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芋茎(ずいき)と木枯らし

落ち葉 秋 紅葉2_convert_20121206192653


 これが木枯らしというのだろうか。今日の甲府盆地は朝から冷たい風が吹いた。一番霜に遭ったのか、トウノイモのツル(茎)もひと頃の元気をなくした。毛糸の帽子を冠って畑に出たが、冷たい風が頬を刺す。庭先の御所柿も、その冷たい風に吹かれて、葉っぱをすっかり落とし、裸になった木に黄色い実だけをぶら下げている。


 「夕陽の丘のふもとゆく バスの車掌の襟ぼくろ 別れた人に生き写し・・・」



 ご存知の方ご存知、昭和30年代の後半、石原裕次郎と朝丘ルリ子が唄った「夕陽の丘」の歌い出しである。その3番はこんな歌詞だ。


落ち葉 秋 紅葉_convert_20121206193103



 「真菰の葦は風に揺れ 落ち葉くるくる水に舞う この世の秋の哀れさを しみじみ胸にバスは行く」



 この歌の舞台は、どこかのひなびた湖の畔(ほとり)だろう。私が住む農村地帯のスチュエーションとは違うが、季節はちょうど今頃。落ち葉が風に舞う光景は全く同じだ。一枚、二枚とどんどん落ちていく柿の葉はカラコロと音を立てて風に舞うのである。


落ち葉



 今日の風が春一番ならぬ木枯らし一番かどうかは分からないが、季節は本格的な 冬へとまっしぐらに進んでいることは間違いない。我が家も冬支度へやることはいっぱいだ。地区のグランドゴルフ大会など、出掛けることが多く、枯露柿作りの柿もぎもやりかけ。トウノイモやサトイモ、サツマイモも掘らなければならない。特に、トウノイモは霜に当てたら肝心のツルが駄目になってしまう。


 
サトイモ
サトイモ


 トウノイモとサトイモは掘り出してみればその違いが分かるが、外観ではほとんど区別がつかない。答えをお教えしよう。簡単な見分け方は、ツル、つまり、大きな葉っぱを一つだけつけた茎が赤いのがトウノイモ青いもがサトイモである。芋はサトイモがたくさんの小芋をつけるのに対して、トウノイモは親芋だけが大きく、小芋は少ない。トウノイモの親芋はもちろん食べられるが、どちらかと言うと大味だ。


芋の弦2
トウノイモ


 この二つは作り手のそもそもの狙いが違うのである。言うまでもなく、サトイモは芋を食べることが主眼。これに対して、トウノイモはむしろ、ツルの方を食べることに主眼を置いているのである。同じようなツルだが、サトイモのツルは食べない。




 トウノイモのツルはどうして食べるの?とお思いの方もお出でだろうが、あなたも食べたことがある筈だ。巻き寿司の芯に使うあれだ。と言っても、最近はカンピョウが多く、滅多にお目にかからない。味はピカイチだが、カンピョウのように量産が出来ないからだろう。




 芋茎(ずいき)ともいう。肥後芋茎が有名だ。「随喜の涙」という言葉があるが、これとは関係ない。しかし、意味深に結びつきそうな言葉だ。いずれにしてもここで詳しく説明するわけにもいくまい。八百屋さんではなく薬局で売っている商品だ。



 刈り取ったトウノイモのツルは皮を剥いて天日干しにし、保存するが、寿司の芯ばかりでなく煮物にしてもいい。酒のつまみには絶品だ。明日はそのツル剥きをする。




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大根足と大根役者

大根5


 「この大根め・・」


 大根の収穫をしながら、なかなか抜けない大根にちょっぴり腹が立って独り言を言ったらそばにいた女房が何を勘違いしたのか


 「大根とは何よ。お父さんの足なんかゴボウじゃない。まったく・・・」


 なにやら女房は自分の足のことをいわれたと思ったらしい。いい歳をしてそそっかしいのは今に始まったことではないが、それにしても面白い。確かに大根はずん胴で、女房の足によく似ている。


大根4



 真面目に怒っているのがまた面白くなって「これなんか、おまんにそっくりだよなあ」といったら、また怒っていた。この会話が聞こえたのか隣の畑で仕事をしていた老夫婦はこちらを向いて、軽く頭を下げ、ニコニコ笑っていた。



 いい天気だ。小春日和とはこんな日のことを言うのだろう。



秋の空



 「今日は暖かいですねえ」と声をかけたら、その老夫婦は帽子を取りながらこちらにやって来た。


 「立派な大根を作りましたね。これじゃあ百姓顔負けですよ」



 「お宅じゃあ、大根作らなかったですよねえ。これ持って行って、沢庵に漬けてみて下さいよ」


大根2


 このあたりは葡萄や桃、サクランボなどの果樹地帯だから本格的な農家は手のかかる野菜作りは、どちらかというと敬遠するのだ。大根をネコと呼ばれる一輪車に載せて女房に隣の家まで運ばせた。大喜びしてくれる老夫婦がまたうれしい。大根足と勘違いしてさっきまで怒っていた女房も愛想よくニコニコしていた。





 さてその大根だが、殺菌作用も持ち合わせていて、決してアタル心配のない野菜だそうだ。刺身のつまや、そのパックの下に大根の千切り?が敷いてあるのもそんな理由からだ。それが転じて生まれた言葉が「大根役者」。当たらない、つまり、いつになっても人気が出ない役者のことを言うのである。女房が言う「大根足」は、その形容から誰とはなしに言うようになったのだろう。


大根2


 大根作りには土地が深い火山灰土の地域が適しているのだそうだ。山梨県では八ヶ岳と向かい合う茅が岳山麓の北杜市明野町の「浅尾大根」が有名。真っ直ぐであることはともかく、皮が薄く、沢庵漬けにはうってつけ。味もいい。茅が岳はあの登山家であり、エッセイストでもあった深田久弥さんが亡くなった山としても知られている。




 大根は、「青首」という種類のように地上にも伸びるが、当然、地下に生長する野菜だ。だから土の浅いところは適さないのである。私の地域は粘土質で土地が浅いから大根が真っ直ぐ伸びずに曲がったり、二股になりやすい。抜くのに一苦労する。そればかりか、力を入れると途中からポキンと折れてしまうのである。でも商品として出荷するわけではないからかまわない。今年も大根足ならぬ、しなびた女房の足のような沢庵が食べられる。





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機械の故障

 人間、どんな機械にせよ故障されると困るものだし、そのありがたさが分かる。一つは農作業用の管理機の故障だ。お陰で農作業が大幅に滞った。大根など秋物野菜の播種の旬をずらしてしまったのである。「なあ~に、収穫が遅れるだけさ」。そうタカをくくってはいるのだが、果たしてモノになるかどうか。気懸かりと言うか、興味深くもある。



大根


 言うまでもなく種蒔きの旬は、それぞれの野菜の発芽や生長に適した時季。主には気温だろうが、細かくは雨量や害虫との関係もあるだろう。自分の経験から言わせて貰えば、白菜などは播種があまり早いと幼い葉の段階から虫にやられる。全くの無農薬栽培をしているので、蝶など虫の産卵やふ化、成長はまさに大敵。その時期を遅らせれば、これへの障害はある程度クリアできるのだが、半面、野菜そのものの成長に支障をきたすのだ。






 一般的にもそうだが、我が家の場合、秋物の大根は毎年、8月下旬、遅くも9月の上旬には蒔きつける。これが沢庵になったり、温かいおでんや味噌汁の具になったりするのである。管理機の故障もさることながら、播種の時季を遅れても蒔きつけたのは、それなりの理由がある。実は昨年も大根の種蒔きのタイミングをちょっとずらしてしまった。当然のことながら、発育のペースは遅れる。寒さがやって来て霜も降りる。


大根3


 開き直った。発育遅れの大根に霜対策の藁をかけて放って置いた。何と寒い冬中も成長するではないか。これだと、かつてのように一旦、収穫して土の中にいけるなど特別の保存策を取らなくてもいい。地球の温暖化がこんな所にも作用しているのかもしれない。昨年の≪実践例≫に味をしめたり、拡大解釈しての大根作りだが、果たしてどうか。特に今年は夏を飛び越えての猛暑、一足飛びの冬の気配。ここ数日の冷え込みは尋常ではない。やっぱり気懸かりだ。




 管理機。字面からも都会の方々には分かりにくいだろうが、分かり易くいえばミニ耕運機である。親しい友達の中に器用な男がいて、電話一本で故障を直してくれた。人間の体と違って一旦故障した機械は、そのまま放って置いたら永遠に機能を回復することはない。これに対して人間の身体は、人間がそもそも持つ治癒能力によって自然治癒する場合もある。例えば、切り傷であり、骨折やひび割れ。軽い風邪や腹痛も同じだ。


ミニ耕運機


 ただ、人間の体の中で歯だけは治癒能力を持っていないのだそうだ。虫歯に犯された歯は絶対に治癒することはないし、一旦折れた歯は元には戻らない。機械と同じなのだ。機械というものは故障して初めてそのありがたさが分かる。手足や目、耳。みんなそうだが、とりわけ意識することもなく毎日三度三度お世話になっている歯。その歯が故障して、そのことをしみじみと思った。


歯科


 私の場合、前歯が虫歯で根元から折れてしまった。始末が悪いことにその歯は数本の入れ歯をブリッチして支えていた歯なのである。入れ歯まで機能しなくなった。食べることの不自由ばかりでなく、前歯だから息が漏ってしまい会話にも事欠くのだ。これだけは明日、明日と先送りするわけには行かない。すぐに知人の歯医者さんにお世話になった。




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野菜作りと女房

ミョウガ_convert_20111004213605


 「お父さん、こんなに採れたわよ」



 女房が小ザルにいっぱい、ミョウガを採って帰って来た。うちの女房、毎朝、私より早く起きる。勝手口の前で朝飯を待つ3匹の野良猫に餌をやり、その足で畑を見回って来るのが日課になった。私が教えたわけでも、誰かに言われたわけでもない。


ミー子2


 私は女房を野良猫たちの≪餌やりおばさん≫と言っている。腹っ減らしの野良たちも心得たもので、女房の起きて来る時間をちゃんと知っていて、勝手口でニャンニャン言っているのだ。餌やりの後、畑を見回る女房は、つい先ごろまでの夏場だと、キューリやナス、トマト、それにインゲンや枝豆などの野菜を採って来る。今の時期だったらもう峠を越したが、ピーマンやシシトー、それに最盛期と言っていいミョウガやモロヘイヤ。


モロヘイヤ2
モロヘイヤ


 夏野菜、それに秋冬、春野菜と我が家の野菜畑では、一年中では30種類近い野菜が採れる。正しく言えば、採れるのではなく作るのだ。職場をリタイア、ここ山梨市の実家に戻った時に植えた2本のリンゴ(ふじ)の木も今年は実を付けた。成木の富有柿や御所柿と並んであと一か月もすれば食べ頃を迎える。お蔭で我が家では一年を通して自家製野菜に事欠かない。都会での生活と違って土のある田舎暮らしのありがたさを実感したりもする。若い時には考えもしなかった。野菜や果物は、魚や肉と同じようにスーパーなどで買って食べるものと思い込んでいた女房も、まんざらでもなさそう。



 「お前ねえ、時には畑に出てお父さんに手伝ってもバチは当たらないぞ」


 ひと頃は、畑仕事に全く無関心だった女房に冗談とも本音ともつかない、こんなことをよく言ったものだ。人間とは面白いもの。最初は渋々、畑に出て来た女房も最近では、黙っていても手伝うようになった。顔つきまで違うのである。私のように百姓の倅に生まれたせいか、農業にあまり好感を持たない人間と違い、土との生活に縁のなかった女房にとっては、やってみると好奇心も手伝って新鮮に感ずるのかもしれない。





 そればかりではない。手伝い感覚とはいえ、自分が種蒔きや苗の植え付けに関わると、一つ一つの生育や収穫にも愛着が生まれるのだろう。長いホースを買い込んで来て、水やりも自分の仕事としてやっている。小ザルにミョウガをいっぱい採って帰ってくる女房の顔は誇らしげでもあった。ただ、野菜作りが雑草との戦いであることを心得ていないのか、草取りには全くの無頓着。黙っていれば草一本取ろうとしないのだ。

 
 「お前ねえ、草くらい抜けよ。小さいうちに取れば簡単なんだから・・・」


 「あら、そう・・・」


 種を蒔き、苗を植えさえすれば、大きくなって口に入る、と思っているのだ。「こいつ、バカじゃあねえのか」と思うことすらある。でもうれしそうに毎朝、畑を見回り、その時々の野菜を採って来ては、料理をしている姿を見ると、それ以上の言葉は出なくなるのだ。我が家の朝食はパン。ちょっとしたサラダやスープの素材にもなるが、主には昼食や夕餉の食卓に載る。スーパーや八百屋さんで買ったものと違い、自家製の野菜は一味違う。




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百姓の方便

畑  



 草生栽培だとか雑草との共生、という言葉をよく聴くようになった。農家、または≪農家もどき≫の人たちの間にである。100歩譲って草生栽培はいいにしても、雑草との共生で農作物が出来る訳がない。「雑草のように強い」と人にも例えられる言葉があるように雑草は逞しい。その雑草の中で農作物が育つ訳がないからだ。どんな野菜だってその周りの雑草を取ってやらないと雑草に食われてしまうのである。




 友人に≪自然との共生≫≪エコ≫をライフワークに考えている男がいる。その考え自体は素晴らしい。しかしよく分からないのは自然との共生が≪正義≫だからジャガイモやかぼちゃ、たまねぎを撒いても、肥料もやらなければ、雑草も取らないのである。ましてや、除草剤なんかもってのほかだ。


野菜づくり



 その畑を見たことがある。畑は一面草ボウボウ。ジャガイモやかぼちゃはよく見なければ分からないほど雑草の中に見事に埋没していた。今もその方法で野菜作りをしているかどうか分からないが、その畑は山間にあって、周りの畑も草ボウボウ。いわゆる遊休農地である。仲間の畑は農業後継者がいない、その遊休農地の一角をただ同然に借りたのだそうだ。ここなら草ボウボウにしていても近所から苦情も来るわけもないし、とヘンなところで納得したものだ。




 ただ、ここで思ったのは遊びの野菜作りといったら、その友人に叱られるかも知れないが、それと、農業で飯を食っていくということは、まったく別ということである。≪自然との共生≫≪エコ≫はこの友人の哲学といっていい。その哲学と実践を引っさげて、あっちこっちで講演をしたりもする。その頃、車もごく小さなものに乗り、そのどてっぱらにはエコを訴える大きな文字を書き込んでいた。


畑2



 そこまでは良かった。その車のわきで、私と立ち話をしながら、道路わきの畑で実る桃を横目に「この桃だって無農薬で作らなきゃあいけん」と、ぶった。そこをたまたま通りかかった農家の親爺らしき男はカンカン。目をむいて、こう言った。


桃



 「てめえら、何様だと思っているんだ。消毒をしちょだって?桃にゃあ灰星病というやつがすぐ着く。俺たちが消毒をしなかった、輸送中にみんな駄目になっちまって、消費者の口にゃ入らねえんだ。第一、俺たちゃあ、これで汗水たらし、飯を食ってるんだ。何も知らねえで、勝手なこと言うんじゃねえよ」



 私はもちろん、友人も一言の反論も出来なかった。




 さて草生栽培というやつだ。桃、葡萄、サクランボなど果樹園ではいいが、野菜作りでは成り立たない。果樹園での草生栽培にしても農家の方便のような気がしてならない。果樹栽培はだんだん高度化し、その一方で手間もかかるようになった。草に追われる農家は草退治に手が回らず、いっそのことと、草との共生を考えたのではないか。草生栽培といっても時を見て、草刈をしたり、除草剤を撒いているのである。らちもない事ばかり言うと「百姓もどきが、つまらぬこと、言うんじゃあねえよ」と叱られそうだ。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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