リハビリと二枚の張り紙

リハビリ室  


 山梨県甲府市の郊外とも言える石和温泉郷にある温泉病院。そこのリハビリコーナーの壁に張られていたもう一枚の張り紙。別のもう一つの張り紙と同じようなイラスト付きの大きめな紙に、色紙のように優しい独特の筆調で書かれていた。




 「みんな苦しみながら大きくなっていくんだよ。みんなどんなに辛い思いをしたかわからないんだよ。ただ、それを言葉に出さず、じっと耐えてきたんだよ」


みんな苦しみながら大きくな



 二枚とも注意しなければ見落としかねないようにさりげなく張られている。最初の一枚「行けるるところまで行くんだよ。やれるところまでやるんだよ。・・・」「努力」をキーワードにしているとしたら、こちらキーワードは「耐える」だ。その文面は続けて、こうも言っていていた。





 「自分に負けるのが一番弱い人間なんだよ。苦しい時はみんな苦しいんだよ。その時、明るく笑顔で行きぬく人が強い人間なんだよ」


景色

 ムチウチ症治療のための首の牽引、局部のマッサージ、ハリ治療を終えてリハビリ室を出掛けに、この張り紙を眺めていたら、受付の可愛いお嬢さんが、こんなことを言った。


 「同じように、この張り紙を一字一句眺め、中にはメモして行く方もいるんですよ」



 私もそうだが、この二枚の張り紙がさりげなく語りかける言葉が、そこを訪れる患者達の目を止め、「そうだ。その通りだ」と思わせるのだろう。みんながみんな俺は、私は「どんなことをしても病や患部を治すんだ」という強い決意決にも似た「闘争心」を呼び起こすのだ。



富士温泉病院2   


 当たり前のことだが、人間、健常時にはこんな「闘争心」を起こさないし、起こしようもない。しかし、病に犯されれば、人は皆、何とか早く治し、元通りになりたい一心で闘おうとする。いわゆる「闘病」と言う言葉がそれだ。病と闘う強い意志がなかったら病気は治らないし、やがての行く先は幾つもない。



リハビリ室2


 病がひどければひどいほど、苦しかったり、切なかったりすればするほど、「藁をも」「神にも」すがりたくなるのが人情だ。その一方で同じように病や疾患を持つ人達への理解も生まれる。ちょっとニュアンスが違う例もあるかもしれないが「同病相哀れむ」の例えがそれである。




 「どうされましたか。私は打ちっ放しの練習場で首をひねっちまって・・」


 リハビリの待合で首にカラーギブスを巻いた同年輩の男性が、自らのトンマが原因でムチウチ症を患っている私に話しかけてきた。「え~、ゴルフの打ちっ放しで首を・・」。私のように不注意が招いた事故もあれば、こんな想定外の事故もある。




 「闘争する心」。健常者にも病を患う弱者にも、そこには共通して「目標」がある。アスリートは記録への挑戦であり、サッカー、相撲、ボクシングなど格闘技の選手たちは、立ちはだかる相手を倒すために果敢に戦う。患者が病と闘うことは言うまでもない。両者のもう一つの共通項は、リハビリ室の壁にあった二枚の張り紙が患者達に語りかけていた文面のキーワード「努力」と「忍耐」のように思えた。




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惹かれる言葉と人の心

行けるところまで    


 「行けるところまで、ひとりで行ってみよう。やれるとこまで、ひとりでやってみよう」


 幼稚園や小学校の教室にある掲示板ではない。文面は、さらに続く。




 「耐えられるところまで、ひとりで耐えてみよう。その中から本当の自分の生きる道をみつけよう。本当の自分の心をみつけよう」




 病院のリハビリ室の壁に何気なく貼られた一枚の張り紙である。なぜか惹かれた。リハビリ室は幾つものセクションに分かれていて、首や腰の牽引をしている人もいれば、はり治療を受けている人もいる。ホールのような広いコーナーでは、マッサージや歩行訓練、輪投げやボール投げなど機能回復訓練をしている人も。マッサージも患者の症状によって、みんな違うのだ。扉で仕切られた隣のプールでは温泉での機能回復訓練が。



リハビリ室



 共通しているのは、全てが患者と医師のマン・ツーマン。「行けるとこまで・・。やれるとこまで・・。耐えられるとこまで・・」。患者と医師の呼吸が一つになっているのはもちろんだが、リハビリ室全体に漂う呼吸がまさに一つ。それも明るい。誰一人我がままを言う患者はいない。親身になった医者と患者のマン・ツーマン治療が続くのだ。





 いい所に導いてもらえたと思った。トンマが故の自損のムチウチ症を患って、もう一ヵ月以上。首の痛みというか、起きていると左半分の肩と言わず、背中、胸、果ては腕まで激痛が走るのである。




 「俺の所の病院に来いよ。うちに、いい先生がいる。診立てが変われば、打開の道が見つかるかも」


富士温泉病院  



 はかばかしくない私のムチウチ症を気遣ってくれた高校時代の同級生が声を掛けてくれた。この男は山梨県甲府市の郊外ともいえる石和温泉郷の一角にある温泉病院、分かり易く言えばリハビリテーション病院の管理部門を事実上仕切っている。毎月一回、日川高校の同級生で作る無尽会でお酒を酌み交わしたり、麻雀をする仲間である。「医者の診立てを替えてみろ」。やはり心配してくれた同じ仲間達の意見でもあった。友への心遣い、病院での気配り。さらに病院のみんなが労わり合い、心を一つにして治療に取り組むリハビリ室で、一緒になって首の牽引をしながら、友達の≪心≫のありがたさをかみ締めた。麻雀でいつもやっつけてくれる≪鬼≫のような仲間達が、この時ばかりは神にも仏にも思えた。


病院2



 石和温泉郷には私が知っているだけでも五つ、六つのこうした温泉付きのリハビリテーション病院がある。東京など全国からも患者がやって来る。私のようなムチウチ症や交通障害、さまざまな疾患から来る機能障害などの症状を持つ人達である。私の隣のベッドで、はり治療を受けていたご婦人も県外からの患者だった。そのご婦人は担当医とこんな話を。





 「ここは全国でも有数の温泉リハビリが進んだ所。ここに来る障害者は多いはず。ところが、その玄関口のJR石和温泉駅にはエレベーターもなければエスカレーターもない




 私達は地元に住みながら、そんなことを気にも留めなかったし、誰一人として言わなかった。観光客の玄関口くらいに思っていた。人の心も含めて健康を害して初めて気付くことがいっぱいあることを思い知った。




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薔薇のトゲ

薔薇


 「また、こんな所に植えやがって・・」。無性に腹が立った。庭の植え込みの剪定や手入れをしながら、薔薇のトゲが引っかかるからだ。シャツに引っかかるばかりか、腕や時には顔まで引っかかれるのである。「バカヤローめ」。頭に来て、かみさんに噛み付いた。




 「あらそう。いけなかったかしら。でも綺麗じゃあない」



 そんな腹立たしい亭主の気持ちなど意に介する様子もない。「女という動物は」などと一概に言うと語弊があるかもしれないが、うちの女房を見る限り、何事も後先かまわずに行動するのだ。トゲのある薔薇だって平気。どこにでも植えてしまうのである。どんな植物でも植える時点では可愛らしく、小さい。大きくなったらどうなるかまで考えないのだ。



バラ



 そんなことはお構いなし。花が咲けば切り取っては花瓶に差して喜んでいる。「その影で手入れをする俺の身にもなってみろよ」。愚痴はともかく、かみさんが言うように薔薇は確かに綺麗だ。赤、白、ピンク。クリーム色や最近では青い薔薇も開発されたとか。水原弘の歌の文句にもあるように「黒い花びら」もあるのだろう。モノの本によれば何百種類の薔薇があるのだそうだ。だから、その色も多岐にわたる。

      赤バラ  黄色バラ  オレンジバラ



 しかも一年中と言っていいほど、次から次へと花を咲かせる。里の秋も深まり、ぼつぼつ霜が降りようというのに我が家の庭や植え込みでは、まだ花を咲かせている。紅いのもあれば、白いのも、クリーム色のものもある。その目と鼻の先では山茶花が咲いている。「赤く咲くのは冬の花・・」のアレだ。赤ばかりでなく、白もある。

白いバラ  


 薔薇は昔から美しい花の象徴。「美しい薔薇にはトゲがある」。美人へのやっかみなのか、美人の裏と表に潜むものの比喩なのか、はたまた人間社会への皮肉なのかは別に、そんな言葉もある。「お前はトゲがないからいいよなあ」と言ったら、うちのかみさん、こんな時ばかりは回転がいい。



  


 「失礼しちゃうわ。私のこと、ブスと言いたいんでしょう。でもねえ、美人は三日で飽きると言うわよ」


薔薇


 「お前、よく自覚しているじゃあないか」




 「そうよ。お父さんの言うことぐらい先刻、分かっているわよ。その先に言うことだって知ってるわよ。一円玉ブスと言うんでしょう。全く、失礼しちゃうわ」



 


 バカな夫婦のたわいもないやり取りはさて置いて、自然界は、そんな無駄口を叩かず、正直に移ろいで行く。大きな木いっぱいに80日以上も次々紅い花を咲かせていた百日紅(さるすべり)は、既に葉っぱまで落として、見る影もない。かぐわしい香りを付近一帯に放っていた金木犀の花も、どうやら峠を越した。



山茶花4



 それからバトンを引き継ぐように咲き始めた山茶花。秋だの、紅葉だのと、のんびりしている人間達に冬の到来を無言のうちに告げている。こうしてパソコンを叩いている足元も冷たくなり、炬燵が恋しくなった。この山茶花を植えたのはおふくろ。93を過ぎて、今では認知症がだんだん進んできた。明日も女房と二人してまた病院に顔を見にいこう。




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国家百年の計は死語?

ダム2


 「お父さん、ダムを反対から見ればムダ(無駄)じゃない」

テレビで政府側と地方が繰り広げるダム論争を見るともなく見ていた女房が、洒落のつもりなのかニヤニヤしながらこんな冗談を言った。こうも言うのである。




 「ダムなんか造るより、高速道路料金を無料化したり、ガソリンを安くしてもらった方がいいわよ。テレビでみんな言ってるじゃない。でも、子供手当てとか高校の授業料無償化なんて反対よ。うちなんか子供居ないし、むしろ税金が高くなるんですってよ」


高速道路



 うちのかみさん、日頃、新聞をそんなに読む方ではないが、テレビはよく見ているらしい。世の奥様方をわが女房と一緒にしたら叱られるかもしれないが、男達より女性の方がテレビを見る時間が多いことだけは確かだろう。よく見ていると言うより、毎日、「ダムは無駄。道路など公共事業も無駄」と新政権が繰り返して言い、テレビがそれに尾ヒレまで付けてやってくれるのだから女房だって洗脳?されない方がおかしい。新聞はさすがに政府与党が言う「無駄」を「優先順位」に置き換えている。最近になってからだ。




 そりゃあ手前味噌だよ、と言われるかもしれないが女房なんかが平均的な日本人ではと思ったりした。実は自分だってそうかも知れない。こんな時、マスコミが大好きな世論調査をすれば、答えは言わずもがな。テレビで知らぬ間に洗脳された知識と全くの立場論がそのまま出てくるのだろう。言い換えれば損得勘定で、その先なんかあまり考えないのだ。



ダム



 「脱ダム論」を引っ提げて山梨のお隣・長野県に乗り込み、一時期、知事になった方がいた。いわば、ダムの無駄を説いた元祖と言っていい。バブル経済が崩壊して景気は低迷、人々に閉塞感が漂う中、ユニークな言動は有権者受けしたのだろう。





 落下傘でこの県に飛び降りた知事さんでなくても、20年、30年、50年、100年先を論ずるより、耳障りのいい、しかも見栄えのある目先の政策を訴える方が≪票≫になることを政治家は知っている。そのことを県民が見透かしたのかどうかは知らないが、結果的に話題の知事さんは次の選挙で落選。県を放り出された。田舎と言うか地方にあっても農業形態の変化で「水」は空気と同じになった。山も外材の流入でほとんど人々の関心をなくした。現下の経済情勢に加え、そんな社会環境の中で、誰だって目先の福祉や手当てを選ぶに決まっている。片隅では地震と同じようにいつ襲われるかもしれない洪水などの天変地変への備えや将来にわたって確保しなければならない飲料水の大切さも分かっている。




人々


 世論調査。これが曲者だ。そのサンプルはざっと3,000.回答はというと、いつも1,600程度。この数は全国でだ。人口比で見れば、山梨県の場合の回答は15に満たない勘定である。統計学的には、それでいいというのだが、素人的には素直に頷けない。それも調査は統計的な個人を特定したものではなく、電話。家庭にあって電話に出る男女の比率、年齢、地域。バランスは取れているのか。

 それはともかく、マスメディアは結果を金科玉条のように論調の楯に。支持率が高ければ、ヨイショで迎合、ひとたび落ち込もうものなら、事実上のバッシングだ。政党や政治家先生は勢いその結果を気にする。ちょっと待てよ。よく考えたら、その調査結果はマスコミ、特にテレビの論調にいつの間にか踊らされた?俺達が裏返しで出した答え、堂々巡りなんてことはないよね。




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ダムって本当にムダ?

紅葉



 どうやら今年の台風シーズンは過ぎた。どうやらと言ったのは年によっては初冬に近い晩秋にだって台風が襲ってくることがあるからだ。その時期はともかく近年、台風が少なくなった。集中豪雨などでの局地的な被害は別として、日本列島にまともに上陸、とてつもない被害をもたらすような台風には最近、お目にかかっていない。これも温暖化など地球全体が目に見えない所でジワジワと変化している証だろうか。



水


 子供の頃の記憶だが、山梨でも8月の終わりから9月、台風の襲来と、それがもたらす被害は年中行事だった。近くを流れる一級河川の笛吹川が氾濫、堤防が決壊したり、橋梁が流失した。「この馬鹿者め」と大人からは叱られるだろうが、無邪気な子供たちには、正直言って秋の風物詩くらいに思えたほどだ。無邪気もそこまで行けば立派と笑われるかも知れない。でも、そのダイナミックな光景を面白がって見ていた。無邪気とバカは紙一重。台風一過の翌日から、自分たちだってその復旧作業に駆り出されることに気付かないのだ。堤防が決壊するのだから、付近一帯の水田は水浸しどころか、大小の石ころだらけ。黄金の稲穂を付ける前の田んぼは見る影もない。農家は大人、子供を問わず、一家総出、地域総出で復旧作業に取り組んだ。今のように農業災害共済のような保障制度も確立していなかっただろう。さらに国や県に泣き込んで行ったフシもない。重機もなく、みんな手作業小石や土砂を運び出すにも≪もっこ≫。子供たちもそれを担ぐ肩を貸した。



川



 高校2年の時だった。当時、日川高校は旧制中学の頃から続いていた東京・新宿まで約130㌔の強歩大会のコースを長野県松本に替えた。進み始めていたモータリゼーションがそうさせたのだ。昭和34年。その年、山梨は7号台風と伊勢湾台風のダブルパンチを受けた。松本へのコース上の南アルプスの麓を流れる釜無川が氾濫、沿岸一帯の穀倉地帯は一面の河原と化した。この時も住民達はものの見事に復旧させた。自然災害の一方で、人間の地道な努力とバイタリティのすごさを思い知ったものだ。この自然災害。今ではウソのようだ。川の氾濫、洪水などこの20年、30年、お目にかかったことがない。台風が少ないこともさることながら、その要因の第一は上流にダムが出来たことだ。それによって水がコントロールされているからである。調整された水は上水道や農業灌漑用水に生きている。


ダム



 このダム、政権が交代した今、とたんに無駄と言われ、悪者になった。地方の道路もそうだが、都会に住む人達の論理だけで進んでいけば、いつかは、そのツケが何倍にもなって国民に帰ってくる。武田信玄もしかり、戦国時代の名将は山を治め、川を治めて国を治めた。この普遍性は頭ではみんな知っている。しかし、政権の先生たちは、目先の選挙や国民にこび、ダムや道路をそのいけにえにした。もちろん、事業予算の優先順位は無視するわけには行かない。しかし、子供手当てや高速道路の通行料は台風災害に遭った農家が努力したように、個々の努力で補えもするし、受益者が負担することだって可能だ。ダム一つだけにとどまらず、今は目には見えない国の礎をないがしろにしたら、子供達に、孫達にとんでもないツケを回すことになると思うのだが・・・。自然は甘く見ると怖い。



都会


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それぞれの紅葉狩り

富士山       南アルプス


 ちょっと手前味噌かもしれないが、山梨は山紫水明の地。富士山、南アルプス、八ヶ岳、それに御坂山塊や奥秩父の峰峰。とりわけ四方を山で囲まれた甲府盆地は、春には桃の花が咲き乱れ、ピンクのジュータンと化す。まさに桃源郷と言っていい。夏にはその実が実り、日本一の桃の産地を形成、秋には葡萄が実る。特に一宮、勝沼など盆地の東部一帯は日本的な果実卿なのである。一宮(笛吹市)、勝沼(甲州市)と目と鼻の先にある私のふるさと・岩手地区(山梨市)もサクランボの産地化が立派に進んだ。


桃


 サクランボの産地は、言わずと知れた山形。植性上、その栽培が南限と言われる山梨のサクランボは本場・山形とは時差の勝負。温度差はもちろん、ハウス栽培などの工夫、つまり地の利と生産者の努力で築き上げた。4月の下旬から5月、東京を中心とした首都圏から観光バスが繰り出し、どこの観光サクランボ園も賑わいを見せる。



サクランボ



 サクランボが初夏なら桃は夏。そして秋の葡萄へと果樹王国・山梨の果物はリレーしていく。サクランボ狩り、桃狩り、ぶどう狩りが終われば今度は紅葉狩りだ。その頃になると富士山が真っ先に雪化粧、南アルプスや八ヶ岳の主峰もそれに負けじと薄化粧を始める。晩秋、平たく言えば里の人達に紅葉狩りの季節がやって来たことを告げるメッセージなのだ。



さくらんぼ    桃     葡萄



 「○○食べ放題」。果物の新鮮な味を楽しむ行楽から、目で見て自然を身体で味わう行楽へと移っていく。葡萄はだんだん姿を消していくが林檎や柿はこれからが旬だ。石和温泉郷などでゆっくり湯に浸かり、ほうとうなどの郷土料理も待っている。山梨は大都市東京の100㌔圏。山梨県人は「東京の奥座敷」という。人々をくつろがせる自然を持っている。



ほうとう  



 とはいえ、そこに住む私達はこの豊かな自然も当たり前。人間とは贅沢な動物だ。日々、その時々、表情を変える富士山の容姿も、外からお出でになった方々が目を見張る山々の紅葉も、そこにいれば特別の驚きもなければ感動もしない。まるで空気のように受け止めるのだ。ところが一歩外に出て見る同じような景色や光景には感激したり、びっくりもする。考えてみれば、それが旅行や行楽のよさなのだろう。


いろは坂



 数年前、ロータリークラブの親睦旅行の時、栃木県奥日光の中禅寺湖で見た鮮やかな紅葉は今でも忘れられない。旅行には30数人のメンバーが参加、日光東照宮に参拝した後、鬼怒川温泉に宿泊。翌日、中禅寺湖へ。そのバス旅行で見た、いろは坂の紅葉もさることながら中禅寺湖の紅葉は素晴らしいの一言に尽きた。


日光東照宮



 赤や黄色。その赤や黄色もそれぞれが微妙に色合いを異にするのである。紅く黄色く萌えた目の前の男体山が湖面にその姿を映し、男体山の前衛をなす湖周辺の木々は、近くで見るからか、その数倍も鮮やかだった。カエデやウルシ、ナナカマド。とりわけウルシやナナカマドの色は例えようがないほど紅い。所々にある常緑樹がその赤を引き立てるのだ。
紅葉のアクセントとして存在感が大きいナナカマド。一説によれば、極めて燃えにくい木だそうで、かまどで7度も燃やさないと燃え尽きないことからその名がついたと言うが・・・。





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里の秋と蚕

紅葉


 里の秋は山から下りて来る。中秋を過ぎて晩秋と言った方がいいかもしれないが、富士山に初雪が降る頃になると、周りの山々は顔色を替え、装いを替え始める。紅葉だ。赤、紅、黄色。やがて山は萌え始め、それが里へと連鎖するのである。


紅葉2  



 昔、この辺が米麦、養蚕の農業形態だった頃、人々はまるで里の秋を輪切りにでもするように蚕の掃き立てをした。掃き立て、とは蚕の飼育を始めることだ。まさに初秋に当たる初秋蚕から始まって秋蚕(あきご)晩秋蚕(ばんしゅうさん)晩晩秋蚕といった具合に秋をリレーするのだ。暑さが真っ盛りの夏蚕(なつご)の後を拝する初秋蚕の時期は当然のように残暑が残る。それから周囲は徐々に気温を下げ、晩晩秋蚕の頃になると朝晩は寒くさえなる。それがちょうど今後頃だった。自然は正直だ。「掃き立て」とは卵から孵ったばかりの小さな蚕の幼虫を大切に掃くかのように扱ったことから来たのだろう。





 四六時中と言っていいほど蚕には、次から次へとを与える。その作業のため、子供たちも夜遅くといい、朝早くといい時間にかまわず叩き起こされるのである。「俺達は一日、三度の飯。お蚕はいったい何度飯を食えば気が済むんだ」。子供心にそう思った。昼間の遊び疲れで眠たいのに加え、周りは薄ら寒くなっているのだから、無性に腹が立つのである。そんな子供心を尻目に蚕は「バリバリ」と音を立てて無心に桑を食べるのだ。



蚕 



 蚕の飼育は秋ばかりではない。蚕の唯一の餌である桑が葉っぱを付ける春から始まる。同じように春の季節を輪切りにして夏蚕を経て秋の蚕に繋げるのだ。一年中とは言わないまでも蚕は、桑が春に緑の葉っぱを付け、秋に黄色くなって葉を落とす寸前まで半年近く断続的に飼育する。米麦中心の農家にとってはかけがえのない現金収入の道だった。今風に言えば「ドル箱」だった。何しろ蚕は掃き立てて(飼育し始めて)からひきる(上属)まで最長でも30日。夏の暑い時期だと20日もあれば繭になってしまう。それそれの農家に見合った労力配分計画的な蚕の飼育が出来、しかも短期間に現金収入が得られるのだからありがたい。しかし国際経済の容赦ない波は蚕とそれを収入の道とした農家を一瞬に飲み込んだ。韓国産の安い生糸に食われたのである。





 ともかく蚕ほど尊ばれた虫、もっと言えば生き物はいまい。蚕の頭には「お」を付け、尻には「さん」まで付けて「お蚕さん」と言った。そればかりか桑(餌)を与えることを「上げる」というのである。私なんか「さん」を付けてもらえればいい方。ちょっと間違えば「コレ」だ。かみさんなんかも、機嫌の悪い時など「あんたあ~」である。「私は貝になりたい」という小説があったが、俺は「お蚕さん」になりたい。


 繭


 教育の欠陥というか、世の中デタラメになったというか、日常の人間社会の中で敬語がおろそかになりつつあるような気がしてならない。まあ、ここでは難しいことはさて置くとして、里にも確実に秋が下りてきた。かつてはお蚕さんの餌となった桑畑の跡に堂々と広がる葡萄園は、既に実りの房をなくし、日に日に葉っぱを黄色くしている。肌寒さばかりでなく、目でも秋を感ずる季節となった。


もみじ

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柿と牡蠣と柿(こけら)

牡蠣



 誰が言ったか知らないが、牡蠣を海のミルクと言う。12月頃から翌年2月ごろが旬だそうだ。つまり冬場の食べ物。もちろん、山梨の我が家でも食べるが、数年前、松島への高校の同級生でつくる無尽会の旅行の時や、広島の友人に招かれた時にご馳走になった牡蠣の味は今も忘れられない。なんでもそうだが、本場で食べる味は格別だ。なにしろ旨い。




牡蠣2



 こうしてパソコンを叩いていると、やっぱりムチウチ症の首が痛くなってくる。顔を上げて窓越しに外を眺めると庭先の柿が色付き始めた。種類は「御所」「富有」。まだ食べるには少し早い。美味しくなるのは霜が降りるようになってからだ。柿の中でも御所柿は年生りの激しい種類。今年はほとんど生っていない。どんな果物にも共通して言えるのだが、特に柿は消毒を怠ったらダメ。ヘタに虫が入り、実が熟す前にみんな落ちてしまうのである。年生りというより、今年の不作はその徹を踏んでしまったからでもある。



柿1



 牡蠣。同じ「かき」だが、この二つは海の幸と山の幸。立場を異にする。しかし海と山を代表する栄養価の高い食べ物であることに違いはない。なにしろ柿だって昔からこんなことを言われている。


 


 「柿が赤くなれば医者が青くなる」


柿2



 栄養価の高い果物としての比喩でもある。ただこれには実りの秋が背景にあることも確か。柿ばかりではなく林檎や栗などさまざまな果物、大根などの野菜も採れる。黄金の稲穂が刈り取られ、美味しい新米が採れるのもこの時期だ。その秋の象徴が柿かもしれない。



栗



 その柿。同じ「柿」だが、果物の柿とは全く違う「柿」がある。「杮落とし」「杮」(こけら)だ。確か前にもちょっと触れたような記憶もあるが、実はこの二つの「柿」は意味ばかりではなく、字そのものが違うのである。「柿」(かき)は「木」ヘンに「
」を書き「巾」を書く。一方「杮」(こけら)は「一」に「巾」の縦の線を上に突き出すように書く。だから「柿」(かき)が九画なのに対して、「杮」(こけら)は八画なのだ。見た目は同じだが、全く異なる字なのである。試しに、かみさんに聞いてみたら案の定「杮(こけら)落とし」すら知らなかった。




 因みに「杮」(こけら)木材を削った時に出来るカンナ屑のこと。転じて柿落としは、この木片を払って新築、改築したばかりの建物で始めて行う催しのことを言う。元々は歌舞伎など劇場の催しを言ったのだそうだが、やがて多目的の文化ホールや競技場など公的施設のオープンなどにも使われるようになったのだという。

柿3


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芋のつる

飯田龍太
飯田龍太

 「芋も露 連山影を…」と詠んだ飯田蛇笏は俳句結社と同人誌「雲母」を創設。龍太に引き継いだ。龍太亡き後、その遺志を継いで「雲母」の同人広瀬直人が「白露」を結社した。「雲母」から「白露」と受け継がれる一つの俳句界。その俳句は特に地元山梨でもしっかりと根付き、愛好者、ファンも多い。直人は日川高校の大先輩。もう20年ぐらい前だが同窓会の当番幹事の下働きの時にお世話になった。学徒動員で神奈川県平塚の軍需工場に行ったと言うから旧制日川中学の最後ぐらいのお歳。温厚で、まさに俳人といった方だ。




 なにも芋のツルが長いものだからというわけではないが、「似て非なるもの」の延長線というか第二弾・サトイモトウノイモの話をしよう。我が家ではこの二つを同じ畑に隣り合わせに作った。いずれも収穫期を迎えている。「もうサトイモが食べられるはずだ」。いつもなら私が掘るのだが、思わぬトンマがたたってのムチウチ症がはかばかしくないので、芋掘りをかみさんに言いづけた。


イモ


 芋は土の中だから多少の霜が降りても大丈夫。しかし、芋のツルは霜には滅法弱い。ツルというより茎だが、水分を多分に含んでいるので、ひとたび霜に遭おうものならひとたまりもない。勢いよく空を向いていたものが一瞬に畑にひれ伏し、見る影もない姿に変わるのだ。サトイモは芋を食べるのだからかまわない。でもトウノイモは茎を食べなければならないから霜に叩かれたら元も子もないのである。




 そこで霜に遭う前に収穫して皮をむく。天日干しした芋のツル巻き寿司の芯になったり、味噌汁の具煮物にしても美味しい。いわゆる保存食。農家の生活の知恵で生まれたのだろう。もっともだんだん手に入りにくくなったのか、芋のツルは巻き寿司にもお目にかからなくなった。そのピンチヒッターのはずだった干瓢(カンピョウ)が今では堂々の主役に。言われは分からないが、寿司屋さんで「かっぱ」といえば芯はキュウリ。それと同じタイプの寿司の芯によく使われるのがカンピョウでもある。

寿司
 カンピョウについてはまた折があったら触れさせて頂くとして、芋のツルとなるトウノイモの茎は皮を剥かなければ食べられない。いくら干して乾燥させてもスジが歯に引っかかってしまうのだ。だから丹念に皮を剥く。葉っぱを切り落とし、根元の方からスーっと剥いていく。アクが強いので手は真っ黒になる。私の経験では霜が降りる寸前が最も剥き易いのだが、初冬のこの時期の作業は決して楽しいものではない。




 こうしてサトイモと似て非なるトウノイモの茎は、芋のツルとして≪第二の人生≫を歩む。片やサトイモの茎は、無用の長物として見捨てられ、まるで邪魔者扱い。やがて畑の土に同化されてゆく。似て非なるこの二つは一長一短。芋のツルとして喜ばれるトウノイモだって、芋としてはちょっと大味だから味をよく知る人にはそんなに歓迎されないのである。餅屋は餅屋だ。



芋のつる 


 「サトイモを掘って食べたら・・・」と言ったのだが、かみさんが掘ってきたのはトウノイモ。案の定、区別がつかなかった。それほどこの二つは似ているのである。


イモ2


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似て非なるもの

サトイモ


 「芋の露 連山影を 正しゅうす」


 ご存知、飯田蛇笏の句だ。蛇笏はわが国を代表する俳人の一人。その息子・飯田龍太もそうだが日本芸術院会員でもあった。明治の中期、山梨県の甲府盆地の南、境川村(現笛吹市境川町)に生まれ、その実家を庵として数々の名句を生んだ。






 境川は中央自動車道を走ったことのある方なら、あるいはご存知。東京方面から来て甲府南ICの手前左側の閑静な部落だ。一画に坊が峰という小高い丘があって、NHKや民放の電波アンテナが立っている。蛇笏の庵があった所の字は大黒坂。この地名の響きがいい。いかにも俳人の庵がありそうな雰囲気がある。


芋



 「芋の露・・・」はそこで詠んだ句だ。「連山影を・・・」の連山は南アルプスの峰峰に違いない。おっと、こんな野暮天に俳句を読む力などありっこない。ただ田舎者がゆえに「芋の露」はよく分かる。恐らくサトイモかトウノイモの大きな葉っぱの上に大粒に丸まった水滴に連山を映したのだろう。表面張力で丸くなる水滴は芋の葉っぱの上でコロコロ転がる。その光景だけでも神秘を感じ、観ているだけでも面白い。この水滴に連山を映したのだから蛇笏の俳人としての観察力、洞察力はすごい。



 芋2



 俳句の世界では秋の季語。蛇笏がこの句を詠んだのは、恐らく初秋だろう。わんぱく小僧だった子供の頃、夕立に遭った学校道で、道端の芋畑に飛び込んで大きな葉っぱをもぎ取っては傘代わりにして家路を急いだものだ。傘とは反対に猪口のような形の芋の葉っぱは子供の身体を雨から避けるほど大きいのである。ただ所詮は芋の葉。本当は傘代わりになんかなりっこない。子供ならではの浅知恵であり、いたずら心に過ぎない。




 この芋の葉。大抵の方がサトイモの葉を連想するだろう。しかし、必ずしもサトイモとは限らない。さっきも書いたようにトウノイモもあるのだ。この二つは似て非なるもの。サトイモ科には違いないのだが種類が違う。ただ背丈や葉っぱの形、ほとんど区別がつかない。芋もバラバラにしてしまえば、これまた分からない。植え付けや収穫期も同じ。



芋のつる



 「もったいぶらずに早く話せよ」とおっしゃるだろう。見分け方は茎の色の違いだ。茎が緑色のものがサトイモ赤みがかったものがトウノイモ。これは見分け方に過ぎない。根本的には作る目的、つまり、食べ方が違うのだ。サトイモは言うまでもなく芋を食べるのが目的。片やトウノイモは茎を、いわゆる芋のツルとして食べるのである。サトイモの茎は食べない。恐らくエゴイのだろう。この二つのどちらを使うのか分からないが、知る人ぞ知っているあの「肥後芋茎」は芋のツルだ。ここではあえて説明を避ける。ちょっと説明がはばかられるからだ。

芋の弦2



 似て非なるサトイモとトウノイモ。知ったかぶって書いているが、実はその違いを知ったのはつい数年前。いい歳をして、と笑われるかもしれないが本当なのだ。勤めをリタイアして農業の真似事、自分でそれを作るようになってからだ。元々は百姓の倅。トウノイモは芋も食べる。でもサトイモと比べて淡白。あまり美味しくない。そういえば子供の頃、食卓に載った芋が旨くなかったことを覚えている。




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富士に初冠雪

富士山



 今年も数日前に富士山に初雪が降った。平年と比べると6日も遅いという。富士山の初雪は里の秋の深まりを麓の人々に実感させ、その先に冬が近づいてくることを告げるのである。初雪だから≪儀礼≫みたいなもので、富士山をすっぽり包むような積雪ではない。形ばかりの薄化粧だ。富士の初雪はいつもなら麓でも観測できるのだが、今年は台風18号の接近で天候が大きく荒れ、雨と雲の中。気象台が発表してくれなければ気付かなかっただろう。台風一過、青空が戻ってきた時には初冠雪は消えていた。




富士山2



 里の秋も早い。この間まで畑の隅々や土手のあちこちで真っ赤に咲いていた彼岸花もいつの間にかその姿を消し、その上や付近一帯の葡萄棚の葉も黄色く染まり始めた。棚にはもう葡萄の房はない。果物の世界も巨峰やピオーネ、甲州など秋の葡萄から石榴や柿など晩秋の果物へとバトンタッチしていく。自然のリズムは正確で、富士の初雪と同じように、一週間、10日と狂わない。自然は正直だ。





 そういえばアッという間に日も短くなった。一日の始まり、日の出も際立って遅くなり、日没も日ごとに早くなっていく。誰が言ったか知らないが「秋の陽はつるべ落とし」とはよく言ったものだ。ひと頃なら朝は4時といえば明るくなり、農家は畑に出た。夕方も7時半過ぎまで仕事が出来た。



景色


 畑仕事など多少の仕事はあるにしてもサラリーマン時代のように拘束と覇気のある一日ではなく、いわば毎日が日曜日のような生活にしても日が短いと、なんとなく損をしたような気がしないでもない。世に言う「秋の夜長」だからといって、今では読書にふけるわけでもない。ただパソコン、インターネット遊びだけは存分にできる。ムチウチ症の首さえ痛くなければのことだ。




ススキ
 


 つい先頃までは咲いていた彼岸花。なぜかこの地域の人達は「ハッカケババア」と呼ぶ。ある程度ものを考えるようになって、どうしてだろうと考えたこともある。彼岸花はスーッと30cmぐらいに真っ直ぐ伸びたグリーンの茎の頭に紅い花を咲かせる。つまり、茎と花だけ。葉っぱをつけないのだ。


彼岸花



 「ハッカケババア」は「歯っ欠けばばあ」ではなく「葉っ欠けばばあ」からきたのではないかと自分勝手に考えてみたりもした。とにかくグリーンの茎にどぎつく紅いそれも、お世辞にもスマートとはいえない花。しかも墓地などに顔を見せて咲かせるので、なんとなく不気味でさえある。だからこの付近だけかも知らないが、どちらかというと敬遠する。畑や野から摘んで来て花瓶に飾っている光景など、この歳になっても観たことがない。



彼岸花2



 秋といえばその象徴の一つに石榴がある。これもよく観ればグロテスクな果物である。それゆえか絵にもなる。「石榴のような傷口・・・」などと、そのさまの形容の言葉にも使われたりもする。柿や栗、林檎などとともに石榴を画家達は好んでそのモチーフにする。その部分部分が持つ色合いといい、形といい、全てが絵にも字にもなり易いのだろう。富士の初冠雪を横目に里の秋も冬へとリレーする秋のゴールへ向かってまっしぐらだ。


ざくろ  


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初体験のMRI検査

MRI.jpg
MRI


 MRI検査。初めての体験だった。まるで棺に横たわり、火葬の炉に入って行く仏の気分のようだった。「バカ言うんじゃあねえよ。そんなこと体験したヤツがいるわけねえじゃねえか」。その通りだ。世界中に火葬の炉に入った経験をお持ちの方はお一人としていない。例えが悪い、とお叱りを受けるかもしれないが、正直、そんな気分になった。



ムチウチ



 私の場合のこの検査は、ムチウチ症を治療するための手段である。備え付けの手術台のような台に横になり、頭を固定されたうえでドーム状の狭い空間の中に押し込まれていく。その中は真っ白。しばらくすると断続的に大きな音がする。それを何回も繰り返すのだ。「ブー」「ブー」。「ブ~」「ブ~」。「ドゥー」「ドゥー」。ドームの上からなのか、下からなのか分からない。三種類ぐらいの音が聞こえてくる。お世辞にも快適とはいえない響きだ。





 MRIとはMagnetic Resonance Imagingの略。磁気共鳴画像というのだそうだ。「いい歳をして・・・」と笑われるかも知れないが、MRIもレントゲンと同じように放射線検査だと思っていた。MRIの頭文字が持つ意味が分かれば磁気によるものくらいは分かるのだが、検査を終えて身支度をしている間にしてくれた検査技師の説明に「なるほど」と思った。




MRI2.jpg



 検査技師さんの説明によれば、機器から出す磁気と電流、それに検体である人の身体に流れる電流が絡み合って画像となる。検査機器を操作するのにへリュウムを使うのだそうだ。検査中、断続的にする大きな音はそのための音だという。ニコニコしながら話してくれる技師さんの説明に「へえ~」と頷いてはみたものの、自分でひっくり返って怪我をし、ヒイヒイ言っているトンマな田舎者に物理的な理屈なんて分かるはずがない。





 分かったのは放射線を使って検査するレントゲンと違い、こちらは磁気を使っているということだ。だから入れ歯に至るまで金属類は全て取り除く。医療機器の進歩は目覚しい。自分が直接その恩恵にあずかる患者の立場になると、いやが上にも、それを実感する。巷に結核患者が少なくなかった子供の頃、胸部レントゲン検査のフィルムを見て、すごいことが出来るものだと目を丸くしたものだ。魔法にも似た不思議を感じたものである。



病院



 ところがどうだ。今やレントゲンなんか当たり前。例えば人間ドックに行って胃の検査をするとする。苦しいというか、嫌な思いをして胃カメラを飲むよりバリュームを飲んでのレントゲンの方が・・・と、一瞬思うのだが、どうしてか内視鏡検査を。そんなことを思うのは私ばかりではないだろう。バリュウムによるレントゲン検査で疑問点が見つかった場合、もう一度、内視鏡検査をしなければならないことを知っているからだ。その内視鏡のカメラや管の大きさ、太さはかつての半分、いや、それ以下になった。



胃1




 「頭でも何でも輪切りして悪い所(疾患)を見つけてしまうんだってよ」



 CTスキャナーが開発された時、特に脳疾患を持つ人達や、その関係者は一様にびっくりしたものだ。恐らくMRIはその上のレベルを行くのだろう。私のムチウチ症をブログで知って見舞いの電話をしてくれた友は近く、肝臓のMRI検査をするのだという。一方、ブログの威力もすごい。ロータリークラブでご一緒させて頂いている仲間達にも心配をかけた。





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野球観戦のピンチヒッター

 海の向こうの米・大リーグ。松井秀樹の2ベースヒットは鮮やかだった。数日前のこの一発がニューヨークヤンキースのア・リーグ地区優勝の決め手になった。大リーグもいよいよシーズンが大詰めに。一方、日本のプロ野球ペナントレースも同じ。フアンの関心はクライマックスシリーズや日本シリーズなど次の舞台へと移っていく。


東京ドーム



 私はアンチ巨人。裏を返せば紙一重の巨人ファンかも。そんな事を知ってか知らずか、親しい知人が毎年、この時期、東京ドームでの野球観戦チケットを2枚届けてくれる。もちろん、巨人を軸にしたカードであることは言うまでもない。今では女房も私と一緒に東京ドームに行くのを楽しみにしている。特別な贔屓があるわけでもなく、普段、野球に関心があるわけでもない女房だが、この時だけは別。嬉々とするのだ。




 ところが今年は、私がムチウチ症でヒーヒー言っているのだから、悔しいがどうにもならない。仕方なく娘を女房と一緒に≪ピンチヒッター≫に出した。悔しいとか、ピンチヒッターと言ったらわが娘といえども怒るかもしれないが、それが本音なのだ。チケットを手にして母親と一緒に野球観戦が出来て喜ぶ娘の顔がせめてもの救いだった。



長島ゲート



 巨人戦のチケットをくれる知人は、かつての巨人軍監督・堀内恒夫氏の無二の親友。甲府商業時代の同級生で、今はITソフト会社の社長として、また山梨のIT業界団体の会長として活躍している。チケットはいつも一塁側のA席。その中でも一番観戦し易い所を用意してくれるのだ。堀内氏の友への配慮だろう。



堀内恒夫



 数年前のことだが、私には観戦中に起きた忘れられない出来事がある。仁岡のファールボールを掴みそこなったことだ。私たち夫婦の席の真正面にボールが飛んできたのである。私にとっては千載一遇のチャンス。何がなんでもナイスキャッチしようと思った。しかし素手だ。結果はエラー。ファールボールはものすごい回転をしていることを自らの手のひらで実感した。結局、そのボールを拾い上げたのは前列左側の青年だった。



東京ドーム内



 山梨と東京。首都圏の一角とも言える立地条件からか、山梨県人には巨人ファンが多い。子どもたちは正直だ。被る帽子を見ればすぐ分かる。だから多くが球場としての東京ドームに対する思い入れも強いのである。野外の後楽園球場もそうだった。私の場合、そこに行くとワクワクし、快い興奮さえ覚える。やっぱり、野球を観戦するなら東京ドームだ。



東京ドーム2



 学生時代何度も足を運んだ神宮球場とはまた違った趣がある。神宮の森にこだます若者達の歓声。それはそれで面白くもあり、それなりの興奮や感激も味わった。ただ違うのはチームに対するファンではなく、母校の勝利ただ一点。プロ野球が見せる試合の面白さなんかを楽しむ感覚などなかったような気がする。とにかく母校が勝って飲み、負けて飲んだ。そんな時代も懐かしい。あの長島(茂雄)が立教で大活躍をしていたちょっと後の時代だった。



神宮球場



 とにかくプロ野球セ・パ両リーグはクライマックスシリーズの残り席獲得へ大詰めのしのぎを削っている。私のブログにおいでいただく日本ハムファンの「やっち」さんも同じような気持ちで応援していたのだろう。スポーツの秋は日に日に深まっていく。





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ムチウチ症の辛さ

ムチウチ


 いやあ~、これほど辛く、切ないものだとは思わなかった。寝ていればいいのだが、起きていると、じっとしていても首が痛み、そのうちに肩から背中、さらには腕まで激痛にさらされるのだ。首を切り落としたくなるほど切ないのである。ムチウチ症。なかなか治癒しない怪我であることは知っていたが、カラーバンドを首に巻いていればやがて・・・くらいに考えていた。でも、どうしてどうして。




 事故からもう20日近く経つ。1週間に一度、病院に行っては首の根っこや肩に注射をしてもらい、痛み止めの薬をもらって家で寝ている。はかばかしくない。もちろん、最初に頚椎のレントゲンや頭のCTも撮った。医者は薬を替えたり、注射を替えるなど工夫をしてくれている。改めて頭のMRI検査をする。




 ムチウチ症というと大抵の方は追突事故を連想するに違いない。後ろの車のちょっとした不注意からドカ~ンとやられるあいつだ。後ろには目がないから、全く無防備に近い前の車のドライバーや同乗者はたまったものではない。追突のショックで首をガク~ンとやってしまうのである。後ろの車を恨むしかない。



1



 私の場合、誰をも恨むことが出来ない自損の事故だ。自損といっても車による事故ではない。畑仕事から昼食に我が家へ戻ろうとした時、ちょっとばかり近道をしようと掘割を跨ごうとした瞬間だった。その掘割には物置の屋根の樋が突き出していた。それを計算に入れていないから、頭はその樋に、足はその下奥の石垣に。後ろに跳ね返されてひっくり返るのは当たり前だ。



3



 ひっくり返ったそこには掘割の石垣の角が待っていた。アッと思った瞬間だった。前に跳ぼうとする勢いの反作用に加えて85㌔を超す体重も加わって後ろに弾き飛ばされたのだから石垣に打ち付けた首への衝撃はひどかった。一瞬、俺はダメか、とさえ思った。当然のことながら後頭部の下部、つまり首との境あたりから血が噴出した。助けを呼ぼうとしたが女房は留守。拍子が悪い時というものはそんなもの。夢中で掘割を這い上がり、30mほど先の我が家に戻ってベッドに這い上がり横になった。噴出す血は巻きつけたバスタオルで止めた。



2


 「どうして救急車を呼ばないの。せめて私に連絡しないとダメじゃない。もし何かあったらどうするの」





 これも当然。女房は私を叱った。私は畑に出るときもケイタイをポケットに持つようにしている。地域の連絡事、仲間からの飲み会や麻雀の誘いなどがあるからだ。私のケイタイはラクラクホンというヤツで、ワンタッチで女房のケイタイに繋がる。しかし、ちょっと落ち着いたら素人ながらだが、打ちつけた所が後頭部といっても首との付け根、血が噴出したから内出血はないと考えた。ただムチウチだけは覚悟した。症状が出てきたのは数日後。今の苦しい思いの始まりだった。元をただせば頭と体のアンバランス。歳のせいであることに間違いない。若い時には簡単に飛べたり、飛び降りることが出来たものだが・・・。




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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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