暑中見舞いの文化
一葉の暑中見舞いが舞い込んだ。「暑中お見舞い申し上げます」。なんの変わりばえのしない文面だが、「明けましておめでとうございます」の年賀状と同じように、なぜかその季節を感じさせる不思議な魔力を持っている。暑~い夏の到来をいやがうえにも髣髴とさせ、その反対に一抹の涼をも運んでくれる。年賀状からもう半年以上。一方で月日の経つのが早いことを実感させられたりもする。
暑中見舞いの送り主は、ロータリークラブの仲間で、ガス機器の販売会社を手広く営むオーナー会社の社長さん。「平素は格別のご愛顧を賜り・・・」の、これまたお馴染みの文面からしても、商いを主眼にしたご挨拶状に違いない。
「お父さん、早速、お返事のご挨拶をしてくださいよね。それにしても暑中見舞い、珍しくなりましたねえ」
女房がいみじくも言うように、まったく暑中見舞いの習慣が日本人の日常から音を立てて崩れ、忘れ去られようとさえしている。商いというか、商取引上の儀礼はともかく、一般での暑中見舞い状のやり取りは、本当に少なくなった。暑中見舞いをいかにも珍しそうに言う女房だから、それを書いている姿なんか見たこともないし、ましてや娘にいたっては、その存在すら知っていないだろう。そういう自分だってもう何年も書いたことがない。何年どころか、何十年かもしれない。
暑中見舞いは、季節的には寒中見舞いと対極にある。一年中で最も暑い時期、寒い時期に親しい仲間、親戚や知人の健康を気遣う慣わしだ。その期間は暑中見舞いの場合、梅雨明けから立秋、一方、寒中見舞いは寒の入りから立春の前の日、つまり節分までの間に出すものとされている。
年賀状の後に来る寒中見舞いは、二十四節気で一定しているが、暑中見舞いは「梅雨明けから」とされているので、その期間は一定していない。今年の立秋は8月7日。つまり最後は固定しているが、梅雨明けはその地方によって流動的だから、梅雨が明けるのが遅れれば、その期間は勢い狭まることになる。暑中見舞いの後には残暑見舞いがある。
どうして暑中見舞いや寒中見舞いの習慣が希薄になっていくのだろうか。人々の日常がせわしくなったこともさることながら、ケイタイやパソコンの普及が、それに拍車をかけたことは間違いない。いわゆるメールに依存し、人々が手紙そのものを書かなくなった。単なる儀礼のような暑中見舞いや寒中見舞いは、簡単に忘れられるだろうし、今はまだまだ存在感がある年賀状だって、やがてはその運命をたどるのだろう。
そして絵文字。ケイタイやパソコン、インターネット上で絵文字はアメーバーのように広がっている。絵文字も文字の文化として認知されるのかも。「浮気、不倫も文化」と、しゃあしゃあと言う芸能人も現れるくらいだ。俺だって内心そう思いたいが・・・。とにかく今は、何でもありだ。暑中見舞いのように忘れられる文化もあれば、新たに登場する文化もある。ジェネレーションギャップなどと嘆いてみたところで、止められるもんじゃない。
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