パナマ運河の感動

パナマ運河2


 感動した。思わず拍手したくなった。どでかいホテルのような客船が山の上の人造湖から流れる水をせき止めた運河を次々と渡って、標高約27mの丘陵を越えて別の海に出るのである。大西洋・カリブの海から82㌔、そこはもう太平洋だった。ざっと100年前にやってのけたアメリカ人の開拓魂の逞しさと男達のロマンに思いをはせる一瞬でもあった。




 カリブ海を挟んで大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河。PNAMA CANALだ。完成が1913年というから、その計画を思い立ったのはさかのぼって1800年代。今のような重機もなかった時代、アメリカ人は人力で大西洋と太平洋を繋げてしまうという途方もないことを思い立ったのである。山のてっぺんに人造湖を作り、その両側に掘割の運河を作った。



パナマ運河3   パナマ運河4


 当時、大西洋と太平洋を行き来するには南アメリカの南端をぐるりと廻るしか方法がなかった。それへの船舶の所要日数はさっと65日。それを、わずか8時間に短縮したのだ。経済効果ひとつとっても計り知れない。マラリア、黄熱病。その舞台裏でさまざまの苦難と犠牲があったことも事実。一方で、その利権を巡って隣接国の紛争やアメリカを中心にした関係国の綱引きが行なわれたのも無理はない。経済効果にとどまらず、軍事戦略まで絡むのだから、一口には言い表せない複雑は歴史があったのだろう。





 北アメリカ大陸の南端、フロリダのマイアミを出港した船は、大西洋を航行、細長く横たわるキューバ沖を這うように進んでカリブ海へ。途中、南米・コロンビアに寄った後、このパナマ運河を渡るのである。出港から4日目の午後。船内アナウンスはパナマ運河航行を告げた。マイアミからロス・アンゼルスまで15日間のクルージングのいわば第一のクライマックスなのだ。


パナマ運河5  


 ある者は自分の部屋のテラスから、ある者は7階のデッキや13階、14階の甲板から一斉に外を。誰ともなく歓声が上がり、みんな思い思いにデジカメのシャッターを切った。船はタグボートに両側を押され、ゆっくりと進んでいく。閘門と呼ばれる堰に入ると、また別の機械が。その間、船内アナウンスは運河の構造や建設、完成までの歴史を説明する。




 アナウンス嬢は船の職員ではなく、運河の広報担当職員だ。走行中の客船に、どこからともなく、やって来た一艘のモーターボートが沖あいでピタリと張り付き、広報担当者を乗せるのだ。この広報担当は運河を渡りきり、太平洋の沖あいに出ると、また走行中の船からモーターボートに乗り移って帰っていくのである。


パナマ運河1


 説明によれば、パナマ運河は二重のコンクリート壁と導水管からなる代表的な閘門式の運河。水深は一番浅い所で14m。幅は33~109m。川(チャグレス川)をダム(カトゥン・ダム)でせき止めて、水面標高27mの人造湖(カトゥン湖)を設け、その丘陵(ゴールド・ヒル)地帯の両側に深さ14メートルの掘割を造ったのである。




 分かり易くいえば、閘門式といわれる仕掛けのプールに乗って、徐々に山に登り、また降りていくのである。へえ~、よくこんなことを考えたもんだ、と感心せざるを得ない。詳しくは次回にお話しすることにしよう。




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カジノの友達

 街  

 「ヤマーダサン オゲンキデスカ」

 カリフォルニア州サンディエゴの町のど真ん中で後ろから駆け寄ってきた5~6人の若者達に声お掛けられた。白人や東南アジア系の男達に混じって黒人の女性もいる。みんな親しみを込めてニコニコ笑っている。



 「オオー、アイム ファイン サンキュー、エブリバデー ハウアユー」




 旧知の友たちに会ったような気持ちになった。。継ぎ足しの英語、英語なんてシロモノではないが、この若者達としばらく話した後、それぞれと握手して別れた。




 私の脇で、ハトが豆鉄砲でも食ったような顔で私を見詰めていた女房が言った。


 「お父さん、知り合いなの?でも、こんなアメリカの真ん中で、外人の知り合いに出会うなんて、不思議ね。こんなこと、あるのかしら」


カジノ#12860;


 「お前はバカだなあ。こんな所に俺の知り合いがいる訳ねえじゃねえか。ハワイでの日本人だったらいざ知らず、ここは白人どころか、スパニッシュの方が多いところだぞ。第一、外国人に顔馴染みなんかいるはずがねえよ。カジノだよ、カジノ


カジノ


 このブログをお読みの方々は、ここまでだったらまだお分かりにならないかもしれないが、女房は私のタネ明かしをすぐ理解した。


船


 15日間にわたった大西洋―パナマ―太平洋クルーズのフィナーレを明日に控えた5月2日の昼下がりだった。豚インフルエンザの発生で、アカプリコなどメキシコ2箇所の寄港をすっ飛ばしての、計画外の寄港地・サンディエゴだ。ざっと2,500人の乗客は、3日ぶりに船を降りて事実上、最後となった一日を思い思いに楽しんだ。


カジノ#12861;


 この日は土曜日。約1,200人の乗組員には曜日は関係ないのだが、この寄港地では昼間営業が出来ないのか、カジノのデーラー達も街の散策を楽しんでいたのだ。私の「カジノだよ、カジノ」の一言を簡単に飲み込んだ女房は



 「そうだよね。お父さん、船に乗ってから毎晩、カジノ通い。きっとカモみたいなお客さんだもの、カジノの人たちとも親しくなるはずよね」



カジノ4


 皮肉たっぷりだ。でもその通り。毎晩、毎日、ギャンブル好きの人たちで賑わう船のカジノで、英語をしゃべらない、いや、しゃべれないのは自慢じゃあないが俺一人。デーラー達にとっては≪手の掛かる存在≫に違いない。勝負に強くもなく、ただ一人の日本人だから、目立つに決まっている。名前だって覚えない方がおかしい。 


カジノ#12853;


 事実、私がカジノに行くとデーラー達はニコニコしながら一つ覚えのように「ヤマーダサン、オゲンキデスカ」と声を掛け、ある時期からゲームの要領を教えてくれたりもした。それを見ている白人や黒人、その≪中間≫のお客達もフランクで、いつしか言葉が分からなくてもお友達に。レストランやプール、ボウリング場でも声を掛け合うようになった。



プール


 カジノは、洋上ではフリーに営業するが、港に停泊中はクローズになることが多い。寄港地の国や州でカジノが禁止されている所は営業できないのだ。ギャンブルとは関係ないが、7階の廊下の両側にずらりと並ぶ免税店も、接岸中はシャッターを下ろすのである。





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殺し文句

都会


 物騒なものの言いようだが「殺し文句」という言葉がある。ちょっとした事で議論になった時、往々にして楽観論と慎重論が交錯する。安全や安心に関わる事柄だったらなおさらだ。「そんなことで、大騒ぎしていたら、かえってパニックを招いたり、後に禍根を残す」という意見に対して出てくるのが「万一、間違いが起きたらどうする」という反論だ。




 この勝敗の帰趨は大方決まっている。この議論で勝つのはほとんどが慎重論だ。「万一・・・」を強く言われれば、どんな人間であれ「絶対に大丈夫」と断言できないからだ。もちろん、その事柄によってだが、万一を主張されたら、どうにもならない。




 日本中をパニック寸前にまで追い込んだ新型インフルエンザがそうだ。まるで日本中がインフルエンザに感染するような騒ぎになり、店頭という店頭からマスクが消えた。笑い話ではない。買い物など外に出ることが出来ないことを想定して、大量の水や食糧まで買い込んだ人もいるという。街ゆく人達はみんなマスクをかけ、異様な雰囲気を醸し出した。


エスカレーター


 幼稚園や保育園、小中学校、高校は相次いで休校策を取り、企業までも時差出勤や休業策をとる所も。一方、時あたかも修学旅行シーズンの学校は、相次いで計画を中止した。みんな「万一」だ。ここまで来ると人間、はたと考える。例えば、修学旅行での売り上げを当て込んでいた京都や奈良などのホテルや旅館、土産物屋さんはたまったものではない。




 こうした経済界に生きる方々だって所詮は人の子。政府やマスコミから連日、どかすかと流れる情報を目の当たりにすれば、インフルエンザが怖くないといったらウソになる。しかし、経済活動への影響が出始めて来ると話は別。得体の知れないインフルエンザ騒ぎにばかり震え上がっているわけにもいかない。当然の事ながら政府や自治体に「慎重な対処」という名の「圧力」をかける。




 政府だってこれを無視するわけにもいかない。これでもかというほど大量のニュースで「怖いインフルエンザ」のイメージを国民に焼き付けたマスコミも一転、今度は火消し役に。「怖い」を前提にニュースや番組を作ってきたマスコミは「冷静に」へと舵を切り、そこに登場する学者先生や評論家の先生方も、かつてのトーンと手のひらを返すのだ。ニュースはマスクから、元気に登校する子供たちをことさらにアップするのである。そして、あと何日かすると、インフルエンザの「イ」の字もなくなるのだ。俺たちは≪情報という名の魔物≫に踊らされたのか、勝手に踊ったのか・・・。


街


 慎重と過剰は、相反するようで、実は紙一重。必ずしも適当な例えではないかもしれないが、毎朝、毎晩、日常的にお目にかかる天気予報がそれだ。気象庁が発表する警報は、決まってオーバー気味。これだと、多少差し引いて受け止めればいい。                     
 正直言うと私は騒ぎのメキシコやアメリカを歩いてきた。そこはいたって冷静だった。今度の騒ぎの根底には、万一を考えたお役人の事なかれ主義や保身術が潜んでいないいか。それがあったとしたら踊らされる国民は迷惑千万だ。今度の騒ぎで一番気の毒なのは犯人扱いされた感染者だろう。「たかが風邪」と言ったら、慎重派?に叱られるよね・・・。




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風船の架け橋

風船と生徒   


 日本の空はひとつ。そんな事を実感した一瞬だった。その空は、さらに世界に通じているのだ。少年のような気持ちになった。


生徒さん  


 「昨日、山梨小学校の児童と皆さん方人権擁護委員の先生たちが、風船に託し空に飛ばして頂いた人権の花の種千葉の小学生の手に届きました。子供たちの可愛らしいメッセージが届いています」




 甲府地方法務局人権擁護課の相談主任から山梨市の私の自宅に一本の電話が入った。その声はやっぱり弾んでいた。同じように感動したのだろう。


風船を飛ばす 



 ことの起こりはこうだ。風船に託した花の種は、人権擁護委員会の山梨グループが山梨市立山梨小学校の協力を求めて開いた「人権の花」贈呈行事の一つ。大きくは山梨県人権擁護委員連合会が5月から6月にかけて山梨県内17の小学校で開いている人権擁護啓発活動の一環。ややもすると起こる、いじめなどを学校から追放、子供たちの間に人権の輪を広げてもらうのが狙いだ。山梨小学校ではこの日、呼び掛け人である山梨市内の人権擁護委員約10人と、全校児童252人、教職員全員がグラウンドに整列。校長先生と人権擁護委員の代表が挨拶した後、子供たちの代表にサルビアなどの花のポットを贈った。校長先生や人権擁護委員代表の挨拶は、もちろん人権の花運動の意味合いだ。



校長先生       挨拶


 「この花をみんなで優しく、いたわりながら育て、皆さん全員がお友達をいじめたり、いじめられたりすることのない思いやりのある人になって下さい」と、分かり易く説いた。これに応えて、お礼の挨拶をした女の子の児童会長は「人権擁護委員の先生達からもらった花を、みんなで優しく育て、思いやりのある子になります」と可愛らしく話した。


児童会長  


 贈呈式には人権啓発のマスコット・人権「ケンちゃん」「あゆみちゃん」のバルーンも登場。子供たちの人気者となった。バルーンの中の人権擁護委員も汗だく。式の後飛ばしたのが風船だ。水素?ガスが詰められた赤、青、黄色、色とりどりの風船には252人の全校児童が思い思いに書いたメッセージ花の種が6~70センチの糸の先につけられていた。


風船2


 大声で風船を放つためのカウントダウンをする子供たち。風船は一斉に大空に舞い上がった。この日の山梨は雲ひとつない五月晴れ。色とりどりの風船は、一瞬その空を埋め、五月の風に乗って、やがて真っ青い空のかなたに消えた。午前10時48分頃だった。

風船  


 甲府地方法務局や山梨小学校に相次ぎ、千葉や茨城の子供たちからメールが届くのにそれほどの時間はかからなかった。



生徒たち  


 「山梨小の花の種とメッセージと風船が庭に落ちていてびっくりしました。(中略)≪山梨小・かずま」と書いてありました。かずまさん、花の種、ありがとう。大切に育てます」




 メッセージの主は千葉県佐倉市の井野小学校5年生のはるなちゃんだった。このメッセージの発信時間は午後4時57分。恐らく、発見は、はるなちゃんが学校から帰ってからだろうから、それよりずっと前、山梨から幾つもの山や谷を超え、神奈川や東京の空を跨いで千葉に着いたのだろう。この「人権の花」の輪が学校間の交流に繋がったら素晴らしい。




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ハワイの地殻変動

 「日本人、とりわけ日本の女性が、来てくれなかったら、ここに軒を並べるブランドショップは、恐らくやっていけなくなるでしょうね。ここで毎日見ていると、日本の女性は入れ替わり立ち代りやって来ては、高級ブランド店の紙袋を提げて帰って行くのです」

アラモアナ5


 ワイキキから程近いアラモアナショッピングセンターの一画に設けられているインフォーメーションスタンドの女性は、感心するようにこんなことを話してくれた。このスタンドは海側に向かって一番左側の1階端にある。街路をはさんで軒を並べるルイヴィトンとディオールの店のちょうど反対側の隅だ。まん前の角には「SIROKIYA」が。何年か前には確か「白木屋」だったような気がしたが、なぜか横文字に変わっていた。


アラモアナ6


 女房が「お父さん、買い物が嫌ならここで待っていてよ」と言い残して、ショッピングに≪奔走≫している間、ブラブラ歩いてこのスタンドにやって来たのだ。そこではまだ可愛さを残す40歳がらみの日本人女性が、それぞれのお客さんを使い分けるように、英語と日本語でショッピングの問いに応じていた。





 この女性は十数年前、東京の八王子市からハワイに来て、このインフォーメーションの仕事をしているのだと言う。私が住む山梨と八王子は70キロ足らず。親近感を覚えた。


アラモアナ4


 「おもしろ半分、と言ってはいけないが、私もいくつかのブランド店を覗いてみたんです。そこにいるのは日本人ばかりでした。外国人は行かないの?」




 「そんなことはありませんが、ほとんどが日本人です。ここでは、みんな、日本人はお金持ちと思っています。バックひとつとっても10万、20万円は当たり前。50万、60万円もするものをポンポン買っていいくのですから・・・。あの袋の中にも、間違いなく何十万円もするバックや財布などが入っていますよ」




 有名ブランド店の紙袋をぶら下げて目の前を帰って行く若い日本人女性を目で追いながら、こんな解説をしてくれた。


ヴィトン  

 「あなたは欲しくない?」


 「私だって、元々日本人ですから、欲しくないと言ったらウソになりますが、よく考えたら馬鹿馬鹿しくなりました。今では欲しいとも思いませんね。第一、そんなお金があったら、違うところに使いますよ。見栄だけではご飯、食べられませんからねえ」




 ちょっぴり皮肉混じりに、こんなことも言った。その案内嬢によると、ここ数年、ハワイを訪れる日本人観光客は減り続けている。アラモアナショッピングセンターも確実に打撃を受けているという。日本人観光客の減少とは関係ないが、そことほど近い所にあった「ダイエー」はいつの間にか「ドンキホーテ」に看板を変えていた。




 1時間半も経った頃だろうか。女房が帰ってきた。「何、買って来たの?バック、買わないのか?」「買うわけないじゃない。第一、そんなお金ないもん」



 手には娘と友達に頼まれたという口紅と、大衆向きで有名なABCストアーのチョコレートをどっさり吊るしていた。やっぱり貧乏人の女房だった。内心、不便にも思った。


ABCストアー


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人種の坩堝アラモアナ

アラモアナ2


 ワイキキから車でそう遠くない所にあるアラモアナショッピングセンター。そこはショッピングセンターというより、それ自体が大きな街だ。香水や時計、めがね、バックなど世界の一流ブランドの店がずらりと軒を並べ、一日中、大勢の人達で賑わう。




 ハワイ、特に州都・ホノルルがあるこのオアフ島は、いわば世界のリゾート地。一年中常夏の島だから、世界中から、それぞれのスタイルでバカンスを楽しむ人達がやってくるのだ。こうした人達のショッピングロードでもある。もちろんショッピング街の構成は、ブランド品ばかりではない。地元の人たちのお買い物広場でもある。



アラモアナ1


 アメリカ本土のどこかは定かではないが、このアラモアナをしのぐショッピングセンターが出来て、その規模では全米№2となったというが、世界の知名度からすれば№1だろう。恐らくこのオハフ島にやってくる観光客で、ここに来ない人はいないといわれるくらいのスポットである。




 そこにはショッピング好きの人間達をひきつける魅力を十分に備えているのだろう。日本、とりわけ山梨の田舎からやって来た女房でさえ、ここに来ると嬉々とする。その気持ちも分からないわけではないが、私の場合、到底そんな気持ちにはなれないのだ。




 サラリーマンを辞めて「毎日が日曜日」の今、スーツも要らなければ、ネクタイやワイシャツ、靴だって要らない。スーツひとつとってもメタボになって体が入らないものも含めて、長いサラリーマン人生の中で買い込んだものがいっぱい。どうせ着ないのだから処分したいくらいだ。普段、忘れっぽいのでバックは持たないし、ブランド趣味などさらさら持ち合わせていないので、時計やサングラスなどにも興味がない。あらゆるものが機能的なもの、一つかふたつあればいいのだ。





 「お父さんて、ヘンだよね。マージャンや競馬、カジノなんかのギャンブルに使うお金はなんとも思わないのに・・・。まったくヘンよね。物だったら残るんじゃない」


カジノ


 女房には、よくそう言われるのだが、自分でも不思議なくらい興味がない。醒めているといった方がいい。




 とにかく女房の買い物が済むまで街路のベンチで座って待つことにした。これが面白い。ここは世界の人種の坩堝といってもいい。目の前をさまざまな人種の人達が行き交う。白人もいれば黒人もいる。私のように黄色いのもいれば、それよりちょっと日に焼けた人達もいる。目つきからロシアやドイツ人らしい人もいた。日本人らしい若者達も。でも中国や韓国人との区別はしにくい。年老いた人は比較的少ないが、デブもいればスマートな人もいる。なぜかブスが少ないから不思議だ。ここを歩くと綺麗に見えるのかもしれない。


アラモアナ3


 目の前にはルイ・ヴィトンが、すぐ後ろにはディオールが。面白半分、覗いてみたら、いるいる。日本人女性たちが・・・。年の頃は2~30代から40代。スマートな黒いスーツの紳士然とした店員が日本語で丁重に応対していた。店内には10人近い女性がいたが、いずれもグループではなさそうだ。みんなのお目当てはどうやらブランドのバックらしい。




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世界のリゾート地

マイアミ海5

 えもいわれぬエメラルドグリーンの海と背を分けるように大きな弓状に水平線まで延びる白浜。その広い白浜を挟んで海の反対側に何本も林立するビル。ホテルだろうかマンションだろうか。それともコンドミニアムか。その間に間に高い椰子の木が。ハリウッドのマフィア映画にでも出てきそうな広い屋敷の豪邸も見える。まるで絵葉書のような光景だ。

マイアミ4


 ここなら半袖のカラフルなシャツにサングラス、スーツなら薄手の白が似合いそうだ。弓状の浜辺は、私たち関東の人間が湘南や伊豆の海岸で見るそれとは大違い。真っ白く、どこまでも伸び、その白さと空の青さ、海のエメラルド色が見事なコントラストを見せていた。ハワイのワイキキもいいが、スケールはそんなものではない。

マイマミ2


 船からは一人一人のナイスバディーは見えないが、恐らく想像に難くないだろう。水平線まで続く白い浜辺では、表情こそ見えないものの沢山の人達が太陽に裸をさらし、のんびりと夏のバカンスを楽しんでいた。静かに大西洋の沖に向かう船から飛び降りて、ナイスバディーがいっぱいだろう、その白浜に行ってみたい衝動に駆られた。




 私たちは海に近い空港に降り、そこから程近いホテルに一泊、そのまま船に乗ってしまったからマイアミの街そのものはつぶさに見ることが出来なかった。しかし、ここはハワイと共に世界のリゾート地。ハワイをしのぐとも言われている。ハワイでもそう思ったが、こんな所で第二の人生を過ごせたらなあ~と、儚い夢が頭をよぎったりもした。


マイアミ5


 日本人にとってはマイアミよりハワイのほうが身近なリゾート地なのだろう。ハワイは成田からは、ざっと6,000キロ、空路8時間足らずの距離。それに比べマイアミは、少なくとも時間、距離共にその倍近くあるだろう。現に私たちはハワイからロス・アンゼルス経由で10時間以上かかった。日本の飛行機と違ってサービスが悪いノースウエスト機での10時間は、乗換えがあったにせよ、いささかうんざりしたものだ。




 マイアミの浜辺はどうであったか分からないが、帰りに再びワイキキに寄ってみると、いるいる。白人達と比べると一回りも、ふた回りも小さいが、ナイスバディーの日本の若者達が大はしゃぎで波に戯れていた。大西洋のマイアミからパナマ運河を経て太平洋を北上、ロス・アンゼルスまで15日間のクルージングを終えてホノルルに戻ったのは5月3日。日本のゴールデンウイークの真っ只中だから無理もない。日本、いや山梨はこの頃からずっと雨だったらしいが、ワイキキの空はいつものように抜けるような青さだった。


ハワイ


 ワイキキと並ぶハワイの観光スポットといえば、アラモアナショッピングセンター。ここにも日本人はいた。私は日本でもそうだが、女房のショッピングのお供は、まっぴら御免こうむっている。どうして女というヤツは、こんな表現をしたら世の女性からお叱りを受けるかもしれないが、買い物となるとこんなにも嬉々とするのか。この歳になってもまだ分からない。




 「お父さん、嫌なら、そこで待っていてね」


 お世辞にも普段、それほど機敏に動くでもない女房が目を輝かせて飛び回るのだ。





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エメラルドの海

マイアミ海2   

 やがては紺碧の海に変わるのだが、マイアミの海はエメラルド色だった。エメラルドグリーンといった方がいいかもしれない。4月19日午後4時、ざっと2,500人の乗客と1,000人を超す乗員スタッフを乗せた豪華客船「NORWEGIAN」は、動いていることすら分からないほど静かにマイアミの港を出港、15日間のクルウジングのスタートを切った。





 さすが北アメリカの南端、午後4時といっても日差しは強い。しかし焼き付けるような暑さではなく、全く爽やかだ。涼しい風と混じって心地いい。表現の仕様がないほど美しいエメラルドグリーンの海に、デッキに出ていた乗客は一様に歓声を上げた。隣にいた女房も同じように感激したのだろう。


マイアミ海  


 「お父さん、綺麗だね。こんな海、見たことないよね。写真撮ってよ。写真・・・」



 まるで子供のようにはしゃいだ。私は、そのエメラルドグリーンの海をどこを見るともなく真っ直ぐ眺めながら、女房との新婚旅行、南紀白浜の海を思い出していた。その時も、これほど見事なエメラルドグリーンではなかったものの、その素晴らしさに感動したものだ。




 私が28歳、女房が26歳。もう38年、いわば40年も前のことだ。昭和45年1月。この頃、日本列島の真ん中・山梨からの新婚旅行といえば、この南紀白浜あたりがせいぜい。思い切って足を伸ばしたとしても九州・宮崎くらいだったのだろう。それから間もなくハワイ、グアム、そしてアメリカの西海岸、東海岸、ヨーロッパと日本人新婚旅行のエリアは世界に広がっていくのだが、その時分は海の向こうなど思いもよらなかった。



マイアミ海4  


 大学を出て社会人となったのは昭和40年。通勤の足といえば50ccのバイク。仕事の足も同じだった。中古のマイカーを持てたのはそれから数年後のことである。昭和45年といえば、今の天皇が美智子さまとご成婚されてちょう10年。東京五輪を経てわが国は高度成長路線を走り、3C(カー、クーラー、カラーテレビ)などという言葉が生まれた時代だった。





 新婚旅行の足は女房が花嫁道具の一つとして持って来たマークⅡ。 富士・河口湖に一泊、その足で山中湖から籠坂峠を越えて東名高速に乗り、京都、大阪、南紀へと向かったのである。エメラルドグリーンの海は、ドライブ中に見た、恐らく白浜か勝浦あたりの太平洋だ。その海は私たちがこれからパナマ運河を経て、やがて見る中南米の海と繋がっていたと思うと感慨深い。やや傾きかけた冬の柔らかい日差しに照らされて、きらきら輝くエメラルドの海が40年経った今も瞼の奥に鮮明に焼きついている。


マイアミ海7

 「お父さん、ダメじゃない。早く写真撮ってよ」


 同じように見たはずだが、40年も前の南紀の海や、まして新婚旅行のことなどみんな忘れてしまっているのだろう。女というヤツは現実的で、およそロマンなどというものは持ち合わせていないのだ。ただ目の前のものだけを見てはしゃぐ女房の声を聞くともなく聞きながらそんな事を思った。


マイアミ海6

 「早く、早く・・・」。振り向いて見た女房の顔は丸々太り、ウエストも大きなお尻とほぼ同じだった。そういう自分も出っ張ったお腹をデッキの手すりに引っ掛けていた。


マイアミ   


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出会いの不思議

プール  


 「はじめまして・・しおんです。素敵なところにお住まいですね。私はスキーの指導員をしていたので未だに山を見ると滑りたくなります。毎年、元旦はフジテンスノーリゾートで富士山を見ながら初すべりです。昔、スポーツブランド商社だったので私もアメリカのコロラドのロッキーの山の中(VAIL)に2年住んでいました。(後略)」


 

 人の出会いとは不思議なものだ、とつくづく思った。これはブログでお知り合いになった「しおん」さんから頂いたコメントだが、そのちょうど前日、米・コロラド州のコロラドスプリングのご婦人から山梨の私の自宅に一本の電話を頂いていた。

 
出会いの不思議3


 このご婦人は女房と二人して加わった大西洋―パナマ―太平洋クルーズ中に知り合った3組の夫婦連れグループの一人である。3組ともご主人はアメリカ人。ご夫人達はいずれも日本人だった。座間の米軍キャンプなどで知り合って結婚、アメリカに渡って、もう4~50年の歳月が経つという。


出会いの不思議2  

 「ジャパニーズ?」


 船の13階のプール脇にあるオープンの展望サロンで、何やら英語で話していた夫婦連れに話しかけたら、3組のご夫人達は一斉に私の方を向いた。そのうちの一番若そうなご婦人が口を開いた。


 「あなた、日本人?奥さんと二人だけで来たの?元気いいわねえ。この船、2,500人以上お客さん乗ってるけど、日本人誰もいないよね。あなた方、度胸いいわ」


出会いの不思議5


 神奈川県の町田市出身だというこの奥さんは72歳で、まるで江戸っ子のような口調で話す。カイゼル髭を蓄えたご主人が兵役の後、警察幹部を経て、今は悠々自適の年金生活であること、3人のご婦人が町のスポーツジムで知り合い、家族くるみの付き合いをしていること、標高が高くて雪が多く、日本からのスキーヤーも多いコロラドスプリングのことなどを話してくれた。


出会いの不思議4


 この奥さんによると、兵役が志願制度のアメリカでは兵隊さんへの待遇は恵まれているようで、この人のご主人は現在、50万ドル以上の年金をもらっている。20年以上の兵役をした人たちは医療費もタダ。中にはベトナム戦争に行ったというご主人もいたが、この人達には年金額がさらに上乗せされる仕組みになっているのだという。




 アメリカはいうまでもなく不況の最中。こうした高待遇を当て込んで、兵役志願の若者達も増えているのだそうだ。オバマ大統領のイラク撤退とアフガンへの軍の増派政策。その裏側での若者志向の一端を見た思いだった。コロラドに住んだ、という「しおん」さんのコメントはひょんな所で私たち夫婦のアメリカ弥次喜多道中に結びついた。



不思議な出会い2


 洋上で出会ったコロラドの人達ご夫婦の、ご主人達はいずれも在日経験があるせいか、みんな親日的だった。もちろん日本語は話せない。でも、私の継ぎ足しとも言える英語に一生懸命答えようとしてくれた。日本人の奥さんとの間に生まれた子供、そして何人ものお孫さんもいる。家庭では日本語が消えたという。私たちと久しぶりに聞く日本語がたまらなく懐かしそうだった。 




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人種の交差点

サンディエゴ  


 メキシコを逃げるように去った船は、それから三日後の5月2日、約3,500人の乗客、乗員を乗せてサンディエゴに着いた。そこはもうアメリカ。カリフォルニア州だ。アカプリコなど2箇所のメキシコ寄港を飛ばされた約2,500人の乗客は三日ぶりに船を降りた。寄港地の変更で急遽、組み直したツアーに参加する者、思い思いに街を散策する者、とさまざま。土曜日だったせいか、カジノなど昼間の業務に支障のないスタッフ達も街に出ていた。


サンディエゴ  


 カリフォルニアはアメリカの南西部、メキシコに隣接した州だ。行きかう人も明らかにスパニッシュ系と思われる人達が多く、街並みも北部アメリカとはどことなく違う。もちろんマスクを掛けている人など一人もいないし、私たちも船がメキシコから逃げて来たことなどすっかり忘れていた。


    japan  japan2


 サンディエゴの人達も、それほど遠くない国境の国で新型の豚インフルエンザが発生、犠牲者が出たことなど、どこ吹く風である。船を降りた乗客たちは北大西洋―パナマ―太平洋クルーズ大詰めのラストワンを楽しんだ。豚インフルエンザを再び思い起こさせてくれたのは、その翌日。ロス・アンゼルス空港だった。


ロス空港


 私たちは15日間にわたった船の旅を終えて、午前9時半、デッキを降りた。約2,500人の乗客たちは、どこへともなくそこから消えた。私たちはハワイの従兄弟老夫婦の家に戻るため、バスで空港へ。空港内では長旅で疲れた従兄弟を乗せた車椅子を押した。今年87歳になる高齢だから無理もない。空港はどこもごった返していた。




 そこで見たのが白いマスクをした5~6人の女性グループだった。ロス・アンゼルスはサンフランシスコと並んで米・西海岸の主要都市。その立地条件から世界の旅行者達の交差点なのだ。アメリカ人はもちろん、地元の南部や南アメリカに多いスパニッシュやポルトガル、さらにはアメリカの北・カナダや中国、韓国、インド、タイ、フィリピンなどのアジア人、フランスやイギリス、ドイツ、イタリアなどヨーロッパの人たちも多い。

ボディーチェック


 その中での、全く一握りのマスクグループ。異様にさえ写った。低い身長の割には大きな顔を覆うように白いマスクを掛け、サングラス姿。背中には、まるで申し合わせたように同じようなリュックを背負っていた。お互いに話をするでもなく、大きなマスクをしているせいだろうか、暗~いイメージがまた異様だった。場内アナウンスは成田経由、マニラ行きの搭乗開始を告げていた。手にするパスポートは赤。「日本国」の文字が。やっぱり日本人グループだった。ゴールデンウークも半ば。第一陣の帰国だろう。


 


 同じ日本人だが、物事に過敏に反応する日本人の姿に改めてびっくりした。しかし、喉元過ぎれば・・・。その素早い反応も間もなくウソのように忘れるに違いない、と思った。一方、欧米人は物事に簡単にうろたえない半面、物事への基本スタンスをしっかり持っている。例えば船の中。至る所にアルコール消毒のポットが当たり前のようにセットされ、レストランの入り口では終始、専従の係員が来客一人一人の手にスプレー消毒していた。それが日常なのだ。


消毒ポット


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客船の機敏な反応

 地図

 マスク、マスク、マスク。成田に降りたら、そこは異様な光景を見せていた。出入国に携わる職員や税関など空港にまつわる職員みんながマスク姿。出国ロビーを出て、エントランスの両側に並ぶ各種のインフォーメーションコーナーや宅配受付、トイレなどの清掃係員も、みんな大きな白いマスクを掛けている。



飛行機

 事の重大性をいやがうえにも思い知らされた。それに追い討ちをかけたのが夜7時のNHKニュースだ。成田から高速バスとマイカーで約4時間。山梨の片田舎にある我が家に25日ぶりにくつろいで、テレビのチャンネルを開けたら、やっぱりトップニュースは新型インフルエンザ。マスクの掛け方まで教えていた。ここまで来ればどんなバカでも事態の重大性は分かりすぎるほど分かる。翌日の新聞は「新型インフル国内初確認」の大見出しでカナダから成田に帰国した大阪の高校生ら3人が感染していたことを伝えた。





 もちろん、私たちは、この新型のインフルエンザ騒ぎを知らなかったわけではない。むしろ、日本人としては最初に知った部類の人間だ。私たちが最初に豚インフルエンザの発生と、それによる犠牲者がメキシコで出たことを告げられたのはメキシコ沖の洋上だった。


レンガづくり1     レンガづくり2
レンガづくり

 4月19日(現地時間)米・フロリダ半島の突端、つまり北アメリカの最南端にあるマイアミを出港した豪華客船は約3,500人の乗客、乗員乗せ、北大西洋からパナマ運河を経て太平洋を北上、厳密に言えば北北西に向かってだが、米・ロス・アンゼルスを目指していた。
もっと詳しく言えば、船は東西に細長いキューバ沖を這うように進んでカリブ海に入り、出港から三日目、最初の寄港地・コロンビアへ。南米の最北端の国だ。そこからパナマ運河を経て三日後にコスタリカ、二日後にガテマラ、その翌日にはメキシコへ。3箇所予定したメキシコの最初の寄港地だった。



旅行 
タコスの皮を焼いている女性

 サボテン園を見たり、タコスを食べ、レンガ作りを体験したりした翌日、船は次のメキシコの寄港地・アカプリコに向けて動き出した。乗客はいつもの朝と同じように、ある者はビッフェで、ある者はレストランでと思い思いに朝食を摂っていた。船内アナウンスが流れたのはその時である。



 「お父さん、何と言ってるの?」

 12階にあるビィフェ、日本風に言えばバイキング形式のレストランで、フォークとナイフを両手に持ったまま女房が言った。



 「バカ、俺に分かるわけ、ねえじゃねえか」


 結局、そのアナウンスは、メキシコで豚インフルエンザが発生、16人の犠牲者が出たこと、このため船はアカプリコなどさらに2箇所を予定したメキシコでの寄港を断念、急遽、次の寄港地を米・サンデゴに変更することを伝えていたのである。その時、このビィフェには300人近いお客がいたが、どの顔もまるで人ごとのように平静を保っていた。



 船は逃げるようにメキシコを去った。船会社にしてみれば、3,500人もの乗客、乗員をインフルエンザ騒ぎに巻き込むわけにもいくまい。見事と思える機敏な反応だった。



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遊びのツケ

遊びのツケ2

 たかが25日。されど25日。遊んでいればあっという間だが、自然界はそうは行かなかった。女房と二人しての弥次喜多アメリカ珍道中を終えて、山梨の我が家に帰ったら、庭や畑は草だらけ。庭の植え込みや周囲の山や林も青葉が重々しく茂り、自分のふるさとなのに、何か別世界に来たような気分にさせられた。やっぱり小ひと月の留守は長過ぎる。郵便物もいっぱいだった。



 アメリカ旅行に出たのは4月15日。さすがに桜は葉桜になっていたものの、甲府盆地一面ピンクのじゅうたんを彩っていた桃の花が標高の低い盆地の底から山に向かって咲いていた。山や森はようやく萌え始めた頃だった。それがどうだ。若葉どころか青葉に姿を変え、当時、膨らませ始めたばかりのツツジやサツキの蕾は一足飛びに花を落としていた。



遊びのツケ5


 とりわけ、それぞれに違った色の花をつけるサツキは、今度こそいい花をつけさせようと昨年6月、そのタイミングを逃さず、丹念に刈り込んだ。しかし、花見は幻に終わった。一方、畑の菜の花や春菊もお花畑に。蝶ちょが舞い、きれいなお花畑でこそあれ、とても食べられるシロモノではなかった。食べ頃だったほうれん草は、塔が立って種をつけ、これまたダメ。エンドウとタマネギだけが食べ頃を迎えていた。エンドウは紫色の花を次から次へと咲かせ、鞘をつけていくのである。



遊びのツケ3

 「目に青葉 山ホトトギス 初鰹」



 桜から桃の花の季節は、ものの見事にそんな句が似合う季節に変わっていた。一本一本、丹念に剪定をして枝振りを整えた庭の植え込みも、お構いなしに、だらしなく葉っぱや枝を広げ、重苦しくさえある。そんなことはどっちでもいい。問題は畑の草だ。

遊びのツケ1


 25日の旅行中、アメリカではほとんど雨を見なかった。ところが日本ではゴールデンウイークの後半、ずっと雨にたたられたという。家族連れの行楽を計画していたサラリーマンや、それを当て込んでいた各地の行楽地にとっては恨み節だったのだろうが、自然界にとっては格好の雨だったに違いない。留守を計算して綺麗にして出かけたはずの畑も草だらけになるのも無理はないのだ。




 今がナスやキューリ、トマト、カボチャなど夏野菜の植え付け時期。サツマイモもそうだ。私は例年、ゴールデンウイークの真ん中あたり、つまり五月三日頃に植えつけることにしている。植え付けをするためには草をとり、耕運機で耕して、圃場作りをしなければならない。準備期間も必要なのだ。今年は確実に遅くなってしまった。


遊びのツケ6


 9日は朝から晴れた。久しぶりだという。時差ぼけなどといってはいられない。朝早く起きて耕運機で圃場作りに取り掛かった。私の場合、お酒を飲んで午前様になったり、徹夜マージャンをしたりで、普段不規則な生活をしたせいもあって、時差ぼけなんか感じたことはない。こんな時には≪普段の鍛錬≫が功を奏すのだ。



遊びのツケ4


 時差ぼけ云々はともかく耕耘機が動かないことにはどうにもならない。自然は正直だ。四日も五日も雨を吸い込んだ畑はとても耕運機を寄せ付けなかった。仕方なく、作業は日延べだ。この夏、自家製のナスやキューリは・・・。ちょっぴり不安になった。




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真珠湾が見える丘

ハワイ家2

 アメリカ旅行でハワイ滞在中は従兄弟の家にお世話になった。そこは真珠湾が見下ろせる閑静な住宅街であった。それぞれかなりのスペースを持った住宅はいずれも平屋建て。上手に区画整理されていて、街路も広く、圧迫感が微塵もない。のどかな感じを受ける。申し合わせたようにそれぞれの家には木で出来た自動シャッター付きの車庫がついていて、屋根は瓦ではなくブロックの木造りである。木造りのシャッターはどこの家も格子模様だ。




 平屋建てと併せて屋根に重量感がないのも街全体に圧迫感を感じさせない理由かも知れない。木のブロックを重ね合わせた屋根は雨の音をうまく吸収してくれるようだ。時々スコールのような雨が降ったが、少しもうるさく感じなかった。

 

ハワイ家


 これも申し合わせたように庭には刈り込み形の植木が幾種類も植栽してある。平屋建ての住宅との調和のためなのか大きな樹木は植えていない。玄関ドアを開けて中に入ろうとすると、従兄弟から「待った」がかかった。靴は外に脱いで家に入るのだそうだ。少なくともこの住宅街の家のつくりは同じだが、みんなが玄関の外で靴を脱いで入るのではない。従兄弟夫婦は日本人。欧米人のように外と内が土足の生活様式ではない。そんな詳しい説明はしなかったが、頭ではすぐうなづけた。でも、その違和感は滞在中ずっと消すことは出来なかった。ちょっと改良したらいいのにと思ったのは一緒に行った女房も同じだろう。玄関に上がりかまちがないのだから靴は外に脱ぐしかない。





 車庫はどの家も車2台が入るスペースを確保しているが、家の前の道路にはそこに入り切れない車が止まっている。夕食後、散歩がてら広い住宅街を20分ほど歩いてみた。何気なくそれぞれの家の前に止まっている車をみているうちにその車種を調べてみたくなった。結果は何とここでは90パーセントが日本車だった。ちなみにトヨタ車が大半を占めた。



車中


 ハワイには定期バスはあるが、鉄道も地下鉄もない。だから日本の田舎のように車がなければ1日とて過ごせないのである。一家に2台、3台はあたり前。成人の数だけ車を持たなければならないから、その量が多いのは当然だ。この国の車の所有率はすごく高いだろう。朝夕のラッシュ時は日本と同じようにすごい。ただ日本と違うのは道路が10車線、12車線と広いからまさに車の洪水だ。その解消策かどうか分からないが、時差出勤を採用している企業が多いのだそうで、朝4時、5時に出勤するサラリーマンも多いという。組合が強いこの国のこと、きっちり8時間労働だから帰りも早い。午後1時、2時には帰宅しているサラリーマンも多いのだ。




 ハワイは小さな島の集まり。アメリカ全土で見た場合、国土が広いから鉄道や地下鉄、それに定期バスをくまなくネットワークするわけにはいかない。車産業が発達したゆえんがそこにあるし、車がなければ一日も過ごせない現実がそこにある。ただ、この車産業、トヨタやホンダ、日産、マツダ、三菱など日本車に40パーセントのシェアを取られ、さらに追い上げられているのだから心中穏やかではないだろう。現に経営危機に陥っている有力メーカーも出てきているという。さてオバマ新大統領はどんな救援策を取るのだろう。




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ハワイと8の因縁

 ハワイ王室最後の女王の婿となったビショップ氏の冠がつけられたミュウジアム(博物館)の建物は威厳をも漂わせる見事な建築だ。その年は1889年というから日本の明治中期である。中身も2,400万点をも所蔵、当時のハワイ原住民の生活や風俗、習慣が一目で分かるよう気を配っている。


ミュージアム


 ハワイの原住民には生活の中に文字というものが無かった時代があった。カメハメハ大王の後を継いだ2世の王(カメハメハの息子)は、このことを憂い、12の文字からなる言葉を作った。いわゆるハワイ語である。アルハベットが26字だからその構成は極めて少ないが、人々に文字による言葉が初めて生まれたのである。3世(2世の弟)は土地を住民に解放する一方、コイン(通貨)や切手を発行、ホノルルをハワイの首都に定めた。こうしてハワイ王朝は国家としての体裁をだんだん整えていくのである。さらに4世(3世の甥)は病院を作り、5世(4世の兄)は日本と平和条約を締結して外交への足がかりを作った。6世は老人ホームを造り、7世はサトウキビ農場を奨励して住民の経済基盤を確立したのである。特に7世は平和条約を足がかりに日本の皇室との縁組を提案している。しかし、この提案は実らず、8世の民間アメリカ人迎え入れにつながっていく。そのころ日本の天皇家がハワイの皇室と縁組をするはずがない。





 王を王室だけで継承したのは5世まで。6世から議会から選ぶ、いわゆる公選制にしたのである。血縁による婚姻から起きる弊害で王位の継続すらままならないハワイ王朝の裏側が透けて見える。例えば2世の兄から王位を継承した3世は、若干10歳であった。



海


 ビショップ・ミュウジアムのエントランスホールには、左側にハワイ王朝最後の女王8世の肖像画が、右側にその婿ビショップの肖像画が大きく掲げられ、その右側の大きな部屋には威厳と威儀をただしたカメハメハ大王から7世までの肖像画が展示されている。エントランスをはさんで右側、さらに2階、3階の大きな展示ホールにはざっと2,400万点といわれるハワイの歴史、文化、自然にかかわるコレクションが並んでいるのである。その一つひとつにハワイと南太平洋諸島の逸話をはらんでいることは間違いない。


ミュージアム2
 

 8という数字。ハワイ王朝8人の王が統治したハワイ諸島8つの島。その統治期間が98年、その終焉、つまりアメリカ合衆国入りの年が1889年みんな8絡みなのである。そしてハワイの州都ホノルルの人口は、今80万人だ。




 ホノルルを中心にハワイには日系人が多い。ひところ3分の1を占めるといわれたが、最近やや減っているという。それにしても、これほど日本の影響が大きい島も世界にあるまい。現に、私たち夫婦がお世話になっている真珠湾が望める高台・ローヤルサミット近くの丘には従兄弟夫婦が暮らしているし、ブログ仲間で、いつもネットを通じて交流させて頂いているマダムさんも、このハワイのどこかにお住まいだ。

ハワイ景色


 ここでは、私のように英語がヘタな人間でも苦にならない。日本語で通じるからで、こんな便利な島はない。無理して英語をしゃべらなくてもいいからだ。





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カメハメハ王朝の終焉

 「七転び八起き」とか「末広がり」といって、わが国では8は縁起のいい数字だ。しかしハワイ王朝にとって8という数字は、結果的にその終焉を意味する不吉なものであった。




 かつてこの王朝が支配したハワイには8つの島がある。南からハワイ島、マウイ島、ラナイ島、マルカイ島、オハフ島、カウアイ島、それに人を寄せ付けない無人島と、個人が所有する島だ。ご存知、州都ホノルルはオハフ島にある。


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 アラスカに次いで50番目の州になったハワイ全土の人口は今、ざっと120万人。うち約80万人がホノルルを中心としたオハフ島に住んでいるのだそうだ。一年中アロハシャツとサンダルがあれば過ごせる、まさに世界のリゾート地である。ワイキキの浜辺では1年を通してナイスバデイの若者たちが海水浴やサーフインを楽しみ、リタイアした老夫婦たちものんびり日光浴をしている。白人や黒人に混じって浜辺ではしゃぐ日本人の姿も少なくない。ただ、一年中アロハシャツとサンダルがあれば過ごせるということは、裏を返せば、ここで世界のファッションなどというものは決して生まれるはずがない。


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 ハワイはもともとは一個の王国。あの有名なカメハメハ大王から始まって8人の王様が8つのハワイ諸島を支配するのである。しかし8世でハワイ王国は終焉を迎え、1889年、アメリカ合衆国に組み入れられる。建国から98年、ハワイ王国は100年足らずの歴史しかないし、アメリカになっての歴史も120年足らずということになる。


カメハメハ大王像


 ハワイ王国はどうして100年足らずで崩壊してしまったのか。ホノルルからそう遠くないところにあるビショップ・ミュウジアム(博物館)の学芸員によれば、血族結婚にその原因の一つがあった。ハワイ王朝は代々、王族間で婚姻が結ばれた。そのためか病弱の王が多く、100年足らずで8人が王様を交代するハメになった。ひとりが平均12年3ヵ月しか王位を勤めなかったことになるから、いかに短命政権が続いたかが分かる。


博物館


 そのことに気づいた王室は8世(女王)のとき、その婿に一般人を迎え入れた。しかし時はすでに遅く、8世の女王は20歳台の若さで病死、王家の血筋は完全に絶えてしまったのである。皇室間の婚姻に終止符を打ち、2代に渡って皇太子妃を一般人から迎かえたどこかの国とよく似ている。皇室ではないが、265年続いた徳川幕府の将軍職は15人。1人平均の在職期間は17年6ヵ月。やはり、それほど長くはないが、ハワイ王朝とはちょっと違う。徳川幕府は家柄を重んじた縁組の一方で、万一の場合を考え、後継者を確保する手段として公式に≪大奥≫というシステムを作った。そこには血縁の近い婚姻がもたらす弊害を避けようという意図もあったのである。



博物館2


 女王を亡くした婿は王家の全財産を学校や博物館の建設などハワイの公共事業に寄付、98年のハワイ王朝に終止符を打ったのである。その人の名がビショップ氏、この博物館も王朝が崩壊した年に建てられたものだ。
世界のリゾート地としての座をほしいままにしているハワイ。その原点を知る上で欠くことのできない施設である。


ミュージアム
ビショップ・ミュウジアム


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クルージングと出稼ぎ

自衛隊4


 船に乗ることに興味を覚えたきっかけは2年前のハワイ諸島めぐりのクルージング。昨年は海上自衛隊の体験航海に応募、横須賀や清水に飛んで、護衛艦に乗った。水平線に向かってすべるように進む船での航行はいかにもダイナミックで、気持ちがいい。体験航海だから操舵室や船橋(ブリッジ)にも入れてくれる。「面舵いっぱ~い」。海上らしいスマートな白の制服に身を包んだ自衛官が双眼鏡をのぞきながら前方を確認し、操舵室に運行指示を出している。肩と胸には階級章がついていて、それぞれの立場が一目で分かるようになっている。


自衛隊


 面舵とは右旋回、これに対して取り舵は左旋回のことを言う。「いっぱ~い」は30度のことをいうのだそうだ。つまり、船は左右30度の旋回が限度ということか。護衛艦は昔の駆逐艦。自衛隊は「駆逐」という言葉を避けているのだろうか。戦艦も客船も多くはタグボートを使って接岸したり、離岸する。しかし最近ではこのタグボートを使わすにすむ機能を備えた船が増えているのだそうだ。


自衛隊3


 護衛艦と客船は目的が異なるから、もちろん見た目も中身も違う。性能は別にして、双方ともレーダーを積載、船橋や操舵室もほぼ同じだろう。当然のことながら根本的に違うのはミサイルなどの搭載外観の色も違う。客船が極めてカラフルなのに対して護衛艦は敵の視界から見えにくいメタリック色だ。呼称は異なるが、客船でもキャプテン(艦長)以下、幹部は肩、または胸に階級章を付けていて、担当別のクルーの指揮を執っている。


自衛隊2


 例えばレストラン。クルーは幾つかのレストランを日替わりで担当しているようで、あっちこっちで同じ顔ぶれに出っくわして顔馴染みになったりもした。そのクルーばかりでなく、全艦の乗務員に言えることだが、白人より東南アジア人が多いように見えた。主にタイ、マレーシア、フィリピン人のようで、中には黒人もいた。




 日本で言うバイキング方式の大衆レストランはともかく、テーブルに高級ワインやシャンペンを並べ、個々にメニューを渡し、前菜からメーンデッシュ、デザートまでオーダーを取るレストランで、もたもたする私たちに「ジャパニーズ?」と声をかけてきた。「イエス」とこたえると「おげんきですか?」「こんにちは」と、愛想よく片言の日本語で返してくる。グアムの出身だというその男はそのクルーのチーフで、数年前、東京のホテルで接客の研修を受けたという。「研修ではなく、一度は日本に行きたい」とも。


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 東南アジア系のクルーといえば、ハワイに来る時の飛行機の中でも同じような現象を見た。日航機だったが、かつてはスチュワーデスといった客室乗務員のほとんどがタイ人だった。この人たちをリードする日本人のアテンダントに内緒で聞いてみたら、日航では10年ぐらい前からタイ人女性を採用しているのだそうで、さらにフィリピン女性の採用を検討しているという。東南アジア系の採用は何れも人件費削減策に他ならない。ことの良し悪しは別に日本を除く東南アジア人の≪出稼ぎ範囲≫はあっちこっちに広がっている。そのみんなが、それぞれ夢を持って頑張っているのである。




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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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