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クルーズ船のマジック

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 世界のクルーズ船は、大型化の傾向にあるという。背景にあるのは、それへの人気に他ならない。コロナ騒動に巻き込まれて日本へ寄港したあの「ダイヤモンド プリンセス号」ショックも世界的には何のその、らしい。


 多くの船の規模は全長で200m、300m、高さで14階、15階建ては今や普通。ただ、船会社にしてみれば、需要があるからと言って、むやみに大型化に踏み切れない理由もあるのだそうだ。船を受け入れる港側の対応が間に合わないからで、実際には«頭打ち»という。
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 広さはもちろんだが、問題は港の水深。十分な水深がなければ、船はお腹を擦ってしまうし、安全であるはずの停泊地で「座礁」の憂き目にも遭いかねない。そんな事故を防止するためにも、須らく港が持っていているのが自前のパイロット。




 分かり易く言うと、寄港を求める、いかなる船の船長といえども勝手には入港も出港もさせない。船が入港する時にはどの港も自前のパイロットを沖合まで出して船に乗せ、港に入れるのだ。出港も同じで、沖合に船を出す。万一、事故でも起こされたものなら、その瞬間、港としての機能を失う。損害は言わずもがな。港の安全確保は港湾労働者の掟でもある。

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 言い換えれば、パイロットとはそれが仕事。航空機の場合、船のように途中の乗り換えや乗り降りが出来ないので、離陸から目的地着陸まで全ての操縦を担当するのだ。パナマ、スエズなど世界には多くの運河がある。この運河の航行も同じ。ここでも、それぞれの運河のパイロットが運航を担う。「勝手知ったる…」で、港のそれと理屈は同じ。




 大西洋―パナマ運河―中南米―太平洋の旅(15日間)でパイロットの«妙技»を見たことがある。船の両側が、僅か1mにも満たない運河の隙間を見事に通してしまうのだ。まかり間違えば、船ばかりでなく、運河そのものを壊して、後に待機する船の航行を麻痺させてしまうのである。大型化は、お客の需要ばかりではなく、港や運河との相関関係があるのだ。

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 日本へのクルーズ船寄港が少ないのは、実は港の構造にあるという。大型のクルーズ船を呼び込むには、それへの抜本的な対策を講じなければならない。乗員を含めて、一度に3,500人から4,000人近いお客さんを運んできてくれるのだから観光産業に与える影響は半端ではない筈だ。




 この、国を跨いでのお客さんの往来はIDカード一枚。飛行機のそれと違ってパスポートは一切、関わらない。経済活動や人の往来を自由にしているEU圏ならいざ知らず、IDカード一枚で全てがOK。不思議なことに乗船時に作ってくれる、このIDカード一枚がありさえすれば、あの税関や検疫の煩わしさもない。クルーズを終えて下船するとカードが効力を失うだけで、航空機の場合のパスポートと違って「記録」もあとに残らない。




 例えば、私たちが成田を飛行機で出発、米・ロスアンジェルスからクルーズ船に乗り、メキシコやウルグアイ、パラグアイ、パナマなどの中南米、チリなど南米を回って再びロスに戻ってもパスポートには何の記録も残らないのだ。ミステリー小説ならトリックのネタにも十分使えそうなクルーズ船のマジックである。

 ※次回から12月にかけて「海の旅」をテーマに過去のクルージングの記事を再掲載して特集します。全てが≪再掲載≫です。




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クルーズ船の魅力

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 前回にも言ったようにクルーズ船は、«ものぐさ人間»にはうってつけだ。「午前零時までにスーツケースなどの荷物は部屋の前の廊下に出しておいて」とか「明日の出発は○○時。30分前にロビーに集合」と言った煩わしい注文が一切ない。着替えなど乗船時に持ち込んだ荷物は、それが何日間のクルーズであろうと、下船時まで箪笥の中に入れて置けばいい。クリーニングだって何時でもしてくれる。バスや鉄道、航空機などの乗り換えの煩わしさも一切ない。




 移動は主には夜。寝ている間に動いてくれるから、時間の有効性もある。ツアーは寄港地からのバス。幾つものメニューが用意されているので、お好み次第。好みや、その日のコンディションで自由に選ぶことが出来るのだ。もし、体調が悪ければ、自分だけ船に残って船内で余暇を楽しんでいればいい。図書館もあれば、映画館やバスケットボールのスローイングなどの軽スポーツ、国や州によってオープンが異なるが、カジノだって楽しめる。

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 船の中には、多彩な施設が整っているので少なくても退屈はしない。夜は2000人以上が入れるシアターが日替わりで上演される。ただ、私のように英語に弱い人間には困ることも。とりわけ、トークのテンポが速いコントなどは全く聞き取れないのだ。会場いっぱいの笑いを生んでもチンプンカンプン。これ、笑い事ではありません。




 船の構造は、下から機械室や食材などの貯蔵庫、クリーニングなどの洗浄施設や乗務員用の居室。客室は4階、または5階かららしい。主には7階から上のようで、上に行くほど料金が高くなる仕組みだ。6階は大抵、シアターやカジノなどの遊興施設。ダンスを楽しめる大きなホールも。船は下に行くほど揺れが激しくなることをご存知?

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 ハワイには8つの島がって、「ハワイ8島」というのだそうだ。しかし、その中には無人島や個人所有の島もあってクルーズ船が立ち寄るのは、そのうちの5つ。州都・ホノルルがあるオハフ島、それにマウイ島、マルカイ島、ハワイ島、カウアイ島だ。カウアイ島は映画「ブルーハワイ」や「青の洞窟」でも有名な島。ハワイ島は、ハワイ諸島の中でも最も大きい島で、クルーズ船は2か所、2日にわたって寄港する。元祖・カメハメハ大王の銅像もある。




 タミー夫妻、とりわけタミー夫人との出会いは«英語音痴»の私たち弥次喜多夫婦にはこの上ない福音であった。日本人が乗っていないから、それへのサービスがない船内の諸々の不都合の助けや、旅先での解説、例えばカメハメハ大王が築いたハワイ王朝が8代で滅び、米国50番目の州になった経緯(いきさつ)、血族結婚の弊害に気付いた王朝が日本の皇室に縁組を求めたこと、夫妻が住むネバダ州のラスベカスは、元々は砂漠で、その昔、100㎞も先から水を引き、世界のラスベカスを築きあげたアメリカ人のパイオニア精神など、など。

船上

 当時は60代ちょっとだったナイスバディのタミー夫人も今は70代の半ば。ネバダ州で、日本の自衛隊と違って退職後も生活面の優遇措置があるという米国にあって悠々自適の生活を送っているに違いない。「この拙ブログを読んでくれれば…」。でも日本語バージョンがないからダメか…。(次回に続く)




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クルーズ船の思い出

船  


 あのタミーは、どうしているのだろう。もう10年ぐらい前のことだ。出会いは、ハワイ諸島のマウイ島沖。太平洋のど真ん中、洋上を進む大型クルーズ船の甲板であった。船の名前は「Pride Of America =プライド オブ アメリカ号」。14階建てで、「船」というより、差し詰め海を自由に動き回る大きな「ホテル」だ。船籍は米国だろう。




 タミーは、その14階の甲板に設えられたプールサイドの真っ白い長椅子で、甲羅干をしながら本を読んでいた。船は、そうしている間にも大海原を静かに進んでいく。年齢は後で聞いて分かるのだが、とても、その年齢とは見えないナイスバディ。もちろん、ビキニスタイルだ。隣の長椅子には海パン姿のご主人が。こちらはアメリカ人らしく、白い胸毛の大男だった。

船

 「Are You Chinese Or Japanese?」


 隣に寝そべった私たち夫婦を見て、ニッコリと問いかけてきた。


 「I Am Japanese…」


 「そ・う・で・す・か。日本人・で・し・た・か」


 このご婦人は、ざっと40年前、神奈川県の厚木米軍基地で通訳の仕事をしていた時、米兵のご主人と知り合って、23歳の時に結婚。ご主人の人事異動で、米国に住むようになったという生粋の日本人1世。「タミー」のネーミングは、恐らく和名の「民子」か「多美恵」のようなものから取った米国名だろう。

 
 

 長い間、日本以外の国、しかも周りに日本人がいないと日本語を忘れてしまうのだそうだ。言葉ばかりでなく、身体つきや仕草までアメリカ人に見えてくるから不思議。後で考えれば、歳に似合わず、ナイスバディに映ったのもそのせいだろう。その時は、ご主人は既に軍をリタイア、ネバダ州の田舎町で、孫に囲まれて、のんびり過ごしているのだという。




 米国は広い。ハワイは言うまでもなく米国の一部だが、ネバダ州から、そこまでは私たち夫婦が日本から行くのと同じどころか、もっと時間がかかる。でも、この人たちにとって、日本人が沖縄や奄美大島、北海道などへ旅するのと同じ感覚だろう。乗客は、ほんの僅かに、中国か韓国人らしき東洋人がいるものの、ほとんどが欧米人。


船の景色


 もう一つの特徴は、ほとんど全てが職場をリタイアした?年配の夫婦連れだ。日本人のように、やれ、卒業旅行だの、新婚旅行だのと言った浮かれた若者達の姿はない。海辺のリゾート地で、バケーションを楽しむ家族連れや仲間たちとは様相を異にしているのだ。


クルーズ船の旅は、一度船に乗れば、荷物の移動もホテルの移動も全くしなくてもいいのが特徴。船は夜のうちに移動し、朝、寄港地に着くと、そこからは自由にコースを選んでツアーを楽しめばいい。私のような«ものぐさ»人間には、うってつけなのだ。




 只、困るのは言葉。やっとの片言の英語。もちろん女房も同じだ。無謀にも日本人ツアーではなく、米国ツアーに加わったものだから、日本人向けのサービスは全くない。くつろぐ夜のひと時、レストランのメニュー表もすべて英語。日本語が分かる乗務員すら乗っていないのである。そんな時、タミー夫婦は「地獄に仏」だった。(次回に続く)




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遊びの変化

 「買う」方は力不足で、からっきしダメだったが、残る「飲む」「打つ」はそこそこやった。人並み以上かもしれない。もちろん、人並みが、どのあたりかは物差しがないが、自分ではそう思っているのだ。その感想?あまり、褒められたものではないし、今にして思えば、そんなお金があったらもっと違うところに使ったら・・・、といくばくかは後悔している。恐らく、家一軒ぐらいは建っただろう。


家

 今はそんな言葉は死語になりつつあるが、「飲む」「打つ」「買う」は、古くからの遊びの代名詞。遊びの三要素といってもよかった。もちろん、男の遊びだ。「なんと下品なオジサン」と、ご婦人やお若い方々からひんしゅくを買うかもしれないが、そんな時代があったことは事実だ。




 遊びは驚くほど多様化した。趣味も広義の遊びと捉えれば、まさに多種多様。情報化社会、交通網の発達が拍車をかけたことは間違いない。不況だの貧困、格差社会などといわれても、日本人、そこそこのお金をも持っている。コロナ禍で混乱しているとはいえ、子供たちは夏休みに入り、そんな子供たちを巻き込んでお父さん達の夏休み、いわゆる盆休みもやって来た。



スイカ

 昨年までは、この時期、日本中の高速道路は行楽を楽しむ家族連れの車であふれ、どの空港も海外でバランスを楽しむ人達でごった返す。中央自動車道など、どの高速道路も、あの30㌔、40㌔の交通渋滞を生んだ。行く先のホテルや旅館は普段の5割増し、10割り増し。車の渋滞にうんざりしながらも、ホテルや旅館の料金の割高に閉口しながらも人は動いた。普段忙しいサラリーマンにとって、お金より暇、時間の方が尊いのである。


道路

 ところがどうだ。今年はその全てがウソのよう。でも、書店を覗けば、趣味も含めて遊びをガイドする雑誌がいっぱい。釣りもあれば、ハイキングや登山、ドライブ、音楽、手芸、囲碁や将棋の入門書もある。マンションのベランダで出来る趣味の園芸も。種類はないものがないほど多岐にわたる。しかも、その切り口も年齢層で輪切りにしてあるのだ。顧客心理を掴むためターゲットを絞り込んでいる。





 大きなお世話だろうが、こんなに多様の本を出して出版社は採算に合っているのかと思ってみたくもなる。裏を返せば、それほど遊びのガイドを求めて止まない人達が多いということを意味する。コロナ禍の今、ことさらに、そんなレジャーの多様化と活気が恨めしい。 


麦わら帽子

 私たちが子供の頃と比べれば、遊びも、その環境も雲泥の差だ。当然のことながら子供たちには夏休みはあった。でも、この時期、一帯は桃や葡萄の出荷の真っ盛り。子供たちも当然のことながら、その手伝いに駆り出されるのである。それを逃げ出して遊ぶとすれば、水浴びか雑魚獲り。車なんかないからドライブや遠出の旅行など知るよしもない。


水遊び

 社会人となった昭和40年代初頭、サラリーマンはみんな働き蜂。昼間は仕事、仕事で終わり、夜はといえば、赤提灯、ネオンの下町へ。その帰りは我が家ではなく、麻雀荘。時代が過ぎて甲府市郊外ともいえる石和町に場外馬券場がお目見えすると、週末には決まって競馬だ。花札やソウルへのカジノにも通った。競馬はなんとなく卒業したが、麻雀は、まだ現役。週末ともなると「今日は?・・・」。いつものように同級生の仲間から誘いの電話が来るのである。そして午前様だ。


麻雀

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野麦峠の感慨

野麦峠  


 どこから聞こえてくるのかウグイスの鳴き声が。標高1672m。夏といってもそこの空気はひんやりしていた。峠道の脇の杉木立では、可愛らしい一匹の小猿がくりくりした目で、愛嬌たっぷりにこちらを見ていた。




 野麦峠。長野県松本市と岐阜県高山市の境に位置する。山本茂美の小説「ああ野麦峠」の舞台になった所だ。昭和54年、山本薩夫監督が確か大竹しのぶを主演女優として映画化、多くの人達に感動を与えた。


ああ野麦峠


 小説「ああ野麦峠」は明治から大正にかけた時代のルポルタージュのノンフィクション。この時代、岐阜県の飛騨から長野県の岡谷や諏訪の製糸工場にいわば身売り同然に駆り立てられた娘さんたちの峠越えを描いた作品である。この野麦峠は、その時代の女工哀史を語る上でも悲しい物語を秘めた所なのだ。




 北アルプスを横断して信州と飛騨を結ぶこのあたりは昔から積雪の多い所。この一帯の主要道路・野麦街道の難所だった。積雪で峠を越えられずに死んでいった人達もいたといい、そこには現在も「お助け小屋」というのが残っている。もちろん、今は車の時代。「お助け小屋」はお土産や食事所に姿を変えてはいるが、何とはなしに哀愁を残している。


お助け小屋2


 そこを訪れる私たちの胸をいやがうえにもジ~ンとさせるのは「お助け小屋」の前庭に建てられている「ああ飛騨が見える」の石像だ。等身大とはいかないまでも大きな石像は、製糸工場で病に倒れて里に突っ返される妹を背負い子で担ぐ兄を形作ったものだ。石像の裏面に刻まれた解説によると、病の娘は政井みね。20歳。兄は11違いの辰次郎。みねは明治42年12月20日、この野麦峠の頂上で、やっと見ることが出来た故郷に「ああ飛騨が見える」と言って息を引き取った。


お助け小屋


 この野麦峠行きは、仲間に誘われての木曽路へのワラビ採りの帰り道だった。御嶽山の目の前のような所にある岐阜県高山市高根町の山には太いワラビがいっぱい。我が家は女房と二人、2時間余りで大きな籠にどっさり、近所に木曽の香りをおすそ分けした。




 木曽といっても山梨から車でちょうど3時間。そんなに遠くない。伊那ICで中央自動車道を降り、権兵衛トンネルを経て、国道19号をしばらく走る。そこから林道に入るのだが、目の前には御嶽山、その向かいには穂高が見える。到着は7時。朝もやの木々は、まだ朝露に濡れていた。林道脇には松本ナンバーの車が3~4台。先客がいた。帰り道、御嶽山の麓で、ウド採りを試みたが、こちらはさすがに時期遅しだった。




 そこから野麦峠までは約1時間。帰りは、もちろん、道そのものは違うのだが、飛騨の娘達が歩んだ信州に降り、国道19号を中央自動車道塩尻ICに向かうのである。途中、あの有名な奈良井宿が。平日だったが、現存するわが国でも最大級の宿場町は散策する観光客で賑わっていた。






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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 職場を離れた後は«農業もどき»で頑張っています。傍ら、人権擁護委員やロータリー、ユネスコなどの活動も。農業は«もどき»とはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定もします。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは、身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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