座敷の雛飾り(再)

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「灯りを つけましょ ぼんぼりに・・・」
この間、節分、立春を過ぎたと思ったら、もう雛祭り。今年も女房が奥座敷に七段飾りのお雛様を飾った。一人娘が生まれた時、義父母、つまり女房の親から贈られたものだ。もう40年も前のことだ。でも少しも痛んでいない。サラリーマン現役時代、甲府に住んでいた時分は家が狭かったから、そこで飾ることもママならなかったが、今はスペースに事欠かない。こんな時は田舎家はいい。心なしか一つ一つのお雛様ものびのび、生き生きしているように見えるから不思議だ。


雛人形



 娘が生まれたのは昭和45年10月。この年は作家・三島由紀夫が東京・市ヶ谷の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で壮絶な自決を図った年。このショッキングな事件は娘の誕生の一ヵ月ちょっと後だったので鮮明に覚えている。私が28歳になろうとしている時だった。今の娘の年よりずっと若かったことになる。





 40年という歳月。あっという間だった。光陰矢のごとし。雛飾りを眺めながら、しみじみとこの言葉を実感した。ふと、周りを見れば、この雛飾りを贈ってくれた女房の両親と私の親父もとっくに他界。唯一残るおふくろも95歳になって自力での生活は困難に。病院にお世話になっている。認知症の症状まで出てきた。主役の娘ばかりではなく、私たちにもこの雛飾りにはさまざまな思い出がいっぱい詰まっているのだ。




雛人形3



 田舎でも住宅構造は、どんどん変わり、合理的で、コンパクトな間取りになったので雛飾り、特に大型の雛壇飾りはしにくくなった。だからなのか、訪ねて来る近所の人や女房も含めての友人、知人はみんな自分の事のように大喜びするのだ。そこにはそれぞれの子ども達や自らの若かりし頃の思い出をオーバーラップしているのだろう。その一つ一つの顔は歳をとっても純真そのものである。



 その一人が言った。


「俺のところは男の子。毎年、端午の節句には鯉のぼり武者のぼりを立てるんです。のぼりを立てるための竹竿が痛んでしまったので、知人にお願いして竹やぶから太い立派な竹を何本か頂いて来た。準備は万端。大きな鯉のぼりが今年も五月の風に泳ぎ、それを上回る武者のぼりがはためきますよ」



鯉のぼり


 自分の事のように嬉しそうだった。他の地方のことは分からないが、山梨では端午の節句に鯉のぼりと共に武者のぼりを立てる。文字通り武者絵をあしらったのぼりで、その丈は10m近くもある大きなものだ。鯉のぼりだって大きい。だから、それを支える竹竿だって、よほど太く、頑丈なものでなくてはダメ。市販の金属製のものだと風の圧力に負けてしまうのだそうだ。杉などの木を使う人もいるが、弾力のある竹の方がいいという。





 女の子にせよ、男の子にせよ、子どもの健やかな成長を願わない親はいまい。桃の節句、それを追っかけるようにやってくる端午の節句。そんな機会に大人たちも自らの子どもの頃を懐かしんでみるのもいい。しかし、我が家もそうだが、一人っ子が気になる。私の兄弟は4人だった。すでに結婚した甥、姪達には「子どもはたくさんがいい」と言っている。自分が歳を取ったらよく分かる。

雛祭り



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密約のドキュメンタリー

 「日本を頼みます」。そう言って駅のホームで外務官僚となった教え子を見送り、動き出す電車に向かって深々と頭を下げる一人の男。茶の間のテレビは、そんな光景を映し出していた。ざっと40年前の沖縄返還。その実現に舞台裏で密使として動いた一人の男のドキュメンタリードラマ。終盤の一場面だった。




 米国はジョンソンからニクソンに政権が移ろうとしている時であった。時の首相・佐藤栄作は、なんとしても沖縄返還の道筋を付けたかった。その密使として働いた一人の男。政治家でもなければ、ましてや外務官僚でも外交官でもない。名もない学者だった。この人物、なぜかホワイトハウスの大統領ブレーンに知故を持ち、パイプがあった。キッシンジャーもその一人だった。佐藤はこの男に全権を託し、キッシンジャーらホワイトハウスの側近を介して極秘裏に返還交渉に当たらせるのである。




 このドラマのキーワードは「密約」。表向きは「核抜き本土並み返還」。しかし佐藤・ニクソン会談の裏では、有事の場合、日本が米国の沖縄への核持ち込みを認める密約文書を交わしていたのである。佐藤は「非核三原則」をわが国の国是としていた。それは世界的にも評価され、佐藤はこの時を前後してノーベル平和賞を受賞するのだ。


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 折りしも世界は米ソを核とした、いわゆる東西冷戦時代の真っ只中であった。沖縄を極東の重要な軍事拠点と位置づける米国が無条件で返還交渉に応ずるはずがない。私のような盆暗でもそんなことは分かる。国是に掲げる非核三原則だって、本当に守られていると信じている国民なんか居なかったはずだ。日米の力関係、さらには沖縄に散在する治外法権の米軍基地にあって核の持ち込み云々を、事実上チェックするすべがないことを知っている。一方、周りを海に囲まれた日本。核を搭載した空母や原潜が寄港したり、領海を航行したとしてもだ。本音と建前。外交には本音を隠した建前がモノを言うのだろう。




 ドラマで描くもう一つのキーワードは「ギブ・アンド・テイク」。米国は有事の場合の核持ち込みにとどまらず、日本の繊維輸出削減をも迫った。密使は、そんな交渉事に決死の思いで当たって行くのである。「まずは返還」であったことは言うまでもない。晩年、返還当時と遅々として変わらない沖縄に憂いを見せる。「日本を頼む」。外務官僚に育った教え子にわが国の将来を言外に「何とかして」と、祈るように託すのである。そのシーンは切実。ついつい晩酌の杯を重ねながらアホ面してテレビを見ていた私でさえ心を打たれた。



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 この密約の事実。米国の公開公文書で明らかになったものだが、あれから40年。その沖縄が火種となって新たな政治の混乱を招いている。元をただせば、政権交代時の不用意な民主党の基地政策や、それをめぐる稚拙な発言が政局混迷の導火線になったことは否めない。普天間基地移転問題に端を発した混迷の導火線は肝心の日米外交をギクシャクさせてしまったばかりではない。
  間接的とはいえ、ロシアとの北方領土問題にもよからぬ火をつけた。こちらは致命傷といっていい。尖閣など日本海諸島を巡る中国、韓国など隣国との混乱の誘因にも。そんな空気はアホな私ばかりでなく、うちのかみさんだって読める。「こんなことをしていて日本は大丈夫?」。みんなそう思っている。 良くも悪くも佐藤のような政治家は出て来ないのか。




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春の足音

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 日が長くなった。午後5時半。ついこの間まで、5時と言えば真っ暗だったのに、まだ明るい。最も日が短い時季だと4時半といえば暗くなった。その頃と比べると1時間以上も長くなった勘定だ。日本列島は東西に長い。だから日の出も日没も地域によって違う。
 列島のど真ん中。内陸の山梨のことである。門柱の向こうに黒く連なる御坂山塊の上にどっかりと浮かぶ富士山が夕日を浴びて輝いている。前衛の御坂山塊が黒く見えるのは、一足早く日差しを失ったからだ。今の富士山は、もちろん真っ白。10日ほど前、下界にも立て続けに降った雪で化粧は厚い。




 こうしてパソコンを叩きながら、ボ~ッと窓越しに外を眺めながら、いつも思うのだが、富士山という山は不思議な山だ。一っ時とも同じ顔を見せたことがない。さっきまで西側の頬を夕日に赤く染めていたかと思えば、それもつかの間。青い氷のように表情を変える。甲府盆地は四方が山。下界が暗くなるに連れ、周囲の山はどす黒くなり、その稜線がまだ明るさを保つ空との境界を神秘的に分けるのだ。西の山の稜線辺りに広がる夕陽の残照が消えると、それまで荘厳さを保っていた富士山も暗闇に消える。このパソコンの隅に表示されるデジタル時計を見たらちょうど6時だった。防災無線から、その6時を告げる童謡「花かげ」のメロディーが。


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 日中の日差しもなんとなく違ってきた。まだ外気は寒く、寒がりの私の身体ではそれ程実感しないのだが、寒さだって日に日に和らいできているのだろう。そういえば庭の白梅がいつの間にか花をつけ、晩生の紅梅も蕾を目に見えて膨らませている。私のように鈍感な人間と違って自然界は正直。タイムリーに反応する。


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 「お父さん、フキノトウが出てきたわよ。まだ採っちゃあ、もったいないかしらねえ・・・」


 畑にネギを採りに行った女房が、まるで宝物でも見つけた子どものように窓の外でこちらを見て得意そうに言った。その顔は純真。嬉しそうでもある。足元を女房が可愛がっている3匹の猫がまとわりつくように歩いていた。「おまえ達には苦くて食べられないよねえ。酢味噌和えと言って、お父さんのお酒のつまみにするんだよ」。女房は人間の言葉など分かりもしない猫たちに、そんなことを言っていた。




 今年は我が家の畑の片隅に生えるフキノトウが顔を出すのが遅いような気がする。夕飯時のテレビが伝える天気予報では「3月中旬の気温」と言っている。私の勘違いなのか。でも、いつもの年と同じように、ほろ苦いフキノトウで一杯やれる日が近いことだけは確かだ。女房が言うようにフキノトウは酢味噌和えが一番いい。酒飲みはヘンなところにこだわるものなのだ。


ふきのとう



 夕方6時に防災無線から流れる童謡「花かげ」。作詞者・大村主計は山梨市牧丘町の出身。2月から夕方の定時予報の代わりに市内全域に流すようになった。隣の甲州市では「七つの子」、また別の地区では「靴がなる」。そんなメロディーと共に一日が暮れて行くのである。因みに「花かげ」は「十五夜お月さん ひとりぼち 桜吹雪の花かげに 花嫁姿のお姉さま ・・・」の歌詞で始まる。 大村が自分のお姉さんをモデルに作った、といわれている。




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柏の外交官

 私は、そのご婦人を「柏の外交官」の愛称でお呼びしている。はっきりとモノを言い、そのくせ、物事に角を立たせない。誰とでもすぐにお友達になってしまうのだ。性格は底抜けに明るく、屈託がない。初対面でも決して構えないから、相手側もスッと引き込まれるのだろう。「でもねえ、物事、大雑把過ぎて困るんですよ」。一緒に居るご主人は、そんなことも言う。確かに大雑把であることは間違いない。だからいいのだろう。




 このご婦人、うちのかみさんの女子大時代の同級生。ご婦人だから、あえてお歳を言わないが、言わずもがな≪それなりの≫お歳だ。そんなご縁で、もう長い間、家族ぐるみのお付き合いをさせて頂いている。お住まいは千葉の柏。山梨の片田舎の我が家にも、ちょいちょい遊びに来てくれる。同級生の女友達数人の時もあれば、ご主人をお連れすることもある。お陰で、ご主人とは、いい酒飲み友達になった。2~3日お泊り戴いて、ゆっくり酒を酌み交わしながら、たわいもない話をする。来ない時にはうまい酒が届く。


酒


 ご主人はたまたま私と同い年。数年前、大手鉄鋼電線メーカーの幹部を退き、今は私と同じ「毎日が日曜日」。私がズボラで、どちらかと言えば文系の人間としたら、こちらは典型的な理系タイプ。物事を几帳面に処理し、やる事なす事、全てが論理的だ。私のように不器用で、型にはまったり、面倒臭いことが嫌いなタイプの人間とは対照的。我が家に来ても電気器具のちょっとした修理なんか朝飯前だ。そんな対照的な私達は妙に気が合う。もちろん、奥さんの性格とも対照的。世の中、夫婦も、友達も性格が異なる者同士の方がいいのかもしれない。電流(極)のプラス、マイナスの原理かも。




 「今度、一緒に上海に行きませんか。私も上海の現地法人の社長として、その立ち上げに奔走したことがあって1年以上、現地にいたことがありますし、中国人の知人も何人かいます。不自由はお掛けしませんよ。上海ばかりでなく、そこからそう遠くない蘇州も案内します」


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 ちょうど一年前の昨年3月のことだった。瓢箪から駒。酒飲み話から発展、私たち夫婦は、そのご夫婦と上海、蘇州へ。5日間の旅を案内してくれたのは、ご主人が言う親しい中国人の2夫婦。日本語はぺらぺら。自宅の高級マンションにも招待してくれ、中国のバブルぶりをまざまざと見せてもくれた。一画は特別なセキュリティーが施され、高級レストランやショッピングセンターが配置された、いわばセレブの街。
 その時である。「私、ちょっとお友達にも土産届けて来るわ」。そう言い置いて「柏の外交官」は、広大な敷地に広がる閑静なマンション団地に消えて行った。後でお聞きしたら、その「お友達」は、以前、柏からご主人の元を訪ねた時に知り合った中国人。久しぶりの再会を喜び合い、話が絶えなかったという。


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 ことほど左様。もうお一方の中国人案内者は商社マン。若い頃、サントリーに勤め、今は関連の飲料を数カ国を股に商いしている。仕事柄、千葉に≪別宅≫を持っていて、その奥さんと「柏の外交官」がスポーツジムのプールで顔見知りになったのがきっかけ。家族ぐるみの交流に発展した。その交流は山梨にも波及。昨年夏の来日の折には我が家にも泊って、数ヶ月前の思い出話に花を咲かせた。中国、日本ばかりでなくシンガポールなど各地を飛び回る商社マンだから今でも行く先々からメールが届く。あっけらか~ん、と振舞う「柏の外交官」は、私たちにも海を越えた交流を育んだ。




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ハウスの中の転落

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 脊髄の圧迫骨折。知人が救急車で病院に担ぎ込まれた。脚立から落ちて腰を地面に叩きつけられたのが原因である。サクランボのハウスの中で作業中、ちょっとした弾みでバランスを崩して脚立ごとひっくり返った。8段、高さ2・5mぐらいの脚立の中段、やや上からだった。私も経験があるが、脚立は怖い。今の脚立はアルミ製で軽く出来ているので、持ち運びや移動には便利だが、バランスを崩すと、ひっくり返り易いのか欠点。知っているだけでも何人かの人たちが痛い目に遭っている。



 「俺ねえ、注意はしてたんだよ。ビニールハウスの鉄骨の歪みをなくそうと力を入れた、ちょっとした弾みだった。ひどい目に遭っちまったよ。やっぱり脚立は怖いね」



 私より四つ上だから今、72歳。奥さんと一緒に1ha近い果樹園を耕作している。巨峰やピオーネなど大房系のブドウとサクランボが中心。夏から春のブドウ、春から夏のサクランボと、上手に労力配分しているのだ。冬場には枯露柿作りも。いわゆる篤農家。そればかりではなく地域のリーダー的な存在で、私の前任区長としてもご苦労頂いた。その前は山梨市の市議会議長。若い時は市の消防団長も務めた行動派の方である。


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 それが一転、しおらしくなって病院のベッドの上に。転落から救急車までの顛末を話してくれた。それによると、サクランボのビニールハウスは山地にあって一人で作業中だった。脚立ごとひっくり返った時、しばらくは唸ったまま身動き出来なかった。この時季の日暮れは早い。夕刻が迫っていた。「このままではヤバイ」。必死の思いでハウスの外に這い出し、止めておいた軽トラックで、やっとの思いで自宅に戻った。無我夢中だった。



 「救急車を呼んで病院へ・・・」と促す奥さんを「一晩寝れば大丈夫だ」と一喝。泥だらけの身体だけ洗ってもらって床に就いた。救急車が嫌だったという。翌朝。痛みが治まらないばかりか、起き上がりようにも全く身体が動かない。救急車に頼るほかなかった。





 この辺りは、南アルプス市の白根という地域と並んでサクランボの一大産地。サクランボの本場といえば、もちろん山形。その植生上、山梨はわが国の南限。本場の山形に対抗するためには、タイムラグを狙うほかはない。気温差の露地ばかりではなく、ビニールのハウス栽培に力を入れている。大きな木を畑ごと包み、加温して促成栽培をするのである。


サクランボ


 もちろん燃料は重油。このところの重油の値上がりで、ハウス栽培農家は頭が痛い。温度調節は自動制御。たまたま降った雪を尻目にハウスの中は、もう春。間もなく白い花を着け、授粉作業へとリレーする。4月から5月にかけて収穫期を迎えるのだ。真っ赤なサクランボが、本場山形に先駆けて東京や関西などの市場に出回るのである。人は「赤いダイヤ」という。もちろんお値段は・・・。出始めは私たちの口にも入りにくい。



 「治療はどうやら時間がかかりそう。場合によっては、ハウス栽培を諦めて露地栽培に切り替えなきゃあならんかなあ・・。この身体、ミノムシのようにギブスで固めるんです」



 そんな治療が待っている。後を委ねる後継者が居るわけではない。気丈な人だけに泣き言は言わないが、その言葉の裏には限りない、無念さがにじみ出ていた。




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独身貴族の結婚

 独身貴族といったら、ちょっと言い過ぎだし、歳を取り過ぎているかもしれないが、そんな友がついにゴールインした。何歳だって? 私の中学時代の同級生だから、紛れもなく68歳。お相手は45歳の才女である。ご両人とも初婚だ。蛇の道は蛇。そんな≪ビックニュース≫が仲間たちの耳に入るのにそれほどの時間はかからなかった。


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 「〇〇が、この度、めでたくゴールインしました」


 毎月一度、無尽会形式で開いている同級生の飲み会で、仲間の一人が口火を切った。照れ臭さが先に立って自分から言い出せなかった本人に代わっての≪暴露≫だった。暴露と言うより、親心ならぬ≪友達心≫と言った方がいい。




 渡りに船。「実は・・・」。当のご本人は照れ臭そうな表情を見せながらも、ニコニコとゴールインの顛末を披露し始めた。「いち早く、ここに居るみんなには報告しなければいけなかったんですが、なんとなく言いそびれちまって・・・。歳も歳だから晴れがましい結婚式なんかしないつもりさ」。


 「形式なんか、どうでもいいじゃあないか。とにかく、よかった、よかった」



 「奥さん、45歳? 若くていいなあ~。おまえ、贅沢だよ。とにかく早く子供を作れ」


 冷やかしが半分、仲間たちの正直な気持ちだった。


 「次回は、こいつのお祝い会だ」


 「幹事、お祝いの記念品を用意しろ」

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 同席していた14人の仲間たちの間からどこからともなく、そんな声が飛んだ。ちょうどその時、≪新婚さん≫のケイタイが鳴った。≪新妻≫からの電話であることはいうまでもない。ニコニコ話している≪新郎≫に、幹事役のY氏は「オレにその電話を貸せ」。



 「今、ご主人から話を聞きましたよ。おめでとう。大事にしてあげてくださいよ。ところで、お祝いの品を差し上げたいのだが、どんなものがいい? 1万円ぐらいで・・・。時計みたいなものがいいかなあ・・・」



 「そんなご心配は・・・」。相手側の声は聞こえないが、幹事と新妻のやり取りが手に取るように伝わってくる。


 「おめでたの記念品だ。1万円などとシケタことを言うな。幹事、もっとしっかりしたものを用意しろよ」


 これも何処からともなく、そんな声が。気心が知れた、いわば幼馴染。この日に限らないが、みんなが言いたい放題。何事も最後は、回り番この「幹事一任」。話は早い。


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 この日の飲み会は終始、独身貴族が奏でてくれたゴールインの話題。平たく言えば酒のつまみになった。芸能人や有名タレントならメディアだって放っておかない話題だ。


 「オレも、ふた回りも違う若い嫁さんを貰いてえよ」


 羨ましい。そこに居合わせた男たちの共通した思いだった。「バカ言え。そんな人が俺たちに来てくれるはず、ねえじゃないか。第一、そんなこと言えば、かみさんに追い出されるぞ」。




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ニトロのペンダント

 心筋梗塞で倒れ、九死に一生を得た友は言った。

 「人間というヤツは痛い目に遭わないと分からないことがいっぱいあるもんだ」

 確かにそうだろう。そんな分かったような事を言っている私だって本当は分かっていない。健康とはそんなもの。例えは悪いが、親や女房、あるいは立場を変えて亭主など、居て当たり前の存在が突然いなくなった時、そのありがたさを痛感するのと同じ。もっと大事にしておけばよかった、と思ってもあとの祭りなのだ。

病院


 ロータリークラブの例会で自らの反省を踏まえて「病気の予兆を見逃すな」「万一の場合は救急車に頼れ」と説いた友のA氏は、首にニトロを入れたペンダントを吊るしていた。昨年暮れ、突然の狭心症発作で病院に担ぎ込まれ、治療を受けたあとのフォローだ。心臓の血管に出来た狭窄部分にバルーンを入れた。「もう大丈夫」と言う。ペンダントは、主治医はむろん、奥さんや息子さん夫婦らご家族の勧めだろう。備えあれば憂いなしである。




 A氏が卓話(ミニ講話)のキーワードにした「病気の予兆」「救急車」は、実は面白い関係にある。病気の予兆は、それなりに必ずある。ところが≪その時≫には気付かなかったり、無視してしまう。「そう言えば、あの時に・・・」。そんなことは大なり小なり誰でも経験がおありだろう。一方、救急車。≪その時≫に誰もがひらめくし、普段からもその大切さも知っている。

 
救急車_convert_20110216215346


 近所で救急車のサイレンが止むと「どなたが、具合が悪いんだろう」と、その家族の顔まで思い浮かべながら心配する。その裏返しなのか、当の本人がその対象になると、尻込みしてしまうのだ。A氏が言うように「ご近所に心配をかける」ことが躊躇に結びつく。「ピーポ、ピーポ」。私だってあのサイレンの音が嫌だ。結果的に狭心症で苦しんでいた頑固オヤジのA氏の場合も「救急車を呼ぶのならサイレンを止めるように言って・・・」と奥さんに促したという。




 緊急車両だからと言ってしまえばそれまでだが、あの音、何とかならないものか。患者にだって精神的に、いいはずがない。最近ではと言うより、随分前からだが、サイレンを鳴らしながら「右に曲がります」「左に曲がります」と、それも夜中、通行の車も人もいないのに所かまわず、アナウンスするのだ。救急車両が右左折のウインカーを出せば、自動的に発声する仕組みになっているのだろうが、「救急車のお通りだい」は無神経極まる。


病院


 横道にそれた。根っから真面目なA氏は「万一の場合の参考に、出来るだけ多くの人に自らのケースを話したい。知ってさえいれば、避け得る大事もあるはず」という。この人によれば、狭心症の≪体験者≫は意外に多い。お見舞いに来てくれた人に限ってみても、5~7%に及んだという。実は私の親父も狭心症で突然倒れた。享年は75歳だった。


 

 健康とは、損なってはじめて、そのありがたさを知るものかもしれない。ただA氏が体験から話すように自らや周囲の人たちがちょっとした知識を持っているか、いないかで事態は大きく変わる。場合によって、それが生死を分けるのだ。




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病の教訓

 「正直言って死ぬとは、こういうことかと思いましたよ」

 お見舞いにお伺いした病院のベッドで、ロータリークラブでご一緒させて頂いている親しい友のA氏がしみじみ言った。昨年暮れ、心筋梗塞で倒れ、間一髪、助かった。発作が起き、担ぎ込まれた病院で、意識がもうろうとなっていく。不思議なことにそれまでの激痛を伴う苦しみが和らいだ。「自分はこのまま死んでいくんだ」。そう思った。これも不思議なことに言い知れない安らかな気持ちになったという。因みにこの方は69歳。


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 発作を起こしたのは車の中。暮れもぼつぼつ押し詰まろうとしていたある日の夜。10時ごろのことだった。山梨市の自宅から10㌔ぐらいの石和温泉郷のホテルで開かれた同級生の無尽会に出席しての帰り道。少しだが、お酒を飲んだので、代行運転者を頼み、自宅に向かっていた。




 脇の下から肩にかけて激痛が走った。突然だった。「運転手さん、悪いけど窓を少し開けてよ」。身体がやたらと熱くなった。12月。山梨の夜はかなり冷え込む。それなのに上着のスーツを脱ぎ、肌着同然になっても熱い。「お客さん、苦しそうですね。このまま病院に行きましょうか?」。代行車の運転手さんも気遣った。「大丈夫。すぐに収まるよ・・・」。本人も一歩間違うと、自分の命を奪いかねない病魔が襲いかかって来ていることなど知る由もなかった。




 「その時、どうして病院に行かなかったんですか?」。帰り道には二つの大きな総合病院があった。後の祭りだ。お宅に帰ってからも、もちろん、発作は収まらなかった。奥さんや二世帯住宅で同居同然の息子のお嫁さんも心配して大騒ぎ。当然、救急車を呼ぼうとした。ここでも頑固オヤジぶりが・・・。「救急車なんか呼ぶな。ご近所に心配をかける」。結局、家族の運転する車で病院へ。「救急車で来なきゃあダメじゃあないか。あなたはバカだねえ。死んじまったらどうするんだ」。医者からこっぴどく叱られたという。



 今の医学は進んでいる。私たち素人には分からないが、心臓の血管にバルーンを入れ、狭窄部分を治療してしまうのだ。この方の場合、足の付け根から血管を通して管を入れた。手術の所要時間は3時間にも満たなかったという。そんな事故からちょうど40日。ロータリークラブの例会に姿を見せ、心筋梗塞の発作と、そこに到る≪予兆≫の顛末を語った。「病に遭遇して知識があるとないでは生と死を分けるほどの違いがある。私の体験談が皆さんや皆さんの周りの人たちのお役に立てば・・・」。卓話という20分そこそこのミニ講話を買って出た。この頑固オヤジは結果的に家族の咄嗟の思いやりに救われたと言っていい。

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 卓話のキーワードは二つ。その一つは「病気の予兆」。確かにそうだが、どんな病にも後で考えれば、それなりの自覚症状がある。簡単に考えたり、見逃してしまうだけだ。A氏の場合、しばらく前から、脇の下から肩にかけて刺すような痛みを覚えた。単なる肩こりと思っていたという。もう一つは「救急車の的確な活用」。私なんかもそうだが、田舎人間はとかく救急車の利用を嫌う。「ご近所に心配をかけては・・・」。そんな気遣いからだが、病院に着いてからの対応、つまり一刻を争う治療の順番も違う。A氏はさまざまな体験談を話した。




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初めての銀世界

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 雪が降った。山梨市のこの辺りでは、この冬、初めての雪。積雪はまだ10cmにも満たないが、一面が銀世界に変わった。朝からの雪は昼間になった今も降り続いている。いつもなら窓越しに見える富士山や前衛の御坂山塊も姿を隠し、庭の植え込みや屋敷の向こうに見える家々の屋根だけが白と黒とのコントラストを鮮明にしている。体感温度はそれ程、低くはなく、思ったより寒さを感じない。全くの無風だからだろうか。降雪は穏やか。小さな粉雪がゆっくりと落ちている。最終的に、それ程の積雪にはならないのだろう。




 「昼飯時にすみませんね」。4月の統一地方選に立候補したいと言う県議選候補者が後援会長と一緒に挨拶にみえた。「ちょうどよかった。昼飯を一緒に食べよう」。「すみませんね」。




 そんな二人を居間に通した女房は「雪かきもしてなくて、ごめんなさいね」。そんな言い訳も。舞うように降り続く雪を窓越しに見ながら炬燵で丸くなって居た私たち夫婦をよそに、この人たちは必至だ。なにしろ県議選の告示まで実質、あと一ヵ月半。雨だの雪だのと言ってはいられない。ぼつぼつ固まりつつある選挙構図や戦況、戦略をしばらく話して帰って行った。困ったことにロータリークラブの親しい仲間も同じ土俵に立ちそう。




 「お父さん、私が雪かきしましょうか?」。客人を送り出した女房は、私に問いかけた。「まだいいよ。あとでオレがかいてやる。それより植木の雪を払い落としておいてくれ」


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 大きな植木はいいが、南天やサツキ、ツツジ、丸イブキなどは雪を落としてやらないと形を崩してしまうのだ。普段、腰が重い女房もこの日ばかりは嬉々としている。雪はそんな魔力を持っている。鈍感な私だって降り続く雪や一面の銀世界を見ると、なぜかウキウキする。この歳になっても子供のように心が弾むのである。



 「雪やこんこん あられやこんこん 降っても降っても まだ降り止まぬ・・・猫は炬燵で丸くなる・・・」


 昨年から押しかけで我が家に住み着いた3匹の野良猫が玄関先に置いてやった発泡スチロールの箱の中で丸くなっている。毛布を敷くなどして気遣ってやっているのだが、いかにも寒そう。毛布の中に丸まっている。童謡「雪」のように雪の野山を駆け回る犬は、この辺りには居ない。人間さまの散歩相手だから、その時以外は鎖に繋がれている。数少ないが座敷で愛玩されている、いわゆるペットは雪などまっぴらゴメンだろう。


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 春の雪、と言うのにはまだちょっと早いが、この時季の雪は山梨の果樹農家、特にブドウ栽培者には教訓を残した。10年ぐらい前だっただろうか。なんでも60年ぶりという大雪が降った。大雪といってもその積雪は60cm。「たかが60cmぐらいで・・・」。雪国の方々は、お笑いになるだろう。でも普段、雪が少ない内陸の甲府盆地ではさまざまな所で大混乱を起こす。交通ばかりではない。雪の重みでブドウ棚が倒壊、大きな被害を受けたのである。
 壊滅的ともいえる被害を受けたのは剪定作業が遅れたブドウ園。以来、どの農家も万一の雪を想定して剪定を早めるようになった。ただ、その時季はブドウの樹勢と兼ね合いがあるのでタイミングは易しくない。剪定が遅れた農家は、この雪の中、家族総出で棚の雪落としに余念がないだろう。この分だと予報より≪大雪≫になりそうだ。




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「世論」は化け物?

 「百万人と言えども、われ往かん」

今の時代では、何か古めかしい響きさえある言葉だ。お前はどうだ? 俺? 気概としては持ちたいのだが、さて・・。やっぱり「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の類かな。

1



 この言葉、正しいと思ったら勇敢、果敢に物事に立ち向かっていくことを言う。その根本を一歩間違えると、一転、頑固オヤジ、偏屈人間に成り下がる。しかし、しがない私達のような市井の人間はともかく、国の将来を左右する政治家の先生方には、少なからずこの気概をお持ちいただきたいものだ。茶の間で、アホ面してテレビを見ながらそんな事を思った。世論なんてクソ食らえ。国家百年のため・・。そんな先生がいたっていい。






 柄でもない、ちょっと堅苦しい話になるが、大勢いる、あの衆参両院の先生方が「世論」の名の元に、みんなで右往左往している。言葉を変えれば、その「世論」を背中に背負って、言いたい放題。そこには政治家としての「自分」があるようには見えないのだ。世論、という百万の味方を背にしていると思っているからか、その顔は自信たっぷり。


国会議事堂


 でも、この「世論」とはいったい何者だろう。ヘンな世の中、こんなことを閣僚や政党のボスが言ったら、その日のうちに首がすっ飛ぶのだろうが、この「世論」というヤツ、私は、得体の知れない、いわば、化け物だと思っている。政治家先生だって、むやみに「世論」を言うわけにはいかないから、新聞やテレビ、いわゆるマスコミの論調を引き合いに出したり、多くはそこが実施する「世論調査」のデータを楯にする。




 さて、その世論調査である。新聞やテレビがその都度明記するサンプル数は、およそ3,000。全国でである。当然、回答率は100%というわけにはいかないから、いつも、その数は1,600~1,700。多くても2,000に満たない。一億2,000万人分の、その数だ。統計学的にはそれでいいのだそうだが、感覚的には、なんとなく首を傾げたくなる。


電話


 調査の手段は電話。私の家も過去に、たまたまその対象になったことがある。感情移入を避け、調査の公正化を期すためだろう、音声はコンピュータ。そこで、はたと考える。男女とか年齢が偏らないだろうか。独り暮らしならともかく、一家で電話に出る場合、確実に主婦・女性の方が多いはずだ。もちろん、統計学的には回答者の中で分析すればいいのだろうが、全体的なウエイトは主婦層に掛かっていることは間違いない。住民票の台帳を基にした、かつての調査方法と比べればかなりラフだ。




 そんなことはどっちでもいい。問題は、結果的に「世論」として世に出て来る個々の回答だ。身近な問題ならいざ知らず、内閣支持などといったら、私なんか、何を判断基準にしたらいいのかわからない。勢い、知らず知らずのうちに新聞やテレビの論調に左右されている。特に今のテレビのように、良きにつけ、悪しきにつけ、ことある度にあの大合唱をされたら、しがない私なんかどっちだって行ってしまう。ただ、私たちが普段、野良や炬燵でするお茶飲み話と、国会の先生達やマスコミが言う「世論」とは、何か、ちょっと違うことが多いような気がする。誘導されているような気がして。私ばかりだろうか。


街


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大河ドラマと選良

織田信長


 「恨まれ、恐れられるのは、わし一人でよい。太平の世を作り上げるためには、それをしなければならないのじゃ」




 NHK大河ドラマ「江」は、晩年の織田信長にこう言わさしめ、トップに立つ政治家の心の内を吐露させた。本能寺の変で倒れる前、小姓に本音を洩らすのである。部下・明智光秀に期待するあまりに冷たく当たり、結果的に光秀の謀反に遭う、という筋書き。信長の生きざまを描く時、本能寺の変、それを企てた明智光秀は欠かすことの出来ない存在だ。光秀への心の内を密かに見せた信長。そんなシナリオに始めてお目にかかった。




 「親の思い子半分」。信長から見れば、光秀はそう見えただろうし、光秀から見れば歯軋りし、謀反も止むを得ない上司だった。信長が本能寺の変で倒れるのは1582年のこと。話は430年近くも前に遡るが、そんな人間の心の行き違いは、今の世でもいっぱいありそう。家庭であれ、会社であれ、学校であれ・・・。


明智光秀



 子どもが親を殺したり、学生が恩師を刺し殺す事件も。現代の本能寺の変は、形を変えてあっちこっちで起きている。「話せば分かる」。わが国の暗殺の歴史の中で暴挙の刃を前に、必死にこう叫んだ政治家もいた。結果的には後の祭りだが、やっぱり話せば分かるのに・・・。それが出来そうで出来ないのが人間かもしれない。




 ただ、今の世に信長のような政治家がいるだろうか。「天下不武」を標榜。「太平の世を造るためには」「国家のためなら」憎まれてもいい、恐れられてもいい。そんな信念を持つ政治家だ。大河ドラマの原作者は、戦国の世から現代の政治家に痛烈な皮肉のメッセージを送ったのかもしれない。古今東西、社会に閉塞感が漂えば漂うほど、為政者に不満を抱くのは人間の常。世界には暴動だって珍しくない。普段、政治に無関心な人だって、否応なく注視するようになり、≪評論家≫にもなる。うちのかみさんでさえ・・・。


 「自民党も良くなかったけど、民主党はもっとダメだよねえ。このままじゃあ、日本は潰れちまうんじゃあないかしら・・・。私たちの生活、どうなるの?」




 とにかく、丁度1年半前の総選挙で、まるで熱にでも浮かされたように政権交代をさせてしまった日本。「こんなはずじゃあなかった」。閉塞感の裏返しなのだが、私たちは知らず知らずに、どこかで仕掛けているパフォーマンスに引きずり込まれていくのである。そればかりではない。メディアの扇動?にも弱い。




 「選良」と言われる国会議員の先生たち。既存政党を飛び出して新党を作ったかと思えば、それまでせいせい批判をしていた内閣の閣僚になられた先生も。このほかにも自民党を飛び出して新党をお作りになった先生方も多い。「このままでは日本はダメになる」。一様に憂国の士ぶっていらっしゃる。




 でも何の事はない。このままだと、うだつが上がらないと考えたり、次の選挙に歩が悪いと思ったからだろう。自らの保身に過ぎないのでは?「太平の世を造るため」。信長のような豪腕政治家は、もう出て来てくれないのか。つい柄にもないことを考えた。

織田信長2


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春を告げる祭り

 立春が過ぎ、暦の上では春を迎えたとは言え、いつものことながら寒い。でもデータ的には例年より温かいのだそうだ。3月上旬並みの陽気だという。二十四節気に触れるのは、いつもこのブログにおいで頂き、歳時記にはめっぽう詳しい秋田のmatsuyamaさんにお任せするとして、ここでは山梨の春祭りにちょっと触れてみることにする。


大神宮祭り
大神宮祭(サンニチmiljan)


 甲府盆地に春を告げる祭りと言えば、その第一弾は、県都・甲府のど真ん中に程近い通称柳町と横近習の一帯で繰り広げる大神宮祭。節分会に合わせて柳町と横近習の大神宮が同時開催するのである。今年は2月3日。1㌔ぐらい離れた二つの大神宮間の道路は車両の全面規制が行なわれてホコ天に。沿道にはダルマなどの縁起物からカヤ飴や切り山椒、さらにポピュラーな綿菓子やたこ焼き、おでんなどの屋台がずらりと並ぶ。福を求めて近郷近在からやって来る善男善女で夜遅くまで賑わうのである。


 屋台              屋台2



 今年は用事で失礼したが、私もこの大神宮(横近習)の豆まきに毎年お招きを受けていた。さまざまな節分会の儀式のあと豆まきをし、参拝客に福をお分けするのだ。そんなことを小耳に挟んでいたのだろう。麻雀仲間でもある親しい友のM氏が電話してきた。


大神宮祭


 「今年も(大神宮祭で)豆をまいているの?テレビで祭りの様子を中継していたので電話したのさ・・・。そう、今年は(祭りに)行っていないの・・・」


 M氏は勝沼町の自宅で晩酌をしながら半ば冷やかし半分に電話してきたのだろう。電話では福(ツキ)は呼べまい。冗談、冗談。一夜明けると立春である。



 甲府盆地の春祭りの第二弾は2月10日の「十日市」南アルプス市の若草町十日市場で開く。十日市に「ないものは猫の卵と馬の角」と言われるユニークな祭り。近郷近在から持ち寄って来るさまざまな品物で沿道の露天が埋まるのだ。


十日市_convert_20110206212746
十日市(南アルプス市HPより)


 二日、中を挟んで13日は甲府で開かれる厄地除け地蔵尊祭。武田信玄の時代からと言われる≪老舗≫の温泉郷・湯村の真ん中にある塩沢寺の春の例大祭である。この祭りもユニーク。寺にはそれは大きな耳をした地蔵さんが祀られていて、年に一度この祭りの時だけなんでも願い事を聞いてくれるというのだ。しかも期間限定。13日の正午から14日の正午まで。その時間帯であれば、願い事はなんでも、というありがたい地蔵さんとあって、この温泉郷一帯は人、人、人。人々は厄地蔵さんと呼ぶ。やはり近郷近在の善男善女で埋まる。


厄地除け地蔵尊祭



 祭りの期間が前日の正午から翌日の正午までだから、文字通り夜を徹しての祭り。特に厄年の人は厄除けのため、こぞってお参りする。その人の歳の数だけお団子を持って参拝、奉納するのである。このお寺さん、普段はひっそりしている。願い事を聞いてくれるのは≪期間限定≫だから無理もない。いつの時代からかは分からないが祭りを運営する寺と檀家さんはうまい事を考えたものだ。一年の稼ぎを一日に集約してしまった?下衆の勘ぐり、つまらぬことを言うとお地蔵さんに叱られる。



 甲府盆地の寒さは例年、この祭りを境に峠を越し、次第に本当の春へと移行していく。寒さへの我慢もあと少し。庭先の紅梅、白梅の蕾も心なしか膨らんで来た。




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女房の豆まき

久遠時

節 分 大関魁皇も豆まき 身延・久遠寺

サンニチmiljanより

 「福は~内。鬼は~外」「鬼は~外。福は~内」


 我が家の節分の豆まき。今年はかみさんに任せた。ただ大きいばかりで、寒々しい田舎家の部屋を次々と開け放ちながら几帳面に豆をまいて行く。任された緊張感なのか。


 「豆まきは一家の主がするものよ・・・」




 そんなことを言いながらも、かみさんは結構、嬉々として、しかも部屋ごとに丹念にやっている。一階ばかりでなく二階にも。娘が嫁ぐ前は私が豆をまき、かみさんと娘がそれに従った。今はかみさんと二人の生活。そんなことを真面目くさってやるのが何とはなしに白々しくなって、その役目を女房に振ったのである。言い換えれば面倒になったからだ。


豆まき2


 「もっと大きな声でやらないと鬼は出て行かないし、福だって来ないぞ。第一、もっと沢山握ってまかなきゃあ・・・」


 「そんなこと言ったって、そんなに大きな声なんか出ませんよ。お父さんは何でも面倒臭がるんだから・・・。沢山まけと言ったって、部屋ごとにまくんだから豆がなくなってしまうんですよ。いらないような部屋、こんなに幾つもあるんだもの・・・」


 うちのかみさんもやっぱり主婦の端くれ。≪もったいない≫が先に立つのだろうか。


豆まき


 家庭にあって節分の豆まきは一家の主がするものかどうかは別にして、我が家の場合、≪政権≫はかみさんに渡ったのにも等しい。私は、かみさんのことを冗談に「将軍様」と呼ぶ。「北朝鮮みたいじゃあない」とひと頃は、この冗談をまともに受けていぶかしがったものだが、今では風に柳。ことごとくに「将軍様」ぶりを発揮するのである。




 職場を定年退職したのを機に山梨市の片田舎にある私の実家に戻って、ぼつぼつ6年。最初は確実に田舎暮らしを敬遠していたかみさんが、いつの間にか腰をどっしりと据えた。女は逞しい。今では近所付き合いから親戚づきあいまでほとんどやってしまう。お引き受けしている区長の下働きだって、今では黙っていてもする。認知症が進む私のおふくろなんか、まるで子供でも扱うように上手に介護するのだ。



 「お父さん、帰って来なくてもいいんですよ。そのまま外で遊んでいたら?」



 もちろん冗談だが、最近ではそんな皮肉も平気で言う。飲み会で午前様になったり、朝帰りと言わないまでも麻雀で明け方に帰った時である。昔は冗談にもこんなことは言わなかったし、言わせもしなかった。




 考えてみれば結婚して41年を過ぎた。この年月、時間にもお金にも無頓着な亭主と一緒にいれば、強くもなるはず。やり繰り上手にもなるのかもしれない。



 「亭主元気で留守がいい」。昔からうまい事を言ったものだ。女は強い。亭主に先立たれても落ち込むのはほんの一時。しばらくすると何事もなかったように、むしろ伸び伸びと頑張っている。若くして亡くなった友の奥さんを見ていてそう思う。「いればうるさい。いなきゃ寂しい」。うちのかみさんは冗談交じりにこんなことも言う。年金生活になった亭主とはそんなもの?節分が済んで立春。暦の上では今年も春が来た。歳を取るのが早い。




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子ども達のお天神講

 「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘れそ」
ご存知、菅原道真の和歌だ。今年も1月25日、地域の子ども達が私の屋敷の一角にあるお天神さまに天神飾りの奉納にやって来た。


お天神講1


 赤、青、黄色・・・。七夕飾りにも似た大きな笹に色とりどりの短冊が。「勉強が出来るようになりますように」「成績がよくなりますように」「今年一年健康に過ごせますように」。短冊には子どもたちのさまざまな願いが記されている。





 その可愛らしい短冊の内容をカメラに収めようと思っていたのだが、ちょっとタイミングをはずしてしまったせいか色があせてしまい、時期をを失した。それはともかく、お天神講は、小正月の道祖神祭りと共に、この地域の子ども達の一大行事。お天神さまは、もしかして学業の成績を上げてくれるかもしれないから、子ども達にとっては道祖神よりありがたい存在かもしれない。


お天神講


 このお天神講、今の子供たちはどんな形でやっているのか定かではないが、私たちが子供の頃はある意味で盛大だった。子ども達はお米や野菜を持ち寄り、各戸持ち回りで、今風に言えば食事会を開くのだ。裏方のお母さん達は大きな釜で炊き出しをした。わいわい言いながら食べた、お母さん達が作ってくれた真っ白いご飯、サトイモや大根、人参などの煮っ転がし、熱い味噌汁・・・。うまかった。この歳になっても、その味は忘れられない。


白米


 リーダー役の6年生は自転車で隣町の文房具屋さんに行ってノートや鉛筆、消しゴム、筆箱、下敷き、クレヨンなどを調達して学年別に配る。いわゆるプレゼントである。それも、嬉しかった。その頃の家は、今のような住宅構造と違って田舎風の造りだったから、内部のふすまを取っ払えばいっぺんに大きな部屋になる。子供たちはそこで腹いっぱい食べ、一日をなんとなく遊ぶのである。戦後の貧しい時代だった。





 菅原道真は、生まれたのも、没したのも25日。それも丑年だった。だから、子ども達の天神講もその日を充てているのだろう。ものの本によれば、わずか5歳で和歌を読み11歳で漢詩を作った14~5歳の時には「天才」と言われ、後に「文道の太祖、風目の本主」と仰がれた。天神講は、庶民の教育機関として寺子屋が普及した江戸時代、書道の上達や学業の成就を祈願して行われるようになったという。


湯島天神


 お宮は、おしなべて皇室を祭ったもの。わが国で平民を祭ったお宮徳川家康の東照宮(日光と久能山)と菅原道真の天満宮だけ。このうち、東照宮は徳川家が自らの権力でなさしめたものだが、天満宮は、ちょっと違う。庶民の人気とは裏腹に左遷されたり、不遇を受けた道真が亡くなった後、天変、地変が相次いだことから、時の権力・平安京が祭ったものだ。道真の怨霊を恐れたのである。




 お天神講の子ども達にとっては、そんなことはどっちでも良かった。たらふく美味しいご飯を食べ、ノートや消しゴムをもらうことの方が喜びだった。俺達「成績がよくなりますように」なんて短冊、書いたっけ?子ども達が奉納した短冊を見ながら今の子供たちとのレベルと世相の違いをまざまざと感じた。そしてなによりも違うのは子ども達の数・短冊の激減だ。


お天神講3



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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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