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重箱の隅

お正月_convert_20110105000030


 三が日もあっという間に過ぎた。毎日が日曜日の身とは言え、あっという間に過ぎるお正月に後ろ髪を惹かれる思いがする。子どもの頃とは違って、あのなんとも言えないウキウキした心の持ちようは薄らいだものの、やっぱりお正月の気分はいい。なにか晴れ晴れとしていて爽やかだ。

餅_convert_20110105000359


 心機一転。嫌なことや自分にとって不都合なことは「去年のこと」として忘れようとし、希望を持って新しい年を歩み出す。親しい同級生同士、数年前まで週一回ぐらいのペースで麻雀会を楽しんでいたのだが、いつも負け頭の私なんか、「今年は完敗。来年さ」と成績不良を水に流すのである。M氏も同じようなことを言った。年の瀬とお正月。もっと言うならば大晦日と元日は一晩の違いだが、人の心の持ちようはガラリと変わるのだ。




 ご馳走もお正月に食べればお節(おせち)。もちろん、お節の中身はそれなりの理屈がある。それには重箱を用いたりもする。「重箱の隅を突付く」。お節には関係ないのだが、こんな言葉もある。些細なことまで問題視したり、干渉することを言うのだが、ものは考えようで、「重箱の隅を突付く」ことも意味があるし、突付かれてありがたいこともある。


おせち料理_convert_20110105000523


 何年か前の暮れ、このブログにいつもお出で頂く「柳居子」さんからこんなコメントを頂いたことがある。「傑作の枯露柿」と題して書いた枯露柿作りの記事で無知の上にパソコンに頼りすぎの変換ミスが手伝って「硫黄燻蒸」とするところを「硫黄薫淨」としてしまったのが事の起こり。




 「変換ミスの傑作ともいえます。其れらしく思わす言葉ですが、硫黄が付くとやはりそれで通すのは無理のように思います。おせちの重箱をつつく様なコメントで失礼しました。 (後略)」



 いやいや、どうしてどうして。「重箱の隅をつつく・・・」などととんでもない。当の本人が間違いに気付いていないのだから、指摘を受けなければ、ずっとそのまま。自らの間違いに一瞬ドキッとし、その次には感謝の気持ちに。人の間違いを見てみぬフリをしたり、正そうともしない風潮がある中で自分もかくありたいと思ったりする。

鏡餅_convert_20110105000319


 「柳居子」さんとはブログを通じたインターネット上の知り合い。もちろん面識もない。私もちょいちょい、この方のブログ(柳居子徒然‐楽天ブログ(Blog))にお邪魔するのだが、京都にお住まいで、私と少なからず同年輩のよう。ただ違うのは、すこぶる勉強家で、歯に衣着せぬ言い方をする。だから分かり易くていい。




 その一方で気配りもしてくれる。コメントの中身によって送信を分けるのである。私の無知を気遣ってか、今度のコメントはオープンではない「管理者のみ閲覧」に。だから、それをコピペして、このブログに書いてしまったらお叱りを受けるかもしれない。お屠蘇気分の抜けない人間の戯言とお許し願いたい。


七草粥_convert_20110105000706


 三が日が過ぎて、もう七日正月。七草粥だ。お節も飽きて、さっぱりしたお粥の方がいい。第一、お節の重箱は空っぽになった。突付くものがなくなった。




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恩師のご高説

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 「おい、始まったよ。今年もご高説をお聞きするか・・・」


 「若者風に言えばKY(空気読めない)といったところかねえ・・・」



 母校・日川高校の新年同級会にお招きした恩師のご挨拶が始まると会場のあっちこっちで昔の悪ガキが聞こえよがしに、ぼそぼそ。毎年のことながら、この恩師先生のお話は長い。お話というより授業さながら、黙っていれば、いつまでも続くのである。

新年同窓会_convert_20110108220143


 いつもの年なら恩師先生のお話をお伺いしてから「乾杯」して宴に入るのだが、今年の幹事さん、空気を読んで「先生のご挨拶は宴に入ってからお伺いすることといたしまして」と、まずは乾杯。「それがいい。それがいい」と素直に同調する者もあれば、お屠蘇気分も手伝って「そりゃあまずいよ」と混ぜ返す者もいて和気あいあい。





 この恩師先生は国語の先生。出身は甲府一高だが、「オレは日川のヤツ等が大好きだ」と言って毎年1月2日に日川高校前のすし屋さんで開くこの新年会に欠かさず出席してくれる。88歳・米寿を迎えた。でも教え子の私たちと一回り(12歳)しか違わない。若形で、座敷の真ん中に陣取っていなければ、同級生の一人と言っても分からないほどだ。むしろふけ形の教え子より若く見える。



 お話は毎年、干支のご高説から始まる。無駄口や隣同士、ボソボソ話している者がいようものなら「コレ〇〇、黙って聞け。人の話はちゃんと聞くもんだ」と一喝。乾杯が済んだとはいえ、ここでも幹事さんはヤキモキ。いつものように長くなると、みんなの近況報告の時間がなくなるからだ。お歳をお取りになっても勉強家の先生だからお話そのものは面白い。


日本酒_convert_20110108221308



 幹事のブレーキも手伝ってお話が終わると、仲間たちの近況報告。しかし「人の話はちゃんと聞くもんだ」といっていた恩師先生は、どうやら聞く耳持たぬありさま。新年会と言っても当世車事情からお酒を飲めない仲間たちもいる。私のように差しつ差されつ存分に呑んでしまうものもあれば、ウーロン茶で最後まで通す者も。こんな醒めた仲間の反応は厳しい。


 「先生という稼業はいいよなあ。教え子が幾つになろうと、教え子。オイ、コレが通る。教師を除けばシャバじゃあ考えられんよなあ・・・」



 「そうだよなあ。でも考えてみりゃあ、先生稼業は退職するまで、ざっと40年、全て自分より目下の子ども達相手。父兄がいたって人質を取られた父兄。学校という世界は、他にはない特殊な世界かも知れんよなあ・・・。オレ、生まれ変わったら今度は先生になりてえよ」



 改まって文字にすると角が立ったり、失礼のそしりを免れないが、そこは年に一度の同窓の集まり。感ずるままに言いたい放題もまたいい。みんながつかの間、ざっと60年前の悪ガキ時代に戻り、恩師もその悪ガキたちを教え、戒めた若き先生に戻る。20㌔近い甲府にお住まいのこの先生を送り迎えするのも仲間の中の二人。恩師先生は「オレは生きている限りおまえ達のこの会には出る」と毎年言う。先生も先生。教え子も教え子。言いたい放題言えるのがいい。来年も長~いご高説が聞きたい。いつまでもお元気に、と願うのはわたしばかりではない。




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遠方より友

ビアガーデン
ビールで乾杯!


 「カンペイ」「カンペイ」。何度も何度も杯を交わした。懐かしい友、心の通う友と酌み交わす酒はうまい。一人は中国の上海から、一人は千葉県のからやって来た。いずれも奥様をお連れしての来訪で、ニ泊三日、山梨市の我が家で足を休め、夜は和やかにお酒を酌み交わした。中国式の乾杯は酒席を盛り上げてくれる。





 中国からの友は51歳。若い頃、サントリー社に務め、東京や大阪で生活したことがあるというだけあって日本語も上手に話す。今は中国や香港とサントリー社の間にあってウーロン茶の商社活動をしている。一方、千葉からの友は私と同い年の67歳。上海に進出した古河電工の現地法人の社長を昨年引退したばかりの男。この春、私達夫婦の中国行きのきっかけを作ってくれた方だ。現地、上海などを案内してくれたのが一方の中国の友である。



上海
上海・周庄


 この二組の夫婦の案内で上海や蘇州を気ままに歩き、夜は四川料理や広東料理を囲んで、老酒やマオタイ酒で乾杯した。「今度は日本の山梨の我が家でやろう」。そんな約束が実現した。もう永い付き合いの千葉からの友はともかく、中国からの友はわずかな期間の出会い。でも古くからの友人のような気がする。人の心の通いとは不思議なものだ。




 サントリーは、お酒をお飲みになる方々だったら誰でも知っているお酒のメーカー。ウイスキー、ブランディー、ワイン、ビール・・・。ウイスキーは拠点工場の一つに京都の山崎が。「山崎」というブランドもある。さらに昭和40年代には山梨県の南アルプス山麓にある白州町(現北杜市)に新たな拠点を設けた。その「白州」ブランドも定着した。一方、ワインは山梨県に古くから拠点を置いている。その登美の丘ワイナリーは100年の歴史を持つ。双葉町(現甲斐市)の登美丘陵にあって「登美」「登美の丘」「登美の詩」といったブランドも。ビールはキリンやサッポロ、アサヒに比べれば後発だ。


登美の丘サントリーワイナリー
サントリー登美の丘ワイナリーHPから


 そのサントリー登美の丘ワイナリーを訪ねた。案内したというより中国の友がほんの一時期とはいえ携わったこともあるところだから、案内してもらったといった方がいいかもしれない。何年ぶりかにワイン博物館や工場見学をさせていただいたり、肉料理や魚料理を囲んでワインもしこたま戴いた。もちろん真昼間だ。昼間の酒はうまい。眼下に広がる甲府盆地、その向こうに浮かぶ富士山、右手には南アルプス。富士山の反対側には八ヶ岳が。そんなロケーションの中で戴くワインの味はまた格別。杯も進もうというものだ。


ワイナリー食事
登美の丘サントリーワイナリーレストラン「ワインテラス」にて


 広大な登美丘陵を埋め尽くすようなブドウ農場にはまだ小さく青いワイン原料用のブドウが秋の収穫に向け実を膨らます。山梨県を中心としたブドウは棚による栽培方式。しかし、ここではフランスやイタリアなど外国に見られる立ち木栽培を取り入れた農場が目立つ。広大な丘陵に広がる、その栽培様式はヨーロッパを髣髴とさせてくれる。


登美の丘

サントリー 登美の丘ワイナリーHPから


 サントリーの佐治敬三社長(故人)の懐近くにいたこともある、この≪遠方からの友≫は、ワイン博士といってもいい同ワイナリーの所長と和やかに話していた。でも、この男の専門はウーロン茶。我が家でも酒を酌み交わしながらのウーロン茶談義になると目の輝きを変える。そのウーロン茶、いつの間にか私達日本人の生活にしっかり根付いた。


烏龍茶


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小学校の同級会

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 人数こそ少ないが、懐かしい友が顔を揃えた。小学校の同級会である。卒業は昭和30年の春。今はみんな75歳に。世に言う「後期高齢者」になった。机を共にしたクラスメイトは35人。うち集まったのは10人を僅かに割った。数が少ないようだが、実を言うと、35人のうち、9人は既に鬼籍に入り、さらに消息が分からない人もいる。総じて足腰すら弱り始めたこの年齢にしては、まずまずの出席率としておこう。




 私たちが生まれたのは昭和17年の遅生まれと18年の早生まれ。いわゆる戦争真っただ中であった。戦禍を免れ、何人かの疎開組も。そんな仲間たちは卒業を境に、それぞれの«故郷»に帰って行った。卒業を待たずに帰った人もいる。残る仲間は、中学校までは一緒。その後は進路を分け、特に女性は、やがては嫁いで姓や生活の舞台を変えた。みんな散り散りになり、男女を問わず、今も地域に残っているのは僅かに5人。遠くは福岡や香川にいる人も。近隣の市が多いが、東京、埼玉、神奈川、長野など近県在住者も目立つ。




 同級会は何年ぶりだろう。最初は卒業の数年後。まだボコ(子供)の頃で、二度目は35年ぐらい前。その次が10年ぐらい前であったように記憶している。回を重ねる毎に出席者は減少するのは当然か。いずれにしても、みんな久しぶりの再会であった。男性は頭に白いものをいただき、その白いものすらなくそうとしている人も。それぞれが見るからに、いい歳を取った。


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 「戦中」という言葉が代弁するように幼少期は食べるものにも、着るものにも事欠く時代であった。戦後とはいえ、入学時もその延長線上に。やがて日本は復興への槌音を強めて行くのだが、小学中学年までは、まだ「配給物資」などと言う言葉が生きていた。クラスに3~4足の短靴が配給になり、くじ引きで分け合ったこともある。短靴と言えば聞こえはいいが、今考えれば、古い長靴の上部を切り取ったような粗末なものであった。




 女の子の髪の毛には、シラミ(虱)は当たり前。水質しかり、日常の衛生状態が悪かったので男女を問わず、お腹の中に回虫が寄生するのは、これまた当たり前であった。保育園、幼稚園もなかった。小学校でも今のような給食制度はなく、みんな弁当を持って行くのだ。米の「供出」が残っていた時代で、弁当は麦飯。母親は窯の中で上に浮いた麦の部分を出来るだけよけて弁当を作ってくれたものだ。テレビが放送を開始したのが28年。むろん画面が波打つモノクロ。もちろん電話も含め一般家庭にあるはずがない。そんな社会環境であった。


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 同級会の会場となった甲府・湯村温泉郷の甲府富士屋ホテル。宴席にくつろいだ仲間たちは、それぞれの「今」はむろん、そんな昔を偲んで話題は尽きなかった。人間とは不思議で、「その時」が貧しかったり、苦しかったりすればするほど、記憶が鮮明で、それ自体が懐かしさを増幅し、力強さ・不屈の精神に代わるのである。起業し、大きな会社を作り上げた男もいれば、地域でも名だたる篤農家も。郵政業務に貢献、叙勲を受けた者もいる。




 いじめっ子もいれば、いじめられっ子もいた。そんな小学校時代の「あの日あの時」がみんな良き思い出。参会した仲間たちは、子供の頃にタイムスリップ。夜の更けるのも忘れていた。1年生から6年までの担任教師は4人。いずれもすでにこの世を去った。一足先に逝った9人の仲間と共に黙祷を捧げ、ご冥福をお祈りしたことは言うまでもない。




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水差しの水とワイン

★


 講演を終え、楽屋の控え室に戻ってきた茂太(モタ)さんは、なんとなくしょげていた。





 「今日の講演は、どうも、あとひとつ乗りが悪かった。聴いていて、良くなかったでしょう。こういう時は、いつも気分が落ち込むんです」




 「いやいや、そんなことはありませんでしたよ。面白いお話でした」





 「演壇の、あの水差しがお水ではなく、予定通りワインだったら良かったんだが・・・」



ワイン

 若い女子社員が差し出したおしぼりで手や顔を拭った茂太さんは、しばらくは浮かぬ顔だった。茂太さんとは精神科医で作家の斉藤茂太さん。ご存じない方がいるとすれば、あのアララギ派の詩人・斉藤茂吉のご子息と言えば誰でも知っている。「どくとるマンボウ航海記」の北杜夫のお兄さんでもある。何年か前に故人となられた。本来は「しげた」(茂太)とお読みするのだろうが、なぜかファンには「モタさん」で親しまれていた。


斉藤茂太  

 もう30年ぐらい前のことだ。今は取り壊してなくなったが、山梨県庁前にあった県民会館ホールに、このモタさんこと斉藤茂太先生をお迎えして文化講演会を開いた。演題は忘れたが、モタさんは講演前の控え室で、お世話役に充てていた女子社員に「水差しの中身をワインに替えて欲しい」と言ったという。




 「バカ言え。水差しにお酒など入れちゃあいかんよ。モタさん一流の冗談だよ。冗談」



 モタさんの≪要望≫をけげんな顔で伝えて来た女子社員に言った。入れるとすれば赤ではなく、聴衆席からは水と区別がつかない白ワインだが、ハナから冗談と思い込んでいるのだから答えはひとつ。ワインの産地・山梨へのリップサービスくらいに受け止めたのだ。





 そうと鬱が激しいご性格とお見受けした。前の晩、甲府市内のホテルの座敷で懇談の場を持ち、お酒をご一緒した。飲むほどに愉快な先生で、面白い話がポンポン飛び出すのである。その一方で、精神科医らしい人間の心理を突いたこんな話も。




 「私ゃあねえ、プロ野球のセ・パ両リーグの選手を長男、二男、三男と言うように、その位置づけで分析したことがあるんです。そうしたら面白いことが分かりました。九つのポジションの中で、長男がいないポジションがあるんです。どこだと思います?」
 

 「さて・・・」




 セカンドですよ。セカンド。このポジションはショートを含めたサード側にも、またファースト側にも気配りをしなければならない。一般論で言っても、昔から≪長男の甚六≫というように、長男は二男や三男と比べ周りへの気配りがヘタなんですねえ」


野球


 「もうひとつ、人の笑いを誘う商売、つまり、漫才師なども同じ。長男というのはその生い立ちから言って、どちらかと言うと堅物で、無器用。人に笑われるようなことは嫌うのです。その点、二男の場合、上を見たり、下を見たり、いわゆる柔軟性に長けているんです。半面、長男が多い職場は銀行。堅物にはうってつけです」




 一つ一つが長男である自らに置き換えても頷けた。今の歳になったら、水差しの水とワインの機転くらいは利くのだが・・・。少子化が進む日本。一人っ子にも長男と同じことが言えそう。天国のモタさんは何と言っているだろう?




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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