山岳信仰

 「お父さん、あれ、なあ~に? あんなにいっぱい石塔が・・・」

2011+017_convert_20110626195834.jpg


 車の助手席に乗っていた女房は、道路の両側に並ぶ石碑群を指さしながら不思議そうな顔つきで言った。初めて見る女房ならずとも、そのおびただしい石碑群には誰だって圧倒され、「あれは?」と、目を見張らせられる。



 「あれか? あれはねえ、木曽の御嶽山を信仰する講社の皆さんが奉納した石碑だよ。墓の石塔なんかじゃあない。信仰の山には何処にもあるんだよ。富士山にだって・・・」


2011+018_convert_20110626200756.jpg



 亭主の沽券? ちょっと知ったかぶりして説明してやった。今は木曽路を車で走っているのだが、いつも窓越しに眺めている富士山を思い浮かべながら、現在はほとんどが歩かない旧登山道に思いをはせた。富士山自動車道「富士スバルライン」が開通した昭和39年以降、この登山道は陰の存在になった。もちろん今もあるのだが、そこには苔むした御嶽山と同じような石碑が登山道の両脇に並んでいた。




 富士スバルラインが開通する何年か前。学生時代だった。東京の安下宿を抜け出して仲間と富士登山を決行した。新宿からの国鉄中央線を大月駅で富士急行線に乗り継いで終点の河口湖駅で下車。そこからオンボロの登山バスに乗り換えて五合目の「中の茶屋」に近い通称「馬返し」まで行くのである。今あるスバルラインの五合目駐車場よりずっと西だ。


吉田口登山道
吉田口登山道


 金剛杖片手にヤッケ姿の登山者が列を成して山頂を目指す。その頃になると夕日はとっぷりと暮れていた。太くもなく、うねうね続く登山道の脇にたたずむ石碑が不気味に懐中電灯に照らし出されたのを記憶している。前を歩いていた中年グループのリーダー格らしい男性が「これはねえ・・・」と仲間に説明している言葉を何故か今でも覚えている。その説明と私の記憶に間違いがなければこうだ。


 富士講は室町時代の後期、九州は長崎生まれの僧?角行(長谷川角行東堂)が富士山の人穴で修行したのが始まり。信仰心の厚い庶民は霊験あらたかな富士山をそのよすがとし、信者グループ「富士講」を結社した。以来、庶民の間に流行った疫病の退散や戦時下にあっては出征兵士の武運長久をも祈った。富士山信仰に人生の安息を求めたのである。


富士山_convert_20110626205114


 特に、江戸時代は隆盛を極め、江戸八百八町に富士講があって、大勢の信者達は白装束に身を固め、粛々と山頂を目指した。富士登山の出発点は「御師」と呼ばれる宿坊。時代の流れにさらされて今は民宿に姿を変えているが、山梨県側の富士吉田市や富士河口湖町にはその宿坊が名残をとどめている。




 長旅で疲れた信者たちは「御師」で身体を休め、身を清めて白装束を調え、やはり富士山の麓にある北口本宮富士浅間神社や河口湖畔の浅間神社に参拝、山頂を目指す。もちろん今のように車もなければ自動車道もないから、全てが自分の足。木曽の御岳山も出羽の月山、紀伊の熊野、四国の金毘羅講もみんな同じだろう。霊験あらたかな山は何処も変わらない。ただ変わったのは車の登場。木曽の御嶽山も足元の駐車場まで立派な道路が走っている。講社の方々が奉納した石碑群はその沿道にある。デブの私には登れないが、登山道にもあるのだろう。


富士山2_convert_20110626205349


ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!
スポンサーサイト

スキー場の山ウド

2011+016_convert_20110626094439.jpg


 我が身や自分の地域と重ね合わせ、過疎だの限界集落だのとウエットに考えなければ、木曽路はすこぶる爽やかだった。まさに大自然を実感させられる山、また山。それを包み込む緑。緑。緑。山道に沿って谷間を流れるせせらぎの音がまた心地よい。何処からか分からないがウグイスの鳴き声が。無邪気に考えれば、沿道にしばしば姿を見せるサルの群れも愛嬌である。


2011+012_convert_20110626094619.jpg



  梅雨の合間。里は夏日、所によっては真夏日だというのに、頬をなぜる風はひんやりしている。ここだけは夏というより、まだ春を迎えたばかりのよう。それが証拠に御嶽山には残雪が。斑模様に光る残雪は御嶽山によく似合う。その山懐にはスキー場があって、今は雪の代わりに、花こそないが芽吹いて間もない一面の草原が。あっちこっちにタンポポの花が咲いていた。その上空を双筋のリフトが上へ上へとリレーするように伸びている。



2011+015_convert_20110626094720.jpg


 スキー場はシーズンオフだから所々にある「お食事所」やレストランは固く戸を締め、リフトは心なしか錆び付いて、所々にある風車だけが初夏の風に空虚に、しかも、ゆったりと回っていた。閉ざされたお食事所やレストランを外から覗くと季節外れのスキー板がいっぱい立て掛かっている。ミスマッチ。若葉から青葉に間もなく変わろうとする周囲とちぐはぐな光景でもある。

2011+014_convert_20110626094823.jpg


 私たちの狩場は,この≪草原のゲレンデ≫。狙いは山ウドだ。

 「お父さん、どれがウドなの?」

 女房が分からないのも無理はない。私のような田舎育ちの人間と違って甲府の町育ちの人間に山ウドが最初から分かるはずがない。「ウドの大木」と言うようにウドは大きくなったら、全く用をなさない。芽が地表に姿を現したぐらいのところを鎌で掘り出すのである。土に埋まった白い茎を採るのだ。地表に出た若い茎や葉っぱは、柔らかいので十分に食べられる。


 うど_convert_20110626095252


 八百屋さんやスーパーに並ぶウドは、耕作によって人の手が加えられるから白く柔らかい部分が多いが、それと比べれば山ウドのそれは、ほんの僅か。しかし、その香りや風味、味に到るまで里のそれとは比べものにならない。天ぷらにしてもよし、おしたしや酢味噌和えもいい。酒の肴にはうってつけ。大自然の中で、しかも自らの手で採った山の幸だから、お金には代えられない絶品なのだ。




 普段、どちらかと言えば畑仕事や野菜作りは亭主任せで、それほど関心を示さない女房だが、この時ばかりは嬉々としている。勾配のきついゲレンデの斜面を縦横に飛び回るのだ。その勢いは結果としても現れる。私の収穫量よりずっと多い。いつもノロマの女房に完敗だった。




 「お父さん、鮭がいい? それとも鱈子?・・・」


 眼下に伸びるリフト、その下に広がるまだ浅い緑の草原。その周りのシラカバ。目線の下に連なる山々。そんな大自然の中で頬張る、おむすびのなんと旨いことか。


おにぎり_convert_20110626100858


ブログランキングに参加中です。
 
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

木曽路の無法者

 2011+004_convert_20110623221231.jpg


 山菜採りで出掛けた木曽福島の山中。そこで出会った親爺さんと、その親爺さんを取り巻く小さな集落。限界集落という言葉がまさにぴったり。そこにわが国農山村の縮図を見る思いだった。集落の戸数が一つ、また一つと消えるばかりではない。どの家も若者達は山を降り、残されたのは年寄りばかり。わが国の地方で顕著になる一方の少子化などという言葉はとっくに通り越して、過疎は極限に達していた。


2011+006_convert_20110623221418.jpg



 集落の高齢化と人手不足は耕作放棄地の増大に拍車を掛け、かつての畑や田圃にはワラビが。ワラビだったらまだいい。藪になり、原野への道を歩んでいた。酪農家だったら牧草地へのワラビの侵入を恐れる。ワラビが生えるようになると牧草地としての機能を失ってしまうという。牛はアクの強いワラビを嫌うのだ。ワラビが生え、原野化した、かつての親爺さんの畑のあちこちには、小型重機で掘り起こしたような穴が。イノシシが地中のミミズや木の根をほじくった跡だという。鼻と牙を使って大地を掘り返すのだそうで、直径1mぐらいの穴がいっぱい。親爺さんは言う。




 「イノシシには、みんな閉口させられているんだよ。ジャガイモであれ、サツマイモであれ、うかうかしていたらみんなほじくられてしまう。もっと困るのはサルだよ。イノシシはサクを張り巡らしたり、鉄条網に電流を流すなど対策を講ずれば何とかなるが、サルはそうはいかない。利口者だから何処からでも進入して来る」




 「それに俺たちを困らせてくれるのが野鳥だ。この辺りじゃあ、大豆にせよ、モロコシにせよ、種を畑に直播することは出来ねえんだ。何処で見ているかしらねえが、人間が畑から居なくなりゃあ、綺麗に食っちまうのさ。だから俺たちは苗床とも言えるハウスの中で、ある程度大きくなるまで育て、畑に植え付けをする。権兵衛さんが種蒔きゃあカラスが突っつく・・・、あれだよ」

  2011+010_convert_20110623221637.jpg


 人事のように書いているが、実は私が住む山梨市でも自宅の目と鼻の先の畑までイノシシが出没するようになった。ジャガイモ畑はもちろん、山付きのサクランボ畑も荒らしまわるのである。若者達が都市部に出て行ってしまう。これも似ている。小学校はついに全校で60人を割り込んだ。1学年10人いない勘定だ。近い将来、学校そのものの存続問題が現実化して来るのは必至。統廃合である。その議論を考えると頭が重い。




 イノシシの天敵はキツネ。キツネがあの何十㌔もあるイノシシをやっつけるわけではない。「うりぼう」と呼ばれる子どもの頃を狙って餌食にするのだ。キツネに伝染病でも流行り、激減でもしようものならイノシシの天下。農家はこの暴れん坊に翻弄させられるのである。一方のサル。親爺さんはこんな話しもしてくれた。




 「俺ねえ、車で里へ出る時、サルを轢いてしまった。気になって、すぐに引き返したら仲間のサルが死骸を片付けているんだ。抱きかかえて山の中に消えた。人間と同じように手厚く葬るのか、と考えたら無性に罪悪感にさいなまれてしまって・・・」




 こんな話も。「農家がサルの死骸を案山子代わりにしたら仲間達が来て持って行ってしまった」。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

限界集落?

 「この部落? 今は5軒になっちまった。ひところの半分以下さ。そればかりじゃあない。家(うち)の若いもんばかりか、部落の若者達はみんな山を降りてしまった。残されたのは、わしら年寄りばかりさ。俺? 75歳だよ。俺なんか、この部落じゃあ若い方さ・・・」



 長野県は木曽福島の山中。長野は山梨のお隣で、東北から西南に長く広がる県。長野市とは反対側に位置し、もう岐阜県に近い。もっと分かり易く言えば「木曽のなあ~ 木曽のなかのりさん 木曽の御嶽山は なんじゃらほい♪」と木曽節に歌われる御嶽山の山懐のような所。中央道伊那ICで降りて権兵衛トンネルを横つり、国道19号をしばらく走り、山道に入るのである。国道19号は、古くは言わずと知れた江戸から京への道・中仙道である。道沿いには「江戸―京都の中間地点」の標識も。


2011+001_convert_20110621224247.jpg


 私の知人に、この木曽の山中に滅法詳しい人がいて、このところ毎年、私たち夫婦を山菜採りに連れて行ってくれる。この時季の山菜と言えば、ワラビやタラの芽、山ウドなどである。その山菜取りで出会ったのが、今年75歳になったという一人暮らしの親爺さん。家の前にある猫の額ほどの畑で、ジャガイモの土寄せをし、花豆の棚を作っていた。ワラビ採りの私たちに気付いた親爺さんはニッコリ笑いながら「沢山とってお出でなせえよ」と、愛想良く話しかけてきた。


2011+007_convert_20110621225321.jpg


 「ほら、ここにもあるよ。太いヤツが・・・。ここも昔はれっきとした田圃だった。でも耕作をしないようになったら、あっという間にこのざまだ。原野になっちまった。ワラビが生えるようになったら畑も田圃もダメ。やがて藪となり、林になり、森になっていく運命さ・・・。この部落は俺たちの代で終わりだ。若いもんと違って山を降りる気にはなれん。雀の涙ほどの年金で、あとは自給自足の毎日さ・・・」


2011+008_convert_20110621225014.jpg


 山間の大きな沢のような所に這いつくばって点在する小さな集落。朽ちるに任せた廃墟もある。ポツン、ポツンと見える住宅の≪生活反応≫と言えば、申し合わせたようにある軒先の車。それもまた申し合わせたように黄ナンバーの車だ。朝晩に限りなんとか走らせてくれている町営バスだけでは万一の場合に用が足りない。軽乗用車は里との欠くことの出来ない足なのである。恐らく日常の買い物は王滝村に出るのだろう。



 親爺さんは、こんなことも言った。


 「朝晩2回とはいえ、町は定期バスを運行してくれている。僅か私たち5軒のためにだ。ありがたいと思う一方で、申し訳なくも思う。経費もかかるはずだ。みんなで山を降りればいいのだが、生まれ育った所をそう簡単に捨てることなんかできっこねえんだよ。この歳になると若いもんのように割り切ることは、どう考えても出来ない・・・」



 何気ない立ち話のなかで、その親爺さんは山間の小さな集落でひっそり暮らす、数少ないお年寄りの気持ちを代弁しているかのようにも見えた。昨年の秋口、ユネスコの中部東ブロック研究大会でお邪魔した長野大学でのこと。基調講演でお聞きした「限界集落」という言葉が咄嗟に蘇えった。「限界集落」。いやあ~な言葉だ。(次回に続く)




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

平和ボケへの鉄槌

 自然はいつの世も、とかくお気楽極楽、平和ボケした人間どもにきついお灸をすえる。今度の東日本大震災もそうだろうし、かつての阪神淡路大震災もそうだろう。お灸をすえられて自然災害への備えの大切さを知る。でも時間、年月が経つと・・・。



 「費用対効果」。評論家や学者先生は、よくこの言葉を口にする。いかにも説得力がありそうで、かっこいい。でもこの言葉には、ある種のマジックが。例えば、山や川(水)を治めるためのダム。当然大きな財政投資が要る。さてその効果。人々には、それがすぐに目に見えない。費用に対する効果は感覚的にも薄れるのである。


ダム2


 勢い、人はそれを置き去りにする。今の便利さや今日の食べ物を優先するのだ。でも政治家先生たちには、明日、明後日、10年後。50年後、もっと言えば100年後まで考えて頂かなければ困るのだ。一見、今は不要に見えるダムの建設がその一例。「財政逼迫の折に・・・」。確かにそうかも知れない。でも災害への備えは大きなスパンで考えなければならない。いつ来るか分からない災害への備えはいつの世だって≪泥縄≫と言うわけにはいくまい。




 「想定内」とか「想定外」。かつて堀江何某という青年実業家が口にし、流行語にもなった。災害が起きるたびに政治家先生たちは「想定外」という。でも、過去の歴史が示す事実や予知の科学から必ずしも「想定外」とは言い切れないだろう。「国を治めるには、まず山や川(水)を治めよ」。戦国の昔から政治家達が言った、その言葉は普遍の哲学。


川_convert_20110619104352


 ビルの林の中に住み、交通網や流通など全てに便利を享受している都会の方々にはお分かりになり難いかもしれない。例えば、私が住むこの地域。山梨県の片田舎。と言ってもれっきとした「市」だ。私たちが子供の頃、夏から秋に掛け、ひとたび大雨が降れば洪水となり、流域の橋は流され、堤防は決壊。沿岸の田畑は河原と化した。年中行事だった。台風一過、百姓達は、一家総出の≪復旧作業≫に取り組んだことは言うまでもない。




 山津波も襲った。昭和40年代初頭、山梨県を襲った「足和田台風」は富士五湖地方の幾つもの集落を一瞬のうちに飲み込み、大勢の尊い命を奪った。今なお行方が分からないままの被災者もいる。そんな数々の教訓から山梨県を流れる2大河川・富士川と桂川の支流には幾つかのダムが設けられ、山津波を防ぐための堰堤も造られた。


川2_convert_20110619105130


 ダムや堰堤が洪水や山津波の少なからず抑止力になっていることは間違いない。ダムの水は流域住民の飲料水に、畑作灌漑用水にと、一役も二役も買った。一方で、川の流れが少なくなったことで、魚の生息が減ったり、河川の汚れを招きかねないことも。あちらを立てれば、こちらが引っ込む。マイナス面だって隅を突付けばないわけではない。




 私たち現代人は、ややもすると目先のことに走る。「費用対効果」をそこに重ね合わせて正論化してしまうのだ。地方の道路やダムは、その典型かもしれない。「いつ来るか分からない自然災害への投資より、今日の子ども手当て、高速道路の無料化・・・」。「空気と同じように考える水・・・」。でも自然への投資を怠ったら必ずしっぺ返しが来る。東日本大震災は、改めて自然が突きつけて来たお気楽人間への鉄槌と言ったらいい過ぎだろうか。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

自然の牙

 「箱根の山は 天下の嶮・・・♪」(『箱根八里』)と歌われているのだから、その歌が出来た明治期ですら、箱根の山は「天下の難所」であったことは間違いない。一方で「箱根馬子唄」は、「箱根八里は 馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川・・・♪」と歌っている。


はこね+001_convert_20110617233302
箱根神社


 江戸の昔、東海道五十三次のお江戸と京を行き来する旅人は、現代では考えられない難儀を強いられていたことは、容易に想像できる。「天下の嶮」の箱根の山は馬でも越すことが出来るが、大井川はひとたび大雨が降って増水すれば、問答無用に旅人を足止めにする。恐らく二日も三日も足止めされたのだろう。




 何気なく聳える山、ゆったりと、また、とうとうと流れる川。普段はなんでもない自然がひとたびリズムを崩した時、人々をそこに寄せ付けないばかりか、牙をむいて襲い掛かるのだ。もう3ヶ月前になるが、あの3・11の東日本大震災。突然、大地が揺れ、その余震が始まる頃、今度はとてつもない大津波が押し寄せた。その津波は福島原子力発電所まで、一瞬の内に飲み込んだのである。




 想定外のこと。確かにそうかも知れない。しかし本当に想定外のことだったのだろうか。現代に生きる私達は、科学(化学)や数学、物理学で自然を制御し、それどころか支配しているような錯覚に陥っていないか。その点、昔の政治家は謙虚だった。ちゃんと自然の怖さ、恐ろしさを知り、確たる哲学を持って政治に臨んだ。




 私たち山梨の人間にとっては永遠の英雄といっていい武田信玄公は、こう言った。


 「国を治める者は、まず山を治め、川を治めなければならない」




 事実、信玄は富士川の支流の釜無川や笛吹川に大規模な「堤(つつみ)」(信玄堤)を造り、川の流れを制御した。治山、治水を説いたのは、もちろん信玄ばかりではない。戦国の世から多くの政治家達が、その哲学を失わずに国を治める基本に置いた。



信玄堤_convert_20110617232850
信玄堤


 ところがどうだろう。最近の政治家先生たちは、有権者受けする目先の政策ばかりに執着する。子ども手当て、高速道路の無料化・・・。それが悪いわけではない。でも、財政難を一方で叫びながら、国民一人一人に努力を促したり、受益者負担の原則を貫こうとしない。やること成すこと刹那的といったらいい過ぎだろうか。そのツケが時たま降って湧いたように起きる自然災害、と言ったら言い過ぎか。その代償はあまりにも大きい。




 山を治め、川を、水を治める手段の決め手の一つにダムの建設がある。ところが私の住むお隣の長野県。何年か前「脱ダム宣言」なるパフォーマンス?を引っ提げて、何処からともなくやって来た知事さんがいた。結果的に次の選挙では追放?(落選)される運命に遭うのだが、「脱ダム宣言」というキャッチフレーズは当初、有権者から新鮮でユニークに受け止められたのだろう。キャッチコピー的に捉えても、いかにもインパクトがあった。




 「政治は言葉」という。そうだろうか。言葉のマジック、もっと言えば、そんなパフォーマンスに翻弄されたら地元の人達は・・・。(次回に続く)




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

行きつけの店

料理_convert_20110615224733


 酒飲みには誰しも一つや二つ行きつけの飲み屋や割烹料理屋があるものだ。そこのママやマスター、割烹で言えば、女将や板前さんとも気心が通じていて、「よお~」の一言で店に入り、座敷に上がる。それまでの≪投資と時間≫がある意味、モノを言っているのだろうが、そんな≪簡単さ≫が何事にも換え難い安らぎを覚えるのだ。酒飲みの男どもの心の内を百も二百も承知のママや女将の心根がむしろありがたい。




 割烹で、一人や二人の少人数だと「適当に頼むよ」の一言で、用が足り、酒や料理をみつくろってくれる。それぞれの好みまで知っていてくれるから嬉しい。それに旬の物までタイムリーに出してくれるので、お酒だって進もうというものだ。若い時だと「もうこの辺にしたら」と、お酒の上戸にブレーキをかけてくれたりもする。おふくろのような役割も果たしてくれるのである。


酒  


 「いつものようでいいんですね」。ちょっとした大勢の酒宴の場合も同じ。先日も山梨市内のある割烹で14人ばかりの人たちを集めた酒宴を持った。山梨県人権擁護委員連合会の会長を長年お努めになり、退任した弁護士さんの慰労会だった。山梨県には現在、216人の人権擁護委員(法務大臣委嘱)がいて、連合会長の弁護士さんは、その先頭に立って10年以上の長きにわたって尽力した。私たちの山梨市がそのお膝元。みんなで労を労って差し上げることにしたのだ。


花束_convert_20110615225505



 女将は入り口でにこやかに挨拶し、仲居さんが次々に料理を運んで来る。タラの芽、コシアブラ、ウド・・・。旬の物も。うまい。勢いお酒も進む。人権擁護委員のメンバーは、そこに並んだ人を限ってみても、その職制からか年配者が多く、平均年齢は、どうやら65歳を超しているかも。みんな≪現役≫を引退していて、その顔ぶれは小、中、高校の校長や町村役場の収入役、それに会社役員などさまざまな職種のOBが目立つ。もちろん弁護士さんやお医者さんなど、今も現役の年配者もいる。男女共同参画。ご婦人だって決して少なくない。山梨県下全体で見ても、その数は男性に匹敵する。




 みんなボランティア。同じ任を命ぜられて活動する仲間たちだけに、みんな意思疎通は出来ている。飲むほどに話が弾み、2時間3時間はあっという間だ。みんなで贈った記念品や花束を胸に主役の退任会長さんは「地元の仲間たちにこうして労ってもらうのが何より嬉しい」と、満面に笑み。深々と頭を下げた。座敷の襖越しでは女将がニッコリ。




 それほど大きくない田舎の割烹。お客達も店の人達もどこかで一体になっているのである。



 「ご馳走になったね」

 「またいらして下さいね」



 そんな当たり前の会話にも、どこかで心が通っているのだ。二次会の居酒屋も同じ。誰かの行きつけの店に。いつの間にか慰労会といった形式ばったことは忘れて、また雰囲気が変わったお酒を・・・。よく考えれば、酒飲みは、こうした雰囲気が好きなのだ。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

釣りキチの季節

鮎_convert_20110613213259


 6月の声とともに山梨県地方でも早い所は鮎釣りが解禁となった。太公望には待ちわびたシーズン到来というところだろう。同じ≪釣りキチ≫でも、それはさまざまのようで、鮎釣りしかやらない人もいれば、海釣り専門派やヤマメや岩魚など渓流釣り専門の人もいる。何故か何でもやるという人は少ないのだそうで、いつの間にかそのいずれか一つの方向に絞られていくのだという。





 前にも書いたことがある高校時代の同級生の≪釣りキチ≫さんは、今ではどうやら渓流釣り専門のよう。元々秀才タイプだが、へそ曲がりなところがあって昇任試験を受けようとせず、山梨県警時代を名うてのデカ(刑事)で通した。バンカラな性格に緻密さも備えているから、まさにデカにはうってつけ。



 「落としの〇さん」として名をはせもした。退官に近い晩年、「手口」も担当したから犯罪者心理にも詳しい。犯罪者の心理を斟酌し、それと真正面から向き合うデカの仕事。渓流に獰猛な山女や岩魚を追う、この「釣りキチ」さんの気持ちがなんとなく分かるような気がする。


魚_convert_20110613213957



 現役時代からの「釣りキチ」は、今もますます盛んのようで、何処から何処まで山女や岩魚を追っかけては渓流から渓流へと飛び歩く。自らが住む山梨県は言うまでもなく、お隣の長野県や岐阜県、新潟や富山県にも足を伸ばす。自分の足で歩くので、地図には滅法詳しい。山深い渓流に入り込んで行くのだから、幹線道路ばかりでなく、各地の林道、地図にもない山道まで知っている。



 クマやイノシシ、サルにもちょいちょい出っくわす。時には何百㌔もありそうなツキノワグマに目の前で仁王立ちされ、度肝を抜かれたこともあるという。元来、肝っ玉が据わったこの男でも「真っ青になった」。「釣りキチ」は、単なる「釣りキチ」にとどまらず、それに関連して遭遇する、どんなことにも知恵を生み出していくらしい。




 デカと犯人の心理戦と同じように、一端でも弱みを見せたら負け。体の大きさだけではない。咄嗟に逃げ出さずに、対峙することが大事だそうだ。虚勢でもいい。「いくら柄が大きくてもクマだって相手の人間が怖いんだよ」。そんなことを話してくれたことがある。目指す山女や岩魚は、もっと神経質で敏感な魚。無神経に足音を立てたり、人影を見せたら≪戦≫は負けだという。


魚2_convert_20110613214426



 多くの「釣りキチ」が凝るように、この男も竿など釣り道具には、ちょっとうるさいらしい。釣り道具と一口に言っても竿や仕掛けばかりではない。服装も含めてだ。毎月13日、無尽会名目で同級生が集まっては飲み会を開くのだが、「今日、ここに来る途中で買ってきたんだよ」と、立派なウエットスーツを見せてくれたことがある。長靴から連動、胸まである防水処理のスーツのお値段は3万円近いとか。





 同じハンターでも鉄砲撃ちと呼ばれる獣ハンターは、チームプレイ型。しかし、釣りハンター、とりわけ渓流派は単独型が多いのだそうだ。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

海釣りと一宿一飯の恩

海1_convert_20110611214834


 磯の香りとか潮の臭いという。私のように山国・山梨の片田舎に住む人間にとって、この磯の香り、潮の臭いは新鮮で、たまらなく好きだ。だから旅行や行楽といえば、真っ先に考えるのは、ほとんどが海辺りのリゾート地である。娘が小さい頃は、伊豆や下田などによく行ったものだ。その娘も四十路を過ぎ、立派な人妻に。今は昔の話である。



 昔話といえば、海釣りに行ったことがある。高校時代の同級生に≪釣りキチ≫がいて、やはり静岡県の沼津にキス釣りに連れて行ってもらった。今でも家族ぐるみ、懇意にさせて頂いているのだが、この男、当時は山梨県警の敏腕デカ(刑事)。一般的なサラリーマンと違って「泊まり」「明け」などという変則的な勤務ローテーションがあって、それを逆手に、時間を上手に遣り繰りしては趣味の釣りをするのである。




 キス釣りは、浜辺で大きな錘をつけたリールを沖に向かって投げては獲物を狙うのだ。元来せっかちな自分には、所詮、釣りなど似合わないと思い込んでいたのだが、これが結構、面白い。最初は横にばかり飛んで、前に真っ直ぐ飛ばなかったリール投げもすぐにマスター。キスという魚がそれほど大きくないせいか、それとも重い錘をつけているためか、あまり手ごたえを感じないのだが、面白いように釣れるのである。


海3_convert_20110611214656


 浜辺の後ろには、夏の賑わいがウソのように人っ子一人いない海の家が。海水浴のシーズンを終え、間もなく取り壊される運命の「海の家」は廃墟のように寂しい。そういえば私たちが釣りを楽しむ海も海水浴の頃の静かな海と違って心なしか荒々しい。はっきりとは覚えていないが、その時季は海仕舞いをして間もない8月終わりの頃だったのだろう。



 「ところで、今夜は何処に泊まるんだい?」


 「ここさ・・・」



 友が指差したのは、今は夏の賑わいから忘れ去られ、浜と道路の間に寂しくたたずむ、その海の家だった。お互い、年端も中途半端な貧乏サラリーマン。今宵の宿がバラック同然の海の家であることに何の抵抗感もない。まだ本格的な涼風が立つには早い。そこでのゴロ寝でも大丈夫、という計算だ。


海4_convert_20110611214525


 ところが釣り行きには慣れたはずの、この男の計算違いは藪っ蚊。日が落ちる頃になると、そのけたたましい≪襲撃≫が始まるのだ。そもそもが、田舎者の二人。蚊の一匹や二匹にはビクともしないのだが、海辺の蚊はすごい。「どうやら今夜は眠れそうにない」。覚悟を決め込んだ矢先に≪救いの神≫が。



 「あんた方、ここに寝るつもりかい?この辺り、海の蚊は半端じゃあないよ。よかったらうちに来て泊まりなせえよ」



 見ず知らずの親爺さん。年格好は今の私たちと同じくらい。70前後とお見受けした。親切にも、何処の馬の骨とも分からない二人を自宅に連れて行き、泊めてくれたのである。全くの善意。しかも酒に肴付きである。一宿一飯、この親爺さんの顔とご家族の恩は今も忘れない。一方で、自分もかくありたい、と思っている。世の中、いつの世も捨てたものではない。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!





缶ワイン

わいん+002_convert_20110609220711

 缶ビールならぬ缶ワイン。缶ビールならポピュラーだが、缶ワインがあるとは知らなかった。ご存知、ワインには強い酸があって、それが缶ワインに待ったを掛けていた。ワインの酸が缶の内側を溶かすため、これまで缶ワインはタブーとされて来た。しかし人間の知恵は、やっぱり凄い。それを見事に克服してしまったのだ。




 日本で始めて、いや世界で初めて、その缶ワインを発売したワインメーカーの社長さんのお話をお聴きする機会があった。母校・日川高校同窓会の役員会の折のこと。正副会長、それに常任理事、理事が集まる、この会議では議題の審議を終えた後、「同窓放談」と銘打ってミニ講演会を開いているのだ。いわば夜の会議に≪味付け≫する粋な計らい。特異な話題や示唆に富んだ話をしてくれる同窓生を招いては1時間ぐらいずつ話を聴くのである。何処の学校もそうだが、大勢の同窓がいるのだから、講師探しには事欠かない。


 わいん+006_convert_20110609220550


 缶ワインを開発した社長さんは、元をただせば銀行マン。日川高校から早稲田大学を経て農林中央金庫へ。そこで常務理事などを努めた後、乞われて山梨県は石和温泉郷の一角にある「モンデ酒造」http://www.mondewine.co.jp)の社長に。その社長によれば、この会社は自己資本比率こそ高いが、赤字が続くなど経営体質は脆弱だった。




 その改善に、さまざまな角度から取り組んだ。経営者と従業員との風通しを良くするために全社員との面談もした。毎週、定例で開く経営(営業)会議のありようも根本的に見直した。売上に見合う経費の見直しにも大ナタを振るった。社員のリストラばかりでなく、例えば、職制でランク付けされていた出張旅費も最も低い平社員のレベルに統一。される方も、する方も残酷なリストラ。ここでは社長の報酬を大幅にカット。「自らも血を流した」。




 膨大な投資をしての缶ワインの開発は起死回生を試みた営業戦略の一環。大手の製缶会社とタイアップ、6年にわたる開発研究の末の成功だ。缶の特殊加工で、中身のワインと容器の缶の成分との化学反応を完全にクリアしたのである。もちろん、特許製品であることは言うまでもない。ワインの原料も外国産を完全シャットアウト、純国産、特に地元山梨県産100%にシフトした。山梨は言うまでもなく、わが国の葡萄王国である。


わいん+004_convert_20110609220619



 この社長のご自慢はプレミアム缶ワインをJR東北新幹線「はやぶさ号」の「グランクラス」に載せたこと。18席しかないそのデラックス車両に搭載が認められた酒類は、銘柄限定のビールと日本酒、それに青森産の林檎酒と同社の缶ワイン(赤と白)だけだという。このワインは「はやぶさ号」のそこだけに限定されたもので、ほかでは飲むことが出来ないのだそうだ。それに甘んじているのも「売上度外視のイメージアップ作戦」だ。プレミアム缶ワインに次いで、6月末には新製品の「プティモンテリア」(写真)を発売、市場に勝負を懸ける。同 社長は、この第2弾の缶ワインに「社運を懸ける」とまで言う。


わいん+003_convert_20110609220750


 缶ワインの開発は画期的。あらゆる飲料がどんどんビンから缶にシフトしているのに遅れをとった。かつてはビンが当たり前だったビールも今では缶が主流になっているのだ。ワインもお酒も缶容器に変わったら酒飲みには嬉しい。軽いばかりではなく、取り扱いも便利だ。さてビールのように一気飲みのお酒と違って・・・。ボトル缶は小さい方がいいのでは、などと勝手に考えてもみた。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

磯の香り

杉_convert_20110607222157


 花粉症の季節はぼつぼつ峠を越す。でも、その症状をお持ちの方にとっては、まだ安心するわけにもいくまい。花粉症を患う人は、私の周りにも結構いる。そんな仲間達に「オレのような田舎者は絶対に花粉症なんかにはならんよ」と、豪語するのである。




 山梨市のこの辺りは田舎で、氏神さんの境内であれ、何処であれ、あっちこっちに杉が植えられていて、その真っ只中で、杉鉄砲で遊んだ。わんぱく小僧の時代である。今は山梨市に合併されたが、隣村の牧丘町や三富村の場合は、山付き地帯の多くが杉や檜の山林。その時季になれば、付近の空が真っ黄色になるほど花粉が飛んだ。花粉症にお悩みの方だと、そんな話を聞いただけでも具合が悪くなるだろうが、それが当たり前だから、気にも留めないどころか、取り立てて目にも映らないのだ。


木_convert_20110607222719


 今その杉の山林から、かつての何倍もの花粉が飛散しているのだそうだ。安い外材の進出で国産杉の需要が低下、何処の山も荒れるに任せている。下刈りや間伐など山に手を入れないから杉林は痛む。勢い、子孫を残そうとする植物の本能から多く実を付けようとする。花粉の飛散量が増える原因がこんな所にもあるのだ。




 そんな社会的な環境はさて置き、アレルギーに敏感な人たちの方が花粉症の餌食になり易いのだろう。裏を返せば、私のような鈍感者は、その≪魔の手≫から逃れることが出来るという訳か。でも、花粉症の仲間たちは「花粉症はアレルギー現象だから、バカにしていたら、お前だって・・・」と、脅かしてくれるのだ。




「あいつは鼻がいい」。そんな言葉がある。物事の変化を機敏に察知することを言うのだが、世の中にはそんな「鼻のいい」人間は居るものだ。その「鼻がいい」とは別に、本当に鼻の感覚、つまり臭覚がいい人間が居るものである。もう何十年も前の若い頃の話だが、夜を徹して海釣りに行き、翌日、普段通りに職場に就いたのだが、身近にいた女性の一人は、それをズバリ察知したのだ。潮の香りだという。




 その前夜、仕事が終わった後、親しい市役所の幹部二人と甲府市内の肉屋の座敷でしこたまお酒を飲んだ。結果的には、その市役所幹部は予め計画していたのだが、そのまま静岡県の沼津に近い美津浜という所に海釣りに行こうということになった。その時代、東名高速はあったが、中央道はない。甲府からだと、富士五湖の河口湖や山中湖、雁坂峠を経て、御殿場へ抜け、沼津から目的地に向かうのだ。


富士五湖_convert_20110607221413


 夜中の12時過ぎに出ても明け方前に美津浜へ着く。夜明けの4時には沖に船を出し、7時には浜に戻って甲府に帰るのだ。メジナのような大物は私のような素人には望むべくもないが、メバルは自分でも信じられないほど釣れた。それぞれの釣果を車のトランクに納めて、何食わぬ顔で職場に。家にも帰らず、職場に直行だ。もちろん、一睡もしていない。

メバル_convert_20110607221048

 若いから夜中までの深酒もウソのように抜け、海風を受けて来たせいもあって気分は爽快。しかし、その潮の香りが仇となって、若気の至りの悪行は敢え無くバレバレ。世の中には感というか、鼻のいい人はいるものだ。釣果のメバルは言うまでもなくその人に。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!




『箱根八里』

箱根+006_convert_20110605223747
箱根


 私の母校・日川高校の校歌もそうだが、何気なく歌い、後世に歌い継がれている歌の中には、字面を見ると難解とも思える歌詞が少なくない。難解でなくても、歌う側の立場によって、頷けるものもあれば、そうでないものだってある。



 箱根の山は 天下の嶮 函谷関も 物ならず
 万丈の山 千仞の谷 前に聳え 後に支う
 雲は山をめぐり 霧は谷をとざす
 昼猶闇き 杉の並木 羊腸の小徑は 苔滑らか
 一夫関に当たるや 万夫も開くなし
 天下に旅する 剛気の武士 大刀腰に 足駄がけ
 八里の碞根 踏み鳴らす
 斯くこそありしか 往時の武士





 ご存知、中学唱歌の「箱根八里」だ。作詞は鳥居忱、作曲は滝廉太郎。明治34年(1901年)というから、もう100年以上も前に作られた歌である。かみさんと娘夫婦の4人が、娘婿の運転で箱根に一泊二日の小旅行をし、新緑の箱根路を走りながら、何気なく口ずさむ。100年も経っても、少しも色あせないし、大人も子供も、なんとなく「箱根」をイメージしながら歌っている。歌とは不思議な生命力を持っている。


箱根+011_convert_20110605223954



 でも歌詞の字面を見ると、これほど難解な歌はない。「天下の嶮」「万丈の山」ぐらいは、いいにしても「函谷関も」とか「一夫関に当たるや」となると、私なんぞの浅知恵では・・・。それもそのはず。この歌の歌詞は李白の漢詩「蜀道難」の一節「一夫當闕 蔓夫莫開」が引用されているのである。




 歌詞に登場する「函谷関」は中国の長安と洛陽の間「関中」の入り口にある関所。王朝のいわゆる死命を制する要衝として有名だ。そんなことを紐解くと「箱根八里」の奥がまた深くなる。箱根八里とは旧東海道の小田原宿から箱根宿までの4里と箱根宿から三島宿までの4里を言った。大井川をしのぐ東海道の難所・天下の嶮であったことは間違いない。




 この唱歌の面白い所は一章(一番)の歌詞が「昔の箱根」なら、二章(二番)が「今の箱根」。歌詞は微妙に違ってくる。その二つを重ね合わせても、少しも違和感がない。前にも書いたが日川高校の校歌。同窓でなければ、全く関係がないし、どっちでもいいことなのだが、その3番。



 質実剛毅の魂を 染めたる旗を 打ち振りて 
 天皇(すめたみこと)の勅(みこと)もち 勲したてむ 時ぞ今




 堅物の方が字面だけで読んだら確かに違和感がないでもない。でも歌は理屈ではない。それぞれの心の窓であったり、思い出のひとコマ。人生をオーバーラップしたりもする。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!


老舗ホテルと大名家

箱根+019_convert_20110603232709
箱根富士屋ホテル


 箱根の山は緑が爽やかだった。標高差のせいだろうか。里の青葉と、ちょっと趣を異にし、まだ若葉の感も。老舗ホテルの「箱根富士屋ホテル」は、そんな初夏の自然と見事に調和していた。建物の造りとは不思議。何故かそれが古風であればあるほど、新しい周囲にも、古い周囲にもよく似合うのだ。古くも新しくもない今の自然は、その主役達と普遍の調和をもたらす。




 箱根富士屋ホテルと同じように、今は経営の実権がどのようになっているのかは,私たちには分からないが、国際興業グループの経営といわれる山梨の「フルーツパーク富士屋ホテル」もその一つ。私が住む「隣村」みたいな所だから、結婚式であれ、宴会であれ、ちょいちょい行かせて頂く。JR山梨市駅から車で5~6分の小高い山の上。


フルーツ富士屋_convert_20110603232907
フルーツパーク富士屋ホテルより盆地を望む(HPから)



 そこからの眺望は素晴らしく、御坂山塊を従えた富士山が正面に、その下に甲府盆地を一望できる。特に夜景はロマンチックで、恋人達のデートスポットに。新日本三大夜景にも選ばれた。あの福島原発騒ぎに端を発して電力消費の削減がうるさいが、そこへの山道に連なる葡萄を型取った街路灯は、見る所によってはロマンチックであり、幻想的だ。夜、中央道を走ったことのある方なら、よくご存知だろう。そこからもよく見える。


新日本三大夜景_convert_20110603230607
新日本三大夜景



 レンガ色のホテルの背景には、春から夏は緑や青葉の山が、なだらかな斜面の前衛にはフルーツパークが。葡萄、桃、梨、林檎、柿、石榴、栗,銀杏。甲州八珍菓はちょっと古い引用だが、山梨県を代表する、いわゆる果物の殿堂だ。フルーツパークの名の通り、さまざまな果物にお目にかかれるし、シーズンには、瑞々しく味わうことも出来る。ここにあるのも自然。ビジネスホテルはさて置き、リゾートのホテルは、それが人工であれ、天然であれ、≪自然≫を無視したら成り立たない。緑や、やがての紅葉は人間の癒しの源なのである。お気付きだろうか。かつては青色だった青信号が緑に近い色に変わっていることを。


フルーツパーク_convert_20110603231746
フルーツパーク(山梨市)


 東京などコンクリートの都会にある老舗のホテル。ここだけは緑に囲まれた別世界。東京のど真ん中でこんな緑の庭園が・・・。それもそのはず。多くはその昔、大名家の江戸屋敷だった所。広大な緑の典型は皇居。元はと言えば、徳川政府の官邸であり、公邸であった江戸城だ。江戸幕府の中枢だった所である。




 赤坂、紀尾井町にある赤坂プリンスホテルやニューオオタニなどは、その名の通り紀伊、尾張、つまり徳川御三家の江戸屋敷跡なのだ。五反田の八方園も大名屋敷の一つ。目黒の雅叙園や目白の椿山荘も。六義園など東京に点在する名のある庭園のほとんどもそれである。桂離宮や浜離宮は皇室のそれ。




 明治維新とともに、大名家は没落、その一等地は財閥などの手に渡っていく。その過程では伯爵、公爵と呼ばれた時代だってある。だが、かつてのような石高、つまり経済のバックボーンは残念ながらなかったのである。箱根富士屋ホテルの別館ともいえる「菊華荘」は、天皇家からの払い下げ。平たく言えば、お金持ちが買い取って行くのである。逆に言えば、そんな逞しい力が今に古き文化を伝え、厳然と生きづいているのだ。


箱根+024_convert_20110603232419


ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

漁港の食堂

魚市場_convert_20110601221302
小田原港


 ツアーであれ、マイカーであれ、国内を旅する時、必ず立ち寄るのが、行く先々のお土産物屋さん。海辺の旅先だと海産物を扱う、いわゆる「魚センター」である。どこも平屋で、お世辞にも綺麗とはいえない、だだっ広い建物の中には、あるある。同じような海産物を並べた店がいっぱい。みんな間口が1間半から2軒ぐらい。そのたたずまいや相関的に醸し出す雰囲気が、私たちお客の購買欲を掻き立てるのだ。潮の香りが心地よい。




 私たち夫婦は、娘夫婦を連れて、いや娘夫婦に連れられて、といった方が正しいが、箱根に旅した後、小田原に足を伸ばした。小田原といえば、あの「小田原評定」小田原城であり、食いしん坊なら名産の蒲鉾。一夜をゆっくりと過ごさせて頂いた箱根宮ノ下の「富士屋ホテル」を10時にチェックアウト、ドライブ気分で箱根の山を降りた。恐らく、箱根駅伝の復路のコースを辿ったのだろう。


箱根+034_convert_20110601221812  
箱根富士屋ホテル


 小田原魚市場に併設したような「さかなセンター」に着いたのは午後1時を回っていた。小田原城公園を散策していたからだ。私たちのような大人ばかりの家族連れや、子供の手を引く若いお父さんとお母さん、仲良く手を繋ぎ、のんびり歩いてゆく恋人カップル・・・。公園の中は、思い思いのスタイルの人たちが初夏の休日を楽しんでいた。天守閣の上からは、眼下に小田原の市街地が、振り向けば、すぐ近くに真っ青の海が見える。


小田原城_convert_20110601214143
小田原城


 「あの小田原評定、ここでやっていたんだね」。天守閣のてっぺんで、殿様にでもなった気分で眼下の街並みを見ていた私の傍で、かみさんが独り言のように言った。「小田原評定」とは戦国の昔、この地を治めた北条氏の重臣会議、つまり、国の諸事を決定する行政機関である。史実によれば、毎月2回ずつ開かれていたとか。



 ただ、この小田原評定、豊臣秀吉のいわゆる「小田原攻め」の時、外に撃って出るか、篭城かで会議の意見が分かれて結論が出なかった。このことから「いつになっても結論が出ない会議や相談」という意味の比喩に使われるようになったのである。



 何処のお城もそうだが、天守閣の階段はきつい。私のようなデブのなまくらには絶対に重臣は務まらなかっただろう。この日の朝、ホテルで温泉に浸かり、前の晩の迎え酒のようにビールをそこそこ飲み、たらふく朝飯をいただいたのに、よくしたもので腹が減る。旅先だから食べられる朝飯だ。天守閣の階段の上り下りは、それほど大きな運動量なのだ。


小田原城2_convert_20110601214731


 何処の魚センターにも美味しい海鮮料理を食わせる食堂がある。ここではセンターの中ばかりでなく、隣接した魚市場の2階のようなところにも。いかにも大衆食堂といった感じで、お客さんが列を成していた。ギュウギュウ詰めで80席ぐらいの広さ。みんなセルフサービスである。

おさしみ定食_convert_20110601215513


 1階のセリ場はこの時間だと、とっくに業務を終わってしまったのか、それとも日曜日だからか、人っ子一人いない。列を成しているのはみんな行楽客。お刺身定食、海鮮丼・・・。当然、魚料理ばかりだ。うまい。新鮮感覚が拍車を掛けるから、なおさらである。ビールが欲しくなる。「また、お飲みになるんですか」。かみさんの≪ブレーキ≫で思い止まった。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!
ランキング参加中です!
人気ブログランキング【ブログの殿堂】
おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

最新記事
カテゴリ
最新コメント
FC2カウンター
ブログ成分解析
ブログランキングならblogram
検索フォーム
月別アーカイブ
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

全国からアクセスありがとう!

ジオターゲティング
最新トラックバック
アルバム
リンク
忍者ツール
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
RSSリンクの表示
FC2ブログジャンキー

「アクセス数が全然伸びない…」そんな悩みをブログジャンキーが解決します!