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山茶花とおふくろ

山茶花4



 「サザンカ サザンカ 咲いた道 焚き火だ 焚き火だ 落ち葉焚き・・・」
そう。唱歌「落ち葉焚きのうた」の一節だ。こんな歌もある。



 「くもりガラスを 手で拭いて あなた明日が 見えますか 愛しても 愛しても ああ他人の妻 赤く咲いても 冬の花」



 ご存知、大川栄策の「さざんかの宿」である。



 「落ち葉焚きのうた」は子供から大人までが、なにか心を洗われるような歌であり、一方の「さざんかの宿」は、まさしく大人の歌だ。そして、この二つの歌ほど初冬の情景を見事に詠った歌はないように思う。


山茶花2



 ここ数日、甲府盆地の冷え込みは激しく、最低気温は一桁になった。最高気温だって14度前後。御坂山塊の向こう、富士山麓地方は最低、最高ともに、これより3度から5度低い。今日のように、どんよりとした曇りの日には日中、家の中にいても素足では足が冷たい。掛け布団の下には厚手の毛布が必要になった。




 甲府盆地は初霜に次いで初氷も観測。秋を一足飛びに飛び越えて季節はもう冬。ついこの間のような気がするが、庭の植え込みで真っ赤な花を付けていた百日紅も今はすっかり葉を落とし、黄色い実を膨らませた柿の木は、一枚、二枚と葉を落として丸裸。庭は女房が毎朝掃くのだが、落ち葉でいっぱい。ブツブツ言いながら熊手でかき集めている。



 歌はウソではない。山茶花の花もちゃんと咲き始めた。


山茶花1



 我が家の山茶花は、庭の植え込みと野菜畑の向こうの道沿いに植えてある。おふくろが近所の人を頼んで生垣用に植えたもので、40本は楽にある。親父を亡くした後だから、もう、かれこれ35年近く経つのかもしれない。仕事仕事で実家にも寄り付かずに甲府で過ごしていた息子を尻目に、気丈にも独りで家を守っていた、在りし日のおふくろの姿が目に浮かぶ。




 そんなバカ息子も勤めをリタイアしたからには、もちろん、畑仕事も植木の剪定もする。伸び放題になっていた山茶花は1,6m位の処で頭を切り落とし、前後を刈り込んで、生垣としての体裁を整えた。今年もいっぱい花を付けた。大川栄策は「さざんかの宿」の一番で『赤い花』と唄っているが、ピンクがかった赤もあれば純白の花もある。




 おふくろの知恵なのか、手伝ってくれた近所の人の知恵なのかは分からないが、それが交互に植えてあるから、紅白のコントラストがいい。山茶花の生垣沿いの道は、わずか3尺か4尺の細い道。子供の頃、近所のお年寄りに聞いた話だと、その昔は村の街道的な存在を担った、いわゆる古(いにしえの)道である。


山茶花3



 山茶花は、椿とよく似ているが、山茶花が一枚ずつ花びらを落とすのに対して、椿は花全体を首からころりと落とす。そんなことから椿は病気見舞いの花にはそぐわないのだそうだ。山茶花ならいい。この山茶花を入院中のおふくろに持って行って行ってやったものだ。喜んだ顔が今でも忘れられない。しかし、痴呆が始まっていたおふくろには、自分の手で植えたことすら忘れていた。そんなおふくろを見るのが痛々しく、哀れでならなかった。




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秋の虫のオーケストラ

 「うるさいほどの鳴き声」と、表現したら、なんと情感に乏しい人、と蔑まれるかも知れないが、今、我が家の庭先の植え込みとその周囲からは毎夜、虫の音がすごい。恐らく、鈴虫やキリギリス、コオロギなどだろうが、私には判別できない。どうやら分かるのは鈴虫くらいで、本当はキリギリスもコオロギも鳴き声を知っている訳ではない。


鈴虫


 とにかく、その鳴き声は、虫とは思えないほど大きく、明け方まで続くのである。「うるさい」ほどに感ずるのは、我が家が田舎で、車の騒音も聞こえなければ、ご近所の家もちょっと離れているので、人の話し声も聞こえないからかもしれない。寒さと共に虫の鳴き声が途絶える冬場は何の音もないから≪シーンという音≫がする。何らかの騒音が日常的な都会人には理解できないだろうが、本当なのである。



 若い頃はその≪静かな騒音≫が嫌で、音がする都会にあこがれたこともあった。我が家はちょっとした高台にあるから、子供の頃は近くを流れる笛吹川の水の音が聞こえたものだが、上流にダムが出来たことによって、水量が激減、いつの間にかその音も消えた。



 ≪静かな騒音≫を紛らわしてくれているのが虫の音だ。こうして部屋の中でパソコンを叩いていても、近くの居間で勝手に鳴っているテレビの音に負けないほどの虫の音が外から聞こえてくる。夕食後、決まってタバコを吸いながら外に出るのだが、そっと歩く足音にも虫たちは敏感に反応する。ぴたっと音が止み、通り過ぎるとまた鳴き出す。


夜の庭


 母屋から植え込みを過ぎて、ちょっと離れた石の門柱の脇の道沿いに腰掛けて、一人静かにタバコを吸っていると、暗闇の中で、あっちこっちから虫の音が。それも無数といっていいほどの鳴き声だ。ステージで聞く100や120のオーケストラなんてものではない。


 
 どでかい自然をステージにした虫たちのオーケストラの演奏を聞きながら、遠くに黒く連なる山塊の麓に見える帯のように小さく光る家々の灯りをボーッと眺める。あの光が笛吹市一宮町神沢の友の家だろうか、とか、あれが甲州市勝沼町の親戚の灯りだろうかと、思いを巡らしてみたりする。その間も虫たちのオーケストラは絶え間なく続くのである。


虫


 今、鳴いている鈴虫は、もちろん野生のものだ。かなり前のことだが、甲府に住んでいた頃、会社の同僚の中に鈴虫をふ化させる事が得意の人がいて、時期になると、しばしば、その幼虫をもらっては金魚鉢のようなガラスの器で飼っては部屋の中でその鳴き声を楽しんだものだ。騒音と雑音の中で忙しく仕事をして帰った自宅で聞く鈴虫の音は、つかの間の憩いであり、安らぎだった。

 

 かつて鈴虫のふ化は珍しく、毎年その時期になると新聞の話題になった。しかし、実際はそんなに難しいものではなく、そのことを知った同僚は、自分でふ化することを覚え、毎年大量の鈴虫の幼虫を生み出しては私達にくれたのである。今もふ化をさせ続けているに違いない。


虫2


 田舎の実家に戻って、毎晩、うるさいほどの虫の音を聞いていると、あの頃が無性に懐かしくなったりもする。人間とはわがままで、贅沢な生き物である。





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美人とのすれ違い

赤トンボ



 芽を出した大根畑で草取りをしていたら、赤とんぼが飛んでいた。秋の到来を実感する瞬間だった。でも残暑はきつい。今日も30度を超しているだろう。額の汗を首にぶら下げた手拭で拭いながら、その赤トンボを目で追っていたら、その先に真っ白い蝶ちょが。はて? この時期に、こんな蝶ちょがいたっけ。春じゃあなかったか。いかに、自然に無頓着に過ごしていたかを実感した一瞬でもあった。





 問題は、白い蝶ちょだ。これまでなら確実に、ヒラヒラと舞うこの蝶ちょを、可愛らしく思い、目を細めて追っただろう。だが違った。瞬間的に、追っかけて捕まえ、すりつぶしたくなった。「お前は異常性格者か」と、ひんしゅくを買うかもしれないが、異常性格でもなんでもない。単なる立場の問題だ。実はこの蝶ちょ、無邪気に初秋の空を舞う赤とんぼと違い、ちゃんと目的があるのだ。可愛らしく、舞っているようだが、実は魂胆があるのである。


蝶


 やっと芽を出し、二枚葉になったばかりの大根の葉っぱの裏側に、次々と卵を産み付けるのだ。この卵はやがて蝶の幼虫となって、大根の葉っぱを食いつぶすという寸法である。よほどののうてんきでも、可愛い、などと言ってはいられまい。汗だくで種を蒔き、晩秋というか、初冬の収穫を夢見ている百姓にとつては天敵以外のなにものでもない。





 蝶ちょへの恨み節はさておき、残暑はあってももう秋だ。日が暮れれば庭先の植え込みからはコーロギや鈴虫の鳴き声が。私はこの時期になると毎夜のように密かに外へ出る。虫の音を聞くためではなく、ある美人に会うため だ。




 「お父さん、毎晩、外に何しに出るの」。女房の疑いを込めた問いかけに「美人に会いに行くんだよ」と、言ったら「なに馬鹿なこと言ってるのよ」と、これまた、けげんな顔。庭先の月下美人を見に行っていることを知った女房は「ああ、そうか。もうそんな季節になったんですねえ」。うちの女房、極楽トンボで、季節感がねえのかなあ。


月下美人2



 我が家の月下美人は何年か前、親しい友が鉢植えで持って来てくれたものだ。昨年も見事な大輪を三つも四つもつけた。色といい、形といい、まさに美人である。なんともいえない気品も備えている。才色兼備である。その上、なんともいえない、いい香りを放つ。シャネルやエルメスなど世界の香水ブランドでもこの香りはつくれまい。ご存知、月下美人は夜、花を開き、一夜にして萎む。「美人薄命」という言葉はここから来たのだろう。



月下美人1



 今年はその美人とすれ違いになってしまった。マージャン会や無尽会で、留守にした夜に咲いてしまったのである。シワだらけに萎んだ≪昔の美人≫がいくつもぶら下がっていた。私が「美人、美人」と言うものだから女房は何を勘違いしたのか「お父さんねえ、≪美人は三日で飽きる、ブスは三日で慣れる」と言うんだよ」と。「じゃあ、救いようのないブスはどう言うんだ」と聞いたら「一円玉ブス、と言うんでしょう」。「そうだよなあ、これ以上、壊しようがねえものなあ」。「お父さん、美人に逃げられたからといって八つ当たりはよしてよ」と笑っていた。とにかく美人との再会は来年までお預けだ。







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庭先の異彩

百日紅の花


 ヒマワリや百日草の花が姿を消して、我が家の庭先で、今、異彩を放っているのは百日紅(さるすべり)とアサガオ。ちょっと地味だが、真っ白いユリも捨て難いアクセントの役割を。百日紅はピンクの花を山盛りにつけ、アサガオはブルーの大輪を棚いっぱいに咲かせている。百日紅は恐らく100年以上、年輪を重ねた古木。幼い頃、近所のわんぱくどもと木登りした頃と幹の太さは変わらない。そう考えると、樹齢は、もっと古いのかも知れない。




 植え込みの手入れを、自らするようになって、剪定作業をし易いように樹の頭を縮め、形を整えたせいもあって花のバランスも良くなった。と、勝手に思い込んでいる。近くに«二世»の百日紅も加わってピンクの花の競演だ。周りの樹々は、もう緑の貯えをやめ、どちらかといえば、紅葉への準備を始めた。百日紅とアサガオの花の競演も見方を変えれば、行く夏を惜しんでいるようにも見える。




 百日紅はその年に延びた小枝に穂先のような形状を作り、その穂先いっぱいに貯えた蕾を次々と咲かせていく。「百日紅」(さるすべり)とは、うまい名前を当てたもので、まさに百日紅(ひゃくしちこう=紅)だ。むろん、同じ花が百日も咲いているはずがない。それぞれの帆に蓄えた無数ともいえる蕾が、次から次へとリレーして花を咲かせるのである。




 百日は、もちろん100間の意味ではなく、百日草や八つ手、山の八ケ岳と同じように「長い」や「沢山」の総称。百日紅の開花期間は、ざっと60日。おおざっぱに7月下旬に咲き出し、9月の下旬まで花を付ける。むろん、その年の気象や樹勢によっても異なる。

百日紅1


 百日紅は逞しい樹木で、放って置くと、どんどん大きくなる。だから花を付けると存在感はひとしおだ。車で走っていても、あっちこっちで目を引く。歌にある「赤く咲くのは・・・」などというロマンチックなものとは程遠い。でもこの時季、周囲に異彩を放つ花であることは間違いない。




 一方、アサガオ。このアサガオは種を付けない。在来種ではなく、台湾が原産だそうで、我が家の場合、母屋の敷石の下で株となって越冬、春になると逞しくツルを伸ばす。屋根まで届く網の棚を作ってやり、花を楽しむ。夏場には格好の日除けにもなる。花は7月下旬から咲き始め、11月の声を聞くまで楽しめる。

アサガオ


 直径15cmぐらいある大輪で、色は濃いブルー。それ専用のツルに鞘のような蕾を付け、次々と花をつけるのである。そのツルは繁茂するといってもいい大きな葉っぱの表に出て来て花を前面に出す。だから花の大輪がひと際クローズアップするのだ。ただこのアサガオ、種がないのに元はどうして繁殖したのだろうか。そんなことを考えると、漫才やコント風に言えば「夜も眠れない」?




 百日紅やアサガオの足元で、あちこちに咲く白百合も淡泊ながら風情がある。外来種だそうで、背丈は在来種の鬼百合や山百合と違って2mをざっと超す。その先っぽに、ほぼ直角にラッパのような純白な花を付けるのだ。その«ラッパ»は時期が来るとコロリと落ちる。種を鳥が運ぶのか、風が運ぶのか、我が家の周りには年々、この白いラッパが増える。




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 やたらにクソ暑いから畑に出るのをサボり、会議など外に用事でもない限り、日中は家の中にいることにしている。ボツボツ9月の声を聞くというのに山梨県地方は相変わらずの猛暑日が。特に四方を山に囲まれ、すり鉢の底のような地形の甲府盆地は、ただの暑さではない。湿度をはらんで蒸し暑いのだ。エアコンでもなければ、やりきれない。


夏


 エアコンを点ける前、居間の温度計を見たら30度を超していた。この夏、ひどい時には35度を超したこともあった。くどいが、家の中である。温度計などと洒落たものではなく、デジタル時計の下に湿度と共に表示されるのだ。どなたかの結婚式の記念品としていただいたものだが、そこに表示される湿度は毎日のように60%を超す。この辺りと標高が200m近くも低い甲府の人たちには同情したくなる。夏場なんか暑苦るしくて眠れまい。




 そうは言っても時季は時季。昆虫や植物の花は素直に反応する。蝉はその種類ごとに時期に合わせてリレーし、日本アサガオとは時期を遅らせて咲く西洋アサガオが大きな花を。毎年の事ながら珍しいと思うのだが、この朝顔、日本アサガオのように夏の真っ盛りに咲くのではなく、その開花時期をずらし、晩秋まで咲き続ける。霜が降りる11月頃まで咲いているのだから晩秋どころか初冬といった方がいいかもしれない。


アサガオ


 蝉は、この辺りでは梅雨が明けるのを待ちわびるように、まずジージーゼミが「我が世の春」とばかり鳴き始め、アブラゼミミンミンゼミへとリレーするのだ。この頃になると外気の暑さと相まって、その蝉の声が無性に暑苦しく感ずるのである。それがしばらく続くと今度はヒグラシが。晩夏というか、初秋のこの時季、特に朝夕に「カナカナ」と鳴くこのヒグラシは別名カナカナゼミとも呼ばれる。




 「静けさや 岩に沁みる入る 蝉の声」




 俳句の世界では、蝉は夏の季語。しかしヒグラシは秋の季語である。日暮、蜩、秋蜩、茅蜩とも書く。いくら周りが暑かろうが、このヒグラシが鳴き始めるとなんとはなしに秋の到来を感ずるのだ。しかし実際には、ヒグラシの成虫は梅雨の最中の6月下旬から発生、活動を始める。他の蝉より早く鳴き始めるという。その上、9月中旬まで夕方の日暮れ時に鳴くものだから「日を暮れさせるもの」としてヒグラシの和名がついたのだそうだ。




 いくら暑い、暑いと言っても季節というものは正直。朝夕の空気はひと頃とは明らかに違うようになった。暑いことには変わりはないのだが、どこかしら秋が近づいていることを感じさせるのだ。それに一役買っているのがヒグラシかもしれない。周りの葡萄園では巨峰ピオーネが真っ黒に色付き、収穫期を迎えた。デラウエアー種などからのリレーだ。


ブドウ


 今しばらくはミンミンゼミとヒグラシの競演。この二つが鳴き止むと、今度はスズムシやコウロギの出番。本格的な秋の到来を意味する。考えてみれば人間など、我がままでもあり、たわいもないものだ。「暑い、暑い」と言って、やれエアコンだの熱中症だのと言って大騒ぎをし、それが収まるとケロリと忘れ、やがて「寒い、寒い」と言って騒ぐのだ。虫はその時をひたすらに鳴き続け、誰にも気付かれないように静かに姿を消していく。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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