言葉狩り

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 子供の頃、学校の歴史教科で習った中に「刀狩り」というのがあった。ご存知、有名なのは豊臣秀吉が試みた《政策》の一つ。一揆や政権への謀反を抑えるためのものと教わった。良くも悪くも、そこには大義名分があった。いま国会では「共謀罪」を巡る与野党の論争が盛んに行なわれている。背景にはテロの頻発など世界全体の社会情勢や人々の意識の変化など、複雑な人間模様があるにせよ、この二つには何かしら共通点があるようにも見える。論争は大いにおやりいただきたい。




 ただ、いただけないのは、国会の先生方、特に野党の皆さん方や、マスコミの皆さん方が繰り広げる「言葉狩り」。法律案や政策を巡る論争ならいざ知らず、《言葉尻》を捉えてのやり取りである。いわゆる≪失言≫と言うヤツだ。野党は《ここぞ》とばかり噛みつき、マスコミもマスコミで、これをまともに取り上げる。「オレは大臣の《首》を取ったとか、取らないとかと嘯いた記者もいたとかいないとか。デマに違いないが、そのデマが本当だったら情けない。




 確かに政治家、特に政権を担う大臣など主要ポストの人たちの発言は重い。その発言が一貫しておかしいものであるのならいざ知らず、「言葉尻」、つまり全体の一部分だけを切り取っての追及は、私たち庶民から見れば《イチャモン》に過ぎない。茶の間でアホ面して見ているオジサンですら滑稽に見えるのである。その《失言》が元で、予算委員会などの審議が空転、結果的には国民の税金を浪費するのである。




 「みみっちいこと言うな」と、お叱りを受けるかも知れないが、少なくとも、あの立派な議員バッジをお付けになった《選良》のおやりになることではない。そんなことで《点数稼ぎ》をしている訳ではないだろうが、仮にそうだとしたら、健全な野党は実現しないし、政権の交代が可能な二大政党など夢のまた夢。田舎に住むオジサンだって、そのくらいの想像はつく。




 セクハラ、パワハラ、マタハラ、エイジハラ…。いわゆる「ハラスメント」というヤツ。「言葉尻」とは違うが、嫌な世の中になったものだ、とつくづく思う。なんと、この「ハラスメント」は32種類もあるのだそうだ。その判断基準は、相手方が不快に思うかどうかだと言う。32もの「ハラスメント」を全部言える人がいるかどうかは疑問だが、嫌な世の中になったことだけは確か。うっかり、口もきけないし、ましてや冗談も言えない。




 確かに人を傷つけたり、不快感をもたらしてはいけないことぐらいの心得は、社会人としては当たり前。しかし、冗談を飲み込む寛容さだって大事だろう。第一、言動の節々にいちいち気を使っていたら疲れる。「あっけらかあ~ん」と生きることも処世術? 歳のせいかも知れないし、田舎の大自然の中で暮らすようになったせいかも知れない。お陰かどうか知らないが、女房との夫婦げんかも、めっきり少なくなった。




 一方で言論の自由とか表現の自由と言う。マスコミは報道の自由を声高に言う。話題の多い米国のトランプさんは、そのマスコミと真正面から対立しているとか。さて、さて…。




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台風と人災

  武田信玄1


 どこの県にも、みんなが認める「英雄」がいる。作為とか無作為にかかわらず、歴史が作り上げたのは間違いないのだが、その存在が大きければ大きいほど、人々に与えるインパクトも大きい。今風で言う「観光大使」の役割をも果たしている。有名芸能人やアスリートのそれとは、桁違いのインパクトがあるのだ。




 わが山梨県では文句なしに戦国の武将「武田信玄」。阪神、宝塚を築き、わが国のインフラ整備に大きな影響を与えた小林一三、彼の影響も受けて鉄道王ともいわれた根津嘉一郎、地下鉄の創始者・早川徳次、軽井沢の基礎を築いた雨宮啓次郎…。根津の後継は誰しもが知る東京スカイツリーを作った。そんなわが国の経済界を代表する人たちでさえ、武田信玄の前には、まさに脱帽。信玄は今から500年も前の人物。甲斐の国を治め、政権取りを目指しての上洛途中、志半ばにして病死してしまうのだが、今、86万人口になり下がった弱小県・山梨の人間たちは「世が世なれば…」と、心の底では少なからず、そう思っている。下剋上の言葉通り、群雄割拠した戦国の時代、どこの«国»の武将たちも同じだろう。


 
根津かいちろう
根津嘉一郎


 そんな英雄・戦国の武将たちが、国を治める政治哲学の基本に据えていたのは、人を治め、水を治め、山を治めることであった。ICT化が急速に進み、情報化社会と言われる21世紀にあっても為政者が持つべき政治哲学は変わっていないはずだ。その哲学を軽んじた結果が人々の争いや自然災害を生んでいる、と言ったら言い過ぎか。山の噴火や地震は別として、水害や、山崩れ、土砂崩れは、まぎれもなく人災だ。山を治め、水を治める努力を怠った証だ。国家100年の計より、政治家たちは選挙、つまり票集めに即効性のある施策に走り、地道に進めて行かなければならないはずの治水対策や治山対策を後回しにする。




 どこかの県では「脱ダム宣言」などという、いかにも予算の使い方の有効性をキャッチフレーズに掲げて東京から乗り込んで当選した«落下傘知事»もいた。結局は県民に愛想をつかされ、知事の座を追われるのだが…。為政者が税金である予算執行の優先順位を考えるのは当たり前。同じ公共事業でも音楽ホールや文化ホールなど、いわゆる「箱物」と、ダムなどの治水対策や山崩れや土砂崩れを防止する治山対策は、根本的に違う。

ダム2



 大衆迎合、と言ったら叱られそうだが、国家100年の計ではなく、目先の«人気取り施策»に狂奔していたら、必ず、そのツケは回ってくる。こちらは人間の命や財産を一瞬の間に奪うのだ。私が住むこの地域では子供の頃、台風シーズンになると年中行事のように川(笛吹川=1級河川)が氾濫。洪水となって田畑を流した。今のように重機もない時代だから、百姓は家族総出で大小の石や無数の流木を毎日、毎日片付けた。堤防の決壊ばかりでなく、橋も流れた。いま時ならば、特別災害地域に指定される規模である。




 やがて上流にダムが出来た。洪水はぴたりと止んだ。ダムの水は、傾斜地の灌漑用水となって、サクランボなどの産地化をも促した。下流域の飲料水の安定確保は言うまでもない。今年はなんと台風が多いことか。既に16個を超え日本列島の各地に甚大な被害をもたらしている。水は上から下へ流れる。洪水などの犠牲は下流域の都市部にも無縁ではない。




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毒舌

石原慎太郎_convert_20160430223812


 「そんな、つまらん質問するなよ」


 石原慎太郎は東京都知事の時代、記者会見で、よく、こんな言葉を吐いた。むろん、市井の私たちは、そんな光景を知るのはテレビしかない。それを受け止める記者さん達は、さておいて、テレビの前の人達の受け止め方は、さまざまだろう。「乱暴だ」と言う人もいれば「いいじゃないの」「小気味いい」と受け止める人もいるかも知れない。




 ただ一つ言えるのは、テレビカメラを前にした記者会見で、こんな“毒舌”を吐く政治家はあまたいない。「吐く」というより「吐ける」といった方がいい。時に、小気味がいい、と感ずることもあるのだ。報道だから、取材記者だから何を言ってもいい、と言う理屈は少なくともないはずだ。百歩譲って、唐突だったり、失礼な質問をぶつけることによって相手の本音や人間性を引き出す狙いがあったとしても、一定の節度とか礼儀があることも、また確かだろう。




 「首が飛ぶ」などと言ったら、少々、乱暴だが、閣僚などが辞任に追い込まれる原因の一つに「失言」がある。むろん、ご本人の不用意な発言が、その災いの源だが、一面、報道側の理不尽と思える、いわゆる「言葉狩り」に遭ったと言ってもいいケースもないでもない。政治家、特に閣僚の失脚パターンは、多くが「金」か、この「失言」。むしろ、新聞やテレビを賑わすのは失言問題の方が多いように見える。


国会議事堂


 確かに政治家は言葉が命。誰が考えても、その通りだろう。でも政治家だって人の子。うっかり、不用意なことが口を突いて出てしまうこともあるだろう。私のようなお人好しの田舎者は、そんな同情的な受け止め方をしてしまうこともあるのだ。マスコミの「言葉狩り」や政治家同士、党利党略の具にしているように見えるからである。ジョークと失言は違うが、日本人は欧米人と違ってジョークが通じない国民だと言われる。そもそも日本人は堅物なのだろう。




 政治家が失脚に導かれる要因は総じてスキャンダル。その多くが週刊誌のすっぱ抜き。それを新聞やテレビが上塗り、野党は、ここぞとばかり国会論議の中で問題視するパターンだ。私達、市井の野次馬達は、それを茶の間で面白おかしく見ている。そうかと言って痛快とは決して思えない。




 石原慎太郎は田中角栄をモデルにした小説「天才」(幻冬舎刊)の中で、田中と神楽坂芸者の関係に留まらず、いわゆる“隠し子”の存在まで書いている。田中は、今なら確実に週刊誌の格好の餌食になっていただろうし、その“スキャンダル”は、ロッキード事件以前に田中の首をぶっ飛ばしていたに違いない。




 石原は政治家を退いて、本来の小説家としての道を歩んでいるのだろう。ただ、若き「青嵐会」の時代はともかく、東京都知事時代、一度も、あの「言葉狩り」に遭わなかったのが、ある意味では不思議。“毒舌”を当たり前にしてしまったのが功を奏したのか。ガード一辺倒の政治家より、石原が「天才」の中で言うように豪腕な政治家が必要かも。(敬称略)




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「費用対効果」の矛盾

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 「今のままで自然成長して行けば、大都市は機能マヒしてしまうだろう。故に生産手段も含めて企業を地方に分散しなければならない。そのために新幹線を日本中に走らせ、どの県にも県都の近くに飛行場を作り、国民の移動の時間と距離を短縮させる。それによって総生産量が向上し、利益が増大すれば、これから多分、進むであろう国民の高齢化にも対応できる社会保障のための予算も…(後略)」





 石原慎太郎が田中角栄元総理をモデルに書いた一人称小説「天才」(幻冬舎刊)の中の一節。田中の言葉だ。いわゆる「日本列島改造論」の根底を成す部分である。田中の「日本列島改造論」は、もう40年も前のこと。田中が言うように、我が国の都市機能は、もはやパンクする寸前。その一方で、地方は疲弊し、その落差は増大するばかりだ。田中が同改造論で掲げた高速道路網や新幹線は、地方と都市の距離を短くした。先頃開通した北陸新幹線や本州と北海道を結んだ新幹線は、地方の人達に大きな夢と期待を与えたことは間違いない。




 当時、「人間ブルドーザー」と揶揄され、大方の国民に支持されようとした田中とその「日本列島改造論」は、あのロッキード事件による自らの失脚を境に潰(つい)えた。田中の言う「地方から田舎をなくす」構想は、少なくとも泡と消えたのである。ただ、その頃描かれ、各地で続けられて来た高速道路の整備や北陸新幹線などは、田中政治が仕掛けた産物であることもまた事実だ。




 時代が変わって「公共事業は悪」とでも言いかねない風潮さえ生まれた。ある政権下では「事業仕分け」などと言う付け焼き刃のパフォーマンスまでも演じて見せた。「脱ダム宣言」という響きのいいフレーズで、見え見えの人気取り政策?を掲げた落下傘知事もいた。確かにひと頃、市町村が競った「箱物行政」には、大方が首を傾げたが、地方のインフラ整備、洪水対策や下流域の飲料水の恒久的な確保など長期的な視点に立ったダム建設は必要不可欠。脱ダムのツケは各地で起こる河川の氾濫に証明され、将来もツケを背負うに違いない。治山治水は戦国の昔から普遍の政治哲学とされて来たはずだ。



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 政治家や評論家、行政官は、公共事業の計画や、その予算付けに「費用対効果」という言葉を使う。うまい言葉で、いかにも科学的、合理的に聞こえる。しかし、この言葉ほど矛盾をはらんだ言葉はない。費用対効果至上主義で公共の事業を進めたら、資本の投下は人口の多い都市部に集中するに決まっている。その一方で、地方は疲弊して行く。地方の過疎化は、裏腹に都市部の人口増大を招き、都市機能を低下させるという悪循環を招くのだ。




 地方では、道路網の整備の遅れなんかは序の口。未だに下水道すら整備されていない地域がいっぱい。「卵が先か、鶏が先か」。現時点の費用対効果を言うのではなく、将来を見据えた費用対効果を考えた資本の投下をしないと地方は、絶対に生き返らない、と考えるのは私だけだろうか。「天才」を書いた石原は元東京都知事。口が裂けても地方への資本投下による地方創生など口にすまい。

 一方、本当に地方の実態を代弁をしなければならないはずの地方選出の先生達は、何故か口を閉ざしたまま。選挙で「票」を集めなければバッジを付けることが出来ない政治家。「票」の少ない過疎の地域は勢い二の次、三の次?そして普段は東京に住み、選挙が近づくと地方に…。実感だって沸きっこないよね。(敬称略、次回に続く)




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「天才」と石原慎太郎

田中角栄


 幻冬舎出版の「天才」という本を読んだ。石原慎太郎が田中角栄をモデルに、彼になりきって、一人称で書いた小説だ。言うまでもなく石原は小説家であり、政治家。学生時代に「太陽の季節」で芥川賞を受賞、後に政治家となって運輸大臣や東京都知事も務めた。




 「太陽の季節」は映画化され、慎太郎は弟の石原裕次郎を銀幕に導いた。野球界の王貞治、長島茂雄と同じようにスーパースター・石原裕次郎を生み出すきっかけとなったのである。後に裕次郎の妻君になる北原三枝は、この映画に次いで制作された「狂った果実」がご縁だった。私なんか、そんな裕次郎の映画に魅せられ、学校をサボって見歩いた世代の一人。根っからの裕次郎ファンだったのである。




 一方、田中も言わずと知れた我が国の総理大臣経験者。最後は日本に激震を走らせたロッキード疑獄で、「宰相の犯罪」として法の裁きを受けながらも「闇将軍」と揶揄され、政治の裏舞台に君臨した。ロッキード事件は、もう40年も前の出来事だから、事件そのものを知らない世代も多いだろう。小説「天才」は、ロッキード事件を書いたものではない。政治家・田中角栄を、その生い立ちも含めて描いたものだ。




 「天才」を読んでいて「おやっ?」と思ったところが随所にある。その第一は石原が田中を極めて好意的に描いている点だ。石原は時の権力・田中政治と真っ向から対立した政策集団「青嵐会」の中心的な人物。自らも本の中で「田中に弓を引いた男」と書いている。当時、ことある度に繰り返した派閥抗争などという泥臭い政治力学ではなく、政治に対する考え方、言ってみれば政治哲学が全く違う二人なのだ。


石原慎太郎


 実は、この石原さんとは、何度かお目に掛かってお話もしたことがある。国会担当をしていた34,5歳の若造の時分だった。国会議事堂、と言うより衆議院第一議員会館と目と鼻の先に「十全ビル」というのがあって当時、青嵐会の座長をしていた山梨県選出の代議士・中尾栄一の私設事務所があった。そこが石原ら青嵐会メンバーのたまり場になっていたのである。むろん、石原も今より40歳も若い精悍然とした政治家であった。石原や中尾たち青嵐会の強者達は予算委員会であれ、どこであれ、真正面から田中政治に食いついた。国会に近い地の利のいい中尾の私設事務所は、その策略会議の場でもあったのだ。




 中尾の事務所の表札には「中尾」の「な」の字もなく、あるローカルCATV局の表札が架かっていた。そこには美人で、聡明な秘書さんがいて、青嵐会の強者達の世話もしていた。その秘書さんはある大学の経営紛争に巻き込まれた気の毒な人であった。ここでは、そんなことに触れない方がいい。兎に角、石原は精悍であるばかりか、貴公子然としていた。




 小説の「あとがき」が面白い。小説本体の田中一人称の書き方と違って、むろん、ここは石原の考えを綴っている。「面白い」と言ったのは、石原が小説の標題にしたように、田中を「天才」と位置づけ、「田中角栄のような政治家が今の世にこそ必要だ」と述べていることだ。「田中政治」の根幹は「日本列島改造論」に象徴される。高速道路網計画や新幹線構想を打ち出し、地方の公共事業推進を奨励した。このことも「あとがき」で書いているが、この「あとがき」が何と16ページにも及ぶ。そのタイトルは文字通り「長い後がき」。そこに綴られた石原の本音部分が、また面白く、興味深い。(敬称略、次回に続く)




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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