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パソコンの功罪

ペン


 「ペンを取る」とか「ペンを走らせる」という言葉は「ダイヤルを回す」と同じように、最早、死語になりつつある、日常にパソコンが普及したからだ。同じ意味合いの「筆」は一足早く、少なくとも我が家の日常からは姿を消した。電話はボタン式になって久しい。




 ヘンな表現だが、文字を書かなければならない人ほど「文字を書かない」。それを生業とする作家や新聞記者たちである。「書く」から「叩く」。原稿用紙に向かうのではなく、パソコンに向かってキーを叩くのだ。役所や会社で書類作りに携わる人だって同じだろう。




 こうしてブログを“書き”、パソコンに“遊んで”貰っている暇な人間ですら、日常で文字を書くことが縁遠くなっている。あるとすれば年に一度の年賀状と、お中元やお歳暮など友や知人からの贈り物に対するお礼状くらいのもの。お礼状は電話やメールで済ませてしまうことが多いので、あえて言えば、年賀状ぐらいのもの。その年賀状だって今やパソコンがやってくれるのだ。


年賀状



 文字の文化を支えたのは、紛れもなく筆であり、ペン・万年筆であった。しばらく経ってボールペンが開発されて、これに取って代わった。もちろん、鉛筆の存在は欠かせないし、子供達の間ではシャープペンが。シャープペンやボールペンには、サンリオのキティちゃんなどの人気キャラクターが施され、ファッション性をも備えるようになった。それほど顕著では無いにしても筆やペン・万年筆にも、もちろんデザイン性はあった。



ペン



 いずれも文字を形成するツールとして、それぞれの場面にあわせて役割を果たして来たのである。署名や記録の手段、そのためのツールとしては、筆や万年筆がその役割を担い、鉛筆やシャープペン、ボールペンは、それを補完するラフなツールであったように思う。




 パソコンの登場は、そんな文字文化を根本からひっくり返してしまったのである。筆であれ、万年筆やボールペン、鉛筆であれ、これまでの文字を書くツールの形態が決まって棒状で、しかも手に持って書いたのに対して、こちらはキーを叩くだけの動作に


キーボード



 それだけではない。パソコンという“革命児”「ペンダコ」という言葉も死語にしてしまった。ペンダコは作家や新聞記者のように文字を沢山書く人の証であり、勲章のようなものでもあった。主には右手中指の第一関節付近に出来るのだ。しかし、今や過去の遺物。そんなものがあったら若い方々からは笑われるに違いない。




 確かにパソコンは便利だ。しかし、そこから流れ出す文字はみんな画一的。当たり前だが、手書き文字が醸し出す個性は言うに及ばず、味のひとかけらもない。女房はよく言う。



 「お父さん、パソコンはいいよね。いくら字が下手くそでも分からないものねえ…」


 似た者夫婦。考える事は同じだ。


 ソフト会社は筆文字を作ったり、さまざまな字体を作ってくれてはいるものの、所詮は人工文字。いくら知恵を絞り、工夫を凝らしたとしても人間一人一人が持つ個性を創造することは出来まい。パソコンは日本の文字文化を雪崩のように変えていく。人間はいつの間にかそれが当たり前と受け止めていくのだ。(次回に続く)



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パソコンとワープロ

パソコン


 サラリーマン時代の先輩でもあり、上司でもある方にお会いした。久しぶりだった。職場を共にした仲間のご家族の葬儀の折のこと。焼香を済ませ、斎場の駐車場でバッタリ顔を合わせたのである。8月ももう終わりというのにやけに暑い。どちらからともなく黒の上着を脱いだ。貧乏人の私なんか間冬兼用、夏物の式服(略式)ではないので、人一倍、クソ暑いのだ。でも話は弾んだ。




 「パソコン、やっているんだって? 俺、昔のワープロを捨てて、安物のパソコンを買ったんだよ。よたよたとやっているんだが、パソコンというヤツはいいねえ。でも、お陰で、だんだん、を書かなくなっちまった」

パソコン2



 この人は昭和4年生まれ。私とは一回りちょっと違うから、もう80歳を過ぎている。趣味は山登りで、若い頃は仕事の合間を見つけては山に登っていた。今は退いたが山梨県山岳連盟の会長も長く務めた。数はそれ程多くはないが、会社内にもこの人の影響を受けて今でも山に登っている人もいる。そんな人だから山に対する造詣は深く、今でも山岳雑誌にエッセイなどを書いている。定かではないが、「岳人」とか「山渓」だろう。詳しいことは言わなかったが、「自分史」なのか、なにやら執筆しているらしい。




 「パソコンというヤツは、加筆、修正、つまり手直しが出来るから、便利な半面、原稿作りの完了に踏ん切りがつけ難い。いつまでも原稿の手直しをしてしまうんだよ・・・」




 お互い、若い頃から推敲に推敲を重ねるような悠長な事をしている暇はなかったので、対照的にそれが気になるのだろう。山男といえば、一見「モサ(猛者)」を連想するのだが、この人は、むしろ何事にも如才なく、しかも器用に物事をこなす方。そう言えばワープロなど使っている人が、ほとんどいなかった時代、どこから見つけて来るのか机の上に自分用のワープロを置いていた。パソコンが登場する前のかなり昔のことだ。言わずもがな、キーボードを叩く姿はお世辞にも上手とは言えなかった。


キーボード


 私の場合、パソコンは60の手習いどころか、65歳になってようやく覚えた。それまでは「こんなものやるもんか」と、半ばふてくされていたばかりか、正直「出来っこない」と決め込んでもいた。ところが人間とは不思議なもの。ある程度覚えると、それが面白くなるのだ。ブログをも開設した。ちょうど6年が経つ。最初は誰も読んでくれなかった自分のブログをだんだん多くの人達に読んでいただけるようになると、これまた不思議なもので、興味どころか、後ろで後押しされているような錯覚をも覚えるのである。




 パソコンとは便利なものだ。でも先輩氏が言うように確かに字を書かなくなる。勢い字を忘れる。一回りも違う先輩氏の前で言ったら笑われるが、加齢と共にそれが加速するのだ。漢字を覚えていなくても変換機能があるから、書けなくたって目で覚えてさえいれば済む。「へえ~」。逆に字を教えられることだってある。パソコン、そこから接続されるインターネット。ITの世界はますます高度化し、グローバル化してゆく。ペンダコなんか勲章ではない。そんな人間は今や無用の長物。パソコンが自由に操れない人間はこれからと言わず「人」ではなくなる時代になった。




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パソコンの功罪

ペン


 「ペンを取る」とか「ペンを走らせる」という言葉は「ダイヤルを回す」と同じように、最早、死語になりつつある、日常にパソコンが普及したからだ。同じ意味合いの「筆」は一足早く、少なくとも我が家の日常からは姿を消した。電話はボタン式になって久しい。




 ヘンな表現だが、文字を書かなければならない人ほど「文字を書かない」。それを生業とする作家や新聞記者たちである。「書く」から「叩く」。原稿用紙に向かうのではなく、パソコンに向かってキーを叩くのだ。役所や会社で書類作りに携わる人だって同じだろう。




 こうしてブログを“書き”、パソコンに“遊んで”貰っている暇な人間ですら、日常で文字を書くことが縁遠くなっている。あるとすれば年に一度の年賀状と、お中元やお歳暮など友や知人からの贈り物に対するお礼状くらいのもの。お礼状は電話やメールで済ませてしまうことが多いので、あえて言えば、年賀状ぐらいのもの。その年賀状だって今やパソコンがやってくれるのだ。


年賀状



 文字の文化を支えたのは、紛れもなく筆であり、ペン・万年筆であった。しばらく経ってボールペンが開発されて、これに取って代わった。もちろん、鉛筆の存在は欠かせないし、子供達の間ではシャープペンが。シャープペンやボールペンには、サンリオのキティちゃんなどの人気キャラクターが施され、ファッション性をも備えるようになった。それほど顕著では無いにしても筆やペン・万年筆にも、もちろんデザイン性はあった。



ペン



 いずれも文字を形成するツールとして、それぞれの場面にあわせて役割を果たして来たのである。署名や記録の手段、そのためのツールとしては、筆や万年筆がその役割を担い、鉛筆やシャープペン、ボールペンは、それを補完するラフなツールであったように思う。




 パソコンの登場は、そんな文字文化を根本からひっくり返してしまったのである。筆であれ、万年筆やボールペン、鉛筆であれ、これまでの文字を書くツールの形態が決まって棒状で、しかも手に持って書いたのに対して、こちらはキーを叩くだけの動作に


キーボード



 それだけではない。パソコンという“革命児”「ペンダコ」という言葉も死語にしてしまった。ペンダコは作家や新聞記者のように文字を沢山書く人の証であり、勲章のようなものでもあった。主には右手中指の第一関節付近に出来るのだ。しかし、今や過去の遺物。そんなものがあったら若い方々からは笑われるに違いない。




 確かにパソコンは便利だ。しかし、そこから流れ出す文字はみんな画一的。当たり前だが、手書き文字が醸し出す個性は言うに及ばず、味のひとかけらもない。女房はよく言う。



 「お父さん、パソコンはいいよね。いくら字が下手くそでも分からないものねえ…」


 似た者夫婦。考える事は同じだ。


 ソフト会社は筆文字を作ったり、さまざまな字体を作ってくれてはいるものの、所詮は人工文字。いくら知恵を絞り、工夫を凝らしたとしても人間一人一人が持つ個性を創造することは出来まい。パソコンは日本の文字文化を雪崩のように変えていく。人間はいつの間にかそれが当たり前と受け止めていくのだ。(次回に続く)



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正直者のパソコン

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 アナログ人間が遅ボケのインターネットにハマって、パソコンを叩いているうちに、≪迷路≫に落ちて悪戦苦闘。お若い方々からは失笑を買うかも知れないが、そこから抜け出せずに立往生することもしばしばだ。それどころか、文章作りで何時も戸惑うのが「ず」と「づ」や、送り仮名が≪落ちる≫か≪落ちないか≫、つまり「つ」と「っ」、「ゆ」と「ゅ」などで「あれ?」を繰り返す始末。お目当ての漢字が出て来ないのだ。




 例えば「失敗」は「しゅっぱい」?「しつぱい」?「手術」は「しゅじつ」?「しゅじゅつ」?「しじゅつ」? 「続き」は「つづき」であることぐらいは分かる。「図案」は「ずあん」か「づあん」で、一瞬にしても迷ったりする。「決して」は「けして」とキーを叩いたら「消して」になってしまう。




 「オジサン、バカだね。小学校出たの?そんなことでモタモタしているんだ…」


 おっしゃる通り「バカ」と言われても仕方がないことを日常的に繰り返しているのである。手書き文字の場合、「失敗」も「手術」も考えなくても書けるが、パソコンの場合、平仮名の大文字、小文字をたった一つ間違えても、お目当ての文字を出してくれない。「そのくらい、前後の文脈から判断してくれても…」と言ってみたところでどうにもならない。


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 でもパソコンは人間の頭と違って一度覚えた(入力された)ことは、絶対に忘れないでいてくれる。人間の頭は、その年齢によって大小の差を伴うもののモノ事を忘れる。私なんか、このところ自分でもビックリするほどモノ忘れがひどい。助け船のように、うまいことを言ってくれた人がいた。




 「人間は、そもそもが≪忘れる動物≫なんですよ。考えてごらんなさいよ。いいことや楽しいことなら、いざ知らず、悪いことや気持ちが悪いことを何時までも覚えていたら、どうなります?きっとノイローゼになりますよ。忘れるからいいんです」




 その通りだろう。妙なところで頷いた。考えてみれば、人間の平均寿命は80歳とちょっと。いくら長生きしても100歳、110歳を超えることは容易いことではない。それと比べれば、コンピュータの電子回路は、比べ物にならないほど強く、恒久的と言ってもいい。むろん、完全とは言い切れないだろうが、回路の補強や取り換えによって再生、復帰もする。その面から考えれば、人間の脳など及びもつくまい。取り換えが出来ないからだ。




 アナログオジサンには、何となくの想像という次元の理解でしかないが、AI(人工知能)の開発、進歩は、これから、どんな社会をもたらし、人間の生活をどの様に変えて行くのだろうか。ロボットに人工知能を埋め込み、学習機能を持たせたら、少なくともオジサンのようなアナログ人間は≪用なし≫の存在になることは必定。




 ICTも含めた科学技術の進歩と深化は、私達アナログ人間にとっては、夢である一方で一抹の不安でも。面白半分、興味半分でパソコンを叩き、インターネットに向き合いながら柄にもないことを考えた。正直者で、融通の利かないパソコンと言う名のコンピュータは、オレ達・アナログ人間に何を教え、何処に導こうとしているのか…。




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ありがとうございました!


パソコンの落とし穴

パソコン_convert_20110106220352


 「足コメありがとう。しかし、随分と上から目線での物言いですねえ。年長者でも、使っていい言葉と、そうでない言葉がありますよ。お気をつけ下さい」




 私が自分のブログにおいで頂いた方に書かせていただいた、足あとコメントの返事だ。一瞬、ドキッとした。明らかに叱責だ。抗議でもある。何か失礼なことを書いてしまったのだろうか。いや、そんなことはない。初対面の方だから、失礼にならないようにコメントを書かせていただいたはずだ。

マウス



 すぐに私が書いたコメントを見てみた。結論から言おう。とんでもない変換ミスをしていたのである。恥をしのんで、お叱りを招いたコメントの内容を掲載してみる。




 「(前略)よくいらっしゃいました。私は山梨の田舎ですから、子どもの頃、大きなウサギ小屋を作って何匹ものウサギを飼ったことがあります。そんな時代を懐かしく思い起こしました。(中略)こちらからも、または意見しに伺います




 (前略)の部分では相手方のブログを読ませていただいた感想を、また(中略)の部分では山梨の近況を書かせていただいた。お叱りを頂いた「随分と上から目線での物言い」は、最後の部分だった。自分では「こちらからも、また(ブログを)拝見しに伺います」と書いたつもりが「こちらからも、または意見しに伺います」になってしまったのだ。




 つまり、変換ミスで「また拝見しに・・・」が「または意見しに・・・」に。ブログを拝見させて頂くのではなく、意見をしに行くことになってしまったのだから、まったくの、大きなお世話で、お怒りになるのも当たり前。




 「拝見」と「は意見」。一字違いで意味がまったく異なってしまう。パソコンほど利口者はいない、と思っていたら、とんだ落とし穴が潜んでいたのである。変換ミスをご理解頂ければ、何の事はない、笑い話のような話だが、このパソコンのいたずら、場合によっては人を傷つけたり、傷つけられたりするのだ。いつでも起こり得るから怖い。


キーボード


 助詞とか、接続詞との組み合わせから生ずる変換ミスばかりでなく、同異語の変換ミスもあるだろう。いわゆる、誤字、脱字の類なら「あいつ、バカだなあ」で済まされもするが、それによって文章の意味がまったく違ってしまったら、場合によって「ごめんなさい」では済まされない。大抵の変換ミスは文脈を乱して、意味が分からなくなるからいい。しかし、私のご粗末のように、よく見れば一字、不自然な「は」が入ってはいるものの、全体では意味を違えて読み下してしまえるから始末が悪い。




 手書きの文字だったら、こんな間違いや、そこから生ずるトラブルはまずなかった。あっても「あいつ、また、こんな誤字を書いて・・・」と笑われるくらいで済んだ。そういう自分だって、それをしかねないから、目で笑って終わりだ。

パソコン1_convert_20110722215928


 しかし、パソコンというヤツは時に、アナログ人間を狙い撃ちにして落とし穴にはめる。キーを叩き損ねて、また打ち直す。変換ミスどころか、そんな悪戦苦闘をしているのだから困ったものだ。パソコン様、くわばら、くわばらである。



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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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