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初夏への序奏

 赤く咲いた冬の花・山茶花はとっくに消え、その後を追うように淡く咲いていた庭先の白梅もすっかり花を落とし緑の葉っぱを付けはじめた。一足遅れで満開になった紅梅も春の嵐にハラハラと散った。その足元では水仙が黄色い花を。紅白の梅からバトンを受けたように杏が大きな木に薄いピンクの花をつけつけ、それを追うように桜と桃が。 

花


 は梅と同じで木に勢いがある。だから太い徒長枝を秋口に強めに切り落としてやった。昨年までは、剪定の時期が悪かったのか、大きな木をしているくせに、ひとつも実をつけなかった。それとも、一本だけだと、自然受粉が出来ないのか。杏のことは定かではないが、例えば、サクランボの場合、必ず二本以上植えろ、と教わったことがある。現に知人の家の庭先にあるサクランボは、太く、樹勢はあるのだが、ひとつも実をつけない。




 子どもの頃、我が家と隣の家の畑を挟んだ境に大きな杏の木があった。6月頃になると、熟した黄色い実がポタポタと落ちる。その杏の甘酸っぱい味が今でも忘れられない。その木の代わりのように、我が家の庭先で大きくなった杏の木を見上げながら、今年こそは、実をつけてくれよ、と祈るような気持ちだ。もう90歳近くになる隣のおじさんにも≪懐かしい味≫を味合わせてあげたい。


花4



 「桜切るバカ、梅切らぬバカ」という言葉がある。「桜切るバカ」はアメリカの初代大統領・ワシントンの幼年時代のエピソードから来ているのだろうが、確かに、梅は切らない方がバカ。若ければ若いほど、樹勢が強く、放って置くと藪のように大きくなってしまう。そうなると風通しや、陽の当たりも悪くなるから、実をつけにくくなくなるのである。特に、徒長枝の剪定は絶対条件。杏だって同じだ。


花2


 杏の木の足元では、蕗が一面に緑の丸い葉をつけて地面を埋めている。酢味噌和えや天ぷらにして食べたフキノトウは、もはや見る影もない。その傍らで椿が一輪、二輪と真っ赤な花をつけ始めた。裸になって久しい何本ものカエデも枝の芽を徐々に膨らませ、葡萄園の下ではハコベラが小さな赤紫の花を一面に咲かせている。


 フキ

 窓越しに真っ白い雪をかぶって浮かんでいる富士山も、ひと頃のような冷たさを感じさせない。むしろ優しく見えるから不思議だ。薄っすらとかかる春の霞がそうさせているのだろう。


花3

 甲府盆地は、今まさにあたり一面はピンクの絨毯を敷き詰めたよう。桃の花が満開だ。その畑をズームアップすると受粉作業を始めた農家の人たちの顔が。冬の間での剪定に次ぐ第2弾の作業。いよいよ果樹の農作業の本格化を意味する。

 昔は桃に限らず、スモモやサクランボなど押しなべて果物は人工の受粉などしなくても実を付けた。ところが«ある時代»から人工授粉なくして結実してくれなくなった。農薬の普及が引き金となったのである。自然受粉に一役買ってくれていた蜂を皆殺してしまったからだ。その分、人間様が手作業でせわしくも、やらなければならない羽目に。まあ、自業自得である。


庭で

 桜や桃に限らず、花は蕾から三分咲き、五分咲き、八分咲きがいい。でも、今年はいつもの年と違う。同じ花なのに花を愛でる気分にならないのだ。コロナウイルス感染症騒動は、それほど人々の心の深層にまで影響を与えているのである。しかし大自然は弛むことなく春爛漫から初夏へと移行し始めている。さて、農家にとって問題は収穫時の桃の価格。消費者マインドの委縮は必至で、農家の表情も明るくない。





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春の淡雪

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 「春の淡雪」とはよく言ったものだ。弥生・3月も押し詰まった28日朝、山梨市のこの辺りはそれまでの雨が雪に変わった。ぼた雪という言葉が時季として適当かどうかは分からないが、その雪はいかにも水分をはらんで重たそう。




 雨足ならぬ«雪足»は速く、風情など微塵もない。「♪粉雪舞い散る…」などと歌にあるような冬の雪とはまるで違う。それでもあたり一面を真っ白にした。2cmぐらい積っただろうか。しかし、雪が止んで2時間と経たない内に、多少の名残は残しながらも雪は消えた。




 庭の枝垂れ桜や牡丹桜はもう満開。ピンクの花が燃えるよう。淡いソメイヨシノも8分咲き。沢山の雪ではないにしても、思いもかけない出戻りの冬将軍に、いささか面食らったに違いない。桜は春を象徴する花。どう見ても雪は似合わない。一足早く葉桜に変わった河津桜は「オレ達にはいいお湿りさ」と言わんばかりに緑を濃くした。


 

 「お父さん、この雪で桜、散ってしまわないかしらねえ…」


 女房は、いつものようにたわいもないことを言う。少なからずダメージを受けるのだろうが、自然界は人間様などとは比べ物にならないほどしたたかだ。明日、天気になれば、何事もなかったように、また元気な«顔»を見せる筈だ。




 この時季、いつもの年なら我が女房殿、「ご近所にも声をかけてお花見をしましょうよ」というのだが、流石に今年はその言葉が出ない。コロナウイルス感染症騒ぎは、こんな田舎のお気楽・極楽おばさんと、のんきなおじさんの内面にまで影響しているのである。




 週末に当たった28、29日、いつもなら全国の桜の名所は花見客で賑わったに違いない。ところが、居間のテレビが伝える花見所は何処も閑散。東京・上野公園では規制線が。それどころか東京都は都民に「不要、不急の外出」を控えるよう躍起になって促していた。テレビは上野公園ばかりでなく、銀座や浅草、若者たちに人気の渋谷や原宿の街並みを映し出すのだが、もちろん何処も閑散。その一方で、商店経営者の«悲鳴»だけが聞こえてくる。




 山梨県では4月早々、県都・甲府市の玄関口・甲府駅前の平和通りや舞鶴公園を舞台に繰り広げる「信玄公祭り甲州軍団出陣」を早々に中止。それに関連する石和温泉郷の笛吹川河原での「川中島合戦絵巻」も。武田信玄公は山梨県民にとって永遠のシンボル。「信玄公まつり甲州軍団出陣」は最大イベントだ。


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山梨県HPより


 あまたある花の中で、桜ほど人の心を捉える花はあるまい。残念ながら今は映画やテレビで時代劇は影を潜めたが、あの「忠臣蔵」では浅野内匠頭切腹のシーンには満開の桜が。「遠山の金さん」の背中には桜吹雪の入れ墨。日本人には受け入れ難い刺青だが、何故か桜だけはOK?間違いなくみんなが拍手喝采するのだ。桜の花は天下御免なのだろう。桜は数多くの歌にも歌われたり、学生服のボタンや小中学校の校章にも使われている。





 「散る桜 残る桜も 散る桜」。陽気なイメージの一方で哀愁を込めた、こんな句や「葉桜」という言葉だってある。コロナウイルスはそんな日本人の感傷も何もかもみんなぶっ飛ばした。何もかも包み込む「白銀の世界」とまではいかなかったまでも季節外れの「春の淡雪」が恨めしくもあり、心に染みもする。




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庭のサンシュウの木

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 黄色い花がいっぱい。我が家の庭のサンシュウが咲いた。


 稗つき節に「♪庭のサンシュウの木 鳴る鈴かけて 鈴の鳴る時ゃあ~」と歌われる、あのサンシュウだ。花をいっぱい付けたとは言っても、このサンシュウの木は、昨年植えたばかりの僅か1mにも満たない幼木である。




 宮崎県の民謡で、日本人なら誰でも知っていると言っていい「稗つき節」。日頃、何とはなしに口ずさみながら、恥ずかしながらこの歳になるまでサンシュウがどんな木かはむろん、どんな花を付けるのかも知らなかった。




 「それなら、私が苗木を見つけてきてあげますよ」


 親しい仲間が、たわいもない酒飲み話をきっかけに、その苗を持って来てくれた。知り合いの苗木屋さんに頼んで、取り寄せてくれたのである。




 白梅が散って、紅梅が咲き、その足元では黄色い水仙の花が。その向こうでは、今では見上げるほど大きくなった河津桜が満開。杏子の木もピンクの花を付け始めた。自然界は物言わず、どんどん装いを変えて行く。この時季に咲くサンシュウは、やっぱり春の花だ。




 稗つき節は源平合戦の一つ・壇ノ浦の戦いで敗れた平家の女性落人と若き武将の悲恋の物語を歌ったものだという。民謡ならではの節回しのせいか、何とも言えない味わいがある。そこに歌われた意味が分からなくても、つい口ずさみたくなるのだ。




 サンシュウは中国の浙江省と朝鮮半島中・北部が原産。漢名は「山茱萸」。この音読みが和名の由来だという。街路樹としてもお馴染みのハナミズキやヤマボウシと同じミズキ科に属して、秋にはグミのような赤い実を付ける。その赤い実を珊瑚に例えて、「アキサンゴ」とも言われるのだそうだ。




 近くで咲く水仙の花と比べると、サンシュウの黄色はやや濃い。今はちっちゃな木なので迫力はないが、色が強いせいか、周囲への存在感はある。




「お母さん、あのサンシュウ、もっと広い所に植えてやればよかったなあ…」


 「お父さんは、私にはいつも『苗木を植える時には大きくなった時のことを考えて植えろ』と、言っているクセに…。ご自分のことはタナに上げるんだから…」




 この木は大きくなると5m~10mになるという。人間とは咄嗟の思慮に欠く動物なのか。いや、いや私たち«弥次喜多夫婦»だけかも知れない。いつも行き当たりばったりのことをしている。田舎がゆえに植える場所には事欠かないのに、そんなことを繰り返しているのだ。


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 非農家育ちだから仕様がないとはいえ、女房の場合、それが特に顕著。ホウレンソウやチンゲン菜、春菊など葉物野菜の種を蒔かせれば、後先考えずにビッシリ蒔いてしまう。お蔭で、間引きの手間がかかる。いつも苦言を呈す側なのに今度ばかりは女房に一本取られた。


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 黄色い花をいっぱい付けた小さなサンシュウの木の向こうで、ピンクの花を満開にした河津桜。10m近い木になった。よく考えたらこの桜も、途中で広い所に植え替えた。新たに庭木に加わった「庭のサンシュウの木」も近々、植え替えねばなるまい。






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電報で咲くサクラ

サクラサク



 「サクラサク」、ましてや「サクラチル」なんて言葉はまだ早い。本当の桜の季節までには、もう少し時間がかかるだろう。暖冬でイレギュラー気味の春を前に受験シーズンが大詰めを迎え、子ども達は否応なく運命の合格発表へと移行している。ただ、今年は例年と全く違う。受験生たちはコロナウイルス騒ぎに大きく翻弄されているのだ。 






 それはともかく、年配者ならこの「サクラサク」の5文字には懐かしい響きがあるだろう。そう、この「サクラサク」は合格を伝える代名詞。大学などの構内から郷里の親などに打った電文だ。電報は、その文字数で料金計算される仕組みだから、最短文字が、この5文字なのだ。誰が考えたか、貧乏学生の知恵だったのだろう。「サクラチル」となると、涙の不合格。そんな受験者と、その家族の一喜一憂が5文字の電報に託された時代があったのである。





 お若い方々は「おじさんたち、バカじぁないの。ケイタイやスマホを使えばいいじぁない。電話だっていいし、ファックスだって使えば・・・」と笑うに違いない。しかし、おじさんたちが大学受験の頃、つまり昭和30年代の半ば、特に山梨の田舎には電話すら十分に普及していなかったのである。

 山梨に限らず、地方は全国どこも同じだっただろう。だから電報が手っ取り早い通信手段だった。その電報も料金を節約するため電文を出来るだけシンプルにしたのだ。「サクラサク」「サクラチル」は、その要件を十分に満たした。


サクラ2



 ちょっと懐古趣味になってしまうが、当時、山梨から東京に行くには国鉄(現JR)中央線で4時間近くかかった。汽車のタイプも蒸気機関車で、窓を開けていようものならトンネルを出た後の顔はススだらけ。そう、あのSLだ。中央線がオール電化され、特急が走り始めたのは、それからしばらくした40年代初頭。山梨や、その先の長野の人々にとって画期的な出来事であった。




 そして今、甲府-新宿間は特急「あずさ」が1時間半前後で結んでいる。富士山麓に近い県境から始まったリニアイクスプレスの実用実験は甲府盆地へとグングン延び、静岡、名古屋へと向かっている。東京―大阪を1時間で結ぶ夢の超特急・リニアモーターカー計画が着々と進んでいるのだ。つい先頃はJR山手線品川―田町間に、このリニアの起点駅ともなる「高輪ゲイトウエイ駅」が開業した。実用実験線の起点・山梨県境までは地下レールで結ぶ。 


リニアモーターカー



 電話はいつの間にかケイタイやスマホに進化、大人、子どもを問わず、ポケットの中に入った。だから電報は用無しの存在に。日常生活では確実に忘れられている。密かに息をしているとすれば、結婚式とお葬式ぐらいのもの。あの祝電弔電というヤツだ。それもカタカナ文字の読みにくいものから、ひらがな、漢字交じりの普通の電文。ファックス通信をも加味しているのだろう。




 各種の手帳の後ろを見ると、年齢や計量の早見表などと共に、祝電や弔電のモデルがあって、ナンバーで申し込めるようになっている。NTTの数少ない電報ファンへのサービス。一方、支持者への祝電や弔電に気遣う政治家秘書さんにとっては、日常的におなじみだ。「サクラサク」。早く春爛漫の過ごし易い季節が来て欲しいし、騒ぎのコロナウイルスも消えて、受験者にも思い通りの「桜」が咲いて欲しいものだ。今は「散る桜」は見たくない。


サクラ



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ザゼンソウの神秘

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 「夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬・・・」

そう、あの尾瀬のミズバショウを唄った歌だ。日本人ならだれもが口ずさんだことがあるだろう。この歌の通り、尾瀬のミズバショウが花開くのは夏。私は尾瀬に行ったことはないので、写真のそれしか知らない。尾瀬はともかく、ミズバショウそのものを見たことがない人はかなり多いはずだ。ところがみんな知っているし、ずっと昔から馴染み深い花のような錯覚にさえ・・・。歌の魔力だろう。





 このミズバショウを彷彿とさせるのがザゼンソウ(座禅草)。開花期は夏と初春でまったく違うが、どちらもサトイモ科の多年草だから、ご親戚だろう。ミズバショウと違って、こちらは馴染みが薄く、恐らく見たことはおろか、名前すら知らない方も多いはずだ。そのザゼンソウが今、山梨県甲州市の小倉山の山麓で見ごろ。ここは甲府盆地の東北部、秩父山塊のはずれのような所で、竹森という地域だ。




 「ザゼンソウって見たことあります?実に神秘的な花なんですよ」


ザゼンソウ2



 山梨ロータリークラブでご一緒する仲間が例会の後、その竹森のザゼンソウ群生地に案内してくれた。車で行ったのだが、JR中央線塩山駅から北へ約5㌔、時間にして6~7分の所。いわば塩山駅とは目と鼻の先。眼下に塩山の街並みが見える。




 山あいの人家からちょっとそれて、駐車場らしい広場に車を停め、1~2分歩くと、ある、ある。ザゼンソウがいっぱい。杉木立の中を小川、いや、岩清水と言った方がいいが、その流れの両側にかなりの幅で、帯状に群生しているのである。その群生は山の頂に向かって2~300m延びている。




 岩清水が集まるこの山沢の湿地帯に群生しているザゼンソウは黄色いものもあるが、ほとんどが赤茶色。大きさは15cm前後。仏像の光背に似た形の花弁の重なりが真ん中の胞子を包むように咲いているのである。まさにザゼンソウ(座禅草)の名の通り、花の中で僧侶が座禅を組んでいるように見える。卵型のこの花は別名ダルマソウともいう。


ザゼンソウ3


 回廊のようにジグザグ延びる木造板の遊歩道で、しきりに望遠レンズのシャッターを切っていたアマチュアらしいカメラマンは


 「私たちは毎年、地元の甲州市に見ごろを問い合わせては東京からやってくるんです。華やかさこそないが、ひっそりと山あいの湿地で咲く、このザゼンソウに魅せられるんです。まさに、ひなびた山あいで座禅を組む仏様か観音様。なんとも神秘的な花ですよねえ」



ザゼンソウ4


 この群生地に程近いところに住み、毎朝、ランニングのコースにしているという仲間のロータリアン氏によれば、シーズン中、週末ともなれば大勢の見物客で賑わう。県内外からのお客さんを当て込んで茶店も出るほどだ。ザゼンソウの群生地は、栃木県の大田原なども知られているが、この甲州市の竹森は、自生地としてはわが国の南限。その意味でも貴重だ。



 ただイノシシが天敵らしく、周囲には弱い電流を流す細い鉄条網が張り巡らされていた。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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