やたらにクソ暑いから畑に出るのをサボり、会議など外に用事でもない限り、日中は家の中にいることにしている。8月が終わり、9月の声を聞いたというのに山梨県地方は相変わらずの猛暑日が。特に四方を山に囲まれ、すり鉢の底のような地形の甲府盆地は、ただの暑さではない。湿度をはらんで蒸し暑いのだ。エアコンでもなければ、やりきれない。


夏


 エアコンを点ける前、居間の温度計を見たら30度を超していた。この夏、ひどい時には35度を超したこともあった。くどいが、家の中である。温度計などと洒落たものではなく、デジタル時計の下に湿度と共に表示されるのだ。どなたかの結婚式の記念品としていただいたものだが、そこに表示される湿度は毎日のように60%を超す。この辺りと標高が200m近くも低い甲府の人たちには同情したくなる。夏場なんか暑苦るしくて眠れまい。




 そうは言っても9月は9月。昆虫や植物の花は素直に反応する。蝉はその種類ごとに時期に合わせてリレーし、日本アサガオとは時期を遅らせて咲く西洋アサガオが大きな花をつけ始めた。毎年の事ながら珍しいと思うのだが、この朝顔、日本アサガオのように夏の真っ盛りに咲くのではなく、その開花時期をずらし、晩秋まで咲き続ける。霜が降りる11月頃まで咲いているのだから晩秋どころか初冬といった方がいいかもしれない。


アサガオ


 蝉は、この辺りでは梅雨が明けるのを待ちわびるように、まずジージーゼミが「我が世の春」とばかり鳴き始め、アブラゼミミンミンゼミへとリレーするのだ。この頃になると外気の暑さと相まって、その蝉の声が無性に暑苦しく感ずるのである。それがしばらく続くと今度はヒグラシが。晩夏というか、初秋のこの時季、特に朝夕に「カナカナ」と鳴くこのヒグラシは別名カナカナゼミとも呼ばれる。




 「静けさや 岩に沁みる入る 蝉の声」




 俳句の世界では、蝉は夏の季語。しかしヒグラシは秋の季語である。日暮、蜩、秋蜩、茅蜩とも書く。いくら周りが暑かろうが、このヒグラシが鳴き始めるとなんとはなしに秋の到来を感ずるのだ。しかし実際には、ヒグラシの成虫は梅雨の最中の6月下旬から発生、活動を始める。他の蝉より早く鳴き始めるという。その上、9月中旬まで夕方の日暮れ時に鳴くものだから「日を暮れさせるもの」としてヒグラシの和名がついたのだそうだ。




 いくら暑い、暑いと言っても季節というものは正直。朝夕の空気はひと頃とは明らかに違うようになった。暑いことには変わりはないのだが、どこかしら秋が近づいていることを感じさせるのだ。それに一役買っているのがヒグラシかもしれない。周りの葡萄園では巨峰ピオーネが真っ黒に色付き、収穫期を迎えた。デラウエアー種などからのリレーだ。


ブドウ


 今しばらくはミンミンゼミとヒグラシの競演。この二つが鳴き止むと、今度はスズムシやコウロギの出番。本格的な秋の到来を意味する。考えてみれば人間など、我がままでもあり、たわいもないものだ。「暑い、暑い」と言って、やれエアコンだの熱中症だのと言って大騒ぎをし、それが収まるとケロリと忘れ、やがて「寒い、寒い」と言って騒ぐのだ。虫はその時をひたすらに鳴き続け、誰にも気付かれないように静かに姿を消していく。




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パソコンとワープロ

パソコン


 サラリーマン時代の先輩でもあり、上司でもある方にお会いした。久しぶりだった。職場を共にした仲間のご家族の葬儀の折のこと。焼香を済ませ、斎場の駐車場でバッタリ顔を合わせたのである。8月ももう終わりというのにやけに暑い。どちらからともなく黒の上着を脱いだ。貧乏人の私なんか間冬兼用、夏物の式服(略式)ではないので、人一倍、クソ暑いのだ。でも話は弾んだ。




 「パソコン、やっているんだって? 俺、昔のワープロを捨てて、安物のパソコンを買ったんだよ。よたよたとやっているんだが、パソコンというヤツはいいねえ。でも、お陰で、だんだん、を書かなくなっちまった」

パソコン2



 この人は昭和4年生まれ。私とは一回りちょっと違うから、もう80歳を過ぎている。趣味は山登りで、若い頃は仕事の合間を見つけては山に登っていた。今は退いたが山梨県山岳連盟の会長も長く務めた。数はそれ程多くはないが、会社内にもこの人の影響を受けて今でも山に登っている人もいる。そんな人だから山に対する造詣は深く、今でも山岳雑誌にエッセイなどを書いている。定かではないが、「岳人」とか「山渓」だろう。詳しいことは言わなかったが、「自分史」なのか、なにやら執筆しているらしい。




 「パソコンというヤツは、加筆、修正、つまり手直しが出来るから、便利な半面、原稿作りの完了に踏ん切りがつけ難い。いつまでも原稿の手直しをしてしまうんだよ・・・」




 お互い、若い頃から推敲に推敲を重ねるような悠長な事をしている暇はなかったので、対照的にそれが気になるのだろう。山男といえば、一見「モサ(猛者)」を連想するのだが、この人は、むしろ何事にも如才なく、しかも器用に物事をこなす方。そう言えばワープロなど使っている人が、ほとんどいなかった時代、どこから見つけて来るのか机の上に自分用のワープロを置いていた。パソコンが登場する前のかなり昔のことだ。言わずもがな、キーボードを叩く姿はお世辞にも上手とは言えなかった。


キーボード


 私の場合、パソコンは60の手習いどころか、65歳になってようやく覚えた。それまでは「こんなものやるもんか」と、半ばふてくされていたばかりか、正直「出来っこない」と決め込んでもいた。ところが人間とは不思議なもの。ある程度覚えると、それが面白くなるのだ。ブログをも開設した。ちょうど2年が経つ。最初は誰も読んでくれなかった自分のブログをだんだん多くの人達に読んでいただけるようになると、これまた不思議なもので、興味どころか、後ろで後押しされているような錯覚をも覚えるのである。




 パソコンとは便利なものだ。でも先輩氏が言うように確かに字を書かなくなる。勢い字を忘れる。一回りも違う先輩氏の前で言ったら笑われるが、加齢と共にそれが加速するのだ。漢字を覚えていなくても変換機能があるから、書けなくたって目で覚えてさえいれば済む。「へえ~」。逆に字を教えられることだってある。パソコン、そこから接続されるインターネット。ITの世界はますます高度化し、グローバル化してゆく。ペンダコなんか勲章ではない。そんな人間は今や無用の長物。パソコンが自由に操れない人間はこれからと言わず「人」ではなくなる時代になった。




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芝生の緑

庭


 山梨市を車で走っていたら中年のご夫婦が庭先の芝生の草取りをしていた。8月ももう終わろうというのに残暑は止まない。山梨も連日30度を超す猛暑だ。麦藁帽子を被り、芝生に座り込むようにしながら黙々と草をとっている。取っているというより、抜いているといった方が正しい。額から汗がこぼれるのだろう。時折、首に掛けた手拭で汗を拭う。信号で一時停車しながら、見るともなくそんな光景を見ていた。




 真新しいご自宅の前にある芝生は結構広い。何という種類の芝だろうか。真新しく青々としている。最近、山梨市の田舎でもモダンな造りの住宅が増えた。一緒に造られる庭も、このお宅のように芝生を基調に造られているものもあれば、なんとなく西洋風なイメージのものもある。枯山水や、どっしりとした植え込みを持つ庭は少なくなった。私が住む田舎のこの辺りと違って、町場に近くなればなるほど、そんな贅沢なスペースはないのだ。



 第一、今風のモダンな住宅には枯山水の庭や重厚な植え込みは似合わない。日本型の庭だから五葉など松が基調。当然のことながら維持管理に手間暇もかかれば、お金もかかる。今の人たちは、そんな不合理をあえて求めようとはしない。純日本型の田舎家に住む私だって親父や祖父、曽祖父、いやもっと前から引き継がれてきたものだから仕方なしに管理しているのだが、こんな面倒くさい庭など捨ててしまいたいくらいだ。若い時だったら、それに踏み切ったに違いない。




 サラリーマンの足を洗って甲府から山梨市の実家に戻って5年。この間に、たまたまだが松3本を枯れた。松くい虫によるものだ。自分で言うのはちょっとヘンだが、見事な赤松と黒松だった。「もったいないことをしましたね」。近所の人たちはしきりに同情してくれるのだが、当の私はなんとも思わない。むしろ「しめしめ」とさえ思っているのである。見事であればあるほど「こんな面倒なものを・・・」と思っても、切ってしまうのは忍びないし、若い頃ならいざ知らず、この歳になったら、そんなことは出来ない。第一、亡くなって久しい親父や祖父たちのバチが当たる。

庭3


 でも、松くい虫が枯らしてしまったのだから仕方がない。そんな言い訳を心の隅で考えながらも、一方では「この松くい虫め・・・」と恨み節のひとつも言いたくなる。人間とは勝手な動物だ。近所の人に手伝ってもらってチエンソーで切り倒したのだが、そのオジサン、女房にお酒を持ってこさせて≪清めの儀式≫をした後、枝にロープをかけて慎重に切り倒した。「この松は何代もの人たちと共に生きて来たんだよねえ。粗末にしたらいけません」とも。




 芝生の庭はシンプルでいい。しかし、これほど手のかかるものはない。草取りを丹念にしてやらなければ、やがて芝生としての体をなさなくなる。コンクリート社会の都会ではいい。そこらここらに草の種がある田舎では、その種を風が運び、鳥が運ぶ。あっという間に草だらけになってしまうのだ。なまけ者には芝生は禁物だ。今年も残暑の合間を縫って植木屋さんの真似事を始めた。これも年金生活者の≪稼ぎ≫のひとつなのだ。脚立から落ちないようにだけは注意している。




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富士登山と中国人

吉田の火祭り


 毎年の事ながら「吉田の火祭り」富士山のお山じまいを意味し、夏山シーズンの終わりをも意味する。今年も8月26日、山梨県富士吉田市で賑やかに「吉田の火祭り」が繰り広げられた。富士に向かって真っ直ぐに伸びる富士吉田市の目抜き通りには松明が延々と並び、夕暮れと共に一斉に点火されるのだ。松明はいずれも根元の太い所で直径2m、高さは5m近くもある。それに火が点されるのだから厳かでもあり、ダイナミックでもある。


吉田の火祭り2  


 一帯は歩行者天国に早変わり。沿道にはたこ焼きやおでん、綿菓子などの露店が延々と並ぶ。夜の縁日という言葉がぴったり。浴衣姿の娘さんやお父さんお母さんもいる。近郷近在から集まった観光客も含めて、善男善女がゆく夏を惜しむのである。松明のかがり火に照らし出される顔。顔。顔。この松明が燃え尽き、一夜明けると翌日は装いを替えて「ススキ祭り」。文字通り富士山麓に秋の訪れを宣言するのである。


吉田の火祭り4
富士吉田市HPより


 この夏の富士登山者は、山梨県側だけに限ってみても20万人を大幅に上回り、史上最高を記録する勢いだという。この記録は年々、更新している。7月1日のお山開きから2ヶ月足らず。一日平均3,500人前後が登山したことになる。富士山への登山口は静岡県側の御殿場口もある。だから全体では、その倍近くになる勘定だ。登山者は言うまでもなく週末に集中する。一日で何万人もの人が山頂を目指す日も珍しくない。まさに≪富士山銀座≫の出現である。


富士登山


 「この夏、人権啓発活動の一環で富士山に登ったのですが、そこで行きかう人に『ご苦労様ですね。事故のないように気をつけてください』と声を掛けたら『I DON`T NO』と返事が返ってきてびっくり。登山者の中に中国人が多いことに驚きました」


人権擁護委員
人権擁護委員


 こんな話をしてくれたのは山梨県人権擁護委員連合会の会長。同連合会の有志は8月1日、富士山の山頂と五合目で人権擁護を呼びかけるチラシやキーホルダーなどのグッズを配って全国から集まる登山者を対象に人権の大切さをアピールした。その会長によれば、声を掛ければ中国語で返って来たり、中国語が分からないと思ってか「I DON`T NO」。人権マスコット・キャラクターの「まもるくん」「あゆみちゃん」グッツを配布すると中国人登山者がわっと押し寄せるのだという。



人権イメージキャラクター
人権イメージキャラクター☆ 人KENあゆみちゃん と 人KENまもる君 ☆



 富士山は日本の富士山にとどまらない。政府の中国人観光客誘致政策も功を奏して日本への中国人観光客はうなぎのぼり。秋葉原や浅草、東京タワーなど東京の観光名所はもちろん、奈良、京都など全国の観光地に中国人が溢れている。一見しただけだと分からないが、言葉を聴いてその多さに気づく方もおいでだろう。夏場の富士山は観光登山のメーンコースなのだ。富士登山者に占める中国人観光客の統計をとることが出来るとすれば、予想外の数になるはずだ。「吉田の火祭り」は日本三奇祭の一つ。今年のお山じまいは、残暑どころか猛暑の中でのフィナーレ。しかし季節の移り変わりは正直。お山が閉まり、「吉田の火祭り」が済むと日本列島には一歩、一歩、確実に秋がやって来る。

吉田の火祭り3
吉田の火祭り・お山さん(御影)


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百日紅(さるすべり)の花

百日紅の花


 緑の中でひと際異彩を放つ紅。この時期、路傍や露地で色彩豊かに咲く花は珍しくないが、大きく茂り、空中を紅く彩る花は、恐らく百日紅(さるすべり)をおいてほかにないだろう。我が家の百日紅も今が満開。紅葉にはもちろん早く、緑が厚苦しい植え込みの中で、ひと際異彩を放っている。その幹であるかどうかは定かではないが、ミンミンゼミが「鳴かねば損だ」とばかり力を振り絞って鳴いている。




 8月23日は処暑。二十四節気にはめっぽう詳しい「matsuyama」さんに聞く方がいいが、今年の残暑はここに来ても収まりそうにない。「matsuyama」さんはとは、私の拙いブログをお読み頂いているブログ友達。インターネット上のお知り合いだから、どこにお住まいなのかも知らない。しかしインターネットとは不思議で、旧知の友のような感覚で、折に触れブログを訪ね、二十四節気をめぐる歳時記を楽しみに拝見させて頂いている。


百日紅2



 我が家の百日紅は、私にとって思い出深い樹木の一つ。幹の太さは直径40cm近くもあって、背丈も10m近い。子供の頃とその太さは変わらない。恐らく、100年どころか200年、あるいはそれ以上の年輪を刻んでいるのだろう。わんぱく盛りの頃、地域のガキ大将たちと一緒になって、この木で遊んだ。木登りだ。百日紅(さるすべり)は、その名の通り「サルが滑る」ほど幹の肌がつるつるしているので、木登りはし易くもあり、し難くもある。そこから落ちてタンコブを作った、わんぱく小僧もいた。そんな幼い頃をオーバーラップさせながら窓越しに見る百日紅の花は、また違った味わいがある。


百日紅
百日紅の木(右手)


 そんなわんぱく小僧も、いつの間にか60歳台も半ばを過ぎた。ガキ大将は70歳を超している。先頃は休日を利用して地区の役員にお集まり頂いて、地域を流れる小河川を見て回り、特に大河川にある取り入れ口の現地確認をした。木陰で一服(休憩)しながらオジサンたちの口を突いて出るのは、わんぱく時代の思い出。



 「夏休みのこの時期、毎日、真っ黒になって水浴びしたよなあ。でも今は人っ子一人いない。子供たちはどこに行っちまったのかねえ・・・。上流にダムが出来、水量も減っちまった」


川


 「ウナギ獲りの下げ針もしたよなあ。こんなに水が減っちまったらウナギの遡上も少ないんじゃあないのかねえ。第一、今の子供たちはそんな遊びはしねえもんなあ・・・」



 「お宅の百日紅、今年も真っ紅に咲いていますね。よくみんなで木登りして遊んだっけえなあ・・・」


船


 わんぱく時代を懐かしんでいるのは、どうやら私だけではないらしい。百日紅は、そんなわんぱく小僧達の夏を彩る花でもあった。子供たちの夏休みが始まる7月下旬から花をつけ、残暑が消える9月上旬まで咲いている。百日とはいかないまでも花の息は長い。これほど長く咲く花は滅多にない。裏を返せば、この花が散り始めると季節は名実共に秋。そういえば百日紅などの植え込みで鳴いていた蝉もジイジイと鳴くアブラゼミからミンミンゼミへ。残暑の中でゆく夏を惜しむように鳴いている。どこかわびしさを滲ませているのだ。




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国際交流の妙

キャンプ  

 目の色が違っても、肌の色は違っても、話す言葉が違っても人間同士、必ず仲良くなる。その一番の近道は寝起きを共にし、三度のメシを共にすることだ。毎年夏、国際子供キャンプを続けていて毎度のようにそれを実感する。




 山梨市ユネスコ協会ユネスコみどりの会は共催で、子供たちの国際キャンプを開いている。その舞台は山梨県の甲府盆地の一角にある万力林であったり、富士五湖の一つ本栖湖や八ヶ岳山麓の八ヶ岳少年自然の家であったりした。万力林は武田信玄が築いたといわれる、いわゆる「信玄堤」としてこの付近では有名。




 しかし山梨市が公園として整備してしまったこともあってキャンプ地としてはふさわしくなくなり、ここ数年は山梨・埼玉両県境に位置する奥秩父山系の一角・乙女高原が舞台。甲府盆地を縦断するように流れる富士川水系の支流・笛吹川の上流だ。富士川は最上川や玖摩川(熊本)と並ぶ日本三大急流のひとつ。甲府盆地に降った雨は全てこの富士川に流れ込み、静岡県の駿河湾に注ぐのである。因みに富士山麓の水は桂川に集まり相模湾に。




 今年のキャンプ地は、いつもの乙女高原と目と先にある山梨市牧丘町の牧丘第三小学校柳平分校に替えた。乙女高原の山梨市市営ロッジが採算難から閉鎖になったためだ。環境や経済の変化がこんな所にもシワ寄せしているのだが、それでも44年間、一回も休むことなく続けている。一口に44年と言ってしまえばそれまで。しかし、その歳月は長い。主役として参加した子供たちが立派に親になり、自らの子供たちをキャンプに参加させている。


キャンプ食事


 国際子供キャンプ。その名の通りキャンプの主役は日本の子供たちと外国の子供たち。小学校中学年から中学1~2年生が対象だ。外国の子供たちは、かつては山梨県に近い東京・横田基地に勤務する人たちの子弟であったりしたが、ここ20数年来、県内企業で働く外国人子弟に変わった。「出稼ぎ」と言ったら適切な言葉ではないかもしれないが、お父さん、お母さんは日本に仕事を求めてやってきた方々で、ブラジルやペルーなど南米、イランなどの中近東、スリランカや韓国、中国の子供たちもいる。


キャンプファイヤー



 ところが、ここにも異変が。山梨県内でもそんな子供たちがどんどん減っているのだ。主には工業団地に入居する日本の企業が景気の低迷にあえぎ、外国人労働者を放出しているためである。そんな中で、今年は思わぬ参加者が。アメリカ、カナダ、フランス、ノルウエー、フインランド、ポーランドなど欧米の人たちが主流を占めた。中国もいた。


キャンプミーティング


 欧米組みはみんな20歳前後の学生さん。国際的なボランティア組織SCI(SERVICE CIVIL INTERNATIONAL)のメンバー達だ。分かり易く言えば、日本の各地でワークキャンプをしながら、その国の生活や文化を知ろうとしている人たち。安上がりの旅を狙っているチャッカリ組みもいるのかもしれない。SCIは世界40数カ国に支部を持つ伝統あるNGOである。たまたまかもしれないが、ほとんどが女性。二人、三人、複数で旅行する日本人学生とちょっと違う。しかも、二日間のキャンプで日本の子供たちとも見事に調和した。キャンプを終えて子供も大人も抱き合い別れを惜しんだ。




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子供たちと情報

 時たま、このブログにお出で頂き、ちょっと辛口のコメントを戴く「柳居子」さんからこんなコメントを頂いた。私の数日前のブログ「ボランティア先生」の中で触れた子供たちのちょっとした一面についてである。


 「『今の子供たちの理解力は優れている』と見るのは単に情報量が我々の世代が子供の頃との比較で 絶対量が多いだけだと私は思います。 知っていても、応用したり 関連付けたりする能力は、昔も今も左程差が有るようには思えないのです」


1


 「柳居子」さんはどうやら京都にお住まいのようで、私と同世代らしい。確かにそうだ。今の子供たちは、私たちのその頃とは比べものにならないほど沢山の情報に接しているし、情報を持っている。見るか見ないか、聞くか聞かないかは別として新聞やテレビ、ラジオ、雑誌はともかく、私たちの時代にはなかったケイタイやインターネットだってある。雑誌だって年代や趣味で輪切りにしてくれているから見易いし、第一、飛びつき易いだろう。


携帯電話  


 情報を得るツールも違えば、ルートの幅広さも桁違いに違う。得たい情報の大部分は本屋さんに行かずともパソコンに向かい、インターネットを開けば手に入る。学校に行けば行ったで、休み時間や昼休みにその情報は行き交い、意識する、しないに関係なく交換されるのだ。子供たちは情報の洪水の中にあるといっていい。




 しかし、応用能力はというと「柳居子」さんが言うように確かに疑問。情報量が格段に増大したのに応用能力は今も昔も変わらない。むしろ情報が懇切丁寧に発信されてくるから応用したり、工夫したりしなくて済むのかもしれない。時代の進展が情報の質や内容を変えていくし、それを応用したり、加工する能力すら変化させている。あれほど器用にケイタイのメールキーを打って見せるのにナイフや包丁は使えない。


飯ごうすいさん


 先頃、私たちユネスコの民間グループが毎年恒例に開いている国際子供キャンプに主催者の立場で参加した。舞台は山梨、埼玉両県境の奥秩父山塊にある乙女高原。昼間はクラフトで木工をするのだが、ナイフや鋸の活用はまるでダメ。夕方はキャンプの定番・カレーライスを作るのだが、包丁を使えない子供がいっぱい。ジャガイモやタマネギを切るのに悪戦苦闘するのである。切ることが出来たとしても大きさや幅の程度を知らない。飯盒炊さんとなるとまだひどい。火の燃やし方を知らないのだ。



テントはり


 無理もない。子供たちの日常にそんな習慣や必要性はまったくと言っていいほどなくなっているからだ。ご飯を炊くのは電気炊飯器、食事の支度は全てお母さん任せ。オジサンたちの時代は、そんなものはないので三度のメシはかまどでの煮炊き。毎日の風呂も薪や火吹き竹を使った。こちらは母親の仕事ではなく子供たちの役割だった。家事も子供たち、特に女の子は母親に手伝った。


キャンプ


 人間は火や道具を使う能力を備えたことによって進化し、他の動物を凌駕して来た。しかし情報が豊かになるのと反比例するように、その原点が退化していくような気がする。特に「手先が器用」といわれて来た日本人はどこへ行くのだろうか。ものづくり日本は?




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貧乏農家の絆

 中学時代や高校、大学の頃、明日は試験というのに何の準備もしていなかった時「困った」と素直に思う一方で「え~い、今更・・。どうにでもなれ」と、開き直った経験は少なからず、どなたにもおありだろう。怠け者のご粗末を、どなたでもと言ったら叱られる。


畑


 百姓の実家を離れ、東京で気ままに過ごした学生時代はともかく、だだっ広い農地を抱え、四苦八苦していた親父たちを見ていた中学、高校の頃、子供たちの畑仕事への手伝いは当たり前に思った。戦後の農地解放で田畑の面積は大幅に減ったとはいえ、それでも2丁歩以上の土地が残った。親父たちは苦労した。機械力もない時代である。自らの農地を手にした人たちは、その耕作に専念しなければならないので、他人(ひと)の手伝いをしたくても、それを許してくれないのだ。勢い、それぞれが頑張るしかなかったのである。そんな親達が心配にもなった。学生の頃も休みで実家に戻れば文句なく畑仕事を手伝った。親孝行などとたいそうなものではなく、当たり前だった。





 親父の背中を見て4人の子供たちは、不平を言わなかった。言わなかったというより、子供心にも言えなかった。朝は学校に行く前、野良仕事を手伝い、帰ってくれば当たり前に田圃や畑に。お蚕さんと呼んだ養蚕の時期には桑やりを蚕のお腹に合わせなければならないので、夜中も朝っぱらも関係なかった。蚕を「お蚕さん」といい、桑を与えることを「あげる」と言ったことからも、蚕がいかに大切だったかがお分りだろう。眠たい目をこすりながら手伝うのだ。最も忙しい農繁期ともなれば朝飯を食べるのは、いつも野良。時間稼ぎである。子供たちは学校の始業時間に合わせて飛び返り、学校へ。


蚕      繭


 こんなことを並べ立てると、まるで子供をこき使う収容所のように聞こえるかもしれないが、そこは自由奔放な田舎の子供。地域の子供たちと群れになって遊んだし、わんぱくもした。それに加えての百姓の手伝いである。当時も学校の先生がよく言った予習も復習も疲れて出来るはずがない。朝も同じで、学校では居眠りか、目を開けているのが精いっぱい。元々が勉強嫌い。どう考えたって、そんな子供の成績がいいはずがない。


畑2  


 教育ママ、教育パパが氾濫している今では、およそ考えられないし、ひんしゅくを買い、場合によっては「なんとひどいことを・・・」と叱られるかもしれない。でも、当の子供たちはなんとも思わなかった。一方の親父やおふくろたちはどう考えていたかは知る由もないが、恐らく忸怩たる思いをしていただろうことは、自分がその立場になってみると分かる気がする。心の内は生活の現実と子どもたちの教育の狭間に立たされていたはずだ。




 時はそんな経緯を知らないように経って行く。不思議なことに子供たちは、みんなそこそこに育ち、今を生きている。翻って今の子供たちが羨ましくも見え、かわいそうにも思えるのだ。学校から帰れば塾通い。家に戻ったら戻ったで勉強、勉強だ。夏休みや冬休みも塾通いだから休みがないのも同じだ。社会人への入り口・就職試験で父親の職業について聞かれ、農業であることは知っていても、その畑や果樹園がどこにあるかさえ知らない人がいっぱい。家庭の連帯や家族を思う心は確実に希薄になっている。今、新聞やテレビを賑わわせている高齢な親のほったらかしや所在不明騒ぎ。何も小難しいことを言うつもりはないが、勉強、勉強優先の家庭教育は、そんな社会をさらに助長していくのだろうか。




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ボランティア先生

勉強会


  子供の頃、ろくに勉強しなかった人間が今、週に一度のペースとはいえ、学校で子どもたちと一緒に勉強している。私が住む山梨市の教育委員会にはボランティアによる「学校支援制度」というのがあって、外野にいるそれぞれの分野の人達が忙しい先生達をバックアップしたり、フォローするのだ。とりあえずは2年任期。教育委員会が各分野の適任者に白羽の矢を当て、教育長が委嘱するのである。正確には「学校支援コーディネーター」と呼んでいる。いわば民間のボランティア先生だ。


勉強会3



 この制度は文部科学省が全国幾つかの市町村を選んで設けた教育畑での民活モデル事業である。教育に関わる資材、教材などの経費は予算化されているが、そのための人件費はなく、原則的にはまったくのボランティア。定期的に市内小中学校の代表教諭も交えて打ち合わせのための会議を開くが、ボランティア先生はスポーツの分野もあれば、英語や理科、社会、図書館司書など多岐に渡る。私が委嘱され、担当するのは「学芸」といわれる分野で、文章の書き方や学校新聞作りがテーマ。文科省は教育現場に民間の風を導入しようとしているのだ。


勉強会4


 メンバーは学校の校長先生などのOB、いわゆる教育経験者がほとんど。私のような生粋の民間人は数少ない。未知の制度でスタートからそれ程時間が経っていないので、正直言って学校側にも、それを支えるボランティア側、さらに教育委員会にだって戸惑いは隠せない。



 「自分たちが住む地域をもっと知ろう。知ったらそれをみんなに知らせよう」



 そんなテーマで先頃、山梨市にある日下部小と山梨北中の児童、生徒25人を集め、学習会を開いた。子供たちの身の回りに近い史跡や文化財を実際に見て回り、そこで学んだことを、自由な切り口で記事にまとめ、夏休み明けに、それぞれの学校で発表してみようというものだ。社会科というか郷土史の勉強と、それを記事にまとめる文章力養成の二段構えの講座である。主には前段を郷土史に詳しい学芸コーディネーターが担当、後段を私が受け持つことになっている。3人のコーディネーターはもちろん事前に打ち合わせをする。


勉強会2


 これより先、やはり山梨市立の岩手小学校では、文章の書き方教室をスタートさせた。放課後の1時間半ぐらいを使って週1回のペースで勉強するのだ。こちらは一歩進んでいてそれぞれの児童が書いた記事を添削、パソコンで打っている。記事は児童会のことや自らが参加する少年野球やミニバス、中には地域の神社についてお父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんから取材してきた子もいる。支援講座はこの秋以降、別の小中学校にも広げる。むろん学校側の要望が前提だ。


勉強会5


 「俺たちが子供の頃、こんなに飲み込みが良かったかなあ・・・」。そんなことを自問するほど、今の子供たちの理解力は優れている。それより驚かされるのはパソコンを自在とは行かないまでも遜色なく操ることだ。見出し部分も活字を大きくしたり、簡単にゴジックや明朝にもする。子供たちのIT化は手をこまねいている大人をよそに急ピッチで進んでいる。幼い頃からゲーム機で育った子供たち。嬉嬉としながら遊び感覚でパソコンのキーボードを叩くのである。その教室には学習用のパソコンがずらりと並んでいた。




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蚊の空襲

ゼロ戦


  真っ暗闇に戦闘機が。ブ~ンという飛行音だけで姿は見えない。辺りが静かな真夜中のせいか音だけが際立つ。隣でいびきをかきながら寝ているかみさんが無意識ながら太い足をピシャリ、ピシャリと叩いている。空襲に気付いて、かみさんより一足早く目を覚ました。戦闘機はどうやら一機。皮膚がむき出しになっている足や腕はもちろん、顔をも無差別攻撃してくるのだ。




 だ。静まり返っているので、その音は、まさに戦闘機。「よ~し、叩き落してやる」。そう思って耳を澄ませば澄ますほど、自在に飛び回る蚊の音が本物の戦闘機のように聞こえるのだ。戦闘機といっても、実は本物の戦闘機の音は聞いたこともないし、ましてや空襲なんか体験したことはない。




 昭和17年11月生まれ。確かに戦中生まれなのだが、戦争を知らない子供たちの一人なのだ。昭和20年8月15日。日本が終戦を迎えた時は2歳と9ヵ月。山梨市の田舎に生まれ、空襲の体験もないので戦争の記憶はまったくない。同年齢の仲間たちの中で甲府に生まれ、ショッキングな空襲の憂き目に遭った人たちは、幼心にもその記憶を鮮明にしているという。今年もまた、その8月15日・終戦記念日がやって来た。


夏  


 私にとって空襲の場面はリアルに描かれる映画のそれでしかない。真夜中、しかも真っ暗闇の蚊の急襲は目に見えないので、イメージが膨らんで、ことさらリアルになるのだ。音といい、そのタイミングといい、空襲という言葉がぴったり。迎撃の兵器はないので、こちらは音だけを頼りに姿が見えない戦闘機を、ただの感だけで叩いているに過ぎない。




 「畜生、今度は叩き潰してやる」。戦術を変え、今度は捨て身の作戦に。血を吸わせて置いて・・・。狙いを定めて「ピシャリ」とやるのだが、敵もさる者。どうやら撃墜作戦はまたも失敗。戦闘機との格闘は続く。同じような肉付き、言葉を変えればメタボ人間なのに、戦闘機は私の方だけを集中攻撃してくるように思えるのだ。「俺の血より、いつも旨いものを食っている、かみさんの血の方がずっと旨いはずなのに・・・」。


ブタ蚊取り線香


 同じ条件でこちらばかりを狙うのは、やっぱりお酒か。蚊はアルコールが好き、と誰かに聞いたことがある。連日のこの猛暑。蚊だってビールの一杯や二杯飲みたいはずだ。そんな馬鹿なことを考えるヒマもなく、戦闘機は二次、三次の襲撃を仕掛けて来る。「お母さん、蚊取り線香どこにあるの?持って来いよ」。いびきをかき、白川夜船のかみさん、無意識ながらも戦闘機の空襲下にあることに気付いて、蚊取り線香を。戦闘機は引き上げ、空襲はピタリと止んだ。


蚊取り線香


 ハエも蚊も同じ。沢山よりも一匹の方が気になる。こんな山梨市の片田舎でも滅多にお目にかからないから、なおさらかもしれない。大勢の家族揃っての夕食のあと、うちわ片手にたわいもない団欒。みんな揃って蚊帳の中に入って寝た子供の頃が懐かしい。気付いてみたら蚊やハエの一匹で大騒ぎしている自分がおかしくなる。ただ年寄りがよく言った「おかんなりさん(雷)が鳴ったら蚊帳の中に入れ」の訳は今でも分からない。




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花火の町は和紙の町

神明の花火
神明の花火大会


 コンピュータ制御だろうか。次から次へと打ち上げられる花火。夏の夜空で繰り広げられる光と音の競演を観ながら、ふと、どっちでもいいことを考えたりもした。華やかに、リズミカルに上がるスターマイン。迫力満点、夜空に花開くニ尺玉。直径は500mにも及ぶ。花火は一発一発の色や形の工夫と、それを立体化する連続技が花火師さんのいわば職人技である。それぞれにテーマがあって、何発もの花火で演出、観客を魅了するのだ。


神明の花火大会


 日本の花火の歴史はそんなに古くない。戦国の時代、種子島に伝来した鉄砲の火薬が後に花火へと発展、江戸の世になって庶民を巻き込んで花開くのである。史実によれば、花火を最初に見たのは徳川家康だという。花火といっても極めて幼稚で、竹筒に火薬を詰め、火を吹かせるだけのもの。今でも静岡県三河地方に残る「平筒花火」はその名残だといわれている。富士五湖の一つ河口湖の湖上祭でも、これに似た手筒花火をやって見せる。


神明の花火3


 「音はすれども姿は見えず」。華やかな舞台を演出する花火師という名のアーティストは、いつの世も表舞台に姿を見せない。映画や舞台のディレクターよりもっと神秘的な存在なのだ。目の前といってもいいほど近くで花火を仕掛けるのだが、何人が、しかもどのように動いているのかすら分からないのだ。夜陰に紛れた、その動きはいかにも神業である。


花火


 どちらかといえば静岡県に近い山梨県の市川三郷町は知る人ぞ知る花火の町。平成の町村合併前は市川大門町と言った。もう20年ぐらい前になるのだろうか。今年の山梨県代表の日川は初戦で敗退したが、今、甲子園を沸かせている夏の高校野球で、この町の市川高校は準決勝にまで進出。「ミラクル市川」と話題をさらった。たかがといったら失礼だが片田舎の県立高校が、あれよあれよと上り詰めた快挙だから判官贔屓の高校野球ファンやマスコミは黙っていなかった。もちろん花火の町。町の人たちは、ここぞとばかり花火を打ち上げて市川ナインの快挙を祝福したものだ。



神明の花火2

 この町にはもうひとつの顔がある。手漉き和紙だ。これが本当の町の「顔」である。住宅事情の変化や生活そのものの多様化が足を引っ張って業界はジリ貧状態にあるが、わが国屈指の和紙の町であることには違いない。書道用紙の多くはこの町から出ている。町の一角には書のメッカ・中国は西安の「碑林」を模した「碑林公園」もある。西安まで足を運べない漢字ファンや書道家達はここを訪ねるのだ。


和紙      碑林公園
市川手漉和紙                     碑林公園


 市川三郷町は、その名の通り三つの町から成っている。この市川大門町と六郷町、三珠町が合併して出来た町。残る六郷町も三珠町も、ある意味でメジャーな一面を持つ町である。六郷町はわが国屈指のハンコの町。それだけではない。案外、知られていないのだが、ハンコは通信販売の元祖なのだ。越中富山の薬屋さんが訪問販売の元祖なら、こちらはわが国の通信販売を初めてやってのけた業界なのである。今で言う「ダイレクトメール」はそこから発展した。毎日、ポストに入っているあれだ。


ハンコの里
六郷印章業連合組合から


 一方こちらはちょっぴり地味だが、三珠町は歌舞伎の市川団十郎発祥の地。先頃、派手な結婚式を挙げた海老蔵の市川家だ。町には歌舞伎公園もあって、歌舞伎発祥の歴史を今に伝えている。大掛かりな牡丹の植栽でも有名だ。こちらは花火の「玉屋」、大川橋蔵の「玉屋」ならぬ「成田屋~」である。


歌舞伎公園    歌舞伎公園2
歌舞伎文化公園 ふるさと会館 と ぼたんの花 (市川三郷町HPより)



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花火の醍醐味

神明の花火大会
神明の花火大会


  夜空に次々と描かれる光の芸術。その広大なキャンパスにアクセントをつけるような「ド~ン」「ド~ン」という音。まさに光と音の競演だ。夏の夜空を彩る花火は、江戸の昔から庶民の間で親しまれた夏の風物詩でもある。浴衣姿の若いお嬢さんたち。甚平さん姿のオジサンもいる。老若男女が集まって大空を見上げるのだ。


花火を見上げる観客
観客席


 今年も山梨県の南部・市川三郷町の富士川水系の河川敷を舞台に開かれた「神明の花火大会」。22回目。主催者発表で20万人を超す見物客で賑わった。辺りが暗くなる7時半から9時まで2万発の花火を打ち上げる山梨県内では最大の花火大会である。山中湖や河口湖など富士五湖で繰り広げる湖上祭の花火を上回る規模になった。


神明の花火大会3


 河川敷には特設の桟敷席が設けられていて、目の前で打ち上げられる花火の競演に「わあ~」と歓声が。拍手だって沸く。「玉屋あ~」。どこで覚えてきたのか子供の可愛らしい掛け声も。お父さんか、おじいちゃんにでも教わったのだろう。「玉屋」は江戸を代表する花火師の屋号。花火好きの人ならお馴染みだ。


神明の花火2


 その「玉屋」は江戸時代、「鍵屋」と人気を二分した。転じて見事な花火に掛ける賞賛の掛け声になったという。人気二分の花火師「玉屋」と「鍵屋」の関係が面白い。モノの本によれば、「玉屋」は日本橋横山町の花火師・「鍵屋」六代目弥平衛の番頭・清六。「鍵屋」に暖簾分けしてもらって独立した身だ。両国吉川町で「玉屋市兵衛」を名乗り、やがて隅田川の上流を「玉屋」、下流を「鍵屋」と二大花火師が棲み分け、隅田川花火を競演して見せたのである。現在の隅田川花火大会の会場が上流と下流の二つに分かれているのもその名残だろうか。


市川花火2


 花火好きの江戸庶民は、この二つを競わせて応援、その掛け声が「たまや~」「かぎや~」になったのである。しかし、今では主従が逆転、子供さえ言う「玉屋ぁ~」の掛け声の方がポピュラーに。因みに清元の「玉屋」、それに振り付けした日本舞踊の「玉屋」はシャボン玉売りのことを描いたもの。「玉尽くし」「おどけ節」が入った楽しい曲だ。歌舞伎の名跡・大川橋蔵の屋号はご存知のように「玉屋」である。


市川花火


 この時期、市川三郷町に限らず、全国には、おらが自慢の花火大会が星の数ほどある。中でも東京・隅田川の花火は、その伝統や規模の大きさからも有名。毎年、テレビ中継もされるので、いわば国民的と言っていい。うちの娘なんか両国に住まいするお友達に会うのを楽しみに毎年のように飛んでゆく。20年ぐらい前になるのだろうか。娘は学生の時分、雑踏で転んで足を骨折、痛い思いをしたばかりでなく、私たちまで心配させたのに懲りた様子もない。


神明の花火大会2


 花火はどんな人間をも純粋にさせる。大空で繰り広げる音と光の競演を誰もが無心に眺めるのだ。大人も子供も老人も、この時ばかりは頭の中を空っぽに。不思議なことに心配事も悩み事もみんな吹っ飛ばしてくれる。うちのかみさんばかりではない。みんな口をあんぐり開けて上を見詰め、無意識に歓声と拍手を送っている。片手にビール片手にうちわ。そんな自分だって同じだ。花火は光の芸術もさることながら、お酒と同じように五臓六腑に染み渡る「ド~ン」「ド~ン」という音の響きがいい。花火は近くで観るに限る。それが花火の醍醐味だ。


神明の花火


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イタチごっこ

葡萄畑       ブドウ
ブドウ畑


 都会と違って田舎、特に農村地帯だから、畑ばかりではなく、家屋敷も狭くはない。そこで、この時期、格闘が続くのが雑草との闘いだ。幸か不幸か、いや不幸にも我が家は屋敷分だけでも約一丁歩。このうち6反歩ぐらいは、ピオーネと巨峰の葡萄。私がサラリーマンで耕作出来ないものだから知り合いに委ねて作ってもらって来た。ぐ~たら人間。退職後もその延長線上にある。残るざっと4反歩は、住宅や植え込みの他は柿畑や主には野菜畑である。興味半分に何本かの林檎(ふじ)も植えた。




 他人(ひと)に委ねている所は、草が生えようが、葡萄がよく出来ようが、その反対だろうが正直言って他人(ひと)任せ。しかし、残り、つまり4反歩は自分で始末しなければならない。家や幾つかのお蔵が建っている部分には草は生えないが、野菜畑ばかりでなく植え込みまで、ちょっと気を許せば草だらけ、草ボウボウになる。「草などそんなに気にしないでも・・・」。そうおっしゃる方もお出でかもしれないが、放っておいたら草に埋まる。確実にお化け屋敷になる。屋敷ばかりではない。周りの道路や石垣も同じだ。




 植え込みの手入れも含めて「この始末だけは俺の仕事」と、心に決めている。野菜畑だから今の時期だとナス、キューリ、トマト、インゲン、ピーマン、枝豆を作る。オクラ、シシトウ、モロヘイヤだって。サツマイモもツルを伸ばしている。ジャガイモ、タマネギは既に収穫した。来月・9月になれば大根や白菜も蒔く。カボチャやサトイモ、トウノイモは今、成長中。ニラやニンニク、茗荷や蕗は手がかからない。春、冬野菜のほうれん草やコカブ、アカカブ、エンドウ、春菊など一年を通じてみると、20種類を超す。


タカのツメ           大根


 その一つ一つの量は小家族の我が家だけで食べきれるものではない。ほとんどはご近所にお配りしたり、来客に持たせて帰すのである。富有や御所などの柿も同じ。甲州百目は枯露柿に。職場をリタイアしてから植えた林檎(ふじ)もようやく実をつけた。これらも辿るコースは似たり、よったりだろう。


枯露柿     枯露柿2
枯露柿


 「そんなことだったら、何も苦労して作らなくても・・・」。これまた、そうおっしゃる方がお出でだろうが、実はここがミソ。何も作っていなければ、当然のことながら草ボウボウになる。何かを作れば、いくら怠け者といっても草取りもすれば、肥料もやり、それなりの手入れもする。正直言えば、ぐ~たらオヤジが自らを律する手立てなのだ。




 月に何度か中学時代や高校時代の中間達が無尽会を口実に集まっては酒を酌み交わす。年齢からサラリーマンは、ほとんど全てが職場をリタイアした。話題の多くが健康や趣味。中には手頃な土地を借りて家庭菜園を楽しむ仲間も。目を輝がやかせ、嬉嬉として話すのだ。種蒔きや植え付け、消毒の時期までよく知っている。百姓顔負けである。




 そんな仲間達の話を専業農家の人たちはニコニコしながら聞いている。私だってその一人だ。ただ専業農家と私では多分、温度差があるに違いない。中途半端な≪百姓もどき≫だからである。生産性のない草とのおっかけっこ、イタチごっこは明日(あした)も続く。




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ブヨ

真夏


 真夏日。熱帯夜。やっぱり暑い。家の中の温度計は31度。温度計といっても、どなたかの結婚式の引き出物に頂いたデジタル時計。大きく算用数字で刻まれる時間の下に温度と湿度が表示されるのだ。電波時計というヤツで、同じシステムの壁時計、テレビやラジオの時報と1分、1秒違わない。例え狂ったとしても、どこかで必ず合わせてくれるのである。電波でコントロールしているのだそうだが、その理屈がアナログ人間に分かるはずがない。そんな時計に付いているのだから温度計だって正確だろう。




 山梨は県丸ごと内陸地帯に位置しているので、蒸し暑さでは天下一品。特に四方を山に囲まれた甲府盆地は天然の蒸し風呂みたいなものだ。太平洋側であれ、日本海側であれ、海に面した所にお住まいの方々が羨ましい。娘が小さいころは私と女房の両方の親も連れて伊豆の海に行った。避暑などとかっこいいものではなかったが、娘を海で遊ばせてやりたい気持ちと暑さ逃れであったことは間違いない。伊東であったり、下田や土肥の海岸であったりした。そんな親爺達もみんな逝ってしまった。


生み


 誰もがお気付きだろうが、暑い、暑いと言っているうちに、ジワジワと日が短くなっている。ひと頃は7時半頃まで明るかったものが今では6時半といえばボツボツ薄暗くなる。日中は、しゃら暑いので夕方から畑に出て野良仕事の真似をするのだが、日が短くなるのが何かもったいないような気がするのだ。まだちょっと早いが、「秋の日はつるべ落とし」という。すぐそんな時期になる。




 日が長くなったり、短くなるのは季節の変化の証。それはそれで仕方がない。問題は野良にしかいないブヨや夕方から活動し始める藪っ蚊の存在だ。この時期、まるで我が世の春、とばかり畑の草むらや植え込みの中で暗躍。なにしろ小さいので姿、形はほとんど分かり難いから始末が悪い。襟元であれ、顔であれ容赦なく喰いついてくる。足首や手首は地下足袋や手袋で防備できるからいいが、顔や襟元は防ぎようがない。



ブヨ     ブヨ     ブヨ



 人間の体温が彼らを寄せ付けるのか、それとも汗の臭いなのか。仕方なく丸いケース入りの蚊取り線香を腰にぶら下げて作業をするのである。犬の散歩で通りかかった近所のおばさんは「私なんか、うっかりしていたら、この始末ですよ」と、自分の襟元を指差した。ブヨに食われた痕が何箇所も真っ赤に腫れ上がっていた。75歳も過ぎると色気もなくなるのか襟元をさらけ出すようにして見せてくれた。


蚊とり線香

 

 この蚊やブヨ。篤農家の果樹園や野菜畑にはほとんどいない。果樹園はひっきりなしに消毒するし、野菜畑は丹念に草取りをしているからだ。怠け者の畑が彼らの楽園。畑や植え込みをほったらかしにしていると、隅々から必ずつけ込んで来る蔦と同じだ。蔦というのは葦と同じ不思議な植物で、人間が手を加えないことが分かると、ここぞと、ばかり、はびこって来るのである。都会の方々はご存知ないかもしれないが、ブヨは蚊よりも始末が悪い。食われた痕はかさぶたのようになり、周りは真っ赤に腫れ上がるのだ。子供の頃はびっくりもしなかったが、免疫が薄れたせいか、今では百姓の倅も真っ赤に腫れ上がる。




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カブト虫

カブトムシ


 横浜に住む知人夫婦がやって来た。手には虫籠を。中にはカブト虫がうようよ。50匹ぐらいが入っていた。立派な角を持ったものもいれば、角のないヤツもいる。真ん中に置かれた桃に群がり、競うように果汁を吸っている。




 「こんなに沢山のカブト虫どこで採って来たの?」


 「甲州市の塩山です。桃畑にいっぱいいるんですよ」


 「へえ~・・・」


 この二人、夫婦だから、もちろん子供ではない。二人とも40歳近くになるれっきとした大人である。ご主人がカブト虫大好きのようで、日曜日の未明、横浜の自宅を山梨に向けて車で出発。予め話をつけておいた桃畑に直行したという。未明の出発を試みたのは夏の行楽シーズン真っ只中。交通渋滞を避ける意味合いもあった。

虫かご


 「これだけ獲るのに、そんなに時間はかかりませんでしたよ」


 「そんなに沢山いるの?」


 「それがいるんです。木の下に落ちた果熟の桃に一匹、ニ匹と・・・。まるで桃に喰らいつくように、甘い汁を吸っているんです」




 栽培農家は、農協―市場―小売店という流通ルートの所要時間を想定、果肉が硬い未熟のうちに出荷する。完熟してしまった桃は商品にならないのだ。傷物と一緒にジュース用に回されるか、畑に落ちて腐ってしまう運命なのである。カブト虫にとっては格好のご馳走ということになる。出荷期を控えた農家は大分前から消毒をしないので、カブト虫にとって身の危険もない。


桃


 カブト虫は、なにもお百姓さんに叱られないように落ちた不要の桃だけに群がるわけではない。これから商品になる桃にだって喰らいつく。農家にとっては招かざる邪魔者なのだ。「だから天敵駆除にも一役買っているわけ。農家の人たちも快く獲らせてくれました」。カブト虫少年ならぬカブト虫オジサンは真顔で話してくれた。




 私たち田舎者にとってはカブト虫など珍しくも何でもない。畑に行けば一匹や二匹出遭ったし、植え込みにもいた。夏のこの時期、夜、窓を開けていれば茶の間の灯りに誘われ、蝉やカナブンブンと一緒に飛び込んでも来た。クーラーなんかない時代である。春先から初夏の時期、農業用の堆肥置き場をかき回すと「のけさ」と、この地方では呼んだカブト虫の幼虫がいっぱい出てきた。大人の親指ぐらいの太さをした白濁色で、いつも丸くなっているのだ。「これがカブト虫に?」。子供心に不思議でならなかった。


虫取りあみ


 カブト虫やクワガタは、いつの世も子供たちの人気者。横浜からの知人のように大人だって惹きつけるのだ。デパートにはカブト虫コーナーがお目見えし、街角にもカブト虫ショップが。その多くはどこかで養殖しているのだろう。田舎の果樹園では生産性を向上させるための農薬が幅を利かす。当たり前にいたカブト虫は、そこから追いやられる運命なのだ。桃畑で獲れなくなるのも時間の問題だろう。




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一匹のハエ

うちわ

 暑い。汗びっしょりになって野良から帰ったら、かみさんと娘がなにやら大騒ぎしているのだ。それほど広くもない茶の間をうちわ片手に飛び回っているのである。部屋の中は程よく冷房が効いている。



 「お前達、何やってるんだ?」

 「ハエよ、ハエ・・・」


 「たかがハエ一匹。大騒ぎすること、ないじゃあないか」

 「だって汚いじゃあない・・・」


ハエ


 見れば大きなハエが一匹。むきになって追い回す二人をあざ笑うように右に左に、上に下にと飛び回っている。ハエだって命は欲しい。バカな二人に易々捕まってたまるものか、と思っているのだろう。女二人とハエの闘いだ。第一、うちわなんかでハエが獲れるはずがない。女どもは単純だ。

ハエ


 「サッシ戸を開けてやれば外に逃げるじゃあないか」

 「ダメよ。こいつは死刑よ。絶対逃がさないわよ。絶対・・・」

 「勝手にしろ・・・」



 女は執念深い。


 この辺りは、山間部とまではいかないまでも山梨市の片田舎。そういえば、ここしばらくハエにお目にかかったことがない。かつては、わんさといたハエは、いったい何処に行ってしまったのだろう。子供の頃を思い出した。リフォームしてイメージこそ違ってはいるものの、夏のこの時期、我が家の部屋という部屋、ハエがブンブン飛んでいた。



 何処の雑貨屋さんにもハエタタキはもちろん、ハエ取り紙というヤツが売っていて、どの家でも1ダースのケースごと買って来るのだ。それを天井からぶら下げるのである。モチのような油紙にハエが張り付く仕組みなのだ。しばらくすると真っ黒になるほどハエが捕れる。実はこのハエ取り作戦も焼け石に水。ハエは次から次へと湧いてくるのだ。だから正直、ハエを気にしていたら一日も過ごせない。うかうかしていたら、ちゃぶ台(食卓)に置かれた麦飯ご飯もハエで真っ黒に。習慣とは恐ろしい。みんなビクともしなかった。ヘンな例えだが、ある意味で農村の風物詩のようなものだった。「わあ~、汚い」。娘はもちろん、農村育ちではない、かみさんはそんな話に顔をそむけるのだが、田舎育ちの私なんかハエ一匹、どっちだっていいのである。ハエ取り紙もハエ叩きも完全に姿を消した。


リボンハエ取り
リボンハエ取り


 農業形態や生活環境の変化が確実にハエを駆逐した。農耕用の馬や牛。それに家畜の豚や山羊、鶏もいなくなった。番犬として外で飼った犬もほとんど姿を消し、代わって可愛い猫や犬が座敷に上がった。米麦、養蚕に代わって家の周りを埋めた果樹園では病害虫駆除のための消毒が。ハエなんか住める環境ではない。目に見えるハエ。目には見えない消毒の影響。さて、どっちの方が・・・。かみさんや娘が追い回す一匹のハエを見ながら暮らしの変化を思い知らされた。ただ、いっぱいいるハエより、時々紛れ込む一匹のハエの方が確かに気になる。不思議だ。




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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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