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蔦の爪あと

蔦3



 「蔦の葉絡まるチャペルで・・・」と歌われたり、高校球児のあの暑い夏を連想させる甲子園球場の蔦いかにもロマンチックであったり、爽やかな青春を思い起こさせる。街を歩いていて鉄筋コンクリートの建物を包み込むような青々した蔦を見ると、いかにもクラッシックな洋館を髣髴とさせ、そこに住む人たちの生活ぶりをのぞいてみたくなるのは私ばかりではないだろう。





 私がこれから言う蔦はそんなロマンチックなものだったり、爽やかなものではない。会社をリタイアして戻った実家のお蔵の白壁は蔦に覆われていた。覆われていた、なんてものではなく、あるものは枯れ、汚らしく二階の屋根まで這い上がり、大きなお蔵は廃墟をも連想しかねないぶざまな姿を露呈していた。


蔦  



 ご存知、蔦はタコの吸盤のようなものを持っていて、コンクリートでも、土壁でもどんどん這い上がってしまう。これを取り除くのに始末が悪いのは枯れた蔦である。生きていれば、引っ張ればつるごと取れるのだが、枯れているとポリポリ折れてしまう。腹が立つ。そればかりか、吸盤は小さいから壁に張り付いたままで、取れないのである。枯れた蔦も高い所は梯子を架けて取り除いたが、点々と壁一面に残る吸盤は今も残ったまま。長い間、お蔵にとどまらず、ほったらかしにしていた付けであり、証明である。





 というヤツは畑であれ、空き地であれ、絶対に真ん中には生えないのだそうだ。しかも綺麗にしているところには顔を出さない。つまり、建物や石垣の近くで、這い上がれる所があることが条件だ。蔦の葉か絡まるチャペルや甲子園の蔦は少なくとも人為的に作ったものだが、みんな垂直に這い上がっているのは共通である。いったん始末して、綺麗にしておけばもう顔を出さない。いって見れば、蔦という植物は人や自然の弱みに付け込んで生きる嫌なヤツなのである。


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 「放って置けば必ず森になる」。秩父多摩甲斐国立公園の山梨県側の一角に乙女高原がある。そこはかつてスキー場だった所。春から秋、色とりどりの野草が花を咲かせ、今では野草の宝庫とまで言われるようになった。その草原を守ろうと、山梨市のある小学校教諭の呼びかけで、ファンクラブが出来た。毎年11月23日に山梨県内外のファンボランティアが集まって下草刈をし、翌年5月にはロープの遊歩道作りをする。





 この下草刈をしないと、あっちこっちに生えるブッシュが、やがて森になってしまうのだそうだ。各地のスキー場がシーズンオフ、野草が咲き乱れる草原として人気を集めるのは、雪の上にブッシュが顔を出さないように秋の下草刈を欠かさないからである。




 蔦ばかりではない。我が家の周りの道の石垣には、かつては小さな芽に過ぎなかった木の芽が長く放って置いたツケなのか大きなブッシュとなって、あっちこっちで道をふさいでいた。この道は6尺ほどの幅を持つ古道。車社会になって忘れ去られようとしている道だが、朝夕犬を連れて散歩する人は結構いる。道をふさいだブッシュと雑草。こんな所でも人に迷惑をかけていたかと思うと「これからは・・」と肝に銘じざるを得なかった。





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若葉の七変化

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 春のヒロイン・満開の桜が葉桜に姿を変える頃になると、周りの落葉樹の木々もコスチュームを整えて、脇役としての存在感を思い思いにアピールし始める。単に芽を吹き、緑に装いを変えるばかりではない。こうしてパソコンを叩くちっぽけな書斎から窓越しに望む庭先の植え込みでは、木々達が個性豊かに芽吹きを競っている。




 特にカエデ平凡な緑色もあれば、赤や深紅、橙色もある。実にカラフル。その葉っぱを日に日に大きくしていくのだ。五葉の松やチャボヒバ、椿、金木犀、銀木犀などの常緑樹の中にあって、ひと際異彩を放つ。一口に常緑樹と言っても、その色合いはみんな違う。青に近いような緑もあれば、淡い緑もある。そのコントラストがまたいい。


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 植え込みの木々だから形も違えば、背丈や体格も違う。桜の前座を担った白梅や紅梅はぼつぼつ実を結ぶ準備に入っている。桜と同じで花を散らせば存在感は一気に減退する。しかし、控えめな緑も、それはそれで脇役としての役目を十分に果たしているのだ。そんな中にあって百日紅(さるすべり)は、ドンと構えて動こうとしない。「オレはゆっくり行くぜ」とでも言わんばかりに太い幹を今も茶色くさらしたままだ。近くにあるイチョウは「一足お先に」と、一直線の太い幹の下のほうから控えめに緑の葉っぱをつけ始めた。




 カエデは古来「もみじ」という。どちらかと言えば、秋に主役の座を張る。諸々の樹木の紅葉を牽引するのである。「もみじ」は「紅葉」とも書くように木々の色付きの総称でもあるのだ。秋の主役であるカエデがこの時季、こんなに紅葉するとは・・・。モノを書くことはいいこと。書くために観察もするのだ。よくしたもので、こんな時には普段見過ごしていたものまで見えるから不思議。カメラのレンズを通しても覗く。


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 何本もあるカエデの一本一本が、みんな異なる色で芽吹くばかりか、空っ風に煽られて落葉するまでに≪七変化≫をして見せるのである。例えば橙色に芽吹き、葉を付けたカエデはあと半月もすると真っ黄色に変わる。黄金色と言った方がいいかもしれない。それが徐々に緑に変わり、真夏になると真っ青に。それが秋に向けて紅葉を始めるのである。




 一方、深紅の枝垂れはその色合いを徐々に徐々に変えながら秋のゴールを目指すのだ。今赤いカエデは、だんだんその色合いを濃くして深紅のコスチュームに変わっていく。実を言うと、このカエデが一番気に入っている。だから植え込み全体の手入れの時も念入りに剪定を施すのである。木の形を整えるための冬場の剪定にとどめず、繁茂して形を崩す夏場にもきちっと手を入れてやるのだ。柔らかい緑で芽吹き、秋の紅葉で落葉するシンプルなヤツでさえ、淡い緑から同じ緑でも、段々とその緑の色合いを変化させて行くのである。昨日が雨だったせいか空は青い。色彩豊かなカエデの向こうに真っ白い富士山が。


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 これらのカエデは脚立を使わなければ手入れが出来ないほど大きいが、背丈を縮めたカエデもあっちこっちに。10本を超す。盆栽よりも2周りも、3周りも大きい、いわば露地の盆栽だ。だから形作りをする意味では面白い。自由と言ったらいい過ぎだが、思いのままに形作れる。若葉の七変化、芽吹きも、秋の紅葉も大きなカエデと全く同じだ。




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初夏への序奏

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 桜が散り始める頃になると桃の花が咲き始め、甲府盆地は一面がピンクの絨毯の様相を見せる。桜と言ってもこの時季、ソメイヨシノもあれば枝垂桜もある。彼岸桜や八重桜はひと足早く散った。ソメイヨシノが淡いピンクとすれば枝垂桜のそれはもっと濃い。花そのものも重厚だ。花は散る。「散る桜 残る桜も 散る桜」 。


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 今年は桜の開花が,
ちょっと遅れたせいもあって、いつもならその後を追っかけるはずの桃の花がほぼ一緒に花開いた。ご存知の方はご存知。桃の花は桜のピンクより色合いはずっと濃い。枝垂桜のピンクよりもだ。窓越しの庭先ではシバザクラが赤に近い小粒なピンクの花をいっぱい咲かせ、その隣では何という花か知らないが、白い花を可憐に咲かせている。細い葉っぱはニラのそれによく似ている。葉っぱの臭いも同じだ。



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 ピンクの絨毯の向こうに眼をやれば、前衛の御坂山塊の向こうに富士山が。真っ白い雪をかむっている。先日、里に降った雨も3,000m級のそこでは雪。下界の春爛漫をよそに一人、厳冬を装っている。ピンクの絨毯の間に間に真っ白いスモモの花が。盆地の東部一帯、一面の桃園にあって、ちょっとしたアクセントでもある。上空にそびえる富士山の雪とピンクの絨毯、その所々に点在する白いスモモ畑のコントラストがまた絶妙。 富士山から南西に眼をやれば、まだ雪を戴く南アルプスが、日増しに柔らかさを増す陽光に光る。


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 スモモやブドウもさることながら甲府盆地は、言わずと知れた桃の産地。果樹農家は桜の花を愛でる暇もなく、その授粉作業に追われる。農協などを通じたり、それぞれが用意した花粉を元に桃の花一つ一つに受粉して行くのである。花に埋もれながらの作業だから傍目には優雅だが、お花見気分とは違って、こちらは飯の種。家族総出の作業に追われるのだ。




 昔は、こんな煩わしい授粉作業などしなかった。しなくてもよかった。花から花へと飛ぶ蜂がいつの間にか、その役割を果たしてくれた。ところが、その蜂がいなくなった今、人間様が自らの手でするよりほかはない。いわば自業自得。人間達が農薬の使用で蜂を皆殺しにしてしまったのだから仕方がない。農家は無駄花を取り除きながら花の一つ一つに丹念に花粉をつけて行くのである。授粉が済んで、実を結べば摘粒の作業が待っている。



 岩手地区というのだが、甲府盆地東部のちょっと高台に位置するこの辺りは桃というより、サクランボの産地。甲府の市街地を挟んで盆地の西部に位置する南アルプス市の白根地区と並ぶ一大産地なのだ。その植生から山梨はサクランボ栽培の南限。本場・山形との気候的なタイムラグを生かしての戦略が功を奏して押しも押されぬ産地としての地位を確立した。



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 特に、山付きの傾斜地一帯には白いビニールハウスが広がり、その中では真っ赤に実を膨らませながら間もなくやって来る出荷期を待っている。こちらは春爛漫を通り過ぎてもう初夏のたたずまいである。23~4日頃には初出荷を向かえ、京浜地方などからの行楽客がサクランボ狩りに繰り込む。露地物のサクランボも、これを追いかける。露地のサクランボも白い花を付け始めた。ハウス物を皮切りに初夏にかけてのサクランボシーズンが幕を開ける。



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春に三日の晴れ間なし

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 学校では卒業式が済み、教職員は人事異動に。もちろん人事異動は教職員に限らない。民間企業も官公庁も、みんな同じ。年間を通してみれば、人事異動は、何もこの時季に限ったことではないが、大きな意味では「人事異動」の名のもとに例年、この時季は大規模に人々が行き来をし、それぞれの社会がリセットされるのである。




 警察や公立高校の幹部人事から始まって、山梨日日新聞には相次いで官公庁の人事異動の詳報が掲載される。ほかの県紙も同じだろう。住民生活に直接、または間接的に関わりのある人たちの動きだ。最も身近な市町村の人事異動もしかりである。人の行き来は、当事者にしてみれば悲喜こもごも。一方、報道を受け止める側にしてみれば、間違いなく、新たな期待である。




 人の動きの一方で、じっと寒さに耐えて来た自然界も新しい季節に向けてリセットを始める。ちょっとばかりの寒さはなんのその。先陣を切って花開く梅を追うように「待ってました」とばかり桜が花開き、カエデなど枯れ木を装っていた樹々も芽吹きの兆候を見せ始める。地面・畑では、この季節の雑草が花開く。冬の雑草は勢いこそない代わりに、しっかりと根を張っていて機械で除草してもなかなか枯れてくれない。




 農家も春の農作業へ体制をリセット。一足早く桃や葡萄の剪定作業を終えた、この辺りの果樹農家は、いよいよ動き出す病害虫を駆除するための消毒作業に余念がない。この消毒作業。お天道様と«相談»だ。雨に降られたら折角の消毒作業もフイになる。




 誰が言ったか知らないが、「春に三日の晴れ間なし」。雨が降らないまでも霞に覆われたり、どんよりと曇ることが多い。「三寒四温」と言われる春先の特徴だろう。「春霞」と言う、何となく風情さえ感じさせる言葉もその一つだ。




 果樹は消毒の手を抜いたら絶対に«もの»にならない。丹念の上にも丹念に消毒を重ねても病害虫は絶えない。桃、葡萄ばかりでなく、柿やリンゴ、はたまた白菜など野菜類も同じだ。弱いものは絶え、強いものだけが生き残る。弱肉強食。人間の眼には確たるものは写らないが、それが自然界の掟なのだ。

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 土筆と並んで春を彷彿とさせてくれるタンポポはその典型。野や畑の隅で間もなく顔を出すだろうタンポポ。この辺りでは、ほのぼのとするような日本タンポポは姿を消して、西洋タンポポに変わった。肥料や飼料に交じって外国からやって来るのだろうが、日本タンポポに比べて一回りも二回りも大きく、第一、逞しい。畑に生える雑草も同じだ。




 今は光線や気温、次々と開き始める花々など視覚的にも体感的にも「春」を実感しながらも毎朝、床を離れるのが億劫だったり、畑に出る時間をためらったりする«中途半端な春»かも知れない。




 でも、小鳥たちは知っている。私が管理機と言う名の除草具を使って畑で作業をしていると、後ろから何羽もの小鳥が。機械で掘り起こされる土の中から出て来る虫をついばむためである。その様は、何とも可愛い。花鳥風月、自然界は季節の変化を敏感に捉えている。




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富士山は雪化粧上手

富士の山


 あと4~5日もすればサクラが咲き、春爛漫を迎えて行くというのに、窓越しに見える富士山は、今も厚い雪をかぶったまま。一方の南アルプスや八ヶ岳も同じだ。さすがに、前衛の山々には雪はない。だから、富士山や八ヶ岳、南アルプスの北岳や甲斐駒ケ岳、白根三山が一層、際立って、輝いて見えるのだろう。





 それにしても富士山とは不思議な山だ。当然のことだが、冬になれば雪化粧をするし、夏が来ればすっぴんになって、茶色く、どす黒い地肌を見せる。雪化粧も、その時々の寒さや気象に合わせて薄くしたり、厚くしたりする。うちの女房よりずっと化粧上手だ。朝には朝、夕には夕の顔がある。すっぴんの地肌だって色を変えて化粧する。


富士山



 朝日を浴びれば東側の片方の頬を爽やかに輝かせるし、夕日を頂けば見事な赤富士に変わる。二十四節気があるように太陽の黄道が違うから、その高さも光線の角度も異なる。雨も降れば風も吹く。富士山はその一つ一つに機敏に反応するのだ。毎日同じように、どっしりと座っているようだが、一度として同じ顔を見せたことがない。




 この富士山、これも当たり前だが、見る方角によって、その容姿がみんな違う。一般的には東富士とか北富士というが、南富士、西富士だってある。静岡の市街地や伊豆の海からの富士は趣を異にするだろうし、神奈川の小田原の富士は違う。山梨から見た場合でも、富士吉田市や富士河口湖町など、文字通りの山麓地方からの富士と私が住む甲府盆地の東部では、その形は微妙に異なる。第一、甲府盆地では前衛の御坂山塊に遮られるから雄大に尾を引く裾野は見るよしもない。盆地の中心・甲府の南部では前衛の角度で、まったく見えない所もある。

富士山3



 その時々、その場所場所によって顔を変えるばかりではなく、怒ったり、笑ったり、泣いたりもする。静岡や神奈川の地元の人たちもそうだろうが、山梨に住む私たちは、その時々の富士山の、そんな顔を見ながら、その日の天気を占ってきた。今は、気象予報も衛星のITを駆使しているので、テレビやラジオが伝える情報にほとんど狂いがない。勢い、気象衛星は富士山頂の測候所をも駆逐、その施設と人を山頂から追っ払った。




 富士山が吹雪き始めれば下界は寒いし、富士山の上にかかる雲の形、雲の発生の仕方によって風が吹くか吹かないか、その強弱まで分かるのだ。先人から伝えられた生活の知恵である。天候ばかりではない。富士山の表情を農作業の目安にだってする。


赤富士



 毎年、4月から5月の中旬になると富士山の中腹に≪農鳥≫が出現する。冬の間、厚く覆っていた雪が次第に融け、その過程で、残雪が鳥を形作るのである。農家はその出現を、それぞれの種蒔きや田植えの準備などの目安にして来た。農鳥は富士山が発信する初夏の合図であり、農作業へのゴーサインなのだ。




 「富嶽三十六景」の葛飾北斎に代表される江戸時代の浮世絵師達は好んで富士山を描いた。安藤広重も同じだ。行角など修験者が導いた富士山信仰(富士講)とともに、彼らはユネスコの世界文化遺産登録に一役買った。時空を超えて現代に蘇ったのである。その絵の多くは東側、つまり、静岡側からのものが多い。しかし、男らしい富士を見るなら北富士、山梨県側からに限る。身贔屓ではなく、これホント。 静岡側からのそれは女性的だ。





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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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