遊び感覚の農業

 特異なケースらしいが、山梨には無尽が多い。もちろん無尽は古くからあった。大坂や堺の商人達が「頼母子講」として始めたのが、その起こりだという。しかし山梨で多い無尽は、そんな経済的な意味合いのものではなく、社交的な場、つまり仲間達の交流の場なのである。


 私も5つの無尽に入っていて、毎月1回ずつお酒を酌み交わしながら、たわいもない話に花を咲かす。ユネスコの仲間達や中学校、高校の同級生たちである。同級生はもちろん、みんな還暦をとおに過ぎている。果樹農家など自営者を除けばみんな勤めをリタイアした者ばかかり。話題といえば、健康と野菜作り、土いじりの話がもっぱらだ。

かぼちゃ

 特に非農家が多い仲間達の無尽では時として野菜作りの話が多い。非農家のクセにといったら叱られるが、みんな良く知っている。種を蒔く時期から、手入れの仕方や消毒まで事細かく説明してくれるのである。ヘタな百性よりもっと詳しい。



 それもそのはず、一坪農園ではないが、畑を借りて家庭菜園を楽しんでいるのである。中には、かなりの面積の畑を借りて≪農業≫と取り組んでいる仲間もいる。私の場合、根っからの百姓の倅だから百姓を楽しむという感覚はない。むしろ義務感の方が強い。



 みんな嬉々としている。私も最近では、その義務感が薄れ、楽しさを覚えつつあるが、そんなものではない。退職金で農機具を買い込み、借地をもっと増やしたいという仲間さえいる。家庭菜園型であれ、農業指向型であれ、共通しているのは、野菜作りなどの農業と、健康づくりをダブらせていることだ。



 
だから除草剤など一切使わず、草取りに汗を流し、消毒にも細心の注意を払う。「うちのものも食べてみて」と、その時々の野菜を持って来てくれるのだが、それは立派。私の比ではない。時間と手間、それにお金もかけている。健康づくりのために楽しんで作り、自らの手でつくった無農薬、減農薬の新鮮な野菜を食べる、そんな意欲が伝わってくる。

トマト

 
中高年層のそんな風潮を見通したのだろう。最近、農地を媒体にした都市の人たちと農家の交流を仕掛けるNPO法人が目立ち始めた。そのパターンも都市、農村を問わず、勤めをリタイアした人たちなどが農家の協力を得て立ち上げるケースだ。



 山梨市のあるNPO法人に籍を置く友人の案内で、そのイベントに参加したことがある。桃の花が咲く季節だった。日曜日の朝。まだ9時前というのに、山梨県内はもちろん、東京や千葉、神奈川などから30人を超す家族連れが集まっていた。自分達が借りている桃の摘花を楽しそうにやっている家族連れもいれば、畑の中での岩魚の薫製作りをする夫婦もいる。指導役は NPOのスタッフや農家だ。


桃の花見


 
どの顔も生き生きとしている。みんなおむすびなど、いわゆる手弁当である。毎週日曜日に奥さんと子ども二人の家族全員で、東京からこの畑にやって来るという40代のサラリーマンは「こんな健康的で、お金のかからないレジャーはない」と話していた。楽しむ農業、遊び感覚の農業。都市部には農家の倅にはない志向が膨らんでいる
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大根の種

空


 それまでの雨が止み、厚い雲が所々切れて、その合間から青空がのぞく。それを待っていたように、庭の植え込みでミンミンゼミが泣き出した。この一週間、梅雨期のように雨の日が断続的に続いた。その雨は局地的な豪雨となって各地に被害をももたらし、新聞やテレビを賑わわせた。今年はミンミンゼミが泣き出すのが遅く、お盆を過ぎていた。



 セミはこの世に出てきて、わずか一週間でその生涯を閉じるのだそうだ。行く夏を惜しむように、あっちでもこっちでも。すごい。夏を惜しむなんて叙情的なものではないかも知れない。泣かねば損だ、とでも言わんばかりだ。限りある一生の真っ只中でこんなに雨に降られたのではたまったものではないはずである。差し込む日差しは確実に秋だ。

セミ

 こちらは、その雨を見込んで大根の種を蒔いた。もっと早く蒔かねば駄目、という人もいれば、早過ぎると虫にやられる、という人もいる。ともあれ、この雨が功を奏して大根が見事に芽を出した。ナスや、遅蒔きのキュウリやインゲンを採りに行った女房が「お父さん芽が出てきましたよ」と、言いながら嬉しそうに畑から戻ってきた。


大根の芽


 大根の種を蒔く、というより野菜を作ること自体、全く縁のなかった女房だが、自分も手伝って種を巻いたり、苗を植えたりすると、愛着が生まれるものらしい。よく分かるような気がする。自分自身もそうだが、百姓の倅でありながら≪土≫と生活したのは家にいた高校時代まで。学生時代は東京、サラリーマン時代は一部、韮崎、東京の両支社、支局を除けば甲府で、ずっと≪土≫のない生活だった。



 それが一転、コンクリートの上の生活から≪土≫の上の生活に変わった。下駄や地下足袋、長靴で歩く。雨などで足元が悪い時に便利な高歯の下駄も見つけてきた。毎日≪土≫の上を歩き、野菜作りのための草取りや種まき、苗の移植作業もする。ナス、キュウリ、トマト、カボチャ、ジャガイモ、インゲン、枝豆など夏の野菜は当たり前、サトイモ、サツマイモ、ていも、ほうれん草やエンドウ、こかぶ、春菊。さらに、モロヘイヤやニラ、ニンニク、茗荷、落花生も作る。どうも土壌壌が合わないようだが、スイカも。


大根


 田舎では昔からかんぴょうなどと共に寿司の芯に用いたイモのツル、地方によっては随喜ともいうトーノイモも作り、初冬に皮を剥いて天日に干したりもする。トーノイモはサトイモと良く似ているが、イモ自体は美味しくない。主にツルを食べるのである。



 今ある柿(御所、富有、甲州百目)に加えて、新しい富有柿とりんごの木を何本か植えた。食用かどうか分からないが、今、畑の隅々や植え込みのあっちこっちでユリが真っ白い花を咲かせている。やがて、この種が落ち、来年、草取りの時、ちょっと注意して残してやればどんどん増える。今でもユリ屋敷の風情だ。甲州百目は冬場には枯露柿に変わる。


干し柿


 非農家の生まれで、しかも農業などおよそ縁のない生活をしていた女房が最近では畑仕事を手伝うようになった。ちょっと注意すると「私なんかやったことがないんだから・・・」と、言い訳をしながらも結構≪土≫との生活を楽しんでいる。自分も加わって蒔いた種が芽を出して実り、それを料理して食べる。それはやったことのない人ほど楽しいはずだ

体罰の是非と教育のツケ

 隣にいる子、つまり幼馴染の頭から一筋の血が流れた。小学校の5年生の時だった。何が原因だったかは覚えていないが、担任の先生が筆箱で頭をコツーンと叩いたのである。その頃の筆箱はジュラルミンで出来ていて、上が半開きに開けられる角ばった物だった。


 それでコツーンとやったものだから力を入れなくても当たり所によって頭が切れて血が出よう。先生の弁解をする訳ではないが、決して向きになって叩いたわけではない。ちょっとした弾みで筆箱の角が当たってしまったのだ。


 血を見た先生は、ちょっとうろたえた。「ごめんよ。お父さん、お母さんに謝りに行こうか」。その子は即座に言った。「僕が悪いんだ。お願いだからうちには来ないで。大丈夫だよ」
男の子

 「僕が悪いんだ」という言葉は、その子の本当の気持ちだっただろう。その一方で「うちに来られたらまずい」と考えたことも確かだ。なぜそんなことが分かるのかって? 先生に殴られたことを親に知られたら「お前が悪いことをしたのだろう」と、今度は親からぶん殴られるに決まっているからだ。その子ばかりでなく、クラスのみんなが分かっていた。



 ここで私が言いたいのは二つ。まず一つは先生の叱りだ。結果的に筆箱の角が当たってしまったのだが、それは教師としての子どもへの戒めであり、決して感情的なものではなかったことだ。そしてもう一つ。子どもが取った態度。というより子どもを通して映し出す親達の姿である。どの家庭の親達も学校や先生達を信頼していた。少なくとも我が子のいたずらや非行を棚に挙げて、学校に飛んで行って噛み付くような親はいなかった。



 
こんな姿を現代に置き換えて、こんなことを言う評論家がいる。「親達も高学歴化が進み、先生達と同格意識が強まった」。私はこの考え方は違っていると思っている。≪子ども達との目線≫の勘違いから先生を始とした目上の人たちへの尊敬の念とか、自分中心主義の是非を教えることを怠ったツケが親に表れているのだと思う。つまり、そんな先生に教わった子供たちが親になっているのである。もちろん、すべての先生という訳ではない。


親子

 
いっぱいあるがもう一つだけ例を挙げよう。今度は中学校のケース。ある時、部活動に使う部室の前で起きた教師の体罰事件だ。先生が部室にあったドライヤーで生徒の頭を殴り、頭を切った生徒が病院に運ばれたというのだ。この事件の顛末を書き出したら長くなるので、その要点だけを書くことにする。



 先生が、久しぶりに訪ねてきた知人と部室の前で立ち話をしていた時のことだ。たまたま通りかかった生徒がすれ違いざまにその先生を小馬鹿にするような言葉を浴びせた。カッとした先生はお客さんである知人が帰るのを待って、その生徒を呼びつけ、ドライヤーでメッタ打ちしたというのである。その先生は普段は教育熱心な先生だった。



 少子化。そこそこの経済力。子どもへの教育投資。先生はもちろん、親達からも殴られることのなかった子どもたちが先生になっていく。もちろんそのことが悪いわけではない。しかし、どこを叩いたら危ないかすら知らない先生がいたとしたら、これこそ怖い。

もう一つのオリンピック

 通称、鳥の巣の聖火台の火が消えて、17日間にわたった北京オリンピックが幕を閉じた。新聞やテレビの熱狂的ともいえる報道合戦も終わり、日常に戻った。その同じ舞台で9月6日からパラリンピックが開幕する。やはり4年に一度、オリンピック会場で開かれるもう一つのオリンピックだ。
パラリンピックロゴ 

 北京オリンピックの開幕を真近かにした8月2日夜、地区の公民館で、そのパラリンピックに出場するアスリートの壮行会が開かれた。主役のアスリートは、走り高跳び鈴木徹選手。開会式で日本選手団の旗手を務める。

☆鈴木徹選手のHP☆


 山梨市の片田舎にある公民館2階の座敷は、鈴木選手を励まそうと集まった地区の代表約40人で埋まった。壮行会の看板も手作り。会費は持ち寄り500円である。ペットボトルのお茶で乾杯し、市長が贈った日章旗と市旗にみんなで激励のサインをした。



 主催者は地区の体育協会と社会福祉協議会。司会者の合図で、この日の主役・鈴木選手が入場してきた。私は初対面だった。でっかい。座敷の鴨居をくぐるように入ってくる鈴木選手は見るからに明るく、逞しかった。片っ方が義足だが、その歩きっぷりも身のこなしも健常者と少しも変わらない。



 主催者や市長、体協会長らの挨拶が続く。それに応える鈴木選手の挨拶は爽やかだった。次々と激励の挨拶をする関係者は「勝つ」とか「メダル」といった言葉を一切使わないのである。障害者であることを気遣ったのだろう。なんとなく違和感があった。これに対して鈴木選手は「自己の記録を更新して・・・」と。オリンピック選手と全く変わりない迫力に満ちた挨拶に、それまでの歯切れの悪い激励をぶっ飛ばすように拍手が沸いた。


 地元の岩手小学校から山梨北中、私立の駿台甲府高校に進み、ハンドボールの主力選手として活躍した。そして筑波大学への推薦入学も決まった。ところが鈴木少年は卒業間際、交通事故で右足をもぎ取られたのである。ここからが鈴木少年の真骨頂。へこたれるどころか、ハンドボール復帰へ食い下がった。ここで出会ったのが走り高跳びのマットだったという。走るトレーニング中での偶然の出会いだった。跳んでみた。



 そのマットが運命を変えた。その時、当時の日本記録150cmを上回る165cmを跳んだ。その瞬間からパラリンピックを意識、ハンドボールと決別した。そして半年後にはシドニーパラリンピックの日本代表に選ばれて、178cmを跳び6位。4年後のアテネでは180cmを跳んでやはり6
位に入賞。世界のトップアスリートの仲間入りを果たした。自己記録は2m。

オリンピック観客


 この間、家族の導きもあって、優れた義肢装具士や走り高跳びの日本記録保持者を育てた指導者との出会いもあった。これが鈴木選手の今を支える力になったことも間違いない。しかし、それより確かなのは自らの何事にもへこたれない強靭な精神力だ。



 健常者こそ鈴木選手のような障害者に学ばねばいけないと思った。健常者の勘違いしたいたわりや同情。健常者こそが障害者に見えたかもしれない。鈴木選手は言う。「走り高跳びは唯一失敗して終わる競技」。言外にそこからがまた新しい出発であり挑戦 だと言った。

人権擁護の当たり前

 動きの機敏性が失せたり、足腰の偏重など体調面はともかく、自分が「そんな歳になったのか」と思うことが間々ある。これまで結婚式の祝辞や会合などで挨拶の指名を受けたとき、よく「諸先輩が沢山おいでの中で、若輩者の私が・・・」と前置きしたものだ。事実、未熟者だし、若輩者だと思っている。


 今年1月1日付で人権擁護委員をおおせつかった時もそうだった。推薦書類を書くためにやって来た区長会の会長さんがニコニコ笑いながら「そんなことはありませんよ。・・・」と言った時には自らの歳を省みてハァッとしたものだ。もうこうしたボランティアをしなければいけない年齢になっていたのである。

樹木

 それはともかく人権擁護委員は区長会長などの下推薦を受けた市町村長がその議会の同意を経て法務大臣に推薦、法務大臣が委嘱する仕組みだ。保護司なども同じような仕組みだろう。



 甲府地方法務局管内、つまり山梨県内には約200人の人権擁護委員がいるのだそうだ。まだ8ヵ月足らずの新米だから年間の行事や個々の仕事のサイクルが分かっているわけではないが、隔月で行う特設人権相談、甲府地方法務局で行う常設人権相談での年1~2回の当番、それに年何回かの啓発活動などがある。また、自らを啓発するための講習会や研修会も年何度かある。さらに、人権擁護の作文や標語の募集作業や審査も。



 だから年間での出番は結構ある。ボランティアだからそのほとんどが手弁当である。これも当たり前と言ってしまえば当たり前だが、出席率が極めて高いということだ。世にありがちなすっぽかしはおろか、無届の欠席などはほとんどないようだ。かつて、堅苦しい会議や小難しい講演会が嫌になって、途中からずらかってしまったことがある、ずぼらの自分を省みて赤面の至りである。

イメージ


 相談者の便を考えて、それぞれの地域で開く特設相談会は結構、頼りにされているようで相談者は多い。その内容は隣近所のトラブル、家庭内暴力や夫婦間、離婚を巡るトラブル、ストーカー行為や無言電話の嫌がらせなどさまざま。中には民事事件や刑事事件になりかねない事案もある。


 相談者にとって、そのいずれもが深刻なものであることは間違いない。ほとんどの相談に共通しているのは、思いやりの欠如がもたらすトラブルだ。思いやりという人間の基本を成す行為が薄れてしまっている証である。義務をそっちのけにし、権利を主張するあまりに生じたトラブルもある。


 確かに、権利主張の仕合から生じるトラブルは多いし、権利の主張ばかりする人も決して少なくない。憂国の士のように話す、ある人は「みんな言いたい放題。日本は今におかしくなるさ。第一、憲法だっておかしいよ。31条にも及ぶ人間の権利と義務に関する条項の中身はと言えば権利に関することがほとんどじゃないか」と切って捨てた。しかし人権と言う権利だけは、絶対に犯してはならない権利なのだ。みんなが知っているのに・・・。

目線の勘違い

 8月24日付で書かせて頂いた「子どものいじめと大人たち」に早速、書き込みを頂きました。子どもたちの指導に真剣に取り組まれ、ご苦労をされている先生とお見受けしました。


葉


 ブログとはいいものですね。どこからでも投げかけたり、投げかけられたりしたブログをテーマに、ともに考え、見えないところでも議論が出来るのですからねえ。私の拙いブログ日記にいくつもの書き込みを頂いています。私は山梨ですが、遠く北海道からも頂きました。当たり前の事ですね。ブログを通じての意見の交換には時間も距離も関係ありません。



 書き込みを頂いたあなたを、ここでは仮に「先生」とさせて頂きます。先生が「ある学校の話」と前置きして疑問を呈しておられる「いじめる方にも問題があるけれど、いじめられる方にも問題がある」という学校側の指導に私も頭を傾げます。はっきり言わせていただければ、びっくりしました。



 少々乱暴な例かも知れませんが、それでは「盗人にも三分の理屈」に等しいと思うのです。確かに、いじめられる側にも何らかの原因があるのでしょう。しかし、それを言ってしまったら、いじめ問題の解決にはなりません。いろいろな事象への対処の仕方をマニュアル化することは悪いことではありません。



 でも事はいじめ。弱者が強者をいじめることはありません。だから「いじめは絶対駄目」。これは鉄則です。親達も含めて複雑化する子どもたち。学校現場の先生達の間に、ある種の≪迷い≫があるような気がしてなりません。例えば、体罰問題もそのひとつです。子どもたちが悪いことをしたら先生が叱る。それは役目というより使命です。その叱り方にケースによって拳骨やびんたがあっていいし、多くの親もそう考えていると思います。



 要はそのスタンスです。教育的な指導者として、また愛情を持って殴ればいいのです。当事者の子どもも、その親も必ず分かります。目くじらを立てて学校に噛み付いたり、教育委員会に告げ口をする親もきっといないでしょう。

雲

 子ども達と先生の会話やふるまいを目の当たりにすることがあります。そこでびっくりするのは、子どもたちの先生に対する口の聞き方、つまり言葉遣いです。子どもたちが先生に対して、まるで自分達のお友達のような語り口調で話しをしているのです。そこには目上の人に対する尊敬とか畏敬の念は微塵も感じられません。



 時に、教育現場の人たちから「子ども達の目線での教育」という言葉を聞きます。なにか「目線」を勘違いしているのではないでしょうか。子ども達の教育やさまざまの指導をしなければならない先生が、言葉遣いも含めて≪同格≫であるはずがありません。そんなスタンスで殴るから、子ども達にも親達にもその意味すら理解されないのです。



 私も子を持つ親です。先生達は迷わずに、自信を持って子ども達の前に立って欲しいのです。そうしないと、あっちにもこっちにもおかしな人間がつくられていきます。

プル友の不思議

 私にはメル友ならぬプル友がいる。もう3年越しに通うスポーツジム(甲府)プールで出来た仲間達である。年齢は20代から80代と幅広い。中には、どこの誰かも分からないプル友もいる。もちろん、男性ばかりではなく、若いお嬢さんもいれば、下っ腹に沢山お肉を着けたおばさん達もいる。


 さまざまの筋トレ施設の一方で、25mの立派なプールを設けているのだが、ここはスイミングスクールと違って、競技志向ではなく、健康づくりにウエイトを置いている。だから私のようにメタボのそしりを免れない人間や、その予備軍も多い。事実、私は少しでもお腹をへっこませたり、体脂肪を減らせないものかと、ここに通い始めたのである。


 だからと言って、私自身もそうだが、プールの中にそんな悲壮感が漂っているわけではない。みんな楽しそうに水中オークをしたり、泳いでいる。水中エアロビックスのプログラムもあって、幅広い年齢のご婦人達から人気だ。 ご婦人達に混じっておじさんたちも頑張っている。

プール

 それぞれゾーンが分かれているから、思い思いにプールを楽しむことが出来る。泳ぎ専用レーンは三つ。ウオーキング専用レーンは一つだが、幅を広めにとって、その中央に直線を断続させた手すりを設け、左回りで周回出来る仕組みになっている。水中エアロビックスのゾーンは二つのレーンを一つにして、若いインストラクターが30分、または45分のプログラムで指導してくれる。


 水中エアロビックスは私のようなメタボ人間にはちょっとハードだが、ご婦人たちは30分、45分単位のプログラムを三つも四つも嬉々としてこなすのである。メンバーになって間もないという山梨市に住む友人の奥さんも「私も三つか四つぐらいやるんですよ」とニッコリ話していた。もちろんこうしたレッスンをこなすのには時間がかかる。だから昼食用のおむすび持参のご婦人もいる。


プール2

 人それぞれ、思い思いにプールを楽しみ、その合間や、終わればプールに併設のジャグジーに入ったり、お風呂に行って露天風呂やサウナ風呂を楽しむ。そのすべてが≪裸の付き合い≫である。ビジネス上の付き合いだったり、職場や学校の先輩、後輩の付き合いではないので、その肩書きや年齢などまったく関係ない。単なる人間としての付き合いだ。「どこの誰だか・・」といったのはそのことで、名前すら知らないプル友も少なくない。



 プル友は「こんにちは」「頑張ってますね」「お先に」「ごゆっくり」と言った極、簡単な会話から始まる。≪裸同士の付き合い≫は回を重ねていくうちにだんだん親しさを増してゆくものだ。時にはこのプル友が集まって納涼会や忘、新年会、それに桜の季節になれば花見の宴を張ったりする事もある。私のように60半ばの男もいれば、70,80を過ぎた人生経験、社会経験豊かな人もいる。もちろん、素顔のプールと打って変わって、綺麗に化粧したご婦人やお嬢さんたちもいる。その仲間は20人近くに膨れ上がった。



 人間、男女を問わず、親しくなって始めて裸の付き合いになる。しかし、プル友とは不思議で、それが全く逆なのである。親しくなると着物を着たり、化粧をするのだ。

 

子供のいじめと大人たち

 1,000点を超す子供たちの人権をテーマにした標語を読ませていただいた。山梨県人権擁護委員協議会が山梨県下の小中、高校、一般の3部門で募集した標語は、応募総数で7,500点を超えたという。それを地域ごとに部門別の一次審査でふるいにかけ、それを持ち寄って県レベルの二次審査を経て、三次審査で最終的な入賞作品が決まる手順である。



 私が読ませていただいたのは、ブロック別の小中学生の応募作品450点余りと、県レベルの小中学生部門、それに一般部門合わせて約550点。そのほとんどがいずれ劣らぬ作品であることは言うまでもないが、特に目立つのが小中学生部門での≪いじめ≫をテーマにした作品である。

k子供


 これはとりもなおさず小中学校現場で、いじめがいに日常化しているかを意味する。それも、気になるのは、数少ない標語の文字の中に「命」という文字を織り込んでいる作品があまりにも多いことである。



 ハッとした。子供たちの間でいじめ問題が深刻であることは、分からない訳ではなかった。いじめに起因した自殺のケースも新聞やテレビの報道で知っている。しかし、いじめが子供たちの間で、果てしなく繰り広げられ、それが一部分であるだろうが日常化している現実があっちこっちにあるという事である。


子供2


 昔からいじめっ子はいたし、裏を返せばいじめられっ子もいた。しかし、子供同士の自浄作用や、第一に学校現場での先生の叱りがその抑止力になった。しかし、その先生たちにいじめの抑止力がなくなった。先生ばかりの責任にしてはいけない。では家廷はどうか。いじめられっこは身近にいるわが子だから分かるが、自分の子がいじめる側に廻っていることには全くの無関心。気づかないケースだってあるだろう。



 とすると、いじめ退治の最短現場にいるのは学校である。しかし現実はどうか。こんな話を聞いたことがある。ある甲府市内の中学校の話である。気の弱そうな子を何人かの女の子が取り囲み、コンサートなどの券を高額で売りつけるのだそうだ。いわば体のいい恐喝である。

子供3


 ここからが問題。周りにいた仲間達は、まき添えになってはいけないと、本能的にすっと逃げてしまう。この後だ。それを見ていたかどうかは分からないが、近くにいた先生がそれを戒めようとせず、いつの間にか姿を消してしまうというのである。同じ学校で起きたケース。ある時、放課後、生徒がバイクで正門から正面玄関に乗り込み、事もあろうに廊下を走り回った。バイクの音が廊下に響くのだから生徒も、先生も廊下に飛び出す。


 しかしここでも先生は身を隠してしまったという。だが、そんな先生ばかりではなかった。一人の先生が飛び出してきて「馬鹿野郎」と一喝したら、そのバイクの子はしゅんとなって退散したというのだ。多少の体罰をもモノともしない体育系の先生だった。子供たちが深刻に考えているいじめ。そして、標語で「見て見ぬフリ」をしては駄目、と自らを戒める子供たち。むしろそれを最も戒めなければならないのは私たち大人かもしれない。

習い始めの面白さ

パソコン加工

 面白い。習い始とはこんなものなのかもしれない。パソコンなど見向きもしなかつた自分が不思議でならない。毎晩、電子メールやインターネットを開く。お酒を飲んだり、マージャンで夜中に帰っても同じだ。「お父さんもう遅いですよ」と言っていた女房が最近では「いい加減にしたら。今、何時だと思っているんですか」と不機嫌な顔を見せる。


 「子供と同じですね」とも言う。確かにそうだ。スキーやスケートを覚えたばかりの子供の頃、早く雪が降らないかなあ、明日は田圃が凍るかなあ、と空を見上げたことを思い出す。「子供と同じ・・・」と言う女房の言葉の裏には、そのうち飽きるだろうという思いがあるのだろうが、どうしてどうして。

顔つきパソコン


 全く不思議だ。本だと目が疲れてしまったり、第一、読んでいるうちに眠たくなってしまうのがオチ。ところがパソコンだと少しも眠くならないし、奇妙なことに目もそれほどくたびれない。ところが初心者の私には決定的な弱みがある。いろいろの機能を熟知していないから、いったんどこかで躓くと万事休す。前に進めないのである。



 初心者だから思うのかどうか知らないが、パソコンを媒体にしたインターネットや電子メールの奥の深さは底知れないような気がする。もう何十年前になるのだろうか。娘が幼い頃、スーパーマリオというテレビゲームをやったことがある。今にして思えば、その頃から不器用だったのか、すぐにダウン。その先がどうなっているのかさっぱり分からなかった。パソコンもテレビゲームのスーパーマリオと同じ轍を踏んでしまうのだろうか。

スーパーマリオ


 パソコンとは都合のいいものだ。消しゴムも要らなければ、定規も要らない。第一、文字や文章の書き換え、置き換えが自在に出来る。プリントが必要ならプリンターに接続すればいい。今、地元の区長代理や組長をしているが、総会資料や連絡文書も綺麗に出来上がる。事業報告や活動報告もその都度パソコンを叩いておけばいい。第一、手書きの文書など最近お目にかからなくなった。



 しかし、その便利さの一方で、怖くなることもある。文字を書かないから字をどんどん忘れてしまうような気がするのである。確実に言えることだが、文字というものは書かなければ駄目。目で読んだり、パソコンで叩きだしたりしたものでは絶対に覚えられない。文字はいい年をしているのだから、みんなそこそこ読める。しかし書いてみれば以外に書けないものだ。それが字なのである。ところが、変換機能を使えば正しい字に置き換えることが出来てしまうから逆に厄介だ。

キーボード


 もう一つ、寂しいのは、手書きの文字が自分達の周りからどんどん消えていることだ。例えば、今年ももう8ヵ月を過ぎようとしているが、年賀状がそうだし、今の時期なら残暑見舞いがいい例である。むしろ手書きの年賀状や暑中見舞い、残暑見舞いは希少価値になりつつある。第一、年賀状はともかく、暑中見舞いや残暑見舞いは書くことすら忘れてしまった。携帯電話の普及、そしてパソコンは、やがて年賀状をも駆逐、メールの世界に引きずり込んでしまうに違いない。巨大な化け物インターネットがそれに拍車をかける。


封筒と万年筆


偽善を教えてくれた住職

偽
 「人の為、というのは、実は偽善なんだよねえ。偽りという字はにんべん(イ)にため(為)、つまり、人の為と書くんだよ」


 高校時代の同級生でお寺の住職をしている友人が、ある時こんな事を言った。なるほど、仏門の人間だけあって、うまいことを言う。その言葉の一方で何を言おうとしたのかは分からなかったが、そうだよなあ、と、うなづいた。


空


 私も常々そう思っていた。まったく同感。だから同じようなことをロータリークラブの例会で言ってしまった。3年前の事で、その例会は、事もあろうに私の入会日。新入会員の挨拶でやってしまったのである。


 「生意気なヤツが入って来たもんだ」と、みんなが思ったに違いない。しかし私は≪故意犯≫だった。ロータリークラブに対する偏見があったことも事実だ。でも少なくとも新入会員が言うことではなかったかもしれない。例会が終わっての帰り道、たまたまメーキャップで来ていた他クラブの知人に「俺、言い過ぎだったかなあ」と言ったら、その知人は「俺達ロータリアンには、そんな所がないとは言えないよ。みんなにいい刺激になったさ」と、言ってくれた。

 
 ロータリアンは、傍から見て偽善者に映っていないだろうか。私は自らの戒めとして今でも自問自答している。人の為、なんてまだまだ未熟な私が言えた柄ではない。「情けは人の為ならず」と言う言葉もある。そのスタンスを整えないと、地域社会や多くの人たちの理解は得られないと思っている。


木


 友人が住職務めるお寺には、親戚や知人の法事などでよくお邪魔する。その本堂には、うまいことが書いてあつた。『「私は正しい」争いの根はそこにある』とか「現代の愚かさは知性に満ちた愚かさである」。こんなのもあった。「どこにも人間はいない。いるのは幸福の奴隷ばかりだ」。確かにそうだ。


 叱られるかもしれないが、私は僧侶の読経をいつもあまり聴いていない。聞いていても分からないからだ。ごめん。「このバチ当たり者め」と言われるだろうが、自分が施主を務める法事ですら「早くお経が終わらないものか」と思ったりする。何日か前のお盆中にこんなことを書いたら、帰っていた親父に仏壇からぶん殴られるに決まっている。


 友である住職さんに、そのことを白状し「むしろ法話に力を入れてもらったらいいのになあ」と言ってみたら、その答えは「そうもいかんよ」。当然だろう。私だけかもしれないが、経文は分かりにくい。262文字の般若心経ぐらい、中身を理解し、覚えてみようと、解説書めいた本を買ってきてはみたものの、ちょっと読んで机に積んだままだ。


 最近、私達の地域でも、自宅葬は完全になくなり、その道のプロが仕切る祭場葬に代わった。自宅葬の場合、隣組の人たちが葬具の手配やものによっては自分達の手で準備もした。その過程で仏教について、知らず知らずに知ることもあった。無知や無関心、そしてややもすると陥る傲慢は偽善を生みかねない。友の住職に教えられたような気がする。

アナログ人間のパソコン

 何事にもいえることだが、基本を覚えることが大事。そんなことはよく分かっているのだが、現実には見よう見まねで始めてしまうことは多い。ゴルフもその一つ。今は腰を痛めて、ずっとクラブを握っていないが、ひところ、少しも成長しない自分にうんざりしながら、基本をしっかり教わればよかった、と思ったものだ。

 


 そんなことが分かってのことかどうかは知らないが、私がパソコンを始めて間もない頃、娘がキーボードを叩く練習用のソフトを入れてくれた。「特打」というヤツだが、結構うまくできている。練習すればいいのに、と思うのだが、ほとんど開いたことがない。ゴルフと同じで、キーボードの叩き方も全くの自己流である。ずぼらというか、目先で動いてしまうから、なんでもヘンな癖がついてしまうのかもしれない。


「特打」

         ガンマン  特打

 


 私がパソコンを始めたのはまだ一年に満たない。高校時代の同級生が遊びに来たとき、「勤めがあるわけじゃないし、時間があるんだからパソコンでもやってみたら」と勧めてくれたのがきっかけだった。山梨市の西の境、笛吹市に近いところに住む萩原という男だが、この人は頭が下がるほど奇特な人で、何度も何度も出前で教えに来てくれた。


 ありがたかった。この人に出会わなかったら、おそらく一生パソコンに触れることがなかったと思う。人の出会いというものは妙なものだ。こんなことがきっかけで女房も関心を持つようになり、二人で山梨市が開いてくれたパソコン講座にも通った。入門編から始まってワード、エクセルと三つのシリーズに分け、2時間ずつ週4日、延べで12日間の講座である。


パソコン

 


 60の手習いである。講座を受けながらつくづく思った。萩原さんに基本的な操作を教わっていなかったら、その講座について行けなかったということだ。隣に座った女房なんか、事あるたびに「お父さんどうするの」 と、袖を引っ張るのである。基本的なことを教わっていた私でさえまごつく事だらけだったから、無理もない。


 考えてみれば、パソコンぐらい職場にいる時に覚えておけばよかったのに、つくづく思う。そうすれば、改めて講座に通ったり、今頃もたもたしていなかっただろうし、第一、給料分で覚えてしまえたはずだ。


マウス

 

 サラリーマン時代、パソコンが職場に顔を見せ始めた頃から、それに素直に着いていけないものだから、書類作りも部下に丸投げ。職場での地位というか、年齢的なタイミングからか、それが出来てしまったからいけなかった、と今にして思う。後の祭りだ。かつての部下である仲間達のことを思い出しては恨めしく思ったりもする。


 50代、といったら言い過ぎかもしれないが、少なくとも60代の人たちは私と似たり、よったりではないかと思う。中学や高校の同級生の無尽やユネスコなどの仲間たちとの飲み会で話すとき、パソコンに多くが後ろ向き。インターネットに至ってはなにをかいわんや、である。その口実は「目に悪い」「今さら」といったものだ。本当は逃げているのだが、飛び込んでみると結構面白い。食わず嫌いはいつの年齢にもある。

カブト虫とロータリアン

 過日、私が所属するロータリークラブの例会で、カブト虫をテーマにした卓話をしてくれたロータリアンがいた。この方は山梨市や甲州市に店舗を持つ花屋さんだが、根っからのスポーツマン。毎朝、数10キロの山道を走り込み、仕事の合間を見ては、あっちこっちのマラソン大会やロードレース大会にも参加する。メタボのそしりを免れない私などと違って、身体はスリムで、いかにも健康そうだ。

カブトムシ

 「カブト虫が大好き」というこのロータリアンがカブト虫の話をするとき、その顔は童心に返ったように嬉々としてくるのだ。仕事を終えて家に帰り、夕食を済ました後、毎夜のようにカブト虫採りに出掛けるのだという。そんなお父さんに家族はけげんな顔をするのだそうだが、このお父さんはビクともしない。

虫取り網

 好きこそ物の上手なれ、ではないが、カブト虫がいそうな所が動物的な感で分かったり、毎朝のジョキングでも普通の人なら見逃してしまう道端のカブト虫も見逃さないのだそうだ。かつては好きと趣味が高じて5,000匹ものカブト虫を飼育、子供たちのために出荷までした事があるという。


 カブト虫の飼育にはおがくずなど、その環境作りが必要だ。しかし、そのおがくずが手に入らないようになって今では断念したという。その語り口調はいかにも寂しそうだ。カブト虫好きの人たちの飼育は別にして、私達の周りにカブト虫が育ち、棲む環境が知らないうちに減ってしまった。

麦わら帽子

 考えてみれば、カブト虫は養殖なんかしなくても、あっちこっちにいた。私は田舎育ちだったから、裏庭の堆肥置き場をひっくり返せば、カブト虫の幼虫がゴロゴロ出てきた。ゴロゴロと言ったのは、その白濁色の幼虫は胴回りが直径2㎝、長さ5~6cmぐらいで、玉のように丸くなって土の中や堆肥の中にいるのである。学名は定かではないが、みんなが「ノケサ」と呼んでいた。


 そのノケサがいっぱいいるのだから、カブト虫があっちこっちにいるに決まっている。夜、窓、というより戸を開けているとセミやカナブンブンなどと共にカブト虫が舞い込んで来るのである。その頃は子供の数が多いから、大騒ぎでセミやカブト虫を追い回すのだ。こんな光景は日常茶飯事で、いわば、田舎のどこにでもある夏の風物詩でもあった。


カブトムシバー


 ところが、卓話のロータリアンさんが言うようにカブト虫はどんどん減って、今や貴重品。毎年夏になれば、デパートやホームセンターではカブト虫売り場が出る。お母さんに連れられた夏休みの子供たちでどこも大賑わいだ。最近では、大人のカブト虫ファンも増えているのだそうで、大人向けのカブト虫ショップも珍しくない。


 そういえば、日本のどこの博物館だったか、あるいは外国の博物館だったかは忘れたが、そこで見たカブト虫の種類の多さにびっくりしたことがある。カブト虫に目のないフアンなら振るいつきたくなるようなシロモノもいっぱい。マニアの間では5万、10万、高いいものでは100万円単位で売り買いされるものもあるという。

百万円

舞台裏で休む人たち

五輪

 北京オリンピックが佳境に入った。水泳の北島康介の100m、200m平泳ぎでの相次ぐ金メダル、それに柔道や体操、フェンシングなど日本勢の活躍は翌日の朝刊の一面を華やかに飾る。メダルを誇らしげにかざしたり、噛んだりする選手のアップ写真が大きな見出しを伴って躍る。それが華やかであればあるほど読者は痛快だし、日本勢がオリンピックという国際舞台で活躍している証でもある。


 一般紙、スポーツ紙を問わず、日本選手の金メダルが出るたびに、新聞社は競うように号外を出す。どの新聞もスポーツ面を通常の何倍にも増やして、その詳報を、これでもかと言わんばかりに伝えている。確かに活気があって面白い。普段なら主役の座にあるはずのプロ野球や夏の高校野球がすっかり陰に隠れてしまっている。それが読者に違和感を感じさせないほど新聞のオリンピック報道は強烈だ。

プール


 新聞ばかりではない。テレビだって同じだ。NHKや民放キー局は、さかのぼって、オリンピックの種目別放映権の確保に奔走、それぞれリアルタイムで放映したり、特別番組を組んでいる。NHKのように夜7時のニュース番組をオリンピックアワーに変更したり、民放各局もバラエテー番組の中にオリンピック報道をどんどん組み入れている。NHKにとって夜7時のニュースは、いわば看板番組である。


 華やかな報道合戦の舞台裏はというと、とりもなおさず、視聴率の競い合いであったり、新聞の拡張合戦なのである。古今東西、大事件やビックイベントは、新聞社なら読者を、放送局なら視聴率を確保する絶好のチャンスなのである。面白がって見ている視聴者や読者をよそに、新聞社や放送局の担当者は息を抜けない日々なのである。


 コマーシャルがないNHKはともかく、民放各局は番組変更のたびにスポンサーとの調整や合意取りに奔走しなければならない。オリンピックに限らず、いつものプロ野球ナイターの延長戦で出っくわす、放送の延長か打ち切りかの分かれ目がそれだ。華やかな報道合戦の舞台裏では担当者達のさまざまの努力と苦労がある。

オリンピック




 その一方で、この際、交代で休みを取って、夏のバカンスを、としゃれ込むといったらいけないかもしれないが、休暇を楽しむ人たちもいるはずだ。オリンピックに、かなりのスペースを割き、時間を割くということは、とりもなおさず、そのほかの分野は縮小されると言うことだ。だから上手に休みを取る工夫をしない手はない。

風鈴

 今回のオリンピックはお盆の時期を丸々に飲み込んだ。いわゆる恒例の夏休みの時期なのだ。テレビやラジオがこぞって帰省ラッシュやUターンラッシュを伝えるほど、日本列島の道路は夏休みを楽しむ家族ずれなどで混雑する。どの企業にとっても言えることだが、上手に休みを取ったり、取らせることは、経営上からいってもテクニックの一つ。オリンピックで忙しい担当者達は時差で取ればいいことなのだ。


 「見て来たようなことを言うじゃあねえか、って?」。私もかつて新聞社や広告代理店にいたことがあって、それぞれの立場で、何度もオリンピックに戦略に加わったことがある。

国旗

新盆とアナログ人間

 中央道など高速道路や一般幹線道路のUターン現象が収まって、今年もお盆が静かに去っていった。家族ずれなど思い思いに夏休みを楽しんだ働きバチたちは、またいつもの仕事に戻っていく。

お盆

 新盆。死者を送り出して、始めてお盆を迎える家庭では、一般家庭より入念にお盆の行事をする。ナスやキュウリで作った牛や馬、菓子や果物など供物を供えた祭壇を飾るのはもちろん、玄関先には真新しい盆ちょうちんをつるし、新しい先祖の霊をお迎えするのである。全国的な風習かどうかは分からないが、ご近所はもちろん、親交が深かった友たちは黒のネクタイで威儀をただして、思い思いにお参りする。

提灯   きゅうり   ナス   提灯

 私も地元山梨市や甲府など6軒の新盆家庭を廻り、お参りさせていただいた。その中の一人、中学時代の同級生で無尽仲間の家では酒や料理を用意してくれていた。13人の仲間たちは祭壇に線香を手向け、ご馳走になった。お酒を酌み交わしていくうちに、施主でもある友人のご子息と話がはずんだ。


 このご子息は地元民放局の技術畑で活躍する35歳。今、2011年、つまり3年足らずで迎える地上波放送の完全デジタル化に向けて詰めの作業の真っ最中だそうだ。放送局側は「地上デジタル化」を「チデジ」とちぢめてコマーシャルを流し、視聴者に事前の準備を促している。

01001

 さて、そのデジタルというヤツだ。「0と1を組み合わせた信号を一秒間に30・・・」と説明されても、アナログ派の人間にはさっぱり分からない。実生活や身の回りの物でもデジタル化はどんどん進んでいる。そのことは分かる。しかし、その仕組みや理屈となるとちんぷんかんぷんである。


 このご子息ばかりでなく、やはり民放局の技術畑にいたご子息のお父さんや私の親友で高校時代の同級生からも聞いたことがあるから、デジタルの説明を聞くのは一度や二度ではない。ジェネレーションギャップにとどめず、自らの凝り固まったアナログ人間ぶりにうんざりする。「0と1の信号・・・」。のっけの説明からよく分からないのだから、おそらく救いようがない。それが自分だけ?と思うと・・・。

障子

 ある時、高校時代の同級生は、障子の升目を例に、また、今度のご子息は方眼紙を例に、それぞれデジタルの説明をしてくれた。0と1の次の説明である。障子の升目と方眼紙、その表現の仕方は違うが、言っていることは同じ。分かりもしないアナログ人間が「へえー」とうなずいたのは、例えの仕方が共通していたことに過ぎない。


 地上波のデジタル化は、放送界にとって一種の革命だろう。視聴者にとっても同じことが言える。電波の発信方法が変わり、現在の受像機は使えなくなる。2011年までにはテレビをみんな買い換えなければならない。となるとその需要はおそらく大変なもので、家電業界はまたとない売上増大のチャンスだろう。毎年、お盆に帰ってくる仏さんも三年後には、びっくりするほど綺麗に写るテレビ画面をご覧になれると思う。

農地解放と現実

靖国神社   靖国神社2

 靖国神社に参拝した閣僚は誰と誰。8月15日。テレビは東京・九段の靖国神社を参拝する政治家を映し出し、まるで靖国神社参拝が悪いかのようなトーンで伝えていた。毎年やってくる終戦記念日の恒例行事だ。「そんなことどうでもいいじゃないか。むしろ参拝しない方がおかしいよ」と思いながら、草っかじりをするため畑に出た。


 暑い。63年前の今日もやっぱり同じような暑さだったのだろう。昭和17年11月生まれの私は当時2歳9ヵ月。山梨県の片田舎・東山梨郡岩手村(現山梨市東)で育ったから、空襲などショッキングな出来事にも遭遇しなかった。だから戦争の記憶はない。知識として知るほかはない

夏の空


 全身から噴出す汗を拭う。なんとか草を退治して、これから大根の種を蒔こうとしている畑を見渡しながら、ふと、思った。写真やフィルムでしか見たことのないが、パイプをくわえたあの大男のマッカーサーのことである。彼は敗戦で焦土と化した日本にやってきて、さまざまな大ナタを振るった。


 その一つが農地解放。農地が富の一つとすれば、マッカーサーは一発で、その富の再配分をやってのけたのである。この農地解放は地主と小作人の関係ばかりでなく、そこから派生していた親分、子分の関係までつぶした。戦勝国の強権がなかったら、親分、子分の因習はともかく、農地の再配分など、今もって出来なかったに違いない。


 マッカーサーのこの大号令は日本にとって、善政だったと思う。自分の土地を持った農家の農業に対する意欲は計り知れないものがあっただろうし、その意欲が戦後日本復興の源になったと思うからだ。大ナタは、農地と並んで国の基礎となる教育にも及んだ。一方で平和ボケと言われる今の日本人にマッカーサー、つまり戦勝国アメリカの教育改革は良くも悪くも大きな影響を及ぼした。

ねぎ畑

 戦後、教育は地主を「搾取階級」と決め付けた。幸か不幸か、農地を解放させられる側の農家に生まれた私は、幼心にもこの「搾取階級」と言う言葉が妙に引っかかったし、矛盾を感じたりもした。


 「みんながみんな、搾取していたわけじゃあねえじゃねえか」。もちろん、農地解放後だが、親達の姿を見ていて素朴に思ったものだ。例えば、地主と小作は古い因習の親分と子分の関係にも当てはまるのだろうが、親父やお袋たちは、子分と言われる家でコメがなければ、わが子のメシを減らしてでも、コメを持っていき、夫婦喧嘩や嫁、姑のいさかいがあればその仲裁に奔走していた。その姿は、子供ながらにほほえましい運命共同体のように見えたのである。そんな家族のような、親戚のような関係はだんだん薄らいでゆく。


 戦後60余年。マッカーサーが再配分したはずの農地が、実はまた集約化の傾向を見せているのだ。農地解放で土地を手に入れたはずの農家は、軒並み、後継者不足に悩み、一方で大量の農地を集めての農業の法人化が進み出した。小作地ではなく、かつては、のどから手が出るほど欲しかった農地が今、皮肉にもお荷物になっているのである。

危なっかしい子供たち

乙女高原ロッジ

 秩父多摩甲斐国立公園の一角・乙女高原で二日間にわたって開いたユネスコの国際子供キャンプは天候にも恵まれ、無事終わった。何であれ、野外活動は、その成否が天候に左右される。昨年からだが、8月のお盆前の土、日としたのは正解だった。この時期は天候が安定する時期だからだ。

乙女高原の花

 しかし、弱点もある。山梨市を中心に、峡東と呼ばれるこの地方は山梨県きっての果樹地帯。桃や葡萄が出荷の最盛期を迎える。だからキャンプを運営するスタッフや指導者の確保が難しくなるのも確かだ。


 このキャンプは、もちろん子供たちが主役。国際子供キャンプだから日本ばかりではなく、外国籍の子供たちもいる。今年はブラジルやペルーの子供たちを含めて主役は約50人。これに大人のスタッフや指導者を合わせて参加者は総勢80人を超した。


 主催者の山梨市ユネスコ協会とユネスコみどりの会が入念に用意したプログラムに沿って子供たちは二日間の野外生活を楽しむのである。歌やゲーム、思考を凝らした創作活動、ハイキングや星空の観察、キャンプファイヤーもある。キャンプだから自分達が寝るテント張りや食事のための飯盒炊さんもある。

ナベ

 子供たちが和気合い合いに取り組むのはやっぱり飯盒炊さん。カレーが定番で、子供たちは持ち寄ったおコメを研ぐ傍ら、タマネギやジャガイモ、肉など具の調理をする。これがまた悪戦苦闘。まず、包丁の使い方をほとんどの子供たちが知らない。危なっかしくて見ていれないから使い方を教えるのだが、今度はジャガイモを小さなサイコロに切ってしまうのである。


 こんなことならまだいい。タマネギを剥かせたら、芯まで剥いてしまう。今回はなかったが、もっとひどいケースになると、飯ごうに水を入れずにご飯を炊いたり、「コメを研ぐ」という言葉が分かりにくいと気遣った指導者が「おコメを洗って」と言葉を置き換えたら「洗剤はどこ」と言うのである。世のお母さん達、ホントだよ。


笑うに笑えない話だ。考えてみれば無理もない。子供たちは家庭で母親が作ったご飯を食べ、料理を食べる。そこで親に手伝うとか、手伝わせるといったことがない証拠である。ご飯を炊くのは自動炊飯器だから、火をたく必要もない。しかし子供たちは嬉々として火を焚き、カレーの具を作った。




 もっとびっくりしたのはトイレ。小学4年生の子が「トイレが出来ない」と、ベソをかいて来るのである。「どうしたの」と言うと、キャンプ場のトイレが和式だったからだった。跨ぐのが怖かったというのである。スタッフもすぐには理解しかねたと言う。


 この子の場合、生まれながらに便座の洋式トイレで育ったのだ。スタッフの中には教師もいるので聞いてみたら、そんな子供は珍しくないのだそうで、学校では和式ばかりでなく、洋式トイレを増設しているのだそうだ。生活のハイレベル化は子供たちを軟弱にしてしまうのか。野外活動の大切さを改めて思い知らされた。

乙女高原風景

子供たちの国際交流

 「遠~きや~まに日は落ちて・・・」

 真っ赤に燃え盛るキャンプフヮイヤーを囲んだ子供たちの歌声は、静まり返った山々の闇に響き渡った。ここは秩父多摩甲斐国立公園の山梨県境に位置する乙女高原の一角である。

地図   

真っ赤な炎に照らし出された顔、顔、顔。みんな清らかに輝いていた。


キャンプファイヤー2

 国際子供キャンプ。山梨県高校ユネスコのOBたちで組織したユネスコみどりの会が子供たちの国際交流を狙いに1966年、やはり山梨県山梨市の万力林で始めたのが、その始まりである。その後、ユネスコみどりの会が母体となって結成した山梨市ユネスコ協会が継承、再びユネスコみどりの会と共催で、1回も休むことなく43年間実施してきた。



 このキャンプに参加した子供たちの数は延べでは3,000人近い。参加者の人数にとどまらず、さまざまの場面で
歴史の重みを実感ずる。最初の頃に参加した子供たちが親となって、その息子や娘達を参加させているのである。無邪気に飯盒炊さんや創作クラフト、ハイキングやキャンプファイヤーを楽しんだ子供たちが立派なお父さんやお母さんになっていた。間もなくお孫さんをこのキャンプに送り込んでくるだろう。

キャンプファイヤー


 しかし、子供たちを取り巻く環境は変わった。例えば、日本の子供たちと並んでキャンプの主役となる外国の子供たち。かつては横田基地などを廻り、キャンプの米兵の子弟に参加を促した。白人もいれば黒人もいるが、当然のことながらアメリカ人一色。ところが、今は違う。中国、韓国は当たり前。タイ、フィリピン、インドネシアなどの東南アジア、さらにブラジルやペルーなど南米、またイラン、イラクなど中近東といった具合に参加国は多岐にわたる。一方、アメリカ人は影を潜め、イギリスやフランス人はほとんどいない。 外人さん金髪 笑



 最初の頃のアメリカの子供たちはほとんど日本語が話せなかったのに対して、今参加している外国の子供たちは日本語がぺらぺら。それもそのはず、半ば日本の社会から閉鎖された米軍キャンプの子弟達の多くは、アメリカ人学校に通っていたから日本語が話せないのも無理はない。子供たちの環境が全く違う。



 今参加している外国の子供たちは、そのすべてが山梨県内の小、中学校の在籍者。かつては山梨県の学校にはほとんどいなかった外国人の師弟が今はかなりの数にのぼる。確かな数は分からないが、平均では30人、40人学級のクラスに1
人ぐらいの割合でいるのではないか。子供たちのお父さん達は日本で懸命に働き、やがては母国に帰る人たちもいるのだそうだ。外国人の師弟は甲府や、その近郊を中心に増加の傾向にあるという。


乙女高原



 こうした子供たちは言葉ばかりでなく、日本の生活や習慣まで結構理解している。だから、かつてのように米軍キャンプのアメリカ人の師弟が片言の日本語を話し、日本の子供たちが片言の英語を覚える、といった光景はなくなった。言葉ばかりでなく、風俗や習慣は、それぞれ国によって違うのだが、二日間のキャンプ生活の中で外国の子供たちは、それを日本の子供たちに合わせてしまうのである。考えてみれば、今の子供たちは国際交流を銘打ったキャンプ生活以前に毎日の学校生活の中で国際交流をしているのである。

庭の百日紅

 百日紅2         


 庭先の植え込みにある百日紅が今年も花を付けた。紅い、と言うよりは淡いピンクの花である。太い幹のあちこちから出た穂のような枝の先に団子状に付ける小粒のいくつもの花は、一つ一つ見ると、さもない花だが、全体で見ると、風情があって美しい。


百日紅1  


 百日紅とはよく言ったものだ。毎年、7月の終わりから8月にかけて花を付け始め、9月いっぱいは順繰りに花を咲かす。100日とは行かないまでも、2ヵ月、つまり60日以上咲いている。その百日紅、今年は、花を付けるのがいつもの年より、ちょっと早かったような気がする。暑さの始まりが早かったためかもしれない。しかし、なぜかセミの鳴き声が聞こえない。もう8月の12日。お盆を迎えるというのに。


百日紅3 


 私の記憶が間違っていなければ、いつもの年ならアブラセミからミンミンゼミに変わり、その鳴き声が暑苦しさをいっそう掻き立てているはずだ。今年は、どちらかと言うと空梅雨だった。その上、梅雨の間も真夏並みの暑さが続いた。そんな気象が百日紅やセミに影響を及ぼしたのかも知れない。


サルスベリ


 百日紅は幹がすべすべしていることから、「さるすべり」とも言う。我が家の百日紅は大きく、太い。もう数百年は経っているだろう。その側には大きな石がある。在るというより、立っている、と言ったほうがいい。子供の頃、近所の子供たちと、まずこの石に這い登り、百日紅によじ登って遊んだものだ。


 私が、もう数百年は経っている、と言ったのは、ぼつぼつ90歳になる私の従兄弟や故人となって久しい親父の従兄弟が、私と会うたびに≪岩手のさるすべり≫と、大きな石の周りで遊んだ思い出を懐かしそうに話すのである。私は今65歳。百日紅の幹の太さは子供の頃とそんなに変わっていない。歳がかなり離れた私の従兄弟や、今生きていれば100歳をとうに超えている親父の従兄弟たちが遊んだ百日紅や大きな石、その周りの植え込みも、それぞれの当時とあまり変わっていないのかもしれない。


パソコンとサルスベリ

 本を読んだり、パソコンを叩いたりする窓辺りの机から見える百日紅は日ごとに花の量を増している。草花は別にして、この時期、大きな木が花を付けるのは百日紅ぐらいのもの。外出しての道すがら目にする百日紅の花はうちのそれと比べて色が濃い。品種なのか、それとも樹齢が若いためなのだろうか。色が濃いから目には爽やかに映る。しかし、淡い色もまた趣がある。


 花を落とすのを待って、毎年枝を切り落としてやることにしている。甲府に住んでいる時分は植木屋さんにまかせっきりだったが、≪毎日が日曜日≫になった今は植え込みの手入れは自分でする。お陰で、さまざまの道具もだんだん揃って来た。植木用のはさみやバリカンなど道具の手入れも、ちょっとした暇を見つけてする。


 自分でやってみると、剪定の仕方や、その時期などもおのずと覚えるようになる。皐月やつつじなどの刈り込み時期も遅まきながら知った。ただ、脚立から落ちないよう注意はしている。もし落ちたら「さるすべりから落ちた」と笑われるのがオチだものねえ。

諸刃の剣

 ハエ。たかが一匹だが、その存在は気になるものである。こうしてパソコンをたたいているデスクの周りであれ、食卓の周りであれ、いっ時でも早く捕まえて、すりつぶしてやりたくなる。 これが女房や娘だったらもっと大騒ぎだ。躍起になって追い回すのである。そうなると、たかがハエ一匹、そんなにむきになることもあるまいに、と思うのだが・・・。

ハエ  ハエ  ハエ

 そういえば我が家でもとんとハエを見かけなくなった。だから、たかが一匹のハエがやたらと気になるのだ。ふと、子供の頃を思い出した。今もそうだが、私が育ったのは秩父多摩国立公園(現在は秩父多摩甲斐国立公園)に程近い山梨県山梨市の片田舎だったから、ハエなんか全く珍しくなかった。むしろ、それとうまく付き合っていたと言った方がいい。部屋の天井からはハエ取り紙がぶら下がり、どこの家にもハエタタキと言うヤツがあった。


 ハエの量たるや天井からのハエ取り紙や人の手で叩くハエタタキで成敗できるシロモノではない。ちょっとうかうかしていると、茶碗の白いご飯は、ハエで真っ黒。 白いご飯といっても麦飯だが、とにかくそれを追い払って食べるのである。若い方々ばかりでなく、たいていの人たちは、そんな話を聞いただけで「わあっ、汚い」と、目をそむけるだろうが、40年前、50年前の農村地帯はそうだった。

ウサギ  子豚  ニワトリ

 農家だから、どこの家でも牛や豚、ヤギなどの家畜を飼い、堆肥置き場を作る。子供たちはウサギやハトを飼った。トイレも水洗であるはずがない。周り中がハエの温床だ。しかし、昭和30年代半ばごろから、それまでの米麦、養蚕の農業形態は桃、葡萄などの果樹へと急速な勢いで転換して行った。同時に堆肥や豚の糞、いわゆる有機肥料は化学肥料に代わった。また冷蔵庫が普及し始め、牛乳がそこに入るようになって、ヤギが姿を消し、子供たちも少子化と勉強優先からか、ウサギやハトとの付き合いと決別した。


 こうした農村の生活様式の変化がいつしかハエを減らした。さらに、追い討ちをかけたのが果樹園への農薬の散布である。しばらくすると、これに除草剤が加わった。食卓という食卓、また台所などいたるところを我がもの顔で席巻していたハエどももたまりっこない。今では都市部より、農村部のほうがハエが少ないのである。


 ハエばかりではない。カだって同じだ。もっと決定的なのはブヨ。主に野良に居たブヨには農薬は致命的な決定打だった。ハエやカ、ブヨなどは農薬の標的ではないのだが、果樹の病害虫駆除のあおりを食った、いわば犠牲者なのである。犠牲者はこればかりではない。ハチだって同じだ。農薬はさまざまの虫を殺し、地中のミミズまで少なくした。


桃


 ご存知、山梨は桃の一大産地。甲府盆地がピンクのじゅうたんに変わる頃、農家は人手を惜しんで、人工授粉に取り組む。ほとんどいなくなってしまったハチを頼りにするわけにはいかないのである。皮肉な現実だ。ハエやカがいなくなったのは確かにいい。むしろ快適になった。


 しかし、その代償はけして小さくない。文明とは諸刃の剣。どんな形にせよ、どこかで犠牲者が出る。人間の英知で、それを避けることは出来ないものなのか。

開かずの箪笥

 その昔、江戸城の大奥には「開かずの間」といわれた部屋があったという。時代劇や講談の世界だが、その開かずの間のストーリーは、その部屋である時、不吉な事件が起き、その時を境に、夜ごと幽霊が出るといった筋書きだ。大奥の女達は怖がって、その開かずの間には近づかなかったというのだ。

扉

 徳川将軍家の大奥と並べては恐れ多いが、我が家には開かずの間ならぬ、「開かずの箪笥」がある。それも何本もである。女房が嫁入りじたくの一つとして持ってきた数本と、その後に増えた何本かだ。我が家の開かずの箪笥は大奥のように不吉なことがあったり、幽霊が出るわけでもない。単に開けたことを見た事がないということである。

箪笥1  洋服ダンス  箪笥3


 開かずの箪笥などと大げさな、と言われそうだが、私にとっては不可解なこと。女房の箪笥だから中には女物の和服や洋服が入っているのだろう。そんな中身はどっちでもいい。要はほとんど開きもしない箪笥なら、場所を塞ぐだけで意味がないのだから、いっそ中身ごと処分してしまえばいいものを、と思うのである。おそらく、女房は、その中に何を入れたかすら忘れてしまっていると思う。


 注意してやればいいじゃないかって?その通り。ばかばかしい話だが、それが原因で夫婦喧嘩になったこともあるのだ。うちの女房、バカじゃねえのかなあ、と思うことすらある。でも待てよ、世の中に「箪笥の肥やし」という言葉があるのだから、世の女房族の中には、うちの女房のような人間が居るということか、とヘンなところで、その馬鹿馬鹿しさと妥協したこともある。


 良く考えてみれば、俺達、亭主族だって同じようなことが言えるのではないか。サラリーマン時代、会社で個々にあてがわれた事務用のロッカーがいい例だ。いつも利用し、中身を≪クリーニング≫していないと、底の方に何を入れて置いたのかすら忘れてしまうのである。結局、いつの間にか「開かずのロッカー」になっていた、なんて経験は、私ばかりではないかもしれない。

キャビネット  

 でも、こんな馬鹿馬鹿しいことはない。無用の長物で、場所っぷさげにとどまらず、経費的にも無駄である。もう10数年、いやもっと前になるかもしれないが、私が勤めていた会社の、あるグループ会社の東京支社では個人用のロッカーや机までなくしたのである。もちろん、事務職にはデスクは必要。個人机を取っ払ったのは営業部署。

デスク

 その結果はというと、日常の仕事に不便は全くなく、部屋の中が以前より、ずっと整然としたという。社員達は仕事を終え、帰るとき、その都度、整理をして、一日を終えるようになったと言うのだ。整理整頓の効果ばかりではない。ロッカーのあるなしにとどまらず、その日、その日の仕事のけじめや、広い意味での経費節減にもつながったという。


 つまり、箪笥とかロッカーなど、いわゆる箱物は必要最小限でいいということである。今住んでいる我が家は、サラリーマン時代に住んだ甲府の家と違って田舎家だから、そのスペースはそれほど気にならないが、狭かったら「開かずの箪笥」は絶対ごめんだ。

札幌のロータリアンさん恐縮です

 「勉強になりました。またお邪魔します」
札幌のロータリアンさんからこんなメッセージを即日頂いた。嬉しかった。


 「無知と偏見」をテーマに書いたブログ(8月3日付)は、自らの無知と偏見への自戒を込めたものでしたが、その文字づらは、受け取りようによっては善良なロータリアンに失礼のそしりを招きかねないものでした。実は、そのブログを書きながら、私はロータリアンの皆さんから、ひょっとすると袋叩きに遭うのではないかと内心思っていました。


 私は札幌のロータリアンさんから、文字や言葉の真意を読み取る力の大切さを教えられたような気がしました。文字や言葉、とりわけ文字はそのものずばりであるばかりでなく、発信する人の顔も表情も見えません。まかり間違えると誤解を生んだり、極端に言えばその人の人格をも否定されかねない事態に陥りかねないのです。


 一方、文字とは都合のいいものでもあります。面と向かっては言えない事も、文章、つまり文字では表現できてしまうのです。例えば、案外、経験がありそうな子供の頃のラブレターがそれです。対面ならば赤面ものの、きざな言葉を臆面もなくつずってしまえるのが不思議です。


 言葉。放送のアナウンスのように一方通行の言葉を除けば、相手側と議論も出来るし、反論などその状況によって、言い訳や訂正も出来ます。第一、相対の言葉はお互いが相手の目を見ながら話すことが出来るということです。「目は口ほどにものを言う」ということわざどおり、目は言外の言葉まで読み取ってくれるのです。


 私は文字というものが都合のいいものである半面、これほど怖いものはないと思っています。人生の大半といっていい期間を新聞社にいて、若い頃は一線記者、そして、デスクとしての原稿チェック、そんな文字相手の仕事が長かったせいでしょうか。毎朝の新聞を見ていても、おそらく普通の読者とは違った見方、読み方をしているのではないかと内心思うことがあるのです。


 そんなことはどっちでもいいことでしたね。要は文字も言葉も、その真意をしつかり汲み取るということです。文字、つまり文章や言葉は、つい説明不足になったり、舌足らずになって誤解を招いたり、ひんしゅくを買ったりすることはけして少なくありません。例えば、政治家の失言問題もその一つのような気がします。もちろん、不用意な発言もあるのですが、多くは揚げ足取りで、政争の具にしているように見えます。


 実は言葉足らずだったり、舌足らずのための≪失言≫をまるで鬼の首でも取ったかのように「問題だ、問題だ」とテレビカメラの前で目くじらを立てる大政治家。「そんなこと、どっちだっていいじゃないか。政治家なら、本来の政策論議をしろよ」と、全くしらけてみている国民は私ばかりではないでしょう。


 札幌のロータリアンさん、有難うございました。私の所属するロータリークラブで卓話の機会を与えられたら、あなたの「勉強になりました」の真意を話したいと思います。

無知と偏見

偏見

 偏見。人生、いや、日常生活の中でといった方がいいかもしれないが、偏見はさもない所で生まれるものだとつくづく思う。そのさもない偏見が自らを閉鎖的な世界に追い込んだり、その進路さえ変えかねない。自分だけだったらまだいい。人や事象をいとも簡単に差別したり、傷つけたりすることもあると考えると怖くなる。


 人間とは案外たわいもないもので、どこかに、この偏見と言う名の魔物を宿しているような気がする。人と人とのいさかいや、いさかいまでも行かないまでも、なんとなくしっくり行かない原因の一つに、この偏見がありはしないだろうか。偏見はさまざまな意味での無知と裏表だったりすることもある。

雑踏


 「戦争は人の心の中に生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」という前文で始まるユネスコ憲章は、こうも述べている。

油絵1

 「(前略)恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代わりに無知と偏見を通じて人間と人類の不平等という教義を広めることによって可能にされた戦争であった(後略)」

油絵2

 もう40数年になるが、ユネスコ活動に参加してきた。そして3年前からロータリークラブにも加わった。失礼ながら本音で言わしてもらえば、引っ張り込まれたといった方がいい。次期会長になるという親しい友人が「もう、会社をリタイアするずら。うちのクラブに入ってよ」と半ば無理やり入会を勧められた。


 善良なロータリアンからお叱りを受けるかもしれないが、正直言って、私にはロータリークラブが偽善者に映ったことが何度かあって、好きにはなれなかった。奉仕が行動ではなく、お金、それも相手の目線ではなく、ちょっと高いところからのスタンスが気に入らなかった。偏見とは怖いもの。それまでずっとこの偏見を引きずっていたのである。ただ、私のような偏見をお持ちの方が他にもいないかということである。


 日本人にはお金で物事を解決しようとする風潮が強まっているような気がしてならない。何年か前、国連のPKOをめぐって、世界の国々が日本に対して「ショウ ザ フラッグ」、つまり、お金だけでなく、日本は態度で示せ、という言葉を浴びせて来たことがあった。国家間であれ、個々の人間同士であれ、お金は誠意の道具ではあっても、誠意そのものではない。誠意を表す行動がなければならないし、心がなければならないことは間違いない。

羽

 偏見なんて持たない方がいいに決まっている。しかし、私のように無知が偏見を生み出すのである。無知を責めるだけでは解決しない。要はその受け皿となるところが偏見や誤解をなくす努力を惜しんではならないということである。ロータリークラブをめぐる偏見。自らがその中に入ってしまった今、そんなことを考えている。


 わが国のロータリークラブの数、人口ともここ数年、減少傾向にあるのだそうだ。その減少に歯止めをかけ、若者をも巻き込んで増加に転ずるためには、様々な偏見の源を払拭し、活動への理解を促す努力が大切である。そして行動重視の方向に舵を切らないと・・・。
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やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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