拍子木の今昔

 拍子木。大相撲や歌舞伎、寄席のファンなら知っている。あのなんともいえない音と響き。ちょっと考えれば、あってもなくてもいいようなものだが、これがなくては始めも終わりもしまらない。お客さんはこの拍子木の音を聞き、これからの土俵や舞台の出し物に期待を抱き、また名残を惜しむ。たかが拍子木、されど拍子木なのだ。 
拍子木
 
 特殊な世界にだけに生き残るこの拍子木。実は、かつては身近にもあった。お若い方々や都市部にお住まいの方々は、ご存知ないかもしれないが、火の用心を呼び掛ける、欠くことのできない道具だったのである。回覧板のように拍子木が各戸をリレーし、毎夜、日替わり当番で、この拍子木を叩きながら地域を巡回するのだ。人々は夜警と呼んだ。




 火災が増えるのは、今も昔も冬の時期。寒い。これといった防寒着がない昔は、ドテラと呼ばれた綿入れを着込んでは拍子木と共に「火の用心」を呼び掛けながら巡回するのである。一晩に2~3回。お父さんに連れられて一緒に廻る子供もいた。時代劇に出て来る人っ子ひとりいない夜道を頬かむり姿で歩くあの火の番を想像すればいい。凍てつく夜空に犬の遠吠えも。夜警が火事のみならず、防犯にも役立った。


消防3

 その拍子木が田舎から消えて久しい。変わって登場したのが法被。持ち回りの夜警を消防団に委ねたのである。消防ポンプも「ガッチャンポンプ」と言われた手動式から高性能の自動の車式に。自主訓練も含めて団員の教育も徹底するようになった。お正月恒例の新年出初め式が中学校のグラウンドで開かれた。県議、市議、区長ら各界代表、消防OBなどを招いて、日頃の訓練ぶりを披露するのである。


 出初めの式は礼式や表彰が中心。礼式は、実戦のポンプ操法と共に欠くことの出来ない規律だ。約2時間、その技を見事に披露した。「俺達にもあんな時代があったなあ~」。観覧席で、かつて消防団長を務めたOBは、後輩達の演技を懐かしそうに見守っていた。その一方で、みんなが共通して頭を痛めるのが消防団員の際立った減少だ。




 この地域でも少子化と若者達の都市部への流出が顕著。地域防災の先頭に立つはずの消防団にも確実にシワ寄せし、その戦力への危惧さえ出てきた。このため区は、自主防災組織としての消防協力隊を発足させた。75歳定年制とし、中高年も含めて主に日中地元にいることが多い人達を中心とした編成である。万一の場合、消防団をサポートするための実戦部隊である。6つの班に分けて毎月、ポンプ操法の消防訓練も欠かさない。




 もちろん、自治体の広域消防もある。「自治体消防に任せればいい」。こんな割り切った声もないではない。しかし、人口密度が少なく、その拠点から比較的遠隔地にある山間地の場合、初期消火などに地元の力は欠かせないのだ。


消防1

 「自治体消防は何をしているのだ」。その声は都市部から地方の田舎へとジワジワと波及している。拍子木が身の回りから消え、特殊なものになった今、自分たちの地域を守る基本的な意識も変わりつつある。親と一緒に拍子木を叩きながら夜警に歩いた子供たちがいつの間にか70歳代になった。拍子木が消え、次には法被もやがて消えていくのか・・。




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郷土史と郷土愛

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  なぜか、山梨では無尽会が盛ん。その昔、堺の商人たちの間で盛んだったと言われる「頼母子講」の延長線上とも言えるが、今では、その性格を異にし、人々の«社交の場»。お金を用立て合う頼母子講の性格はなくなった。同級生や親しい仲間が集う場で、毎月、日日や曜日を決めて行うのが一般的。「○○日会」とか「〇曜会」、または学校の卒業年次を名前にするなど、名付け方は様々だ。


酒


私も高校時代の同級生(18日会)やユネスコの仲間たち(5日会)など4つの無尽会に入っている。その一つに旧村地域の人たちで集う無尽会がある。「20日会」と言って毎月20日、地区内にある中華料理屋さんで開く。メンバーは20人弱。年齢は60から90歳近い人まで幅広い。お酒を酌み交わしながら、交流を図るのである。果樹栽培の話もあれば、健康管理の話、政治や経済に及ぶことも。話題は尽きない。ある時、90歳近い長老の一人が、こんなことを言った。この人は若い頃、教職に身を置いた方だ。






「今の学校は、子供たちに自分たちが住む地域のこと、つまり歴史や生い立ちを教えないんです。これでは将来にわたっても郷土愛など育まれるはずがない」



この地域にも少子化はむろん、過疎化の波がじわじわと忍び寄っている。人々に郷土愛が失われたら過疎化への道にますます拍車がかかると言うのだ。


「地域には地域の歴史があり、それが築き上げて来た誇りにも似たものがある。算数や国語など教科書だけが教材ではない。«語り部»がいなくなってからでは遅い」とも。現に武田信玄は知っていても、この地域を治めた岩手氏のことは知らない。




確かにそうだ。私のように70歳も半ばを過ぎようとしている人間ですら、自らが住む地域の歴史を知らないことがいっぱい。高校時代の同級生で、何事にも勉強熱心な男がいて、ふとしたことから思わぬことを教わることが多い。私のパソコンの師匠でもあるこの男、興味を持てば郷土の歴史であろうが、山野草であろうが何でも食いつくように追究するのだ。




人間、歳を取ると、だんだん«出不精»になるのが常。ところが疑問を持てば現地に足を運ぶ。山であろうが、川であろうが、時には外国までも飛んでゆく。先ごろは雲海の写真をメールで送って来た。丘と言っても言い過ぎでない450m級の山から撮ったもので、御坂山塊や富士山はむろん、塩の山(甲州市)や荒神山(山梨市)まで雲海の上に浮かんでいるのだ。


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富士山や南アルプス、八ケ岳など標高の高い山では、確かに雲海を目にし、そこから登る朝日の荘厳さに感動。雲海は高い山から見るものとさえ思っていた。ところが送られてきた写真は、我が家と目と鼻の小高い丘にあるフルーツパーク富士屋ホテルからのもの。「へえ~」と思った。近くを笛吹川(一級河川)が流れている気象の条件もあるだろう。


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生き字引ともいえる先輩や物事を知る人たちに身近な自然や郷土の歴史を教わっておいて損はない。でも現実は…。こんなことをパソコンで書いている私の横では、4歳半ばになる孫娘がママのiパットで、アニメやゲームに夢中。郷土の歴史や自然などを知っておきたいなどと思っているのは、爺が思い込んだ時代遅れの郷愁に過ぎないのか。






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山の神

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 都会にお住いの方なら、ビックリされるかも知れないが、私たちの地域には「山の神」の祭典と言うのがあって、餅投げをして祭りを祝う。その日は11月の最終日曜日か、12月の第一日曜日。60軒足らずの小さな地区に大正年間から伝わる祭りで、地区の5軒ずつが順繰りに「お祭り当番」を担当して行事の一切を取り仕切るのである。



 「大正年間から伝わる…」と言っても、その歴史に定かな記録がある訳ではない。祭りの前日から「山の神」の祠(ほこら)がある広場に立てられる大きな、2本ののぼり旗に記された年号が根拠に過ぎない。少なくとも大正年間の初頭、場合によっては、それ以前の明治の時代から伝わっているのかも知れない。そう考えると、のぼり旗が伝える意味は大きい。


 「今時、餅投げでもあるまい」と、おっしゃる方もいらっしゃるかも知れないが、のぼり旗が示す大正年間の初頭からの祭りとして、100年を超す歴史と伝統を刻んでいることだ  けは確か。投げる餅は紅白の切り粉餅。お正月などにいただく餅と違って、もち米をいったん粉にした後、搗(つ)いたものだ。食べての味わいもある。



 ひと頃は「お祭り当番」が祭りの前日、この餅を搗いた。最近では業者に委ね、かつての
ような«裸»のままではなく、ビニールの袋に入れるようになった。祭りの舞台となる広場は地区のほぼ中心。公会堂の横にあって、その2階や隣の家の2階から沢山の切り餅を投げるのである。その光景は全国の寺社仏閣で行われる節分会の豆まきを想像していただければいい。老若男女が無心になって子供のように上から投げられる餅を拾うのである。





 ここには「山の神」ばかりでなく「道祖神」やお蚕の神様「蚕影さん」も祭られていて、道祖神祭は小正月、「蚕影さん」は3月の最終日曜日が祭りの日。道祖神祭は子供たちを中心とした行事となっていて、祭りの運営は子供クラブと育成会。「蚕影さん」も「山の神」の祭典と同じように餅投げをする。

道祖神1 道祖神お札


 昭和30年代の半ば、果樹地帯に変身する前のこの辺りは米麦養蚕地帯であった。食生活に直結する米麦の作付けの一方で、養蚕は農家のかけがえのない現金収入の道であった。「蚕」の字の頭に「お」の字を付け、その下には「さん」をつけて「お蚕さん」と言ったことからも蚕を重く見ていた人々の心根が分かろうというもの。字そのものだって「天の虫」と書く。餅投げの後は「山の神」と同じく公会堂で祝杯を挙げ、お酒を酌み交わすのである。




 ものの本によれば「山の神」は、文字通り山を支配する神。山の神を崇める信仰は日本全国どこにでもあった。しかし、その姿を変えたり、いつの間にか消えて行った。神事と餅は昔から深い関わりがあることは、ご存知。家を新築し棟を上げる時(上棟式)でも必ず餅を撒いて家内安全を祈り、地域に披露した。でも山を大切にする心は何処に。一方で災害が…。




 「山の神」という言葉は家庭内にも生きている。俗に頭の上がらなくなった自分の妻のこと。特に口やかましくなった妻を言う。その昔、人々は山に畏敬の念を抱き「山の神」を祭った。しかし、時代は変わり「山の神」は、私たち男どもの身近かに«君臨»。家庭の中で動かしがたい存在に…。家庭の「山の神」もさることながら本来の「山の神」の軽視は禁物だ。



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拍子木の今昔

 拍子木。大相撲や歌舞伎、寄席のファンなら知っている。あのなんともいえない音と響き。ちょっと考えれば、あってもなくてもいいようなものだが、これがなくては始めも終わりもしまらない。大相撲は初場所が、歌舞伎は新春公演が始まっている。お客さんはこの拍子木の音を聞き、これからの土俵や舞台の出し物に期待を抱き、また名残を惜しむ。たかが拍子木、されど拍子木なのだ。 
拍子木
 

 特殊な世界にだけに生き残るこの拍子木。実は、かつては身近にもあった。お若い方々や都市部にお住まいの方々は、ご存知ないかもしれないが、火の用心を呼び掛ける、欠くことのできない道具だったのである。回覧板のように拍子木が各戸をリレーし、毎夜、日替わり当番で、この拍子木を叩きながら地域を巡回するのだ。人々は夜警と呼んだ。




 火災が増えるのは、今も昔も冬の時期。寒い。これといった防寒着がない昔は、ドテラと呼ばれた綿入れを着込んでは拍子木と共に「火の用心」を呼び掛けながら巡回するのである。一晩に2~3回。お父さんに連れられて一緒に廻る子供もいた。時代劇に出て来る人っ子ひとりいない夜道を頬かむり姿で歩くあの火の番を想像すればいい。凍てつく夜空に犬の遠吠えも。夜警が火事のみならず、防犯にも役立った。


消防3


 その拍子木が田舎から消えて久しい。変わって登場したのが法被。持ち回りの夜警を消防団に委ねたのである。消防ポンプも「ガッチャンポンプ」と言われた手動式から高性能の自動の車式に。自主訓練も含めて団員の教育も徹底するようになった。お正月恒例の新年出初め式が中学校のグラウンドで開かれた。県議、市議、区長ら各界代表、消防OBなどを招いて、日頃の訓練ぶりを披露するのである。


消防4       消防2


 出初めの式は礼式や表彰が中心。礼式は、実戦のポンプ操法と共に欠くことの出来ない規律だ。約2時間、その技を見事に披露した。「俺達にもあんな時代があったなあ~」。観覧席で、かつて消防団長を務めたOBは、後輩達の演技を懐かしそうに見守っていた。その一方で、みんなが共通して頭を痛めるのが消防団員の際立った減少だ。




 この地域でも少子化と若者達の都市部への流出が顕著。地域防災の先頭に立つはずの消防団にも確実にシワ寄せし、その戦力への危惧さえ出てきた。このため区は昨年、自主防災組織としての消防協力隊を発足させた。75歳定年制とし、中高年も含めて主に日中地元にいることが多い人達を中心とした編成である。万一の場合、消防団をサポートするための実戦部隊である。6つの班に分けて毎月、ポンプ操法の消防訓練も欠かさない。


消防5


 もちろん、自治体の広域消防もある。「自治体消防に任せればいい」。こんな割り切った声もないではない。しかし、人口密度が少なく、その拠点から比較的遠隔地にある山間地の場合、初期消火などに地元の力は欠かせないのだ。


消防1


 「自治体消防は何をしているのだ」。その声は都市部から地方の田舎へとジワジワと波及している。拍子木が身の回りから消え、特殊なものになった今、自分たちの地域を守る基本的な意識も変わりつつある。親と一緒に拍子木を叩きながら夜警に歩いた子供たちがいつの間にか60歳代になった。拍子木が消え、次には法被もやがて消えていくのか・・。




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法被と消防協力隊

 法被。さて、皆さん方は、この二文字の言葉から一体何を連想されるでしょうか。祭り商店街の大売出し各種のイベントさまざまな啓発活動消防団交通安全協会、防犯協会。伝統的な木遣り保存会の見事なあの節回しを思い浮かべる人もいるだろう。なんとなく古風なイメージを持った着物のような気もするが、今も、あっちこっちで生きている。もちろん、その性格によって、全体の色やデザインは異なる。でも、形そのものは少しも代わっていないのである。


法被1   法被2


 我が家にも一着の法被がある。作ったばかりの真新しい法被だ。胸から両側の縦に「岩手分団」「紺屋区消防協力隊」の文字が黒地に白で染め抜かれている。背中には県名「山梨」をあしらった、おなじみの消防団の法被である。違うのは一方の胸から下に染め抜かれた「・・・消防協力隊」の文字だけだ。



 「消防協力隊」はその名の通り消防団への協力部隊である。この4月に発足した。その背景や理由はおおよそお分かりになるだろう。私達の地区の消防団も、ずっと昔から若い人たちの手によって引き継がれてきた。ひとたび火事が起きれば消火の先頭に立ち、地域防災の旗手としての役割を果たしてきた。


消防1


 しかし、その消防団がやせ細る一方。この地域ばかりではなく、世に言う少子化現象を反映、それを担う若者達が減少しているからだ。それに、農業後継者であるはずの若者達の農業離れが拍車をかけた。



 「このままでは万一の場合、地域を守ることは出来ない」



 誰からともなく、そんな声が上がった。そこで登場したのがこの消防協力隊である。いわゆる自主防災組織。消防団OBはもちろん、日中、地元にいることが可能な75歳までの人たち35人余りで編成した。区長代理でもある私が隊長役でもある本部長を仰せつかった。

消防3


 各組長らで本部を構成する一方、機械、水利、交通、筒口ホースの各係りを設けた。本部は部隊の司令塔、機械係はポンプ車、筒口ホース係は最先端での消火作業を担当する。交通係は万一の場合の交通整理だ。水利の確保も含めて日ごろの備えが必要。このため、消防ポンプ車の整備を担当する班も作った。全体を6つの班に分け、ポンプ車の点検整備はもちろん、班ごとに月代わりでポンプ操法の訓練もしている。全員がポンプ車を操れなければ万一の場合、役に立たない。備えあれば憂い無しである。

消防2


 消防ポンプ車の操法訓練は午後6時半からと決めている。夏の時期ならともかく、冬の時期だと真っ暗だ。仕事を終えた時間ということもあるが、実戦に備えるためにはむしろ夜の方がいい。もちろん、指導役は消防団。みんな真剣だ。



 自治体消防はどの地域にもある。しかし、それだけに任せているわけにもいくまい。都市とか農村を問わず、それなりの自主防災組織は欠かせない。特に、農村の場合、消防団への依存度は大きい。その消防団が少子化のあおりを食っている今、全国どの地域でも人事ではないはずである。ただ、実戦の法被は着ないにこしたことはない。





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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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