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左手一本のシュート

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 時の経つのは早い。日本中を騒然とさせた、あの東日本大震災からもう9年。しかし、震災、特にあの化け物のような津波が残した爪痕は、あまりにも大きく、傷は癒えていない。津波は深刻な原発事故まで誘発。未だに生まれ故郷に戻れない人たちも多いのだ。そんな恐怖の震災9か月前の20106月、富士山麓の山梨県富士吉田市にある鐘山総合体育館で、人々の心を和ませ、勇気づける感動のドラマが生まれていた。



同体育館では全国総合体育大会(インターハイ)のバスケットボール山梨県予選が。そこで脳性出血で利き腕の機能を失くした選手が鮮やかな「左手一本のシュート」を決めたのだ。人々を勇気づける、この出来事は当時、新聞でも取り上げられ、大きな反響を呼んだ。


 シュート3

2010年6月、高校の公式戦に初出場し、いきなり左手一本でシュートを決める田中正幸さん=山梨県富士吉田市の鐘山総合体育館、河合博司撮影
2010年6月、高校の公式戦に初出場し、いきなり左手一本でシュートを決める田中正幸さん=山梨県富士吉田市の鐘山総合体育館、河合博司撮影

障害を乗り越えて高校の公式戦に初出場、左手でシュートを決める田中正幸さん(右)
=河合博司氏撮影


 
 この選手は山梨県立日川高等学校3年生のバスケットボール部員・田中正幸君。当時18歳。中学時代は1試合で30点以上の得点を挙げたことのある名選手だった。むろん、県選抜選手としても活躍。しかし、高校に入学する3日前、誰もが予期せぬ出来事が。自らの希望で事前参加した同校の遠征試合先で、脳内出血で倒れてしまったのである。





でも、強かった。10日間にも及んだ昏睡状態から、奇跡的に生還。苦しいリハビリを乗り越えて1年後、同校に復学。しかし、右半身に麻痺が残り、利き手の右腕は使えなかった。それでもバスケットボールを諦めず、後輩の指導など部活をサポートする一方で、後輩たちの練習の合間を見てはシュートの練習を黙々と続けていた



「左手一本のシュート」は、そんなひた向きな努力と根性から生まれたものだ。田中君の後ろ姿に感動した仲間たちは「何とか田中君を公式戦に…」と図った。障害を負った一人の少年のバスケットボールへの執念にも似た飽くなき情熱と仲間たちが育んだ友情は、燃ゆる青春のドラマを紡いだ。





「『左手一本のシュート』がテレビでドラマ化されたんです」

そう教えてくれたのは日川高校のM教諭。監督でもなければ部長でもない。当時の教科・クラス担任である。よほど嬉しかったのだろう。恩師とは有り難いものだ。当時のバスケットボール部の仲間たちや監督、コーチの喜びようも想像に難くない。どんな苦労や困難も言葉で言うのは易しい。でも、それを乗り越えようと必死に闘う姿は、確実に周りにいる人たちを感動させ、元気づける。言葉には言い表せない「魔力」にも似た力を持っているのだ。


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田中正幸さんを演じる中川大志さん(左)と田中さん
=TBS・HPから


テレビドラマは314日夜9時からBS-TBSで、同局の開局記念番組として放送された。ロケは同校でも行われている。田中君役は映画やテレビドラマ、CMで活躍中の中川大志。母親役には永作博美が。2時間のドラマだ






最近、いわゆるマイナースポーツが脚光を浴びたり、見直される動きが。嬉しいことだ。昨年、日本中を沸かせたラグビーワールドカップは、日本中を熱狂させ、米プロバスケットボール・NBAでの八村塁選手の活躍は日本のバスケットボールフアンに期待と夢をもたらした。「左手一本のシュート」も同じで、障害を持つ人たちのみならず、多くの人々を元気づけた。ドラマの主役となった田中さんは今、28歳。都内の建設会社で活躍中だという。






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平等なのは「時間」だけ?

  空


 「唯一、本当の意味で平等なのは時間だけとちがうかな」(「ナニワ金融道」青木雄二=1945-2003=漫画家)




 毎朝読む新聞(山梨日日)の1面の片隅に「今日の言葉」という欄があって、その3面に識者が書いた≪解説≫が載っている。青木雄二の「今日の言葉」は数日前の掲載だが、その解説を小説家の阿川大樹は、こう綴っている。




 「生まれながらに与えられたものも、生きているうちに得られるものも、決して平等ではない。そんなのは不公平だと憤っても、平等なものに変えることなど誰も出来ない。幸福な人にも不幸な人にも時間は同じように与えられ、同じように流れている。そして、その時間をどう使うかを決める自由がすべての人に平等に与えられている。どんな境遇にあろうと、それぞれ瞬間を生きて、それを続けなければならないことに変わりはない」



 確かにそうだ。「人間、みんな平等だ」とか「平等でなければいかん」と叫んでみたところで、所詮はしょうがない。阿川が言うように、唯一与えられた「平等の時間」をどう使うかだ。考えてみれば、この「平等に与えられた時間」だって人間、一生というスパンで考えれば、これまた違う。100歳を超えるまで長生きする人もいれば、若くして命を落とす人もいる。せんじ詰めれば、この世の中に「平等」などと言うものはない、と言ってもいい。




 先日、親しい友が逝った。私より2つ下の74歳だった。ユネスコ活動を通じた50数年来の友であった。そんな仲間が9組。今でも毎月1回、奥さんを同伴で食事会を開き、飲食を共にしながら交友を温めている。




 突然、といってもいい別れだった。彼は行政マンで、最後は山梨県庁の局長まで上り詰めた努力家。定年退職後は家業でもある桃、ブドウなど果樹栽培に熱心に取り組んでいた。




 「オレねえ。肺癌だって。レベルは2~3。薬剤師の娘の勧めで、当面はサプリによる治療をするつもりさ…」




 ショックを隠して半ばアッケラカーンと話した。7月5日の食事会の席でのこと。それから20日後、心臓の具合が悪くなり、突然、入院。病院に見舞うと「体調を整えて、心臓の細くなった血管にバルーンを入れる手術をするのだそうだ」と、酸素マスクを外して、こともなげに言った。あとで考えれば、いい顔を見せたかったのかも知れない。病室がナースセンターの脇だったことも気になった。




 まさかの訃報が届いたのはそれから20日足らず。入院から、ちょうど1か月目の8月25日。死因は心不全だった。自宅に弔問に駆け付けた時、冷たくなった友は、むろん何も言わなかった。狐につままれたような友の突然の死は、今も信じることが出来ない。




 9月5日。定例の食事会。冒頭、みんなで黙祷を捧げ、あっけない別れを改めて惜しんだ。幹事役の私は、生前の交遊に涙ながらお礼の言葉を述べた奥さんに、また、同席の皆に「あの世に言った人間は二度とこの世に戻らない。今を生きる仲間たちが元気で精いっぱい頑張ることが大事だ」と言った。人間に与えられた時間も、やっぱり平等ではない。




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「不自由と不幸は違う」

風景


 「私は(目が)不自由だけど、不幸じゃあない。そんなことを思ったことは一度もありません」



 この人は、はっきりとこう言い切った。その顔は極めて明るく、その話し方はあっけらか~んとしていた。甲府市で鍼灸マッサージの治療院を開業している先生。今は59歳のお歳だが、27歳の時、突然襲った目の病で光を失った。失明である。そのいきさつを話してくれたことがある。


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 「その頃、私も、どこにでもいるようなサラリーマンでした。仕事、仕事で夢中に毎日を過ごしていました。ところが、ある日を境に目がかすむようになり、医者の診察を受けたのです。医師の診察結果を聞いた時、頭の中が真っ白になりました。『残念だが、あなたの目は光を失う』と言うのです」


光1  

 その病気、症状から治療するすべがないと言うのだ。完全失明を宣告されたのである。この人の、その時の驚き、これから先への不安と言いようのない暗闇への恐怖・・・。心のありようは手に取るように分かるし、察するに余りある。「もし、自分がその立場にいたら・・・」と考えると、同情以上のものを禁じ得なかった。




 この人は強かった。もちろん動転したという。しかし、動転などしている余裕はなかった。時間がない。われに返った時、それまで夢中でやって来た仕事と会社に決別、やはり甲府市内にある県立の盲学校の門を叩いた。これからの人生の活路を鍼灸マッサージの仕事に求めたのだ。少しでも光があるうちに勉強しなければならなかったという。


光

 鍼灸マッサージ治療院を開業して30年を超えた。甲府に住んでいた時分、ギックリ腰による腰痛や四十肩、五十肩で悩んだ時、随分お世話になった。なぜか息が合う。先生というより友達のような真柄である。山梨市の実家に引っ込んでしまったこともあって、しばらくご無沙汰気味。甲府に出た折に治療方々、覗いてみた。元気で頑張っていた。




 面白いと言ったら言葉が適当ではないかもしれないが、この人は治療室の隣にある居間のテレビをいつもつけている。もちろんテレビなんか見っこない。音を聞きながら仕事をするのだ。ニュースであれ、バラエティー番組であれ、≪見える≫のだという。




 「私は言葉さえ発してくれれば、みんな見えるんです。歌手であれ、タレントさんであれ、30年ちょっと前までの人だったらまぶたの裏にあります。若い方々は分かりませんが、それでも声を聞けば、私なりに、その表情まで想像できるんです。富士山の積雪やダイヤモンド富士が話題になれば、その光景も、またやがて来るお花見だって、分かりますよ。目の見える人より、想像力は豊かですから、場合によっては普通の人が見えないものまで見えるかもしれませんね・・・」


富士山

 あっけらか~んと、しかも事も無げに言う。「障害を不幸だとは思わない」と言い切る。この先生の方が目の見えるはずの私達よりはるかに周囲が見え人の心も見えているのかも。




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人生への扉

風景



 晩酌をしながらテレビを見ていたら野村克也元楽天監督が、その選手たちに言った「心が変われば人生が変わる」という言葉が引き合いに出されていた。その話のコーデネーターをしていたのは松岡修造。プロテニスの元アスリートだった。野村元監督も野球という世界のいわばアスリートなのだ。「心が変われば・・・」。人間、誰もが大なり小なりこの言葉を言われたり、噛み締めたりしたことがあるはずだ。親から、先生から、時には先輩から・・・。多くは戒めの言葉であり、野村監督が選手たちに言ったように、ある意味、叱咤激励であったり、しごきの言葉であったかもしれない。



選手



 実は私もこの言葉が好き。好きというより、只でもズボラで体たらくな自らの戒めにしている。こうしてパソコンを叩く机の脇に張り紙しているのだ。「お前のようなヤツには絶対この言葉が必要」と思ったのだろう。親しい友がプリントして持って来てくれた。表題は「人生への扉」。誰が考え、誰が作ったかは分からないが、うまい事を言ったものだ。




    心が変われば、態度が変わる
  態度が変われば、行動が変わる
  行動が変われば、習慣が変わる
  習慣が変われば、人格が変わる
  人格が変われば、運命が変わる
  運命が変われば、人生が変わる



 


 そのプロセスはともかく「心が変われば、人生が変わる」。まさに言い得て妙。誰だってこれに反論は出来まい。しかし、簡単に行動に移せないのが人間かもしれない。その大切さはみんな分かる。私なんか壁に張り紙しながらも、一向にそれがちっとも実現出来ないばかりか、近づく事すら出来ないのだ。家庭という一番小さな社会にあっても、心が変わらないから毎日の生活態度も変わらない。だから行動も変わらないし、習慣も変わらない。そんなヤツに人格が変わるはずがないし、運命も、ましてや人生も切り開いていけっこない。ふがいない自分にうんざりする。



人生への扉


 勝負や記録に挑むアスリートたち。過酷ともいえる訓練にも耐える。人の意見、忠告にも真摯に耳を傾け自戒もする。それをバネに次への挑戦もする。それがその人の運命を変え、人生を変えるのだろう。そのこと自体は私のような凡人でも分かる。肝心なのは、それが出来るか出来ないかだ。凡人と非凡のその差がそれぞれの人生の、また運命の差として表れるのかもしれない。


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 同じテレビの番組で、電卓の全国大会に臥薪嘗胆、挑む女子高校生クラブを取り上げていた。顧問教師や厳しい臨時コーチの指導に涙ながら食いついて行く女子高生達の姿に感動した。わずか16~7歳の女の子。すごい。その技術もさることながら、その精神力に脱帽した。なんでもそうだ。本気にやる気になれば、人間、びっくりするようなことまでやってのけ、到達するものだと。いい歳をしたオジサンが女子高生に改めて教えられた。




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去来する友の在りし日

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 祭壇の上でほほ笑む同級生の遺影に手を合わせながら、在りし日の思い出が走馬灯のように去来した。同級生と言っても机を並べたのは中学生時代の一時期。卒業後、二人は普通高校と工業高校とに進路を分けた。当然のように二人の交流は、ほとんどなくなった。生活の舞台が違ってしまったのだから、当たり前と言えば、当たり前。




 それから、かなりの年月が経った。若いと言っても、恐らく40歳も半ばを迎えようとしていた頃だろう。誰とはなしの発案で、同級会が開かれた。250人近くいた学年の3分の1ぐらいの仲間が集まっていただろうか。隣に座っていたT子さんが、囁くように、こんなことを言った。




 「今、遅れて入って来たS君、あなたと仲良しだったわよね。きっと、ここに来ると思うけど、私、びっくりしたの。就活中の娘が受験したいという会社のパンフレットを持って来たのよ。『どれどれ…』とばかり、その会社案内を開いたら、従業員800人を率いるIT企業の社長としてS君の挨拶文が載っているじゃあない。写真があったからすぐ分かったわ」


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 向かい側に座ったので否応なしに目が合い、オレのお膳の前に。「お久しぶり。ご無沙汰しっ放しで…」。しばらく酒を酌み交わした後「ここ、そっと抜け出せないか?オレ、おまえに相談したいことがあるんだよ」と。連れて行かれた先は、彼が予め用意しておいたという、山梨市では名のある割烹料理屋の座敷だった。車は当時とすれば珍しいベンツ。




 「何だ。かしこまって相談とは?」


 「ズバリ言わせてもらうけど、お前に、うちの会社に来てもらいたいのだよ…」


 「バカいえよ。オレはお前と違って、しがないマスコミ人間。IT の世界に縁もなければ、金を使うことは知っていても、稼ぐことを知らない世界に生きている人間。そんな人間を引き込んだら、お前の会社、潰しちゃうぞ。お前が従業員800人もの企業を作り上げたことは、さっき聞いた」


 「そう言うと思ったよ。でもねえ、技術は技術屋に任せればいいし、営業は営業に委ねるさ。お前には、これまでの経験を生かした総括、つまり、何でも言いたい放題、気付いたことを言ってもらう、いわばオレに限らず、会社にとっても重要な相談役だよ」




 お断りしたことは言うまでもない。彼は言った。会社が時流に乗って急成長したとは言え、時代感覚を見失ったら「明日」すらない業界であること、何よりもトップにいる自分が«孤独»であることや周りとは対照的に自らが«高卒»という潜在する«ひがみ»も打ち明けた。




 「バカ言えよ。トップが孤独であることなんか世の常。学歴?韓国じゃあるまいし、今の世の中は実力の世界だよ。自信を持ってバンバンやりゃあいいじゃないか」


 こんなことがきっかけで二人は昔の友に戻った。オーナー会社であるが故の悩みか、身内の後継がいなくて、会社を身売りするハメになったこと、そこから生じた何十億円もの資産の処理など、何でも腹を割って相談して来た。しがないオレに応えられるはずがない。一見、恵まれた人間にもオレのような貧乏人には分からない悩みはあるものだと思い知った。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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