似て非なるもの

サトイモ


 「芋の露 連山影を 正しゅうす」


 ご存知、飯田蛇笏の句だ。蛇笏はわが国を代表する俳人の一人。その息子・飯田龍太もそうだが日本芸術院会員でもあった。明治の中期、山梨県の甲府盆地の南、境川村(現笛吹市境川町)に生まれ、その実家を庵として数々の名句を生んだ。






 境川は中央自動車道を走ったことのある方なら、あるいはご存知。東京方面から来て甲府南ICの手前左側の閑静な部落だ。一画に坊が峰という小高い丘があって、NHKや民放の電波アンテナが立っている。蛇笏の庵があった所の字は大黒坂。この地名の響きがいい。いかにも俳人の庵がありそうな雰囲気がある。


芋



 「芋の露・・・」はそこで詠んだ句だ。「連山影を・・・」の連山は南アルプスの峰峰に違いない。おっと、こんな野暮天に俳句を読む力などありっこない。ただ田舎者がゆえに「芋の露」はよく分かる。恐らくサトイモかトウノイモの大きな葉っぱの上に大粒に丸まった水滴に連山を映したのだろう。表面張力で丸くなる水滴は芋の葉っぱの上でコロコロ転がる。その光景だけでも神秘を感じ、観ているだけでも面白い。この水滴に連山を映したのだから蛇笏の俳人としての観察力、洞察力はすごい。



 芋2



 俳句の世界では秋の季語。蛇笏がこの句を詠んだのは、恐らく初秋だろう。わんぱく小僧だった子供の頃、夕立に遭った学校道で、道端の芋畑に飛び込んで大きな葉っぱをもぎ取っては傘代わりにして家路を急いだものだ。傘とは反対に猪口のような形の芋の葉っぱは子供の身体を雨から避けるほど大きいのである。ただ所詮は芋の葉。本当は傘代わりになんかなりっこない。子供ならではの浅知恵であり、いたずら心に過ぎない。




 この芋の葉。大抵の方がサトイモの葉を連想するだろう。しかし、必ずしもサトイモとは限らない。さっきも書いたようにトウノイモもあるのだ。この二つは似て非なるもの。サトイモ科には違いないのだが種類が違う。ただ背丈や葉っぱの形、ほとんど区別がつかない。芋もバラバラにしてしまえば、これまた分からない。植え付けや収穫期も同じ。



芋のつる



 「もったいぶらずに早く話せよ」とおっしゃるだろう。見分け方は茎の色の違いだ。茎が緑色のものがサトイモ赤みがかったものがトウノイモ。これは見分け方に過ぎない。根本的には作る目的、つまり、食べ方が違うのだ。サトイモは言うまでもなく芋を食べるのが目的。片やトウノイモは茎を、いわゆる芋のツルとして食べるのである。サトイモの茎は食べない。恐らくエゴイのだろう。この二つのどちらを使うのか分からないが、知る人ぞ知っているあの「肥後芋茎」は芋のツルだ。ここではあえて説明を避ける。ちょっと説明がはばかられるからだ。

芋の弦2



 似て非なるサトイモとトウノイモ。知ったかぶって書いているが、実はその違いを知ったのはつい数年前。いい歳をして、と笑われるかもしれないが本当なのだ。勤めをリタイアして農業の真似事、自分でそれを作るようになってからだ。元々は百姓の倅。トウノイモは芋も食べる。でもサトイモと比べて淡白。あまり美味しくない。そういえば子供の頃、食卓に載った芋が旨くなかったことを覚えている。




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大根の2枚葉

おでん


 キャベツのロール巻きや卵、大根、竹輪、はんぺん、がんもどき。そう、おでんの具だ。中でも欠かせないのが、大根である。おでんの定番だからと言うわけではないが、今年も大根の種を蒔いた。かなりの広い面積、盛り土の畝を作り、9月4日に蒔き付けをしたのだが、今年は発芽が遅く、やっと二枚葉が顔を見せた。大根は冬場に食べる沢庵漬けにもなる。


大根の芽      大根の芽2


 大根は数ある野菜の中でも際立って発芽率がいい。蒔いた種は100%近く芽が出る。今年は発芽に時間がかかった。蒔きつけた後、全く雨が降らなかったからだ。例年なら7月下旬から8月のお盆にかけて、つまり梅雨明けからしばらくは、好天が続き、桃や葡萄の糖度づくりに一役買い、8月下旬から9月の降雨が野菜の生育に功を奏するのだが、今年はみんなその逆。天候のイレギュラーは、さまざまな所に影響を及ぼしている。




 仕方なく、ホースを畑まで伸ばして毎日、水を撒いた。女房の仕事だ。

水撒き

 「お父さん、大根、芽が出て来ましたよ」


 女房がいかにも嬉しそうに言う。人間とはおかしなものだ。最初は嫌々ながらというか、面倒くさそうに水撒きしていたのに、自分が手をかけた種が芽を出したとなると感慨は別。やっぱり愛着が生まれるのだろう。水撒きぐらい、私がやっても何のことはないのだが、畑仕事など知らない、また知ろうともしない女房には、その経験がいい薬。薬は案外利くものだと一人ほくそえんだ。


大根


 種は25cmから30cm間隔に3粒ぐらいずつ蒔くのである。それも女房の仕事。発芽率がいいから1粒づつでもいいのだが、これには訳がある。発芽しない万一の予備もさることながら、植物が持つお互い競い合う本能を考えてのこと。隣にいる仲間に負けじとばかり大きくなろうとする習性、つまり生存競争を利用するのだ。ある程度大きくなったところで、一番大きなものを残して、後は間引きするのである。放っていても生存競争に敗れたヤツは、やがてはとぼれて行く。自然界の掟なのである。





 「ど根性大根」などという言葉がどこで生まれたのかは分からないが、アスファルト道路の割れ目からニョキニョキ顔を出したり、普段ならおよそ顔を出さないような所に生えて、新聞やテレビの話題になる。どんどん≪やわ≫になっていく人間やそれをよしとするような社会風潮への警鐘とも受け取れなくもないが、とにかく大根は逞しい


大根2


 小石など障害物があれば、それを避けてでも地下に伸びる。青首大根のように肩まで地上に出しても強い太陽光線や逆に冷たい霜も何のその。私の畑は古くは河原だったのだろう。比較的土壌が浅く、小石が多い。だから曲がったり、二股になるので、抜くのに一苦労するのだ。本当はこんな地質の所は大根作りには適さない。東京で言えば練馬、山梨で言えば茅が岳山麓の明野など火山灰土の所が適しているのだ。

 


 大根はおでんのように煮物でも食べれば、大根おろしのように生でも食べる。消化がよく、殺菌作用もある。刺身のつまになったりするのもそのためだ。「大根役者」という言葉を生むくらい≪当たらない≫のである。そのいわれを知らない女房なんか「大根」と言うと、自分の足を言われたと勘違いしてすぐ怒るから、また面白い。とにかく大根は日常会話の中にもしばしば登場する。





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種まきのコツ

温泉_convert_20121102211344


 そうだったのか。山間の露天風呂で聞いた老人の話に一つ一つ頷いた。種まきや、その後の手入れ、管理のコツ。片田舎と言っていい、山梨の百姓の倅に生まれながら東京での学生生活も含めて45年以上もの間、百姓の世界の外にいた。




 考えてみれば、そのブランクが簡単に埋まるはずがなく、「百姓の倅」というだけの“潜在的な自信”など通じるはずもない。「職場をリタイアしたので、親が残してくれた、だだっ広い農地で今度は百姓をやろう」。世の中そんなに甘くない。




 ほうれん草や人参など野菜の種まき。百姓の入り口だ。何のことはない、極当たり前のこと。ところがお恥ずかしいかな、この歳になるまで、そのコツを知らなかったのである。「かける土は蒔く種の三倍」。老人は言った。


芽


 「だってそうだろう。ほうれん草でも、人参でも、あの小さな種に沢山の土をかけられたら、芽を出す前に窒息してしまうよ。小さな芽が表に出れっこないさ。素人が野菜作りで失敗するのは、たいていが種まき段階だ」




 考えてみれば、その通り。百姓を困らす雑草は、自分で付けた種を地べたに落とすだけで、その翌年には何十倍も、何百倍もの芽を出す。誰も土をかけてはくれないのだ。土をかけて貰うのではなく、土に潜って芽を出すのである。そう考えると、土などあえてかけなくてもいいくらいだろう。もう一つ。ほうれん草などの場合、一晩、水につけて冷蔵庫で寝かせ、水を切った上で播種するのもコツ。石灰をまき、酸性土壌を中和するのは、言うまでもない。


雑草



 雑草に学べ、である。人間にも言えそう。暑さ、寒さを人為的に操作。「安全」の名のもとに、子供達を「小さな危険」からも遠避ける。そんな子供に冒険心など培われるはずもないし、第一、危険への免疫なんか生まれるはずもない。よしんば、親がいる内はいい。守ってくれる親がいなくなったら…。過保護は子供の内だけ。大人になったら親はいない。




 そんな子供が親になる。そこで過保護の怖さを気づけばいいのだが、育ちは育ち。そのまま“立派な”親になる。我が子の“安全”が少しでも損なわれたり、ましてや先生にゲンコツの一つも貰おうものなら、学校に飛んでいって「どうしてくれる」と文句を言う。対する先生も先生。同じような家庭教育を受けた人間だから、それに毅然とした対処が出来ない。その繰り返しが続いていくのである。


温泉風呂湯_convert_20120201134533


 週末の土曜日。若いお父さんが二人の男の子を連れて露天風呂に入って来た。小学校の低学年か、幼稚園の年齢に見える二人の子供は、大はしゃぎ。露天の湯船を奔放に泳ぎ始めた。湯しぶきが上がる。最初は目を細めてニコニコしていた周りの大人達も次第に顔をしかめ始めた。
 ところが若いお父さん。無邪気に、というより乱暴に湯船で遊ぶ我が子を見てニコニコ笑っているだけ。老人は小声で言った。「今時の若いのはアレだよ。子供を叱ることを忘れちまった。困ったもんだよなあ…」。更に老人は「芽が出ないのは種が悪いんじゃない。蒔くヤツが蒔くすべを知らないから悪いのさ」とも言った。




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芋のつる

飯田龍太
飯田龍太

 「芋も露 連山影を…」と詠んだ飯田蛇笏は俳句結社と同人誌「雲母」を創設。龍太に引き継いだ。龍太亡き後、その遺志を継いで「雲母」の同人広瀬直人が「白露」を結社した。「雲母」から「白露」と受け継がれる一つの俳句界。その俳句は特に地元山梨でもしっかりと根付き、愛好者、ファンも多い。直人は日川高校の大先輩。もう20年ぐらい前だが同窓会の当番幹事の下働きの時にお世話になった。学徒動員で神奈川県平塚の軍需工場に行ったと言うから旧制日川中学の最後ぐらいのお歳。温厚で、まさに俳人といった方だ。




 なにも芋のツルが長いものだからというわけではないが、「似て非なるもの」の延長線というか第二弾・サトイモトウノイモの話をしよう。我が家ではこの二つを同じ畑に隣り合わせに作った。いずれも収穫期を迎えている。「もうサトイモが食べられるはずだ」。いつもなら私が掘るのだが、思わぬトンマがたたってのムチウチ症がはかばかしくないので、芋掘りをかみさんに言いづけた。


イモ


 芋は土の中だから多少の霜が降りても大丈夫。しかし、芋のツルは霜には滅法弱い。ツルというより茎だが、水分を多分に含んでいるので、ひとたび霜に遭おうものならひとたまりもない。勢いよく空を向いていたものが一瞬に畑にひれ伏し、見る影もない姿に変わるのだ。サトイモは芋を食べるのだからかまわない。でもトウノイモは茎を食べなければならないから霜に叩かれたら元も子もないのである。




 そこで霜に遭う前に収穫して皮をむく。天日干しした芋のツル巻き寿司の芯になったり、味噌汁の具煮物にしても美味しい。いわゆる保存食。農家の生活の知恵で生まれたのだろう。もっともだんだん手に入りにくくなったのか、芋のツルは巻き寿司にもお目にかからなくなった。そのピンチヒッターのはずだった干瓢(カンピョウ)が今では堂々の主役に。言われは分からないが、寿司屋さんで「かっぱ」といえば芯はキュウリ。それと同じタイプの寿司の芯によく使われるのがカンピョウでもある。

寿司
 カンピョウについてはまた折があったら触れさせて頂くとして、芋のツルとなるトウノイモの茎は皮を剥かなければ食べられない。いくら干して乾燥させてもスジが歯に引っかかってしまうのだ。だから丹念に皮を剥く。葉っぱを切り落とし、根元の方からスーっと剥いていく。アクが強いので手は真っ黒になる。私の経験では霜が降りる寸前が最も剥き易いのだが、初冬のこの時期の作業は決して楽しいものではない。




 こうしてサトイモと似て非なるトウノイモの茎は、芋のツルとして≪第二の人生≫を歩む。片やサトイモの茎は、無用の長物として見捨てられ、まるで邪魔者扱い。やがて畑の土に同化されてゆく。似て非なるこの二つは一長一短。芋のツルとして喜ばれるトウノイモだって、芋としてはちょっと大味だから味をよく知る人にはそんなに歓迎されないのである。餅屋は餅屋だ。



芋のつる 


 「サトイモを掘って食べたら・・・」と言ったのだが、かみさんが掘ってきたのはトウノイモ。案の定、区別がつかなかった。それほどこの二つは似ているのである。


イモ2


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似て非なるもの

サトイモ


 「芋の露 連山影を 正しゅうす」


 ご存知、飯田蛇笏の句だ。蛇笏はわが国を代表する俳人の一人。その息子・飯田龍太もそうだが日本芸術院会員でもあった。明治の中期、山梨県の甲府盆地の南、境川村(現笛吹市境川町)に生まれ、その実家を庵として数々の名句を生んだ。






 境川は中央自動車道を走ったことのある方なら、あるいはご存知。東京方面から来て甲府南ICの手前左側の閑静な部落だ。一画に坊が峰という小高い丘があって、NHKや民放の電波アンテナが立っている。蛇笏の庵があった所の字は大黒坂。この地名の響きがいい。いかにも俳人の庵がありそうな雰囲気がある。


芋



 「芋の露・・・」はそこで詠んだ句だ。「連山影を・・・」の連山は南アルプスの峰峰に違いない。おっと、こんな野暮天に俳句を読む力などありっこない。ただ田舎者がゆえに「芋の露」はよく分かる。恐らくサトイモかトウノイモの大きな葉っぱの上に大粒に丸まった水滴に連山を映したのだろう。表面張力で丸くなる水滴は芋の葉っぱの上でコロコロ転がる。その光景だけでも神秘を感じ、観ているだけでも面白い。この水滴に連山を映したのだから蛇笏の俳人としての観察力、洞察力はすごい。



 芋2



 俳句の世界では秋の季語。蛇笏がこの句を詠んだのは、恐らく初秋だろう。わんぱく小僧だった子供の頃、夕立に遭った学校道で、道端の芋畑に飛び込んで大きな葉っぱをもぎ取っては傘代わりにして家路を急いだものだ。傘とは反対に猪口のような形の芋の葉っぱは子供の身体を雨から避けるほど大きいのである。ただ所詮は芋の葉。本当は傘代わりになんかなりっこない。子供ならではの浅知恵であり、いたずら心に過ぎない。




 この芋の葉。大抵の方がサトイモの葉を連想するだろう。しかし、必ずしもサトイモとは限らない。さっきも書いたようにトウノイモもあるのだ。この二つは似て非なるもの。サトイモ科には違いないのだが種類が違う。ただ背丈や葉っぱの形、ほとんど区別がつかない。芋もバラバラにしてしまえば、これまた分からない。植え付けや収穫期も同じ。



芋のつる



 「もったいぶらずに早く話せよ」とおっしゃるだろう。見分け方は茎の色の違いだ。茎が緑色のものがサトイモ赤みがかったものがトウノイモ。これは見分け方に過ぎない。根本的には作る目的、つまり、食べ方が違うのだ。サトイモは言うまでもなく芋を食べるのが目的。片やトウノイモは茎を、いわゆる芋のツルとして食べるのである。サトイモの茎は食べない。恐らくエゴイのだろう。この二つのどちらを使うのか分からないが、知る人ぞ知っているあの「肥後芋茎」は芋のツルだ。ここではあえて説明を避ける。ちょっと説明がはばかられるからだ。

芋の弦2



 似て非なるサトイモとトウノイモ。知ったかぶって書いているが、実はその違いを知ったのはつい数年前。いい歳をして、と笑われるかもしれないが本当なのだ。勤めをリタイアして農業の真似事、自分でそれを作るようになってからだ。元々は百姓の倅。トウノイモは芋も食べる。でもサトイモと比べて淡白。あまり美味しくない。そういえば子供の頃、食卓に載った芋が旨くなかったことを覚えている。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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