「天皇の勅もち」と金平糖

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 学校にはおしなべて児童会や生徒会、自治会があり、PTAや同窓会がある。PTAはその名の通り父母と教師の会だが、事実上は父母の会。学校をめぐる幾つもの組織のうち、その意識は別に、やがては全てがリストアップされていくのが同窓会。児童会や生徒会、自治会は自らの卒業と同時に関係がなくなるし、PTAも我が子の卒業で縁が切れる。




 義務教育で、しかも学区という地域が限定されるためか、小中学校には、表立った同窓会の組織はない。だから同窓会と言えば、高校や大学のそれだ。一口に同窓会と言っても学校間の強弱があり、それを個々に一皮剥けば、同窓会員の温度差も歴然としている。


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 母校・日川高校の創立110周年記念式典にお招きを受けて、式に臨みながらたわいもない事を考えていた。同窓生の数は少なくとも3万人近くに及ぶだろうし、草創期の人たちは誰も生きてはいまい。親子三代どころか親子四代にわたると考えると、その歴史は重い。


日川高校1


 同校の創立は明治34年4月。山梨県立第二中学校として発足した。第一中学校は現在の甲府第一高等学校。同校の創立はそれから10年ぐらい遡るから120年の歴史を持つことになる。明治39年6月、山梨県立日川中学校に、昭和23年4月、現在の日川高校に。いわゆる学制改革で新制の高等学校になった。日本中の旧制中学が新制高校に衣替えするのである。歴史の長短とは別にどの学校もその道を歩んだ。


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 旧制中学からスタートした高校は、すべからく同校と同じか、それ以上の歴史を重ねている。ただこの学校がユニークなのは、旧制中学の頃から校章も校歌も変わっていないことだ。長い風雪の中で統廃合もあれば、地域との関わりの中で校名変更を余儀なくされたところも。校名が変われば校歌も校章も変わらざるを得ない。校歌の場合、旧制時代、歌詞に「中学」を歌い込んでいた所は新制高校への移行と同時に用をなさなくなる。


校章


 校章にも同じことが言える。校章に中学の「中」が入っているものは言わずもがな。学制の改革という予期せぬ出来事によって校歌も校章も荒波にさらされたのである。校名の変更だってその時代、その時代の荒波だったかもしれない。やはり山梨県にある甲府西高のように「甲府高等女子師範」から≪女の園≫を引き継いだ「甲府ニ高」と三度も校名を変えたところの同窓会は複雑。校歌は三つも歌わなければならないのだという。

 
校歌


 日川はそんな≪難≫を免れた。「天地の正気甲南に 籠りて聖き富士が根を…」で始まる校歌には、どこにも「中学」の文字はなく校章にも制定当初から「中」はあしらっていなかった。「ニ中」だからか「中」の字を縦横に二つ重ね合わせてデザイン化した校章は「金平糖」の愛称で110年の長きにわたって親しまれて来た。親子三代、親子四代が同じ校歌を歌い継いでいるのだ。
 ただ、世の中にはヘ理屈を仰る方も。校歌の三番「質実剛毅の魂を 染め樽旗を打振りて 天皇(すめらみこと)の勅(みこと)もち 勲し立てむ 時ぞ今」の中の「天皇の勅もち」の一節が時代にそぐわないと言うのである。「何を言っているんだ」と気にも留めず歌い継ぐ人たちをよそに、この方たちは真剣。訴訟にまで持ち込んだ。しかし、そんな動きもいつの間にか霧散霧消に。校歌はみんなの青春なのだ。

質実剛健
日川高校HPより
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ブスの魅力

ブスママ


 いつ頃だったか、茶の間で見るともなくテレビを見ていたら東京は銀座の人気クラブのママさんという女性が登場して話していた。そのママさんの話がふるっている。


 「人気の秘訣ですか? 私はどなたが見てもブスなんです。でもブスにはブスのとりえがあるんです。その第一はお客さんに親近感を持たせ、警戒心を持たせないことです。これって商いでは一番大事なんですよ。私はブスに生まれて良かったと思っています」



 このママさん、自らを「ブス」と言って、はばからない。銀座のクラブと言えば、美人ママが当たり前。水商売と言われるこの世界では、むしろ必須の条件でもある。ところがその逆をついて商売をし、お客さんからも支持され、お店は活況を呈しているのだという。思わず「へえ~」と頷いていたら、夕餉の後片づけをしていた女房が、こんなことを。


 「お父さんねえ、美人は三日で飽きる。ブスは三日で慣れるというんだよ」

 言い得て妙。わが女房、うまいことを言う。すかさず私が「確かにオレも三日で慣れたよ」と言ったら「失礼しちゃうわ」。同じブスでも田舎でこれと言ったとりえもなく生きている平凡な主婦と、あの競争の激しい夜の銀座で生きる女性。その度量の違いは歴然だ。




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林真理子 講演会



 数日前、作家の林真理子さんの講演を聴く機会があつた。ここでも「ブス」という言葉が。林さんは言わずと知れた直木賞作家。母校・日川高校の創立110周年式典のあと「私の仕事から」と題して記念講演した。約800人の全校生徒や教職員、先輩でもある同窓会の役員たちを前に作家への道のりを話して行くのだが、「ブスが故の屈辱がむしろ人生のバネになった」と、あっけらか~ん、と言うのである。

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 林さんはJR山梨市駅前の古本屋さんの娘として生まれた。林さんによれば、子どもの頃「ブスが故のいじめられっ子」で、そんな意地悪な女友達と一緒に女子高校へ進むことが嫌で、男子高校の日川に進んだ。「自分の偏差値からすれば高望みの高校選びだった」。





 ブスは就職試験にも影を落とした。「『君、ご苦労さん。帰っていいよ』。面接の席にさえ座らせてくれないんです」。会場からどっと笑いが。「結婚も遅れた」。そんな林さんのたわいもない心の支えは日川高校在学中の男性教諭が言った「このクラスで、有名人になるのは〇〇と林だ」の何気ない一言。「後にその先生は『そんなこと言ったかなあ~』と言うのだが、挫折しそうになった時、自分にはどこかに才能がある、と信じた」。林さんは、自分を信じることの大切さ、苦境やハンディに屈しない強い心の尊さを言外に説いた。


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 創立110周年の記念式典、記念講演の後、校内にある同窓会館で同窓会役員の懇親会が。「一旦お帰りになった林さんが戻ってきまして、『お世話になった母校から講演料など戴くわけには参りません』と、その全額をご寄付頂きました」。校長先生は、そんな裏話を披露しながら110周年の諸々の記念事業に尽力した同窓会にお礼の言葉を述べた。その同窓会館の3階には110年の同校の歴史のひとコマひとコマが展示されていた。創立当時の校舎の鬼瓦や毎年出版されてきた同窓会誌「同窓だよ」。第二回センバツ高校野球の出場旗も。女性ながら質実剛毅の校訓の下に学んだ林さん。同窓会誌の一ページを飾る人でもある。


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ハナミズキの競演

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 街路樹の定番と言えば、イチョウだったり、桜やポプラ、ケヤキもある。もちろん緯度などその地域の気候とも相まって種類は異なるのだが、並木道の風情はいいものだ。散歩していても車で走っていても、何かしら心が落ち着く。「ポプラ並木の 薄っすらと・・・」。普段、歌を歌うことが少ない私でさえ、思わず口ずさませる魔力がある。



 国会議事堂がデンと居座る永田町界隈はイチョウだし、六大学野球の熱闘に歓声が沸く神宮のイチョウ並木もいい。他の木々と同じように、春に柔らかい若葉をつけ、だんだん緑を濃くしてゆく。葉っぱを厚くして暑い夏を過ごし、秋を迎えると、どの顔もまるで申し合わせたように真っ黄色に染まるのだ。


国会議事堂


 葉っぱを拾って栞代わりにする女の子も。イチョウには雄と雌があって実をつけるものもあれば、つけないものも。銀杏(ギンナン)は茶碗蒸しの定番だ。落ちたばかりの銀杏は生皮をかむっているから、なんともいえない異臭を放つが、そこは≪色気よりか食い気≫。並木の下で銀杏を拾う人たちの姿は秋の風物詩でもある。


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 ポプラ並木も街路樹にはよく似合う。「欅通り」などと地域の通りの名前にもなるケヤキ並木もあれば、伊豆の大島のように「椿街道」と呼ばれる椿の並木もある。並木の街路樹は、その地域のシンボルであったり、気候や風土を象徴して、そこに根ざしているのだ。人々の日常に深く溶け込み、心の中に沁み込んでいるものかもしれない。




 「いつまでも新参者扱いはよしてくれよ」。そんなことを言われそうだが、各地でどんどん勢力を拡大しているのがハナミズキ。ハナミズキの街路樹など、その昔はほとんどなかった。でも最近はいたるところに。街路ばかりでなく、公園や学校、一般家庭の庭先にまで、どんどん≪進出≫しているのだ。

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 桜やイチョウ、ケヤキなど日本古来の街路樹とは、どこか違う。ダイナミックでもなく、そうかと言って質素かと言うとそうでもない。一見、女性的だが、勢力は逞しく、黙っていればグングンと伸びる。これと言って風情があるわけでもないし、形の美しさがあるわけでもないので、築き庭には似合わないが、なぜか洋風の庭にはよく似合う。


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 窓越しの植え込みの向こうにある広場でも今、このハナミズキが白や赤の花を咲かせている。我が家の裏でも母屋と土蔵の間にある堀端の植え込みでも同じように咲き誇っている。おふくろが元気な頃、植えてくれたものだが、今ではすっかり大きくなって少々、やぶせったく感ずるほどだ。だからこの冬、かなり枝を落としてやった。


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 ハナミズキには、ほのぼのとした何かがある。そんなハナミズキの近くで、今は峠を過ぎた椿が青く、厚い葉っぱの間に間に真っ赤な大きな花を。その下では水仙やチューリップが咲いている。近くではシバザクラがピンクや白の小さな花をいっぱい付け、地べたに這いつくばっている。スズランもいっぱい青い芽を出した。このスズラン、花は可憐で弱々しいが、どうしてどうして。地下茎は実に逞しく、踏みつけたり、雑草と一緒にかじりとっても負けじと顔を出すのだ。自然の息吹は逞しく次へのステップを着実に踏んでゆく。


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若葉の七変化

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 春のヒロイン・満開の桜が葉桜に姿を変える頃になると、周りの落葉樹の木々もコスチュームを整えて、脇役としての存在感を思い思いにアピールし始める。単に芽を吹き、緑に装いを変えるばかりではない。こうしてパソコンを叩くちっぽけな書斎から窓越しに望む庭先の植え込みでは、木々達が個性豊かに芽吹きを競っている。




 特にカエデ平凡な緑色もあれば、赤や深紅、橙色もある。実にカラフル。その葉っぱを日に日に大きくしていくのだ。五葉の松やチャボヒバ、椿、金木犀、銀木犀などの常緑樹の中にあって、ひと際異彩を放つ。一口に常緑樹と言っても、その色合いはみんな違う。青に近いような緑もあれば、淡い緑もある。そのコントラストがまたいい。


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 植え込みの木々だから形も違えば、背丈や体格も違う。桜の前座を担った白梅や紅梅はぼつぼつ実を結ぶ準備に入っている。桜と同じで花を散らせば存在感は一気に減退する。しかし、控えめな緑も、それはそれで脇役としての役目を十分に果たしているのだ。そんな中にあって百日紅(さるすべり)は、ドンと構えて動こうとしない。「オレはゆっくり行くぜ」とでも言わんばかりに太い幹を今も茶色くさらしたままだ。近くにあるイチョウは「一足お先に」と、一直線の太い幹の下のほうから控えめに緑の葉っぱをつけ始めた。




 カエデは古来「もみじ」という。どちらかと言えば、秋に主役の座を張る。諸々の樹木の紅葉を牽引するのである。「もみじ」は「紅葉」とも書くように木々の色付きの総称でもあるのだ。秋の主役であるカエデがこの時季、こんなに紅葉するとは・・・。モノを書くことはいいこと。書くために観察もするのだ。よくしたもので、こんな時には普段見過ごしていたものまで見えるから不思議。カメラのレンズを通しても覗く。


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 何本もあるカエデの一本一本が、みんな異なる色で芽吹くばかりか、空っ風に煽られて落葉するまでに≪七変化≫をして見せるのである。例えば橙色に芽吹き、葉を付けたカエデはあと半月もすると真っ黄色に変わる。黄金色と言った方がいいかもしれない。それが徐々に緑に変わり、真夏になると真っ青に。それが秋に向けて紅葉を始めるのである。




 一方、深紅の枝垂れはその色合いを徐々に徐々に変えながら秋のゴールを目指すのだ。今赤いカエデは、だんだんその色合いを濃くして深紅のコスチュームに変わっていく。実を言うと、このカエデが一番気に入っている。だから植え込み全体の手入れの時も念入りに剪定を施すのである。木の形を整えるための冬場の剪定にとどめず、繁茂して形を崩す夏場にもきちっと手を入れてやるのだ。柔らかい緑で芽吹き、秋の紅葉で落葉するシンプルなヤツでさえ、淡い緑から同じ緑でも、段々とその緑の色合いを変化させて行くのである。昨日が雨だったせいか空は青い。色彩豊かなカエデの向こうに真っ白い富士山が。


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 これらのカエデは脚立を使わなければ手入れが出来ないほど大きいが、背丈を縮めたカエデもあっちこっちに。10本を超す。盆栽よりも2周りも、3周りも大きい、いわば露地の盆栽だ。だから形作りをする意味では面白い。自由と言ったらいい過ぎだが、思いのままに形作れる。若葉の七変化、芽吹きも、秋の紅葉も大きなカエデと全く同じだ。




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素人の剪定

  カエデと富士


 北へ、北へ。桜前線は、いつの間にかどこかに行ってしまった。我が家の植え込みの向こうにある広場の隅々で満開に咲き誇っていた桜も一週間前の姿がウソのように葉桜に変わった。この広場は、かつては我が家の梅畑だった。地域のふれあい広場としてお貸しした10㌃近い広場である。名前の通り地域住民の触れ合いの場で、子ども達はブランコや滑り台などの遊具で遊び、お年寄り達はゲートボールに興じる。災害が起きた場合は地域の人たちの避難場所もなることになっていて、毎年9月の防災の日には、防災訓練の会場にもなる。この辺りは果樹地帯だから繁忙期になると、正直にも人の姿が消える。


公園


 広場の周りには桜ばかりではない。何本かの栴檀の木やハナミズキも。桜だってソメイヨシノだけでなく、枝垂桜も増えた。広場開設と同時、15年ぐらい前に植えたソメイヨシノを追いかけるように本数を増やして来た枝垂桜も大きくなった。女房が静岡の伊豆に旅行した時、買って来た「河津桜」も結構大きくなって花をつける。




 どんな樹木にも共通することだが、「木づくり」が大事。毎年適当に剪定してやらないと成長を妨げる。特に枝垂桜は放っておくと木の体を成さなくなる。その名の通り全ての枝が枝垂れるから、上への成長が止まってしまうのだ。だから最初は極力枝を落としてやり、芯となる幹を上に伸ばしてやるのである。この作業を怠ると確実に成長の妨げに。自分の家の植え込みと違って公共の広場となると、つい管理がおろそかになるのだ。





 それに比べると我が家の植え込みは、そこそこ手入れが行き届いている。職場をリタイアする前はその管理を植木屋さんに委ねていたのだが、見よう見まね。今では全ての剪定作業を自分でやる。「毎日が日曜日」だから時間に糸目はつけないのである。梯子や脚立、電動の剪定用バリカンも買い込んだ。頻繁に使う剪定鋏や鋸もお気に入りなものを。植え込みは結構広く、一本一本の樹木も背丈が大きいから手間暇もかかる。でも自分でやってみると好きなように木づくりが出来るので、面白くもなる。


脚立

 「お父さん、梯子や脚立から落ちないで下さいよ」


 女房が下からくどいように言う。その通り。細心の注意を払う一方で、大きなチャボヒバイチョウ百日紅(さるすべり)カエデなどはみんな頭を切り落とした。そんな私の剪定ぶりを見ている近所のお年寄りは「慣れないのによくおやりになりますねえ」とお世辞を言ってくれる一方で「そんなに切り落としたらもったいないじゃあありませんか」とも。


庭



 確かにそうかも知れない。親父の代どころか祖父、曽祖父の頃からの樹木だってある。でも、女房が言うように梯子や脚立から落ちたら元も子もない。「花より団子」である。他人の目にどう映るかは別に、自分でやってみると不思議なことに、それなりの愛着が湧く。結構、気に入ってくるのだ。植木に留めず、20本近い「甲州百目」や「富有」、「御所」などの柿の木も、これまた見よう見まねの剪定をする。畑に行ってその一本一本を見上げると、なぜか満たされた気持ちになるから不思議だ。手を掛けたものは何でも愛着が湧く。




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散る桜・・・

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 自然界は、春から初夏へと着実に歩みを進めている。春の穏やかな風にハラハラと散っていたソメイヨシノは、いつの間にか葉桜に。「散る桜 残る桜も 散る桜」。ちょっと離れた所で咲いている桜も時間の問題でその道を辿るのだろう。




 桜は散り際がいい。もちろん、春を告げるように一輪二輪とそっと花開く開花期もいい。満開の桜は壮大だ。風流人でなくても花を愛で、花見酒としゃれ込みたくもなる。花見酒の盃に一片の花びらが。これを風情と言わずして何が風情か。誰しもが心ウキウキする開花期、これとは対照的に散り時の桜は、人間どもを感傷的にもしてくれる。


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 万葉の時代から日本では、花といえば桜。あまたある花の中で、桜は花の代名詞なのだ。寒い冬から人々を解放する人間の営みの指針にもなってくれるし、最後の散り際を人々は人間哲学にも置き換えるのである。桜の散り際は、それほど見事だし、潔く(いさぎよく)もある。


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 「遠山の金さん」、「忠臣蔵」・・・。かみさんや娘に笑われるほど私は時代劇が大好き。「忠臣蔵」は、あの討ち入りの12月にならないとテレビでもやってくれないが「水戸黄門」は今でもちゃんと見る。時代劇に登場するのが決まって桜。「忠臣蔵」の序盤、浅野匠守の切腹の舞台にも桜が。「遠山の金さん」は背中から胸、二の腕に掛けての刺青を悪者どもに見せて「えい、えい、野郎度もこの桜吹雪を…」と、あの名台詞でクライマックスを迎えるのだ。「オジサン、単純だね」と、笑われるかもしれないが、これが何とも小気味いい。日本人は刺青をヨタ者の象徴として敬遠する。しかし、桜の刺青にはなぜか寛容なのだ。


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 数年前の事。かみさんと連れ立ってアラスカクルージングの旅に加わる途中、その出発点になった米・シアトルでワシントン大学をお訪ねした。ここで見た桜並木。三木内閣の時代だと言うが、日本政府が日米の友好の証として贈ったものだという。大学の構内で三十数年の年輪を刻み、立派に息づいていた。




 その下を歩く金髪の学生さん達。決して違和感あるわけではないが、桜はやっぱり日本人の方がよく似合う。これも単純な先入観かもしれない。例えば、金髪の米国人に満開の桜を愛でる感覚はあっても、散り際の風情、ましてや潔さ(いさぎよさ)など日本人の哲学にも重ね合わせる奥深い心は理解できまい。


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 「サクラサク」「サクラチル」。電話も十分普及していなかった時代、郷里を離れての大学入試の後、古里の親達に打電した合否の電文。今は人々の誰のポケットにも入り込み、試験のカンニングにまで使われてしまうケイタイ。その落差、メディアの進化は隔世の感があるが、そこに居る人間、学生達の営みはそれほど変わってはいない。




 今年も悲喜こもごもの春に一定の区切りをつけ、ある者は晴れて入学式の晴れ舞台に臨んで大学の門をくぐり、ある者は捲土重来を期して歩みを始めた。この時季、毎年繰り返される光景だ。そんな若者達の現実にも、あの大震災の影が。散りゆく桜はいつもの春と違って日本中を≪激震≫させて止まない今年のこの時季をどう見ているのだろうか。




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自粛の呪文

 「山菜祭りを中止 予算100万救援金に」

 「首相は『普段通りに』と言うけれど… / 早川町長『楽しむ状況にない』」


 地元の山梨日日新聞にこんな見出しの記事が載った。早川町は南アルプスの山懐に抱かれた小さな町。甲府盆地の西部を縦断する富士川沿いの山間部に広がる。面積こそ広いが、残念ながら過疎化がじわじわ進み、人口は減る一方。




 山菜祭り
はそんな町の一大イベントである。毎年5月、ゴールデンウィークに照準を合わせて盛大に繰り広げて来た。タラの芽、コシアブラ、フキ、ウド、ワラビ、タケノコ・・・。町民グラウンドにはこの町で採れた春の山菜がずらりと並び、町内はもちろん近郷近在から家族連れの行楽客で賑わう。まさに自然との触れ合いだ


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 静岡県境に近い町。東名高速道路から繰り込むマイカー組みも多い。祭りへの参加者達は買い物ばかりでなく、そこでの天ぷら料理など思い思いに春の山菜を楽しむのだ。グループで車座になってお酒を酌み交わすオジサンたちも。みんなが自然の恵みを満喫するのである。小さな村と言った方がいい静かな町に活気が蘇える数少ない瞬間でもあるのだ。




 そんな祭りの中止が、あっさり決まったのか、苦渋の末かは定かではない。ただ言えるのは、これも日本中に蔓延する「自粛」の現れであることは間違いない。自粛、自粛、自粛・・・。年に一度の祭りや、その時季ならではの花見も、さらにはコンサートなど各種の催しまでもが日本中でみんな中止、中止だ。



 「祭りを楽しむ状況にない」。町長さんが仰っていることは、私たちにもよく分かる。でもちょっと待ってくださいよ。町長さんとしてそれでいいのでしょうか。くちはばったい言い方をして恐縮だが、一人の人間としてそう思っても、住民のリーダーとしては、違う執るべき道があるのでは。「こんな時だからこそ、祭りを実施する。みんなが萎縮することなく元気を出そうよ」。むしろそう言って欲しいと思うのは私だけだろうか。


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 何か事が起きると日本人は決まって≪無難な道≫を選ぶ。慎重と言えば慎重。自己防衛。人様の目を気にするのだ。「自粛」の名の下に祭りを中止し、宴会や旅行まで取りやめてしまう。行政や政治のリーダー、果ては大小の組織のリーダーまで、知らぬ間にそこに逃げ込んでしまうのである。被災者の気持ちを汲んだり、同情する。行動を律したり、自重もする。日本人の美徳だ。みんながそうありたいと思ってもいる。しかし・・・。




 地震、津波、原発がセットになった今度の異常事態が第一次の災害とすれば、それから派生し、日本中に蔓延する「自粛」と言う名の化け物は紛れもなく≪二次災害≫をもたらそうとしている。このまま「自粛」をエスカレートさせていったら日本経済はどんどん暗闇に沈む。私のような盆暗でもそんなことは分かるし、恐らく日本人みんながそう思っているに違いない。でも、みんなが自粛という名の呪文に金縛りになっている。何人かが集まった席で誰かが「こんな時だから自粛しようよ」と言えば反論さえ出来ないのだ。結果はあっさり中止である。「むしろ賑やかに…」などと言ったら国賊視さえされかねない。




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AC広告

 テレビ局に勤める親しい友が、ある葬儀で出会った時、こんなことを言った。

 「長く続いた不景気風がなんとなく和らいで、やっと明るい兆しが見えて来たと思ったら、それもつかの間。また真っ暗なトンネルに逆戻りしちまった。これからどのように開拓し、復元して行ったらいいのか・・・」


 この友は民放局の営業担当の幹部。私のような門外漢でも、その気持ちは痛いほど分かる。やっとテレビ画面にコマーシャルが戻ってきたと思いきや、それは企業広告ではなく、いわば便宜的に入れているに過ぎないコマーシャル。明けても暮れても「AC」「AC」だ。「AC」とは「民間広告機構」の略称だそうだ。早いもので、あの東日本大震災から一ヶ月が経つ。


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 友たちは、この「AC」広告を「只広(広告)」と呼んでいる。テレビ画面を見るたびに身を切られる思いをしているのだろう。聴視料や国の予算が投入されるNHKと違って民放局にとってコマーシャルは経営、放送の生命線。それが絶たれているのだから深刻だ。大きなお世話かも知れないが、友たちの苦労や気持ちは察するに余りある。ひと頃、新聞ではこの「AC」広告を見たことがあるが、テレビ画面でこれほど見せ付けられたことは未だかつてない。お陰で私たち視聴者は、コマーシャルが訴える文言まで覚えてしまった。


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 「こんな時に・・・」。その背景にはクライアント(広告主)の≪自粛≫があることは間違いない。当然のことながら投資効果との天秤があるのだろうが、もう一つ消費者・国民の受け止めようを推し量っていることも確かだろう。「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」の裏返し。「自ら進んで前に出ることを避けよう」。全国に蔓延してしまった≪自粛ムード≫の中で、企業の広告担当者達もこぞって≪様子見≫を決め込んでいる。「危ない橋は渡りたくない」のか。




 3月11日午後2時46分。この時を境に全国のテレビ局はまるで雪崩のように地震報道にシフトした。テレビの画面は朝から晩まで地震一色。民放局は、その生命線であるはずのコマーシャルをも全てぶっ飛ばしての報道合戦に転じたのである。もちろんクライアントとの調整があったことは言うまでもないだろうし、やがてクライアント自らが≪自粛≫に動いたことも確かだろう。時間が経つにつれ、むしろ、その方が強い。


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 コマーシャルがない、コマーシャルを充てにしないNHKはともかく、民放局がコマーシャルを度外視した放送をいつまでも続けることが出来ないことなんか私のような素人だって分かる。案の定、民放局は地震報道一辺倒の放送シフトから「平常」に舵を切った。控えめな形のバラエティー番組も。でも気のせいか、もう一つ元気がない。




 新聞も含めメディアの影響は良くも悪くも怖い。特にリアルなテレビ。毎日毎日,あの惨状をこれでもかこれでもかと見せ付けられたら人間、萎縮したり、被災者を慮って「自粛」するのは当たり前。そうでない方がおかしい。コマーシャルの自粛に遭って四苦八苦している民放業界。考えてみたら自らが蒔いた種? 自業自得と言ったらお気の毒か。




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薀蓄のある?言葉(再)

夫婦


 「いればうるさい、でも、いなきゃ寂しい」
女房のさりげない一言だが、言い得て妙。大げさだが、薀蓄すら感ずる。亭主とは、また、夫婦とは、よく考えてみればそんなものかもしれない。




 この言葉は、今は家を空けることなど以前と比べればめっきり少なくなったのだが、それでも仲間との一泊二日、二泊三日の小旅行、飲酒運転が出来ないので宿泊形式でする忘年会や新年会、それに、時折はもつれ込んでしまう徹夜マージャン、そんな時の女房のちょっとした台詞だ。




 若い頃というか、サラリーマン現役時代は、そんな事を言ったり、ましてや感心したりしている心の余裕や暇はなかった。朝起きれば決まった時間には家を飛び出し、帰宅する夜も遅い。時には午前様だって珍しくない。それが当たり前だから、正直言って家も女房も省みたことはほとんどなかった。

夫婦#12860;

 仕事が終われば、仲間と居酒屋へ。仕事をめぐって青臭い議論もすれば、上司や先輩を酒の肴に愚痴も言う。はしごの先に行き着くところはマージャン荘。そこから先はお決まりの午前様。家で待っている女房達はともかく、自分たちにとっては格好のストレス解消策だった。そんな事を繰り返していても疲れなかったし、逆に生き生きしてさえいた。もちろん、振り子のような規則正しい人間もいないわけではない。が、そんなバカなサラリーマンが多かったことも事実。




 こんなことを言ったら世のお父さん、お母さんから白い目で見られ、ひんしゅくを買うかもしれないが、ここで白状すれば、一人娘が顔を見るたびに、大きくなるのがよく分かった。仕事柄、朝や昼、夜が不規則だから、幼い娘の顔を見ることが少なかったからだ。娘側から見れば、私は時々来るどこかのおじさんみたいなものだったのかもしれない。

子供

 こんな事があった。娘が幼稚園の頃だっただろうか。ある日曜日、娘が友達の家に行ったら、そこには、お友達のお父さんがいて、子ども達と一緒に犬小屋を作り、一緒にインスタントラーメンを食べた。それが、うちの娘にはびっくりするほど特別の事に映ったのだろう。家に帰った娘は母親である女房にそのことを話したという。




 ハッとした。これじゃあいけない、と思った。それからは、時間を見つけては少なからず娘と遊ぶことを心掛けた。休みをやりくりして海にも行った。運動会や幼稚園の父親参観にも顔を出してやった。その時の、娘の嬉しそうな顔を今でも忘れられない。その娘が今では、このブログ作りやパソコンの先生の一人である。



 夢中と言ったら大げさかもしれないが、そんな若かりし時期、女房だって「いればうるさい、いなきゃ寂しい」なんて、感傷的なことを言っている暇もなければ、余裕もなかっただろう。そうとは思いたくないが、歳をとった証拠かもしれない。それに、甲府での生活から一転、田舎生活が本当に落ち着いていない証かも。それにしても、夫婦とは空気のようでいて、空気ではない妙なものである。





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初夏への序奏

  桃_convert_20110412202727


 桜が散り始める頃になると桃の花が咲き始め、甲府盆地は一面がピンクの絨毯の様相を見せる。桜と言ってもこの時季、ソメイヨシノもあれば枝垂桜もある。彼岸桜や八重桜はひと足早く散った。ソメイヨシノが淡いピンクとすれば枝垂桜のそれはもっと濃い。花そのものも重厚だ。花は散る。「散る桜 残る桜も 散る桜」 。


シバザクラ+001_convert_20110414183726



 今年は桜の開花が一週間から十日も遅れたせいもあって、いつもならその後を追っかけるはずの桃の花がほぼ一緒に花開いた。ご存知の方はご存知。桃の花は桜のピンクより色合いはずっと濃い。枝垂桜のピンクよりもだ。窓越しの庭先ではシバザクラが赤に近い小粒なピンクの花をいっぱい咲かせ、その隣では何という花か知らないが、白い花を可憐に咲かせている。細い葉っぱはニラのそれによく似ている。葉っぱの臭いも同じだ。



シバザクラ+002_convert_20110414184028  



 ピンクの絨毯の向こうに眼をやれば、前衛の御坂山塊の向こうに富士山が。真っ白い雪をかむっている。先日、里に降った雨も3,000m級のそこでは雪。下界の春爛漫をよそに一人、厳冬を装っている。ピンクの絨毯の間に間に真っ白いスモモの花が。盆地の東部一帯、一面の桃園にあって、ちょっとしたアクセントでもある。上空にそびえる富士山の雪とピンクの絨毯、その所々に点在する白いスモモ畑のコントラストがまた絶妙。 富士山から南西に眼をやれば、まだ雪を戴く南アルプスが、日増しに柔らかさを増す陽光に光る。


すもも_convert_20110412204815


 スモモもさることながら甲府盆地は、言わずと知れた桃の産地。果樹農家は桜の花を愛でる暇もなく、その授粉作業に追われる。農協などを通じたり、それぞれが用意した花粉を元に桃の花一つ一つに受粉して行くのである。花に埋もれながらの作業だから傍目には優雅だが、お花見気分とは違って、こちらは飯の種。家族総出の作業に追われるのだ。




 昔は、こんな煩わしい授粉作業などしなかった。しなくてもよかった。花から花へと飛ぶ蜂がいつの間にか、その役割を果たしてくれた。ところが、その蜂がいなくなった今、人間様が自らの手でするよりほかはない。いわば自業自得。人間達が農薬の使用で蜂を皆殺しにしてしまったのだから仕方がない。農家は無駄花を取り除きながら花の一つ一つに丹念に花粉をつけて行くのである。授粉が済んで、実を結べば摘粒の作業が待っている。



 岩手地区というのだが、甲府盆地東部のちょっと高台に位置するこの辺りは桃というより、サクランボの産地。甲府の市街地を挟んで盆地の西部に位置する南アルプス市の白根地区と並ぶ一大産地なのだ。その植生から山梨はサクランボ栽培の南限。本場・山形との気候的なタイムラグを生かしての戦略が功を奏して押しも押されぬ産地としての地位を確立した。



さくらんぼ3_convert_20110412204248

 特に、山付きの傾斜地一帯には白いビニールハウスが広がり、その中では真っ赤に実を膨らませながら間もなくやって来る出荷期を待っている。こちらは春爛漫を通り過ぎてもう初夏のたたずまいである。23~4日頃には初出荷を向かえ、京浜地方などからの行楽客がサクランボ狩りに繰り込む。露地物のサクランボも、これを追いかける。露地のサクランボも白い花を付け始めた。ハウス物を皮切りに初夏にかけてのサクランボシーズンが幕を開ける。しかし、今年はヘンな予感が。東日本大震災の余波である。人々の萎縮が怖い。




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トンマの代償

 困ったときのサービス業・鍵専門業者の若い社員が来てくれたのは昼過ぎ。パジャマ姿で、朝飯も食えずに寒空の下で時間を過ごしたトンマ人間にとって、その青年は神様に見えた。旅行で留守中のかみさんに代わって、我が家の軒先に住み着いた野良猫に餌をやろうと外に出たのがウンのつき。勝手口の引き戸が閉めた時のちょっとした衝撃で内側からロックされ、寒空に締め出されてしまったのである。実は何日か前、かみさんも同じことをやり、この時は「そんなこともあるんだから、戸をしめる時には注意をしなきゃあダメだよ」と、叱ったばかりだった。
鍵_convert_20110410224025

 このご粗末、かみさんに話したら「お父さんだってトンマを、やるんじゃない。私がやったら大騒ぎよねえ」。そんな皮肉も込めて笑われるに決まっている。乱暴に戸を閉めたのが原因だ。因みに、このトンマの代償は7,835円也。用心のため作ったスペアキー3つも含めてである。自慢にはならないが、同じトンマでも行き当たりバッタリのかみさんと違うのは、スペアキーを用意する≪知恵≫だ。家の外に秘密に吊るしておくことにした。




 ≪鍵屋さん≫の青年は36歳だという。ちょうど自分の息子のような年頃。いかにも誠実そうな男だった。昼飯でもご馳走したかったが、なにしろ女房が不在。立ち話でお礼を言ううち、話が弾んだ。この青年は母屋の脇や裏にある土蔵を見ながらこんなことを言った。


庭


 「私達は商売柄、いろいろな鍵に出っくわし、大抵のものは開けてしまいますが、あの土蔵のようなごっつい鍵は難しいんです」



 「へえ~、そうなんですかねえ・・・。時代劇に出て来るあいつですよね。簡単のように見えるんですがねえ」



 考えてみたら鍵もいつか知らぬ間にどんどん進化している。ホテルに泊まればカードキー。一般家庭でも指紋による読み取りキーも。アナログ人間は思わぬところで、これからも戸惑うハメに・・・。半面、古いタイプほど扱いや修理が難しくなるという。




 実を言うと若い頃だが、この鍵では、もうひとつ苦い経験がある。30数年前、ちょうど鍵屋さんの青年と同じような年の頃であった。今あるかどうかは定かではないが、富士山の中腹のような所に山梨県営の「富士桜荘」というロッヂのようなホテルがあった。そこに泊まらせて頂いた時のことである。たらふく食べ、たらふく飲んだまではよかった。




 夜も遅い時間だった。酔い覚ましの意味もあったのだろう。何の気なしに部屋を出た。この部屋が自動ロックだったことを知ったのはそのあと。鍵は部屋の中。「なあ~に、フロントに行けば・・・」。一瞬慌てたが、すぐに平静を取り戻した。ところが頼みのフロントは真っ暗。このホテルは山のロッヂ。夜遅くなってお客さんの出入りがあるわけでもないので、係の職員はとっくに引き上げていた。




 本当に慌てたのはここから。合鍵がないのだから万事休す。夜中に隣の部屋に助けを求めるわけにも行かない。第一、何の意味も持たない。「それで、どうしたって?」。朝までロビーで新聞を。お陰で幾つもの新聞を隅から隅まで読んだ。浴衣姿。幸い、夏だった。朝が明けたらゴルフのコンペ。結果(スコア)は言わずもがなである。




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放り出されたトンマ

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 困った。はたと困った。朝っぱら、寒空に家を締め出されたのである。朝帰りをして、かみさんに叱られ、外に放り出されたわけでも何でもない。勝手口の引き戸を閉めた時のちょっとした衝撃で、なぜか内側からロックされてしまったのだ。娘夫婦と旅行に出かけて留守中の女房に代わって猫に餌をやろうと外に出た一瞬の出来事。「なあ~に、どこかに入る所があるさ」。一度は、そうタカを括ってはみたものの、やっぱり一抹の不安は的中。




 今風の近代住宅と違って、ただ古く、広いだけの我が家は周囲をサッシ戸で囲まれている。玄関口はともかく、どこかに一箇所や二箇所、鍵をかけ忘れている所がある筈だ。しかし、間の悪い時とは、そんなもの。家の周りをぐるりと回っても、みんな、きちっと鍵がかかっているのである。「普段は、やる事、為すことズボラなくせに・・・」。几帳面に施錠して出かけて行ったかみさんに無性に腹が立った。




 私の家のような田舎家は、かつては雨戸と言われる戸障子が当たり前。いわゆる木製の板戸だ。戸袋というヤツがあって、朝に開け、夕方閉める。縁側と呼ばれるスペースの内側にある障子が外気や風を遮断して「部屋」を構成していたのである。内部の間仕切りは襖や帯戸だ。ところがサッシの登場によって雨戸は完全に駆逐された。家の中の保温や機密性、さらに防犯にも画期的な効果をもたらしたことは言うまでもない。



障子12 


 そんなサッシ戸が、これほど恨めしく思ったことはない。その一方で、トンマなオジサンの気持ちも知らずに、ガツガツ餌に喰らいつく3匹の猫を蹴飛ばしてやりたくなった。むさぼるように食っているのは「キャッツフーズ」。猫専用食だ。栄養やカロリー計算もきちっと施されているのだろう。この猫、いつの間にか我が家に住み着いた野良。「おまえら、朝飯にありつけているからいいが、オレなんか、何にも食っちゃあいねえんだぞ。それどころか、いい大人が家の中にも入れねえんだ」。こん畜生め。悪態の一つも言いたくなった。


ミー子2


 「戸を閉めた弾みでロックされる。ないわけではないでしょうが、珍しいケースです。私たち業者に助けを求めてくるのは、それはさまざま。鍵を紛失したり、これは多くはありませんが、施錠が古くなって故障するケースも。案外多いのは車のトラブル。キーを失くしたり、車の中に着けたままドアをロックしてしまうケースなんです」




 駆けつけてくれた鍵トラブルの専門業者はそんな話をしてくれた。その業者にだって簡単に辿り着いたわけではない。電話をかけようにも家の中に入ることが出来ないのだから、まさにお手上げ。猫の餌やりのためにちょっと外に出たのに過ぎないので、ケイタイだって持ってはいない。誰かの知恵を借りたり、助けを求めたくても、そのすべがないのだ。




 「実は・・・」。ご近所に≪助け≫を求めた。「寒いので中に入ってくださいよ。私にも分かりませんが、電話帳かインターネットで業者を探しましょう」。結局、インターネットと慣れない職業別電話帳と首っ引き。「うちのかみさんも味噌作りとやらで実家に行っているんですよ」。そこのご主人はそんなことを言いながら慣れない手つきで熱いコーヒーを入れてくれた。持つべきはご近所。まさに地獄に仏だった。(次回へ続く)




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元気出そうよ

 行きつけの飲み屋さんのママが言っていた。

 「いったい日本はどうなっちまうんですかねえ。店のお客さんは、あの東日本大震災を境にガタ減り。いわば閑古鳥です。計画停電の影響がないことはないのですが、それよりもなによりも、みんながみんな萎縮してしまっているんです。こんな時にお酒なんか飲んでいたら・・・。こんなときにカラオケなんか歌っていたら・・・。周りを見てしまうんですよねえ~。私たちの商売だけだったら私たちだけが泣いていればいい。でも、これって日本中に蔓延しているんじゃあないでしょうか」

酒


 確かにそうだ。この沈滞ムードは日本中に蔓延しつつある。過ぐる3月。年度末を控えて山梨市で、ある恩賜林組合の定例議会が開かれた。一年の労を労い閉会後、近くの食堂で食事会をするのが恒例だった。組合長は言った。「こんな時でございますので‥」。食事会は多少のお酒も伴う。しかし公共の交通機関のないこの地域ではみんなマイカー。お酒は飲みたくても飲めないのだ。だから実質的には、ただの食事会。それさえ≪自粛≫だ。議会の冒頭、震災の犠牲者に黙祷を捧げ、義援金の拠出を決めたことは言うまでもない。





 これこそ震災の影響ではないのだが、今年の春は遅い。そうは言え、桜前線は日本列島をゆっくり北上。いつもの年なら「お待たせしました」とばかり、お花見のシーズンだ。しかし、様相は一変。新聞やテレビも桜前線どころか、お花見情報には口をつぐんだまま。「被災地にも、あの津波に耐えた桜が花をつけました」。桜も何もかも震災、被災地に結びつけるのだから、お花見どころではない。浮かれたくても浮かれまい。


桜1_convert_20110406220922


 新聞やテレビ、特にテレビは明けても暮れても悲惨すぎる被災地の現状を映し出す。しかも際立った所にカメラはズームアップする。人間なら誰しも、それに同情し、自らに置き換えて身につまされもするのだ。しかし、こんなことを続けていていいのだろうか。日本人をどんどん萎縮の淵に追い込んでいないか。マスコミは怖い。あんな映像を毎日、毎日見せつけられていたら、飲み屋のママさんが言うように、ハメをはずしてお酒を飲み、カラオケなんか歌い難くなるに決まっている。




 「喪に服す」。洋の東西を問わず、人の不幸に接した時、その心中を察して同情し、声さえ潜める。身近の出来事であればあるほど、それは顕著に。人間の振る舞いとして当然過ぎるほど当然だろう。しかし、今度の≪不幸≫はちょっと違う。大抵の災害は、いわば局地的だが、今度のそれは単に被災地にとどめず、日本全体に襲い掛かっているのだ。原発絡みだから、電力の供給ばかりでなく、農畜産物、果ては飲料水にまで影響してしまっている。日本経済へのダメージは計り知れないだろう。


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 言い変えれば、日本人みんなが被災者であり、犠牲者だ。対岸の火事のように人事として同情し、自重、自粛しているだけでは済まされまい。みんなが元気を出し、普段の生活、普段の心に戻らないと閉塞感の渦の中に沈むことになる。それが怖い。いつものように花見もすればいい。お酒も飲めばいい。みんなが気持ちだけでも「平常」に戻らねば・・。




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おじさんオタク

パソコン


 「俺、オタクかなあ・・・」

 「お父さんねえ、こんなに歳取ったオタクなんて、いっこないじゃあありませんか。イメージ的にも合いませんよ」

 「そうだよなあ~」


 晩酌を早めに切り上げ、いつものようにパソコンの前に座りながら、女房と話すともなく、こんな会話を交わしていた。カウンターを隔てて居間と一続きの台所。それに書斎もワンフロアーになっているから、ちょっとしたつぶやきも聞こえる。




 パソコンを置いてある所は、もちろん書斎などといった、たいそうなものではない。外の景色がよく見える窓に向かって特製の机と書棚を備え付けただけ。すぐ後ろにはベッドもある。ものぐさ夫婦にはうってつけ。それ程広くもないワンフロアーの空間で日常の生活が足りるのだ。女房は台所で夕餉の後片付けをしている。洗い物の音も聞こえるし、私のオタク発言に笑っている女房の姿が後ろ向きでも手に取るように分かるのだ。




 パソコンを覚えて3年半。覚えてというより「習って」といった方がいい。「60の手習い」というが、私の場合65になってから。パソコンに詳しい高校時代の同級生の勧めだった。私はその男を「師匠」と呼んでいる。とにかく不思議なもので、何事にも遅ボケだから反ってハマルのかもしれない。パソコンは当然のようにインターネットに導いた。ブログも開設した。2年半が経つ。だらだら飲んで女房に嫌がられた晩酌もさっと切り上げるのだ。




 ブログは一日置きに更新する。それが日課となった。記事量はワードのページ、1ページ分と決めている。400字詰めの原稿用紙に換算したら3枚程度だ。「もっと短い方が読み易い」。ありがたいことに何時も読みに来てくれている親しい人はそんなことをいってくれるのだが、頑固にその量にこだわっている。


パソコン3


 最初は誰も読んでくれなかった拙ブログも一人二人と増え、今では毎日60~80人、多いときには100人近い人にお読みいただいている。ありがたい。出来ることなら、お一人、お一人に頭を下げ、お礼を言いたい気持ちだ。




 物事、継続することは意味がある。最初の頃、「いつまで続くことやら・・・」と半ばバカにしていた女房も、今ではプッツリそんなことを言わなくなった。むしろ寒い時など気遣って後ろから半纏(はんてん)を掛けてくれたりもする。嫁にいった娘も陰に陽に教えてくれる応援団だ。



パソコン


 こんなアナログおじさんでもハマルということは恐ろしい。インターネットに接続しては、あっちこっちをクリックしてみるのだ。そこに、また新しい発見があるから面白い。「へえ~、こうすればいいのか」。アナログ人間には見ること成すこと、みんな新鮮。おじさんオタクの気持ちが分かって頂けるだろうか。因みに、オタクとは、ある趣味や物事に特別な関心を持つが、他の分野の知識や社交性に欠けている人のことを言うのだそうだ。おじさんはそこまで行っていないので、オタクとは言えないかも。




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義援金

 やっぱり来た。地域住民に東日本大震災被災者への義援金を集めて欲しい旨の通知だ。全市レベルでの募金活動。「被災地の人たちを救おう」。全国の新聞社も放送局も競うように義援募金を呼び掛けている。あらゆると言ってもいい組織やグループ、無尽会や同級会に到るまで人が集まれば義援金の拠出が話題に。いつの間にか組織やグループのリーダー達は、それをしないと、その任を全うしていないような錯覚にさえ陥るのだ。


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 未曾有の災害への対処だから、それはそれでいい。むしろそんな気持ちを持たない方がおかしい。善意の義援、人間なら誰もが持ちたいし、その心を失ってはいけない。でもそれが半ばでも無理強いであったら別だ。例えば、日赤はいつの場合も住民に無差別に募金の≪網≫をかける。歳末の助け合い募金がその一例。なぜか市町村の社会福祉協議会を窓口として縦割りに区長に通知を流し、市町村の全戸から募金を集めるのだ。




 募金の金額まで明示する。区長からの指令で組長など、それなりの立場の人たちは全戸を回って募金を募る。この場合、≪募金≫というのは名ばかり。全世帯を対象とした事実上は≪集金≫だ。新聞社や放送局が募る、いわゆる≪善意の募金≫とはちょっと性格を異にするのである。




 毎年恒例の歳末助け合いにしろ、今度のような突発的な義援募金にしろ、予め目標金額をはじいている。そこに言葉にこそ出さないが半ば≪強制≫の本音が。集めてもらう側には還付金を。皮肉な見方をすれば≪飴玉≫だ。そんなやり方に住民から不満や疑念が出ないはずがない。それが証拠に募金総額はだんだん減っているのだそうだ。百歩譲って、それはそれで仕方がないとしても、こんなケースだってある。




 「私の地域には高齢者や独居老人が住む団地が幾つもあるんです。生活保護世帯だって珍しくありません。そんな世帯、そんな人たちに、いくら未曾有の災害だからと言っても、半ば一律に募金など仰げませんよねえ」



 真面目な区長さんは、こんな相談をして来た。その通りだ。そんな人たちには義援金を募るどころか、むしろ差し上げねばいけないのだろう。私たち日本人の悪い癖。何か事が起きると、「わあ~っ」とその方向に流され、自分の足元や周囲の現実を見ようとしない。真面目な区長さんが心配するように日々の生活費に困窮するような世帯まで、義援という名の募金を結果的に無理強いしてしまうのだ。


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 「うちのクラブでも・・・」。あるロータリークラブでは急遽、役員会を。ここでも「未曾有の災害」がその基準に。「半端な金額というわけにもいくまい」と、会員一律10,000円の徴収を決めた。たまたま同じ割烹で懇親会を開いていた、その奥方たちの会・レディース会は「亭主たちがそれなら私達は5,000円に」と、あっさり決まったという。財布は同じなのに・・・。そんなご夫婦にもこれからだって、あっちからもこっちからも募金の声がかかる。善意の募金は例え少しずつでもいい。裾野を大きく広げることだろう。形ではなく、心。金額の大小ではなく身の丈に合った善意だ。みんなで心が込もった善意を被災地に届けたい。




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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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