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遊びの変化

 「買う」方は力不足で、からっきしダメだったが、残る「飲む」「打つ」はそこそこやった。人並み以上かもしれない。もちろん、人並みが、どのあたりかは物差しがないが、自分ではそう思っているのだ。その感想?あまり、褒められたものではないし、今にして思えば、そんなお金があったらもっと違うところに使ったら・・・、といくばくかは後悔している。恐らく、家一軒ぐらいは建っただろう。


家

 今はそんな言葉は死語になりつつあるが、「飲む」「打つ」「買う」は、古くからの遊びの代名詞。遊びの三要素といってもよかった。もちろん、男の遊びだ。「なんと下品なオジサン」と、ご婦人やお若い方々からひんしゅくを買うかもしれないが、そんな時代があったことは事実だ。




 遊びは驚くほど多様化した。趣味も広義の遊びと捉えれば、まさに多種多様。情報化社会、交通網の発達が拍車をかけたことは間違いない。不況だの貧困、格差社会などといわれても、日本人、そこそこのお金をも持っている。コロナ禍で混乱しているとはいえ、子供たちは夏休みに入り、そんな子供たちを巻き込んでお父さん達の夏休み、いわゆる盆休みもやって来た。



スイカ

 昨年までは、この時期、日本中の高速道路は行楽を楽しむ家族連れの車であふれ、どの空港も海外でバランスを楽しむ人達でごった返す。中央自動車道など、どの高速道路も、あの30㌔、40㌔の交通渋滞を生んだ。行く先のホテルや旅館は普段の5割増し、10割り増し。車の渋滞にうんざりしながらも、ホテルや旅館の料金の割高に閉口しながらも人は動いた。普段忙しいサラリーマンにとって、お金より暇、時間の方が尊いのである。


道路

 ところがどうだ。今年はその全てがウソのよう。でも、書店を覗けば、趣味も含めて遊びをガイドする雑誌がいっぱい。釣りもあれば、ハイキングや登山、ドライブ、音楽、手芸、囲碁や将棋の入門書もある。マンションのベランダで出来る趣味の園芸も。種類はないものがないほど多岐にわたる。しかも、その切り口も年齢層で輪切りにしてあるのだ。顧客心理を掴むためターゲットを絞り込んでいる。





 大きなお世話だろうが、こんなに多様の本を出して出版社は採算に合っているのかと思ってみたくもなる。裏を返せば、それほど遊びのガイドを求めて止まない人達が多いということを意味する。コロナ禍の今、ことさらに、そんなレジャーの多様化と活気が恨めしい。 


麦わら帽子

 私たちが子供の頃と比べれば、遊びも、その環境も雲泥の差だ。当然のことながら子供たちには夏休みはあった。でも、この時期、一帯は桃や葡萄の出荷の真っ盛り。子供たちも当然のことながら、その手伝いに駆り出されるのである。それを逃げ出して遊ぶとすれば、水浴びか雑魚獲り。車なんかないからドライブや遠出の旅行など知るよしもない。


水遊び

 社会人となった昭和40年代初頭、サラリーマンはみんな働き蜂。昼間は仕事、仕事で終わり、夜はといえば、赤提灯、ネオンの下町へ。その帰りは我が家ではなく、麻雀荘。時代が過ぎて甲府市郊外ともいえる石和町に場外馬券場がお目見えすると、週末には決まって競馬だ。花札やソウルへのカジノにも通った。競馬はなんとなく卒業したが、麻雀は、まだ現役。週末ともなると「今日は?・・・」。いつものように同級生の仲間から誘いの電話が来るのである。そして午前様だ。


麻雀

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野麦峠の感慨

野麦峠  


 どこから聞こえてくるのかウグイスの鳴き声が。標高1672m。夏といってもそこの空気はひんやりしていた。峠道の脇の杉木立では、可愛らしい一匹の小猿がくりくりした目で、愛嬌たっぷりにこちらを見ていた。




 野麦峠。長野県松本市と岐阜県高山市の境に位置する。山本茂美の小説「ああ野麦峠」の舞台になった所だ。昭和54年、山本薩夫監督が確か大竹しのぶを主演女優として映画化、多くの人達に感動を与えた。


ああ野麦峠


 小説「ああ野麦峠」は明治から大正にかけた時代のルポルタージュのノンフィクション。この時代、岐阜県の飛騨から長野県の岡谷や諏訪の製糸工場にいわば身売り同然に駆り立てられた娘さんたちの峠越えを描いた作品である。この野麦峠は、その時代の女工哀史を語る上でも悲しい物語を秘めた所なのだ。




 北アルプスを横断して信州と飛騨を結ぶこのあたりは昔から積雪の多い所。この一帯の主要道路・野麦街道の難所だった。積雪で峠を越えられずに死んでいった人達もいたといい、そこには現在も「お助け小屋」というのが残っている。もちろん、今は車の時代。「お助け小屋」はお土産や食事所に姿を変えてはいるが、何とはなしに哀愁を残している。


お助け小屋2


 そこを訪れる私たちの胸をいやがうえにもジ~ンとさせるのは「お助け小屋」の前庭に建てられている「ああ飛騨が見える」の石像だ。等身大とはいかないまでも大きな石像は、製糸工場で病に倒れて里に突っ返される妹を背負い子で担ぐ兄を形作ったものだ。石像の裏面に刻まれた解説によると、病の娘は政井みね。20歳。兄は11違いの辰次郎。みねは明治42年12月20日、この野麦峠の頂上で、やっと見ることが出来た故郷に「ああ飛騨が見える」と言って息を引き取った。


お助け小屋


 この野麦峠行きは、仲間に誘われての木曽路へのワラビ採りの帰り道だった。御嶽山の目の前のような所にある岐阜県高山市高根町の山には太いワラビがいっぱい。我が家は女房と二人、2時間余りで大きな籠にどっさり、近所に木曽の香りをおすそ分けした。




 木曽といっても山梨から車でちょうど3時間。そんなに遠くない。伊那ICで中央自動車道を降り、権兵衛トンネルを経て、国道19号をしばらく走る。そこから林道に入るのだが、目の前には御嶽山、その向かいには穂高が見える。到着は7時。朝もやの木々は、まだ朝露に濡れていた。林道脇には松本ナンバーの車が3~4台。先客がいた。帰り道、御嶽山の麓で、ウド採りを試みたが、こちらはさすがに時期遅しだった。




 そこから野麦峠までは約1時間。帰りは、もちろん、道そのものは違うのだが、飛騨の娘達が歩んだ信州に降り、国道19号を中央自動車道塩尻ICに向かうのである。途中、あの有名な奈良井宿が。平日だったが、現存するわが国でも最大級の宿場町は散策する観光客で賑わっていた。






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下手の横好き

花札

 パチンコ、競馬は当たり前。マージャン、花札、チンチロリン・・・。ヘタなくせに、この勝負事が大好き。といってもここ何年間、パチンコも競馬もとんとご無沙汰だ。凝るといったら聞こえがいいが、どちらかといえばはまるタイプで、ひと頃、毎週のように石和の場外馬券場に通ったことがある。




 「パチンコだの競馬だの、あんな馬鹿馬鹿しいこと、まだやってるの」


 その頃、親しい同級生から笑われた。



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 「まだ、じゃあなくて、始めたばっかりだよ」と言ったら、「遅ボケだね」とまた笑われた。その仲間に言わせればこうだ。



 「俺も若い頃、競馬に凝って、薄っぺらの給料をみんなはたいちまった。帰りの電車賃がなくなっちまうんだよ。それじゃあ家に帰れないから、帰りの切符だけは行きの切符と一緒に買っておくんだ。結局、こんな馬鹿馬鹿しい事、ときっぱり足を洗った。あれほど凝った自分が不思議に思えるんだが、今じゃあ、関心もないよ」



「へえ~、そんなもんかねえ」



 遅ボケと言われたっていい。俺はとことんやってやる、なんて思いながら、コンビニから毎週、400円の競馬専門紙を買って来ては一心に研究?馬券場に通った。女房の蔑みにも似た冷たい目線を横目にしながらである。


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 今にして思えば、この仲間の言う通り。馬鹿馬鹿しいと言うより、馬券場に行くこと自体も面倒になった。じちがなくなったのかもしれない。競馬にせよ、パチンコにせよ、およそ、勝負事というものは、その名の通り勝ち負けがあるから、のめり込むのだし、面白いのだ。もちろん、負けっ放しだったら、何をかいわんや、である。



 ただ、競馬やパチンコとマージャンや花札などは、遊び方そのものが根本的に違うのである。一方が自分ひとりの遊びであるのに対して、一方は仲間がいることだ。

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 「今日は何時から?」



 ひと頃は週末ともなればマージャン仲間からお誘いの電話が。こちらからも電話する。もちろん家庭もあれば地域もあるのだから、仕事や用事がないわけではない。しかし、毎日が日曜日の仲間達だから、すぐに面子は揃うのである。面子の中に、かたくなに「午前零時が限度」という仲間がいた。そんな時はいいが、そうでもなければ確実に午前様。




 「体も身のうちですよ」と、いぶかしがっていた女房も「言っても駄目」と思ったのか、さじを投げもした。8時間、9時間は当たり前。時には15時間20時間の時も。面白い。時間がウソのように、あっという間に過ぎてしまう。





 さて、その勝ち負けだ。総じて上手なヤツが勝つのに決まっている。「お前はどっち?」。私はどうやら負け頭。不思議だが、人には勝負事に強い人間と弱い人間がいる。ちょっとしたジャンケン、編み蛇くじやビンゴゲームだってそうだ。理屈では計れない先天性のようなものを備えた人間がこの世の中には確実にいる。運の強い人間というのだろう。





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瓢箪からコマ

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 「お爺ちゃん、チビちゃんの腕の湿疹が消えているわ」


 6歳になる孫娘の母親でもある娘が素っ頓狂な口調ながらも嬉しそうに、そんなことを言った。


 一泊2日で熱海に海水浴に連れて行って帰郷した翌朝のことであった。孫娘の右腕の肘の内側に出ていた湿疹がものの見事に消えていたのだ。湿疹は牛乳瓶の底ぐらいの範囲に、いくつもの小さなブツブツが。その一つ一つが赤く膨れ、痛々しかった。




 母親は隣町の皮膚科に連れて行っては診てもらっていたが、一向に治らなかった。このお医者さんは、患者さんが朝早くから行列を作るほどの人気の専門医。塗り薬や飲み薬を処方してもらっていた。周囲の心配をよそに、当のご本人は平気。気にしている様子もない


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 海水浴はパパとママ、それに私たち爺婆の5人。甲府から迎えに来て山梨市の我が家を車で出たのは午前7時半。10時前には熱海の海水浴場に着いた。御坂峠を越し、朝霧高原、御殿場、乙女道路を通り、箱根を経て真鶴から熱海に。山梨から熱海は2時間半の距離になった。道路交通の整備はありがたい。




 パパやママ、それに滅多にない爺婆まで伴った海水浴行きに孫娘が喜ばないはずがない。幼稚園のプールで着るお気に入りの水着に着替えて早速、海に。夏休みの真っ盛りとあって、午前10時前というのに浜辺は家族連れでいっぱい。中にはナイスバディーの若者グループも。浜辺はカラフルなパラソルやテントで一面に花が咲いたよう。




 そんな雰囲気が子供心をくすぐらないはずはなく、孫娘は終始大はしゃぎ。大人だってはしゃぎたくなるくらいだ。浮き輪を使って波と戯れていたかと思ったら、浜辺で砂遊び。炎天下にあってもヘイチャラ。一緒に遊んでやるこちらの方が音を挙げたくなる。子供は疲れを知らないのか…。




 孫娘の腕の湿疹の治癒は、この海水浴行きが功を奏したことは事実。灼熱と言ってもいい、炎天の太陽光と海水のコラボ。はたまた夕方と翌朝のホテルの温泉。そのどちらかが医学が処方する薬を凌いだことは間違いない。




 その両方かも知れない。共通しているのは塩分。私たち家族がお世話になったのは海水浴場から車で僅かなところにあるリゾートホテル・熱海後楽園。海辺の岬のようなところにあるせいか、温泉水は塩分を含んでいて塩辛い。この温泉水が孫娘の湿疹治癒に効いたのかも知れないのだ。


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 孫娘にとって、そんなことはどっちでもいい。パパやママ、それに爺婆との海水浴が、よほど楽しかったらしく「今度はいつ来る?」。そういえば、今は一児の母親である娘が、ちょうど孫娘と同じ頃、今は亡き親父やおふくろを連れて何度も伊東や下田に海水浴に来た。




 その娘も四十路。押しも押されもしない母親になった。娘が今の孫娘と同じように海で、はしゃいでいた頃がついこの間のような気がする。気付いたら女房共々、後期高齢者。何時しか、あの頃のオヤジ、おふくろの歳に。あっ、という間であった。




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富士登山

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 あれから半世紀。と言っても私事だが、富士登山をめぐる様相やスタイルは大きく変わった。私が富士山に二度目に登ったのは昭和30年代も終わりの頃。例えば東京を起点にした登山者の富士山への“助走路”一つとっても国鉄中央線はJRに移行され、私鉄・富士急行線終着駅の河口湖駅から出ていた富士山登山バスは姿を消した。




 JR中央線には30分間隔で特急「あずさ」「かいじ」が走り、河口湖からは有料の富士山自動車道(富士スバルライン)が五合目まで伸びている。東京・新宿からの所要時間は大月までが丁度1時間。富士急行線も1時間足らず、河口湖から五合目までがバスで4~50分だから乗り継ぎ時間を入れても、新宿から3時間半、4時間もあれば雲海を見下ろす富士山五合目に立つことが出来る。東京駅―新宿間は15分。特急「あずさ」や「かいじ」も列車によって東京駅から離発着する。


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富士スバルライン



 その便利さが富士山人気と相まって登山者の増加に拍車をかけ、ここ数年、その数は、わずか2ヶ月足らずの夏山シーズン中に限ってみても25 万人を超す。この数字は山頂を目指す登山客の数。五合目にやって来ては引き返す観光客を含めると、その数は何倍にも、何十倍にも膨れあがるのだ。




 毎日、五合目の駐車場は車で溢れ、広場はまるで東京の繁華街並みの混雑を呈すのである。期間を区切ってマイカー規制もするが、観光バスだけでも駐車場が埋まる。観光バスは全国の旅行社が募集する富士山ツアー。五合目観光組は、そんなお客さんが多くを占める。中には富士登山を目的にしたツアーバスも。関西や四国、中国方面、東北などツアーの登山者は全国に及ぶ。バスは時間にして一日近くそこで待つことになるのだ。


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富士山五合目



 山ガールと呼ばれる女の子やおばさん達のグループも目立つ。「おばさん達とはなによ」。ご婦人からは、そう叱られるかも知れないが、私のような野暮天にはそう映ってしまうのだ。中にはハイヒール姿で山登りに挑む若い女性も。交通手段の進化など安易さと便利さが富士登山や観光の姿をどんどん変えている。




 でも富士山を甘く見てはいけない。3,776㍍。日本一の高さを誇る山だ。一瞬に気象も変えれば、ご機嫌を損なえば風を巻き起こし、雨も降らす。目の前の視界を遮るガスをも発生させる。夏といえども8合目から上は残雪がいっぱい。7月1日のお山開きに備えて、山梨県や地元富士吉田市は、登山道を中心に大がかりな除雪作業をした。残雪は我が家の窓越しからも見えるくらいだから、その量は半端ではないはずだ。それよりもなによりも、この富士山はユネスコの世界遺産。「日本一の山」に新たな看板を掛けた。この夏も国の内外から登山客を集めるのだろう。



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 安心、安全。当たり前だが、今の世の中ありとあらゆるもの「危険」を取り除く。登山道も下山道もきちっとコース化している。かつては「砂走り」と呼ばれる所があって下山する時は、そこを舞い降りるように下りた。登る時は今とそれほど変わらない登山道を一歩一歩、確かめるように悪戦苦闘して歩くのだが、帰りは簡単。「砂走り」の文字通り一面が細かい砂地。落差も手伝って勢いが加わるので、大げさに言えば、一歩が10㍍も進む。まさに「舞い降りる」、と言う表現がピッタリ。今になれば懐かしい。でも、ツケあはある。高山病だ。 


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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 職場を離れた後は«農業もどき»で頑張っています。傍ら、人権擁護委員やロータリー、ユネスコなどの活動も。農業は«もどき»とはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定もします。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは、身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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