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校歌に生きる青春

青春


 どんな人間にも青春がある。過ぎ去った青春もあれば、これから迎える青春だってある。楽しかった青春もあれば、苦しかった青春もある。仮に、苦しくても、辛くても過ぎてみれば、その方が中身の濃い青春かもしれない。




 それぞれの青春。その青春を間違いなく呼び起こしてくれるもののひとつに学校の校歌がある。そこには、それが中学校であれ、高校であれ、大学や専門学校であれ、それを歌う者でなければ分からない青春があるのだ。



同窓会  



 ことしも 母校の同窓会が開かれた。山梨県甲府盆地の東部に位置する県立の日川高校というのだが、同校の場合、毎年11月3日の[文化の日]をその日に充てている。大きな体育館に設えられた特設の会場には各地から同窓生が、この日を楽しみに集まって来るのだ。その数は毎年、700人前後。顔ぶれは旧制中学の大先輩から、いわゆる親子三代にわたる。宴の始まりを宣言する今年の乾杯の音頭は93歳。旧制中学の大先輩であった。


同窓会2


 この集まりは、名目的には総会。お決まりの事業・決算報告や、その新しい計画も審議するのだが、集まった人達にとっては、そんなことはどっちでもいい。「やあ~、お久しぶり。元気でなによりだ」「今、何をしている?」「お互い、頭が白くなったなあ~」・・・。一年ぶり、また何年かぶりの再会に話が弾むのだ。酌み交わすお酒も進もうというもの。会場の一角には、武田信玄が旗印にしたという、孫子のあの「風林火山」を大書きした懸垂幕も。書家でもある同窓生がバケツの墨汁を使って雑巾で書いたというシロモノだ。宴は当番幹事を中心にした手作りである。


同窓会3



 総会という名の宴の最後を飾るのが校歌の斉唱だ。それまでワイワイ、ガヤガヤやっていた老いも若きも一瞬、静まり返り、大声で歌う。ステージの上でリードするのは、破れ帽子に学ラン姿の往年の応援団。当番幹事である46~7歳と33~4歳の、つわもの達の手さばきは半端ではない。それに合わせて歌う顔、顔、顔・・。頭に白いものを頂き、顔にシワを刻みながらも、その顔は純真そのもの。何十年も前の青春にタイムスリップしていた。



同窓会4



 当たり前だが、校歌は流行歌と違って、それぞれの学校の、そこに学んだそれぞれの人達だけの固有の歌である。逆に言えば、だからこそ愛着があるのだろう。在学中のそれと、歳を経て歌う校歌の感慨は、まるで違う。あの日、あの時、さまざまな青春が校歌に宿っているからだろう。在学中、それ程勉強したわけでもなく、そうかと言ってそれ程の悪ガキでもなかった私のような者でも、それを歌う時、心にジ~ンと来るものが。「ノスタルチックの世界さ」と笑えない何かがある




同窓会5



 日川高校のそれは「天地の正気 甲南に・・・」で始まり、4番の最後は「何時の世までも轟かむ」で終わる。同校の校章は、お菓子のコンペイトウに似ている。その発祥が甲府中学の「第2中」の意味合いがあったのだろう。二つの「中」を横縦に重ねてデザインしたと言われる。同窓会は記念品に、その校章をあしらったネクタイピンなどを出しているから、それを見た同窓生が「お前は天地の正気か?」と、思わぬ場面で意気投合することも少なくない。同じ釜の飯を食った、大きな意味での仲間達の青春。どこの学校の卒業生にも、そんな触れ合いがあるのだろう。

こんぺいとう


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朴歯の高下駄

 間もなく、母校・日川高校同窓会の集まりの日がやって来る。毎年11月3日、その総会を名目に旧制中学から今の高校までの同窓生達が懇親の場を持つのである。会場となる母校の体育館は≪日川バカ≫といったら先輩達に叱られるかもしれないが、母校への愛着や青春時代の郷愁豊かな同窓生達で埋まる。

日川高校同窓会のページ

日川高校1


 プログラムは往年の応援団が高校時代さながら、学ラン破れ学生帽朴歯の高下駄姿で校旗を掲げて入場、校歌、応援歌の合唱で幕を開ける。同校は,半年後には117周年を迎えるが、幸い、旧制中学時代から校章はもちろん校歌も変わっていないから、旧制の大先輩から若者までが心を一つにして歌う。どの顔も、どの心もそれぞれの青春に思いをはせる瞬間である。


応援団1


 校歌は「天地の正気、甲南に・・・」で始まるのだが、その三番に「天皇(すめらみこと)の勅(みこと)もち・・・」という一節がある。この歌詞をめぐって、数年前、一部の屁理屈やさんが「現代にそぐわない」と、訴訟を起こしたことがあるが、そんなことはみんなどこ吹く風。伝統の応援歌と共に力いっぱい歌うのだ。一家で親子3代、4代この校歌を歌う人たちも珍しくない。



 日川高校は旧制甲府中学、現在の甲府一高に次いで山梨県では古い伝統を持っている。バンカラの校風をみんながよしとしていて、そのバンカラの最たるものが応援団だ。ところが今、この学校には応援団に入部する男子生徒が少なくなくなって久しいのだという。私自身も「ええ~?」と耳を疑ったのだが、ホント。応援団長は女生徒だという。



 時代も変わったもんだ、と思うのは私ばかりではない。多くの同窓生がそう思っているに違いない。ごく最近になって、やっと一人の男子生徒が「これではいけない」と入部してきたという。そんな話題が山梨日日新聞に紹介されていた。そこには学ランに破れ帽、朴歯の下駄姿で胸を張る女性応援団長の勇姿が。「(男が駄目なら)私達が応援団の伝統を守り、引き継ぐ。新入部員の男子をしっかりしごいて立派な後継者を作る」と、コメントするその応援団長に思わず拍手を送りたくなった。




 朴歯の高下駄。学ランとはちょっと違うが、詰襟の学生服とこの朴歯の下駄は子供の頃、早く着たり、履いてみたかった思い出がある。なぜか、そうすると、ちょっぴり大人になったような気分になるからだった。急に背丈が大きくなったような気分になったり、カラン、コロンと歩く様にあこがれた。背伸びをしてみたい年頃だったのかもしれない。


高下駄


 そんな子供の頃の思い出が懐かしくなって、朴歯の高下駄を探してみた。朴歯の下駄はおろか、下駄を売っているお店が少なく、見つけるのに一苦労。よく我が家に遊びに来る女房の学生時代の同級生のご主人が、千葉の自宅近くで見つけて送ってくれたのである。子どものように嬉しかった。ところが、平らなところでないと不安定で怖い。とてもカラン、コロンという訳にはいかない。忍び寄るバランス感覚の衰えを思い知らされた。

高下駄2

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校歌の郷愁

校歌


 「天地の正気 甲南に 籠りて聖き 富士が根を 高き理想と 仰ぐとき 吾等が胸に 希望あり」
 母校日川高校の校歌の一番である。左手を腰に、こぶしを握り締めた右手を斜め上下に振りながら老いも若きも歌うのである。新制高校の卒業生ばかりではなく、80代、90代の旧制中学卒業の大先輩もいる。ざっと500人はいるだろう。会食テーブルのまにまに広い体育館を埋めた同窓生達の歌声は母校の構内に大きくこだました。


同窓会


 年に一度11月3日を定例日として開く同窓会のひとこまである。ひとこまというより、集いのフィナーレを飾る最後のクライマックスと言った方がいい。ステージで指揮を執るのは往年の応援団。同窓会は45~6歳の年代がひとまわり下の学年卒業生を補佐役に当番制で幹事役を務める仕組みをとっていて、応援の指揮もその世代の応援団が担当するのである。


日川高校


 10人ほどのリーダー役はいずれも学ランに破れ帽子姿45~6歳ともなるとお腹が出っ張ったメタボ?もいるから、ちょっぴり窮屈そう。それでも汗だくで指揮を執る。それに合わせて歌う同窓生達は何十年も前の旧制中学時代や高校時代にタイムスリップ、それぞれのよき時代とオーバーラップさせるのである。その顔はみんな純真に見える。同窓会の開幕行事である「校旗入場」のバックで流れる校歌とは、また違った興奮がある。



 この日を前後して、学年によっては、それぞれの同級会やゴルフ会を開いているところもある。そこでもみんな校歌を歌い、またの再会を約束しながら別れるのだ。「こうしてみんなで校歌を歌うと、俺は妙に心が洗われるような気持ちになるんだよ」という仲間がいた。私も全く同じだ。


質実剛健


 同校は数年後に創立120周年を迎える。その校歌は校章とともに創立以来変わっていない。そのわけは多分こうだ。まず校歌。四番まである歌詞の中に校名、つまり「日川中学」「日川」がどこにも入っていない。こういう校歌は全国的にも稀だという。新制高校にそぐわない字句が歌詞に入れてあった多くの学校は、旧制中学から新制高校に変る時、校歌を変えざるを得なかったのである。



 校章の場合も同じ。同校は、山梨県で最も古い歴史を持つ甲府中学の「ニ中」として生まれたことから「中学」の「中」の文字を縦横に絡ませてデザインした、いわゆる金平糖が校章だから、これも変える必要がなかった。

校章


 結果的だが、この二つがもたらしている効果は大きい。旧制中学の卒業生も、新制高校の卒業生も同じ土俵に立てるばかりでなく、母校に対して共通の認識がもてるということである。それは勢い、母校愛のようなものを持続させたり、ひいては同窓生の結束にも繋がる効果を生んでいる。もちろん、母校なんてどこ吹く風、といった同窓生だっているし、いて当たり前。ただ、そんな同窓生バカがいたっていい。少なくとも、同窓会の常任理事を仰せつかっている私はそう思っている。




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「仰げば尊し」

  日川高校卒業式2


 卒業式には、やっぱり「仰げば尊し」の歌がよく似合う。卒業生は、過ぎてみればアッという間の3年間だったり、4年間、6年間だが、恐らくその一コマ一コマを昨日のことのように思い浮かべながら、歌うのである。それを聞く大人達も自らの“その頃”を重ね合わせて感慨に耽る。歌う者、聞く者が理屈抜きに一体になる瞬間である。




 3年なり、6年なりの学舎(まなびや)の期間は同じでも、その中味は、みんな違うのである。大げさに言えば、人それぞれに固有のドラマがあるのだ。一生懸命勉強した者もいれば、クラブ活動や生徒会、児童会活動に打ち込んだ者もいる。それとは逆に遊びほうけた人だっている。そのどちらにせよ、それぞれの学園生活があったのだ。そこには共通してクラスメイトという名の同級生がいて、先輩や後輩がいた。


高校生


 今年も母校・日川高校の卒業式に招かれた。山梨県の県立高校の卒業式は、毎年3月1日と決まっていて、それぞれが一斉に開く。式もいよいよ大詰め。在校生代表の「送辞」、卒業生代表の「答辞」。代表はいずれも新旧生徒会の会長だろう。送る側、去っていく側のエールの交換が済むと、いよいよ卒業式はクライマックスを迎える。卒業生は「仰げば尊し」を歌い、「我が師の恩」に感謝。在校生は「蛍の光」で先輩に別れを告げるのである。




 同校は、この「仰げば尊し」をプログラム(式次第)で「式歌」と位置づけていた。式の冒頭の「国歌斉唱」も憚ることなく、しっかりとプログラムに位置づけて「君が代」を歌う。主役の卒業生も、送る側の在校生、教職員、同窓会やPTAなど来賓も姿勢を正して歌うのである。



日川高校卒業式



 「私ゃあねえ、『君が代』で厳粛に始まる卒業式の雰囲気が好き。卒業生が3年間の学園生活への感謝の気持ち、感慨を込めて歌う『仰げば尊し』や在校生の『蛍の光』を聞くと、胸が熱くなるんですよ。この歳になって、ちょっと格好悪いが涙がこみ上げて来て仕方がないのです」




 隣にいた先輩格の同窓会役員氏は、こんなことを言った。この先輩氏、高校時代はハンドボールの名手。山梨県の覇権にとどまらず、インターハイや国体で優勝旗をかっさらう原動力になった全日本級の選手。日川から早稲田に進み、大学ハンドボール界でも名を成した武闘派である。




 「仰げば尊し」や「蛍の光」は、そんなモサをも涙させる魔力を秘めているのである。3年間の学園生活を振り返りながら「…♪学びの庭にも早幾とせ…♪」と歌う卒業生の目に涙が光っていた。卒業生と在校生の歌によるエールの交換の後は来賓や父兄を含めた式場にいる全員が起立。「天地の正気甲南に籠もりて聖き富士ヶ嶺を…」(一番)で始まり「猛き進取の調もて 歌ふ健児の精神(まごころ)は白根が嶽にこだまして、何時の世までも轟かむ」(四番)で結ぶ校歌を歌うのである。


 伴奏は生のブラスバンドだから迫力がある。同校の校歌は明治34年の創立以来、112年間、一貫して同じ校歌を歌い続けてきた。学制改革を機にほとんどの高校は校歌を変えた。日川のように旧制中学から歌い継がれている校歌は珍しいという。親子3代、親子4代が一緒になって歌うのである。(次回に続く)


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同級会と校歌

日川高校



 流行歌であろうが,何であろうがは人の心の内に棲み着き、想い出を呼び起こす不思議な魔力を持っている。楽しかった時。苦しかった時。ラジオやテレビから流れていた,あの歌。この歌。街角で聴いた歌もある。学生時代だった。大晦日を明日に控えた暮れの30日。さあ山梨の田舎に帰ろう。昭和30年代の半ば過ぎ。確か大学の一年坊主だった。




 大学に程近い所にある、とあるチョコレートメーカーでのアルバイトを終え、茶封筒のアルバイト料をポケットに押しこみ、街角に出た時だった。そこには橋幸夫と吉永小百合のディュエット曲「いつでも夢を」が。ラジオは,その年の「日本レコード大賞」を発表していいたのである。そのグランプリ曲だ。


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 親元を離れ、東京の安下宿で生活する貧乏学生。当時、田舎の親からの月々の仕送りは確か2万円。生活して行くのにやっとだった。だからアルバイトは当たり前。その夜も寒い晦日であった。国鉄(現JR)中央線の最終列車に乗って帰郷するのだ。今のように電化されていないので、蒸気機関車。もちろん特急「あずさ」もない。鈍行である。




 街角のラジオから流れて来た「いつでも夢を」。なぜか寒さも、それまでのアルバイトの疲れも一瞬に吹っ飛んだ。橋幸夫、吉永小百合。同世代の人間が歌っているのも共感の理由かも知れないが、歌詞がいい。メロディーがいい。「そうだ。いつでも夢をだ」。そんなことを思った。




 それから50年。毎年恒例の高校(日川)時代の同級生の新年会。1月2日。「天地の正気 甲南に…」。宴の最後にいつもの校歌を歌いながら、過ぎし昔を思い浮かべた。それほど勉強した訳でもなければ,それほど悪ガキでもなかった平凡な3年間だったが、なぜか懐かしい。校歌は、その一コマ、一コマを呼び起こしてくれるのである。


天地の生気
(故)松村文一(瑞山)氏(旧中39卒)
遺墨 日川高等学校校歌



 毎年、この新年会で校歌の指揮を執るのは日沢優氏。高校時代は音楽部のリーダー。今は日銀を退職して天下り? そんなことはどっちでもいいのだが、この男がタクトを取ると、それぞれに懐かしい想い出が。それが証拠に古希・70歳にもなったおじさん達が神妙な顔つき、と言うより青春時代にタイムスリップして力いっぱい歌っているのだ。


 
同窓会2_convert_20130108113929



 「フレー、フレー 日川」。最後の締めは応援団宜しく威勢のいい気勢を上げる。その指揮も決まっていて元特定郵便局長の松本良一氏。この男、私と同じで、根っからの「日川バカ」。自らの学舎(まなびや)に愛着を持っていて、それは半端ではない。例えば、春、夏の高校野球県大会では、母校の試合には球場に足を運ぶ。応援もさることながら、スタンドで学生達と歌う校歌に限りない充足感を覚えているらしい。


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 学舎への愛着?母校愛? 本人にただしたことはないので分からないが、きっと校歌や野球の応援スタンドに自らの青春をオーバーラップ、元気を呼び起こしているのかも知れない。ただ一ついえるのは,校歌は流行歌と違って、その学舎で生活を共にした者だけのもの。こんな記事も同じ学舎を巣立った者しか分からないし、ましてや関係ない。でも、須く人には学舎がある。そこには,それぞれの校歌があり、それぞれの青春がある。


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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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