FC2ブログ

長い夜

冬景色4  


 寒い。朝、布団から離れるのが億劫になるばかりか、畑に出るのも億劫になる。この時季、特に差し迫った畑仕事はないのだが、なんにもないわけではない。肥料掛けもあるし、植木の剪定だってしておかなければならない。剪定で出来たクズを畑で焼却処分するのも一仕事だ。




 「お父さん、サツマイモ、持って来ましたよ」


サツマイモ2


 ニヤニヤしながら言うのだが、家のかみさんの連想力は素晴らしい。亭主が畑で精出す剪定クズの焼却もかみさんにかかったら「焚き火」。格好の焼き芋の場だ。銀紙に包んだり、濡れ新聞に包んだりして火の中に投げ込むのである。焼き芋もいいが、「少しくらいは仕事の手伝いをしろよ」と言いたいのだが、まあそれもいい。かみさんのささやかな楽しみなのだ。かみさん流の「焚き火」云々は別に、農作業の合間での焼却作業は正直言って暖を取るのにはいい。つい、かみさんの焼き芋作りに同調してしまうのである。冷え切った体が温まる。



冬景色3


 私は若い頃からなぜか帽子嫌い。夏の暑い時期でもよほどのことがない限りかむらない。しかし、冬場の寒い時期、帽子が体の防寒にいいことに気付いた。特に毛糸の帽子を深めにかぶるのだ。温かい。毛糸だから圧迫感もない。麻雀仲間の同級生M氏がいつもこの毛糸の帽子をかむっているのが頷ける。髪の毛が薄い人にはうってつけなのだろう。


冬景色2  


 冬の夕暮れはいかにも寒々しい。しかも日没が早く、4時半を過ぎれば薄暗くなり、5時といえば真っ暗。「夏場だったら暑さを避けて、この時間から畑に出るのだが・・・」。昼間の時間が短いと、なにか損をしたような気にもなる。日没が早くなると勢い、夕飯も早くなる。


冬景色


 サラリーマン時代は、もちろん、日没と夕飯は関係なかった。5時、6時はまだまだ仕事の真っ最中。ましてや風呂に入って晩酌など考えもつかなかった。第一、かみさんと向き合って夕飯など食ったことなどなかった。

冬景色5


 職場をリタイアして10年を過ぎた。そんな生活が当たり前になった。太陽のサイクルでの生活は、いかにものんびりしている。でも何か物足りない。特に日が短いこの時季は、やたらに夜が長く感ずるのだ。本を読むのもいいが、歳のせいか目が疲れる。そう考えると、パソコンを覚えてよかった。夜の時間つぶしにはうってつけなのである。



 「お父さん、炬燵でおやりになったら・・・」


 晩酌を済ませて机に向かう私に、かみさんは、いつもそう言う。でも必ず机に向かう。その方が頭も身体もシャキッとするのである。



 「いつまで続くのかしらねえ。第一、そんなことしていて肩が凝らないのかしら・・・」


 かみさんはそんなことも言うが、どうしてどうして。子どもの頃のように嫌々ながらする宿題と違って好きでやることというのは恐ろしいもの。肩も凝らなければ、目だって疲れない。むしろ、かみさんが言うこのパソコン遊びがなかったら、こんな長い夜をどうしたらいいの、と考えてしまいもするのだ。




.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!


スポンサーサイト

夫婦喧嘩

 パンダの蘭蘭ではないが、うちの女房にはヒゲではなく、「トントン」「ブータン」という愛称がある。どうして「トントン」「ブータン」なのかを文字で書くと角が立つのでやめることにするが、その女房を呼ぶ時、この「トントン」などのほか「お母さん」と呼んだりする。

子豚

 これに対する返事で、女房の心中の雲行きが分かるから面白い。不機嫌なときはこうだ。



 「わたしゃあ、あなたのお母さんじゃないわよ」




 もっと雲行きが悪くなると「あなた」が「あんた」に変わるのである。おっしゃる通りで、俺のお母さんではない。お袋が元気な頃、私が女房を「お母さん」と呼ぶものだから、調子が狂ったのか目をパチクリしたものだ。「あんた、とはなんだ」と、ちょっと声を強めたら、言い過ぎと思ったのか口をつぐんだ。




 私の場合、大抵の事なら、怒らない。ただ、言い訳だけは嫌いだ。ちょっとした女房の言い訳がきっかけで口論、これがエスカレートして、いわゆる夫婦喧嘩になるのである。例えばこうだ。



 「こんな天気の日に、何も洗濯なんかしなくてもいいじゃないか」



 「しょうがないじゃない。雨ばかり降っているんだもの」



 「少しは後先、考えてやれよ」



 「考えてるわよ」




 「言い訳するな。少しは考えてやれ、と言っているんだ。バカめ」



 「バカとは何よ」




 「バカだからバカと言っているんだ」


洗濯物


 我が家の夫婦喧嘩はざっとこんな具合で、この場合、私が洗濯など、天気のいい時にやればいいのに、と、注意したのがきっかけ。たわいもない事から、ちょっとした口論となり、それがエスカレートするのである。「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」とはよく言ったものだ。





 その後を見ていれば分かるが、女房はかなりカッカとしている。しかし私の方は少しもカッカしていないのである。私の何気ない注意を≪売られた喧嘩≫と勘違い?したまでのこと。「考えてやれよ」と言われたときに「そうだよねえ」と言えば、そこで口論にも喧嘩にもならなかったはずである。





 私は結婚式の挨拶で時々こんなことを言うことがある。「夫婦だからこそ喧嘩する。どんどんすればいい。ただ喧嘩は売るもので、買うものではない。買わなければ本当の喧嘩には絶対にならない」と。八つ当たりして猫を蹴飛ばす、なんて話もあるものねえ。




 話のきっかけが何であったかは忘れたが、長野に行った時、道の駅の温泉で出会った大工の棟梁と名乗る親爺さんがうまいことを言ったのを思い出した。



 「女はとかく、目先だけでものを考え、後先考えずに直感でものを言う。だから怖いんだよなあー。そこへ行くと、男はそんなバカなことはしねえ」




.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!


お年寄りの歓声

 ふれあい広場にお年寄りの歓声が戻ってきた。


 「1番ゲート通過」「3番にタッチ」



 ゲートボールを楽しむお年寄り達だ。広場の脇にはミニバイクや軽自動車が止まっていた。年の頃は70代から80代の女性ばかり7~8人。あれっ、あんなおばあちゃん達、この地域にいたっけ?見慣れない人たちばかりだった。多分、別の地区の人たちだろう。

ゲートボール

 この地域は、どこの地方にも珍しくない少子化と高齢化が進む一方。ここでは少子化はさて置くとして、70代、80代のお年寄りはいっぱいだ。これに60代も加えれば部落人口の大半は、いわゆる高齢者である。一方で、少子化のツケが、まるでボデイブローのように響いて農業後継者不足が深刻になりつつあるのも無理はない。




 我が家の植え込みと小さな畑をはさんですぐ近くにある、このふれあい広場には特別の思い入れがある。こうしてパソコンを叩いていても歓声が聞こえるほどのの距離にあるということもさる事ながら、広場を地域にお貸しした当事者であるからだ。かつて梅畑だった10アール弱の広場だが、そこから挙がってくる歓声は、なぜか我が事のように嬉しくなるのである。より多くの人たちのふれあいの場になって欲しい、そんな思いだ。




 普段、年に一度の防災訓練やわずかな子ども達のブランコ遊び、夏場に夕涼みがてら花火を楽しむ近所の家族ずれなど、限られたような利用頻度だった。お袋が元気だった6~7年前は天気さえよければ毎日のようにお年寄り達がゲートボールを楽しんでいた。しかし、いつの間にか広場からお年寄り達の歓声が消えて久しかった。

ゲートボール2

 お年寄りはいっぱいいるはずなのに、とお思いの方もお出でだろうが、ゲートボールのようなチームゲーム、特にお年寄りの遊びは誰か音頭とりをする人がいないと駄目のようだ。ゲームとか、お年寄りに限らず、音頭とりのある、無しはすべての事のまとまりの良し悪しに繋がるのだろうが、とにかく広場からお年寄りの姿が消えていた。




 私には、若い頃だが、ゲートボールに不思議なご縁があった。まだ40代の前半だった。当時、勤務していた新聞社の会長が山梨県ゲートボール協会の会長に就任したのがきっかけ。その橋渡しをしたことや、当時の会社でのポジションもあって、協会の筆頭理事に着かされてしまったのだ。会長が本業で忙しい時には、陰に陽にその代役をやれ、ということらしかった。





 県の体育協会の中でも、競技人口では最も大きい方の団体だから、もちろん、そのための副会長もいれば、理事長もいる。ただ、協会側にしても会長にしても、その間をつなぐパイプ役が欲しかったのだろう。生い立ちが生い立ちだから、へんてこりんな理事であった。協会幹部なのでゲートボールの競技そのものを熟知し、審判員の上級資格を持っていて当然。私には何もなかった。しかし、面白い仕事だった。新聞社が主催する大会にも多く携わった。おかげで山梨県内の主だったゲートボール愛好者とも知り合った。広場で歓声を上げる人たちの中にも顔見知りがいるのではと思ったのだか・・・。時代が変わっていた。



.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!


我が家のひょうたん

 秋の日はつるべ落とし、とはよく言ったものだ。つい2カ月、3ヵ月前だったら7時を過ぎても明るかったのに、11月の声を聞いたと思ったら、もうこの月も終盤。まだ4時半というのに暗くなる。天気が悪ければなおのことで、日に日に冷え込みを感ずるようになった。庭の植え込みの先にある野菜畑では、棚に伸びたゴーヤが実を付けることすら忘れ、葉っぱもだらしなく黄色くなった。その隣では、10個ほどの瓢箪がツルを黄色く枯らして、これまただらしなくぶら下がっている。


瓢箪5



 この瓢箪、実は≪プル友≫つまり、スポーツジムのプールでご一緒するお年寄りがご縁で作ったものだ。この方は80歳を超えているが、毎日プールで歩いたり、泳いだりすることを欠かさない元気者。何をやっても器用な人で、趣味の瓢箪作りはプロ顔負けの腕前だ。瓢箪に絵や字を施し、化粧紐を巻いて置物にするくらいは朝飯前。加工して、フクロウのループタイを作ったり、ツルや亀の置物まで、それは見事に作ってしまう。




 お人柄も温厚な方だから、山梨県瓢箪愛好会の代表も長く務めている。毎年、甲府で愛好者の発表展示会を先頭に立って開くのはもちろん、知り合いに、その技術を教えたりしている。甲府市飯田町の自宅の物置を加工して作ったという≪工房≫にはこの人の傑作がいっぱい。「上手なもんだね」と言ったら「ちょっとやれば、誰にでも出来ますよ」と。テレ笑いしていたが、どうしてどうして。


瓢箪2


 畑の野菜棚にぶら下がっている我が家の瓢箪は、この方から頂いた種を蒔いたものだ。種類はごく普通のもので、抱えるほど大きかったり、奇抜に変形したものではない。3年ほど前、我が家をリホームした時、記念に、と頂いた瓢箪は1m以上もある大きなもので、「気は長~く、心は丸く、腹を立てず、(他)人を大きく、己は小さく」と、教訓めいた文字が入っている。「心」は丸く書かれ、「腹」は縦ではなく、横になっている。トンチも効いたものだ。



 瓢箪1


 瓢箪は古くから縁起物として人々から親しまれている。古来、風水にも用いられ、その形が末広がりであることから、気をためる道具に使われ、財運をもたらすとされた。豊臣秀吉の千成瓢箪は、あまりにもポピュラーだ。美濃の稲葉山城攻略で功を成した秀吉が信長から許された馬印がそれである。以来、秀吉は戦に勝つ度に一つずつ瓢箪を増やしていったという。






 神話にも登場する。中国では古来、中が空洞になっている瓢箪は、その内部に精霊が宿るとか、別世界があるとされ、神話や伝説に登場する。例えば、孫悟空が瓢箪に吸い込まれる話は有名だ。瓢箪が「宇宙」という器の象徴とされたという説もある。


瓢箪3



 乾燥すると容器として使える。横に割ればお椀に、縦に割れば皿やひしゃくの代わりになる。瓢箪に入れたお酒は風味を増すのだそうだ。若い頃、毎晩のように入り浸った居酒屋の一つに「ひさご」という店があって、そこの主は店の屋号について「ひさご」は「ひしゃく」が転化したものだと、お酒と瓢箪の関係を説明してくれたことがある。





 瓢箪作りの名人によれば、我が家の瓢箪も収穫の時期。しばらく水に浸けて種を出すのが肝心だ。「ひょうたんから駒」が出たらいいのになあー。



.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!


節目の人間

ランドセル


  会社や学校には始業時があれば終業時もある。学校の場合、入学式があって卒業式がある。私達の日常生活を時間的に見ても、一日の始まりと終わり、一週間、一ヵ月、一年といった具合に「節目」がある。一年は1月~12月の暦年で言ったり、学校のように4月~3月の年度で言ったりもする。会社は上半期、下半期、さらに細分化して第一四半期、第二四半期といった具合に1年を4分割、売上や業績を整理したり、チェックしたりする。学校の場合も最近では2学期制に移行する所も出ているが、多くは3学期制だ。



 誕生日も節目のひとつ。生きていれば毎年同じ日に誕生日がやってくる。その瞬間にカチっと年齢の時計が廻る。可愛いわが子やお父さん、お母さんの誕生日をささやかなケーキを囲んで祝う家族もあれば、グループで賑やかに祝うケースもある。年老いてくれば、その誕生日が素直に喜べない事だってあるかもしれない。人生の悲哀というか複雑な気分になる事だってあるだろう。 昨夜もたまたま誕生日だった親しい仲間と麻雀をしながらそんな話をした。




 人間が没すれば一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌といった具合に周りの人がそれなりの法要をしてくれる。もちろん、この回忌は1年ごとにあることは言うまでもないし、仏教では七日、七日が基本。いずれにしても人間、生きていようが、没して仏になろうが、それなりの節目を迎え、重ねて行く。風雪に強い竹にも節があり、樹木には年輪がある。人間も自然界も、みんな節目の中で生きているのである。一年や一日の時間は太陽と地球の関係から作り出したものであり、人間はその中に二十四節気なるものをも当てはめた。そのひとつ霜降が過ぎ、立冬,その後には小雪が。
 とてつもなく大きく、黙って何事もないように動いている自然界はともかく、さまざまな節目に対する人間の受け止めよう、接し方はこれまたさまざま。サラリーマンは一週間の仕事の疲れを癒したり、自らや家族とのレジャーのための週末を楽しみにし、子供たちは学業から解放される夏休みや冬休みが楽しいはずだ。




 私のように勤めをリタイアして、いわゆる「毎日が日曜日」の人間にとっては週末なんか関係ない。曜日だって考えなくてもいい。考えるとすれば、曜日で設定してある無尽会や、地域やグループの会合だけ。多くは日時での約束事が多い。生活の中で月末も月始めも、何の意味も持たないのだ。





 私だけかもしれないが、曜日にとどまらず、さまざまな「節目」がだんだん薄らいでいくような気がしてならない。例えば、あと何日かすればやって来る年の瀬やお正月。なんとなく慌しく、やがて迎えるお正月を控えてウキウキする心の持ちようもないし、お正月だって普段とそれ程変わらない。晴れ着姿に着飾った子供たちの羽根突きや正月を寿ぐ獅子舞もどこかに行ってしまった。デパートやスーパーも年中無休だから「初売り」もなくなった。


羽子板


 節目の行事もさることながら、気温の変化も人間の感覚をあいまいにしているかもしれない。地球規模の温暖化は二十四節気の一つ一つまで、そのイメージを微妙に狂わせている。私のようなズボラな人間には気候的にも習慣的にもやっぱり節目が必要だ。





.ブログランキングに参加中です。  
 ↓クリック いただけると励みになります。

人気ブログランキング【ブログの殿堂】

ありがとうございました!


ランキング参加中です!
人気ブログランキング【ブログの殿堂】
おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

最新記事
カテゴリ
最新コメント
FC2カウンター
ブログ成分解析
ブログランキングならblogram
検索フォーム
月別アーカイブ
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

全国からアクセスありがとう!

ジオターゲティング
最新トラックバック
アルバム
リンク
忍者ツール
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
RSSリンクの表示
FC2ブログジャンキー

「アクセス数が全然伸びない…」そんな悩みをブログジャンキーが解決します!