心頭滅却すれば…

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恵林寺


 山梨市や甲州市、笛吹市などを中心としたこの辺りを山梨県では、峡東地方と呼ぶ。ブドウや桃、スモモ、サクランボ。県内屈指、というより全国屈指、と言ってもいい果樹地帯である。恵林寺、向嶽寺、放光寺、大善寺、慈雲寺…。一方で寺社の名刹も多い。京都五山、鎌倉五山に習って、山梨の人たちは峡東五山などと呼んだりする。




 恵林寺は臨済宗妙心寺派で、武田信玄公の菩提寺。向嶽寺は同じ臨済宗ながらも向嶽寺派の総本山。放光寺は安田義定ゆかりの寺として知られ、慈雲寺は見事な枝垂桜、樋口一葉の碑のある寺としても知られている。一年を通して観光客や参拝の客が絶えない。この辺りには、ひなびた公営、民営の日帰り温泉も多いから、観光客にはちょっとした行楽のスポットなのだ。




 知名度では、やっぱり恵林寺。山梨では今も昔も武田信玄公のインパクトは抜群だ。恵林寺は信玄の菩提寺であると同時に、武田家滅亡の道筋にあった寺でもあった。天正10年(1582年)4月、織田徳川連合軍は恵林寺を焼き討ちし、その時を前後して武田勝頼を恵林寺と目と鼻の先ともいえる天目山に追い詰めて、自刃させるのである。


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 「安禅必ずしも山水を須いず 心頭滅却すれば火も亦涼し」



 恵林寺の焼き討ちは知らなくてもこの詩は日本人の多くが知っている。恵林寺の三門に集められた僧の中心人物・快川和尚が唱えた詩の一節。無抵抗の、しかも150人もの僧を三門に閉じ込め、非道にも焼き殺す織田徳川連合軍。後の人たちがどちらに加勢したかは言うまでもない。

恵林寺5_convert_20120210174439


 「心頭滅却すれば…」。これだって日本人の心には何故かフィットする。この詩、快川和尚が詠んだと早合点する人たちが少なくないが、実は快川和尚の時代より600年も遡る唐の時代に中国で詠まれた詩「夏目悟空上人の院に題するの詩」なのである。作者は杜荀鶴



 三伏閉門披一衲  三伏門を閉ざして一衲を披る


 兼無松竹蔭房廊  兼ねて松竹の房廊を蔭にする無


 安禅不必須山水  安禅必ずしも山水を須いず


 滅却心頭火亦涼  心頭を滅却すれば火も亦涼し



 つまり「心頭滅却すれば…」は杜荀鶴が詠んだ七言絶句の詩の結句部分なのである。この四行の詩をすべて知らなくても「心頭滅却すれば…」の結句部分だけが日本人の間に独り歩きしているのが面白い。そんなことはどっちでもいい。山梨県人の一人として口惜しいのは、織田徳川連合軍の恵林寺の焼き討ちと武田攻めの時期。



 「時は今 雨が下しる 五月かな」



 ご存じ、明智光秀の辞世だ。光秀による本能寺の変は、その2か月後。「ればたら」を言ったところで仕様もないが、光秀があと3か月本能寺の変を早めていたら…。その場合、武田勝頼は天目山で自刃をしていなかったし、武田の滅亡の時期も確実に変わった。「心頭滅却すれば…」の一節も、快川和尚だって時代の人となっていなかったかもしれない。




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法事の後法事(ごほうじ)

後法事1


「この席は後法事(ごほうじ)と言うんですわな。だから、これから先はおみんなさんで、自由に営まれたらいいんですわな」


後法事3


 叔父の七回忌法要の後、石和温泉郷卿のホテルで開かれた会食の席に二人の僧侶を伴って出席した恵林寺の住職は、京都弁だろうか、独特の語り口調でこんな話をした。私には「後法事」という言葉があるかどうかは分からないが、恐らく「御法事」をもじり、トンチを効かせたものだろう。いやいや、そういう言葉があるのかも知れない。


後法事2 


 恵林寺は鎌倉時代末期に夢窓国師が創設した臨済宗妙心寺派の名刹。特に、戦国時代に武田信玄公に庇護され、その菩提寺としても有名だ。この住職が何代目かは存じ上げないが、いかにも老僧といった風格と話しっぷりだった。この老僧が言う通り、施主である叔父の長男は、普段は見せないほどの気配りで会食の席を取り持っていた。



 この家の菩提寺は恵林寺であることはもちろんだが、墓地はそこにはなく、近くの淨居寺というお寺にある。恵林寺を創設した夢窓国師がまだ夢窓疎石といった頃、一時、隠棲したという、やはり名刹である。その墓地がちょっと不思議立派な玉垣を結った広い墓地の中に、この家と、もう一つの家の墓地が同居しているのである。そのいきさつは分かっていないのだそうで、古(いにしえ)の先祖に聞いて見るほかはない。


後法事4


 法事には故人と七つ違いの兄も出席していた。大正3年生まれというから94歳。やはりドクターだが、東京で開業している内科小児科医院は息子に任せ、今は悠々自適。歩き方はちょっとぎこちないものの、かくしゃくとしていて、趣味のカメラは玄人はだしである。祭りの写真が大好きで、浅草の三社祭には毎年出掛けるという。「カメラを持つと鬼になれるんです」と、雑踏をも、ものともしない。小さな脚立まで持ち歩くのだそうだ。



 法要と墓参りを済ませ、山梨市の牧丘から笛吹市の石和温泉卿に向かう車の中で、雁坂道の愛称ですっかり整備された国道140号線やそこに架かる鍛冶屋橋の変わりように感慨深げ。「子どもの時分はこの橋の上から15mはあるだろう笛吹川に飛び込んでは遊んだものですよ」と80年も前のわんぱく時代を振り返ったり、「恋文を交わした」青春時代の話も。


後法事5


 「私にとっては初恋の人だったんです。今風に言えばラブレターというヤツを何度も交わしたもんです。ある時、恋文と共に扇子が届きましてね、厳格な親に見つかりでもしたら大変、と思い、返したんです。そうしたら、枕元において毎晩泣いている、という恋文がまた届くんです。・・・」



 今の年齢から逆算すると昭和12~3年頃の話である。こんな時代の片田舎にも今も心に刻むロマンが。弟の法事を機にわんぱく坊主の頃や青春時代を振り返る、この老人の顔ははるか昔の若き日に戻っていた。そしてトンチすら効かせて法話する老僧。80歳半ばとお見受けしたが、この日の法事で出会ったお年寄りはみんなかくしゃくとしていた。



 「弟の法事が済んだ。東京に帰ったらまた浅草の下町にカメラのアングルを探しに行く」という故人の兄。お二人に共通していたのはしっかりとした趣味修行の道であった。



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叔父の法事と夢窓国師の枯山水

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 もう6年も経ってしまったのか。時の経つのは早いものだ。女房と一緒に叔父の七回忌の法要に招かれた。その叔父は生前、今は山梨市になったが、旧牧丘町で内科小児科医として地域医療の先頭に立って活躍した。大学病院など総合病院と違って、午前中は診察、午後は休む暇なく、地域を駆け回る往診の毎日だった。急患があれば夜昼の区別なんていってはいられない。ハードな往診にも 決して嫌な顔を見せなかった。


 今は道路もよくなり、車だってある。昔はオートバイが精いっぱいの往診手段であった。子どもの頃、風邪や暑気を受けて高熱を出したりすると、まさに夜昼かまわず飛んで来てくれるのである。一口にオートバイといっても、田舎の子供は見たこともなかった。車種は「くろがね」「陸王」。子供心に珍しかった。カッコよかった。


 そんな子どもの頃を思い出しながら、法要が営まれた恵林寺の本堂で、僧侶の読経を聴くともなく聴いていた。この寺は戦国の武将・武田信玄の菩提寺として、また織田・徳川連合軍に焼き討ちされた時、時の和尚・快川が三門に立てこもり「心頭滅却すれば火もまた涼し」という唐詩の一説を口ずさんで、死んで行った故事でも知られている。


 もうひとつ、この恵林寺で有名なのは寺の創建者、夢窓国師が設計、築庭したと伝えられる庭園である。訪れる観光客が必ず見るものの一つである。実は、この日の法要の主人公である叔父の家にも夢窓国師が築庭したと伝えられる、いわゆる「心字池」を基調とした枯山水の庭が残されているのである。恵林寺の「心字池」の庭のミニ版だ。

西川家5


 この家の母屋・西川家住宅は山梨県の指定文化財になっている。たまたま法事の数日前に山梨市の市民会館で開かれた人権擁護委員特設相談会の後、10人ほどの委員で、その文化財と枯山水の庭を見学した。私にとっては従兄弟に当たるのだが、叔父の後を継いで医院を開業している現在の当主によれば、夢窓国師が設計した庭は全国の有名寺院にいくつも残されている。しかし、個人の家にあるのは極めて珍しいのだそうだ。ただ、国道雁坂道の拡幅で、その庭の3分の1近くが失われたのは残念。

西川家4

 夢窓国師は、1333年、鎌倉幕府が滅亡した後、建武の新政を開始した後醍醐天皇に招かれて上洛、国師の称号を授けられるまでは夢窓疎石といった。伊勢の国、現在の三重県の出身。幼少時に出家、母方の一族の争いで甲斐の国に移住したのが甲斐の国とのかかわりの第一歩だった。



 疎石は応長元年(1311年)甲斐国牧丘の龍山庵(浄居寺)に一時隠棲している。浄居寺は西川家のすぐ近く。疎石は西川家と何らかの繋がりがあって、≪一宿一飯のお礼≫に築庭して行ったのではないかという。夢窓国師が恵林寺を開いたのは元徳2年(i330年)だから「心字池」の築庭は恵林寺のそれより西川家の方が先ということになる。西川家の枯山水の築庭は淨居寺に居た時期と見るのが自然だからだ。


西川家6


 いずれにせよ、西川家は少なくとも鎌倉時代から続く旧家ということになる。最近になって、同家の土蔵から新たに見つかった古文書の解読作業が専門家の手で進んでいる。七回忌を迎えた叔父が古(いにしえ)の先祖に西川家の詳しい歴史を聴いて欲しいものだ。


西川家3


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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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