商社マンと玉葱

ビール


  「やあ~、お久しぶり。今、どこの部署に?」



 「今は本社さ。半月ほど前、東南アジアから帰ったばかり。5年ぶりの本社勤務だよ。やっぱり日本がいいねえ」


 「東南アジアでは、どんな仕事を?」


 「百姓さ。百姓。厳密に言えば百姓の棒頭さ」


 「商社マンが百姓? 棒頭?」


 「そうさ。分かり易く言えば、人件費の安い東南アジアで玉葱などの農産物を作らせ、日本への輸入を図るんだよ。毎日、その現場指揮をしていたのさ」


タマネギ


 もう大分前のことだが、久しぶりに会った友と酒を酌み交わしながら、こんな話をした。この男は大学を出たあと、大手の商社に入り、れっきとした商社マンとして活躍していた。その仕事ぶりは私がイメージしていた商社マンと違っていたから、一つ一つ話は面白かった。久しぶりの再会も手伝って話は弾み、酒も進んだ。この商社マン氏によれば、人件費削減のターゲットとする国は、月給が日本円で1万円以内の所だという。


酒


 「あなたも知っている通り、農産物に限らず、商品のコストダウンを図るためには、まず人件費の削減だ。それだけじゃあダメ。こちらが求める質と量を安定的に作らせることだ。その上にもっと肝心なことがある。玉葱であれ、キューリであれ、全てを同一規格にすることだ。そうでなければ、我々はひとつたりとも引き取らない」


たまねぎ


 「安定供給もさることながら、同一規格にすれば国内で流通させる場合の箱詰めひとつとっても無駄なく、合理的に出来る。第一、値札を付ける場合に、いちいちハカリを使わなくても済む。スーパーなど小売店の省力化、つまりはコストダウンに繋がる寸法さ。形も目方も同じだから、売る側は機械的に値札だけを付ければいい」


トマト


 「そう言えば、スーパーに限らず、生鮮食料品の小売店でハカリが姿を消しちまったよなあ・・・」



 「ハカリで計るという行為ひとつ取ったって、商品のコスト計算上はバカにならないものがあるんだよ」

キュウリ


 山梨市の田舎で生まれた百姓の倅でありながら学生時代からサラリーマン時代のざっと45年間を東京や甲府で過ごしてしまった。自ずと食卓に載る全ての野菜はスーパーや八百屋さんから。現在のように女房と二人で作る曲がったキューリなどお目にかかりようもなかった。一転して今はナスもトマトも大根やサトイモ、玉葱、サツマイモも、みんな形がまちまちであるばかりか、傷モノもいっぱい。でも味は変わらない。むしろ、自分が作った贔屓目かもしれないが、こっちの方がうまい。真っ直ぐであろうが、曲がっていようがキューリの味は同じだ。
 商売上のコスト削減や流通の合理化が、いつの間にか消費者の商品概念を変えた。でも、その反動からか、それが次第に見直されている。「道の駅」など田舎の直売所では形にこだわらないナスやキューリが売れている。消費者だってバカじゃあない。地域の農家と、そんな消費者がうまくかみ合い、どこも人気上昇中なのである。





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山岳信仰

 「お父さん、あれ、なあ~に? あんなにいっぱい石塔が・・・」

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 車の助手席に乗っていた女房は、道路の両側に並ぶ石碑群を指さしながら不思議そうな顔つきで言った。初めて見る女房ならずとも、そのおびただしい石碑群には誰だって圧倒され、「あれは?」と、目を見張らせられる。



 「あれか? あれはねえ、木曽の御嶽山を信仰する講社の皆さんが奉納した石碑だよ。墓の石塔なんかじゃあない。信仰の山には何処にもあるんだよ。富士山にだって・・・」


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 亭主の沽券? ちょっと知ったかぶりして説明してやった。今は木曽路を車で走っているのだが、いつも窓越しに眺めている富士山を思い浮かべながら、現在はほとんどが歩かない旧登山道に思いをはせた。富士山自動車道「富士スバルライン」が開通した昭和39年以降、この登山道は陰の存在になった。もちろん今もあるのだが、そこには苔むした御嶽山と同じような石碑が登山道の両脇に並んでいた。




 富士スバルラインが開通する何年か前。学生時代だった。東京の安下宿を抜け出して仲間と富士登山を決行した。新宿からの国鉄中央線を大月駅で富士急行線に乗り継いで終点の河口湖駅で下車。そこからオンボロの登山バスに乗り換えて五合目の「中の茶屋」に近い通称「馬返し」まで行くのである。今あるスバルラインの五合目駐車場よりずっと西だ。


吉田口登山道
吉田口登山道


 金剛杖片手にヤッケ姿の登山者が列を成して山頂を目指す。その頃になると夕日はとっぷりと暮れていた。太くもなく、うねうね続く登山道の脇にたたずむ石碑が不気味に懐中電灯に照らし出されたのを記憶している。前を歩いていた中年グループのリーダー格らしい男性が「これはねえ・・・」と仲間に説明している言葉を何故か今でも覚えている。その説明と私の記憶に間違いがなければこうだ。


 富士講は室町時代の後期、九州は長崎生まれの僧?角行(長谷川角行東堂)が富士山の人穴で修行したのが始まり。信仰心の厚い庶民は霊験あらたかな富士山をそのよすがとし、信者グループ「富士講」を結社した。以来、庶民の間に流行った疫病の退散や戦時下にあっては出征兵士の武運長久をも祈った。富士山信仰に人生の安息を求めたのである。


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 特に、江戸時代は隆盛を極め、江戸八百八町に富士講があって、大勢の信者達は白装束に身を固め、粛々と山頂を目指した。富士登山の出発点は「御師」と呼ばれる宿坊。時代の流れにさらされて今は民宿に姿を変えているが、山梨県側の富士吉田市や富士河口湖町にはその宿坊が名残をとどめている。




 長旅で疲れた信者たちは「御師」で身体を休め、身を清めて白装束を調え、やはり富士山の麓にある北口本宮富士浅間神社や河口湖畔の浅間神社に参拝、山頂を目指す。もちろん今のように車もなければ自動車道もないから、全てが自分の足。木曽の御岳山も出羽の月山、紀伊の熊野、四国の金毘羅講もみんな同じだろう。霊験あらたかな山は何処も変わらない。ただ変わったのは車の登場。木曽の御嶽山も足元の駐車場まで立派な道路が走っている。講社の方々が奉納した石碑群はその沿道にある。デブの私には登れないが、登山道にもあるのだろう。


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本音と建前

恩賜林


 「私だったらこの広大な山林原野を今、国・政府が困っている基地に貸しますね。もちろん、条件付。基地の誘致で、過疎化する麓の地域を再生するきっかけを作るんです。沖縄の普天間基地移設問題で今、政治が揺れています。反対運動が前面に出ていますが、そこには必ず地元住民の本音と建前があるはず。世論として表に出ているのは建前と、もっともらしいマスコミや文化人といわれる人達の声。本音は基地がなくなっては困る人たちも多いし、徳之島(鹿児島)のように本当は基地を持って来たい人達もいるんですよ・・・」


恩賜林2

 
 ここは山梨県と埼玉県の県境にまたがる奥秩父山塊の山梨県側の一角。こんな話をしたのはこの一帯の山林を保護する「金峰前山恩賜県有財産保護組合」の元組合長。年恰好は80歳前後。同組合はこの一帯の山麓にある山梨市と甲府市の一部地域で構成されている、れっきとした特別地方自治体である。先頃、今年度第一回の組合議会が招集され、この日は組合執行部と議会合同の現地視察が行なわれたのだ。



恩賜林4

 
 視察に加わったのは今年度、新たに選出された議員と私のような監査委員など組合役員に任命された人達の、いわば新人研修。執行部と議会側、合わせて約20人が揃いの法被姿で参加。1,400haにおよぶ持ち山をいくつかのポイントから一日がかりで視察した。「私だったらこの山林原野を・・・・基地に貸しますね」と、本音とも冗談ともつかない口っぷりで話した元組合長は、この日の案内役。広大な山の隅々まで熟知しているようで、つづら折れの凸凹道を車で走り、その要所要所で歴史的な経緯も含めて説明した。




 通称「恩賜林組合」。都会にお住まいの方なら聞いたこともなければ、縁もゆかりもないだろうが、明治の時代、天皇から御下賜された県有地の保護団体。山の植林や下刈りなど、その保護、保全と管理をしているのである。山梨県は県土の約75%が山林原野。その多くが、この恩賜林、つまり県有地だから、その総面積は概ね見当がつくだろう。山梨県には64の恩賜林組合があって、それぞれのテリトリーで保護・管理の活動をしているのだ。


恩賜林3


 その中で最も大きなのが富士吉田市ほか2カ村(山中湖村、忍野村)恩賜林組合。ここは特異な組合で、管理区域内に自衛隊の「北富士演習場」を抱えている。日米の地位協定に基づき米軍の演習にも使わせている。いわゆる基地を抱えているのである。今は平静を保っているものの、かつては基地を巡る賛否が県政を揺るがし、「県政の分水嶺」とも言われた。その一方では莫大なお金が恩賜林組合や地元市村に落ちているのだ。事実、「防音」の名で小中学校の校舎は整備され、さまざまの公共施設や周辺道路も立派になった。




 基地がない世の中の方がいいに決まっている。しかし、国や地域が抱える現実を無視しているばかりにもいくまい。「私なら・・・」。恩賜林組合元組合長の冗談とも本音ともつかない言葉の裏には、いくばくかのリスクを背負っても最大公約数の「地方、地域の利益」を考えなければならない「現実」がある。「平和ボケ」したり、便利な生活を享受出来る都会にお住まいの方なら、この本音は分かるまい。どの道どこかに設けなければならない基地の誘致で、財政や雇用、関連ビジネスの創出を考えようとする本当の気持ちなのだ。




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ハゲ頭とネクタリン桃

日差し


 「やっぱりがないと直射日光をまともに受けたり、ちょっとした外からの作用で傷だって付き易い。暑さ寒さもさることながら、毛があれば日焼けもしない。あってみればなんでもないのですが、無いとやっぱり不自由。毛は大事なんですねえ」


 隣の親爺は自らのハゲ頭に手をやり、ジャガイモの土寄せ中の私に真面目顔で言った。




 この親爺さんが言う「毛」とは髪の毛の「毛」ではない。の毛の話だ。その桃とはネクタリンという品種。早生種の白鳳や、その後を追いかけて出て来る白桃に代表される桃の改良品種である。漢字にすれば「油桃」というのだそうだ。「油桃」の字がイメージするように表面がツルツルしていて、いわゆる桃のような毛がない。形こそ違うがスモモのような肌をしている。桃の毛は病害虫から表皮が弱い実を守る役割も果たしているのだ。


ネクタリン
ネクタリン


 林檎にしろ、梨や柿、スモモ、サクランボにしろ、果実の表面に毛があるのは桃くらいのもの。葡萄だってない。あえて言えばキウイフルーツくらいのものだろう。ただ、このキウイフルーツは間違っても皮ごと食べることはないので、桃とは、ちょっと性格が違う。当たり前のように食べているが、桃は数ある果物の中でも特殊。丸かじりする場合、この毛を洗い落とさなければ食べられない。しかしネクタリンは全く毛がないので丸かじりだって出来る。親爺さんは、このネクタリン種の成木を何本も切ってしまった。しっかりした実をつけるに前にバッサリとやった。未練を残さないためだろう。

キウイ   桃


 「もったいないですねえ。それにしても、よく思い切ったことをしましたね



 「そうです。私にすれば断腸の思いです。消費者の人気はあと一歩。残念ながら売りにくい桃です。それに生産者がまばらなので、流通への出荷もしにくいのです。食べてはうまいのですがねえ・・・。独特の酸味が消費者に敬遠されるのかもしれません。なかなかポピュラーになり得ないのです」




 このネクタリン表皮に毛がないことと酸味が特徴。この酸味は、私なんかにはえもいわれぬ味だが、どうやら酸味は大衆的には受け入れられないようだ。「甲州種」と呼ばれる葡萄がそうだ。山梨県人はどんな葡萄にせよ、種ごと飲み込む習慣があるのでいいが、都市型の消費者の多くは種を出す。酸味は核、つまり種の周りにあるので、勢い「これ、酸っぱい」ということになる。かつて甲州葡萄の代表ブランドの地位にあった「甲州種」は生食用の座を追われ、ワイン原料に成り下がった。大抵の葡萄はジベレリンという薬品処理で種が抜ける。しかし甲州種は果肉が柔らかいためか、それが不可能なのだ。


甲州種
甲州種


 この親爺さんは若い頃は山梨県の果樹試験場で果樹の品種改良に取り組んだ一級の技術者だった。定年後、自らの桃畑にネクタリンを大々的に植えたのも、それと無関係ではない。木の作り方も一般の桃とは違い、葡萄のそれと同じような仕立て方を工夫した。「ネクタリンをもっと多くの消費者に食べてもらおう」。そんな夢があったのだろう。でも負けた。それを後押ししてしまったのは、紛れもなく歳だった。




 「もう87歳です。後継者もいないしねえ・・・」




 髪の毛のほとんど失くした親爺さんはやっぱり寂しそうだった。




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薔薇のトゲ

薔薇1


  ハナから読めないならまだしも、読めるけれども、いざ書いてみろといわれれば書けない漢字は案外多いものだ。その一つが「薔薇」である。「林檎」もそうだろう。でもパソコンとは便利なもので、キーさえ叩けば一発で出してくれる。なにも軽い頭を使って覚えなくていいから、また困る。私なんか一生書くことが出来ない字の一つかもしれない。
薔薇4


 薔薇は日本人にとって桜と共に馴染み深い花。童謡や流行歌にも歌われ、小説や映画、ドラマにもしばしば登場する。日本では「花」といえば「桜」。花の代表格だが、これも日本だけ。しかし「薔薇」は世界的。日本語訳がそうしたのかもしれないが、あの有名な「野ばら」もあれば、「薔薇が咲いた 薔薇が咲いた 真っ赤な薔薇が・・・♪」と誰もが口ずさみたくなるようなものや、ちょっと渋い水原ひろしの「黒い花びら」なんて歌もある。


紅い薔薇


 人間に愛されながらもトゲがあるのもこの花だけ。「美しいものにはトゲがある」などと美しい女性に例えられることもある。「お前にはトゲがないからいいよなあ~」。冗談交じりに喧嘩を売られたとも知らない、うちのかみさんは「何なの?それ・・・」と、キョトンとしながらも、その意味を知って「失礼しちゃうわ。まったく・・・」。



 そのかみさんが植えた薔薇が庭の植え込みのあっちこっちで今が盛りとばかり咲いている。赤、ピンク、橙。大輪のものもあれば、比較的小さいものも。それぞれ咲いている期間は結構長い。種類によっては、これから夏、秋、さらに冬の寒い時期まで咲く薔薇だってある。一年中、楽しめるのだ。よく見ると満開だったり、もう峠を過ぎた花の隣で次々と蕾をつけるのである。


薔薇2



 三分咲き、五分咲き、八分咲きと徐々に花を開いて、春の柔らかい風に吹かれてハラハラと一斉に散ってしまう桜とは違って風情こそないが、そこはかとない重厚さがある。「薔薇」は「ばら」のほか「そうび」とか「しょうび」とも読む。今6月の誕生花で、俳句で言えば夏の季語。ただこの花は不思議な花で「冬薔薇」(ふゆそうび)となると冬の季語になる。季語では≪二重人格≫なのだ。世に多いブスのひがみ。美人の女性にオーバーラップして使われるのもそのためだろう。ラテン語ではRosa。ローズピンクというように色の代表としても使う。クレオパトラの薔薇の硬水は有名だ。
 薔薇の種類は100種類にも及ぶという。我が家にだって、よく見たら10種類以上もの薔薇がある。いずれも、かみさんが、いつももように後先かまわず、行き当たりばったりに植えたものだが、花を付けているうちはいい。いくら無粋者の私だって美しい花を愛でる目ぐらい持っている。


薔薇3


 でも、これほど頭に来る、というか腹が立つヤツはない。花を落とした後だ。当然のことながら秋から冬場にかけて植木の手入れをする。この時、シャツやズボンならまだしも手足まで傷だらけにさせられるのだ。薔薇のトゲは半端ではない。それなりの注意はしているのだが、ことごとくに邪魔をするから正直、頭に来るのである。悔し紛れに剪定鋏で・・・。そこからご想像の夫婦喧嘩。「どうして切ってしまうのよ」。目を剥いて怒るのだ。トゲがあるのは美人だけと思ったら、うちのかみさんにもでっかいトゲがある。そんなかみさんも植え込みから薔薇を切り取って来ては 居間などの花瓶にいけている。女である。




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蕗(フキ)の筋

蕗


 蕗(フキ)筋を剥かなければダメなんだよ」



 「お父さんねえ、この時期の蕗は皮だって柔らかいから大丈夫なんですよ」


 でも、ちょっと歯に引っかかる。夕餉の食卓に載った蕗の煮つけをつまみに晩酌をしながらの、かみさんとのたわいもない会話である。女房が言う通り、この時期の蕗はエンドウなどと同じように柔らかいので、それほど筋を気にしなくてもいいのかもしれない。


蕗2


 日川高校時代の同級生で、今こうして叩いているパソコンの≪師匠≫でもある「萩さん」こと「萩原」という友から戴いた蕗の苗。我が家の畑の片隅で、どんどんその勢力を広げている。




 春の香りの代表格。そんな顔をしていたフキノトウは、いつの間にか大きくなり、ありふれたに。真っ直ぐに伸びる茎に丸い葉をつける。一本の茎が緑なら葉っぱも緑。よく考えてみたら、こんな植物も珍しい。一本の茎に葉っぱが一つ。極めてシンプル。枝もなければ、ただ一つ頭のてっぺんに傘のような葉をつけるだけで、花もつけない。


竹


 無知な私にはよく分からないが、蕗は地下茎で繁殖する植物なのだろう。その繁殖の仕方、繁殖するおパワーは、あのとよく似ている。ただ、竹は花をつける。こう言うと「そんな馬鹿な。竹の花なんか見たことないよ」とおっしゃる方が多いだろうが、竹は本当に花をつけるのである。もちろん、その周期は定かではないが、おおよそ60年に一度と言う。私達の田舎では花が咲いたらその竹の寿命は終わり、と言われ、事実、花が咲いた後、竹が枯れるのを見たことがある。今はないが、我が家の竹薮でのことだ。


竹2



 竹の繁殖力はすごい。木質のその竹の根と比較したら負けるかもしれないが、蕗の根の繁殖力もそれは逞しい。いつの間にか地下茎をぐんぐんと伸ばす。「萩さん」から貰って植えた一坪ぐらいの面積の蕗は、4年たった今、ちょっとした畑のような存在になった。連作を嫌うホウレン草やジャガイモと違って≪定住の畑≫としての体をなしているのだ。




 まだ春とは名ばかり。そんな時期、しかも、時には淡雪の間から顔を出すフキノトウ。福寿草と並んで春の到来を告げる使者。人間はそれを食べ、自然界がもたらしてくれる春の英気を身にも心にも取り込み、快く味わう。酒飲みの私なんか天ぷらや酢味噌和えとして大好物だ。フキノトウは寒い、寒いと言っていた春先だけの束の間の命。その後に柔らかい若い蕗が。煮つけがうまいのはこの時期だ。夏から秋。茎が硬くなったら、皮というか、筋を取り、あのキャラブキに。葉だって食べる。蕗の砂糖菓子だってある。


蕗3


 外観は何の変哲もない。お世辞にもうまそうには見えないし、ましてや食べてみようとも思わない植物だが、これほど最初から最後まで人間の味覚を堪能させるものはないかもしれない。私の親しい友人の奥さんで、この蕗を加工するキャラブキ作りの名人がいる。酒のつまみとして私が大好物であることを知っていて、毎年届けてくれるのだが、実にうまい。女房が作ってくれるフキノトウの酢味噌和えや天ぷらは、どちらかと言えば単純。だがキャラブキの味は奥が深い。蕗の料理と食べ方は季節によって変わるのである。




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目に青葉・・・

庭のサツキ


 6月もぼつぼつ半ば。庭の植え込みの間では薔薇ばかりでなくサツキも咲きはじめた。一見、いつもの年と同じように花を開いているようだが、今年は開花がちょっとイレギュラーしているようにも。4月5月のバカ陽気がそうさせたのだろう。事実、私達がロータリークラブの夜間例会でお邪魔する山梨市駅前の割烹旅館のご亭主によれば、今年は1週間から10日は開花が早いという。



サツキ2


 この親爺さんは80歳も半ばに向かうが、サツキの盆栽作りにかけては自他共に認める玄人はだし。自宅の庭に200鉢近い盆栽を作り、愛好家仲間ばかりでなく付近の人達の目を楽しませている。いつも陽気な奥さんが「うちの旦那は旅館の仕事や私達家族より盆栽の方が大事なんですよ」と、冗談とも本音ともつかないように話すほどの盆栽好き。そうでもなければ、人々、とりわけサツキのベテラン盆栽愛好家を唸らせる作品など作れまい。


盆栽


 どんな花もそうだが、一年でみれば花をつけるのはほんの一時期。ツツジの後を追うように咲くサツキの場合も6月のこの時期だけ。問題は暑い夏場や乾燥する冬場の管理だ。一年を通して水遣りもしなければならないし、ジワジワ伸びる枝や葉っぱの調整や全体の形作りもしなければならない。時には盆栽につく虫も取ってやる。大事にしなければ来年、いい花をつけてはくれないのだ。第一、放っておいたら盆栽としての体を失ってしまう。奥さんが冗談にも「私達より大事」と言うように、まさに手塩にかけて大事にしてやらないと来年どころか「今」もないのである。


秋月サツキ


 人間であれば百人が百人、綺麗な花が咲いていれば誰だって水遣りもすれば、大事にもする。問題はその後だ。花を落としてしまうと、その存在すら忘れて、ほったらかしにしてしまいがちだ。私のようなズボラ人間だと枯らしてしまうのがオチ。凡人と親爺さんのような盆栽気違いの違いはそこにある。丹精込めた≪我が子≫は「どうだ」と言わんばかりに胸を張って他人にも観せる努力もする。親爺さんは今年もライトアップまでして夜の見物客の便に供した。照明に浮かび上がるサツキの盆栽は、えもいわれぬ風情がある。


サツキ



 天候の乱れによる影響は、なにもサツキに限ったことではない。この辺りの果樹農家は軒並みそのシワ寄せを食っている。葡萄、桃、サクランボ・・。そのいずれもが1週間から10日も進んだという。サクランボはハウス物の出荷がすでに終わり、露地物へ。桃は摘果を既に終え、袋かけの最盛期。葡萄は伸びたツルを棚に縛り付ける「ツル結っけ」や房づくりをしながら、葡萄の種を抜くジベレリンという薬品処理の作業が真っ最中。




 サツキだったら開花が1週間早まうが、10日は早まろうがかまわないが、果樹栽培農家はそうはいかない。戦々恐々。生育の成否にとどまらず、価格への跳ね返りが心配だ。例えば、気温差のタイムラグを狙った山梨のサクランボの場合、本場・山形産との競合だ。お天気のいたずらは農家の財布をも左右するのである。


さつき


 平たく言うと今は目に青葉・・・の季節。人間とは贅沢で、わがままなもの。その新緑や青葉が重苦しくさえ感ずるのだ。只ででも混み入っている我が家の植え込みを見ながら、煩わしい剪定作業が気になり始めた。大雑把にせよ植木だって盆栽管理と同じなのだ。


盆栽1      盆栽2


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女房の存在

がぞりんスタンド2  


 「お父さん、私がいなくなったら、どうするんです? 何も出来ないんだから・・・」



 「お前は大丈夫。俺より長生きするさ。お前のお気楽、極楽ぶりじゃあ、あと50年、100年生きるよ」


 「失礼しちゃうわ。お父さんは(困れば)いつもそうなんだから・・・。自分のことぐらい自分でやってくれなきゃあ、困りますよ・・・」


 セルフのガソリンスタンドで、車の給油をしながらの、うちのかみさんとのやり取りである。車の運転もさることながら、ガソリンの給油も最近では、みんな女房任せ。実を言うと、車の運転はともかくとして、私にはセルフ給油の操作が分からないのだ。




 「まず車の給油口を開け、取り外したコックをここに置いたら、ここをタッチ。次にガソリンの種類を選定、給油作業に入る前にここにタッチして体の静電気を取り除くんです。給油が済んだら、ここを・・・」

ガソリンスタンド


 女房は馴れた手つきで、それをやって見せる。当たり前だが、セルフの給油機は、全てが指による機械操作だ。利用者の確定処理から始まって、料金請求のレシートを受け取るまで利用者が指示してやらなければ、給油が完了しない。


ガソリンスタンド3


 「へえ~い、いらっしゃい」


 車で通勤していた現役時代は、頻繁にガソリンスタンドに寄った。その頃はスタンドに車を横付けにしさえすれば、顔馴染みの店員さんが黙っていてもやってくれ、最後は「毎度あり・・・」。そればかりか、タバコの灰皿から窓ガラスの拭き掃除までサービスは≪満タン≫だった。




 もちろん、そんなガソリンスタンドがなくなったわけではない。でも、ただででも利幅が少ない、この業界は長引く経済不況と原油の高騰というダブルパンチにあえぎ、四苦八苦。閉鎖に追い込まれているスタンドだって珍しくない。生き残りを賭けた自衛策に懸命なのだ。「少しでも安く」。そんな消費者ニーズと人件費の削減などスタンド側の思惑がピタリと合ったのがセルフのスタンド。街にはこのタイプがどんどん増えている。徹底したサービスで勝負するか、それとも「安さ」で勝負するかの戦いといっていい。


ガソリンスタンド4


 普段からモノの値段には敏感な,特に主婦達は、はしっこい。普段はノロマな、うちのかみさん,いつの間にか銀行口座を設けて、セルフのスタンドでの給油に切り替えた。「全く何も出来ないんだから・・」「自分のことは自分で・・」。待てよ? うちのかみさん、亭主に向かっていつの間にか、子供にでも言うような口の聞き方をするようになった。




 考えてみたら、その時期は会社勤めをリタイアした頃からかもしれない。現役時代は少なくとも、そんなことはなかった。その金額が多いか、少ないかは別に、サラリーを運んでくれる≪打ち出の小槌≫だったからだろう。女とは現金なものだ。いくら年金生活に舵を切ったとはいえ「お前が今、こうしてメシを食っていられるのは誰のお陰だ」と開き直ってもみたくなる。でも、そんな女房がいるから我が家がもっているのかもしれない。




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巨大マーケットと起業家

上海


  インドなどと共に今や巨大なマーケットとして世界的な注目を集める中国。統計上でも13億人。実際にはその数をはるかに上回ると言われ、しかも急激な発展途上にある国だから、世界の起業家が注目しないはずがない。車の業界にしろ、ITや通信、新幹線や道路建設などあらゆる業界の企業が、そのマーケットへの進出を虎視眈々と狙っているのだ。




 グローバルという言葉が日常的に使われ、地球はどんどん小さくなっている。技術や人がそこを行き交い、それがまた地球を狭くしている。東南アジアはもちろんアフリカなどの発展途上国に対してはODAという名のカンフル剤も打たれ、経済活動の裏側では政治の後押しも。もちろん発展途上であったり、マーケットが巨大であるだけで、そこでの企業活動が順風満帆というわけではない。中国に進出した日本の現地法人の社長さんはこんなことを話してくれた。


 


 「一口に言って国民性の違う国での企業活動は難しい。日本ではほとんどあり得ない約束事の反古だって珍しくないし、金の支払いもよくない。今ではびっくりもしないが、賄賂による取引は当たり前。人を騙す事だって平気だ。そんな中国を日本の新聞は伝えない」




 この企業は日本では通信ケーブル業界の大手。もっとも今は光ファイバーだから、IT業界と言った方がいいのかもしれない。6年前、上海郊外の工業団地に進出した。出資比率は日本側が51%、中国側か49%。日本側リードの合弁企業である。


ケーブル



 現在の社長は二代目。初代社長が私達夫婦に今回の中国行きのきっかけを作り、案内役を買って出てくれた方だ。技術畑の秀才で、東京本社勤務はもちろん、イランの現地法人にも出向したこともある国際派のベテラン。中国では立地場所の選定から諸々の現地交渉を経て会社を立ち上げ、立派に軌道に乗せた。会社は上海の中心部から高速道路で50分足らずの所にある。工業団地といっても日本のそれとは大違い。スケールはとてつもなく大きい。国土はいっぱいあるのだ。人もいる。従業員は一握りの幹部を除いてむろん中国人。


会社  


 会社にご案内いただいた。懐かしい前任社長の来訪とあって現社長を先頭に私達夫婦まで大歓迎してくれた。応接室での茶飲み話では、国民性の違いがもたらすビジネスの難しさにとどまらず、そこでの企業戦略も話してくれた。それによると、賄賂ビジネスは目に余るものがあって、確実に落札するはずの仕事が一夜でひっくり返ることも珍しくない。当たり前のように談合で棲み分けを決めるのだが、賄賂がモノをいってしまうのだという。「そこには信義も何もない」。この社長はそれまでの中国市場一辺倒から欧米への輸出重視に舵を切った。中国を30%に抑え、アメリカを中心の欧米貿易70%にシフトした。



 30年ぐらい前のことだっただろうか。山梨県のあるダンボール会社が中国北部の黒龍江省に進出。割り箸の現地法人を立ち上げた。その合弁企業は先端技術を持った先の会社と違って日・中の出資比率は逆だった。結果的に撤退を余儀なくされた。数日前、国際ロータリー2620地区第一分区のIM(インター・シティ・ミーティング)で、その社長にお会いした。社長はしみじみ言った。「あの国での商売は難しいですね・・・」。




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教えるもの?盗むもの?

刺繍展示



 上海から車で小一時間。江蘇省は蘇州市の市街地の一角にある刺繍研究所を訪ねた時、「なるほど・・・」と頷く半面で、なんともいえない違和感を覚えたものだ。作業机を並べ、職場を共にする職人さんがすべて刺繍の裏側を覆面にしているのである。この研究所は私達のような観光客、しかも内外不特定多数の人たちに買い物を前提に見学を許しているのだから、当然のことながら、その道の専門家も虎視眈々と見に来るだろう。伝統の裏技をみすみす盗まれるようなヘマはしまい。


刺繍1



 伝統は守ってこそ伝統。特殊な技術や裏技は守り育ててこそ値打ちがある。そのこと自体は私のような盆暗でも分かる。でもここでは≪職場≫の同僚同士でさえ、その技術を教え合わない。両面刺繍の裏面でのテクニックを外部に漏らさないばかりか、親しい仕事上の仲間にも秘密だという。両面刺繍だから表から差した糸は裏で恐らく特殊なテクニックを施して、また表に返す。これが糸かと思うほど極細の糸を使っての気が遠くなるような連続作業なのだ。




 表側の作業を見る限り、≪気が遠くなる連続作業≫の匠の技を百歩譲って「へえ~」と驚き、賞賛する程度に収めたとしても、気懸かりなのは同時に行なっている裏面での作業。それぞれの職人さんたちが大きな布で覆い隠しているので、まさしく≪裏技≫は誰にも見えない。裏面で糸を返す時に施すテクニックは匠一人一人の固有の財産なのだろう。その技は単なる裏技ではなく、匠たちの修練がもたらす知恵の結集であることだけは容易に想像出来る。


刺繍展示2


 陶芸、彫刻、漆工芸、錬金、宝飾・・・。日本にも伝統工芸といわれるものはいっぱいある。むしろ、繊細な技術に長けた日本人だからこそ、世界的に見ても、その種類や、それに携わる匠の数は多いのだろう。しばしばテレビや雑誌に登場して、その人生を語る匠たち。そこには、それぞれの道を極めたり、極めつつある人達のなんとも表現の仕様がない風格と自信に満ちた顔がある。




 匠とは言わないまでも、おしなべて職人と言われる人達は「仕事は教わるものではなく盗むもの」と、よく言う。「盗む」という言葉がよくないとすれば、優れた技をいかにして自分のものにするかの貪欲さだ。「技を盗め」の反対語は「手取り足取り教える」。生産性を追い求めたり、何事においても忙しい現代社会にあっても、およそ匠とか職人と言われる人達は「手取り足取り」の教え方はしない。


刺繍2


 どんな仕事でもそうかも知れない。「手取り足取り」教わったとしても肝心の教わる側がそれへの意欲がなかったら結局は元の木阿弥。その逆に意欲ある者はその仕事や技術を「盗む」こともする。これも何の事はない。意欲がないものにいくら教えたって所詮はダメ。時間がゆったり流れていようが、いまいが匠や職人の技は技術や知識への貪欲さに源があるのだろう。「手取り足取り」の教育ママ、教育パパは増える一方。そこで無理やり教えたものは≪本物≫にはならない。いつの世も本物の技や知識は貪欲に盗むものかもしれない。




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Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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