硫黄の煙

山の上ホテル


 旅の第一歩は元箱根にある「山のホテル」のツツジ庭園だった。午前6時半、山梨市の自宅を出発、甲府で娘夫婦の車に乗り換えて甲府南ICから中央道に乗って富士五湖有料道路を乗り継ぎ、御殿場へ。乙女道路を経て山越えし、9時には、箱根の千石原から元箱根へ。




 「山のホテル」のツツジ園は知る人ぞ知る名庭園。人気があるらしく、ホテルに入る手前の街道から既に車が渋滞。交通整理のガードマンも汗だくの混雑ぶり。濃淡織り交ぜた赤やピンク・・・。ホテルの前に広がる庭園には色とりどりのツツジがまさに満開だった。念入りに刈り込まれた大小のツツジがこれでもかと言うほど見事な花をつけ、五月の空に映えていた。箱根神社の目と鼻の先である。

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 「ここのツツジはファンなら誰でもが知っている名所なんです。お父さんに是非見せてあげたくて、インターネットで調べ、お連れしたんです」



 ドライバーであり、案内役の娘婿が得意気な表情で話してくれた。甲府の家を出る時、カーナビにセットして直行して来たのである。繊細でもあり、ダイナミックでもあるツツジ庭園のロケーション。すぐ近くには残雪を戴く富士山が。800円の入場料は決して高くないと思った。



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 この辺りは標高730mぐらいだという。標高が400mぐらいの我が家のツツジはもうとっくに花を落とし、一足遅いサツキがぼつぼつ花を咲かせ始めている。どんな植物も正直。その標高に合わせた確かな旬というものがあって、滅多やたらに華麗な姿を見せるのではないのだ。車を止めさせて頂いた箱根神社のお休み所で食べた餅がなんとも美味しかった。これも見事なツツジが一味添えてくれたのだろう。

 
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 硫黄の臭いがぷんぷん。真っ白い噴火の蒸気をあっちこっちで上げていた。大涌谷。「山のホテル」から30分とかからないところに箱根登山鉄道の終点・強羅駅が。そこからケーブルカーで早雲山まで登り、さらにロープウエーに乗り換えて目的地に。上下にすれ違うゴンドラの右手には富士山の勇姿が迫ってくる。振り向けば箱根の連山が眼下に見える。まさに360度のパノラマだ。


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 大涌谷にはケーブルカーやロープウエーばかりでなくドライブウエイも通じていて、そこにはマイカーや大型観光バスがいっぱい。快い程度の硫黄の臭いを感じながら大きく口を開いた噴火口の周りを散策するグループや家族連れ。原発騒ぎで外国からの観光客が減っているというから在日の人たちだろうか、中国や韓国人グループも多い。話す言葉からそれとすぐ分かる。外国人云々は別として3つ、4つある大型レストランは何処も満杯。


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 「お父さんねえ、ここに来たら黒い温泉卵食べなきゃあダメよ。でも、真っ黒な卵って珍しいわよねえ」


 「おまえバカだねえ。卵の殻のカルシュームに硫黄を加えれば黒くなるに決まっているじゃあないか」


 全く化学に知識のない私が知ったかぶりして、そう言ったら女房は「へえ~・・・」。



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緑には朱色がよく似合う

  富士屋ホテルレストラン


 「箱根富士屋ホテル」の本館左手にある「ダイニングルーム」は、昭和初頭の建物だという。文字通り食事所だが、その外観も内装も凝りに凝っている。特に内装は見事だ。5m以上もある吊り天井には、ひと枠ごとに600を超す植物が描かれ、その天井と壁との境には、これまた何百もの昆虫の絵が。さらにその下には十二支の動物の彫刻が施されている。


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 一方、大きなホールを支える何本もの柱の根元には人面をデザインした彫刻が。説明してくれたホテルマンによれば、600を超す植物や何百もの昆虫の絵には一つとして同じものはなく、まさに天井や壁に施された動植物図鑑であり、昆虫図鑑だ。


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 もっと面白いのは、すべての柱の根元に施された人面彫刻。真っ黒な顔に大きくギョロリとした目がホールの四方八方からにらんでいる。お客様へのサービスに抜かりがないかどうか見張っているのだという。

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 柱の根元だから食事に夢中なお客さんは、大抵見落とすだろうが、そこにはホテル側のお客様への気配り、心配りがちゃんとある。「ホテルの従業員は常に≪その目≫を意識しているのです」。説明役のホテルマンはニッコリしながら事も無げに言った。私たちお客が何よりも嬉しいのはホテル側に、お客を大事にする、しっかりしたポリシーがあることだ。



 このホテルの道一本隔てた裏側には別館の「菊華荘」が。昭和の初期に天皇家から払い下げられたものだという。明治28年、皇族の別邸として建設されたものだといい、数寄屋造りの屋根には菊の紋章が施された鬼瓦が載っている。洋風の本館とは全く趣を異にする純和風。同ホテルでは夕食や朝食を和・洋に分け、洋食のお客さんはメインダイニングルームで、和食のお客さんは、こちらの「菊華荘」に振り分けているらしい。この心配りも憎らしい。天井の高い和室に椅子とテーブルを配置、ゆったりと食事が楽しめる仕組みになっている。


菊華荘
菊華荘


 緑の庭には朱色がよく似合う。「菊華荘」のどの部屋からも見渡せる山水の庭には池があり、朱色の橋が。欄干はアーチ型。その下には何匹もの錦鯉が泳いでいた。緑の庭園中の朱い欄干が見事な雰囲気を醸し出している。日光の神橋もそうだが、初夏の緑にも、秋の紅葉にも朱色の橋は、ものの見事によく似合う。「菊華荘」の庭園の橋はそれと比べればミニチュアだが、人の目と心に大きな自然の空間を演出してくれるのだ。



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 「箱根富士屋ホテル」に泊まって「アレっ」と思うのは風呂。いわゆる部屋のバスではなく浴場である。本館の右手の建物・「花御殿」の地下にあるのだが、これが極めて狭い。3~4人が入ればいっぱい。日本人とは違い、大衆浴場に入る習慣がない欧米人を意識して造られた明治期を髣髴とさせる風景がこんな所にも。




 このホテルがある所は正月、日本中の人たちをテレビに釘付けにする、あの箱根駅伝の往路のゴール、言い換えれば復路のスタート点と目と鼻の先。「こんなアップダウンの激しい所をよく走るもんだね」。そう言ううちのかみさんでなくても、私だってそう思う。今度の箱根の旅で、半年後にまたやって来る箱根駅伝の見方もちょっと違うかも知れない。

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人間の運命

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 牛6頭が名だたるホテルに化けた―。明治の初期、アメリカに渡った一人の青年が酪農に興味を持ち、6頭の牛を日本に連れ帰る。その牛が予期もしない東京大学の研究素材に。とてつもない金額で買い取られて行く。そのお金が資金になって現在の箱根宮ノ下の「箱根富士屋ホテル」に化けるのである。かみさんと娘夫婦を連れて出かけた箱根の旅で知ったホテルの誕生秘話だ。


富士屋



 「れば、たら」を言ったところで仕様がないが、もし、その青年・山口某が牛を日本に連れ帰らなければ、このホテルはなかったし、東京大学農学部が買い取り話を持ち込まなかったら・・・。このホテルの「館内ツアー」や博物館は触れていないが、後にこのホテルを買い取る小佐野賢治がわが国のホテル王などと言われなかったし、国際興業というバス産業もなかったに違いない。人間の運命とは不思議なもので、その歯車は思わぬところに人や社会を導くのだ。




 モノの本によれば、このホテルの買い取りには、もちろん奇妙ないきさつがあるのだが、とりわけ米軍の接収、進駐が小佐野にさまざまな転機を与えたことは確か。新しいホテル経営もさることながら、進駐軍の輸送に端を発した人の輸送は、大きなバス産業へと発展して行くのである。ホテル界にあっては、小佐野は後にハワイにまでその名をとどろかせるのだ。外国をも股にしたホテルチェーンをつくる。小佐野が手がけたホテル群の中で、自前で建設したのは山梨市の「フルーツパーク富士屋ホテル」だけというから面白い。バス会社についても同じことが言え、「乗っ取り王」などの異名を持つ由縁でもある。


フルーツパーク富士屋ホテル
フルーツパーク富士屋ホテル(山梨市)



 「箱根富士屋ホテル」の買い取りを巡っては当時の財界人との関わりもあっただろうし、それとは直接的な関係はなくても日本の黒幕といわれた児玉誉士夫、後に内閣総理大臣となる田中角栄にも出会っていく。皮肉にもあのロッキード事件のトライアングルの一角を担うハメになるのである。3人は「刎頚の友」と言われた。

小佐野


 ロッキード事件とは昭和50年代初頭、米ロッキード、グラマン両社の日本への航空機売り込みに合戦に絡む戦後最大といわれた疑獄事件。「首相の犯罪」として裁かれ、「受託収賄」という当時としては耳慣れない刑法用語を国民の間に一般化した。ロッキード社の副社長コーチャンの名前や賄賂単位の隠語「ピーナッツ」などという言葉が当時の日本人の流行語になったのである。その3人の≪役者≫は既にこの世を去り、事件そのものも風化しつつある。


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箱根富士屋ホテル博物館



 「箱根富士屋ホテル」の博物館の年表では、小佐野賢治に関わる記述は「昭和41年、小佐野賢治、代表取締役社長に就任」の一行だけ。ただ、その入り口を入ったすぐの所には創業者である山口家の一族と並んで小佐野賢治の胸像が。その展示の仕方、胸像の位置づけなどから、この博物館が小佐野の手により設けられたことは容易に想像できる。小佐野は山梨県出身。葡萄の全国産地・勝沼の出で、私が今いる山梨市の目と鼻の先。小佐野の死後、国際興業が建設した山梨市の「フルーツパーク富士屋ホテル」はもっと近くだ。時代の流れなのか、小佐野が率いた国際興業が今、ちょっと元気がないのが気になる。




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チャップリンの部屋

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 「お父さんねえ、私たちが泊まるこのお部屋、チャップリンが泊まったんだってよ・・・」


 女房と娘がまるで特ダネでも掴んできたように言った。チャップリン。誰もがご存知、世界の喜劇王と言われた英国の映画俳優・チャールズ・チャップリンである。



 私たち夫婦は、娘夫婦と一緒にドライブも兼ねて箱根に旅した。とかく多くの人たちがそうであるように、旅先が決まり、次に迷うのは宿泊先。私達はモダンなホテルよりクラッシックと、箱根宮ノ下の「箱根富士屋ホテル」を選んだ。部屋は本館の大きな角部屋。


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チャップリンが宿泊した 箱根富士屋ホテル本店45号室


 このホテル、明治11年の創業と言うから130年の歴史を持つ。明治24年に建てられたという本館は、後の菊華荘や西洋館、メインダイニングルーム、花御殿などとともに国の登録有形文化財に指定されている。当たり前だが、今風のスマートさはないが、何処を見ても言うに言われぬ味わいが。外観ばかりでなく、内部の天井や壁、ドアや窓、さらに部屋の机や整理箪笥など全てがクラッシック。風情がある。不思議と落ち着くのだ。


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 例えば、窓はサッシではなく、全て木枠で、鍵はねじ。もちろん回転扉も木製。一歩、中に踏み入れると床や階段はスマートで、今も堂々とした石畳。赤絨毯の階段の手すりがまたいい。重厚に、しかも格調豊かに刻まれた手すりが直線に、また、ら旋状に上に伸びている。現代の手が加えられているとすれば、目立たぬように工事された冷暖房の設備か、デジタル化された大型テレビぐらい。



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 チャップリンの話は、部屋に案内してくれたボーイさんの説明なのだが、このホテルでは、新たに入館するお客さんを対象に40分ぐらいの行程で、「館内ツアー」をやってくれる。ホテルの歴史やご自慢の箇所、さまざまなエピソードを紹介してくれるのである。


チャップリン
チャールズ・チャップリン(左)富士屋ホテル来館


 シルクハットにステッキ、まん丸な目、鼻の下にはちょび髭。銀幕の世界で強烈に印象付けられた人々は、普段の姿のチャップリンを最後まで発見できなかったという。ジョン・レノンや、ご成婚を間近に控えた正田美智子さまご一家、へレン・ケラー、また、大津事件で不発に終わったロシア皇太子(ニコライ)幻の宿泊などエピソードには事欠かない。


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正田美智子さまご一家が宿泊された西洋館



 ホテルにはツアーの観光バスも立ち寄る。「館内ツアー」をリードする職員は手馴れたもの。40分の時間が短く感ずるほど、面白おかしく、それは上手にお客さんを案内するのである。創業者の山口某は若くしてアメリカに渡る。そこで酪農に興味を持ち、牛6頭を日本に連れ帰る。この牛が東京大学農学部の研究素材として当時とすれば想像もつかない大金で買い取られ、そのお金がホテル建設の資金になったこと、さらには戦後間もない時の米軍による接収エピソードだってある。

  
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 本館の右側にある花御殿の地下には博物館もあって、ホテルの歴史の一部始終を年表で紹介する一方、さまざまな物品資料を展示している。時代、時代、経営陣にも栄枯盛衰があったのだろう。創業の山口家はいつの間にか姿を消し、昭和40年代初頭には小佐野賢治氏の名前が。「乗っ取り王」と揶揄され、今は故人となった国際興業の小佐野氏である。東京・八重洲や山梨など全国各地で展開する「富士屋ホテル」グループの原点になったことは間違いない。

箱根富士屋ホテル


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蔦の爪あと(再)

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 「蔦の葉絡まるチャペルで・・・」と歌われたり、高校球児のあの暑い夏を連想させる甲子園球場の蔦。いかにもロマンチックであったり、爽やかな青春を思い起こさせる。街を歩いていて鉄筋コンクリートの建物を包み込むような青々した蔦を見ると、いかにもクラッシックな洋館を髣髴とさせ、そこに住む人たちの生活ぶりをのぞいてみたくなるのは私ばかりではないだろう。





 私がこれから言う蔦はそんなロマンチックなものだったり、爽やかなものではない。会社をリタイアして戻った実家のお蔵の白壁は蔦に覆われていた。覆われていた、なんてものではなく、あるものは枯れ、汚らしく二階の屋根まで這い上がり、大きなお蔵は廃墟をも連想しかねないぶざまな姿を露呈していた。


蔦



 ご存知、蔦はタコの吸盤のようなものを持っていて、コンクリートでも、土壁でもどんどん這い上がってしまう。これを取り除くのに始末が悪いのは枯れた蔦である。生きていれば、引っ張ればつるごと取れるのだが、枯れているとポリポリ折れてしまう。腹が立つ。そればかりか、吸盤は小さいから壁に張り付いたままで、取れないのである。枯れた蔦も高い所は梯子を架けて取り除いたが、点々と壁一面に残る吸盤は今も残ったまま。長い間、お蔵にとどまらず、ほったらかしにしていた付けであり、証明である。





 というヤツは畑であれ、空き地であれ、絶対に真ん中には生えないのだそうだ。しかも綺麗にしているところには顔を出さない。つまり、建物や石垣の近くで、這い上がれる所があることが条件だ。蔦の葉か絡まるチャペルや甲子園の蔦は少なくとも人為的に作ったものだが、みんな垂直に這い上がっているのは共通である。いったん始末して、綺麗にしておけばもう顔を出さない。いって見れば、蔦という植物は人や自然の弱みに付け込んで生きる嫌なヤツなのである。


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 「放って置けば必ず森になる」。秩父多摩甲斐国立公園の山梨県側の一角に乙女高原がある。そこはかつてスキー場だった所。春から秋、色とりどりの野草が花を咲かせ、今では野草の宝庫とまで言われるようになった。その草原を守ろうと、山梨市のある小学校教諭の呼びかけで、ファンクラブが出来た。毎年11月23日に山梨県内外のファンボランティアが集まって下草刈をし、翌年5月にはロープの遊歩道作りをする。





 この下草刈をしないと、あっちこっちに生えるブッシュが、やがて森になってしまうのだそうだ。各地のスキー場がシーズンオフ、野草が咲き乱れる草原として人気を集めるのは、雪の上にブッシュが顔を出さないように秋の下草刈を欠かさないからである。




 蔦ばかりではない。我が家の周りの道の石垣には、かつては小さな芽に過ぎなかった木の芽が長く放って置いたツケなのか大きなブッシュとなって、あっちこっちで道をふさいでいた。この道は6尺ほどの幅を持つ古道。車社会になって忘れ去られようとしている道だが、朝夕犬を連れて散歩する人は結構いる。道をふさいだブッシュと雑草。こんな所でも人に迷惑をかけていたかと思うと「これからは・・」と肝に銘じざるを得なかった。




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横断歩道の小学生

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 可愛い。本当に可愛かった。横断歩道を手を上げて渡った二人の小学生が、くるりと振り向き、手前で止まっていた私の車にペコリと頭を下げた。二人とも帽子を取り、深々と頭を下げるのである。ニコニコしながら「ありがとうございました」という言葉も忘れなかった。




 可愛いと言うより、むしろ偉いと思った。嬉しくもあった。なんとも言えない爽やかな気分に。「ありがとう」。こちらも思わず頭を下げた。二人は黒と茶色のランドセルを背負っていた。学校からの帰り道なのだろう。発進しながら手を振ってやった。また笑顔が帰ってきた。私にとっては孫ぐらいの年頃の子ども達だ。




 この3月まで1年間、山梨市内のいくつかの小学校で、ボランティア先生をした。山梨市教育委員会には文部科学省の指定を受けた「学校支援制度」というのがあって、在野の民間人が市教委の委嘱を受け、それぞれの得意分野で学校教育のお手伝いをするのである。いわば教育への民活。私は子供たちと文章の書き方や学校新聞作りを担当した。


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 そこで接したのも横断歩道の二人の子どもと同じ年格好の児童たち。山梨市のはずれに近い牧丘という町にある小学校はその一つ。5年生11人のクラスだった。毎週1回、3校時と4校時、トイレ休憩的な休み時間をはさんで45分ずつ90分、一緒に勉強するのである。みんな素直で、屈託がなく、明るかった。素直に食いついてくる。勢い、こちらも熱が入るのは言うまでもない。もちろん、学校によって、その温度差がないわけではない。


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 大人たちは「今時の子どもたちは・・」と、現代っ子たちをしばしばマイナスイメージで言うことがある。でも、どうして、どうして。今時の子どもたちは立派だ。街角の横断歩道で出会った二人の子どもや山梨市の片田舎の小学校で出会った子ども達をオーバーラップしながら、そんなことを思った。その陰には、普段の担任教諭の教えや、ご家庭のお父さんやお母さんの教育があるのだろう。もうとっくにお亡くなりになったが、存命中、親しくさせて頂いたある高校教師が、こんなことを言ったことがある。



 「子供というものは、教育によっていかようにも変わるし、変えられる。それが教育だ。だから教職に就く者は遣り甲斐があるし、怖くもある。いい加減な気持ちでやったら子ども達にとって不幸だし、第一、迷惑だよなあ」



 まさにそうだろう。街角で出会った小学生は、大人になっても譲り合うことの大切さを忘れないだろうし、頭を下げる謙虚さも忘れないはずだ。


勉強会5


 山梨は公共の交通機関が衰退した地域。勢い、マイカーに依存せざるを得ない。特に、JRの駅から5㌔も離れた所に住む私なんかマイカーを除いて移動の手段はない。そのマイカーで走りながら不快に思うことはいっぱい。ケイタイ片手にくわえタバコの娘さん。通勤時間帯、片側一車線の自動車専用道路で、制限速度を下回るノロノロ運転をしても平気なオバサン。横断歩道の二人の小学生に学べ、と言いたいことはいっぱいある。偉そうにそんなことを言っている私だって自分では気付かないだけで、実は同じ穴のムジナかも。




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年寄り笑うな、行く道だもの(再)

 「子ども叱るな、来た道だもの、年寄り笑うな、行く道だもの」



 誰が言ったか知らないが、うまい事を言ったものである。私達、生きとし生けるもの、すべての人間への教訓だ。だが、人間は、およそ、叱られ、怒られ、笑われながら生き、死んで行くものかも知れない。


車椅子


 とはいっても、私には子どもを叱ることは出来ても、お年寄りを笑ったり、蔑むことは到底出来ない。自分が間もなく、そのお年寄りとやらの仲間入りをしなければならないことを、実感せざるを得ない年齢に差しかかろうとしているからだ。




 身近には、時々、意味不明なことを言い、明らかに痴呆というか、認知症が始まっている母親がいるし、3分、5分前の事を忘れ、何度も同じことを聞いたり、言ったりする従兄弟もいる。母親は今年95歳、話の従兄弟は間もなく92歳になる。考えてみれば人間、90歳を超えれば、そうなっても不思議ではない。第一、私にはそこまで生きられないだろう。




 叔母と甥が一緒に認知症に。それもそのはず、叔母、甥の関係とはいえ、その歳の差はわずか三つ。普通なら兄弟みたいな年齢だ。私と、その従兄弟は24も歳が違う。まさに親子の歳の差である。


老人


 「貧乏人の子沢山」などと大臣が言ったら、その首が飛びかねない、揚げ足取りのような今の世の中だが、この言葉も言い得て妙。昔なら7人、8人の兄弟がいるのは普通。9人、10人だって珍しくはなかった。経済的には決して恵まれていたとはいえない時代だったはずだ。9人も10人も子どもがいれば、その子どもの年齢差が一番上と一番下とでは20も25も違って不思議ではない。今、騒がれている少子化問題がウソのようだ。 でも、この間、自ら命を絶ったタレントさんは10人兄弟。やっぱり貧乏家族を標榜していた。




 事実、私の親父は9人兄弟の末っ子、母親は8人兄弟だった。母親は長女だったから叔母と姪の年齢が逆転していた。子供の頃、母親が明らかに年下に見える人を「叔母さん」と呼んでいるのを見て、どうしても理解できなかった。親父の兄弟は自らも含めてすべてがこの世を去り、母親の兄弟も半分になった。




 母親は足腰が弱く、自力歩行は困難。だから、医療介護の病院で看てもらっている。緊張感どころか、何不自由ない毎日を送っていると痴呆が進むのか、最近は時々、おかしなことを言うし、昨日のことをみんな忘れてしまうのである。東京や埼玉から来る二人の弟達夫婦はともかく、せっかく来てくれた友達や近所の人たちを忘れてしまうのだから始末が悪い。時には「どなたでしたっけ」とやってしまうものだから、そばにいる私達はひやひやものだ。さすがに、頻繁に行く私達夫婦、特に女房の顔は忘れない。一番世話になっている、ことを知っているのだろう。それも時間の問題かもしれない。


握手


 元気な頃は歌など歌ったことがない母親が、最近、童謡や軍歌を歌うのである。それも正確に歌うのだ。昨日の事は忘れるのに、子供の頃や昔のことは覚えているのである。そんな母を見ていると、無性に目頭が熱くなる。自分も含めて、みんなが行く道、たどる道とはいえ、寂しい思いがする。「頑張って長生きして」。心で祈りながら母の顔を見た。





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屋根の上の猫

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 「あれ、うちの猫じゃない。あんな所を歩いているわ」



 私の畑仕事を手伝っていた女房がびっくりしたように言った。「うちの猫」と言うが、正確に言うと、我が家に住み着いた「野良」だ。お隣の家の屋根の上を我がもの顔で悠々と歩いているのである。



 お隣の家といっても山梨市の片田舎のこと。都市部と違って軒を並べているわけではない。そこそこ広い畑を挟んでいる。ナス、キュウリ、トマト。私たち夫婦は夏野菜の植え付けをしていた。夏大根の種蒔きも。ジャガイモはもう一回目の土寄せをする段階になっている。夏野菜ばかりでなく、サトイモやトウノイモ、サツマイモなど秋野菜の植え付けもした。サツマイモは「植え付け」とは言わず、「挿す」という。種芋から出た茎を切り取って盛り土に挿しておけば秋には立派なイモを付けてくれるのである。




 まだ5月の半ばと言うのに今日はやけに暑い。二人がまるで申し合わせたように額の汗を拭いながら顔を上げた時、目線の先にいたのが我が家の野良。たまたまその近くで働いていた隣の親爺さんはこちらの方を向き、ニコニコしながらぺこりと頭を下げた。「よくお稼ぎになりますね」と言いながら我が家の畑に歩み寄って来た。




 この親爺さん。私とひと回り違う午年の生まれだから今年81歳になる。自ら「腰痛の持病持ち」と言いながらも立派な桃や葡萄を作る。私たちの目線を追って自分の家の屋根の上を見た親爺さんは、優しそうに顔をほころばせてニッコリ笑った。


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「うちの猫、いつもお宅で遊んでいるんですか? いたずらしていたら叱って下さいね」
 

 「いやいや、いたずらなんかしませんよ。でも猫はいいですよねえ。人間と違って、何の垣根もなく自由奔放に何処でも歩けるんですから。可愛いもんですね」




 私と同じように、どちらかといえば、この親爺さん、あまり動物好きには見えないが、奥さんは人一倍の動物好き。大きな犬を飼っていて、いつもこの犬と話しをしているのだ。その会話が面白い。「おはよう。あら、今朝は元気がないじゃない。夕べよく眠れなかったの」「これ、美味しいんだよ。早く食べな」「うちのお父さん、腰が痛いんだって・・・」「今日は雨が降るかもしれないね」。その会話はまるで人間同士のよう。 奥さんは75歳を過ぎている。



 朝と夕方、決まった時間に散歩もする。この時も大きな声で犬と話をしながら歩くのだ。その様はいかにも微笑ましい。昨年、それまで飼っていた甲斐犬が老衰で死んだ。奥さんが憔悴したことは言うまでもない。その後、どこからか貰ってきたのが今の柴犬だ。「なかなか、なついてくれなかった」。気性が乱暴なのか散歩中に暴れ、ロープで引っ張りまわされて転び、怪我までさせられたことも。そんな犬も優しい、犬好きの奥さんには勝てないのだろう。いつしか従順になった。

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 そんなお隣さんだから我が家の野良も遊びに行き易いのかもしれない。猫の行動範囲は意外と広い。現に300m、400m離れたお宅の飼い猫が我が家にもちょいちょい遊びに来る。たまたま用事で来ていた飼い主が我が家でハチ合わせ。「おまえ、こんな所まで遊びに来るのか。ご迷惑をかけちゃあいけないぞ」。 私と同じようなことを言った。



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初鰹

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 「目に青葉 山ホトトギス 初鰹」



 そんな季節になった。一足早く沖縄は梅雨入りし、梅雨前線も徐々に日本列島を北上して来るのだろう。山や里が若葉で萌えたのはついこの間。その若葉もいつの間にか青葉へ。我が家の植え込みも緑が氾濫、見ようによっては鬱陶しくもある。台風の影響だろう。三日も降り続いた雨がそれに拍車を掛けた。梅雨にはちょっと早い。日本列島のど真ん中のこの辺り・山梨に到達するまでには、まだちょっと時間がかかるはずだ。


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 そんな緑の植え込みの中では、ツツジが赤やピンクの花をつけ、コテマリが白い花を咲かせ始めた。椿、水仙はもちろん、チューリップやシバザクラは跡形もなく花を散らし、その後塵を拝したツツジやコテマリの花はひと際鮮やか。新緑の庭によく似合う。まさに絶妙なアクセントの役割を演じている。6月になればサツキも色とりどりの花をつける。真打登場と言っていい。サツキは、ツツジとはまた違った格調があり、味わいがある。昨年、近所の人の忠告に従って、花が終わった後、すぐに刈り込み(剪定)をしてやったので、今年はいい花を咲かせてくれるだろう。

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 花より団子。初鰹もまたいい季節。山梨の片田舎の山国に住む人間には魚のことはよく分からないが、句に詠まれるくらいだから、美味しい鰹が水揚げされる時季でもあるのだろう。


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 「お母さん、夏野菜の種蒔きや植え付けが終わったことだし、海の地方に一泊か二泊で、うまい魚でも食べに行こうか・・・」



 パソコンを叩きながら独り言のように言ったら、うちのかみさん、反射するようにこう言うのである。


 「お父さんねえ、海、怖いわよ。津波でも来たらどうするのよ・・・」



 あの東日本大震災は、我が女房にも津波の怖さを無条件に植え付けた。海は文句なしに津波を連想させる言葉になってしまったのである。「海辺の観光地が閑古鳥」。そんなニュースが閑古鳥にまた拍車を掛ける。本当に困ったものだ。正直言うと、そういう私だってその類である。人間とは限りなく思慮深い動物であるようだが、どうしてどうして。すぐに動揺し、間違った風評まで惹き起こす。でも何年かすると「そんなことがあった?」と、忘れてしまうのも人間だ。電力など身に迫った不自由が付きまとえば別である。




 鰹。私は鰹、特にたたきが大好き。なぜか酒の肴にはうってつけで、その意を知って、家のかみさんは夕餉の晩酌の肴に、この鰹のたたきを出してくれる。鰹のたたきとの出会いは十数年前。業界の会議で高知県にお邪魔した時、ご馳走になったのがご縁。うまかった。だから陽気に、しかもたらふくお酒を頂いた。その味は今でも忘れられない。
 以来、シーズンオフがどこであるかは分からないが、我が家の食卓に鰹のたたきが乗ることは多い。私がその虜になっていることを、かみさんも心得ているのだろう。「太るから焼酎に変えたら」と、友には言われるのだが、この時季、やっぱり日本酒党には鰹のたたきがよく似合う。山ホトトギス初鰹である。


日本酒

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食文化の違い(再)

韓国


 日本のご婦人たちが追っかけまでした、あのヨン様ブームはどこへ行ってしまったのだろう。それとは別に、韓国からの日本へのお客さんは、ひと頃、円高、,さらには致命的ともいえる福島原発災害が災いして激減、観光業界にも暗い影を落としている。東京の奥座敷と言っていい、山梨県の一大温泉地・石和温泉郷も、もろにそのあおりを食っている。


ヨンさま


 日本と一番近い国・韓国。顔も体形もそっくりだから、言葉をしゃべらなければ、その区別はつかない。でも、当たり前だが、習慣やモノの考え方はまるで違う。食文化だってその一つだ。





 つい先日だが、在日の韓国のご婦人と昼食をご一緒する機会があった。カレーを注文、カレーをご飯にかけたまではよかった。あっ、と思ったのはそれからだ。ご婦人は一緒についてきたポットの小さなラッキョウや福神漬けを載せ、やおらにかき混ぜ始めた。そのかき混ぜ方は、そんな簡単なものではなく、皿の中のカレーライスは、なんとも言えないグロテスクなシロモノに変身していた。

カレーライス


 それを見ながら、ふと、私たちが焼肉屋さんで食べるビビンバを思い出した。親しい甲府の焼肉屋さんのご主人がこんなことを言ったことがある。


 ビビンと言うのは韓国語で混ぜる、はご飯の意味だ。簡単に言えば、混ぜご飯。よく混ぜることが美味しく食べるコツなんです」



 そのご主人というか、社長はカネの器のビビンバを上手にかき混ぜた。よく見ると、やはりグロテスクだが、それほど違和感はない。ビビンバとはそういうものだと思っているからだろう。ところが、目の前のカレーライスはいかにもグロテスク。人間の食に対する概念かもしれないが異様に写るのだ。




 食文化の違いなのである。日本ではかき混ぜる食は少ない。納豆やとろろなど、かき混ぜることによって粘りを生ずるものくらいのもの。盛り付けられた料理を丸ごとかき回すことはない。日本の食文化は味や香り、風味、食感など、いわゆる口や鼻で味わうばかりではなく、目でも食べるのだ。だから、色や盛り付けにも工夫を凝らす。


日本料理2


 考えてみれば、日本料理ほど、繊細な食は世界にないだろう。世界の3大料理と言われるフランス料理、中国料理、トルコ料理。さらに韓国料理やロシア料理・・・。おしなべて、みんな大雑把だ。食べ方ばかりではない。食を盛り付ける器だってそうだ。例えば、フランス料理だって、器のサラも極めてシンプル。


中華


 箸。欧米では主にはフォークやナイフ、韓国や中国では箸を使うが、その箸はカネや竹。これもシンプルである。ところが、日本では、この箸まで凝っている。ホテルや旅館、料理屋さんでは凝った割り箸を使う。そればかりか、綺麗な紙の袋や紅白の水引をもあしらったりする。もちろん使い捨て。古くから衛生面を考えたものだろう。


日本料理


 しかし、この割り箸、ようやく見直されようとしてきた。自然保護、省エネの観点からだ。いわゆるマイ箸の動きである。でも、それによって食の文化が変わるわけではない。




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野良猫の掟

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 何年間ぐらいだっただろうか。野良猫と付き合ったことがある。付き合ったと言うより、見て来たと言った方が正しいかもしれない。現役のサラリーマン時代だった。甲府の飯田町という所に住んでいた時分の事だが、縁の下にいつの間にか1匹の野良猫が住み着いた。その野良は、これもまたいつの間にか子どもを生み、大きくするのである。なぜかいつも3匹ずつ。


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 母親は人間どもに細心の注意を払いながら子どもを育てるのだ。我が子をしっかりと見守る一方で、ある程度大きくなると餌の奪い合いまでやって見せる。世の中で何がかわいいと言って子猫ほど可愛いものはないと思えるほどだ。小さな身体に似合わないほどクリクリした大きな目。それも3匹一緒。母親でなくても目の中に入れても痛くないほど可愛い。そんな子どもを母親は決して自分より前に出そうとしない。その警戒心は剃刀のようだ。いつも研ぎ澄まされている。

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 一方、餌の奪い合い。そこそこ子どもの体が大きくなった頃を見計らって演じて見せるのだ。親子でである。ノロマをしていたら生きていけないことを、身をもって教えているのだろう。奪い合いは壮絶。教える、などと言った類ではない。まさに親子ではなく、そこにあるのは動物対動物。弱肉強食そのもの。迫真極まるのだ。その親の気持ちが分からないでもないから、いじらしくもある。




 そんな母親の教育を受けて子ども達の目つきは、いつしか母親のそれと同じになるから不思議。子どもの教育の良し悪しは人間様も同じかも。もっと不思議なのは、ひとり立ち出来た一匹を残して、みんな何処かにいってしまうことだ。それが野良猫の掟なのか。代々同じことを繰り返すのである。いったい何処に行くのだろう。母親はまた流浪の旅に出、成長した子ども達は、母親と同じ≪人生≫を歩むのか。それとも外に出されたのは子ども(子孫)を生めない男だからなのか。なぜか残るのはメスなのだ。





 こんな野良とは対照的に今、我が家に住み着いた3匹は、全くおおらか。警戒心が全くないと言ったらウソになるが、どこか人懐っこい。目つきもいい。人を信じることも知っている。特に三度のメシをくれる、うちのかみさんには、文句なしに従順。正直言って、あまり猫が好きではない私にだって媚を売るように近づいてくる。野良仕事をしている傍で、また植木の手入れをしている時も近くにいて仕事を見守っているのだ。可愛くもなる。どこかの飼い猫であったことは間違いない。

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 「おまえ、どこから来たんだ?飼い主が心配しているぞ。早く帰ってやれよ。それとも捨てられたのか。それなら、うちにいていいぞ。遠慮はいらん」



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 人間の言葉など分かるはずもない猫に話しかけている自分がおかしくなった。一方で、かみさんの方にばかりなつく野良へのひがみが潜在的にあるのか、こんなことも。


 「おまえ達に餌をくれるのは≪餌やりオバサン」。本当の主はオレなんだぞ」



 その野良、何の意味か分からないが、大きなあくびをした。「こんな時に、あくびするな」。

 
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吾輩は猫

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 時には仲間喧嘩もしないでもないが、結構、友達とも仲良くする。暑さや寒さも平チャラ。精神力も逞しい。その上、社交的。どこへでも、どこの家にでも気軽に行き、おやつやご飯も戴く。屈託などまるでない。愛嬌だってある。だから可愛がられるのだろう。



 これは人間様ではない。その吾輩は、である。昨年、一匹の野良猫が住み着いたのをきっかけに、我が家には野良や近所の飼い猫が集まるようになった。畑仕事が暇な時、こうしてパソコンを叩いている窓越しには、いつも決まっていくつもの猫がやって来る。そのうちの何匹かが我が家の軒先に住み着くようになった。押しかけ女房ならぬ、押しかけニャンニャンだ。最初の野良猫が≪道筋≫をつけたことは言うまでもない。いつか知らぬ間に3匹に。みんな我が家の家族を気取っている。
 
その手助けをしたのは、紛れもなくうちのかみさん。いつの間にか「キャッツフード」と書かれた大きな袋を買い込んで来た。ホームセンターからだろう。昔の猫なら喜んで食べたはずの、めざしの頭や食べ残しの魚には見向きもしない。今時の猫は贅沢極まる。「猫メシ」と言って女房はバカにするが、私は今でも時々、ご飯に味噌汁をかけて食べる。うまい。だが、これにもそっぽを向くのだ。




 猫の種類など、からきし分からないから、正確に表現することが出来ないが、先陣を切ったのは虎模様のメス。「ミーコ」と名付けてやった。二匹目は白で、顔は茶色と黒。ペルシャ系か。三つ目は真っ黒。「クロ」と呼んでいる。白いヤツは「シロ」と呼ぶようになった。共通しているのは、みんなそれなりに「品」がある。贔屓目なんかではない。野良猫にはとても見えない。第一、愛嬌がある。野良猫特有の鋭い目つきではない。


ミー子


 「お父さんねえ、これ、みんな飼い猫だったと思うわよ。野良猫だったら、こんなに人間になつかないわよ。かわいそうに。捨てられたのかしらねえ・・・」



 「そうだよなあ。ここが住みいいということかもしれんな。まあ、何かの縁だ」



 かみさんとそんな話をした。前にも書いたことがあるが、私はかつて野良猫と≪付き合った≫経験がある。職場を退いて現在の山梨市の実家に戻る前のサラリーマン時代、甲府の自宅に住み着いた野良猫だ。縁の下で3匹ぐらいずつ子どもを生んでは育て、世代交代していく。つまり、やがては内一匹だけを残して親も子も、どこかに消えてしまうのである。この間に人間への警戒心だけは徹底して教え込んでいるのだ。餌をくれる女房ですら本当には信じ切っていない。そのことはあらゆる仕草から見て取れる。


猫_convert_20110507233227


 その頃は仕事で忙しく、野良猫なんかにかまっていられなかったし、ましてや観察している暇もなかったのだが、親は幼い頃から子供に人間への警戒心を叩き込んでいたことだけは確かだ。まさに「雀百まで踊り忘れず」。そんな教えを受けた野良猫は大人になっても絶対に人を信じないのだ。そうでもしなければ、危ない人間社会の片隅で生きていくことなんか出来っこないと思い込んでいるのだろう。野良猫の宿命かもしれない。




 所詮は野良。子どもを作るお相手は、同じ野良同士でもいいし、通りがかりのご近所の飼い猫でもいい。相手の男は全くの無責任で、いつか知らぬ間に、どこかに行ってしまう。




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パソコンは利口者(再)

ii.jpg


 「おかあさん、英語の辞書、どこへやった?」



 「そんな事、知らないわよ。お父さんの辞書なんでしょう。私なんか、英語の辞書なんて関係ないわよ。まったく・・・」




 そんな女房との会話を聞いていた娘が


 「お父さん、英語の辞書、何するの?」

 女房が女房なら、娘も娘。


 「バカっ、単語、調べるに決まっているじぁないか。こんな、コメント、入っているんだけど、分からない単語があるんだよ。お前分かるか」

キーボード


 夕食が済んで母親とお菓子をむしゃむしゃ食べながら、なにやら話していた娘が、晩酌を済ましてパソコンに向かっていた私の後ろに来て


 「ああ、それのこと。お父さん、この英文で分からないことがあったら、パソコンに翻訳機能 があるんだから、それ、使えばいいじゃない。いちいち辞書なんか引かなくたっていいんですよ。パソコンんて、お利口さんなんだから・・・」


 「へえ~、そんなこと出来るのか?」


 「お父さん、何にも分かっていないんだね」


 「バカっ、お父さんに分かるわけねえじゃねえか」と開き直ったら、茶の間にいた女房が


 「お父さん、分からなかったら素直に娘に教わればいいじゃない。すぐ、バカ、バカと言うんだから・・・。まったく・・・」

パソコン加工


 女房は事ある度に娘の弁護をする。その後につくのは「まったく・・・」である。それはともかく、娘がいくつかのキーを叩いたら5~6行の英文コメントはあっという間に和文に翻訳された。「おじさん、そんな事、当たり前だよ」と、このブログをお読みいただくお若い方々に笑われるかも知れないが、私にとっては「目から鱗」であった。





 その翻訳文は、私たちが学生の頃やってきた、ぎこちない訳し方だが、そこそこの日本語になっている。若者達が、といったら叱られるから、娘達と置き換えるが、辞書を引く習慣が失われていく現実がよく分かる。国語の辞書であれ、英語の辞書であれ、そういう自分だって、あの小さな文字をページで追うことが億劫になって、今では電子辞書。いわゆる字引ではなくキーを叩いているのである。


パソコン


 娘が言うようにパソコンと言うヤツは本当に利口者だ。視覚でなんとなく覚えていれば、変換キーで難しい漢字でも、そこに導いてくれるし、お目当ての字が見つからなければ手書きで入力すれば、その字を探してくれる。表計算だってやってくれるから、無し無しの頭を使わなくてもいい。それも絶対に間違えないのだ。英語だって同じだ。



 ただ、こんなに融通の利かないヤツもない。例えば「つ」と「っ」「ず」と「づ」、これを間違えたら絶対に許してくれない。巷にいそうな人間の利口者とよく似ている。





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ありがとうございました!

パソコンに向かっている時間(再)

 机に向かっている時間、正確にはパソコンに向かっている時間と言うべきなのだろうが、そんな時間が長くなった。


パソコン_convert_20110106220352  


 「お父さん、子どもの頃から、これほど熱心に机に向かえば、さぞかし、今頃は博士か大臣か、でしょうね」


 近くでわたしの晩酌の後片付けをしていた女房が、皮肉混じりにこんな軽口を叩いた。



 「お前、俺の子どもの頃なんてよく分かるじゃあないか




 「分かるわよ。もう40年も夫婦、やっているんですもの。お父さんがそんなに勉強しなかったことぐらいお見通しよ」

マウス


 確かにそうだ。パソコンを覚えて3年半。特に、このブログを始めてぼつぼつ3年。暇さえあれば机に向かっている。自分でも不思議に思うくらいだ。インターネットはおろか、パソコンすら触ろうとしない仲間達は「60代も半ばを過ぎて、そんな肩の凝ることを・・・。第一、目に悪いよ」と、笑うのだが、とにかく惹かれるのだ。




 肩が凝るのは今に始まったことではないから、このパソコンが原因じゃあない。もう一つの目もくたびれない。夜、遅くなっても、案外、眠くならないのである。言葉には出さないが、女房が言うように、子どものころこれほど熱心に机に向かっていたら、俺の人生が変わっていたのではと、正直思う。


鉛筆


 考えてみれば、子どもの頃、こんなに意欲的に机に向かったことも、いわんや勉強したこともなかった。女房の言う通りだ。今の教育ママと違って、親達もたくさんの子どもを抱え、生活そのものも楽ではなかったからか、子ども達にそれほど「勉強しろ」などと言わなかった。そんな暇もなかったのだろう。それが幸か不幸か・・・。



 宿題をしていかないと明日、先生から怒られるので、仕方なく机に向かうのだが、これまた昼間の遊び疲れで、すぐに眠くなるのだ。そんな事を繰り返しながら中学、高校へ。3年生になる頃になって大学受験を意識して「これじゃあ困る」と、自覚?にも似た心境になるのだが、その体質が一夜に変わるはずもない。面白くないから、また居眠りだ。




 ところがどうだ。これまでだらだらと飲んでいて女房から嫌がられた晩酌も、さっと切り上げて机に向かうし、マージャンをしたり、お酒を飲んで午前様で帰っても一度はパソコンに向かう。ブログを開き、editaから留守中の訪問者にコメントを返すのだ。


エディタ


 「お父さん、今何時だと思っていらっしゃるの。眠れないじゃない。早く電気消して、寝てくださいよ」



 女房がうるさいから、仕方なく止めるのだが、このうるさいヤツがいなかったら・・・。



 何事にも言えることだろうが、興味を持つということは恐ろしいものだ。矢印マークやハンドマークを動かしては手当たり次第にクリック、そこにまた「へえ~」と思える発見が。ブログ記事のカット写真を作るため、デジカメも持ち歩くようになった。若い頃、仕事にも使ったアナログのカメラは押入れの中だ。レンズの先の視点も変わった。




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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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