから30cm間隔に3粒ぐらいずつ蒔くのである。それも女房の仕事。発芽率がいいから1粒づつでもいいのだが、これには訳がある。発芽しない万一の予備もさることながら、植物が持つお互い競い合う本能を考えてのこと。隣にいる仲間に負けじとばかり大きくなろうとする習性、つまり生存競争を利用するのだ。ある程度大きくなったところで、一番大きなものを残して、後は間引きするのである。放っていても生存競争に敗れたヤツは、やがてはとぼれて行く。自然界の掟なのである。





 「ど根性大根」などという言葉がどこで生まれたのかは分からないが、アスファルト道路の割れ目からニョキニョキ顔を出したり、普段ならおよそ顔を出さないような所に生えて、新聞やテレビの話題になる。どんどん≪やわ≫になっていく人間やそれをよしとするような社会風潮への警鐘とも受け取れなくもないが、とにかく大根は逞しい


大根2


 小石など障害物があれば、それを避けてでも地下に伸びる。青首大根のように肩まで地上に出しても強い太陽光線や逆に冷たい霜も何のその。私の畑は古くは河原だったのだろう。比較的土壌が浅く、小石が多い。だから曲がったり、二股になるので、抜くのに一苦労するのだ。本当はこんな地質の所は大根作りには適さない。東京で言えば練馬、山梨で言えば茅が岳山麓の明野など火山灰土の所が適しているのだ。

 


 大根はおでんのように煮物でも食べれば、大根おろしのように生でも食べる。消化がよく、殺菌作用もある。刺身のつまになったりするのもそのためだ。「大根役者」という言葉を生むくらい≪当たらない≫のである。そのいわれを知らない女房なんか「大根」と言うと、自分の足を言われたと勘違いしてすぐ怒るから、また面白い。とにかく大根は日常会話の中にもしばしば登場する。





.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!


大きさを増す女房の座

3


 「わたしゃあ、あなたのお母さんじゃあありませんよ。まったく・・・」

 時々、女房ははき捨てるようにこう言う。風向きによってご機嫌斜めの時だ。世の中の半分を占める女性の皆さんにバッシングを受けることを覚悟で言えば、女というものは単純なものだと思っている。わが女房だけかもしれないが、とかくその時の感情だけでモノを言うのだ。





 しかし、このことに限れば、女房の言う通りだ。確かに、女房は私のお母さんではない。女房を「お母さん」と呼び始めたのは何も今に始まったことではない。恐らく一人娘が生まれた頃からだろう。もう38年近くになる。我が家ではそれが定着したかのように普段は「お母さん」で通っているのだ。




 そういえば、私が女房を「お母さん」と呼び始めた頃、おふくろがキョトーンとした顔をしたことを今でも覚えている。逆算すれば、おふくろはその頃、50台も半ば。息子が嫁を「お母さん」と呼んだのには、違和感を覚えただろうし、面食らったに違いない。よく考えてみれば、そういう私は娘が生まれて、子供を中心の家庭を無意識のうちに考えたのかもしれない。待てよ、「わたしゃあ、あなたの・・・」と言う女房だって私のことを「お父さん」と呼んでいる。


2

 嫁と姑。古くから、確執の代名詞のように言われてきたが、私が見る限り我が家にはそれがなかった。おふくろは若い頃からなぜか隣近所で起きる嫁、姑間のトラブルの調整役をすることが多かったせいか、その徹を踏んではいけないと、女房に一定の気配りをしていたことも事実だろう。女房との喧嘩や諍いは、後にも先にも見たことがない。しかし女房にしてみれば姑であることに間違いないし、おふくろもそれを意識していただろう。


嫁姑  


 人間、当たり前のことだが、それがいつの間にか逆転するのである。それがいつ頃であったかは定かではない。一つ言えるのは、おふくろ自身が老いを感じ、身体に偏重を覚え始めた頃だろう。大きくなるお尻と並行するように、女房の存在感が増して行くのである。うっかりしていると亭主すら尻の下に敷くのだ。




 おふくろは大正5年生まれ。93歳を過ぎた。今は介護医療の病院にお世話になっている。ほとんど毎日のように行って話し相手になったり、身の回りの世話をしている女房には、全く頭が上がらないようで、息子の私より頼りにしている。それは今に始まったことではなく、おふくろは丈夫の時からも、女房を相談相手にし、その立場を立てていた。やがて面倒を見てもらうのは嫁、と考えていたのだろう。
1

 おふくろは足腰が不自由になっているばかりか、痴呆も始まっている。しかし、残り少なくなった自らの兄弟や、次男坊や三男坊など息子たちのことは忘れても、私の女房、つまり嫁のことは忘れない。世話になっている、また世話にならなければならないという気持ちの一方で、姑としての嫁に対する緊張感があるのかもしれない。姑を子供のように優しく扱う女房。片やおふくろは息子の私より頼りにし、感謝していることは確かだ。




.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!


ヘンな坊さんの逆さ論理

1


 は上手に書くな」は上手にするな」。

 口を開く度にこんなことを言った坊さんがいた。この坊さん、と言ったらちょっと失礼かも知れないが、この方は、その世界ではちょっと知られた書家である。サラリーマン時代のある時期、職責上、山梨県内に拠点を置いた、ある書道会の新年会に招かれた時のことだ。






 この会合・宴席には会派の隆盛を誇示するかのように、傘下の社中の代表が揃う。毎年、甲府市内の名門ホテルのホールに300人前後の書家が集まるのだ。秘書らしい女性を伴ってやってくるこの坊さんは、来賓の筆頭だから主催者の挨拶に続いて、いわゆる祝辞を述べるのである。




 その中身は、いつも決まっている。「字はまずく書け」だ。そこに集まっているのは、私を除いて全てが書家だ。続いて若輩の私が立場上、ご挨拶を申し上げるのだが、ステージから戻ってくると、この坊さん、恐れ多くも私にお酌をしてくれながら、同じことを言うのである。「話は上手にしてはいけない。まずくするんです」と。 自らを愚庵と号してはばからなかった。


習字


 諭すようで、また一面、唐突のように言う。一切それへの説明は加えない。まるでふざけているような口調で言うものだから、聴いている方は分かるようで分からないのだ。その翌年、この坊さんのお話と直接関係はないのだが、私はつい、こんなことを言ってしまった。




 「画家に狂人あれど、書家に愚者なし」と。ここで詳しいことを書くわけにはいかないが、書道会の中でのある公的な出来事を、ちょっぴり皮肉ってしまったのだ。40歳も半ばの頃。今考えれば若気の至りだった。当然のことながらそれへの反応はあった。会の主催者でもあり、家元的な存在の会長さんは、お酒を酌み交わしながら「厳しいことをおっしゃいますね・・・」と。一方、坊さんは「私の言わんとしていることと同じなんですよ」。当然、これをお読みの方々には、この禅問答のような会話は分からないだろう。


秋


 「まずく書く」「まずく話す」。裏返しの言葉で、まずく書いたり、まずく話すためには、それぞれの基本をしっかりとわきまえていなければ出来ない。この坊さんは、書家というからには、しっかりと字を勉強し、その上に立って自らの字を書くことだ、とハッパをかけたのである。極めるとは行かないまでも、努力をしなければ自分の字を書いたり、話したりすることは出来ない。





 私のような生くらの人間には死ぬまでそんな域には到達など出来っこない。若い頃、ピカソの絵を見たり、有名人の字を見て「これが・・」と思ったことがある。しかし、スペインのピカソ美術館でピカソの若い頃の絵に出会った時、まさに目から鱗だった。私たちが普段目にするピカソとは180度違う、きちっとしたデッサンがあった。書家も臨書を繰り返し勉強しているのである。巷にもある≪変人の個性≫とは全く違う。当たり前かもしれないが基礎が出来た人間はすごい。そして怖い。でも怖さを見せないから不思議だ。


ピカソ      ピカソ2

.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!


猫と英語

猫


 「お父さん、アメリカやイギリスでは猫も英語で泣くの?」

 庭先を歩くご近所のを目で追いながら女房が言った。




 「お前、藪から棒に何を言い出すんだ。馬鹿なことを言うんじゃあないよ。猫に日本語も英語もあるわけないじゃないか」


猫3

 女房の馬鹿げたと言うか、たわいもない問いかけに、待てよ、と若い頃読んだマーク・トウェインの「トム・ソーヤーの冒険」を思い出した。今考えれば馬鹿なことをしたものだ。年齢こそ違うが、勉強嫌いがよく似ている主人公のわんぱく少年・トム・ソーヤーに興味を持ったのだろう、辞書を片手にこの小説を悪戦苦闘しながら読んだことがある。




 そのためか部分的にせよ、その中身を覚えている。両親を早くなくして母親の姉、つまり伯母に育てられているトムが親友のハックルベリー・フィンと、ある夜、お墓を探検する場面が出てくる。そこに登場してくる猫。マーク・トウェインが夜中の墓地の不気味さを演出するために登場させたのだろうが、その猫の泣き声だ。

墓

 なぜか「ミィヤーオ」と泣いているのである。日本では猫の泣き声は「ニィヤーオ」だ。このブログにお出でいただく方々の中にも猫をお飼いの方々が大勢いらっしゃり、中にはハンドルマークにしている人も多い。みんな「ニィヤーオ」と泣いているだろう。実は欧米と日本で猫の泣き方が違うのではない。それを聞き取る耳が微妙に違い、発音や表し方が違う、ただそれだけだろう。

猫4

 例えば日本で言う「トマト」をアメリカ人は「トメト」と言う。「水」を日本人は「ウォーター」と発音し、アメリカ人は「ワァーター」と言う。そんな例はいっぱいだ。発音もさることながら聞く耳も微妙に違うのかもしれない。例えばアフリカなどには遥か向こうの動物の足音を聞き取る人種もいると言う。考えてみれば同じ日本人、周りを見ても視力の良し悪しと同じように、耳のいい人もいれば、難聴の人もいる。




 こんなことに気付いたことがおありだろう。ご自分が聞く自らの声とテープなどで取った声を聞いて「あれ、これが俺の声?」と。つまり、自分が認識している声と、別の人が聴いている実際の声は違うのである。ヘンな話だがそうなのだ。それがだれにも分からないのだが、みんな同じように聞こえたり、聴いていると思ったら大間違い。一つの音を取っても厳密には、その感じ方は微妙に違って当然だ。

イヌ
 ところで女房が馬鹿げた疑問を持った猫。どのご家庭も犬のように首輪をつけて繋留したりはしない。だから結構あっちこっちを歩き回っているのだ。へえ~、と思うくらい行動範囲は広い。我が家の庭先にやって来る猫がかなり離れたお宅の猫と知ってびっくり。餌をあさるでもなく歩き回っているのである


猫2


 片や。この付近では散歩やウオーキングのお友達だ。犬を散歩させているのではなく、犬に引っ張られているのである。ひと昔前まで、農村地帯のこの付近では見られなかった光景だ。犬から観れば番犬から人間の健康づくりのパートナーになった。因みに日本では「ワン、ワン」という犬の泣き声はアメリカでは「バウ、ワウ」だそうだ。やっぱり人間の耳は違う。

犬


.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!


手鼻と大根の種蒔き

トマト


 キュウリやインゲンの棚は枯葉が目立ち、やはり夏野菜のトマトやナスもひところの勢いをなくし、我が家の畑も夏から秋への衣替えの準備を始める。大きく伸びた雑草を取り、石灰をまくなどして、そのための圃場整備をするのである。石灰はとかく陥りがちな土壌の酸性化を防ぐための散布だ。特に、ほうれん草作りには欠かせない。


インゲン


 うかうかしているとすぐに大きくなってしまうキュウリも、また田舎では「食いっこ生りっこ」と言われるほど次から次へと生るインゲンも、もう形無しだ。「秋茄子は嫁には食わすな」という言葉があるくらいだから、ナスは夏から秋にまたがる野菜なのだろう。ひところの勢いはなくしたものの、まだまだ健在。我が家ではぬか漬けにしたり、煮物や味噌汁の具にしたりして今も食卓に載っている。



茄子1      茄子2


 「秋の陽はつるべ落とし」と言われるように、これから日はどんどん短くなっていく。朝は4時といえば明るくなり、夕方も7時半過ぎまで明るかったひと頃がウソのようだ。まさに「つるべ落とし」。これから急ピッチで日が短くなる。人生の落日にオーバーラップはしたくない。実りの秋への移行と前向きに受け止めている。残暑が緩んで、いつの間にか朝夕は涼しくなった。秋は確実にそこまでやって来ている。

畑


 野良に出て大根の種蒔きの準備をしながら、「手鼻(てばな)」をかんだ。




 「お父さん、汚い事をしないでくださいよ。いつもそうなんだから・・・。まったく・・・」



 嫌々ながらだが、畑仕事を手伝ってくれた女房がいかにも汚いものを見るように、嫌~な顔をしながら言った。「手鼻(てばな)」。都会の方々やお若い方々は見たことも聞いたこともないだろう。鼻の片方を押さえて「ち~ん」とやるのだ。ポケットからテッシュを出して鼻をかむ面倒もないし、第一、鼻をかんだ後、意外とスッキリするのだ。野球選手がフィールドで唾をするのと同じように、見ている側からすれば、お世辞にもいいものでも、褒められたものではない。百姓のフィールドは畑。わが女房よ、ここは大目にね。


キュウリ 


 今はそんな事を言わなくなったが、田舎には「五(御)膳箸」という言葉があった。むすびを食べるのも、漬物を食べるのも箸を使わずに文字通り、5本の指を持つ手で食べるのだ。子供の頃だが、こんな思い出がある。農業の繁忙期ともなれば、朝、学校に行くまで子供たちも親父と一緒に野良に出て仕事を手伝うのだ。夜明けとともに畑に出るのだから朝飯はもちろん畑の中。今のように爪楊枝や箸、ましてやおしぼりなど用意するような余裕も、生活のレベルでもなかったのだろう。何を食べるのも5本の指なのである。


トマト2


 のどかなものだった。衛生云々などともいわなかった。それによって免疫を作ったのか病気にもならなかった。ただ、この五膳箸はともかく、私たちのの学業成績は言わずもがな。朝も早いし、畑仕事で疲れているから授業中は居眠りだ。それが高校時代まで続くのである。広い農地を抱えて、そうでもしなければ間に合わない親父の心の内が今ではよく分かる。幸か不幸か、おふくろからも今時の教育ママのように「勉強、勉強」などといわれなかった。しかし、今考えれば、そんな親父やおふくろで良かったと思っている。少しばかりの勉強より大切なものを教わったような気がする。




.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!


ユリと彼岸の餅

ユリ  


 ユリが咲いた。庭の植え込みといわず、畑の隅々といわず我が家の周りには、白く咲いたユリがいっぱい。近所の人達が「ユリ屋敷みたいですね」というほど、あっちこっちで花を開いているのである。7月から咲いている百日紅(さるすべり)の赤い花や鉢植えのサフィニアの赤と見事なコントラストを見せている。まるで「泣かなければ損」とばかり鳴く蝉がゆく夏を惜しんでいる。そんな季節の変わり目を見守るように、おっとりと白く咲くのがユリの花だ。


サフィニア  百日紅  百日紅2


 一口にユリと言っても我が家のユリは、テッポウユリタカサゴユリらしい。「らしい」と言ったのは、私には確たる知識がないからだ。花の形を見る限りその区別はつかないが、この二つは背丈が全く違う。50cmぐらいのテッポウユリに対して、タカサゴユリは1・5mから2m,大きいものでは3mにもなる。肥料の関係もあるのかもしれない。まるで突然変異でもしたかのようだ。因みにタカサゴユリの原産地は台湾。「台湾百合」というそうだ。



ユリ2



 どちらもラッパのような花をつける。背丈の違いがあるにせよ茎は案外しっかりしていて、下から上まで茎から放射線状に細長い葉をつけ、葉は下のほうは水平に、上に行くに従って斜めになるのだ。白濁色の花弁を落とすと、その跡に出来る筒状の鞘の中にいっぱいの種を宿す。この種が冬の空っ風に煽られて周囲に飛散するのである。


百合3


 我が家のユリ屋敷は、こうして出来たもので、種を蒔いたものでもなければ、球根を植えたものでもない。春から夏にかけての雑草取りに巻き込まれて犠牲にならなければ、ユリはもっともっと増えるはずだ。可憐な花だが、逞しい繁殖力を持っている。




 美人を形容する言葉に「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」というのがある。そんな美人にはそうそうお目にかからないが、その反対の「立てばビヤダル、座ればたらい、歩く姿はドラム缶」。そんな女性は身近にもいる。そんな事を女房に言ったら、やっぱりオカンムリ。「それはお父さんのことよ。失礼しちゃうわ。まったく・・・」。女はいつまでも、そしてこともあろうに自分は百合だと思っているから面白い。


百合


 ところで芍薬と牡丹。似ていて非なるものである。「立てば芍薬」というように芍薬は枝分かれせずに真っ直ぐ立つ。これに対して牡丹は「座れば牡丹」というように横張り樹形の小低木だ。二つとも我が家にあるのだが、中でも芍薬は繊細。根の周りをいびったり、踏み荒らしたりしたら花をつけないのだ。周りの雑草をかじったりするものだから、花を咲かせてくれない。牡丹はお隣中国の国花。似て非なるこの二つは、ともに漢方薬に使われる。牡丹にはさまざまな別名があって「花王石鹸」の「花王」もその一つである。




 暑い、暑いと言っているうちに間もなく秋の彼岸がやってくる。春秋の彼岸につき物が牡丹餅(ぼたもち)御萩(おはぎ)。この二つの違いは諸説ある。その一つは字の通り春がぼたもち秋がおはぎ。この二つにはあんこがつくのだが、このあんこがまた違う。春のぼたもちであるのに対して、秋のおはぎこしあんなのである。これにも諸説あって、あんの原料の小豆の収穫期に起因する説が有力だ。小豆が柔らかい春は粒あん、硬くなる秋はこしあんというわけだ。私はお酒が好きなくせにぼた餅も大好き人間である。

餅

.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!


子供たちとキジ撃ち

富士山


 富士山のお山じまいが済んで、季節的には今年の夏山シーズンが終わった。お山じまいの後、山梨県側の富士山の麓、富士吉田市では「吉田の火祭り」が盛大に繰り広げられ、行く夏を惜しんだ。「吉田の火祭り」日本3奇祭の一つで、山梨県内はもちろん、全国から大勢の老若男女が集まる。



吉田の火祭り


 中高年を中心にしたハイキングや登山ブームを反映して、今年も富士登山者はかなりの数にのぼったはずだ。ただ7月1日のお山開き以降のお天気の乱れが登山者の足を止めたことも確かだろう。いつもの年なら山梨市の我が家からも毎夜のように見えた登山者のライトの帯が、今年はあまり見えなかった。ただ、ここは甲府盆地。御坂山塊を挟んで、向こう側の富士山麓地方とはお天気が違うし、富士山の上の天気も違う。





 「頭を雲の 上に出し 四方のお山を 見渡して 雷様を 下に聞く・・・」

 ご存知、唱歌「富士山」だ。この歌の通り、雨雲は3,000m前後の所に生まれるのだから、3,776mの富士山頂は下界が雨でも、晴れている時が多いのだ。私も三度ほど登ったことがあるが、苦労をして辿り着いた山頂で拝すご来光は、筆舌に尽くしがたい感動だ。


富士


 「アルプス1万尺 小槍の上で アルペン踊りを さあ踊りましょう・・・」

 アメリカ民謡「アルプスい1万尺」は山男達の間でよく歌われる。この歌にはさまざまの替え歌があって、その時々の場面に合わせて唄われる。その内容は極真面目だったり、ちょっと砕けたり、果ては男達の酒席に飛び出すようなかなり品性を欠くものも。山男達には、こんな替え歌もある。




 「アルプス1万尺 小槍の上で 小キジを撃てば 穂高あたりは 霧の中・・・」

小キジ、とは小便。因みにキジ撃ちとは大便のこと。山男達の隠語なのだ。都会の方々や お若い方々の中には「わあ、汚い」と、言う人もおいでかもしれないが、山にはトイレなんかない。富士山のように夏山シーズン中、20万人もの登山者があるところは別だ。




富士山2


 「キジ撃ち」とは誰が名づけたか知らないが、そのスタイルからその名がついたのだろう。山のキャンプ地にロッジや公衆トイレが設けられている所はいい。それがない所でキャンプする場合、跨いで用を足す穴を掘って対処する。最後に埋めて帰るのは当然。山を移動中の用は小キジも大キジも、その辺の木陰で。山男達はそれなりの後始末のマナーを知っている。


富士2  


 さて、今の子供たち。私たちが毎年、実施している国際子供キャンプの参加者の中にはロッジの和式トイレすら使えない児も。小学中、高学年の男の子が泣き出すのである。考えてみれば洋式、それも自動のトイレが普及、生まれながらにそれしか知らない子供たちもいるのだ。学校もそれへの対応をしているという。火を遣ってご飯を炊くこと、包丁での料理もさることながら、野外活動の大切さを思い知らされる瞬間である。人間、温室のような環境でばかりで過ごせるとは限らない。何事にも通ずることだろうが、体験したり、知っていて損することはない。さて子供を過保護にしかねない世のお母さんたちは、これをいかがお考えになりますかな。




.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!


ランキング参加中です!
人気ブログランキング【ブログの殿堂】
おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

最新記事
カテゴリ
最新コメント
FC2カウンター
ブログ成分解析
ブログランキングならblogram
検索フォーム
月別アーカイブ
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

全国からアクセスありがとう!

ジオターゲティング
最新トラックバック
アルバム
リンク
忍者ツール
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
RSSリンクの表示
FC2ブログジャンキー

「アクセス数が全然伸びない…」そんな悩みをブログジャンキーが解決します!