機械の故障

 人間、どんな機械にせよ故障されると困るものだし、そのありがたさが分かる。一つは農作業用の管理機の故障だ。お陰で農作業が大幅に滞った。大根など秋物野菜の播種の旬をずらしてしまったのである。「なあ~に、収穫が遅れるだけさ」。そうタカをくくってはいるのだが、果たしてモノになるかどうか。気懸かりと言うか、興味深くもある。



大根


 言うまでもなく種蒔きの旬は、それぞれの野菜の発芽や生長に適した時季。主には気温だろうが、細かくは雨量や害虫との関係もあるだろう。自分の経験から言わせて貰えば、白菜などは播種があまり早いと幼い葉の段階から虫にやられる。全くの無農薬栽培をしているので、蝶など虫の産卵やふ化、成長はまさに大敵。その時期を遅らせれば、これへの障害はある程度クリアできるのだが、半面、野菜そのものの成長に支障をきたすのだ。






 一般的にもそうだが、我が家の場合、秋物の大根は毎年、8月下旬、遅くも9月の上旬には蒔きつける。これが沢庵になったり、温かいおでんや味噌汁の具になったりするのである。管理機の故障もさることながら、播種の時季を遅れても蒔きつけたのは、それなりの理由がある。実は昨年も大根の種蒔きのタイミングをちょっとずらしてしまった。当然のことながら、発育のペースは遅れる。寒さがやって来て霜も降りる。


大根3


 開き直った。発育遅れの大根に霜対策の藁をかけて放って置いた。何と寒い冬中も成長するではないか。これだと、かつてのように一旦、収穫して土の中にいけるなど特別の保存策を取らなくてもいい。地球の温暖化がこんな所にも作用しているのかもしれない。昨年の≪実践例≫に味をしめたり、拡大解釈しての大根作りだが、果たしてどうか。特に今年は夏を飛び越えての猛暑、一足飛びの冬の気配。ここ数日の冷え込みは尋常ではない。やっぱり気懸かりだ。




 管理機。字面からも都会の方々には分かりにくいだろうが、分かり易くいえばミニ耕運機である。親しい友達の中に器用な男がいて、電話一本で故障を直してくれた。人間の体と違って一旦故障した機械は、そのまま放って置いたら永遠に機能を回復することはない。これに対して人間の身体は、人間がそもそも持つ治癒能力によって自然治癒する場合もある。例えば、切り傷であり、骨折やひび割れ。軽い風邪や腹痛も同じだ。


ミニ耕運機


 ただ、人間の体の中で歯だけは治癒能力を持っていないのだそうだ。虫歯に犯された歯は絶対に治癒することはないし、一旦折れた歯は元には戻らない。機械と同じなのだ。機械というものは故障して初めてそのありがたさが分かる。手足や目、耳。みんなそうだが、とりわけ意識することもなく毎日三度三度お世話になっている歯。その歯が故障して、そのことをしみじみと思った。


歯科


 私の場合、前歯が虫歯で根元から折れてしまった。始末が悪いことにその歯は数本の入れ歯をブリッチして支えていた歯なのである。入れ歯まで機能しなくなった。食べることの不自由ばかりでなく、前歯だから息が漏ってしまい会話にも事欠くのだ。これだけは明日、明日と先送りするわけには行かない。すぐに知人の歯医者さんにお世話になった。




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青い目のお客さん

ロータリー6


 青い目のお客さんがやって来た。ロータリークラブの交換留学生。国際ロータリー2620地区のいくつかのクラブがホストなって受け入れたアメリカの青年男女5人だ。日本の生活を体験、文化や習慣を学んでもらうのが狙い。山梨ロータリークラブではつい先頃、その5人の歓迎行事を開いた。会場はいつになく華やいだ。5人の交換留学生は、受け入れのホストファミリーと共に1週間ずつ数箇所でホームステイする。2620地区は山梨、静岡両県で構成されているので、スケジュールは、この二つの県にまたがる。


ロータリー


 交換留学生は、いずれも20代から30年代前半。エンジニアもいれば、女性警察官もいる。会場には星条旗と日の丸の国旗が。演台には二つの小旗がクロスして置かれていた。歓迎行事は日米両国の国歌斉唱で始まるのだ。5人の留学生はスライドを交えながら自らの国の様子や家族を紹介。自己紹介する。言葉は山梨市役所の女性通訳が仲立ちしてくれるのだが、日本語で自己紹介する青年も。会場からは割れるような拍手が沸いた。


ロータリー8


 歓迎会は普段の例会の姿そのまま。この日の会食のランチはハンバーグライス。日本流の食事にみんな和気あいあい。昼食を摂りながらのクラブメンバーの話題といえば、全く不得手の英語力。「英語くらい話せなきゃあダメだよなあ」「そうだよなあ・・・」。実感が籠っている。




 英語コンプレックス。若い方々は分からないが、ある年代から上の人たちは、少なからず、と言うよりほとんどがお持ちだろう。私はサラリーマン時代、粗末にした罪滅ぼし?もあって二年に一度ぐらいのペースで女房を連れて海外旅行をすることにしている。その時女房が決まって口にする言葉が「お父さんねえ、やっぱり英語くらい出来なきゃあダメだよ。帰ったら絶対、英語習うわよ」。沽券に関わるから同調しないが、俺だってそう思う。


ロータリー4


 山梨ロータリークラブの受け入れ留学生は一人。ホスト役は前会長が買って出た。会話をめぐる一週間の悪戦苦闘の始まりだ。それよりも立場を変えてみて、私がアメリカの家庭に一人でホームステイ出来るだろうかと考えた時、全く自信がない。やってもみないうちからお手上げだ。つくづく情けなく思う。受け入れの方がまだいい。




 我が家でも昨年、一昨年と二回に分けて中国の中学生と高校生を受け入れた。ロータリーではなく、県関係の国際交流事業に関わったのだが、そこでも言葉の壁をしみじみ感じた。でも中国語の方がまだいい。漢字の筆談が出来る。英語だって学校で習ったのだから単語のスペルくらい分かるはず。しかし悔しいかな、そんな≪学校知識≫は全部、お返し申し上げてしまった。ヒヤリングなんかハナからダメ。 たまに聞いて分かるほどいい耳は持ち合わせていない。

ロータリー2


 例会での食事中の会話。「パソコンだって翻訳機能がある。いまに音声を拾って通訳してくれる携帯用の翻訳機が実用化されるさ」。やっぱり他力本願。女房がアメリカやカナダで、あれほどしみじみ言った「私は絶対に・・・」の言葉も「喉元過ぎれば・・・」である。よく考えれば中学3年、高校3年、少なくとも6年も習っているのに、話せない英語。一人一人のせいばかりではなく、教育の仕方にも絶対に欠陥がある。教育のせいにしてみた。




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マツタケは素人にも採れるか

マツタケ


 秋の味覚のトップバッターといえば、やっぱりマツタケだろう。場所によってかもしれないが、今年はこのマツタケが不作だったという。春から夏にかけての天候不順が影響したのだそうだ。私達庶民の口にそうそう入るものではないが、やっぱり残念だ。土瓶蒸し、焼きマツタケ、握りのマツタケ寿司。あの香りと食感。なんとも言えない。ポピュラーなマツタケご飯もある。




 山に行っていないから分からないが、山梨市の岩手山にある我が家の持ち山にも見つければマツタケの一つや二つは生えているのだろう。子どもの頃は秋になればみんながビクを腰に山に入った。遊びと実用だった。アメジコウ、ウラトリ、シメジ、ミネゴシ、クロット、ホウキダケ。田舎の子は田舎の子ならでは、かもしれない。危険なキノコは絶対に採らなかった。誰からともなく、毒キノコの怖さを教えられていたのである。

まつたけ  

 よく考えてみると、マツタケを採った記憶はない。第一マツタケなど知らなかったといった方がいい。子どもばかりでなく、みんなが食べる事が先で、マツタケの香りや食感を楽しむなどという余裕などなかったのだろう。マツタケ採りを初めてしたのは27歳のころだった。今でもよく覚えている。今は北杜市になったが、当時、南アルプスの前衛山麓に武川村という村があって、そこの小学校の校長先生を辞めた後、村議会議員をしていた人と知り合ったのがきっかけ。その人は中山という自分の山をマツタケ山として開発、お客の誘致を始めたのである。




 マツタケ狩りの山開きの日になると毎年私を招待してくれた。のしをつけた酒2升を吊るしては山に登ると、その親爺さんは嬉しそうに、私に言うのである。「あなたの来る前にマツタケを採って置いたから、まずこれで一杯やろう」。バラックのような管理小屋で、茶碗酒だ。時には親爺さんが獲ったばかりだというアオダイショウを藁灰で焼いて食べたこともある。硬いが、うまかった。帰りには藁とスギの葉で作った筒状のものにマツタケをいっぱい差して持たせてくれるのである。


松茸  


 それから間もなくして、県の林務事務所と国の営林署の人たちと八ヶ岳山麓の別の山にマツタケ狩りに出かけた。自他共に≪マツタケ採りの名人≫という地元の人が案内役だった。その名人は途中で地面に直径1mぐらいの円を描き「この中にマツタケがある」というのである。しかし目を皿のようにしてもマツタケはない。ニコニコしながら名人が円の中心付近の土を指で掃くようにのけると、土の下からマツタケが。






 タネあかしはこうだ。マツタケは毎年、同じ所に出るのだそうで、名人はそのポイントをみんな知っているのである。テリトリーはざっと300.シーズンになると二日に1回、巡回しては土がちょっと盛り上がったところ、つまりマツタケが地面に頭を出す前に抜き取るのだという。いっぱいある雑キノコには見向きもしない。




 名人はそうしながら新たなポイントを見つけては一つずつテリトリーを増やしていくのだそうで、そのテリトリーはかわいい我が子にも教えないという。私はこの時を境に「素人にマツタケなど採れる筈がない」と、勝手に決め込んでいる。素人が採れるのは、山を自分の庭のように歩く名人達が、目こぼししたものに過ぎないからだ。





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百石倶楽部

百石


 現役サラリーマン時代の親しい友4人で「百石倶楽部」というのをつくっている。年に何度か集まってはお酒を酌み交わし、たわいもない話をするのだ。年齢はまちまちだが、妙に気が合う。会場は、主には甲府市内のホテルの座敷。時には旅行がてら、ちょっと遠出の会場を求めることもある。




 4人は年齢が違うから、自ずと会社への入社時も違う。そればかりか歩んできた専門分野も違った。でも仕事を重ねるうちに共通のテーブルに着くことも出て来るし、そうするとまた違った交流も生まれて来る。




 当然のことながら入社時が違えば、退職時も違う。退職したらしたで、その後の生き様もまちまち。私のように山梨市の片田舎にある実家に戻って百姓の真似事をしている者もあれば、甲府市の中心街で道楽の喫茶画廊を開いている人もいる。非常勤で新聞販売店の会長に収まっている友や名刹のお寺さんに生まれた因果、御仏の供養を手伝う友もいる。




 ところで、この「百石倶楽部」。その名は4人の入社時、社屋があった町の名前「百石町」に因んで名付けた。「百石町」は、この4人にとって共通の思い出があるサラリーマンの出発点。しかしJR甲府駅南口に程近い「百石町」にあった社屋は昭和41年秋、駅を挟んで反対側の北口に新設され、跡地は山梨県立図書館になった。今の社屋は著名な建築学者・丹下健三氏が設計した当時とすれば奇抜なビルで、人々の注目を集めもした。


丹下健三


 4人の入社は昭和40年を前後した時期。裏を返せば百石町最後の人たちで、それ以降の仲間たちは、自らの会社の古い社屋を知らない。そんなことは、このブログをお読みの方々には、全くどっちでもいいことなのだが、人間誰しも郷愁があるように、私たちにとっては忘れられない思い出の地なのだ。学校を出て社会人一年生。22~3歳、やる気満々のフレッシュマンだった。あれからウン十年。仲間の中には50年を超す人も。でも、それが、ついこの間のような気がする。時の経つのは早い。




 時代の荒波はサラリーマン稼業の本拠地である社屋ばかりでなく、町の名前も変えた。新住居表示というヤツだ。甲府は古くは武田信玄が「躑躅が崎の館」を構えた所だが、後には徳川氏が治めた城下町。魚町、鍛冶屋町、御納戸町、ニ十人町、佐渡町・・・。いかにも城下町の一翼を担う街並みを髣髴とさせる町名もあった。佐渡町は金の精錬技術を確立した武田信玄に代わって金山開発に力を入れた徳川氏が、その職人を佐渡金山に送ったといわれる、金山職人の町だとも伝えられている。甲府から佐渡へは38里と言ったという。


武田


 紅梅町、錦町、桜町といった華やかなイメージの町名もあれば、水門町や飯田町といった農業地帯を髣髴とさせる町名も。百石町もその一つだ。新住居表示は、こうした歴史と味わいがある町の名前を一掃してしまった。代わって登場したのが「丸の内」「中央」「大手」・・・。確かに城下町のイメージは残しているが、日本中、どこにでもある名前に。「武田」の町名が甲府ならではかもしれないが、何か白々しい。町名変更は、平成の市町村合併がまた拍車を掛けた。そこには地域住民のあからさまな綱引きも。「ええ~い、いっそのこと・・・」と、当たらず、さわらずの名前になってしまったケースだってあるかもしれない。




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節目と人間

ランドセル


  会社や学校には始業時があれば終業時もある。学校の場合、入学式があって卒業式がある。私達の日常生活を時間的に見ても、一日の始まりと終わり、一週間、一ヵ月、一年といった具合に「節目」がある。一年は1月~12月の暦年で言ったり、学校のように4月~3月の年度で言ったりもする。会社は上半期、下半期、さらに細分化して第一四半期、第二四半期といった具合に1年を4分割、売上や業績を整理したり、チェックしたりする。学校の場合も最近では2学期制に移行する所も出ているが、多くは3学期制だ。



 誕生日も節目のひとつ。生きていれば毎年同じ日に誕生日がやってくる。その瞬間にカチっと年齢の時計が廻る。可愛いわが子やお父さん、お母さんの誕生日をささやかなケーキを囲んで祝う家族もあれば、グループで賑やかに祝うケースもある。年老いてくれば、その誕生日が素直に喜べない事だってあるかもしれない。人生の悲哀というか複雑な気分になる事だってあるだろう。 昨夜もたまたま誕生日だった親しい仲間と麻雀をしながらそんな話をした。




 人間が没すれば一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌といった具合に周りの人がそれなりの法要をしてくれる。もちろん、この回忌は1年ごとにあることは言うまでもないし、仏教では七日、七日が基本。いずれにしても人間、生きていようが、没して仏になろうが、それなりの節目を迎え、重ねて行く。風雪に強い竹にも節があり、樹木には年輪がある。人間も自然界も、みんな節目の中で生きているのである。一年や一日の時間は太陽と地球の関係から作り出したものであり、人間はその中に二十四節気なるものをも当てはめた。そのひとつ霜降が過ぎ、立冬へと向かう。その後には小雪が。その辺の歳時記のお話は、そのことにめっぽう詳しいmatsuyamaさん(http://mtdt7657.blog113.fc2.com/)のブログに委ねた方がいい。
歳時記
 とてつもなく大きく、黙って何事もないように動いている自然界はともかく、さまざまな節目に対する人間の受け止めよう、接し方はこれまたさまざま。サラリーマンは一週間の仕事の疲れを癒したり、自らや家族とのレジャーのための週末を楽しみにし、子供たちは学業から解放される夏休みや冬休みが楽しいはずだ。




 私のように勤めをリタイアして、いわゆる「毎日が日曜日」の人間にとっては週末なんか関係ない。曜日だって考えなくてもいい。考えるとすれば、曜日で設定してある無尽会や、地域やグループの会合だけ。多くは日時での約束事が多い。生活の中で月末も月始めも、何の意味も持たないのだ。





 私だけかもしれないが、曜日にとどまらず、さまざまな「節目」がだんだん薄らいでいくような気がしてならない。例えば、あと2ヶ月もすればやって来る年の瀬やお正月。なんとなく慌しく、やがて迎えるお正月を控えてウキウキする心の持ちようもないし、お正月だって普段とそれ程変わらない。「ちょっと気が早いんじゃあないの」と言われるかもしれないが、山梨市では今年も歳末助け合い募金を募り始めている。晴れ着姿に着飾った子供たちの羽根突きや正月を寿ぐ獅子舞もどこかに行ってしまった。デパートやスーパーも年中無休だから「初売り」もなくなった。


羽子板


 節目の行事もさることながら、気温の変化も人間の感覚をあいまいにしているかもしれない。地球規模の温暖化は二十四節気の一つ一つまで、そのイメージを微妙に狂わせている。私のようなズボラな人間には気候的にも習慣的にもやっぱり節目が必要だ。





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百薬の長の方便

ビール


 私も女房のことを「母さん」と呼ぶのだが、女房も「お父さん」と呼ぶ。





 「お父さんねえ、酒は百薬の長、と言うけど、あれねえ、方便だってよ」


酒


 恐らくテレビで見たか、友達とのお茶飲み話で仕入れてきたのだろう。女房は鬼の首でも取ったかのように言う。




 「へえ~・・・」と、とぼけてみたものの、その通りだ。




 若い頃、目にしたモノの本によれば、酒を「百薬の長」と最初に言ったのは古代中国の皇帝。秦の始皇帝なのか、それ以降、どの時代の皇帝であったかは記憶に定かではないが、お酒を専売に組み込む方便に使ったのである。当時、その国の専売は塩と鉄などで、お酒は専売ではなかった。



 どこかの国の政府と同じように財政難に苦しんだ皇帝は、お酒を専売に組み込むことを考えた。高い税率をかけられるのだから民(国民)が歓迎するわけがない。そこで搾り出した知恵が「百薬の長」というキャッチフレーズ。つまり方便だ。この方便はまんまと成功。そればかりか恐らく、お酒の消費拡大にも繋がって一石二鳥の効果まで生んだことは言うまでもない。


ワイン


 「百薬の長」。わが国でもこの言葉は、れっきと独り歩きしている。特に酒飲みは水戸黄門の印籠のように使う。「お父さん、そんなに飲みすぎちゃあ身体に良くないわよ」。女房にブレーキをかけられる度に、この言葉を使うのだが、方便以前に飲みすぎが身体に悪いに決まっている。お酒というヤツは不思議な飲み物で、飲み出すとなかなか止まらない。歌の文句ではないが「分かっちゃいるけど止められない」のがお酒なのだ。



 亭主の健康を気遣ってブレーキをかける女房の気持ちも分かり過ぎるほど分かる。内心、ありがたくさえ思う。ところが口を突いて出るのは、「そんなことはオレが一番よく知っている。人の世話を焼くな・・・」である。場合によって、その言葉の後に続くのは「バカヤロー。いろいろ言うな」。

ウィスキー



 古今東西、嗜好品は税の対象になって来た。タバコもそうだ。どこかの国は「百薬の長」ではなく「健康に害する」ことを方便にこの10月から大幅値上げに踏み切った。いっぺんに27%もの値上げを強行するのだから半端ではない。喫煙者は嫌煙者と比べて少数派になっているからいい。この関係が逆だったら大騒ぎだろう。第一、こんな無謀な値上げなんか出来っこない。でも「健康を害する」ことと「値上げ」。この論理、どうもしっくりしない。これも古今東西、新税を創設したり、税の値上げに踏み切る場合、少なからず、住民のコンセンサスを得なければならないのは世の常。そこには決まって方便がいる。いわゆる民は騙されたり、騙されたふりをするのだ。それを仕掛ける為政者は、したたかで、ちゃんとプラス、マイナス、そろばんをはじいている。




 よく考えれば、「百薬の長」が税の新設の対象になったり、「健康に害」が税の値上げになる。変な話だ。見方を変えれば、それこそが方便といっていい。




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人の行動パターン

 私たちは毎日、それぞれの日常生活を送っているが、みんな、個々に共通した行動パターンがある。朝起きる時間がほとんど同じなら、夜、寝る時間もほぼ同じ頃。食事をしたり、新聞やテレビを見てくつろぐ居間での座る位置も毎日同じ。みんな無意識のうちにそんな行動をしているのである。


家庭



 これはありふれた日常だが、この「座る」という事を例にとっても、その行動パターンは定例の会合や無尽会、果ては飲み会に至るまで、いつの間にか同じになっているのである。今、町にも銭湯を見かけなくなったが、恐らくそこでも同じだろう。私の場合、週に何度か通うスポーツジムでも同じ事をしていることに気づく。例えば、下足のロッカーや更衣室のロッカーでも無意識のうちにほぼ決まったロッカーを使っている





 山梨ロータリークラブの例会は毎週木曜日の午後零時半から山梨市の市民会館で開く。この時も同じなのだ。もちろん、三々五々集まってくる。思い思いにテーブル席に着く。しかし例会の開会を告げる会長の点鐘の時、全体を見ると、みんながほぼいつもの席に座っている。年に何度かある夜間の例会の場合も同じ。例会行事の後の酒席で、気づいて見れば隣や前でお酒を酌み交わす顔ぶれはいつもほとんど同じである。





 酒席を伴う場合は別だが、通常の例会にはみんなマイカーでやって来る。その駐車位置も大体同じ。やって来る時間もそれぞれが、ほぼ同じだから、後から来る人達は「ああー、○○さんはもう来ているな」とすぐ分かる。イレギュラーがない限りみんながほとんど行動パターンが同じとあれば、空いている所もまた同じ。このことはスポーツジムの更衣室でも同じことが言える。

ロッカー



 更衣室はかなりのスペースをとっているが、入り口を使う人もあれば、真ん中も、また奥まった所を使う人、それぞれさまざまだ。トレーニングを終えて更衣室に戻った顔を見ると、そこには決まった顔がある。隣のロッカー、前のロッカーとほぼ同じ顔ぶれだ。勢い話もはずみ、親しみも増幅してくるから不思議である。




 スポーツジムの下足ロッカーは小さいスペースで済むので、ロビーを過ぎて一段上がった所に壁状に沢山のロッカーが並ぶ。そこには算用数字で規則正しく番号がふってある。上段を使う人、また中段、それに出来るだけ下の方のロッカーを使う人と、行動パターンが現れるのだ。ここで面白いのはロッカーナンバー




 人にはなぜか好きな数字というものがある。3 とか 5 とか 7,8,1 といった具合にそれぞれ何とはなしにお気に入りの数字を持っている。そんなに意識しているわけでもないが、下足を入れる時、その好きな数字に入れているのである。選ぶ所が沢山あればあるほど、この心理が働くのだ。





 こうした行動パターンが示すように人間は大きな変化を求めない動物なのかも。チェンジ。大きな変化があっても、またそれに対応できるのも人間だ。毎日、太陽が東から昇り、西へと沈む。四季をも繰り返す。人間は一定の行動パターンでそれに順応しているのだ。





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赤ひげ先生

 「本当はおかしなことなんですが、この辺りでは農業が繁忙期になると通院患者が際立って減るんです。自分の身体や病より農作業の方を優先させてしまうんですね」

医師


 白衣の開業医は、こんなことを言う。牧丘町。平成の大合併で山梨市に仲間入りした。町から市に変わったとはいえ、地域の姿が変わったわけではない。どこにでもありそうな田舎の町だ。町というより山村と言った方がいい。とり得と言えば、山梨県屈指と言っていい葡萄「巨峰」の里である。標高が高く、昼夜の温度差、つまり寒暖の差が功を奏して色付きのいい、良質の高い巨峰がとれる。





 大きく見れば奥秩父連峰の裾野のような所にある町。白衣の開業医は、おじいさんの代から代々この地で内科小児科医院を開いている。いわば町のお医者さん、赤ひげ先生だ。午前中は医院で通院患者を診察、午後は看護師を伴い地区から地区へと往診する。一方では小中学校の校医も務め、子供たちの健康管理にも一役買っている。埼玉県と県境にある旧村の三富村にも。町から村へ、村から町へと飛び回るのだ。



 往診用に高級車も何台も乗り潰した。山間地が多いため高性能な車でなければ、用をなさないこともある。高級車に乗ることが狙いではない。おじいさんの時代は自転車。8年前に85歳でなくなったお父さんの若い頃は、オートバイだった。一般家庭に満足な自転車すらない時代に「陸王」「メグロ」といったオートバイで颯爽とやってくるお医者さんは戦後間もない地域の子供たちの憧れの的だった。当時の子供たちの見る目、憧れの感覚は今の「ハーレー」など及びもつかなかった。それほど存在感があった。


陸王
陸王


 「柿が赤くなれば医者が青くなる」。実りの秋、つまり、この時季、お医者さんに来る患者さんが減るのは、栄養が豊かになる時季だからではなく、単に仕事に追われるからだ。収穫一つとっても旬に追われる農家の宿命がそこにある。老人の医療費無料化年齢の引き下げが善政視された時代、病院の待合室が「お年寄りのサロン」と揶揄されたことがある。「あの人、今日は姿が見えないわねえ。病気かしら?」。こんな笑い話のような現象とは本質的に違うのだ。




 往診に行けば患者の家族とも話もすればお茶も飲む。世間話もする。家族構成やみんなの健康状態、さらには農業の実態まで知り尽くす。私が帯状疱疹治療のための点滴を済ませて診察室に戻ったら107歳というおばあちゃんが。80歳近い娘さんに付き添われて診察を受けていた。「おばあちゃんねえ・・・」。耳元で大きな声で話す医長さんは孫のよう。

 おばあちゃん

 医療の体制を大きく分けて初期医療だとか高度医療という。さまざまな医療機器を備え、人的にも整備された大学の付属病院や民間・自治体の総合病院が高度医療の中核病院とすれば、地域の開業医は文字通り初期医療の担い手である。その棲み分けがうまく出来れば、医療現場はより機能的になるに違いない。素人でもそう思う。「少しでもいい医療を受けたい」。人間、誰しもそう思ってしまう。ちょっとした風邪や体調不良でも総合病院へ。病院側も経営感覚からか、開業医への振り分けなどコントロールをしないまま抱え込むのだ。




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村のお医者さん

点滴


 ここは隣村(地区)の内科小児科医院。小奇麗な点滴ルームのベットの上で、細い管を伝わってポト、ポトと落ちる点滴を見るともなく見ていた。1m7~80㎝はあろう吊り台にぶら下がるビニール製の袋には300cc近い水溶液が。帯状疱疹の治療薬のほかビタミン剤なども加えてくれているのだろう。水溶薬は黄色く染まっていた。





 「(点滴が)終わるまでには一時間ちょっとかかるよ」


 私の左腕に手際よく点滴をセットした従兄弟の院長は、部屋の照明を落として診察に戻っていった。診察室からは院長と女性の患者さんの会話が聞こえてくる。患者さんの顔は見えないが、その声から70歳半ばの農家のおばさんらしい。




 「薬をちゃんと飲んでいないね。ほら、血圧がこんなに上がっている。薬はちゃんと飲まなきゃあダメだよ。自分の身体だから大切にしなきゃあ~・・・」




 「このところ、稲刈りや何やかんやで忙しかったからねえ・・・」




 「それも分からんじゃあないけど、あなたが倒れちまったら稲刈りどころじゃあなくなるんだよ。〇〇さん家(ち)は・・・」




 「先生のおっしゃる通りだよ。オレもそう思うし、80近い亭主も、そう言ってくれるんです。でも畑仕事に追われる、お父さんを見ていられなくてねえ・・・。やっぱり野良に出ちまうんだよ」




 しばらくして、おばさんは「先生ありがとうございました。いつも感謝しています」と、言葉を残して帰っていった。その後を院長の言葉が追いかける。



 「無理しちゃあダメだよ」。


聴診器



 続いて診察室に入ってきたのは、やはりその声から今度は年配の男性。




 「どう?具合は?・・・。顔色が悪いね。舌を出してごらん」


 「どうも調子が優れなくって・・・」


 「しばらく来なかったね。ちゃんと治療しなきゃあ治るものも治らなくなっちゃうよ・・・」


 「分かっちゃあいるんだけど、野良が忙しくって・・・」


 さっきのおばさんと同じようなことを言う。


血圧計


 「ところで先生、ぼつぼつインフルエンザの予防注射をしてもらわなくちゃあ・・・」




 「予防注射をする前にこの身体を直さなきゃあ・・・。予防注射は体調を整えなきゃあ出来ないんだよ。ところで、お宅の地区の〇〇さんは元気にやっている?」




 「毎日、野良に出て頑張っていますよ。先生のお陰、と言ってましたよ」


 患者さんとの、このやり取りは声だけで姿は見えないが、二人の表情が手に取るように分かる。広いスペースの待合室で長い間待たされ、機械的に診察を受ける都市部の総合病院とは、全く違う雰囲気だ。そこには患者と医者のコミュニケーションが。たわいもない会話の中に患者と医者のスキンシップが伝わってくる。ちゃんと信頼関係が根付いている。




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パブロフの犬

 「おまえ、しつこいねえ・・・」と言われるかもしれないが、未だに若い女医さんには、ある種の偏見を持っている。私だって男の端くれだから、若い女性には優しかったり、好感を持って接するのだが、白衣を着た女医さんを見ると、正直言ってその場から逃げ出したくなるのだ。可愛くもなければ、むしろ怖くなる。パブロフの犬。条件反射なのだ。
病院2
 前にも触れたが、若い頃、盲腸(虫垂炎)手術を受けた時の新米女医さんの一部始終がきっかけでもあり、その第一弾。細い血管への注射に脂汗をかいて悪戦苦闘するけなげな姿には一面で敬服もするが、時も時。緊急手術の直前措置なのである。人の助けは求めないタイプのようで、逆に見るに見かねた看護婦さんが≪援軍≫を求め、急場をしのいだ。




 第二弾は、別の総合病院での人間ドックの時のこと。胃カメラを飲んだ。担当は若い女医さん。盲腸手術の時の女医さんの顔を思い出さないでもなかったが、所詮はまな板の鯉。カメラを胃袋の中で大胆に押したり引いたり。「もっとお手柔らかに頼むぜ」。そんなことを思う前にゲエ~ゲエ~、ゲボゲボ。技術の良し悪しは別に検査だからそれはそれで仕方がない。


病院


 ところがこの女医さん、突然、「あら困ったわ。あら困ったわ。これなあ~に。これなあ~に・・」。子供のように絶叫し始めた。カメラを持つ手はブルブル震えている。何にも分からず、ただゲエ~ゲエ~している、まな板の鯉はたまったものではない。ここでもベテラン先生の≪援軍≫が飛んで来た。その検査室では何人もが、まな板に乗っていた。何の事かわかりようもないし、動転する女医さんの甲高い悲鳴にみんな、びっくりしたに違いない。



 「ああ~、これねえ、アニサキスと言うんですよ。初めてだったんですねえ。検査が終わったらつまみ出して患者さんに見せてあげてください。心配要りませんよ」




 さすがにベテラン先生。女医先生はやっと落ち着きを取り戻した。この時も駆けつけたベテラン先生は、いかにもへりくだって「先生、私にも見せていただいていいですか?」。


病院3


 この騒動にはまだオチがある。「ところで先生、私のお腹にいたアニサキスってどんな虫ですか?」。さっきまでの動転がウソのようにタカビーに振舞う女医さんに尋ねた。「あらいないわ」。女医さんは味もそっぺもなく、まるで人事のように言うのである。正直、腹が立った。服装を整え、帰りがけドックの受付に寄ったら「本会計に行って治療代5,000円を払っていってください」。「えっ、治療?アニサキスは途中で落としてしまったようだよ」。再び腹が立って思わずそう言おうとしたが、馬鹿馬鹿しくなってその言葉を飲み込んだ。


受付


 「俺ねえ、治療にしろ、人間ドックの胃カメラにせよ若い女医さんにばかり当たるんだよ。毎回なんだ。それも新米のような・・・。俺って若い女性にモテルのかねえ・・・」




 ある時、親しい大学病院のベテラン医師と酒を酌み交わした時、そんな話をしたら


 「あなたはバカだねえ。あなたのようなタイプの患者さんには新人を当てるに決まっているじゃない。なぜかって?太っていて、いかにも鈍感に見えるからねえ・・。どんな医師だって、どんな難しい手術だって必ず≪始めて≫があるのさ。医学はそうして進歩するんだよ。誰かがそれを担ってくれなきゃあ・・・」




 「冗談じゃあないよ。俺、いつも練習台かい?俺の立場にもなってみろよ・・・」




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泣きっ面にハチ

 「泣きっ面にハチ」「弱り目にたたり目」。昔の人は、うまい格言を残したものだ。人間、良くないことが一つ起きると不思議というか皮肉なことに、それが重なるもの。ご親族の葬儀の帰り道、家族もろとも交通事故で死亡、などというお気の毒な報道を目にすることもある。

病院2

 私の場合もこの「泣きっ面にハチ」「弱り目にたたり目」。一年ちょっと前、自らの不注意が原因で、未だにムチウチ症(頚椎捻挫)のリハビリ治療に通っている。それはそれで仕方がないと諦めているのだが、今度は中耳炎を患い同じ病院の耳鼻科へ。女房からは「子供みたい」と、笑われる始末。一ヵ月近くもかかってそれが治ったと思ったら、今度は「帯状疱疹」なるものに。女房が言うように中耳炎は、悪ガキの頃、水遊びが原因してか患ったことがある。しかし「帯状疱疹」は初体験。



 横っ腹から背中にかけて帯状に≪みみず腫れ≫のように赤く腫れあがった。最初は畑仕事で虫にでも刺されたのかなあ~と思っていたら、むずがゆさばかりでなく、その範囲が次第に拡大、今度はお腹まで痛くなった。下痢の症状もない。おかしいな、と思いながらも半信半疑。「お酒の飲み過ぎ」ぐらいに考えて、一人で虫刺されの余り薬を塗っていた。


塗り薬


 これを見ていた女房殿。「お父さん、これ虫刺されなんかじゃあないですよ。帯状疱疹に間違いないわ」と、心配そうに言うのである。「おまえ、医者みたいなことを言うじゃないか」と言ったら「以前、私のお姉ちゃんがやっぱり虫刺されぐらいに思っていて重くしてしまい、長く苦しんだことがあるのよ」と解説付きで医者に行くよう促した。




 医者の見立ても女房が言う帯状疱疹。この病は痛みがお腹など別の所に放散するのが特徴だという。お酒の飲み過ぎではなかった。医者はズボラな私を戒めた。女房は、もっと叱ってやってください、と言わんばかりに「全く、あなたは何時もそうなんだから・・・」。その日から点滴と投薬の治療が始まった。


点滴


 この医者は隣村(地区)で代々内科小児科医院を開業している院長さん。私にとっては従兄弟で、困れば飛んで行く。いわばホームドクターだ。お父さんやおじいさんの現役時代もそうだったが、私の家族の身体は知り尽くしていて、例えば私の細い血管への注射も難なく決める。点滴を受けながら「おまえは注射がうまいね」と言うと、こんな答えが。





 「俺たち地域の開業医は毎日、子供からお年寄りまで診ているんだ。中には血管まで痩せ細って見えないお年寄りだっている。大学病院の勤務医のように分業や看護師に委ねるようなことも出来ない。開業医はまさに患者さんと一対一のスキンシップ。注射だって上手になるさ」




医師


 従兄弟の日常を見ていて「地域の開業医は大変だなあ」とつくづく思う。医院での診療ばかりでなく往診もする。平地ばかりでなく山間地もある。急患があれば電話一本で飛んで行かねばならない。曜日も夜、夜中も関係ないのだ。地域医療をまさに支えているのである。地域の人たちから見ると頼りになる≪赤ひげ先生≫。一方ではその分、ストレスだって溜まる。そんな時には休日、思い切ってゴルフへ。大学時代に習ったというゴルフは一級の腕前だ。




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デブの細い血管

病院


 自分では自らの神経が太いのか、細いのかは分からないが、血管だけは間違いなく細い。私の身体にだって、あるべき所に血管が走り、それなりの血液が流れているのだろうが、見た目では分からないのだ。お医者さんや看護師さん泣かせの血管なのである。




 勤めをリタイアした後も毎年一度、かみさんと一緒に人間ドックに行く。そのドックで検査メニューの中に必ずあるのが採血。ここでほとんどの看護師さんが手こずるのだ。血管が細く位置が分かりにくいので、採血までに悪戦苦闘するのである。そんな姿を見る前に「私の血管は分かりにくいんですよ・・・」と、こちらから言い訳するのだが、針の先で血管を探されるのは内心、いいものではない。採血する時のポーズからも、その一部始終が見えるから始末が悪い。正直言って、いくら鈍感な私だって気にもなる。


注射器  
 
もちろん看護師さんは無事採血を終えるのだが、中にはベテランの先輩にバトンを委ねるケースも。こんなこともあった。もう大分前のことだが、盲腸(虫垂炎)を手こずらせて甲府市内のある総合病院で緊急手術をするハメになった時のことだ。採血だったのか、静脈注射だったかは忘れたが、針が血管に入らないのだ。若い≪看護師さん≫は脂汗をポトポトと落とし始めた。それもそのはず。10人前後はいる看護師さんの注視の中だった。




 気の毒というか、可愛そうになった。「いいんですよ。ゆっくりやってください」。ヘンな所で女性に優しい自分がおかしくなった。そんなことを言えば言うほど大粒の脂汗が。「誰か代わってあげたらいいのに・・」。そんなことを思い始めた矢先、戴帽から婦長さんらしき看護師さんが年配の男性医師を連れて来た。看護師さんが気を利かせて求めた援軍である。

病院3


 「〇〇先生、私にやらせてくれませんか?」。そこで初めて気付いた。脂汗の若い≪看護師さん≫は女医さんだったのである。「お医者さんのくせに・・・」。なぜか無性に腹が立って来た。人間とは勝手なもの。今の今まで悪戦苦闘を励ますように許して来たのにプロの医者と分かると、途端に「この野郎」と手の平を返すのだ。




 この女医さんとは、この時ばかりのお付き合いではなかった。盲腸手術の執刀をしていただいたかどうかは分からないが、術後も終始、主治医としてお世話を頂くハメに。私の虫垂炎は、腹膜炎を誘発するほど手遅れ状態での緊急手術だったせいか、自分でも分かるほど術後の経過は悪かった。手術から数日後。お腹がパンパンに膨れ上がり、激痛を伴うようになった。

女医さん


 「先生、お腹がどうもヘンですよ」。若い女医先生は、そんな私の切実とも言える訴えに、いともそっけなく「あらそう・・・?」。
 お腹の中で化膿を起こしてしまったのである。一旦は縫った傷口を開き、その日からお腹に溜まる膿を除去する治療が始まったことは言うまでもない。傷口から長い帯のようなガーゼを突っ込んで、膿を吸わせるのだ。それを引き抜く時は一瞬だからいいが、入れる時にはピンセットで順送りする。可愛げもなく乱暴に扱うのだ。やっぱり私の神経は細いのかもしれない。痛い。たまったものではない。お陰で私のお腹にはでっかい大きな傷が残っている。あれから20数年。ツッパリ気味だった若い女医さんも如才のないベテラン先生になっているだろう。




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ピーナッツと落花生(再)

落花生4



 昭和51年、この年に起きたロッキード事件は米国の航空機メーカーを巻き込んだ、わが国政治史上まれにみる疑獄事件に発展した。時の宰相・田中角栄はこの事件で失脚、間もなく、逮捕されるなど日本の政界は混乱の渦に飲み込まれた。それから30数年、刎頚の友と言われた田中角栄元首相、小佐野賢治元国際興業社主、それに日本の黒幕といわれた児玉誉士夫氏ら事件の主役達はいずれも鬼籍に入ってしまった。




 受託収賄罪。当時としては比較的耳慣れない、この刑法用語がこの事件でポピュラーになった。もう一つ、贈収賄のキーワードとなったのがピーナッツである。つまり、捜査に当たった東京地検が宰相・田中角栄の犯罪として立件を目指したのが受託収賄罪であり、その収賄の現金授受の隠語がピーナッツであった。田中角栄は当時、やはり米国のグラマン社と日本への航空機の売込みを競っていたロッキード社のコーチャン副社長からピーナッツという名の賄賂を受け取り、それに便宜を図ったと言うのである。





 この事件を伝えるテレビ、ラジオの裏番組では、双子の姉妹歌手ザ・ピーナッツが茶の間で人気を集めていた。双子歌手や双子タレントの草分けであつた。もちろん、この二つのピーナッツはまったく関係ないのだが、賄賂の代名詞に対し、こちらは双子の代名詞になったのである。今ではピーナッツという言葉も忘れられたし、ザ・ピーナッツもお茶の間のテレビから姿を消して久しい。

ザ・ピーナッツ


 ピーナッツ南京豆ともいい、落花生の実のことを言う。落花生は実に不思議な植物である。お恥ずかしい話だが、私は60歳の半ばになるまで落花生の実はその根につくものとばかり思っていた。ところ、これが大間違い。文字通りの「落花生」で、花が弦のようになって、地に落ち、実を付けるのである。


落花生1


 私の親しい友人の一人に萩原さんと言う男がいる。この人は私のパソコンの師匠でもあるのだが、ある時お宅を訪ねたら「いい落花生の種があるんだけど蒔いてみるけ。その生育過程をちょっと注意してみていると感動するよ」と言ってくれたのが、その不思議を知るきっかけであった。この萩原さんは実に勉強家で、創意と工夫に旺盛な人である。


落花生2



 春先に蒔いた落花生の種は間もなく芽を出し、7月下旬ごろから青い葉っぱを沢山付けた枝に黄色い花を付ける。ここからが感動的なのである。この黄色い花がいつの間にかに弦で垂れ下がり、地中に潜るのである。つまり、落花生の実を沢山収穫するためには沢山のいい花を咲かせることもさることながら、花が落ちる所にしっかりと土を盛ってやらなければならない。最初、そのことを知らない私は根元にばかり土寄せしたものだから、花は弦で垂れ下がったものの、潜るところがなく、空中ブランコ。大失敗で、苦笑いしたものである。


落花生3  
 

 今の子供達は、もちろんロッキード事件のピーナッツも、双子姉妹のザ・ピーナッツも知らない。そんなことはどうでもいい。だが、この落花生が織り成す感動だけは教えてやりたいと、正直思った。いい歳して、たわいもないと笑われるかも。




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年寄り笑うな、行く道だもの

手 1


 「子ども叱るな、来た道だもの、年寄り笑うな、行く道だもの」 


誰が言ったか知らないが、うまい事を言ったものである。私達、生きとし生けるもの、すべての人間への教訓だ。だが、人間は、およそ、叱られ、怒られ、笑われながら生き、死んで行くものかも知れない。




とはいっても、私には子どもを叱ることは出来ても、お年寄りを笑ったり、蔑むことは到底出来ない。自分が間もなく、そのお年寄りとやらの仲間入りをしなければならないことを、実感せざるを得ない年齢に差しかかろうとしているからだ。


敬老会2


身近には、時々、意味不明なことを言い、明らかに痴呆というか、認知症が始まっている母親がいるし、3分、5分前の事を忘れ、何度も同じことを聞いたり、言ったりする従兄弟もいる。母親は間もなく95歳、話の従兄弟は間もなく92歳になる。考えてみれば人間、90の歳にもなれば、そうなっても不思議ではない。第一私にはそこまで生きられないだろう。




叔母と甥が一緒に認知症に。それもそのはず、叔母、甥の関係とはいえ、その歳の差はわずか三つ。普通なら兄弟みたいな年齢だ。私と、その従兄弟は24も歳が違う。まさに親子の歳の差である。




「貧乏人の子沢山」などと大臣が言ったら、その首が飛びかねない、揚げ足取りのような今の世の中だが、この言葉も言い得て妙。昔なら7人、8人の兄弟がいるのは普通。9人、10人だって珍しくはなかった。経済的には決して恵まれていたとはいえない時代だったはずだ。9人も10人も子どもがいれば、その子どもの年齢差が一番上と一番下とでは20も25も違って不思議ではない。今、騒がれている少子化がウソのようだ。




事実、私の親父は9人兄弟の末っ子、母親は8人兄弟だった。母親は長女だったから叔母と姪の年齢が逆転していた。子供の頃、母親が明らかに年下に見える人を「叔母さん」と呼んでいるのを見て、どうしても理解できなかった。親父の兄弟は自らも含めてすべてがこの世を去り、母親の兄弟も半分になった。

敬老会


母親は足腰が弱く、自力歩行は困難。だから、医療介護の病院で看てもらっている。緊張感どころか、何不自由ない毎日を送っていると痴呆が進むのか、最近は時々、おかしなことを言うし、昨日のことをみんな忘れてしまうのである。東京や埼玉から来る二人の弟達夫婦はともかく、せっかく来てくれた友達や近所の人たちを忘れてしまうのだから始末が悪い。時には「どなたでしたっけ」とやってしまうものだから、そばにいる私達はひやひやものだ。さすがに、頻繁に行く私達夫婦、特に女房の顔は忘れない。一番世話になっている、ことを知っているのだろう。それも時間の問題かもしれない。




元気な頃は歌など歌ったことがない母親が、最近、童謡や軍歌を歌うのである。それも正確に歌うのだ。昨日の事は忘れるのに、子供の頃や昔のことは覚えているのである。そんな母を見ていると、無性に目頭が熱くなる。自分も含めて、みんなが行く道、たどる道とはいえ、寂しい思いがする。「頑張って長生きして」。心で祈りながら母の顔を見た。




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差別と区別

人権


  議会の同意を踏まえた市町村長の推薦を経て法務大臣が委嘱する人権擁護委員。その連合組織がどの都道府県にもある。「〇〇人権擁護委員連合会」というヤツで、それぞれが事務局ばかりでなく、常務、総務、研修、救済、男女共同参画、子ども人権など各種の委員会を設けて活動を支えている。山梨県には210人の委員がいて人権擁護の実践と啓発活動をしているのだ。もちろん各地の地方法務局と密接な連携下にあることは言うまでもない。




 男女共同参画。ここでは人権擁護の観点からの取り組みだ。この言葉は法整備(男女共同参画基本法)とも相まって社会に根付きつつある。男女機会均等法とともに女性の地位向上や社会進出ばかりでなく、男女の差別の解消に大きな貢献をしていることは確か。官公庁、民間を問わず、その考えはかなり浸透していて、待遇面での格差もだんだん解消されつつある。職場には女性の管理職が目立って増えた。特に行政はその男女共同参画に積極的な後押しをしている。

人権2


 先頃、私の手元に山梨市の福祉事務所から一通の書類が届いた。民生委員・児童委員と主任児童委員候補者の推薦を求める文書である。その手引き書類の中には、こんな一文が。




 「・・・推薦に当たっては、女性の積極的な登用に努めるよう、云々。特に定数2名以上の地区は、出来る限り女性も含めた推薦を・・・」




 女性の積極的な登用を促しているのである。民生委員は地域代表が候補者を推薦、法律に基づいて設けられた市町村の推薦委員会が協議を経て厚生労働省に推薦、大臣が委嘱する仕組み。人権擁護委員との手続き上の違いは関係省庁の違いもさることながら、首長の推薦ではないことと、議会の同意を伴わないことだ。子ども達のいじめや虐待、近隣トラブルや家庭内暴力は人権擁護委員、今話題の高齢者の放置や孤独死などの救済は民生委員の任務の範疇。特に民生委員の任務には地域性が強い。


人権キャラクター2


 この二つの業務は推進上に共通して難しい問題を抱えている。法律との兼ね合いだ。例えば個人情報保護法。必要な情報の入手、交換がますます困難になる一方で「プライバシー」と言う誰しもが持つ権利が厳然と立ちはだかるのである。人権擁護委員にしろ民生委員にしろ、このプライバシーという「印籠」を突きつけられると、そこに明らかな解決すべき問題点があっても前に進み難いのだ。そのジレンマはなんともし難い。




 男女共同参画は、その法制化(平成11年6月)によって大きく前進しつつある。しかし、ちょっと頷けないのは、男女の「差別」ばかりだけでなく、「区別」までなくすような動きが目立つことだ。「差別」と「区別」は明らかに違うし、「男」と「女」は構造的にも、生理学的にも違うはずだ。「差別」解消を叫ぶあまりに「区別」まで巻き添えにしているような気がしてならない。例えば人の呼び方を「君」「さん」ではなく「さん」に統一するくらいならまだいい。学校の運動着を頭の先から爪の先、つまり、帽子から運動靴までみんな同じにしてしまうのだ。これこそ「差別」と「区別」のはき違い。男女の個性はどこかに行っちまう。その結果が「草食系男子」の増大に、と言ったら言い過ぎだろうか。




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「今時の若者」

人権イメージキャラクター  


 「今時の若者」。大人たちが言う、この言葉は、いい意味でも使うが、多くは批判的な場合が多い。自分たちの世代や大人の目線だけで、若者達を揶揄するのである。「今時の若い連中の言葉遣いはなっちゃあいねえ」「今時の若者の服装はなんだ」「今時の若い奴等は根性がねえ」・・・。こんな具合である。




 でも、この言葉ほど不思議な言葉はない。そんなことを偉そうに言っている大人だって、若い頃は同じことを言われて来たのだ。若い頃言われたことを大人になって言い、自分とはまったく無縁のように、それを繰り返していく。それに何の違和感もないから不思議である。



 いやいや、「今時の若い者」などと、とんでもない。「今時の若い者」に、いい意味で驚かされることばかりだ。改めてそれを痛感させられたのはつい最近のことである。一つは山梨県人権擁護委員会が山梨県の中学生を対称に募集した「人権」をテーマにした作文。もう一つは山梨県高校芸術文化祭実行委員会と山梨県高校ユネスコ連絡協議会が開いた「高校ユネスコ主張大会」。いずれも審査員として末席を汚させていただいた。


原稿


 文章と言葉の違いこそあれ、若者達はしっかりと「今」を見詰めながら「未来」を考え、模索しているのである。中学生の作文を読み、高校生の主張を聞きながら、自らに重ね合わせて「俺たち中学生や高校生の時分、こんなにしっかりした考え方を持っていたのかなあ」と。正直な気持ちだった。そんな思いを確かにするように別の年配審査員も期せずして同じ感想を漏らしていた。




 人権作文の応募は約5,000点。いくら手分けして読むとはいえ、限られた審査員だけで読みきれるものではない。学校審査や人権擁護委員から選ばれたブロック審査員による審査で、段階的にノミネートされた作品を読んで行くのだ。つまり、学校審査、ブロック審査を経て、県レベルの中央審査で優秀作品が決まるのである。




 ブロック審査、中央審査に到るまでの作品を読ませて頂いた。「中学生の皆さんが一生懸命に綴った作品。丹念に読まねば・・・」。夜なべしての作業である。テーマはいじめや差別、障害者への対応、戦争と平和・・・。みんな上手だ。学校での学習や自らの体験をオーバーラップしながら人権の尊さ、大切さを書いている。


人権3


 一方、高校ユネスコ主張大会。山梨県内の高校生の代表10人が規定部門と自由部門で弁論を競うのである。規定部門は核兵器のない世界、貧困からの救出などに国連は何をなすべきかを。また自由部門は食糧問題や識字活動、環境問題や世界遺産の保護などユネスコ活動全般がテーマ。持ち時間の6分をフルに使って会場いっぱいの聴衆に訴えるのだ。



 「甲乙つけがたい」。審査講評ではそんなことを言わせて頂いた。



 文字による人権作文にしろ、言葉によるユネスコの主張にしろ、共通しているのは若者たちがしっかりとしたものの考え方をしていることだ。いずれの作品も多くの中から選抜、ノミネートされたものとは言え、どうして、どうして。今風の若者たちは立派だ。




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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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