日常生活の鏡

蛸


 「たこ」。一口に「たこ」と言ってもさまざまだ。大空を地上からの糸に引っぱられて果敢に舞う「凧」もあれば、大空とは反対に、海の底で外敵に追われれば真っ黒い墨を吐いて逃げる「蛸」もいる。また、その人の生活習慣の証のように手足など身体の一部に出来る「胼胝(タコ)」だってある。





 お正月の風物詩でもあった凧揚げは、今ではすっかり影を潜め、その一方で静岡県浜松市のように子供たちの健やかな成長を願って大々的に繰り広げる凧揚げもある。遠州灘の砂丘を舞台に繰り広げる、この凧揚げ祭りは爽快だ。誰もが一度は見てみたい行事の一つだろう。


凧揚げ


 花より団子。「たこ」は「たこ」でも「蛸」は食べられる。酢蛸もよし、生の刺身で食べる蛸も旨い。あのたこ焼きには欠かせない具にもなる。祭りや夏の縁日で食べる、たこ焼きは格別だ。子供の頃は、ねじり鉢巻をしたオジサンが、今の年になったら屋台の活きのいいオニイサンさんが売ってくれるたこ焼きは、祭りや縁日には欠かせない味の一つ。都会の街角でのたこ焼き屋さんも街ゆく人達と見事に息が合う。


祭り


 一方、同じ「たこ」でも「胼胝(タコ)」は風情もなければ、味もそっぺもない。OLのかかとに出来る靴擦れのタコのように邪魔者であり、無用の長物だ。しかし、見方を変えれば良くも悪くも、その人の人生の証かもしれない。ちょっと大げさなモノの言いようかもしれないが、そうなのだ。例えば、畳屋さんには肘に、大工さんには手に・・・。およそ職人と言われる方々には、身体のどこかに、この「胼胝(タコ)」がある。考えようによれば、これほど尊いものはない。その人の生き様であり、年輪なのだ。


手


 私にも三箇所にタコがある。いずれも右手。その一つは麻雀タコだ。職人さんの尊いタコと一緒にしたら叱られる。「良くも悪くも・・・」と書いたのはそのためだ。学生時代の4年間、サラリーマン時代の40年間、そしてリタイア後の現在まで、ざっと50年間のろくでもない男の証なのである。言い訳のようだが、職人さんたちに失礼なので繰り返しておく。自慢のできるシロモノではない。


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 胼胝(タコ)というものは、同じ習慣を繰り返していれば、成長するのである。場所によっては邪魔になる。私の場合、右手の中指の第二と第三の節に出る。大きくなるので時々、爪切りで削り取るのである。その手を見て女房は、馬鹿にし、あざけるようにこう言う。




 「どこで死んでいてもこの手を見れば麻雀好きの人間とすぐ分かりますよねえ」



 あと二つのタコは、若い時のペンダコと勤めをリタイアした後に出来た農作業によるタコ。時代が一変、今はパソコンだからペンダコなんか出来っこない。そんなものを見せたら「オジサンはいつの人?」と笑われるのがオチ。自分だって今はこうしてパソコンを叩いている。自らは心の底では勲章と思っているペンダコもやせ細る一方だ。もう一つ農作業でのタコは、鍬や立ち鉋を使うからで、こちらはどうやらまとも。野菜作りが主で、ささやかな汗の結晶である。でも我が家の経済にはそれほど結びついてはいない。


トマト            畑



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今時の若いもん

ナポレオン


 「ナポレオンがエジプト遠征をした時の鹵獲品・オリベスクに刻まれた象形文字は、長く判読出来なかったのですが、20世紀初頭、始めて解読され、それには『今時の若者は・・・・』と書いてあったそうです。洋の東西に関係なく、(この言葉は)時代を超えた不偏性のある言葉のようです」




 「柳居子」さんから、こんなコメントをいただいた。「柳居子」さんは、ブログを通じての長い≪付き合い≫。京都にお住まいの方で、「柳居子徒然」を毎日、更新していて、もう10年を超すという。私の拙いブログ「富士の山ちゃんの日記」を読んでくれ、折に触れては、コメントをいただきもする。




 「へえ~、≪今時の若いもん≫と言うのは日本人ばかりじゃあないのか。それもナポレオンの時代にも…」




 目から鱗、と言ったら、大げさだが、そんな時代、しかも西洋でも同じようなことを言っていたと言うから面白い。考えてみれば、70億とも75億人とも言われる地球人は、皮膚の色(人種)や言語、生活習慣や文化の違いこそあれ、その平均寿命は90歳に満たない。むろん100歳を超える長寿者もいるが、世界には平均寿命が50歳、60歳の国だって珍しくないのだ。




 洋の東西を問わず、科学は著しい進歩を遂げ、人々の生活は合理化し、便利にもした。医療だって進歩し、結果的に、それぞれの国民の平均寿命、健康寿命を押し上げもした。しかし、悠久ともいえる宇宙や自然界と比べれば、人間の一生など、ほんの一瞬に過ぎない。




 「今時の若いもんは」。そんなことを言われながら若い時代を過ごし、やがて、その人間が大人になって、また同じことを言う。「柳居子」さんの言葉を借りれば、世界中の人間が同じようなことを繰り返して来たことになる。でも、≪今時の若いもん≫は、その時代、その時代、凄い力を発揮して来たのだ。




 その分かり易い実績が、ITの世界だろう。若い力はITを生み出して、情報化社会を作り、それを、どんどん発展させようとしている。古来、人間は幼年期、青年期を経て大人になっていく。逆から見れば、大人達は自らが歩んで来た道だから、若者のことは何でも分かると思い込んでいる。しかし、IT、例えば携帯電話やスマホ、SNSやLAIN、インターネットなどは、自分たちが歩んで来た道にはなかった。子供たち≪今時の若いもん≫が生み出したものだ。大人達はそれについていけずに四苦八苦。


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 リオ五輪・パラリンピックが閉幕。4年後には2回目の東京五輪・パラリンピックがやって来る。1回目の東京五輪。この時のクライマックスと言ってもいいのは、手に汗握る接戦の末、金メダルを取って日本中を沸かせた女子バレーの日本チーム。河西、宮本…。大活躍の選手がいた。この時、生まれた言葉が「時間差攻撃」、「クイック攻撃」、「フェイント」…。その技は今、巷のママさんバレーチームが当たり前のようにこなしている。アスリートたちの訓練の仕方、指導法も変わった。それを生み出しているのも若い力≪今時の若いもん≫なのである。




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勝負師の言葉

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 かつては現役の勝負師であり、今は若い勝負師の卵をを束ね、育てる立場にある相撲部屋の親方の言葉には、一つ、一つ説得力と重みがあった。そんなことを言ったら失礼だが、決して歴史を重ねた名門部屋でもない高田川部屋の親方と話していて、そう思った。高田川親方(元関脇・安芸乃島関)は、当年41歳だという。私と並べてみてはいけないが、年齢的には、親子に等しい。しかし、残念ながら私の方が«脱帽»だ。言うこと、成すこと、つまり客人への接し方、弟子たちの教育など相撲部屋の管理に関わる考え方。何よりも「なるほど」と思わされたのは、弟子たちに対する愛と鞭の使い分けだ。




 「言葉で分からなければ、ぶん殴ります。蹴とばしもしますよ」


 その一方で、努力や正攻法の結果には、負けても褒めてやる、という。仮に、私なら、弟子が負けて帰ってきたら「しっかりしろ!」と、やみくも叱ってしまうだろう。ところが、この親方は「セオリーにのっとった相撲を懸命に取ったのなら、仮に負けたとしてもいい」のだという。「きちっとした相撲を取ることを覚え、身に着ければ必ず明日がある」と、信じているのだ。「正攻法」、「セオリー」。ある将棋界の師匠からも、そんな話を聞いたことがある。


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 私達お客の世話をしたり、部屋の雑用をしているお相撲さんの顔や、振る舞いを見ていると、一人ひとりが、みんな、あどけなさが残っている。身体こそ大きいが、考えてみれば、みんな10代から20代前半の若者ばかり。そこには、一般に、その年代にありがちな「引きこもり」も、ましてや「いじめ」もない。そんなことをしたら、親方や、おかみさんは絶対に許さないだろう。親方は師匠(先生)であり、かみさんは、お母さんなのだ。




 「ワシらの相撲部屋に入って来る連中は、みんな≪やがては≫横綱を夢見ているんです。でも、この世界・勝負の世界は、そんなに甘いもんじゃない。怪我もすれば、能力の限界だってある。でも、そいつ等を支えてやるヤツがいなけりゃあいけないんです」


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 かつて、お話をさせていただいたことがある高砂部屋の尾上親方・後の高砂親方の、そんな言葉を思い起こした。角界は、いくつもの部屋に分かれた≪相撲一家≫なのかも知れない。親方は、もうとっくに故人となられたが、当時、東京・東十条に大衆向きと料亭風のちゃんこ料理屋を持っていた。




 そこで働いているのは、見るからに若いお相撲さんばかり。厨房で働くのも、料理をテーブルに運ぶのも、みんな大男の若者。可愛いお嬢さんもいなければ、職人技の板前もいない。「ちゃんこ料理」の看板が掛かっているので、なんとなく理解させられるのだが、もし看板がなかったら、誰だって違和感を感ずるに違いない。厳しい稽古に耐えながらもフンドシを外して土俵を去り、浴衣一枚になった若者たちはみんな生き生きしていた。


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 子供の虐待や子供間のいじめ。それを苦にした自殺。私は人権擁護委員を仰せつかっている。そんな事案に直接、間接を問わず、関わることがあるのだが、その解決策のヒントが角界にもありそうに思えた。(次回へ続く)


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相撲部屋の親方と弟子

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 高田川部屋にお邪魔した。大相撲の部屋をお訪ねするのは、若い頃、何度かあった高砂部屋以来だ。もう三十数年前のことで、当時の高砂親方は先代の元横綱・朝潮関。部屋には、後にこの部屋を継ぐ尾上親方(元関脇・富士錦)がいた。尾上親方は甲府市出身。度々の訪問はそんなご縁もあった。


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高田川親方


 今度の高田川部屋訪問は、両国国技館で開催中の大相撲九月場所7日目観戦の帰り道。高田川部屋の親方は、元関脇の安芸乃島関。そこにはやはり甲府市出身の力士・竜電(十両)がいた。そもそもは10月、甲府で開催する地方巡業「富士山山梨県場所」の勧進元を務める方のご配慮。部屋との関わりは自らが竜電の入門に関わったいきさつもあるのだろう。


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竜 電


 IT企業の社長さんで、勧進元を務めるこの人は、恐らく、巡業の打ち合わせも兼ねての国技館行き。«特別席»に座る自分とは別に正面の1等級の升席を私たち夫婦のために用意してくれた。通常4人の升席なのに、デブの私に気遣いもしてくれたに違いない。


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 高田川部屋訪問と、かつての高砂部屋訪問では、全く違いがあった。高砂部屋が朝稽古を見せていただくためであったのに対して、今度は本場所中。しかも、その日の取り組みが終わった夕方。素人の私でもそこにいる力士たちの気分や部屋の雰囲気の違いは分かる。汗まみれ、砂まみれで稽古をする力士たちと、本場所での真剣勝負を終えて、その日の勝敗、取り組みの結果に一喜一憂する力士たちの表情は、違うに決まっている。


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 そんな心の内を隠すように、私達«お客さん»を、ちゃんこ鍋で、もてなしてくれる若いお相撲さんや、それを、わが子のように優しく見守る、綺麗なおかみさんを横目に


 「親方、親方は、いつも、このお弟子さんたちを怒るんでしょうね?」


 「それがワシの仕事なんです。時にはぶん殴りもしますよ。でも、むやみに叱るわけではありません。例えば、負けても基本にのっとった相撲をしたら、褒めてもやります。逆に、勝っても相撲の中身が悪かったら、こっぴどく怒鳴りつけます。何事にも言えることかも知れませんが、基本をわきまえず、ごまかしの仕事をするヤツは、絶対に伸びません」


 「世間では、体罰といいますが、ぶん殴るんですか?」


 「当たり前ですよ。殴られた意味が理解出来なかったり、フクレたりするヤツは、絶対に成長しませんし、第一、この世界から消えて行きますよ…。よく大人たちは≪今の若いもんは≫と言います。100年、200年言い続けて来たし、これからもそう言うでしょう。でも、それは見方、年齢など立ち位置の問題。むしろ今の若者は体力、それに情報を伴う技術力が格段に優れています。大丈夫ですよ。後は気力。これを育てることが肝心ですね」


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 「教育界にも聞かせてやりたいですね」と、言ったら41歳になるという親方は「ワッハッハ」と笑った。


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 話は国技館に戻る。特別な客?が座る「桟敷席」と違って「升席」は、私のようなお酒好きには、うってつけ。飲み放題で、担当の「お茶屋さん」が持って来てくれるお酒や、つまみに舌鼓を打ちながらの観戦が、なんともいい。「お前ら、その裏側(チップなどの配慮)を何も知らないで」。そんな社長さんの«心の声»をよそに、こちらはご機嫌。遠藤など贔屓力士に声援。土俵の上には「満員御礼」の垂れ幕が…。(次回へ続く)


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台風と人災

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 どこの県にも、みんなが認める「英雄」がいる。作為とか無作為にかかわらず、歴史が作り上げたのは間違いないのだが、その存在が大きければ大きいほど、人々に与えるインパクトも大きい。今風で言う「観光大使」の役割をも果たしている。有名芸能人やアスリートのそれとは、桁違いのインパクトがあるのだ。




 わが山梨県では文句なしに戦国の武将「武田信玄」。阪神、宝塚を築き、わが国のインフラ整備に大きな影響を与えた小林一三、彼の影響も受けて鉄道王ともいわれた根津嘉一郎、地下鉄の創始者・早川徳次、軽井沢の基礎を築いた雨宮啓次郎…。根津の後継は誰しもが知る東京スカイツリーを作った。そんなわが国の経済界を代表する人たちでさえ、武田信玄の前には、まさに脱帽。信玄は今から500年も前の人物。甲斐の国を治め、政権取りを目指しての上洛途中、志半ばにして病死してしまうのだが、今、86万人口になり下がった弱小県・山梨の人間たちは「世が世なれば…」と、心の底では少なからず、そう思っている。下剋上の言葉通り、群雄割拠した戦国の時代、どこの«国»の武将たちも同じだろう。


 
根津かいちろう
根津嘉一郎


 そんな英雄・戦国の武将たちが、国を治める政治哲学の基本に据えていたのは、人を治め、水を治め、山を治めることであった。ICT化が急速に進み、情報化社会と言われる21世紀にあっても為政者が持つべき政治哲学は変わっていないはずだ。その哲学を軽んじた結果が人々の争いや自然災害を生んでいる、と言ったら言い過ぎか。山の噴火や地震は別として、水害や、山崩れ、土砂崩れは、まぎれもなく人災だ。山を治め、水を治める努力を怠った証だ。国家100年の計より、政治家たちは選挙、つまり票集めに即効性のある施策に走り、地道に進めて行かなければならないはずの治水対策や治山対策を後回しにする。




 どこかの県では「脱ダム宣言」などという、いかにも予算の使い方の有効性をキャッチフレーズに掲げて東京から乗り込んで当選した«落下傘知事»もいた。結局は県民に愛想をつかされ、知事の座を追われるのだが…。為政者が税金である予算執行の優先順位を考えるのは当たり前。同じ公共事業でも音楽ホールや文化ホールなど、いわゆる「箱物」と、ダムなどの治水対策や山崩れや土砂崩れを防止する治山対策は、根本的に違う。

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 大衆迎合、と言ったら叱られそうだが、国家100年の計ではなく、目先の«人気取り施策»に狂奔していたら、必ず、そのツケは回ってくる。こちらは人間の命や財産を一瞬の間に奪うのだ。私が住むこの地域では子供の頃、台風シーズンになると年中行事のように川(笛吹川=1級河川)が氾濫。洪水となって田畑を流した。今のように重機もない時代だから、百姓は家族総出で大小の石や無数の流木を毎日、毎日片付けた。堤防の決壊ばかりでなく、橋も流れた。いま時ならば、特別災害地域に指定される規模である。




 やがて上流にダムが出来た。洪水はぴたりと止んだ。ダムの水は、傾斜地の灌漑用水となって、サクランボなどの産地化をも促した。下流域の飲料水の安定確保は言うまでもない。今年はなんと台風が多いことか。既に16個を超え日本列島の各地に甚大な被害をもたらしている。水は上から下へ流れる。洪水などの犠牲は下流域の都市部にも無縁ではない。




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同級生の無尽会

飲み会


 「18日会」という。母校・日川高校の気の合う仲間たち20人前後が毎月、18日に山梨市の決まった割烹料理屋で無尽会を開く。「20人前後」と書いたのは、長い間には人数が時に変動する。この歳になれば、癌など病魔に取りつかれる者もあれば、体調を崩す者だっている。ここ数年の間に2人も亡くした。反対に「オレも仲間に入れてくれ」という人だっているのだ。




 同級生だからだろう。言いたい放題、わいわい、ガヤガヤ。とりとめのない話をする。地域柄、果樹づくりの話もあれば、そこにはいない仲間の動向、いわゆる世間話など、さまざま。歳のせいだろうか。健康問題が話題に上ることが多くなった。会場となる座敷は、畳の間だが、一つ、二つ、三つ…。簡易の座椅子を使う仲間が増えた。自分もその一人だ。


畳


 座椅子ばかりではない。全般に酒量も減った。若い頃は«浴びるように»飲んでいた男たちが「もういいよ」と、仲間の、お酌をやんわりと断る光景も。ビールの瓶や酒徳利が山ほど並んだ、ひと頃がウソのよう。




 もう一つの特徴は出席率が極めて高くなったことだ。一次であるか、二次であるかは別に、ほとんどが職場をリタイアしたことが要因。現職と言えば、果樹農家や市議会議員などの政治家ぐらいのもの。なぜか、このグループには、まだリタイアとはいかない弁護士や医者はいない。




 無尽会(講)は「頼母子講」といわれ、江戸の昔、大阪商人の間で盛んに流行した。歴史的には、起源は時代をさらに遡る。商人同士が集まってお金を出し合い、必要な時の資金繰りをしたのだそうだ。そこには「セリ金」という名のみんなへの「還元金」が伴った。

 山梨は、全国でも珍しいほど、無尽会が盛んな県だといわれる。昔はどうであったか知らないが、山梨のそれは、頼母子講、つまり資金繰りを目的にしたものではない。ほとんどが親しい仲間たちのコミュニケーションの場だ。


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 高校や小・中学校、年齢を超えた職場のOBや地域の仲間たち…。その構成や形態はさまざま。お若い方々はともかく、中年以上の人たちなら、一つや二つ、多い人なら四つや五つ、もっと多くの無尽会に入っている人だって珍しくない。私だって少し減った(減らした)が四つの会に入っている。それぞれが、それぞれに違った仲間たちと交流し、それなりに楽しんでいるのである。




 そこでの話題。不思議なことにイデオロギーに絡んだ話は少ない。人間、それぞれが自分のイデオロギーを持っている。いくら親しくても譲れない一線もあるのだ。でも、選挙など、時の動きが話題にならないこともない。中には陣営の幹部的な立場の人間もいるのだが、そこは双方、みんなが«大人»。決して角を立てない。




 無尽会という酒席の夜は和やかに更けてゆく。タクシーや代行車を呼ぶ者、中には奥さんが送り迎えする人も。公共交通機関に乏しい田舎では車という«足»がなければ無尽会に来ることすら出来ない。警察の目も厳しい。間違っても酔っ払い運転はしない。そして1か月後の18日がすぐ来るのだ。歳のせいか一か月が早いこと、早いこと。




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秋の陽

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 秋雨前線が日本列島に平行するように居座って、雨を降らせ、大地を冷やしてくれるのか、あれほど連日のように口にした「猛暑」と言う言葉が列島から消えた。それより、いつの間にか顕著になったのは、一日が短くなったことだ。




 「秋の陽はつるべ落とし」とはよく言ったもの。日の出が遅くなったのはむろん、日没がどんどん早くなっている。午後7時半過ぎまで明るかったひと頃に比べて、少なくても1時間半以上は短くなった。これから、もっと、もっと短くなる。間もなく午後4時半を過ぎれば暗くなる時が来る。




 一方、午前4時には畑に出て農作業に勤しんだ農家だって、そうは行かない。私のような年齢になったリタイア人間でさえ、まだ頭のどこかに時・時間を損したような気分にもなる。あの暑苦しく鳴くミンミンゼミの声は、いつの間にか止み、代わって赤トンボが空を舞う。


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 私が住む山梨市、お隣の甲州市や笛吹市を山梨県では「峡東地方」と呼ぶ。甲府盆地の東部にあたる地域だ。ブドウや桃などの果樹地帯だから、稲作の田圃は見たくても見ることは出来ないが、県の北部、言い換えれば長野県寄りの韮崎市や北杜市、つまり「峡北地方」では稲刈りが始まった。




 コンバインで稲刈りを始めた農家の姿がテレビにクローズアップされると、いやが上にも「秋」の到来を実感する。この地方のお米は主に「こしひかり」「武川米」だが、地域の農協は「梨北米」としてブランド化に成功。結構、広く消費者の人気を博すようになった。




 私たちの地域・峡東地方も、かつては養蚕も含めた米作地帯だった。その頃は、早乙女さんが一列に並んで田植えをする、のどかな田園風景があり、刈り取りも鎌。その後には、「うし」と呼ばれる天日干しの仕掛けが並んだ。農家は刈り取った稲の後に麦を蒔く。米麦二毛作である。今では米作地帯だって一毛作。麦は、ほとんどが米国などからの輸入物。小麦粉は«口が肥えた»日本人の米に対する感覚と違うのだろう。○○産にはこだわらない。




 段々畑の「千枚田」や「棚田」。農村地帯で情緒があって、美しくもあり、人々の心を和ませる光景の一つ。カメラマンなら狙ってみたいアングルでもあるはずだ。視点を変えて、その千枚田、段々畑を耕作している農家にしてみれば、「この阿呆ども」と言うに違いない。逆手にとって、それを売り物にして経済に結び付けるなら別だが、私のような百姓のなれの果てでも、その苦労、現実はよくわかる。構造改善、つまり土地改良を実現し、コンバインで何町歩もの稲刈りをしている光景をテレビで見ていて、千枚田・段々畑との、あまりにも大きい格差・落差を感じた。千枚田・段々畑は、今の日本農業の縮図かも知れない。


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 TPP(環太平洋経済連携協定)。やがて世界経済は一つ、アジアも、ヨーロッパもアフリカもない時代が来るのだろう。現にギクシャクしながらも欧州のほとんどはEUとして動き出している。でも、それぞれが、それぞれの国や地域にあった構造改善・改革をしないと、話はかみ合わないし、所詮は無理な話。




 果樹農家のオヤジ達との茶飲み話でTPPだって話題にも。「俺たちゃあ、TPPなんか、ちっとも怖くないね。あれって、長い間、保護政策下にあった米作農家が騒いでいるだけじゃないの?」。ちょっと短絡的かも知れないが、果樹農家はそんな自信ものぞかせるのだ。




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手鼻と大根の種蒔き

トマト


 キュウリやインゲンの棚は枯葉が目立ち、やはり夏野菜のトマトやナスもひところの勢いをなくし、我が家の畑も夏から秋への衣替えの準備を始める。大きく伸びた雑草を取り、石灰をまくなどして、そのための圃場整備をするのである。石灰はとかく陥りがちな土壌の酸性化を防ぐための散布だ。特に、ほうれん草作りには欠かせない。


インゲン


 うかうかしているとすぐに大きくなってしまうキュウリも、また田舎では「食いっこ生りっこ」と言われるほど次から次へと生るインゲンも、もう形無しだ。「秋茄子は嫁には食わすな」という言葉があるくらいだから、ナスは夏から秋にまたがる野菜なのだろう。ひところの勢いはなくしたものの、まだまだ健在。我が家ではぬか漬けにしたり、煮物や味噌汁の具にしたりして今も食卓に載っている。



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 「秋の陽はつるべ落とし」と言われるように、これから日はどんどん短くなっていく。朝は4時といえば明るくなり、夕方も7時半過ぎまで明るかったひと頃がウソのようだ。まさに「つるべ落とし」。これから急ピッチで日が短くなる。人生の落日にオーバーラップはしたくない。実りの秋への移行と前向きに受け止めている。残暑が緩んで、いつの間にか朝夕は涼しくなった。秋は確実にそこまでやって来ている。

畑


 野良に出て大根の種蒔きの準備をしながら、「手鼻(てばな)」をかんだ。




 「お父さん、汚い事をしないでくださいよ。いつもそうなんだから・・・。まったく・・・」



 嫌々ながらだが、畑仕事を手伝ってくれた女房がいかにも汚いものを見るように、嫌~な顔をしながら言った。「手鼻(てばな)」。都会の方々やお若い方々は見たことも聞いたこともないだろう。鼻の片方を押さえて「ち~ん」とやるのだ。ポケットからテッシュを出して鼻をかむ面倒もないし、第一、鼻をかんだ後、意外とスッキリするのだ。野球選手がフィールドで唾をするのと同じように、見ている側からすれば、お世辞にもいいものでも、褒められたものではない。百姓のフィールドは畑。わが女房よ、ここは大目にね。


キュウリ 


 今はそんな事を言わなくなったが、田舎には「五(御)膳箸」という言葉があった。むすびを食べるのも、漬物を食べるのも箸を使わずに文字通り、5本の指を持つ手で食べるのだ。子供の頃だが、こんな思い出がある。農業の繁忙期ともなれば、朝、学校に行くまで子供たちも親父と一緒に野良に出て仕事を手伝うのだ。夜明けとともに畑に出るのだから朝飯はもちろん畑の中。今のように爪楊枝や箸、ましてやおしぼりなど用意するような余裕も、生活のレベルでもなかったのだろう。何を食べるのも5本の指なのである。


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 のどかなものだった。衛生云々などともいわなかった。それによって免疫を作ったのか病気にもならなかった。ただ、この五膳箸はともかく、私たちのの学業成績は言わずもがな。朝も早いし、畑仕事で疲れているから授業中は居眠りだ。それが高校時代まで続くのである。広い農地を抱えて、そうでもしなければ間に合わない親父の心の内が今ではよく分かる。幸か不幸か、おふくろからも今時の教育ママのように「勉強、勉強」などといわれなかった。しかし、今考えれば、そんな親父やおふくろで良かったと思っている。少しばかりの勉強より大切なものを教わったような気がする。




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ユリと彼岸の餅

ユリ  


 ユリが咲いた。庭の植え込みといわず、畑の隅々といわず我が家の周りには、白く咲いたユリがいっぱい。近所の人達が「ユリ屋敷みたいですね」というほど、あっちこっちで花を開いているのである。7月から咲いている百日紅(さるすべり)の赤い花や鉢植えのサフィニアの赤と見事なコントラストを見せている。まるで「泣かなければ損」とばかり鳴く蝉がゆく夏を惜しんでいる。そんな季節の変わり目を見守るように、おっとりと白く咲くのがユリの花だ。


サフィニア  百日紅  百日紅2


 一口にユリと言っても我が家のユリは、テッポウユリタカサゴユリらしい。「らしい」と言ったのは、私には確たる知識がないからだ。花の形を見る限りその区別はつかないが、この二つは背丈が全く違う。50cmぐらいのテッポウユリに対して、タカサゴユリは1・5mから2m,大きいものでは3mにもなる。肥料の関係もあるのかもしれない。まるで突然変異でもしたかのようだ。因みにタカサゴユリの原産地は台湾。「台湾百合」というそうだ。



ユリ2



 どちらもラッパのような花をつける。背丈の違いがあるにせよ茎は案外しっかりしていて、下から上まで茎から放射線状に細長い葉をつけ、葉は下のほうは水平に、上に行くに従って斜めになるのだ。白濁色の花弁を落とすと、その跡に出来る筒状の鞘の中にいっぱいの種を宿す。この種が冬の空っ風に煽られて周囲に飛散するのである。


百合3



 我が家のユリ屋敷は、こうして出来たもので、種を蒔いたものでもなければ、球根を植えたものでもない。春から夏にかけての雑草取りに巻き込まれて犠牲にならなければ、ユリはもっともっと増えるはずだ。可憐な花だが、逞しい繁殖力を持っている。




 美人を形容する言葉に「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」というのがある。そんな美人にはそうそうお目にかからないが、その反対の「立てばビヤダル、座ればたらい、歩く姿はドラム缶」。そんな女性は身近にもいる。そんな事を女房に言ったら、やっぱりオカンムリ。「それはお父さんのことよ。失礼しちゃうわ。まったく・・・」。女はいつまでも、そしてこともあろうに自分は百合だと思っているから面白い。


百合



 ところで芍薬と牡丹。似ていて非なるものである。「立てば芍薬」というように芍薬は枝分かれせずに真っ直ぐ立つ。これに対して牡丹は「座れば牡丹」というように横張り樹形の小低木だ。二つとも我が家にあるのだが、中でも芍薬は繊細。根の周りをいびったり、踏み荒らしたりしたら花をつけないのだ。周りの雑草をかじったりするものだから、花を咲かせてくれない。牡丹はお隣中国の国花。似て非なるこの二つは、ともに漢方薬に使われる。牡丹にはさまざまな別名があって「花王石鹸」の「花王」もその一つである。




 暑い、暑いと言っているうちに間もなく秋の彼岸がやってくる。春秋の彼岸につき物が牡丹餅(ぼたもち)御萩(おはぎ)。この二つの違いは諸説ある。その一つは字の通り春がぼたもち秋がおはぎ。この二つにはあんこがつくのだが、このあんこがまた違う。春のぼたもちであるのに対して、秋のおはぎこしあんなのである。これにも諸説あって、あんの原料の小豆の収穫期に起因する説が有力だ。小豆が柔らかい春は粒あん、硬くなる秋はこしあんというわけだ。私はお酒が好きなくせにぼた餅も大好き人間である。

餅

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草食人間

風景


 民族を大別してよく言われるのが狩猟民族農耕民族。この分類からすると私達日本人は農耕民族だといわれる。ただ、農耕に対比する言葉は狩猟ではなく、牧畜だという分類が正しそう。農耕民族は土地への執着が強く、それとは対照的に牧畜の餌を求めて移動を余儀なくされる牧畜民族は、当たり前だがへ執着する。




 一方、動物を大別すると、肉食草食に分類できるのだろう。こちらの分類は分かり易い。体の部分的な構造が明らかに違うからだ。哺乳類で見た場合、ものを食べる歯の形が違うし、はっきり違うのは目の位置である。例えば、ライオンやハイエナのように肉食動物の目は正面についているし、馬や牛のように草食動物は横についている。肉食の奴らに狙われた時の危険察知に備えて視界を広くしている。足の爪だって違う。肉食の爪は前足に鋭いものを持ち、草食のそれは蹄を持っていて、長距離を走る、つまり敵から逃げる備えを持っているのだ。

ライオン   牛

 

 

 農耕民族と狩猟民族はともかく、肉食動物と草食動物では明らかに逞しさが違う。草食動物は肉食動物に狙われる立場にあり、うっかりしていると食われてしまう。サファリなど大自然の中では食うか食われるかの闘争を繰り返しているのである。そんな動物界、自然界を例えたのだろうか、最近「草食人間」などという言葉がよく言われるようになった。主には覇気や闘争心のない男達、また転じて異性の女性に興味を示さず、結婚などにも関心を持たない若い男性たちのことを言うのである。

うさぎ

 私が歳を取っているせいかもしれないが、この言葉はいい得て妙。お若い男性からお叱りを受けることを覚悟して言えば、確かにそんな若者が増えている。何も男性中心のものの考え方をしているわけでもないし、男性社会を標榜しているわけでもないが、覇気をなくした男性があまりにも目に付く。同じ世代の若者達がいるとする。そこでリーダーシップを取るのはおうおうにして女性のことが多い。それが生まれてもう久しいが「アッシー」などという言葉が現代若者像を物語っている。




 先頃、子供キャンプに加わった時の茶飲み話で、たまたま私と同世代のスタッフの一人が子供たちを横目にこんなことを言った。




 「今の子供たちは男の子より女の子の方が元気があるよなあ。男は男らしく、もっと覇気を・・・」

女の子


 ここまで言ったら隣にいた女性がすかさず口を挟んだ。もう60歳に近いベテランの女教師である。




 「男だから、女だから、かくあるべき、というのはおかしい。私は双方を人間と観て、その結果が男だったり、女だったりするんです.。そう考えなければいけません」

子供たち


 私は頓珍漢かもしれないが、最近よく言われる「ジェンダーフリー」という言葉を思い起こした。とにかく、教育界の中に、この女教師の言う考えがあることは間違いない。男と女の概念も時代とともに変わってくるのだろうか。でも男と女は構造的にも違うし、だからこそ男性は女性をいたわる心を持たなければいけないと思っている。

 



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やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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