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子どもたちのお天神講

 「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘れそ」
ご存知、菅原道真の和歌だ。今年も1月25日、地域の子ども達が私の屋敷の一角にあるお天神さまに天神飾りの奉納にやって来た。


お天神講1


 赤、青、黄色・・・。七夕飾りにも似た大きな笹に色とりどりの短冊が。「勉強が出来るようになりますように」「成績がよくなりますように」「今年一年健康に過ごせますように」。短冊には子どもたちのさまざまな願いが記されている。





 その可愛らしい短冊の内容をカメラに収めようと思っていたのだが、ちょっとタイミングをはずしてしまったせいか色があせてしまい、時期をを失した。それはともかく、お天神講は、小正月の道祖神祭りと共に、この地域の子ども達の一大行事。お天神さまは、もしかして学業の成績を上げてくれるかもしれないから、子ども達にとっては道祖神よりありがたい存在かもしれない。

お天神講


 このお天神講、今の子供たちはどんな形でやっているのか定かではないが、私たちが子供の頃はある意味で盛大だった。子ども達はお米や野菜を持ち寄り、各戸持ち回りで、今風に言えば食事会を開くのだ。裏方のお母さん達は大きな釜で炊き出しをした。わいわい言いながら食べた、お母さん達が作ってくれた真っ白いご飯、サトイモや大根、人参などの煮っ転がし、熱い味噌汁・・・。うまかった。この歳になっても、その味は忘れられない。


白米


 リーダー役の6年生は自転車で隣町の文房具屋さんに行ってノートや鉛筆、消しゴム、筆箱、下敷き、クレヨンなどを調達して学年別に配る。いわゆるプレゼントである。それも、嬉しかった。その頃の家は、今のような住宅構造と違って田舎風の造りだったから、内部のふすまを取っ払えばいっぺんに大きな部屋になる。子供たちはそこで腹いっぱい食べ、一日をなんとなく遊ぶのである。戦後の貧しい時代だった。






 菅原道真は、生まれたのも、没したのも25日。それも丑年だった。だから、子ども達の天神講もその日を充てているのだろう。ものの本によれば、わずか5歳で和歌を読み、11歳で漢詩を作った。14~5歳の時には「天才」と言われ、後に「文道の太祖、風目の本主」と仰がれた。天神講は、庶民の教育機関として寺子屋が普及した江戸時代、書道の上達や学業の成就を祈願して行われるようになったという。


湯島天神


 お宮は、おしなべて皇室を祭ったもの。わが国で平民を祭ったお宮は徳川家康の東照宮(日光と久能山)と菅原道真の天満宮だけ。このうち、東照宮は徳川家が自らの権力でなさしめたものだが、天満宮は、ちょっと違う。庶民の人気とは裏腹に左遷されたり、不遇を受けた道真が亡くなった後、天変、地変が相次いだことから、時の権力・平安京が祭ったものだ。道真の怨霊を恐れたのである。

お天神講3


 お天神講の子ども達にとっては、そんなことはどっちでも良かった。たらふく美味しいご飯を食べ、ノートや消しゴムをもらうことの方が喜びだった。俺達「成績がよくなりますように」なんて短冊、書いたっけ?子ども達が奉納した短冊を見ながら今の子供たちとのレベルと世相の違いをまざまざと感じた。そしてなによりも違うのは子ども達の数・短冊の激減だ。




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変わる原風景

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 時代が、その時々の原風景や人々の生きざまを変えていくのは自然の成り行き。だれにも止めることは出来ない。でも、ふと立ち止まって考えると一抹の寂しさを覚えることも確かだ。「あの日」、「あの時」。それが1年前であろうが、10年、20年、50年前だって同じ。人それぞれが見た原風景や体験が蘇って来る。だれもが持ち合わせる郷愁の世界なのである。




 もう55年ぐらい前。安給料をものともせず、毎日を我武者羅に飛び歩いた新米サラリーマン時代。赤い灯、青い灯。仕事が一段落ついた夜ともなれば、薄っぺらな財布を胸に、盛り場にも繰り出した。




 その界隈は「錦町」と呼び、その隣は「裏春日」と言った。いわば甲府の夜の歓楽街である。街にはスナックバーがひしめき、ラーメン屋さんや寿司屋さん、お茶漬け屋さんもいっぱいあった。「赤黒」「ローズ」「チャイナタウン」「ムーラン」といったキャバレーも盛況を極め、所々には特殊浴場の「トルコ風呂」も。夜の帳が下りると同時に、それらが一斉に赤い灯、青い灯を点し、酔客で活況を呈していた。


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 その頃はスナックバーを今のように「スナック」と言わずに「バー」と言った。店の中には有線放送で流行歌が。園まりの「夢は夜ひらく」が、なぜか耳の片隅に残っている。よくしたもので貧乏サラリーマンは、それなりの安い店を探す。仲間同士、政治や経済など今考えれば青臭い議論をしたり、カウンター越しに同じ年頃のホステスと話を弾ませもした。それが昂じてゴールインした仲間も。赤い灯、青い灯の歓楽街にも、それなりの青春があったのである。昭和40年代初頭、世の中は戦後の貧しさを忘れ、経済成長へと舵を切っていた。




 県都・甲府。山梨県の玄関口・甲府駅前から南に延びる平和通りの両側には毎夜、赤提灯の屋台が並んだ。特に寒い冬、コートの襟を立てながら飲む熱燗のコップ酒はうまい。冷えたからだの五臓六腑に染み渡った。おでんのからしがツ~ンと鼻をつく。お燗はおでん鍋の隅っこでつけてくれるのだ。




 時代の荒波は、そんな酔客の原風景を何時までも残してくれるはずがない。屋台は跡形もなく消えたし、「錦町」や「裏春日」も様相を一変した。「赤黒」も「ムーラン」などキャバレーもなくなった。




 サラリーマンの悲哀を知り尽くしたホルモン焼き屋の偏屈親爺や屋台の親爺も、おふくろのような赤提灯のおかあちゃんも、みんなどこかに消えてしまった。「昔はみんな、もっと人間臭かったよなあ・・」。歳をとったせいなのだろうか。




 当時、「錦町」「裏春日」の歓楽街を核にした甲府は、なぜか人口1000人比で飲み屋・飲食店が最も多い都市とされていた。飲ん兵衛が多かったのか、はたまた人々の遊戯や娯楽を満たす施設が少なかったからか、とにかく今は、往時の賑わいは見る影もない。確実に言えるのは世相の変化。モータリゼーションの進化が酔客と飲み屋の間を割き、人々の趣味や趣向の変化が新たな産業を生んで、人々の行動を変えた。インターネットなどICT の急速な進歩もその一つだろう。ケイタイやスマホ、PCもない世界が今となっては懐かしい。



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消えゆく手書き文字

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 松の内が去ったと思ったら、あっ、という間に十四日正月も。一年中でも正月は時が過ぎるのが一番早いような気がする。親しい友や親戚、知人からの年賀状も、もう色あせたような感じがする。年賀状の束は、その顔ぶれを一部変えて、また今年の暮れまで引き出しに入る運命なのである。




 引き出しで眠らせる前、もう一度、目を通すこの年賀状。今、改めて見ても、なんと味気ないものか。みんな、申し合わせたように活字で宛先や名前が打たれ、裏返して本文を見ても印刷の活字。その内容も、似たり、依ったりで、ほとんど同じだ。


パソコン加工



 パソコン普及の功罪はこんなところにもある。パソコンが身近になかった時分は、もちろん、みんな手書きだった。自分もそうだが、字の下手くそな人もいれば、びっくりするほど上手な人もいる。大きな字を書く人や縮こまったような字の人も。また、文章が上手だったり、そうでない人も。




 つまり、みんな個性があったその字が家族の団欒の話題になったり、贈り手の心の温もりを伝えた。一人一人の顔や生活ぶりまでが目に浮かんだ。年賀状一枚一枚に血が通っていた。ところがどうだ。今のパソコン年賀状は大なり、小なり、みんな同じだから味もそっぺもない。決まり文句の本文なんか読むまでもないし、言ってみれば、どなたからの年賀状であるかを確認するに過ぎない。ちょっと言い過ぎだろうか。




 パソコンのソフトメーカーも、こうした声を反映しているのだろう。毛筆に似た字体のソフトを改良したりしているのだが、所詮は作り物。人の心や感情を活字に映し出すことは叶うまい。第一、みんな平均的で、上手過ぎるからいけないのだ。機械が書いた字が人の心を表せる筈がないし、掴める筈もない。





 私は勤めの現役時代、その職責柄、山梨県のいくつかの書道会の新年会や表彰式に招かれた。その名の通り、書家たちの集まりだから、当然のことながら、年賀状はもちろんのこと、日常の手紙も直筆でお書きになるだろう。現に、頂く年賀状はみんな個性豊かな毛筆だ。自分も、こんな字が書けたらと、つくずく思う。

習字

 挨拶をせよ、というので、その都度、私はこんなことを言わせて頂いた。



 「私の年賀状の95㌫以上はパソコンなど印刷文字。どうか自筆の文字を大切にし、それを書くことを教え、育み続けてほしい。そうしないと、日本人が日本人でありながら日本の文字を書くことを知らず知らずのうちに忘れてしまう。そんな気がしてならないのです。先生方はどうお考えになりますか」




 確かにパソコンはいい。この年賀状一つ例にとっても、原稿さえ作れば、備え付けのプリンターで大量に印刷が出来、宛名書きだって、そのソフトさえ組めば自動的にやってくれる。作業に要する時間だって、大幅に短縮できる。




 でも、それだけでいいのだろうか。こんなことに頼っていたら早晩、年賀状の習慣は廃れていくに違いない。現に、若者達はその通信がパンクするほどメール志向に走っている。




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酒飲みの上戸

 弱くなった。そう感ずるのは一つばかりではない。視力であり、思考力であり、体力、つまり持久力であり、あれもこれもだ。もその一つ。「酒?そんなこと、どっちでもいいじゃないか」。多くの人達はそう言うだろうが、私にとっては、これほど「歳」を感ずものはない。視力とか思考力、持久力の低下は、なぜか自然に受け止めるのだが、不思議なことに酒だけは、それらのことに輪をかけて、からだの衰えと妙に結びつくのである。弱くなるのは当たり前なのに、何かしら一抹の寂しさを覚えるのだ。


お酒



 お酒をお飲みにならない方だったら、この気持ちは分からないかもしれない。「おまえ、バカだねえ~」と言われるかもしれないが、毎日、言ってみれば1年365日、お酒の顔を見ない日はない。晩酌をしないと一日が終わったような気がしないのだ。「おまえ、アル中?」。そんなことはない。ただ、惰性と言われればそうかもしれない。



 「お父さん、たまには≪休肝日≫を作った方がいいわよ。毎日、毎日、お酒飲んだら肝臓だって休む暇ないんじゃない。飲む量を減らすとか・・・」


 女房は、しばしばこんなことを言う。「仰せごもっとも」。心の中ではその通りだと思うし、女房の忠告は痛いほど分かる。正直言ってありがたいとも思う。しかし、こちらから返す言葉は「そんなこと、おまえに言われなくても分かっている。人の世話をやくな」。場合によっては、その後ろに「バカヤロウ」がくっつくのである。


 「勝手にしなさいよ。身体を壊しても知らないから・・・」


 そんな夫婦のやり取りは日常茶飯事。女房も、どうやら慣れっこになった。でも困ったものなのか、ありがたいことなのか、女房は今でも忠告の匙を投げていない。


お酒



 類は類を呼ぶと言う。訪ねて来た仲間の顔を見て


 「おい、上がれよ。一杯やろう」「かあさん、熱燗、つけてくれ」


 「せっかくだからお邪魔するか・・・」


 友は、まんざらでもなさそうにニッコリ笑いながら広くもない居間へ。たわいもない世間話をつまみに二人の酒盛りが始まるのである。果樹の収穫が終わり、畑仕事が暇になる晩秋から冬の時期は、酒好きな仲間だったら真っ昼間でもお構いなし。


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 女房も、よく知った亭主の友人のこと、「さあ~、さあ~どうぞ」と、ニコニコしながらお酒を運んでくる。そこそこのつまみの料理も。二人の酒はどんどん進むのだ。ところが、ここでも、やがては女房のブレーキが。よせばいいのに、だまっていない。


 「お二人とも、そのへんにしたら?飲み過ぎると身体によくないですよ」


 「余計な世話を焼くな。おまえの悪い癖だ。そんなことはこっちで考える」


 一緒に飲んでいた友も酒の酔いも手伝ってか


 「奥さん、ご主人の言う通りですよ。お酒っちゅうヤツは飲んでいる人間が一番よく分かっているんですよ。私も女房によく言われるんですがねえ・・・」



 私と同じように分かったようなことを言う。でも、行き着く先はやっぱり二日酔いだ。



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馬鹿と阿呆

 「バカ」

 「バカとは何よ」

 「そんな事ですぐ向きになるからお前はバカなんだよ」

 「なにも、バカなんて言わなくたっていいじゃない。まったく~」


妻

 私と女房のよくある口喧嘩だ。不思議にもこの文字数が示すように、およそ夫婦喧嘩の発端はたわいもない事から始まって、エスカレートするものだ。





 この「バカ」(馬鹿)という言葉。かなで書いても、漢字でも二文字。しかし、その使い方、受け止め方によって喧嘩にもなれば、叱咤激励にもなる。「バカ、そんなことはないよ」といった具合に否定の接頭語的な役割を果たす事だってある。「バカ」に「め」をつけて「バカめ」となると女房はもっと向きになる。





 私はこの「バカ」という言葉を気にもしないし、気にもならない。関西人が「この阿呆」とよく使うように、むしろ、挨拶代わりみたいなものだ。もちろん、親しい仲間、気の置けない仲間同士のことだ。これをどこででも使ったら、失礼千万。

子供


 もう一つ、気にしなくなった訳がある。わんぱくな子供の頃、いたずらをする度に親父から「バカめ」「馬鹿野郎」と怒鳴られた。河原で水浴びをし、近くの畑のスイカ採りの競争をすれば、当たり前だが、見知らぬ親爺から「馬鹿野郎」。この言葉はわんぱく小僧の勲章のようなものだった。
子供2

 「そんな事が分からないのか」「もっとしっかり掃除しろ」。学校に行けば先生から叱られる。その言葉の頭と尻につく言葉はまた「バカ」だ。社会人になって会社に入れば先輩から遅いの、早いので怒鳴られる。ちょっとひどくなると「死んじまえ」だ。その後ろと前にはやっぱり「バカ」が付くのである。考えてみれば「バカ」と言われなかったのは大学の4年間ぐらいのものだ。ただ、そんな教授の顔は一人も覚えていない。






 この「バカ」「バカめ」には、全く悪意はなく、いわゆる親心の叱責であり、親身になっての励ましの意味まで含んだ表現であることが多い。人間、褒められたことなど記憶に残っていないものだが、叱られたことは覚えているものだ。教訓として受け止めているからだろう。叱られた先生や先輩ほど懐かしい。不思議な事に間違いなく親近感が増すのだ。





 これも不思議。叱った方は、それを忘れている。女房が向きになって怒るように深刻なものではないからだろう。ただ、私には一つだけ、反省にも似た「馬鹿野郎」の相手側の反応がある。もう30年ぐらい前のことだが、若い社員を「馬鹿野郎」と怒鳴った。将来に向けて育てたいと思った男だった。その社員は怒鳴られた途端、大粒の涙をボロボロ。「男のくせに、涙を拭け」と言ったら、また涙だ。


サラリーんまん

 同僚幹部が言った。「今の若いのは親や先生から怒られることもなく、ましてや他人から馬鹿野郎、などと言われたことがないんですよね。それが≪いいぼこ≫であればあるほどですよ」。確かにそうだ。親も先生も、ましてや隣の親爺も子供を叱らなくなった。先生や隣の親爺は見てみぬふりだ。





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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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