子ども達のお天神講(再)

 「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘れそ」
ご存知、菅原道真の和歌だ。今年も1月25日、地域の子ども達が私の屋敷の一角にあるお天神さまに天神飾りの奉納にやって来た。


お天神講1


 赤、青、黄色・・・。七夕飾りにも似た大きな笹に色とりどりの短冊が。「勉強が出来るようになりますように」「成績がよくなりますように」「今年一年健康に過ごせますように」。短冊には子どもたちのさまざまな願いが記されている。




 その可愛らしい短冊の内容をカメラに収めようと思っていたのだが、ちょっとタイミングをはずしてしまったせいか色があせてしまい、時期をを失した。それはともかく、お天神講は、小正月の道祖神祭りと共に、この地域の子ども達の一大行事。お天神さまは、もしかして学業の成績を上げてくれるかもしれないから、子ども達にとっては道祖神よりありがたい存在かもしれない。


お天神講


 このお天神講、今の子供たちはどんな形でやっているのか定かではないが、私たちが子供の頃はある意味で盛大だった。子ども達はお米や野菜を持ち寄り、各戸持ち回りで、今風に言えば食事会を開くのだ。裏方のお母さん達は大きな釜で炊き出しをした。わいわい言いながら食べた、お母さん達が作ってくれた真っ白いご飯、サトイモや大根、人参などの煮っ転がし、熱い味噌汁・・・。うまかった。この歳になっても、その味は忘れられない。


白米


 リーダー役の6年生は自転車で隣町の文房具屋さんに行ってノートや鉛筆、消しゴム、筆箱、下敷き、クレヨンなどを調達して学年別に配る。いわゆるプレゼントである。それも、嬉しかった。その頃の家は、今のような住宅構造と違って田舎風の造りだったから、内部のふすまを取っ払えばいっぺんに大きな部屋になる。子供たちはそこで腹いっぱい食べ、一日をなんとなく遊ぶのである。戦後の貧しい時代だった。




 菅原道真は、生まれたのも、没したのも25日。それも丑年だった。だから、子ども達の天神講もその日を充てているのだろう。ものの本によれば、わずか5歳で和歌を読み、11歳で漢詩を作った。14~5歳の時には「天才」と言われ、後に「文道の太祖、風目の本主」と仰がれた。天神講は、庶民の教育機関として寺子屋が普及した江戸時代、書道の上達や学業の成就を祈願して行われるようになったという。



湯島天神


 お宮は、おしなべて皇室を祭ったもの。わが国で平民を祭ったお宮徳川家康の東照宮(日光と久能山)と菅原道真の天満宮だけ。このうち、東照宮は徳川家が自らの権力でなさしめたものだが、天満宮は、ちょっと違う。庶民の人気とは裏腹に左遷されたり、不遇を受けた道真が亡くなった後、天変、地変が相次いだことから、時の権力・平安京が祭ったものだ。道真の怨霊を恐れたのである。




 お天神講の子ども達にとっては、そんなことはどっちでも良かった。たらふく美味しいご飯を食べ、ノートや消しゴムをもらうことの方が喜びだった。俺達「成績がよくなりますように」なんて短冊、書いたっけ?子ども達が奉納した短冊を見ながら今の子供たちとのレベルと世相の違いをまざまざと感じた。そしてなによりも違うのは子ども達の数・短冊の激減だ。


お天神講3



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相撲人気を復活させた?男

朝青龍2
山梨日日新聞から転載


 「朝青龍が復活」「朝青龍不屈」
大相撲初場所千秋楽の翌朝の新聞は、1面でこぞって横綱朝青龍の優勝を大きく伝えていた。スポーツ紙にとどまらず、一般紙も大きな写真入りで、その優勝を称えた。テレビ各局のモーニングショーも朝青龍一色。あの「横綱の品格」論議も影を潜めた。




 「朝青龍は帰ってきました」


 細い目をさらに細めた朝青龍が満面に笑みを浮かべ、大きな両手を挙げ、ファンの声援に応えていた。朝青龍の日本語はモンゴル人と思えないほど流暢で、画面に映る国技館の観客はみんな大喜びで拍手、拍手。後にこのガッツポーズがまた「品格」を問われるのだが・・・。



朝青龍3  
山梨日日新聞から転載

 いつも悪役を演じ、自らの言動からあっちこっちでひんしゅくを買うことが多かった朝青龍がこんなに大きな拍手を浴びたことはあるまい。相撲ファンのほとんどが、この初場所が引退の場所とみていた。この落差が一転、大相撲界の新たなヒーローを作った。所属部屋でもある高砂部屋も面目を施したに違いない。


 
国技館1  国技館2
 

 高砂部屋といえば、わが郷土力士の富士錦改め尾上親方に招かれて何度か部屋をお訪ねしたことがある。朝4時からの稽古を見るためで、もちろん、そこに朝青龍がいるはずがない。後に尾上親方が部屋を継ぎ、その後の高砂親方になった二代目朝潮に心酔、入門したのが朝青龍だ。朝青龍の「朝」は朝潮の「朝」をもらったのだそうだ。




 それはともかく、寒い冬なら真っ白い息を吐きながらの気迫の籠った稽古は面白い。それよりたまげるのは稽古が終わった後の朝飯。土俵に併設した一段高いところに10畳ぐらいの畳の間があって、その中央にちゃんこ鍋用の炉が切ってある。稽古を終えた力士達は番付の上位からこのちゃんこを囲むのだが、たまげるのはここから。ちゃんこを食べる前に一合は楽に入る茶飲み茶椀で酒を。

    一升瓶  湯のみ茶碗


 まずその飲みっぷりだ。一緒にご馳走になった私がひと口、二口つけたと思ったら、あっという間に三杯、四杯(合)を飲み干し、一升瓶が三人ともたないのである。茶飲み茶椀が猪口に見えた。給仕役は部屋の若い衆。もちろんそこにいる全てがフンドシ姿だ。すかさず、今度はどんぶりめし。一般のものより一回り大きいどんぶりにご飯をよそり、その上にちゃんこを載せるのだが、このどんぶりめしを3~4杯、ぺロっと食べては順番を入れ替わるのである。私も結構酒好きで、どちらかといえば強い方だが、その間やっと一合を干すか干さぬかだった。あっ気に取られていた私に初代朝潮の高砂親方はこう言った。


 「このくらい食べたり、飲んだりしないと駄目なんですよ。沢山食べて、稽古をし、稽古をしてまた食べる。しっかり稽古したヤツは沢山食べられるし、身体も作れる。あれ、みんな筋肉なんですよ。私は、あなただって内臓や脊椎に異常がなければこの連中と同じ身体や強さを創って見せますよ。ただ根性のないヤツと稽古嫌いのヤツは駄目」




 今度の初場所を見ても優勝争いはモンゴル人同士。番付の上位陣も外国勢。日本人から根性と忍耐の二つが消えた? とにかく悪役朝青龍が大相撲を盛り上げたことは確かだ。




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認知症の始まり?

風景

 無意識のうちだが、昔と今を比較したり、懐かしんだりすることが多くなった。そんな自分に気付いて、一人苦笑いすることがある。このブログをお読み頂いている方々は、先刻お気付きだろう。ブログでも知らず知らずのうちに、子どもの頃や若きよき時代を振り返っているのだ。




 「おじさん、それって、歳を取った証拠だよ」。


 お若い方々にはそう言われるに決まっている。それならまだいい。「それって、痴呆の前兆じゃないの」と、言われるのが恐ろしい。それというのも、明らかに痴呆が始まっているおふくろを見ていて、そう思うのだ。




 おふくろは大正5年生まれの93歳。内臓は悪くないのだが、足腰が不自由で、自力での歩行は困難。仕方なく介護医療の病院で看てもらっている。暑さ寒さばかりか、食べることなど全てが至れり尽くせりの生活のせいで、緊張感がないのか、最近目立って痴呆が進んできた。


車イス



 「どなたさんでしたっけねえ」。せっかく病院に見舞いに来てくれる自らの友人、知人に、そんな事を言うものだから傍にいてハラハラするのだ。それならまだいい。自分のお腹を痛めた息子達の顔すら思い出せないこともある。




 そんなおふくろが、この頃、よく童謡文部省唱歌、軍歌を歌うのである。それも歌詞もメロディーも間違わず、しっかりと歌うのだ。そのおふくろ、元気な頃はほとんど歌を唄うことがなく、歌らしい歌を聴いたことがなかった。「荒城の月」なんか見事に唄う。看護士さんに「おばあちゃん、上手だね」と、褒められると、有頂天になったりもする。こんな時には病室のお年よりも一緒になっての人気者。それがまた痛々しい。





 痴呆の特徴は、昨日、今日のことは忘れるが、昔のことは案外覚えているのだそうだ。ご飯を食べたことを忘れ「家の嫁はご飯をくれない」とひがんでみたり、昔のことは覚えているものだから嫁ぎ先から今は昔の「実家へ帰る」といってみたり・・・。隣のベッドのおばあちゃんを見舞いに来る、やはり65歳前後の息子さんは「うちのおふくろなんか、私が昨日来たことすら忘れちまうんですよ」と、寂しそうに話ていた。私も言った。「うちのおふくろもそうなんです」。


風景2


 ただ、ちょっと不思議に思うのは、二日に一度と言っていいほど頻繁に行く女房、つまり、嫁の顔は忘れない。病院に行く頻度が女房と比べて少ないからか、息子の私を時々忘れてしまってもだ。痴呆がだんだん進みながらも、一番世話になっている嫁だけは、どこかで意識し、一目置いているのだろう。言葉には表さないが、感謝の気持ちがそうさせているような気がする。それがいじらしくもある。




 自分自身、我武者羅に働き、無茶と思えるほど飲んだり、遊んだりした若い頃が、つい昨日のような気がする。そんな人間が身近に認知症の親を抱え、自らも人事ではない年齢になりつつある。「へえ~」と他人事に受け止めているお若い方々だって、自分に限らず、遅かれ早かれ、そんなケースに出っくわすのですぞ。





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ドキドキすることが・・・

 「ドキドキすることが生きている証拠なんですよ」
テレビを見ていたら、作家と言ったらいいのか、尼さんと言ったらいいのか、とにかく、あの瀬戸内寂聴さんがこんなことを言っていた。その言葉が妙に頭に残った。


瀬戸内


 ≪ドキドキすること≫。確かに、これが生きていることの証かもしれない。俺はどうだ。ふと、自らを省みた。そういえば、最近、私にはこの「ドキドキすること」がなくなった。そして、一日が平凡に、しかもあっ、という間に終わってしまうのである。




 このドキドキすることは、人間の感情・喜怒哀楽の発露。さらに言えば、恋や愛、達成感や新たな発見、未知への挑戦、目的達成への努力と喜び、辛い事への辛抱・・・。恐怖に遭遇した時だってそうだ。こうしたドキドキ感に共通しているのは、一種の緊張感であり、期待、いわゆるである。確かに、この緊張感や夢がなくなったら人間ではないかもしれない。瀬戸内さんが言うように、そのドキドキすることが人間の証明なのだろう。


空


 森村誠一の小説に「人間の証明」というのがあった。もちろん、このドキドキ感とは関係ないのだが、その最初の舞台は東京・赤坂に程近い清水谷公園。そこから覆いかぶさるように見えるホテルニユーオータニをストローハ(ストローハット)に見立てた展開から始まるのだが、その清水谷公園の一角に、古びた国会議員の議員宿舎があった。




 昨年の春頃だっただろうか、国会議員の先生達が新築した高層の議員宿舎に入るだの、入らないだのと馬鹿げたようなニュースが伝えられていたから、今はもうなくなっているだろうが、その議員宿舎によくお邪魔したことがある。もう30年も前のことで、その当事者も故人となっておられるから、ここで書いてもいいだろう。

国会議事堂



 この国会議員先生は、山梨県の農協中央会長を長くお務めになり、その花道として参議院議員になられた方。毛筆は書家並み、剣道は教師7段の腕前で、院内では政務のほか余暇を利用して書道や剣道の指導をされていた。この先生、その一方で花札遊びが大好き。私も好きだからよくお誘いが掛かった。もちろん、仕事を終えた夜だが、そこには気心の知れた仲間の議員先生や、その秘書さんたちが顔をそろえた。





 お堅い方だと「議員宿舎で花札賭博?」などと言いかねないので、先生方の名誉のために言っておくが、単なるゲームだ。今、考えれば、この先生方は今の私ぐらいの年齢だったのだろう。とにかく、みんなタフで、和気合いあいと夜を徹してゲームに興じるのである。そこには言い知れないドキドキ感があった。たかが遊び、いい歳をして、とお笑いになるかもしれないが、これがあるから眠気も疲れもすっ飛ぶし、そんなたわいもない遊びが人の和をつくった。





 寂聴さんの言う「ドキドキすること」は、若いアナウンサーとの話のついでに出てきた言葉だが、若い人へ恋をする心のときめきの大切さをさらりと教えたように感じた。何気ないとは言え、80歳を超えた寂聴さん、人間が若さを保ち、持続させる秘訣を言葉の端に説いたのである。サムエル・ウルマンの「青春」という詩がある。その詩のように「青春とは人生のある時期を言うのではなく、心の持ちようを言うのだ・・・」。元気出せ。自らにも言い聞かせた。


光


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ブログと庭先の小鳥

 寒い。本当に寒い。それもその筈。二十四節気の一つ、大寒を迎えたのだから無理もない。天気がいいので、外に出て、ちょっとは仕事をしなければと、頭では考えるのだが、それが億劫になる。この時期は、農閑期といっても田舎暮らしをしていれば仕事は山ほどある。むしろ、この時期にやらねばいけない植え込みや柿の木の剪定だってその一つだ。ほとんど燃やしてしまうのだが、剪定した枝などの始末もしなければならない。


枝


 イチョウ、カリン、杏、ざくろ・・・。みんな葉っぱを落として裸になっているが、徒長枝は伸び放題。ここで切り落としてやらないと、いい芽が出ないばかりか、そこからまた新しい芽が出て、植え込みがボウボーになってしまうのである。松やチャボヒバ、棕櫚、モミの木などの常緑樹だって同じことだ。


木



 柏の木のようにいつまでも枯葉を落とさず、見苦しいというか、無残な姿をさらけ出しているものもある。この柏の葉っぱは、やがて来る端午の節句で、あの柏餅を包む、おなじみのものだ。周囲の木々がみんな枯葉を落とし、春への準備をするのに、なぜかこれだけはなかなか葉っぱを落とさない。今日も空っ風に吹かれて、枯葉がカサカサ音を立てている。


柏餅


 「明日にしよう」と、そんな植え込みの剪定の先送りを決め込んで、パソコンに向かっていると、庭の植え込みに何羽もの小鳥が。「あっ、あれがメジロか」。いつも見せて頂く東京の「のりぴー」さんのブログを頭に浮かべた。早速、自分のブログの「edita」から「のりぴー」さんのブログhttp://blog.goo.ne.jp/nori_peeを訪問。期待通り、今日も見事な小鳥の写真を掲載していた。





 定かなことは分からないが「のりぴー」さんは庭先にミカンやいくつかの餌を置いては、毎日やって来る小鳥をいたわり、望遠レンズでカメラに収めているのだろう。そのひとコマひとコマは実に爽やかで、生き生きしている。メジロもいればヒヨドリシジュウカラ(四十雀)ジョウビタキも。小鳥というものは、その時々、こんなに豊かな表情を見せるものかと、感心させられたりもする。周囲の植え込みをも写してくれるから、その時の季節感も一緒に伝わってくる。先日は、梅数厘が花開いていた。山梨より東京の方が、春が早いのだろう。


四十雀


 この写真ブログには一口コメントもついている。それによると、小鳥にもはっきりとした力関係があるのだそうで、一見強そうなジョウビタキはメジロが来ると逃げる。シジュウカラはもっと弱いのだそうだ。「のりぴー」さんはカメラのレンズを通して、いつも小鳥達と会話しているから、その力関係喜怒哀楽まで分かるのだろう。





 そんな事を考えながら、我が家の庭にくる小鳥達を見ていると、無知な自分なりに新たな発見が。「あっ、あれはメジロだ」「ジョウビタキ、シジュウカラもいる」。見慣れぬ小鳥がやってくる、とばかり思っていたら、結構ポピュラーなヤツもいる。.同じ関東の界隈。同じような小鳥が生息しているに決まっている。人間、ちょっと関心をもつか持たないかで普段見えないものも見えたりするから不思議。それにしてもブログとは便利なものだ。

ジョウビダキ


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人権相談のベル

 JR甲府駅に程近いところにある甲府地方法務局の人権擁護委員室。応接用の机の奥にあるデスクの卓上電話が鳴った。時計の針は午前9時ちょっと過ぎを指していた。9時からの人権相談の受付を待っていたのだろう。


人権擁護委員


 「モシモシ、こちら人権相談室です。・・・」



 
 「よろしいでしょうか。私は、名前を申し上げられませんが、実は・・・・」




 ここから先の会話は、書くことは出来ないが、我が子のいじめをめぐる若いお母さんの相談だった。





 山梨県人権擁護委員会連合会が行なっている人権相談は、地域、つまり、市町村ごとの特設相談と、甲府地方法務局や、その出先機関に分かれて毎日開いている常設相談がある。特設相談は隔月、市町村の集会施設で開設していて、相談者はそれぞれの広報での告知を見てやってくる。


人権
人権イメージキャラクター 人KEN守る君


 法務大臣から委嘱を受けた人権擁護委員は、山梨県の場合は209人。市町村での特設相談では、それぞれの地域の委員が終日、会場に詰めて、手分けで相談に応じる。法務局とその出先に分かれての常設相談月曜日から金曜日の午前9時~午後4時まで一人づつ交代で詰めては相談に応ずるのだ。


人権2
人KEN歩みちゃん


 いずれも、いわゆる手弁当のボランテア。私は委嘱を受けてわずか一年の新米だが、この制度の歴史は長い。どの委員もこのボランテアに真剣に、しかも積極的に携わっている。年二回ずつ開いている研修会にもこぞって参加、半日、みっちり勉強する。その運営もとかくありがちな役所任せではなく、自主運営である。

本棚


 日常のあらゆる事務も自らの事務局を作って処理するし、編集委員を出して毎月一回、機関紙まで発行している。B5版の2ページだが、その名は「結い」(YUI)。題字下には、こんな言葉が。




 「結い、とは田植えなどの時の助け合いのこと。土臭く、温かい言葉です」



 文字通り助け合いであり、思いやりがコンセプトだ。人権擁護活動のひとコマひとコマを柔らかく紹介しているのだが、この中には209人の委員が交代で投稿する一言欄も。1月号では富士吉田市の委員が同市のグループが開いている「人権教室」を紹介していた。





 甲府地方法務局などの常設会場には相談専用の電話が設けられていて、特に子どもには「子ども人権110番」が、またご婦人には「女性の人権ホットライン」が。電話に限らず、そこに出向いてくる相談者も多い。さまざまなケースのいじめ、家庭内暴力、夫婦間や近隣同士のトラブル、虐待、セクハラやストーカー行為、さらにはプライバシーの侵害や名誉毀損に至るまで、そのケースはさまざま。




 一見、何事もないように過ぎていく日常の社会の中で、人権侵害事案はいっぱい起きている。人々の生活が高度化したり、社会の機能が進歩すればするほど、こうした事案が増大する。なんとも皮肉な話だ。


   

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姿を消した雀

 あの雀たちはどこに行ったのだろう。勤めていた会社を定年で辞め、山梨市の田舎に戻って3年半。春夏秋冬、一年を通して、ほとんどと言っていいほど雀を見かけない。寒くて外に出るのが嫌なものだから、こうしてパソコンを叩きながら、ふと顔を上げ、窓越しの庭や植え込みに眼をやっても、そこにやって来ているのは、見知らぬ鳥ばかり。


鳥


 ざっと40年。今の田舎暮らしから見れば都市部での生活といっていいサラリーマン時代の日常で、雀はおろか小鳥そのものを見たこともなかった。正確に言えば、見るゆとりもなく、慌しく過ごしてしまったと言った方がいい。しかし、≪毎日が日曜日≫となった今、周囲がよく見えるようになった。


景色


 リフォームして家は少し変わったものの、窓越しに見える庭も植え込みも子供の頃とほとんど変わっていない。のっぺりした幹の百日紅も大きなの老木も、また金木犀銀木犀五葉の松椿、カリン、柏、石榴、杏、石楠花、キョウチクトウ、南天、くちなし・・。みんな昔のままだ。ところが、そこに来る小鳥はガラリと変わっているのに気づいた。


百日紅     庭


 雀の三倍もありそうなカラフルの鳥もいれば、これも大きく、長い尾をピクピクさせながら、いつも番(つがい)でやってくる小鳥もいる。植え込みの向こうを走る電線に、群れを成して飛んできては一列に規則正しく停まる鳥たちも雀ではない。




 かつて、雀は田舎ののどかな風景のひとコマであった。この時期、子供たちは陽だまりに遊ぶ雀を捕まえようと、笊(ざる)の端を棒で支え、その下に米粒をまいて仕掛けを作り、隠れて紐をひいては遊んだ。朝は雀の鳴き声で目を覚ました。春先の産卵期ともなればわんぱく小僧は高い屋根に上って雀の巣を獲った。雀が巣を作るのは軒先。無邪気にも、瓦を剥がして獲るものだから親父にこっぴどく叱られたものだ。


スズメ2


 「親方、少しは雀の巣、ありますかねえ」




 「ねえねえ。わしら、こうして屋根の葺き替えも沢山やらせてもらうが、最近、雀の巣なんて見たことがねえですよ」




 我が家では、昨年の夏、築80年の母屋と四つの蔵、そして二つの物置の屋根を思い切って葺き替えた。親方以下、3~4人の屋根職人が二カ月がかりの工事だった。クレーン車など重機を使っての作業だから、ひと頃よりは楽だろうが、高い屋根の上を軽業師のように飛び回る職人さんたちを見て、さすが、と思った。子供の頃が懐かしい。


屋根修理  
≪屋根葺き替え中≫

屋敷  
 


 「どうして、雀がいなくなっちまったんですかねえ」



 「分からねえねえ。多分で言っちゃあいけねえが、餌が減ってしまったことが原因じゃねえですかねえ。それと、見慣れぬ鳥は地球温暖化というヤツのせいじゃあ・・・」


スズメ  スズメ  スズメ


 そうかも知れない。米麦中心の農業形態から葡萄、桃、サクランボなど果樹地帯に姿を変えたこの地方は穀物が一粒もなくなった。消毒するから虫も少なくなった。雀たちにとっては住みにくい世の中になったのだろう。変わって登場した野鳥は逞しい。柿も食べれば葡萄も食べる。サクランボなんか、うかうかしていたら、丸裸にされてしまう。


屋敷


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スクラップと日々の情報

 「俺ねえ、先生のお宅にお迎えにいったんですよ。そうしたら、部屋の中は新聞の切抜きでいっぱい。足の踏み場もないほど。それはすごいもんです」


新聞


 同級会で一言ずつしゃべった仲間の一人が80歳近くになる恩師を前に、その近況を垣間見る話をした。私たちと一回りも歳が違うが、見た目も、言動もお若い。しかし、一昨年、奥様をお失くしになって、やもめ暮らし。「足の踏み場もない」の何気ない一言は、年老いた男一人の生活ぶりを見事に表現していた。それはそれとして、山ほどの新聞の切抜きである。歳を感じさせないほどお若い、この先生の秘訣は、ここにあるような気がした。

おじいさん

 毎日の新聞を読んだ後、気づいた記事を切り抜いては、情報と知識の整理をなさっているのだろう。恐らく、今日や昨日始めたものではないだろうから、山にもなるはず。私のかつての職場の大先輩にもこの先生と同じような方がいた。周囲が「切抜きさん」とか「鋏さん」と、あだ名するほど毎日、新聞の切抜きをしていた。


はさみ


 そんな方だから、家の中は、その切抜きの山。ズボラな私なんか、この大量のスクラップをどのように整理し、どう活用するのだろうと、大きなお世話かもしれないが心配すらしたほどだ。そういう自分だって、若い頃、同じ事をしたことがある。ただ、このお二人とまったく違うのは、仕事上の必然があった時だけで、それがなくなってしまえば、ハイさようならである。





 確かに、スクラップは、いざという時、便利だし、そうすることによって頭の中にも残るからいい。しかし、最近のように情報のデジタル化というか、データベース化が進んで来ると、このスクラップするという行為がなんとも前近代的に見えてしまうのである。こうしてパソコンを叩いていても、分からないことに出っくわしたり、かつて新聞に紹介された記事を見ようと思えば、インターネットに接続すれば即座に見れる。大抵の新聞社はそのサービスをしてくれている。スクラップなどしなくてもいいように縮刷版も出していてくれたものだが、こちらは、さすがにあまりお目にかからなくなった。



インターネット


 私たちの情報に対する日常が知らず知らずのうちに変わってしまっていることに気づく。スクラップするという行為が示すように、私たちは情報というものを≪蓄積する≫と言う概念を持っていた。しかし、いつの間にか≪消費する≫に変わった。考えてみれば、使い捨てでいいのかもしれない。





 ただ、知識だけは確実に違う。使い捨てにはしないはずだ。ところが、インターネットなどで検索した知識は、どうしてもその場限りになりがち。私だけかも知れないが、例えば、漢字や、その意味にしても辞書を引いて調べたものは案外記憶に残る。つまり、スクラップするという行為、大げさだが、苦労が記憶を促すのだ。



 「おじさん、すぐ忘れるのって、それ歳のせいだよ」。そう言われれば、返す言葉のすべもない。まだボケは来ていないと思っているが、アナログ人間の自覚だけはある。インターネットを駆使して、どんな情報も知識も集めてしまう若い方々が羨ましい。





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消え往く手書き文字

お正月

 松の内が去ったと思ったら、あっ、という間に十四日正月も。一年中でも正月は時が過ぎるのが一番早いような気がする。親しい友や親戚、知人からの年賀状も、もう色あせたような感じがする。年賀状の束は、その顔ぶれを一部変えて、また今年の暮れまで引き出しに入る運命なのである。


 


 引き出しで眠らせる前、もう一度、目を通すこの年賀状。今、改めて見ても、なんと味気ないものか。みんな、申し合わせたように活字で宛先や名前が打たれ、裏返して本文を見ても印刷の活字。その内容も、似たり、依ったりで、ほとんど同じだ。

年賀状


 パソコン普及の功罪はこんなところにもある。パソコンが身近になかった時分は、もちろん、みんな手書きだった。自分もそうだが、字の下手くそな人もいれば、びっくりするほど上手な人もいる。大きな字を書く人や縮こまったような字の人も。また、文章が上手だったり、そうでない人も。





 つまり、みんな個性があった。その字が家族の団欒の話題になったり、贈り手の心の温もりを伝えた。一人一人の顔や生活ぶりまでが目に浮かんだ。年賀状一枚一枚に血が通っていた。ところがどうだ。今のパソコン年賀状は大なり、小なり、みんな同じだから味もそっぺもない。決まり文句の本文なんか読むまでもないし、言ってみれば、どなたからの年賀状であるかを確認するに過ぎない。ちょっと言い過ぎだろうか。

お正月2


 パソコンのソフトメーカーも、こうした声を反映しているのだろう。毛筆に似た字体のソフトを改良したりしているのだが、所詮は作り物。人の心や感情を活字に映し出すことは叶うまい。第一、みんな平均的で、上手過ぎるからいけないのだ。機械が書いた字が人の心を表せる筈がないし、掴める筈もない。




 私は勤めの現役時代、その職責柄、山梨県のいくつかの書道会の新年会や表彰式に招かれた。その名の通り、書家たちの集まりだから、当然のことながら、年賀状はもちろんのこと、日常の手紙も直筆でお書きになるだろう。現に、頂く年賀状はみんな個性豊かな毛筆だ。自分も、こんな字が書けたらと、つくずく思う。



 挨拶をせよ、というので、その都度、私はこんなことを言わせて頂いた。




 「私の年賀状の95㌫以上はパソコンなど印刷文字。どうか自筆の文字を大切にし、それを書くことを教え、育み続けてほしい。そうしないと、日本人が日本人でありながら日本の文字を書くことを知らず知らずのうちに忘れてしまう。そんな気がしてならないのです。先生方はどうお考えになりますか」


習字


 確かにパソコンはいい。この年賀状一つ例にとっても、原稿さえ作れば、備え付けのプリンターで大量に印刷が出来、宛名書きだって、そのソフトさえ組めば自動的にやってくれる。作業に要する時間だって、大幅に短縮できる。




 でも、それだけでいいのだろうか。こんなことに頼っていたら早晩、年賀状の習慣は廃れていくに違いない。現に、若者達はその通信がパンクするほどメール志向に走っている。




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小正月の道祖神祭り

 「十四日祭礼、お祝い申~せ」私のむすこ
 「家内安全、お祝い申~せ」
あやたんアイコン



 ひと頃より、少しは日が長くなったとはいえ、まだまだ暗くなるのが早い。この夕暮れを待って、子供たちは今年も可愛らしい声を夜空に響かせながら、地域の家々を廻った。みんな手に手に灯篭を提げ、その後ろを育成会のお父さんやお母さん、それに交通安全協会の役員さんが見守っている。


道祖神お札  


 十四日正月、つまり小正月、この地域に伝わる道祖神祭りのひとコマである。道祖神祭りの風習というか行事は、地域によって、みんな違うのだろうが、この地域では毎年、1月13日の夜「きっかんじ」といって灯篭を担いで家々を廻り、五穀豊穣家内安全無病息災を祈った。




 この時ばかりは子供たちが主役。子供たちは七日正月が過ぎたところで、家々の松飾りや正月飾りを集めて道祖神場に「オコヤ」と呼ばれる小屋を作り、道祖神を祭るのである。今は生活改善や自然保護のため、松飾りをせずに、紙の代用品の松飾りになってしまったので、子供たちはこの「オコヤ」作りの素材集めに苦労しているらしい。米作農業から果樹農業に完全に転換されてしまったから、松ばかりか藁も手に入らない。

道祖神1 


 昔のことを言ったら笑われるかも知れない。でも私たちが子供の頃、考えてみたらもう50年も前のことだが、その時分は大きな「オコヤ」を作った。東北地方の冬の風物詩でもあるあの「かまくら」にも似て、子供たちはその「オコヤ」でモチを焼いたり、みかんを食べたりして遊んだ。悪ガキ達が集まる夜のコミュニケーションの場でもあったのである。


道祖神2


 灯篭も縦5~60cm、横4~50cmもある立方体の骨組みを作って、障子紙を張り、色とりどりのリボンや造花で飾った。灯篭の四面には「家内安全」「五穀豊穣」「無病息災」などのことばを書き込み、デスプレイするのである。子供たちはそれをいかにカラフルに、豪華にするかを競ったりもした。


道祖神


 しかし、半世紀の時はさまざまな面で変化をもたらした。この灯篭一つ例にとっても、子供たちの手作りではなく、みんな親が作ったか、専門家が作ったもの。そのスタイルも竹竿の先に固定して担ぐのではなく、形をぐ~ん、と小さくして、手にぶら下げる方式に変わった。子供たちは「団子食うべし、虫歯の薬、お祝い、申~せ」といった言葉を今も引き継いでいるのだが、その意味すら分かっているかどうか。米、麦、粟・・・。「五穀豊穣」の五穀も見たくても見ることが出来ない。


 
どんど焼き

 五穀は桃や葡萄、サクランボに置き換えればいい。しかし、肝心なのは祭りを担う?子供たちが激減してしまったことだ。その一方で、過保護のお父さん、お母さんだけはどんどん増えている。「きっかんじ」の行事も、へたをすれば一人っ子に二親が付き添って廻るのだから、子供の数より大人の方が多いのである。子供たちはほとんど親掛かり。育成会のリーダーがちょっと手を抜けば、この伝統行事もあっという間に消滅しかねない。




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「元気」と「選挙」がキーワード

 「元気」がキーワードだった。1月10日、甲府市のコンベンションホールで開かれた山梨県中小企業団体中央会新春交流会で挨拶するお歴々は、100年に一度と言われる不況下の現状を踏まえ「こんな時こそ、われわれ企業主や、それを取り巻く人々が元気を取り戻すための先頭に立たなければならない」と、口々に訴えた。


新春交流会1



 この催しはその名の通り、同県内の中小企業者の新年互礼会である。この時期、恐らく全国各地で同じような催しが開かれているのだろう。躍動する中小企業!!『山梨のDNAが未来を変える』が今年のテーマ。約2,000人が会場を埋めた。式典、講演会、パーティーの三部構成だ。こんなご時世だからこそ、と主催者は考えたのだろう。二部の講演会では落語家の三遊亭好楽師匠を招いて、笑いを呼ぶことも忘れなかった。




 会場正面の特設ステージには黄色い法被姿のお歴々がずらりと並ぶ。主催者の代表はもちろん、商工会議所商工会連合会など友好団体の代表、県知事国会議員県議会議員市町村長など、政財界の主だった人達が勢ぞろいである。




 表立ったキーワードが「元気」なら隠れたキーワードは「選挙」。今年は遅かれ早かれ総選挙がある。洗礼を受けなければならない先生達は、催しが始まる前から、この時を逃しては、とばかり、入り口付近で愛想を振りまき、入れ替わり、立ち代りの来賓挨拶でも「県民のため、中小企業のために・・・」と、リップサービスに余念がない。


新春交流会2



 国会議員は自民党もいれば、民主党も。呉越同舟だ。そこは先生方も大人。角つき合わす永田町の舞台劇や選挙の「せ」の字もおくびにも出さない。山梨県選出の選良は3選挙区と比例区合わせて6人。「私たちの持ち時間は2分」と、舞台裏の主催者との打ち合わせをバラシながら話すのだが、会場はもちろん、ひな壇の大方も、ちょっぴりうんざり気味。




 その空気を読み取ったのか、ラストバッターの参議院先生は「私は6年の任期まで、まだ大分ありますので・・・」と、皮肉とも取れるジョークを飛ばした。衆議院議員先生が全員顔をそろえたのに対して、こちらは2人のうち出席は一人。残る一人は代理出席だった。衆、参選良の置かれた立場をまざまざと見せ付ける一幕も。


新春交流会


 とにかく総選挙をにらんだ先生達は戦々恐々。自民 VS 民主のガチンコ勝負、そればかりか、自民党内で、いまだに公認争いをしている先生も。腰が落ち着かないばかりか、外見ニコニコしながら同席している先生方の内心は複雑である。




 不況と選挙。そんなキーワードを、さらっと、包んでくれたのが三遊亭好楽師匠。あのテレビの長寿番組「笑点」のレギュラーらしく、それにまつわるエピソードや現代の若者、身近な夫婦のやり取りなどをネタに、ざっと1時間、会場に笑いを提供。さすが噺家。トントントンと軽快なタッチで話す師匠の噺に、みんなそこそこの拍手。


三遊亭好楽



 ところが、この拍手が足りないと見たのか好楽さん、最後はちょっぴり下ネタも加えてオチ。ある落語家さんに聞いたことがある。噺の呼吸に反応してくれないお客さんがいる所では下ネタを出せば一発、と。お後がよろしいようで~。





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氷雨と炭

 未明からの雪が止んで、今度は雨。その雨は淡い初雪を徐々に消して、降るとでもなく、止むともなく降り続いている。この時期の雨は独特だ。すっかり葉っぱを落として裸になった木々。茶色の絨毯のように周りに散った落ち葉の上の雪も溶かしていく。秋雨や春雨とは明らかに違う。ましてや五月雨おやだ。いかにも寒々しい。これを氷雨というのだろう。


枯れ葉


 「氷雨」。数々の歌にもなっている。秋雨や春雨にはない人々の感傷を綴るのにふさわしいのかも知れない。「飲ませてください もう一度・・・」で始まる日野美歌の「氷雨」。もちろん、その歌詞はこんな田舎を舞台にしたものではないが、雨の降りようはいかにもぴったりだ。日野美歌の「氷雨」は黒人歌手のジェロが歌って、さらにヒット。これがスターダムへのステップとなってジェロはあの歌謡テレビ番組「紅白歌合戦」にも登場した。


ジェロ



 辞典によれば、氷雨は、空から降ってくる氷の粒のこと、また冬の季節に降る冷たい雨のことを言う。気象学的には、氷の粒の直径が5ミリ以上を雹(ひょう)5ミリ未満のものを霰(あられ)と言うのだそうだ。ご存知、雹や霰はこの時期・冬には降らない。夏の時期だ。突然のようにカタカタと屋根を叩いたり、アスファルトの道路をカラコロと転がるあの氷の粒である。だから氷雨は夏と冬の季語。俳句をおやりの方ならご存知だろう。





 氷雨降る、こんな日は畑仕事だって出来ないし、外に出ることすら億劫になる。炬燵に入って、みかんでも食べながらテレビでも見るに限る。我が家の炬燵は掘り炬燵。床をくり貫いて腰掛式になっている。炭から電気に変わって久しい。スイッチ一つで暖かくしてくれるのだから電気炬燵は便利だが、よく考えてみれば、炭のあのぬくもりは忘れられない。


コタツ


 氷雨は人を感傷的にするのか、ふと子供の頃を思い出した。台所が今のように電気やガスではなく、薪を使っていた、いわゆるかまどの頃のことである。そこから出る「オキ」を火種にし、そこに乗せた炭火が炬燵の暖房の主流だった。その暖かさは単なるぬくもりだけでなく、そのぬくもりを持続させた。





 しっとりとした暖かさで、なぜか電気のように乾燥する感じはなく、炬燵で転寝しても不思議な事に風邪を引かなかった。科学的な根拠があるわけでもないし、ただの「感じ」でしかないが、電気と炭は歴然と違うのである。



雪


 とにかく、氷雨や雪、空っ風が吹く冬の時期、この地方のどの家庭にもこの炭があった。しかし、時代の変化は人々の頭から炭を忘れさせて久しい。山間僻地の貧しい生活の生業(なりわい)を象徴するような炭焼きは、今では人のゆとりを表すような趣味にイメージを変えた。人々の食生活の一部だった「おやき」が観光土産品に変わったように、炭はぜいたく品になってしまったのである。


夕暮れ


 冷たい氷雨が降る夕暮れ、コートの襟を立てて入る焼き鳥屋やおでん屋。そこでの炭は店の売り物にもなっているのである。そんな所で飲む酒はなぜか、体ばかりではなく、心をも暖かくしてくれる。





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酔っ払いの七草粥

 七草粥

 「お父さん、今日は七草粥ですよ。ちょっと意味合いが違うかもしれませんが、お酒の飲みすぎにもいいかもしれませんよ」



 「もう7日か。その前に、ちょっと迎え酒をくれ」




 「駄目ですよ。身体も身のうち、と言うでしょう。さあ~,さあ~、お粥,お粥・・・」



 7日の朝、女房はいつもの年と同じように家族のために七草粥を用意した。七草粥といっても入っているのは、どうもスズナ(大根)スズシロ(かぶ)くらいのものらしいが、これが結構旨い。二日酔いにはこれがいい、と内心思った。


お酒


 七草粥は新春を寿ぐ行事の一つ。古くは中国から伝わった。7日の未明、人々は七草ばやしを歌いながら、包丁で草を叩いて、拍子をとりながら粥を作って神に供え、家人も食べて一年の無病息災を祈った。




 そんな純真な日本の伝統が、いつしかお正月のご馳走ずくめで疲れた胃袋の休養食の意味合いにも。私のように「二日酔いにはこれがいい」などと言ったら神様に「このバチ当たりめ」と叱られるだろう。




 七草は春と秋の二通りあるのだが、ここで言う七草は春の七草。つまり、セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロだ。私はこれを覚えるのになんとはなしの語調からスズナ、スズシロ、セリ、ナズナまで行って、ひと区切りして後に続けることにしている。まあ、そんなことはどっちでもいい。

七草

 物の本によれば、七草はそれぞれに効能があるのだそうだ。セリ解毒、食欲増進、神経痛、リュウマチナズナ高血圧、貧血、食欲増進ゴギョウ咳止め、痰きり、利尿作用ハコベラ歯槽膿漏、催乳、健胃整腸ホトケノザ体質改善スズナスズシロ骨粗しょう症、腸内環境改善に利くのだそうだ。




 古来、人々は二十四節気や雑気に合わせて、さまざまな行事や食を楽しみ、生活に区切りをつけたり、気分の転換も図った。それは健康、言い換えれば無病息災であったり、五穀豊穣への祈りだった。夏の土用にはうなぎを食べ、冬至にはゆず湯に入る。春、秋の彼岸には牡丹餅やオハギを仏前に供えたりもする。よく考えれば、日本人は風情というか情感豊かな民族なのである。
おはぎ
 しかし、そんな風習や文化が時代の流れの中で、知らず知らずのうちにかき消されつつあることも確か。このブログで年末年始に触れた時、何人かから、こんな意味合いのコメントを頂いた。




 「家庭の中で親がしなかったら子供たちは知るよしもない。お正月飾りやおせちだってしかりで、私はささやかなりとも、子供たちに教えたいと思っています」


おせち料理


 確かにそうだ。おせち一つとってみても、お母さんが作るものではなく、デパートやスーパーで買ってくるものと思っていたり、お屠蘇とお酒の違いが分からない人が増えていないだろうか。そんな事を基にした家族の団欒や心のゆとりがどんどんどこかに行ってしまうような気がする。




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三が日が過ぎて・・・

お正月

 時がこれほど短く感ずる時期はない。お正月の三が日だ。つい昨日、お正月飾りをして大晦日の除夜の鐘を聞き、なんとなく心改まる気分で元日を迎えたと思ったら、もう5日。働き蜂は、またいつものようにそれぞれの職場に出て行った。二日酔いで朝寝坊の私はさて置き、やはり朝寝坊だった娘や女房は、今日からはそうはいかない。




 女房と娘の朝のバタバタが始まった。女房は娘に朝ごはんを食べさせ、娘はバスを乗り継いで電車で甲府の職場に向かう。8時10分、家を出て、すぐ近くを通る市の巡回バスに乗る。約5㌔先の山梨市駅でJRに乗り継ぐのだ。

朝食  


 甲府盆地の東北部のこの地方では路線バスがなくなって久しい。マイカーの普及が第一の引き金だが、少子化や全般に人口の伸びが停滞している社会現象も背景にある。もちろん、これはこの地方だけの事ではない。仕方なく?走らせている市の巡回バスは朝夕の数本。これに乗り遅れたら大変。娘はもちろん、知らぬ顔ではいれない私たちも、ちょっぴり緊張する朝の時間帯なのだ。




 通勤の仕方こそ違え、同じような朝を繰り返していた3年前までの自分が懐かしい。「お父さん、会社、遅れますよ」。毎朝、女房にたたき起こされた。その自分が立場を変えて娘をたたき起こす側に廻っているのが恨めしくもある。毎日が日曜日の生活ももう慣れた。女房も私が朝寝坊していてもとやかく言わない。40年もの間、働き蜂を続けた亭主にいくばくかの敬意を持っているのだろう。



サラリーマン


 不況、不景気なんていう表現を通り越した今のご時世。どんな職場であっても働き蜂たちは大変だ。「お屠蘇気分」なんてのんびりしたことを言っていたらぶっ飛ばされるに違いない。太平の世だったら今頃、春闘の賃上げ交渉や闘争が新聞の話題になっていた。ところがどうだ。賃上げはおろか、春闘の春の字もお目にかからないほどかすんでいる。「サラリーマンにとどまらず、日本はいったい、どうなっちまうんだ」。毎日が日曜日の年金生活者だって不安になる。






 お屠蘇気分。お正月。といっても、この言葉の実感がない。単なる不況のせいばかりではない。いったい何なのか。歳のせい?ライフスタイルの変化?社会環境?みんな絡んでいるのだろう。お屠蘇気分とお正月気分は同意語みたいなものだ。それがいっぺんにぶっ飛ぶ。なんとなく寂しいし、味気ない。このブログでもどなたか、同じような感想を書いていたから、そんな思いをしているのは私ばかりではなさそうだ。

ダルマ
 5日は二十四節気の一つ小寒。太陽黄経が285度の時をいう。寒の入りとも言い、この日から節分、つまり立春の前日までを寒、寒中、寒の内とも言う。冬の寒さが一番厳しい時期だ。この日からは年賀状ではなく、寒中見舞いに変わる。七日正月、十四日正月があるが、三が日の後の別の意味での区切りでもある。


冬


 年賀状を書きそびれたり、ズルした人は寒中見舞いで補うことになる。うかうかしていると、三が日どころか大きな意味での正月が過ぎて、立春が来る。時の経つのは早い。




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恩師のご高説と同級会

 「一年が経つのが早いよな」「そうだよなあ~」
新年会をかねて年に一度開く同級会で、恒例のようにめいめいが近況報告をするのだが、何人もが、あっという間に過ぎる一年を恨めしそうに話した。それを聴く仲間達も「そうだよなあ~」と神妙にうなずくのである。


校章


 前にも(「校歌の郷愁」で)書いたが、恒例の高校時代の同級会は、今年も1月2日、母校正門前のすし屋さんで開かれた。50人学級8クラスのうち1~3組の仲間達が卒業以来48年、欠かすことなく開いているもので、毎年30人前後の同級生が集まる。




 地元山梨はもちろん、東京などに住む仲間達もやって来る。ほとんどが66歳。早い人はこの春、67歳になる。その顔は頭に白いものを頂き、また、その髪すら失くした人達も。果樹農家などの自営業者や市議会議員などの政治家を除けば、みんな職場をリタイアした。昨年6月の株主総会でメトロの役員を無罪放免になったという仲間もいた。サラリーマン戦士のラストバッターだった。



風景


 「俺ねえ、東京のメトロ(旧営団地下鉄)の本社まで、ずっと列車通勤したんです。冬場なら、もちろん暗いうちに家を出、帰るのは夜中だった。女房や家族の支え無しでは出来なかったかもしれないが、こうして今、その通勤をしなくてもいいようになると、ほっとするというより、何か寂しさを覚えるんです」


お酒  


 この人にはメトロだからJR(国鉄)など、相互乗り入れのパスがあったのだろう。「会社を辞めてみて、JRなど乗り物の運賃が高いことを肌で知った」とみんなを笑わせた。バトンタッチして、趣味のゴルフや囲碁、野菜作りの話をしたり、自らの健康やお孫さんの話をする人もいる。近況報告は続いて行く。





 この会は恩師の乾杯の音頭で始まる。その前が長いのだ。乾杯の音頭というより恩師のご高説をお聞きするのである。毎年、干支にちなんだ話から始まる。今年は丑年。やっぱり牛が出てきた。その恩師先生によると、「牛」が偏、または旁に絡む漢字は300数十あるのだそうで、その字からも人間が「牛」を身近な「物」として扱ってきたことが分かる。「物」という字もその一つ。古代、(生贄)いけにえにも牛を充てた。傲慢な人間がなさしめたワザ、とも説く。

丑


 国語の先生だったから≪話の在庫≫はいっぱいある。なかなか乾杯にならないので幹事役はヤキモキ。「その続きは第二部でお伺いすることにして・・・」と体よくブレーキをかけて宴会へ。そして、飲むほどに宴の座敷はにぎやかさを増す。そのうち始まる近況報告も、聴く耳持たぬだったり、無邪気に混ぜ返す人達も。恩師先生もそのお一人。とにかく和やかに時間が過ぎていく。




 「先生という商売はいいよなあ。教え子が幾つになっても先生だよなあ」





 仲間の一人がつぶやくように言った。確かにそうだ。あのおえらい顔をした国会議員先生などの政治家もバッチをはずせばただの人。やはり、先生と呼ばれるお医者さんだって同じだ。教え子から見れば恩師は永遠の師であり、その先生から見れば、また永遠の教え子である。長いご高説を説くのも聴くのも健康の証。そんな思いで、母校の校歌を歌った。 元気でまたの再会を祈りながら・・・。

日川高校  


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煮干とお神酒

 「お頭(おかしら)付き」とはうまいことを言ったものだ。鯛でもなければ、平目でもない。煮干一匹である。この煮干がお神酒と見事にマッチしてしまうのだ。煮干?そう、女房達が台所で味噌汁や料理のだし取りに使う、あの煮干だ。



 「新年明けましておめでとうございます」

富士山


 激動と不況の2008年が行って、何はともあれ新しい年が来た。今年もどうぞよろしく。そして、今年こそは不景気風をぶっ飛ばして、穏やかな、平安の一年でありたい、そう思うのは私ばかりではないだろう。私たちの地区では毎年元日の朝、そんな願いを込めて、新年の拝賀式を兼ねた互礼会をする。氏神様に地区の人達が揃って参拝、一年の平安を願い、隣接する公会堂で、お神酒を酌み交わし、新年の挨拶をし合うのである。



氏神様    氏神様2


 このとき登場するのが、このお頭付きの煮干。酌み交わすお神酒は公会堂に備え付けの湯飲み茶椀に一升瓶のお酒を注ぐ、いわゆる茶碗酒だ。一升瓶は、その前の拝賀式で氏神の神前にあげたばかりの日本酒である。役員が手分けで茶碗にお神酒を注ぎ、お盆の煮干をまわす。進行役から指名された地区の長老が「地区の皆さんが健康で、穏やかな一年でありますように・・・」といった内容の挨拶をして乾杯するのである。

神酒

 そこには喪中だったり、都合でこれない人達を除いて、一家の代表60人近くが集まる。煮干を噛みながら茶碗酒のお神酒を頂くのだが、これが旨い。それぞれの家庭が用意するおせち料理を食べる前の朝一番のお神酒だから五臓六腑に染み渡る。そのつまみとなるのが煮干。たかが煮干、されど煮干。これが、またいいのだ。つまみというものは、この一本の煮干を除いて何もない。



煮干

 へえ~、と驚かれる方もいるでしょうが、一本の煮干をかみ締めながらお酒を飲んでご覧なさい。へえ~、と思いますよ。不況だの、不景気だのといっていながら毎日、そこそこのものを口にしている今の日本人。仮に、一合の晩酌を煮干一匹でする人はまずいないだろう。一年に一度、それも元日の朝、かみ締める煮干の味は、何かを考えさせられる。


元旦


 このお頭付きの煮干というヤツ、この地域でいつの時代に始まったかは定かではない。恐らく、貧しい時代の名残であったり、冷蔵庫など保冷の機器や技術が行き届かない田舎にあって、乾物のお頭付き、つまり生の魚などを容易に手に入れるすべがなかった頃の名残だろう。乾燥しているから外での神事にはうってつけ。決定的な方便は「お頭付き」だ。



煮干2


 なぜ、鰯の煮干か。そんな田舎の生活環境もあったのだろうが、もう一つ、理由があるような気がする。あの節分祭と鰯、正確に言えば鰯の頭だが、この二つの関係が何かを語っているように思う。魔除けなど、どこかで迷信とか縁起と結びついているような気がする。どなたか詳しいことをご存知の方がおいでならお教えいただきたいものだ。




 新年拝賀式と互礼会。一昔前は、そこに集まる人の多くは「どてら」と呼ばれる冬の家庭着姿だった。しかし、いつの間にかスマートなスーツ姿に変わった。互礼会の前の拝賀式では区長がもっともらしく世界経済から説き起こし、地域に触れて挨拶をするのだ。その内容は今朝の新聞によく似ていた。

門松

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やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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