遊びの変化

 「買う」方は力不足で、からっきしダメだったが、残る「飲む」「打つ」はそこそこやった。人並み以上かもしれない。もちろん、人並みがどのあたりかは物差しがないが、自分ではそう思っているのだ。その感想?あまり、褒められたものではないし、今にして思えば、そんなお金があったらもっと違うところに使ったら・・・、といくばくかは後悔している。恐らく、家一軒ぐらいは建っただろう。


家


 今はそんな言葉は死語になりつつあるが、「飲む」「打つ」「買う」は、古くからの遊びの代名詞。遊びの三要素といってもよかった。もちろん、男の遊びだ。「なんと下品なオジサン」と、ご婦人やお若い方々からひんしゅくを買うかもしれないが、そんな時代があったことは事実だ。




 遊びは驚くほど多様化した。趣味も広義の遊びと捉えれば、まさに多種多様。情報化社会、交通網の発達が拍車をかけたことは間違いない。不況だの貧困、格差社会などといわれても、日本人、そこそこのお金をも持っている。子供たちは夏休みに入り、そんな子供たちを巻き込んでお父さん達の夏休み、いわゆる盆休みもやって来る。



スイカ


 この時期、日本中の高速道路は行楽を楽しむ家族連れの車であふれ、どの空港も海外でバランスを楽しむ人達でごった返す。今年も中央自動車道など、どの高速道路も、あの30㌔、40㌔の交通渋滞を生むのだろう。行く先のホテルや旅館は普段の5割増し、10割り増し。車の渋滞にうんざりしながらも、ホテルや旅館の料金の割高に閉口しながらも人は動く。普段忙しいサラリーマンにとって、お金より暇、時間の方が尊いのである。


道路


 あるある。書店を覗けば、趣味も含めて遊びをガイドする雑誌がいっぱい。釣りもあれば、ハイキングや登山、ドライブ、音楽、手芸、囲碁や将棋の入門書もある。マンションのベランダで出来る趣味の園芸も。種類はないものがないほど多岐にわたる。しかも、その切り口も年齢層で輪切りにしてあるのだ。顧客心理を掴むためターゲットを絞り込んでいる。





 大きなお世話だろうが、こんなに多様の本を出して出版社は採算に合っているのかと思ってみたくもなる。裏を返せば、それほど遊びのガイドを求めて止まない人達が多いということを意味する。


麦わら帽子


 私たちが子供の頃と比べれば、遊びも、その環境も雲泥の差だ。当然のことながら子供たちには夏休みはあった。でも、この時期、一帯は桃や葡萄の出荷の真っ盛り。子供たちも当然のことながら、その手伝いに駆り出されるのである。それを逃げ出して遊ぶとすれば、水浴びか雑魚獲り。車なんかないからドライブや遠出の旅行など知るよしもない。


水遊び


 社会人となった昭和40年代初頭、サラリーマンはみんな働き蜂。昼間は仕事、仕事で終わり、夜はといえば、赤提灯、ネオンの下町へ。その帰りは我が家ではなく、麻雀荘。時代が過ぎて甲府市郊外ともいえる石和町に場外馬券場がお目見えすると、週末には決まって競馬だ。花札やソウルへのカジノにも通った。競馬はなんとなく卒業したが、麻雀は、まだ現役。週末ともなると「今日は?・・・」。いつものように同級生の仲間から誘いの電話が来るのである。そして午前様だ。


麻雀

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釣りバカおじさん

魚  

 テレビの人気ドラマ「釣りバカ日誌」のハマちゃんではないが、私の親しい同級生に、それはそれは釣りが大好きな男がいる。釣りばかりではない。春、秋にとどまらず、年がら年中、山菜取りもすれば、狩猟もする。射撃は一級の腕前だ。




 例えば、春の山菜・フキノトウやタラの芽、コシアブラ、夏場に近くなっての山ウド、ゼンマイ、ワラビ、秋になってのマツタケや冬場のセンブリ、キハダ・・・。思い立ったらいつでも山を飛び歩く。釣りだって同じだ。もやれば、山女岩魚も。狩猟はクマイノシシなどの大物もやれば、キジヤマドリなどの小物もやる。


イノシシ  


 そんな男だから、地元の漁協や狩猟協会も放って置くはずがない。当然のことながらその役員も務めている。漁協といっても、山梨は海なし県。相手はだ。もちろん、河口湖や山中湖など富士五湖のように湖沼もあるが、この人は川の漁協だ。釣り人を楽しませるための鮎や山女の放流に携わりもすれば、その管理や指導、監督もする。


魚2


 年齢から、仕事も第一線を退いている今は、まあ時間もあるかもしれないが、現役時代も、いつの間に山や川を飛び歩いているのかと、不思議に思うほど、上手に時間をやり繰りするのだ。ことさらに、それを話したりもしない。山菜や川の鮎や山女など獲物は仲間達に振舞うのである。ショウガ醤油やニンニク醤油で食べる鹿の刺身、岩魚の骨酒。天下一品。酒飲みには至福の味だ。




 ○○さんや○○さん。私のこのブログにおいでいただく方々の中にも釣り好きな方がいっぱいいらっしゃる。恐らく同じような≪釣りバカ≫だろう。そこに共通しているのは、釣りを通じてのいい仲間がいることだ。ブログを拝見していても、それが言わず語らずに伝わってくる。「釣りバカ日誌」のスーさんのようにだ。


釣りバカ日誌  


 鮎の最もポピュラーな漁法は友釣り縄張り意識が強い鮎の習性を逆手にとって、友鮎を群れの中に投入して攻撃してくる鮎を友鮎の後ろにつけた釣り針に引っ掛けて釣り上げる手法だ。普段の鮎の餌は水蘚。これも知っていた。今はやらないが、わんぱく盛りの子供の頃、せいせい、鮎釣りをしたからだ。




 「へえ~」。私は釣りバカのこの仲間に教わったことが幾つもある。例えば、は餌では釣らないというか、釣れないと、この歳まで思っていた。ところが、餌で釣れるのだという。ただ稚魚の時だ。富士川の下流で、試釣りして来たという餌釣りの稚鮎をいただいたことがある。擬餌針もあるが、山女や岩魚、ニジマス、鯉や鮒、鮠などに至るまでおしなべて川魚は餌で釣る。でも、鮎だけは・・と思っていたのである。「知らないのはお前だけだよ」と言われるかもしれないが、そうなのだ。大げさかもしれないが、目から鱗だった。

魚3

 この釣りバカさんは柔道もやる。腕前は6段。山梨県柔道連盟の山梨市副支部長をしている。やがては支部長を務めるのだろう。見せて頂いたことがあるが、6段以上になると締める帯も違ってくる。赤と白のツートーン。競技ではほとんど見かけない。恐らく名誉的な要素もあるのだろう。66歳。「若い連中とまともに戦ったら、もうかなわない。黒帯どころか白帯にだって無理だ」という。




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花火の臨場感

隅田川花火大会1


 「わあ~、綺麗・・・」
大人も子供も、男も女も口をあんぐり開けて夜空を眺める。そう、花火だ。この時期、各地で繰り広げられる花火大会は、夏の夜の風物詩である。7月25日。居間のテレビは、毎年恒例の東京・隅田川の花火大会を中継していた。スケールもでっかい。





 あの「桃太郎侍」で人気者だった高橋英樹や若く綺麗な局アナが浴衣姿で、花火を解説していた。コンクール方式をとっているようで、参加花火店が腕前を競う自慢の創作花火は見ごたえがある。花火の光に照らし出される隅田川の水面と、そこに浮かぶ小舟。恐らく花火見物のための屋形舟だろう。その上に架かるいくつかの橋。そして、夜空に浮かぶ両国などのマンション群。全体が絵になる。


花火大会3


 ド~ン、ド~ン。我が家の窓越しでも花火の音が。たまたま一緒になったのかもしれないが、山梨市恒例の笛吹川花火大会の日だった。花火大会は夜を待っての催しだから、開始時間はほぼ同じ。テレビで放映される隅田川の花火に後ろ髪を引かれながらも、女房と二人して外に出てみた。




 見える、見える。打ち上げ地点は、直線で4㌔ぐらい先だが、目の前の大空に次々に花火の大輪が。見物席は家の前の植え込みを離れた常口前の古道。植え込みは暑い夏の夜には涼しいのだが、こんな時には邪魔な存在だ。大きな石の上に、これまた大きなお尻を下ろし、うちわで仰ぎながら女房が言った。


花火4


 「お父さん、テレビの隅田川の花火もいいけど、やっぱり、花火は生で観るこれだよね。でも、ちょっと離れているせいか、光と音が合わないわね」



 その通りだ。花火の醍醐味は臨場感。打ち上げられては消える大輪の色彩、それもさることながら体の芯に染み渡る、あの音だ。ド~ン、ヒュ~ル、ヒュ~ル、ド~ン、ド~ン。夜空のキャンパスを彩る花火の芸術を立体的に総仕上げするのがこの音である。4㌔先の花火の音は確実にズレるのだ。


花火2


 花火は音と光の競演だ。打ち上げの真下といわないまでも、やっぱり近くで観るに限る。音と光が一体となるので、臨場感は全く違う。不思議な事に、夜空の花火を見上げるどの顔も、みんなあんぐり口を開けているのだ。夜空の星を眺める時と違って物思いにもふけらないし、何の考え事もしない。確実に、みんなが無心で上を眺める。頭の中を空っぽにして、あんぐりと口を開けている。これ、本当に間違いないんです。




 私達夫婦には、隅田川花火大会にはヘンな思い出がある。確か娘が女子大時代の20歳頃だった。花火を観に行く途中で、慣れない下駄に浴衣姿だったためか、転んで足を骨折、東京・品川の外科病院に担ぎ込まれたことがある。親バカの私たちは山梨から大慌てで駆けつけたものだ。もう20年近くも前のことだ。


浴衣


 そんな事を覚えているのかいないのか、この時期、毎年のように大学時代の仲間の家に泊まっては、花火見物としゃれ込んでいる。その子は酒徳さんといって、隅田川近くの両国に住んでいる。山梨の我が家にもご夫婦で遊びに来てくれる。今度、山梨に来たら、うんともてなしてやりたいと思っている。幾つになっても親バカは親バカ。幾つになっても娘達は可愛い。




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暑中見舞いの文化

スイカ


 一葉の暑中見舞いが舞い込んだ。「暑中お見舞い申し上げます」。なんの変わりばえのしない文面だが、「明けましておめでとうございます」の年賀状と同じように、なぜかその季節を感じさせる不思議な魔力を持っている。暑~い夏の到来をいやがうえにも髣髴とさせ、その反対に一抹の涼をも運んでくれる。年賀状からもう半年以上。一方で月日の経つのが早いことを実感させられたりもする。



風鈴


 暑中見舞いの送り主は、ロータリークラブの仲間で、ガス機器の販売会社を手広く営むオーナー会社の社長さん。「平素は格別のご愛顧を賜り・・・」の、これまたお馴染みの文面からしても、商いを主眼にしたご挨拶状に違いない。




 「お父さん、早速、お返事のご挨拶をしてくださいよね。それにしても暑中見舞い、珍しくなりましたねえ」


蚊取り線香  


 女房がいみじくも言うように、まったく暑中見舞いの習慣が日本人の日常から音を立てて崩れ、忘れ去られようとさえしている。商いというか、商取引上の儀礼はともかく、一般での暑中見舞い状のやり取りは、本当に少なくなった。暑中見舞いをいかにも珍しそうに言う女房だから、それを書いている姿なんか見たこともないし、ましてや娘にいたっては、その存在すら知っていないだろう。そういう自分だってもう何年も書いたことがない。何年どころか、何十年かもしれない。



花火


 暑中見舞いは、季節的には寒中見舞いと対極にある。一年中で最も暑い時期、寒い時期に親しい仲間、親戚や知人の健康を気遣う慣わしだ。その期間は暑中見舞いの場合、梅雨明けから立秋、一方、寒中見舞い寒の入りから立春の前の日、つまり節分までの間に出すものとされている。




 年賀状の後に来る寒中見舞いは、二十四節気で一定しているが、暑中見舞いは「梅雨明けから」とされているので、その期間は一定していない。今年の立秋は8月7日。つまり最後は固定しているが、梅雨明けはその地方によって流動的だから、梅雨が明けるのが遅れれば、その期間は勢い狭まることになる。暑中見舞いの後には残暑見舞いがある。



うちわ


 どうして暑中見舞いや寒中見舞いの習慣が希薄になっていくのだろうか。人々の日常がせわしくなったこともさることながら、ケイタイやパソコンの普及が、それに拍車をかけたことは間違いない。いわゆるメールに依存し、人々が手紙そのものを書かなくなった。単なる儀礼のような暑中見舞いや寒中見舞いは、簡単に忘れられるだろうし、今はまだまだ存在感がある年賀状だって、やがてはその運命をたどるのだろう。




 そして絵文字。ケイタイやパソコン、インターネット上で絵文字はアメーバーのように広がっている。絵文字も文字の文化として認知されるのかも。「浮気、不倫も文化」と、しゃあしゃあと言う芸能人も現れるくらいだ。俺だって内心そう思いたいが・・・。とにかく今は、何でもありだ。暑中見舞いのように忘れられる文化もあれば、新たに登場する文化もある。ジェネレーションギャップなどと嘆いてみたところで、止められるもんじゃない。




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入道雲と百日紅

入道雲  


 山梨県、とりわけ甲府盆地は周囲を山に囲まれている。だから「盆地」と言うのだろうが、富士山や南アルプスの前衛の山々の上に入道雲が。梅雨が明けて、それまでの空がウソだったように、でっかい青空が広がり、その空を蹂躙するように発生する入道雲は迫力がある。入道雲とはよく言ったものだ。ぼこぼこした坊主頭を連想するし、食いしん坊の子供なら綿菓子を思い起こすかもしれない。



入道雲2


 入道雲は夏の象徴だ。その夏の空の下で、今年も百日紅の花が咲き始めた。すぐ近くではキョウチクトーの花も。この二つは少なくとも夏の花だ。我が家の植え込みでは毎年、梅雨が明けると咲き始める。いずれも淡いピンクというか、紅い花である。白いくちなしや梅雨の時期によくに合う紫陽花とバトンタッチするように咲き出す。今年は開花が早い。

百日紅  


 百日紅は観ようによっては不思議な花。太い幹や枝に新しく伸びる枝の先っぽに花をつけるのだ。いってみれば勢いのいい若い穂先に幾つもの花を凝りのようにつけるのである。誰が名づけたかは知らないが「百日紅」と書いて「さるすべり」と読ませるのだ。


百日紅2


 幹はその名の通り、サルも滑りそうなツルツルした肌をしていて、長い間、花を咲かせる。百日とはいかないまでも、2ヶ月、60日以上は入れ替わり、立ち替わり咲いている。梅雨が終わって7月の残りと8月いっぱい、そして9月の中ごろまで花を付けているのだ。紅い一つ一つの花は時期が来れば、朽ちてひっそりと落ち、そのあとに別の花びらを付けるから、花全体ははじめから終わりまで色あせない。


百日紅3


 百日紅もそうだが、自然界には百とか八がつくものが少なくない。百日草もそうだし、あの天狗がうちわのように使うヤツデ(八つ手)もそうだ。山梨県と長野県の境にある八ヶ岳連邦、また神話などに出てくる、やおよろずの神もそうだ。いずれも単に百とか八、八百万ではない。




 ご存知のように、この数字の意味するところは「多い」「沢山の」という意味合いがあるのだ。例えば八ヶ岳だって、単に八つの峰から成り立っているわけではないし、七里ケ岩とか七里ケ浜というのも単に七里というわけではなく「長い」ことを形容した呼称なのである。九十九里浜も同じだろう。



入道雲3


 我が家の百日紅の根っこにあるヤツデ(八つ手)は、既に花を落としたが、この花のつけ方が珍しい。ご存じない方がおいでかもしれないので、あえて触れさせて頂くが、6月頃、天狗のうちわのような葉っぱの上に垂直に白い棒状の花をつけるのである。花というにはふさわしくないような奇妙な花なのだ。




 百日紅と共に紅い花をつけるキヨウチクトーは、案外ポピュラーな花で、ドライブ中、高速道路の脇などでよく見かける。逞しく幹が何本も出るので、自動車の遮音に役立つのだろう。いずれにしても、この二つの花が咲くと、本格的な夏の到来。山梨でも間もなくアブラゼミガ鳴き始め、8月の半ば、終戦記念日の頃になると、あの粘りつくようなミンミンゼミが鳴く。暑い夏。あまりご馳走ではないが、それが夏なのだろう。

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我慢を忘れたカナリヤ

木魚


 「今の人間は、我慢というものをしなくなった。我慢することを忘れてしまったのだろうか。食べることもそうだし、言動もそうだ。むしゃくしゃするから、気に食わないからと言って簡単に人を殺したり、自分の子供が先生に叱られたからと言って、親が学校や教育委員会に怒鳴り込む。今の社会、いったいどうなっちまったんでしょうかねえ・・・」




 ある和尚さんが法話の中で、こんなことを言った。私たちの地域のお寺さんでは毎年7月20日前後の時期に「施食会」という法要を営む。350人前後の檀家が何がしかのお布施を持ってお寺の庫裏に集まり、代わる代わる簡単な食事をした後、方丈さんの法話を聞き、「施食会式」に臨むのである。


お寺


 このお寺さんは曹洞宗の巌松山信盛院という。私たちはこの「施食会」を一般に「御施餓鬼」と呼んでいた。「御施餓鬼」は訓読すれば「餓鬼に施す」と読む。その方丈さんによれば、六道輪廻の世界の中で、死後、餓鬼道に落ちた者のために食べ物を施し、その霊を供養することをいう。この日、初めて知ったのだが、曹洞宗では施すものと施されるものの間に尊卑、貴賎の差があってはいけないととして、「施食会」と呼んでいるのだそうだ。




 仏教界の六道輪廻とは天上界、人間界、阿修羅界、餓鬼界、畜生界、地獄界の6つをいう。この方丈さんは、この世の此岸、あの世の彼岸、さらには天国、黄泉、西方浄土などという言葉についても解説。あまたいる人間が死んだ時、惜しまれるか、惜しまれないかは、その人間が生前、どう生きたかにほかならない、と話した。人間として立派に生きれば天上界にも行くし、その逆だと地獄に落ちるとも。


仏壇


 自らの歳を50代半ばを過ぎた、という方丈さんは「我慢」についてこういう。


 「私たちは経済的に貧しい時代に子供の頃を過ごした。今と比べれば、比較にならないほど生活は貧しく、物も乏しかった。そんな中で、誰に教わらなくても耐えることや我慢することを覚えた。貧しいからと言って卑屈になったり、それを他人や社会のせいにはしなかった」




 確かにそうだ。言いたい放題のことをいい、やりたい放題のことをする。親を金属バットで殴ったり、刃物で刺し殺したりもする。むしゃくしゃするから、世の中が気に食わないからと言って通り魔的に無差別殺人もする。こうした人達は決まって社会や他人のせいにする。事件を論評する評論家先生も、もっともらしく、社会構造やその背景を持ち出すばかりで、ごく当たり前の教育家庭のしつけの欠陥自分たちの責任に言及しようとしない。


国会議事堂


 政治の舞台では国会が解散され、事実上、総選挙に突入した。特にこの一年近く、政権野党は政治、政権が悪いからと、自分たちの事をさて置いて政権交代の大合唱をすれば、メディアもそれに似た大合唱。そして劇場にでもいるような国民は、何とはなしに迎合していく。だから8月30日深夜には出てくる選挙結果はおおよそ見当がつく。




 「あいつが、あの政党が悪いから」。本当にそれを代えれば日本は良くなるのだろうか。政治家達は自らの非や欠陥をそっちのけ、党利党略で「あいつが悪い」と同じ事を繰り返すのだろう。言いたい放題、やりたい放題はまだエスカレートするのか。





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野麦峠の感慨

野麦峠  


 どこから聞こえてくるのかウグイスの鳴き声が。標高1672m。夏といってもそこの空気はひんやりしていた。峠道の脇の杉木立では、可愛らしい一匹の小猿がくりくりした目で、愛嬌たっぷりにこちらを見ていた。




 野麦峠。長野県松本市と岐阜県高山市の境に位置する。山本茂美の小説「ああ野麦峠」の舞台になった所だ。昭和54年、山本薩夫監督が確か大竹しのぶを主演女優として映画化、多くの人達に感動を与えた。


ああ野麦峠


 小説「ああ野麦峠」は明治から大正にかけた時代のルポルタージュのノンフィクション。この時代、岐阜県の飛騨から長野県の岡谷や諏訪の製糸工場にいわば身売り同然に駆り立てられた娘さんたちの峠越えを描いた作品である。この野麦峠は、その時代の女工哀史を語る上でも悲しい物語を秘めた所なのだ。




 北アルプスを横断して信州と飛騨を結ぶこのあたりは昔から積雪の多い所。この一帯の主要道路・野麦街道の難所だった。積雪で峠を越えられずに死んでいった人達もいたといい、そこには現在も「お助け小屋」というのが残っている。もちろん、今は車の時代。「お助け小屋」はお土産や食事所に姿を変えてはいるが、何とはなしに哀愁を残している。


お助け小屋2


 そこを訪れる私たちの胸をいやがうえにもジ~ンとさせるのは「お助け小屋」の前庭に建てられている「ああ飛騨が見える」の石像だ。等身大とはいかないまでも大きな石像は、製糸工場で病に倒れて里に突っ返される妹を背負い子で担ぐ兄を形作ったものだ。石像の裏面に刻まれた解説によると、病の娘は政井みね。20歳。兄は11違いの辰次郎。みねは明治42年12月20日、この野麦峠の頂上で、やっと見ることが出来た故郷に「ああ飛騨が見える」と言って息を引き取った。


お助け小屋


 この野麦峠行きは、仲間に誘われての木曽路へのワラビ採りの帰り道だった。御嶽山の目の前のような所にある岐阜県高山市高根町の山には7月も半ばというのに太いワラビがいっぱい。我が家は女房と二人、2時間余りで大きな籠にどっさり、近所に木曽の香りをおすそ分けした。




 木曽といっても山梨から車でちょうど3時間。そんなに遠くない。伊那ICで中央自動車道を降り、権兵衛トンネルを経て、国道19号をしばらく走る。そこから林道に入るのだが、目の前には御嶽山、その向かいには穂高が見える。到着は7時。朝もやの木々は、まだ朝露に濡れていた。林道脇には松本ナンバーの車が3~4台。先客がいた。帰り道、御嶽山の麓で、ウド採りを試みたが、こちらはさすがに時期遅しだった。




 そこから野麦峠までは約1時間。帰りは、もちろん、道そのものは違うのだが、飛騨の娘達が歩んだ信州に降り、国道19号を中央自動車道塩尻ICに向かうのである。途中、あの有名な奈良井宿が。平日だったが、現存するわが国でも最大級の宿場町は散策する観光客で賑わっていた。





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メタボ人間とビール

ビール


 「お父さん、昼間から、飲むの、止めたら・・・」

梅雨が明けた。山梨県地方もここ連日、30度を超す猛暑続きだ。畑仕事から帰り、汗びっしょりの身体をシャワーで流し、昼飯を食う。その前のビール一杯がなんと旨いことか。サラリーマン時代、会社帰りによく行ったビヤガーデンの生ビールよりはるかに旨い。当然のことながら、夜も飲むのだから、昼間は飲まない方がいいに決まっている。


トマト



 仕方がなくやる農作業の一方で、頭の隅では「汗をかき、身体を使うことで、多少なりともダイエットが出来、メタボの改善に繋がれば・・・」と、淡い期待もあるのだ。そんな私の心のうちを見透かしている女房だから、ブレーキをかけるのは分かりすぎるほど分かる。


ビール2


 「いくら汗をかいたって、ビールを飲んじゃったら元の木阿弥。ダイエットになんかなりませんよ。まったくっ・・・。意志が弱いんだから・・・」




 その通りだ。内心、そう思うし、私の身体を気遣う女房の心の内をありがたくさえ思う。しかし、私の口を突いて出る言葉は違う。




 「バカ言え。シャツを搾るほど汗を掻いているんだから、ビールの一本や二本、どうってことねえよ。第一、お酒は旨い時に飲むのが一番なんだよ」




 ヘンな理屈である。日曜日で勤めが休みの時なんか、娘も一緒になって


 「お父さん、お母さんの言う通りよ。言うこと聞かなければダメよ。お父さんの体考えているんだから・・・」




 なぜか娘にいわれると弱い。女房のブレーキより効く。タバコのブレーキと同じだ。



ジャガイモ


 自分では、汗を掻く、と言うのだが、一日中でも日差しが最も強い昼日中に野良仕事をするなど、愚のごっちょうなのだ。しっかりした農家は、今時だと午前4時ごろの夜明けを待って畑に出て、暑くなる前の8時、遅くも9時には引き上げてくるのである。





 「こんな暑い時に畑にいたら身体に毒ですよ」




 いつも近所の人から注意を受ける。注意と言うより笑われるといった方がいいかもしれない。しかし、ぐうたらオヤジ、長い間のサラリーマン時代のくせが簡単には抜けないのである。夜更かしなら何時だって平気。だが、早起きとなると、からっきしダメなのだ。勢い、ちゃんとした農家が半日分の仕事を終えて帰ってくるころから、こちらはようやく畑に。暑い最中の仕事、と言う悪循環である。「ええ~い、これもダイエットのためだ」とばかり、ペットボトルの水をがぶがぶ飲みながら頑張るのだ。


プチトマト


 農村地帯でも夕方や夜、ウォーキングをする人達が増えている。肥満防止やダイエットのためだ。糖尿病の改善を狙っている人もいる。機械化が進み、農業もかつてのように力の仕事ではなくなった。畑に行くのは軽トラック、除草や耕運も機械。買い物など普段の用事はもちろんだ。実は田舎の人間ほど歩いていないのである。メタボの量産は田舎から、と思えるくらいだ。俺のやり方は、一足早く原点に・・・などと悪あがきをしてもみた。




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メイド イン外国

朝


 ロータリークラブの早朝例会で、メンバーの一人がこんな話をした。
早起きは3文の得と言う言葉がありますが、その通りなんです。朝一番の陽を浴びると、人間、健康にいいんです。特に、メタボ人間には最適なのです」





 私たちの山梨ロータリークラブは、毎週1回の例会は昼休みの時間、つまり午後零時半から1時半までの1時間を原則にしているが、夏の時期だと午前6時半からの早朝例会、冬場だと午後6時半からの夜間例会を年何回かは実施する。いずれも水曜日だ。



朝2



 例会では、会員が交代で「卓話」という名の講話をする。メンバーの職域は多岐にわたっている。医者もいれば、機械金属、建設、不動産、測量、旅行、ワインなど会社経営者や、家電時計文房具、花キなどの商店主、公認会計士司法書士学校の校長先生新聞記者のOB銀行マン僧侶だっている。もちろん、果樹地帯のど真ん中だから、桃や葡萄の栽培者だって少なくない。




 目の前の医者をちょっとはばかりながらも、この日の卓話の担当者は「聞いた話」と前置きしながら朝日、早起きとメタボ改善の医学的な因果関係を説いた。この人はアパレル業界で会社を営む人だから、話の中心はファッション



1


 「今、女性物、男性物を問わず、値段はどんどん安くなっている。その秘密は外国での生産だ。われわれ専門家から観れば、技術は劣るが、そこそこのファッション性があるから消費者にとって安さは魅力。男性者のスーツが9,000円台で売っているんですねえ。そんな人はいないとは思いますが、この背広を5年も6年も着られたのでは、われわれはたまったものではないんです」





 そう言ってこのアパレルメーカーの社長は、苦笑いした。確かに、安かろう、悪かろうと言ってはいい過ぎかもしれないが、ファッション製品にとどまらず、わが国で売られているのは≪メイドイン外国≫。中国や、タイ、フィリピンなどの東南アジアは当たり前。このアパレルメーカーの社長によれば、ファッション製品の中には、欧州のブルガリアなどで作らせているものもあるのだそうだ。「ヨーグルトだけでたくさん」。この社長は本音とも思えるオチをつけた。


ヨーグルト


 そんな話を聞いた日の昼間、テレビを見ながら飯を食っていたら「思いっきりDO~N」という番組で、ニシオカ何がしというタレントさんが商店街を歩いて買い物した衣服を「生着替え」するという中継番組をやっていた。買って着替えた下着はもちろん、ワンピースや帽子から靴まで、値札を貼って、その金額をトータルしてみるのだ。




 なんとその合計金額は5千数百円。一部の千数百円を除いてほとんどが千円未満。テレビだから、その素材だとか仕立ての技術は分からないが、見るからにカッコいいし、イケてる。




 早朝例会でのアパレルメーカー社長の話とオーバーラップさせながら「なるほど」とヘンなところで納得した。その一方で、苦境に立たされる日本のメーカーに同情したくもなった。日本の製造業はまだまだ空洞化が進むのか・・・。




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一匹のハエ

親子丼

 日曜日の昼飯時。野良から家に戻ると、なにやら女房と娘が大騒ぎしていた。居間のテーブルには昼飯の支度が。その周りを二人が飛び回っているのである。



 「お前達、何やっているんだ?」


 「お父さん、ハエよ、ハエ・・・」



  ハエ ハエ ハエ ハエ


 「お前達、バカだねえ。ハエの一匹や二匹、大騒ぎすることないじゃないか。放っとけよ」


 「だって、汚いじゃない・・・」




 女房と娘が追い回していたのはたかが一匹だった。執念深い女二人に,にらまれたのだからたまりっこない。普段、人に会えば、よそ行きの顔で女を装っている女房と娘。その見幕は半端じゃあない。狭い居間に迷い込んだばかりに、当然のことながらこのハエもあえなく死刑だ。


ハエ ハエ ハエ

 ふと思った。いつの間に、こんな田舎なのに、たかがハエ一匹で、大騒ぎするようになったのか。女房は私とふたつ違いだから65歳。戦中の生まれである。娘はともかく、私たちが子供の頃は、共生と言ったら言い過ぎだが、日常生活の中でハエなど当たり前の存在だった。どの家にもハエ叩きというヤツが一つや二つあって、食卓の周りに飛んでくるハエを叩き殺すのである。




 天井からはハエ取り紙が吊るされていた。このハエ取り紙は、細長い帯状の紙に、モチのような粘液が施してあって、この紙に停まると張り付いたまま動けなくなるのだ。ハエ叩きよりずっと威力がある。だからどの農家も、カメラのフィルムのようなハエ取り紙を箱ごと買って来ては、部屋のあちこちに吊るしておくのだ。ハエ取り紙は、夏の売れ筋商品であったに違いない。



 
 農村地帯にハエが多かったのは当然の事ながら理由があった。山梨のこのあたりは当時、米麦、養蚕が農業の基軸。果樹に転換されるのは昭和30年代の半ばからだった。どの農家も鶏やヤギ、豚などの家畜を飼った。言うまでもなく、鶏は卵を、ヤギは乳をとるためだ。卵を産まなくなり、乳を出さなくなったら食用になった。豚は市場に出すためである。農耕用に牛や馬も飼った。その糞は田畑への有機肥料になった。

ニワトリ 子豚 ウサギ


 言ってみれば、家の周りにみんながハエの温床を作っていたわけである。その上、下水道や浄化槽が普及されていないからトイレは汲み取り式。ハエがいない方がおかしい。うかうかしていると、食卓のご飯茶碗は、たかったハエで真っ黒に。一匹のハエで大騒ぎするようになった今の女房や娘だったら、気絶するだろう。




 そのハエを駆逐したのは紛れもなく、農業形態の変化と、それがもたらした農薬にほかならない。そう言えば、こんな山梨の片田舎で、普段、ハエなどお目にかかることはまずないのだ。ハエばかりではない。蚊や野良にはつき物のブヨもいなくなった。蜂だって同じだ。目に見えるハエがいなくなったのはいい。でも目には見えない農薬の影響は・・・。




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映画のノスタルジア

映画

 オジさんのノスタルジアの世界にもう少しお付き合いください。私は密かに「24時の男」と呼んでいるのですが、このブログにおいでいただくmatsuyamaさんも、いみじくも言うように「これと言った娯楽のない時代、娯楽と言えば映画くらいのもの」でした。昭和20年代から30年代にかけてのことで、オジさん達はそんな時代に幼年期、少年期を過ごしたのです。




 情報や交通が著しく発達し、娯楽や遊びを人々のニーズに合わせて、どんどん創出、それを誰でもが享受できる今とは雲泥の差でした。特に山梨の片田舎に住む私たちには車もないのですから、そう簡単に遠くに行くことも叶いません。昭和20年代の終わりにお目見えしたテレビが一般家庭に普及したのは30年代半ば。今の天皇が美智子さまと結婚された34年を前後した頃でした。



ご成婚


 テレビのカラー化が一気に進んだのは39年の東京オリンピックの時期。こんな頃をステップにわが国は高度経済成長へと突っ走って行きました。テレビが出始めた頃はもちろん白黒で、そこでは大相撲やプロレスが中継されていました。吉葉山、鏡里、千代の山・・・。一方、プロレスでは力道山、オルテガ、ルーテーズ、シャープ兄弟などが。とりわけ空手チョップの力道山は大人、子供を問わず人気者でした。


力道山


 このテレビがやがて映画全盛に、とどめを刺していくのですが、少なくとも30年代半ば頃までは、映画が娯楽の王座の位置を占めていたことは間違いないでしょう。街には一つや二つはどこにでも映画館があって、ある時期から邦画の時代劇や現代劇に混じって西部劇など洋画も上映されるようになりました。モーゼの「十戒」や「OK牧場の決闘」もそのひとつ。


十戒


 東映、松竹、大映、東宝、日活・・・。映画制作会社もみんな健在でした。邦画界の大スターと言えば長谷川一夫や鞍馬天狗の嵐覚こと、嵐覚十郎旗本退屈男市川右太衛門多良尾伴内片岡千恵蔵・・・。大河内伝次郎近衛十四郎といったニヒルな役者もいました。これは時代劇の分野ですが、映画全盛時代を支えた、こうした大スター達は遠の昔に鬼籍に入り、例えば「鞍馬天狗」の杉作少年を演じた松島とも子は、もう70歳前後になっているでしょう。北大路欣也や松方弘樹はその二世。往年の父親の歳を上回っています。



旗本退屈男


 当時のご婦人をあの流し目でしびれさせた長谷川一夫。流し目と言うのは目の動きがその人の表情を作り、物言わずして相手に語りかけるものですが、そこにはしっかりした計算があったのです。テレビで拝見したか、本で読んだかは忘れましたが、彼はその極意を宝塚のマドンナ達に、こう説いたと言うのです。


長谷川一夫


 流し目というのはステージで演ずる役者の目線の動きが大事。私は客席の何番シートから何番シートに向けて、つまり、点から点に静かに目線を動かすことをした」




 男の色気を醸し出す長谷川一夫のあの流し目は持って生まれたものだけではなく、長谷川の工夫と緻密な計算のうえに成り立っていたのです。こうした映画全盛時代の名優が懐かしい。みなさんは「オジさん、歳とった証拠だよ」と、仰るでしょうが・・・。





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心の中の裕次郎

石原裕次郎

 もう22年も経つのか。石原裕次郎の23回忌の法要が営まれたという。時の経つのは早い。時はともかく、そのスケールはでっかい。あの東京・代々木の国立競技場を5万人のファンが埋め、入りきれなかった人達がその周辺に溢れたという。さすがにスーパースターだ。亡くなって22年も経つのに少しも色あせない。

裕次郎23回忌
石原裕次郎23回忌特別記念品


 私も裕次郎時代の人間の一人だ。青春というか、高校時代、裕次郎の映画をまるであさるように観たり、そのスタイルにあこがれた。山梨の片田舎に住む、さもない少年でさえである。都会で暮らしていた、ませた少年だったら、きっと、それに輪をかけていたのだろう。




 最初は、ちょっと趣が異なっていたように思う「太陽の季節」から始まって、その順序はともかく「風速40メートル」「錆びたナイフ」「俺は待ってるぜ」・・・。裕次郎の映画と言えば片っ端から観た。時には授業をサボって、教室から抜け出して映画館に行き、怖い生活指導主任からこっぴどく叱られたこともある。生徒達は「五郎ちゃん」と呼んで、怖がりなららも親しんだ。そんな先生も鬼籍に入って久しい。

錆びたナイフ


 裕次郎がスクリーンに、と言うよりわれわれの前に登場したのは「太陽の季節」だった。彗星のごとく現れ、スター街道を突っ走るのである。言うまでもなく「太陽の季節」は兄・石原慎太郎が学生時代に執筆、芥川賞を受賞した話題作。当時、学校はこの映画を子供たちに見せることをはばかった。そんな時代だった。


太陽の季節


 今、考えれば、問題のシーンというヤツは、どうということはない。性や風俗に対する時代感覚の違いをいまさらながら思い知らされる。裕次郎作品の相手役は、決まって浅丘ルリ子や北原三枝、南田洋子らだった。北原は後に裕次郎と結婚、スクリーンから姿を消す。脇役には川地民夫たちがいた。




 一方、この時代、裕次郎と人気を競っていたのが小林旭だった。52歳の若さで逝った裕次郎はともかく、こうしたスターたちはどこに行き、今どうしているのだろう。小林旭は後にあの歌姫と言われた美空ひばりと一時は結婚するのである。裕次郎は役者で唄い、ひばりは歌手で映画に出演した。


美空ひばり


 この二人のスーパースターが歌えばレコードは飛ぶように売れたし、映画は劇場に人を集めた。わが国の興業界に、恐らくこんなドル箱はなかっただろう。しかし、この二人のスーパースターは、皮肉にも50台の若さで、相次いでこの世を去った。歌は世につれ、歌につれ・・・。とりわけ、この時代に青春を生きた人々の心には裕次郎やひばりは生きている。




 その青春が、ついこの間と思っていたら・・・。気付いてみたら私は60も半ばを過ぎていた。映画全盛時代は遠の昔に終わり?ただ名残を残すのは「ゴールデンウイーク」という言葉だけかも。映画制作も同時進行で、ビデオを作る時代になって久しい。そのビデオも、2年後にやって来るテレビのデジタル化でどうなるのか。裕次郎は私たちの心の底に残りながらも社会はどんどん変わっていく。




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瓢箪の芸術

天地人


 土曜日の昼下がり。野良から戻って、昼飯を食いながら観るともなくテレビを見ていたら、NHKの大河ドラマ「天地人」をやっていた。前の週の日曜日の再放送だった。そこに登場していたのは、もちろん主人公の直江兼続。大坂城での、時の天下人・豊臣秀吉とのやり取りが大写しにされていた。




 その豊臣秀吉を見ながら、なぜか、ある人の顔を思い出していた。この人は山梨県ひょうたん愛好会の副会長をされている方で、それは見事な瓢箪をお作りになる。瓢箪は、ご存知、豊臣秀吉の馬印だ。秀吉の瓢箪は千成瓢箪。私が懇意にさせていただいている、ひょうたん愛好会のこの人は、千成に限らずあらゆる種類の瓢箪を自らも作り、それを見事に加工してしまうのである。作業する所を工房と言ってはばからない。筆や彫刻刀。そこには道具もいっぱい。


瓢箪2


 甲府市の中心街に程近いところにあるご自宅に隣接した畑には、瓢箪作りのための棚を設け、春先の種蒔きから始める。もちろん、小さくて可愛い千成もあれば、大きいヤツ、長いヤツ、これが瓢箪?と思うような珍しい種類もある。



瓢箪1


 大きなものは、紐で吊るすように支えたり、日の光がムラにならないように部分的に葉っぱを摘んでやったりもする。もちろん、ツルを適正に伸ばしてやるために、丹念に芽かきもするし、ま~るい瓢箪を四角にだってする。小さいうちに型にはめて、思い通りの形の瓢箪を作ってしまうのである。


瓢箪7


 畑の棚にぶら下がっている瓢箪は、まだ青い。秋に実ると表面を硬くする。収穫した瓢箪はツルとの付け根に穴を開け、そのまましばらく水に浸けておくのだ。中身を腐らせて、出しやすくするためである。中身が腐ると、瓢箪を逆さにするだけで、種ごと液状になって出てしまうから、瓢箪の中は簡単に空っぽになるのだ。


瓢箪5


 ここまでは特段、難しいことでもない。私にだって出来る。この人の真骨頂はここから先だ。中身を抜いて、コチコチに硬くなった瓢箪を磨き上げ、そこに絵や文字を施してゆくのである。絵は七福神であったり、観音様であったりさまざま。文字も「壽」のような縁起物であったり、格言であったりする。それに房付きのカラフルな組みひもを巻いて仕上げるのだ。


瓢箪3    瓢箪4


 そんなことは、いわば朝飯前。細工を施して、枕元に置くスタンドを作ったり、幾つもの瓢箪を組み合わせて、鶴や亀など鳥や動物をも作る。小さな千成を使って木にいっぱいのフクロウ軍団を演出したり、女性用のペンダントや男性用のループタイまでも創作する。へえ~、これが瓢箪の創作、と感心するものばかりだ。


瓢箪6  

 ひょうたん愛好会は年に一度、甲府市の総合市民会館で、愛好家達の一年間の集大成を発表するための展示会を開く。いくら見ていても飽きないほど見ごたえのある作品ばかりだ。そのうちの優秀作品は全国大会にも。81歳になる副会長さんの作品「鶴と亀」はそこでも最優秀賞に輝いた。趣味の域を超えた匠の技と言ってもいい。




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蛍の復活

 太鼓1


 ホタルが姿を消し始めたのは昭和30年代だった。わが国が「戦後」に別れを告げ、高度成長期へと突っ走り始めた頃と符節を合わせた。私たちの田舎、山梨県の峡東地方では他の地域に先駆けて葡萄や桃の産地化が始まった頃だ。それまでの米麦、養蚕の農業形態からある意味、革命的とも言える転換だった。それまでの水田や桑畑はあっという間に姿を消し、その跡に果樹園が広がった。


budou.jpg


 果樹栽培には病害虫を駆除するための消毒が欠かせない。40年代に入ると除草剤が登場するのである。言うまでもなく、果樹栽培は米作と違って人手と手間がかかる。農家にとって除草剤の開発はまたとない福音だった。この除草剤は元々米軍が、あのベトナム戦争で開発したというシロモノだから威力は抜群。人手不足の農家に諸手を上げて歓迎され、省力化に貢献したのである。




 消毒薬は病害虫を殺すばかりではないし、除草剤も雑草を枯らすばかりではない。残留物は付近の川に流れ込み「小鮒釣りしかの川」まで死の川に変えた。どの川にも鮠や鮒、鯉は当たり前、シジミも取れたし、この時期には大きな鰻も遡上した。小川は地域の子供たちの遊び場だった。




 川を殺したのは農家ばかりではない。一般家庭も家庭雑廃水という名の排水で川を汚した。三種の神器とか3C(カー、クーラー、カラーテレビ)という言葉が生まれ、どの家庭にも洗濯機も当然のように登場した。急激な高度成長は、至る所にちぐはぐな現象をもたらした。下水道などインフラの整備なんか追いつくはずがないから、洗剤をいっぱいに含んだ家庭排水は、そのまま川に流れ込んだ。川だってたまったものではない。農薬と家庭雑廃水のダブルパンチは、川の生き物を死滅させたのである。か弱いホタルの幼虫なんかひとたまりもない。



太鼓
   

 そんな現状を放って置くほど人間、バカでもノロマでもない。消費者には分からないだろうが、急速に農薬規制が行なわれ、雑廃水たれ流しへの反省も徐々に進んでいる。もちろん死の川が蘇えっているわけではない。しかし、場所によってはホタルが一匹、二匹。


 根津


 山梨市ではこの十年、万力公園を舞台に毎年、ホタル観賞会が開かれている。この公園は、かの戦国武将・武田信玄が治水のために築いた「信玄堤」が今も残るところで「万葉の森」とも言っている。一画には地元が生んだ、あの鉄道王・根津嘉一郎の銅像も。



 


 今年もつい先日、この、ホタル観賞会が開かれた。昼間、市長を先頭に各界の代表が集まってにぎやかに開会行事が。子供たちの「岩手太鼓」で幕を開け、夜の帳が下りると浴衣姿の家族連れなどホタル見物の人達で賑わう。公園の広場には終日、屋台も並んでちょっとしたお祭りムードだ。


蛍まつり


 ホタルはこの時期の環境の良し悪しを測るバロメーター。市をはじめ関係者はこの祭りを環境改善の起爆剤、導火線と位置づけている。小川に鮒や鯉が戻り、夏にはホタルが舞う、そんなふるさとが帰ってきて欲しいものだ。


屋台


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蛍狩りとガキ大将

蛍

 「ほ~ほ~ホタル来い あっちの水は苦いぞ こっちの水は甘いぞ・・・」

この時期になると、周りの田圃は田植えが済んで、夕方ともなればこの青田からは蛙の鳴き声が・・・。そして夜の帳が下りると、一帯にはホタルが舞った。





 子供たちは小さなホタルかごを片手に田圃のあぜ道や小川の淵を飛び回った。浴衣などといったカッコいいものではなかったが、着物姿。もちろん、田舎の夜道に街灯なんかありっこない。あるとすれば、害虫を集める誘蛾灯の光くらいのものだ。




 ホタル草というのがあった。子供たちは誰に教わるともなく、ホタルかごの中にこの草を入れ、水を与えた。ホタル草にたかって光を点滅するかごに向かって、口いっぱいに含んだ水を霧状に吹き付けるのである。ホタル狩りは田舎の子供たちが織り成す夏の風物詩だった。


蛍2


 乱舞するホタルを追いかけているうちに小川に転げ落ちる子も。闇の中を上ばかり見ながら飛び回るのだから転げ落ちるのも当たり前だ。子供たちは川に落ちることを「川っ飛び」といって、特段、苦にもしなかった。親達も、それを叱らなかったし、今の親のように「危い」などとも言わなかった。




 地域にはガキ大将というヤツがいて、幼い子供たちの面倒を見た。ホタル狩りばかりではない。子供たちは知らず知らずのうちに、このガキ大将から遊びを覚え、自らの体験や失敗から、危険や怖さのポイントも知った。その子供たちが、やがてガキ大将になってゆく。そんな子供たちを遠巻きに見ていた親達も、みんな「来た道」だったのだ。


麦わら帽子  


 そんな田舎からホタルが消えて久しい。いつの間にかガキ大将もいなくなった。子供たちの遊びやいたずらを遠目に見ていた親達のスタンスもガラリと変わった。親達の多くは「あれも危ない」「これも危ない」と、子供たちの行動に注文をつけ、ちょっとした事象にも目くじらを立てる。


船


 勢い、子供たちは家に籠るようになった。親達が言うのは「危ない」ばかりではない。「勉強」「勉強」の言葉を年がら年中、子供たちに浴びせるのである。子供たちが家に籠れば、ガキ大将だっていなくなるのは当然。ガキ大将は、縦割りの子供たちがいなければ生まれないのである。横割りだと、知恵も腕力も拮抗するからお互いにつぶしあってしまうのだ。 一方で、わが国の少子化は進む一方だ。





 そんな子供たちに、間もなく夏休みがやってくる。どこにもあるのだろうが、私たちの山梨市にも「青少年育成のための市民会議」というヤツがある。区長会、育成会、民生委員、人権擁護委員など子供たちを取り巻く各界の代表達で構成するのだ。もちろん小中学校の代表も。


虫取り


 言うまでもなく、そこでは夏休み中の子供たちの非行防止や安全対策を話し合うのだ。この市民会議を受けて、近く地区ごとの会議も開かれる。その内容はこと細かく話し合われるのだが、総じて言えば、子供たちを危ないことから遠ざけることだ。こんなにお歴々が協議しなくてもガキ大将がいれば、かなりの部分を・・・。ちょっと楽観的かな?





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仲間の死

菊

 親しい仲間が逝った。享年69歳。癌だった。手術と入退院を繰り返しながら癌と闘った。必死だっただろう。桃や葡萄など広い果樹園も一部を人に委ね、栽培面積を縮小した。行く末を案じたのだろう。それがまた痛々しい。それでも暗い顔は微塵も見せずに畑にも出、仲間たちとも明るく振舞った。


葡萄畑


 そんな人柄の男だったから、地元にいる特に同級生達は、入院中も自らの仕事の合間を縫って農作業を補った。「うちのことなんか、心配するな。そんな心配より、治療に専念することだよ」。みんなで励ました。しかし、不敵にも癌は強かった。日ごとにこの人の体を蝕み、最後は骨と皮といってもいいほどに肉体まで食い尽くした。


インゲン


 この人には、これまでも身の回りに相次いで不幸が襲った。早くに愛する奥様を亡くし、二人兄弟の弟も何年か前に亡くした。この弟さんは三つ違いで、私と同ない歳だった。どうしてこうも不幸は集中攻撃するのか・・・。この世には神も仏もないのか。





 それでも男手ひとつで一人娘を育てて嫁がせ、二人のお孫さんにも恵まれた。自らの行く末を覚悟しながらも愛らしいお孫さんに目を細め、可愛がった。心の中ではこのお孫さんの成長をもっともっと見届けたかったに違いない。それもふびんでならない。


光


 告別式。仲良しトリオのうちの一人が弔事を読んだ。自他共に認める無二の親友だったこの人は「俺は○○ちゃんと呼ばせてもらうよ」と祭壇の遺影に語り掛け、在りし日の思い出や、その人柄を切々と話した。




 それによると、身の回りを相次いで襲った不幸、その上、自らにも襲い掛かった病魔との闘いにも愚痴ひとつ漏らさなかった。いつも明るく振舞い、周りの仲間達を気遣った。古めかしい言葉かもしれないが、義理人情にも厚かった。「気遣うのはお前ではなく、むしろ俺達だったのに・・・」。そんな故人は息を引き取る数日前、この人の手を握り、弱々しい声で「俺はもうだめだ。あとを頼む。みんなを・・・」と言った。手にはもう力がなかったと言う。無二の親友が読む弔辞は参列者の涙を誘った。


空


 たまたま時期を同じくしたのだが、この告別式の翌日、別の友人の父親が逝った。こちらは98歳だった。69歳の告別式とは対照的だった。年齢差は親子ほどもある。同じ弔辞の中でも「天寿をまっとう・・」という言葉が。人間誰しも、かくありたいと思うのだが、そうはいかないのがこの世の常。




 「人間、60歳を過ぎれば、後先の順番はないんですよ」



 うまい事を言った人がいた。そう思いたくはないが確かにそうだろう。仏教用語で「諸行無常」という言葉がある。人の寿命は神様しか分からない。ただ言えるのは、その人間がどう生きたかなのだろう。寿命の長短だけではない。仲間や周囲を愛しみ、仲間達からも愛された69歳の男を送りながらそうも考えた。


1


 梅雨の季節は真っ盛り。その後には暑い夏が待っている。みんなが健康で、仲良くありたい。それが若くして逝った友に報いる道だ。行とし生きるものの鉄則だ、と思っている。




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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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