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虫たちの嘆き

ヒマワリとムシ


 「人間どもは猛暑だの残暑だのと言っていりゃあいいが、秋がぶっ飛んだら俺たちゃあ地上に這い上がれないまま一生を終わっちまう。人間はいいよなあ。残暑と言ったってエアコンや扇風機だってある。寒い冬が来りゃあ暖房施設やストーブだってある。俺たちゃあ秋が短いの、長い野のなんて悠長なことを言っていられんのさ。寒いその時期がくりゃあ、お陀仏よ」




 9月3日。今の時計? 午後8時ちょっと過ぎ。窓越しの植え込みでは虫の音が。その鳴き声がコオロギなのか、キリギリスなのか、それとも別の虫かは、無粋な私なんかに分かるはずがない。鈴虫ではないことだけは確かである。私が気付いた範囲では、大合唱はこの秋、第一声だ。狂ったとしか言いようのない暑さが収まるのを待っていられないのだろう。虫たちが、どうボヤキ、何と言っているかは定かではないが、ヤケクソの見切り発車かもしれない。


蟷螂


 ここは山梨の片田舎。標高は、430m前後はある。こうしてパソコンを叩いている我が家の書斎、いやいや書斎なんて言える立派なものではなく、居間の延長みたいな部屋だが、デジタル時計に併設の温度計は30度を表示している。因みに湿度は60%。ランニングにステテコ姿でも汗ばんでくる。後ろの扇風機が周期的に風を送ってくるのだが、そんなものは焼け石に水。かみさんや娘は「お父さん、エアコン、点ければいいのに」という。しかし、元来が田舎者なのか、エアコンを敬遠してしまうのだ。




 この異常気象。人間だって右往左往しているのだから、虫なんかなおさら戸惑っているに違いない。戸惑うくらいならまだいい。自然死を待てずに熱中症で一生を終える虫たちもいる。このブログに度々お出でいただく「donchan」さんからこんなコメントを頂いた。


 「(前略)ほんとに連日、暑過ぎて蝉もたまらないのでしょう。都会のアスファルトに無造作に転がってる蝉の死骸の数に驚いています。早くヒグラシの鳴き声を聞いて秋の気配を感じたいものです(後略)」



植物


 気象異変のせいなのだろうか。私はこんなコメントをお返しした。


 「都会のアスファルトの上に蝉の死骸。田舎者には想像できない光景ですね。やっぱり今年の暑さは異常。その一つの現れかもしれませんね。動物や昆虫などは、おしなべて、その死を迎える時、なぜか人目を避けるのです。蝉などの昆虫ばかりでなく、鳥も野良猫などもそうです。田舎には都会より もその数は多くいるのですが、それが証拠に滅多に死骸を見かけません。この暑さ、人間にもこたえ、死者まで出しているんですものねえ・・・(後略)」


虫


 暑さ、寒さは虫たちの活動の始まりでもあり、終わりでもある。そこには一定のインターバル、つまり、それぞれの寿命があるのだ。残酷にも暑さが続くから、また秋が早いの、遅いのはどうやら関係がないらしい。80年前後はある人間の寿命と違って昆虫の一生は短く、人間のそれと比べれば、まさに一瞬。人間のように猛暑だの残暑だのと言っている暇はなく、見切り発車もしたくなる気持ちが分かる。




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草との戦いへの序奏

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 屋敷内、つまり我が家の周りにある1ha余りの畑の冬の草取りを一通り済ませた。冬のうちに生えた雑草は、夏時のそれと違って数倍も数十倍も根を張っているので始末が悪い。サラリーマンのなれの果ての«百姓もどき»には草の種類もレンゲぐらいしか判別出来ないが、この時期が故か種類は、それほど多くはない。




 この除草がこれから始まる雑草との戦いの序奏。冬場の草が根をたくさん蓄えるのは、言うまでもなく寒さと少ない水分に耐えるためで、管理機と呼ばれる除草機を駆使しても思うように枯れてくれない。夏場と違って弱い日差しが、それを後押ししてしまうのである。




 今年の気象は例年とちょっと違う。バカ陽気が続いたせいで甲府盆地は桜と桃、スモモなどが一斉に開花、桜は間もなく「葉桜」に移行する。四月第一週の土曜日に県都・甲府のど真ん中で催される信玄公まつり「甲州軍団出陣」も満開の桜の元ではなくて、桜吹雪が演出に一役買った。余談だが、この「甲州軍団出陣」は鎧武者行列の数でギネスブックに登録されている。1500人を超す軍勢に出陣の下知を下す今年の信玄公役は俳優の渡辺大。県の内外から詰めかけた見物客は、壮大に繰り広げる戦国絵巻に拍手喝采するのだ。


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信玄公祭り:朝日新聞デジタル


 果樹農家は、そんな優雅な戦国絵巻に酔いしれている訳にはいかない。特に桃を栽培している農家。例年だと桜の開花と一週間以上のタイムラグがあるのだが、バカ陽気はそれを一緒にさせてしまったばかりか、開花期間も短縮した。スモモも同じだが、モモは人工授粉が欠かせない。バカ陽気のせいで開花している期間が短いので農家はてんてこ舞い。そればかりか、受粉のための花粉取りが間に合わないのだ。




 人工授粉をしなかったら結実しないのである。花粉取りは摘花と合わせて行う。分かり易く言えば、人工授粉の花粉は摘花した花から採取するのだ。花が散ってしまえば、人工授粉はおろか、肝心の花粉さえ採取出来ないのである。「アルバイトを増員して、なんとか間に合わせた」。1haを超す桃園を耕作する農家の主は、ホッとしたように話してくれた。




 バカ陽気とは言え、大きな意味では、季節の移ろいは正直だ。カエデ、カシ、カリン…。つい先ごろまで枯れ木同然だった落葉樹は新緑を蓄え始めた。春というよりは初夏の風に吹かれてハラハラと舞う桜の花びらの下では黄色い水仙の花が。常緑の椿は真っ赤な大きな花を。ツツジもボツボツと花を咲かせている。いずれも今年は開花が早い。サツキは一か月遅れだ。椿とは不思議な花で、桜やモモ、スモモのように「ハラハラ」散るという形容はし難い花。時季が来ると丸ごと落下するのだ。「首が落ちる」と言って病気見舞いには敬遠される花でもある。
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 椿は樹や葉っぱがみんな同じようでも付ける花はさまざま。真っ赤な大輪もあれば、淡いピンクもある。カエデも一口にカエデと言っても付ける葉っぱは、これまた様々。緑色のものもあれば、赤いもの、深紅に近いものや黄色いものも。文字に表せないほど、まさに多様だ。今はどの色も淡い。若葉である。




 中には「紅葉する」秋までに七変化を遂げるものもある。初夏から夏,秋にかけて黄色を順次、変化させる種類で、中には様態を変えて枝垂れるものも。一口に「カエデ」などと言いきれない味わいがある。カエデとは変わった樹木で、種類によっては春の芽吹きから「紅葉」するのだ。

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雪代の洪水

富士山


 春には珍しい大雨が止んで、カラリと晴れた青空に真っ白に雪化粧し直した富士山が見事に姿を見せた。太宰治の「富士には月見草がよく…」(富岳三十六景)ならぬ、富士には真っ白い雪がよく似合う。「富士山はこうじゃあなくてはいけない」。前衛の御坂山塊が屏風のように黒く立ちはだかるので、ことさらに富士の峰が勇壮に浮かび上がるのである。桜には、まだ間があるが、目の前の庭先で花開く紅梅や白梅と何故かマッチして見える。




 「春雨じゃ、濡れて行こう」。時代小説に出て来た月形半平太さながら、下界にもたらす春の雨は柔らかい。数日来の音を立てて降った雨は、それには似つかない。でも富士山は、まだ厳冬期を脱しきれていない。あの強い雨が富士山を一夜のうちに厚化粧に変えたのだろう。見るからに化粧が厚い。




 女性の化粧は、スッピンの時とは打って変わって美しく、軽やかに姿を変える。一方、富士山のそれ(雪化粧)は、美しさばかりではなく、堂々たる風格と存在感を醸し出すのだ。真っ白い化粧が朝日を浴びれば、見事な赤富士に、夕日を浴びれば、真っ赤な夕焼け富士に姿を変える。時には雲をあしらって、さらに、その表情を変えることだってある。


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 春は一雨ごとにやって来るという。もちろん霊峰・富士は下界のそれと時季(期)のタイミングを異にするが、下界と同じように春への準備を始めている。私のように甲府盆地から眺めている富士と実態は異なる。雪化粧を濃くしたり、薄くしたり…。濃くする時とは裏腹に、薄くするときには「雪代」という名の洪水をもたらすのである。




 雪代は半端ではない。あの厚化粧を落として下界に流すのだから、想像に難くないだろう。富士山の歴史が地元に、それへの備えをさせているからいいが、仮に備えがなかったら麓の街は洪水で水浸しになることは間違いない。むろん今でも川という川は濁流で溢れる。あまり歓迎は出来るものではないが、春の風物詩でもあるのだ。




 雪代は、何も富士山に限ったことではない。積雪をもたらす山なら、大なり、小なり同じ現象を生み出す。私のすぐ近くにある奥秩父山系の乙女高原(秩父多摩甲斐国立公園)や数年前、あの噴火で大惨事を惹き起こした木曽の御岳山など2,000m級の山だって同じ。雪代・雪解けの水は山肌を削り、下へ下へと土砂を流して山を痛めるのだ。富士山を大きく損傷している「大沢崩れ」も、そのいたずらに原因がないとは言えない。




 富士の積雪は、下流にも洪水をもたらす«ならず者»だけではない。積雪は何百年もの年月をかけて地下に潜り、温泉はむろん、良質な飲料水として人々の喉を潤すのだ。富士山に留まらず、3,000m級の北岳を有する南アルプスを抱えた山梨は、水の宝庫と言っていい。ご存知の方はご存知。あのペットボトルでなじみ深い飲料水の生産量では日本一。世界への輸出も進んでいる。




 富士山の雪解け水は湧水となって忍野八海(南都留郡忍野村)をも形成、今や外国人観光客をも惹きつける神秘な池として人気を博しているのだ。もちろん、富士五湖も、その一例。富士山が化粧を落とすと、下界では春を飛び越えて一足飛びに夏が来るのだ。

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ノッポな棕櫚の強さ

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 春一番が今日か明日かというのに、冷たい強風をもたらす木枯らしの話を持ち出すのもヘンだが、樹々を揺らす木枯らしと、春一番に代表される風の音は比べようもない。季節の移ろいは人間がいくら強がりを言おうとも動かしようがなく、自然の力には遠く及ばない。そのくせ、人間は「寒い、寒い」と言って嫌ってきた木枯らしを、いつしか忘れ、春一番の南風を想定するのだ。




 よく考えれば、人間とは我儘(わがまま)で、自分勝手な動物かも知れない。でもそれでいい。そうでなければ、明日への希望もなければ、夢もない。人は折に触れ「朝が来ない夜はない」とか「春が来ない冬はない」という。そこに自らの生き様を置き換えて希望をつないだり、奮起を促したりする。日常のマイナス思考脱却の転換点にもするのだ。人間とは、そもそも我儘のようで、実は真面目な動物なのかも知れない。




 そこへいくと自然界は、黙っていて、そこはかとなく、したたかだ。樹々も草花も大地も寒い冬をジッと耐え、暖かい春を待つ。人間のように「寒い」の「暑い」のと文句も言わずに春夏秋冬、季節の移ろいまで«身をもって»人間に教えてくれるのだ。もっとも私たちが当たり前に感じている四季は、地球上すべての地域にあるのではない。




 ハワイのような常夏の地域もあれば、一年中«冬»の寒さが当たり前だったり、その正反対の地域だってある。そこに暮らす人々は、これも当たり前に、それを受け入れ、それぞれの生活文化を形成するのだ。日本のように四季があるから、寒いの、暑いのというのであって、だからこそ、それに合ったファッションも生まれるのだろう。「パリコレ」と言われ、世界のファッション界をリードするフランスがいい例だ。




 風。台風やハリケーン(南半球)のように、とてつもない力を発揮する風もあれば、人々の心や体を和ませる爽やかな風もある。樹々は大抵の強風にも耐え忍ぶ。持ち前のしなやかさからだ。それを持ち合わせない樹々は«痛い目»に遭うのは当然。手足ともいえる枝を折り、根こそぎ倒れる樹だってある。




 樹々の中でも、細っぴのくせに背丈だけは他に負けないのが棕櫚(シュロ)の樹。ヤシ科の常緑樹で、暖地に自生するワジュロと中国原産のトウジュロ(唐棕櫚)があるのだそうだ。我が家の石門の近くにある棕櫚は、どうやら唐棕櫚のようで、背丈は10m以上もある。3本の林立で、少なくとも100年以上、いや200年ぐらいは経っているかも知れない。子供のころから同じ姿でそこにあるのだ。

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 その年数はともかく、長い年月、風雪、特に強風を伴う大型台風にも、びくともせずに耐えて来た。「棕櫚は3本一緒に植えるもの」。誰かに聞いたことがある。«のっぽ »が故にお互いに根固めさせる意味合いもあるのだろう。




 てっぺんに掌状の葉をつけるが、その葉は長い柄を持つ。下から枯れ、人はその枯れ枝を切り落としてやるから掌状に深く裂けた青い葉を上部に残して、幹はのっぺらぼう。それが風の抵抗を抑えているのだろう。人間と同じで、デブより細身の体の方がしなやかなのかも知れない。




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細雪と残雪

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 「細雪」。大阪は船場の旧家を舞台にした谷崎潤一郎の長編小説だ。船場の上流家庭に生まれた4姉妹の悲喜こもごもの日常を綴った作品。若い頃、何度も本を手にし、東京まで観劇に足を運んだこともある。谷崎がこの作品の表題をなぜ「細雪」としたのかは分からないが、「細雪」という言葉には、何とも言えない深い味わいがある。




 読んで字の如く、「細雪」とは「細かい雪」とか、「まばらに降る雪」を言う。そもそも豪雪地帯の北陸地方や東北、北海道には似合わない言葉だろう。「残雪」などと言う言葉ともマッチングしない。雪の少ない大阪、しかも上流階級が暮らす船場が舞台で、しかも気品を備えた4人のお嬢さんが主人公だから「細雪」の表題が似合うのかも知れない。




 降雪と残雪。降雪は、その降り方によって限りない風情をもたらすが、残雪は風情にも情緒にも欠ける。むろん、人それぞれの受け止めようだ。イメージ的にも暖かい大阪の場合、降っても「細雪」だろうから、残雪まではイメージし難い。比較的雪が少ないものの、甲府盆地の場合はちょっと違って、街中は早く消えても山岳部に近い地域では残雪期間は結構長い。比較的暖かい日差しの下でも、なんとなく寒々しさを煽り立て、埃を冠って汚らしくもなる。人々の嫌われ者になり下がるのである。

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 周囲を見渡しても、ブドウなどの果樹園で日当たりの悪い部分、家屋の裏側(北側)や道路にも残り、道路の残雪は夕方から朝にかけては凍結して、ドライバーの邪魔をする。しかし、邪魔者の残雪も果樹農家にとっては密かに微笑む雪。夏場と違って冬の時期は、降雨量は少なく、畑も乾燥しがちだからだ。




 夏場に多い大雨の場合、地面が呑み込めない分は川に流れ込んで、海へ行ってしまう。むろん、適度の雨は歓迎だが、大雨は作物に留まらず人畜にも害をもたらすことは言うまでもない。雪、しかも一度には融けない残雪は、一面で天の恵み。夏場に水不足を生ずるのも、その時季の雨量ばかりではなく、大きな意味では冬場の降雪量にも起因するのである。




 童謡、歌謡曲を問わず、雪や雨は、しばしば歌に引用されて来た。その情景は細雪だったり、小雨。絶対に大雪や大雨は登場しない。日常、私たちが聞いたり、書いたりする言葉も、えてして慣用的で、雨は「しとしと」降り、雪は「しんしん」と降る。「ざあざあ」降る雨や「ドカ雪」と言われるように大降りの雪だってあるのに、表現したがらないのだ。




 年配の方なら誰もが知っている中村メイコさんのご主人で、作曲家の神津吉行さんが、ある時、甲府で開かれた文化講演会で、こんな話をした。このご夫婦は当時、ユニークな子供教育をすることでも知られていた。




 「雨の降り方、雪の降り方一つとっても降る様も、人の感じ方もみんな違う。決めつけて教える教育は適切ではない。特に、子供達には自由な発想をさせるべきだ。例えば富士山の絵を描かせたとする。下から見たものと、飛行機などで上から見たものでは形はまるで違う。乳牛の大きな乳房を見る子供目線と、大人目線では牛そのものの形まで異なるのだ」




 それにしてもこの冬は窓越しに輝く富士山に雪が少ない。富士には「細雪」は似合わない




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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