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冬に向かう里の秋

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 里の秋は、どんどん深まって行く。深まるというより冬へとバトンタッチしているのだ。街路樹のイチョウ並木は黄色い葉っぱをハラハラと風に落とし、我が家の植え込みのカエデも紅葉の盛りを通り過ぎた。常口の前を東西に伸びる3尺程度の細い古道沿いに垣根代わりに植えられた山茶花が「今度はこちらの出番」とばかり開花し始めた。秋は山から里へ。ついこの間まで紅葉狩りの行楽客で賑わった山間の渓谷は人影をなくし、もはや冬のたたずまいである。自然界は季節の移ろいを見事に表現してくれる。


山茶花_convert_20101205223708


 紅葉を織り成す代表格は、何と言ってもカエデであり、ナナカマドウルシだろう。とりわけナナカマドは鮮やかだ。ナナカマドは火に燃えにくい木だそうで、七回も釜戸に入れないと燃えないことからその名が付いたという説がある。ウルシなどと共に真っ赤に染まり、周囲の松や杉など常緑樹と、これまた見事なコントラストを見せるのだ。


もみじ2_convert_20101205223801


 「もみじ」という植物はない。一般に「もみじ」と言われるのはカエデだ。このカエデにもさまざまな種類がある。我が家にも大小10本近いカエデがあるのだが、それぞれがみんな違う。真っ赤に色付くものもあれば、深紅や淡い赤、茶色っぽいものもある。それぞれが独自の色合いを表現するのである。初夏、若葉の色合いもまた異なる。ほとんどが緑の葉を付けるのに、まるで黄金色の葉っぱを付けるものもあるのだ。




 逆から言えばカエデは「もみじ」とも言われ、紅葉を「もみじする」とも言う。可愛い赤ちゃんの手を「もみじのような手」などという。若い女の子達は紅葉したカエデの葉っぱを栞代わりにする。カエデは古来、人々の心や生活に深く溶け込んでいる。料亭の会席料理にしばしば添えられるのもこのカエデ、つまりもみじだ。街路樹のイチョウが落とす銀杏も茶碗蒸しの具の定番。


イチョウ_convert_20101205223910


 イチョウが葉っぱを落とす頃になると、なぜか東京・永田町のイチョウ並木を思い出す。国会議事堂と衆・参議員会館の間を走る街路樹である。この辺りを毎日、仕事で歩き回っていた若い時分のことである。35~6歳、東チョン時代であった。品川に近い泉岳寺にある知り合いのホテルで仲間たちとしこたまお酒を飲み、朝帰りした。出勤にはちょっと早いが、なにせ単身赴任。そのまま仕事場に直行。地下鉄国会議事堂前で降りると、そのイチョウ並木の下で通勤途中のOLたちが競うように銀杏を拾っているのである。場所が場所。OLたちは国会職員や議員秘書だ。あっという間に落ちた銀杏は跡形もなくなる。


国会議事堂_convert_20101205222706


 「へえ~、こんな所に銀杏のなる木があったのか」。普段、何気なく歩いていた街路で再発見させられた思いだった。ご存知のようにイチョウは全てが銀杏を付けるのではない街路樹は一般的に実を付けないイチョウを植える。実が入り、落ちた銀杏は表現し難い異様な臭いを放つ。これが嫌われるのだろう。でも珍しさが先行するのかOL達はなんのその。「この銀杏、美味しいですよ」とお訪ねした議員事務所の秘書さん。「これは首相官邸から何本目のイチョウの木の下から拾ってきたものだね」と言ったらびっくりしていた。ともかくお陰でこの街路のイチョウで実を付ける木を今でもみんな覚えている。





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裸になった柿

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 「お父さん、みんな採らないともったいないじゃないの」
 高い脚立の上に上って柿もぎをしている私を下から見上げていた女房が注意を促すように言った。


 「おまんは何にも知らんのだな。こうして木にいくつかの柿を残すのは、≪木守柿≫と言ってなあ・・・」



 柿の木の実をすべてを採らない理由(わけ)を説明してやったら「へえ~、そんなことあるんだ」と、この時ばかりは妙に従順な顔つきでうなずいた。よく考えてみれば、私のような田舎育ちの人間と違って、甲府の町に育った人間にそんな事が分かりっこない。脚立の上から独り言のように「木守柿」について話してやった。


柿1



 「木守柿」「きまもりがき」とも「こもりがき」「こまもりがき」「きもりがき」とも読む。木になった柿をみんな採ってしまわずに、いくつか残しておく実のことを言うのである。だんだん寒くなって食べ物がなくなる小鳥のために餌として残してやれ、と子供の頃、近所の年寄りから教わったものだ。このほか、来年の豊作祈願の意味合いもあるとも言う。この風習は野鳥など自然への人間の優しいいたわりの心であり、素朴な祈りなのだ。




 「桃栗3年、柿8年、梅はスイスイ18年・・・」と言うが、柿は梅などと共にすぐには実を付けない。我が家の柿の木はもう何十年も経つ古木で、今年もたくさんの実を付けた。毎年の事だが、東京や埼玉に住む弟達や親しい知人に送ってやる。沢山ならせすぎると、どうしても小ぶりになってしまう。




 今年もすでに何度か吹いた木枯らしで、柿の木はすっかり葉っぱを落とし、脚立の上には橙色に膨らんだ柿をぶら下げている。木枯らしと共にやって来る霜を受けると、甘味を増して、いっそう美味しくなる。形の大小は見栄えだけの問題で、味にはそれほど関係ないのである。この柿は「富有」という品種だ。


柿



 にはそのまま食べられる甘柿枯露柿などに加工しなければならない渋柿がある。それぞれ、さまざまな品種があるが、我が家の甘柿は、この富有柿と御所柿ぐらい。かつては次郎柿とか江戸一柿などの品種もあったが、今はない。一方、渋柿もさまざまな品種がある。甲州百目、蜂屋、富士、平角無、西条・・・・。このうち、我が家にあるのは最も人気の甲州百目。今、女房が近所の人に教わりながら枯露柿を作っている最中だ。




 甘柿と渋柿の関係をご存知だろうか。甘柿は渋柿の突然変異だと言われている。わが国特産の品種である。ただ、この渋柿も熟すとだんだん渋が抜けて甘くなる。特に形も大きい甲州百目の≪ずくし≫はうまい。一部は枯露柿にせずに保存しておいて冬中、この≪ずくし≫として食べる。酔い覚ましには絶品だ。





 女房ではないが若い頃、この柿で「へえ~」と思ったことがある。山梨県の八ヶ岳山麓に小淵沢という町がある。標高が7~800mはあるだろう。ここでは「富有」も「次郎」も甘柿はみんな渋柿。甘くならないのである。標高と柿の甘い、渋いの関係をご存知?





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マツタケは素人にも採れるか

マツタケ



 秋の味覚のトップバッターといえば、やっぱりマツタケだろう。場所によってかもしれないが、今年はこのマツタケが不作だったという。春から夏にかけての天候不順が影響したのだそうだ。私達庶民の口にそうそう入るものではないが、やっぱり残念だ。土瓶蒸し、焼きマツタケ、握りのマツタケ寿司。あの香りと食感。なんとも言えない。ポピュラーなマツタケご飯もある。




 山に行っていないから分からないが、山梨市の岩手山にある我が家の持ち山にも見つければマツタケの一つや二つは生えているのだろう。子どもの頃は秋になればみんながビクを腰に山に入った。遊びと実用だった。アメジコウ、ウラトリ、シメジ、ミネゴシ、クロット、ホウキダケ。田舎の子は田舎の子ならでは、かもしれない。危険なキノコは絶対に採らなかった。誰からともなく、毒キノコの怖さを教えられていたのである。

まつたけ  

 よく考えてみると、マツタケを採った記憶はない。第一マツタケなど知らなかったといった方がいい。子どもばかりでなく、みんなが食べる事が先で、マツタケの香りや食感を楽しむなどという余裕などなかったのだろう。マツタケ採りを初めてしたのは27歳のころだった。今でもよく覚えている。今は北杜市になったが、当時、南アルプスの前衛山麓に武川村という村があって、そこの小学校の校長先生を辞めた後、村議会議員をしていた人と知り合ったのがきっかけ。その人は中山という自分の山をマツタケ山として開発、お客の誘致を始めたのである。




 マツタケ狩りの山開きの日になると毎年私を招待してくれた。のしをつけた酒2升を吊るしては山に登ると、その親爺さんは嬉しそうに、私に言うのである。「あなたの来る前にマツタケを採って置いたから、まずこれで一杯やろう」。バラックのような管理小屋で、茶碗酒だ。時には親爺さんが獲ったばかりだというアオダイショウを藁灰で焼いて食べたこともある。硬いが、うまかった。帰りには藁とスギの葉で作った筒状のものにマツタケをいっぱい差して持たせてくれるのである。


松茸  


 それから間もなくして、県の林務事務所と国の営林署の人たちと八ヶ岳山麓の別の山にマツタケ狩りに出かけた。自他共に≪マツタケ採りの名人≫という地元の人が案内役だった。その名人は途中で地面に直径1mぐらいの円を描き「この中にマツタケがある」というのである。しかし目を皿のようにしてもマツタケはない。ニコニコしながら名人が円の中心付近の土を指で掃くようにのけると、土の下からマツタケが。






 タネあかしはこうだ。マツタケは毎年、同じ所に出るのだそうで、名人はそのポイントをみんな知っているのである。テリトリーはざっと300.シーズンになると二日に1回、巡回しては土がちょっと盛り上がったところ、つまりマツタケが地面に頭を出す前に抜き取るのだという。いっぱいある雑キノコには見向きもしない。




 名人はそうしながら新たなポイントを見つけては一つずつテリトリーを増やしていくのだそうで、そのテリトリーはかわいい我が子にも教えないという。私はこの時を境に「素人にマツタケなど採れる筈がない」と、勝手に決め込んでいる。素人が採れるのは、山を自分の庭のように歩く名人達が、目こぼししたものに過ぎないからだ。





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つるべ落とし

柿


 「こんな時間に夕飯を食べるなんて考えられないわね。この時間、ついこの間まで、お父さん、畑にいたわよねえ…」


 「そうだよなあ~・・・」


 防災無線から、毎日6時に鳴らされるチャイム「花かげ」のメロディーが。居間の薄型テレビからは民放の夕方のニュースが流れていた。いつものように晩酌をする私に、かみさんはそんなことを言いながらビールを注いだ。




 秋の陽はつるべ落とし、と言う。暑い、暑いと言ってみんながうんざりしていた、ついこの間から比べると少なくても2時間は日が短くなった。これからまだ短くなるのだろう。


秋



 「お父さん、こんなに日が短くなると、何か損をしたような気分になるわねえ。この時期の旅行は絶対、損よねえ」


 「そうだよなあ~・・・」


 「お父さん、私の言うこと、聞いているの?」


 かみさんは一人でしゃべって、一人で怒っている。



 庭先の柿は、まだ食べるには早いが、黄色く色付き、畑のリンゴ(ふじ)も赤みを増した。沢山ある甲州百目(柿)も枯露柿づくりの時期を待つ。収穫を終えた巨峰やピオーネの葡萄棚は日に日に黄色くなり、枯葉へと一直線。朝晩は寒くなって、我が家ではもう炬燵を。視覚的にも感覚的にも、否応なく秋の深まりを実感させられるのだ。

 
枯露柿



 そんな中で今を盛りに咲く庭先のアサガオだけが、いかにもミスマッチ。無粋な私には何と言うアサガオなのか分からないのだが、時々やって来るモノ知り?の仲間によれば「琉球アサガオというのだそうだ。窓越しに長さ10m、高さ3mぐらいに仕立てた≪緑のカーテン≫のあっちこっちで次から次へと花を付ける。直径15cmから20センチもある紫色に近いブルーの大輪。アサガオ(朝顔)と言いながら昼間も咲いているのだ。時間帯によって赤くもなる。



アサガオ


 「秋の陽は釣瓶(つるべ)落とし」。先人達はうまいことを言ったものだ。詳しいことは、いつもこのブログにお出で頂き、季節風土記にめっぽう詳しい山形にお住いのmatsuyamaさんにお任せすることにするが、昼と夜の時間が等しい「秋分の日」を境に昼の時間がどんどん短くなる。まるで釣瓶のようにストーンと落ちるのである。




 もっとも、釣瓶などと言うものを今のお若い方々は、ご存じないだろう。井戸から水を汲み上げる道具のこと。ロープの先に付けた木造りの桶を滑車で引き揚げ、水を汲み上げる仕組みで、空になった、いわゆる釣瓶はストーンと井戸に落ちる。その様を秋の陽に例えたものだ。


釣瓶_convert_20111016162427


 私は山梨市の片田舎に生まれ育ったものだから、子供の頃は、この釣瓶との生活だった。顔を洗うのも、家事一切の水は釣瓶を使って汲み上げる井戸水であった。時には釣瓶にスイカを括り付けて冷やして食べたりもした。降雨で堀の水が濁れば、風呂の水も釣瓶で汲み上げて井戸の水を使った。釣瓶は常に人々の生活の中心にあったのである。




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金木犀

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 秋の香りと言ったら、この金木犀を置いてほかにないだろう。我が家の金木犀はさすがに、匂いの峠を越したが、ひと頃は、それは、それはいい香りを周囲に放った。いやが上にも匂って来るものだから、金木犀は我が家を訪れる方々の挨拶代わりの話題になった。




 「いい匂いですねえ。樹も見事ですね」



 玄関先で、しばらく匂い談義をするのである。確かに、いい匂いだ。人間が古今東西、知恵を絞り、工夫を重ねて作る香水だって、金木犀には叶うまい。どんな人間にも嫌みを感じさせない。甘い香りは自然ならではのもので、人工では作れないだろう。数ある植物の中でも、これほどの芳香を放つ植物はないだろう。




 我が家に限らず、この時季と言うより、ちょっと前、行く先々で、金木犀の芳香に出会った。それも田舎暮らしの≪特権≫かもしれない。車で走っていても、その芳香は飛び込んで来る。今では寒くなってダメだが、ちょっと前ではお天気の日には窓を開けて走った。匂いの先には大きな金木犀が。

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 この匂い、どのくらいの距離まで届くのだろうか。空気と、それを動かす風が媒体だから、それほど広範囲ではないはずだ。でもそこを通りかかる車や人は、芳香の恩恵にあずかるのである。不思議と心豊かな気分にさせてくれるのだ。




 我が家の植え込みには三本の金木犀がある。うち一本は数年前、親しい友が「いい品種が見つかった」と、言って持ってきてくれたもの。残る二本は古木。子供の頃からそこにある。恐らく80年、90年、もっと経っているものだろう。田舎家の大きな、高い屋根まで届きそうなほど大きい。それから放たれる芳香なので威力もある。




 金木犀をご存じない方もおいでだろう。色はその名の通り金色。一つ一つの花は米粒大で、それが枝のいたるところに。いっぱいに咲くのである。緑色の固い葉っぱの間に間に花を付ける。その数は、まさに無数だから、樹全体が芳香を放つように見えるのである。



金木犀2_convert_20111024102345



 繊細な匂いを放つ割に、金木犀は逞しい。放っておけば、どんどん大きくなってしまう。それが≪お荷物≫に感じることさえあるのだ。庭木の手入れを植木屋さんに任せていた時はいいが、自分で剪定をするようになった今、大き過ぎて手入れがままならないのだ。よほど大きな脚立でも用をなさない。高い梯子を使うとなると、その都度、仕掛けに手数がかかるし、第一、高い所に上るのが怖い。




 仕方ないから何本もある幹を根元から間引きするのである。ひと回りも二回りも小さくしたいのだ。でも高い所は植木屋さんに切り落としてもらうより方法はない。人間とは勝手なもので、花が散れば、無用の長物。厄介者にしてしまうのだ。隣にある大きな赤松は、松くい虫にやられて枯れた。何本もあった立派な松は全滅。これは根元から切り倒せばいい。チェーンソーを買ってきて、自分でやる。



庭3


 すでに刈り込みを済ませたサツキやつつじの植え込みを除いて、ぼつぼつと剪定を始める時期を迎えた。素人が見よう見まねで、それも時間はお構いなしにやるのだ。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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