ダムって本当にムダ?

紅葉



 どうやら今年の台風シーズンは過ぎた。どうやらと言ったのは年によっては初冬に近い晩秋にだって台風が襲ってくることがあるからだ。その時期はともかく近年、台風が多くなった。でも集中豪雨などでの局地的な被害は別として、日本列島にまともに上陸、とてつもない被害をもたらすような台風には最近、お目にかかっていない。これも温暖化など地球全体が目に見えない所でジワジワと変化している証だろうか。



水


 子供の頃の記憶だが、山梨でも8月の終わりから9月、台風の襲来と、それがもたらす被害は年中行事だった。近くを流れる一級河川の笛吹川が氾濫、堤防が決壊したり、橋梁が流失した。「この馬鹿者め」と大人からは叱られるだろうが、無邪気な子供たちには、正直言って秋の風物詩くらいに思えたほどだ。無邪気もそこまで行けば立派と笑われるかも知れない。でも、そのダイナミックな光景を面白がって見ていた。無邪気とバカは紙一重。台風一過の翌日から、自分たちだってその復旧作業に駆り出されることに気付かないのだ。堤防が決壊するのだから、付近一帯の水田は水浸しどころか、大小の石ころだらけ。黄金の稲穂を付ける前の田んぼは見る影もない。農家は大人、子供を問わず、一家総出、地域総出で復旧作業に取り組んだ。今のように農業災害共済のような保障制度も確立していなかっただろう。さらに国や県に泣き込んで行ったフシもない。重機もなく、みんな手作業小石や土砂を運び出すにも≪もっこ≫。子供たちもそれを担ぐ肩を貸した。



川



 高校2年の時だった。当時、日川高校は旧制中学の頃から続いていた東京・新宿まで約130㌔の強歩大会のコースを長野県松本に替えた。進み始めていたモータリゼーションがそうさせたのだ。昭和34年。その年、山梨は7号台風と伊勢湾台風のダブルパンチを受けた。松本へのコース上の南アルプスの麓を流れる釜無川が氾濫、沿岸一帯の穀倉地帯は一面の河原と化した。この時も住民達はものの見事に復旧させた。自然災害の一方で、人間の地道な努力とバイタリティのすごさを思い知ったものだ。この自然災害。今ではウソのようだ。川の氾濫、洪水などこの20年、30年、お目にかかったことがない。台風が少ないこともさることながら、その要因の第一は上流にダムが出来たことだ。それによって水がコントロールされているからである。調整された水は上水道や農業灌漑用水に生きている。


ダム



 このダム、かつて政権が交代したある時期、とたんにムダと言われ、悪者になった。地方の道路もそうだが、都会に住む人達の論理だけで進んでいけば、いつかは、そのツケが何倍にもなって国民に帰ってくる。武田信玄もしかり、戦国時代の名将は山を治め、川を治めて国を治めた。この普遍性は頭ではみんな知っている。しかし、政権の先生たちは、目先の選挙や国民にこび、ダムや道路をそのいけにえにした。もちろん、事業予算の優先順位は無視するわけには行かない。しかし、子供手当てや高速道路の通行料は台風災害に遭った農家が努力したように、個々の努力で補えもするし、受益者が負担することだって可能だ。ダム一つだけにとどまらず、今は目には見えない国の礎をないがしろにしたら、子供達に、孫達にとんでもないツケを回すことになると思うのだが・・・。自然は甘く見ると怖い。



都会


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それぞれの紅葉狩り

富士山       南アルプス


 ちょっと手前味噌かもしれないが、山梨は山紫水明の地。富士山、南アルプス、八ヶ岳、それに御坂山塊や奥秩父の峰峰。とりわけ四方を山で囲まれた甲府盆地は、春には桃の花が咲き乱れ、ピンクのジュータンと化す。まさに桃源郷と言っていい。夏にはその実が実り、日本一の桃の産地を形成、秋には葡萄が実る。特に一宮、勝沼など盆地の東部一帯は日本的な果実卿なのである。一宮(笛吹市)、勝沼(甲州市)と目と鼻の先にある私のふるさと・岩手地区(山梨市)もサクランボの産地化が立派に進んだ。


桃


 サクランボの産地は、言わずと知れた山形。植性上、その栽培が南限と言われる山梨のサクランボは本場・山形とは時差の勝負。温度差はもちろん、ハウス栽培などの工夫、つまり地の利と生産者の努力で築き上げた。4月の下旬から5月、東京を中心とした首都圏から観光バスが繰り出し、どこの観光サクランボ園も賑わいを見せる。



サクランボ



 サクランボが初夏なら桃は夏。そして秋の葡萄へと果樹王国・山梨の果物はリレーしていく。サクランボ狩り、桃狩り、ぶどう狩りが終われば今度は紅葉狩りだ。その頃になると富士山が真っ先に雪化粧、南アルプスや八ヶ岳の主峰もそれに負けじと薄化粧を始める。晩秋、平たく言えば里の人達に紅葉狩りの季節がやって来たことを告げるメッセージなのだ。



さくらんぼ    桃     葡萄



 「○○食べ放題」。果物の新鮮な味を楽しむ行楽から、目で見て自然を身体で味わう行楽へと移っていく。葡萄はだんだん姿を消していくが林檎や柿はこれからが旬だ。石和温泉郷などでゆっくり湯に浸かり、ほうとうなどの郷土料理も待っている。山梨は大都市東京の100㌔圏。山梨県人は「東京の奥座敷」という。人々をくつろがせる自然を持っている。



ほうとう  



 とはいえ、そこに住む私達はこの豊かな自然も当たり前。人間とは贅沢な動物だ。日々、その時々、表情を変える富士山の容姿も、外からお出でになった方々が目を見張る山々の紅葉も、そこにいれば特別の驚きもなければ感動もしない。まるで空気のように受け止めるのだ。ところが一歩外に出て見る同じような景色や光景には感激したり、びっくりもする。考えてみれば、それが旅行や行楽のよさなのだろう。


いろは坂



 数年前、ロータリークラブの親睦旅行の時、栃木県奥日光の中禅寺湖で見た鮮やかな紅葉は今でも忘れられない。旅行には30数人のメンバーが参加、日光東照宮に参拝した後、鬼怒川温泉に宿泊。翌日、中禅寺湖へ。そのバス旅行で見た、いろは坂の紅葉もさることながら中禅寺湖の紅葉は素晴らしいの一言に尽きた。


日光東照宮



 赤や黄色。その赤や黄色もそれぞれが微妙に色合いを異にするのである。紅く黄色く萌えた目の前の男体山が湖面にその姿を映し、男体山の前衛をなす湖周辺の木々は、近くで見るからか、その数倍も鮮やかだった。カエデやウルシ、ナナカマド。とりわけウルシやナナカマドの色は例えようがないほど紅い。所々にある常緑樹がその赤を引き立てるのだ。
紅葉のアクセントとして存在感が大きいナナカマド。一説によれば、極めて燃えにくい木だそうで、かまどで7度も燃やさないと燃え尽きないことからその名がついたと言うが・・・。





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里の秋と蚕

紅葉


 里の秋は山から下りて来る。中秋を過ぎて晩秋と言った方がいいかもしれないが、富士山に初雪が降る頃になると、周りの山々は顔色を替え、装いを替え始める。紅葉だ。赤、紅、黄色。やがて山は萌え始め、それが里へと連鎖するのである。


紅葉2  



 昔、この辺が米麦、養蚕の農業形態だった頃、人々はまるで里の秋を輪切りにでもするように蚕の掃き立てをした。掃き立て、とは蚕の飼育を始めることだ。まさに初秋に当たる初秋蚕から始まって秋蚕(あきご)晩秋蚕(ばんしゅうさん)晩晩秋蚕といった具合に秋をリレーするのだ。暑さが真っ盛りの夏蚕(なつご)の後を拝する初秋蚕の時期は当然のように残暑が残る。それから周囲は徐々に気温を下げ、晩晩秋蚕の頃になると朝晩は寒くさえなる。それがちょうど今後頃だった。自然は正直だ。「掃き立て」とは卵から孵ったばかりの小さな蚕の幼虫を大切に掃くかのように扱ったことから来たのだろう。





 四六時中と言っていいほど蚕には、次から次へとを与える。その作業のため、子供たちも夜遅くといい、朝早くといい時間にかまわず叩き起こされるのである。「俺達は一日、三度の飯。お蚕はいったい何度飯を食えば気が済むんだ」。子供心にそう思った。昼間の遊び疲れで眠たいのに加え、周りは薄ら寒くなっているのだから、無性に腹が立つのである。そんな子供心を尻目に蚕は「バリバリ」と音を立てて無心に桑を食べるのだ。



蚕 



 蚕の飼育は秋ばかりではない。蚕の唯一の餌である桑が葉っぱを付ける春から始まる。同じように春の季節を輪切りにして夏蚕を経て秋の蚕に繋げるのだ。一年中とは言わないまでも蚕は、桑が春に緑の葉っぱを付け、秋に黄色くなって葉を落とす寸前まで半年近く断続的に飼育する。米麦中心の農家にとってはかけがえのない現金収入の道だった。今風に言えば「ドル箱」だった。何しろ蚕は掃き立てて(飼育し始めて)からひきる(上属)まで最長でも30日。夏の暑い時期だと20日もあれば繭になってしまう。それそれの農家に見合った労力配分計画的な蚕の飼育が出来、しかも短期間に現金収入が得られるのだからありがたい。しかし国際経済の容赦ない波は蚕とそれを収入の道とした農家を一瞬に飲み込んだ。韓国産の安い生糸に食われたのである。





 ともかく蚕ほど尊ばれた虫、もっと言えば生き物はいまい。蚕の頭には「お」を付け、尻には「さん」まで付けて「お蚕さん」と言った。そればかりか桑(餌)を与えることを「上げる」というのである。私なんか「さん」を付けてもらえればいい方。ちょっと間違えば「コレ」だ。かみさんなんかも、機嫌の悪い時など「あんたあ~」である。「私は貝になりたい」という小説があったが、俺は「お蚕さん」になりたい。


 繭


 教育の欠陥というか、世の中デタラメになったというか、日常の人間社会の中で敬語がおろそかになりつつあるような気がしてならない。まあ、ここでは難しいことはさて置くとして、里にも確実に秋が下りてきた。かつてはお蚕さんの餌となった桑畑の跡に堂々と広がる葡萄園は、既に実りの房をなくし、日に日に葉っぱを黄色くしている。肌寒さばかりでなく、目でも秋を感ずる季節となった。


もみじ

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柿と牡蠣と柿(こけら)

牡蠣



 誰が言ったか知らないが、牡蠣を海のミルクと言う。12月頃から翌年2月ごろが旬だそうだ。つまり冬場の食べ物。もちろん、山梨の我が家でも食べるが、数年前、松島への高校の同級生でつくる無尽会の旅行の時や、広島の友人に招かれた時にご馳走になった牡蠣の味は今も忘れられない。なんでもそうだが、本場で食べる味は格別だ。なにしろ旨い。




牡蠣2



 こうしてパソコンを叩いていると、やっぱりムチウチ症の首が痛くなってくる。顔を上げて窓越しに外を眺めると庭先の柿が色付き始めた。種類は「御所」「富有」。まだ食べるには少し早い。美味しくなるのは霜が降りるようになってからだ。柿の中でも御所柿は年生りの激しい種類。今年はほとんど生っていない。どんな果物にも共通して言えるのだが、特に柿は消毒を怠ったらダメ。ヘタに虫が入り、実が熟す前にみんな落ちてしまうのである。年生りというより、今年の不作はその徹を踏んでしまったからでもある。



柿1



 牡蠣。同じ「かき」だが、この二つは海の幸と山の幸。立場を異にする。しかし海と山を代表する栄養価の高い食べ物であることに違いはない。なにしろ柿だって昔からこんなことを言われている。


 


 「柿が赤くなれば医者が青くなる」


柿2



 栄養価の高い果物としての比喩でもある。ただこれには実りの秋が背景にあることも確か。柿ばかりではなく林檎や栗などさまざまな果物、大根などの野菜も採れる。黄金の稲穂が刈り取られ、美味しい新米が採れるのもこの時期だ。その秋の象徴が柿かもしれない。



栗



 その柿。同じ「柿」だが、果物の柿とは全く違う「柿」がある。「杮落とし」「杮」(こけら)だ。確か前にもちょっと触れたような記憶もあるが、実はこの二つの「柿」は意味ばかりではなく、字そのものが違うのである。「柿」(かき)は「木」ヘンに「
」を書き「巾」を書く。一方「杮」(こけら)は「一」に「巾」の縦の線を上に突き出すように書く。だから「柿」(かき)が九画なのに対して、「杮」(こけら)は八画なのだ。見た目は同じだが、全く異なる字なのである。試しに、かみさんに聞いてみたら案の定「杮(こけら)落とし」すら知らなかった。




 因みに「杮」(こけら)木材を削った時に出来るカンナ屑のこと。転じて柿落としは、この木片を払って新築、改築したばかりの建物で始めて行う催しのことを言う。元々は歌舞伎など劇場の催しを言ったのだそうだが、やがて多目的の文化ホールや競技場など公的施設のオープンなどにも使われるようになったのだという。

柿3


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運命の泣き別れ

雨  


 馬の背を分けるという。この時期、夕立などに見られる現象だ。今、ここでは降っていないのに、すぐ先は雨。その逆もある。もちろん夏の時期ばかりではない。雨が落ちていないところは日が差しているから、「お天気雨」などともいう。山の稜線でも≪馬の背を分ける≫ことがある。あちら側は雨でもこちらは晴れ。やがて一帯が雨雲に覆われることも。




 「じゃあ~、あばよ」。一緒に仲良く落ちてきた雨粒は、山の稜線を境に一方は山のあちら側に、一方はこちら側に泣き別れするのだ。このふた粒の雨は結果的に行き着く先がまったく違うのである。例えば、山梨県の甲府盆地と富士山麓地方を分ける御坂山塊の場合、甲府盆地側に落ちた雨は日本3大急流のひとつ富士川を経て駿河湾に流れ込むし、反対側の富士山麓側に落ちれば桂川に流れ込んで相模湾に。


海2


 山梨県を流れる水系は、たったのふたつ。富士川桂川だ。もちろん、笛吹川や釜無川など、それぞれに支流はいっぱいある。いずれにしても山梨県に降った雨は、みんな太平洋に注ぐ。お隣の長野県の場合、天竜川などを経て太平洋に流れるものもあれば、まったく違う日本海に注ぐものもある。日本列島をアルプスで背を分けるのである。


川



 馬の背分けやお天気雨は、自然界ばかりではない。さっきまで泣いていた人が笑ったり、昨日まで一緒にいた人が、いつの間にかいなくなったり・・・。前者を人は「お天気やさん」という。感情の起伏が激しいのだろうが、これも案外始末が悪い。




 「お天気やさん」はともかく、ふた粒の雨と同じように人の出会いと別れは不思議なものだ。人間、一生のうちに出会う人の数は膨大なものだろう。もちろん、その人の性格や生活環境、生き様などによっても違う。いずれにしてもその舞台は小、中、高、大学などの学校だったり、社会人になれば職場や趣味、広い意味での遊びだったりする。社会人になってからの方が人の出会いは格段に多い。




 初対面の時、名刺交換をする。その一枚の名刺がいいビジネス取引に繋がったり、かけがえのない生涯の友への切符になったりもする。その逆に、たった一度の出会いで終わることだってある。その場合、名刺の交換だけだから、お互い顔すら覚えていないのだ。


名刺交換


 勤めをリタイアした今、在職中にいただいた名刺が山ほどある。40年を超す歳月の重さをいやが上にも思い知らされるのだが、それを整理していながら、ほとんどが顔と名前が一致しないのだ。相手側もまったく同じだろう。人の出会いの入り口であり、その証のような名刺の交換がいかに儀礼的で、儚いものかを今更ながら思い知らされたりもする。


名刺


 たまたま分水嶺に落ちる雨ではないが、子供の頃、小学校や中学校、高校や大学で机を並べた仲間が卒業という分水嶺で別れ、同級会などで再開した時、その変わりようにびっくりすることがある。ふた粒の雨のようにたまたま落ちたところの違いで、駿河湾にも相模湾にも流れれば、太平洋にも日本海にも分かれるのだ。行き着く先の海ばかりではない。そこまでの過程もまったく違う。水の流れとなって、もみ合う仲間の雨も違えば、ぶつかり合う石や岩、岸辺など環境そのものがまったく違うのだ。そう考えると、自然界や人間界には、動かしがたい運命のようなものがあるような気がしてならない。


海


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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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