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変わるお正月

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 コロナは当たり前のように私たち地域の人達の新年の門出も変えた。「新年あけましておめでとうございます」。元日の朝、人々が集い、氏神様に一年の平安を祈り、併せて新しい年を寿ぐ「拝賀式」。2礼、2拍手、1礼。代表(区長)に合わせての参拝は同じだが、氏神様の前にずらりと並ぶ人たちはソーシャルディスタンス。むろん、みんなマスク姿だ。




 区長の年頭のあいさつもコロナで始まりコロナで終わる。もう10年以上前になるだろうか、私も、その立場にあったが、新しい一年への夢や抱負を語ったことを覚えている。そこにみんなが、新しい年への期待をかみしめもした。でも、今年は区長ばかりか、誰もの頭にこびりついているのは紛れもなくコロナである。
神酒


 何時もの年なら、拝礼が済むと氏神様の広場と隣り合わせにある公会堂へ。ところが、ここでも…。室内に入らず、≪露天≫の互例会。区の役員が用意したお神酒の一升瓶と、茶碗ではなく「盃」は紙コップ。そこに注がれたお神酒は≪舐める≫ほどの形だけ。次第はお決まりの乾杯と続く。いつもなら、ここからが互例会だが、今年は乾杯の後、間髪を入れずに「万歳の三唱」で解散だ。




 ここでの互例会は元来、地域の人達が茶碗酒を酌み交わしながら、三々五々、改めて新年のあいさつを交わし、地域の絆を深める。お酒好きの人なら、お神酒というより茶碗酒の酌み交わしである。つまみは「尾頭付き」になぞらえた煮干し。家庭で用意されているおせち料理に出会う前の朝一番、この「尾頭付き」のお酒が、何と美味いことか。いつもの年が恨めしい。

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「お父さん、早いわね…」


 女房は、おおよその見当がついていたらしく、居間のテーブルには、お節料理が。「紅白歌合戦」を見ながら、夜更かししていた娘夫婦や孫娘も起きていた。早速≪家族≫全員が揃っての新年の朝餉。「これはお屠蘇替わり…」と言いながら女房は神棚のお神酒を振舞った。改めて乾杯。小学校1年生の孫娘は、むろん形だけだ。




 私は、この歳まで「お屠蘇」なるものを飲んだことがない。何故か、我が家では「お神酒」という名の日本酒で代替してきた。お屠蘇とは、酒やみりんに5つから10種類の生薬を付け込んだ薬草酒だ。一年の邪気を払い、長寿を願ってお正月にいただく祝い酒である。お屠蘇をいただく習慣は私の世代で既に失われてしまったのか。いや我が家だけかも知れない。




 一方、お神酒は、祭礼で神社や神棚などに備える供物のお酒。神事の最後に参加者一同で飲むのだ。むろん≪酔っぱらう≫ほど飲むお酒ではないことは言うまでもない。拝賀式の後の新年互例会では決まって酒飲みが最後まで残って、「たかが煮干し、されど煮干し」の肴を噛みしめながら盃を重ねるのである。
酒


 孫娘にとって、それが何たるかは、まだ分かっていないかも知れないが、お正月に欠かせないのがお年玉。女房・おばあちゃんが用意しておいてくれたお年玉袋を手渡すと「ありがとう」。何とも可愛らしい。その笑顔は小学一年生の無邪気な顔だった。この子がお神酒をいただける頃のお正月は、どんなお正月だろう。期待の一方で、体のあちこちが傷みだした自らの健康が気掛かり。孫娘とお神酒を飲めたらいいなあ…。





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喪中はがきと年賀状

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 光陰矢の如しという。時の経つのがやたらに早い。つい、この間まで「暑い、暑い」と悲鳴を上げていたのがウソのように、朝夕の冷え込みは日に日に増して、アッという間に12月。12枚あったカレンダーも、気付いてみればあと1枚。挨拶の枕言葉は「寒いですね」に。考えてみれば、私たち人間とは勝手な生き物だ。




暑い夏の後にあったはずの秋も束の間。そう言えば、自然豊かな田舎に住みながら、今年はいつもの年のような虫の音をほとんど聞かず仕舞い。不思議な年であった。一時期、大雨が降ったと思ったら、猛暑、猛暑の連続。そんな気象異変のせい? 地球が丸ごと狂ってしまったのか…。






この辺りの果樹農家は,そんな≪異変≫を薄々とはいえ、早くから感じ取って、いつもの年より消毒回数を増やすなど病害虫対策を講じた。しかし結果は効き目なし。主力の葡萄は軒並みバンプやベト病にやられた。桃も灰星病などに。枯露柿の原料となる甲州百目に至っては、その比ではない。落葉病などで成熟前に葉と実を落とした。行楽客の足を止めたコロナ禍と重なって、葡萄や桃の「もぎ取り園」を営む果樹農家にとってはダブルパンチだ。



桃 


「喪中につき年頭のご挨拶を失礼させていただきます」。友人、知人からの「喪中ハガキ」が連日のように飛び込んで来る。これも年中行事なのだが、何故か、この喪中ハガキの数が今年はやたらと多いような気がする。ハガキの数は、受け取る側からすれば、お葬式への立ち合いの回数を意味するのだ。半端ではない夏の暑さなど「気象異変」が、ここにも反映しているのか。






喪中のハガキは年賀状の前哨戦。年賀状書きの時季がやって来たことを暗に告げる。ハガキは冒頭に決まり文句のように記される文言の通り、「ぶく」を相手の家に持ち込まないように年頭のあいさつの欠礼を伝え、新年を待たずに今年一年の親交に感謝する挨拶状なのである。


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もちろん、相手が喪に服しているのだから、こちら側も「新年…おめでとう」などと年賀状は遠慮する。外国、主に欧米ではクリスマスカードだが、年賀状と喪中ハガキの風習は日本人の機微ともいえる思いやりの習慣でもある。ただ、この喪中ハガキ、何故か手書きのものは全く見たことがない。しかも、みんな決まりきったパターンと文言なのだ。






考えてみれば、年賀状だって手書きは希少価値になった。パソコンの普及で、家庭で簡単に印刷まで出来るからで、仕事を減らす印刷屋さんには同情したくなる。喪中のハガキだって同じことだろう。第一、今の若い方々は「喪中のはがき」どころか、年賀状す出さないか…。デジタル化、web化の波は日本人が古くから続けて来た習慣や風習を日常から、どんどん消してゆく。






政府が今進めようとしているハンコ行政などのデジタル化は、まさに時代の流れ。ハンコの産地でもある山梨県の人間がそんなことを言うのは気が引けるが、今さらハンコ、ハンコでもあるまい。本音では多くの人達がそう思っている筈。デジタル化の新しいシステムや枠組みを作って行かねばなるまい。デジタル化、web化は若者たちを中心に年賀状離れを促し、年始の習慣まで変えようとしているのだ。







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金木犀の功罪

金木犀


 金木犀。あまた花を咲かせる樹木の中で、これほど芳香を放つ木は、他にあるまい。今、我が家の植え込みでは、その金木犀の花が真っ盛りだ。朝、窓を開けると、かなり離れているのに、プーンと香しい匂いが鼻をくすぐる。まさに、自然が放つ香水だ。我が家に留まらず、この時季ならではの香りで、車で走っていても、何処のお宅からともなく、快い香りが…。つい、車のスピードを緩めたくなるのだ。




 それほど、香しい匂いを放つのに、花そのものは、どうというものではない。米粒を大きくしたぐらいの黄色い花を房のように、いっぱい付けるだけ。この花がどうして、こんなに香しい匂いを放つのか、と思えるほど、然もない花である。仮にも花として愛でるようなシロモノではない。でも、匂いがもたらす存在感は、どんな花にも負けまい。

金木犀

 「なんと無粋な…」。人様には叱られるかも知れないが、私にとって、この金木犀は、ちょっとしたお荷物。垂直に空に延びる棕櫚(シュロ)も手に負えないが、こちらは縦ばかりではなく、横縦に大きくなるから始末が悪い。素人には剪定の手に負えないのだ。




 父が、いや、祖父や曽祖父が残して行った、だだっ広い植え込みの世話は、結構、手が掛かる。職場があった現役時代は、もちろん、植木屋さんに任せっ放しだったのだが、リタイアをきっかけに自らの手で、剪定をするようになった。「自分でやれば、それも«稼ぎ»の一つ」。年金生活者になった、ちょっとした«自覚»からでもあった。時間をかけてやればいい。


庭

 「よろしゅうございますね」。年老いた植木屋さんは、そんな私の心の内を汲み取るように、剪定のちょっとした基本まで教えてくれた。親父の代から、ずっと面倒を見てくれた植木屋さんだ。阿吽の呼吸。時季になれば、黙っていても«お弟子»を連れて来ては、作業をしてくれる真柄でもあった。




 「自分でやる」。そう決めたまではいいが、少しばかりの手ほどきで、ド素人に剪定の奥義が分かる筈もなければ、上手にできる訳がない。幾つものツゲやイブキ、サツキやツツジなど、いわゆる«小物»はいい。それほど形に拘らない、柏やカシ、カリン、百日紅なども同じだ。サツキやツツジに至っては、刈り込み時季を間違い、翌年、咲かなかったことも。


庭


 我が家の金木犀は、母屋の屋根を楽々超す高さばかりでなく、横にも大きく膨らんでいる。梯子や脚立を上手に操れない素人には、手に負えないお荷物なのだ。松も同じだが、こちらは、梯子が届きさえすれば、見よう見真似で、なんとか出来る。むろん、形だけは整っていることが前提だ。


 


 「お父さん、堕ちないでよ」。女房が心配して脚立の下で声をかけるのだ。幸い、大きな怪我がなかったからいいが、実は何度か脚立がひっくり返って痛い目に遭った«前科»がある。


庭


 因みに、金木犀はモクセイ科、モクセイ属の常緑小高木。中国南部が原産地だそうで、日本には江戸時代に持ち込まれたという。面白いのは銀木犀(モクセイ)の変種だとか。つまり、銀木犀が突然変異で出来たものだ。将棋の「成金」宜しく、「銀」から「金」、つまり「成金」になったという訳である。




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「お花見?」

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 仲間たちと「お花見」を楽しんだ。


 「えっ、お花見?」。朝晩、冷え込みを感じ、あと、ちょっとすれば、周囲が紅葉を始めるというのに、大抵の方は「お花見でもあるまい」と言うに違いない。でも、彼岸花と言えば、少しは頷いていただけるだろう。お彼岸からは、ちょっと時が経ったとはいえ、コスモスと共にこの時季の花だ。

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 人は誰だって、お花見と言えば、あのサクラを連想する。寒かった冬が終わり、ポカポカ陽気に誘われて、一輪、また一輪と花開き、やがては満開となって、人々を惹きつける。桜の名所はどこも花見客で賑わうのだ。職場の仲間たち、親しい友の集まり…。家族連れだっている。そのスタイルはさまざまだ。酒宴を張って和やかに、ひと時を過ごす人たちもいれば、散策で花を愛でる人たちもいる。今もなお執拗に政府に食いつく国会議員の先生方の、あの「花見の会」(新宿御苑)のようなものもある。




 兎に角、わが国では桜のインパクトが強すぎて、桜を除けば、どんな花も「お花見」という言葉が似合わない。チューリップやバラ、コスモスにしたって、いくら見事に咲き誇っても「お花見」と言う言葉を連想させないから不思議。

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 ここで言う彼岸花だって、もちろん同じだ。でも、「彼岸花のお花見」に拘(こだわ)っているのは他でもない。みんなが自らの手で植え付け、丹精込めて育てたことへの«思い入れ»からだ。所は甲府盆地の東北部・甲州市にある市営「ふれあい公園」の一角。眼下に塩の山や盆地の一角を見下ろす高台。その面積は、一反歩まではないにしても、それに近い。




山梨県にも「明るい社会づくり運動協議会」というのがあって、彼岸花を植えたのは、その支部組織でもある「峡東地区明るい社会づくり運動協議会」。7、8年前だった。大量の球根を荒れ地になっていた傾斜地に植えたのだ。その後もボランティアで、雑草取りに汗を流してきた。因みに「明るい社会づくり運動協議会」は毎年、同県下の新入学児童に交通安全の「黄色い帽子」を贈ることでも県民的にお馴染みだ。

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 同協議会のメンバーたちにとっては汗が染みる、思い入れの深い「花園」。先週の土曜日、同協議会の役員たちの呼びかけで大勢の人たちが満開の彼岸花を楽しんだ。むろん、宴を張るような花見ではない。よく考えたら、お花見は桜の木の下。どんなにきれいな花園であっても、「平面」では、様にならない。正確に言えば「お花見」でなく「見物」である。




 彼岸花は曼殊沙華ともいう。花の顔をよく見ると、曼殊沙華と言う方が似合う。これほど華麗な顔をした花は滅多にあるまい。スッと30cmぐらいに延びた青い茎の先に鮮やかな紅い花を付ける。細く、大きく反り返った細い何本もの真っ赤な花弁を周りから真ん中に集めるように咲くのである。葉っぱは花が散ってから付け、冬を越して初夏に枯れるのが特徴。

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 彼岸花はヒガンバナ科、ヒガンバナ属の多年草。原産は中国で、学名はリユリス・ラジアータというのだそうだ。何故か、私たちが子供の頃、この地方では「ハッカケババ―」と言った。恐らく方言だろうが、定かなことは分からない。





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無花果の実

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 イボ(疣)。今は子供にせよ大人にせよ、全くというほどお目にかからなくなった。それどころか、イボという言葉すら知らない人たちが多いに違いない。医療関係者ならともかく、一般的には死語になって行くのだろう。




 都会にお住まいの方のことは分からないが、田舎に住む私たちの世代が子供の頃、イボは珍しくも何でもなかった。主には手に出るのだが、中には腕や身体、顔にも出る人もいた。恐らく栄養の偏重や不足が起因してのことだろう。冬中など手には、あかぎれや、ひび、しもやけが当たり前の時代であった。




 その«治療薬»はイチジク。私たちの田舎での話だ。誰が言い始めたかは分からないが、「イボにはイチジクが効く」と。イチジクの実を採ると、その付け根から白濁色の液が出る。それをイボにつけるのだ。生活の知恵。なんと、よく効いてイボが取れるのである。その頃、この辺りの農家にはイチジクの木は結構あって、時季になれば簡単に手に入った。




 もう2~30年前になるだろうか。弟が直腸癌の手術を受けた時、執刀医から切除した癌の塊を見せてもらったことがある。その時、咄嗟に「癌ってイボみたいなものですね」と言ったら、医師は「うまいことを言いますね。そうです。癌は体内に出来るイボなんです」と。イボは一種の皮膚感染症なのだ。「腫瘍」というから癌は「おでき」とばかり思っていた。




 癌は気付かなかったり、放って置くと近くの臓器や脊髄、リンパ腺にも転移する。手などに出るイボも同じで、いつか知らぬ間に周りに転移して、どんどん増えて行くのである。記憶の限りでは痛くもかゆくもないのだが、やっぱり気になる存在だった。第一、邪魔。




 我が家には大きなイチジクの木がある。何年か前、親しい書家にいただいた小さな苗が今では3m近い大きな木になった。大きな葉っぱの間に間にいっぱい実を付ける。今がそのシーズンで、ご近所にもお裾分けするのだ。

いちじく


 イチジクとは、うまい字を充てたものだ。「無花果」。でも花がない訳ではない。実の中に小さな花を付けている。だから外からは分からないだけ。実の中にいっぱいある紅い粒粒が花だそうで、食べるとガリガリ歯に引っかかる。イチジクは受粉しなくても果実が大きくなる「単為結果」という特性を持っているため、昆虫によって媒介されることはないのだそうだ。第一、実の中に花があるのだから、実が大きく口を開けない限り、受粉も出来まい。




 名前の由来が面白い。毎日一つずつ熟すことから「一熟」。それが「イチジク」(無花果)になったという。確かに我が家のイチジクもいっぱい実を付けるが、決して一度には実らない。女房が毎日、一つ二つと採って来てくれる。結構、長い間食べることが出来るし、数は限られるが、ご近所へのお裾分けも出来るという訳だ。こんなに時をかけて実る果物はない。




 際立って美味しい、という果物ではないが、高血圧の人や便秘症の人にはいいのだそうだ。カリュームを多く含んでいて高血圧の人はむろん、動脈硬化の予防にもいいという。食物繊維も多く含んでいるので、便秘の改善にはうってつけだそうだ。そんなことを聞くと、毎日食べるイチジクに愛着が。わざわざ苗を持って来てくれた友にお礼を言わなくては…。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 職場を離れた後は«農業もどき»で頑張っています。傍ら、人権擁護委員やロータリー、ユネスコなどの活動も。農業は«もどき»とはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定もします。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは、身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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