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ハンコの行方は?

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The sankei newsより


 今、山梨県の南部にある市川三郷町の一角・六郷地区(旧六郷町)は戦々恐々だろう。それを反映するように県知事や県議会も動き始めた。同地区は知る人ぞ知るハンコの産地だ。菅内閣の誕生をきっかけに突然のように表面化したハンコ行政の廃止論。行政改革の一環で、河野行政改革担当相は本気だ。これに対して県も議会も黙っている訳にはいかないのだ。




 行政からハンコが締め出されたら、当然のことながら、それが民間にも波及することは必至。伝統の日本のハンコは消えざるを得ない運命に晒されるのである。そんなことを言ったら、業界の方々に叱られるどころか、袋叩きにされるだろうが、デジタル化の時代、ハンコでもあるまい、と思うのはハンコの生産県といえども私だけではあるまい。それが証拠に、長崎幸太郎山梨県知事の反論も、もう一つ歯切れが悪い。「ハンコの文化は守って行かなければ…」。これには、誰もが共鳴してくれるだろう。ハンコの歴史は明治以降続いたのだ。




 旧六郷町は古くから「ハンコの町」として栄えた。特に通販(通信販売)を真っ先に試みた。「越中富山の薬屋さん」が、我が国の「訪問販売」の草分けなら、「通信販売」の元祖はその六郷町のハンコ。今では食品にしろ、衣類や書籍など全ての商品が通信販売によるところが多い。旧六郷町のハンコは、その草分けだったのである。




 元々、山梨の地場産業はワインと水晶宝飾。今では観光地となっている御岳昇仙峡一体の山が水晶の原産地であった。水晶の発掘は、やがて底を突き、輸入原石の加工に変わって行った。その頃、業界は大きくは水晶研磨など宝飾とハンコへの加工に分かれたという。


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 当時、ハンコの材料が水晶であったことは言うまでもない。この二つは、水晶宝飾が、それまでの甲府を中心に、一方、ハンコは峡南地方と呼ばれる六郷町を中心に根付いた。リーダー的な存在が、その地方の人だったことは容易に想像できる。むろん、ハンコの産地は旧六郷町に限ったことではなく、下部町(現身延町)など周辺の町にも広がった。




 静岡を経て駿河湾に流れ込む富士川を挟んで向かい側の中富町(現富士川町)や旧六郷町の隣町・旧市川大門町(現市川三郷町)は、これも我が国を代表する「和紙の町」。市川大門町は「花火の町」でもある。いずれも家内工業として地味ながらも栄えてきた。花火は富士川の支流・笛吹川で関東甲信でも有数の「神明の花火大会」を作り上げた。

神明の花火大会
神明の花火大会


 前にも言ったが、考えてみれば、ハンコの功罪を今さら言うのは遅いのかも。ICTの進歩で、世の中、デジタル化やweb化はどんどん進んでいるのだ。ハンコの産地であり、通信販売の元祖の山梨県に住みながら、そんなことを言うのは少しばかり気が引けるが、ハンコ、ハンコの時代ではないことだけは確かだ。




 何日か前の新聞に環境副大臣・堀内詔子氏のハンコ業界擁護のコメントが載っていた。旧六郷町は選挙区だから、その擁護発言は止むを得まい。その前に小泉進次郎環境大臣はハンコ行政にノーを宣言していた。堀内氏に対する記者たちの«いじわる質問»?が目に浮かぶ。




 いずれにしても時代の流れの中で、山梨のハンコ業界は追いつめられる立場であることは間違いない。でも政府が言うハンコからの転換が簡単に進むとは思えないことも確かだ。





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暑さ寒さも彼岸まで

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 「お父さん、炬燵、入れましょうか…」


 「バカ言え、まだ9月だぞ」




 猛暑、猛暑…。あの暑さ、猛暑は何処に行ったのだろう。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだ。ひと頃、この分では、今年は彼岸を過ぎても暑さは収まらないのでは、とさえ思っていたのだが、よくしたもので、自然は大きくはリズムを狂わすことはしなかった。




 気象庁が大雨と日本列島上陸を予想した台風12号は、列島の東側に逸れて、これといった被害もなく済んだ。でも、いつもの「台風一過」とはならずに曇天が続いた。




 今度の台風は、ちょうど彼岸を挟んで日本列島に迫った。«お彼岸台風»である。台風一過とならなかったのは、折しもやって来た秋雨前線の影響だそうだ。気象音痴のオジサンに詳細な原因を説明できるはずがないのだが、兎に角、彼岸を境に気温は、ぐ~んと下がった。

 こたつ

 ついこの間まで30度を超さない日はなく、34度、5度、時には39度を超して40度に届きそうな時もあった。それがアッという間に20度台の前半に。女房に言われるまでもなく、本当は炬燵が欲しい。ただ、今から体を炬燵に慣らしてしまったら…と、我慢しているのに過ぎない。




 地球が丸ごと変わっちまうのか。春と夏の区別がつかないほど気温が上昇したり、そうかと思えば、各地に「集中豪雨」という名の大雨を降らせたり…。かつてはなかった竜巻も珍しくなくなり、列島のあっちこっちで頻発する地震も不気味だ。米国ではドでかい山火事も。テレビ報道によれば、山火事は麓の街まで焼き尽くしているのだ。




 気温の上昇はこの辺りの果樹農家にも致命的な影響を与えようとしている。例えば、サクランボは山梨が南限。ところが、気温の上昇で栽培適地は北上して行くことは必至。農家は「やっと産地化を実現したのに」と、先を見越して恨めしそうだ。




 春夏秋冬、一年が経つのが何と早いことか。みんなが顔を合わす度に、「暑い、暑い」と悲鳴にも似た声を上げていたと思ったら、いつの間にか涼しい秋が。恐らく、それも束の間。今度は「寒くなりましたねえ」と言葉を交わすうちに一年が終わるのである。

カレンダー


 このリズムが年々早まるように感ずるのは歳のせいか。それとも現役時代のように一日、一日を大切に生きていないためか。特に今年はコロナ禍にあって外出が何となく憚られることもあって一日の生活にバリエーションを欠くことが多い。変化に乏しいせいで、三度の飯の間隔が縮まるようにさえ感ずるのだ。




 1日は24時間、1週間は7日、1年は365日。時間のサイクルは少しも変わっていないのに、人間が受け止める「時間感覚」はさまざま。それぞれの生活環境や心の持ち様によって異なるから不思議だ。確実に言えるのは一日一日が充実していれば、一日や一年が長い。それが証拠に眠ってばかりいたら、一日は知らぬ間に過ぎ去ってしまう。




 ただ、人間、一生の持ち時間はみんな異なる。100歳、それどころか100歳以上も生きる人もいれば、若くして人生を閉じる人もいる。そのこと自体は「宿命」だから仕方がない。大切なのは一日、一日を大切に生きるかどうかだ。そこには当然、暑さも寒さもある。




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進むジェンダーフリー

学校

 オンボロの木造から鉄筋に変わって久しい校舎の中央から放射線状に張られた万国旗。その下で元気いっぱい跳んだり、跳ねたりする子供たち。コロナ禍の影響はさて置いて、この二つを除けばみんな様変わりしていた。厳密に言えば、子供たちもだ。グラウンドに並ぶ子供たちの数は、へえ~と思うほど減った。少子化の波は容赦なく学校を襲っていた。

おとこのこ
 地元の小学校の運動会に招かれた。この学校は、今は山梨市立の小学校だが、旧村時代からの伝統校。100年以上の歴史を持つ。女の子の児童会長が持つ校旗を先頭に入場行進、グラウンドに整列した児童たちを前に、まずは校長先生が挨拶する。




 「今年はコロナ禍での運動会。でも、みんなで思う存分、運動会を楽しみ、沢山の思い出を作ってください」




 児童の数ひと頃の3分の1、4分の1、私たちの時代に比べれば7分の1,8分の1にも減っていた。全校でたったの30数人だから、一学年5人ちょっとの勘定だ。入場、整列、そして全てのプログラムは全校児童を紅白に分けての対抗戦。1年生から6年生までの男女をほぼ2等分しているのである。




 おやっ、と思ったのは児童の運動着男の子も女の子もみんな同じなのだ。よく見ないと男の子なのか女の子なのか区別がつかない。もちろん靴もそうだ。女の子の運動着として長い歴史を刻んだ≪ブルーマ≫は、とっくに姿を消していた。紅白チームの区別は裏返しで被れる帽子の赤と白の識別だけ。もう一つ、各種の児童紹介のアナウンス。男の子も女の子も全て「○○さん」。かつての男の子の呼称「○○君」は学校から消えていた。皮肉な言い方をすれば、無理やり?男女を平等に。


体操着

 そうか、ジェンダーフリーと言うヤツか。ふと、何年か前、奥秩父山塊の一角で開いた子供キャンプの折、スタッフの一人でもあるベテラン女教師が言った言葉を思い出した。




 「人を男とか女で見るのではなく、まず人間としてみて、結果的にそれが女であったり、男であったりするんです。初めから男と女を区別してはいけない」



男の子           女の子

 改めてインターネットで「ジェンダーフリー」を検索してみた。どこで、どなたが書いているのか分からないが、あるある。運動会で見た光景の全てが事細かく書いてある。学籍名簿の男女の区別はもちろん、ランドセルの赤、黒の色に対する疑問まで。「男女」を「女男」とも置き換えているのである。正直言って、私にはどうしてそこまでしなければならないのか分からない。



ランドセル

 一方、なぜかホッとしたのは競技に入る前の準備体操。「ラジオ体操第一」だった。昨年は確か、見事に振り付けしたストレッチ体操だった。子供たちの競技や演技を見守るグラウンド周囲の父兄席はスマートなアウトドア用のテントが。座席も茣蓙(ゴザ)ではなく携帯用の椅子だ。 そこでのお父さんやお母さんはビデオカメラで可愛いわが子の姿を追っていた。




 変わらないのは本部テントに隣接して設けられた来賓席。各地区の区長や市教委、PTAや老人クラブ、各種行政委員などの代表が並んでいる。その顔ぶれは変わっても肩書き中心の大人たちのやり方は変わらない。いつしか自分もそんな所に座っていた。

 今年はコロナ禍を反映して、市議会の代表を来賓から外したり、来賓の挨拶は市長を除いて、全てカット。何より、プログラム自体を午前中で終わりに。よく考えたら、運動会の定番・万国旗もなかった?それは兎も角、子供たちの一挙手、一投足、元気いっぱいの競技がコロナ禍を吹っ飛ばしていた。でもマスク姿の競技が、やっぱりコロナ禍の運動会を強烈に印象付けていた。

 来賓紹介の時、こちらから「おはようございます」、「頑張ってください」とやると、その都度、返事が返って来る。オープニング行事の太鼓演奏や、競技の合間に盛り込んだ「ソーラン踊り」も息の合った演技が。全校が一つにまとまっていた。小規模校ならではか。子供たちの眼がいい。そこには大規模校も、小規模校もない。




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秋の朝顔

朝顔

 「恐れ入谷の鬼子母神」

 日常会話の中でもよく使われるフレーズだ。「恐れ入った」「まいった」。そんなタイミングで使う平たい言葉である。江戸時代、ある大名家の奥女中が腰に腫れ物が出来た。そこで入谷の鬼子母神に願掛けしたら見事に治った。このことを狂歌師・太田蜀山人が「恐れ入谷の・・・」と洒落たのが江戸っ子に受けて流行ったのがこの言葉だという。江戸の中期のことだそうだ。本人は意識してはいないのだが、麻雀でヤクマンを振り込んだ時などにしばしばこの洒落が出る。麻雀はともかく、日常のさもない言葉としても定着したのである。


朝顔3


 東京・入谷といえば朝顔市。江戸時代から続くという、この朝顔市はちょっと知られた東京の夏の風物詩だ。風流を愛し、それを気風とした江戸庶民にとどまらず、今も近郷近在から善男善女が集まる。時代とともに減っていく縁日の風景がそこには残っているのだ。そんな所に行くと、あくせくとした日常がウソのよう。異次元の世界に居るような気分になるのは私だけだろうか。


朝顔4

 朝顔は俳句では夏の季語。入谷の朝顔市もそうだし、打ち水をする庶民の軒先と朝顔はよく似合う。一首ひねり出したくもなる光景だ。ところが彼岸の中日も過ぎた今、山梨の我が家では、この朝顔が満開。満開というより次から次へと咲くのである。それも直径13cm~15cmもある大輪だ。色は水色がかった紫。深紅にも見える。


朝顔2

 何年か前、親しい友達からいただいた園芸用の小さなポットに植えつけた苗・6~7本が毎年、我が家の敷石の下のにもぐりこんで冬を越し、時季には弦を伸ばして花を咲かすのである。朝顔のつるは空に向かってどんどん伸びる。その逞しさはすごい。竹の棚の頂上まで伸び、その先、行く先を失うと今度は垂れ下がるのだ。そして9月のはじめ頃から一輪、二輪と花を開き始めるのである。


蝶1    蝶2

 開花期は入谷の朝顔市からすれば2ヶ月以上も遅い。開花の時期もさることながら見事な大輪は我が家を訪れる人達の人気者。「是非、種を・・・」という。ところが、この朝顔、どこにも種らしい種を付けないのである。葡萄園の片隅で支柱に這い登るようにして咲く野生の朝顔は、前の年、自らが落とした種に逞しく花をつける。私に朝顔の苗をくれた友達も、どこからかもらって来たのだが、その仲間も「企業秘密」なのか、育成の仕方を教えてくれないという。




 朝顔とは不思議な花。桜のように満開に咲くのではなく、一輪、一輪、飛び飛びに咲く。だから風情があるのかもしれない。戦国の世、あの千利休は幾つも花を咲かせる朝顔を一輪だけ残して、全てを摘み取り、見物の秀吉を迎えたという。有名な話だ。千利休はきっと一輪の朝顔に茶の心を写したかったのだろう。


庭

 とにかく次々と花開く朝顔を横目に7月から咲いていた百日紅(さるすべり)は、さすがに勢いをなくし、紅い花をどんどん落としている。我が家の秋もどんどんと深まっていく。因みに朝顔の花言葉「愛情」とか「あなたは私に絡みつく」だそうだ。




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若者たちのグローバル化

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 長期政権を誇った安倍政権は終焉を告げ、菅政権へと移行した。菅内閣は「コロナ対策を最重要課題として取り組む」という。確かに「フレッシュ」などと、新内閣の顔ぶれに新鮮さを求めること自体、不自然な現実がある。




 中国・武漢に端を発したコロナウイルス感染症は、あっという間に地球を丸ごと席巻。世界中を恐怖と、混乱の渦に叩き込んだ。感染のスピードは信じられないほどの速さで、その数はむろん、死者の数も依然として、どんどん増大しているのだ。


 


 今や、幼い子供からお年寄りまで、「コロナ」という言葉を知らない人間はい。だれもが感染予防のためのマスクが当たり前になった。日本ばかりではない。毎日のように報道されるテレビの映像にも世界中のそれが反映されている。


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 地球は小さくなった。コロナウイルス感染症の地球規模の拡大は、世界のグローバル化の象徴にも見える。ICTの進化による情報共有はむろん、人々の国を跨いだ往来が活発である証左だ。サンダル履きで海外旅行する人たちが、帰国と一緒にウイルスを持ち込む。それを自国内にばらまく。感染されたことに気付かず、その人たちが、また外国へ。そんな輪廻が世界中で繰り広げられて、ネズミ算的に地球規模の感染拡大の図式を作ったのである。


 


 グローバル化の一端はこんなところにも。先頃、甲府市で「高校ユネスコ主張大会」が開かれた。山梨県高等学校芸術文化祭実行委員会が主催、同県高等学校ユネスコ連絡協議会や同県国際交流協会が共催して開いたもので、規定部門(11人)と自由部門(18人)の合わせて29人が主張を競った。規定部門のテーマは「国連創設100周年の2045年、よりよい未来を迎えるための提案」。11人の代表は「もし私が国連の事務総長だったら」とした上で「持続可能な開発目標(SDGs)達成のためにこうする」などと、さまざまな視点で論陣を張った。




 自由部門の主張は多彩だ。世界の各地で深刻化している食糧問題や貧困を論ずる人もあれば、エネルギー問題、黒人差別の撤廃やジェンダー平等の実現、さらには「同性愛婚を認めるべきだ」という主張や「LGBT」と真正面から向き合う主張も。同性愛やLGBTを真剣に論ずる若者たちにジェネレーションギャップを感じもした。兎に角、自分たちの身の回りの事象に留まらず、世界を見据え、その流れをしっかりと捉えているのだ。

 コロナ禍。むろん、発表者も、すべての参加者がマスク姿だ。


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 審査は、同大会を長年後押ししている山梨県ユネスコ連絡協議会と、その加盟協会(団体)の代表。県国際交流協会の代表や事実上の主催団体と言っていい県高校ユネスコ連絡協議会も、その役割を担った。高校ユネスコの代表(会長)は北杜市立甲陵高校の校長。熱心に高校ユネスコをリードしている。私も県連の立場で、審査の一翼を担わせていただいた。





 大会は昼食をはさんでの日程。審査員は昼食を取りながら意見を交換。そこでは一様に高校生たちの国際感覚に舌を巻いた。内在する国際問題を、それぞれの感覚で捉え、グローバルに向き合う姿に感動すらした。出場者の中には留学を終えた帰国子女も。



 「今時の若者」。この言葉の裏にはマイナーな捉え方が忍んでいるのだが、いやいや、とんでもない。若者たちは、あるべき世界の未来を極めてグローバルな視点で見ているのだ。日頃、新聞などもよく読んでいるだろうし、インターネットなどSNSも情報ツールとして上手に活用していることが分かる。

 規定部門の山梨県ユネスコ連絡協議会会長賞のUさん(日本航空高)は、10月24日の「第67回国際理解・国際協力のための主張コンクール中央大会に山梨県代表として出場。一方、自由部門は、芸術文化祭賞のSさん(甲陵高)と優秀賞のKさん(甲府西高)は和歌山県で開かれる「第45回全国高等学校総合文化祭」に出場する。







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ブランドと烙印

ブランド

 ルイ・ヴィトン、シャネル、エルメス・・・。日本の若い女性や奥様方が時として目の色を変える、いわゆるブランドだ。私のような無粋な田舎者でも知っている、この「ブランド」という言葉。実は「烙印」という意味もあるのだそうだ。「ブランド」と「烙印」。この二つの言葉のイメージは180度違う。その落差が面白い。




 面白いといったら叱られるが、もう10年ぐらい前のことだったか、マスコミが大騒ぎした事件があった。その騒ぎっぷりが半端ではなかったから、今でも頭の片隅に記憶として残っている。タレント酒井法子の薬物事件だ。世代が違うオジサンだって知っていたアイドルタレントは一転、犯罪者に。言ってみればブランド物のアイドルには、蘇えることが出来ない犯罪者という烙印が待っていた。



酒井法子

 確か「のりぴ~」が愛称だった。逮捕以降、40日間、来る日も来る日もあんなに執拗にテレビでやられたら本人はもちろん、関係者はたまったものではなかっただろう。いくらアイドルタレントだからといって擁護するつもりもないし、罪を犯した人をかばうつもりもない。でもテレビはやりすぎだよなあ~、と思ったのは私だけではなかったはずだ。



 コロナ騒ぎとよく似ていた。朝のモーニングショーから始まってテレビは一日中この人の話題。うんざりしてチャンネルを替えれば、そこもまた同じ。平均的な日本人というか、たわいもない女房なんか「お父さんねえ、酒井法子のお父さんは○○だってよ」と、言うほど。関係のないことまで、何でもかんでも興味本位?で暴き立てる。こんなことを思い出したのは、そんなテレビのやり方がが10年前と全く変わっていないからだ。変わらないどころか、むしろ、どんどんエスカレートしている。 



取材

 テレビは怖い。何も一生懸命見ているわけでもないのに当時、酒井法子に関する情報はいやがうえにも頭の中に。ジェネレーションの違いというか、普段、関心もなければ、ましてや知識もなかった私でさえ大抵のことは知った。映像は繰り返し見ることによって人間の頭の中に残像として焼き付けるのである。





 「日本中が注目した酒井法子被告が只今、湾岸警察署を出てきました。酒井被告が・・・」
酒井被告が500万円の保釈金を積んで釈放された日、現場中継のレポーターは、半ば興奮気味に、こう繰り返した。テレビにはずらりと並んだカメラが。前日から徹夜で待ち構えたという報道陣の数も半端ではなかった。その数は200人を超えたという。


記者会見  


 絶叫にも似たレポーターの「日本中が注目した・・・」に首を傾げた。果たして日本中が注目していたのだろうか。過剰、執拗とも思える報道で無理やり「注目させた」のはテレビ自身だったのではないのか。そう思ったのは私だけではなかったはずだ。釈放後の記者会見が終われば、スタジオでは心理学者まで呼んでコメンテーターの先生方が謝罪会見の表情やそこで流した涙まで分析して見せる。果ては会見が済んで病院に向かうという酒井被告の車をヘリで空からも追いかけるのだ。初めての人なら「何事が起きたのか・・・」と仰天するに違いない。





 一国の総理や大臣だからやむを得ない、と言ってしまえばそれまでだが、文字の誤読を鬼の首でも取ったかのように、これまた繰り返し何べんも。総選挙となれば「政権の維持か交代か」と。一年内には総選挙がある。私達はマスコミのペースにどんどん引きずり込まれていくのだ。そして知らず知らずに自らも評論家に…。居酒屋での酒飲み話も実は評論家先生の受け売りだったりするのである。テレビ文化がもたらす≪一億烏合の衆≫と言ったら叱られるだろうか。どう考えてもテレビは怖い。 




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法事とカラオケ

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 墓地改修の竣工とそれに合わせたご先祖の法要に招かれた。「思い切って墓を直すことにしました」と言う知人は80歳を超えた。息子さんに家業の自動車整備工場を委ね、事実上、隠居の身になったこの人は、やがて誰もが通らなければならない≪行く末≫をも考えたのだろう。秋の彼岸を前にした墓地の改修だった。



 「極、内輪の披露と法事に留めたんですよ」


 この人は、招待者を家族のほかは、兄弟夫婦と極めて親しい友達だけにしたという。墓地の新設や改修は春秋の彼岸に合わせるのが、どうやら慣例のようだ。どの墓地を見ても石塔の裏側には「○○年 秋(春)彼岸 ○○建立」と刻んである。


墓

 出席者は菩提寺の本堂でのご先祖の法要に臨んだ後、改装なった墓地に詣でた。線香を手向け、手を合わせる。そして会場を替えての「おとき」の席と続くのだ。挨拶は「おめでとうございます」でいいのだが、みんな、さすがにその言葉は、ちょっと言いにくいらしい。しかし、おときの席は七七忌や一周忌のそれと違って明るい。法事につき物のある種の暗さはなかった。


花

 墓地の改修、新設などが人ごとではない年齢になったのか、仲間達の酒席で、この話が話題になった。建設費用、お寺さんへのお布施、招待者。みんな身近な話題と受け止めているようだった。その中の一人がこんな話をした。


菊

 「昨年のことだが、叔父の一周忌に招かれた。これが面白いのだ。カラオケのどんちゃん騒ぎとまでは行かないまでも、賑やかな法事だった」





 その友人氏によると、みんなかしこまって、ご仏前に献杯した後、施主である故人の奥さんが、こう挨拶したという。



 「故人は根っからの明るい性格で、お酒が好き、カラオケが大好きでした。今日はそんな、在りし日の主人を偲んでいただくためにも存分に飲み、存分に歌ってください」




 かしこまって、うつむき加減に座っていた招待者は、途端に開放されたかのように賑やかに。やがてカラオケが始まったという。故人の「十八番」や物まねも。もちろん拍手喝さいも。おときの席は、まるで場違いのように盛り上がった。コロナ禍の今年なら考えられない光景だったという。法事の後のおときの席といったら、美味しそうなお膳を前に、みんな神妙な顔付きで座っている、と言うのが一般的だ。




 上手な挨拶、泣かせるような挨拶に、一瞬、拍手しそうになって、その手を照れくさそうに引っ込めた経験をお持ちの方もお出でだろう。法事の雰囲気とは、また誰とはなしに作り上げてきた概念なのかもしれない。


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 でも、待てよ。カラオケで賑やかに故人をしのぶ法事だってあってもいい。むしろ、その方が故人の供養になるはずだ。2時間前後を、暗い表情でお膳に向かい、お隣との会話も声を落とす。そんな習慣はやめたらいい。お酒を飲みながらの仲間達の共通意見だった。しかし、いざとなると、やっぱり出来ないのが、この法事の席なのかもしれない。





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日常生活の鏡

蛸


 「たこ」。一口に「たこ」と言ってもさまざまだ。大空を地上からの糸に引っぱられて果敢に舞う「凧」もあれば、大空とは反対に、海の底で外敵に追われれば真っ黒い墨を吐いて逃げる「蛸」もいる。また、その人の生活習慣の証のように手足など身体の一部に出来る「胼胝(タコ)」だってある。





 お正月の風物詩でもあった凧揚げは、今ではすっかり影を潜め、その一方で静岡県浜松市のように子供たちの健やかな成長を願って大々的に繰り広げる凧揚げもある。遠州灘の砂丘を舞台に繰り広げる、この凧揚げ祭りは爽快だ。誰もが一度は見てみたい行事の一つだろう。


凧揚げ


 花より団子。「たこ」は「たこ」でも「蛸」は食べられる。酢蛸もよし、生の刺身で食べる蛸も旨い。あのたこ焼きには欠かせない具にもなる。祭りや夏の縁日で食べる、たこ焼きは格別だ。子供の頃は、ねじり鉢巻をしたオジサンが、今の年になったら屋台の活きのいいオニイサンさんが売ってくれるたこ焼きは、祭りや縁日には欠かせない味の一つ。都会の街角でのたこ焼き屋さんも街ゆく人達と見事に息が合う。


祭り


 一方、同じ「たこ」でも「胼胝(タコ)」は風情もなければ、味もそっぺもない。OLのかかとに出来る靴擦れのタコのように邪魔者であり、無用の長物だ。しかし、見方を変えれば良くも悪くも、その人の人生の証かもしれない。ちょっと大げさなモノの言いようかもしれないが、そうなのだ。例えば、畳屋さんには肘に、大工さんには手に・・・。およそ職人と言われる方々には、身体のどこかに、この「胼胝(タコ)」がある。考えようによれば、これほど尊いものはない。その人の生き様であり、年輪なのだ。


手


 私にも三箇所にタコがある。いずれも右手。その一つは麻雀タコだ。職人さんの尊いタコと一緒にしたら叱られる。「良くも悪くも・・・」と書いたのはそのためだ。学生時代の4年間、サラリーマン時代の40年間、そしてリタイア後の現在まで、ざっと50年間のろくでもない男の証なのである。言い訳のようだが、職人さんたちに失礼なので繰り返しておく。自慢のできるシロモノではない。


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 胼胝(タコ)というものは、同じ習慣を繰り返していれば、成長するのである。場所によっては邪魔になる。私の場合、右手の中指の第二と第三の節に出る。大きくなるので時々、爪切りで削り取るのである。その手を見て女房は、馬鹿にし、あざけるようにこう言う。




 「どこで死んでいてもこの手を見れば麻雀好きの人間とすぐ分かりますよねえ」



 あと二つのタコは、若い時のペンダコと勤めをリタイアした後に出来た農作業によるタコ。時代が一変、今はパソコンだからペンダコなんか出来っこない。そんなものを見せたら「オジサンはいつの人?」と笑われるのがオチ。自分だって今はこうしてパソコンを叩いている。自らは心の底では勲章と思っているペンダコもやせ細る一方だ。もう一つ農作業でのタコは、鍬や立ち鉋を使うからで、こちらはどうやらまとも。野菜作りが主で、ささやかな汗の結晶である。でも我が家の経済にはそれほど結びついてはいない。


トマト            畑



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大きさを増す女房の座

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 「わたしゃあ、あなたのお母さんじゃあありませんよ。まったく・・・」

 時々、女房ははき捨てるようにこう言う。風向きによってご機嫌斜めの時だ。世の中の半分を占める女性の皆さんにバッシングを受けることを覚悟で言えば、女というものは単純なものだと思っている。わが女房だけかもしれないが、とかくその時の感情だけでモノを言うのだ。





 しかし、このことに限れば、女房の言う通りだ。確かに、女房は私のお母さんではない。女房を「お母さん」と呼び始めたのは何も今に始まったことではない。恐らく一人娘が生まれた頃からだろう。もう50年近くになる。我が家ではそれが定着したかのように普段は「お母さん」で通っているのだ。




 そういえば、私が女房を「お母さん」と呼び始めた頃、おふくろがキョトーンとした顔をしたことを今でも覚えている。逆算すれば、おふくろはその頃、50台も半ば。息子が嫁を「お母さん」と呼んだのには、違和感を覚えただろうし、面食らったに違いない。よく考えてみれば、そういう私は娘が生まれて、子供を中心の家庭を無意識のうちに考えたのかもしれない。待てよ、「わたしゃあ、あなたの・・・」と言う女房だって私のことを「お父さん」と呼んでいる。


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 嫁と姑。古くから、確執の代名詞のように言われてきたが、私が見る限り我が家にはそれがなかった。おふくろは若い頃からなぜか隣近所で起きる嫁、姑間のトラブルの調整役をすることが多かったせいか、その徹を踏んではいけないと、女房に一定の気配りをしていたことも事実だろう。女房との喧嘩や諍いは、後にも先にも見たことがない。しかし女房にしてみれば姑であることに間違いないし、おふくろもそれを意識していただろう。


嫁姑  

 人間、当たり前のことだが、それがいつの間にか逆転するのである。それがいつ頃であったかは定かではない。一つ言えるのは、おふくろ自身が老いを感じ、身体に偏重を覚え始めた頃だろう。大きくなるお尻と並行するように、女房の存在感が増して行くのである。うっかりしていると亭主すら尻の下に敷くのだ。




 おふくろは大正5年生まれ。存命であれば、100歳を超す。晩年は介護医療の病院にお世話になった。ほとんど毎日のように行って話し相手になったり、身の回りの世話をしてくれる女房には、全く頭が上がらないようで、息子の私より頼りにしていた。それは入院に始まったことではなく、丈夫の時からも、女房を相談相手にし、その立場を立てていた。やがて面倒を見てもらうのは嫁、と考えていたのだろう。
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 おふくろは足腰が不自由になったばかりか、痴呆も始まった。しかし、残り少なくなった自らの兄弟や、次男坊や三男坊など息子たちのことは忘れても、私の女房、つまり嫁のことは忘れない。世話になっている、また世話にならなければならないという気持ちの一方で、姑としての嫁に対する緊張感があるのかもしれない。姑を子供のように優しく扱う女房。片やおふくろは息子の私より頼りにし、感謝していたことは確かだ。




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ヘンな坊さんの逆さ論理

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 は上手に書くな」は上手にするな」。

 口を開く度にこんなことを言った坊さんがいた。この坊さん、と言ったらちょっと失礼かも知れないが、この方は、その世界ではちょっと知られた書家である。サラリーマン時代のある時期、職責上、山梨県内に拠点を置いた、ある書道会の新年会に招かれた時のことだ。






 この会合・宴席には会派の隆盛を誇示するかのように、傘下の社中の代表が揃う。毎年、甲府市内の名門ホテルのホールに300人前後の書家が集まるのだ。秘書らしい女性を伴ってやってくるこの坊さんは、来賓の筆頭だから主催者の挨拶に続いて、いわゆる祝辞を述べるのである。




 その中身は、いつも決まっている。「字はまずく書け」だ。そこに集まっているのは、私を除いて全てが書家だ。続いて若輩の私が立場上、ご挨拶を申し上げるのだが、ステージから戻ってくると、この坊さん、恐れ多くも私にお酌をしてくれながら、同じことを言うのである。「話は上手にしてはいけない。まずくするんです」と。 自らを愚庵と号してはばからなかった。


習字


 諭すようで、また一面、唐突のように言う。一切それへの説明は加えない。まるでふざけているような口調で言うものだから、聴いている方は分かるようで分からないのだ。その翌年、この坊さんのお話と直接関係はないのだが、私はつい、こんなことを言ってしまった。




 「画家に狂人あれど、書家に愚者なし」と。ここで詳しいことを書くわけにはいかないが、書道会の中でのある公的な出来事を、ちょっぴり皮肉ってしまったのだ。40歳も半ばの頃。今考えれば若気の至りだった。当然のことながらそれへの反応はあった。会の主催者でもあり、家元的な存在の会長さんは、お酒を酌み交わしながら「厳しいことをおっしゃいますね・・・」と。一方、坊さんは「私の言わんとしていることと同じなんですよ」。当然、これをお読みの方々には、この禅問答のような会話は分からないだろう。


秋


 「まずく書く」「まずく話す」。裏返しの言葉で、まずく書いたり、まずく話すためには、それぞれの基本をしっかりとわきまえていなければ出来ない。この坊さんは、書家というからには、しっかりと字を勉強し、その上に立って自らの字を書くことだ、とハッパをかけたのである。極めるとは行かないまでも、努力をしなければ自分の字を書いたり、話したりすることは出来ない。





 私のような生くらの人間には死ぬまでそんな域には到達など出来っこない。若い頃、ピカソの絵を見たり、有名人の字を見て「これが・・」と思ったことがある。しかし、スペインのピカソ美術館でピカソの若い頃の絵に出会った時、まさに目から鱗だった。私たちが普段目にするピカソとは180度違う、きちっとしたデッサンがあった。書家も臨書を繰り返し勉強しているのである。巷にもある≪変人の個性≫とは全く違う。当たり前かもしれないが基礎が出来た人間はすごい。そして怖い。でも怖さを見せないから不思議だ。


ピカソ      ピカソ2

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やまびこ

Author:やまびこ
 職場を離れた後は«農業もどき»で頑張っています。傍ら、人権擁護委員やロータリー、ユネスコなどの活動も。農業は«もどき»とはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定もします。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは、身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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