野良猫と女房

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 いつの間にか野良猫が住み着いた。女房が玄関先に置いてやった小奇麗な発砲スチロールの箱に入って、今では我が家の一員のような、でっかい顔をしている。三度の飯も主の私より先。何年か前、母校・日川高校の同窓会の記念品として頂いた真新しい膝掛けがいつのまにかベッド代わり。刺繍されたコンペイトウの校章を背に、いかにもご満悦なのだ。




 この野良猫、正確に言えば野良かどうかは分からないのだが、毎日のように我が家に遊びに来ていた。こうしてパソコンを叩いていると、ほぼ決まった時間にやって来る。常口から堂々と歩いて来て、窓越しに目が合っても平気。そんな野良に女房が声を掛けるようになった。それが我が家に住み着くきっかけだ。




 よく「動物的な感」という。野良猫でも動物好きな人間は分かるのだろう。洗濯物を干したり、畑に野菜を採りに行く時も女房の後をつき歩くのである。ニャン、ニャン言いながら後になり、先になりながら歩く。時には足にへばりつくような仕草をするのだ。傍から見ていても可愛い。女房が可愛がるのも無理はない。

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 この野良君、女房の行動は全部知っていて、玄関口とは反対の勝手口のドアを開けても、その音だけで飛んでいく。発砲スチロールの箱がある玄関口からは視界に入らないのだが、音だけで分かるのだろう。目を丸くして咄嗟に飛び出すのだ。人をちゃんと見ていて、私が勝手口を開けても知らぬ顔だ。「この野良め」と内心、僻(ひが)んでも見たくなる。女房の足音やドアを開ける音と私のそれをしっかり聞き分けているのである。なんじゃあない。「餌をくれるのは、このオバサン」と思っているのか。座敷猫とは明らかに違う。




 猫も見抜いているのだろう。どちらかと言うと、私は、猫はあまり好きではない。それには、ちょっとした訳がある。定年退職で、今住んでいる山梨市の実家に戻る前、長い間暮らしていた甲府の自宅に、やはり野良猫が住み着いた。その野良が子を生み、また大きくなって子供を生むのである。子を産むのはいつも縁の下。いつも三匹。それなりの時期になると、親猫は子供を外に連れ出すのだ。本当に可愛い。しかし、警戒感からだろう、親は子供を決して人間に近づけようとはしない。子猫はいつも遠巻きにいるのだ。




 そんな野良の親子がいじらしくなって、ある休みの日、昼間酒をしながら、つまみにしていたマグロの刺身を手のひらに載せて与えようとした。ところがどうだ。親の野良は私の手の平から、ひったくるように刺身を取って逃げた。猫の爪は鋭い。私の手からは血が噴き出し、しばらく傷跡が。可愛げがない。その時見せた野良の鋭い目つきが今でも忘れられない。

猫

 女房はそんな野良を弁護するようにこう言う。


 「猫の母親だって人間と同じ。子供を守るために細心の注意をするんですよ」


 そうかも知れない。でも野良は野良。飼い猫とは違い、ハナから人間を信じていないのだ。しかし、今度の野良君、どこか愛嬌がある。すれた都会の野良と田舎育ちの純朴な野良の違いなのか。場合によっては、どこかの飼い猫? どう見ても人の愛情を知っている。




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猫と英語

猫


 「お父さん、アメリカやイギリスでは猫も英語で泣くの?」

 庭先を歩くご近所のを目で追いながら女房が言った。




 「お前、藪から棒に何を言い出すんだ。馬鹿なことを言うんじゃあないよ。猫に日本語も英語もあるわけないじゃないか」


猫3

 女房の馬鹿げたと言うか、たわいもない問いかけに、待てよ、と若い頃読んだマーク・トウェインの「トム・ソーヤーの冒険」を思い出した。今考えれば馬鹿なことをしたものだ。年齢こそ違うが、勉強嫌いがよく似ている主人公のわんぱく少年・トム・ソーヤーに興味を持ったのだろう、辞書を片手にこの小説を悪戦苦闘しながら読んだことがある。




 そのためか部分的にせよ、その中身を覚えている。両親を早くなくして母親の姉、つまり伯母に育てられているトムが親友のハックルベリー・フィンと、ある夜、お墓を探検する場面が出てくる。そこに登場してくる猫。マーク・トウェインが夜中の墓地の不気味さを演出するために登場させたのだろうが、その猫の泣き声だ。

墓

 なぜか「ミィヤーオ」と泣いているのである。日本では猫の泣き声は「ニィヤーオ」だ。このブログにお出でいただく方々の中にも猫をお飼いの方々が大勢いらっしゃり、中にはハンドルマークにしている人も多い。みんな「ニィヤーオ」と泣いているだろう。実は欧米と日本で猫の泣き方が違うのではない。それを聞き取る耳が微妙に違い、発音や表し方が違う、ただそれだけだろう。

猫4

 例えば日本で言う「トマト」をアメリカ人は「トメト」と言う。「水」を日本人は「ウォーター」と発音し、アメリカ人は「ワァーター」と言う。そんな例はいっぱいだ。発音もさることながら聞く耳も微妙に違うのかもしれない。例えばアフリカなどには遥か向こうの動物の足音を聞き取る人種もいると言う。考えてみれば同じ日本人、周りを見ても視力の良し悪しと同じように、耳のいい人もいれば、難聴の人もいる。




 こんなことに気付いたことがおありだろう。ご自分が聞く自らの声とテープなどで取った声を聞いて「あれ、これが俺の声?」と。つまり、自分が認識している声と、別の人が聴いている実際の声は違うのである。ヘンな話だがそうなのだ。それがだれにも分からないのだが、みんな同じように聞こえたり、聴いていると思ったら大間違い。一つの音を取っても厳密には、その感じ方は微妙に違って当然だ。

イヌ
 ところで女房が馬鹿げた疑問を持った猫。どのご家庭も犬のように首輪をつけて繋留したりはしない。だから結構あっちこっちを歩き回っているのだ。へえ~、と思うくらい行動範囲は広い。我が家の庭先にやって来る猫がかなり離れたお宅の猫と知ってびっくり。餌をあさるでもなく歩き回っているのである


猫2


 片や。この付近では散歩やウオーキングのお友達だ。犬を散歩させているのではなく、犬に引っ張られているのである。ひと昔前まで、農村地帯のこの付近では見られなかった光景だ。犬から観れば番犬から人間の健康づくりのパートナーになった。因みに日本では「ワン、ワン」という犬の泣き声はアメリカでは「バウ、ワウ」だそうだ。やっぱり人間の耳は違う。

犬


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トンマなムチウチ男と池の鯉

錦鯉 


 がこんなに不細工で、グロテスクな魚とは思わなかった。「お前、藪から棒に何言ってるんだ」と言われるかもしれないが、両側に距離を置いたツボのような目と、その下に、これもまた奇妙な形の二つの鼻。口はもっとグロテスク。大きいばかりではなく、よくもこれまで唇が伸びるものだと思うほど。前に突き出してパクパクやるのだ。その両側には、こともあろうに鰌(どじょう)ひげのような品のない髭をつけている。赤、白、黒・・・。綺麗に着飾った錦鯉でさえ、しかりだ。陸(おか)で見ていると結構、面白い。




 「お前は、そんなのんびりしたことを言っていられていいね」。確かにそうだ。でも年金生活になった暇人だからというわけでもない。ムチウチ症のリハビリ治療のひとつPT(理学療法)や首の牽引を終えて、次のメニューOT(作業療法)を待つ間、病棟の中庭の一角に設けられた大きな池の傍にあるベンチに腰掛けて、ボ~っと、池の中を眺めていた


庭


 真鯉もいれば、緋鯉もいる。もちろん、赤や白、黄色、黒と見事な模様をつけた錦鯉も。小さいのもいれば、でっかいのもいるが、大きさはそれ程変わらない。当然のことながら、ここに来るのは障害や疾患を持つ人ばかり。私のように首が痛かったり、足を引きずった人や車椅子の人。そんな患者達の心の内を知ってか知らずか、池の鯉は悠然と泳いでいる。




 さすがに私のようなメタボな鯉はいない。総じてスマートだ。胴が太く、どっしりした黒い真鯉やメタリックがかったドイツ鯉は、一匹だけ見詰めれば、海深く航行する潜水艦のよう。数ある船の中で、ただ一つ海底を行く潜水艦が、魚を真似して造られたのだから仕方がない。その泳ぎっぷりは迫力さえある。




 鯉は顔つきが不細工ばかりではない。顔はみんな同じだと思っていたら、全くの十匹十色。でも自分の顔が入ってしまうようなでっかい口でパクパクする仕草はみんな同じだ。「お前だけは、もっと品良くしろよ」。綺麗な錦鯉だってそうなのだ。

 
鯉



 「恋」は優しい。しかし、一方のこの「鯉」はどう猛なのだろうか。そのでっかい口で、何でもかんでもパクパク飲み込む。虫であろうが、舞い落ちる木の葉であろうが、手当たり次第に口に入れるのである。一旦はみんな口に入れ、また吐き出す。しっかりしたもので、虫やパン屑など餌になるものは見逃さない。木の葉など自分に必要のないものは、何事もなかったように水中に戻すのだ。もちろん、錦鯉だって同じことをやっている。




 石和温泉郷にあるこのリハビリテーション病院と目と鼻の先には錦鯉の養殖場もある。 この辺りは、その名の通り温泉地だから、錦鯉の養殖には適しているのだろう。鯉は産地の新潟県から来るのだが、いくつかの養殖屋さんはファンなら知る人ぞ知っている。付近を流れる平等川など小川には真鯉や緋鯉に混じって錦鯉もいっぱい泳いでいる。養殖にしても、自然の小川にしても、水が温かいから魚にも天国なのだろう。


錦鯉センター


 入れ替わり立ち代りやって来る患者達を今日も明日も平然と見ている池の鯉。帰りがけに前庭の駐車場を見たら半分以上が県外ナンバーだった。埼玉、東京、神奈川・・・。地元山梨に住みながら知らなかった石和の温泉リハビリの広域性を再認識させられた。




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猫と英語

猫


 「お父さん、アメリカやイギリスでは猫も英語で泣くの?」

 庭先を歩くご近所のを目で追いながら女房が言った。




 「お前、藪から棒に何を言い出すんだ。馬鹿なことを言うんじゃあないよ。猫に日本語も英語もあるわけないじゃないか」


猫3

 女房の馬鹿げたと言うか、たわいもない問いかけに、待てよ、と若い頃読んだマーク・トウェインの「トム・ソーヤーの冒険」を思い出した。今考えれば馬鹿なことをしたものだ。年齢こそ違うが、勉強嫌いがよく似ている主人公のわんぱく少年・トム・ソーヤーに興味を持ったのだろう、辞書を片手にこの小説を悪戦苦闘しながら読んだことがある。




 そのためか部分的にせよ、その中身を覚えている。両親を早くなくして母親の姉、つまり伯母に育てられているトムが親友のハックルベリー・フィンと、ある夜、お墓を探検する場面が出てくる。そこに登場してくる猫。マーク・トウェインが夜中の墓地の不気味さを演出するために登場させたのだろうが、その猫の泣き声だ。

墓

 なぜか「ミィヤーオ」と泣いているのである。日本では猫の泣き声は「ニィヤーオ」だ。このブログにお出でいただく方々の中にも猫をお飼いの方々が大勢いらっしゃり、中にはハンドルマークにしている人も多い。みんな「ニィヤーオ」と泣いているだろう。実は欧米と日本で猫の泣き方が違うのではない。それを聞き取る耳が微妙に違い、発音や表し方が違う、ただそれだけだろう。

猫4

 例えば日本で言う「トマト」をアメリカ人は「トメト」と言う。「水」を日本人は「ウォーター」と発音し、アメリカ人は「ワァーター」と言う。そんな例はいっぱいだ。発音もさることながら聞く耳も微妙に違うのかもしれない。例えばアフリカなどには遥か向こうの動物の足音を聞き取る人種もいると言う。考えてみれば同じ日本人、周りを見ても視力の良し悪しと同じように、耳のいい人もいれば、難聴の人もいる。




 こんなことに気付いたことがおありだろう。ご自分が聞く自らの声とテープなどで取った声を聞いて「あれ、これが俺の声?」と。つまり、自分が認識している声と、別の人が聴いている実際の声は違うのである。ヘンな話だがそうなのだ。それがだれにも分からないのだが、みんな同じように聞こえたり、聴いていると思ったら大間違い。一つの音を取っても厳密には、その感じ方は微妙に違って当然だ。

イヌ
 ところで女房が馬鹿げた疑問を持った猫。どのご家庭も犬のように首輪をつけて繋留したりはしない。だから結構あっちこっちを歩き回っているのだ。へえ~、と思うくらい行動範囲は広い。我が家の庭先にやって来る猫がかなり離れたお宅の猫と知ってびっくり。餌をあさるでもなく歩き回っているのである


猫2


 片や。この付近では散歩やウオーキングのお友達だ。犬を散歩させているのではなく、犬に引っ張られているのである。ひと昔前まで、農村地帯のこの付近では見られなかった光景だ。犬から観れば番犬から人間の健康づくりのパートナーになった。因みに日本では「ワン、ワン」という犬の泣き声はアメリカでは「バウ、ワウ」だそうだ。やっぱり人間の耳は違う。

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カッコーの鳴き声

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 「カッコー」、「カッコー」…。こうしてパソコンを叩いていても、畑で野良仕事をしている時も、どこからかカッコーの鳴き声が聞こえてくる。毎年、この時季に毎日のように聞くのだが、一度も姿を見たことがない。実は、見ていても知識がないから知らないだけのことかも知れない。声はすれども姿は見えず。兎に角、もの知らずのオジサンにとっては不思議な鳥である。




 烏は「カア~、カア~」と鳴く。雀は「チュン、チュン」、鶯は「ホ~ホケキョー」。カッコーのように鳴き声が、そのまま名前(和名)になっている鳥はそう多くない。「ブッポウソウ」と鳴く、仏法僧くらいしか知らない。この「ブッポウソウ」と鳴くのは、実は「コノハズク」だそうで、だいぶ前のことだが、その鳴き声を巡る論争が日本鳥類学会で起きたことを、うろ覚えだが記憶している。




 カッコウは鳥類学上、列記としたカッコウ目カッコウ科の鳥。実はチャッカリ屋さんで、他人(他の鳥)の巣に勝手に卵を産み付けて、ふ化してもらうのだそうだ。ものの本によれば、「托卵」という。主にはモズやオオヨシキリ、ホオジロなどの巣に卵を産み付けるのだそうで、さらに利口なのは、その巣にある卵の帳尻を合わせるのだそうだ。




 つまり、一つ産み付けたら、元々、巣にある卵を一つ持ち去るのだという。それを知らない鳥は、自分の卵として一心に温めてふ化する。「人のフンドシで相撲を取る」。人間の世界にはそんな言葉があるが、まさしくそれである。人間も含めて「人のフンドシで相撲を取る」小利口な生き物はあまたいるかも知れないが、帳尻を合わす周到なヤツは人間を除けばあまりいまい。そう考えるとカッコウは賢い鳥だ。




 カッコウは別名、「閑古鳥」ともいう。先人は旨い例えをしたものだ。「カッコウ」、「カッコウ」…という鳴き声は確かにもの寂しい響きがある。そこから作り上げた「閑古鳥」は、日本人の情緒豊かな国民性と、ボキャブラリーに富んだ日本の文化かも知れない。日本人は古来、そうして一つ一つの言葉をつくり、育てて来たのだろう。




 「閑古鳥が鳴く」。飲食店などの客商売をする人にとっては、これほど嫌な言葉はあるまい。何気なくカッコウの鳴き声を聞きながら、そんなことを考えると、カッコウが自分にとって実は«幻の鳥»ではなくなるから不思議だ。




 7月1日。富士山は、お山開きを迎えた。多くの登山者にとってその出発点は富士吉田市の北口本宮富士浅間神社。古くは江戸八百八町にあったといわれる「冨士講」の信者達は付近の「御師」と呼ばれる宿坊で宿を取って身を清め、富士を目指したという。同じように河口湖の河口浅間神社と、その周辺の御師も東西からやって来る富士講信者に関わった。こちらの方が歴史が古い、と言う識者もいる。


富士


 もう大分前のことだが、バードウォッチャーを自認する方と北口本宮富士浅間神社周辺の富士山麓を散策したことがある。「人間、素直に鳥の鳴き声に耳を傾けるゆとりがあってもいい。そうすれば自然との共生が出来るし、普段なら聞こえない鳥の声も聞こえるようになるんです」。カッコウの鳴き声を聞きながら、そんなバードウォッチャーの言葉を思い起こした。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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