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世界遺産

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 今回の地中海クルーズの出発点はイタリアのローマ。成田からの直行便の到着は出航前日の夜。乗船は翌日の午後。旅のスケジュールは、ゆっくりとローマ見物が出来るよう配慮されている。ホテルがある市街地を抜けて連れて行かれたのは、そう、あのコロッセオだ。コロッセオ(Colosseo)はイタリア語。英語ではコロシアム(Coloseum)。私たち日本人にはコロシアムの方が分かり易い。でもここはイタリア。やっぱりコロッセオだろう。





 市街地の街並みは整然としたたたずまいを見せ、街路の両側には「地中海松」が。恐らく日本人が名付けたものだろう。木の肌は日本の赤松にそっくり。でも形も仕立て方も全く違う。15㍍前後もあろう、その松は枝を下からだんだん切り落とし、てっぺん部分が丸く傘のようになっているのだ。幹は直径が50~60㎝はある。何百年の年輪を刻んでいるのだろう。その幹の太さからも十分に伺える。


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 コロッセオはローマ帝国が全盛を極めた時代のものだから、何百年などというスケールで言い表せるものではない。まだ午前9時前。そこにはもう観光客がいっぱい。白人もいれば,黒人も、私たちのような黄色人もいる。一年前にアドリア・エーゲ海クルーズで旅したギリシャのアテネのように、ローマは世界中の国から毎日、観光客を集めるのだ。まさに世界の観光地なのである。




 今、日本では富士山の世界文化遺産指定に向けて山梨・静岡両県がやっきりきに。6月にはユネスコの諮問機関・イコモスが、その調査結果を答申する。富士山は日本のシンボル。地元山梨・静岡両県にとどまらず、世界遺産への正否は政府だって無関心ではいられまい。やきもきしながらユネスコの出方を見守っているはずだ。「三保の松原(静岡)を指定の候補地から除外したら…」。イコモスは調査過程で、そんな注文もして来た。



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 それに比べれば,ローマのコロッセオを中心とした遺跡群は文化的にも歴史的にもケタはずれ。指定を乞わなくてもユネスコは、一も二もなく指定したに違いない。貴重な世界の文化遺産や自然遺産を保護、後世に伝えることに狙いがあるからだ。コロッセオの近くには文字通り1,000人が一度に入浴したという古代の「千人風呂」も。日本にも「千人風呂」という言葉があるが、「大きい」の代名詞に過ぎない。「万(よろず)」と同じだ。




 付近はまさに遺跡群。それどころか、その発掘は道半ばといった感じだ。ギリシャのアテネもそうだが、見るからにのんびりしたもの。日本なら世の中がひっくり返るほどの大騒ぎをし、埋蔵文化財法を盾に発掘作業を優先するだろう。ローマやアテネでは、手さえ掛ければ貴重な文化財がこれからも山ほど発掘されるに違いない。予算が追いつかないのか。それが証拠に発掘途中の所もあっちこっちに。


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 コロッセオは5万人もの観客を収容出来たというから半端ではない。それどころか闘技場の中には,現在のドーム球場にも似た日除けやエレベーターにも似た施設など、さまざまな工夫が施されていたというから凄い。権力の偉業を今に見せつけられた想いでもあった。




 古代ローマの闘技場からは、皇帝ネロの声や5万人の歓声と興奮が今にも伝わって来そう。世界遺産とはまさしくこれだ。(次回へ続く)

※再掲載=「クルーズ船の旅」シリーズ」


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ローマへの道

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 「全ての道はローマに通ず」(All Road lead to Roma)という言葉がある。17世紀の詩人ラ・フォンティーヌが書いた寓話・「裁判官と修道士と隠者」にある有名な言葉。ローマ帝国の全盛時代、世界各地からの道は首都・ローマに通ずると豪語したことから「物事が中心に向かって集中すること」の例えをいうのだ。




 山梨の片田舎からも道はちゃんとローマに通じていた。女房と二人・山梨市の弥次さん喜多さんは車で30分、約20㌔先の甲府へ。そこから高速バスで成田へ直行。中央道―首都高速道―京葉道路と乗り継いで空港へ向かうのである。距離は恐らく230~240㌔。首都高速からは京葉道路に限らず湾岸道路を使うことも。道路の混雑具合で選択するのだ。


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 その所要時間は決まって計れない。時間帯によって大渋滞を引き起こす首都高速の東京都心を通過しなければならないからだ。スムーズに行けば3時間ちょっとの道程だが、それは全く当てにならず、旅行者もバス会社も6時間、7時間を覚悟して成田に向かうのである。成田でロス時間を調整するほかはないのだ。




 「東京を渋滞なく通り抜けてくれよ」。山梨からの旅行者は,何時もそんな気持ちでバスに乗り込むのだ。バスは私たち弥次喜多夫婦など“お上りさん”の大きなスーツケースをお腹に抱いて走るのである。




 成田からローマは空路でざっと10,000㌔。厳密に言えば10,060㌔前後だ。気流との関係で5㌔、10㌔はすぐに誤差が出る。所用時間も偏西風を伴うから行きと帰りは異なり、行きが13時間半とすれば、帰りは12時間ちょっと。今度の成田―ローマ直行便の計算だ。


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 私たちのローマへの道は、旅行社(クラブツーリズム)が募集した10日間の一日前から始まっていた。山梨から成田までの当てにならない所要時間を警戒、成田前泊の道を選んだのである。そこはいかにも“お上りさん”らしい用心深さ。成田集合は午前11時半。私たちが高速バスを降り、シャトルバスで空港近くのホテルに入ったのは甲府を出てから4時間後の前日午後6時ちょっと過ぎであった。




 成田からのローマへの道は一つではなかった。私たちのローマ直行便のほか、同じ時間帯に出発するミラノ便があった。出発は午後2時40分を前後した頃。出発ゲートは、それぞれ搭乗開始をアナウンスしていた。両方の便に私たちの旅行目的・地中海クルーズのお客さんが居るのだが、ローマへの道は、二手に分かれた。航空運賃、旅行代金に差異があるのだという。ローマへの道にも、ちょっとしたマジックが。


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 それにしても私たち山梨からの“お上りさん”にとっては「ローマへの道」は遠い。ビジネスクラスならいざ知らず、エコノミーの狭い座席に押し込められて13時間半。そこで何もすることなく,二度の食事も。まるでブロイラー。鶏の気持ちがよく分かる。




 山梨県人の私たちが一息で列車に乗る時間は特急で東京・新宿までの1時間半。それでもうんざりするのだ。それに10倍近い輪を掛けるのだから、ご理解いただけるだろう。「もう限界」。そう思い始めて機内のテレビに映し出されたリアルタイムの飛行地点を見たら、まだシベリアの上空だった。(次回に続く)

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船旅への拘り

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 船の旅は今度で5回目。最初はハワイの島巡り。ハワイ8島のうち無人島や個人所有の島を除く確か4島だった。ホノルルのあるオハフ島を出てマウイ島、ハワイ島、カウアイ島を巡るコース。ハワイ8島のうちでも最も大きいハワイ島にはヒロとコナの二カ所に、マウイ島にはハワイ島への行きと帰りに寄る。再びオハフ島に戻るまで8日間の船旅。


ハワイ


 船は「Pride of America」。トン数は覚えていないが、今度の地中海クルーズの船より一回り大きかったような気がする。職場をリタイアした翌年で、女房を伴っての文字通り弥次喜多の旅であった。怖いもの知らず。言葉の壁を承知で、二人してアメリカのツアーに飛び込んだ。


船  


 動機? 仕事、仕事で女房を連れての海外旅行などただの一度もなかった“仕事人間”の、言ってみれば柄でもない罪滅ぼし。そこで観たもの、体験したもの。みんな新鮮だった。珍しかった。感動もした。第一、快適だった。ご存じ。ハワイ諸島は太平洋のど真ん中。ところが、船がイメージする揺れもなければ、それが原因しての船酔いもない。


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 「海外旅行をするなら船に限る」。その時から心に決めた。月並みの言葉で言えば“ハマった”のである。海路の場合、陸路と違ってバスや汽車、飛行機の輸送機関はいらない。移動は主に夜。私たち、お客が寝ている間に次の目的地に導いてくれるのだ。エクスカーションも寄港地で船の足元からバスで出発し、そこに戻ることが出来る。最も楽なのは旅の期間中、一度としてホテルを変える必要が無いことだ。


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 「○○時までにスーツケースを廊下に出しておいてください」、陸路だと毎日が、それの繰り返し。出発時間も朝が早かったり、ホテルへの到着時間もまちまち。正直言ってくたびれる。私のような“ものぐさ人間”には、それがない船旅がうってつけなのだ。




 味を占めた私たち夫婦は、今度はアラスカへ。米・ワシントン州シアトルから船に乗り、そこに戻るまでのやはり8日間。船はカナダの西海岸を航行、アラスカの数カ所はむろん、カナダの何カ所かにも立ち寄る。シアトルは、あのイチローが名をはせたシアトルマリナーズの本拠地。


 当時、城島も活躍していた。球場の正面にイチローと城島の写真がデカデカと掲げられているのを見て嬉しくなったのを覚えている。話は横道にそれるが、シアトルは、アップル社のビル・ゲイツの出身地。ホテルなどあらゆるところでインターネットは只。流石、と思ったものだ。自らのブログにも米国からアクセスしてみるなど、やりたい放題。


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 人間の欲望とは、だんだん膨らむもの。今度は旅の期間を長くしてみようと考えた。ハワイからロス・アンジェルスを経由してフロリダ州のマイアミに飛び、そこから船に。大西洋、カリブ海を経て、パナマ運河を渡って太平洋を北上、米・カリフォルニア州ロス・アンジェルスまで15日間の旅。ここまでは、全て米国のツアー。やっぱり言葉の壁に苦戦した。日本人が乗っていないから日本人向けのサービスが何もないのだ。弥次喜多夫婦の“お上りさん” 悪戦苦闘ぶりは想像していただけるだろう。




 今度の地中海の旅を刺激したのは昨年四月のアドリア海、エーゲ海の旅。長靴のような形をしたイタリア半島の根本・ベネチアを出港。アドリア海を南下、ギリシアとその諸島が広がるエーゲ海を覗いてUターン。クロアチアなどイタリア半島の対岸国を回ってベネチアの戻る8日間。地中海はブース(イタリア半島)を挟んだ反対側である。(次回へ続く)


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船酔い

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 揺れた。初めてだった。イタリア半島の尻のような所に浮かぶ大きな島・シチリア島から乗客乗員約5、000人を乗せて地中海を8日間の旅のゴール・ローマに向かう船は、大きく揺れた。この時期には珍しいという嵐(低気圧)に見舞われたのである。




 船の揺れとは気持ちが悪いもの。「お父さん、沈没しないかしら?」。弥次喜多道中の女房が神妙な顔つきで言う。そう。船の揺れは車のそれと違って、船酔いにとどまらず、頭の何処かで「沈没」という最悪な事態を考えてしまうからだ。




 「お父さんねえ、この船、何処かで座礁して、船長が真っ先に逃げてしまってひんしゅくを買った、あの船会社の船よ。大丈夫かしら」



 「バカ言え。このくらいの時化で沈没するくらいなら太平洋や大西洋を航行する船だったらみんな沈んでしまうよ」



 「イタリアで豪華客船が座礁」。船長が逃げ出したから話題にもなった。思い出した。1年前だったか、2年前だったか、女房が言うように常識では考えられない、と言われる事故を起こした船会社の船。これまで私たちが乗った別の国の船と比べると、ずっと小振りだが、それでも114、500トン。フロアは11階。つまり、11階建ての大きなホテルが海を走っている、と考えればいい。


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 時化との遭遇は下船を明日の朝に控えた前の夜。約3、500人の乗客は下船に備え、荷物を整理、午前2時をメドに廊下に出しておかなければならない晩である。「私なんかヘイチャラよ」と豪語していた女房もバスルームに飛び込んでゲロゲロ。下を向いてスーツケースの整理をしていたのが悪かった。私のように、お酒を飲んでベッドにひっくり返っている人間はいい。



クルーズ部屋


 船酔いとは不思議。大きなレストランで美味しい料理を食べ、ビールやワインを飲みながら談笑している時は何ともない。2階分が吹き抜けで天井が高い上、1、000人近くを収容出来るスペース。不思議なことに揺れを感じないのだ。ところが夕食時、沢山の乗客が行き交う船内の天井が低く、狭い通路や客室では、もろに揺れを感ずるのである。



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 揺れが人間の平衡感覚を狂わせ、“酔い”をもたらすのだが、そこに置かれた環境や特に心理的なものが大きく作用する事は確か。「私は船酔いの薬を持って来ました」。そんな用心深い人ほど先に酔う。現に母娘連れで私たち夫婦と同じツアーに参加したお二人のうちのお嬢さんは、普通の人なら揺れを感じない時でも「船」と聞き、乗った途端から船酔い。それ用の薬を飲んだら落ち着いたという。




 そんな人ごとのように言っている私だって船酔いの苦い経験は一つや二つある。若い頃だった。甲府の居酒屋で深酒をし、そのまま静岡へ海釣りに。夜が明けるのを待って小さな船で沖に向かうのである。そこでは一点を見詰めて釣り糸を垂れる。その先はご想像の通り。釣りどころではない。もちろん帰りたくても帰れない。閉口したなんてものではない。そこで教わったのは「目の前の一点ではなく、遠くを見る」事だった。(次回に続く)



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セキュリティーチェック

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 旅をしていて、つくづく思うのはテロリストが国際社会にもたらした罪だ。いつ仕掛けて来るか分からないテロリストから人々を守り、守らなければならない。そのための時間と労力、経費…。世界中では、とてつもない時間とお金を費やしているのだろう。  今度の海外旅行で山梨の片田舎を出発。成田空港への高速直行バスで同空港へ。その港内へ入る前で、まず検問。空港警察だろう。
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 「恐れ入ります。パスポートを拝見させていただきます」  ここでは主にはパスポートのチェックだけ。バスの窓越しに見るとマイカーは、トランクを開けさせて念入りに調べている。  「ご協力、ありがとうございました」  ゲートが開いて、バスやマイカーは空港の第一、第二のターミナルへ。全日空や日本航空など航空会社別のターミナルに向かうのである。

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 搭乗チケットを券売機で買い、カウンターでトランクを預ける。ここまでは手順にそって進めばいい。その次。セキュリティーチェックだ。手荷物ばかりではない。ポケットのケイタイや小銭入れ、腕時計やネックレス、ベルトに至るまで、全てをローラーで流れる受け皿へ。カメラチェックである。
携帯電話

 “身ぐるみ“剥がされた搭乗客は、今度は金属最終チェックのゲートをくぐらされるのだ。そこを通る時の気持ちは何度経験してもいいものではない。“無事”通過した時は、子供のようにホっとするのだ。「ブー」。そこで機械にノーを突きつけられようものなら、待ち受けていた係官の手で探知機での全身チェック。靴を脱がされ、その底まで調べられるのである。


 これでセキュリティーチェックが済んだと思ったら大間違い。同時進行で進んでいた手荷物検査。黒いカーテンで仕切られたカメラゾーンで、また待ったが。ここで引っかかるのは、特に液体。機内でのお楽しみのワインやお酒類、ペットボトルの水はむろん、女性の液体化粧品に至るまで容赦なく没収されるのである。


 旅行客は、液体の機内持ち込みはダメ、と言うことは知っている。でも人間、どこかに助平根性が。没収されるそれが高価なものであったり、思い入れが強いものであればあるほど、あきらめきれない気分になるのだ。

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 「お母さん、帰ったら、このワインで乾杯しようよ」  何年か前、大西洋―カリブ海―パナマ運河―太平洋クルーズの時、米・ロス・アンゼルスで手に入れた高級ワインを、ハワイのセキュウリティーチェックで没収された時のむなしさは今でも忘れられない。


 もちろん液体の機内持ち込みがチェックされることは知らなかったわけではない。もしチェックにかからないトランクに入れて、中で割れでもしたら…。貧乏人根性というか、そんな警戒心が逆に没収のハメに。目の前で大きなポリバケツに投げ込まれた。
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旅のキーワード

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 クルージングだから、今度の旅のキーワードは「船」に決まっている。もう一つキーワードがあるとすれば、それは紛れもなく「世界遺産」だ。イタリアのベネチアを出て、アドリア海を南下、エーゲ海を回って、再びベネチアに戻る7泊8日の船旅。立ち寄った国は、イタリアのほかギリシャ、クロアチアの3カ国。


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 イタリアの玄関口・バーリでは、アルベロベツロで「トウルッツリ」と呼ばれる、とんがり屋根の民家群を。ギリシャのオリンピアでは、かつてゼウスの神に捧げられた古代世界で最も重要な聖域だったと言われるオリンピアの遺跡を観た。そのカタコロンから回り込んで、同じギリシャのアテネではアクロポリスの丘を。都市国家時代の神域、と言われるそこには、数々の古典文化の芸術家達がもたらした傑作がひしめいていた。


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 エーゲ海には、大小様々な島がいっぱい浮かんでいる。その風景、特に家並みは白亜とか、カサブランカ(白い家)と言う形容がぴったり。ベネチアのサンマルコ島やクロアチアのドゥブロブニクにみられる中世風の建造物とは趣を一変する。サントリーニ島やミコノス島は、まさにエーゲ海に浮かぶ「白い宝石」だ。アドリア海とエーゲ海の雰囲気ががらりと違うのも面白い。


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 そのことごとくがユネスコ(UNESCO=United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization=国際連合教育科学文化機構)の世界文化遺産だ。そんなところを選んで巡っている、と言ってしまえばそれまでだが、その見事さには圧倒される。ユネスコは、一も二もなく登録を認めただろう。こんな素晴らしい財産を後世に残さなかったら、人類、バチが当たるとさえ思った。


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 今、山梨、静岡両県では、富士山の世界文化遺産登録に向けて大詰めの準備作業が進んでいる。自然遺産の登録では失敗。文化遺産に方向転換の舵を切っての作業である。富士山は、私たち日本人にとって心のシンボルであり、山岳信仰の源。だが、あって当たり前、の山であることも確か。特に、山梨県人の私のように毎日窓越しに眺めている人間にとって、それは珍しくもなければ、これといった感慨もわかない。


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 エーゲ海のサントリーニ島やミコノス島、アドリア海のゴルフ島なども、そこに住む人から見れば同じ感覚かもしれない。


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 私は長年、ユネスコの民間活動に参画している。今年9月8~9日には山梨市の市民会館で、研究大会を開く。静岡、神奈川、長野、山梨の4県で構成する中部東ブロックの大会で、それぞれの県のユネスコ協会の代表が集まって、研究討議をするのである。




 基調テーマは「富士山の世界遺産が意味するもの~人の絆と地域の輪~」と決めた。富士山の世界文化遺産登録をきっかけに、その意味するものや地域の活性化、人と人の絆を考えようというものだ。その前段になる基調講演や、それを受けたシンポジュウムには、富士山の世界遺産登録に向けての準備に携わっている中心的な人たちがあたる。因みに、我が国の登録世界遺産は14件。内、文化遺産は11件だ。


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ベネチアングラス

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 サンマルコ広場に限らず、サンマルコ島のあちこちには、ガラス工芸品を商いするお店もいっぱい。ベネチアのガラス工芸は「ベネチアングラス」の名で知られる、いわば世界のブランドなのだ。

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 宝飾貴金属店などとともに軒を連ねるベネチアングラスのお店には、あるある。様々なガラス細工の商品が。カラフルというかシックに造られた置物のガラス工芸品からワイングラス、ビールのジョッキ、さらにはネックレスなど女性用の副装品・・・。あらゆるものをガラスで作ってしまうと言っていい。

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 「お母さん、あのワイングラスがいいな・・・」

 「買いますか?」

 「うん、そうだな・・・」


 手に取ってみた。欲しいことは欲しいのだが、そこが貧乏人の性(さが)。値札を見て躊躇するのだ。「ベネチアングラスって、こんなに高いのか…」。見たとたん、元の位置に戻した。そんな貧乏人亭主をよそに、うちのかみさん、いとも簡単に「気に入ったのなら、お買いになったら?」。「バカ、すぐ割ってしまうくせに・・・」。今は亭主より太っ腹に見える女房の顔を見返しながら内心そう思った。


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 40代の若い頃だった。今でも覚えている。会議で金沢に出張した時のこと。九谷焼の“自分では素晴らしい”徳利と猪口のセットを買って帰ったことがある。「お酒は温めの燗がいい…♪」。元来、酒飲みの私は、お燗の温度ばかりでなく、徳利や猪口にも拘っていた。



 九谷焼の徳利と猪口もその一つ。安さラリーの財布をはたいて買って来たのだ。


 「これ、オレのお気に入りなんだからな。大事に扱ってくれよ」


 「分かっていますよ…」


 夕餉の食卓で、そんな会話を交わしながら晩酌を済ませた数分後。「ガチャ~ン」。台所で不吉な音が。咄嗟の予感は、不幸にも的中。いつもは自分の非を認めたがらない、うちのかみさん。この時ばかりは「ごめんなさい」。「バカっ。今、『割るんじゃないよ』と言ったばかりじゃあないか」。あとの祭である。




 世の中とは皮肉なもの。大事にしているものほど、簡単に壊したり、無くしたりするものなのだ。世の常かも知れない。若い頃だが、外国土産でいただいたダンヒルなど高級ブランドのライターをバーやキャバレーに置き忘れて無くしてしまった苦い経験がある。今でこそ100円ライターがそれに取って代わったが、そんな時代もあったのである。


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 7泊8日のアドリア海、エーゲ海クルーズを目的にした12日間の旅から山梨市の片田舎に戻った今、サンマルコの土産物店に並んでいたベネチアングラスを恨めしげに思い出す。「やっぱり、買ってくればよかった」。そんな後ろ髪を引かれる思いがあったのかも知れない。ベネチアを離れ、空路、日本に帰る途中の乗り継ぎ空港・ミューヘンで、ビールのジョッキ二つを買い、重い手荷物覚悟で帰って来た。もちろんドイツ製。お値段は18ユーロ。 こちらは割られても、それほど苦にならないガラス製品だ。


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ゴンドラの唄

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 「水の都」の看板の一つ、ゴンドラの発着所は、連絡船が出入りする港の一角。港と言うより、連絡船が行き来する島の岸と言った方がいい。そこには待合を兼ねた、ちょっとした案内所があって、そこで申し込みさえすれば、順番で乗せてくれる。料金は一隻、約150ユーロ。5人ぐらいが乗れるので、一人当たりにすると、日本円で3,000円ちょっと。高いか安いかは、その人の判断だ。


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 ゴンドラは細長く、曲線美豊かな黒の漆塗り。単なるボートと違って、見るからに、また乗っていてもデラックスな気分になる。黒のボディに金色の留め金や赤いモールが、ちょっとしたデラックスさを演出するのである。


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 島の岸、海の岸からこぎ出したゴンドラは、サンマルコ広場に通ずる海に面した道の“太鼓橋”の下をくぐって島の運河でもある、水路に入っていく。私たち日本からのツアーで募った10人のオプショングループが2隻のゴンドラを借りて出発した。料金をちょっと弾んで、うち1隻には、弾き語りの芸人を乗せてギターと歌声のライブを楽しみながらのゴンドラの“旅”。




 「あれっ、聞き覚えのある曲・・・」。前をゆく仲間のゴンドラの上で「ゴンドラの唄」のメロディーが。日本人への精一杯のサービスか。



 命短し 恋せよ乙女 赤きくちびる あせぬまに
 熱き血潮の 冷えぬまに 明日の月日は ないものを

 命短し 恋せよ乙女 いざ手を取りて かの舟に
 いざもゆる頬を 君が頬に ここには誰も来ぬものを

 命短し 恋せよ乙女 黒髪の色 あせぬまに
 心のほのお 消えぬまに 今日は再び来ぬものを





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 確か、吉井勇が作詞、中山晋平の作曲。小林旭や森繁久弥がうたい、ヒットした。日本人なら誰しもが口ずさんだ事がある歌だ。あの森繁節が懐かしい。この歌の元歌はイタリアにある、と聴いたことがある。舟で奏でてくれたおじさんが、そのことを知っていたかどうかは定かではない。もちろん、無粋で、元来、音痴の私なんかに、その詳しいことが分かっているはずもない。




 考えてみれば、代わり映えがするでもない同じような家並みの間を縫うように走る運河を、のんびりと散策するゴンドラの旅。所要時間は3~40分。結構、楽しめた。腕時計は午後5時半を回っていた。

 対岸のベネチア港から汽笛を鳴らしながら大型客船が出航していく。8日前、私たちが乗ってアドリア海、エーゲ海のクルーズに出た「MSC=ムジカ」号。旅支度を整えて新たな客を乗せ、再びの出港だ。私たちと同じように8日間の船旅を楽しみ、またこの港に帰ってくるのだろう。感慨深く手を振り、拍手で見送った。



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ゴンドラが似合う街

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 サンマルコの島にはゴンドラがよく似合う。島の中の至る所、迷路のように張り巡らされた運河をゴンドラは、まるで泳ぐように進んでいく。“船頭さん”は、みんなそろいのユニホーム姿。白地に黒っぽい横縞の半袖シャツを着ていて、長い木の竿一本で自由にゴンドラを操って行くのである。


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 イタリア人は全般に背が大きい。目鼻立ちもしっかりしているので、横縞のユニホームと相まってかっこいい。街を歩いていてもイタリア人には“デブ”が少ないように感じた。それに比べてフランクフルトやミューヘンの空港で見かけたドイツ人の方が男も女も“デブ”が多い。テレビでよくお見かけするメルケル首相のようなタイプの女性がいっぱい。背丈は男性も女性も、お隣のフランス人と比べて大きい。




 女性もかっこいい。「アモーレ、アモーレ、アモレミオ・・・」。学生の頃観たイタリア映画「刑事」。あの女優さんはなんと言ったか。アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」や「ローマの休日」「戦場に架ける橋」などとともに、今でも記憶に残る洋画の一つ。ソフィア・ローレン。往年のイタリアの大女優だ。そんな映画を見歩いた青春時代が懐かしい。


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 独断と偏見で見る欧州人の背丈なんかどっちでもいい。とにかく、かっこいい“船頭さん”のゴンドラさばきで、運河の回遊を楽しむのである。運河をまたぐ陸路の“太鼓橋”から眺める光景と違って、ゴンドラから見上げる光景のイメージはガラリと変わる。ゴンドラ同士やモーターボートがやっとすれ違うことが出来るほどの狭い運河の両側に3階建て、4階建ての住宅が並ぶ。




 どの家にも運河への“玄関口”が。もちろん、“太鼓橋“で陸を結ぶ道路はあるが、車がないので、生活物資の輸送は、この運河しかない。ここではゴンドラは観光用。観光客を乗せて案内するのが用途で、物資の輸送は主にはモーターボート。ゴンドラでの回遊では、あっちこっちで、そんな光景を見た。トイレットペーパーを下ろしているモーターボートの業者も。



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 生活雑排水はどう処理しているのだろう。運河を見る限り、多少は流れ出る雑排水の栄養物のせいで、いくらかは藻が発生しているが、総じて綺麗な水質を保っている。街並みは全て石造りや鉄筋コンクリートの家。歴史と共に歩んだ古い街並みなのである。そこで、「水の都」を汚さない浄化システムは? 




 私のような鈍感人間でもその不思議を考える。仮に生活雑排水が街の全てを毛細血管のように張り巡らしている運河に垂れ流されたら…。世界に誇る「水の都」は・、今にない。歴史の街には人々の英知と、それを守るために絶対妥協しないポリシーがあるのだろう。



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 逆を考えれば、近代の国家や地域が環境や水質の保全を維持出来なかったり、そのシステムを作れなかったとしたら、住民の努力はむろん、為政者の責任と言っていい。そんな事例は、私たちの身の回りにゴロゴロしている。優れた歴史の裏側には、それを支え続ける人々の努力と為政者の確固たる信念があるのだ。ゴンドラの上で、水に浸かって並ぶ家並みや水面を眺めながら、ふと、そんなことを思った。(次回に続く)



※再掲載=「クルーズ船の旅」シリーズ」


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サンマルコ広場

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 人、人、人。サンマルコ広場は世界の観光客で埋まっていた。一口に欧米人とか欧州人と言うが、アメリカ人や地元のイタリア人はむろん、ドイツやフランス、スペイン、スイス、オランダなどEU圏の人々、それに中東やアフリカ諸国の人たちも。まさに人種の坩堝と言ってもいい。




 サンマルコ島は「水の都」と、形容されるベネチアの、いわばシンボル。ベネチアを訪れる観光客は、必ずこの島に来る。陸路からも海路からも続々とやって来るのだ。例えば私たち海路のお客さんのように大型の客船が一隻着けば、一度に少なくとも2,500人ぐらいのお客さんがはき出されてくる。サンマルコ島の目と鼻の先に位置するベネチア港には、同じような規模の船が、ほかにも二隻停泊していた。


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 島にはベネチア港から連絡船で渡る。50人から7~80人乗りのボートが次々と接岸、観光客が上陸していく。目の前には中世風のホテルがずらりと並んでいる。もちろん私たちのように宿泊して、足を休める人もいれば、島を観光、そのまま帰っていく人もいる。




 連絡船を下りた人たちは、まるで申し合わせたようにサンマルコ広場に向かう。その数は半端ではないから、広い道路も人で埋まり、なかなか前に進まないほど。道の真ん中には仮装仮面やTシャツ、帽子など土産物を売る露店が。絵描きさんの露店もあっちこっちに。その絵は、ゴンドラをあしらった“水の都”の図柄だ。


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 前にも書いたが、この島には、車は一台もない。島の住人達の日常交通は全てが水路。船での往来である。道路をくぐる水路の橋は、みんなアーチ型になっていて陸上を歩く人々は、その橋を昇り降りするのである。山口県の錦帯橋とまではいかないが、日本で言う、いわゆる“太鼓橋”である。


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 サンマルコ広場の入り口とも言える海側には二本の大きな柱が立っていて、人々の待ち合わせの場所になったり、ツアー客の集合場所に充てられるのだという。私たちのようなツアー客やグループの観光客達は大きな広場や、その周辺でフリーの散策を楽しみ、約束の時間になると、この二本の柱の下に戻って来るのだ。




 広場を取り囲む街並みは、厳かさを演出するのに十分な中世の建造物。宮殿や教会が往時を偲ぶ。全てが石造建築。その一つ一つが人々の目を圧倒するのである。人々はそんなサンマルコ宮殿やサンマルコ寺院を見学するために長い列を作る。中にはアイスクリームを食べながら気長に列に加わる人もいる。


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 大勢の観光客を当て込んで、店の前に椅子をいっぱい並べて、飲食を促す店も。ただ、歩き疲れて「ちょうと座らせて」という私のようなモノグサは、容赦なく追い払う。飲食を伴い、お金を落とさないお客さんはご免、と言うのである。日本ばかりではない。洋の東西を問わず、観光地は、何処も金儲けにせち辛い。



 ちょっと小腹が空いて食べるサンドイッチやホットドック、それにコーヒーやジュースも決して安くない。人が集まる所は、お店側の主導だ。


※再掲載=「クルーズ船の旅」
(コロナ禍の下だからこそ、リモートで過去の旅を)



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おきてがみ
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やまびこ

Author:やまびこ
 職場を離れた後は«農業もどき»で頑張っています。傍ら、人権擁護委員やロータリー、ユネスコなどの活動も。農業は«もどき»とはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定もします。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは、身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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