けちん坊と無駄遣い

 ジキルとハイド。二重人格。そう言ったら、ちょっと刺激的かもしれないが、人間、おしなべて二面性を持ち合わせているような気がする。二面性というより多面性と言った方がいいかもしれない。私なんかその典型だ。自分ではお金やモノに執着しないというか、大らかなタイプと思っていたが、意外とけちん坊な自分に気付いて嫌になることがある。


マネーー


 飲み屋街から夜遅くタクシーで家に帰る。「その塀の切れ目でいいよ」。タクシーが止まる寸前、メーターがカチッと廻るのだ。その瞬間、ワンメーターの90円が妙に損をしたような気がするのである。お酒に酔っていてもだから、根っからのけちん坊だろう。店を出る時、女の娘に千円、二千円のチップをやるのにだ。




 こんな経験もある。サラリーマン現役時代だが、東京に出掛け、仲間達とのお酒やカラオケ、時には麻雀で遊び過ぎて終電車に乗り遅れる。しかし、明日の仕事を考えれば帰らざるを得ない。当然、足はタクシーしかない。当時、私が住んでいた甲府の家までは東京から距離にして120㌔から130㌔はある。その頃でもタクシー料金は、帰りの高速道路代やチップを入れると6万円近くになった。

マネー


 承知の上だから、それはそれでいい。しかし深夜の高速道路。スピードは時速100㌔を超す。メーターは「カチ、カチ、カチ」と回転、その音に酔いが覚める思いをしたものだ。6万円近いタクシー代は、一回としたら決して少なくはない。終電車に間に合うように遊びを切り上げればなんでもないのだが、そこがお馬鹿さん。そんな事が何度もあった。




 でもそんな無駄遣いも「俺もバカだなあ」と思うくらいで、それほど気にもならないのだ。ところが、不思議なことに普段、家の前で「カチッ」と廻るワンメーターの90円は気になるのである。俺って少し頭がおかしいのかなあ、と思うことすらある。


小銭


 麻雀や競馬だって同じだ。元々勝負事に弱い私だから大抵は負け組。その金額はお上に申し訳ないので、ここでは詳しくは書けないが、90円でも100円でもないことだけは確か。今は馬鹿馬鹿しくなって足を洗った競馬に至っては一日で10万、20万負けることも珍しくはなかった。不思議なことに、これも苦にならなかった。「また次があるさ」とあっけらかんとするのだ。ある意味ではこれが勝負事の魔力なのかもしれない。




 こんなことをかみさんが知ったら、恐らく即倒するだろう。何しろ新聞折込みのチラシを見てはデパートのバーゲンを目の色を変えて飛び回り、大根が一本10円、20円安いといっては遠くのスーパーへ。男と女の違いといってしまえばそれまでだが・・・。その女房だって高い車のガソリン代を払い、挙句の果てに帰りに車でもこすれば、世話はない。見方を変えれば、女房は女房で、それを結構楽しんでいるのだ。そんなものかもしれない。

小銭2

 政治の世界では「無駄の排除」を目くらまし?に事業予算の削減に躍起だが、庶民は大なり小なりこんなバカなことをしているのだ。税金の無駄遣いは困るが、人間、大きな目で見れば無駄があるからいいのかもしれない。女房はいつも言う。「お父さんは、お酒やタバコばかりでなく、麻雀や競馬。一生のうちでは家が建つわね」。女房はバカな亭主の行状を先刻ご承知? ともかく俺はけちん坊なのかバカなのか。その両方かもしれない。




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役所言葉と挨拶文

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 茶の間で女房と二人して阿呆面して観ているテレビ。そこに登場する漫才やコントのタレントさん。その内容の受け止め方は人それぞれだろうが、面白いものもあれば、チャンネルを変えたくなるようなものもある。その一方で「タレントさんとは、大変な商売だなあ~」と、すくづく思う。「素人のくせに…」と、おっしゃる方もお出でだろうが、視聴者とは押しなべて、観客と同時に《評論家》なのだ。




 静かなブームと言ってもいい漫才やコントの世界では、次から次へと新しいギャグ(言葉)が生まれては消えてゆく。面白いものには、人、特に子供たちはすぐ反応する。僅か4歳にも満たない孫娘は「アイ ハブ ア ペン…」とか「サイトウさん…」、「私、失敗しないので…」と、真似をする。このギャグが《後世》に残るかどうかは分からない。


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 人それぞれだろうが、私には何十年か前の漫才やコントのギャグを今にして覚えているものがある。花菱アチャコの「アチャ パー」とかコンビの名前は忘れたが、「田園調布に家が建つ」といった漫才ギャグ。「田園調布に…」は、東京の自由ケ丘や、さらに先の田園調布が世に出ようとした時代であった。つまり、東急電鉄が渋谷から神奈川に向けて地下鉄を絡めて電車の路線を伸ばし、当時とすれば画期的な沿線の「田園開発」をした時代であった。その地域の《今》があるのも、その「田園開発」のおかげと言ってもいいだろう。




 若者言葉であれ、商売が絡んだ漫才、コントのギャグであれ言葉はむろん、それを文字にした文章も時代と共に変化していく。でも変わらない、というよりは変えようとしない言葉、文章だってある。例えば役所や会社、団体が発する通知文書。まず、時候の挨拶から始まって「日頃(平素)は…」とお礼の言葉が続き、「さて」で本論へ。その後に「つきましては…」と用件が続く。このパターンは10年、いや30年、40年…と変わらないのだ。
パソコンをたたく手


 このこ忙しい世の中で、決まりきった時候の挨拶や「平素は云々」の決まり文句など捨てて、用件を伝えたらいいのに、と私のようなせっかち人間は考えてしまう。決まりきった通知文書がいかに多いかを物語るように、パソコンで案内通知を作ろうとすると、「前略」または「謹啓」で始まるソフトがあり、最後は何もしなくても「敬具」で結んでくれるのである。せっかちな私のみならず、お若い方なら間違いなく笑ってしまうに違いない。




 文章だけでなく、用語もしかりだ。私は民間のある公な協力機関に関わっているのだが、その公、分かり易く言ってしまえば霞が関から来る連絡文書。その、あっちこっちに出て来る「組織体」という言葉。「組織」で分かるのに、わざわざ「体」を付けるのである。どっちでもいいことだろうが、《役所用語》の一端を彷彿とさせられる。




 恐らく《短絡語》を当たり前に使いつつある若者たちに言わせれば、「オジサンたち、何時までも古臭い言葉を使っているんじゃあねえよ」と、言うだろう。良くも悪くも言葉は時代とともに変化する。漫才やコントのギャグの消長と同じで、定着するか否かは聞く人、使う人が決める。ただ、標準語の名のもとに地方の方言が消えてゆくのは、ちょっと寂しい。(次回へ続く)




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拍手とタイミング

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 ちあきなおみのヒット曲に「喝采」というのがあった。そのイメージからしても、割れるような喝采の拍手は、その場を否応なく盛り上げ、みんなの気持ちを高揚させる相乗効果がある。しかし、拍手には、その時の雰囲気によって躊躇することもあることも確か。




 日常よくある会議の冒頭での挨拶がその一例。素直に拍手を送ってしまえば、何の事はないのだが、そこで、みんなが一瞬ためらうと、会議から拍手が消える。結果は、その会議の雰囲気にも微妙に影響するのだ。人間とは不思議な動物で、ちょっとしたアクションでも、時に際立つことを、ためらうことがあることに気付く。




 拍手をしないのが当たり前?となっているのが仏事での挨拶や関係者のお悔やみの言葉への反応だ。地域によって違いはあるのだろうが、山梨では葬儀・告別式の後、「初七日の法要」を営む習慣がある。この時、喪主の挨拶や個人とゆかりの深い方々の「お悔やみの言葉」があるのだが、参列(会)者は「おときのお膳」を前に、まるで申し合わせたように下を向き神妙な顔つきで話を聞いている。普通といえば普通。でも異様な光景でもある。


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 中には上手いというか、故人を彷彿とさせるような《いい挨拶》がある。私ばかりかも知れないが、そんな時、感動して思わず拍手したくなることがある。でも、拍手しそうになった手を、思わず引っ込め、間が悪い心の内を隠して、周りを見るのだ。私ばかりでなく、そんな経験をお持ちの方もお出でになるに違いない。





 感動したものに拍手を送ることは、仏事、法事に関わる場でも、故人を冒涜することには当たらないのではないか、と思ったりする。むしろ、その方が自然。だが、その場の《なんとなく》の雰囲気が人々の心に「待った」をかけるのだ。




 ある初七日法要の席で、こんなことがあった。おときの席の終わりを告げるタイミングと言っていい親族代表のお礼の言葉が済んだ後、進んでマイクの前に立った喪主(故人の長男)が「オヤジが好きだった歌を歌わせてください」と、自らと個人が卒業した高校の校歌や、「海ゆかば」などの名曲を歌い始めた。




 それまで下を向いていた参列(会)者は、呆気にとられて一斉に顔を上げた。そして、不思議な現象が起きた。誰ともなく手拍子を打ち始め、その手拍子は会場いっぱいに広がった。そこには130人前後がいただろうか。感動したのか、みんなの眼には涙が潤んでいた。そうしながらも手拍子を打ち続けるのだ。参列者は帰り際、答礼する喪主に対して「よかったよ」、「貴方いいことをしたね」と。




 進んでではないが、コンサートを聴きに行くことがある。この時の拍手のタイミング。カーテンコールはいいのだが、曲ごとに送る拍手。元々、音痴人間で、クラッシック音楽に素養があるはずのない私には曲目の終わりがどこか分からない時が多い。拍手を送りたくても送りようがないのだ。どうするかって?誰かの拍手を待って手を叩くのである。もし、演奏が終わったと思い込んで途中で拍手をしようものなら会場は、どっちらけになること必定。ここでも拍手に、ためらう人間は少なからずいるのだ。




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鈍感力

 鈍感力。なぜか深みがあって惹かれる言葉だ。近くは数年前、当時の小泉首相がテレビの中で、ふと漏らしたのを覚えている。多分、自戒を込めて言ったのだろう。元々この言葉の元祖は作家の渡辺淳一。その著書「鈍感力」のズバリのタイトルだ。渡辺淳一は、その著書のキャッチコピーで、こう言っている。

鈍感力



 「些細なことで動じない≪鈍さ≫」こそ、今を生き抜く新しい知恵」



 この人は元々は整形外科医。「光と影」で直木賞を受賞したほか、それを前後して文壇でさまざまな賞を受賞している。異色作家の一人だ。お歳もかなりになるのだろう。私はその作風は好きだが、熟年の恋愛や恋心をリアルに書くものだから、「この助兵衛オヤジ」と悪口を叩く人もいる。でも「鈍感力」は人間が生きていく上で欠かせないかもしれない。


海



 助兵衛云々はともかく、渡辺淳一は「鈍感力」の中で、こんなことを書いている。


 「鈍感力は恋愛においても欠かせません。男が女を口説く時、鈍感であることは有力な武器となる。誠実さに鈍感力、この二つがあれば鬼に金棒・・・」




 なるほど言い得て妙だ。まだ渡辺淳一がこの「鈍感力」を書いていないから仕方がないが、もし私がもっと若い頃、この本に出会い、その極意を教わっていたら、もっと違った人生があったかもしれない。不謹慎? かみさんが年甲斐もなくツノを立てるかも。




 「じゅんいち」「恋愛」と聞くと、字こそ違うがタレントの石田純一を思い出す。渡辺淳一と石田純一。このお二人は、お歳も生業も全く違うのだが、何か共通項を持っている。幾つになっても失おうとしない「恋愛」への心だ。それをしっかり支えているのは「鈍感力」にほかならない。「鈍感力」の裏には必ず「敏感力」が培われているのだろう。


風景  


 石田純一は「鈍感力」を武器にして恋愛を楽しみ、そればかりか「不倫も文化」などとしゃあしゃあと言ってのけるのだ。世のご婦人、奥様方もこれといったバッシングをしないのだから、それ程の嫌悪感を覚えないのだろう。むしろそのキャラクターを当て込んで、クライアントは宣伝イベントにこぞって引っ張り出すのだそうだ。人が言う助兵衛オヤジは、今や奥様方からも人気者なのである。




 小泉元首相が引用した渡辺淳一の「鈍感力」。きっと小泉さんもこの言葉に身につまされたのだろう。政治家、とりわけトップに立たなければならない人達は、この「鈍感力」を身に付けていなければ一日も過ごせまい。あっちからもこっちからも追及、反論と言う名の鉄砲玉が飛んでくる。馬耳東風、馬の耳に念仏、品のない言い方だが「カエルの面に小便」でいなければならないこともあるだろう。「鈍感力」がないからか、自殺に追い込まれた大臣や大物政治家、さらに近くは酒に溺れて不慮の死を遂げた政治家だっている。


海2  


 「鈍感力」の大切さは仲間やご近所、もっと身近な家庭にも言えそう。私たち夫婦に、この「鈍感力」が備わっていたら、日常茶飯事に繰り返される夫婦喧嘩もなくなるだろうに。私たち凡人には「鈍感力」は簡単に身に付きそうもない。ただ我が家では、この夫婦喧嘩がめっきり少なくなった。歳のせいだろうか。考えてみればこれも寂しい。




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醤油の味

醤油
画像:ヤマサ醤油

 「珍しい苗字ですね。どちらのご出身?」



 九州の大分です。元々は岐阜県の郡上八幡。その昔、先祖は稲葉一徹の国替えに従って移り住んだようです」



 「へえ~、そうなんですか。では、世が世だったら・・・」



 「いや、いや。下っ端の家臣だったんでしょう」


 石和温泉郷のリハビリテーション病院で、ムチウチ症のマッサージ・PT(理学療法)治療を受けながら、療法士の先生と、たわいもない会話を交わした。電流も含めたハリ治療は約1時間。首の牽引が10分。PT治療が30分。週に一度のハリを除いて、こちらは2日から3日置きに受けている。首を吊られている牽引の時は話をするすべもないが、それ以外はたわいもない話をするのだ。年恰好から見れば50歳代後半とお見受けした。




 大分と言えば別府温泉のある所ですねえ」



 「私の所は、そことは少し離れていて、ちょっとした醤油の産地として九州では知られた所です。関東の人達には馴染みがないと思いますが、私なんか、こちらの醤油は、どうしても馴染まないんです。味も風味も全く違うからです。山梨に来てもう7年になりますが、醤油だけは今でも大分から取り寄せています。家の女房は栃木県宇都宮。関東の出身です。その女房も同じことを言うのですから、やっぱり歴然と違うのでしょう」

かつおしょうゆ       花嫁      ゴールデン紫      
画像:大分フンドーキン醤油さんから


 「へえ~、同じ醤油でも所変われば、そんなに違うんですかねえ」



 「ある時、関東の大きなメーカーが大分への進出を図ったのですが、失敗に終わりました。人間、長い間慣れ親しんだ味と言うものは、簡単には代えられないんでしょうね。ひとつ大分の舌と言うより九州の舌と言ってもいいかも知れません」



 この理学療法士さんは、こんな話もしてくれた。


 「私は学生時代、関東で寮生活をしました。当然のことながら、そこには全国から学生が集まりますよねえ。そこで何とも驚いたのはです。お正月に食べるアレです。出てくるのは四角というか、長方形の切り餅でした。私達の九州では餅といえば、みんな丸いんです。お正月に飾るお供えの一番上にあるようなアレです。みんなで焼いて食べる時、角切りされた平べったい切り餅がプ~っと膨らむのを見て、不思議でなりませんでした」


四角餅


 逆に私達、関東の人間からすれば、丸い餅など信じられないし、ましてや、その焼き餅がプ~っと膨らむことを想像しただけでも滑稽でしかない。所変われば品変わる。風俗も習慣も、また細かく見れば、日常でさりげなく接している、さまざまなものの形や、人間が味覚として感ずる舌も違うのだ。


丸餅


 醤油ばかりではない。食の味付けひとつとっても関東と関西は、まるで違うと言う。その境はどこなのだろう。わずか一日とはいえ、時の政権を賭けて東西両軍が激しく戦った、あの「天下分け目」の関が原の合戦。その舞台・岐阜県に近い名古屋あたりと言う人もいる。狭い日本。でも、やっぱり広い。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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