草津と軽井沢

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 草津の湯は「ごった返す」という言葉がぴったりするほど多くの人たちで賑わっていた。一帯の道路という道路は古い温泉郷が故か、どこもかしこも狭く、車があふれていた。駐車場も少ないから行楽客のマイカーは、あっちこっちで右往左往。たまたま地域の祭りと重なって交通規制がされていたので、混雑に拍車をかけたのかもしれない。温泉街を練り歩く法被、鉢巻き姿の子供神輿が可愛らしい。ただ、子供たちになんとなく覇気がないのがちょっと寂しい。子供神輿に覇気がないのは全国共通?




 交通規制と駐車場難で、かみさんが期待していた湯畑見学はお預け。それでも、ゆっくり湯船に浸かってご機嫌。まさに「草津よいとこ…♪」「いい湯だなあ~♪」である。案内役の娘婿は志賀高原一帯のスキー場に来る時は決まって、この草津の湯に浸かってから家路につくのだという。山梨には石和温泉郷や下部温泉郷、私の家の近くにも温泉はいっぱいある。でも、いずれも単純泉。隣の芝生はよく見えるのか、こちらの方が効きそうだ。




 風呂から上がって飲む生ビールがまたうまい。つい、一杯が二杯に…。至福の時だ。家に戻って明日からの農作業が嫌になる。婿は私より体が大きいから飲みっぷりもいい。普段も我が家に遊びに来る時は二人でジョッキを合わせ、盃を交わすのだ。男同士、酌み交わす酒がうれしい。一人娘だったせいか、婿の新たな存在が我が家の雰囲気を変えた。


ビール



 軽井沢は、この草津と隣り合わせ。しかしその雰囲気はガラリと一変する。カラマツ林に囲まれた別荘地帯は、そのまま避暑地の名にふさわしい。そこを通ったのは夕暮れ時。林の中の小奇麗な家々にはどこも明かりが点き、ベランダでは短パン姿の避暑客が思い思いの休日を楽しんでいた。




 「お前たち、この軽井沢を開発したのは山梨県人、ということを知っているかい?」

 「山梨県人?」


 「そうだ。雨宮敬次郎と言ってなあ、甲州財閥の一人さ。その出身地は我が家がある山梨市と目と鼻の先。笛吹川を挟んだ甲州市塩山(旧東山梨郡牛奥村)で生まれた人さ。前後した頃のやはりメジャーな甲州財閥と言えば誰もが知る小林一三。あの阪神・宝塚を開発したり、私鉄の元祖もこの人。今、大騒ぎしている東京電力の前身・東京電灯の基礎を造ったのもこの小林一三翁さ」

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雨宮敬次郎


 「塩山の名主の二男坊に生まれた雨宮敬次郎は後に「雨敬」とも言われ、事業の失敗と成功を繰り返しながら投資家や製鉄、鉄道事業でもその礎を成した。国鉄中央線を自分の家の庭先まで引き込み、現在のJR塩山駅を造ったのもこの人さ。勝沼駅から大きく塩山へ山伝いに迂回しているのはそのためなんだよ。江ノ電の愛称で親しまれる江ノ島電鉄や京浜急行を起こしたのもこの人。伊豆半島の熱海を開発したのも「雨敬」だ。軽井沢一帯にカラマツが多いのもこの人のお蔭。浅間山が噴火し、溶岩に覆われたこの一帯に「雨敬」は何百万本ものカラマツを植え、今の軽井沢のイメージを造った。そのカラマツの数は700万本とも800万本とも言われている」


  「へえ~、お父さん、よく知ってるね」


 「バカ言え。知らんのはお前たちばかりだよ。明治維新を中心にした時代が、薩長や土佐の財閥とすれば、新しい日本のインフラを造ったのは甲州財閥と言ってもいいんだよ」




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別天地

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 志賀高原の夏は別天地だった。道路脇の所々にあるデジタルの気温表示は19~18度。長野と群馬の県境にある渋峠はもっと下がって17度をマークしていた。ぼつぼつお昼を迎えようとする時間帯。恐らくこの日も甲府盆地は猛暑。もう35度を越しているだろうと考えると、我が家であっても帰りたくなくなる。




 ひしめくと言ったら、ちょっとオーバーかもしれないが、冬のシーズン、この辺りは一面にスキー場に姿を変える。夏場、スキー場は決まって緑の草原に衣替えする。毎年、降雪を控えた晩秋、ブッシュを刈り取ってスキー場としての備えをするからで、夏場の草原は一面の緑で埋め尽くされるのだ。


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 緑の高原には「猛暑」という言葉はない。頬を柔らかく撫ぜる風は爽やかで、いかにも心地よい。思わず口笛の一つも吹きたくなる。渋峠を眼下に見下ろす標高3,005mの横手山の頂からは遠く南に富士山、手前に八ヶ岳、その右手には白馬連峰、飯綱山、戸隠山、妙高山…。まさに絶景。360度の大パノラマである。「来てよかったなあ~」。東京か横浜あたりから来たのだろう。顔を見合わせて、そう言う老夫婦の顔が印象的だった。「ここで写真撮って…」。デジカメ片手にかしましい山ガールの姿も。どの顔にも一点の曇りもなかった。


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 長野県側から上った渋峠を反対側に降りると群馬県。つづら折れの高原道路がまたいい。白い山肌を剥き出しにした白根山を左手に望むあたりに来ると、車窓から飛び込む涼しい風に交じって硫黄の香りが。草津温泉が近いことをいやが上にも教えてくれる。私たちのように草津方面に降りる車もあれば、逆に渋峠を経て長野側に向かう車も。途中、所々にある展望広場の駐車場は、どこもいっぱい。それが高原に渋滞をもたらしてさえいた。


 

 草津は初めてだという、かみさんは、そう言ってはしゃいで見せた。「お母さんは、リフトに乗れば『足がつかないから怖い』と言い、今度は『草津初めて』と、いい歳して、はしゃぐんだから…」。隣の座席にいた娘がそんなことを言って母親をからかった。


 「お母さんはねえ、学生の頃、軽井沢には来たことがあるのよ。でも、草津は初めてなのよ。よく雑誌などに出てくる湯畑を見たいわ」


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 後ろの座席で、そんなたわいもない会話をしている母娘を運転役の娘婿と私はニコニコしながら聞いていた。娘婿はスキーが得意。最近はスノボーにハマっているらしく、シーズンには毎週のように足を運ぶ。このほか白馬や乗鞍、栂池、万座…。長野や群馬、新潟一帯はスキー場には事欠かないという。大会に参加してはトロフィーや盾をもらって帰ってくる。この辺りは、いわば蛍のけつだ。乗鞍ではまだ夏スキーが楽しめるという。




 そんなことから私たち夫婦を信州、上州の高原ドライブに誘ってくれたのだろう。優しい婿たちの心遣いがうれしい。半面、そんな歳になっちまったのかと、思わないでもないが、娘夫婦が無性に可愛くなったりもする。年齢とはかかわりなく、亭主の影響とは大きい。スポーツに不得手な娘が、連れだってスキーに行っていると言うから面白い。




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日本一高いパン屋さん

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 そこは長野と群馬の県境にある渋峠志賀高原の一角である。二つの県に跨っているレストランの真ん前から標高3,005mの横手山の頂にリフトが。その下には所々、ニッコウキスゲが咲いていた。この辺りは豪雪地帯で、冬場は4mを超す雪ですっぽり覆われ、大勢のスキー客で賑わう。今はその面影はない。シーズンには、沢山のスキーヤーを飲み込むだろうゲレンデは広大な緑の草原。白銀の世界を忍ばせてくれるのは2基のリフトだけだ。


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 7月の3連休。駐車場は家族連れなどのマイカーでいっぱい。長野県側と群馬県側から帯のように車が連なるのである。女房と娘夫婦を乗せた車もそのうちの一台だ。クソ暑い甲府盆地を抜け出して3時間ちょっと。簡単にルートを言えば、朝6時半、山梨市の自宅を出て甲府に住む娘夫婦を乗せて甲府昭和ICから中央道に乗る。途中、諏訪SAで簡単な朝飯を食べて、すぐ先の岡谷ジャンクションで長野線にスイッチ。更埴ICで降り、一般道で山道を走るのである。車の窓から飛び込む木々の緑が爽やかだ。私たち田舎者には当たり前の光景だが、都会にお住いの方々だったら大喜びするだろう。


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 シーズンオフのスキー場も抜け目はない。2基のうち1基のリフトを動かし、せっせと行楽客を山の頂に運ぶのだ。家族連れや若いカップル…。吸い込まれるようにリフトに乗って6~7分の空中散歩を楽しむのである。「お父さん、足がつかないから、怖いわね」。私の脇でそんなことを言う女房を、前を行く娘夫婦が振り向いてカメラでパチリ。ニコニコしながらも高所恐怖症の母親を労わっているようだった。




 リフトに乗る前、近くで表示していた温度は18度。恐らくこの展望台の温度は、1度ぐらいは下回るのだろう。本当に涼しい。嘘のようだ。午前11時。恐らく甲府盆地は、もう35度前後を記録しているはずだ。太平洋岸側や日本海岸側にお住いの方々にはお分かりにならないと思うが、山梨のように内陸地方に住む人間は蒸し風呂のような夏、大げさに言えば地獄のような夏を過ごさなければならないのだ。


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 「お父さんねえ、ここには日本一高いパン屋さんがあるんだよ」



 娘夫婦がそんなことを言った。それを聞いたお父さん、つまり私は、つい、貧乏人の性(さが)が。


 「そんな高いパンを買わなくたっていいよ」


 「お父さん、そんなに心配しなくてもいいんだよ。値段ではなくて日本で一番標高が高い所にあるパン屋さんということよ」


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 娘がニヤニヤしながら言った。普段、台所や家計のすべてを女房にまかせっきりの私にパンの高い、安いが分かるはずがない。そんな貧乏人のさもない心の内をよそに、そのパン屋さんからは得も言われぬ、いい香りが。そこに来る途中の高速道路のサービスエリアで食べた朝飯が消えて腹ペコになりかけている頃だった。


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 「お母さん、みんなに日本一高いパンを食べさせてやれよ」


 周りを見たら、みんな買っている。でも、正直。みんな少しずつだった。


パン


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丸投げのツケ

 「あなただってサラリーマン時代、職場にパソコンくらいあったはずだ…」

 おっしゃる通り。特に、私が勤めていた所は、情報産業の端くれだったので、ほかのオフィスより際立つぐらい早くにパソコンが導入された。民間会社であれ、役所のオフィスであれ、今でこそ一人1台が当たり前の時代だが、最初の頃は管理職のデスクと、グループごとの机の所々に置かれた程度であった。


パソコン加工


 そのパソコンも今のようにスマートなものではなく、横から見ればお腹というか背中が突っ張ったグロテスクなものだった。ノート型ではなく、ディスクトップ。恐らく、性能も今のように優れたものではなかったはずだ。性能はともかく、早くからパソコンを覚える、また覚えなければならない環境にあったことだけは確か。





 問題はそこから先。そもそもそんなことが出来るはずがないと思い込んでいるアナログ人間、みんな若い人たちに丸投げしてしまっていたのだ。簡単な書類にしてもデータ管理の書類にしても「これ打っといて」、「これ頼む」といった具合に。時代のめぐり合わせだった。そんな節目にたまたま管理職にいたから、それが出来てしまった。


パソコン2



 悪戦苦闘してもいい。その時に覚えてしまっていたら60も半ばを過ぎてパソコン講座に通ったり、わずかな授業料とはいえ、お金を払って覚えなくてもよかったはずだ。あとの祭りとはこのこと。仕事だから緊張感もあったはずだし、その一つ一つが≪実≫にもなったはず。遊びとは違うからだ。




 パソコンが管理職のデスクにデンと置かれたのには理由(わけ)がある。決済が従来のハンコから、いわゆる電子決済に変わったのだ。一般書類はともかく、経理にかかわる書類はすべてこのシステムに。これだけは若い人たちに丸投げするわけにはいかない。ちゃんと覚えた。「覚えた」などと大そうなものではない。画面を開き、「YES」[NO]のキーを叩くだけである。


マウス



 丸投げする立場が逆だったら・・・。そう考えたらゾッとする。上司や先輩から丸投げされて「オレ、そんなこと出来ません」では済まされない。ましてや「自分でやれよ」などと口が裂けても言えない。徹夜をしてでも、休日返上で講座に通ってでもマスターしたはずだ。立場とは都合のいいものだし、結果から見れば、こんな不幸なことはない。




 私たちの年代は言うに及ばず、その前の10歳ぐらいの世代が、いわば不幸な世代。もちろん、個人差もあれば、人それぞれだが、総じて言うならアナログ派。いわば時代の節目に生まれた≪不遇の落とし子≫。そんな世代が現役を去り、職場のIT化は当たり前に進んでいるのだろう。それが証拠に、幼いころからテレビゲーム機と空気のように遊んだ人たちが職場の中堅を占めているのである。




 世の中、大抵の物事を親や先輩が、子供や後輩たちに教え、会社や社会を動かしていく。伝統の芸能や技がいい例だ。しかし、途中から登場して来たITの世界だけは全く別。親や先輩は、子供たちや後輩に謙虚に教わることをしなければいけない。




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PCはスーパーマン

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 パソコンはスーパーマンだ。私は常々、そう思っている。スーパーマンはパソコンのみならず、電卓もケイタイもみんな同じ。どんな計算でもするし、どんな電話番号やアドレスも即座に記憶、絶対に忘れない。ちゃんと入力さえしてやれば、間違えずに、いつまでも覚えていてくれる。新たな情報を与えれば、それをどんどん進化させてもくれるのだ。




 ケイタイはポケットに入って15年足らずだが、電卓は私たちの日常に登場して久しい。その電卓は、長い間、手動の計算機としての役割を担ったそろばんを完全に駆逐し、一方のケイタイは加入電話の領域をどんどん狭めている。そればかりではない。街のあちこちにあった公衆電話ボックスを追い払い、我が物顔でどんどん一人歩きしている。紐付きの加入電話もやがては駆逐される運命にある、と言ったら言い過ぎか。


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 雨が降った日、街角の数少ない公衆電話ボックスに入ってケイタイで長話をする若者。そんなことを言う私だって、居間の手が届く所に加入電話があるのに、ポケットのケイタイで・・・。ケイタイの方が操作も簡単。便利だからだ。加入電話が置いてけぼりになる所以がそこにある。




 覚えて4年、まだ1年坊主のパソコンはともかく、電卓やケイタイは、何気なく使っているから、いつの間にか使いこなしているような錯覚に。私なんか、そこに内蔵された機能のほんの一握りしか使っていないのだ。足し算、引き算、掛け算、割り算など、まさに単純計算するだけ。頻度が少ない「%」や「√」はさておき、上段に並ぶ「M+」「M-」「MR」「MC」「GT」などの機能は使ったことがない。使うすべを知らないのである。



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 ケイタイだって同じ。「これでもか」というくらいたくさんの機能が内蔵されているのに、まるで使いこなせない。単なる「モシモシ」の道具に成り下がっている。同年代の仲間の中にはメールさえ打てない人がいっぱい。お若い方々からは笑われるだろうが、悲しいかな、それが現実なのである。ケイタイは最早、「モシモシの道具」ではない。卓越したIT機器なのだ。山ほどある内蔵機能の爪の垢ほども使いこなせていないのだから、まさに宝の持ち腐れ。。そのくせオジサンたちは最先端のたいそう立派なケイタイを持っているのである。




 パソコンとなると何をかいわんや。使いこなせるのは爪の垢どころか、それ以下。パソコンに向かって上下にあるバーさえ、その機能をよく理解していないのだから、使いこなせるわけがない。隠れた所にはその何十倍も、何百倍も便利な機能が内蔵されているはずだ。時々、そんな機能の一部分に行き当たるのだが、そこへのプロセスを忘れてしまうのである。

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 「そんなこと、簡単さ。分からなかったら教わればいいじゃないか」。そうおっしゃるが、車と地図の関係と同じで、自分で運転しないとなかなか覚えられない。覚えたようでも頻繁に使わなければ、すぐに忘れてしまうのである。講座で習ったはずの表計算(エクセル)も使わないから忘れた。パソコン1年生のアナログオジサンは結構、苦労しているのである。でも面白い。インターネットに結びついてハマっていくのだ。




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我が家の弥次喜多

富士の山ちゃん


 2011年7月20日21時。私のブログのFC2カウンター56,026を記録していた。60の手習い、ならぬ65の手習い、ブログを初めて3年が過ぎた。カウンター数字が示すようにこの拙いブログを延べ56,000人もの方々にお読みいただいたことになる。ただただ感謝し、平身低頭してお礼を申し上げなければならない。


 


 ブログを始める一年前の夏も、それは暑い夏だった。女房と一緒に焼け付くような車のハンドルを握って、山梨市の教育委員会が開いてくれたパソコン講座に通った。入門編、ワード編、エクセル編。それぞれが週4日、2時間ずつ教えてくれるのである。1講座が8時間、全部で24時間勉強したことになる。それが結果的にインターネットやブログにハマルきっかけだった。因みに講座料は1講座3,000円。3講座だから9,000円である。

パソコンをたたく手


 前にも触れたことがあるが、この陰には、ものぐさの私の背中を押してくれた男がいる。日川高校時代の同級生で、長い間、NTTで活躍した人。キャリアからいえばNTTというより電電公社と言った方がいいのかもしれない。「パソコンを覚えたら?俺たちの年代だってパソコンくらい叩けなきゃあ人間じゃあない時代になった」。そんなことを言う友は、ありがたいことに我が家に遊びに来ては、パソコンの「イロハ」を教えてくれた。




 お蔭で、パソコン講座の入り口でも戸惑いはなく、スッと≪授業≫に着いて行けた。≪白紙≫からのスタートだった女房との差は可愛そうだが歴然としていた。「お父さん、ここ、どうしたらいいの?・・・」。そんなことを繰り返しているうちに2時間の講座は終わってしまうのだ。その女房とのハンディは、今に尾を引いている。


 「またつまらないことを書いて…」


 そう言って叱られそうだが、女房の今の力量と言えば、パソコンを開き、私のブログを覗き見て文句を言うくらい。そこから先には進めないのだ。「お父さん、これどうしたらいいの?」。一歩つまずけば、それすらままならなくなるのである。

妻

 結果的には全くしなかったのだが、子供の頃、先生から「予習、復習」をくどいほど言われた。この年になって遅ボケのパソコンを始めて、その大切さを改めて思い知らされた。「今頃、気づくとは、お前もよほどのバカだね」と言われるだろうが、勉強嫌いの私は、予習はおろか復習もしたことがなかった。どうやら女房も同じ類の人間だったのだろう。似た者夫婦とはよく言ったもの。裏を返せば、だからこそ、今もこうして、弥次喜多の夫婦を続けているのかもしれない。




 予習、復習をしないと、講座の教室に行っても毎回、1からのスタート。みんなに着いて行けないのである。先生はのろまな私たち夫婦を相手にしていたら20人ぐらいいる受講生を犠牲にしてしまうのだ。私よりもっとのろまな女房は私が面倒を見るしかないのである。しかし、それをやっていたら間違いなく共倒れ。かわいそうだが途中から女房を見捨てた。うちの女房、まだ気づかない。私の子供の頃と同じで予習、復習を全くしない。そのちょっとした差が我が家の弥次さん、喜多さんだ。大したことはない。





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ピーナッツと落花生(再)

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 昭和51年、この年に起きたロッキード事件
は米国の航空機メーカーを巻き込んだ、わが国政治史上まれにみる疑獄事件に発展した。時の宰相・田中角栄はこの事件で失脚、間もなく、逮捕されるなど日本の政界は混乱の渦に飲み込まれた。それから30数年、刎頚の友と言われた田中角栄元首相、小佐野賢治元国際興業社主、それに日本の黒幕といわれた児玉誉士夫氏ら事件の主役達はいずれも鬼籍に入ってしまった。




 受託収賄罪。当時としては比較的耳慣れない、この刑法用語がこの事件でポピュラーになった。もう一つ、贈収賄のキーワードとなったのがピーナッツである。つまり、捜査に当たった東京地検が宰相・田中角栄の犯罪として立件を目指したのが受託収賄罪であり、その収賄の現金授受の隠語がピーナッツであった。田中角栄は当時、やはり米国のグラマン社と日本への航空機の売込みを競っていたロッキード社のコーチャン副社長からピーナッツという名の賄賂を受け取り、それに便宜を図ったと言うのである。






 この事件を伝えるテレビ、ラジオの裏番組では、双子の姉妹歌手ザ・ピーナッツが茶の間で人気を集めていた。双子歌手や双子タレントの草分けであつた。もちろん、この二つのピーナッツはまったく関係ないのだが、賄賂の代名詞に対し、こちらは双子の代名詞になったのである。今ではピーナッツという言葉も忘れられたし、ザ・ピーナッツもお茶の間のテレビから姿を消して久しい。

ザ・ピーナッツ


 ピーナッツは南京豆ともいい、落花生の実のことを言う。落花生は実に不思議な植物である。お恥ずかしい話だが、私は60歳の半ばになるまで落花生の実はその根につくものとばかり思っていた。ところ、これが大間違い。文字通りの「落花生」で、花が弦のようになって、地に落ち、実を付けるのである。

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 私の親しい友人の一人に萩原さんと言う男がいる。この人は私のパソコンの師匠でもあるのだが、ある時お宅を訪ねたら「いい落花生の種があるんだけど蒔いてみるけ。その生育過程をちょっと注意してみていると感動するよ」と言ってくれたのが、その不思議を知るきっかけであった。この萩原さんは実に勉強家で、創意と工夫に旺盛な人である。





 春先に蒔いた落花生の種は間もなく芽を出し、7月下旬ごろから青い葉っぱを沢山付けた枝に黄色い花を付ける。ここからが感動的なのである。この黄色い花がいつの間にかに弦で垂れ下がり、地中に潜るのである。つまり、落花生の実を沢山収穫するためには沢山のいい花を咲かせることもさることながら、花が落ちる所にしっかりと土を盛ってやらなければならない。最初、そのことを知らない私は根元にばかり土寄せしたものだから、花は弦で垂れ下がったものの、潜るところがなく、空中ブランコ。大失敗で、苦笑いしたものである。



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 今の子供達は、もちろんロッキード事件のピーナッツも、双子姉妹のザ・ピーナッツも知らない。そんなことはどうでもいい。だが、この落花生が織り成す感動だけは教えてやりたいと、正直思った。いい歳して、たわいもないと笑われるかも。




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旬とコミュニケーション(再)

スモモ


 「これ、撥ね出し物だけど、美味しいから食べてくれますか」



 近所の人が、時にはサクランボ、時にはスモモといった具合に、段ボール箱や果物のもぎ箱に入れて持って来てくれる。箱への並べ方は大雑把だ。


 「何時も済みませんね」

 お礼を言うと

  「これ、形が悪かったり、過熟気味になってしまって出荷出来ないんですよ」



 いかにも美味しそうだ。食べてみてもうまい。当たり前である。木で熟れた物を、そのまま持って来てくれたからだ。桃でも、スモモでも同じだが、輸送やセリ、店頭での陳列など消費者の口に入るまでの時間を考慮して、熟れる前のものを出荷するのである。出荷の過程で、すぐ過熟になってしまうトマトなどはその典型で、真ん中の尖った所がちょっと赤くなった段階で出荷してしまう。




 桃やスモモに限らず、旬の果物や野菜をあっちこっちから頂く。こちらも、ナスやキユウリ、ジャガイモ、サトイモ、落花生など家の畑で採れたものをお届けする。果樹農家の中には、こうした野菜を自分で作らない人が多いのである。果樹作りで忙しく、手が回らないから、種類が多く、手間のかかる野菜なんか作っている暇がないというのである。


野菜


 百姓もどきというか百姓見習いの私が作ったものだから、お世辞にも立派なものではないが、無農薬で、採りたての新鮮野菜であることだけは間違いない。




 「お百姓などしたことがない人が、こんなに立派なものをお作りになって。大したもんですねえ」


 お世辞なのかなんだか分からないが、喜ばれるとうれしいものだ。田舎にはいつも、こんなコミュニケーションがあったり、旬というものの実感がある。






 小学校から高校まで、つまり子供の頃を除いてそのほとんどを甲府や東京で過ごした。土のないサラリーマン生活である。ざっと50年近く、野菜や果物はほとんどを買って食べた。子供の頃、実家では桃や葡萄を作っていたので、それを買って食べることにはちょっぴり抵抗があったが、食卓を賄う女房は甲府、つまり非農家の生まれだから、一向に気にしなかった。





 八百屋さんや果物屋さんに行けば、その店頭には一年中何でも並んでいて、季節感なんてものはない。自分ばかりではない。日本人は旬というものを忘れさせられてしまったのではないか。ハウス栽培という名の施設園芸の普及とその技術の高度化によるものである。あらゆる野菜や果物が一年中食べられるのだ。

筍



 竹の子を「筍」とも書く。文字通り旬の野菜である。これだけはハウスで作ってもらいたくないものだ。ともかく、会社勤めをリタイア、土のある生活に戻って、特に自分の家で作った野菜のうまさを実感した。物事にかなり鈍感な女房でさえ「お父さん、やつぱり、買ったものと家で作ったものは味が違うね」と言うのだから間違いないだろう。





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集中治療室

 冥土への助走路、肉親や親しい仲間達との別れの助走路は、ちょうど一か月続いた。心筋梗塞で倒れた友は、病院のICU(集中治療室)で酸素吸入のパイプをくわえたまま逝った。日川高校時代の同級生。言うまでもなく集中治療室はナースセンターのすぐ脇にあって、患者のベッドを中央に、かなりのスペースをとっている。



 病院に入院して居ながら意識不明に陥ってしまった友。10日くらい経ったころだろうか。面会が出来ないことを覚悟しながらも病院に見舞った。幸い病院側の計らいで集中治療室へ。親しい友、を理由に聖域でもある集中治療室への入室を認めてくれたのである。あとで考えれば病院側は≪結果≫を見越していたのかもしれない。


 「オイ、俺だ。分かるか?頑張れ、頑張れ…」

 「お父さん、○○さんが来てくれましたよ。目を開けて…」


 奥さんの叫びにも似た、そんな呼びかけにも、何の反応も示さなかった。額を撫ぜてやった。微熱のせいか汗ばんでいた。眠っているような顔だった。酸素マスクではなく、酸素吸入のパイプを直接加えた友の姿にいやがうえにも≪ただならぬ事態≫を感じた。集中治療室という独特の環境がそれに拍車をかけるのである。




 無表情。しかし、その奥底で死と向き合い、必死で戦っていると思うと、身を切られる思いがした。辛かった。「元来、ご主人は強い男。必ず意識が戻りますよ」。今にも崩れそうな奥さんを、そう言って励ましてはみたものの…。正直言って不吉の予感が脳裏を走ったことも確か。普段、底抜けに明るく、あっけらか~んとしている奥さんだけに痛々しい。




 虫が知らせる、という言葉がある。私はこのブログで、なぜかこの男のことを二度ほど続けて書いた。一度目が「海釣りと一宿一飯の恩」、次が「釣りキチの季節」。意識不明に陥って病魔と必死に戦っていることなど知る由もなかった。彼は普段、私のブログをよく読んでくれていて、いろいろな反応を示してくれる≪読者≫の一人だった。




 内心、どんな反応を示すか楽しみでもあった。「俺のこと、書いたね」。そんな友の言葉を待っていた。電話がかかって来た。彼のケイタイからだった。ところが、電話の向こうから飛び込んで来たのは息子さんの声。「実は…」。そこで初めて心筋梗塞で倒れたことを知った。まさに寝耳に水。「今は集中治療室で…」と付け加えた息子さんの言葉は、言外にただならぬ事態に置かれていることを伝えるのに十分だった。



 親しい仲間、とりわけ同い年の同級生を亡くすことは、ある意味、年老いた親を亡くすことより辛く切ない。そんなことを葬儀が終わった後の初七日法要のお悔やみの言葉で申し上げた。同席した仲間達も頷いていた。




 毎朝配達される新聞の片隅に「おくやみ」という訃報の欄がある。この欄は極めて閲読率が高いのだという。ご不幸の義理を欠かしてはいけないという思いばかりではない。その記事の中にある年齢を見て、多くが自分をオーバーラップするのだそうだ。つまり自分に置き換えて≪人の最期≫を見るのである。今年はやけに暑い。みんなが健康には注意したいものだ。




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友の死

 親しい高校時代の同級生が相次いで逝った。一人は交通事故。もう一人は心筋梗塞が原因だった。いずれもあっけない最期。「あの時、昼食に行く時間をちょっと遅らせていたら、交通事故の遭わなかったのに…」「あの時、医者がもっと適切な治療を施してくれていたら…」。突然の出来事だけに遺族にとどまらず、仲間達みんなに悔いが残る。


 風景


 心筋梗塞で倒れた友は、自らその症状を訴え、救急車で病院に搬送されながら、仮入院の6時間後、苦しみの末、意識不明に陥った。それが結果的にあの世への、また私たちとの別れの助走路であった。最愛の夫に付き添っていた奥さんによれば、意識不明に陥った後、主治医の若い医師は「心電図には心筋梗塞の症状は出なかった」と、こともなげに言ったという。



 
 「あの時、夫が訴える痛烈な胸の痛みを親身に受け止めていてくれたら…」。奥さんの気持ちは手に取るように分かる。医療や医学に全くの素人が言うのは乱暴かもしれないが、最近とみに感ずる機械優先、データ優先の医療に盲点はないのか。問診。昔のお医者さんは患者さんの訴えをよく聞き、顔色や目の色、舌の状態までよく見た。体温や脈拍は当たり前だった。判断が早かった。
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 確かに医療機器の進歩は目覚ましい。患者の立場の素人でも歴然とわかるほど、様々な機器が開発され、人々の命を救っていることも確か。レントゲンなんかまったく昔の話で、CTスキャナー、MRI・・・。そんな精密医療機器の存在も珍しくはなくなった。血液検査の分析だってぐ~んと進化。ちょっと採血して頂くだけで体の異常個所を見つけてくれる。私たちが一番恐れる癌でさえ見つけてしまうのだ。



 パソコンソフトの開発だってどんどん多様化している。私が診て頂いた耳鼻咽喉科のお医者さん。治療の後の投薬はパソコンで。「いい薬があるんですよ…」。どうやらこのお医者さん、私の症状をパソコン入力、薬剤を引き出した。症状さえ分かれば薬はコンピュタが指示してくれるのである。

 

 その結果は薬局へ。薬剤師さんが即座に調合して「お大事に」。CTスキャナー、MRIのデータだって診察医のデスクのパソコンへ。でもそのデータを解析し、読み取るのは人間のお医者さん。血液分析のデータや心電図だって同じだ。そんなことは絶対にないだろうが、万一、その解析に一抹の間違いがあったとしたら…。間違いと言ったら言い過ぎ。見落としといった方がいい。そんなことを考えるとゾッとする。


パソコン


 心筋梗塞などの心臓疾患、脳内出血やくも膜下出血などの脳疾患。治療に時を争わなければならない時、その判断に時間がかかっていたら…。ましてや、あるはずがない誤算など、何をかいわんや、である。心筋梗塞で一命を失った友の奥さんのみならず、私たち仲間たちが今も釈然としないのが担当医の「データに出なかった」という言葉だ。



 この男は元警察官。デカ(刑事)といった方が分かりやすい。法医学も勉強している。自らの心筋梗塞の症状くらい分かっていたはずだ。「胸が苦しい」。若いお医者さんが、そんな患者の切実な声を聴きとっていてくれていたら…。素人の情実だけだろうか。





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平和の鐘

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 「牛に引かれて善光寺参り」


 これは、長野県は長野市の善光寺さんのお話。これからのお話は、山梨県は甲府市の専光寺さんのお話である。この二つは、まったく≪他人同士≫ではない。長野の善光寺さんが本家とすれば甲府の善光寺さんは、いわば分家といっていいのだろう。


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甲斐善光寺



 時は遡って戦国の世。甲斐の覇者・武田信玄は信濃(長野)を侵略、それをさせじと立ちはだかった越後の上杉謙信。両者は信州信濃の川中島で何度も対峙し、相まみえた。世に言う川中島の合戦である。この時の≪産物≫が甲斐の善光寺と言ったらバチ当たりか。



 奪ったとか、権力の産物などという乱暴な言葉はさておき、この時、武田信玄が信州善光寺のご本尊を甲斐に持ち帰って開基したのが甲斐善光寺であることは間違いない。善光寺の≪文化財≫を我が地に持ち帰ったのは信玄ばかりではない。謙信も同じだった。好意的にみれば、貴重な文化財を戦禍に巻き込まない、という≪暗黙の了解≫があったのかもしれない。根底に二人の戦国武将が神仏を大事にし、それを心の拠り所にしていただろうことも容易に想像できる。


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 食うか食われるかの戦・川中島の合戦でも、水面下での両者の≪話し合い≫が片鱗を見せる。お互い、農繁期には兵を引き、農事にいそしませた。何千、何万の兵のほとんどは領地の石高を担う百姓だったからだ。いわば休戦協定であった。≪紳士協定≫のもとに7回戦の川中島での合戦を繰り広げたのである。二人の間には「奇襲」などという言葉はなかったのだろう。「やあやあ、我こそは…」。正々堂々、向かい合って戦うのが戦のマナーだったのである。奇襲をやってのけたのは、のちの織田信長。今川義元を討ったあの桶狭間の合戦だ。時代はずっと下って太平洋戦争の口火を切った旧日本軍のハワイ・真珠湾攻撃も奇襲だった。




 甲斐善光寺さんで7月6日、山梨県ユネスコ連絡協議会の肝いりで「平和の鐘」を鳴らす催しが開かれた。この日は66年前、山梨県の県都が焼け野原になった「甲府空襲の日」。真珠湾への奇襲攻撃に端を発した一連の戦禍の一つである。「二度と戦争の惨禍を導かないように…」。そんな平和への祈りを込めて同協議会と甲府ユネスコ協会が毎年この日に開いているもので、今年は約200人が参加した。空襲で命を落とした人たちを追悼した後、参加者の代表が代わる代わる「平和の鐘」を突いた。





 その先導役を務めてくれた甲斐善光寺の執事・渡辺光順上人によれば、善光寺は全国に190ケ寺あるのだそうだ。発祥の寺は元善光寺。推古天皇の御世というから時代はぐ~ンと遡る。信州麻積の里(現在の飯田市)の住人・本多善光(よしみつ)が大阪・難波の堀から一光三尊のご本尊をお迎えしたのが善光寺の起源。


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 元祖は本多氏ということになる。そんな歴史の背景からだろうか。甲斐善光寺の周辺にも本多姓が多い。その甲斐善光寺の鐘突き堂で「平和の鐘」を鳴らしながら、様々な古(いにしえ)に思いをはせた。




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サクランボとなまくら息子(再)

サクランボ1


 サクランボといえば山梨県の人たちは南アルプス市の白根をイメージする。しかし、今では白根に勝るとも劣らないのが山梨市の旧岩手地区だと思う。私が住む村だからという贔屓目ではない。東南に面した山付きを中心にサクランボ畑が広がり、そのスケールはけして小さくない。路地ものばかりではなく、シーズンには一面ビニールハウスで埋まる。その立地とおそらく地味の良さも手伝って味もいいのだそうで、人気は年々高まり、4月から5月にかけての最盛期には首都圏からの観光バスがどっと繰り込む。




 その姿を横目にちょっぴり複雑な思いに駆られることがある。全体では一部分でしかないが、一等地のような1~2町歩の土地がかつては我が家の畑だったからだ。あの土地が俺のものだったら、とつい助平根性が頭をもたげる一方で、あの土地が今も残っていたら、と思うと、ゾッとするのである。助平根性などとんでもない。なまくらになってしまっている俺に耕作出来るわけがないからである。


サクランボ2


 子供の頃を思い出した。この地方ばかりではないが、山梨県は米麦、養蚕が農業の主体を成していた。平地は水田、それも二毛作の米と麦、山付きは桑を作って、養蚕をしたり、とうもろこしや薩摩芋も作った。この地方では大きな農家だったから、中学生の頃の農繁休暇には、10人前後の仲間や上級生が宿泊研修という名のお手伝いに来るのである。自分ばかりでなく、みんな懐かしい思い出であったに違いない。70歳近い男たちが今もその思い出話をするのである。




 私が大学に入った頃、つまり昭和30年代の半ばごろから、この地方は桃、葡萄を中心とした果樹への転換が始まり、あっという間に米麦、養蚕の農業スタイルは姿を消した。我が家も水田から桃や葡萄などの果樹園に転換したことは言うまでもない。農家の長男でありながら大学を卒業した後、家に帰らず、いわゆる会社人間の歩みを始めてしまったのである。


葡萄    桃


 広い農地を抱え、家業を見向きもしないせがれに親父は頭を抱えたに違いない。我が家の農地の大部分を処分せざるを得なかつた親父の心中が、ちょうど親父の年になる今の私には分かりすぎるほど分かる。その処分の仕方も、やけくそなのか、一生懸命手伝ってくれたお礼なのか、近所の人に、いわば只同然で分けてしまったのである。




 俺がもし親父の立場だったらと考えると、親父のような大胆なやり方はできないだろう。もう大分前になるが、今は南アルプス市となった旧白根町の知り合いがこんなことを話してくれたことがある。


 「うちの畑を道路でも何でもいいから走ってくれないものかとつくづく思う。親から譲り受けた畑を売っぱらうのはちょっと気が惹けるが、公共用地としてなら大義名分がある。息子は大学を出て、会社勤め。百姓なんかやる気はねえんだ」




 なにか自分と親父のことを言われているような気分になったものだ。百姓の長男とはそんなもの。しかし、その百姓をめぐる環境や価値観は何十年かのサイクルで変わるのである。




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玉葱とジャガイモ

 「お父さん、タマネギ、もう上げちゃった(収穫した)方がいいかしらねえ」

 人間とは不思議なもの。種蒔きにしろ、植え付けにしろ、自らが手を下したり、携わったりしたものには、何らかの愛着が生まれるものらしい。農作業など亭主の私にまかせっきりの家(うち)のかみさん、植え付け段階から関わったタマネギジャガイモの収穫時期には、ちゃんと関心を持っているのだ。

タマネギ


 タマネギは細長い葉っぱが倒れたら、ジャガイモは繁茂した葉が枯れ始めたら収穫の時期。無邪気なお気楽人間だと思っていたら、「蛇の道は蛇」。近所の人たちから情報を得たり、いつの間にか買い込んできた野菜作りの指南本から、ちゃんと情報を得ているのである。



 「ジャガイモもそうだが、お天気の日、特に土が乾いた時に収穫しないとダメだぞ」
そう言う私に確たる根拠があるわけではないが、過去の経験則から、そんな気がするのだ。気温との関係もあるのだろう。夏場に収穫するタマネギやジャガイモは腐り易い。特にその収穫期は山梨のこの辺りでは梅雨の真っ只中なのだ。


ジャガイモ


 幸か不幸か田舎だから畑は有り余るほどある。勢い、どんな野菜でも沢山作ってしまう。畑とは縁のない所で暮らす娘夫婦や弟たち、それにご近所にお配りするのだ。むしろそれが楽しみと言ってもいい。嬉しいことに、みんな結構、喜んでくれる。果樹地帯のこの辺りでは、どの農家も野菜など手の掛かるものは作らない。作らないというより、葡萄やサクランボ作りで忙しく、野菜作りまで手が回らないのだ。逆から言えば、野菜を作っているような百姓はロクな農家ではないのである。




 肝心なのは収穫したタマネギやジャガイモの保存の仕方タマネギは二つずつ枯れた葉っぱを結んで、竹の竿に横並びで吊るす。晩秋、枯露柿作りに使う竹竿を簾状に使うのである。一方、ジャガイモは涼しい温度を保っている土蔵の中に無造作にコロガしておくのだ。でも両方とも長持ちしない。腐ってしまうのである。その臭いたるや私のような田舎者でも鼻をつまみたくなる。

ジャガイモ



 街の八百屋さんやスーパーに並ぶタマネギやジャガイモは、みんな腐敗防止の薬剤処理が施されているのだろう。「腐るのは自然のなせる業。俺たち田舎者は丸ごと自然の中で生きているんだ」。そう考えると納得がいく。でも所詮は貧乏人の性。もったいない。うかうかしていたら、その量は半端なものではなくなるのだ。大げさに言えば収穫の半分近くをダメにするハメに。そればかりではなく異臭が後々まで付いて来るのだ。




 沢山食べさせてくれたエンドウは、葉っぱやツルを枯らして終わりを告げ、隣の畑ではキューリやナスが。「お父さん、こんな大きなヤツが・・・」。かみさんは窓の外で嬉しそうに見せ、「初物だからご近所にお配りしてくるわね」と言いながら踵を返した。もう盛りを過ぎたもののコカブなどと共にヌカ味噌漬けがいい。モロキュウだってうまい。



 夏大根も大きくなった。春菊や青菜は峠を越したが、まだまだ柔らかくてうまい。ツルあり、ツルなしのインゲンが旬を迎え、その後には枝豆も食べごろを迎える。




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風船が運ぶ花の種

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 グラウンドに歓声が沸いた。この4月、入学したばかりの小学一年生から六年生までの全校児童、54人が大空を見上げた。赤、青、黄色、緑、白…。色とりどりの風船はゆっくりと青い空に吸い込まれていく。校長先生や教頭先生、それにクラス担任の先生たちも子供たちと一緒に拍手した。その顔は大人も子供もなかった。みんな純真だった。





 風船には子供たちが思い思いに書いたメッセージと花の種が。「この花の種、大事に育ててね…」「これ、どこのお友達が拾ってくれるかな?・・・」。メッセージは様々だ。その内容はいかにも子供らしく、可愛らしい。



 山梨市は中心部から5㌔くらい離れた山付き地帯・岩手地区にある小さな小学校。山梨県人権擁護委員連合会が山梨県内の小学校からノミネートした18校中の1校である。「人権の花」贈呈式に付帯された行事だった。「人権の花」贈呈式は、同連合会と甲府地方法務局が子供たちへの人権啓発活動の一環として5月から6月にかけて実施しているもので、実施校は毎年変わる。


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 「花を育てることを通じて子供たちが優しい、思いやりの心を育んで欲しい」。そんな大人たちの願いを込めた啓発活動の一環行事である。午前10時。グラウンドには山梨市内の人権擁護委員14人全員も揃いのベスト姿で整列。校長先生と人権擁護委員の代表が、いじめのない優しい友達づくり、学校づくりを呼び掛け、ポットに植えられた花の苗を贈った。




 「この花をみんなで大事に育て、お友達同士仲良くします」。児童会長さんだろう。子供たちを代表してお礼の言葉を述べる男の子がまた可愛い。同人権擁護委員会は中学生に対しては「人権作文」を募集する。こちらは全県下の中学校が参加、応募点数は5,000点を超す。9月から10月にかけて学校、ブロック、中央の審査会が相次いで開かれ、12月には甲府で優秀作品の表彰式が開かれる。

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 子供たちが飛ばした風船は山を越え、谷を越えてどこまでも飛んでいく。山梨からだと東京や神奈川、千葉方面へ。つまり西から東に流れる気流に乗って飛んでいくのだ。大空は何の障害物もないので、花の種と子供たちのメッセージを付けた風船は一直線に東へ東へと飛んで行く。



 「○○君からの花の種、学校から帰ったら家の庭に落ちていました。大事に育てます」子供たちが飛ばした風船の反応が表れるまでにそう長い時間はかからなかった。岩手小学校にはその日の3時過ぎには、そんなメールが飛び込んだ。反応の第一弾だった。千葉県成田市の小学生からだった。子供たちはもちろん、学校関係者は大喜び。岩手小学校は翌日の朝礼で、そのことを全校の児童に報告したという。


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 風船には水素ガスか何かが詰められているのだろう。どこかで、いつかは割れる。人に拾われてもよし、山の中に落ちてもよし。花の種が入った袋は土に帰るようになっているので、野山に落ちた場合、そこで芽を出す。風船もかつてのゴムだと思ったら大間違い。今の風船は自然に優しく出来ていて、みんな土に帰るようになっているのだという。




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安息の地

 7月。あとしばらくすれば梅雨が明けて、本格的な夏山シーズンの到来である。今年は岳人・深田久弥が没して40周年。深田はその著書「日本百名山」を残し、山を愛する人たちには今なお、馴染み深い。山男の深田は山梨県のさもない山・茅が岳で最期を閉じた。山男の終末とはそんなものかもしれない。


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 私の仲間でも山好きな男がいて、「俺は死ぬまでに百名山のいくつなりとも登る」と豪語し、暇があれば山に登っているヤツがいる。その手始めは「山梨の百名山」。こちらは既に大部分を踏破した。桃の産地・一宮町のニ男坊か三男坊に生まれ、茅が岳の山麓のような所に居を構えた。等距離でもないが、茅が岳の向いには八ヶ岳の連峰が。


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 晴耕雨読? 地元の農家から借りた1反歩近い畑で野菜作りをしているかと思えば、山梨県教育委員会が主宰する生涯学習団体「ことぶき勧学院」に通って勉強したり、クラブ活動のテニスや水泳を楽しむ。私のような運動不足のデブと違って、身体はスリムで、一見しただけでも若い。そうでなければ、70歳近い年齢で山登りなど出来る筈がない。




 私の同級生には山登りをする男がまだいる。高校時代の仲間だから、みんな甲府盆地の東部の生まれ。山梨県の人なら「東郡(ひがしごおり)」と呼ぶ地域だ。一人はやはり一宮町からかつては竜王と呼ばれた甲斐市に婿に行き、本格的なハウスを造って花卉栽培もする。書物で丹念に調べては四季の花であれ、野菜の苗であれ、なんでも作ってしまう。




 もう一人は、今は南アルプス市に住む医療機器メーカーのオーナー会長。元はと言えば秩父連峰の前衛のような所にある大菩薩峠の麓に生まれた男だから元々足は強い。分かり易く言えば、山家の育ち。大菩薩峠は中里介山が小説にしたあの「大菩薩峠」である。




 三人とも山登りのスタイルは、みんな違う。単独行もあれば、奥さんなど数人で登る者も。月に一度、同級生無尽の形で仲間たちが集まっては酒を酌み交わすのだが、この男達はしばしば山を話題にする。「山はいいぞ。山頂に立ったときの気分はなんとも言えん。お前のような太ったヤツには減量と一石二鳥だよ」。親身になって山登りを勧めてくれるのだが、私なんかに、とてもとても・・・。




 三人とも共通しているのは趣味の山行き。私たち夫婦が木曽の御嶽山で見た講者のそれとはちょっと違う。古来の山岳信仰とは異なるのだ。御嶽山に向かう途中の沿道におびただしい数で並ぶ石碑群は≪信仰の証≫だろう。「お父さん、あれ、相当なお金がかかっているんでしょうね」。下世話にもお金に換算して女房が言うように、誰が見ても何千万円もの費用をかけただろう石碑がいっぱい奉納されている。


御嶽山
御嶽山


 玉垣に囲まれた内側には立派な石碑が所狭しと並び、その石碑には真新しいしめ縄やおしんまいが。玉垣には一本一本に寄進者の名前が赤字で刻まれている。入り口には大きな石の鳥居や講社の名前を記した石柱が建てられていた。その一つは埼玉県児玉町の社中のものだった。山を崇め、人々の安息の地と考える人たち。この人たちは、とかく平気で山を汚したり、粗末にする今の人たちをどう見ているのだろうか。


御嶽山


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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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