ハゲ頭とネクタリン桃

日差し


 「やっぱりがないと直射日光をまともに受けたり、ちょっとした外からの作用で傷だって付き易い。暑さ寒さもさることながら、毛があれば日焼けもしない。あってみればなんでもないのですが、無いとやっぱり不自由。毛は大事なんですねえ」


 隣の親爺は自らのハゲ頭に手をやり、ジャガイモの土寄せ中の私に真面目顔で言った。




 この親爺さんが言う「毛」とは髪の毛の「毛」ではない。の毛の話だ。その桃とはネクタリンという品種。早生種の白鳳や、その後を追いかけて出て来る白桃に代表される桃の改良品種である。漢字にすれば「油桃」というのだそうだ。「油桃」の字がイメージするように表面がツルツルしていて、いわゆる桃のような毛がない。形こそ違うがスモモのような肌をしている。桃の毛は病害虫から表皮が弱い実を守る役割も果たしているのだ。


ネクタリン
ネクタリン


 林檎にしろ、梨や柿、スモモ、サクランボにしろ、果実の表面に毛があるのは桃くらいのもの。葡萄だってない。あえて言えばキウイフルーツくらいのものだろう。ただ、このキウイフルーツは間違っても皮ごと食べることはないので、桃とは、ちょっと性格が違う。当たり前のように食べているが、桃は数ある果物の中でも特殊。丸かじりする場合、この毛を洗い落とさなければ食べられない。しかしネクタリンは全く毛がないので丸かじりだって出来る。親爺さんは、このネクタリン種の成木を何本も切ってしまった。しっかりした実をつけるに前にバッサリとやった。未練を残さないためだろう。

キウイ   桃


 「もったいないですねえ。それにしても、よく思い切ったことをしましたね



 「そうです。私にすれば断腸の思いです。消費者の人気はあと一歩。残念ながら売りにくい桃です。それに生産者がまばらなので、流通への出荷もしにくいのです。食べてはうまいのですがねえ・・・。独特の酸味が消費者に敬遠されるのかもしれません。なかなかポピュラーになり得ないのです」




 このネクタリン表皮に毛がないことと酸味が特徴。この酸味は、私なんかにはえもいわれぬ味だが、どうやら酸味は大衆的には受け入れられないようだ。「甲州種」と呼ばれる葡萄がそうだ。山梨県人はどんな葡萄にせよ、種ごと飲み込む習慣があるのでいいが、都市型の消費者の多くは種を出す。酸味は核、つまり種の周りにあるので、勢い「これ、酸っぱい」ということになる。かつて甲州葡萄の代表ブランドの地位にあった「甲州種」は生食用の座を追われ、ワイン原料に成り下がった。大抵の葡萄はジベレリンという薬品処理で種が抜ける。しかし甲州種は果肉が柔らかいためか、それが不可能なのだ。


甲州種
甲州種


 この親爺さんは若い頃は山梨県の果樹試験場で果樹の品種改良に取り組んだ一級の技術者だった。定年後、自らの桃畑にネクタリンを大々的に植えたのも、それと無関係ではない。木の作り方も一般の桃とは違い、葡萄のそれと同じような仕立て方を工夫した。「ネクタリンをもっと多くの消費者に食べてもらおう」。そんな夢があったのだろう。でも負けた。それを後押ししてしまったのは、紛れもなく歳だった。




 「もう87歳です。後継者もいないしねえ・・・」




 髪の毛のほとんど失くした親爺さんはやっぱり寂しそうだった。




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油と農家の今昔

大豆


 ゴマ、菜種、大豆、ヒマ・・・といえば共通点はなんだ。クイズの出題ではないが、答えはである。私が子供の頃、山梨のこの付近の農家では、ゴマや菜種を作った。もちろん、食用油にするためで、ヒマは薬用だったように思う。「ひまし油」といって漢方の下剤のように使ったりもした。葡萄、桃、サクランボなど現在のような果樹地帯になる前の事。主力の米麦、養蚕の農業の傍らで、どの農家も大根や、タマネギ、人参などの野菜ばかりでなく、食用の油まで自らで作ったのである。味噌、醤油は当たり前。


 


 いわゆる自給自足型の農業形態だった。屋敷の片隅にはニワトリ小屋やウサギ小屋。ヤギ小屋もあった。池には鯉が・・・。それがそのまま卵や肉、乳、つまり私達の蛋白源になった。古くなったニワトリは≪潰して≫肉を食べるのだが、この時、おふくろは「骨団子」といって、ニワトリの骨まで子供たちに食べさせた。骨を潰して団子状に。カルシュームの摂取を考えたのである。一方、牛乳ではなく山羊乳。私なんかヤギの乳で育ったようなものだ。もちろん乳搾りは自分たちで。何人もの兄弟が日替わりの当番制で搾った。


ヤギ


 その頃の我が家の、また、この付近の農家の食料自給率は100%に近かっただろう。過去のデータからみてもわが国全体の食料自給率は70%をはるかに上回っていた。それが今はどうだ。政府統計によれば、40%そこそこに落ち込んでいるのである。田舎のこの付近では食料ばかりでなく、暖房や調理のためのまで焼いた。炭焼きをしないまでも、炬燵の火はかまどの消し炭を使った。全てに貧しさの中で育まれた≪生活の知恵≫があった。




 食料需給率を落としたのは経済活動のさまざまな歯車にほかならない。それに人間の飽くなき合理化への欲求が拍車を掛けた。慣れないソロバンをはじいた農家は利益を追求するあまりに集約農業に走った。大根、白菜、なす、キュウリなど野菜はおろか、主食の米まで作ることを放棄したのである。例えば果樹農家は、主力の桃や葡萄、サクランボの生産性を上げるために、米も野菜もスーパーに求めた。ましてや手間がかかるゴマや菜種からの油の製造などするはずがない。

 
葡萄9月 


 平野部での大規模農業はともかく、圃場の構造が変わらない地方の農家も、確かに生産性を向上させた。しかし≪蔵が建つ≫ほどの利益に結びついたかというと、とんでもない話。そこで得たお金は、外国からの米麦や野菜、肉に姿を変えるだけに過ぎない。一方で、大規模であろうが、なかろうが、そこに残るのは農機具の減価償却残留農薬。農機具を例えて、口の悪い人は「機会貧乏」と言う。言い得て妙である。さらに、こうした農家を不安に陥れているのが自らの老齢化と後継者不足だ。一見合理的に見える集約型農業の内側で、さまざまな現実の矛盾に気付きながらも、そこからの脱出はもはや困難。




 そんな農家をよそに、非農家の人達は野菜作りや炭焼きを。只で貸してくれもする農地を上手に使っての野菜作り、果樹作りが年々盛んになっている。いわゆる「一坪農園」。何よりも農薬漬けの農家を尻目に、こちらは無農薬の野菜を作ってニンマリ。炭焼きだって今や趣味と実益。旅した伊豆大島で久しぶりに炭焼き小屋を見てそんなことを思った。




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芋のつる

飯田龍太
飯田龍太

 「芋も露 連山影を…」と詠んだ飯田蛇笏は俳句結社と同人誌「雲母」を創設。龍太に引き継いだ。龍太亡き後、その遺志を継いで「雲母」の同人広瀬直人が「白露」を結社した。「雲母」から「白露」と受け継がれる一つの俳句界。その俳句は特に地元山梨でもしっかりと根付き、愛好者、ファンも多い。直人は日川高校の大先輩。もう20年ぐらい前だが同窓会の当番幹事の下働きの時にお世話になった。学徒動員で神奈川県平塚の軍需工場に行ったと言うから旧制日川中学の最後ぐらいのお歳。温厚で、まさに俳人といった方だ。




 なにも芋のツルが長いものだからというわけではないが、「似て非なるもの」の延長線というか第二弾・サトイモトウノイモの話をしよう。我が家ではこの二つを同じ畑に隣り合わせに作った。いずれも収穫期を迎えている。「もうサトイモが食べられるはずだ」。いつもなら私が掘るのだが、思わぬトンマがたたってのムチウチ症がはかばかしくないので、芋掘りをかみさんに言いづけた。


イモ


 芋は土の中だから多少の霜が降りても大丈夫。しかし、芋のツルは霜には滅法弱い。ツルというより茎だが、水分を多分に含んでいるので、ひとたび霜に遭おうものならひとたまりもない。勢いよく空を向いていたものが一瞬に畑にひれ伏し、見る影もない姿に変わるのだ。サトイモは芋を食べるのだからかまわない。でもトウノイモは茎を食べなければならないから霜に叩かれたら元も子もないのである。




 そこで霜に遭う前に収穫して皮をむく。天日干しした芋のツル巻き寿司の芯になったり、味噌汁の具煮物にしても美味しい。いわゆる保存食。農家の生活の知恵で生まれたのだろう。もっともだんだん手に入りにくくなったのか、芋のツルは巻き寿司にもお目にかからなくなった。そのピンチヒッターのはずだった干瓢(カンピョウ)が今では堂々の主役に。言われは分からないが、寿司屋さんで「かっぱ」といえば芯はキュウリ。それと同じタイプの寿司の芯によく使われるのがカンピョウでもある。

寿司
 カンピョウについてはまた折があったら触れさせて頂くとして、芋のツルとなるトウノイモの茎は皮を剥かなければ食べられない。いくら干して乾燥させてもスジが歯に引っかかってしまうのだ。だから丹念に皮を剥く。葉っぱを切り落とし、根元の方からスーっと剥いていく。アクが強いので手は真っ黒になる。私の経験では霜が降りる寸前が最も剥き易いのだが、初冬のこの時期の作業は決して楽しいものではない。




 こうしてサトイモと似て非なるトウノイモの茎は、芋のツルとして≪第二の人生≫を歩む。片やサトイモの茎は、無用の長物として見捨てられ、まるで邪魔者扱い。やがて畑の土に同化されてゆく。似て非なるこの二つは一長一短。芋のツルとして喜ばれるトウノイモだって、芋としてはちょっと大味だから味をよく知る人にはそんなに歓迎されないのである。餅屋は餅屋だ。



芋のつる 


 「サトイモを掘って食べたら・・・」と言ったのだが、かみさんが掘ってきたのはトウノイモ。案の定、区別がつかなかった。それほどこの二つは似ているのである。


イモ2


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大根の間引き

 10月の始めだというのに冷え込みが目立ち始めた。こんな年も珍しい。葡萄など果樹農家はもちろん、行楽客相手の観光農園も痛手だろう。我が家の畑も雨続きのあおりを食って、草だらけだ。一番気がかりなのは大根畑。サツマイモやサトイモ、トウノイモ、落花生などは成熟して、収穫真近かだからいいが、大根は今からが成長期。しっかり草くらい取ってやらないと、草に負けてとぼれてしまうのである。植物の世界だってサバイバルなのだ。


サトイモ


大根はほうれん草などと違って発芽率は高い。我が家の場合、蒔いた種はほぼ100%発芽した。ところが、雨や野暮用を理由に草取りを怠ったら、発芽したはずの大根もいつの間にかダウン。30cm位の等間隔に列で蒔いた大根は、あっちこっちで、まるで歯が抜けたよう。「雑草のよう」という言葉どおり、雑草は強く、逞しい。


大根1



 雨が止むのを待って、畑に出た。大根より大きくなった雑草を取り、3つ、4つにかたまった小さな大根を間引きしていくのである。今ではホームセンターに行けばローラー式の小さな腰掛があって、中腰にならなくて済むから、腰痛持ちでも多少は楽だ。ただ、畑は長雨をたっぷり吸い込んでいるので、地下足袋は泥まみれである。


大根4



 通りかかった隣のおじさんが愛想良く話しかけてきた。


 「よくやりますねえ。わたしゃあ腰が悪いから草取りがどうも苦手でねえ。大根の中の草だから除草剤を使う訳にもいけんし、よわったもんです」



 この人はかなりの面積の桃や葡萄を栽培する果樹農家だが、80歳近くなって「もう果樹作りは無理。困ったもんですよ」と、よくこぼす。隣の畑に眼をやると、あっちもこっちも草まみれ。我が家と同じように小さい大根と、ツルを張ったサツマイモが雑草にうずもれていた。




 我が家もサツマイモを植えたが、実を言うと、畑に草をはやさないためだ。サツマイモは実に逞しい野菜で、グングンとツルを張る。だから草を≪食って≫くれるのである。サツマイモは、本当は植えるのではなく、差すのである。種芋から出た芽を20cmぐらいに伸びたところで切り取って、盛土の列に30cmぐらいの間隔で差していくのである。いわば、さし木で、根がなくても100%根付く。今年はゴールデンウイーク中の5月3日に差した。土地がそれほどよくない所でも出来るので栽培は簡単だ。


大根3


 雑草の話に戻るが、今では篤農家といわれる人ほどこの雑草を気にしない。忙しくて、気になんかしていられないこともあるのだろうが「草生栽培」という名の≪草との共生≫方法を取っている。ただ、これは果樹栽培に限ったことで、野菜作りには通用しない。



 だから、本格派の果樹農家は自家用の野菜作りなんかしない人が多い。そんな手間をかけるのだったら、買って食べた方が安いというのである。山梨市などこの地方は果樹地帯だから水田は完全といっていいほど姿を消し、農家はお米も買って食べている。野菜作りは、いわば趣味か農家のなれの果てといったところかも知れない。





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似て非なるもの

サトイモ


 「芋の露 連山影を 正しゅうす」


 ご存知、飯田蛇笏の句だ。蛇笏はわが国を代表する俳人の一人。その息子・飯田龍太もそうだが日本芸術院会員でもあった。明治の中期、山梨県の甲府盆地の南、境川村(現笛吹市境川町)に生まれ、その実家を庵として数々の名句を生んだ。






 境川は中央自動車道を走ったことのある方なら、あるいはご存知。東京方面から来て甲府南ICの手前左側の閑静な部落だ。一画に坊が峰という小高い丘があって、NHKや民放の電波アンテナが立っている。蛇笏の庵があった所の字は大黒坂。この地名の響きがいい。いかにも俳人の庵がありそうな雰囲気がある。


芋



 「芋の露・・・」はそこで詠んだ句だ。「連山影を・・・」の連山は南アルプスの峰峰に違いない。おっと、こんな野暮天に俳句を読む力などありっこない。ただ田舎者がゆえに「芋の露」はよく分かる。恐らくサトイモかトウノイモの大きな葉っぱの上に大粒に丸まった水滴に連山を映したのだろう。表面張力で丸くなる水滴は芋の葉っぱの上でコロコロ転がる。その光景だけでも神秘を感じ、観ているだけでも面白い。この水滴に連山を映したのだから蛇笏の俳人としての観察力、洞察力はすごい。



 芋2



 俳句の世界では秋の季語。蛇笏がこの句を詠んだのは、恐らく初秋だろう。わんぱく小僧だった子供の頃、夕立に遭った学校道で、道端の芋畑に飛び込んで大きな葉っぱをもぎ取っては傘代わりにして家路を急いだものだ。傘とは反対に猪口のような形の芋の葉っぱは子供の身体を雨から避けるほど大きいのである。ただ所詮は芋の葉。本当は傘代わりになんかなりっこない。子供ならではの浅知恵であり、いたずら心に過ぎない。




 この芋の葉。大抵の方がサトイモの葉を連想するだろう。しかし、必ずしもサトイモとは限らない。さっきも書いたようにトウノイモもあるのだ。この二つは似て非なるもの。サトイモ科には違いないのだが種類が違う。ただ背丈や葉っぱの形、ほとんど区別がつかない。芋もバラバラにしてしまえば、これまた分からない。植え付けや収穫期も同じ。



芋のつる



 「もったいぶらずに早く話せよ」とおっしゃるだろう。見分け方は茎の色の違いだ。茎が緑色のものがサトイモ赤みがかったものがトウノイモ。これは見分け方に過ぎない。根本的には作る目的、つまり、食べ方が違うのだ。サトイモは言うまでもなく芋を食べるのが目的。片やトウノイモは茎を、いわゆる芋のツルとして食べるのである。サトイモの茎は食べない。恐らくエゴイのだろう。この二つのどちらを使うのか分からないが、知る人ぞ知っているあの「肥後芋茎」は芋のツルだ。ここではあえて説明を避ける。ちょっと説明がはばかられるからだ。

芋の弦2



 似て非なるサトイモとトウノイモ。知ったかぶって書いているが、実はその違いを知ったのはつい数年前。いい歳をして、と笑われるかもしれないが本当なのだ。勤めをリタイアして農業の真似事、自分でそれを作るようになってからだ。元々は百姓の倅。トウノイモは芋も食べる。でもサトイモと比べて淡白。あまり美味しくない。そういえば子供の頃、食卓に載った芋が旨くなかったことを覚えている。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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