山岳信仰

 「お父さん、あれ、なあ~に? あんなにいっぱい石塔が・・・」

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 車の助手席に乗っていた女房は、道路の両側に並ぶ石碑群を指さしながら不思議そうな顔つきで言った。初めて見る女房ならずとも、そのおびただしい石碑群には誰だって圧倒され、「あれは?」と、目を見張らせられる。



 「あれか? あれはねえ、木曽の御嶽山を信仰する講社の皆さんが奉納した石碑だよ。墓の石塔なんかじゃあない。信仰の山には何処にもあるんだよ。富士山にだって・・・」


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 亭主の沽券? ちょっと知ったかぶりして説明してやった。今は木曽路を車で走っているのだが、いつも窓越しに眺めている富士山を思い浮かべながら、現在はほとんどが歩かない旧登山道に思いをはせた。富士山自動車道「富士スバルライン」が開通した昭和39年以降、この登山道は陰の存在になった。もちろん今もあるのだが、そこには苔むした御嶽山と同じような石碑が登山道の両脇に並んでいた。




 富士スバルラインが開通する何年か前。学生時代だった。東京の安下宿を抜け出して仲間と富士登山を決行した。新宿からの国鉄中央線を大月駅で富士急行線に乗り継いで終点の河口湖駅で下車。そこからオンボロの登山バスに乗り換えて五合目の「中の茶屋」に近い通称「馬返し」まで行くのである。今あるスバルラインの五合目駐車場よりずっと西だ。


吉田口登山道
吉田口登山道


 金剛杖片手にヤッケ姿の登山者が列を成して山頂を目指す。その頃になると夕日はとっぷりと暮れていた。太くもなく、うねうね続く登山道の脇にたたずむ石碑が不気味に懐中電灯に照らし出されたのを記憶している。前を歩いていた中年グループのリーダー格らしい男性が「これはねえ・・・」と仲間に説明している言葉を何故か今でも覚えている。その説明と私の記憶に間違いがなければこうだ。


 富士講は室町時代の後期、九州は長崎生まれの僧?角行(長谷川角行東堂)が富士山の人穴で修行したのが始まり。信仰心の厚い庶民は霊験あらたかな富士山をそのよすがとし、信者グループ「富士講」を結社した。以来、庶民の間に流行った疫病の退散や戦時下にあっては出征兵士の武運長久をも祈った。富士山信仰に人生の安息を求めたのである。


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 特に、江戸時代は隆盛を極め、江戸八百八町に富士講があって、大勢の信者達は白装束に身を固め、粛々と山頂を目指した。富士登山の出発点は「御師」と呼ばれる宿坊。時代の流れにさらされて今は民宿に姿を変えているが、山梨県側の富士吉田市や富士河口湖町にはその宿坊が名残をとどめている。




 長旅で疲れた信者たちは「御師」で身体を休め、身を清めて白装束を調え、やはり富士山の麓にある北口本宮富士浅間神社や河口湖畔の浅間神社に参拝、山頂を目指す。もちろん今のように車もなければ自動車道もないから、全てが自分の足。木曽の御岳山も出羽の月山、紀伊の熊野、四国の金毘羅講もみんな同じだろう。霊験あらたかな山は何処も変わらない。ただ変わったのは車の登場。木曽の御嶽山も足元の駐車場まで立派な道路が走っている。講社の方々が奉納した石碑群はその沿道にある。デブの私には登れないが、登山道にもあるのだろう。


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プロの洞察力

望月春江
望月春江 : 泰山木


 「例えばですが、私は鯉を描こうとする時、鱗の一枚一枚まで数えるのです。木々が付ける葉っぱだって同じ・・・」




 何年か前、ムチウチ症の治療のため、一週間に何度か通っていた病院で、診察の待ち時間中、暇つぶしに眺めた中庭の池の中。そこに泳ぐ鯉を見ながら、ふと、ある老人を思い出した。老人といっては失礼だが、この方は日本画、特に花鳥画にかけてはわが国を代表する画家だった。画伯と言った方がいい。その名を望月春江と言った。もう鬼籍に入って久しい。


望月春江写真
望月春江

 私が30歳の半ば過ぎ、会社の東京支社にいた若造の時分だから、もう40年ぐらい前になる。山梨の同郷のよしみということもあったのだろう。仕事でお目にかかったのをご縁に、なぜか可愛がって頂き、お宅にもよくお邪魔した。アトリエを兼ねたお宅は上野の池之端という所にあった。不忍池のすぐ近くだ。庵といった方がいいかもしれない。





 「鯉の鱗一枚まで・・・」「葉っぱのスジまで・・・」。何気なく、穏やかに話すお顔を拝見しながら、私は目に見えない斧で頭をガツ~ンとやられたような思いをした。あっけらか~ん、と言えばまだ聞こえがいいが、のんびり生きている自分を省みたからだ。のんびりというのもちょっと違うかもしれない。サラリーマンの、仕事の、「忙しさ」と言う隠れ蓑を被って、ややもすると目先だけで動き、本質を見失いかねない自分がいたからだ。


美ヶ原
望月春江 : 美ヶ原

 プロはすごい。「へえ~、すごい絵だなあ~」と、思いながらも、素人が当たり前のように見る一枚の絵。そこには限りない観察力と緻密な計算があったのだ。木一本を描くにも漫然とではなく、緻密な計算と奥深い観察をする。例えば、そこに幾つもの架空の点と線を引いては枝と葉っぱの関わりなどをつぶさに観察するのだという。鯉だって同じ。泳ぎ方の一部始終を見、その仕組み、構造まで摑んでしまうに違いない。





 その観察力が限りない洞察力に繋がっていくのだろう。そんな望月春江にかかれば鯉一匹、草木一つが本物より本物らしく、生き生きと生まれ変わるのである。俺達凡人には逆立ちしたって出来っこないのだが、プロには、それをやってのける日頃の鍛錬が導く、研ぎ澄まされた洞察力があるのだ。画家ばかりではない。音楽家だって、役者だって、物づくりのプロだって、みんな同じに違いない。凡人には見えないものが見え、聞こえないものが聞こえ、また感じないものが感ずるのだ。


惜春
望月春江 : 惜春

 お茶を、時にはお酒を頂きながらの私に、いつものように穏やかに話す画家・望月春江は、ある時、こんなことも言った。



 「あらゆる動物がそうであるように、人間も事あるごとに群れたがる。でも私はそれが嫌だった。だから、いずれの派閥にも属さず生きてきた。それが良かったか悪かったか・・」



 その口元には貫き通した信念とは裏腹に一抹の寂しさのようなものが・・・。




 病院の中庭で見た池の鯉も群れていた。人が近づけば群れていた鯉は我先にとそこに集まって来る。餌を求めてだ。しかし、不思議なことに一匹や二匹、その群れに入らないヤツがいる。でも、よく見ると寂しそうに見えるその鯉は悠然と、むしろ輝いて見えた。


鯉

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俺は粗大ゴミ

ゴミ置き場


 もう年末が近いのか。地域防災無線から流れる「粗大ゴミ回収のお知らせ」のアナウンスを聞いて、そんなことを思った。私達の地域の場合、粗大ゴミは通常のごみ収集とは別に、年に数回、日時を指定して回収している。年末が中心だ。有料(テレビや冷蔵庫などの電化製品)と無料があって、業者を巻き込んだ大掛かりな回収である。




 この地区は旧村の岩手村(昭和の合併で山梨市に)という所で、今の世帯数は500戸ほどのこじんまりした地域である。回収の指定場所は、この時期は休眠状態に入っているJAの果実共選所前の広場だ。年末にはちょっと早いようだが、市内を一巡するには今から始めないと間に合わないのだろう。



 「粗大ゴミの回収だそうよ。お父さんも行くんでしょう」



 アナウンスを聞いていた女房がかる口を叩いた。



 「おい、おい、俺は粗大ゴミかよ」



 「冗談よ、冗談。お父さんが粗大ゴミであるわけないでしょう」



 女房はちょっと言い過ぎたと思ったのか、ニヤニヤしながら慌てて打ち消した。でも、よく考えてみれば今の俺は女房にとって粗大ゴミみたいなものかも知れない。風が吹いても嵐が来ても毎朝、決まった時間に出勤し、月末にはきちんと給料を運んできた数年前までと違って、今は、毎日が日曜日。時に、やぶせったい存在に違いない。


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 三度の食事だって作らなければならないし、箸の上げ下ろしまでとは言わないまでも、いなければ聞かなくてもいい小言だって聴かなければならない。ナスやキユウリ、白菜や大根、サツマイモやサトイモ、そんなものを作る百姓の真似事だって、ほとんど女房も一緒。今はこまごました家事を考えれば一日の仕事量は女房の方が多いのかも知れない。





 人間とは、夫婦とは面白いものだ。毎日、朝から晩まで忙しく仕事をしていた頃は、少なくとも≪粗大ゴミ≫などという言葉を口にしなかった。そこには無意識のうちにも給料という名の生活費を稼いで来てくれる≪一家の主(あるじ)≫としての受け止め方があったのだろう。「のどもと過ぎれば・・・」。先人はうまいことを言ったものだ。給料の運び屋を辞めて5年も経つと、女房たちはいつの間にかその≪ありがたさ≫を忘れてしまう。
妻

 「お前は今、誰のおかげで飯を食っていると思っているんだ」
時々、女房の言葉の節々が妙に引っかかって、冗談とも本気ともつかない、こんなことを言うことがある。世の女房族のみなさんには案外分からないかも知れないが、男には「沽券(こけん)」というものがあるのだ。

夫

 サラリーマン時代からそうだが、私は、家事は一切、女房に任せている。その代わり給料は全部女房に渡して来た。それをどう使おうと口を挟まないことにしている。今は銀行振り込みになったが、給料袋の時代もずっと丸投げした。先日の「振り込め詐欺」についてのブログ記事で、私は被害者にならない事を前提に人ごとのように書いたのはそのためだ。お金と言うお金は全て女房任せ。騙されても振り込みようがないのだ。





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野良猫の手術

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 ある時、玄関先に鳥かごを頑固に、しかも大きく作り変えたような小奇麗な篭が。


 「コレ、なんだ?」


 「猫を入れる篭よ。鳥篭じゃあないわよ」


 「へえ~、こんなものあるんだ・・・」


 蛇の道は蛇。女房がご近所の愛猫家からお借りしてきたのだという。


 「ところで、こんなもの、いったい何に使うんだ?」


 「病院に連れて行くのよ」


 「病院?」


 「避妊手術を受けるのよ」


 そういえば、我が家に住みついた野良君。ちょっと≪美人≫で、案外モテルのである。近所の≪男友達≫が入れ替わり立ち代りやって来る。女房は先回りして避妊手術を思い立ったのだ。普段、物事にそれほど斟酌しない、うちのかみさんだが、女はすごい。男なら考えそうもないことを咄嗟に思いつき、それをすぐに行動に移すのだ。6㌔ぐらい離れた市内の動物病院へ。入院させて来たという。2泊3日。手術代は入院費用も含めて数万円がかかったという。

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 「たかが野良猫の避妊手術。そんなにお金がかかるのか・・・?」


 「仕方がないじゃないの。人間と違って保険が利かないんですもの」


 かみさんは完全に野良も家族の一員として考えている。


 「俺にも相談して病院に行けよ」。心の内ではそう思った。お金のことではない。「こいつの二世はもう見ることは出来ない」と考えたら無性に寂しくなった。「こんな野良・・・」と口では言いながらも、家族の一員として捉えている自分が滑稽にも思った。




 「お父さん、猫でも犬でもいいから飼おうよ」。随分前から、かみさんにせがまれた。娘も嫁入りする前、「私は可愛い犬がいいなあ」と母親と共同戦線を張ったりもした。しかし、頑として聞き入れなかった。




 これには、それなりの訳がある。定かではないが、小学校2~3年の頃だった。飼い犬の死に遭遇して幼心に大きなショックを受けた思い出があるからだ。老衰だった。昭和20年代、山梨県の片田舎のこの辺りでは、どこの家でもと言っていいほど犬を飼っていた。今のような、いわゆるペットとしてではない。番犬である。ペットなど、時代と言うより経済が許さなかった。番犬と言ってもみんなで可愛がった。




 屋外に犬小屋を作ってやり、鎖で繋いだ。番犬とは言え今のペットと同じように家族の一員であることに変わりはなかった。私には姉がいるが、3人の男兄弟の頭だった。老衰とは言え≪家族の一員≫の死は衝撃だった。まだこの辺りは今のような果樹地帯ではなく、田圃や桑畑だった。そこに弟達と一緒に≪墓≫を作り、懇ろに弔ったことを覚えている。線香を手向け、ちっちゃな手を合わせた。もうこんな思いはしたくなかったのだ。




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理念の証

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 お訪ねした会社のホール正面に設えられた神棚の脇には創業者の写真と「南洲」の書が。「南洲」はご存知、西郷隆盛の号。その掲額の文字は「敬天愛人」。天、つまり自然が織りなす道理を敬い、人を大事にする、と言うのだ。この会社の社是を南洲の四文字の書になぞらえたのかも知れない。写真の創業者は「初心を忘れるな」と説いているのだろう。




 ホールは椅子を並べても100人以上が入れる大きさ。社員の食堂であったり、朝礼や幹部の打ち合わせなどにも頻繁に使うはず。神棚の脇の創業者の写真と南洲の書は、そこに集う人たちに、「かくあるべし」と、いつも《無言の言葉》を投げかけているに違いない。




 会社は笛吹市にあって、精密プレス金型や治工具設計と制作、それに精密プレス部品の加工。分かり易く言えば、電子機器部品や、パソコンなどOA機器の部品、自動車の精密部品を作っている。広いスペースの工場の中に入ってみると、作業しているのは、みんなロボット。要所、要所にいる従業員は、そのロボットの管理者。設計陣も含めて、わずか65人の若い技術者であった。平均年齢は約30歳。タイにも同じような会社(合弁)を持っていて、こちらの従業員数は約800人。管理者の人材交流も積極的に行うという。


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 ロールに巻かれた薄い金属の帯がいくつものロボットによってプレスされ、面白いように、それぞれの金型に変身してゆく。生産工程のロボット化など会社の近代化を図ったのは二代目社長。創業者の娘婿で、鹿児島県出身・薩摩隼人である。次男に山梨の会社を、長男にタイの会社をまかせて、会長職に収まった。義父である創業者を敬い、南洲こと西郷隆盛の書「敬天愛人」を持ち込んだのも、そんな二代目社長(現会長)の理念の証である。山梨と西郷のご縁の始まりでもある。


  来年のNHK大河ドラマは西郷隆盛をテーマにした「西郷(せご)どん」。原作は山梨市出身の直木賞作家・林真理子。山梨と鹿児島。偶然とはいえ不思議なご縁を見た思いがした。脚本は中園ミホ、「西郷(せご)どん」は鈴木亮平が演ずるという。来年の大河ドラマのが楽しみにもなる。物事の出会いとは面白い。


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 この会社を訪問させていただいたのは、山梨ロータリークラブの日常例会の一環。RI・国際ロータリーのキーワードは「職業」。生業(なりわい)を異にして集まった仲間たちが、職業を通じて少しでも社会に貢献しよう、というものだ。職場訪問は仲間たちの職業を理解する最も手っ取り早い手段なのである。




 山梨ロータリークラブには、クラブ運営を管理するクラブ管理運営委員会など5つの委員会があって、その一つが今回の職場訪問を企画した奉仕プロジェクト委員会だ。クラブでは毎年、この会社訪問をやっていて、最近では社会福祉施設を手広く運営するメンバーや、高度な医療機器を備え、山梨市を中心とした広い地域の第二次医療を担うメンバーの総合病院も。院長・理事長として指揮する医療現場の最前線を見せていただいた。




 オーナー経営者は、私のようなサラリーマン経営、しかもリタイアして、百姓もどきの生活をしている人間と違って、毎日、さまざまな荒波にさらされている。今度の企業訪問で垣間見た「敬天愛人」は、そんな《お気楽》な私にも当てはまる《言葉》であった。「他山の石」として拝見させていただいた。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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