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遠方より友

ビアガーデン
ビールで乾杯!


 「カンペイ」「カンペイ」。何度も何度も杯を交わした。懐かしい友、心の通う友と酌み交わす酒はうまい。一人は中国の上海から、一人は千葉県のからやって来た。いずれも奥様をお連れしての来訪で、ニ泊三日、山梨市の我が家で足を休め、夜は和やかにお酒を酌み交わした。中国式の乾杯は酒席を盛り上げてくれる。





 中国からの友は51歳。若い頃、サントリー社に務め、東京や大阪で生活したことがあるというだけあって日本語も上手に話す。今は中国や香港とサントリー社の間にあってウーロン茶の商社活動をしている。一方、千葉からの友は私と同い年の67歳。上海に進出した古河電工の現地法人の社長を昨年引退したばかりの男。この春、私達夫婦の中国行きのきっかけを作ってくれた方だ。現地、上海などを案内してくれたのが一方の中国の友である。



上海
上海・周庄


 この二組の夫婦の案内で上海や蘇州を気ままに歩き、夜は四川料理や広東料理を囲んで、老酒やマオタイ酒で乾杯した。「今度は日本の山梨の我が家でやろう」。そんな約束が実現した。もう永い付き合いの千葉からの友はともかく、中国からの友はわずかな期間の出会い。でも古くからの友人のような気がする。人の心の通いとは不思議なものだ。




 サントリーは、お酒をお飲みになる方々だったら誰でも知っているお酒のメーカー。ウイスキー、ブランディー、ワイン、ビール・・・。ウイスキーは拠点工場の一つに京都の山崎が。「山崎」というブランドもある。さらに昭和40年代には山梨県の南アルプス山麓にある白州町(現北杜市)に新たな拠点を設けた。その「白州」ブランドも定着した。一方、ワインは山梨県に古くから拠点を置いている。その登美の丘ワイナリーは100年の歴史を持つ。双葉町(現甲斐市)の登美丘陵にあって「登美」「登美の丘」「登美の詩」といったブランドも。ビールはキリンやサッポロ、アサヒに比べれば後発だ。


登美の丘サントリーワイナリー
サントリー登美の丘ワイナリーHPから


 そのサントリー登美の丘ワイナリーを訪ねた。案内したというより中国の友がほんの一時期とはいえ携わったこともあるところだから、案内してもらったといった方がいいかもしれない。何年ぶりかにワイン博物館や工場見学をさせていただいたり、肉料理や魚料理を囲んでワインもしこたま戴いた。もちろん真昼間だ。昼間の酒はうまい。眼下に広がる甲府盆地、その向こうに浮かぶ富士山、右手には南アルプス。富士山の反対側には八ヶ岳が。そんなロケーションの中で戴くワインの味はまた格別。杯も進もうというものだ。


ワイナリー食事
登美の丘サントリーワイナリーレストラン「ワインテラス」にて


 広大な登美丘陵を埋め尽くすようなブドウ農場にはまだ小さく青いワイン原料用のブドウが秋の収穫に向け実を膨らます。山梨県を中心としたブドウは棚による栽培方式。しかし、ここではフランスやイタリアなど外国に見られる立ち木栽培を取り入れた農場が目立つ。広大な丘陵に広がる、その栽培様式はヨーロッパを髣髴とさせてくれる。


登美の丘

サントリー 登美の丘ワイナリーHPから


 サントリーの佐治敬三社長(故人)の懐近くにいたこともある、この≪遠方からの友≫は、ワイン博士といってもいい同ワイナリーの所長と和やかに話していた。でも、この男の専門はウーロン茶。我が家でも酒を酌み交わしながらのウーロン茶談義になると目の輝きを変える。そのウーロン茶、いつの間にか私達日本人の生活にしっかり根付いた。


烏龍茶


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小学校の同級会

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 人数こそ少ないが、懐かしい友が顔を揃えた。小学校の同級会である。卒業は昭和30年の春。今はみんな75歳に。世に言う「後期高齢者」になった。机を共にしたクラスメイトは35人。うち集まったのは10人を僅かに割った。数が少ないようだが、実を言うと、35人のうち、9人は既に鬼籍に入り、さらに消息が分からない人もいる。総じて足腰すら弱り始めたこの年齢にしては、まずまずの出席率としておこう。




 私たちが生まれたのは昭和17年の遅生まれと18年の早生まれ。いわゆる戦争真っただ中であった。戦禍を免れ、何人かの疎開組も。そんな仲間たちは卒業を境に、それぞれの«故郷»に帰って行った。卒業を待たずに帰った人もいる。残る仲間は、中学校までは一緒。その後は進路を分け、特に女性は、やがては嫁いで姓や生活の舞台を変えた。みんな散り散りになり、男女を問わず、今も地域に残っているのは僅かに5人。遠くは福岡や香川にいる人も。近隣の市が多いが、東京、埼玉、神奈川、長野など近県在住者も目立つ。




 同級会は何年ぶりだろう。最初は卒業の数年後。まだボコ(子供)の頃で、二度目は35年ぐらい前。その次が10年ぐらい前であったように記憶している。回を重ねる毎に出席者は減少するのは当然か。いずれにしても、みんな久しぶりの再会であった。男性は頭に白いものをいただき、その白いものすらなくそうとしている人も。それぞれが見るからに、いい歳を取った。


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 「戦中」という言葉が代弁するように幼少期は食べるものにも、着るものにも事欠く時代であった。戦後とはいえ、入学時もその延長線上に。やがて日本は復興への槌音を強めて行くのだが、小学中学年までは、まだ「配給物資」などと言う言葉が生きていた。クラスに3~4足の短靴が配給になり、くじ引きで分け合ったこともある。短靴と言えば聞こえはいいが、今考えれば、古い長靴の上部を切り取ったような粗末なものであった。




 女の子の髪の毛には、シラミ(虱)は当たり前。水質しかり、日常の衛生状態が悪かったので男女を問わず、お腹の中に回虫が寄生するのは、これまた当たり前であった。保育園、幼稚園もなかった。小学校でも今のような給食制度はなく、みんな弁当を持って行くのだ。米の「供出」が残っていた時代で、弁当は麦飯。母親は窯の中で上に浮いた麦の部分を出来るだけよけて弁当を作ってくれたものだ。テレビが放送を開始したのが28年。むろん画面が波打つモノクロ。もちろん電話も含め一般家庭にあるはずがない。そんな社会環境であった。


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 同級会の会場となった甲府・湯村温泉郷の甲府富士屋ホテル。宴席にくつろいだ仲間たちは、それぞれの「今」はむろん、そんな昔を偲んで話題は尽きなかった。人間とは不思議で、「その時」が貧しかったり、苦しかったりすればするほど、記憶が鮮明で、それ自体が懐かしさを増幅し、力強さ・不屈の精神に代わるのである。起業し、大きな会社を作り上げた男もいれば、地域でも名だたる篤農家も。郵政業務に貢献、叙勲を受けた者もいる。




 いじめっ子もいれば、いじめられっ子もいた。そんな小学校時代の「あの日あの時」がみんな良き思い出。参会した仲間たちは、子供の頃にタイムスリップ。夜の更けるのも忘れていた。1年生から6年までの担任教師は4人。いずれもすでにこの世を去った。一足先に逝った9人の仲間と共に黙祷を捧げ、ご冥福をお祈りしたことは言うまでもない。




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水差しの水とワイン

★


 講演を終え、楽屋の控え室に戻ってきた茂太(モタ)さんは、なんとなくしょげていた。





 「今日の講演は、どうも、あとひとつ乗りが悪かった。聴いていて、良くなかったでしょう。こういう時は、いつも気分が落ち込むんです」




 「いやいや、そんなことはありませんでしたよ。面白いお話でした」





 「演壇の、あの水差しがお水ではなく、予定通りワインだったら良かったんだが・・・」



ワイン

 若い女子社員が差し出したおしぼりで手や顔を拭った茂太さんは、しばらくは浮かぬ顔だった。茂太さんとは精神科医で作家の斉藤茂太さん。ご存じない方がいるとすれば、あのアララギ派の詩人・斉藤茂吉のご子息と言えば誰でも知っている。「どくとるマンボウ航海記」の北杜夫のお兄さんでもある。何年か前に故人となられた。本来は「しげた」(茂太)とお読みするのだろうが、なぜかファンには「モタさん」で親しまれていた。


斉藤茂太  

 もう30年ぐらい前のことだ。今は取り壊してなくなったが、山梨県庁前にあった県民会館ホールに、このモタさんこと斉藤茂太先生をお迎えして文化講演会を開いた。演題は忘れたが、モタさんは講演前の控え室で、お世話役に充てていた女子社員に「水差しの中身をワインに替えて欲しい」と言ったという。




 「バカ言え。水差しにお酒など入れちゃあいかんよ。モタさん一流の冗談だよ。冗談」



 モタさんの≪要望≫をけげんな顔で伝えて来た女子社員に言った。入れるとすれば赤ではなく、聴衆席からは水と区別がつかない白ワインだが、ハナから冗談と思い込んでいるのだから答えはひとつ。ワインの産地・山梨へのリップサービスくらいに受け止めたのだ。





 そうと鬱が激しいご性格とお見受けした。前の晩、甲府市内のホテルの座敷で懇談の場を持ち、お酒をご一緒した。飲むほどに愉快な先生で、面白い話がポンポン飛び出すのである。その一方で、精神科医らしい人間の心理を突いたこんな話も。




 「私ゃあねえ、プロ野球のセ・パ両リーグの選手を長男、二男、三男と言うように、その位置づけで分析したことがあるんです。そうしたら面白いことが分かりました。九つのポジションの中で、長男がいないポジションがあるんです。どこだと思います?」
 

 「さて・・・」




 セカンドですよ。セカンド。このポジションはショートを含めたサード側にも、またファースト側にも気配りをしなければならない。一般論で言っても、昔から≪長男の甚六≫というように、長男は二男や三男と比べ周りへの気配りがヘタなんですねえ」


野球


 「もうひとつ、人の笑いを誘う商売、つまり、漫才師なども同じ。長男というのはその生い立ちから言って、どちらかと言うと堅物で、無器用。人に笑われるようなことは嫌うのです。その点、二男の場合、上を見たり、下を見たり、いわゆる柔軟性に長けているんです。半面、長男が多い職場は銀行。堅物にはうってつけです」




 一つ一つが長男である自らに置き換えても頷けた。今の歳になったら、水差しの水とワインの機転くらいは利くのだが・・・。少子化が進む日本。一人っ子にも長男と同じことが言えそう。天国のモタさんは何と言っているだろう?




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誕生会と忘年会

料理

 250人くらいがいただろうか。山梨県甲府盆地の東部、御坂山塊の一角にあるゴルフ場のクラブハウス。クマやイノシシ、鹿の料理もあれば飲み物では沖縄の泡盛も。山梨県中小企業中央会の会長職を退いて、今は野にいる方が毎年この時期に開いてくれるパーティーである。自らの誕生会を口実に親しい友を招いての一足早い忘年懇親会だ。昼間は親睦のゴルフをし、パーティーに臨むのだ。私は、腰を痛めてしばらくゴルフをやらないのだが、別のお付き合いから毎年、この催しにお招き頂いている。


花


 ゴルフ場のクラブハウスだからキャパシティーには自ずと限界がある。生い立ちからか経済人が多いが、政治家もいれば、出席者の職種はさまざま。幅広い付き合いの縮図がそこにある。主催者であり、ホスト役でもあるこの人は、冒頭のご挨拶でこんな話をした。





 「私は先頃、82歳の誕生日を迎えた。多くの方々のご協力も頂きながら、食も心を込めてご用意した。存分に楽しんで頂きたい。私は子供の頃から、食べるものは自分ひとりで食べるな、と親から教わった・・・・」



 この人は、言外に分かち合うことの大切さをさらりと話した。もちろん、主催者の挨拶だからそんなことを言うのが狙いではない。が、なぜか「食べるものは自分ひとりで食べるな・・・」という言葉に重い何かを感じた。この人とは歳が一回り以上も違うのだが、私も確かに同じことを親から教えられた。親と言うより大人たちと言った方がいい。ふと自らに置き換えてみた。「俺達は子供達にそんなことを教えただろうか・・・」。


フルーツ


 この時間ならぼつぼつ勤めから帰宅しているはずの娘の顔を思い浮かべた。その世代に今、食べ物を≪分かち合う≫という考えがあるだろうか。飽食の時代と言われる中にあって、分かち合うどころか、食べ物を粗末にすることが平気になった。大人たちも何時しか貧しかった時代を忘れてしまった。そんな事を考えていたら、久しぶりの友がビールグラスを片手に私の前にやって来た。


 「やあ~、ご無沙汰していまして・・・。お元気ですか」



 「あなたが獲ったクマや鹿の肉、ご馳走になっていますよ」




 パーティーは立食形式。主催者が用意してくれた上等の泡盛をストレートで頂きながら話が弾んだ。この人は山梨県の茅が岳山麓に住み、運送業を手広く営む社長さん。狩猟が趣味でその時期には茅が岳や八ヶ岳の山麓一帯で仲間達と鹿やクマ、イノシシなど大物を追う。私は毎年、この人のお相伴に預かって、その獲物に舌鼓を打ちながら旨い酒を飲む。もちろん、この日のパーティーの珍しいご馳走もこの人によるものであることは言うまでもない。


ワイン  


 主催者の人脈は広い。この人のようなハンターもいれば、ワイン会社の社長や酒屋のオヤジもいる。頂いている上等な泡盛も、ご婦人たちが和気合い合いと傾けているワインも、そんな仲間達からの差し入れかも。みんなが言わず語らずに≪分かち合う≫ことを知っている。主催者にとってはむしろ高くつくのは言うまでもないのだが、その分かち合いがみんなの和を作っているように思えた。主催者の隠居は「私は生ある限りこの仲間達とのパーティーは続ける」と挨拶を結んだ。




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友と温泉

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 「秋の陽は釣瓶落とし」とはよく言ったものだ。知らず知らずに日暮れが早くなり、一方で冷え込みすら感ずるようになった。猛暑だの、真夏日だのと言っていた、つい先頃までがウソのよう。衣服も半袖から、長袖へ。それでも足りずに上着も。季節の移ろいは正直だ。街路のイチョウも色づき始めた。




 この時季、湯けむりがよく似合う。我が家にやって来てくれた二人の友を山間(やまあい)の温泉に案内した。甲府盆地の東北部、山梨市の我が家の周辺には〈ひなびた〉温泉がいくつもある。いわゆる温泉郷・温泉街の湯とは、一味も二味も違う。特に露天風呂は周囲の自然と四季折々に融和するから心地いい。




 友を案内したのは、小高い山のてっぺんに近いところにある、その名も「ほったらかし温泉」。我が家から車で10分ちょっと。JR中央線山梨市駅からだと5分足らずの所で、山梨市が第三セクターで造った「フルーツパーク」を自らの庭のようにしたホテルの裏の山道を、ちょっと上った所だ。ホテルの名前はズバリ「フルーツパーク富士屋ホテル」。


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 山を切り開いて作った温泉だから、駐車場も含めた敷地面積も広い。内風呂を一歩外に出ると3つの大きな露天風呂が。もちろん男女は別々。同じような作りになっているのだろう。湯加減はその時季、時季に合わせてくれているから丁度いい。金曜日の夕方だったが、大勢の客で賑わっていた。




 この温泉は眺望ではピカ一。真正面に連なる御坂山塊の上には富士山がポッカリ浮かぶ。その下には甲府盆地の家並みや、ブドウ、桃の果樹地帯がワイドに広がる。少なくとも甲府盆地の3分の1は望めるのだ。陽が落ちれば、家並みの灯りが宝石を一面に振りまいたようにキラキラ光る。あいにく、この日は上空が雲に覆われ、富士は望めなかったものの、下界の甲府盆地は見事な〈宝石〉を見せてくれた。


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 「お~、素晴らしい。こんな眺めのいい温泉は初めて」


 二人は口を揃えた。いずれも«全国区»で異動を強いられる公務員。一人は広島県、一人は長野県の伊那谷出身。ともに組織をリードする立場だ。「山梨はいいですねえ~」。例え、社交辞令にしても自分のことのように嬉しい。郷里のこと、仕事のこと…。まさに裸の付き合い。話は弾んだ。我が田舎家で、もてなし料理を作って待つ女房をよそに時間を忘れた。




 東京、神奈川、千葉、埼玉、静岡…。広い駐車場に並ぶ車は県外ナンバーが多い。旅の雑誌やテレビなどで取り上げられることが多いせいもあるのだろう。フルーツパークを中心に付近一帯は「新三大夜景」に指定され、近年では誰ともなく「恋人の聖地」というようになって、若いカップルのドライブ客も多い。メディアの力は大きい。




 湯上りのビールは旨い。我が家に戻った二人の客を囲んで、夜遅くまで盃を交わし、話が弾んだ。サラリーマンにとって生活環境まで変えなければならない異動は避けて通ることは出来ないし、それが宿命。苦もあるが、見方を変えれば、新しい人との出会い、自然や風俗、習慣に触れるチャンスでもある。職場をリタイアした人間にとっては羨ましくもある。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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