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大根の間引き

 雨続きで、このところ秋特有の青空を見たことがない。こんな年も珍しい。葡萄など果樹農家はもちろん、行楽客相手の観光農園も痛手だろう。我が家の畑も雨続きのあおりを食って、草だらけだ。一番気がかりなのは大根畑。サツマイモやサトイモ、トウノイモ、落花生などは成熟して、収穫真近かだからいいが、大根は今からが成長期。しっかり草くらい取ってやらないと、草に負けてとぼれてしまうのである。植物の世界だってサバイバルなのだ。


サトイモ


大根はほうれん草などと違って発芽率は高い。我が家の場合、蒔いた種はほぼ100%発芽した。ところが、雨や野暮用を理由に草取りを怠ったら、発芽したはずの大根もいつの間にかダウン。30cm位の等間隔に列で蒔いた大根は、あっちこっちで、まるで歯が抜けたよう。「雑草のよう」という言葉どおり、雑草は強く、逞しい。


大根1



 雨が止むのを待って、畑に出た。大根より大きくなった雑草を取り、3つ、4つにかたまった小さな大根を間引きしていくのである。今ではホームセンターに行けばローラー式の小さな腰掛があって、中腰にならなくて済むから、腰痛持ちでも多少は楽だ。ただ、畑は長雨をたっぷり吸い込んでいるので、地下足袋は泥まみれである。


大根4



 通りかかった隣のおじさんが愛想良く話しかけてきた。


 「よくやりますねえ。わたしゃあ腰が悪いから草取りがどうも苦手でねえ。大根の中の草だから除草剤を使う訳にもいけんし、よわったもんです」



 この人はかなりの面積の桃や葡萄を栽培する果樹農家だが、80歳近くなって「もう果樹作りは無理。困ったもんですよ」と、よくこぼす。隣の畑に眼をやると、あっちもこっちも草まみれ。我が家と同じように小さい大根と、ツルを張ったサツマイモが雑草にうずもれていた。




 我が家もサツマイモを植えたが、実を言うと、畑に草をはやさないためだ。サツマイモは実に逞しい野菜で、グングンとツルを張る。だから草を≪食って≫くれるのである。サツマイモは、本当は植えるのではなく、差すのである。種芋から出た芽を20cmぐらいに伸びたところで切り取って、盛土の列に30cmぐらいの間隔で差していくのである。いわば、さし木で、根がなくても100%根付く。今年はゴールデンウイーク中の5月3日に差した。土地がそれほどよくない所でも出来るので栽培は簡単だ。


大根3


 雑草の話に戻るが、今では篤農家といわれる人ほどこの雑草を気にしない。忙しくて、気になんかしていられないこともあるのだろうが「草生栽培」という名の≪草との共生≫方法を取っている。ただ、これは果樹栽培に限ったことで、野菜作りには通用しない。



 だから、本格派の果樹農家は自家用の野菜作りなんかしない人が多い。そんな手間をかけるのだったら、買って食べた方が安いというのである。山梨市などこの地方は果樹地帯だから水田は完全といっていいほど姿を消し、農家はお米も買って食べている。野菜作りは、いわば趣味か農家のなれの果てといったところかも知れない。





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お天道様のいたずら

デラウエアー
デラウエアー


 山梨市のこの辺りは甲州市の勝沼、塩山や笛吹市の一宮、御坂、春日居などと並んで果樹の一大産地。桃は早生の白鳳系がほぼ終わり、白桃系にバトンタッチする。葡萄は露地モノのデラウエアーが本格的な出荷期を迎えた。既に終わったハウスもののデラウエアーと、こちらもバトンタッチだ。私が住むこの辺りは旧村の岩手地区と言うのだが、今では立派なサクランボの産地。先発の南アルプス市の白根一帯と肩を並べ、日本の伝統産地・山形の前座を立派に担っている。今年はその役割を終え、もはやシーズンオフ。





 果物はおしなべて日照時間が成否の鍵を握る。暑い夏は生産者にとっては大歓迎。連日の猛暑は桃や葡萄の糖度を文句なしに上げてくれるのだ。でも、そうは問屋が卸してくれないのが、これまた生産者の宿命。春先の天候不順のツケが回って来ているのだ。「20日会」といって毎月20日に開いている無尽会に集まって来るオジサンたちの顔色はさえない。春先の天候不順がさまざまな悪影響をもたらしているのである。お天道様のいたずらだ。



光



 「20日会」のメンバー18人のほとんどは果樹農家の主。この時期だからお酒を酌み交わしながらの話題と言えば、桃や葡萄など果樹の出来栄え。共通しているのは桃の核割れと葡萄の病気による被害。核割れというのは文字通り桃の種が割れてしまう現象。おとぎ話の「桃太郎」では話になるのだが、現実の世界では、商品価値はゼロになってしまうのだ。一方、葡萄の被害は梅雨の時期、長雨が続いたため度重なる消毒も効き目がなかった。消毒をした後、雨除けの傘をかけた葡萄園はどうやら助かったが、房作りと並行しての忙しい盛りだから、ほとんどが、そんな早業は無理だ。特に「甲斐路」など赤系の葡萄に被害が多いという。「そんなこと、俺たちにゃあ関係ないよ」。そう言う消費者もお出でだろうが、やがての店頭価格に反映されることは必至なのだ。


モモ


 葡萄に限らず、果樹の生産には消毒が欠かせない。それでメシを食っているのだから、消毒の手を抜くことはない。しかし雨だけは、どうにも為すすべがない。少なくとも半日は晴れてくれないと効き目がないのだ。タイミングを間違うと、せっかくの消毒も雨に洗われて水の泡に。我が家の場合、ズボラが故で柿の消毒を一度手抜きしたら結実後間もなく、ほとんどが落果してしまった。病害虫は人間が隙を見せれば確実につけ込んでくる。




 「20日会」の仲間達に限らず果樹栽培農家の多くは葡萄、桃、サクランボ、スモモといった具合に作付けの中心を単体に絞っている。いわゆる集約型の栽培だ。例えば桃。早生種の白鳳系、奥手の白桃系といった具合に栽培品種をばらつかせて労力配分するのである。サクランボは佐藤錦、高砂を中心に数種類だが、葡萄や桃の品種は多岐にわたる。


サクランボ


 百姓はお天道様と仲良くしなければならない。熱かろうが寒かろうが、それが宿命なのだ。寒い、暑いはいい。ただ、その時期やリズムが狂うと百姓は痛い目に遭うのだ。春先の暑さや寒波、梅雨時の連続降雨。恨めしく思ったところで、相手がお天道様だから喧嘩にもならない。ビールやお酒を酌み交わしながら話すオジサンたちは「今年はダメさ」と不本意ながらも諦めざるを得ないのである。でも心の内は穏やかではない。






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百姓の方便

畑  



 草生栽培だとか雑草との共生、という言葉をよく聴くようになった。農家、または≪農家もどき≫の人たちの間にである。100歩譲って草生栽培はいいにしても、雑草との共生で農作物が出来る訳がない。「雑草のように強い」と人にも例えられる言葉があるように雑草は逞しい。その雑草の中で農作物が育つ訳がないからだ。どんな野菜だってその周りの雑草を取ってやらないと雑草に食われてしまうのである。




 友人に≪自然との共生≫≪エコ≫をライフワークに考えている男がいる。その考え自体は素晴らしい。しかしよく分からないのは自然との共生が≪正義≫だからジャガイモやかぼちゃ、たまねぎを撒いても、肥料もやらなければ、雑草も取らないのである。ましてや、除草剤なんかもってのほかだ。


野菜づくり



 その畑を見たことがある。畑は一面草ボウボウ。ジャガイモやかぼちゃはよく見なければ分からないほど雑草の中に見事に埋没していた。今もその方法で野菜作りをしているかどうか分からないが、その畑は山間にあって、周りの畑も草ボウボウ。いわゆる遊休農地である。仲間の畑は農業後継者がいない、その遊休農地の一角をただ同然に借りたのだそうだ。ここなら草ボウボウにしていても近所から苦情も来るわけもないし、とヘンなところで納得したものだ。




 ただ、ここで思ったのは遊びの野菜作りといったら、その友人に叱られるかも知れないが、それと、農業で飯を食っていくということは、まったく別ということである。≪自然との共生≫≪エコ≫はこの友人の哲学といっていい。その哲学と実践を引っさげて、あっちこっちで講演をしたりもする。その頃、車もごく小さなものに乗り、そのどてっぱらにはエコを訴える大きな文字を書き込んでいた。


畑2



 そこまでは良かった。その車のわきで、私と立ち話をしながら、道路わきの畑で実る桃を横目に「この桃だって無農薬で作らなきゃあいけん」と、ぶった。そこをたまたま通りかかった農家の親爺らしき男はカンカン。目をむいて、こう言った。


桃



 「てめえら、何様だと思っているんだ。消毒をしちょだって?桃にゃあ灰星病というやつがすぐ着く。俺たちが消毒をしなかった、輸送中にみんな駄目になっちまって、消費者の口にゃ入らねえんだ。第一、俺たちゃあ、これで汗水たらし、飯を食ってるんだ。何も知らねえで、勝手なこと言うんじゃねえよ」



 私はもちろん、友人も一言の反論も出来なかった。




 さて草生栽培というやつだ。桃、葡萄、サクランボなど果樹園ではいいが、野菜作りでは成り立たない。果樹園での草生栽培にしても農家の方便のような気がしてならない。果樹栽培はだんだん高度化し、その一方で手間もかかるようになった。草に追われる農家は草退治に手が回らず、いっそのことと、草との共生を考えたのではないか。草生栽培といっても時を見て、草刈をしたり、除草剤を撒いているのである。らちもない事ばかり言うと「百姓もどきが、つまらぬこと、言うんじゃあねえよ」と叱られそうだ。




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ベランダ菜園と百姓

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 ベランダでナスやキューリ、トマトはもちろん、最近では私達、百姓の倅にすら分からないような外来野菜まで立派に作ってしまう。その種や苗は探さなくても、いくらでも手に入るし、それを栽培するための土や肥料も簡単に入手出来る。テレビのチャンネルをひねれば、「先生」と呼ばれる家庭菜園の専門家?が懇切丁寧に、その作り方から管理の仕方まで解説付きで教えてくれる。




 自らを「百姓の倅でも・・・」と言ったのは、農家に生まれながら、60歳を過ぎるまで農業とかけ離れた生活をしてしまったからだ。中学、高校まで家業の農業に携わった。年齢で言えば、18歳まで。子供の時代なので「手伝った」という方が正しい。以来、東京で生活した学生時代の4年、さらに、これまで、人生の大半ともいえる40年以上を農業とは無縁のサラリーマンとして生きてしてしまった。



ブドウ


 会社人間に終止符を打った時、「よ~し、今度は思う存分、百姓をやってやる」と、正直、心に決めた。ところが、55年を超す歳月はそれを許してくれなかった。一つ果樹栽培を例にとっても、品種もその栽培技術もガラリと変わっていた。そればかりではない。木や棚の仕立て方、消毒薬やその取り扱いまで一変してしまった。




 決定的な決め手は身体体力と言った方がいい。栽培方法や技術は覚えればいいし、勉強すれば追いつける。でも、体力だけはそうはいかない。若い頃は時間的にも仕事全てに、かなりハードな所に身を置いたし、大抵のことならへこたれない根性も身に付けたと思っている。しかし歳はウソを言わない。


 もちろん、私達の年齢の人たち、仲間たちは今も立派に百姓をやっている。決定的に違うのは5
5年という歳月のブランクだ。「日曜百姓」と言われるように週末だけでも畑に出る生活をすればよかったのだが、仕事柄、そんな事も許されなかったし、しようとも思わなかった。




 悲しいかな、今の私には「ベランダの野菜作り」の方が理解できる。その一方で「いい世の中」「便利な世の中」になったもんだ、と思う半面、これからの農業はどうなっちまうんだ、と思ったりもする。ベランダ菜園は趣味であったり、遊びだからいい。不気味なのは一方で進む工場農業だ。


トマト


 もう40年ぐらい前になるが茨城県で開かれたつくば万国博覧会で、とてつもなく大きいトマトの水耕栽培を見たことがある。正直言ってド肝を抜かれ、やがて日本の農業は・・・と考えされたりもした。


つくば博
つくば'85


 この時の水耕栽培は今や博覧会のレベルではなく、さまざまな工場農業技術として実用化され、珍しくもなくなった。そこにあるのはコンピューター。太陽の光も土も要らない。そんなやり方は農業ばかりでなく、既に養鶏などでは当たり前になった。コンピューター管理の、しかも無菌状態のハウスの中で食用のニワトリを大量生産する。本当に太陽光や土は要らないのか。そんなことを考えると、まだ自然があるベランダ菜園の方がいい。




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芋茎(ずいき)と木枯らし

落ち葉 秋 紅葉2_convert_20121206192653


 これが木枯らしというのだろうか。今日の甲府盆地は朝から冷たい風が吹いた。一番霜に遭ったのか、トウノイモのツル(茎)もひと頃の元気をなくした。毛糸の帽子を冠って畑に出たが、冷たい風が頬を刺す。庭先の御所柿も、その冷たい風に吹かれて、葉っぱをすっかり落とし、裸になった木に黄色い実だけをぶら下げている。


 「夕陽の丘のふもとゆく バスの車掌の襟ぼくろ 別れた人に生き写し・・・」



 ご存知の方ご存知、昭和30年代の後半、石原裕次郎と朝丘ルリ子が唄った「夕陽の丘」の歌い出しである。その3番はこんな歌詞だ。


落ち葉 秋 紅葉_convert_20121206193103



 「真菰の葦は風に揺れ 落ち葉くるくる水に舞う この世の秋の哀れさを しみじみ胸にバスは行く」



 この歌の舞台は、どこかのひなびた湖の畔(ほとり)だろう。私が住む農村地帯のスチュエーションとは違うが、季節はちょうど今頃。落ち葉が風に舞う光景は全く同じだ。一枚、二枚とどんどん落ちていく柿の葉はカラコロと音を立てて風に舞うのである。


落ち葉



 今日の風が春一番ならぬ木枯らし一番かどうかは分からないが、季節は本格的な 冬へとまっしぐらに進んでいることは間違いない。我が家も冬支度へやることはいっぱいだ。地区のグランドゴルフ大会など、出掛けることが多く、枯露柿作りの柿もぎもやりかけ。トウノイモやサトイモ、サツマイモも掘らなければならない。特に、トウノイモは霜に当てたら肝心のツルが駄目になってしまう。


 
サトイモ
サトイモ


 トウノイモとサトイモは掘り出してみればその違いが分かるが、外観ではほとんど区別がつかない。答えをお教えしよう。簡単な見分け方は、ツル、つまり、大きな葉っぱを一つだけつけた茎が赤いのがトウノイモ青いもがサトイモである。芋はサトイモがたくさんの小芋をつけるのに対して、トウノイモは親芋だけが大きく、小芋は少ない。トウノイモの親芋はもちろん食べられるが、どちらかと言うと大味だ。


芋の弦2
トウノイモ


 この二つは作り手のそもそもの狙いが違うのである。言うまでもなく、サトイモは芋を食べることが主眼。これに対して、トウノイモはむしろ、ツルの方を食べることに主眼を置いているのである。同じようなツルだが、サトイモのツルは食べない。




 トウノイモのツルはどうして食べるの?とお思いの方もお出でだろうが、あなたも食べたことがある筈だ。巻き寿司の芯に使うあれだ。と言っても、最近はカンピョウが多く、滅多にお目にかからない。味はピカイチだが、カンピョウのように量産が出来ないからだろう。




 芋茎(ずいき)ともいう。肥後芋茎が有名だ。「随喜の涙」という言葉があるが、これとは関係ない。しかし、意味深に結びつきそうな言葉だ。いずれにしてもここで詳しく説明するわけにもいくまい。八百屋さんではなく薬局で売っている商品だ。



 刈り取ったトウノイモのツルは皮を剥いて天日干しにし、保存するが、寿司の芯ばかりでなく煮物にしてもいい。酒のつまみには絶品だ。明日はそのツル剥きをする。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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