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クルーズ船の思い出

船  


 あのタミーは、どうしているのだろう。もう10年ぐらい前のことだ。出会いは、ハワイ諸島のマウイ島沖。太平洋のど真ん中、洋上を進む大型クルーズ船の甲板であった。船の名前は「Pride Of America =プライド オブ アメリカ号」。14階建てで、「船」というより、差し詰め海を自由に動き回る大きな「ホテル」だ。船籍は米国だろう。




 タミーは、その14階の甲板に設えられたプールサイドの真っ白い長椅子で、甲羅干をしながら本を読んでいた。年齢は後で聞いて分かるのだが、とても、その年齢とは見えないナイスバディ。もちろん、ビキニスタイルだ。隣の長椅子には海パン姿のご主人が。こちらはアメリカ人らしく、白い胸毛の大男だった。

船

 「Are You Chinese Or Japanese?」


 隣に寝そべった私たち夫婦を見て、ニッコリと問いかけてきた。


 「I Am Japanese…」


 「そ・う・で・す・か。日本人・で・し・た・か」


 このご婦人は、ざっと40年前、神奈川県の厚木米軍基地で通訳の仕事をしていた時、米兵のご主人と知り合って、23歳の時に結婚。ご主人の人事異動で、米国に住むようになったという生粋の日本人1世。「タミー」のネーミングは、恐らく和名の「民子」か「多美恵」のようなものから取った米国名だろう。

 
 

 長い間、日本以外の国、しかも周りに日本人がいないと日本語を忘れてしまうのだそうだ。言葉ばかりでなく、身体つきや仕草までアメリカ人に見えてくるから不思議。後で考えれば、歳に似合わず、ナイスバディに映ったのもそのせいだろう。その時は、ご主人は既に軍をリタイア、ネバダ州の田舎町で、孫に囲まれて、のんびり過ごしているのだという。




 米国は広い。ハワイは言うまでもなく米国の一部だが、ネバダ州から、そこまでは私たち夫婦が日本から行くのと同じどころか、もっと時間がかかる。でも、この人たちにとって、日本人が沖縄や奄美大島、北海道などへ旅するのと同じ感覚だろう。乗客は、ほんの僅かに、中国か韓国人らしき東洋人がいるものの、ほとんどが欧米人。


船の景色


 もう一つの特徴は、ほとんど全てが職場をリタイアした?年配の夫婦連れだ。日本人のように、やれ、卒業旅行だの、新婚旅行だのと言った浮かれた若者達の姿はない。海辺のリゾート地で、バケーションを楽しむ家族連れや仲間たちとは様相を異にしているのだ。クルーズ船の旅は、一度船に乗れば、荷物の移動もホテルの移動も全くしなくてもいいのが特徴。船は夜のうちに移動し、朝、寄港地に着くと、そこからは自由にコースを選んでツアーを楽しめばいい。私のような«ものぐさ»人間には、うってつけなのだ。




 只、困るのは言葉。やっとの片言の英語。もちろん女房も同じだ。無謀にも日本人ツアーではなく、米国ツアーに加わったものだから、日本人向けのサービスは全くない。くつろぐ夜のひと時、レストランのメニュー表もすべて英語。日本語が分かる乗務員すら乗っていないのである。そんな時、タミー夫婦は「地獄に仏」だった。(次回に続く)




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それぞれの紅葉狩り

富士山       南アルプス


 ちょっと手前味噌かもしれないが、山梨は山紫水明の地。富士山、南アルプス、八ヶ岳、それに御坂山塊や奥秩父の峰峰。とりわけ四方を山で囲まれた甲府盆地は、春には桃の花が咲き乱れ、ピンクのジュータンと化す。まさに桃源郷と言っていい。夏にはその実が実り、日本一の桃の産地を形成、秋には葡萄が実る。特に一宮、勝沼など盆地の東部一帯は日本的な果実卿なのである。一宮(笛吹市)、勝沼(甲州市)と目と鼻の先にある私のふるさと・岩手地区(山梨市)もサクランボの産地化が立派に進んだ。


桃


 サクランボの産地は、言わずと知れた山形。植性上、その栽培が南限と言われる山梨のサクランボは本場・山形とは時差の勝負。温度差はもちろん、ハウス栽培などの工夫、つまり地の利と生産者の努力で築き上げた。4月の下旬から5月、東京を中心とした首都圏から観光バスが繰り出し、どこの観光サクランボ園も賑わいを見せる。



 ただ、今年は、その様相を一変させた。言わずもがな、コロナ禍によるものだ。サクランボに限らないが、その打撃は半端ではなかった・。首都圏からの観光バスは、ほとんどストップ。どの「もぎ取り園」も閑散となった。農家の財布も推して知るべしだ。来年からの復活に期待する。



サクランボ



 サクランボが初夏なら桃は夏。そして秋の葡萄へと果樹王国・山梨の果物はリレーしていく。サクランボ狩り、桃狩り、ぶどう狩りが終われば今度は紅葉狩りだ。その頃になると富士山が真っ先に雪化粧、南アルプスや八ヶ岳の主峰もそれに負けじと薄化粧を始める。晩秋、平たく言えば里の人達に紅葉狩りの季節がやって来たことを告げるメッセージなのだ。



さくらんぼ    桃     葡萄



 「○○食べ放題」。果物の新鮮な味を楽しむ行楽から、目で見て自然を身体で味わう行楽へと移っていく。葡萄は姿を消したが、林檎や柿はこれからが旬だ。石和温泉郷などでゆっくり湯に浸かり、ほうとうなどの郷土料理も待っている。山梨は大都市東京の100㌔圏。山梨県人は「東京の奥座敷」という。人々をくつろがせる自然を持っている。



ほうとう  



 とはいえ、そこに住む私達はこの豊かな自然も当たり前。人間とは贅沢な動物だ。日々、その時々、表情を変える富士山の容姿も、外からお出でになった方々が目を見張る山々の紅葉も、そこにいれば特別の驚きもなければ感動もしない。まるで空気のように受け止めるのだ。ところが一歩外に出て見る同じような景色や光景には感激したり、びっくりもする。考えてみれば、それが旅行や行楽のよさなのだろう。


いろは坂



 数年前、ロータリークラブの親睦旅行の時、栃木県奥日光の中禅寺湖で見た鮮やかな紅葉は今でも忘れられない。旅行には40数人のメンバーが参加、日光東照宮に参拝した後、鬼怒川温泉に宿泊。翌日、中禅寺湖へ。そのバス旅行で見た、いろは坂の紅葉もさることながら中禅寺湖の紅葉は素晴らしいの一言に尽きた。


日光東照宮



 赤や黄色。その赤や黄色もそれぞれが微妙に色合いを異にするのである。紅く黄色く萌えた目の前の男体山が湖面にその姿を映し、男体山の前衛をなす湖周辺の木々は、近くで見るからか、その数倍も鮮やかだった。カエデやウルシ、ナナカマド。とりわけウルシやナナカマドの色は例えようがないほど紅い。所々にある常緑樹がその赤を引き立てるのだ。


 
 紅葉のアクセントとして存在感が大きいナナカマド。一説によれば、極めて燃えにくい木だそうで、かまどで7度も燃やさないと燃え尽きないことからその名がついたと言うが・・・。





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里の秋と蚕

紅葉


 里の秋は山から下りて来る。中秋を過ぎて晩秋と言った方がいいかもしれないが、富士山に初雪が降る頃になると、周りの山々は顔色を替え、装いを替え始める。紅葉だ。赤、紅、黄色。やがて山は萌え始め、それが里へと連鎖するのである。


紅葉2  



 昔、この辺が米麦、養蚕の農業形態だった頃、人々はまるで里の秋を輪切りにでもするように蚕の掃き立てをした。掃き立て、とは蚕の飼育を始めることだ。まさに初秋に当たる初秋蚕から始まって秋蚕(あきご)晩秋蚕(ばんしゅうさん)晩晩秋蚕といった具合に秋をリレーするのだ。



 暑さが真っ盛りの夏蚕(なつご)の後を拝する初秋蚕の時期は当然のように残暑が残る。それから周囲は徐々に気温を下げ、晩晩秋蚕の頃になると朝晩は寒くさえなる。それがちょうど今後頃だった。自然は正直だ。「掃き立て」とは卵から孵ったばかりの小さな蚕の幼虫を大切に掃くかのように扱ったことから来たのだろう。





 四六時中と言っていいほど蚕には、次から次へとを与える。その作業のため、子供たちも夜遅くといい、朝早くといい時間にかまわず叩き起こされるのである。「俺達は一日、三度の飯。お蚕はいったい何度飯を食えば気が済むんだ」。子供心にそう思った。昼間の遊び疲れで眠たいのに加え、周りは薄ら寒くなっているのだから、無性に腹が立つのである。そんな子供心を尻目に蚕は「バリバリ」と音を立てて無心に桑を食べるのだ。



蚕 



 蚕の飼育は秋ばかりではない。蚕の唯一の餌である桑が葉っぱを付ける春から始まる。同じように春の季節を輪切りにして夏蚕を経て秋の蚕に繋げるのだ。一年中とは言わないまでも蚕は、桑が春に緑の葉っぱを付け、秋に黄色くなって葉を落とす寸前まで半年近く断続的に飼育する。米麦中心の農家にとってはかけがえのない現金収入の道だった。今風に言えば「ドル箱」だった。


 何しろ蚕は掃き立てて(飼育し始めて)からひきる(上属)まで最長でも30日。夏の暑い時期だと20日もあれば繭になってしまう。それそれの農家に見合った労力配分計画的な蚕の飼育が出来、しかも短期間に現金収入が得られるのだからありがたい。しかし国際経済の容赦ない波は蚕とそれを収入の道とした農家を一瞬に飲み込んだ。韓国産の安い生糸に食われたのである。





 ともかく蚕ほど尊ばれた虫、もっと言えば生き物はいまい。蚕の頭には「お」を付け、尻には「さん」まで付けて「お蚕さん」と言った。そればかりか桑(餌)を与えることを「上げる」というのである。私なんか「さん」を付けてもらえればいい方。ちょっと間違えば「コレ」だ。かみさんなんかも、機嫌の悪い時など「あんたあ~」である。「私は貝になりたい」という小説があったが、俺は「お蚕さん」になりたい。


 繭


 教育の欠陥というか、世の中デタラメになったというか、日常の人間社会の中で敬語がおろそかになりつつあるような気がしてならない。まあ、ここでは難しいことはさて置くとして、里にも確実に秋が下りてきた。かつてはお蚕さんの餌となった桑畑の跡に堂々と広がる葡萄園は、既に実りの房をなくし、日に日に葉っぱを黄色くしている。肌寒さばかりでなく、目でも秋を感ずる季節となった。


もみじ

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柿と牡蠣と杮(こけら)

牡蠣



 誰が言ったか知らないが、牡蠣を海のミルクと言う。12月頃から翌年2月ごろが旬だそうだ。つまり冬場の食べ物。もちろん、山梨の我が家でも食べるが、数年前、松島への高校の同級生でつくる無尽会の旅行の時や、広島の友人に招かれた時にご馳走になった牡蠣の味は今も忘れられない。なんでもそうだが、本場で食べる味は格別だ。なにしろ旨い。




牡蠣2



 こうして叩いていたパソコンから顔を上げ、窓越しに外を眺めると庭先の柿が色付き始めた。種類は「御所」「富有」。自家用で食べるには少し早い。本当に美味しくなるのは霜が降りるようになってからだ。柿の中でも御所柿は年生りの激しい種類。今年はほとんど生っていない。どんな果物にも共通して言えるのだが、特に柿は消毒を怠ったらダメ。ヘタに虫が入り、実が熟す前にみんな落ちてしまうのである。年生りというより、今年の不作はその徹を踏んでしまったからと、異常気象のせいもあるのかも知れない。



柿1



 牡蠣。同じ「かき」だが、この二つは海の幸と山の幸。立場を異にする。しかし海と山を代表する栄養価の高い食べ物であることに違いはない。なにしろ柿だって昔からこんなことを言われている。


 


 「柿が赤くなれば医者が青くなる」


柿2



 栄養価の高い果物としての比喩でもある。ただこれには実りの秋が背景にあることも確か。柿ばかりではなく林檎や栗などさまざまな果物、大根や白菜などの野菜も採れる。黄金の稲穂が刈り取られ、美味しい新米が採れるのもこの時期だ。その秋の象徴が柿かもしれない。



栗



 その柿。同じ「柿」だが、果物の柿とは全く違う「柿」がある。「杮落とし」「杮」(こけら)だ。確か前にもちょっと触れたような記憶もあるが、実はこの二つの「柿」は意味ばかりではなく、字そのものが違うのである。「柿」(かき)は「木」ヘンに「
」を書き「巾」を書く。一方「杮」(こけら)は「一」に「巾」の縦の線を上に突き出すように書く。だから「柿」(かき)が九画なのに対して、「杮」(こけら)は八画なのだ。見た目は同じだが、全く異なる字なのである。試しに、かみさんに聞いてみたら案の定「杮(こけら)落とし」すら知らなかった。




 因みに「杮」(こけら)木材を削った時に出来るカンナ屑のこと。転じて柿落としは、この木片を払って新築、改築したばかりの建物で始めて行う催しのことを言う。元々は歌舞伎など劇場の催しを言ったのだそうだが、やがて多目的の文化ホールや競技場など公的施設のオープンなどにも使われるようになったのだという。

柿3


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「門前の小僧、習わぬ…」

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 「もう七七忌、四十九日か」。そんなことを考えながら臨んだ法事が始まる。導師として本堂に入って来たのは、先ほどまで話をさせていただいていたご住職ではなく、ご子息の副住職であった。どこの法事、お葬式でもあるように、「また、長~いお経を聴くのか」と、思っていたら、若い方丈さんはソフトな口調で、法話を始めた。




 正直、ホッとした。「己」の「心」と書く「忌」の文字を記した半紙大の紙を示しながら、「忌」の持つ意味や人の心の持ち様を説いた。母親が幼い子供を諭し、その子がやがて社会をまっとうに生きて行く姿を描いた絵本?を朗読しながら、参列者に分かり易く語りかけた。その間、約30分。もちろん、法要だから読経がなかったわけではない。




 法話や読経をお聞きしながら、「流石、名刹・瑞巌山円光院の後継…」、と思ったりもした。こんなことを言ったら、まさに「バチ」が当たるだろうが、いつもなら読経を聞いていると眠くなるのだ。しかし、この日だけは違った。分かり易い法話と、調和のとれた読経が、そうさせてくれたのかも知れない。

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 「読経を聞いていると、眠くなる」。不信心者の証にほかならない。お盆の前後や春秋の彼岸はむろん、父親や母親の命日まで「面倒臭くなって」怠る始末。後ろめたい気持ちがないでもないが、それも、いつしか薄れてしまうのだ。このブログをお読みになっている方なら、誰しも「馬鹿な奴」と、お思いだろう。でも、恥ずかしながら白状すると、これ、ホント。




 ところが、そんな亭主をよそに、女房は、何故か違うのだ。決まった時季の墓参りはむろん、毎朝の仏壇への線香や水を欠かしたことがない。普段、私目線で言えば、間が抜けたことが多く、«欠点»だらけ、と思うのだが、このことばかりは、どうしてどうして…。そこは亭主の沽券。口には出さないが、只々、頭が下がる。




 門前の小僧…。不肖の我が女房にも、それなりの背景があったのかも知れない。母親の実兄は日蓮宗の総本山・身延山久遠寺の法主を務めた人。望月日滋といって、あの渥美清演じた映画「風天の寅さん」で、柴又帝釈天・経栄山題経寺=東京都葛飾区柴又=の住職・「御前さま」のモデルになった人物だ。


母親の実家は、その先代にも法主を輩出していたというから、仏や先祖を敬う心だけは遺伝子として受け継いだのかも知れない。「遺伝子」などと、大げさなものではなく、「環境」かも。
 

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 法事の帰りがけ、本堂に導く玄関口には、仏法にまつわる大小の冊子が。その一つ「光明」(61号)の巻頭に「仏壇と祈り」と題した円光院ご住職・武田浩而師のお話が載っていた。武田師は最近、問題視されている「あおり運転」について書きながら、家庭にあって仏壇に手を合わせない風潮を指摘する一方で、核家族化や住宅事情などを背景に仏壇すらない家庭が増えていることを憂い、暗に戒めてもいた。




 隣には「花園」と題した冊子もあって、そこには円光院の副住職・武田一宏師の「おかげさまの心」という一文が。この中で、一宏師は北辰一刀流の創始者・千葉周作の修業時代に触れ、「(日常に)救いは自分の中にあるのに、迷っているのが私たち。松明で、ただ暗闇を照らそうとし、自分に元々宿る≪おのが光≫を見失わせている」とも。




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三条夫人の墓所と円光院

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円光院:富士の国やまなし観光ネットより


 墓所が先?それともお寺?「何をつまらぬことを言っているのか」。大抵の方なら、そう言うに違いないだろうが、ご住職のお話をお聞きして、ちょっとした«目から鱗»だった。所はJR甲府駅から2kmぐらい北の方角にある武田神社東側の山裾。そこに凛として佇む臨済宗妙心寺派のお寺さん・円光院。小雨に煙る庭園を背にした本堂廊下での立ち話であった。




 このお寺さんは、あの戦国最強と言われた武田信玄の正室・三条夫人の墓所として知られている。その三条夫人の戒名は「円光院殿梅岑大禅定尼」。ご住職によれば、「円光」は「梅」を意味するのだという。仏様や菩薩像に現されている、いわゆる「後光」のこと。平たく言えば、あの光の輪だ。




 「円光院」は、この三条夫人の戒名「円光院殿…」に由来して、名付けられたのだそうだ。お寺さんが先ではなく、「円光院殿…」の戒名を持つ三条夫人の墓所が先。「三条夫人はもともと高貴な生まれの方」というご住職は、言外に時の国師ならともかく、一介の僧には三条夫人の戒名を付けることなど出来なかった、と言うのである。


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三条夫人墓:富士の国やまなし観光ネットより


 梅の花言葉は「上品」、「高潔」、「忍耐」、「忠実」。三条夫人はこの「花言葉」にピタリとはまるという。京の都で身分の高い三条家に生まれた夫人は「上品」であり、甲斐の国主・信玄の妻として、民衆や家臣を支えた「高潔」な人。さらに、親族の度重なる悲しみを乗り越えた「忍耐」、信玄に従い、国主を支え続けた「忠実」な人という訳だ。




 1582年3月、織田徳川連合軍の焼き討ちに遭い、甲州市塩山の恵林寺山門で、唐の詩人・杜筍鶴の四行詩「夏目題悟空上人院」の結句部分である、あの「心頭滅却すれば…」を吟じて死んで逝った快川紹喜国師。快川は生前、三条夫人の葬儀で導師を務め、彼女を「梅のような人」と称えた、と言われる。ご住職によれば、三条夫人は時の天皇家の血筋だった、という。

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武田神社:富士の国やまなし観光ネットより


 戦国最強とは言え、京からは遠い甲斐の国の国主・信玄に嫁ぎ、お家の混乱の渦の中に巻き込まれる。嫡男・信義は父・信玄と対立して、甲府五山の一つ東光寺に幽閉された末、自ら命を絶ち、次男・竜芳は幼くして盲目に。「戦国の世の常」とは言うものの、娘など残る子供達も悲運の人生を送ることになる。




 信玄の跡目を継ぐのも、自らの子ではなく、諏訪頼重の娘と信玄の間の子・勝頼。勝頼は、恵林寺焼き討ちの後、織田徳川連合軍に追い詰められ、そこから東に10㎞ぐらい先の大和村(現甲州市大和町)の天目山・景徳院で自刃。武田家3代の終焉を遂げるのである。因みに、本能寺の変は、この年の6月。明智光秀の反乱が、3か月前だったら歴史は変わっていた。来年2021年は開府500年に当たる。




 甲府五山とは武田の館に程近い所に点在する東光寺、長禅寺、法泉寺、能成寺と、この円光院をいう。円光院の山号は「瑞嚴山」。「京都五山」、「鎌倉五山」をなぞらえた臨済宗の府中(甲府)のお寺だ。円光院の近くには市営の公園墓地「躑躅が崎霊園」もあって、現代の「墓地事情」を反映してもいる。ご住職との立ち話は、従弟の七七忌法要が始まるまでの、ちょっとした時間であった。(次回に続く)





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芋のつる

飯田龍太
飯田龍太

 「芋も露 連山影を…」と詠んだ飯田蛇笏は俳句結社と同人誌「雲母」を創設。龍太に引き継いだ。龍太亡き後、その遺志を継いで「雲母」の同人広瀬直人が「白露」を結社した。「雲母」から「白露」と受け継がれた一つの俳句界。その俳句は特に地元山梨でもしっかりと根付き、愛好者、ファンも多い。直人は日川高校の大先輩。もう40年ぐらい前だが、同窓会の当番幹事の下働きの時にお世話になった。学徒動員で神奈川県平塚の軍需工場に行ったと言うから旧制日川中学の最後ぐらい。温厚で、まさに俳人といった方であった。




 なにも芋のツルが長いものだからというわけではないが、「似て非なるもの」の延長線というか第二弾・サトイモトウノイモの話をしよう。我が家ではこの二つを同じ畑に隣り合わせに作った。いずれも収穫期を迎えている。「もうサトイモが食べられるはずだ」。いつもなら私が掘るのだが、腰痛の回復がはかばかしくないので、芋掘りをかみさんに言いづけた。


イモ


 芋は土の中だから多少の霜が降りても大丈夫。しかし、芋のツルは霜には滅法弱い。ツルというより茎だが、水分を多分に含んでいるので、ひとたび霜に遭おうものならひとたまりもない。勢いよく空を向いていたものが一瞬に畑にひれ伏し、見る影もない姿に変わるのだ。サトイモは芋を食べるのだからかまわない。でもトウノイモは茎を食べなければならないから霜に叩かれたら元も子もないのである。




 そこで霜に遭う前に収穫して皮をむく。天日干しした芋のツル巻き寿司の芯になったり、味噌汁の具煮物にしても美味しい。いわゆる保存食。農家の生活の知恵で生まれたのだろう。もっともだんだん手に入りにくくなったのか、芋のツルは巻き寿司にもお目にかからなくなった。そのピンチヒッターのはずだった干瓢(カンピョウ)が今では堂々の主役に。言われは分からないが、寿司屋さんで「かっぱ」といえば芯はキュウリ。それと同じタイプの寿司の芯によく使われるのがカンピョウでもある。

寿司
 カンピョウについてはまた折があったら触れさせて頂くとして、芋のツルとなるトウノイモの茎は皮を剥かなければ食べられない。いくら干して乾燥させてもスジが歯に引っかかってしまうのだ。だから丹念に皮を剥く。葉っぱを切り落とし、根元の方からスーっと剥いていく。アクが強いので手は真っ黒になる。私の経験では霜が降りる寸前が最も剥き易いのだが、初冬のこの時期の作業は決して楽しいものではない。




 こうしてサトイモと似て非なるトウノイモの茎は、芋のツルとして≪第二の人生≫を歩む。片やサトイモの茎は、無用の長物として見捨てられ、まるで邪魔者扱い。やがて畑の土に同化されてゆく。似て非なるこの二つは一長一短。芋のツルとして喜ばれるトウノイモだって、芋としてはちょっと大味だから味をよく知る人にはそんなに歓迎されないのである。餅屋は餅屋だ。



芋のつる 


 「サトイモを掘って食べたら・・・」と言ったのだが、かみさんが掘ってきたのはトウノイモ。案の定、区別がつかなかった。それほどこの二つは似ているのである。


イモ2


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馬子にも衣装、孫娘の七五三

着物 


 「馬子にも衣裳」という。馬子とは、駄馬に荷物や人を乗せて運ぶことを生業とした人で、馬子のような身分の低い人でも羽織袴を着れば、立派に見えることの例えだ。言い換えれば、つまらぬものでも、外見を飾ることで立派に見えることを言う。今時は、こんなことを言うと、大臣なら、«進歩的な»国会議員の先生方や文化人から袋叩きにされかねないだろうが、田舎のオッサンのこと。お許しを。




 兎に角、七五三を前にフォートスタジオで着飾った孫娘を見て、正直そう思った。神社、仏閣へのお参りを前に「衣装替え」しながら、記念写真を«前撮り»するのが流行っているのだそうで、付き添いのパパ、ママは我が子の記念撮影が自分のことのよう。「お父さん、私たちも行ってあげなきゃあ~。チビちゃんが待っているわよ」。女房も孫娘の晴れ姿見たさに朝から落ち着きを失くしていた。

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 写真屋さんの対応は至れり尽くせり。貸衣装はむろん、着付けや化粧のメイクさんも揃えて準備万端だ。七歳、五歳、三歳。むろん、男女もあるし、体の大きさもみんな違う。一口に貸衣装と言っても備えは大変だろう。成人式の比ではない。その道のプロがチームを組んでの「七五三作戦」に違いない。言ってみれば、蛇の道は蛇、である。




 フォートスタジオは、まさに«かき入れ時»。山梨県笛吹市御坂町にある田中写真館の若い店主氏によれば、成人式と並んで、一年中でも最も忙しい時季だそうで、スタジオのスタッフだけでも4~5人も。「スタジオ」は室内ばかりではなく、建物の外にある植え込みも、それに早変わりするのである。むしろ室内での決まりきったアングルより、ナチュラルな写真を作ることが出来るのだろう。

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 そんなことを計算に入れてか、植え込みも「若者風」。形が整った松などは一切なく、何処にもありそうな雑木や植物が。不思議なことに、その方が和装にも洋装にもフィットするのである。「自然」を演出できるのだ。




 待合室でもある応接のソファーの前には大型のモニターテレビが。そこには最近、このスタジオで収録された見事なアングルがローリングして見れるようにセットされている。成人式や七五三ばかりでなく、誕生日の記念写真や恋人同士の微笑ましいスナップなど、など…。そう考えれば街のフォートスタジオは一年中、忙しい、ということになる。




 入念な準備をして、メイク室というのか、着付け室というのか、そこから出て来た孫娘。一瞬、目を疑った。和服姿で、髪を可愛らしく整え、薄化粧の顔にはルージュの口紅。頭には,さりげなくかんざしが。まるで絵の中から抜け出してきたよう。ちょっぴり緊張しているせいもあって、別人のようだ。

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 間違いなく「馬子にも衣装」。普段の「おてんば娘」は、どこへやら。話す言葉も身のこなしも、どこか「大人びて」見えるから人間とは不思議。草履をはき、頭をモダンにセットしているせいか、背丈も大きく見える。娘の後から出て来た和服姿のママも緊張気味だった。



 「チビちゃんの七五三、お祝い、弾まなければいけませんね」。女房は言う。


 「そうだな…」

 因みに、ここにアップした写真はチビちゃんのママと私が撮った「素人写真」。田中写真館の名誉のためにー




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金木犀の功罪

金木犀


 金木犀。あまた花を咲かせる樹木の中で、これほど芳香を放つ木は、他にあるまい。今、我が家の植え込みでは、その金木犀の花が真っ盛りだ。朝、窓を開けると、かなり離れているのに、プーンと香しい匂いが鼻をくすぐる。まさに、自然が放つ香水だ。我が家に留まらず、この時季ならではの香りで、車で走っていても、何処のお宅からともなく、快い香りが…。つい、車のスピードを緩めたくなるのだ。




 それほど、香しい匂いを放つのに、花そのものは、どうというものではない。米粒を大きくしたぐらいの黄色い花を房のように、いっぱい付けるだけ。この花がどうして、こんなに香しい匂いを放つのか、と思えるほど、然もない花である。仮にも花として愛でるようなシロモノではない。でも、匂いがもたらす存在感は、どんな花にも負けまい。

金木犀

 「なんと無粋な…」。人様には叱られるかも知れないが、私にとって、この金木犀は、ちょっとしたお荷物。垂直に空に延びる棕櫚(シュロ)も手に負えないが、こちらは縦ばかりではなく、横縦に大きくなるから始末が悪い。素人には剪定の手に負えないのだ。




 父が、いや、祖父や曽祖父が残して行った、だだっ広い植え込みの世話は、結構、手が掛かる。職場があった現役時代は、もちろん、植木屋さんに任せっ放しだったのだが、リタイアをきっかけに自らの手で、剪定をするようになった。「自分でやれば、それも«稼ぎ»の一つ」。年金生活者になった、ちょっとした«自覚»からでもあった。時間をかけてやればいい。


庭

 「よろしゅうございますね」。年老いた植木屋さんは、そんな私の心の内を汲み取るように、剪定のちょっとした基本まで教えてくれた。親父の代から、ずっと面倒を見てくれた植木屋さんだ。阿吽の呼吸。時季になれば、黙っていても«お弟子»を連れて来ては、作業をしてくれる真柄でもあった。




 「自分でやる」。そう決めたまではいいが、少しばかりの手ほどきで、ド素人に剪定の奥義が分かる筈もなければ、上手にできる訳がない。幾つものツゲやイブキ、サツキやツツジなど、いわゆる«小物»はいい。それほど形に拘らない、柏やカシ、カリン、百日紅なども同じだ。サツキやツツジに至っては、刈り込み時季を間違い、翌年、咲かなかったことも。


庭


 我が家の金木犀は、母屋の屋根を楽々超す高さばかりでなく、横にも大きく膨らんでいる。梯子や脚立を上手に操れない素人には、手に負えないお荷物なのだ。松も同じだが、こちらは、梯子が届きさえすれば、見よう見真似で、なんとか出来る。むろん、形だけは整っていることが前提だ。


 


 「お父さん、堕ちないでよ」。女房が心配して脚立の下で声をかけるのだ。幸い、大きな怪我がなかったからいいが、実は何度か脚立がひっくり返って痛い目に遭った«前科»がある。


庭


 因みに、金木犀はモクセイ科、モクセイ属の常緑小高木。中国南部が原産地だそうで、日本には江戸時代に持ち込まれたという。面白いのは銀木犀(モクセイ)の変種だとか。つまり、銀木犀が突然変異で出来たものだ。将棋の「成金」宜しく、「銀」から「金」、つまり「成金」になったという訳である。




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似て非なるもの

サトイモ


 「芋の露 連山影を 正しゅうす」


 ご存知、飯田蛇笏の句だ。蛇笏はわが国を代表する俳人の一人。その息子・飯田龍太もそうだが日本芸術院会員でもあった。明治の中期、山梨県の甲府盆地の南、境川村(現笛吹市境川町)に生まれ、その実家を庵として数々の名句を生んだ。






 境川は中央自動車道を走ったことのある方なら、あるいはご存知。東京方面から来て甲府南ICの手前左側の閑静な部落だ。一画に坊が峰という小高い丘があって、NHKや民放の電波アンテナが立っている。蛇笏の庵があった所の字は大黒坂。この地名の響きがいい。いかにも俳人の庵がありそうな雰囲気がある。


芋



 「芋の露・・・」はそこで詠んだ句だ。「連山影を・・・」の連山は南アルプスの峰峰に違いない。おっと、こんな野暮天に俳句を読む力などありっこない。ただ田舎者がゆえに「芋の露」はよく分かる。恐らくサトイモかトウノイモの大きな葉っぱの上に大粒に丸まった水滴に連山を映したのだろう。表面張力で丸くなる水滴は芋の葉っぱの上でコロコロ転がる。その光景だけでも神秘を感じ、観ているだけでも面白い。この水滴に連山を映したのだから蛇笏の俳人としての観察力、洞察力はすごい。



 芋2



 俳句の世界では秋の季語。蛇笏がこの句を詠んだのは、恐らく初秋だろう。わんぱく小僧だった子供の頃、夕立に遭った学校道で、道端の芋畑に飛び込んで大きな葉っぱをもぎ取っては傘代わりにして家路を急いだものだ。傘とは反対に猪口のような形の芋の葉っぱは子供の身体を雨から避けるほど大きいのである。ただ所詮は芋の葉。本当は傘代わりになんかなりっこない。子供ならではの浅知恵であり、いたずら心に過ぎない。




 この芋の葉。大抵の方がサトイモの葉を連想するだろう。しかし、必ずしもサトイモとは限らない。さっきも書いたようにトウノイモもあるのだ。この二つは似て非なるもの。サトイモ科には違いないのだが種類が違う。ただ背丈や葉っぱの形、ほとんど区別がつかない。芋もバラバラにしてしまえば、これまた分からない。植え付けや収穫期も同じ。



芋のつる



 「もったいぶらずに早く話せよ」とおっしゃるだろう。見分け方は茎の色の違いだ。茎が緑色のものがサトイモ赤みがかったものがトウノイモ。これは見分け方に過ぎない。根本的には作る目的、つまり、食べ方が違うのだ。サトイモは言うまでもなく芋を食べるのが目的。片やトウノイモは茎を、いわゆる芋のツルとして食べるのである。サトイモの茎は食べない。恐らくエゴイのだろう。この二つのどちらを使うのか分からないが、知る人ぞ知っているあの「肥後芋茎」は芋のツルだ。ここではあえて説明を避ける。ちょっと説明がはばかられるからだ。

芋の弦2



 似て非なるサトイモとトウノイモ。知ったかぶって書いているが、実はその違いを知ったのはつい数年前。いい歳をして、と笑われるかもしれないが本当なのだ。勤めをリタイアして農業の真似事、自分でそれを作るようになってからだ。元々は百姓の倅。トウノイモは芋も食べる。でもサトイモと比べて淡白。あまり美味しくない。そういえば子供の頃、食卓に載った芋が旨くなかったことを覚えている。




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Author:やまびこ
 職場を離れた後は«農業もどき»で頑張っています。傍ら、人権擁護委員やロータリー、ユネスコなどの活動も。農業は«もどき»とはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定もします。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは、身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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