高齢者という言葉
その年も暑い夏だった。7月に逝った仲間は心筋梗塞。その後に逝った友は癌。この二人に先立って逝った男は交通事故。何年も前になるが、立て続けに逝ってしまった3人の死因は、日本人の死亡原因ランキングの上位を地で行き、世相を反映しているようでもあった。癌、心臓病、脳疾患。ご存じ、日本人の死亡率ベスト3だ。
一方、車社会にあって交通事故による死者は、毎日のように出て、こうしている今も車の凶器は私たちの周りで牙をむいている。折しも今、秋の交通安全運動の真っ最中。こちらは癌のように本人や家族への≪告知≫もなければ、≪覚悟≫という、ある種の余裕も与えない。突然に襲い掛かって来る。癌も心臓病も、そんなすべてが他人ごとではなく、それと隣り合わせで生かされている自分たちに否応なく気づかされるのだ。
心筋梗塞で亡くなったK氏は釣りキチだった。晩年は渓流釣り一筋。地元山梨ばかりでなく、お隣の長野や岐阜、さらに富山や新潟…。時間とお金に糸目を付けずにヤマメやイワナと対峙した。片や癌で逝ってしまったN氏は写真。お目当ての被写体があれば、この男もどこからどこまでも飛び歩いた。
N氏は、釣りキチが竿や仕掛けに拘るようにカメラに拘った。今の私や、うちのかみさんのようにバカチョンのデジカメなんかではない。何台もの一眼レフの高級カメラを持っていた。モータードライブのカメラも。そんなカメラを詰め込んだショルダーケースの中には、ワイドが違うレンズもいっぱい。新聞社が紙面を割いて主催するフォトコンテストにも進んで応募した。
いずれも成せる業は玄人肌し。セミプロの技と言ってもいい。趣味も突き詰めていけば、そこにだんだん近づくのだろう。私のような何の取り得もない≪ノンポリ≫には到底、足元にも及べない。趣味は、それが高じれば専門家の域へと入って行くのだ。また惜しい人を亡くしてしまった。
先の敬老の日を前後して新聞やテレビは、我が国の高齢者のデータを様々な角度から報じていた。「我が国の最高齢者は○○さん。80歳以上のお年寄りは何人。65歳以上の高齢者は…」。総人口に占める割合をも伝えていた。「65歳以上の高齢者、そんなにいるのか」。他人事のようにつぶやいたら、うちのかみさん「私たちだってその中に入るんですよ」。
ハッと思った。そう言えばそうだ。間もなく81歳になろうとしているのだから、立派な高齢者。でも人間とは勝手なもの。自分は高齢者などと微塵も思っていないのだ。思いたくないのかもしれない。子供の頃とは言わないまでも、30代、40代の頃と少しも変わらないと思っているし、意識の上では青年だと思っている。
よく考えれば、そんな意識とは裏腹に体は確実に年を取っている。足腰が痛んだり、あっちこっちに故障が出る。つい数年前まで徹夜の麻雀も平気だったのに何時しか、それも誰ともなく億劫がるようになった。酒量もめっきり減った。初七日法要で友をねんごろに送りながら「この後はNの追悼麻雀だ。Nの分まで元気出さなくちゃ…」と。本当の気持ちだった。
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ありがとうございました!
一方、車社会にあって交通事故による死者は、毎日のように出て、こうしている今も車の凶器は私たちの周りで牙をむいている。折しも今、秋の交通安全運動の真っ最中。こちらは癌のように本人や家族への≪告知≫もなければ、≪覚悟≫という、ある種の余裕も与えない。突然に襲い掛かって来る。癌も心臓病も、そんなすべてが他人ごとではなく、それと隣り合わせで生かされている自分たちに否応なく気づかされるのだ。
心筋梗塞で亡くなったK氏は釣りキチだった。晩年は渓流釣り一筋。地元山梨ばかりでなく、お隣の長野や岐阜、さらに富山や新潟…。時間とお金に糸目を付けずにヤマメやイワナと対峙した。片や癌で逝ってしまったN氏は写真。お目当ての被写体があれば、この男もどこからどこまでも飛び歩いた。
N氏は、釣りキチが竿や仕掛けに拘るようにカメラに拘った。今の私や、うちのかみさんのようにバカチョンのデジカメなんかではない。何台もの一眼レフの高級カメラを持っていた。モータードライブのカメラも。そんなカメラを詰め込んだショルダーケースの中には、ワイドが違うレンズもいっぱい。新聞社が紙面を割いて主催するフォトコンテストにも進んで応募した。
いずれも成せる業は玄人肌し。セミプロの技と言ってもいい。趣味も突き詰めていけば、そこにだんだん近づくのだろう。私のような何の取り得もない≪ノンポリ≫には到底、足元にも及べない。趣味は、それが高じれば専門家の域へと入って行くのだ。また惜しい人を亡くしてしまった。
先の敬老の日を前後して新聞やテレビは、我が国の高齢者のデータを様々な角度から報じていた。「我が国の最高齢者は○○さん。80歳以上のお年寄りは何人。65歳以上の高齢者は…」。総人口に占める割合をも伝えていた。「65歳以上の高齢者、そんなにいるのか」。他人事のようにつぶやいたら、うちのかみさん「私たちだってその中に入るんですよ」。
ハッと思った。そう言えばそうだ。間もなく81歳になろうとしているのだから、立派な高齢者。でも人間とは勝手なもの。自分は高齢者などと微塵も思っていないのだ。思いたくないのかもしれない。子供の頃とは言わないまでも、30代、40代の頃と少しも変わらないと思っているし、意識の上では青年だと思っている。
よく考えれば、そんな意識とは裏腹に体は確実に年を取っている。足腰が痛んだり、あっちこっちに故障が出る。つい数年前まで徹夜の麻雀も平気だったのに何時しか、それも誰ともなく億劫がるようになった。酒量もめっきり減った。初七日法要で友をねんごろに送りながら「この後はNの追悼麻雀だ。Nの分まで元気出さなくちゃ…」と。本当の気持ちだった。
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