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パソコンに向かっている時間

 机に向かっている時間、正確にはパソコンに向かっている時間と言うべきなのだろうが、そんな時間が長くなった。


パソコン_convert_20110106220352


 「お父さん、子どもの頃から、これほど熱心に机に向かえば、さぞかし、今頃は博士か大臣か、でしょうね」


 近くでわたしの晩酌の後片付けをしていた女房が、皮肉混じりにこんな軽口を叩いた。



 「お前、俺の子どもの頃なんてよく分かるじゃあないか」



 「分かるわよ。もう40年以上も夫婦、やっているんですもの。お父さんがそんなに勉強しなかったことぐらいお見通しよ」


マウス


 確かにそうだ。パソコンを覚えて14~5年。特に、このブログを始めて10年以上。暇さえあれば机に向かっている。自分でも不思議に思うくらいだ。インターネットはおろか、パソコンすら触ろうとしない仲間達は「76歳を過ぎて、そんな肩の凝ることを・・・。第一、目に悪いよ」と、笑うのだが、とにかく惹かれるのだ。




 肩が凝るのは今に始まったことではないから、このパソコンが原因じゃあない。もう一つの目もくたびれない。夜、遅くなっても、案外、眠くならないのである。言葉には出さないが、女房が言うように、子どものころこれほど熱心に机に向かっていたら、俺の人生が変わっていたのではと、正直思う。


鉛筆


 考えてみれば、子どもの頃、こんなに意欲的に机に向かったことも、いわんや勉強したこともなかった。女房の言う通りだ。今の教育ママと違って、親達もたくさんの子どもを抱え、生活そのものも楽ではなかったからか、子ども達にそれほど「勉強しろ」などと言わなかった。そんな暇もなかったのだろう。それが幸か不幸か・・・。



 宿題をしていかないと明日、先生から怒られるので、仕方なく机に向かうのだが、これまた昼間の遊び疲れで、すぐに眠くなるのだ。そんな事を繰り返しながら中学、高校へ。3年生になる頃になって大学受験を意識して「これじゃあ困る」と、自覚?にも似た心境になるのだが、その体質が一夜に変わるはずもない。面白くないから、また居眠りだ。




 ところがどうだ。これまでだらだらと飲んでいて女房から嫌がられた晩酌も、さっと切り上げて机に向かうし、お酒を飲んで午前様で帰っても一度はパソコンに向かう。ブログを開き、留守中の訪問者にコメントを返すのだ。



 「お父さん、今何時だと思っていらっしゃるの。眠れないじゃない。早く電気消して、寝てくださいよ」



 女房がうるさいから、仕方なく止めるのだが、このうるさいヤツがいなかったら・・・。



 何事にも言えることだろうが、興味を持つということは恐ろしいものだ。矢印マークやハンドマークを動かしては手当たり次第にクリック、そこにまた「へえ~」と思える発見が。ブログ記事のカット写真を作るため、デジカメも持ち歩くようになった。若い頃、仕事にも使ったアナログのカメラは押入れの中だ。レンズの先の視点も変わった。




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パソコンの功罪

ペン


 「ペンを取る」とか「ペンを走らせる」という言葉は「ダイヤルを回す」と同じように、最早、死語になりつつある、パソコンが普及がそうさせた。同じ意味合いの「筆」は一足早く、少なくとも我が家の日常からは姿を消した。電話はボタン式になって久しい。




 ヘンな表現だが、文字を書かなければならない人ほど「文字を書かない」。それを生業とする作家や新聞記者たちである。「書く」から「叩く」。原稿用紙に向かうのではなく、パソコンに向かってキーを叩くのだ。役所や会社で書類作りに携わる人だって同じだろう。




 こうしてブログを“書き”、パソコンに“遊んで”貰っている暇な人間ですら、日常で文字を書くことが縁遠くなっている。あるとすれば年に一度の年賀状と、お中元やお歳暮など友や知人からの贈り物に対するお礼状くらいのもの。お礼状は電話やメールで済ませてしまうことが多いので、あえて言えば、年賀状ぐらいのもの。その年賀状だって今やパソコンがやってくれるのだ。


年賀状



 文字の文化を支えたのは、紛れもなく筆であり、ペン・万年筆であった。しばらく経ってボールペンが開発されて、これに取って代わった。もちろん、鉛筆の存在は欠かせないし、子供達の間ではシャープペンが。シャープペンやボールペンには、サンリオのキティちゃんなどの人気キャラクターが施され、ファッション性をも備えるようになった。それほど顕著では無いにしても筆やペン・万年筆にも、もちろんデザイン性はあった。シャープペンは、その芯の性質から子供達が「丸文字」と呼ばれる字体をも生み出したと言われている。



ペン



 いずれも文字を形成するツールとして、それぞれの場面にあわせて役割を果たして来たのである。署名や記録の手段、そのためのツールとしては、筆や万年筆がその役割を担い、鉛筆やシャープペン、ボールペンは、それを補完するラフなツールであったように思う。




 パソコンの登場は、そんな文字文化を根本からひっくり返してしまったのである。筆であれ、万年筆やボールペン、鉛筆であれ、これまでの文字を書くツールの形態が決まって棒状で、しかも手に持って書いたのに対して、こちらはキーを叩くだけの動作に


キーボード



 それだけではない。パソコンという“革命児”「ペンダコ」という言葉も死語にしてしまった。ペンダコは作家や新聞記者のように文字を沢山書く人の証であり、勲章のようなものでもあった。主には右手中指の第一関節付近に出来るのだ。しかし、今や過去の遺物。そんなものがあったら若い方々からは笑われるに違いない。




 確かにパソコンは便利だ。しかし、そこから流れ出す文字はみんな画一的。当たり前だが、手書き文字が醸し出す個性は言うに及ばず、味のひとかけらもない。女房はよく言う。



 「お父さん、パソコンはいいよね。いくら字が下手くそでも分からないものねえ…」


 似た者夫婦。考える事は同じだ。


 ソフト会社は筆文字を作ったり、さまざまな字体を作ってくれてはいるものの、所詮は人工文字。いくら知恵を絞り、工夫を凝らしたとしても人間一人一人が持つ個性を創造することは出来まい。パソコンは日本の文字文化を雪崩のように変えていく。人間はいつの間にかそれが当たり前と受け止めていくのだ。



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パソコンの功罪

ペン


 「ペンを取る」とか「ペンを走らせる」という言葉は「ダイヤルを回す」と同じように、最早、死語になりつつある、日常にパソコンが普及したからだ。同じ意味合いの「筆」は一足早く、少なくとも我が家の日常からは姿を消した。電話はボタン式になって久しい。




 ヘンな表現だが、文字を書かなければならない人ほど「文字を書かない」。それを生業とする作家や新聞記者たちである。「書く」から「叩く」。原稿用紙に向かうのではなく、パソコンに向かってキーを叩くのだ。役所や会社で書類作りに携わる人だって同じだろう。




 こうしてブログを“書き”、パソコンに“遊んで”貰っている暇な人間ですら、日常で文字を書くことが縁遠くなっている。あるとすれば年に一度の年賀状と、お中元やお歳暮など友や知人からの贈り物に対するお礼状くらいのもの。お礼状は電話やメールで済ませてしまうことが多いので、あえて言えば、年賀状ぐらいのもの。その年賀状だって今やパソコンがやってくれるのだ。


年賀状



 文字の文化を支えたのは、紛れもなく筆であり、ペン・万年筆であった。しばらく経ってボールペンが開発されて、これに取って代わった。もちろん、鉛筆の存在は欠かせないし、子供達の間ではシャープペンが。シャープペンやボールペンには、サンリオのキティちゃんなどの人気キャラクターが施され、ファッション性をも備えるようになった。それほど顕著では無いにしても筆やペン・万年筆にも、もちろんデザイン性はあった。



ペン



 いずれも文字を形成するツールとして、それぞれの場面にあわせて役割を果たして来たのである。署名や記録の手段、そのためのツールとしては、筆や万年筆がその役割を担い、鉛筆やシャープペン、ボールペンは、それを補完するラフなツールであったように思う。




 パソコンの登場は、そんな文字文化を根本からひっくり返してしまったのである。筆であれ、万年筆やボールペン、鉛筆であれ、これまでの文字を書くツールの形態が決まって棒状で、しかも手に持って書いたのに対して、こちらはキーを叩くだけの動作に


キーボード



 それだけではない。パソコンという“革命児”「ペンダコ」という言葉も死語にしてしまった。ペンダコは作家や新聞記者のように文字を沢山書く人の証であり、勲章のようなものでもあった。主には右手中指の第一関節付近に出来るのだ。しかし、今や過去の遺物。そんなものがあったら若い方々からは笑われるに違いない。




 確かにパソコンは便利だ。しかし、そこから流れ出す文字はみんな画一的。当たり前だが、手書き文字が醸し出す個性は言うに及ばず、味のひとかけらもない。女房はよく言う。



 「お父さん、パソコンはいいよね。いくら字が下手くそでも分からないものねえ…」


 似た者夫婦。考える事は同じだ。


 ソフト会社は筆文字を作ったり、さまざまな字体を作ってくれてはいるものの、所詮は人工文字。いくら知恵を絞り、工夫を凝らしたとしても人間一人一人が持つ個性を創造することは出来まい。パソコンは日本の文字文化を雪崩のように変えていく。人間はいつの間にかそれが当たり前と受け止めていくのだ。(次回に続く)



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パソコンとワープロ

パソコン


 サラリーマン時代の先輩でもあり、上司でもある方にお会いした。久しぶりだった。職場を共にした仲間のご家族の葬儀の折のこと。焼香を済ませ、斎場の駐車場でバッタリ顔を合わせたのである。8月ももう終わりというのにやけに暑い。どちらからともなく黒の上着を脱いだ。貧乏人の私なんか間冬兼用、夏物の式服(略式)ではないので、人一倍、クソ暑いのだ。でも話は弾んだ。




 「パソコン、やっているんだって? 俺、昔のワープロを捨てて、安物のパソコンを買ったんだよ。よたよたとやっているんだが、パソコンというヤツはいいねえ。でも、お陰で、だんだん、を書かなくなっちまった」

パソコン2



 この人は昭和4年生まれ。私とは一回りちょっと違うから、もう80歳を過ぎている。趣味は山登りで、若い頃は仕事の合間を見つけては山に登っていた。今は退いたが山梨県山岳連盟の会長も長く務めた。数はそれ程多くはないが、会社内にもこの人の影響を受けて今でも山に登っている人もいる。そんな人だから山に対する造詣は深く、今でも山岳雑誌にエッセイなどを書いている。定かではないが、「岳人」とか「山渓」だろう。詳しいことは言わなかったが、「自分史」なのか、なにやら執筆しているらしい。




 「パソコンというヤツは、加筆、修正、つまり手直しが出来るから、便利な半面、原稿作りの完了に踏ん切りがつけ難い。いつまでも原稿の手直しをしてしまうんだよ・・・」




 お互い、若い頃から推敲に推敲を重ねるような悠長な事をしている暇はなかったので、対照的にそれが気になるのだろう。山男といえば、一見「モサ(猛者)」を連想するのだが、この人は、むしろ何事にも如才なく、しかも器用に物事をこなす方。そう言えばワープロなど使っている人が、ほとんどいなかった時代、どこから見つけて来るのか机の上に自分用のワープロを置いていた。パソコンが登場する前のかなり昔のことだ。言わずもがな、キーボードを叩く姿はお世辞にも上手とは言えなかった。


キーボード


 私の場合、パソコンは60の手習いどころか、65歳になってようやく覚えた。それまでは「こんなものやるもんか」と、半ばふてくされていたばかりか、正直「出来っこない」と決め込んでもいた。ところが人間とは不思議なもの。ある程度覚えると、それが面白くなるのだ。ブログをも開設した。ちょうど6年が経つ。最初は誰も読んでくれなかった自分のブログをだんだん多くの人達に読んでいただけるようになると、これまた不思議なもので、興味どころか、後ろで後押しされているような錯覚をも覚えるのである。




 パソコンとは便利なものだ。でも先輩氏が言うように確かに字を書かなくなる。勢い字を忘れる。一回りも違う先輩氏の前で言ったら笑われるが、加齢と共にそれが加速するのだ。漢字を覚えていなくても変換機能があるから、書けなくたって目で覚えてさえいれば済む。「へえ~」。逆に字を教えられることだってある。パソコン、そこから接続されるインターネット。ITの世界はますます高度化し、グローバル化してゆく。ペンダコなんか勲章ではない。そんな人間は今や無用の長物。パソコンが自由に操れない人間はこれからと言わず「人」ではなくなる時代になった。




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パソコンの功罪

ペン


 「ペンを取る」とか「ペンを走らせる」という言葉は「ダイヤルを回す」と同じように、最早、死語になりつつある、日常にパソコンが普及したからだ。同じ意味合いの「筆」は一足早く、少なくとも我が家の日常からは姿を消した。電話はボタン式になって久しい。




 ヘンな表現だが、文字を書かなければならない人ほど「文字を書かない」。それを生業とする作家や新聞記者たちである。「書く」から「叩く」。原稿用紙に向かうのではなく、パソコンに向かってキーを叩くのだ。役所や会社で書類作りに携わる人だって同じだろう。




 こうしてブログを“書き”、パソコンに“遊んで”貰っている暇な人間ですら、日常で文字を書くことが縁遠くなっている。あるとすれば年に一度の年賀状と、お中元やお歳暮など友や知人からの贈り物に対するお礼状くらいのもの。お礼状は電話やメールで済ませてしまうことが多いので、あえて言えば、年賀状ぐらいのもの。その年賀状だって今やパソコンがやってくれるのだ。


年賀状



 文字の文化を支えたのは、紛れもなく筆であり、ペン・万年筆であった。しばらく経ってボールペンが開発されて、これに取って代わった。もちろん、鉛筆の存在は欠かせないし、子供達の間ではシャープペンが。シャープペンやボールペンには、サンリオのキティちゃんなどの人気キャラクターが施され、ファッション性をも備えるようになった。それほど顕著では無いにしても筆やペン・万年筆にも、もちろんデザイン性はあった。



ペン



 いずれも文字を形成するツールとして、それぞれの場面にあわせて役割を果たして来たのである。署名や記録の手段、そのためのツールとしては、筆や万年筆がその役割を担い、鉛筆やシャープペン、ボールペンは、それを補完するラフなツールであったように思う。




 パソコンの登場は、そんな文字文化を根本からひっくり返してしまったのである。筆であれ、万年筆やボールペン、鉛筆であれ、これまでの文字を書くツールの形態が決まって棒状で、しかも手に持って書いたのに対して、こちらはキーを叩くだけの動作に


キーボード



 それだけではない。パソコンという“革命児”「ペンダコ」という言葉も死語にしてしまった。ペンダコは作家や新聞記者のように文字を沢山書く人の証であり、勲章のようなものでもあった。主には右手中指の第一関節付近に出来るのだ。しかし、今や過去の遺物。そんなものがあったら若い方々からは笑われるに違いない。




 確かにパソコンは便利だ。しかし、そこから流れ出す文字はみんな画一的。当たり前だが、手書き文字が醸し出す個性は言うに及ばず、味のひとかけらもない。女房はよく言う。



 「お父さん、パソコンはいいよね。いくら字が下手くそでも分からないものねえ…」


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 ソフト会社は筆文字を作ったり、さまざまな字体を作ってくれてはいるものの、所詮は人工文字。いくら知恵を絞り、工夫を凝らしたとしても人間一人一人が持つ個性を創造することは出来まい。パソコンは日本の文字文化を雪崩のように変えていく。人間はいつの間にかそれが当たり前と受け止めていくのだ。(次回に続く)



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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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