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空っ風とかかあ天下

風景
 立春。二十四節気の一つ、この立春が過ぎたとは言え、いつもの年だと今頃は空っ風が吹き、寒い日が続く。それほどの量ではないにしても雪さえ降る。立春は暦の上のことで、一年中でも最も寒い時期のはずだ。ところがどうだ。立春を前後して、富士山麓地方はともかく、山梨県の甲府盆地は連日、3月中旬並みのバカ陽気が続いている。今日あたりの風は空っ風と言うより、春一番といった感じだ。テレビやラジオによれば山梨だけではない。




 いったい、どうなってるの?これも地球温暖化のせい?などと、しがない私が心配しても仕方のないことだが、やっぱりヘンだ。ハウス栽培は別にして、露地栽培の桃や葡萄、サクランボを作る果樹農家は、木作りのための剪定作業の真っ盛りだが、みんなこの天気の受け止め方は複雑。

桃

 天気がいいから作業は楽だし、はかどる。半面、このバカ陽気につられて果樹の芽吹きが必要以上に早まったら・・・。このままずっと暖かくなるのだったらいいのだが、寒さが戻り、さらに春先の遅霜にでも見舞われたら、柔らかい桃や葡萄の芽はひとたまりもない。農家は確実に大きなダメージを受けることになるのだ。




 ただ、このバカ陽気、ハウスの園芸農家にとっては好都合だろう。一時は、その高騰に泣いた重油の削減にも繋がるからだ。この地方でこのところ急速に産地化が進むサクランボは、わが国の一大産地・山形との時期的な差別化を狙ったものであり、桃や葡萄も出荷時期を早めて、付加価値を付けようというもの。しかし、栽培面積では露地ものの方が圧倒的に多いから、その年の天候は、その成否の鍵を握るのである。

サクランボ


 空っ風。山梨や群馬など内陸地方特有の気象現象だが、山梨で見ている限り、近年、この空っ風がめっきり減った。減ったと言うより、空っ風らしい空っ風が吹かなくなった。私たちが子どもの頃は、毎晩のように雨戸をガタガタ音を立てて揺さぶるほど吹きまくり、人々を寒さで震え上がらせたものだ。




 そんな山梨では、今も「甲州名物かかあ天下に空っ風」という言葉が残っている。上州といわれる群馬でも同じだ。なぜか、この「空っ風」に「かかあ天下」がくっついているのである。そこには同じような気象を生む内陸型の立地条件と、その立地条件がもたらした共通した生活形態があったからのように思う。




 養蚕である。かつて、わが国農業の基幹をなした米麦に加え、この地方では副業としての養蚕が大きく発達した。特に山つき地帯が多い地域では、こぞって桑を植え、蚕を飼った。蚕に「お」と「さん」をつけ「お蚕さん」と人々は言った。そのことからも、この養蚕が農家の生計に大きな影響を与えたことは確かだろう。


繭  

 その養蚕を名実共に担ったのが、甲州や上州のおかあちゃんたち。だから、この地方のおかあちゃんたちの一家における発言力も強かったのだろう。今の、いわゆる、かかあ天下、つまり、むやみに亭主を尻に敷くおかあちゃんとは根本的に違うのである。こんなことを言ったら、世のおかあちゃんたちから袋叩きに遭うかもしれないが、これホント。




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氷雨と炭

 未明からの雪が止んで、今度は雨。その雨は淡い雪を徐々に消して、降るとでもなく、止むともなく降り続いている。この時期の雨は独特だ。すっかり葉っぱを落として裸になった木々。茶色の絨毯のように周りに散った落ち葉の上の雪も溶かしていく。秋雨や春雨とは明らかに違う。ましてや五月雨をやだ。いかにも寒々しい。これを氷雨というのだろう。


枯れ葉

 「氷雨」。数々の歌にもなっている。秋雨や春雨にはない人々の感傷を綴るのにふさわしいのかも知れない。「飲ませてください もう一度・・・」で始まる日野美歌の「氷雨」。もちろん、その歌詞はこんな田舎を舞台にしたものではないが、雨の降りようはいかにもぴったりだ。かつて日野美歌の「氷雨」は黒人歌手のジェロが歌って、さらにヒット。これがスターダムへのステップとなってジェロはあの歌謡テレビ番組「紅白歌合戦」にも登場した。でも最近は、すっかり茶の間のテレビに姿を見せなくなった。 


ジェロ



 辞典によれば、氷雨は、空から降ってくる氷の粒のこと、また冬の季節に降る冷たい雨のことを言う。気象学的には、氷の粒の直径が5ミリ以上を雹(ひょう)5ミリ未満のものを霰(あられ)と言うのだそうだ。ご存知、雹や霰はこの時期・冬には降らない。夏の時期だ。昨年は、この地方一帯の果樹地帯で「いたずら」をし、桃や葡萄に大きな被害をもたらした。突然のようにカタカタと屋根を叩いたり、アスファルトの道路をカラコロと転がるあの氷の粒。だから氷雨は夏と冬の季語。俳句をおやりの方ならご存知だろう。





 氷雨降る、こんな日は畑仕事だって出来ないし、外に出ることすら億劫になる。炬燵に入って、みかんでも食べながらテレビでも見るに限る。我が家の炬燵は掘り炬燵。床をくり貫いて腰掛式になっている。炭から電気に変わって久しい。スイッチ一つで暖かくしてくれるのだから電気炬燵は便利だが、よく考えてみれば、炭のあのぬくもりは忘れられない。


コタツ


 氷雨は人を感傷的にするのか、ふと子供の頃を思い出した。台所が今のように電気やガスではなく、薪を使っていた、いわゆる「かまど」の頃のことである。そこから出る「オキ」を火種にし、そこに乗せた炭火が炬燵の暖房の主流だった。その暖かさは単なるぬくもりだけでなく、そのぬくもりを持続させた。





 しっとりとした暖かさで、なぜか電気のように乾燥する感じはなく、炬燵で転寝しても不思議な事に風邪を引かなかった。科学的な根拠があるわけでもないし、ただの「感じ」でしかないが、電気と炭は歴然と違うのである。



雪


 とにかく、氷雨や雪、空っ風が吹く冬の時期、この地方のどの家庭にもこの炭があった。しかし、時代の変化は人々の頭から炭を忘れさせて久しい。山間僻地の貧しい生活の生業(なりわい)を象徴するような炭焼きは、今では人のゆとりを表すような趣味にイメージを変えた。人々の貧しい食生活の一部だった「おやき」が観光土産品に変わったように、炭はぜいたく品になってしまったのである。


夕暮れ

 冷たい氷雨が降る夕暮れ、コートの襟を立てて入る焼き鳥屋やおでん屋。そこでの炭は店の売り物にもなっているのである。そんな所で飲む酒はなぜか、体ばかりではなく、心をも暖かくしてくれる。





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水利権

川
 地球はどうなってしまうのだろう。相次ぐ台風は大量の雨を降らせ、日本列島の河川を各地で反乱させ、甚大な被害をもたらした。ここでは、そのことはさておいて、日常の川のお話。

 
「川」という字は「鳥」などと共に象形文字の典型。大きな「河」と違って、山間の、のどかで、素朴な流れを髣髴とさせ、街の中や田園地帯をひっそり流れる「せぎ」や「小川」をも連想させる。「川の字に寝る」という言葉もあって、字の形がかもし出すイメージは穏やかな日常そのものだ。





 しかし、その川が知らず知らずのうちに変わってしまった。どの川も水量を減らした。そればかりならまだいい。川は汚れる一方だ。洗剤などを多く含んだ家庭雑廃水や工場廃水が川を汚す。工場廃水のたれ流しは法的規制もあって、さすがに減っているが、下水道化が遅れている地方では、どうしても家庭の雑廃水が流れ込む。





 昔は地方へ行けばいくほど、田舎へ行けばいくほど、川を大事にした。川は人々の生活の生命線だったからだ。人はそこで食卓に上る野菜を洗い、顔や食器まで洗った。だから、みんなが川を大事にした。川自体も自浄能力が強く「3尺流れればお水神様が清める」とまで言った。


川2


 無邪気な子どもが川に向かって小便でもしようものなら、大人たちは「おちんちんが曲がるぞ」といって、戒めたものである。ところが、今は子どもを戒めるはずの大人が平気で川に立小便をし、お母さん達は台所の野菜くずを川に捨てる。川をゴミ捨て場と勘違いしていると思えるような若いお母さんさえいる。





 川自体の水量も減った。無理もない。上流にダムが出来、本来下流に流れるはずの水が灌漑用水としてスプリンクラーで畑にまかれ、上水道水になった。水が減れば汚れを滞留させ、酸素を入れないから自浄作用も低下させる。それが、一方で紛争の火種すら起こそうとしている。


川3



 農業形態や生活環境の変化で人々が忘れかけていた「水利権」という≪寝た子≫を起こそうとしているのである。同じクラブでご一緒するロータリアンに、この地方一帯の水利権組合を束ねる連合会の会長さんがいる。彼は頭を抱えながら、こう言う。




 「地域の水にみんなが無関心になった。それをよいことに行政も水利権者と締結している協定を無視、行政だけの都合で水を使おうとする。例えば水道水への転用だ。水道に使ってはいけない、と言っているのではない。そのバランスを考えなければ将来必ず禍根を残す。田んぼを作ろうと思ってもそれも出来ないし、万一火事があっても川に水の流れがなければ消火作業すら間々ならなくなる。挙げ出せばきりがない。水というものは一つの目的ばかりでなく、多様性をはらんでいるのだ」




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桃太郎の生みの親は白鳳?

桃太郎


 桃太郎が生まれた桃は「白鳳」だった?
 月に一度、定例的に開いているユネスコ関係の友達の無尽会で、お酒を酌み交わしながら、桃作りをしている仲間の話を聞いていて、つまらぬ事を≪発見≫した。この人は甲府盆地の一番東側の山付き、というより土地が肥沃な扇状地の笛吹市御坂町という所で桃作りをしている。



 御坂町は映画、講談の「清水次郎長伝」に必ず登場する悪役・黒駒の勝三の生誕地だ。そんなことはどっちでもいい話だが、彼はこの町では名うての篤農家。この人の話によれば、数ある桃の品種の源流品種といっていい「白桃」と「白鳳」の違いの一つに果肉と種がはなれ易いか否かがあるという。



 「白鳳」は、「白桃」が果肉と種がしっかりくっついているのに対して、それがはがれ易いのだそうだ。桃太郎伝説は、山に柴刈に行ったおじいさんとは別に、川へ洗濯に行ったおばあさんが上流からどんぶりこ、どんぶりこと流れて来た桃を拾って割ってみると、中から大きな男の子が出てきたというご存知のお話である。



 このとき、桃がパックリ割れないとこのお話は、うまく後に繋がらないのである。酔っ払って、たわいもない事を言っているじゃないよって? その通り。どっちでもいい話である。 桃太郎さんはさておき、白鳳と白桃の2系列を源流とした桃は、品種といったらさまざまで、その数は50を超すという。


桃



 町の果物屋さんやスーパーではほとんど「白鳳」「白桃」としか表示していないから消費者の皆さんはご存じないかも知れないが、その桃にはみんな○○白鳳、○○白桃といった具合に名前がついているのである。特に白桃に品種の数が多い。特によく知られているものの一つに「浅間白桃」がある。「浅間」とか「日川」「山根」というように山梨県の地名をとったものが多い。




 御坂町の篤農家さんによれば、日本の桃の原点は中国の水蜜桃。これが日本の風土に合わせて改良されて、比較的早生品種の白鳳の流れを作っていった。この論理からすると、元々は白桃が改良されて白鳳が生まれたことになる。とにかく白桃を中心に桃の品種が多いということは、改良に改良を重ねた先人達の苦労があったことを意味する。




 暑さ、寒さも彼岸までという。その彼岸もあっという間に過ぎた。あの信じられないような猛暑が消えて、季節は名実共に秋。山梨の果実峡であるこの地方は桃のシーズンから葡萄の季節に移行。その葡萄も終盤戦に。一口に葡萄といっても、さまざま。白鳳の後、つまり、比較的奥手の白桃系の桃と収穫がオーバーラップするデラウエアー種から始まって、人気のシャインマスカットや巨峰、ピオーネ、甲斐路など、大房系の葡萄へとリレーして来た。


葡萄



 これにネオマスカット、べリーA 、甲州種など、これまでに挙げたポピュラーなものを中心に品種の数は多い。在来種は甲州種ぐらいのもので、ほとんどが外国品種との改良品種である。ただ、桃と違うのは食べてみなくても、その形状、色などで素人でもすぐに区別がつくことだ。とにかく、この地方の実りの秋は、まだしばらく続く。リンゴや柿とリレーして行くのである。





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おかんなりさん

 鬼がトラの皮を肩からまとい、首に数珠のようにかけて太鼓を叩いている。鬼だから二本の角を出しているが、決して怖くはなく、笑っているようで実にユーモラスだ。雷さま、雷神の絵である。誰が書いたのか知らないがうまく表現したものだ。


雷さま



 その雷が今年はやけに多かったような気がする。こうしてパソコンを叩く窓越しの闇に稲妻が走ったかと思うと、間髪をいれずにゴロゴロっと雷鳴が響き渡る。その次に来るのが雨だ。真っ昼間の雷鳴だってある。



 物事にハマルとは不思議なもので、畑にいても直感的にパソコンのデータが気になる。いつも野良着のズボンに押し込んでいる携帯電話で家にいる女房に連絡してパソコンの電源を落としてもらうのである。



 今のことだから、雷へのガードぐらいしてあるのだろうが、そんなことがよく分かっていないアナログ人間は電源を切らなければ不安なのだ。「どっちみち使わないのだから、外に出るときぐらい電源を落としておけばいいのに」と、女房は言うが、そこがズボラ人間の成せるワザだ。



 この雷、日本人は、なぜか敬語をつけて呼ぶ。「おかんなり」「かみなりさん」。さらに頭に「お」を、尻に「さん」を付けて「おかんなりさん」とも言う。童謡であり、文部省唱歌の「富士山」では、その一節で「雷様」と歌っている。インターネットで調べてみたらこの歌の作詞は 巌谷小波という人だそうだ。



 ご存知、歌詞はこうだ。


     「あたまを雲の上に出し 四方のお山を見渡して 雷様を下に聞く 
冨士は日本一の山」


富士山  


 富士山は3,776m。「雷様を下に聞く」のだから雷は少なくと 3,700m以下の所で発生することになる。ちなみに富士山の高さは「ミナナロウ富士山のように」と覚えればいい。いい歳して馬鹿なこと言ってるじゃないよ、と言われるかも知れないが、飛行機の上で雷を聞くことはない。ところで、雷をどうして敬語で呼ぶのだろうか。昔から怖いものの例えで「地震」「雷」「火事」「親父」という。語呂との絡みもあるのだろうが、雷は地震の次だ。雷神という言葉があるように人々が恐れ、慄いた存在であった証だろう。




 もう一つ。私にはそれを科学的に説明することは出来ないが、昔から農家の人たちは「雷が多い年は豊作だ」と言った。その根拠は雷が空気中に窒素を合成するからだそうだ。ご存知、窒素はリン酸、カリと共に植物の3大栄養素の一つ。それを只で作り、五穀豊穣をもたらしてくれるとあったら、やっぱりありがたい神様だ。



 雷の次の「火事」は別として、「親父」はそんなに怖い存在だったのだろうか。地震や火事ほどではなかったが、やっぱり親父は怖かった。しかし今の親父はどうか。威厳がなくなっているどころか、うかうかしていたら子供に金属バットで殺されかねない時代になってしまった。親父が「おかんなりさん」を落とせなくなったのである。






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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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