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初夏への序奏

 赤く咲いた冬の花・山茶花はとっくに消え、その後を追うように淡く咲いていた庭先の白梅もすっかり花を落とし緑の葉っぱを付けはじめた。一足遅れで満開になった紅梅も春の嵐にハラハラと散った。その足元では水仙が黄色い花を。紅白の梅からバトンを受けたように杏が大きな木に薄いピンクの花をつけつけ、それを追うように桜と桃が。 

花


 は梅と同じで木に勢いがある。だから太い徒長枝を秋口に強めに切り落としてやった。昨年までは、剪定の時期が悪かったのか、大きな木をしているくせに、ひとつも実をつけなかった。それとも、一本だけだと、自然受粉が出来ないのか。杏のことは定かではないが、例えば、サクランボの場合、必ず二本以上植えろ、と教わったことがある。現に知人の家の庭先にあるサクランボは、太く、樹勢はあるのだが、ひとつも実をつけない。




 子どもの頃、我が家と隣の家の畑を挟んだ境に大きな杏の木があった。6月頃になると、熟した黄色い実がポタポタと落ちる。その杏の甘酸っぱい味が今でも忘れられない。その木の代わりのように、我が家の庭先で大きくなった杏の木を見上げながら、今年こそは、実をつけてくれよ、と祈るような気持ちだ。もう90歳近くになる隣のおじさんにも≪懐かしい味≫を味合わせてあげたい。


花4



 「桜切るバカ、梅切らぬバカ」という言葉がある。「桜切るバカ」はアメリカの初代大統領・ワシントンの幼年時代のエピソードから来ているのだろうが、確かに、梅は切らない方がバカ。若ければ若いほど、樹勢が強く、放って置くと藪のように大きくなってしまう。そうなると風通しや、陽の当たりも悪くなるから、実をつけにくくなくなるのである。特に、徒長枝の剪定は絶対条件。杏だって同じだ。


花2


 杏の木の足元では、蕗が一面に緑の丸い葉をつけて地面を埋めている。酢味噌和えや天ぷらにして食べたフキノトウは、もはや見る影もない。その傍らで椿が一輪、二輪と真っ赤な花をつけ始めた。裸になって久しい何本ものカエデも枝の芽を徐々に膨らませ、葡萄園の下ではハコベラが小さな赤紫の花を一面に咲かせている。


 フキ

 窓越しに真っ白い雪をかぶって浮かんでいる富士山も、ひと頃のような冷たさを感じさせない。むしろ優しく見えるから不思議だ。薄っすらとかかる春の霞がそうさせているのだろう。


花3

 甲府盆地は、今まさにあたり一面はピンクの絨毯を敷き詰めたよう。桃の花が満開だ。その畑をズームアップすると受粉作業を始めた農家の人たちの顔が。冬の間での剪定に次ぐ第2弾の作業。いよいよ果樹の農作業の本格化を意味する。

 昔は桃に限らず、スモモやサクランボなど押しなべて果物は人工の受粉などしなくても実を付けた。ところが«ある時代»から人工授粉なくして結実してくれなくなった。農薬の普及が引き金となったのである。自然受粉に一役買ってくれていた蜂を皆殺してしまったからだ。その分、人間様が手作業でせわしくも、やらなければならない羽目に。まあ、自業自得である。


庭で

 桜や桃に限らず、花は蕾から三分咲き、五分咲き、八分咲きがいい。でも、今年はいつもの年と違う。同じ花なのに花を愛でる気分にならないのだ。コロナウイルス感染症騒動は、それほど人々の心の深層にまで影響を与えているのである。しかし大自然は弛むことなく春爛漫から初夏へと移行し始めている。さて、農家にとって問題は収穫時の桃の価格。消費者マインドの委縮は必至で、農家の表情も明るくない。





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アルミ脚立の功罪

桜  


 「庭先にある駐車場の屋根のトイを掃除しようと梯子で屋根に上がったのですが、波形のスレートの屋根が抜け落ち、コンクリートの床面に叩きつけられました。スレート板の屋根は弱いので、繋ぎ目の鉄骨部分以外は上ってはダメと言われていたのですが…。私は腰を強打。地面に這いつくばったまま、しばらく呼吸が出来ず、死ぬかと思いました」




 いつもお邪魔させていただくブログ「
『洋楽』と『雑学』」のオーナー・悟空さんが、こんな失敗談を綴っていた。それを読んで、一瞬、笑ってしまった。失礼な意味ではなく、私にも似たような失敗が何度もあったからだ。



 私の場合は庭の植木の剪定中。脚立ごとひっくり返って、地面に叩きつけられた。悟空さんも、その時の様子を綴っているが、倒れる時はまるでスローモーションのよう。植え込みの中なので、咄嗟とはいえ、近くの枝に飛びつくのだ。むろん、その枝は折れるが、確実に瞬時のクッションになる。悟空さんのように救急車を呼ばなければならないような事態は免れている。



脚立


 こんなトラブルを起こすのは素人の証拠。植木屋さんが梯子や脚立から落ちたなどと言う話は聞いたことがない。屋根屋さんだってしかりである。素人は、つい身の程知らずに«欲»を出す。つまり、自分の今置かれている「立場」を忘れて、右や左に乗り出すのである。「もうちょっとで、あの枝が落とせる…」。「あとちょっと…」は、脚立の位置を変えたり、昇り直すのが面倒だからに他ならない。何十㌔もの体重がかかるのだから、脚立がバランスを崩すのは当たり前だ。




 植木屋さんは、絶対にそんなヘマはしない。その都度、梯子や脚立の位置を変えたり、架け替えて、何度も何度も昇り降りをする。それより以前に、縄や紐で梯子を固定しているのだ。そこがプロと素人の違うところ。それが証拠に、植木屋さんが梯子から落ちたり、屋根屋さんが屋根から落ちた、などと言う話は聞いたことがない。あったら、それこそ笑い草だ。




 植木の手入れに留まらず、特に木製の梯子は、いたるところで、どんどん姿を消している。それに代わっているのはアルミ製。木製と違ってすこぶる軽く、移動や持ち運びに便利だからだろう。山梨は全国有数の果樹王国。桃の生産量は日本一だ。山梨市のこの辺りはサクランボの産地。言うまでもなく、それらのもぎ取りには脚立や梯子は欠かせない。果樹農家は、みんな、移動に便利なアルミ製に替えた。むろん、お客さんを集める観光農園も。

 農村部、都市部に関係なく、ご家庭にも高さこそ違え、この脚立は少なからずあるはず。天上の電球を取り換えたり、ちょっとした高い所の掃除をする時などに使うあれだ。かつての木製は姿を消してアルミ製に変わった。特にご婦人の皆さん、注意が肝心ですゾ。




 梯子や脚立に留まらず、世の中、便利と危険は裏表のようなもの。それを、どのように使いこなすかだろう。もう一つ、悟空さんも言っているように、使う人間の「年」(年齢)。私だって若い頃は脚立や梯子をひっくり返したり、ましてや、そこから落ちるようなことは絶対になかった。ところが今では高い所に上ること自体が怖くなった。我が家のアルミ脚立は8段、または10段。高さにして3mぐらいだが、てっぺんどころか、その下の段に上ることも怖くて怖くて…。




 悟空さんのブログは一見、«助平»そうに見えるが、実にウイットに富んでいるのだ。生業は眼医者さんとお見受けする。因みに、私は白内障の手術を受けた。結果?どうも思わしくない。人間の老いの順番を表す男性言葉に「歯、××、眼」とか「歯、眼、××」と言うのがある。人によって、その順序は異なるだろうが、おおよそ共通しているのだ。




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春の淡雪

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 「春の淡雪」とはよく言ったものだ。弥生・3月も押し詰まった28日朝、山梨市のこの辺りはそれまでの雨が雪に変わった。ぼた雪という言葉が時季として適当かどうかは分からないが、その雪はいかにも水分をはらんで重たそう。




 雨足ならぬ«雪足»は速く、風情など微塵もない。「♪粉雪舞い散る…」などと歌にあるような冬の雪とはまるで違う。それでもあたり一面を真っ白にした。2cmぐらい積っただろうか。しかし、雪が止んで2時間と経たない内に、多少の名残は残しながらも雪は消えた。




 庭の枝垂れ桜や牡丹桜はもう満開。ピンクの花が燃えるよう。淡いソメイヨシノも8分咲き。沢山の雪ではないにしても、思いもかけない出戻りの冬将軍に、いささか面食らったに違いない。桜は春を象徴する花。どう見ても雪は似合わない。一足早く葉桜に変わった河津桜は「オレ達にはいいお湿りさ」と言わんばかりに緑を濃くした。


 

 「お父さん、この雪で桜、散ってしまわないかしらねえ…」


 女房は、いつものようにたわいもないことを言う。少なからずダメージを受けるのだろうが、自然界は人間様などとは比べ物にならないほどしたたかだ。明日、天気になれば、何事もなかったように、また元気な«顔»を見せる筈だ。




 この時季、いつもの年なら我が女房殿、「ご近所にも声をかけてお花見をしましょうよ」というのだが、流石に今年はその言葉が出ない。コロナウイルス感染症騒ぎは、こんな田舎のお気楽・極楽おばさんと、のんきなおじさんの内面にまで影響しているのである。




 週末に当たった28、29日、いつもなら全国の桜の名所は花見客で賑わったに違いない。ところが、居間のテレビが伝える花見所は何処も閑散。東京・上野公園では規制線が。それどころか東京都は都民に「不要、不急の外出」を控えるよう躍起になって促していた。テレビは上野公園ばかりでなく、銀座や浅草、若者たちに人気の渋谷や原宿の街並みを映し出すのだが、もちろん何処も閑散。その一方で、商店経営者の«悲鳴»だけが聞こえてくる。




 山梨県では4月早々、県都・甲府市の玄関口・甲府駅前の平和通りや舞鶴公園を舞台に繰り広げる「信玄公祭り甲州軍団出陣」を早々に中止。それに関連する石和温泉郷の笛吹川河原での「川中島合戦絵巻」も。武田信玄公は山梨県民にとって永遠のシンボル。「信玄公まつり甲州軍団出陣」は最大イベントだ。


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山梨県HPより


 あまたある花の中で、桜ほど人の心を捉える花はあるまい。残念ながら今は映画やテレビで時代劇は影を潜めたが、あの「忠臣蔵」では浅野内匠頭切腹のシーンには満開の桜が。「遠山の金さん」の背中には桜吹雪の入れ墨。日本人には受け入れ難い刺青だが、何故か桜だけはOK?間違いなくみんなが拍手喝采するのだ。桜の花は天下御免なのだろう。桜は数多くの歌にも歌われたり、学生服のボタンや小中学校の校章にも使われている。





 「散る桜 残る桜も 散る桜」。陽気なイメージの一方で哀愁を込めた、こんな句や「葉桜」という言葉だってある。コロナウイルスはそんな日本人の感傷も何もかもみんなぶっ飛ばした。何もかも包み込む「白銀の世界」とまではいかなかったまでも季節外れの「春の淡雪」が恨めしくもあり、心に染みもする。




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コロナと外来語

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 中国・武漢に端を発したコロナウイルス感染症は、アッという間に世界中に広がり、その感染者数は50万人を超えたという。一人の感染者が別の一人に感染させれば、今すぐにも100万人になる。つまり、ネズミ算的に感染者の数が膨らむ、と考えたらゾッとする。感染症との戦い方を一歩間違えたら…。




 ウイルスとの戦いを戦争に例える人がいる。確かにそうだろう。それも内戦などと言う規模のものではなく、世界大戦だ。その規模は戦争史上最大と言っていい第二次世界大戦どころではない。まさに世界中の国々、その一人一人が、みんなコロナウイルスとの戦いを強いられているのである。一歩対策を誤れば、老若男女を問わず、とんでもない数の命が危険に晒されるのだから、«対岸の火事』では済まされまい。

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 朝起きて新聞を開けば、コロナ、コロナ。一面から社会面に至るまで、コロナ騒動で塗り潰されている。テレビを点ければ、これまたコロナ、コロナ。どの局のワイドショウ番組も「手を変え、品を変えて」のコロナ一色。「いささか、やり過ぎじゃあないの」と思えるくらいだ。そう感じるのはアホ面して、それを見ている私ばかりではない筈だ。




 「今日はいいお天気ですねえ…」


 「暖かくなりましたねえ…」


 私たちが人とお会いして挨拶代わりに、よく口にするのは、その時々の天気や気温が多い。そこにはのどかな日常があり、言外に相手を思いやる「何か」がある。一見意味もないような、さりげない言葉に温かい「心」を感じ取りもするのだ。ところが今、口をついて出て来るのは…。「困ったものですねえ…」。挨拶のキーワードは決まってコロナだ。




 クラスター(感染者集団)、パンデミック(世界規模の感染拡大)、オーバーシュート(爆発的な感染拡大)、ロックダウン(都市封鎖)…。一つの事象を巡って、これほど外来語が飛び出すのも、これまで例をみないだろう。まさしく外来語の氾濫、アッという間に日本人に«感染»して広まった。「こんなに外来語を使わなくていいのに…」。そう思う。河野太郎防衛大臣が「誰にも分かり易い日本語に置き換えたら」と、不必要?な外来語使用に疑義を呈したとか。まったく、その通りだ。




 日本人は案外、外来語が好きなのかもしれない。日常の会話の中でも、いたるところに外来語をちりばめるのだ。時として、それによって会話がスマートに?なるような錯覚さえ覚えるから不思議。そのくせ、日本人の多くが外国語は苦手。中学の3年、高校の3年、大学の少なくとも2年、合わせて8年間も英語を勉強しながら私のように話すことすら出来ない日本人がいっぱい。




 大規模イベントはむろん、各種の会議・会合、果ては無尽会という名の仲間同士の飲み会に至るまで中止、中止。勢い、家に居る時間が増え、テレビに向き合う時間も増す。そこで否応なく見せつけられるのは、ワイドショウという名のコロナのオンパレードである。明らかに、それが元でバカげた食料品の買い占め騒動などを惹き起しているのだ。




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越冬の大根

大根2

 我が家の大根やサトイモは確実に越冬した。二十四節気のひとつ・啓蟄も過ぎた。そして山梨も桜が満開。。もちろん寒暖の揺れもあるだろう。遅霜に見舞われることもあるかも知れない。しかし、もう冬に逆戻りすることはあるまい。




 ここで言う大根とサトイモの越冬は露地、つまり畑で収穫しないまま冬を越したということである。大根は秋口に、またサトイモは夏前に種(芋)を蒔き、初冬の11月頃、収穫する。大根は、ご存知、沢庵など漬物にする一方、さまざまな方法で保存しながら食卓に乗せていく。サトイモや人参、ゴボウも同じだ。



葱


 言うまでもなく、大根や人参、ゴボウ、サトイモなど総じて秋野菜は、寒い冬が来る前に収穫しないと、凍みてしまい、食べられなくなってしまう。夜から明け方にかけては間違いなく霜がおり、そればかりか気温がグングン下がれば、当然のことながら日中も含めて地面は凍る。水分を多く含んだ野菜は、この寒さにひとたまりもない。


         この寒さに耐えるのは春や初夏に向けての野菜、エンドウやタマネギ(写真)などだ。

野菜

 その昔から我が家も含めて、この辺(山梨市)の農家は、暖かい軒先などに、それなりの室を作ったり、比較的湿り気の少ない畑の片隅などに穴を掘って埋けたりして、あの手この手で保存を工夫した。




 いずれも、いったん収穫した後のワザである。大根やゴボウ、人参などの場合、その方法はさまざまで、例えば、穴を掘り、横にして、そのまま埋けてしまう方法や、埋けずに斜めに寝かせて土を被せる方法も。この場合、上向きにしたまま土を被せるやり方と逆さにする方法がある。逆さにするのは大根などが新たな発芽をしないようにするためである。発芽をすれば大根本体の養分を取られ、素が入ってしまうからだ。




 それぞれの方法が一長一短。暖かすぎれば腐ってしまうし、寒ければ凍みてしまう。越冬したとしても、素が入ってしまえば食べられない。そこで、いっその事と、秋に収穫せずに畑で越冬させてみた。もちろん、そのままだと凍みてしまうから、土を盛り、藁などを被せて防寒したのである。


大根

 これがまんまと成功。大根は一本ずつ抜いてくるし、サトイモは必要なだけ掘ってくる。少しも痛んでいない。この分ではしばらく大丈夫だろう。たかが藁。されど藁。この藁の保温効果はすごい。保温の一方で、適当に風も通すからいいのだろう。この地方は早くから葡萄や桃、サクランボなどの果樹に転換され、水田が消えてしまったので、藁がなくなった。




 今は手に入りにくいから、化学製品などの代用品に変わったが、昔は筵(ムシロ)に代表されるように藁をあっちこっちに使った。農作業ばかりではない。寒さや湿度の調整に対する生活の知恵だったのだろう。我が家の藁作戦、実は隣の奥さんの知恵である。この大根やサトイモの露地での越冬、ホントは地球全体を覆う温暖化の影響かも。肌で感ずる寒さも、子どもの頃のそれと確かに違う。昔はもっともっと寒かったような気がする。





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パソコンは利口者

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 「おかあさん、英語の辞書、どこへやった?」


 「そんな事、知らないわよ。お父さんの辞書なんでしょう。私なんか、英語の辞書なんて関係ないわよ。まったく・・・」



 そんな女房との会話を聞いていた娘が


 「お父さん、英語の辞書、何するの?」


 女房が女房なら、娘も娘。


 「バカっ、単語、調べるに決まっているじぁないか。こんな、コメント、入っているんだけど、分からない単語があるんだよ。お前分かるか」


キーボード



 夕食が済んで母親とお菓子をむしゃむしゃ食べながら、なにやら話していた娘が、晩酌を済ましてパソコンに向かっていた私の後ろに来て



 「ああ、それのこと。お父さん、この英文で分からないことがあったら、パソコンに翻訳機能 があるんだから、それ、使えばいいじゃない。いちいち辞書なんか引かなくたっていいんですよ。パソコンんて、お利口さんなんだから・・・」



 「へえ~、そんなこと出来るのか?」



 「お父さん、何にも分かっていないんだね」



 「バカっ、お父さんに分かるわけねえじゃねえか」と開き直ったら、茶の間にいた女房が



 「お父さん、分からなかったら素直に娘に教わればいいじゃない。すぐ、バカ、バカと言うんだから・・・。まったく・・・」


パソコン加工


 女房は事ある度に娘の弁護をする。その後につくのは「まったく・・・」である。それはともかく、娘がいくつかのキーを叩いたら5~6行の英文コメントはあっという間に和文に翻訳された。「おじさん、そんな事、当たり前だよ」と、このブログをお読みいただくお若い方々に笑われるかも知れないが、私にとっては「目から鱗」であった。




 その翻訳文は、私たちが学生の頃やってきた、ぎこちない訳し方だが、そこそこの日本語になっている。若者達が、といったら叱られるから、娘達と置き換えるが、辞書を引く習慣が失われていく現実がよく分かる。国語の辞書であれ、英語の辞書であれ、そういう自分だって、あの小さな文字をページで追うことが億劫になって、今では電子辞書。いわゆる字引ではなくキーを叩いているのである。


パソコン


 娘が言うようにパソコンと言うヤツは本当に利口者だ。視覚でなんとなく覚えていれば、変換キーで難しい漢字でも、そこに導いてくれるし、お目当ての字が見つからなければ手書きで入力すれば、その字を探してくれる。表計算だってやってくれるから、無し無しの頭を使わなくてもいい。それも絶対に間違えないのだ。英語だって同じだ。



 ただ、こんなに融通の利かないヤツもない。例えば「つ」と「っ」、「ず」と「づ」、これを間違えたら絶対に許してくれない。巷にいそうな人間の利口者とよく似ている。





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下手の横好き

花札

 パチンコ、競馬は当たり前。マージャン、花札、チンチロリン・・・。ヘタなくせに、この勝負事が大好き。といってもここ何年間、パチンコも競馬もとんとご無沙汰だ。凝るといったら聞こえがいいが、どちらかといえばはまるタイプで、ひと頃、毎週のように石和の場外馬券場に通ったことがある。




 「パチンコだの競馬だの、あんな馬鹿馬鹿しいこと、まだやってるの」


 その頃、親しい同級生から笑われた。



馬1  馬2  馬3


 「まだ、じゃあなくて、始めたばっかりだよ」と言ったら、「遅ボケだね」とまた笑われた。その仲間に言わせればこうだ。



 「俺も若い頃、競馬に凝って、薄っぺらの給料をみんなはたいちまった。帰りの電車賃がなくなっちまうんだよ。それじゃあ家に帰れないから、帰りの切符だけは行きの切符と一緒に買っておくんだ。結局、こんな馬鹿馬鹿しい事、ときっぱり足を洗った。あれほど凝った自分が不思議に思えるんだが、今じゃあ、関心もないよ」



「へえ~、そんなもんかねえ」



 遅ボケと言われたっていい。俺はとことんやってやる、なんて思いながら、コンビニから毎週、400円の競馬専門紙を買って来ては一心に研究?馬券場に通った。女房の蔑みにも似た冷たい目線を横目にしながらである。


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 今にして思えば、この仲間の言う通り。馬鹿馬鹿しいと言うより、馬券場に行くこと自体も面倒になった。じちがなくなったのかもしれない。競馬にせよ、パチンコにせよ、およそ、勝負事というものは、その名の通り勝ち負けがあるから、のめり込むのだし、面白いのだ。もちろん、負けっ放しだったら、何をかいわんや、である。



 ただ、競馬やパチンコとマージャンや花札などは、遊び方そのものが根本的に違うのである。一方が自分ひとりの遊びであるのに対して、一方は仲間がいることだ。

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 「今日は何時から?」



 ひと頃は週末ともなればマージャン仲間からお誘いの電話が。こちらからも電話する。もちろん家庭もあれば地域もあるのだから、仕事や用事がないわけではない。しかし、毎日が日曜日の仲間達だから、すぐに面子は揃うのである。面子の中に、かたくなに「午前零時が限度」という仲間がいた。そんな時はいいが、そうでもなければ確実に午前様。




 「体も身のうちですよ」と、いぶかしがっていた女房も「言っても駄目」と思ったのか、さじを投げもした。8時間、9時間は当たり前。時には15時間20時間の時も。面白い。時間がウソのように、あっという間に過ぎてしまう。





 さて、その勝ち負けだ。総じて上手なヤツが勝つのに決まっている。「お前はどっち?」。私はどうやら負け頭。不思議だが、人には勝負事に強い人間と弱い人間がいる。ちょっとしたジャンケン、編み蛇くじやビンゴゲームだってそうだ。理屈では計れない先天性のようなものを備えた人間がこの世の中には確実にいる。運の強い人間というのだろう。





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ダンススポーツの魅力

ゴルフ   パレット


 70半ばを過ぎても人間、やってみたいことはあるものだ。職場を退いて時間が出来たせいもあるのだろう。あれもやりたい、これもやりたい。やりたいことはいっぱいある。例えば、改めて毛筆も習ってみたいし、も描いてみたい。釣りや、仕事に追われ、思うように行けなかったゴルフも心機一転・・・。時間なら十分にある。だってじっくり読もう。




 ところが、これがみんなダメ。根っからの無精者のせいだろうか、明日から、明日からと言っているうちに、職場をリタイアしてから、あっという間に10年以上の歳月が過ぎてしまった。手近かな読書がいい例で「よ~し、今度は・・・」と思って沢山買い込んできた本が机の脇に積みっ放なし。いわゆる「積ん読」である。人間の心理とは不思議なもので、積んでしまった本は興味が半減してしまうから、また新しい本を買う。「積ん読」の繰り返しだ。


本



 野球やサッカー、ソフトボールなどスポーツは、ハナから諦めている。メタボの人間が、その真似事だって出来っこないからだ。ただ、出来たらいいな、と思うものはある。現に年取った方でもおやりになっているスポーツもあるのだ。


大会1



 先頃、山梨市にある県立の体育館で開かれたダンススポーツ大会を観にいった。もちろん、無粋の上、自らがメタボ人間であることを自覚しているから、本気でやろうなどという不遜な考えもないし、特別の関心があったわけではない。この大会を主催する山梨県ダンススポーツ連盟の会長さんは、ユネスコの活動を通じて、もう50年以上の付き合い。そんな事を言ったら叱られるが「顔を見せてよ」と言われれば、嫌だとはいえない。
ダンス

 
 いわば義理で大会会場を覗いたのである。ところがどうだ。昭和61年のかいじ国体のバスケットボール会場にもなった体育館の中は、選手達の気迫や優雅さに満ち溢れ、見る者を圧倒、その魅力の虜になった。広い競技スペースで踊る十数組ずつの選手達、その周りで次の出番を待つ選手はもちろん、スタッフが取り囲む。観客だって少なくない。ざっと見ても7~800人はいるだろう。ワルツやタンゴの曲が会場いっぱいに響き渡る。


大会2



 気遣ってくれた会長や副会長の案内で来賓席へ。頂いたプログラムを見ると、午前10時から午後5時まで、昼食時間をはさんで競技スケジュールがびっしり。ラテンとスタンダードの二部門で、B級からD級、続くランクの1~6級の選手達が技を競うのである。スタンダード部門はワルツタンゴ、ラテン部門はルンバチャッチャッチャなどだ。


大会3


 知り合いの前会長さんの話によれば、スタンダードはかつてのモダンを呼称変更したのだという。大会名は山梨県大会を銘打っているが、事実上の関東甲信大会。地元山梨はもちろん、東京、埼玉、千葉、神奈川など各都県と一部東海の選手達が参加しているのである。特に、この大会では選手カップルの合計年齢が120歳以上スーパーシニア140歳以上ウルトラシニアの両選手権も併設。私たちと同年代、いや、それ以上の人達が颯爽と踊っているのである。女性は赤、青、黄色、ピンクのドレス、男性は燕尾服姿で。背筋がピーンと伸びていた。説明をしてくれた前会長さんは間もなく80歳。まだ現役だという。見るからにお若い。スポーツダンスの効果だろう。つい「俺も」なんて考えたくなる。



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左手一本のシュート

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 時の経つのは早い。日本中を騒然とさせた、あの東日本大震災からもう9年。しかし、震災、特にあの化け物のような津波が残した爪痕は、あまりにも大きく、傷は癒えていない。津波は深刻な原発事故まで誘発。未だに生まれ故郷に戻れない人たちも多いのだ。そんな恐怖の震災9か月前の20106月、富士山麓の山梨県富士吉田市にある鐘山総合体育館で、人々の心を和ませ、勇気づける感動のドラマが生まれていた。



同体育館では全国総合体育大会(インターハイ)のバスケットボール山梨県予選が。そこで脳性出血で利き腕の機能を失くした選手が鮮やかな「左手一本のシュート」を決めたのだ。人々を勇気づける、この出来事は当時、新聞でも取り上げられ、大きな反響を呼んだ。


 シュート3

2010年6月、高校の公式戦に初出場し、いきなり左手一本でシュートを決める田中正幸さん=山梨県富士吉田市の鐘山総合体育館、河合博司撮影
2010年6月、高校の公式戦に初出場し、いきなり左手一本でシュートを決める田中正幸さん=山梨県富士吉田市の鐘山総合体育館、河合博司撮影

障害を乗り越えて高校の公式戦に初出場、左手でシュートを決める田中正幸さん(右)
=河合博司氏撮影


 
 この選手は山梨県立日川高等学校3年生のバスケットボール部員・田中正幸君。当時18歳。中学時代は1試合で30点以上の得点を挙げたことのある名選手だった。むろん、県選抜選手としても活躍。しかし、高校に入学する3日前、誰もが予期せぬ出来事が。自らの希望で事前参加した同校の遠征試合先で、脳内出血で倒れてしまったのである。





でも、強かった。10日間にも及んだ昏睡状態から、奇跡的に生還。苦しいリハビリを乗り越えて1年後、同校に復学。しかし、右半身に麻痺が残り、利き手の右腕は使えなかった。それでもバスケットボールを諦めず、後輩の指導など部活をサポートする一方で、後輩たちの練習の合間を見てはシュートの練習を黙々と続けていた



「左手一本のシュート」は、そんなひた向きな努力と根性から生まれたものだ。田中君の後ろ姿に感動した仲間たちは「何とか田中君を公式戦に…」と図った。障害を負った一人の少年のバスケットボールへの執念にも似た飽くなき情熱と仲間たちが育んだ友情は、燃ゆる青春のドラマを紡いだ。





「『左手一本のシュート』がテレビでドラマ化されたんです」

そう教えてくれたのは日川高校のM教諭。監督でもなければ部長でもない。当時の教科・クラス担任である。よほど嬉しかったのだろう。恩師とは有り難いものだ。当時のバスケットボール部の仲間たちや監督、コーチの喜びようも想像に難くない。どんな苦労や困難も言葉で言うのは易しい。でも、それを乗り越えようと必死に闘う姿は、確実に周りにいる人たちを感動させ、元気づける。言葉には言い表せない「魔力」にも似た力を持っているのだ。


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田中正幸さんを演じる中川大志さん(左)と田中さん
=TBS・HPから


テレビドラマは314日夜9時からBS-TBSで、同局の開局記念番組として放送された。ロケは同校でも行われている。田中君役は映画やテレビドラマ、CMで活躍中の中川大志。母親役には永作博美が。2時間のドラマだ






最近、いわゆるマイナースポーツが脚光を浴びたり、見直される動きが。嬉しいことだ。昨年、日本中を沸かせたラグビーワールドカップは、日本中を熱狂させ、米プロバスケットボール・NBAでの八村塁選手の活躍は日本のバスケットボールフアンに期待と夢をもたらした。「左手一本のシュート」も同じで、障害を持つ人たちのみならず、多くの人々を元気づけた。ドラマの主役となった田中さんは今、28歳。都内の建設会社で活躍中だという。






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庭のサンシュウの木

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 黄色い花がいっぱい。我が家の庭のサンシュウが咲いた。


 稗つき節に「♪庭のサンシュウの木 鳴る鈴かけて 鈴の鳴る時ゃあ~」と歌われる、あのサンシュウだ。花をいっぱい付けたとは言っても、このサンシュウの木は、昨年植えたばかりの僅か1mにも満たない幼木である。




 宮崎県の民謡で、日本人なら誰でも知っていると言っていい「稗つき節」。日頃、何とはなしに口ずさみながら、恥ずかしながらこの歳になるまでサンシュウがどんな木かはむろん、どんな花を付けるのかも知らなかった。




 「それなら、私が苗木を見つけてきてあげますよ」


 親しい仲間が、たわいもない酒飲み話をきっかけに、その苗を持って来てくれた。知り合いの苗木屋さんに頼んで、取り寄せてくれたのである。




 白梅が散って、紅梅が咲き、その足元では黄色い水仙の花が。その向こうでは、今では見上げるほど大きくなった河津桜が満開。杏子の木もピンクの花を付け始めた。自然界は物言わず、どんどん装いを変えて行く。この時季に咲くサンシュウは、やっぱり春の花だ。




 稗つき節は源平合戦の一つ・壇ノ浦の戦いで敗れた平家の女性落人と若き武将の悲恋の物語を歌ったものだという。民謡ならではの節回しのせいか、何とも言えない味わいがある。そこに歌われた意味が分からなくても、つい口ずさみたくなるのだ。




 サンシュウは中国の浙江省と朝鮮半島中・北部が原産。漢名は「山茱萸」。この音読みが和名の由来だという。街路樹としてもお馴染みのハナミズキやヤマボウシと同じミズキ科に属して、秋にはグミのような赤い実を付ける。その赤い実を珊瑚に例えて、「アキサンゴ」とも言われるのだそうだ。




 近くで咲く水仙の花と比べると、サンシュウの黄色はやや濃い。今はちっちゃな木なので迫力はないが、色が強いせいか、周囲への存在感はある。




「お母さん、あのサンシュウ、もっと広い所に植えてやればよかったなあ…」


 「お父さんは、私にはいつも『苗木を植える時には大きくなった時のことを考えて植えろ』と、言っているクセに…。ご自分のことはタナに上げるんだから…」




 この木は大きくなると5m~10mになるという。人間とは咄嗟の思慮に欠く動物なのか。いや、いや私たち«弥次喜多夫婦»だけかも知れない。いつも行き当たりばったりのことをしている。田舎がゆえに植える場所には事欠かないのに、そんなことを繰り返しているのだ。


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 非農家育ちだから仕様がないとはいえ、女房の場合、それが特に顕著。ホウレンソウやチンゲン菜、春菊など葉物野菜の種を蒔かせれば、後先考えずにビッシリ蒔いてしまう。お蔭で、間引きの手間がかかる。いつも苦言を呈す側なのに今度ばかりは女房に一本取られた。


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 黄色い花をいっぱい付けた小さなサンシュウの木の向こうで、ピンクの花を満開にした河津桜。10m近い木になった。よく考えたらこの桜も、途中で広い所に植え替えた。新たに庭木に加わった「庭のサンシュウの木」も近々、植え替えねばなるまい。






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Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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