一匹のハエ

うちわ

 暑い。汗びっしょりになって野良から帰ったら、かみさんと娘がなにやら大騒ぎしているのだ。それほど広くもない茶の間をうちわ片手に飛び回っているのである。部屋の中は程よく冷房が効いている。



 「お前達、何やってるんだ?」

 「ハエよ、ハエ・・・」


 「たかがハエ一匹。大騒ぎすること、ないじゃあないか」

 「だって汚いじゃあない・・・」


ハエ


 見れば大きなハエが一匹。むきになって追い回す二人をあざ笑うように右に左に、上に下にと飛び回っている。ハエだって命は欲しい。バカな二人に易々捕まってたまるものか、と思っているのだろう。女二人とハエの闘いだ。第一、うちわなんかでハエが獲れるはずがない。女どもは単純だ。

ハエ


 「サッシ戸を開けてやれば外に逃げるじゃあないか」

 「ダメよ。こいつは死刑よ。絶対逃がさないわよ。絶対・・・」

 「勝手にしろ・・・」



 女は執念深い。


 この辺りは、山間部とまではいかないまでも山梨市の片田舎。そういえば、ここしばらくハエにお目にかかったことがない。かつては、わんさといたハエは、いったい何処に行ってしまったのだろう。子供の頃を思い出した。リフォームしてイメージこそ違ってはいるものの、夏のこの時期、我が家の部屋という部屋、ハエがブンブン飛んでいた。



 何処の雑貨屋さんにもハエタタキはもちろん、ハエ取り紙というヤツが売っていて、どの家でも1ダースのケースごと買って来るのだ。それを天井からぶら下げるのである。モチのような油紙にハエが張り付く仕組みなのだ。しばらくすると真っ黒になるほどハエが捕れる。

  実はこのハエ取り作戦も焼け石に水。ハエは次から次へと湧いてくるのだ。だから正直、ハエを気にしていたら一日も過ごせない。うかうかしていたら、ちゃぶ台(食卓)に置かれた麦飯ご飯もハエで真っ黒に。習慣とは恐ろしい。みんなビクともしなかった。

 ヘンな例えだが、ある意味で農村の風物詩のようなものだった。「わあ~、汚い」。娘はもちろん、農村育ちではない、かみさんはそんな話に顔をそむけるのだが、田舎育ちの私なんかハエ一匹、どっちだっていいのである。ハエ取り紙もハエ叩きも完全に姿を消した。


リボンハエ取り
リボンハエ取り


 農業形態や生活環境の変化が確実にハエを駆逐した。農耕用の馬や牛。それに家畜の豚や山羊、鶏もいなくなった。番犬として外で飼った犬もほとんど姿を消し、代わって可愛い猫や犬が座敷に上がった。米麦、養蚕に代わって家の周りを埋めた果樹園では病害虫駆除のための消毒が。ハエなんか住める環境ではない。

 目に見えるハエ。目には見えない消毒の影響。さて、どっちの方が・・・。かみさんや娘が追い回す一匹のハエを見ながら暮らしの変化を思い知らされた。ただ、いっぱいいるハエより、時々紛れ込む一匹のハエの方が確かに気になる。不思議だ。





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孫娘の涙の要求

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 その昔、体制に対する要求や抗議はムシロ旗。直訴を禁じる時代もあった。今はゼッケンやプラカードを掲げてのデモや座り込みに変わった。国会議事堂周辺や沖縄の基地周辺で、テレビに映し出される光景だ。アジ演説のスタイルも変化した。その舞台裏も一皮むけば面白い。本音と建前。奇奇怪怪の場面だってあるかも知れないし、聴くところによれば「えっ?ホント」という現実もある。




 一方、家庭という一番小さな社会にも《抗議行動》はある。これも考えようによっては奇奇怪怪。愚痴や、些細なことに文句を言う女房の《抗議》には、ビクともしないが、幼い孫娘の《抗議》や《要求》には弱い。この四月で4歳になったばかりだが、デモならぬ泣き声と涙で、自分の要求を貫徹することを覚えた。


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 「女の涙には弱い」と言った、どこかの総理大臣がいたが、私は孫娘の涙の抗議には心ならず弱い。最近は、あっちこっちに、この泣きの抗議、要求が目立つようになった。知恵の一つだろう。ショッピングセンターに連れて行き、おもちゃ売り場の前を通りかかると、「あれ欲しい」。むろん値札が読めるわけがないから、お値段との《相談》は関係ない。




 「あれはねえ、飾り物で売ってくれるものではないんだよ」


 貧乏人の貧乏人たる由縁。咄嗟に孫娘の要求を交わそうとするのだが、敵もさるもの。泣きの抗議ばかりか、その場に座り込み。ついには何千円もするおもちゃを買わされるハメに。「泣いたらダメ」と《教育的指導》も効き目無し。「泣く子と地頭には勝てない」。




 茶の間では日常茶判事。さすがに、いぶかしがる母親(娘)をよそに、孫娘の言うなりになる婆(女房)。その気持ちは爺だって分かる。でも…。




 「お母さん(婆)、ご飯の前に(孫娘に)チョコレートやスイーツなど、やったらダメじゃないか」


 「そうよ。お爺ちゃんの言う通りよ。お婆ちゃんは何でも、この子の言うことを聞いてしまうんだから…。そんな習慣、つけられたら困るわよ」

 
 「でも、欲しがっているんだから…。可愛そうじゃあない」


 私も本当のことを言うと、孫娘の喜ぶ顔を見たいのだが、そこは、グッと堪えて「ご飯を食べてからにするんだよ」と戒め、婆やママには「泣いてせがんだら、言うことを聞くんじゃあない」とも言う。しかし、本音は、その反対だ。

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 昔から「年寄り(に育てられた)子供は3文安」という。可愛さのあまり幼い子供の言うなりになるからで、子供を真に育てている親は、それを心良し、と思ってはいない。




 甲府盆地の東部3市(山梨、甲州、笛吹)で構成する峡東地区明るい社会づくり運動協議会の総会で「家庭における親・祖父母の役割」と題して記念講演した東京家庭教育研究所の鷲山佐和子氏は、こんなことを言った。




 「子供に《我慢する心》を教えることも大事。子供はそこから成長していく」


 子供に我慢、とは酷にも思えるが、言われてみれば、その通り。それが爺婆の役目だ。




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孫娘のチャレンジ

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 茶の間と言うより、家中が賑やかになる時がある。甲府に住む孫娘がやって来る日だ。パパやママに連れられて来るのだが、むろん、週末。パパの勤めもさることながら、孫娘も、この4月から幼稚園に。年少さんだ。その合間を縫ってスポーツ教室にも。ママである娘に言わせれば「この子も結構、忙しいのよ」。




 車の後部座席に設えられたベビーシートから解き放たれた孫娘は、家に入るなり「婆、こんにちは」。爺の言葉が出ないのが、ちょっぴり気に食わない。でも、近頃は爺を加えてくれる。そんなことが、また嬉しくもあり、可愛くもある。70も半ばを過ぎたのに、今もなお、たわいもない気持ちが抜けない自分に、ふと、情けない気分になったりもする。




 子供の成長は早い。来る度に«大人»になって行く。裏を返せば、自らが歳を重ねるレールの上にいることも意味する。それは兎も角、子供の好奇心とは凄い。子供たち同士は、もちろん、大人の言動にも、ことごとく興味を持つのである。スマホをやっているパパやママの動きにも関心を持つし、カメラだって同じ。


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 ママ友がSNSでわが子のメッセージ動画を送ってくれば、ママの助けを借りるにせよ、「メッセージ、ありがとう」と、お返しの交信をする。ママや婆(女房)が台所で昼飯や夕餉の料理をしていると、そこにも手を出したがるのだ。「包丁を使うから、ここは危ないのでダメよ」と、戒めてもチャレンジ、チャレンジ。調理台に背が届かないものだから子供用の椅子を持って来て料理に《参加》したがるのである。




 「その顔はなんだ?」。孫娘の顔を見たら口の周りは真っ赤。眉毛は太く真っ黒。ママのお化粧道具が入ったポーチを持ち出して《お化粧》してしまったのだ。まるでピエロのよう。流石に鏡を見る知恵までは備えてはいない。みんなで大笑いしたのだが、子供は大人のやることを、みんな見ていて真似するのだ。考えようによっては怖い存在でもある。


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 ふと70年前の自分を思い起こした。確かな記憶は何一つない。平々凡々に生きる《鼻たらし小僧》であったことだけは間違いない。テレビもなければ、スマホどころか電話もない。車だって同じ。今でこそ、どこの家庭でも一つや二つは転がっているファミコンだってあるはずがない。日常に今のような変化がないので記憶に残る刺激そのものがないのだ。




 時代は戦後も間もない頃。貧乏ながらも子沢山。4人5人は当たり前で、7人8人の兄弟も珍しくはなかった。ICT(情報コミュニケーション技術)などという言葉は存在すらせず、人々は、ただ《食べる》ことが精いっぱいの時代であった。そんな時代と比べれば、今の子供たちを取り巻く環境は月とスッポンほど違う。総じて情報量。ITやICTが子供たちを変えた。車や飛行機が行動範囲を広げた。食べ物に贅沢を言う飽食の時代でもある。




 車の渋滞と喧騒。人々が大移動するゴールデンウィークには、パパやママに連れられて国内はむろん、海外にも飛んで行く。子供たちばかりではない。情報化社会は人々を知らず知らずのうちに未知の世界へ誘導する。アナログ世代の人間と違って、子供たちはその情報を空気のように受け止め、同化してゆく。孫娘のチャレンジは、その片鱗に過ぎない。




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孫娘とチャンネル争い

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 いい歳をして、お恥ずかしい話だが、孫娘とテレビのチャンネル争いをする。孫娘は間もなく4歳。どこの子供も同じだろうが、アニメやおとぎ話、むかし話が大好きで、茶の間のテレビを食い入るように見ている。親馬鹿チャンリンならぬ、婆馬鹿チャンリン。女房は、孫可愛さに、ことある度に孫が喜びそうな幼児番組を録画しておくのだ。




 爺の私は「相棒」など好きなドラマやクイズ番組くらいで、普段、そんなにテレビを見る方ではないが、家にいる時は昼と夕方のニュースは必ず見る。そんな時に限って孫娘と≪バッティング≫するのである。


プリンセス


 甲府にいる孫娘は、週に一度は親に連れられて山梨市の我が家にやって来る。田舎家だから家の間取りも広いし、庭や、その周りも広い。飛び回って遊ぶことには事欠かない。でも昼と夕方の食事時は居間に。お恥ずかしい孫娘とのチャンネル争いは、主には、この時。




 「お爺ちゃんがニュースを見るんだからね」


 この時ばかりは女房(婆)も応援してくれるのだが、≪敵≫もさるもの。「ダメ…」。絶対に譲らないのだ。食い入るように観ていたアニメなどのお気に入り番組を中途で遮られるのだから、考えてみれば怒るのも無理もない。




 茶の間であろうが、飲食店の店先であろうが、テレビは≪空気≫のような存在で、観ているとか観ていないに関係なく点いていることが多い。そんなテレビに普段、見向きもしない孫娘なのに、子供向けの番組が流れると、間髪を入れずに反応し、一人食い入るように見入るのである。


遠藤


 僅
か4歳足らずの子供だから、大人のような知恵がある訳はない。本能とも言える≪動物的≫な反応だろう。裏を返して、そんな番組やストーリーを組み立てる大人たちは凄い。子供たちの心理を読んで、≪虜≫にしてしまう。そんなアニメや童話作家に脱帽させられる。最近では、タブロイド端末にも興味を持って観ている。目を近づけて観るのが心配だ。




 テレビやタブロイド端末に限ったことではない。人の≪観方≫だって知っている。我が家にも様々な人が来る。ご近所の方もいれば、私や女房の友人・知人、親戚の人だっている。そんなお一人、お一人と孫娘を見ていると面白いことに気付く。私たち大人が見て、みんな同じなのに、ある人には直ぐになつき、すぐに心を許してハイタッチをしたり、抱っこまでしてもらっている。




 反対に敬遠とまではいかないまでも、それに近い行動をとる相手もいるのだ。私なんか、後者の方で、大人気なく、ちょっぴりガッカリしたり、僻みたくもなる。子供は血縁とか、他人とかの区別はなく本能的に、その人を見極めているのだ。




 多分、子供に好かれる大人に悪い人はいない。子供とは面白い≪動物≫である。孫娘がその《本能》から脱して、やがては色々のところに気遣いをする時も来るのだろう。自分が歳を取るのは実感しないが、子供は日に日に成長する。嬉しくもあり、寂しくもある。




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遊具と子供

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 山梨の県道や市道道を車で走っていると、あっちこっちに子供たちのための遊園地が目に付く。その場所は神社やお寺の境内だったり、公園や、地域がそのために設けた広場であったり。生い立ちも違えば、環境や大きさも異なる。




 我が家の植え込みの向こうにもある。もう15年以上も前、地域の「ふれあい広場」として、当時の梅畑をお貸しして特設した広場の一角。広場はお年寄りのゲートボール場に使ったり、様々な催しに使う。防災訓練の会場にもなれば、むろん、大震災など災害時の緊急避難場所にもなる。いわば多目的の広場だ。


防災訓練3


 遊具の定番と言えば、ブランコや滑り台、鉄棒、ジャングルジム…。赤や青、黄色など子供たちが飛びつき易いようにカラフルなペイントが施してある。視覚的にも子供たちに馴染み易いような≪演出≫をしているのだ。ここでの主役は言うまでもなく幼児。少なくとも小学生だったら低学年生。むろん幼い子にはお母さんやお父さんが。誰もがほほえましい光景をイメージする。その時間帯は週末が中心である。




 ところが、その週末。遊園地に子供たちの姿がない。その原因は、地域に住む私達にはピーンと来る。地域に≪主役≫であるべき子供がいないのだ。少子化の波は、まず田舎を直撃、地方をまるで津波のように襲っている。山梨の人口は82万人台にまで落ち込んだ。




 学校は卒業式を終わって、間もなく入学式のシーズンを迎える。私の「部落」、と言ったら難しい人には「差別用語」と叱られるかも知れないので、「地区」または「行政区」と置き換えるが、全部で60戸。今年も小学校への新入学児童はゼロ。「ゼロ行進」が続いている。旧村地区で見ても少子化現象は顕著で、小学校の統廃合問題が行政の俎上に上り始めた。今年度末現在で、この小学校の全校児童の数は、たったの36人。私たちが子供の頃の1クラスにも満たないのである。お隣の町では昨年春、3校を一つに統廃合した。




 保育園も推して知るべし。山梨市内では今年度も1,2の公立保育園が閉鎖に追い込まれる。東京など大都市にお住まいの方だと「え?ウソ…」と、首を傾げるかも知れないが、これホント。公立保育園のように≪甘いこと≫?を言っていられない私立の幼稚園は、広範囲に送迎バスを巡回させるのはむろん、入園前、対象年齢の親子を招いて無料の体験教室を開くなど、あの手この手、至れり尽くせりの勧誘合戦。それでも定員を充足出来ない幼稚園が。経営面での「頭痛の種」は想像に難くない。


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 茶の間のテレビを点ければ、国会の予算委員会中継が。東京など大都市で社会問題化している保育園からあふれ、就園出来ない子供たちの対策を議論している。この≪ギャップ≫はひど過ぎる。地方に子供を産む若者たちがいないわけではない。道路や下水道などインフラ整備の遅れや、少ない働き場所…。自ずと若者たちは都市部へと流れてしまうのだ。




 社会資本の投下は大都市集中型となり、その反動を被るのは地方。大都市と地方の格差は広がる一方。≪格差の輪廻≫≪格差の循環≫を、どこかで断ち切らないと…。「選良」と呼ばれる議員の先生方、≪揚げ足取り≫の議論も結構だが、これ大丈夫でしょうかねえ…。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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