言葉の同化

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 職場を持たず、田舎に引き籠ってしまうと、行動範囲はむろん、接する人たちの数も、だんだん限られて来る。地元の地域や市内、市外では主には県都の甲府市くらい。ましてや旅行を除けば、他県に出る機会もめっきり減った。なくなったと言った方がいい。江戸の昔から東(江戸、東京)を見て生活して来た山梨県人は、100キロ前後の距離があるにしても東京は、身近な存在。その東京ですら、だんだん《足》が遠くなる。歳を取った証拠だろうか。思いついたとしても、億劫になるのだ。




 甲斐の国と言われた時代を含めて、戦国の武将たちが群雄割拠した頃、この地の人々は、押しなべて《西》、つまり「京」(京都)を見据えて生活していた。結果的には上洛を試みながらも失敗した武田信玄がその一例。所詮は水飲み百姓だった私たちの祖先も、その布石とも言える数々の戦に駆り立てられただろうから、庶民だって《西》に無関心でいられた訳ではないはずだ。もっとも、民・百姓は、その日の暮らしに汲々としていたのだろう。




 それが江戸幕府の開府・徳川政権の樹立以降、人々の目も含めた意識全般が《東》に変わったのである。ファッションも言葉も東京(江戸)に少なからず影響された。その生活パターンに大きな一石を投じたのが昭和50年代の中央自動車道の開通であった。名古屋を中心とした近畿地方、大阪を中心とした関西に道(高速道路)が開けたのである。


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 山梨県人は、日常の生活でも経済や文化の面でも思考回路を変えざるを得なくなったのだ。現に山梨県内の観光地には近畿や関西地方ナンバーの車が増え、物流はむろん、様々な面で、東と西の融合が顕著になっている。今進んでいるリニア中央新幹線計画は、それに、さらに拍車をかけるだろう。実用実験線は試験段階をほぼ終え、実用、開通に向けてまっしぐら。その起点駅となる東京・山手線の品川-田町間では新駅の建設が始まる。沿線はトンネル部分が多いので、予算的裏付けがあれば、工事のピッチは上がる。




 交通網の整備は、確実に人々の交流を円滑にしてくれる。このブログでも前に書いたが、昨年暮れ、全国高校ラグビー選手権大会の母校(日川)の応援で大阪・花園球場に行ったが、山梨からの所要時間は6時間。それも途中、トイレ休憩や食事時間を加味しての時間だ。同球場は東大阪だから、こちらから見れば大阪も外れに近い。


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 「オオ、久しぶりじゃあないか」


 バス5台で乗り込んだ山梨からの私たちを迎えてくれた関西在住の先輩たち。みんな立派な?大阪弁を使うのである。そう言っては失礼だが、甲州弁丸出しだった人たちである。


 「大阪弁、上手になったじゃあないですか」


 「そうかね…」と、前置きしながらも、こんなことを言った。


 「自然にそうなるもんだよ。第一、言葉は、その地域や人と人との接点。《郷に入らずんば郷に従い》さ。そんなことを考えなくたって、そうなるものさ」


 英国での7年間の転勤生活を終えて日本に戻って来た近所の若者が言った。「営業のテリトリーでもあるEUなど近隣諸国も歩いた。少なくとも英語には不自由しなくなった」。地方の方言も外国語も、言葉とはそんなものかもしれない。




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栴檀は双葉より…

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 ヒヨドリ、ムクドリ、カラス…。小鳥は、さまざまな草や樹木の種を、あっちこっちに運ぶ。畑であろうが、野原であろうが、石崖の間だろうが所を構わない。食べた雑草の実や樹木の実を糞と一緒にまき散らすのである。それが農家を少なからず困らせたり、長い年月とともに森を作ったりもする。私達人間どもには残念ながら、その確かな経路や実態は知る由もないのだ。獣や目には見えない風が運ぶケースもあろう。




 一方で、人間にとって《害虫》を食べてくれるかと思えば、鳥インフルエンザのように得体の知れない菌をどこからともなく運んで来て、人間どもを困らせる。何千羽、何万羽の鳥を断腸の思いで殺処分しなければならない養鶏農家にしたら、たまったものではない。その《犯人》である小鳥も天敵に襲われ《不遇の死》を遂げることも、もちろんあるだろう。自然界の摂理、輪廻とは不思議でもあり、奇奇怪怪である。




 雑草の種はむろん、樹木の種の移動の定かなことは誰にも分からない。でもセンダンの種の経路だけは、私には日常の畑仕事の中で手に取るように分かる。春から夏にかけて生える根拠のないセンダンがあっちこっちに生い、そのままにしておけば、どんどん大きくなるのだ。我が家の植え込みの向こうの広場の周りにある何本かの大きなセンダンの木が《発信元》。その実を小鳥が食べ、糞と共に畑や植え込みにまき散らしているのである。


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 センダン(栴檀・学名Melia azedarach)はセンダン科の落葉高木。広場は普段、子供たちの遊び場だったり、お年寄りのゲートボール場。万一の災害時には地域の人たちの避難場所にもなる。開設時に広場の周りに植えたセンダンは、今ではみんな10mを超す立派な大木となり、シーズンにはいっぱいの実をつける。




 「栴檀は双葉より芳し」。鼻たらし小僧で、今でも取りえのない私のような人間には、全く無縁な言葉。それが証拠に、センダンは兎に角香りのいい(芳しい)木だと思い込んでいた。諺の栴檀と私たちの周りにあるセンダン(栴檀)が違うということを知ったのは恥ずかしながら、サラリーマン現役時代の、それも40歳過ぎの頃。会議で高知県に行き、高知城を案内していただいた時であった。もう30年ぐらい前のことである。


栴檀の花


 公園となっている城址の一画には確か、自由民権運動の祖・板垣退助の石碑があって、その脇に「センダン」の名札が着いた大木が繁っていた。「これがセンダンか…。でも何の香りもしないじゃあないか?」。いくら物知らずでも「センダンは双葉より…」の諺ぐらいは知っていた。つぶやくように一緒にいた人に尋ねた。しかし答えはなかった。後に「…双葉より芳し」の諺にある栴檀は、実は中国の「白檀」であることが分かった。だが、栴檀がどうして白檀なのかは、未だに分からない。いずれにせよ高級扇子の素材などに使われる白檀の香りは、一度嗅いだら忘れない。なんとも言えない品格すら感ずる香なのだ。




 その昔、センダンは獄門台の素材として使われたという。日本では「悪木」とされ、庭に植えることを嫌った。インドでは古来、邪気を払う力があると信じられ、この信仰が中国を経て日本に伝わり、獄門台に使われたという説が有力だとか。これは穏やかでない話。.




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プロの洞察力

望月春江
望月春江 : 泰山木


 「例えばですが、私は鯉を描こうとする時、鱗の一枚一枚まで数えるのです。木々が付ける葉っぱだって同じ・・・」




 ムチウチ症の治療のため、一週間に何度か通っている病院で、診察の待ち時間中、暇つぶしに眺めた中庭の池の中。そこに泳ぐ鯉を見ながら、ふと、ある老人を思い出した。老人といっては失礼だが、この方は日本画、特に花鳥画にかけてはわが国を代表する画家だった。画伯と言った方がいい。その名を望月春江といった。もう鬼籍に入って久しい。


望月春江写真
望月春江

 私が30歳の半ば過ぎ、会社の東京支社にいた若造の時分だから、もう30年ぐらい前になる。山梨の同郷のよしみということもあったのだろう。仕事でお目にかかったのをご縁に、なぜか可愛がって頂き、お宅にもよくお邪魔した。アトリエを兼ねたお宅は上野の池之端という所にあった。不忍池のすぐ近くだ。庵といった方がいいかもしれない。





 「鯉の鱗一枚まで・・・」「葉っぱのスジまで・・・」。何気なく、穏やかに話すお顔を拝見しながら、私は目に見えない斧で頭をガツ~ンとやられたような思いをした。あっけらか~ん、と言えばまだ聞こえがいいが、のんびり生きている自分を省みたからだ。のんびりというのもちょっと違うかもしれない。サラリーマンの、仕事の、「忙しさ」と言う隠れ蓑を被って、ややもすると目先だけで動き、本質を見失いかねない自分がいたからだ。


美ヶ原
望月春江 : 美ヶ原


 プロはすごい。「へえ~、すごい絵だなあ~」と、思いながらも、素人が当たり前のように見る一枚の絵。そこには限りない観察力と緻密な計算があったのだ。木一本を描くにも漫然とではなく、緻密な計算と奥深い観察をする。例えば、そこに幾つもの架空の点と線を引いては枝と葉っぱの関わりなどをつぶさに観察するのだという。鯉だって同じ。泳ぎ方の一部始終を見、その仕組み、構造まで摑んでしまうに違いない。





 その観察力が限りない洞察力に繋がっていくのだろう。そんな望月春江にかかれば鯉一匹、草木一つが本物より本物らしく、生き生きと生まれ変わるのである。俺達凡人には逆立ちしたって出来っこないのだが、プロには、それをやってのける日頃の鍛錬が導く、研ぎ澄まされた洞察力があるのだ。画家ばかりではない。音楽家だって、役者だって、物づくりのプロだって、みんな同じに違いない。凡人には見えないものが見え、聞こえないものが聞こえ、また感じないものが感ずるのだ。


惜春
望月春江 : 惜春

 お茶を、時にはお酒を頂きながらの私に、いつものように穏やかに話す画家・望月春江は、ある時、こんなことも言った。



 「あらゆる動物がそうであるように、人間も事あるごとに群れたがる。でも私はそれが嫌だった。だから、いずれの派閥にも属さず生きてきた。それが良かったか悪かったか・・」



 その口元には貫き通した信念とは裏腹に一抹の寂しさのようなものが・・・。




 病院の中庭で見た池の鯉も群れていた。人が近づけば群れていた鯉は我先にとそこに集まって来る。餌を求めてだ。しかし、不思議なことに一匹や二匹、その群れに入らないヤツがいる。でも、よく見ると寂しそうに見えるその鯉は悠然と、むしろ輝いて見えた。


鯉


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女は怖い

稲妻


 「お父さん、女を甘く見ると怖いわよ。言うことを聴かないと私だって、分からないわよ・・」


 「おい、おい、脅かすなよ。酒が喉に引っかかるじゃあないか」


 


 午後7時。テレビのニュースを見ながら晩酌をしていた私に向かって台所の女房が言った。ニュースは二つの県で起きている女性の殺人容疑事件を立て続けに伝えていた。いずれも、何人もの男を手玉にとって、お金を騙し取った上、殺してしまったのではないか、というのだ。いわゆる連続殺人事件の疑いで警察が捜査しているという。



 私だって女は怖いと思って視ていた。女房はそれを見透かすように本音とも、冗談ともつかないような表情で言うのである。


噴火


 その二つの事件の後にはさらに女子大生のバラバラ殺人事件が。世の中が活発に動くウイークデイ。注目の政治の動きもあれば、経済の動き、面白い話題だってある。いわば、この時間帯のニュースは、その日の出来事の集大成である。一つぐらいならまだしも、トップニュースから立て続けに、こんな殺伐とした事件が伝えられることは滅多にない。それも女が主役だ。




 ヘンな世の中になったもんだ。つくづくそう思った。残念だが、これまでにも殺人事件と名の付く事件は山ほどあった。でも、その主役はほとんどが男。女がらみの事件も手玉に取るのは、いつも男だった。猟奇的なバラバラ事件も犯人が捕まってみれば、暴力団の組員など、これも男。女が主役になる事件は稀だった。

1


 でも、そもそも女性にだって凶暴性が内在していないわけではない。昭和40年代の初めだっただろうか、山梨県甲府市の郊外で、こんな事件があった。地方にもモータリゼーションの波がぼつぼつ押し寄せ始めた頃だった。女房が亭主に多額の保険金をかけ、懇(ねんごろ)になっていた暴力団の男と図って、交通事故を装って亭主を殺した保険金詐欺殺人事件だった。警察の捜査本部は事件の発生現場に因んで「万歳橋殺人事件」と名づけた。




 一見、貞淑な妻。暴力団。保険金詐欺。それに時代を反映した交通事故偽装。3拍子も、4拍子もそろった事件だったから、新聞はもちろん、当時の週刊誌は寄ってタカって書きたてた。交通事故を偽装した保険金殺人の全国第1号だった。今のようにテレビのモーニングショーや現場中継が華やかだったら全国的に知らない人はいなかっただろう。


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 それから数年後。群馬県の榛名山中で起きた赤軍派の大量惨殺事件。これも首謀者は永田何某という女だった。革命を前提に山梨県の大菩薩峠で行なった軍事訓練が摘発された後、連合赤軍は分裂して一部は「よど号」を乗っ取って北朝鮮へ。最も過激だったのが永田らのグループ。その延長線上にあったのが、あの「浅間山荘事件」だ。一方、中東に飛んでテロ事件の先頭に立ったのも女性。因みに「浅間山荘事件」はアポロの月面着陸と並んで今のテレビ中継の走りだった。世の中に半分はいる女性にお叱りを受ける覚悟で言えば、うちのかみさんが冗談交じりに言うように、やっぱり女は怖いのかもしれない。


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木枯らしと枯露柿

小春日和


 小春日和。この時期、いかにものどかな冬の一日を連想する。どこか哀愁を秘めた「木漏れ日」とはまた違った味わいのある言葉だ。そこに住む人々の年代や人それぞれの地域や環境によって受け止め方は微妙に違うかもしれない。





 今は住宅構造がガラリと変わり、縁側のある家は皆無といっていい。サッシ戸が雨戸に取って代わり、のんびりした縁側空間は合理的ともいえる住宅間取りに飲み込まれて姿を消したのである。年老いたおばあちゃんが小春日和の柔らかい冬の日差しを浴びながら、縁側でのんびりと孫の手袋やマフラーを編む。その脇で玉糸にじゃれて遊ぶ子猫。田舎育ちの私達が子供の頃は、当たり前に目にした光景だ。

おばあちゃん

 この小春日和。今、私達の地域ではみんなが恨めしがっている。以前にもちょっと紹介したことがあるが、山梨県甲府盆地の東部一帯は「松里」という地区を中心に枯露柿の一大産地。知る人ぞ知る全国的な産地なのである。その枯露柿作りには小春日和ではなく、冷たい木枯らしが必要。温かい小春日和は、むしろ大敵なのだ。


枯露柿



 巨峰やピオーネ、甲斐路、甲州・・・。果樹の最終ランナー・葡萄の収穫を終えて農作業を一段落させた農家は、つかの間の息抜きを挟んで11月の声とともに枯露柿作りに取り掛かるのである。農家は仕掛けを作った竹竿を使って柿をもぎ取り、一家総出で皮剥きに精出す。夜なべ仕事になる事だってある。皮剥きした柿は縄や紐で、簾状に吊るし、天日干しする。吊るす前に硫黄薫淨を欠かさない。仕上がりの色付けをよくするためだ。 100度ぐらいの熱湯に湯通しする人もいるが、仕上がりの色は硫黄の方が優るのだという。ただ味は湯通しの方がいいのだそうだ。


柿



 ある程度乾いたところで平干ししながら仕上げにかかる。この過程では「筋切り」というこれまた欠かせない工程があって、全体を揉みながら形を整え、柿の脊椎ともいえる筋を切るのである。これにはちょっとしたコツがいる。この筋切りは、揉む作業とともに枯露柿作りの技術的なポイントでもある。これらの工程を経て平干しした柿はやがて「粉」と呼ばれる白い粉状な物を噴出すのだ。そこまで来るとほぼ完成。






 枯露柿作りの最大のポイントは乾燥。硫黄薫淨を除けば全てが自然に委ねるのが枯露柿作りの特徴。私は自然が作る、まさに高級菓子ともいえる芸術食品は枯露柿をおいてないと思っている。それだけに自然の成り行きを拠り所にしなければならない。


枯露柿



 最も肝心なのは天日による乾燥工程だ。暖冬だと乾燥が遅れ、カビが生えてしまう。生柿を乾燥させるためには、一定の寒さと木枯らしのような通風が大切なのだ。暖冬と雨続きがもたらす湿度の多さが大敵。暖冬と小春日和は厳密には意味が違うが、ある意味、紙一重でもある。誰だって寒い冬より暖かい冬の方がいいに決まっている。しかし、死活問題、と言ったら大げさかもしれないが、枯露柿農家にとっては生命線であることは確か。今年は甲州百目など原料の柿が豊作。枯露柿は年末から今の年始にかけての贈答用品として市場に出回っている。







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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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