萎むオーケストラ

晩酌を済まし、ほろ酔い気分で、こうしてパソコンを叩いていても足が冷たくなってくる。あれほどうるさく、と言ったらスズムシやコーロギに叱られるかも知れないが、秋の虫たちは先ごろまでのオーケストラ編成をどんどん縮小している。季節の変わり目をちゃんと知っているのだ。庭の植え込みと言うより自然界を舞台に人間達を楽しませてきたオーケストラは、やせ細る一方だ。


虫2


 なんとなく弱まった日差しの中で鳴いていた蜩(ひぐらし)。夜の帳が下りて、暗闇の舞台が開くと、蜩(ひぐらし)からバトンタッチされた秋の虫たちは一斉にオーケストラの演奏を始めた。ついこの間のような気がする。庭の植え込みばかりか、その周りのぶどう園や野菜畑からも競うようにオーケストラに加わってくるのだ。その迫力といったらすごい。こんな所で引き合いに出したら失礼かも知れないが、つい先日、文化勲章を受章した、世界の小澤征爾氏だってその指揮は取れまい。



 本来のオーケストラがどのくらいの人数で編成するのかは分からないが、こちらは無数と言っていい。奏者はスズムシもいればコーロギやキリギリスも。その音色は穏やかで、ストレス多い人間達を優しく包んでくれるのだ。勝手に眠ってしまう人間達を、ものともせずに朝が来るまで演奏を続けるのである。


葉


 このオーケストラも季節の変わり目には勝てない。一匹、二匹と、その奏者は日ごとに急速な勢いで減り、もはや部隊は風前の灯だ。わずかに頑張っている奏者もやがてダウンするのだろう。虫たちは人間達に、冬が近いことを教えているのである。自然界のオーケストラはカラオケへと変わる。


虫


 オンチ人間でありながら、ひと頃、よくコンサートを聴きに行った。聴きに行ったというより、ただ、行ったといった方がいい。そこで心地よくなるのか眠ってしまうのである。「眠るくらいなら行かなければいいのに」。その通りだ。詳しい訳は別として、仕事がらみだった。お恥ずかしい話だが、拍手の音でハッとして目を覚ますと、まだ上手がいた。隣にいた上司でもある先輩は大いびき。とっさに袖を引っ張った。その照れくさそうな顔。若い頃だが、今でも覚えている。



 人の事はともかく、そんな無様な自分の事をある時、お目にかかった音楽家に白状したら、その音楽家いわく「音楽というものは身体で聴くもの。心地よくなって眠くなるのは自然。子守唄がそうでしょう。むしろ音楽がわかっている証拠ですよ」。およそ、クラッシックなど分からないオンチ人間を上手に慰めてくれたのである。



自衛隊音楽祭


 そんなオンチ人間が感動したコンサートがある。東京の日本武道館で開かれた自衛隊の音楽祭だ。吹奏楽や鼓笛を中心にしたマーチングバンドの演奏が主体だが、迫力満点の太鼓演奏も加わってプログラムは多彩。あの広い武道館のほとんどを使ってのコンサートだから聴く者、見る者を圧倒する。今年も11月に開かれる。虫たちのコンサートも終わったことだし、今度は女房も連れて、もう一度聴きに行ってみたいと思っている。



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花クイズ

畑仕事の合間に野良着のポケットに入れておいたデジカメで撮ってみました。今(10月30日)我が家の庭などに咲いている花(一部は実)のスナップです。古くからあるものの花もありますが、多くは花好きの女房が思いつき?で買って来た一年生のもの。綺麗な花であることは間違いありませんが、ほとんど分かりません。分かるのは3と6、8、15、16、20、22くらいのものです。


 コメント欄で教えていただければ幸いです。

おっと、この中にある薔薇、菊などはお分かりでしょうから、その種類をお教えください。
全問正解者には○○を、と言いたいのですが、私にも分からないのですから、どうにもなりません。
お答えの内容は、後日、このブログで。ご容赦ください。
ここに掲載したのは22枚の写真ですが、全問がお分かりの方は、物知りの方だと思います。
仕事の息抜き、遊び気分でチャレンジしてみてください。回答をお待ちしています。


1   【1】
 

2   【2】


   3 【3】


4   【4】


5   【5】


6   【6】


7    【7】


8-1   8 【8】


9   【9】


10   【10】


11  【11】


12   【12】


13   【13】


14   【14】


15   【15】


16   【16】


17   【17】


18   【18】


19   【19】


20   【20】


21   【21】


22   【22】


 

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ありがとうございました!

ハロウィンカボチャと野菜作り

 「お母さん、来年はハロウィンカボチャを作るか」
 「そうねえ。あれ、あっちこっちで見るよねえ。色といい、大きさといい、面白い置物になるよねえ」


 こんな女房との会話は夕食時のテレビのニュースがきっかけ。農業関係のコースを持つ山梨県内の三つの高校が開いたハロウィンカボチャコンクールの話題だった。テレビ画面に映し出された黄色いカボチャは、人間が抱えるほど大きい見事なものであった。


ハロウィン3

 ハロウィンは諸聖人の祝日の前夜、つまり、10月31日にアメリカで行われる祭りで、その起源はスコットランド・アイルランド地方だという。そこに登場するお化けカボチャはユーモラスで、楽しい。日本でも、女房が言うように、観賞用としてあっちこっちで見かけるようになった。

ハロウィン1       ハロウィン2   


 ハロウィンカボチャはさておき、かつては盛んに作られた「土手カボチャ」に、とんとお目にかからなくなった。「土手カボチャのような顔」などと形容する言葉があるくらいだから昔はポピュラーな品種だったのだろう。もちろん、正式な品種名ではない。子どもの頃はよく食べたもので、カボチャといえばこれだった。


カボチャ3


 全体は平たいのだが、縦ジワに、縦横にボクボクしていて、いかにも絵になるカボチャだった。カボチャの挿絵といえばほとんどがこれ。最近のカボチャは、いわゆる西洋カボチャだ。さまざまな改良品種が出回っている。スーパーや八百屋さんに並んでいるのを見ると、黒っぽい青か、白っぽい黄色で、いずれも型は小型。土手カボチャのような大きいものにはお目にかからない。



 我が家でも昨年から、このカボチャを作っているが、確かにうまい。しかし、作り方が難しい。土手カボチャの場合、極端に言えば、食べた後の種を畑に捨てておくと翌年自然に芽を出し、大きなカボチャをゴロゴロならしたものだ。ところが、最近のカボチャときたら、そうはいかない。手を掛け、丹精しないと、駄目。


家のカボチャ



 種からだと失敗するので、ホームセンターなどで苗を買ってきて植えつけるのだが、どうもうまくいかないのである。実は付けたとしても、形もきわめて小さいから、張り合いどころか拍子抜けしてしまう。ツルだけは人並みに張るが思うような実を付けてくれない。あの逞しい土手カボチャが恨めしい。

カボチャ2

 野菜という野菜、全てがどんどん改良されていき、味はびっくりするほどうまくなった。その分、作り方が難しくなった。野性味をなくしているようにも思う。例えば、モロコシがいい例だ。一昔前のモロコシは一本の木に何本もの実をならせたが、今の改良品種は一本に一つだけ。栽培農家は本来、いくつかならす実を一本に絞るのである。味は抜群だ。



 もう一つの特徴は、多くの野菜の苗が接木であることだ。トマト、キュウリ、ナス、みんな接木で、値段も普通のものより高い。私の場合、キュウリやナスはそこそこに作るのだが、毎年、トマトが駄目。どなたかご教授を。



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テレビのハチ追い

ハチ1

 懐かしい。子どもの頃を思い出した。友から鹿児島旅行の土産として頂いた美味しい焼酎を飲みながらテレビを見ていたら、蜂追いの名人が画面で大活躍していた。秋の花の蜜を吸う蜂の胴体に薄紙の目印を付ける名人。飛び立つ蜂を双眼鏡で追い、無線電話でリレーする仲間達。蜂の巣を見つけた名人達のグループは、薬剤をジェット噴射、蜂が催眠している間に土の中から巣を掘り出すのである。



 「今もやっているんだ」。その手法は私達と、と言うより、ここでは俺達と言った方がいいが、同じだ。ただ、違うのは双眼鏡もなければ、まして携帯無線も、ケイタイもなかった。最後の詰めともいえる、一斉に交戦して来る蜂の大群を抑止するスプレーだって同じだ。さらに、目印の薄い紙っ片を蜂の胴体に付ける知恵までは廻らず、に付けてそれを運ばせたのである。

ハチ★小  ハチ★極小   ハチ★極小  ハチ★極小  ハチ★極小  ハチ★極小  ハチ★極小

 この目印蜂追いの最大のポイントである。肝心の蜂を見失ったら、目的の巣に辿り着けないからだ。そこは今も昔も同じ。違うのは、携帯無線も携帯電話もなかったから蜂を追うのは独り。何人かの仲間をあちこちに配置しておくチームワークプレーの知恵が廻らなかったのである。これだけは携帯無線などの化学兵器が無かった時代でも出来たはず。後の祭りだ。空を飛ぶ蜂だけを見て走る。今だったらこんな危ない事は絶対出来ない。



 最後の詰めがまた違う。蜂の巣を取り出すということは、とりもなおさず、蜂の城をのっとるという事にほかならない。そこには最もえらい女王蜂を守る二重三重の警備兵や外敵を迎え撃つ特攻兵もいるのだ。昔は蜂よけの防護服やマスクなんかなかったから、この場面は緊張の瞬間だった。


ハチ★大


 警備兵や特攻部隊に気づかれないうちに催眠剤を穴の中に差し込むのである。その催眠剤も、化学薬品のスプレーなんかではなく、歯ブラシや学校で使う筆箱下敷きであった。勉強で使う筆箱や下敷きを燃やしてしまうのだから、その学業成績は何をかいわんや、言わずと知れたことである。



 テレビを見ていて、おやっと思ったのは蜂の呼び名だ。蜂の種類であるヘボ(ジバチ)とスズメバチが一緒である。画面に映っているのは明らかにスズメバチ。スズメバチは黒い横縞があって、肌は黄色く、ヘボより二まわりも三まわりも大きい。ヘボは形が小さいばかりか、肌は黒く、白の横縞があるのだ。



 ディレクターのご苦労がよく分かる。蜂追いの名人から細部にわたって取材をし、さまざまの角度から番組作りの検討を重ねたはずだ。しかし、わんぱく小僧を体験した人間との差は、歴然と現れるものだ。都会で生まれ、都会で育った人間がいかに、しっかり勉強し、取材したとしても、時として十分に理解しきっていないことはあって当たり前。



 体験に勝るものなし、と言う。その裏返しで、私達が少しばかりの知識で勝手なことを言っているとしたらゾッとする。人間、良いも悪いも多くの体験をするに越したことはない。ただ、人様に迷惑をかけないことだけは鉄則だ。



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法事の後法事(ごほうじ)

後法事1


「この席は後法事(ごほうじ)と言うんですわな。だから、これから先はおみんなさんで、自由に営まれたらいいんですわな」


後法事3


 叔父の七回忌法要の後、石和温泉郷卿のホテルで開かれた会食の席に二人の僧侶を伴って出席した恵林寺の住職は、京都弁だろうか、独特の語り口調でこんな話をした。私には「後法事」という言葉があるかどうかは分からないが、恐らく「御法事」をもじり、トンチを効かせたものだろう。いやいや、そういう言葉があるのかも知れない。


後法事2 


 恵林寺は鎌倉時代末期に夢窓国師が創設した臨済宗妙心寺派の名刹。特に、戦国時代に武田信玄公に庇護され、その菩提寺としても有名だ。この住職が何代目かは存じ上げないが、いかにも老僧といった風格と話しっぷりだった。この老僧が言う通り、施主である叔父の長男は、普段は見せないほどの気配りで会食の席を取り持っていた。



 この家の菩提寺は恵林寺であることはもちろんだが、墓地はそこにはなく、近くの淨居寺というお寺にある。恵林寺を創設した夢窓国師がまだ夢窓疎石といった頃、一時、隠棲したという、やはり名刹である。その墓地がちょっと不思議立派な玉垣を結った広い墓地の中に、この家と、もう一つの家の墓地が同居しているのである。そのいきさつは分かっていないのだそうで、古(いにしえ)の先祖に聞いて見るほかはない。


後法事4


 法事には故人と七つ違いの兄も出席していた。大正3年生まれというから94歳。やはりドクターだが、東京で開業している内科小児科医院は息子に任せ、今は悠々自適。歩き方はちょっとぎこちないものの、かくしゃくとしていて、趣味のカメラは玄人はだしである。祭りの写真が大好きで、浅草の三社祭には毎年出掛けるという。「カメラを持つと鬼になれるんです」と、雑踏をも、ものともしない。小さな脚立まで持ち歩くのだそうだ。



 法要と墓参りを済ませ、山梨市の牧丘から笛吹市の石和温泉卿に向かう車の中で、雁坂道の愛称ですっかり整備された国道140号線やそこに架かる鍛冶屋橋の変わりように感慨深げ。「子どもの時分はこの橋の上から15mはあるだろう笛吹川に飛び込んでは遊んだものですよ」と80年も前のわんぱく時代を振り返ったり、「恋文を交わした」青春時代の話も。


後法事5


 「私にとっては初恋の人だったんです。今風に言えばラブレターというヤツを何度も交わしたもんです。ある時、恋文と共に扇子が届きましてね、厳格な親に見つかりでもしたら大変、と思い、返したんです。そうしたら、枕元において毎晩泣いている、という恋文がまた届くんです。・・・」



 今の年齢から逆算すると昭和12~3年頃の話である。こんな時代の片田舎にも今も心に刻むロマンが。弟の法事を機にわんぱく坊主の頃や青春時代を振り返る、この老人の顔ははるか昔の若き日に戻っていた。そしてトンチすら効かせて法話する老僧。80歳半ばとお見受けしたが、この日の法事で出会ったお年寄りはみんなかくしゃくとしていた。



 「弟の法事が済んだ。東京に帰ったらまた浅草の下町にカメラのアングルを探しに行く」という故人の兄。お二人に共通していたのはしっかりとした趣味修行の道であった。



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星空とライトダウン

「ライトを消して星空を眺めてみよう」
 いつもより、ちょっと早い晩酌をしながら山梨放送のニュースを見ていたら、宇宙飛行士の土井隆雄さんも登場して、こんな話題を伝えていた。宇宙飛行士の先輩を迎えた甲府市立東中学校の子ども達は大喜び。改めて宇宙への夢を膨らませていた。 土井さんはこの学校の卒業生だったからだ。

夜空2  

 このライトダウンの呼びかけは、エコと同時に秋の夜空をみんなで眺めてみようというイベントだ。「星空を眺める」。昔なら取り立てた話でもなかったのに、なにか新鮮な感じがした。山梨市の田舎でも街路灯が整備され、夜が明るくなった。ライトダウンの呼びかけの中心となった甲府市中心街の場合、ネオンの光も加わるから星空など無縁に近い日常なのだ。



 ライトダウンイベントの主催者がどこであったかは聞き逃したが、呼びかけの時間は7時半から9時。ほろ酔い気分で外に出てみた。標高が350mくらいで、地域でもちょっと高台にある我が家から見える近くの灯、遠くに見える家々の灯はいつもよりはるかに暗い。「お父さん、うちも電気を消した方がいいね」と、女房も言う。テレビの影響は大きい。



 残念ながら見上げた空は厚い雲に覆われていた。約20㌔離れた甲府も同じだろう。それにしても今年の秋はどうしたのだろう。「天高く・・・」。日中でもそんな爽やかな空を見たことがない。夜空だって何をかいわんやだ。このイベントに招かれた土井さんもちょっぴり拍子抜けしただろう。


夜空1


 慌ただしいと言うか、せせこましいと言うか、私達が夜空を眺める余裕を忘れて久しい。仕事に疲れ、家路を急ぐサラリーマンは前を見、下を見なければ、車も来れば人も来る。のんびり夜空を見上げる暇などありっこない。農家にしたって同じ事。晩酌の一杯もすれば、その日の疲れで、バターンきゅうだろう。



 でも、畑仕事はさて置き、田舎に住む私達はいい。街路灯はあるにせよ、ネオンなどはないから、雲さえなかったら星空はいつでも見える。健康を気遣ってくれるのはありがたいが、とにかくうるさい女房と娘に隠れるように外に出て一服する時、タバコの煙の向こうに広がる夜空は、天気さえ良ければ、えもいわれぬ満天の星だ。

夜空3


 「見上げてごらん、夜の星を・・・」と、ちょっぴり感傷にふけりながら見上げる星空。ところが、星座なんて、全く知らない自分に気づいた。「北極星と直線で結んだあの星と・・」といった具合の北斗七星くらいは分かるものの、後はチンプンかんぷん。子どもの頃、理科かなにかの授業でひと通りの星座ぐらい教わったのだろうが、ほかの授業も含めてみんな返上してしまっている。



 そんな自分を補うためもあって昨年、秩父山系の乙女高原での国際子どもキャンプで、プログラムに星空観察を盛り込んだのだが、理解が早い子ども達をよそに、これも駄目。老化で鈍くなった私のことはともかく、乙女高原の星空はまさに抜群。夏から秋のこの時期を中心に、四季を通じて星座ファンが詰め掛ける。あなたも一度行ってみたらいかが。



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1,000人を超えた

FC2カウンターが1,000を超えた。私のブログにアクセスして頂いた件数、つまり、私の拙いブログ記事を1,000人もの方々にお読みいただいたことを意味するものです。開設からわずか3ヵ月半でした。感慨以外のなにものでもありません。感謝、感謝の気持ちでいっぱいです。お会いすることが出来ればお一人お独りにお礼を申し上げたい気持ちです。


パソコン1


 ブログとは不思議なものですね。こうして毎日、語りかけるような気持ちで記事を発信しながらも、それをお読みいただく相手方、つまり皆様方のお顔が見えないということです。もちろん、何人かは「読んでるよ」と言って下さる方もいらっしゃいますから、全てではありませんが、ほとんどが分かりません。



 「書物や新聞だって同じじゃないか」と、おっしゃる方もいらっしゃるかも知れませんが、それが違うのです。書物や新聞の場合、発信者である書き手と読者の間には必ず一定の時間的空間があるということです。新聞のように、少なくても、一晩、半日のタイムラグ、書物に至っては短いものでも一ヵ月、二ヵ月、長いものでは半年、一年といった具合に時間的な空間があるのです。



 これに対してブログは書き手である発信者がゴーサインである送信キーを叩きさえすれば、相手方の読者は即座にその記事を読むことが出来るのです。記事が面白くなかったり、興味がなかったりする場合は、いつでも次に移行できます。記事に関連するツールも埋め込むことが出来ますから、そこから派生する別の情報を検索することだって可能なのです。いずれも、パソコンのキー一つの操作で済んでしまいます。


マウス


 一番大切な事はスキンシップでしょう。目に見えない方とのスキンシップ、というのは理屈的にはおかしいかも知れませんが「コメント」表示をクリックして、キーを叩きさえすれば読み手は、発信者である書き手といつでも意見を交換したり、議論をすることも出来ます。


パソコン2


 事実、北海道の「ロータリアン」さん、栃木の「もりりん」さん、九州の「○○」さんなど、それは沢山のブロガーからコメントを頂きました。お褒めや激励のコメントもありました。ただただ恐縮するばかりです。その一方で、コメントを頂いた方は、どんなお方だろうかと、お顔が見えないブロガーに思いを巡らすこともあります。中には「記事の量をもっと短くしたら」というご指摘を頂いた方もいらっしゃいました。

 

 ブログの魅力は何といっても、こうした双方向の通信であることです。それも、北海道とか、九州などと国内レベルに留まらず。地球規模で出来てしまうのですから、全く、インターネットとは化け物です。


パソコン3


 私は情報を発信する側の新聞社にいた経験がありますから、そのこと自体にはびっくりしません。新聞社側には発信者としての、しっかりした倫理規定があります。しかし、インターネットを媒体にしたブログにはそれがないから怖いのです。人を非難したり、自殺指南まで。私は拙くてもいい、明日からも素朴な日記でありたいと思っています。



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がんばれ、外国籍の子供たち

「外国籍の子どものサッカーチーム 公式戦でチカラ試したい」「イラン人PTA会長 活躍中」


 同じ日の山梨日日新聞にこんな二つの記事が載った。一つは、山梨県中央市に出来た外国籍の子ども達でつくるサッカーチーム「NAKAYOSHI(なかよし)」の話題、もう一つは甲府市の舞鶴小学校でPTA会長として活躍するイラン人(44)のお話題である。甲府市のど真ん中で、子どもの減少から統合を余儀なくされた小学校と、その郊外で、人口が増加しつつある地域の小学生のお話である。


山梨日日新聞miljan●舞鶴小学校PTA会長の話


 この日の朝、新聞を見ながら「子供たちもイラン人のお父さんも頑張って」と、声援を贈りたくなったのは私ばかりではないだろう。子ども達はブラジルやペルー、フィリピン国籍の6歳から13歳までの30人。いずれも、言語や文化、習慣が全く違う異国での不自由を乗り越え、懸命に頑張っている姿が容易に想像できるからだ。



 たまたまかも知れないが、この二つの話題は山梨県内で進む国際化現象を象徴的に表しているような気がするのである。その裏側には外国人労働力に頼らなければならないわが国企業の現実までもが垣間見える。そればかりではない。わが国の少子化だって、そこに間接的とはいえ、影を落としているのである。

地図


 中央市の中心にある旧玉穂町とお隣の昭和町には山梨県では随一の工業団地があって、この中にはナショナル企業も入居している。そこから落ちる法人税はばかにならない。特に団地の大部分を占める昭和町は国からの財政補助を受けない、いわゆる不交付団体だった。旧玉穂町には大学病院があって、その周辺の人口増は著しい。



 一方、甲府市の舞鶴小学校は子どもの数が激減、その存続が困難となった三つの学校の統合校である。この三つの学校は甲府市でも伝統のある名門校だった。穴切、春日、相生、特に春日小学校はかつて教育ママ?が子どもの住所をその学区内に移してまで通わせた時期もあった。しかし、この地域の人口の空洞化は激しく、三つの学校はあえなく統廃合に追い込まれたのである。県都の中心街だから、官庁や商店街、さまざまの事業所が集中している地域だ。



 山梨県内全般に言えることだが、特に甲府市とその周辺では外国国籍の人たちが増えているのだそうだ。私達は毎年、山梨市の乙女高原で国際交流をコンセプトにユネスコの子どもキャンプを開いている。そこに集まる外国の子ども達は、やはりブラジルやペルーなど南米、イラン、イラクなどの中近東、フィリピン、韓国、中国など東南アジア国籍だ。

キャンプ


 みんなお父さんやお母さんの仕事の関係で日本に来ている子ども達である。共通しているのは、わずかの間で日本語をマスターし、日本の習慣や文化を理解してしまっていることだ。ハングリー精神という言葉が適当であるかどうかは別に、みんな逞しい。不景気といわれながらも、そこそこ不自由のない日常を送っている日本の子ども達とは比べものにならないパワーを持っている。がんばれ、外国籍の子ども達、そしてお父さん達。



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ブログの拍手マーク

拍手

「お父さん、この記事に拍手マークはおかしいんじゃない」
 ブログの記事更新を後ろから覗いていた娘が、私をたしなめるように、こんなことを言った。傍にいた女房も「そうよ、そうよ」。あまり意味が分かっていない女房は別として、その配慮に「お前も伊達に歳を食ってねえなあー」と言ったら、女房は「それがよけいよ」。



 娘に指摘された記事は、高血圧が原因の脳溢血で倒れ、併発した肺炎が命取りになった知人の話。高血圧の怖さ、病人やお年寄りにはうっかりすると肺炎に結びつきかねない風邪の怖さを訴えようとしたものだ。(10月22日付の「遺影の人と肺炎」)。意図するところはともかく、人の死に関わる記事に違いない。



 確かに拍手マークはふさわしくない。いい歳とはいえ、そんな気配りが出来る娘がいとおしくなった。「そうだよなあー」。早速、拍手マークを抜いた。ところが、過去の記事の拍手マークもみんな消えてしまった。「おい、みんな消えちまったぞ」と、慌てて言ったら「大丈夫よ。また復活するから」。娘に教わることばかりだ。



 娘の言うことに頷く一方で「そんなに神経質にならなくても・・」と思わないでもないが、そう言われると気になるもの。拍手マークばかりでなく、文字への色付けも自粛した。普段、文章のポイントを強調して読み易くしようと、文字の大きさに強弱を付けたり、赤、青、黄色の色付けをしている。全体のビジュアル化を図る狙いもある。

菊


 不祝儀の場合、私達日本人は音を立てた拍手をしないことがマナーのように習慣付けられている。しかし、こんな事があった。若い同僚が亡くなっての葬儀、告別式の時だった。親しい直属の上司が弔辞を読んだ。世に言う逆さ現象で憔悴し切っていた喪主の父親は、やおらに拍手を始めたのである。我が子の在りし日を偲ぶ弔辞に感極まったのだろう。



 参列者のみんなが拍手する父親の気持ちが分かりすぎるほど分かった。その弔事の内容が素晴らしかったことは言うまでもない。父親はよほど嬉しかったのだろう。生前、お世話になった会社の上司や同僚への感謝の念もあったのだろう。静まり返った告別式に少しも違和感がなかった。むしろ夢中で拍手する父親の姿にみんなが感動、涙した。葬儀の本当の姿を見る思いがしたものだ。



 ただ、参列者側からの拍手となると、かなりの勇気がいる。葬儀、告別式はさておき、法事などの場合だ。方丈さんの法話や故人ゆかりの人の挨拶にも出席者は、ただ下を向いて、だまりこくっているばかり。続く献杯の時もほとんど声を出さない。初七日、七七己、一周忌、三回忌。その姿に、いつも違和感を感ずるのである。私ばかりだろうか。どうせなら明るい方がいい。話に感動したら拍手をしたっていいのでは



 私はそんな場面の挨拶を指名された時には極力明るく振舞うようにしている。その事がむしろ故人への供養だと思っているからだ。第一、施主側がせっかく用意してくれた料理やお酒は美味しく頂いた方がいいに決まっている。でも、やっぱりブログの拍手マークは気がとがめた。しかし、これも共鳴したり、感動したら拍手すればいいと思ったりした。



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遺影の人と肺炎

仏壇


 「血圧が低いのもいけんだよ」。初七日の席で、隣り合わせた友は、精進落としの料理やお酒を口に運びながら、低血圧の私をたしなめるように言った。「そんなことはねえら。少なくとも高血圧じゃあないからいいじゃん」。こんなたわいもない会話を目の前の祭壇で、今は遺影の人となった同級生のご主人はニッコリ笑いながら聞いていた。

 

 70歳だった。高血圧症だったが、普段は元気で、家業の不動産会社を営んでいた。一ヵ月ほど前、酒席で突然倒れ、脳外科に担ぎ込まれた。高血圧が原因の脳溢血だった。家族の話によれば、幸い一命は取りとめたものの10日ほどして肺炎を併発した。これがいけなかった。慌てた家族は呼吸器科がある総合病院に転院させて治療を受けたが、結果的に、時遅しだった。



 この人は、不動産会社を営む傍ら、町の自治会長も務め、一方では、甲府盆地に春を告げる祭りとしても有名な甲府の「大神宮祭」の音頭とりとして活躍していた。大神宮祭は、「大神さん」の名で親しまれ、毎年、2月3日の節分祭には近郷近在の善男善女で賑わう山梨県内の一大祭りである。私も年男として豆まきに招かれたことがあるが、この人は、いつも裏方の先頭に立って祭りを支えていた。頭の下がる思いをしたものだ。

お寺


 初七日の席で、お酌に来てくれた、この人のお兄さんの話によれば、9人兄弟の末っ子だった。「戦死した総領は別として残る兄弟はみんな健在だった。一番おしまいのあいつが先に逝っちまって」と、目に涙を浮かべていた。そのお兄さんはこんなことも言った。



 「血圧の薬というものは、飲み始めたら、きちっと飲まなければいけない。しかし、あいつは、仕事の忙しさもあったかも知れないが、飲んだり、飲まなかったりしていた。それがいけなかったのだろう」



 このお兄さんは故人と7つ違いというから、今77歳。たまたまだが、スポーツジムのプールでご一緒させて頂いている方だ。私は行ったり、行かなかったりの不良生だが、この人は毎日のように通って、1時間はたっぷり水中ウオークをしている。健康にはいつも注意しているようで、同じご兄弟でもタイプが違う。


木魚


 ともかく、高血圧が引き金の脳溢血、それが災いしての肺炎の併発。最終的に肺炎が遺影の人の命を奪ってしまった。肺炎とは怖いものだ。体力が衰える病人やお年寄りの場合、さもない風邪が肺炎に結びつき、その一命を左右しかねないケースは珍しくない



 周りの人がみんなで注意してあげなければいけないから、ここでは私の母のケースを挙げてみる。ちょうど90歳を過ぎたばかりの10月初めだった。地区の小学校の体育館で開かれた敬老会に連れて行った。広い体育館だから、ただででも寒々しいイメージはするが、健常者なら寒さを感ずる時期ではない。



 ところが病院を外出許可で出てきた母には敏感に響いた。病院に戻ったその夜から発熱、肺炎を起こしたのである。一命は取り留めたものの、それから2ヵ月あまりの間、生死をさまよった。風邪を甘く見てはいけない。まかり間違うと命取りになる。


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マツタケは素人にも採れるか

秋の味覚のトップバッターといえば、やっぱりマツタケだろう。今年はこのマツタケが不作だったという。春から夏にかけての天候不順が影響したのだそうだ。私達庶民の口にそうそう入るものではないが、やっぱり残念だ。土瓶蒸し焼きマツタケ握りのマツタケ寿司。あの香りと食感。なんとも言えない。ポピュラーなマツタケご飯もある。

マツタケ1


 山に行っていないから分からないが、岩手山にある我が家の持ち山にも見つければマツタケの一つや二つは生えているのだろう。子どもの頃は秋になればみんながビクを腰に山に入った。遊びと実用だった。アメジコウ、ウラトリ、シメジ、ミネゴシ、クロット、ホウキダケ。田舎の子は田舎の子ならにに危険なキノコは絶対に採らなかった。誰からともなく、毒キノコの怖さを教えられていたのである。



 よく考えてみると、マツタケを採った記憶はない。第一マツタケなど知らなかったといった方がいい。子どもばかりでなく、みんなが食べる事が先で、マツタケの香りや食感を楽しむなどという余裕などなかったのだろう。マツタケ採りを初めてしたのは27歳ころだった。今でもよく覚えている。今は北杜市になったが、当時、八ヶ岳の山麓に武川村という村があって、そこの小学校の校長先生を辞めた後、村議会議員をしていた人と知り合ったのがきっかけ。その人は中山という自分の山をマツタケ山として開発、お客の誘致を始めたのである。



 マツタケ狩りの山開きの日になると毎年私を招待してくれた。のしをつけた酒2升を吊るしては山に登ると、その親爺さんは嬉しそうに、私に言うのである。「あなたの来る前にマツタケを採って置いたから、まずこれで一杯やろう」。バラックのような管理小屋で、茶碗酒だ。時には親爺さんが獲ったばかりだというアオダイショウを藁灰で焼いて食べたこともある。硬いが、うまかった。帰りには藁とスギの葉で作った筒状のものにマツタケをいっぱい差して持たせてくれるのである。


マツタケ2


 それから間もなくして、県の林務事務所と国の営林署の人たちと八ヶ岳山麓の別の山にマツタケ狩りに出かけた。自他共に≪マツタケ採りの名人≫という地元の人が案内役だった。その名人は途中で地面に直径1mぐらいの円を描き「この中にマツタケがある」というのである。しかし目を皿のようにしてもマツタケはない。ニコニコしながら名人が円の中心付近の土を指で掃くようにのけると、土の下からマツタケが。



 タネあかしはこうだ。マツタケは毎年、同じ所に出るのだそうで、名人はそのポイントをみんな知っているのである。テリトリーはざっと300.シーズンになると二日に1回、巡回しては土がちょっと持ち上がったところ、つまりマツタケが地面に頭を出す前に抜き取るのだという。いっぱいある雑キノコには見向きもしない。


 名人はそうしながら新たなポイントを見つけては一つずつテリトリーを増やしていくのだそうで、そのテリトリーはかわいい我が子にも教えないという。私はこの時を境に「素人にマツタケなど採れる筈がない」と、勝手に決め込んでいる。素人が採れるのは,山を自分の庭のように歩く名人達が、目こぼししたものに過ぎないからだ。


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今時の高校生

「みんな素晴らしい。甲乙つけ難いとはこの事です。皆さん方が現実をしっかりと受け止め、将来を考えている姿がよく伝わってきます」


 先ごろ、甲府市にある山梨県国際交流センターで開かれた「国際交流・国際理解のための高校生の主張大会山梨県大会」での表彰式で、審査員を代表して講評をせよというので、私は開口一番、こう言った。それは、発表者のすべてが、いずれ劣らぬ見事な主張弁論を繰り広げたからだ。

高校生の主張3


 この大会は山梨県下の高校が年に一度開いているもので、今年で24回目。16人の代表が一人6分の持ち時間で弁論を競った。ユネスコ部、国際部、社会部など、その出身クラブはさまざまだが「国際交流・国際理解」が共通テーマ。


 4人の審査員が主張の内容や構成はもちろん、音声や態度に至るまで厳しくチェック、審査する。その主張は自らの体験から導かれたものでものでなければならない。私は山梨県ユネスコ連絡協議会副会長という立場での審査員だった。

高校生の主張1


 代表選手は1年生を含めて主には2年生。3年生は受験勉強に忙しいから運動部、文化部を問わず、その中心を2年生にバトンタッチしているからだ。野球にしてもサッカーにしても、ほとんどのスポーツ大会、また文化関係の大会や発表会は2年生が主体である。言ってみれば、この時期、どの高校も2年生がクラブを背負って立っているのだ。



 2年生、1年生といえども、この日の高校生のための主張大会で見る限り堂々としたもの国連を中心とした世界各地の紛争解決と世界の平和を論じ、その国の文化や習慣を知らないことから生ずる誤解と偏見、さまざまな角度、切り口で論じた。審査基準にもあるのだが、それぞれが日常の体験や勉強から、その主張を導いているのである。



 「今時の高校生は・・・」とか、「今時の若い者は・・・」と、大人たちはよく言う。少なくとも、この日の高校生を見ている限り、そんな事は絶対ない。現実をしっかり見つめ、それなりに将来を、未来を考えているのである。その事は、先に、やはり甲府で開かれた「中部東ブロックユネスコ研究大会」でも、感じたものだ。


高校生の主張2


 この大会は山梨、静岡、神奈川、長野4県にいくつもあるユネスコ協会の代表が一堂に会して「ユネスコ活動のあるべき姿」を研究討議する場だ。4県が持ち回りで開いている今年の甲府大会には約150人が参加した。参加者は20代から80代と幅広い。



 4県の代表が事例発表、それを基にした研究討議が大会のメーン。コーディネーターを仰せつかっていた私は、ここでも、しっかりした若者達の姿を垣間見た。とかく事なかれ主義の大人達と比べ、若者達は現実をシビアに見つめ、将来への夢を語り、あるべき姿を堂々と主張していた。



 「今時の若い者は・・」といわれた人たちが大人になって、また「今時の・・・」と繰り返す。しかし、若者達はしっかりと情報を集め、勉強し、それなりの考えを持って行動しているのである。≪今時の大人≫こそ、若者達の声を聞かなければいけない、と思った。



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叔父の法事と夢窓国師の枯山水

西川家1 西川家2


 もう6年も経ってしまったのか。時の経つのは早いものだ。女房と一緒に叔父の七回忌の法要に招かれた。その叔父は生前、今は山梨市になったが、旧牧丘町で内科小児科医として地域医療の先頭に立って活躍した。大学病院など総合病院と違って、午前中は診察、午後は休む暇なく、地域を駆け回る往診の毎日だった。急患があれば夜昼の区別なんていってはいられない。ハードな往診にも 決して嫌な顔を見せなかった。


 今は道路もよくなり、車だってある。昔はオートバイが精いっぱいの往診手段であった。子どもの頃、風邪や暑気を受けて高熱を出したりすると、まさに夜昼かまわず飛んで来てくれるのである。一口にオートバイといっても、田舎の子供は見たこともなかった。車種は「くろがね」「陸王」。子供心に珍しかった。カッコよかった。


 そんな子どもの頃を思い出しながら、法要が営まれた恵林寺の本堂で、僧侶の読経を聴くともなく聴いていた。この寺は戦国の武将・武田信玄の菩提寺として、また織田・徳川連合軍に焼き討ちされた時、時の和尚・快川が三門に立てこもり「心頭滅却すれば火もまた涼し」という唐詩の一説を口ずさんで、死んで行った故事でも知られている。


 もうひとつ、この恵林寺で有名なのは寺の創建者、夢窓国師が設計、築庭したと伝えられる庭園である。訪れる観光客が必ず見るものの一つである。実は、この日の法要の主人公である叔父の家にも夢窓国師が築庭したと伝えられる、いわゆる「心字池」を基調とした枯山水の庭が残されているのである。恵林寺の「心字池」の庭のミニ版だ。

西川家5


 この家の母屋・西川家住宅は山梨県の指定文化財になっている。たまたま法事の数日前に山梨市の市民会館で開かれた人権擁護委員特設相談会の後、10人ほどの委員で、その文化財と枯山水の庭を見学した。私にとっては従兄弟に当たるのだが、叔父の後を継いで医院を開業している現在の当主によれば、夢窓国師が設計した庭は全国の有名寺院にいくつも残されている。しかし、個人の家にあるのは極めて珍しいのだそうだ。ただ、国道雁坂道の拡幅で、その庭の3分の1近くが失われたのは残念。

西川家4

 夢窓国師は、1333年、鎌倉幕府が滅亡した後、建武の新政を開始した後醍醐天皇に招かれて上洛、国師の称号を授けられるまでは夢窓疎石といった。伊勢の国、現在の三重県の出身。幼少時に出家、母方の一族の争いで甲斐の国に移住したのが甲斐の国とのかかわりの第一歩だった。



 疎石は応長元年(1311年)甲斐国牧丘の龍山庵(浄居寺)に一時隠棲している。浄居寺は西川家のすぐ近く。疎石は西川家と何らかの繋がりがあって、≪一宿一飯のお礼≫に築庭して行ったのではないかという。夢窓国師が恵林寺を開いたのは元徳2年(i330年)だから「心字池」の築庭は恵林寺のそれより西川家の方が先ということになる。西川家の枯山水の築庭は淨居寺に居た時期と見るのが自然だからだ。


西川家6


 いずれにせよ、西川家は少なくとも鎌倉時代から続く旧家ということになる。最近になって、同家の土蔵から新たに見つかった古文書の解読作業が専門家の手で進んでいる。七回忌を迎えた叔父が古(いにしえ)の先祖に西川家の詳しい歴史を聴いて欲しいものだ。


西川家3


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我が家のひょうたん

秋の日はつるべ落とし、とはよく言ったものだ。つい2カ月前だったら7時を過ぎても明るかったのに、10月も半ばを過ぎたら、まだ5時というのに暗くなる。天気が悪ければなおのことで、寒々しささえ感ずるようになった。庭の植え込みの先にある野菜畑では、棚に伸びたキューリやゴーヤが実を付けることすら忘れ、葉っぱも黄色くなり始めた。その隣では、10個ほどの瓢箪がツルを黄色く枯らして、だらしなくぶら下がっている。


瓢箪5


 この瓢箪、実は≪プル友≫つまり、スポーツジムのプールでご一緒するお年寄りがご縁で作ったものだ。この方は80歳を超えているが、毎日プールで歩いたり、泳いだりすることを欠かさない元気者。何をやっても器用な人で、趣味の瓢箪作りはプロ顔負けの腕前だ。瓢箪に絵や字を施し、化粧紐を巻いて置物にするくらいは朝飯前。加工して、フクロウのループタイを作ったり、ツルや亀の置物まで、それは見事に作ってしまう。

瓢箪4



 お人柄も温厚な方だから、山梨県瓢箪愛好会の代表も長く務めている。毎年、甲府で愛好者の発表展示会を先頭に立って開くのはもちろん、知り合いに、その技術を教えたりしている。甲府市飯田町の自宅の物置を加工して作ったという≪工房≫にはこの人の傑作がいっぱい。「上手なもんだね」と言ったら「ちょっとやれば、誰にでも出来ますよ」と。テレ笑いしていたが、どうしてどうして。


瓢箪2

 畑の野菜棚にぶら下がっている我が家の瓢箪は、この方から頂いた種を蒔いたものだ。種類はごく普通のもので、抱えるほど大きかったり、奇抜に変形したものではない。2年ほど前、我が家をリホームした時、記念に、と頂いた瓢箪は1m以上もある大きなもので、「気は長~く、心は丸く、腹を立てず、(他)人を大きく、己は小さく」と、教訓めいた文字が入っている。「心」は丸く書かれ、「腹」は縦ではなく、横になっている。トンチも効いたものだ。

瓢箪1


 瓢箪は古くから縁起物として人々から親しまれている。古来、風水にも用いられ、その形が末広がりであることから、気をためる道具に使われ、財運をもたらすとされた。豊臣秀吉の千成瓢箪は、あまりにもポピュラーだ。美濃の稲葉山城攻略で功を成した秀吉が信長から許された馬印がそれである。以来、秀吉は戦に勝つ度に一つずつ瓢箪を増やしていったという。



 神話にも登場する。中国では古来、中が空洞になっている瓢箪は、その内部に精霊が宿るとか、別世界があるとされ、神話や伝説に登場する。例えば、孫悟空が瓢箪に吸い込まれる話は有名だ。瓢箪が「宇宙」という器の象徴とされたという説もある。



 乾燥すると容器として使える。横に割ればお椀に、縦に割れば皿やひしゃくの代わりになる。瓢箪に入れたお酒は風味を増すのだそうだ。若い頃、毎晩のように入り浸った居酒屋の一つに「ひさご」という店があって、そこの主は店の屋号について「ひさご」は「ひしゃく」が転化したものだと、お酒と瓢箪の関係を説明してくれたことがある。

瓢箪3  

 瓢箪作りの名人によれば、我が家の瓢箪も収穫の時期。しばらく水に浸けて種を出すのが肝心だ。「ひょうたんから駒」が出たらいいのになあー。



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我が家の柿と杮落とし

柿3


 秋に色づく「柿」と杮落とし(こけらおとし)の「柿」とは今の今まで同じだと思っていた。いい歳をして、とお笑いになる方もお出でだろうが、これホント。どうして「こけら」を「柿」と書くのかは不思議に思ったことはある。が、そのまま通り過ぎていた。字面で見れば全く分からないが、字そのものが違うのだそうだ。


 つまり、食べる「柿」は「木扁」に「亠」の下に「巾」を書く。ところが「杮落とし」の「杮」は「木扁」に「一」を書き、その下に「ワ」を書いて上から「1」を書くのである。言葉で言うと分かりにくいが、食べる「柿」の画数は九、「こけら」の「柿」は八画である。因みに、柿落としは、新しく建てられた劇場ではじめて行われる催しの事だ。「柿(こけら)」とは木片のことで、建設工事の最後に木片を払うことが語源だという。


柿1

 

 「杮落とし」はさておき、我が家の柿も色づき始めた。一口に言って、柿は1,000種類を超す品種があるそうだが、我が家にあるのは富有御所甲州百目など数種類にすぎない。かつては次郎、蜂屋といった柿もあったが今はない。富有、御所、次郎は甘柿、甲州百目、蜂屋は渋柿だ。11月も半ばを過ぎて霜でも降りる頃にならないと美味しくならない御所柿と比べ、実りが早い富有柿はあと数日もすれば食べられるだろう。


 「柿が赤くなると医者が青くなる」という、ことわざがある。私の従兄弟にも医者がいるが、柿はビタミンCを多く含むなど栄養価も高い。その上、殺菌作用やタンパク質凝固作用があるため、下痢止め、便秘の解消などの整腸作用、さらには血止めしもやけ、やけど、発熱風邪の薬にも用いられたという。因みに、ビタミンCの含有量はレモンに次いで2番手グループだという。


柿2


 私は柿のずくしが好きで、甲州百目を収穫後、とっておいて、冬場に食べるのである。冷蔵庫で冷やしてコタツの中で食べると実に旨い。そればかりか二日酔いにめっぽう効くのだ。柿には利尿作用がある成分が含まれているので、アルコール分の排出にいいのだそうだ。でも飲みすぎればやっぱり駄目だ。また、柿にはカリウムが多く含まれていて、血液中のナトリウムを排出させ、血圧を下げる作用もあるという。低血圧の人は注意が必要かも。


 アルコールといえば、我が家でもやるのだが、柿の渋を抜く一つの方法。焼酎をへたの部分に塗ってビニール袋に入れ、4~5日置く、と渋が抜けるのである。これから町の果物屋さんに並ぶ渋抜きの柿は、こんな方法だとまどろっこしいので、炭酸ガスを使っての渋抜きをしているはず。倉庫のような大きな部屋で、コンテナのようなものに入れた柿に炭酸ガスをかけて渋抜きする方法だ。


 毎年、柿が実ると東京や埼玉に住む弟達に送ってやる。子どもの頃食べた味と同じ。大喜びしてくれる。それが嬉しい。そのためには、冬場に剪定もし、何回かの消毒も欠かせない。消毒を欠かしたら柿は絶対駄目。実を付けたとしても必ず落ちてしまうのである。もう一つ、柿の木には登ってはいけない。柿の木は裂け易い。くれぐれもご用心あれ。


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お年寄り達の歓声とゲートボール

ふれあい広場にお年寄りの歓声が戻ってきた。


 「1番ゲート通過」「3番にタッチ」


 ゲートボールを楽しむお年寄り達だ。広場の脇にはミニバイクや軽自動車が止まっていた。年の頃は70代から80代の女性ばかり7~8人。あれっ、あんなおばあちゃん達、この地域にいたっけ?見慣れない人たちばかりだった。多分、別の地区の人たちだろう。
ゲートボール 
 この地域は、どこの地方にも珍しくない少子化と高齢化が進む一方。ここでは少子化はさて置くとして、70代、80代のお年寄りはいっぱいだ。これに60代も加えれば部落人口の大半は、いわゆる高齢者である。一方で、少子化のツケが、まるでボデイブローのように響いて農業後継者不足が深刻になりつつあるのも無理はない。



 我が家の植え込みと小さな畑をはさんですぐ近くにある、このふれあい広場には特別の思い入れがある。こうしてパソコンを叩いていても歓声が聞こえるほどのの距離にあるということもさる事ながら、広場を地域にお貸しした当事者であるからだ。かつて梅畑だった10アール弱の広場だが、そこから挙がってくる歓声は、なぜか我が事のように嬉しくなるのである。より多くの人たちのふれあいの場になって欲しい、そんな思いだ。



 普段、年に一度の防災訓練やわずかな子ども達のブランコ遊び、夏場に夕涼みがてら花火を楽しむ近所の家族ずれなど、限られたような利用頻度だった。お袋が元気だった6~7年前は天気さえよければ毎日のようにお年寄り達がゲートボールを楽しんでいた。しかし、いつの間にか広場からお年寄り達の歓声が消えて久しかった




 お年寄りはいっぱいいるはずなのに、とお思いの方もお出でだろうが、ゲートボールのようなチームゲーム、特にお年寄りの遊びは誰か音頭とりをする人がいないと駄目のようだ。ゲームとか、お年寄りに限らず、音頭とりのある、無しはすべての事のまとまりの良し悪しに繋がるのだろうが、とにかく広場からお年寄りの姿が消えていた。

ゲートボール2

 私には、若い頃だが、ゲートボールに不思議なご縁があった。まだ40代の前半だった。当時、勤務していた新聞社の会長が山梨県ゲートボール協会の会長に就任したのがきっかけ。その橋渡しをしたことや、当時の会社でのポジションもあって、協会の筆頭理事に着かされてしまったのだ。会長が本業で忙しい時には、陰に陽にその代役をやれ、ということらしかった。



 県の体育協会の中でも、競技人口では最も大きいほうの団体だから、もちろん、そのための副会長もいれば、理事長もいる。ただ、協会側にしても会長にしても、その間をつなぐパイプ役が欲しかったのだろう。生い立ちが生い立ちだから、へんてこりんな理事であった。協会幹部なのでゲートボールの競技そのものを熟知し、審判員の上級資格を持っていて当然。私には何もなかったしかし、面白い仕事だった。新聞社が主催する大会にも多く携わった。おかげで山梨県内の主だったゲートボール愛好者とも知り合った。広場で歓声を上げる人たちの中にも顔見知りがいるのではと思ったのだか・・・。



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2年に一度の運動会

ムカデ競争1   ムカデ競争2


 玉入れ、パン食い競争、宝拾い、綱引き、障害物競走、地区対抗リレー。運動会の定番だ。ところが今年は綱引きがプログラムから消えていた。私が住む岩手地区が2年に一度小学校のグラウンドで開く地区ぐるみの大運動会。司会者もちょっと気になったのか「もし、怪我をして、明日の仕事に差し支えてはいけませんので・・・」と注釈をつけた。地域人口の高齢化現象は運動会のプログラムにも反映しているのである。



玉いれ


 岩手地区は山梨市に合併する前は岩手村と言った。戸数500か400足らずの小さな地区だ。一帯は葡萄、桃、サクランボなどの果樹地帯である。最近ではサクランボの面積がどんどん増えて、葡萄、桃を圧倒しつつある。その産地化が急速に進み、山梨県の先進産地である南アルプス市の白根一帯をしのぐ勢いだ。



 一方で、専業農家と兼業農家の二極化は顕著。後継者不足が深刻になりつつある。ここばかりではないわが国の少子化現象を反映するように若者達の数か減るばかりか、農業離れが進んでいるのだ。勢い地域の活性化にブレーキを掛けていることは確かで、直接的な原因ではないにしても、毎年、実施していた運動会も数年前から2年に一度になった。

ゲートボール

 運動会は地区内四つの区の代表で作っている区長会と体育協会の地区支部が実行委員会を設け、その音頭とりで実施している。その実質を担う体協によれば、半年も前から準備を進めるのだそうだ。当日は実行委員会が総出で、本部や救護のためのテントを張り、競技用のトラックを作ったり、場内アナウスのための機器も整備する。



 校舎の中央から放射線状に張った万国旗の下では、各区の役員が公会堂などに保管しているテントやテーブル、ビニールシート、座布団などを運んで、それぞれの区民達の見物席を作るのである。四つの区をさらに細分化した組別の立て札が一定間隔で並んでいる。4年生から6年生までの小学生で編成する太鼓隊の演奏で始まる開会式が終わる頃になると、トラックの回りはざっと6~700人近い人たちで埋まった。


運動会



 ラジオ体操の後始まる競技は定番もののほか、農家の庭先にあるネコと呼ばれる一輪車にいっぱい入れたボールを二人一組で運ぶ「宅急便レース」、仮想して、輪投げでお宝をゲットする「笑わせてゲッツ」、壮年と子ども二人一組で二本の棒の間にボールを挟んで走る「世代間ふれあい」など工夫を凝らした競技種目がいっぱい。いずれも遊び感覚だ。


ボーリング


 実行委員会がプログラム作り段階で、最も気配りするのは比較的歳をとった人でも気軽に参加出来る競技であることが大前提だという。もう一つ、地区間の対抗意識を煽らないようにする工夫である。対抗意識が強まると、つい、身体に無理が生ずるからで、いずれも、地域の高齢化現象への配慮からだ。



 お茶やジュース、ビールや葡萄酒を飲みながら、昼食をはさんで二部構成で楽しむ運動会。みんなの顔に笑顔がみなぎっていた。でも、その顔はいつもほとんど同じ。こうした場に、出てこない人は、今年も出てこない。一方、少子化は進み、2年に一度は活気を見せる運動会場の小学校には数年後に存続の危機が忍び寄っている。



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山砂と雑木の山林

ピンポーン。朝早く、勝手口のチャイムが鳴った。パジャマ姿のままドアを開けると、近所の親しい人がニコニコしながら立っていた。


 「まだ寝ていた? 朝早くて悪かったかなあ。砂、持って来てあげたんだけど、どこに下ろそうか」


 頭越しに、裏庭を見ると、山砂をいっぱい積んだ軽トラックが止まっていた。

 
 「すみません。いつも手数をかけますねえ。ありがとうございます」


 その人は、私が場所を指示するまでもなく、家って知ったる、とばかり母屋とお蔵の間を抜け、表庭に一番近い所にトラックを停めて、砂を降ろし始めた。軽トラックだからざっと1トン、スコップで手際よく下ろした。

砂と父1    砂と父2


 「お茶、飲んでけし。お金も払わんと、いけんし」


 「今日は、そうもしていられんさ。またご馳走になります。お金なんかいいよ」


 そう言い残して、慌しく帰っていった。


 サクランボや葡萄を結構手広く作っている果樹農家だが、暇がある時には遊びにやって来る。時にはお茶を飲みながら夕方まで話し込むことも珍しくない。そんな時、庭を眺めながら「岩手山からいい砂が出る。これを入れると草取りも楽だし、植木にもいい」と言っては、時期を見計らって砂利砂を運んでくれるのである。その量はもう10トン近い。


砂1


 岩手山は秩父山塊から南に下がった山梨市にある山で、我が家にとっては裏山みたいな所だ。もう何年も前から業者が砂利の採取をしている。コンクリート工事用だろうが、果樹農家の中には、この砂を買ってきて畑に入れる人もいる。この付近の土壌はどちらかというと粘土質だから山砂とブレンドするといいのだそうだ。



 実は、業者が砂を採取している山の目と鼻の先には我が家の山もある。ひと山といっていいほど大きいものだが、雑木の山林で、1銭にもならない。かつては薪山として売れた。石の採取でお金になったこともあった。しかし、薪はどんな田舎でも無縁になって久しい。一方、採石は昭和50年代に中央自動車道の建設工事に使われたり、一時期は墓石としても採取された。



 一帯は御影石だから墓石にはもってこい。ところが掘って行くうちに、この御影石に斑が入るようになったとかで、ソッポを向かれた。もちろん中央自動車道用の採石も、その完成とともに終わり。今や、山は誰からも相手にされない無用の長物?となった。



 人間、いくばくともお金にならないと、山だって見向きもしない。だから、我が家の山に限らず、山という山は荒れ放題である。かつては、宝の山と言われた杉、ヒノキの山でさえ、買い手がなく荒れるに任せている。高くつく人件費との絡みで、わが国の建築用木材はほとんど外材に頼っているのである。


 私も含めて地元の人たちは業者が掘り出す山砂を工夫しながら、それぞれの使い方をしているのだが、業者は環境面からも後始末が大変のはずだ。



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夫婦喧嘩は犬も食わぬ

パンダのランランではないが、うちの女房にはヒゲではなく、「トントン」「ブータン」という愛称がある。どうして「トントン」「ブータン」なのかを文字で書くと角が立つのでやめることにするが、その女房を呼ぶ時、この「トントン」などのほか「お母さん」と呼んだりする。

子豚

 これに対する返事で、女房の心中の雲行きが分かるから面白い。不機嫌なときはこうだ。


 「わたしゃあ、あなたのお母さんじゃないわよ」


 もっと雲行きが悪くなると「あなた」が「あんた」に変わるのである。おっしゃる通りで、俺のお母さんではない。お袋が元気な頃、私が女房を「お母さん」と呼ぶものだから、調子が狂ったのか目をパチクリしたものだ。「あんた、とはなんだ」と、ちょっと声を強めたら、言い過ぎと思ったのか口をつぐんだ。


 私の場合、大抵の事なら、怒らない。ただ、言い訳だけは嫌いだ。ちょっとした女房の言い訳がきっかけで口論、これがエスカレートして、いわゆる夫婦喧嘩になるのである。例えばこうだ。


 「こんな天気の日に、何も洗濯なんかしなくてもいいじゃないか」


 「しょうがないじゃない。雨ばかり降っているんだもの」


 「少しは後先、考えてやれよ」


 「考えてるわよ」


 「言い訳するな。少しは考えてやれ、と言っているんだ。バカめ」


 「バカとは何よ」


 「バカだからバカと言っているんだ」


 我が家の夫婦喧嘩はざっとこんな具合で、この場合、私が洗濯など、天気のいい時にやればいいのに、と、注意したのがきっかけ。たわいもない事から、ちょっとした口論となり、それがエスカレートするのである。「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」とはよく言ったものだ。

洗濯物


 その後を見ていれば分かるが、女房はかなりカッカとしている。しかし私の方は少しもカッカしていないのである。私の何気ない注意を≪売られた喧嘩≫と勘違い?したまでのこと。「考えてやれよ」と言われたときに「そうだよねえ」と言えば、そこで口論にも喧嘩にもならなかったはずである。



 私は結婚式の挨拶で時々こんなことを言うことがある。「夫婦だからこそ喧嘩する。どんどんすればいい。ただ喧嘩は売るもので、買うものではない。買わなければ本当の喧嘩には絶対にならない」と。八つ当たりして猫を蹴飛ばす、なんて話もあるものねえ。


 話のきっかけが何であったかは忘れたが、長野に行った時、道の駅の温泉で出会った大工の棟梁と名乗る親爺さんがうまいことを言ったのを思い出した。


 「女はとかく、目先だけでものを考え、後先考えずに直感でものを言う。だから怖いんだよなあー。そこへ行くと、男はそんなバカなことはしねえ」


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朴歯の高下駄

間もなく、母校・日川高校同窓会の集まりの日がやって来る。毎年11月3日、その総会を名目に旧制中学から今の高校までの同窓生達が懇親の場を持つのである。会場となる母校の体育館は≪日川バカ≫といったら先輩達に叱られるかもしれないが、母校への愛着や青春時代の郷愁豊かな同窓生達で埋まる。

日川高校同窓会のページ

日川高校1


 プログラムは往年の応援団が高校時代さながら、学ラン破れ学生帽朴歯の高下駄姿で校旗を掲げて入場、校歌、応援歌の合唱で幕を開ける。同校は3年後には110周年を迎えるが、幸い、旧制中学時代から校章はもちろん校歌も変わっていないから、旧制の大先輩から若者までが心を一つにして歌う。どの顔も、どの心もそれぞれの青春に思いをはせる瞬間である。

応援団1


 校歌は「天地の正気、峡南に・・・」で始まるのだが、その三番に「天皇(すめらみこと)の勅(みこと)もち・・・」という一節がある。この歌詞をめぐって、数年前、一部の屁理屈やさんが「現代にそぐわない」と、訴訟を起こしたことがあるが、そんなことはみんなどこ吹く風。伝統の応援歌と共に力いっぱい歌うのだ。一家で親子3代この校歌を歌う人たちも珍しくない。



 日川高校は旧制甲府中学、現在の甲府一高に次いで山梨県では古い伝統を持っている。バンカラの校風をみんながよしとしていて、そのバンカラの最たるものが応援団だ。ところが今、この学校には応援団に入部する男子生徒がいなくなって久しいのだという。私自身も「ええー?」と耳を疑ったのだが、ホント。もう5年も男子生徒の入部がなく、応援団長は女生徒だという。



 時代も変わったもんだ、と思うのは私ばかりではない。多くの同窓生がそう思っているに違いない。ごく最近になって、やっと一人の男子生徒が「これではいけない」と入部してきたという。そんな話題が山梨日日新聞に紹介されていた。そこには学ランに破れ帽、朴歯の下駄姿で胸を張る女性応援団長の勇姿が。「(男が駄目なら)私達が応援団の伝統を守り、引き継ぐ。新入部員の男子をしっかりしごいて立派な後継者を作る」と、コメントするその応援団長に思わず拍手を送りたくなった。


山梨日日新聞・Miljan(みるじゃん)の記事


 朴歯の高下駄。学ランとはちょっと違うが、詰襟の学生服とこの朴歯の下駄は子供の頃、早く着たり、履いてみたかった思い出がある。なぜか、そうすると、ちょっぴり大人になったような気分になるからだった。急に背丈が大きくなったような気分になったり、カラン、コロンと歩く様にあこがれた。背伸びをしてみたい年頃だったのかもしれない。


高下駄


 そんな子供の頃の思い出が懐かしくなって、朴歯の高下駄を探してみた。朴歯の下駄はおろか、下駄を売っているお店が少なく、見つけるのに一苦労。よく我が家に遊びに来る女房の学生時代の同級生のご主人が、千葉の自宅近くで見つけて送ってくれたのである。子どものように嬉しかった。ところが、平らなところでないと不安定で怖い。とてもカラン、コロンという訳にはいかない。忍び寄るバランス感覚の衰えを思い知らされた。


高下駄2



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ネットは怖いもの?

「学校の教室にある椅子が、なぜ、硬い木の椅子か分かりますか」



 先ごろ、富士吉田市で開かれた山梨県下の人権擁護委員研修会で講演した全国Webカウンセリング協議会理事長の安川雅史氏はこんな問いかけをした。講師は続けた。



 「そうでしょう。もし、座り心地のいいソファーなんかにしたら、児童や生徒はみんな寝てしまいますよ。だから、わざと座り心地のよくない木の椅子にしているんです」



 「そうだよなあ」。ざっと160人ぐらいはいただろ受講者はお互い、隣の人と顔を見合わせながら頷いた。そういえば私達が子どもの頃も今も硬い木の椅子を使っている。経費が高くつくのか最近ではパイプ椅子を使う学校が目立っているが、やっぱり座り心地がよくない、硬い椅子だ。


パイプ椅子


 今、こうしてパソコンを叩いている私の椅子は、もちろん、ソファーではないが、結構、座り心地がいい。我が家にしてはちょっぴり贅沢な椅子だ。


椅子


 「そうか、本を読んでいると、すぐ眠くなるのは、この椅子が原因か」と、椅子のせいにして分かったように頷いた。確かに本を読む時、楽な姿勢を取りたいから腰を深く掛け、後ろに寄りかかる。よく考えれば、眠くなるのも当然である。集中力も違うのだろうが、こうしてパソコンを叩く時には、腰は浅く、前のめりになるからいいのかも知れない。



 講師の安川さんはこんなことも付け加えた。



 「人がふんぞり返っているときは真剣ではない。少なくとも、人の話を真摯に聞こうとはしていない」。



 この日の講演は人権擁護委員が相手だから「木の椅子」の話ではなく、「ネットいじめによる子供の人権と対策」がテーマだ。安川さんは約2時間20分に渡って、子ども達の主に携帯電話を使ったいじめの実態を赤裸々に語った。いずれも、実際に相談のあったケースだと言う。生々しかった。びっくりすることばかりだった。



 それによると、子ども達は今、対面のいじめにとどまらず、携帯電話を駆使して≪顔の見えないいじめ≫に走っているのだそうだ。例えば、メールを使った相対のいじめなんか朝飯前。ひどいケースになると、他人、つまり、クラスの仲間のアドレスを使って標的とするクラスメートをいじめたり、クラス全員に成りすまして集中攻撃するケースも。

携帯  


 また、仲のいい二人の間に入って、それぞれに成りすまし、メールで互いを中傷、二人の仲を裂いたりする。いじめられる側の子は完全にクラスの中で孤立したり、心理的にも疑心暗鬼に陥るのである。アナログ人間の私は正直怖くなった。



 子ども達は携帯電話を自由自在に操り、いじめも遊び感覚。裏では暴力団関係者が暗躍する出会い系サイトにも平気で入り込んでいく。安川さんは「子供たちの間でとてつもない勢いで進んでいるこうした実態を大人たちが知らないでいることが問題」と指摘する。「メールもちょうきゅうに打てないアナログ人間に分かるはずがない」とばかり言ってはいられない現実が、自分達の子どもや孫の間で静かに進行しているのである。



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どこへ行った秋の青空

 いったい、秋の青空はどこに行ってしまったのだろうか。全く、よく降る。今日も雨だ。庭や畑の草は伸び放題だし、水をたっぷり含み、土が緩んでいるから雨が止んでもしばらくは畑にも出られない。洗濯物もさることながら、女房も「お父さん、これじゃあ、布団も干す時がないわねえ」とボヤクことしきりである。


 「女心と秋の空」という言葉がある通り、天気が変わり易いのも秋の特徴だが、それは初秋の一時期のこと。誰しも、秋の空といえば、たいてい抜けるような青空をイメージするはずだ。私にとって忘れられないのは、過日このブログでもちょっと触れだが、東京オリンピックが開幕した日の朝の青空だ。

★東京オリンピック★


 44年前のちょうど今頃、正確には昭和39年10月10日の朝だった。お若いブロガーの方は東京オリンピックも、その日の朝も、もちろんご存知ないだろうが、それは素晴らしい青空だった。わが国が戦後の復興期を抜け出し、高度成長期へと走り始めていた時期で、日本中がこのオリンピックに注目、固唾を呑んで見守った。いうまでもなく、わが国では初の開催だった。「東洋の魔女」とか「金メダルポイント」といった言葉を生んだのもこのオリンピックだ。

空1

 この日、代々木、千駄ヶ谷の森は、半ば興奮気味の人たちでごった返していた。当時、貧乏学生だった私は、開会式の入場券など買えなかったのだろう、メーン会場となった国立競技場と目と鼻の先にある新宿御苑に仲間数人と立っていた

新宿御苑


 みんな空を見上げていた。東京という大都会で空を見上げる機会など滅多にない。しかし、この日だけは違った。どこからともなく、5機の編隊で飛んできた航空自衛隊のアクロバットチーム・ブルーインパルスが国立競技場の上空に鮮やかな五輪のマークを描いたのである。もちろん、ブルーインパルスなどという、カッコいい飛行チームが出来た事など知るよしもない。因みに、ブルーインパルスの登場はその5年前だそうだ。



 国立競技場の上空といっても、高度は3,000m五輪の直径一つが1,800mというから東京の大部分の所で見ることが出来ただろう。みんなが見上げた東京の大空はすき透るような青さだった。その真っ青な大空のキャンパスにブルーインパレスの編隊が青、黄、黒、緑、赤の五輪の大輪をカラフルに、しかもダイナミックに描くのだから私のみならず、誰だって度肝を抜かれ、同時に大きな拍手を贈りたくなったのも分かるだろう。



 はっきりとは覚えていないが、前の晩、雨が降ったような気がする。その雨が代々木の空をいっそう青くしたのかもしれない。青空をバックに描いた5色の大輪は、神宮の森や新宿御苑のどっしりとした緑と見事なコントラストを見せていた。


 このオリンピックを契機とするように、わが国のモータリゼーションは大きく加速、いつの間にか東京の空から青空が消えた。その後にやってきたのは灰色の空だ。大都心といわれる東京。朝から晩まで忙しく動き回る働き蜂たち。恐らく、その空を見上げることもないだろう。そう考えたら、田舎はいい。雨続きといっても確実に青空は戻ってくる。



オリンピック


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年寄り笑うな、行く道だもの

 「子ども叱るな、来た道だもの、年寄り笑うな、行く道だもの」


 誰が言ったか知らないが、うまい事を言ったものである。私達、生きとし生けるもの、すべての人間への教訓だ。だが、人間は、およそ、叱られ、怒られ、笑われながら生き、死んで行くものかも知れない。


 とはいっても、私には子どもを叱ることは出来ても、お年寄りを笑ったり、蔑むことは到底出来ない。自分が間もなく、そのお年寄りとやらの仲間入りをしなければならないことを、実感せざるを得ない年齢に差しかかろうとしているからだ。


車椅子


 身近には、時々、意味不明なことを言い、明らかに痴呆というか、認知症が始まっている母親がいるし、3分、5分前の事を忘れ、何度も同じことを聞いたり、言ったりする従兄弟もいる。母親は今年93歳、話の従兄弟は間もなく90歳になる。考えてみれば人間、90歳にもなれば、そうなっても不思議ではない。第一私にはそこまで生きられないだろう。



 叔母と甥が一緒に認知症に。それもそのはず、叔母、甥の関係とはいえ、その歳の差はわずか三つ。普通なら兄弟みたいな年齢だ。私と、その従兄弟は24も歳が違う。まさに親子の歳の差である。

老人


 「貧乏人の子沢山」などと大臣が言ったら、その首が飛びかねない、揚げ足取りのような今の世の中だが、この言葉も言い得て妙。昔なら7人、8人の兄弟がいるのは普通。9人、10人だって珍しくはなかった。経済的には決して恵まれていたとはいえない時代だったはずだ。9人も10人も子どもがいれば、その子どもの年齢差が一番上と一番下とでは20も25も違って不思議ではない。今、騒がれている少子化問題がウソのようだ。



 事実、私の親父は9人兄弟の末っ子、母親は8人兄弟だった。母親は長女だったから叔母と姪の年齢が逆転していた。子供の頃、母親が明らかに年下に見える人を「叔母さん」と呼んでいるのを見て、どうしても理解できなかった。親父の兄弟は自らも含めてすべてがこの世を去り、母親の兄弟も半分になった。



 母親は足腰が弱く、自力歩行は困難。だから、医療介護の病院で看てもらっている。緊張感どころか、何不自由ない毎日を送っていると痴呆が進むのか、最近は時々、おかしなことを言うし、昨日のことをみんな忘れてしまうのである。東京や埼玉から来る二人の弟達夫婦はともかく、せっかく来てくれた友達や近所の人たちを忘れてしまうのだから始末が悪い。時には「どなたでしたっけ」とやってしまうものだから、そばにいる私達はひやひやものだ。さすがに、頻繁に行く私達夫婦、特に女房の顔は忘れない。一番世話になっている、ことを知っているのだろう。それも時間の問題かもしれない。


握手  


 元気な頃は歌など歌ったことがない母親が、最近、童謡や軍歌を歌うのである。それも正確に歌うのだ。昨日の事は忘れるのに、子供の頃や昔のことは覚えているのである。そんな母を見ていると、無性に目頭が熱くなる。自分も含めて、みんなが行く道、たどる道とはいえ、寂しい思いがする。「頑張って長生きして」。心で祈りながら母の顔を見た。



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秋の虫のオーケストラ

「うるさいほどの鳴き声」と、表現したら、なんと情感に乏しい人、と蔑まれるかも知れないが、今、我が家の庭先の植え込みとその周囲からは毎夜、虫の音がすごい。恐らく、鈴虫やキリギリス、コオロギなどだろうが、私には判別できない。どうやら分かるのは鈴虫くらいで、本当はキリギリスもコオロギも鳴き声を知っている訳ではない。


鈴虫


 とにかく、その鳴き声は、虫とは思えないほど大きく、明け方まで続くのである。「うるさい」ほどに感ずるのは、我が家が田舎で、車の騒音も聞こえなければ、ご近所の家もちょっと離れているので、人の話し声も聞こえないからかもしれない。寒さと共に虫の鳴き声が途絶える冬場は何の音もないから≪シーンという音≫がする。何らかの騒音が日常的な都会人には理解できないだろうが、本当なのである。


 若い頃はその≪静かな騒音≫が嫌で、音がする都会にあこがれたこともあった。我が家はちょっとした高台にあるから、子供の頃は近くを流れる笛吹川の水の音が聞こえたものだが、上流にダムが出来たことによって、水量が激減、いつの間にかその音も消えた。


 ≪静かな騒音≫を紛らわしてくれているのが虫の音だ。こうして部屋の中でパソコンを叩いていても、近くの居間で勝手に鳴っているテレビの音に負けないほどの虫の音が外から聞こえてくる。夕食後、決まってタバコを吸いながら外に出るのだが、そっと歩く足音にも虫たちは敏感に反応する。ぴたっと音が止み、通り過ぎるとまた鳴き出す

夜の庭


 母屋から植え込みを過ぎて、ちょっと離れた石の門柱の脇の道沿いに腰掛けて、一人静かにタバコを吸っていると、暗闇の中で、あっちこっちから虫の音が。それも無数といっていいほどの鳴き声だ。ステージで聞く100や120のオーケストラなんてものではない。



 どでかい自然をステージにした虫たちのオーケストラの演奏を聞きながら、遠くに黒く連なる山塊の麓に見える帯のように小さく光る家々の灯りをボーッと眺める。あの光が笛吹市一宮町神沢の友の家だろうか、とか、あれが甲州市勝沼町の親戚の灯りだろうかと、思いを巡らしてみたりする。その間も虫たちのオーケストラは絶え間なく続くのである。



 今、鳴いている鈴虫は、もちろん野生のものだ。かなり前のことだが、甲府に住んでいた頃、会社の同僚の中に鈴虫をふ化させる事が得意の人がいて、時期になると、しばしば、その幼虫をもらっては金魚鉢のようなガラスの器で飼っては部屋の中でその鳴き声を楽しんだものだ。騒音と雑音の中で忙しく仕事をして帰った自宅で聞く鈴虫の音は、つかの間の憩いであり、安らぎだった



 かつて鈴虫のふ化は珍しく、毎年その時期になると新聞の話題になった。しかし、実際はそんなに難しいものではなく、そのことを知った同僚は、自分でふ化することを覚え、毎年大量の鈴虫の幼虫を生み出しては私達にくれたのである。今もふ化をさせ続けているに違いない。



 田舎の実家に戻って、毎晩、うるさいほどの虫の音を聞いていると、あの頃が無性に懐かしくなったりもする。人間とはわがままで、贅沢な生き物である



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自衛隊協力会がご縁の興味

 人間が何かの物事や事象に関心を抱いたり、のめり込んだりするきっかけは、ほんのちょっとした事から始まることが多い。それは何気ない人や組織との出会いであったり、新聞やテレビなどの情報、新聞の折込チラシや街角の広告看板だったりする。もちろん、何の関心や興味も抱くことなく、空気のように通り過ぎていくものがほとんどだ。


 私が今、パソコンやインターネットにハマっているのも、ITにめっぽう詳しい萩原さんという高校時代の同級生との再会がきっかけ。もし、彼に出会うことなく、パソコンの初歩を教わらなかったら、こうして拙いながらもブログを書いていることも恐らくなかっただろう。女房は「お父さんのおもちゃ」と半ば笑っているのだが、私自身は結構、真剣だ。


 子どもみたいだ、と笑われるかも知れないが、今、船や飛行機に興味を持っている。過日、2時起きして静岡県の航空自衛隊浜松基地で開かれた航空祭に飛んで行ったのも、昨年夏の横須賀沖での護衛艦体験航海も自衛隊協力会の発足に関わったことがきっかけである。


 山梨市に自衛隊協力会が発足したのはこの春。ひょんなことから昨年の準備段階から関わったこともあって、役員の末席を汚すハメになった。半ば地域の≪義理≫から始まった事だが、その活動に携わったり、参加するうちに自衛隊ばかりでなく、船や飛行機、陸上での火力演習などにも興味を持つようになった。


航空祭5


 いつも女房を連れて行くのだが、「お父さん一人で行けばいいじゃんけ」という、その女房も行ってみるとまんざらでもなさそう。行く先々で、お土産を買ったり、お楽しみを食べたりしながら、結構楽しんでいる。


 何でもそうだが、体験に勝るものはない。書物などとは違って、理解し易いから、勢い興味も増幅する。例えば、海上自衛隊横須賀総司令部から護衛艦に乗ってみると、護衛艦そのものにとどまらず、船の運航の仕組みや人の命令系統まで手に取るように分かる。その後に起きた漁船とイージス艦の衝突事故を新聞やテレビで見ても見方が違うのである。自分の体験と事故のニュースをオーバーラップして考えることが出来るからだ。


自衛隊2


 操舵室や船橋(ブリッジ)の仕組み、船橋脇での見張りとその伝達方法、先方に障害物を発見した場合の面舵(右旋回)取り舵(左旋回)の角度と操舵室への指示の仕方など興味深いことばかり。かつては方向や距離、それに伴う角度などを別々に定めていたミサイル発射装置も、今は真上に打ち上げ、コンピュータの自動制御でミサイルが標的を追うのだそうだ。


自衛隊3


 陸上自衛隊のミサイル攻撃も理屈は同じ。東冨士演習場の火力演習で見たミサイルも2km、3km先の標的を一発の狂いもなく命中するのである。ただ、航空自衛隊のブルーインパルスが見せる、あの華麗なアクロバット飛行のように真摯に積み重ねる訓練とチームワークによるものが基本。チームワークを乱せば、何年か前の航空シヨーで起きた墜落の惨事に直結するのである。何事においても真摯な努力とチームワークは大切だ。

自衛隊1


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大空への夢ブルーインパルス

航空祭3


 本格的な秋空とはいえないまでも、浜松の空は青かった。航空自衛隊の浜松基地滑走路を次々と飛び立つ6機のブルーインパルスは大空で編隊を組んで、さまざまな曲芸飛行を繰り広げる。地上で空を見上げる観衆は、どよめきにも似た歓声を上げ、その一方では、機関銃のように切られるカメラのシャッター音が。


航空祭2  


 10月5日、静岡県の航空自衛隊浜松基地で開かれた航空祭のハイライトである。広大な敷地の一画に設けられた広いスペースの見学者ゾーンには、さまざまな機種の戦闘機パトリオットミサイルが展示され、大きな格納庫では航空機への体験搭乗サービスも。南北の玄関口からの通路、また航空管制塔や格納庫、それに研修棟などの管理施設に繋がる道路には焼きそばや、たこ焼き、お弁当などの屋台、それに航空自衛隊グッツの販売コーナーがずらりと並び、お祭りムードもいっぱい。航空ショーが始まる午前9時には見学者ゾーンは数万人の観客で埋まった。


体験登場サービス  
体験搭乗サービス


 目の前のかなり離れた滑走路から発進して行く訓練用の戦闘機。大空で、縦横無尽に展開する編隊飛行の爆音はけたたましい。その下では大型ヘリ2機を使って地上からの人命救助のデモンストレーションも。前座とも言えるショーの数々が終わると、ブルーインパルスのアクロバット飛行だ。


 ロープで区切られた観客席の目の前には、一番機から六番機が給油車をはさんで、一定間隔で並んでいる。午後1時ちょっと前、ブルーの上下つなぎの制服、純白のネッカチーフ姿のパイロット、つまり、ブルーインパルスのメンバーが登場すると、観客席は拍手喝采。一緒に行った女房も無心になって拍手していた。航空機の脇には3人一組の整備士ら補助者が整列。場内アナウンスはメンバーを次々紹介していく。


航空祭4


 いずれも、2~3等空佐、1~3等空尉の将校クラスのベテラン達だ。給油や整備士の点検の後、これから大空に「夢と感動」を描くアクロバットチーム「ブルーインパルス」の搭乗機が観客席の前をすべるように滑走路に向かう。一番機を先頭に最初が3機、その後を3機が相次いで追う。メーンイベントの開幕だ。


 縦横無尽に大空で繰り広げるアクロバット飛行。編隊、分裂を繰り返しながら、上下、左右、特に垂直上昇、垂直下降は迫力満点だ。ハイライトは大空に大きなハートを描き、矢で真ん中を射たり、それよりもっと大きいお星様のマークを描く妙技は、まさにダイナミックそのもの。観客席はどよめきにも似た歓声に包まれた。子どもならずとも大空への夢を駆り立てられる瞬間だった。


航空祭1


 今から44年前の昭和39年10月10日、東京オリンピックの開会式が行われた国立競技場の上空を思い出した。当時大学の4年生だった。高度3,000mの大空に直径1,800mといわれる五輪の輪で描いていく。千駄ヶ谷駅前で見た、その時の感動は今でも忘れられない。これもブルーインパルスの妙技だったのである。初代のブルーインパルスで、その機体F-86は当時の主力戦闘機だったのだそうだ。


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成田の別れ

 「世話になったなあー。いい思い出になった。おかげで、双方の先祖の墓参りも出来た。有難う。本当に有難う」


 「また来てよ。今度は別の所を案内するからね」


 「この歳じゃあ、一年ごとに長旅は無理になる。お前達、二人でハワイに来いよ。そう遠くないうち じゃないと駄目だぞ」

  
 「そんなことはないさ。春がいい。来年の春はどう?」


空港2


 成田空港の出発ロビーのエスカレーター脇にあるJALファミリーサービスルームの時計は午後8時20分を指していた。従兄弟達老夫婦がハワイに帰るJOO72便のフライト時間の10時までにはまだ時間があるが、見送りに来た私達夫婦が山梨にとんぼ返りする高速バスの最終便まで、あと10分しかない。


 二組の夫婦は握手した。抱き合った。握手する手にも、抱き合う肩にも力がはいった。老夫婦の目には涙が光っていた。


空港


 思えばアッという間の17日間だった。86歳と84歳になるこの老夫婦が成田空港に降り立ったのは9月16日。以来、我が家に滞在しながら、二人の先祖の墓参りはもちろん、それぞれの親しい友との再会、ミセスの幼馴染の病院への見舞いも果たした。二人とも生粋の日本人だが、米国籍パスポートを持って日本にやって来る。当たり前だが、それがなにか違和感として写るのである。


 ミスターは大学時代とそれを前後した一時期を除いて86年のほとんどがアメリカでの暮らし。話す日本語もどこかたどたどしい。日本を敗戦に追い込んだあの太平洋戦争の後も母国に米軍属として進駐したのである。20代の前半だった。日本進駐の大部分は神奈川県の横浜に程近い戸塚にあった米軍の物流基地勤務だったという。

アメリカ国旗

 その物流基地は日本全国に何万と進駐していた米軍と、その家族の生活物資を一手に賄う一大基地。進駐軍は東京などの大都市を中心に全国各地に駐在しているから、毎日、貨車やトラックで配送をするのだそうだ。もちろんそこの管理は米軍属。その下に優秀な日本人スタッフと従業員が働いていた。



 そのスタッフの一人がかつての上司の訪日を聞いて、私達夫婦の招きもあって埼玉県の所沢から遠路我が家にやってきた。従兄弟と三つ違いの83歳だという。今でも英語はぺらぺら。立場こそ違え、混乱の一時期を共に過ごした二人の老人は昼食をはさんで夕方まで思い出話に花を咲かせた。その顔は20代の若き日にタイムスリップしていた。従兄弟のミセスは結婚する前まで日本の映画女優として活躍していた。故人となった船越英二ら映画人との知故も多く、このミセスも加えた3人のあの日、あの時の話題は尽きなかった。

及川千代  


 成田で、目にいっぱい涙をため、私達と別れるとき、二人の脳裏には始めて見た富士山5合目のあの雲海も焼きついていただろう。諏訪湖や横浜・中華街、それに山中湖への宿泊旅行も思い出の一つだろう。「いつまでも長生きしてくれ」。そんな気持ちで手を振った。


空港3


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大根の間引き

 台風13号が去って、やっと、秋空が戻ってきた。秋が来たと思ったら、雨ばっかり。こんな年も珍しい。葡萄など果樹農家はもちろん、行楽客相手の観光農園も痛手だろう。我が家の畑も雨続きのあおりを食って、草だらけだ。一番気がかりなのは大根畑。サツマイモやサトイモ、トウノイモ、落花生などは成熟して、収穫真近かだからいいが、大根は今からが成長期。しっかり草くらい取ってやらないと、草に負けてとぼれてしまうのである。植物の世界だってサバイバルなのだ。


大根2

我が家のサトイモ

大根はほうれん草などと違って発芽率は高い。我が家の場合、蒔いた種はほぼ100%発芽した。ところが、雨や野暮用を理由に草取りを怠ったら、発芽したはずの大根もいつの間にかダウン。30cm位の等間隔に列で蒔いた大根は、あっちこっちで、まるで歯が抜けたよう。「雑草のよう」という言葉どおり、雑草は強く、逞しい。

大根1

大根です。

 雨が止むのを待って、畑に出た。大根より大きくなった雑草を取り、3つ、4つにかたまった小さな大根を間引きしていくのである。今ではホームセンターに行けばローラー式の小さな腰掛があって、中腰にならなくて済むから、腰痛持ちでも多少は楽だ。ただ、畑は長雨をたっぷり吸い込んでいるので、地下足袋は泥まみれである。

大根4

★落花生★

 通りかかった隣のおじさんが愛想良く話しかけてきた。


 「よくやりますねえ。わたしゃあ腰が悪いから草取りがどうも苦手でねえ。大根の中の草だから除草剤を使う訳にもいけんし、よわったもんです」


 この人はかなりの面積の桃や葡萄を栽培する果樹農家だが、80歳近くなって「もう果樹作りは無理。困ったもんですよ」と、よくこぼす。隣の畑に眼をやると、あっちもこっちも草まみれ。我が家と同じように小さい大根と、ツルを張ったサツマイモが雑草にうずもれていた。



 我が家もサツマイモを植えたが実を言うと、畑に草をはやさないためだサツマイモは実に逞しい野菜で、グングンとツルを張る。だから草を≪食って≫くれるのである。サツマイモは、本当は植えるのではなく、差すのである。種芋から出た芽を20cmぐらいに伸びたところで切り取って、盛土の列に30cmぐらいの間隔で差していくのである。いわば、さし木で、根がなくても100%根付く。今年はゴールデンウイーク中の5月3日に差した。土地がそれほどよくない所でも出来るので栽培は簡単だ。


大根3

サツマイモ

 雑草の話に戻るが、今では篤農家といわれる人ほどこの雑草を気にしない。忙しくて、気になんかしていられないこともあるのだろうが「草生栽培」という名の≪草との共生≫方法を取っている。ただ、これは果樹栽培に限ったことで、野菜作りには通用しない。


 だから、本格派の果樹農家は自家用の野菜作りなんかしない人が多い。そんな手間をかけるのだったら、買って食べた方が安いというのである。山梨市などこの地方は果樹地帯だから水田は完全といっていいほど姿を消し、農家はお米も買って食べている。野菜作りは、いわば趣味か農家のなれの果てといったところかも知れない。



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立小便の告白

 ワイン


 旅行中のバスの中や外で、尿意をもようした時ほど困ることはない。数年前の事だ。ロス・アンジェルスのハリウットに近いビバリーヒルズの街を歩いている時、その尿意をもようしてしまったのだ。ホテル「ハイアット」のレストランで、夕食をとりながらワインをたらふく飲んでしまったからいけなかった。夜でもあったから、道からちょっと脇にそれて・・・。日本ではそれほど罪悪感がない立小便もさすがに気がとがめた。


ワイン2  


 この失敗談を来日中のハワイの従兄弟老夫婦にうっかり話してしまった。その従兄弟は真面目顔で、私を叱った。
 


 「そんな事をしたら、アメリカでは後ろに手が回るんだよ。日本人は全般にマナーが悪い。立小便など、何をかいわんやだが、タバコだって歩きながら吸ったり、公園でもどこでも吸いたがる。大声で話しながら歩くのも日本人だ」



 確かにそうだ。日本と違って、外国を歩いていて道端にタバコの吸殻一つ見たことがない。空港やホテルの外に設けてある数少ない喫煙所にたむろすのは、ほとんど日本人だ。自分もその中の一人と思うと赤面ものだが、日本に帰るとまた・・・。




 この際、白状してしまうのだが、ロス・アンジェルスからラスベカスに飛んだときの事。よく考えてみれば,これもお酒が原因の失敗だった。カジノで夢中になってのゲーム中、尿意をもようしてトイレに立ったが、トイレが見つからない。黒のタキシードに身を包んだ従業員に尋ねるのだが、トイレという言葉がなんとしても伝わらない。そのうちに我慢できなくなってゼスチャーで、なりふりかまわず伝えようとしたが、これも駄目



 相手も困って日本語の分かる従業員にバトンタッチ。「ああ、レストルームですね」と指差したのはすぐ目の前のネオン。どでかい字で「RESTROOM」と書いてあった。笑い話にもならないお粗末な話だが、その時はまずそこに駆け込むしかなかった。これも恥を忍んで従兄弟に話したら「トイレでも分かるはずだがなあー。でもレストルームがいい。バスルームでもいいんだよ」と、教えてくれた。




 このトイレ騒動にはオチまでついた。用を足して、さっきまでの自分がウソのように、すっきりとした気分でレストルームを出て来たまでははいいが、今度は自分が戻るはずのテーブルが分からない。このカジノは私達が宿泊したホテル「ベネチアン」の1階を全部使ったように見えるほど広いスペースをとっていて、いわば、迷子になってしまったのだ。

ベネチアン


 ご存知の方はご存知。このホテルはそれ自体がひとつの街といった方がいいほど、ドでかいから、カジノの大きさも想像できよう。ゲーム中、ビールでもブランデーでもスコッチでもバニーガールがにこやかに持って来てくれるのだから酒量も増えようというものだ。酒好き人間の嵯峨、それが失敗を誘うのである。分かっちゃいるけど・・・である。


ラスベカス


 カジノでいつもやるのはブラックジャック。21と9、それにカードと花札の違いだけで、ゲームの原理は日本のオイチョカブと同じだ。速い展開の繰り返しだから時間の経つのも速い。裏を返せば負けるのも早いのである。立小便と同じで、女房族にとっては非難の的かもしれない。




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朝顔の大輪

朝顔、昼顔、夕顔。これに「寝顔」を付けくわえると、一転、無粋になってしまうのだが、ここで取り上げたいのは粋な朝顔の花。今から1,100年以上も前の奈良時代に中国から遣唐使によってわが国に伝えられたという朝顔は、庶民の間で大きなブームを巻き起こした江戸時代に品種改良が進み、観賞用植物に変わったのだそうだ。

朝顔2

 浮世絵にもいっぱい描かれているから、朝顔は下町の夏をいや応なく連想させてくれる。その朝顔が、今、我が家の庭先で見事な大輪をいくつも咲かせている。「いい品種の朝顔だから植えてみて」と、近所の人がくれた園芸用のポットに蒔きつけた苗を植えつけたものだ。直径10~11cmもある大輪は赤もあれば青もある。これまでもさまざまの朝顔を見てきたがこんな見事なものにお目にかかったことはない。


朝顔3


 持って来てくれた人が「いい品種」と言うだけあって、改良品種であることは十分に理解できる。だが、作り方を明らかに失敗。園芸用のポットから大きな鉢に植え替え、ツルを這わせる棒を2本立て、横棒も渡すなど工夫したまではよかったが、縦の棒が短過ぎたのである。分かっているようで分かっていない。無知とは恐ろしいものだ。朝顔のツルはグングン空に向かって伸びるのだが、途中で支えを失うから、下に落ちるしかない。



 ツルは折り返した途中でくちゃくちゃになるばかりか、地に落ちたツルは土の上をどんどん這うのである。その勢いは逞しい。一面が瞬く間にツルだらけになる。そこでは決して花を付けない。空中でなければ花を咲かせない植物なのだろうか。


朝顔4  


 この朝顔とは別に、ぶどう園の周りでいっぱい野生の朝顔が咲く。花の大きさ、美しさは比べものにならないが、これも逞しさでは負けない。支線を伝わってぶどう棚にどんどん這い上がるのである。在来種ではない。恐らく、肥料に混じって外国からやってきたものだろうが、繁殖力は強く、自然に落ちた種は来年、何十倍にもなって生えてくる。一般雑草用の除草剤では枯れない。



 昼顔や夕顔も同じだ。野生とか、観賞用を問わず、私達の身の回りには見慣れない植物がいっぱい。花好きの女房がやたらに買ってくる鉢植えや土に下ろす花を見ても、およそ日本のものとは思えない、名前すら分からないものばかりだ。畑や道端の雑草だって「こんなもの、あったっけ」と、思うものがいっぱいだ。タンポポなどは、在来種は完全と言っていいほど駆逐され、葉っぱがギザギザした逞しい外来種に変わった。みんな肥料や飼料が媒介しているのだろう。


庭の花


 朝顔は東京の下町の夏を連想させる。爽やかな花をポツンポツンと飛ばした朝顔の緑で涼をとる庶民ののどかな暮らしを髣髴とさせてくれる。一方、朝顔は「源氏物語」の五十四帖の巻きの一つに登場する。もっとも花ではなく、作中人物だが、その朝顔は源氏に好意を抱くのである。


 失敗作とはいえ、立派な大輪をつけた我が家の朝顔。花が終わったら種を取り、欲しい人に分けてあげたいと思っている。朝顔の季節ももう終わりだ。



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やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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