身代わり地蔵

 主催者の代表はこんな挨拶をした。

 「かつてはこの付近で頻繁に起きた交通事故がピタリとなくなった。この身代わり地蔵さんのお陰。でも他力本願ではいけない。みんなで交通事故に遭わないように、また起こさないように注意をしよう」


身代わり地蔵2



 隣村の辻とも言える所にある身代わり地蔵さん。今年も春の彼岸に合わせて、その供養行事が行なわれた。周辺住民はむろん、周辺地域の区長や警察、交通安全協会、公民館などの代表が参列しての身代わり地蔵尊祭である。



 僧侶の読経のあと、参列者が次々と焼香、この付近で起きた交通事故の犠牲者を供養し、これからの交通安全、地域の安寧を祈願するのである。お地蔵さんにはオレンジやバナナ、和菓子などの供物のほか、なぜか大きなお供え餅も。「交通事故に遭いませんように」。女教師に引率された20人ほどの小学児童もお地蔵さんに向かって可愛らしい手を合わせた。


身代わり地蔵4



 お地蔵さんが鎮座しているのは、何処にでもありそうな市道沿い。荒神崎の名の通り、小高い丘のような山が御崎のように突き出しているところだから、道路も緩やかにカーブしている。今は近くにバイパス道路が出来て山梨市の市道に格下げされたが、かつては国道(141号線)。そんな道路の立地条件が災いしたのだろう。頻繁に交通事故が起き、立て続けに何人もの犠牲者が出た。これを憂えた地元の人たちは、身代わり地蔵を祀り、交通安全を祈願するようになった。付近は甲府盆地の東部ではちょっとした桜の名所。もちろんお地蔵さんとは何の関係もないのだが、桜の苗木を植え、桜の名所に育てたのは同じ地域の人たち。お地蔵さんと同じように、優しい心で見守って来た。


身代わり地蔵1



 毎年、地域の人たちは一山と言ってもいい広範囲に立派に育ったソメイヨシノをライトアップ、今では近郷近在からの花見客で賑わうようになった。昼も夜も花見の宴が。間もなくその桜も花を開き始める。しかし今年は状況が一変するのだろう。東日本大震災は、お花見のシーズンにまでシワ寄せすることは必至で、ただ閑古鳥だけが鳴くことだけは目に見えている。「こんな時に花見でもあるまい」。誰ともなくそんな声が出て、閑古鳥に拍車を掛けるのだ。そんな現実を身代わり地蔵さんは、どのように見ているのだろう。




 身代わり地蔵とは、その名の通り、祈願した人の身代わりになって傷病苦を背負ってくれるのだという。交通事故の頻発をきっかけに祀られたこの地蔵さんもしかり。全国各地に点在する。地域の人々は「地蔵尊」として大切に祀り、供養している。伝えられるご利益も少なくない。現に私たちの地域ではこんな話が。


身代わり地蔵3


 自転車で通りかかったご婦人がよろけて近くを流れる小川に自転車ごと落ちそうになった。ところが、その瞬間、後ろから目には見えない力が働き、難を逃れたという。身代わり地蔵厄除け地蔵トゲ抜き地蔵、長野県には病気もせず、苦しまずに死ねるという「ピンコロ地蔵」も。ありがたい地蔵さんは巷にいっぱいあるのだが、よく考えると人間とは自分勝手。あれもこれもと頼み込む。その願いを聞くお地蔵さんは大変だ。




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岩手太鼓

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 震災の被災者に留めず、誰も彼もがその余波を受けて打ちひしがれている日本列島。そんな列島の片隅で、子供たちの和太鼓が元気いっぱい響き渡った。「岩手太鼓」。大震災の被災地・東北地方の岩手県の話ではない。山梨県は山梨市の片田舎、岩手地区にある小学校の太鼓隊である。学校の名は岩手小学校。卒業式でのひとコマだ。


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 そんなことはどっちでもいいのだが、私にとっては地元の母校でもある小学校。ただ困るのは、少子化のあおりを受けて児童の数は減る一方。年々、じわじわと減り続け、ついに60人を割り込んだ。でも子ども達も学校も元気いっぱい。≪先輩≫たちが築いた太鼓を≪お家芸≫としてしっかりと守り続けている。PTAはむろん、地域や公民館なども応援、今では小さな学校の「岩手太鼓」は山梨県の中でも知る人ぞ知る存在になった。


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 大太鼓、小太鼓ばかりでなく、笛や鐘も。もちろん揃いの法被、ねじりハチマキ姿。学校や地域の行事ばかりでなく、さまざまな文化イベントにも遠征する。チームの編成は中学年以上。全員参加だ。1学年が10人足らずの小さな学校だから、そうでもしなければチーム編成が出来ないのだ。見方を変えれば、この学校を卒業した子ども達は、全員が太鼓の≪名手≫ということになる。


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 卒業式での太鼓演奏はこの学校の習わし。式が済んで在校生の可愛らしい拍手で送られ、一旦は式場を出た卒業生は、再び体育館に戻って≪最後の演奏≫をするのである。「おまえ達、この岩手太鼓をしっかりと引き継ぎ、守っていってくれよ」。まだあどけない卒業生から在校生へのメッセージでもある。最後の演奏を披露した今年の卒業生は12人だった。


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 卒業式は震災被災者への黙祷で始まった。震災からちょうど一週間目の3月18日。山梨県の多くの小学校ではこの日が卒業式の日。卒業式特有の晴れがましさは影を潜め、被災者への思いやりの気持ちが随所に。冒頭での黙祷ばかりでなく、校長先生の式辞や来賓の挨拶にもにじみ出た。

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 卒業生達が力を振り絞って打ち鳴らす岩手太鼓。「みんな、暗くならずに、元気出そうよ」。被災地から700㌔前後はあろう山梨県の片田舎にある、それも小さな、小さな小学校の体育館。そこから力強く打ち鳴らされる太鼓の音は、言外にこう言っていた。その通りだ。ここでみんなが元気を取り戻さないと、日本列島は、もっともっと沈んでいってしまう。私ばかりではないはずだ。子ども達の「岩手太鼓」に拍手を贈りながら来賓席のオジサンたちは、みんな、そう思っていたに違いない。



 「みんな、一人ぼっちじゃあない。風が吹いたらうつむき、しゃがみ込んでもいい。それが止んだら、立ち上がって行けばいい。あなた方の前には手を差し伸べる誰かがいる」


 校長先生は卒業生にこんな餞の言葉を贈った。今度の大震災のように例え苦難に遭遇しても力強く生きること、苦難に遭った人たちを助け合うこと、また、そこには助けてくれる人が必ずいることを教えた。式を終え、来賓控え室に戻ったオジサンたちに校長先生はこんなことも。「ちっちゃな学校ですが、みんな頑張っています」。目には涙が光っていた。 この校長先生も同校を≪卒業≫して別の学校に栄転する。




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計画停電

 東北や関東一帯など東京電力の管内だけだが、「計画停電」という言葉が≪ポピュラー≫になった。3時間、4時間単位で地域ごとに時間を決めて送電がストップ。一斉に停電するのである。人間はおしなべて人の痛みを分かち合うすべを知っている。大震災の被災地の窮状をテレビや新聞で否応なく見ているから、文句もなくそれに従っている。


 それにしても不便だ。特に夜。暗闇が故の不自由にとどまらず、何ひとつ出来ない。用事を思い立ち、電話をかけようにも電話は繋がらないし、部屋でのささやかな暖・炬燵もダメ。もちろんテレビだってプツッと切れたまま。夜の時間潰しになっていたパソコンやインターネットは言わずもがな。電話の場合、ひと頃のダイヤル式だったら電気が消えても用を成した。計画停電は地域ごとだから、仮に発信する側のこちらの電気が点いていても相手側が停電だと機能しないのだ。呼び出し音だけは鳴っている。




 最も小さな社会である家庭という単位で見ても、電気が止まれば生活の機能は完全に麻痺する。公共の電車や通信に限ったことではない。炊飯器、冷蔵庫、洗濯機、掃除機・・・。風呂だって電化されているから入れない。もっと肝心なのは台所。電化だから全くダメ。肝心のメシさえ食えないのだ。我が家の車はガソリンだからいいが、電気自動車だと、充電出来なければ、これも動かない。

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 何事もアナログの昔はよかった。オジサンたちが子どもの頃は停電などビクともしなかった。強い風が吹けば送電線が壊れて電気がストップ。わんぱく小僧の凧揚げやカラスのいたずらで送電機能が故障、停電することも珍しくなかった。夏場の暴風雨や落雷では停電なんか当たり前。そんな時、電力会社側ものんびりしていたのか、回復までにはかなりの時間がかかった。受益者である住民側も従順だった。一晩中でも黙って電気が点くのを待った。仮に文句を言いたくたって電話がないのだから喧嘩にもならないのだ。




 「オイ、蝋燭を持って来い」。そんなことを親父が言わないまでも、おふくろは常備してある蝋燭を卓袱台(ちゃぶ台)やテーブル代わりの炬燵の上に立てるのだ。炬燵だってご飯を炊いた釜戸の残り火。風呂も薪で焚く釜だから蝋燭さえあればいつでも入ることが出来る。情報の入手や娯楽はラジオ。古びた一台があれば、むしろ停電の時こそ炬燵が一家団欒の場となった。テレビもなければ、冷蔵庫や電気炊飯器、洗濯機、掃除機も・・。今考えるとラジオを除いたら電気製品、電化製品と名の付くものは何もなかった。



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 私たち日本人は戦後の高度成長期を境にそれなりの豊かさに甘んじ、便利な日常生活を享受してきた。今度の大震災は、そんな人間どもを一喝した形。便利の裏にとてつもない不便が潜んでいることを教えた。一時期、東京都知事の「天罰」発言は、揚げ足取りのマスコミ雀の餌食になった。でもこの「天罰発言」はまさに言い得て妙。今度の震災の代償はあまりにも大きいが、自然は身勝手に自分たちの便利さだけを追い求める人間どもに時としてお灸をすえる。特に諸刃の剣の原発。今やよくも悪くも抜き差しならない現実。やがてこの問題に私たち日本人だれもが真正面から向き合い、考えなければならない時が来る。私たちの生活、もっと言えば、日本経済を支えているのは電力だからだ。





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人事の季節

 二十四節気の一つ「啓蟄」もとっくに過ぎた。虫たち、自然界も冬籠りから醒めて、一斉に動き出しているのだろう。人間どもにとっては人事の季節でもある。官公庁、民間を問わず、サラリーマンは、好むと好まざるとに関係なく人事異動の渦に巻き込まれ、そのポジションを変えていく。心のうちは悲喜こもごも。そんな「人事の季節」にも大震災は影を落とすのだろう。衝撃の春でもある。




 「蛍の光」で送られた子ども達は、卒業式で学び舎を去り、間もなく新たな勉学の場へ、あるいは実社会へと巣立っていく。在校生達はそれぞれが進級して≪先輩≫へと一つ一つ歩を進めるのだ。卒業式が終われば、今度は入学式。ピカピカの一年生が誕生。真新しいランドセルを背に、お母さんに付き添われて校門をくぐる新入学児童もいれば、難関を突破、晴れの合格切符を手に入学式に臨む大学生や高校生もいる。


入学式


 就職氷河期といわれるご時世の中で、しっかり職場を射止めた新入社員は入社式に。こちらも真新しいスーツ姿に身を包む。児童、生徒、学生、そして新社会人。この時季、みんなが新たなスタイルで新たなステップへ胸を膨らませ、闘志を抱くのだ。そこには大人の社会にある≪左遷≫などという言葉は何処にもない。あるのは≪夢≫だけだ。




 先頃、インターネットを駆使してカンニング、日本中をアッと驚かせた大学受験の学生さん。ルールを破ったこちらは気の毒だが≪左遷≫の範疇だろう。普段なら学生達に≪左遷≫という言葉はない。よく考えれば、このカンニング、彼がやらなければ、いずれ誰かが試みたに違いない。そんなことを言ったら不謹慎のそしりを免れないが、ケイタイやインターネットが進化した今、私のようなアナログおじさんでも予感出来た。


携帯


 このカンニングを考えたことがある若者は彼だけではないはず。理性がブレーキをかけていたに過ぎない。それを気付かないのは大人たちだけかも。それ程進化している若者達の実態を本当の意味で分かっていないのだ。オジサンたちが子どもの頃やった幼稚なカンニングは、今は昔の話である。「ネットは何でも教えてくれる」と信じ、それに向き合う。




 左遷。嫌な言葉だ。だが、サラリーマン社会にはいつの世にも大なり小なり着いて回る。多くは人事を行なう人間の≪感情や都合≫がそうさせるのだが、役所のように時の政権や政治に翻弄されるケースだってある。そうでなくても人事は、動かされる側からすれば≪左遷≫と受け止めてしまう人だっていないとは限らない。ある役所の人事担当幹部が言ったことがある。「人事というものは対象者の60%が頷いてくれれば成功」と。



 「毎日が日曜日」の我が身にとって「人事の季節」はもう過去の話。ましてや「左遷」などという嫌~な言葉に縁はない。でも「左遷」はともかく、「人事」がまったく無縁になったかというと、そうでもない。例えば、私が仰せつかっている区長職。この年度末でやっと任期が切れる。これに伴い市や県に派生する充て職からも開放される。それなりに引継ぎをして後進に道を譲るのだ。人の異動(移動)の季節はやっぱり子ども達や学生、サラリーマンばかりではない。この時季、みんながその渦の中にある。




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友と「さおり織」

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 へえ~、これが「さおり織」か。はじめて聞く言葉。はじめて見る作品。一見、何処にでもありそうで、これといって変哲があるわけでもないのだが、見ているうちに、なぜか引き込まれる何かがある。色彩や形。伸び伸びとしたデザインで表現されているのだ。それもそのはず。説明によれば、織り方はむろん、デザインなど全てにルールがなく、作者の自由な発想で取り組むのが、このさおり織の特長。その歴史はまだ浅いという。


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 「こんなことを始めました。お忙しいとは思いますが奥様と是非、見にいらして下さい」


 2月の初旬だった。高校時代の同級生のご婦人から一枚の案内状が届いた。「さおり織」の個展開催を告げる葉書で、裏面にはめいっぱい、カラフルな作品の一つが刷り込まれていた。日程は3月初旬の5日間。会場はJR山梨市駅前の展示ギャラリーだった。


 手紙


 らせんの階段を昇った2階のギャラリーは、それほど広いわけでも、そうかといって決して狭いわけでもない。手頃なスペースと言っていい展示場の壁には50点前後の作品が。平面空間をあしらうように置かれたテーブルの上には、手にとって見ることが出来る作品が沢山、展示されていた。本屋さんで言えば、いわゆる「平積み」である。




 作品の素材はさまざま。毛糸もあれば綿シルクも。いずれも女性物で、ジャケットやパンツ、マフラーや肩掛けもある。自由な発想で織るのが「さおり織」の真骨頂だから、デザインも何もかもみんな違うのだ。この作者の場合、設計図を作らず、思いのままに織ってしまうのだという。当然お手本もない。だから見るものが斬新に映るのかもしれない。


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 このご婦人、当時、女性が極めて少ない、いわば男子高校に飛び込んで来たくらいだから男性顔負けの、負けん気とバイタリティーがあるのだろう。葡萄の産地・勝沼町で5人姉妹の真ん中に生まれ、甲府の実業家に嫁いだ。やろうと思ったことは一心にやってしまう、そんな根性を隠し持っている。そんな人だから、嫁いでから始めたゴルフも見る見る腕を上げ、ひと頃は山梨県の女子アマ界で5本の指に数えられたこともある。


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 展示会場には10人ぐらいのご婦人のお客さんが。「(さおり織を)始めて1年とは、とても思わないわね。素敵じゃあない。私これ買って行こうかしら。試着していい?」


 「鏡、あそこにありますわよ」


 よく見たら展示作品の一つ一つに小さな値札が。即売もしていたのだ。20,000円を超すものも。民間のギャラリーでは経営手法として、そんなシステムをとるところが多い。現に私のサラリーマン時代の同僚が甲府で道楽のようにやっている喫茶画廊も同じ仕組みだった。借り手は売上の何%かをギャラリー側に支払うのだという。


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 自由な発想でモノを創る。実用品でもある着物といえども芸術の世界である。以前、やはり高校時代の同級生の奥さんが趣味で取り組んでいるキルト展を見せていただいたことがある。こちらはきちっとしたマニュアルやセオリーがあって、それをクリアしながら前に進む。そこから新しい境地を拓いて行くのだという。酒だの麻雀だのと現を抜かしている私のような無粋な男どもをよそに女達は70歳近くになっても次々と新境地を拓いていく。




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笑顔の支援

 お葬式の時にニコニコしていたら「あいつバカか」と言われるだろう。当たり前だ。人が不幸に陥った時、それに同情し、労わる気持ちを持つのは当然だし、それがなかったら人間ではない。人間が持ち合わせていなければならない基本的な心だ。その「心」が建前だけだとしたら話は別。


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 地域で計画していたコンサートやグループの旅行もしかり。東北地方を中心に東日本を襲った大震災。「こんな時に・・・」。誰ともなく言い出す言葉で、さまざまな催しがみんな中止。もちろん被災地の話ではない。こんな話は全国各地でいっぱい起きている。みんなが萎縮する。そうでなければ人間ではないような雰囲気にも。




 ふと、23年前、厳密に言えば22年2ヶ月ちょっと前のことだ。昭和の世が終わったあの時。そう、昭和天皇が崩御された時の事である。日本中がみんな少なからず戸惑い、躊躇した。七日正月を前後した頃だった。七日正月を祝う行事はむろん、ニューイヤーコンサートもしかり。そればかりではない。さまざまな行事をあっちこっちで中止。それも誰に言われたものでもない。花火など音を伴うののなど、もってのほか。




 「喪に服す」よしんばそれはそれでいい。ところがこんなケースまで出て来た。あるデパートが新聞に出稿を予定していた広告の話。たまたまその広告主のロゴマークは中央に赤い丸をあしらったものだった。広告担当の課長さんは「こんな時に赤の日の丸、と言うわけにはいくまい。赤を反転して黒にするのだ」と言うのである。事もあろうにロゴマークである。このデパートは100数十年も続く山梨では老舗のデパートだった。




 63年ちょっとも続いた昭和の御世だから≪前例≫、つまり大正天皇の崩御の時を知る現役の人間がいるはずがない。みんな手探り。慌てもした。行き着くところは「無難に、無難に・・・」。結果は中止、中止の判断だ。「何もしないのがいい」と決め込んだ。今度の「東日本大震災」と一緒にするのは適当ではないかもしれないが、どこかよく似ている。テレビのコマーシャルが一瞬に消えたのもそんなクライアント心理の反映だ。



 「被災地の人たちがあんな目に遭っているのに・・・」。その通りだ。そう思い、同情しなかったら人間じゃあない。萬屋銀之介主演。「破れ傘…」。ひと頃、テレビでやっていたドラマではないが「たたっ切ってやる」だ。でも、そう言っている人たちだって、多くは暖かい居間の炬燵で、そこそこのものを食べ、普段と同じように晩酌もしているのだ。


 

 みんなが形だけ、気持ちだけで萎縮していればいいのか。「この不謹慎者め」とお叱りを受けるかもしれないが、むしろこんな時だからこそ、周りがみんなで明るく振舞うことの方が大事では・・・。そうならなければいいが、福島では大きな≪爆弾≫を抱えている。


風景


 お葬式はともかく、一周忌や三回忌などの法事もそう。むしろ周りが努めて明るく振舞うのがいいと思っている。サッカーも野球も、つまらぬと言ったら言い過ぎかもしれないが、形だけのためらいは捨てたらいい。それが被災者を勇気付け、元気付けるのでは・・・。笑顔だけでも取り戻さなければ日本中、真っ暗になる。




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被災者の道しるべ

 日本人は富に劇場型で、メディアの報道に弱く、知らぬ間に迎合していくという。「世論調査」という不思議なデータにもそれは反映して行くのだ。選挙もそう。長い間続いた自民党政権をぶっ潰して民主党政権が出来たのも、その反動がもたらした?自民党の勝利による参院での≪ねじれ≫。全くの無関係とは言えまい。


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 わが国のメディアはつい数日前まで、菅内閣・民主党政権の支持率低下を楯に、その≪3月危機説≫の大合唱だった。単純な判官びいきなら同情したくなるくらい。でも私達はいつの間にか、それを信じ始めていた。ところが一転、メディアはある日を境にピタッとこれを言わなくなった。そんな流れが出来つつあったことがまるでウソのよう。




 そう、新聞、テレビ、特にテレビメディアは「東日本大震災」の報道合戦にシフトした。朝から晩までその報道一色である。公営放送のNHKはともかく、民放局までもがコマーシャルの枠をぶっ飛ばしてまでの報道合戦へ。普段、あのコマーシャルが煩わしかったり、結果的に息抜きにもなっていたのだが、それがなくなってみると私達はNHKなのか民放なのかどころか、何処の局のテレビを見ているのか区別すらつかなくなった。




 民放局にとってコマーシャルの確保は経営の生命線のはず。大きなお世話かもしれないが、「こんな合戦をしていて大丈夫?」と心配したくもなる。大きなお世話ついでに民放局はキー局、地方局を問わず、総じて経営は順調とはいえないという。長引く景気の低迷の煽りを食って広告収入は軒並みダウン。その上、この7月からのチデジの放送全面開始に向けての数年前からの莫大な資金投資だ。決して経営は楽ではないはず。


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 新聞、放送を問わず、メディアの世界には熾烈な競争の一方で「みんながやるから」と言ったある種の≪強迫観念≫がいつも付きまとっているようにも見える。同じような報道を競い合うのもその一例かも。それがいつの間にかどんどんエスカレートするのだ。迎合型の私でさえ違和感を持たないわけでもない。




 怖いのはそれをエスカレートさせたり、それへのこだわりのあまりに、ややもすると一点集中になる。メディアが悪いのか、それに迎合して行く私たちが悪いのか。結果的かもしれないが、劇場型を導く特にテレビメディアとそれに迎合する私たち。でも迎合派の視聴者も飽きっぽいことも確か。大震災の報道合戦三日目。家の女房はこんなことを言った。



 「お父さんねえ、朝から晩まで、地震の話ばっかり。それもみんな同じことのようだわよ。取り置きのビデオでも見ましょうかねえ」



 私だってそう思った。恐れ多くも私たちちっぽけな夫婦が「平均的な日本人、平均的な視聴者」とは言わない。「この不謹慎野郎め」とお叱りを受けるかもしれないが、こうも朝から晩まで同じような報道というか、番組が続くと正直言ってうんざりするのだ。



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 さて何処の局が先陣を切っていつもの放送パターンに戻すのか。よく考えてみたら、人の不幸、地域の不幸を劇場型で見せる事の方がもっと不謹慎かも。被災地の地元局はそんな放送はしていまい。少なくとも、被災者の立場にたっての道しるべになっているはずだ。




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テレビの功罪

 朝、新聞を手にすれば一面から社会面に到るまで「東日本大震災」の被災地の模様を伝える大見出しが踊る。それにも増してテレビは一日中、そのニュースで一色。朝から晩まで続くのだ。「もし自分たちの地域が、家族や知人・友人がこの大災害に巻き込まれていたら・・・」。自らに重ね合わせて、複雑な気持ちになる。



 グラッ、グラッ、と断続的に大地が揺れる。記録的な大地震の恐怖にさらされ、それに追い討ちをかけるように襲い掛かった津波。「怖かった」などと言う類のものではなかっただろう。一瞬のうちに肉親や家まで失った被災地の人たち。3月もまだ半ば。この寒空の下で・・・。察するに余りある。被災地から、かけ離れた所にいる人間達にしてみれば、ただ、お見舞いを申し上げるしか今はすべがない。


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山梨日日新聞HP miljanより


 まさに地獄を味わったのだろう。新聞や刻々と流れて来るテレビ画面から、その事はいやが上にも想像できる。茫然自失。恐怖から醒め、見る影もなくした周りを見渡した時、ただ立ちすくむしかすべがない被災地の人達。電気や通信網の回復もままならないというから、横縦の情報も入らない。人間が窮地に追い込まれた時、物資の困窮もさることながら、情報からの隔絶は、目の前の不安へ拍車を掛ける。




 飢えをしのぐための食物、寒さをしのぐための毛布やストーブなど、いわゆる物資は時間を追って届くだろう。同級生や親しい仲間たちで作る無尽グループでさえ義援へのささやかな動きも。その輪は全国、世界に広がる。応急措置のための人的支援部隊も続々現地入りしているはずだ。



 地震に象徴される災害の場合、ライフラインを閉ざされた被災者の不安を駆り立てるのは情報の欠落だという。そのことは16年前、あの阪神淡大震災の被災者から直接聞いたことがある。その人によれば、的確な情報を得る手段は新聞とラジオ。特にラジオだったという。テレビは意外と用を成さないのだそうだ。ラジオは何かを「しながら」でも聞くことが出来る。


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山梨日日新聞HP miljanより


 テレビの受像機は今度の東日本大震災の場合、家もろとも津波に飲み込まれてしまった。小回りが効くラジオが威力を発揮するというわけ。特に今度の震災では、福島の原発が絡んだ。事が事だけに、まかり間違えばとんでもない事態を惹き起こしかねないし、間違った情報が流れればとてつもないパニックだって起こりかねない。




 茶の間のテレビで終日、流される≪情報≫を見ながら、「これって、一番知りたかったり、必要としている被災地の人たちに伝わっているの?」と首を傾げてみたくなる。ちょっと言い過ぎかもしれないが、見ているのは暖房が効いた居間にいる被災地以外の人たち。これも言い過ぎ? 興味を煽る結果に終わっていないか。これでもかとばかり、何度も同じ映像を流すのだ。それにやがて視聴者はうんざりし出す。もっと怖いのはあれほど危惧された政治の危機も、危うい経済運営も災害の名の基にみんな包み隠された。そんな当事者はほくそえんでいるのだろう。よく考えると劇場型のテレビは怖い。




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流れた同級会

 「地震、雷、火事、親父」とはよく言ったものだ。怖い筆頭はやっぱり地震だ。11日の「東北・関東大地震」は、まさに日本列島を震撼させた。阪神淡路大震災から16年。西から東へと地震が飛び火した格好。東海沖の大地震が予測されて久しい。外堀を次々と埋められていく感じで、なんとも不気味だ。地下構造の胎動やエネルギーの発散。地下でストレスが溜まっているのは、この東海沖。つまり、こんな大きな地震が首都圏を襲ったら・・・。考えただけでもゾッとする。




 茶の間のテレビ(NHK)は国会中継・参院決算委員会の面白くもない審議の模様を伝えていた。午後2時50分頃だった。山梨の我が家でもグラッ、グラッと来た。「地震です」。国会中継は一転、地震速報に変わった。東北地方を中心とした各地の震度が間髪をいれずに伝えられる。追っかけるように列島の太平洋岸に津波警報が。テレビの速報性のすごさをまざまざと見せつけた瞬間だった。





 速報のすごさはそんなものではなかった。警報が伝える各地の到達予想時刻を前後して津波が押し寄せる。その模様が茶の間のテレビに飛び込んで来た。ヘリでの空からの撮影だろう。映画の一シーンでも見ているように展開されて行くのだ。荒れ狂った海から押し寄せる津波は、真っ先に漁港を飲み込み、陸地へと凄まじい勢いで進む。港の漁船、漁港の建物や車、その先の民家や田畑、整然と並ぶビニールハウスも、どんどん飲み込んでいく。まるで陸地をなめるように進むのだ。巨大な津波にかかったら家も車も何もかもが木の葉にも等しいのである。




「明日の同級会は地震のため中止します」


 パソコンを開いたら、こんなメールが届いていた。私達は翌日、東京・八重洲の「八重洲冨士屋ホテル」で母校・日川高校の同級会を計画していたのだ。主な参加予定者は東京と、その界隈。直接的な地震の被害はないまでも、幹事さんは混乱を想定して「中止」を決めたのである。我が家に届いた「中止メール」の着信時間は21時25分だった。見事な判断だった。山梨から駆けつける私の場合、「果たして明日、電車が動いてくれるのか・・・」。予め用意しておいたJRの特急「あずさ」チケットを横目に疑心暗鬼だった。仮に行けたとしても被災地はむろん、日本中が震災に打ちひしがれているのに、飲めや歌えの同級会でもあるまい。幹事さんの中止判断は、まさに正解だった。




 でも幹事役は大変だ。メールを追っかけるように電話が。「メール、見てくれた?行き違いしては混乱するので、二重になるが、みんなに電話しているのさ」。この幹事は埼玉に住むW氏。メールのT氏(千葉)と何十人もを手分けしているのだろう。本当にご苦労なことだ。「そんなことはいいんだが、電話が繋がらない所もあるんだよ」。21時半過ぎだった。




 突如として日本列島を襲った巨大地震は、かけがえのない人の生命や財産ばかりでなく、普段は何事もない日常生活や、ちっぽけな同級会まで津波のように飲み込んだ。一夜明けた我が家の窓越しには今は休火山の雪を冠った富士山が。この日ばかりは不気味に見えた。




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布施の心

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 巌松山信盛院(曹洞宗)というのだが、我が家の菩提寺では毎年、小正月が明ける頃、お盆が終わった後と同じように施食会を開く。昔は「施餓鬼会」と言った。差別用語を思わせかねない字面を嫌い、改めたのだろう。檀家は「布施」と「年賀」を兼ね合わせたような、のし袋を懐にして寺の庫裏に集い、温かいそうめんを戴くのが習わし。この寺ではなぜか、いつの施食会もそうめんなのだ。お膳の片隅には、お寺側の年賀の品(飴)と一緒に宗門の地区青年会が夏冬に発行する「寺だより」が。そこには、ある住職さんが「布施」と題して書いたこんな一文があった。



 「最近、ある企業が葬儀のお布施の価格目安を提示し、ニュースになりました。≪お気持ちで≫と言われても具体的な金額が分からず、明朗会計でありがたいという声もあったようですが、布施とは本来どういうものなのでしょうか」



 この住職さんによると、仏教界には「無財の七施」という教えがある。これは金銭ではなく、例えば優しい言葉や笑顔も相手の心を癒す立派な布施。真心が大事で、他人に言われて無理やりすることではない、という。


景色_convert_20110131203555


 曹洞宗の経典に「修証義」がある。無信心な私なんかに、そのようなものが理解できる訳もないのだが、法事の席などでしばしばお目にかかる。別に考える事がないから、と言ったらお叱りを受けるかもしれないが、そんな時には案外、真面目に経文の字面を追っているのである。これも歳の勢だろうか。難しい言葉の意味を考え込んだりもする。




 その中に「布施とは貪(むさぼ)らざるなり」という一節がある。布施というのは貪らない、執着しない、ということだそうだ。「布施」について書いた住職さんは、こんなことも言っている。



 「人はお金に限らず、さまざまな物事に執着する。それはが原因。それらを減らし、自分が満たされていること、それを知る生き方、即ち、少欲知足の実践の一つが布施といえる」




 「布施」とはまったく奥深い言葉だ。私のような凡人には到底理解し難いものがある。「寺だより」に一文を載せた住職さんが言う布施本来の持つ意味はさて置き、私たち凡人がしばしば戸惑うのもこの「布施」かもしれない。「お気持ちで・・・」と言われても、正直言って、はたと困ってしまう。特にお葬式の場合だ。価格の目安を提示してくれたら分かり易いのに・・・。そんな声をよく聞きもする。




 しかし、提示をされたらされたで、困るのもまた布施。サラリーマン現役時代、甲府に住まいしていた頃のこと。隣組に当たるアパート住まいのお年寄りが亡くなった時のことである。身寄りがない方だったから隣組も含めて関係者は、その金額に頭を抱えた。幸いお寺さん側との≪交渉≫でやっと一件落着したものの、ガラス張りが反って物議をかもしたケースでもあった。お葬式は隣組が中心になっての運営。結婚式と違って「ある日、突然」にやって来る。だから戸惑う。戸惑いは布施だけに留まらない。         (続きは次回に)




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師への恩

卒業証書_convert_20110308192045


 母校は健在だった。同窓会役員の片割れとして母校・日川高校の卒業式に臨席して、そんなことを思った。1時間40分余の式典の一部始終を目の当たりにして、そう感じたのは私ばかりではなかった。私の隣に座っていた先輩役員は、こんなことを言った。




 「オレねえ、毎年のことだけど、この卒業式に来ると胸が熱くなるんだよ。礼儀正しく、しかも粛々と式に臨む母校の生徒たちを見ると,正直言って何か心を洗われるような気持ちになる。だから、ここへのお招きは欠席しないんだ。今の若いヤツ等、立派だよ」





 どの学校も同じだが、式場は体育館。それなりにビニールカーペットを敷くなど床に養生をするが、紅白の幕などは一切使わない。卒業式特有のある種の華やかさはない。一見、地味にも見えるが、それがいい。校訓でもある「質実剛毅」「文武両道」が逆に際立つのだ。


 
質実剛健
山梨県立日川高等学校HPより


 式は国歌斉唱にはじまり、「仰げば尊し」、「蛍の光」、校歌の斉唱で終わる。もちろん県旗と共に国旗も掲揚してある。ここでは「仰げば尊し」を「式歌」ときちっと位置付けていた。だから卒業式が引き締まるのだろう。



 何年ぐらい前だっただろうか。「荒れる卒業式」などと揶揄された時代があった。混乱の嵐が全国を席巻したのである。山梨も例外ではなかった。どちらが先かは別にして、そんなムードは成人式にまで飛び火した。




 いわば若者達の反乱だ。国歌や「仰げば尊し」を歌わないばかりか、校歌すら歌うことをしなかった。山梨の場合、「総合選抜」という入試制度にどう考えても問題がなかったとは言えない。でも自分の学び舎であることには違いない。そればかりか国旗の掲揚をも拒み、学校や教育委員会を慌てさせた。




 その裏には直接的か、間接的かは別に≪教育≫の影響があったことは確かだろう。それが多感な若者達の間で火を噴いた。今でも国旗、国歌を軍国主義の象徴と捉えて止まない≪進歩的な先生≫が教育現場には少なからずお出でになるのだそうだ。教育は、純粋で多感な子ども達を右にも左にも動かしていく。そう考えると怖い。



日川高校卒業式




 「仰げば尊し」を歌わなくなったのは生徒が、ましてや児童が言い出したわけでもあるまい。≪進歩的な先生≫のリードがそうさせたことは明白。「仰げば尊し わが師の恩・・・」。先生は言うまでもなく、親や先輩への「恩」、つまり「敬う心」を教えることを放棄したら、その先がどうなるかは、言わずもがなである。その子どもたちが親になる。今、日本中に氾濫する≪モンスター・ピィアレント≫が一つの象徴だ。給食費は払わない。自己中心で、ちょっとでも不都合なことがあれば学校に怒鳴り込む。自分の子供が先生からゲンコツでも食おうものなら大騒ぎだ。誰でもが分かるはずの≪秩序≫を平気でぶっ壊していく。




 世の中とは面白い。そのモンスター・ピィアレントに閉口し、手を焼いてている先生達は、それを作ったのが自分たちの教育であったことに気付いていない。そうでなければ気付こうとしないのだ。輪廻というか、しっぺ返しなのである。こちらは粛々と行なわれた卒業式の一部始終を見せていただく一方で、そんなことを考えたりもした。「心を師とするなかれ。心の師となれ」(校長)、「(常に)自分を見つめ直し、どのように生きるかを考えよ」(知事)。餞の言葉は若者達のこれからの人生指針となるはずだ。 




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母校の卒業式

  こんぺいとう


 「仰げば尊し わが師の恩・・・」「蛍の光 窓の雪・・・」。去る人、送る人がエールの交換のように歌うこの二つの歌。歌う方も、それを聞く方も感動する。卒業式の最後、いわばクライマックスである。みんな瞳を濡らしている。主役の卒業生、その人たちを送り出す恩師や在校生、卒業生の父母たち・・・。それぞれの立場で噛み締めるように歌い、聞く。そしてまた、立場を変えて尽きない感慨にしたるのだ。3月1日。今年も母校・日川高校の卒業式にお招きを受けた。同窓会の役員として末席を汚させて頂いたのである。




 正式には「卒業証書授与式」という。ステージの一番奥には上から「平成22年度山梨県立日川高等学校卒業証書授与式」の横看板が掲げられ、その下には国旗と県旗。演壇脇には校旗がどっしりと鎮座している。反対側には大きな盛り花が。式場は体育館。クラスごとに並んだ卒業生の後方には在校生、卒業生の父母の順に座っている。ステージに向かって右側には校長以下教職員、反対側には同窓会やPTAの幹部、歴代の校長等が。校長先生はモーニング姿の正装だ。




 まずは卒業証書の授与。恩師である担任教師が卒業生の名前を一人一人読み上げる。大きく、爽やかな返事をして次々と立ち上がっていく。今年の卒業生は276人(8クラス)。在校生が贈ったのだろう。制服の胸には赤い薔薇の花が。「諸君は実に爽やかだ。返事に君たちの今と、全てが現れている」。校長による卒業証書授与のあと祝辞に立った同窓会長に真っ先に、そう言わしめたほど爽やかだった。返事。そんな些細な振る舞いに、その学校の校風や現在の姿が映し出されるのだ。


 日川高校


 校長先生は式辞で、知事はメッセージで卒業生に、こんな餞(はなむけ)の言葉を贈った。まず校長先生は「見識は学問で生まれる」とする一方で「心を師とするなかれ。心の師となれ」と説き、人間はただ心のままに動いてはいけない、と戒めた。また知事はこんなメッセージを。



 「生涯にわたって学ぶ意欲を持ち続けて欲しい。学びとは、学校教育や書物の中だけではない。いわば社会とのかかわりの中での生きる力の習得だ。≪習うは一生≫という言葉がある。知識を増やし、人格を高めることなくして充実した人生を送ることは出来ない」




 語りかけるように淡々と式辞を述べる校長先生の目をみんなが見詰めていた。267人の卒業生の中には恐らく先生にも手を焼かせた生徒も居ただろう。でも、みんながみんな素直な気持ちでこの日を迎えて卒業証書を手にし、校長先生の式辞を聞いているのだろう。今日を境に3年間の学び舎を巣立つ若者達の目は曇り一つなく、どの顔も純真に輝いていた。在校生の「送辞」、卒業生代表の「答辞」と続き、「仰げば尊し」、「蛍の光」で卒業式はクライマックスを迎えるのだ。

日川高校2


 この学校では「仰げば尊し」を「式歌」と位置付けていた。今では小、中、高校を問わず、この「仰げば尊し」を歌わない学校が多いという。≪進歩的な先生≫の影響がそうさている、という人がいる。先生を、ひては大人を敬う心を阻害する元凶はこんな所に。





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富士山は化粧上手(再)

富士の山


 あと20日もすればサクラが咲き、春が来るというのに、窓越しに見える富士山は、今も厚い雪をかぶったまま。一方の南アルプスや八ヶ岳も同じだ。さすがに、前衛の山々には雪はない。だから、富士山や八ヶ岳、南アルプスの北岳や甲斐駒ケ岳、白根三山が一層、際立って、輝いて見えるのだろう。






 それにしても富士山とは不思議な山だ。当然のことだが、冬になれば雪化粧をするし、夏が来ればすっぴんになって、茶色く、どす黒い地肌を見せる。雪化粧も、その時々の寒さや気象に合わせて薄くしたり、厚くしたりする。うちの女房よりずっと化粧上手だ。朝には朝、夕には夕の顔がある。すっぴんの地肌だって色を変えて化粧する。


富士山

 朝日を浴びれば東側の片方の頬を爽やかに輝かせるし、夕日を頂けば見事な赤富士に変わる。二十四節気があるように太陽の黄道が違うから、その高さも光線の角度も異なる。雨も降れば風も吹く。富士山はその一つ一つに機敏に反応するのだ。毎日同じように、どっしりと座っているようだが、一度として同じ顔を見せたことがない。




 この富士山、これも当たり前だが、見る方角によって、その容姿がみんな違う。一般的には東富士とか北富士というが、南富士、西富士だってある。静岡の市街地や伊豆の海からの富士は趣を異にするだろうし、神奈川の小田原の富士は違う。山梨から見た場合でも、富士吉田市や富士河口湖町など、文字通りの山麓地方からの富士と私が住む甲府盆地の東部では、その形は微妙に異なる。第一、甲府盆地では前衛の御坂山塊に遮られるから雄大に尾を引く裾野は見るよしもない。盆地の中心・甲府の南部では前衛の角度で、まったく見えない所もある。


富士山3


 その時々、その場所場所によって顔を変えるばかりではなく、怒ったり、笑ったり、泣いたりもする。静岡や神奈川の地元の人たちもそうだろうが、山梨に住む私たちは、その時々の富士山の、そんな顔を見ながら、その日の天気を占ってきた。今は、気象予報も衛星のITを駆使しているので、テレビやラジオが伝える情報にほとんど狂いがない。勢い、気象衛星は富士山頂の測候所をも駆逐、その施設と人を山頂から追っ払った。





 富士山が吹雪き始めれば下界は寒いし、富士山の上にかかる雲の形、雲の発生の仕方によって風が吹くか吹かないか、その強弱まで分かるのだ。先人から伝えられた生活の知恵である。天候ばかりではない。富士山の表情を農作業の目安にだってする。



赤富士



 毎年、4月から5月の中旬になると富士山の中腹に≪農鳥≫が出現する。冬の間、厚く覆っていた雪が次第に融け、その過程で、残雪が鳥を形作るのである。農家はその出現を、それぞれの種蒔きや田植えの準備などの目安にして来た。農鳥は富士山が発信する初夏の合図であり、農作業へのゴーサインなのだ。





 「富岳百景」の葛飾北斎に代表される江戸時代の浮世絵師達は好んで富士山を描いた。安藤広重も同じだ。その絵の多くは東側、つまり、静岡側からのものが多い。しかし、男らしい富士を見るなら北富士、山梨県側からに限る。身贔屓ではなく、これホント。 静岡側からのそれは女性的だ。






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神頼みの心(再)

鳥居


 本当に祈っているのかと言うとそうでもない。それでは祈っていないかと言うと、それも違う。頼みごとも同じだ。先頃の初詣や、普段、旅行などで寺社、仏閣に参拝した時の心の内だ。神様を信じているとか、いないとかではなく、なんとなく手を合わせ、なんとなく賽銭を投げて、手を合わせている自分に気付く。私だけだろうか。


おみくじ


 ズボラではないとは言い切れないのだが、私自身、そんなにもズボラではないと思っている。だが、はたまた、日常の生活の中で、身近にある神棚に向かっても、これとまったく変わりない自分に気付いて「おれって、ちょっとヘンかな」と思ったりすることがある。そんな私と比べ、女房は毎朝と言えばウソになるが、よく仏壇と神棚に水を上げ、手を合わせている。だから、私だけがおかしいのだろう。





 そんな私でも、神棚の祭り方でずいぶん迷ったことがある。勤めを定年で辞め、甲府から山梨市の実家に戻る時のことだ。私の実家は祖父の時代に建て替えたという築80年以上の昔風の田舎家。大きい事は悪くはないのだが、幾つもの部屋という部屋はみんなふすまや帯戸一枚の仕切りだけ。住みにくいことこの上ない。


障子  


 このふすまなどを取っ払えば、一つの大きなホールになってしまう。その上、天上が高いから、夏場はいいのだが、冬は寒くてしょうがない。そこで、女房とも相談、一部を生活し易いようにリフォームした。居間とキッチンはカウンターを隔ててワンフロアーにし、さらに、そこと、ひと続きの所に書斎とベッドを設けた。つまり、キッチンを伴う居間と、寝室として区切らないベッドと書斎のある部屋は4本の引き戸で自由に開閉できる、文字通りのワンフロアーにしたのである。





 もちろん、それはそれでいい。ところが、はたと困ったのが神棚の取り付け場所だ。神棚の置き場所にはいくつかの条件があるのだそうで、その一つは方角。南、または東向きにし、北、または西向きにはしないのだという。もう一つ、神棚の下を人が通り抜けしないところを選ぶこと、だそうだ。もちろん目線より高い所であることは当然である。


神棚


 そんな所は、いっぱいある、とお思いだろう。ところが、この幾つかの条件を満たす所は、あるようで、ないものだ。夏、冬の冷暖房のためのエアコンだって取り付けなければならないし、部屋全体の調和や美観だって考えなければならない。当たり前のことだが、神棚に足を向けるわけにはいかない。人は寝る時、北枕はしないから、その足側、つまり、その西、または北、南はダメ。そこに方角の南、または東向きの条件が絡むのだ。こう書いている本人だってこんがらかってしまうのだから、お読みになる方はなおさらだろう。

1


 人によっては、そんな事どっちだっていいだろう、と言われる方もおいでだろうが、いざ自分のこととなると、案外、縁起や風習に拘るもの。結局、幾つかの条件に適った所は、たったの一箇所だけ。それも、大きさを考えないと全体の調和が取れなかった。神棚の拝殿?には天照皇大神宮の分厚いお札。地域の道祖神や氏神様のお札も。女房は何か頂き物をしたりすると、仏壇と共にお供えしている。言葉には表さないが、えらいいものだ。






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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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