進むジェンダーフリー

学校

 オンボロの木造から鉄筋に変わって久しい校舎の中央から放射線状に張られた万国旗。その下で元気いっぱい跳んだり、跳ねたりする子供たち。この二つを除けばみんな様変わりしていた。厳密に言えば、子供たちもだ。グラウンドに並ぶ子供たちの数は、へえ~と思うほど減った。少子化の波は容赦なく学校を襲っていた。

おとこのこ
 地元の小学校の運動会に招かれた。この学校は、今は山梨市立の小学校だが、旧村時代からの伝統校。100年以上の歴史を持つ。女の子の児童会長が持つ校旗を先頭に入場行進、グラウンドに整列した児童たちを前に、まずは校長先生が挨拶する。




 「心配された新型インフルエンザも皆さんの努力で立派にはねのけて、今日は全校児童64人が一人も休むことなく、参加しての運動会となった。沢山の思い出を作ってください」




 児童の数ひと頃の3分の1、4分の1にも減っていた。全校でたったの64人だから、一学年10人前後しかいない勘定だ。入場、整列、そして全てのプログラムは全校児童を紅白に分けての対抗戦。1年生から6年生までの男女をほぼ2等分しているのである。




 おやっ、と思ったのは児童の運動着男の子も女の子もみんな同じなのだ。上は白、下は横に白いストライブの入った青色の短パン。よく見ないと男の子なのか女の子なのか区別がつかない。女のこの運動着として長い歴史を刻んだ≪ブルーマ≫は完全に姿を消していた。紅白チームの区別は裏返しで被れる帽子の赤と白の識別だけ。もう一つ、選手紹介のアナウンス。男の子も女の子も全て「○○さん」。かつての男の子の呼称「○○君」は完全に学校から消えていた。皮肉な言い方をすれば、無理やり男女を平等?に。


体操着

 そうか、ジェンダーフリーと言うヤツか。ふと、この夏、奥秩父山塊の一角で開いた子供キャンプの折、スタッフの一人でもあるベテラン女教師が言った言葉を思い出した。




 「人を男とか女で見るのではなく、まず人間としてみて、結果的にそれが女であったり、男であったりするんです。初めから男と女を区別してはいけない」



男の子           女の子


 改めてインターネットで「ジェンダーフリー」を検索してみた。どこでどなたが書いているのか分からないが、あるある。運動会で見た光景の全てが事細かく書いてある。学籍名簿の男女の区別はもちろん、ランドセルの赤、黒の色に対する疑問まで。「男女」を「女男」とも置き換えているのである。正直言って、私にはどうしてそこまでしなければならないのか分からない。



ランドセル

 一方、なるほどと思ったのは競技に入る前の準備体操。かつては「ラジオ体操第一」が準備体操の定番だった。ところが見事に振り付けしたストレッチ体操に変わっていた。子供たちの競技や演技を見守るグラウンド周囲の父兄席はスマートなアウトドア用のテントが。座席も茣蓙(ゴザ)ではなく携帯用の椅子だ。 そこでのお父さんやお母さんはビデオカメラで可愛いわが子の姿を追っていた。




 変わらないのは本部テントに隣接して設けられた来賓席。区長や市教委、市議会の代表、PTAや老人クラブ、安協などの代表が並んでいる。その顔ぶれは変わっても肩書き中心の大人たちのやり方は変わらない。いつしか自分もそんな所に座る年齢になっていた。




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秋の朝顔

朝顔


 「恐れ入谷の鬼子母神」

 日常会話に中でもよく使われるフレーズだ。「恐れ入った」「まいった」。そんなタイミングで使う平たい言葉である。江戸時代、ある大名家の奥女中が腰に腫れ物が出来た。そこで入谷の鬼子母神に願掛けしたら見事に治った。このことを狂歌師・太田蜀山人が「恐れ入谷の・・・」と洒落たのが江戸っ子に受け、流行ったという。江戸の中期のことだそうだ。本人は意識してはいないのだが、麻雀でヤクマンを振り込んだ時などにしばしばこの洒落が出る。そんなさもない日常の言葉としても定着したのである。


朝顔3


 東京・入谷といえば朝顔市。江戸時代から続くという、この朝顔市はちょっと知られた東京の夏の風物詩だ。風流を愛し、それを気風とした江戸庶民にとどまらず、今も近郷近在から善男善女が集まる。今年も7月6日から8日まで開かれ、大勢の人達で賑わった。時代とともに減っていく縁日の風景がそこには残っている。そんな所に行くと、あくせくとした日常がウソのよう。異次元の世界に居るような気分になるのは私だけだろうか。


朝顔4


 朝顔は俳句でも夏の季語。入谷の朝顔市もそうだし、打ち水をする庶民の軒先と朝顔はよく似合う。一首ひねり出したくもなる光景だ。ところが彼岸の中日も過ぎた今、山梨の我が家では、この朝顔が満開。満開というより次から次へと咲くのである。それも直径13cm~15cmもある大輪だ。色は水色がかった紫。深紅にも見える。


朝顔2


 毎年、親しい友達が園芸用の小さなポットに植えつけた苗を6~7本届けてくれるのだ。5月の中旬頃、女房と二人して庭先に植え付けをする。しばらくして近くの山路から採ってきた小箸竹で大きな棚を作ってやると朝顔のつるは空に向かってどんどん伸びる。その逞しさはすごい。竹の棚の頂上まで伸び、その先、行く先を失うと今度は垂れ下がるのだ。そして9月のはじめ頃から一輪、二輪と花を開き始めるのである。


蝶1    蝶2


 開花期は入谷の朝顔市からすれば2ヶ月以上も遅い。開花の時期もさることながら見事な大輪は我が家を訪れる人達の人気者。「是非、種を・・・」という。ところが、この朝顔、どこにも種らしい種を付けないのである。葡萄園の片隅で支柱に這い登るようにして咲く野生の朝顔は、前の年、自らが落とした種に逞しく花をつける。私に朝顔の苗をくれる友達も、どこからかもらってくるのだが、その仲間も「企業秘密」なのか、育成の仕方を教えてくれないという。




 朝顔とは不思議な花。桜のように満開に咲くのではなく、一輪、一輪、飛び飛びに咲く。だから風情があるのかもしれない。戦国の世、あの千利休満開の朝顔を一輪だけ残して、全てを摘み取り、見物の秀吉を迎えたという。有名な話だ。千利休はきっと一輪の朝顔に茶の心を写したかったのだろう。


庭


 とにかく次々と花開く朝顔を横目に7月から咲いていた百日紅(さるすべり)は、さすがに勢いをなくし、紅い花をどんどん落としている。我が家の秋もどんどんと深まっていく。因みに朝顔の花言葉「愛情」とか「あなたは私に絡みつく」だそうだ。




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ブランドと烙印

ブランド


 ルイ・ヴィトン、シャネル、エルメス・・・。日本の若い女性や奥様方が時として目の色を変える、いわゆるブランドだ。私のような無粋な田舎者でも知っている。この「ブランド」という言葉、実は「烙印」という意味もあるのだそうだ。「ブランド」と「烙印」。この二つの言葉のイメージは180度違う。その落差が面白い。




 ここで「面白い」と言ったら不謹慎かもしれないが、この2ヶ月近く、マスコミが大騒ぎしたタレント酒井法子の薬物事件。アイドルタレントは一転、犯罪者に。言ってみればブランド物のアイドルには、恐らく蘇えることが出来ない犯罪者の烙印が待っていた。



酒井法子



 逮捕以降、40日間、来る日も来る日もあんなに執拗にテレビでやられたら本人はもちろん、関係者はたまったものではなかっただろう。いくらアイドルタレントだからといって擁護するつもりもないし、罪を犯した人をかばうつもりもない。でもテレビはやりすぎだよなあ~、と思うのは私だけだろうか。朝のモーニングショーから始まってテレビは一日中この人の話題。うんざりしてチャンネルを替えれば、そこもまた同じ。平均的な日本人というか、たわいもない女房なんか「お父さんねえ、酒井法子のお父さんは○○だってよ」と、言うほど。関係のないことまで、何でもかんでも興味本位?で暴き立てる



取材


 テレビとは怖い。何も一生懸命見ているわけでもないのに、酒井法子に関する情報はいやがうえにも頭の中に。ジェネレーションの違いというか、普段、関心もなければ、ましてや知識もなかった私でさえ大抵のことは知っている。それどころか、目をふさいでも自然に顔が浮かぶほどだ。映像は繰り返し見ることによって人間の頭の中に残像として焼き付けるのである。





 「日本中が注目した酒井法子被告が只今、湾岸警察署を出てきました。酒井被告が・・・」
酒井被告が500万円の保釈金を積んで釈放された日、現場中継のレポーターは、半ば興奮気味に、こう繰り返すのである。テレビにはずらりと並んだカメラが。前日から徹夜で待ち構えたという報道陣の数も半端ではない。その数は200人を超えたという。


記者会見  


 絶叫にも似たレポーターの「日本中が注目した・・・」に首を傾げた。果たして日本中が注目していたのだろうか。過剰、執拗とも思える報道で無理やり「注目させた」のはテレビ自身だったのではないのか。そう思うのは私だけかなあ。釈放後の記者会見が終われば、スタジオでは心理学者まで呼んでコメンテーターの先生方が謝罪会見の表情やそこで流した涙まで分析して見せる。果ては会見が済んで病院に向かうという酒井被告の車をヘリで空からも追いかけるのだ。初めての人なら「何事が起きたのか・・・」と仰天するに違いない。





 一国の総理だからやむを得ない、と言ってしまえばそれまでだが、文字の誤読を鬼の首でも取ったかのように、これまた繰り返し何べんも。総選挙となれば「政権の維持か交代か」と。私達はマスコミのペースにどんどん引きずり込まれていくのだ。そして知らず知らずに自らも評論家に・・・。居酒屋での酒飲み話も実は評論家先生の受け売りだったりするのである。テレビ文化がもたらす≪一億烏合の衆≫と言ったら叱られるだろうか。




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法事とカラオケ

法事    法事2


 墓地改修の竣工とそれに合わせたご先祖の法要に招かれた。「思い切って墓を直すことにしました」と言う知人は80歳を超えた。息子さんに家業の自動車整備工場を委ね、事実上、隠居の身になったこの人は、やがて誰もが通らなければならない≪行く末≫をも考えたのだろう。秋の彼岸を前にした墓地の改修だった。



 「極、内輪の披露と法事に留めたんですよ」


 この人は、招待者を家族のほかは、兄弟夫婦と極めて親しい友達だけにしたという。墓地の新設や改修は春秋の彼岸に合わせるのが、どうやら慣例のようだ。どの墓地を見ても石塔の裏側には「○○年 秋(春)彼岸 ○○建立」と刻んである。


墓


 出席者は菩提寺の本堂でのご先祖の法要に臨んだ後、改装なった墓地に詣でた。線香を手向け、手を合わせる。そして会場を替えての「おとき」の席と続くのだ。挨拶は「おめでとうございます」でいいのだが、みんな、さすがにその言葉は、ちょっと言いにくいらしい。しかし、おときの席は七七忌や一周忌のそれと違って明るい。法事につき物のある種の暗さはなかった。


花


 墓地の改修、新設などが人ごとではない年齢になったのか、仲間達の酒席で、この話が話題になった。建設費用、お寺さんへのお布施、招待者。みんな身近な話題と受け止めているようだった。その中の一人がこんな話をした。


菊


 「たまたまだが、昨日、叔父の一周忌に招かれた。これが面白いのだ。カラオケのどんちゃん騒ぎとまでは行かないまでも、賑やかな法事だった」





 その友人氏によると、みんなかしこまって、ご仏前に献杯した後、施主である故人の奥さんが、こう挨拶したという。



 「故人は根っからの明るい性格で、お酒が好き、カラオケが大好きでした。今日はそんな、在りし日の主人を偲んでいただくためにも存分に飲み、存分に歌ってください」




 かしこまって、うつむき加減に座っていた招待者は、途端に開放されたかのように賑やかに。やがてカラオケが始まったという。故人の「十八番」や物まねも。もちろん拍手喝さいも。おときの席は、まるで場違いのように盛り上がった。法事の後のおときの席といったら、美味しそうなお膳を前に、みんな神妙な顔付きで座っている、と言うのが一般的だ。




 上手な挨拶、泣かせるような挨拶に、一瞬、拍手しそうになって、その手を照れくさそうに引っ込めた経験をお持ちの方もお出でだろう。法事の雰囲気とは、また誰とはなしに作り上げてきた概念なのかもしれない。


菊2

 でも、待てよ。カラオケで賑やかに故人をしのぶ法事だってあってもいい。むしろ、その方が故人の供養になるはずだ。2時間前後を、暗い表情でお膳に向かい、お隣との会話も声を落とす。そんな習慣はやめたらいい。お酒を飲みながらの仲間達の共通意見だった。しかし、いざとなると、やっぱり出来ないのが、この法事の席なのかもしれない。




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日常生活の鏡

蛸


 「たこ」。一口に「たこ」と言ってもさまざまだ。大空を地上からの糸に引っぱられて果敢に舞う「凧」もあれば、大空とは反対に、海の底で外敵に追われれば真っ黒い墨を吐いて逃げる「蛸」もいる。また、その人の生活習慣の証のように手足など身体の一部に出来る「胼胝(タコ)」だってある。





 お正月の風物詩でもあった凧揚げは、今ではすっかり影を潜め、その一方で静岡県浜松市のように子供たちの健やかな成長を願って大々的に繰り広げる凧揚げもある。遠州灘の砂丘を舞台に繰り広げる、この凧揚げ祭りは爽快だ。誰もが一度は見てみたい行事の一つだろう。


凧揚げ


 花より団子。「たこ」は「たこ」でも「蛸」は食べられる。酢蛸もよし、生の刺身で食べる蛸も旨い。あのたこ焼きには欠かせない具にもなる。祭りや夏の縁日で食べる、たこ焼きは格別だ。子供の頃は、ねじり鉢巻をしたオジサンが、今の年になったら屋台の活きのいいオニイサンさんが売ってくれるたこ焼きは、祭りや縁日には欠かせない味の一つ。都会の街角でのたこ焼き屋さんも街ゆく人達と見事に息が合う。


祭り


 一方、同じ「たこ」でも「胼胝(タコ)」は風情もなければ、味もそっぺもない。OLのかかとに出来る靴擦れのタコのように邪魔者であり、無用の長物だ。しかし、見方を変えれば良くも悪くも、その人の人生の証かもしれない。ちょっと大げさなモノの言いようかもしれないが、そうなのだ。例えば、畳屋さんには肘に、大工さんには手に・・・。およそ職人と言われる方々には、身体のどこかに、この「胼胝(タコ)」がある。考えようによれば、これほど尊いものはない。その人の生き様であり、年輪なのだ。


手


 私にも三箇所にタコがある。いずれも右手。その一つは麻雀タコだ。職人さんの尊いタコと一緒にしたら叱られる。「良くも悪くも・・・」と書いたのはそのためだ。学生時代の4年間、サラリーマン時代の40年間、そしてリタイア後の現在まで、ざっと50年間のろくでもない男の証なのである。言い訳のようだが、職人さんたちに失礼なので繰り返しておく。自慢のできるシロモノではない。


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 胼胝(タコ)というものは、同じ習慣を繰り返していれば、成長するのである。場所によっては邪魔になる。私の場合、右手の中指の第二と第三の節に出る。大きくなるので時々、爪切りで削り取るのである。その手を見て女房は、馬鹿にし、あざけるようにこう言う。




 「どこで死んでいてもこの手を見れば麻雀好きの人間とすぐ分かりますよねえ」



 あと二つのタコは、若い時のペンダコと勤めをリタイアした後に出来た農作業によるタコ。時代が一変、今はパソコンだからペンダコなんか出来っこない。そんなものを見せたら「オジサンはいつの人?」と笑われるのがオチ。自分だって今はこうしてパソコンを叩いている。自らは心の底では勲章と思っているペンダコもやせ細る一方だ。もう一つ農作業でのタコは、鍬や立ち鉋を使うからで、こちらはどうやらまとも。野菜作りが主で、ささやかな汗の結晶である。でも我が家の経済にはそれほど結びついてはいない。


トマト            畑


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人間の記憶

1

 私の拙いブログをお読みいただいている方のお一人にハンドルネーム「ガバチャ」さんがいる。この方が先日、こんなことを書いていた。




 「最近、歳のせいか物忘れが激しくて、ニワトリと一緒で、三歩歩いたら、ついさっきのことを忘れてしまいます(後略)」




 正直言って、このブログを拝見してホッとした。同病相哀れむの例え通りか。私なんかそんなことは日常茶飯事。ガバチャさんはこんなことも書いていた。




 「(前略)会った人、その人の名前がどうしても思い出せないことがあるんです」
私なんか、これも度々だ。勤めをリタイアして4年。毎日が日曜日になって人様にお目にかかる数は、当然のことながら現役の頃と比べれば格段に少なくなった。そうは言っても出先での人との出会いがないわけではない。相手は「やあ~、お久しぶりですねえ。今どこに・・・」と、いかにも懐かしそうに話しかけてくるのだが、肝心の私がその方のお名前をなんとしても思い出せないのだ。



2



 お顔は知っている。話しているうちに思い出すだろうとタカをくくっているのだが、思い出せない。時間が経ってしまうと「お宅はどなたでしたっけ・・・」などと、聞けなくなる。素直ではない。仕方なく「今はどちらに・・・。お名刺をいただけませんか」とやるのだ。その答えがこう来る。




 「私もあなたより先から毎日が日曜日。名刺など持つ身分ではありませんよ」


名刺


 物忘れは歳のせい? ガバチャさんが言うようにその通りだろう。毎月18日と13日、その顔ぶれは変わるが、高校時代の同級生の飲み会、山梨で言う無尽会があるのだが、そこでも物忘れの話がよく出る。




 脳の衰えから来るのだろう物忘れはともかく、人間の記憶力ほどたわいもないものはない。例えば、いつも通っている道沿いで、ある時、以前というよりつい先頃まであった建物が解体され、更地になったとする。そこにあった建物が何の店だったか何としても思い出せないのである。しばしば私の車に同乗する女房も「お父さん、あそこに何が建っていたっけ?」と言うから、一人、私だけではないのだろう。




 こんなケースは今に始まったことではない。若い頃もそうで、毎日、朝晩、通勤で通る道すがらで朝はあった建物が帰りには解体されて跡形もなくなくなっているケースに出っくわした時、なんとしても思い出せないのだ。口の悪いヤツなら「それはお前の頭が悪いだけだよ」と言うかもしれない。でもそれだけだろうか。


にわとり

 ガバチャさんが言う「ニワトリと一緒」。私はニワトリ以下かもしれない。ガバチャさんはうまいことも言った。




 「だから(忘れてしまうから)ストレスが溜まらないのかも・・・」




 おっしゃる通りだろう。人間、忘れる動物。仮に、いいこと、悪いこと、みんな覚えていたら頭がおかしくなるに違いない。そこはまた人間の欲。肝心の事は覚えていたいのだ。





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大根の二枚葉

おでん


 キャベツのロール巻きや卵、大根、竹輪、はんぺん、がんもどき。そう、おでんの具だ。中でも欠かせないのが、大根である。おでんの定番だからと言うわけではないが、今年も大根の種を蒔いた。かなりの広い面積、盛り土の畝を作り、9月4日に蒔き付けをしたのだが、今年は発芽が遅く、やっと二枚葉が顔を見せた。大根は冬場に食べる沢庵漬けにもなる。


大根の芽      大根の芽2


 大根は数ある野菜の中でも際立って発芽率がいい。蒔いた種は100%近く芽が出る。今年は発芽に時間がかかった。蒔きつけた後、全く雨が降らなかったからだ。例年なら7月下旬から8月のお盆にかけて、つまり梅雨明けからしばらくは、好天が続き、桃や葡萄の糖度づくりに一役買い、8月下旬から9月の降雨が野菜の生育に功を奏するのだが、今年はみんなその逆。天候のイレギュラーは、さまざまな所に影響を及ぼしている。




 仕方なく、ホースを畑まで伸ばして毎日、水を撒いた。女房の仕事だ。

水撒き

 「お父さん、大根、芽が出て来ましたよ」


 女房がいかにも嬉しそうに言う。人間とはおかしなものだ。最初は嫌々ながらというか、面倒くさそうに水撒きしていたのに、自分が手をかけた種が芽を出したとなると感慨は別。やっぱり愛着が生まれるのだろう。水撒きぐらい、私がやっても何のことはないのだが、畑仕事など知らない、また知ろうともしない女房には、その経験がいい薬。薬は案外利くものだと一人ほくそえんだ。


大根


 種は25cmから30cm間隔に3粒ぐらいずつ蒔くのである。それも女房の仕事。発芽率がいいから1粒づつでもいいのだが、これには訳がある。発芽しない万一の予備もさることながら、植物が持つお互い競い合う本能を考えてのこと。隣にいる仲間に負けじとばかり大きくなろうとする習性、つまり生存競争を利用するのだ。ある程度大きくなったところで、一番大きなものを残して、後は間引きするのである。放っていても生存競争に敗れたヤツは、やがてはとぼれて行く。自然界の掟なのである。





 「ど根性大根」などという言葉がどこで生まれたのかは分からないが、アスファルト道路の割れ目からニョキニョキ顔を出したり、普段ならおよそ顔を出さないような所に生えて、新聞やテレビの話題になる。どんどん≪やわ≫になっていく人間やそれをよしとするような社会風潮への警鐘とも受け取れなくもないが、とにかく大根は逞しい


大根2


 小石など障害物があれば、それを避けてでも地下に伸びる。青首大根のように肩まで地上に出しても強い太陽光線や逆に冷たい霜も何のその。私の畑は古くは河原だったのだろう。比較的土壌が浅く、小石が多い。だから曲がったり、二股になるので、抜くのに一苦労するのだ。本当はこんな地質の所は大根作りには適さない。東京で言えば練馬、山梨で言えば茅が岳山麓の明野など火山灰土の所が適しているのだ。

 


 大根はおでんのように煮物でも食べれば、大根おろしのように生でも食べる。消化がよく、殺菌作用もある。刺身のつまになったりするのもそのためだ。「大根役者」という言葉を生むくらい≪当たらない≫のである。そのいわれを知らない女房なんか「大根」と言うと、自分の足を言われたと勘違いしてすぐ怒るから、また面白い。とにかく大根は日常会話の中にもしばしば登場する。





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大きさを増す女房の座

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 「わたしゃあ、あなたのお母さんじゃあありませんよ。まったく・・・」

 時々、女房ははき捨てるようにこう言う。風向きによってご機嫌斜めの時だ。世の中の半分を占める女性の皆さんにバッシングを受けることを覚悟で言えば、女というものは単純なものだと思っている。わが女房だけかもしれないが、とかくその時の感情だけでモノを言うのだ。





 しかし、このことに限れば、女房の言う通りだ。確かに、女房は私のお母さんではない。女房を「お母さん」と呼び始めたのは何も今に始まったことではない。恐らく一人娘が生まれた頃からだろう。もう38年近くになる。我が家ではそれが定着したかのように普段は「お母さん」で通っているのだ。




 そういえば、私が女房を「お母さん」と呼び始めた頃、おふくろがキョトーンとした顔をしたことを今でも覚えている。逆算すれば、おふくろはその頃、50台も半ば。息子が嫁を「お母さん」と呼んだのには、違和感を覚えただろうし、面食らったに違いない。よく考えてみれば、そういう私は娘が生まれて、子供を中心の家庭を無意識のうちに考えたのかもしれない。待てよ、「わたしゃあ、あなたの・・・」と言う女房だって私のことを「お父さん」と呼んでいる。


2

 嫁と姑。古くから、確執の代名詞のように言われてきたが、私が見る限り我が家にはそれがなかった。おふくろは若い頃からなぜか隣近所で起きる嫁、姑間のトラブルの調整役をすることが多かったせいか、その徹を踏んではいけないと、女房に一定の気配りをしていたことも事実だろう。女房との喧嘩や諍いは、後にも先にも見たことがない。しかし女房にしてみれば姑であることに間違いないし、おふくろもそれを意識していただろう。


嫁姑  


 人間、当たり前のことだが、それがいつの間にか逆転するのである。それがいつ頃であったかは定かではない。一つ言えるのは、おふくろ自身が老いを感じ、身体に偏重を覚え始めた頃だろう。大きくなるお尻と並行するように、女房の存在感が増して行くのである。うっかりしていると亭主すら尻の下に敷くのだ。




 おふくろは大正5年生まれ。93歳を過ぎた。今は介護医療の病院にお世話になっている。ほとんど毎日のように行って話し相手になったり、身の回りの世話をしている女房には、全く頭が上がらないようで、息子の私より頼りにしている。それは今に始まったことではなく、おふくろは丈夫の時からも、女房を相談相手にし、その立場を立てていた。やがて面倒を見てもらうのは嫁、と考えていたのだろう。
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 おふくろは足腰が不自由になっているばかりか、痴呆も始まっている。しかし、残り少なくなった自らの兄弟や、次男坊や三男坊など息子たちのことは忘れても、私の女房、つまり嫁のことは忘れない。世話になっている、また世話にならなければならないという気持ちの一方で、姑としての嫁に対する緊張感があるのかもしれない。姑を子供のように優しく扱う女房。片やおふくろは息子の私より頼りにし、感謝していることは確かだ。




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ヘンな坊さんの逆さ論理

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 は上手に書くな」は上手にするな」。

 口を開く度にこんなことを言った坊さんがいた。この坊さん、と言ったらちょっと失礼かも知れないが、この方は、その世界ではちょっと知られた書家である。サラリーマン時代のある時期、職責上、山梨県内に拠点を置いた、ある書道会の新年会に招かれた時のことだ。






 この会合・宴席には会派の隆盛を誇示するかのように、傘下の社中の代表が揃う。毎年、甲府市内の名門ホテルのホールに300人前後の書家が集まるのだ。秘書らしい女性を伴ってやってくるこの坊さんは、来賓の筆頭だから主催者の挨拶に続いて、いわゆる祝辞を述べるのである。




 その中身は、いつも決まっている。「字はまずく書け」だ。そこに集まっているのは、私を除いて全てが書家だ。続いて若輩の私が立場上、ご挨拶を申し上げるのだが、ステージから戻ってくると、この坊さん、恐れ多くも私にお酌をしてくれながら、同じことを言うのである。「話は上手にしてはいけない。まずくするんです」と。 自らを愚庵と号してはばからなかった。


習字


 諭すようで、また一面、唐突のように言う。一切それへの説明は加えない。まるでふざけているような口調で言うものだから、聴いている方は分かるようで分からないのだ。その翌年、この坊さんのお話と直接関係はないのだが、私はつい、こんなことを言ってしまった。




 「画家に狂人あれど、書家に愚者なし」と。ここで詳しいことを書くわけにはいかないが、書道会の中でのある公的な出来事を、ちょっぴり皮肉ってしまったのだ。40歳も半ばの頃。今考えれば若気の至りだった。当然のことながらそれへの反応はあった。会の主催者でもあり、家元的な存在の会長さんは、お酒を酌み交わしながら「厳しいことをおっしゃいますね・・・」と。一方、坊さんは「私の言わんとしていることと同じなんですよ」。当然、これをお読みの方々には、この禅問答のような会話は分からないだろう。


秋


 「まずく書く」「まずく話す」。裏返しの言葉で、まずく書いたり、まずく話すためには、それぞれの基本をしっかりとわきまえていなければ出来ない。この坊さんは、書家というからには、しっかりと字を勉強し、その上に立って自らの字を書くことだ、とハッパをかけたのである。極めるとは行かないまでも、努力をしなければ自分の字を書いたり、話したりすることは出来ない。





 私のような生くらの人間には死ぬまでそんな域には到達など出来っこない。若い頃、ピカソの絵を見たり、有名人の字を見て「これが・・」と思ったことがある。しかし、スペインのピカソ美術館でピカソの若い頃の絵に出会った時、まさに目から鱗だった。私たちが普段目にするピカソとは180度違う、きちっとしたデッサンがあった。書家も臨書を繰り返し勉強しているのである。巷にもある≪変人の個性≫とは全く違う。当たり前かもしれないが基礎が出来た人間はすごい。そして怖い。でも怖さを見せないから不思議だ。


ピカソ      ピカソ2

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猫と英語

猫


 「お父さん、アメリカやイギリスでは猫も英語で泣くの?」

 庭先を歩くご近所のを目で追いながら女房が言った。




 「お前、藪から棒に何を言い出すんだ。馬鹿なことを言うんじゃあないよ。猫に日本語も英語もあるわけないじゃないか」


猫3


 女房の馬鹿げたと言うか、たわいもない問いかけに、待てよ、と若い頃読んだマーク・トウェインの「トム・ソーヤーの冒険」を思い出した。今考えれば馬鹿なことをしたものだ。年齢こそ違うが、勉強嫌いがよく似ている主人公のわんぱく少年・トム・ソーヤーに興味を持ったのだろう、辞書を片手にこの小説を悪戦苦闘しながら読んだことがある。




 そのためか部分的にせよ、その中身を覚えている。両親を早くなくして母親の姉、つまり伯母に育てられているトムが親友のハックルベリー・フィンと、ある夜、お墓を探検する場面が出てくる。そこに登場してくる猫。マーク・トウェインが夜中の墓地の不気味さを演出するために登場させたのだろうが、その猫の泣き声だ。

墓


 なぜか「ミィヤーオ」と泣いているのである。日本では猫の泣き声は「ニィヤーオ」だ。このブログにお出でいただく方々の中にも猫をお飼いの方々が大勢いらっしゃり、中にはハンドルマークにしている人も多い。みんな「ニィヤーオ」と泣いているだろう。実は欧米と日本で猫の泣き方が違うのではない。それを聞き取る耳が微妙に違い、発音や表し方が違うただそれだけだろう。

猫4

 例えば日本で言う「トマト」をアメリカ人は「トメト」と言う。「水」を日本人は「ウォーター」と発音し、アメリカ人は「ワァーター」と言う。そんな例はいっぱいだ。発音もさることながら聞く耳も微妙に違うのかもしれない。例えばアフリカなどには遥か向こうの動物の足音を聞き取る人種もいると言う。考えてみれば同じ日本人、周りを見ても視力の良し悪しと同じように、耳のいい人もいれば、難聴の人もいる。




 こんなことに気付いたことがおありだろう。ご自分が聞く自らの声とテープなどで取った声を聞いて「あれ、これが俺の声?」と。つまり、自分が認識している声と、別の人が聴いている実際の声は違うのである。ヘンな話だがそうなのだ。それがだれにも分からないのだが、みんな同じように聞こえたり、聴いていると思ったら大間違い。一つの音を取っても厳密には、その感じ方は微妙に違って当然だ。

イヌ
 ところで女房が馬鹿げた疑問を持った猫。どのご家庭も犬のように首輪をつけて繋留したりはしない。だから結構あっちこっちを歩き回っているのだ。へえ~、と思うくらい行動範囲は広い。我が家の庭先にやって来る猫がかなり離れたお宅の猫と知ってびっくり。餌をあさるでもなく歩き回っているのである


猫2


 片や。この付近では散歩やウオーキングのお友達だ。犬を散歩させているのではなく、犬に引っ張られているのである。ひと昔前まで、農村地帯のこの付近では見られなかった光景だ。犬から観れば番犬から人間の健康づくりのパートナーになった。因みに日本では「ワン、ワン」という犬の泣き声はアメリカでは「バウ、ワウ」だそうだ。やっぱり人間の耳は違う。

犬

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備えあれば・・・・

防災訓練  


 今年も地域の防災訓練が開かれた。立場上から言えば開いたといった方がいいかもしれない。午前8時、防災無線を使って訓練のための警戒警報を流す。東海沖で大規模な地震が発生、山梨県下にも被害が拡大しているという想定だ。放送と同時に消防団も一斉に非常事態を告げるサイレンを鳴らす。ここまでは予定通りだ。


法被1    法被2


 放送やサイレンの音を聞いた住民達は、地域のふれあい広場に一斉に非難して来る。この広場はその名の通り、普段は地域の人たちの憩いの場所だ。かなりの広いスペースをとっていて、グランドゴルフやお年寄り達のゲイトボール、若い人達のキャッチボールなど運動の場だったりする。周りには枝垂桜やハナミズキ、栴檀などが大きく育ち、その下には滑り台やブランコなどの遊具が設けられていて、子供たちの遊び場にも。一方で、災害が発生した場合、住民達の非難場所になる仕組みだ。



消防3 


 避難してきた住民達は組ごとに整列、それぞれの組長が区長の前に駆け足で進んで各組の避難人員などを報告する。敬礼とともに「上組、何人、異常なし」といった具合だ。区長が挨拶する前の訓練のステップである。この後、まずは救護のための応急手当、負傷者のための担架作りと搬送、消火器を使っての初期消火、さらには実際に消防車を使っての放水やポンプ車の操法訓練も。この地域では自主防災組織としての消防協力隊も設けた。


防災訓練4


 応急手当の訓練は、三角巾に代わる風呂敷を使って包帯など応急的な手当ての仕方を、また担架作り竹竿と毛布を使うのだ。負傷者の安全搬送のための気配りも訓練の課題である。初期消火訓練は、天ぷら鍋からの火災を想定したもので、主にはお母さんたちが対象だ。訓練とはいえ、本番さながら、みんな真剣。保健委員や消防団の指導に従った。



防災訓練3


 東海沖ではいつ地震が起きてもおかしくないという。甲府盆地の一角に住む私たちにとっては富士山とは目と鼻の先。これだって休火山だから、いつ噴火しても不思議ではない。さらに、盆地を横断するように新潟から静岡に向けて走る糸魚川構造線が。私達は、いわば地震の巣のような所に住んでいるのだ。




 かつてわが国の企業が競うように世界進出を目指した頃、合言葉のように「富士の見える所」を立地場所として選んだ。プレゼンのための会社案内に「フジヤマ」を使いたかったからだ。ところが、東海地震が地殻構造的な根拠をもって予告されるようになって、その考えは一変。一つ二つと富士山の見える所から≪避難≫を始めている。山梨県側の富士山麓に本社・工場を構えた大手ロボット会社も移転を検討しているという。いずれも万一への備えなのである。



 防災訓練2


 備えあれば憂いなし。繰り返し行なう防災訓練の一方で、一朝有事の時、人々の避難場所にもなるふれあい広場の隅には大きな防災倉庫も。防災機器はもちろん、水や食糧なども備蓄している。最も大事なのは、万一の時の地域の連帯だ。災害は地震ばかりではない。山津波が襲うこともあるだろうし、日常生活の中での火災だって、今日起こらないとも限らない。田舎にあっても希薄になりがちな、この連帯をどうするかは大きな課題だ。




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仲間達との再会

みどりの会

 みんな歳相応のいい歳を取っていた。人格的にである。年月の重さがそうせたのだろう。男性は頭に白いものを頂き、あるいはそれすら失くした人もいる。女性は若い時のあでやかさこそないが、歳相応の女らしさをそこはかとなく醸し出していた。一瞬、誰だか分からないほどの変わりようの人も。人によっては40年ぶり以上の再会だった。


みどりの会1  


 8月末、山梨県の石和温泉郷で、若い頃、ユネスコ活動を共にした仲間達が一堂に会した。約40人。40年前、50年前、山梨県の高校で、ユネスコ活動と取り組んだOBたちだ。ユネスコ部、社会部、国際部・・・。その呼び名はともかくとして当時、山梨県のほとんどの高校にユネスコを標榜するクラブがあった。その卒業生達が大同団結「ユネスコみどりの会」という、今でいうボランテア組織を作ったのである。


集合写真


 当然のことながら、地元山梨に残って農業や商業などの家業を継ぐ者、東京など他都県に出て就職や大学進学をする者。さまざまだった。卒業生達は山梨に本部を置き、東京に支部を設けた。山梨の立地から就職も大学進学も東京が多かった。民間のユネスコは相互理解や国際理解を基調にした平和活動。若者達は山梨と東京で毎月のように定例会を開いて自分たちに何が出来るかを考え、論議もした。東京には溜まり場も出来た。




 海外留学生との交歓会の開催、施設の慰問・・・。なんでもした。昭和30年代後半、山梨にもモータリゼーションの波が起こると、甲府の街角に子供たちを交通渦から守るための「黄色い小旗」を設けたりもした。その活動ぶりは新聞の社会面を大きく飾った。今も山梨では当時、ワークキャンプの名で始めた仲間達のキャンプが「国際子供キャンプ」に装いを替えて継続している。日本の子供たちと外国の子供たちの交流の場だ。今年で44回(年)目。かつて主役として参加した子供が親となり、その子供を参加させている親も。


キャンプファイヤー2


 高校ユネスコのOB組織だからメンバーは年々増えていく。後継者にも事欠かなかった。そのパワーは、全国の青年グループに呼び掛けての「日本青年ユネスコ連絡協議会」結成の原動力にもなった。ユネスコみどりの会は毎月欠かさず会報「みどり」を出した。謄写版刷りの全てが手作り。全国の青年グループにも配った。

ユネスコみどりの会


 ところがいつの頃からか、そんな活発なグループにも陰りが。後継者が途絶えるようになったのである。そうなってもう20年、30年が経つ。高校のユネスコ部の衰退と符節が合う。高校におけるクラブ活動の変化は一つ山梨県に限ったことではないのだが、当然のようにOB組織は高齢化した。次第に、かつての面影とは裏腹な道を・・・。



みどりの会2


 石和温泉郷に集まった仲間達は若い層でも50代後半、主には60台で、70歳を超えた人も。みんなで酒を酌み交わし、同じ釜の飯を食った青春を懐かしんだ。遠路、金沢や海を隔てた大島から駆けつけた女性もいた。酒席の場では「改めて後継者作りを」「また二回目のOB会を」という声も。都合で参加できなかった大勢の人達もメッセージを寄せた。


みどりの会3

 その翌々日、横浜で神奈川、静岡、山梨、長野の4県で構成する中部東ブロックユネスコ研究大会が開かれた。そこに集まった顔ぶれも高齢化を隠せなかった。時代の趨勢か。




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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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