初夏への移ろい

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  「お父さん、もう、掛け布団を薄くしましょうか。冬の布団では、暑いんじゃあないかしら…」


  「バカ言え。まだ4月だぞ…」


 そんな、どっちでもいい夫婦の会話をよそに、このところの気温は暑かったり、寒かったり。「掛け布団を…」。女房が、こんなことを言うのも無理はない。茶の間のテレビが伝える、この日の気温は6月初旬並みだと言う。そうかと言って、そんな気温がずっと続くわけではない。「三寒四温」とはよく言ったものだ。




 こうしてパソコンを叩きながら窓の外に目をやると,丸裸だった庭の落葉樹も、いつの間にか芽吹いて、初夏への序奏を印象付けている。何種類もある楓は、あるものは緑色に、あるものは赤く。黄色く芽吹くものもある。芽吹く色が何であれ、その色はどれも淡く、弱弱しい。柔らかい、と言った方がいいかも知れない。桜は日に日に散って葉桜に変身、一足先行している紅梅や白梅は、よく見ると青く、小さな実を結び始めた。

梅 全体  


 地面では水仙が黄色く、チューリップが真っ赤な花を付け、中には《この世》の峠を越したものもある。赤やピンクの椿の花も周りで芽吹く落葉樹の緑にアクセントを添える。植え込みと畑の境には除草の際、取り残したタンポポの花が。その近くでは、何というのか名前は分からないが、白く、小さな可憐な花が周囲に風情を添えている。




 かつての日本タンポポは、すっかり姿を消して、いずれも西洋タンポポ。見るからに逞しく、花が散る頃になると、羽毛のような白い、無数の種を風に飛ばす。私達百姓にとっては、それをロマンチックと捉えられない《シロモノ》繁殖力も凄い。。野にあるタンポポもみんな西洋タンポポに変わった。《首》の短い日本タンポポは駆逐されてしまったのだ。




 目を植え込みの向こうに向けると、富士山も心なしか雪化粧を薄くした。前衛の御坂山塊の稜線にポッカリ浮かぶ富士の容姿は、いつ見てもいい。この時季、雪解けはジワジワと進み、「農鳥」が《姿》を見せる日も近い。「農鳥」は富士山の雪解けがもたらす自然現象。周りの雪が消え、残った雪が「鳥」の形で浮かび上がる時季があるのだ。古来農家は、この自然現象を《合図》と捉え、農作業を始めたことから、いつしか「農鳥」と呼ぶようになった。

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 古来、初夏の農作業と言えば、米作りだったのだろう。しかし、この辺りでは、すっかり、と言っていいほど水田は消え、ブドウや桃、スモモ、所によってはサクランボ、つまり果樹地帯に変わった。だから「農鳥」は農家の《羅針盤》としての役割を薄くしているが、人々に初夏を告げる風物詩であることは間違いない。




 果樹農家は桃やスモモの人工授粉に精を出し、良質の果実の収穫に思いをはせる。冬の間、重油を焚いて丹精込めたハウスサクランボは市場に顔を見せ、一足早く初夏の味と香りをお届けしている。庶民と言っては失礼だが、そうそうみんなの口に入らないお値段だろう。


サクランボ


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ピンクのじゅうたん

桃  


 「山梨の人間はバカだねえ・・・」


 「先生、どうして山梨の人はバカなんですか」


 「バカなんだよ」


 「だからどうして・・・」


 「だって、そうだろう。山梨の桃の花はすごい。わたしゃあ、電車で甲府に来たんだが、勝沼駅から塩山駅にかけて見渡す甲府盆地の桃の花は素晴らしい。あれを山梨県のヤツらは、世に出すことも、ましてや活用することすらしねえ・・・」


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一宮町観光協会



 その人はツボのような丸い目をむき出すようにしながら、まるで掃き捨てるように言った。その語り口調はドスが利いていて、声はかすれている。ご存知の方は、そのイメージからお分かりになるかもしれない。そう、今は故人となられた岡本太郎画伯だ。大阪万博の、あのシンボルモニュメント「太陽の塔」の作者としてもおなじみ。その作風からピカソを連想する方も多いだろう。

岡本太郎



 もう30年以上も前のことだ。甲府で岡本画伯にお目にかかってインタビューさせて頂いたことがある。お話をお伺いする前、その生い立ちをちょっと調べさせて頂いた。その記憶によると、芸術一家に生まれた岡本さんは、子供の頃は名うてのやんちゃ坊主で、小学校を度々、転校させられた。ところが絵を描かせれば何を描いても上手で、18歳の時、東京美術学校(現東京藝術大学)に入り、その後、一家でフランスに渡るのである。




 岡本青年は、家族が日本に帰った後もパリに残って絵を勉強、そこで出会ったピカソの絵に心酔して、抽象画に傾倒していくのである。原色を使ったあの力強い抽象画を見て誰もがピカソを連想するわけはそこにあるのだ。大阪万博は当時、圧倒的な人気を集め、その入場者総数は6,400万人を数えた。日本人の二人に一人が万博を見た勘定だ。そのシンボルとなった「太陽の塔」の制作費は30億円とも言われた。




 なんとなくピカソを連想しながら向き合っていた私は、この岡本画伯のお話に、頭をガツ~ンと、ぶん殴られたような気がしたのを今でも鮮明に覚えている。なぜって? 今でこそ桃の花をいけばな用に市場化したり、桃の花見の場を設営して観光客を誘致するようになったが、当時、桃作り農家も農協など全ての周囲は、いわば「いい桃の実を作ってなんぼなんぼ」という考えに過ぎなかったのだ。岡本さんが言うように、あの見事な桃の花をビジネスに使うことなど考えなかったのである。


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 いくら素晴らしい花が咲こうと、その中にいれば、当たり前のことで、その素晴らしさに気づかない。岡本さんが言う桃の花に限らず、そこにいる人たちが空気のように誰も気づかず、見過ごしていることって案外多いのかもしれない。色から来る景色を見ての感性、それが芸術ばかりはではなく、ビジネスチャンスにも繋がることを思い知らされた。岡本画伯の感性はひとつキャンパスの上だけではなかった。事実、あの30数年前の乱暴とも思える発言が、やがて農家も周囲も山梨の桃の花に対する視点を変えるきっかけになったことは確かだ。




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摩訶不思議な桜

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 どちらにお住まいかは存じ上げないが、テンテンさんからこんなコメントを頂いた。
「たかが花見、されど花見ですね。この風習が続く限り、日本の自然は美しく残されていくのだと信じています」



 このコメントに私もこうお返事させていただいた。


 「そう言われれば、その通りですね。日本人に花見の習慣がある限り、花を愛で、自然を大切にする心が育まれていくのでしょうね。私のような花をおかずにする飲ん兵衛も一役買っている?のですね」




 飲ん兵衛の一役は、もちろん冗談。とにかく、という花は不思議な魔力を持っていて、人々に春を実感させ、人の心をウキウキさせるのだ。100年に一度の不況だの、なんだのといっても、日本全国、至る所の桜の名所は、今年も花見客で賑わった。当然のことのように、私のような酔客も。

桜



 毎年、2月から3月になると新聞、テレビ、ラジオは競うように日本列島の桜前線を予想し、各地の地方気象台も、それぞれが持つ標準木と首っ丈で、役にかかって開花宣言を発表する。そこには、平年比、前年比で何日早いの、遅いのまで解説するのだ。人々はそれによって気候や気温の移り変わりを実感したり、農村地帯や果樹地帯では、その作業の目安にさえするのである。




 梅の花からバトンタッチする水仙や、後に花開く桃の花、さらには西洋など外来種の草花もあわせ、一斉に花を開かせる。いわゆる春爛漫を演出する自然界にあってはその象徴的な存在なのだ。山梨、特に私が住む甲府盆地の東部は、日本一の桃の産地。間もなくすると桃の花が満開となって、一帯がピンクのじゅうたんに変わる。しかし、このスケールの大きいピンクのじゅうたんも、やっぱり花としては桜には位負けだ。




 日本人は、なんと言っても桜が大好き。だから映画や舞台にも桜を登場させる。今は全体的に少なくなったが、時代劇、つまりチャンバラ映画には桜がつき物だった。あの遠山の金さんにいたっては、背中から二の腕に掛けての刺青は桜吹雪。北町奉行所のお白州で片方の裃をはずして「手前ら、とぼけるのもいい加減にしろい・・」と二の腕に掛けての桜吹雪を見せながら啖呵を切ると観客は拍手喝さい。いわば最後の見せ場となるのだ。



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 子供たちの学生服のボタンや小学校の校章も、かつては桜をあしらったものが多かった。外国人から見た日本の象徴は、今でもフジヤマ芸者と並んで、やっぱり桜。日本人に桜を重ね合わせるのである。昨年、アメリカのシアトルに行ったとき、ワシントン大学を訪ねたら三木首相時代に日本が贈ったという桜並木が、その構内で幹を太くし、立派に息づいていた。ワシントン州での日米友好の証なのだ。




 桜は全ての花に比類がないほど、散り際がいい。日本人のDNAにある「侍」にも似た共通点がどこかで人の心をくすぐるのだろう。しかも、散った後も「葉桜」という言葉があって、まだ桜が生きているのである。花は散れば終わりだが、なぜか桜だけは違うのだ。


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一本の河津桜

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 山梨で「河津桜」と言っただけでも、ちょっぴり違和感を覚える方もお出でだろうが、我が家の植え込み越しの「ふれあい広場」にある一本の河津桜が満開。周りに何本となく植えてあるソメイヨシノや枝垂れ桜は、まだ蕾を固くしているだけに、何となく≪場違い≫の感がないでもない。




 何年ぐらい前だっただろうか。女房と二人して静岡県は伊豆の河津を旅した折、背丈1mにも満たない苗を買って来たのが発端。今では高さ10m、幹は太く、枝も横縦に大きく伸ばして立派になった。開花も早いし、ソメイヨシノなどと比べると逞しさも感ずる。でも正直言わせてもらえば、花全体が醸し出す風情はソメイヨシノにはかなわない。




 花は桜。巷に、また四季折々に花は数々あれども、わが国では古来、花と言えば桜。その桜の代表格がソメイヨシノかどうか私には定かなことは分からないが、少なくとも私はそう思っている。河津の皆さんには悪いが河津桜ではないことだけは確かだ。しかしソメイヨシノには見ることが出来ないピンク色の、やや小ぶりの花は、これはこれで風情がある。第一、世の中、桜などと言わない内に花を開いて人々を楽しませてくれるのがいい。


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 全国的に見れば、河津は、ほんの点でしかないし、知らない人がほとんどだろう。でも、山梨に住む私たちにとって伊豆は馴染みの地。≪海なし県≫の人間にしてみれば、ちょっと大げさに言うと、あこがれの地である。若い頃、子供を連れての海水浴と言えば、まぎれもなく伊豆だ。遡れば、千葉の時代もあったが、受け入れる環境は確実に変わった。




 桜と一口に言っても、この河津桜もあれば、ソメイヨシノ、その間に挟まる彼岸桜もある。間もなく4歳になろうとする孫娘を連れて先祖の霊に手を合わせた彼岸も、あっと言う間に過ぎて、今度は≪本当の≫桜、ソメイヨシノの季節。人は何故か、この時を「春本番」という。


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 河津の桜は兎も角、桜とは面白い。季節を代表したり、大きくは国を代表したりもする。「♪さくら、さくら…」と、童謡に歌われたかと思えば「♪貴様と俺とは同期の桜…」と軍歌にも歌われたりもする。軍歌というと、すぐ戦争云々と教条主義的に、お考えになる方もお出でだろうが、歌は、その時代を語り継ぎ、偲ぶものでもある。今は小学校でも中学校でも見かけなくなったが、男の子の制服の金ボタンと言えば、桜であった。




 これも今では、ほとんど影を潜めてしまったが、時代劇映画には必ずと言っていいほど桜のカットが登場した。「遠山の金さん」や「忠臣蔵」の浅野内匠頭の切腹前のカットシーンが典型かも知れない。外交的にも桜は古くから使われ、米国のいくつもの都市には「友好の印」として、しっかりと根付いている。私も罪滅ぼしの女房との外国旅行で、その桜を何か所かで見た。




 WBCの「侍ジャパン」は米国に準決勝で惜敗。勝敗は兎も角、個人的には「今時、≪侍≫でもあるまい…」と思うのだが、外(外国)から見れば、「フジヤマ」、「ゲイシャ」と並んで「サクラ」、「サムライ」は、日本の代名詞かも知れない。良い、悪いは別だ。


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画像はお借りしています


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感動の卒業式

  日川高校3


 卒業式は、卒業証書の授与から始まって、皆勤賞などの表彰、校長の式辞、同窓会長やPTA会長の祝辞、来賓の紹介、在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞と続いてゆく。校長はモーニングに身を包み、男性教諭は略式とはいえ黒の式服、女教師は着物に袴姿。卒業生は全員が胸に揃いのコサージュを付け、式場の体育館は、いやが上にも厳粛ムードに包まれた。一番後ろには、国歌や式歌、校歌の伴奏をする吹奏楽部が控えていた。




 校長の式辞は、三年間にわたる学び舎での文武両面での努力、それによってもたらされた、それぞれの成長を称え、卒業生へ餞(はなむけ)の言葉を贈った。卒業生代表の答辞は、右も左も分からない入学時の厳しい「オリエンテーション」や、みんなで取り組んだ学園祭(紫風祭)、忍耐力と共助の精神を培った競歩大会、むろん、学び舎だから勉学や先輩、後輩と生活を共にしたクラブ活動…。去来する思い出は尽きなかった。




 式辞や答辞に初めて登場した言葉は「政治への参加」。キーワードは「18歳からの選挙権」である。校長も卒業生も立場こそ違え、これに触れ、政治への認識を新たにした。校長は政治や社会参加に対する「自覚」を促し、卒業生は、その「決意」を強調したのである。




 卒業証書授与の後の表彰では、皆勤賞に続いて「文武両道賞」も。オヤっと思ったのは、受賞者の大半が女性。「文武両道」のイメージから男性が中心か、と思いきや、可憐な女性たち。我が家も同じだが、こんなところにも《女性上位》の現象が。「文武両道賞」は文字通り、学問とスポーツの両面で優れた者に贈られる賞である。言うまでもなく、どちらが欠けてもダメ。「知」と「体」の卓越したバランスが条件なのだ。


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 これに優先するのが「皆勤賞」。3年間、一日も休まなかった人たちの顕彰だから尊い。しかも、その数は全体のざっと25%を占めた。4人に1人は3年の間、一日たりとも休まず、勉学に励んだことになる。私のような《怠け者》には信じられない数字だ。《怠け》は兎も角、人間、いくら若くても風邪を引くこともあれば、体調に不調をきたすこともあるだろう。一方、ここでも《女性上位》。やっぱり、女性が大半を占めていた。顕彰者の数字だけで断言してはいけないが、「男共よ、どうした!」と、言いたくなった。




 校長の卒業生に贈る「餞の言葉」は、大きく分けて二つ。


 「3年間の学び舎生活で培った《人間力》を生かし、校訓である《質実剛毅》の精神を忘れずに生きることだ。《すべての壁》はドアで開く。自分の力でドアを開け、その向こうにある《未来》を掴め」


 「物事の本質を見極める力を養え。何事もノーサイドの笛が鳴るまで、決して諦めることなく、一生懸命頑張ることだ」




 卒業式のクライマックスは式歌、校歌の斉唱。卒業生が「仰げば尊し」を歌えば、在校生が「蛍の光」。最後は卒業生も在校生も教職員や来賓も全員起立して校歌で締めくくる。卒業生の目には涙が浮かんでいた。私達同窓生も胸が熱くなった。卒業生は3年間の学び舎生活を頭の中に去来させ、その姿を見る私たちは、自らの若き日を重ね合わせるのだ




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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