惹かれる言葉と人の心

行けるところまで    


 「行けるところまで、ひとりで行ってみよう。やれるとこまで、ひとりでやってみよう」


 幼稚園や小学校の教室にある掲示板ではない。文面は、さらに続く。




 「耐えられるところまで、ひとりで耐えてみよう。その中から本当の自分の生きる道をみつけよう。本当の自分の心をみつけよう」




 病院のリハビリ室の壁に何気なく貼られた一枚の張り紙である。なぜか惹かれた。リハビリ室は幾つものセクションに分かれていて、首や腰の牽引をしている人もいれば、はり治療を受けている人もいる。ホールのような広いコーナーでは、マッサージや歩行訓練、輪投げやボール投げなど機能回復訓練をしている人も。マッサージも患者の症状によって、みんな違うのだ。扉で仕切られた隣のプールでは温泉での機能回復訓練が。



リハビリ室



 共通しているのは、全てが患者と医師のマン・ツーマン。「行けるとこまで・・。やれるとこまで・・。耐えられるとこまで・・」。患者と医師の呼吸が一つになっているのはもちろんだが、リハビリ室全体に漂う呼吸がまさに一つ。それも明るい。誰一人我がままを言う患者はいない。親身になった医者と患者のマン・ツーマン治療が続くのだ。





 いい所に導いてもらえたと思った。トンマが故の自損のムチウチ症を患って、もう一ヵ月以上。首の痛みというか、起きていると左半分の肩と言わず、背中、胸、果ては腕まで激痛が走るのである。




 「俺の所の病院に来いよ。うちに、いい先生がいる。診立てが変われば、打開の道が見つかるかも」


富士温泉病院  



 はかばかしくない私のムチウチ症を気遣ってくれた高校時代の同級生が声を掛けてくれた。この男は山梨県甲府市の郊外ともいえる石和温泉郷の一角にある温泉病院、分かり易く言えばリハビリテーション病院の管理部門を事実上仕切っている。毎月一回、日川高校の同級生で作る無尽会でお酒を酌み交わしたり、麻雀をする仲間である。「医者の診立てを替えてみろ」。やはり心配してくれた同じ仲間達の意見でもあった。友への心遣い、病院での気配り。さらに病院のみんなが労わり合い、心を一つにして治療に取り組むリハビリ室で、一緒になって首の牽引をしながら、友達の≪心≫のありがたさをかみ締めた。麻雀でいつもやっつけてくれる≪鬼≫のような仲間達が、この時ばかりは神にも仏にも思えた。


病院2



 石和温泉郷には私が知っているだけでも五つ、六つのこうした温泉付きのリハビリテーション病院がある。東京など全国からも患者がやって来る。私のようなムチウチ症や交通障害、さまざまな疾患から来る機能障害などの症状を持つ人達である。私の隣のベッドで、はり治療を受けていたご婦人も県外からの患者だった。そのご婦人は担当医とこんな話を。





 「ここは全国でも有数の温泉リハビリが進んだ所。ここに来る障害者は多いはず。ところが、その玄関口のJR石和温泉駅にはエレベーターもなければエスカレーターもない




 私達は地元に住みながら、そんなことを気にも留めなかったし、誰一人として言わなかった。観光客の玄関口くらいに思っていた。人の心も含めて健康を害して初めて気付くことがいっぱいあることを思い知った。




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成田の別れ

 「世話になったなあー。いい思い出になった。おかげで、双方の先祖の墓参りも出来た。有難う。本当に有難う」


 「また来てよ。今度は別の所を案内するからね」


 「この歳じゃあ、一年ごとに長旅は無理になる。お前達、二人でハワイに来いよ。そう遠くないうち じゃないと駄目だぞ」

  
 「そんなことはないさ。春がいい。来年の春はどう?」



空港2

 成田空港の出発ロビーのエスカレーター脇にあるJALファミリーサービスルームの時計は午後8時20分を指していた。従兄弟達老夫婦がハワイに帰るJOO72便のフライト時間の10時までにはまだ時間があるが、見送りに来た私達夫婦が山梨にとんぼ返りする高速バスの最終便まで、あと10分しかない。


 二組の夫婦は握手した。抱き合った。握手する手にも、抱き合う肩にも力がはいった。老夫婦の目には涙が光っていた。


空港


 思えばアッという間の17日間だった。86歳と84歳になるこの老夫婦が成田空港に降り立ったのは9月16日。以来、我が家に滞在しながら、二人の先祖の墓参りはもちろん、それぞれの親しい友との再会、ミセスの幼馴染の病院への見舞いも果たした。二人とも生粋の日本人だが、米国籍パスポートを持って日本にやって来る。当たり前だが、それがなにか違和感として写るのである。


 ミスターは大学時代とそれを前後した一時期を除いて86年のほとんどがアメリカでの暮らし。話す日本語もどこかたどたどしい。日本を敗戦に追い込んだあの太平洋戦争の後も母国に米軍属として進駐したのである。20代の前半だった。日本進駐の大部分は神奈川県の横浜に程近い戸塚にあった米軍の物流基地勤務だったという。



アメリカ国旗


 その物流基地は日本全国に何万と進駐していた米軍と、その家族の生活物資を一手に賄う一大基地。進駐軍は東京などの大都市を中心に全国各地に駐在しているから、毎日、貨車やトラックで配送をするのだそうだ。もちろんそこの管理は米軍属。その下に優秀な日本人スタッフと従業員が働いていた。



 そのスタッフの一人がかつての上司の訪日を聞いて、私達夫婦の招きもあって埼玉県の所沢から遠路我が家にやってきた。従兄弟と三つ違いの83歳だという。今でも英語はぺらぺら。立場こそ違え、混乱の一時期を共に過ごした二人の老人は昼食をはさんで夕方まで思い出話に花を咲かせた。その顔は20代の若き日にタイムスリップしていた。従兄弟のミセスは結婚する前まで日本の映画女優として活躍していた。故人となった船越英二ら映画人との知故も多く、このミセスも加えた3人のあの日、あの時の話題は尽きなかった。



及川千代  


 成田で、目にいっぱい涙をため、私達と別れるとき、二人の脳裏には始めて見た富士山5合目のあの雲海も焼きついていただろう。諏訪湖や横浜・中華街、それに山中湖への宿泊旅行も思い出の一つだろう。「いつまでも長生きしてくれ」。そんな気持ちで手を振った。


空港3



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惹かれる言葉と人の心

行けるところまで    


 「行けるところまで、ひとりで行ってみよう。やれるとこまで、ひとりでやってみよう」


 幼稚園や小学校の教室にある掲示板ではない。文面は、さらに続く。




 「耐えられるところまで、ひとりで耐えてみよう。その中から本当の自分の生きる道をみつけよう。本当の自分の心をみつけよう」




 病院のリハビリ室の壁に何気なく貼られた一枚の張り紙である。なぜか惹かれた。リハビリ室は幾つものセクションに分かれていて、首や腰の牽引をしている人もいれば、はり治療を受けている人もいる。ホールのような広いコーナーでは、マッサージや歩行訓練、輪投げやボール投げなど機能回復訓練をしている人も。マッサージも患者の症状によって、みんな違うのだ。扉で仕切られた隣のプールでは温泉での機能回復訓練が。



リハビリ室



 共通しているのは、全てが患者と医師のマン・ツーマン。「行けるとこまで・・。やれるとこまで・・。耐えられるとこまで・・」。患者と医師の呼吸が一つになっているのはもちろんだが、リハビリ室全体に漂う呼吸がまさに一つ。それも明るい。誰一人我がままを言う患者はいない。親身になった医者と患者のマン・ツーマン治療が続くのだ。





 いい所に導いてもらえたと思った。トンマが故の自損のムチウチ症を患って、もう一ヵ月以上。首の痛みというか、起きていると左半分の肩と言わず、背中、胸、果ては腕まで激痛が走るのである。




 「俺の所の病院に来いよ。うちに、いい先生がいる。診立てが変われば、打開の道が見つかるかも」


富士温泉病院  



 はかばかしくない私のムチウチ症を気遣ってくれた高校時代の同級生が声を掛けてくれた。この男は山梨県甲府市の郊外ともいえる石和温泉郷の一角にある温泉病院、分かり易く言えばリハビリテーション病院の管理部門を事実上仕切っている。毎月一回、日川高校の同級生で作る無尽会でお酒を酌み交わしたり、麻雀をする仲間である。「医者の診立てを替えてみろ」。やはり心配してくれた同じ仲間達の意見でもあった。友への心遣い、病院での気配り。さらに病院のみんなが労わり合い、心を一つにして治療に取り組むリハビリ室で、一緒になって首の牽引をしながら、友達の≪心≫のありがたさをかみ締めた。麻雀でいつもやっつけてくれる≪鬼≫のような仲間達が、この時ばかりは神にも仏にも思えた。


病院2



 石和温泉郷には私が知っているだけでも五つ、六つのこうした温泉付きのリハビリテーション病院がある。東京など全国からも患者がやって来る。私のようなムチウチ症や交通障害、さまざまな疾患から来る機能障害などの症状を持つ人達である。私の隣のベッドで、はり治療を受けていたご婦人も県外からの患者だった。そのご婦人は担当医とこんな話を。





 「ここは全国でも有数の温泉リハビリが進んだ所。ここに来る障害者は多いはず。ところが、その玄関口のJR石和温泉駅にはエレベーターもなければエスカレーターもない




 私達は地元に住みながら、そんなことを気にも留めなかったし、誰一人として言わなかった。観光客の玄関口くらいに思っていた。人の心も含めて健康を害して初めて気付くことがいっぱいあることを思い知った。




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ブログの拍手マーク

拍手

「お父さん、この記事に拍手マークはおかしいんじゃない」
 ブログの記事更新を後ろから覗いていた娘が、私をたしなめるように、こんなことを言った。傍にいた女房も「そうよ、そうよ」。あまり意味が分かっていない女房は別として、その配慮に「お前も伊達に歳を食ってねえなあー」と言ったら、女房は「それがよけいよ」。



 娘に指摘された記事は、高血圧が原因の脳溢血で倒れ、併発した肺炎が命取りになった知人の話。高血圧の怖さ、病人やお年寄りにはうっかりすると肺炎に結びつきかねない風邪の怖さを訴えようとしたものだ。(10月22日付の「遺影の人と肺炎」)。意図するところはともかく、人の死に関わる記事に違いない。



 確かに拍手マークはふさわしくない。いい歳とはいえ、そんな気配りが出来る娘がいとおしくなった。「そうだよなあー」。早速、拍手マークを抜いた。ところが、過去の記事の拍手マークもみんな消えてしまった。「おい、みんな消えちまったぞ」と、慌てて言ったら「大丈夫よ。また復活するから」。娘に教わることばかりだ。



 娘の言うことに頷く一方で「そんなに神経質にならなくても・・」と思わないでもないが、そう言われると気になるもの。拍手マークばかりでなく、文字への色付けも自粛した。普段、文章のポイントを強調して読み易くしようと、文字の大きさに強弱を付けたり、赤、青、黄色の色付けをしている。全体のビジュアル化を図る狙いもある。

菊


 不祝儀の場合、私達日本人は音を立てた拍手をしないことがマナーのように習慣付けられている。しかし、こんな事があった。若い同僚が亡くなっての葬儀、告別式の時だった。親しい直属の上司が弔辞を読んだ。世に言う逆さ現象で憔悴し切っていた喪主の父親は、やおらに拍手を始めたのである。我が子の在りし日を偲ぶ弔辞に感極まったのだろう。



 参列者のみんなが拍手する父親の気持ちが分かりすぎるほど分かった。その弔事の内容が素晴らしかったことは言うまでもない。父親はよほど嬉しかったのだろう。生前、お世話になった会社の上司や同僚への感謝の念もあったのだろう。静まり返った告別式に少しも違和感がなかった。むしろ夢中で拍手する父親の姿にみんなが感動、涙した。葬儀の本当の姿を見る思いがしたものだ。



 ただ、参列者側からの拍手となると、かなりの勇気がいる。葬儀、告別式はさておき、法事などの場合だ。方丈さんの法話や故人ゆかりの人の挨拶にも出席者は、ただ下を向いて、だまりこくっているばかり。続く献杯の時もほとんど声を出さない。初七日、七七己、一周忌、三回忌。その姿に、いつも違和感を感ずるのである。私ばかりだろうか。どうせなら明るい方がいい。話に感動したら拍手をしたっていいのでは



 私はそんな場面の挨拶を指名された時には極力明るく振舞うようにしている。その事がむしろ故人への供養だと思っているからだ。第一、施主側がせっかく用意してくれた料理やお酒は美味しく頂いた方がいいに決まっている。でも、やっぱりブログの拍手マークは気がとがめた。しかし、これも共鳴したり、感動したら拍手すればいいと思ったりした。



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山砂と雑木の山林

ピンポーン。朝早く、勝手口のチャイムが鳴った。パジャマ姿のままドアを開けると、近所の親しい人がニコニコしながら立っていた。


 「まだ寝ていた? 朝早くて悪かったかなあ。砂、持って来てあげたんだけど、どこに下ろそうか」


 頭越しに、裏庭を見ると、山砂をいっぱい積んだ軽トラックが止まっていた。

 
 「すみません。いつも手数をかけますねえ。ありがとうございます」


 その人は、私が場所を指示するまでもなく、家って知ったる、とばかり母屋とお蔵の間を抜け、表庭に一番近い所にトラックを停めて、砂を降ろし始めた。軽トラックだからざっと1トン、スコップで手際よく下ろした。

砂と父1    砂と父2


 「お茶、飲んでけし。お金も払わんと、いけんし」


 「今日は、そうもしていられんさ。またご馳走になります。お金なんかいいよ」


 そう言い残して、慌しく帰っていった。


 サクランボや葡萄を結構手広く作っている果樹農家だが、暇がある時には遊びにやって来る。時にはお茶を飲みながら夕方まで話し込むことも珍しくない。そんな時、庭を眺めながら「岩手山からいい砂が出る。これを入れると草取りも楽だし、植木にもいい」と言っては、時期を見計らって砂利砂を運んでくれるのである。その量はもう10トン近い。


砂1


 岩手山は秩父山塊から南に下がった山梨市にある山で、我が家にとっては裏山みたいな所だ。もう何年も前から業者が砂利の採取をしている。コンクリート工事用だろうが、果樹農家の中には、この砂を買ってきて畑に入れる人もいる。この付近の土壌はどちらかというと粘土質だから山砂とブレンドするといいのだそうだ。



 実は、業者が砂を採取している山の目と鼻の先には我が家の山もある。ひと山といっていいほど大きいものだが、雑木の山林で、1銭にもならない。かつては薪山として売れた。石の採取でお金になったこともあった。しかし、薪はどんな田舎でも無縁になって久しい。一方、採石は昭和50年代に中央自動車道の建設工事に使われたり、一時期は墓石としても採取された。



 一帯は御影石だから墓石にはもってこい。ところが掘って行くうちに、この御影石に斑が入るようになったとかで、ソッポを向かれた。もちろん中央自動車道用の採石も、その完成とともに終わり。今や、山は誰からも相手にされない無用の長物?となった。



 人間、いくばくともお金にならないと、山だって見向きもしない。だから、我が家の山に限らず、山という山は荒れ放題である。かつては、宝の山と言われた杉、ヒノキの山でさえ、買い手がなく荒れるに任せている。高くつく人件費との絡みで、わが国の建築用木材はほとんど外材に頼っているのである。


 私も含めて地元の人たちは業者が掘り出す山砂を工夫しながら、それぞれの使い方をしているのだが、業者は環境面からも後始末が大変のはずだ。



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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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