草食人間

風景


 民族を大別してよく言われるのが狩猟民族農耕民族。この分類からすると私達日本人は農耕民族だといわれる。ただ、農耕に対比する言葉は狩猟ではなく、牧畜だという分類が正しそう。農耕民族は土地への執着が強く、それとは対照的に牧畜の餌を求めて移動を余儀なくされる牧畜民族は、当たり前だがへ執着する。




 一方、動物を大別すると、肉食草食に分類できるのだろう。こちらの分類は分かり易い。体の部分的な構造が明らかに違うからだ。哺乳類で見た場合、ものを食べる歯の形が違うし、はっきり違うのは目の位置である。例えば、ライオンやハイエナのように肉食動物の目は正面についているし、馬や牛のように草食動物は横についている。肉食の奴らに狙われた時の危険察知に備えて視界を広くしている。足の爪だって違う。肉食の爪は前足に鋭いものを持ち、草食のそれは蹄を持っていて、長距離を走る、つまり敵から逃げる備えを持っているのだ。

ライオン   牛

 

 

 農耕民族と狩猟民族はともかく、肉食動物と草食動物では明らかに逞しさが違う。草食動物は肉食動物に狙われる立場にあり、うっかりしていると食われてしまう。サファリなど大自然の中では食うか食われるかの闘争を繰り返しているのである。そんな動物界、自然界を例えたのだろうか、最近「草食人間」などという言葉がよく言われるようになった。主には覇気や闘争心のない男達、また転じて異性の女性に興味を示さず、結婚などにも関心を持たない若い男性たちのことを言うのである。

うさぎ

 私が歳を取っているせいかもしれないが、この言葉はいい得て妙。お若い男性からお叱りを受けることを覚悟して言えば、確かにそんな若者が増えている。何も男性中心のものの考え方をしているわけでもないし、男性社会を標榜しているわけでもないが、覇気をなくした男性があまりにも目に付く。同じ世代の若者達がいるとする。そこでリーダーシップを取るのはおうおうにして女性のことが多い。それが生まれてもう久しいが「アッシー」などという言葉が現代若者像を物語っている。




 先頃、子供キャンプに加わった時の茶飲み話で、たまたま私と同世代のスタッフの一人が子供たちを横目にこんなことを言った。




 「今の子供たちは男の子より女の子の方が元気があるよなあ。男は男らしく、もっと覇気を・・・」

女の子


 ここまで言ったら隣にいた女性がすかさず口を挟んだ。もう60歳に近いベテランの女教師である。




 「男だから、女だから、かくあるべき、というのはおかしい。私は双方を人間と観て、その結果が男だったり、女だったりするんです.。そう考えなければいけません」

子供たち


 私は頓珍漢かもしれないが、最近よく言われる「ジェンダーフリー」という言葉を思い起こした。とにかく、教育界の中に、この女教師の言う考えがあることは間違いない。男と女の概念も時代とともに変わってくるのだろうか。でも男と女は構造的にも違うし、だからこそ男性は女性をいたわる心を持たなければいけないと思っている。

 



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個人情報保護法ってヘンな法律

人々

 おかしな法律が出来たもんだ。私はいつもそう思っている。「個人情報保護法」という法律だ。もちろん、法律そのものがおかしいというわけではない。私は法曹界の人間でもなければ学者でもない。たかが田舎の百姓である。だから、理屈ぬきでおかしいと思うのだ。




 私達が日常を生きている上で、堅苦しい法律なんか考えることどころか、眼中にない。普通にというか、まともに生きていれば、法律など知らなくてもいいし、考える必要もない。何か特別の悪さを考えたり、その抜け道の必要性にでも迫られない限り、法律は空気のような存在なのだ。


人々2

 もしあるとすれば、道交法くらいのものだろう。地域柄、交通手段をマイカーに依存せざるを得ない私達は、そこで規定されている飲酒運転やスピード違反は、否応なく気にするし、気にしなければならない。もし警察に捕まり、処分されたら、罰金もさることながら、明日からの「足」がなくなる。そのことを知っているからだ。




 ところが個人情報保護法というヤツは、なぜかみんなの日常生活の中に入り込んで、特別の存在のように一人歩きしているのだ。一人歩きというより、みんなが過敏に反応、その情報をことさらにシャットアウトしてしまうのである。典型的なのは行政だ。例えば、民生委員を委嘱したとする。ところが、その関連情報を、個人情報保護の名の下に出さないというのだ。民生委員にしてみれば、実態を知らずして真の活動など出来っこない。秘密の厳守は十分に心得ているだろうし、それが出来なければ任に当たれないはずだ。



人々3

 私はこの春から区長を仰せつかっている。先月のことだが、9月15日の「敬老の日」に因んで開く敬老会事務局担当者がやって来て、こう言うのだ。



 「区長さん、敬老会にお招きするお年寄りのみなさんの名簿が手に入らないのです」


 「市役所に行けばすぐ分かるよ」



 「それが、市役所は個人情報に関わることだから、出すわけには行かない、と言うんです」




 お年寄りはお亡くなりになるケースもあれば、若い人と同じように移動、つまり、地域を出たり、入ったりするケースだってある。地域行政がらみでの敬老会だから、ご案内はそそうのないようにしなければならないのは当然だ。




 交通安全協会というのがある。そこで15年以上無事故、無違反のドライバーを表彰することになった。そのデータは公安委員会、つまり警察にあるはず。ところがこれまた個人情報保護法だ。学校も同じ。万一に備えて作った電話番号入りの連絡網名簿を廃止しているところが増えているという。個人情報はそこまでして保護しなければいけないのか。法律の精神は人が安心して円滑、かつ合理的に生活するためのルールであるはずなのに。


車

 その背景にあるのは、お役所や学校の事なかれ主義にほかならない。私のブログはハナから理屈っぽいことは書かないことにしている。評論は評論家先生にお任せすればいい、と思っているからだ。でもコレだけはどこかおかしい、と思っている。あまたある法律の中で、恐らく、これほどみんなが神経質になつたり、趣旨を履き違える法律はないだろう。





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けちん坊と無駄遣い

 ジキルとハイド。二重人格。そう言ったら、ちょっと刺激的かもしれないが、人間、おしなべて二面性を持ち合わせているような気がする。二面性というより多面性と言った方がいいかもしれない。私なんかその典型だ。自分ではお金やモノに執着しないというか、大らかなタイプと思っていたが、意外とけちん坊な自分に気付いて嫌になることがある。


マネーー


 飲み屋街から夜遅くタクシーで家に帰る。「その塀の切れ目でいいよ」。タクシーが止まる寸前、メーターがカチッと廻るのだ。その瞬間、ワンメーターの90円が妙に損をしたような気がするのである。お酒に酔っていてもだから、根っからのけちん坊だろう。店を出る時、女の娘に千円、二千円のチップをやるのにだ。




 こんな経験もある。サラリーマン現役時代だが、東京に出掛け、仲間達とのお酒やカラオケ、時には麻雀で遊び過ぎて終電車に乗り遅れる。しかし、明日の仕事を考えれば帰らざるを得ない。当然、足はタクシーしかない。当時、私が住んでいた甲府の家までは東京から距離にして120㌔から130㌔はある。その頃でもタクシー料金は、帰りの高速道路代やチップを入れると6万円近くになった。

マネー


 承知の上だから、それはそれでいい。しかし深夜の高速道路。スピードは時速100㌔を超す。メーターは「カチ、カチ、カチ」と回転、その音に酔いが覚める思いをしたものだ。6万円近いタクシー代は、一回としたら決して少なくはない。終電車に間に合うように遊びを切り上げればなんでもないのだが、そこがお馬鹿さん。そんな事が何度もあった。




 でもそんな無駄遣いも「俺もバカだなあ」と思うくらいで、それほど気にもならないのだ。ところが、不思議なことに普段、家の前で「カチッ」と廻るワンメーターの90円は気になるのである。俺って少し頭がおかしいのかなあ、と思うことすらある。


小銭


 麻雀や競馬だって同じだ。元々勝負事に弱い私だから大抵は負け組。その金額はお上に申し訳ないので、ここでは詳しくは書けないが、90円でも100円でもないことだけは確か。今は馬鹿馬鹿しくなって足を洗った競馬に至っては一日で10万、20万負けることも珍しくはなかった。不思議なことに、これも苦にならなかった。「また次があるさ」とあっけらかんとするのだ。ある意味ではこれが勝負事の魔力なのかもしれない。




 こんなことをかみさんが知ったら、恐らく即倒するだろう。何しろ新聞折込みのチラシを見てはデパートのバーゲンを目の色を変えて飛び回り、大根が一本10円、20円安いといっては遠くのスーパーへ。男と女の違いといってしまえばそれまでだが・・・。その女房だって高い車のガソリン代を払い、挙句の果てに帰りに車でもこすれば、世話はない。見方を変えれば、女房は女房で、それを結構楽しんでいるのだ。そんなものかもしれない。

小銭2

 政治の世界では「無駄の排除」を目くらまし?に事業予算の削減に躍起だが、庶民は大なり小なりこんなバカなことをしているのだ。税金の無駄遣いは困るが、人間、大きな目で見れば無駄があるからいいのかもしれない。女房はいつも言う。「お父さんは、お酒やタバコばかりでなく、麻雀や競馬。一生のうちでは家が建つわね」。女房はバカな亭主の行状を先刻ご承知? ともかく俺はけちん坊なのかバカなのか。その両方かもしれない。




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役所言葉と挨拶文

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 茶の間で女房と二人して阿呆面して観ているテレビ。そこに登場する漫才やコントのタレントさん。その内容の受け止め方は人それぞれだろうが、面白いものもあれば、チャンネルを変えたくなるようなものもある。その一方で「タレントさんとは、大変な商売だなあ~」と、すくづく思う。「素人のくせに…」と、おっしゃる方もお出でだろうが、視聴者とは押しなべて、観客と同時に《評論家》なのだ。




 静かなブームと言ってもいい漫才やコントの世界では、次から次へと新しいギャグ(言葉)が生まれては消えてゆく。面白いものには、人、特に子供たちはすぐ反応する。僅か4歳にも満たない孫娘は「アイ ハブ ア ペン…」とか「サイトウさん…」、「私、失敗しないので…」と、真似をする。このギャグが《後世》に残るかどうかは分からない。


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 人それぞれだろうが、私には何十年か前の漫才やコントのギャグを今にして覚えているものがある。花菱アチャコの「アチャ パー」とかコンビの名前は忘れたが、「田園調布に家が建つ」といった漫才ギャグ。「田園調布に…」は、東京の自由ケ丘や、さらに先の田園調布が世に出ようとした時代であった。つまり、東急電鉄が渋谷から神奈川に向けて地下鉄を絡めて電車の路線を伸ばし、当時とすれば画期的な沿線の「田園開発」をした時代であった。その地域の《今》があるのも、その「田園開発」のおかげと言ってもいいだろう。




 若者言葉であれ、商売が絡んだ漫才、コントのギャグであれ言葉はむろん、それを文字にした文章も時代と共に変化していく。でも変わらない、というよりは変えようとしない言葉、文章だってある。例えば役所や会社、団体が発する通知文書。まず、時候の挨拶から始まって「日頃(平素)は…」とお礼の言葉が続き、「さて」で本論へ。その後に「つきましては…」と用件が続く。このパターンは10年、いや30年、40年…と変わらないのだ。
パソコンをたたく手


 このこ忙しい世の中で、決まりきった時候の挨拶や「平素は云々」の決まり文句など捨てて、用件を伝えたらいいのに、と私のようなせっかち人間は考えてしまう。決まりきった通知文書がいかに多いかを物語るように、パソコンで案内通知を作ろうとすると、「前略」または「謹啓」で始まるソフトがあり、最後は何もしなくても「敬具」で結んでくれるのである。せっかちな私のみならず、お若い方なら間違いなく笑ってしまうに違いない。




 文章だけでなく、用語もしかりだ。私は民間のある公な協力機関に関わっているのだが、その公、分かり易く言ってしまえば霞が関から来る連絡文書。その、あっちこっちに出て来る「組織体」という言葉。「組織」で分かるのに、わざわざ「体」を付けるのである。どっちでもいいことだろうが、《役所用語》の一端を彷彿とさせられる。




 恐らく《短絡語》を当たり前に使いつつある若者たちに言わせれば、「オジサンたち、何時までも古臭い言葉を使っているんじゃあねえよ」と、言うだろう。良くも悪くも言葉は時代とともに変化する。漫才やコントのギャグの消長と同じで、定着するか否かは聞く人、使う人が決める。ただ、標準語の名のもとに地方の方言が消えてゆくのは、ちょっと寂しい。(次回へ続く)




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拍手とタイミング

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 ちあきなおみのヒット曲に「喝采」というのがあった。そのイメージからしても、割れるような喝采の拍手は、その場を否応なく盛り上げ、みんなの気持ちを高揚させる相乗効果がある。しかし、拍手には、その時の雰囲気によって躊躇することもあることも確か。




 日常よくある会議の冒頭での挨拶がその一例。素直に拍手を送ってしまえば、何の事はないのだが、そこで、みんなが一瞬ためらうと、会議から拍手が消える。結果は、その会議の雰囲気にも微妙に影響するのだ。人間とは不思議な動物で、ちょっとしたアクションでも、時に際立つことを、ためらうことがあることに気付く。




 拍手をしないのが当たり前?となっているのが仏事での挨拶や関係者のお悔やみの言葉への反応だ。地域によって違いはあるのだろうが、山梨では葬儀・告別式の後、「初七日の法要」を営む習慣がある。この時、喪主の挨拶や個人とゆかりの深い方々の「お悔やみの言葉」があるのだが、参列(会)者は「おときのお膳」を前に、まるで申し合わせたように下を向き神妙な顔つきで話を聞いている。普通といえば普通。でも異様な光景でもある。


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 中には上手いというか、故人を彷彿とさせるような《いい挨拶》がある。私ばかりかも知れないが、そんな時、感動して思わず拍手したくなることがある。でも、拍手しそうになった手を、思わず引っ込め、間が悪い心の内を隠して、周りを見るのだ。私ばかりでなく、そんな経験をお持ちの方もお出でになるに違いない。





 感動したものに拍手を送ることは、仏事、法事に関わる場でも、故人を冒涜することには当たらないのではないか、と思ったりする。むしろ、その方が自然。だが、その場の《なんとなく》の雰囲気が人々の心に「待った」をかけるのだ。




 ある初七日法要の席で、こんなことがあった。おときの席の終わりを告げるタイミングと言っていい親族代表のお礼の言葉が済んだ後、進んでマイクの前に立った喪主(故人の長男)が「オヤジが好きだった歌を歌わせてください」と、自らと個人が卒業した高校の校歌や、「海ゆかば」などの名曲を歌い始めた。




 それまで下を向いていた参列(会)者は、呆気にとられて一斉に顔を上げた。そして、不思議な現象が起きた。誰ともなく手拍子を打ち始め、その手拍子は会場いっぱいに広がった。そこには130人前後がいただろうか。感動したのか、みんなの眼には涙が潤んでいた。そうしながらも手拍子を打ち続けるのだ。参列者は帰り際、答礼する喪主に対して「よかったよ」、「貴方いいことをしたね」と。




 進んでではないが、コンサートを聴きに行くことがある。この時の拍手のタイミング。カーテンコールはいいのだが、曲ごとに送る拍手。元々、音痴人間で、クラッシック音楽に素養があるはずのない私には曲目の終わりがどこか分からない時が多い。拍手を送りたくても送りようがないのだ。どうするかって?誰かの拍手を待って手を叩くのである。もし、演奏が終わったと思い込んで途中で拍手をしようものなら会場は、どっちらけになること必定。ここでも拍手に、ためらう人間は少なからずいるのだ。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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