花かげ

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 「もうこんな時間か」。「まだこんな時間か」。


 時をめぐる「もう」「まだ」はその季節、つまり日の長さや、その人のライフスタイルによって受け止め方は違う。共通しているのは、≪時≫が何らかの基準になっていることだけは確かだ。


 「十五夜お月さん一人ぼち 桜吹雪の花かげに♪ 花嫁姿のお姉さま 俥に揺られて行きました♪」


十五夜 


 ご存知の方はご存じ。文科省唱歌の「花かげ」である。私たちが住む山梨市では毎日、夕方6時になると防災無線のスピーカーから、このメロディーが流れてくる。夕方の6時。冬場だと、もう真っ暗。我が家では夕餉の時間だ。もっともサラリマンの現役時代だったら、まだ仕事の真っ最中。ただ、この時間になれば会社の社員食堂で夕飯はしっかり食べている。




 ところが,この時期、日が長いので野良にいる時間だ。2時、3時の時間とは少しは異なるが、暑さも残る。立秋を過ぎても、残暑はまだまだこれからだ。蝉が鳴き「お前ら人間どもよ、もっと働け。まだ陽が高いぞ」と、ハッパをかけるのである。「あまり無理しないで下さいよ」。そんなことを言いながら女房がペットボトルの水を持って来る。


セミ


 「花かげ」のメロディーが流れるのには理由(わけ)がある。「花かげ」の生みの親は山梨市出身の大村主計隣村の牧丘町の人だ。今年2月からの放送開始を前に山梨市の区長会は「山梨市で生まれた、こんないい歌があるんだから」と、一も二もなく「花かげ」を選曲した。




 大村は鬼籍の人となって久しいが、生前、何度かお目にかかったことがある。東京は新橋の中華料理屋の座敷であった。山梨県出身の文化人が結社する「山人会」というのがあって、その中華料理屋は大村ら文化人のたまり場になっていた。実に温厚な方で、大村は飛び入りでお邪魔した若輩の私と、お酒を酌み交わしながら、歌に出て来る「お姉さま」のことも話してくれた。




 それによると、満開の桜が散り始めるその下を俥でお嫁に行く「お姉さま」は大村の本当のお姉さん。「花かげ」は自らの姉をモデルにした歌なのである。「花かげ」と詠んだ桜は甲州市塩山にある向岳寺境内のソメイヨシノ。向岳寺は大村の生家から4㌔ぐらい里に下った所。臨済宗向岳寺派の総本山だ。何処に嫁がれたかは定かではないが、そのお寺の満開の桜の下を行く晴れがましい「お姉さま」の姿が目に浮かぶ。恐らく3月の下旬から4月にかけての大安の佳き日だったのだろう。



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 「俥に揺られて…」の「俥」は,その字からも人力車だったに違いない。イメージしただけでものどかな、しかも絵になるような光景だ。田舎のそんな風景があったからこそ、心にしみるような大村の「花かげ」が生まれたのかもしれない。何処も同じだが、今は、この付近もマイカーやトラックで混雑する。人々は人力車も大八車もみんな忘れた。だからだろうか。毎夕6時、防災無線のスピーカーから流れる「花かげ」のメロディーは、いつも新鮮に心に沁みる。




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世界遺産と人の絆

 窓越しに望む富士山は、今日もいつもと変わらない雄姿を見せてくれている。でも今年は、その富士山がちょっとした異変を起こした。外国からの登山客の減少だ。無論、東日本大震災に端を発した福島原発事故の影響。それでも富士山人気が衰えたわけではない。メーンの山梨県側からの登山者は、仮に昨年の28万人を下回ったとしても25万人を下回ることはあるまい。富士山は25日で「お山じまい」。26日には恒例の「吉田の火祭り」が賑やかに繰り広げられた。大鳥居の下で、松明のかがり火に照らし出される浴衣姿の家族連れは、今も昔も変わらない絵になる光景である。


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 「吉田の火祭り」日本三奇祭の一つ。富士山の裾野、お山に向かって一直線に伸びる富士吉田市上吉田の目抜き通りに、延々と並ぶ大松明に火がともり、近郷近在からの観光客がゆく夏を惜しむ。富士山麓は、この時あたりを境にそこはかとない秋のたたずまいを見せ、甲府盆地より一足早く、秋へと衣替えして行くのである。





 その富士山が今、熱く燃えている。山梨・静岡両県が進めている世界遺産登録への準備が大詰めに向かっているためだ。一度は自然遺産の登録を目指しながらも、心無い登山客のポイ捨てによるゴミがネックになって不発に終わった苦い経緯がある。再度の挑戦・文化遺産登録の実現は、待ったなし。両県は再来年の本登録を目指して躍起の作業をしている。静岡県浜松市で開いた中部東ブロックユネスコ研究大会の最後で、そんな話もしながら次期開催地・山梨市ユネスコ協会のプレゼンテーションをさせて頂いた。



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 富士山とともに山梨県人の心のシンボルは、かの戦国武将・武田信玄公。プレゼンでは次期大会のテーマを「ユネスコが育む人の絆と地域の輪~富士山の世界遺産が意味するもの」とすることを明らかにさせて頂いた。「人は石垣 人は城 人は堀なり」。信玄公は人の絆、人の輪を治世の哲学とした。ひるがえって東日本大震災は、この人の絆、人の輪の大切さを改めてクローズアップした。


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 人が病に伏せったり、窮地に立たされた時、否応なく思い知らされるのが、この「絆」。家族の絆もあれば友との絆、地域の絆…。苦しい富士登山を共に励まし合い、助け合いながら山頂を目指すのもそれだろうし、隣近所の友好も、根底には目に見えないそれがある。「俺たち、東京界隈に住む仲間たちが毎月一度、JR船橋駅近くに集まって昼飯会を開いているんだよ」。先日、千葉の船橋に住む日川高校時代の同級生T氏から、そんなメールが。たまたま同じ日、埼玉に住むW氏からは、そんな仲間たちが写った写真のCDが届いた。




 卒業から50年。よく勉強した者、私のようにロクに勉強しなかった者、さらには悪がきも…。≪ぼこ≫の時代のわずか3年。それがベースになって育まれた「絆」は今も成長し続けている。一方、ユネスコの仲間たちは浜松大会を終わって、今度は山梨市での開催に向け準備に入る。人口83万人の政令指定都市・浜松市と、わずか3万8,000人の山梨市。月とスッポンだが、そこには同じような人の絆がある。それぞれの環境や身の丈に合った対応策はきっとある。




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浜松と山梨市

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 山梨市から浜松市は車で3時間半。途中2回のトイレ休憩を挟んでだ。勝沼ICから中央道に乗り、大月JCで同富士吉田線にスイッチ。終点の河口湖でそのまま富士五湖道路(有料)を経て御殿場ICから東名高速を東から西へ一直線。富士川、大井川、天竜川を渡る。天竜川は、あの川下り船の転覆で犠牲者を出した川である。源流は長野県の諏訪湖。




 静岡はこの三つの川を境に「東」、「中」、「西」と分けるのだそうで、でっかく、東西に長い県だ。御殿場から浜松まで高速道路をブッ飛ばしても2時間半近くかかる。浜松ICから愛知県の県境までさらに1時間近くかかるという。浜松と言えば浜名湖。浜名湖と言えば、言わずと知れたウナギ。「明日はうまいウナギを食って帰ろうな…」。


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 9人乗りのワンボックスカーに乗った山梨市ユネスコ協会の代表団は、誰からともなく食い気の話が。もちろん浜松行きは物見遊山の旅行ではない。公益法人日本ユネスコ協会連盟が主催、浜松ユネスコ協会が主管して開いてくれた中部東ブロックユネスコ研究大会に参加するため。大会は4県(静岡、神奈川、山梨、長野)の加盟24協会が持ち回りで毎年開いているもので、特に、来年は山梨市ユ協の当番。準備視察の意味合いもあるのだ。




 浜松大会のテーマは「ユネスコ精神を青少年につなぐ~科学する心から平和の文化へ~」。静岡県知事や地元浜松市長、同教育長などをお招きしての開会式から翌日正午の次期開催地へのバトンタッチまでプログラムは盛り沢山。静岡文化芸術大学理事長・有馬朗人氏の基調講演、浜松ユネスコ協会の活動報告、日本ユネスコ国内委員会や日本ユネスコ協会連盟の報告、さらに参加協会の実践発表など、次々と続く。一日目の夜には和やかな交流レセプションも。


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 ユネスコ(UNESC)は地球規模の自然や文化の保存、つまり世界遺産登録が人々にその名をポピュラーにした。ちょっと説明を加えればUnited Nations Educational, Scientific and Cultural Organization(国際連合教育科学文化機構)の略。教育や文化の振興を通じて戦争の悲劇を繰り返さない、という理念のもとに定めたユネスコ憲章の前文は「戦争は人の心の中に生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」と述べている。我々が取り組んでいるのは、その民間レベルの活動だ。




 研究大会では各地の優れた活動の実践例が発表される。しかし中部東ブロックにとどまらず、我が国の民間ユネスコ活動の実態や基盤は必ずしも順風満帆、盤石ではない。活動母体の高齢化は各地で進み、若い人たちが思うように続いて来ないから組織の弱体化は隠せない。あちこちに≪光と影≫が見え隠れするのである。大会の最後で行う次期開催地のプレゼンテーションでは、こんなことを申し上げさせていただいた。



 「山梨での大会は、みんなで足元を見つめ直し、自らや日本の民間ユネスコの将来を考えたい。どうか、そんなお気持ちで、山梨におい出て欲しい。ご歓迎を申し上げます」



 浜松市は人口83万人の政令指定都市。山梨県(88万人)に匹敵する。同市と形の上で肩を並べる山梨市は3万8,000人。協会の置かれた環境も異なる。加盟協会の姿、形もまちまちだ。




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科学する心

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 物理学者。俳人。政治家。文化勲章受章者。よく考えれば、面白い経歴の持ち主だ。有馬朗人。東京大学の総長を務めたり、文部大臣、科学技術庁長官も。81。ますます意気盛んだ。そんな有馬さんのお話をお聴きする機会があった。




 ユネスコの中部東ブロック研究大会が開かれた静岡県は浜松市のホテル。公益法人日本ユネスコ協会連盟(松田昌士会長)が主催、地元・浜松ユネスコ協会(小畠逞壮会長)が主管して開いた催しで、同ブロック4県(静岡、神奈川、山梨、長野)の代表、約150が集まった。会場にはユネスコ関係者のほか、地元の小中高校生も招かれた。


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 大会の基調講演に登場した有馬さんはそんなことも配慮してくれたのだろう。講演のテーマは「子どもたちの科学する心と世界の平和~理科教育の未来について~」。二人のお弟子さんを連れて来て電流実験をさせながら、まずは子供たちに。



 「どんなことでもよいから楽しんで学んでください。小学生時代には、しっかりと基本的なことを学ぶことが大事です」



 この中では「伸び伸びと楽しみながら」という言葉を強調し、


 「学校で学ぶことはもちろんですが、家の仕事を手伝ったり、家族や友達と遊びながら学ぶことも大切です。ゲームをしたり、公園や野原を走り回ったりする遊びから学ぶこともたくさんあるのです。学ぶとは頭を使って覚えることだけではなく、手を使って工作をしたり絵を描いたり、習字をすることも含まれます。それ以上に体育をしっかり学び、体を鍛えてください」



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 さらに読書の大切さや、小学生の頃から将来の夢を持つことの大切さを説いた。分かり易い子供向けのような有馬さんの話は、そこに集まる大人たちに向けた子供教育のメッセージであったことは言うまでもない。有馬さんは日本の子供たちの理科や数学の学力を世界レベルで比較しながら、あの「ゆとり教育」を経ながらも決して世界に劣らないことを強調。その一方で、先進国から見た日本のあまりにも低い教育費の実態を憂えた。




 「新幹線はピタリと止まった。あの東日本大震災でも新幹線の事故は微塵も起きず、一つの高層ビルも倒れなかった」



 日本の科学技術の優秀さを言外に強調しながら、「天災や人災から人々を救うのは科学だ。言論でもなければ、ましてや(軽い)弁論でもない」と。



 有馬さんはさらに地球の温暖化が「今いる地球上の人口を60億から、やがて10億に減らす」と予測して見せたり、わずか4%のわが国エネルギー自給率を憂い、「なぜ第二次世界大戦が起きたか。軍部云々もあるが、背景にはエネルギー確保のための外交努力があった」とも話し、再生可能なエネルギーの開発、確保はもちろん、「動かせる原発はきちっと動かしていかなければならない」と、話した。確かにそうだ。有馬さんはそこまで言及しなかったが政治家が「政治主導」の力みや安易なポピリズムから言うのではではなく、科学者のしっかりした根拠の上に「原発」の判断を下すべきだろう。そうしないと…。




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スズメバチのいたずら

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 被害者が子供でなく、大人でよかった。被害に遭った人にはお気の毒だが、正直、そう思った。埼玉県に近い山梨県境の秩父多摩甲斐国定公園の一角、乙女高原で子供達とキャンプ中、指導者の一人がスズメバチの襲撃を受けた。被害者はこの春、小学校の教頭先生を定年退職した男性。根っからの田舎育ちで、体も大きく、逞しい。



 しかし、スズメバチの方が強かった。傍(はた)でも分かるほど見る見る顔色を蒼白にし、嘔吐までさせた。慌てて車で山を下ろし、里から駆け付けた救急車との連係プレーで山梨市の総合病院へ。顔面蒼白もそのはず。血圧は100を下回っていた。病院ではすぐさま点滴などの治療が施されたことは言うまでもない。



 マイカーと救急車のリレーで病院に担ぎ込んだ先輩格の指導者男性は、当時の模様をこう説明する。



 「俺ねえ、一時は生命に関わる事態、と慌てましたよ。それほど、彼の症状はひどかった」


 「バカ言え、お年寄りでもあるまいに、60男がスズメバチくらいに命を取られるなんてことがあるもんか。田舎の人間は、誰しも一度や二度、ハチ刺さされの経験はある。免疫になっているよ」


 周囲の動揺を抑えるためもあるが、正直、免疫性を信じていた。ところが、免疫性とは全くの逆であることを初めて知った。ハチの毒は免疫を作るどころか、二度、三度と刺される回数が増えるにつれて重症化するのだという。


ハチ
 

 私たちは子供の頃、夏のこの時期、山でなくても家の周りで、よくハチに刺された。アシナガバチを「足っ吊るし」と言うのだが、田舎のわんぱく小僧たちは、アシナガバチの巣を取ってはハヤ釣りの餌にした。ハチだって易々と「我が子」を取らせるはずがない。


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 こんな時、誰ともなく「小便でも付けておけ」。わんぱく小僧たちは小便に含まれているアンモニアが、その≪特効薬≫と信じて疑わなかった。アシナガバチより強力なスズメバチだって同じ。家の軒先などに巣作りしたスズメバチを突(つつ)いて逃げるものだから、ハチが怒るのは当たり前。大群に追いかけられて、結果はご想像の通り。




 スズメバチの被害者氏。点滴などが功を奏して、その日の夜には正常を取り戻すのだが、ショックは隠さなかった。医者からは「今度、刺されると、もっと症状は重くなります。万一の場合、この注射を打って…」と、予防の注射液を渡されたという。


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 「被害者が子供でなくてよかった」。被害者氏にもそんなことを言ったのだが、もし子供だったら…。考えただけでもゾッとする。いくら野外の生活体験と言っても大切な子供さんを傷つけるわけにはいかない。そんな言い方をしたら叱られるだろうが、今時のお母さんなら、きっと大騒ぎ。ユネスコ協会が45年もの間、続けてきた伝統の国際子供キャンプも一瞬に吹っ飛ぶかもしれない。キャンプは来年も実施する。もっともっとさまざまな事態を想定して対処しなければならないことを肝に銘じた。




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子供たちの歓声

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 子供キャンプの参加者は、公募だから山梨市を中心に甲府、笛吹、甲州など山梨県の各地から集まった。約30人。いずれも小中学生である。乙女高原。埼玉県に近い奥秩父山系の一角で、子供たちの屈託のない歓声が周りの山々にこだました。福島原発事故の煽りを受けて外国の子供たちが激減、その分、全体の参加者が減ったことが気になったが、子供たちは元気いっぱい二日間の野外生活を楽しんだ。その子供たちには20人近い指導者が付いた。みんなボランティアである。




 主催は山梨市ユネスコ協会とユネスコみどりの会。国際理解や相互理解をコンセプトに毎年、夏休みのこの時期に開いているもので、今年で46回目。一度も休んだことはない。企画の立案に始まって参加者の募集。その間、何度も準備のための打ち合わせ会を開く。山梨市教委の幹部職員もいれば、学校の先生、民間のサラリーマンもいる。もちろん、山梨だからモモやブドウなど果樹栽培農家も。小中学校の校長経験者もいて、子供たちの扱いには慣れている。


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 それよりも何よりも、長い歴史の中で培ったノーハウが、いざとなればモノをいう。しかし裏を返せば、その慣れが怖い。スタッフ会議では、主催者の幹部がいつも緊張感の保持や場面、場面での細心の注意を促す。万一の場合を想定、広域消防本部と掛け合って救急車の確保や、山梨市内の総合病院の協力を求めての緊急医療体制も準備している。傷害保険の加入は当たり前だ。備えあれば憂いなしである。




 開校式で始まり閉校式で閉じるキャンプのプログラムは多彩。歌やゲーム、野外クラフトやナイトウオーク、日中のハイキングもする。今年の野外クラフトは原始人にタイムスリップしての火起こし体験。キャンプファイヤーに代わってのナイトウオークは肝試しを演出し、日中のハイキングはコースの所々にクイズを仕掛けたウオークラリー方式。その指導者はメンバーでもある市教委の社会教育主事である。さすがプロだけあって子供たちを引きつける手立てに抜かりはない。




 子供たちが一喜一憂、和気あいあいするのは飯盒炊さんの食事作り。慣れない手つきでこの日のメニューのカレー作りや牛丼作りに挑戦した。ジャガイモの皮を剥き、玉葱を切り刻む。もっと苦戦するのはかまどを作っての煮炊きである。電気炊飯器に頼り、第一、お母さん任せの子供たち。包丁の使い方も知らなければ、火の燃やし方も知らない。ほとんどの子供たちが初体験。


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 いつもの年だと、これに米国や西欧諸国、ブラジルや中近東、中国や韓国の子供たちも加わる。そんな光景を想像してみてください。様々な国の言葉が飛び交い、それは賑やか。顔や目の色、言葉や国境が違っても子供たちは臆することなく、すぐに仲良しに。電気炊飯器も冷蔵庫、テレビもない大自然の中での共同生活。このキャンプが持つテーマの「国際交流」にとどめず、人間がややもすると忘れかねない何かを気付かせてくれるような気がした。来年は香港だけでなく、多くの外国の子供たちが戻って来てくれるといい。




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子供キャンプの異変

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 福島の原発事故は、こんなところまでシワ寄せするのか。私たちがもう45~6年、一年も欠かさず続けているユネスコの国際子供キャンプ。文字通り、日本の子供たちと外国の子供たちの交流の場だ。ところが今年は、外国の子供たちの姿が消えた。放射能に怯え、山梨県にもいっぱいいた外国人子弟が次々と母国に帰ってしまったのである。夏休み中の野外行事・子供たちのキャンプにまで福島原発ショックは響いて来た。




 もちろん、山梨県で福島原発に端を発した放射能汚染が検出されているわけではない。全国各地で雪崩的に起きた緊急避難の日本脱出だ。いつもの年だと20人を超した外国人の数は、わずかに3人。東京に住み、新宿副都心に近いJR山手線高田馬場駅そばの日本語学校に通っているという香港人。たまたま山梨県出身の先生の勧めで参加してくれた。


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 一人は梁さん(男性)、残る二人は陳さんという姉妹。梁さんは、こんなことを言った。


 「放射能が怖くない、と言ったらウソになりますが、山梨のように遠く離れた所で過敏に反応するのは、ちょっと疑問。でも香港に居る親たちは、そんな理解はありません。私の親なんか『早く帰って来い』とうるさくてかないません。本当は私だって日本語学校の勉強が残っていなかったら帰りたいのですが…」


 複雑な心の内をのぞかせた。さらにこうも言う。


 「私たちは日本に居るので、放射能汚染の実態はなんとなくわかるのですが、香港に居る親たち、つまり、外国の人たちは日本中が放射能で汚染されていると受け止めているのではないでしょうか


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 私の従兄弟がハワイにいる。90歳近い老夫婦だが、震災前まではこの春か、秋の訪日を楽しみにしていた。ところが震災、特に福島原発の事故が報じられてからと言うもの、ピタリと訪日を言わなくなった。従兄弟は大学を卒業して間もなく、父親の商社を手伝うためハワイに渡った米国国籍の日本人。66年前の終戦の時には米国の軍属として日本に進駐した。奥さんも日本からめとった生粋の日本人夫婦である。




 大学までを日本で暮らし、戦後の何年かは東京など各地で過ごして、日本をよく知っているはずの≪日本人≫がハワイの地から見れば、日本中が今、放射能で汚染されているような錯覚に陥るらしい。ましてや地図の上でしか知らない外国人にしてみれば、小さな島国・日本をひとくくりに見るのは、むしろ自然かもしれない。その説明は誰かがしなければならない。ここでは小難しいことは言いたくないが、説明ベタの政府の責任は大きい。




 埼玉県に近い山梨県境の秩父多摩甲斐国定公園の一角にある乙女高原一泊二日のキャンプを楽しむ子供たちの意識の中には原発事故や放射能汚染の恐怖などどこにもなかった。大人たちのカウンセラーや指導者を含め、約50人の参加者は、テレビや新聞で繰り返される放射能騒ぎの外で二日間を過ごした。


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 そこには、むやみとも言える過敏な反応や、時に福島などからの避難者を差別し、傷つける大人もいなければ、言われもない風評をまき散らす人たちもいなかった。




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刺青とMRI

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 結果的にはMRI検査技師さんの説明でナゾは解けるのだが、看護師さんの問診が不可解に思った。MRI検査室に誘導する前、若くて綺麗な看護師さんは手持ちの問診票に沿って一項目ずつチェックしていく。


 「入れ歯はありますか?」、「体の中に金属が入っていませんか?」、「刺青は?」。



 さて、どうして刺青の有無まで聞くのか。咄嗟に「ありますよ。背中に桜吹雪が…」と言ったら、その看護師さん、怪訝に、しかも真面目顔で「本当ですか?」。「冗談、冗談…」と言ったら「おからかいにならないで・・・」とホッとしたようにニッコリ笑った。


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 それもその筈。MRIという検査機器は唯一、金属を嫌うのである。文字通り「磁気共鳴装置」だから、データを壊すばかりでなく、機械まで壊してしまうのだそうだ。億単位の投資をした最新鋭機器を一瞬に壊されたら病院にとってたまったものではない。でも、どうして刺青が? 検査技師さんによれば、刺青の墨には金属成分が入っていて、それに磁気が反応して火傷を起こすケースがあるのだという。


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 「刺青をしている人の多くが≪怖い世界の人≫。もちろんそんな大きな火傷ではなかったのですが、大騒ぎしたケースがあるんです。だからと言うわけではありませんが、当院では安全管理上、刺青のある方は検査をお断りしているのです」




 なるほど。看護師さんの困った顔が頷けた。それにしても、あの綺麗な刺青が磁気に反応するとは…。街のリゾート温泉で、刺青男と一緒になったことがある。いずれも50歳代から60歳ぐらいの人で、ある人は背中から二の腕にかけて桜吹雪が。時代劇に出て来る「遠山の金さん」顔負けの見事なもの。また、ある人は背中一面に仁王様が。等身大で、今にも背中から飛び出してきそうな、これまた見事な絵だった。




 見るからに怖い「その世界のオジサン」と知りながらもジッと見とれた。

 「てめえ、いい度胸をしているじゃあねえか…」

 私の顔を睨みつけるように見ながら、凄んで見せた。


 「いやいや、あまりにも見事なんで、見惚れちまったよ」


 人間とは不思議なもの。全身と言っていい刺青を背負い、いかつく凄んで見せる≪その世界≫のオジサンも目を見て話せば、何か心が通じるものだ。たまたまかもしれないが、その湯船は二人だけ。話しているうち、なぜか打ち解けて二人は四方山話を。




 「今は肌がきれいだから、刺青が映えるが、年取ったらどうなるのかねえ…」


 「こいつは若いころ粋がって彫ったものだが、お旦那が言うように、年取ったらお荷物さ。消したくたって消せねえんだよ。こういう温泉施設だって玄関口には『刺青のある方は…』と、敬遠される。しらばっくれて潜り込んでみたとしても、周りの人はみんな逃げちまう。嫌われ者さ。この湯船、お旦那と二人きりになっちまったのもそのためさ。お旦那みたいな人、珍しいよ…」



 刺青はMRIばかりではなく、みんなが嫌うのだ。




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MRI検査

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 「今の科学、この音、なんとかならないものか…」。ピー、ブー…。大きく分ければ二つの波長の音が、単発的に、また断続的に続く。でも、その音は我慢が出来ないようなものでもなければ、不快感を伴うものでもない。小さなドームのような所で、目隠し状態で横たわって20分前後。なにも考えることがないので、そんなことを漠然と考えていた。




 山梨市の民間総合病院で、MRIによる検査を受けた時、検査を終えて身支度を整えながら担当の技師さんにそんなことを言ったら、その技師さん、ニコニコしながら「それはね~・・・」と、MRIについて説明してくれた。




 「MRIとはMagnetic Resonance Imaging Systemの略で、磁気共鳴画像装置のことを言うんです。磁場と電波を使って、体の中を画像撮影するんですよ。X線による撮影ではないので、被曝の心配もありません。脳の中や脊椎などCT(Coputed Tomography)が苦手な部分の断面画像を撮影してくれるんですねえ。断続的に繰り返される大きな音は磁場を変化させるためのものなのです」



 「へえ~、知らないということは気楽ですね。音を出さなければ、この機械、用をなさないんだ…」


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 もちろん、私のような盆暗な人間に、その詳細が分かるはずもない。ただ「磁気共鳴画像装置」と聞けば、磁気に音を共鳴させる、ことぐらいは文字通りだから、なんとなく分かる。とにかくレントゲンやCTを進化させたものだと思ったら全くの大違い。CTが輪切りの断層画像をとってくれるのに対し、MRIは、縦横自在の断層写真を撮ってくれるのだそうだ。しかもレントゲンやCTのように放射線は全く使わない。




 このMRI検査。もう2~3か月以上も続く首から肩にかけての痛みに耐えきれなくなって駆け込んだ病院でのレントゲンに次ぐ高度の検査。2年前、自らのトンマが原因でもたらしたムチ打ち症の後遺症くらいに考えて我慢していた。「梅雨の時期は、そんな症状が出る」と言われているのも、我慢する要因だった。梅雨が去って症状が収まったり、改善されると思っていたら、一向に…。それどころか痛みは強くなる一方。夜も痛みで2時間おきに目が覚めるのだ。トイレに行き、肩や首を動かして気分転換しては、また寝るのである。


ムチウチ



 昨年秋まで続けていたリハビリ治療をさぼってしまったのがいけなかったのか。そんなことを言ってもあとの祭り。週明けには検査結果が出る。「MRIよ、なんとか原因を見つけ、治療方法を導いてくれ」。そうでなければ、レントゲン検査と同じように「特段の異常は見つかりませんね」で済まされそうな気がしてならない。素人の患者側から言わせれば、今のお医者さんはデータ中心、皮肉な言い方をすればデータが示されないと、何にもしてくれない? 因みに担当医は整形外科。




 とにかく週明けには結果が出る。神頼みだ。明日、明後日の土、日は奥秩父の乙女高原で開く国際子供キャンプに、その翌週の土、日はやはりユネスコの中部ブロック研究大会で静岡県の浜松市へ行かねばならない。いくらボランティアと言っても首筋や肩が痛いからと言って音を上げたり、ずっこけるわけにもいくまい。




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ふたつのヒマワリ

 過ぎし日のこと、つまり、昔のことを頻繁に振り返るのは歳取った証拠、という。しかし、生きとし生きるもの、その長短はともかく、みんなに「昔」がある。その「昔」は、過ぎてみればみんないい思い出なのである。例え、手痛い失敗や苦しく、辛い過去だったとしても、それを乗り越えて今に居るのだから、いい思い出であって不思議ではない。人にはさまざまな思い出があるのだ。


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 ナスやキューリ、枝豆などを植えた畑の草取りをしながら、時折、腰を伸ばしては額の汗を拭い、女房が用意してくれたペットボトルの水を飲む。塩が入っている。レモンの香りも。ガブガブと飲む。うまい。汗をいっぱいかき、野良でむさぼるように飲む水は何物にも代えがたい清涼剤だ。




 目の前には盛りを過ぎたヒマワリが。木陰に腰を下ろして一服、そのヒマワリを見るともなく眺めていたら、前回もちょっと書いたが、ふとゴッホ「ひまわり」を思い出した。東京・新宿副都心にある安田生命の東郷青児美術館が所蔵するゴッホの代表絵画だ。


ゴッホひまわり_convert_20110810221734


 もう25年ぐらい前のことである。「この『ひまわり』を山梨に持って来ることは出来ないか」。山梨には「種をまく人」「落穂拾い」などミレーの絵画をメーンに所蔵する県立美術館がある。ここで「ミレーとゴッホの出会い」を目論んでみたのだ。




 JR中央線甲府駅から特急「あずさ」に乗っては新宿へ。安田生命の幹部氏を介して何度となく、美術館と掛け合った。


 「ミレーとゴッホの出会い。それも山梨で。面白い企画ですね。でも・・・」



 「でも?」


 「そうです。問題が二つあります。一つは移動中の振動などで、絵が破損しないかということです。ご存じのようにゴッホの『ひまわり』は油絵の具を重ねています。わずかな振動でも、絵の具が欠け落ちる危険性があるのです」



 「よしんば、これは慎重に対処さえすればクリアできるかもしれません。問題は二つ目です。当美術館には、これまでにも全国の地方美術館から貸し出し要請が相次いでいます。裏話をしますと大物政治家まで動員して来るケースもあるんです。でも、ことごとくにお断りして来ました。一つにお貸しすれば、収拾がつかなくなるからです。バルビゾン村ではなく、山梨での『ミレーとゴッホの出会い』、確かに面白いんですがねえ…」


種をまく人



 水面下でのこの企画。結局は不発に終わった。因みに、このゴッホの「ひまわり」は当時、60億円で取引され、世の中をアッ、と言わせた。その10数年前、山梨県が手に入れたミレーの「種をまく人」は、確か3億円弱。我が国のバブル経済がそうさせたもので、ゴッホの「ひまわり」の数年後には、誰の作品だったか、一枚の絵画が350億円にも。




 畑の片隅や植込みの中で咲くヒマワリは、手をかけて植えたものではなく、昨年の種が落ちて自生したもの。ペットボトルの水を飲み、一服しながら眺めるヒマワリ。仕事の上とは言いながら、それなりに夢中でぶつかっていった若い時分を無意識に≪ふたつのひまわり≫と重ね合わせていた。



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百日紅とヒマワリ

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 今年も百日紅(さるすべり)の花が咲いた。その下ではヒマワリが黄色い首を振り、緑が繁茂する我が家の植え込みのちょっとしたアクセントに。どこで鳴くのか蝉の声が熱苦しい。母屋の前で簾のように咲くアサガオが一服の清涼剤でもある。女房がところ構わず植えたラがあっちこっちで咲いている。バラの顔は種類によってまちまち。バラにはシーズンというものがないのか。一年中どこかで咲くのである。


アサガオ_convert_20110809090501



 百日紅とはよく言ったものだ。この花の開花期間は長い。文字通り百日ではないのだが60日は咲いている。7月中旬に花をつけ、9月中旬まで咲いているのだ。我が家の百日紅は、こうしてパソコンを叩く書斎の窓越しにデンと居座って、存在感がある。



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百日紅



 サルも滑りそうなツルツルした幹。直径は30cm以上あって、その太さは子供の頃と変わっていない。恐らく100年、200年の年輪を刻んでいるのだろう。高さは6mを超す。幼い頃は近所のわんぱく小僧たちと木登りして遊んだ。その頃は花なんてどっちでもいいのだ。サル顔負けに木のてっぺんに上っては誇らしげにしたものだ。


 百日紅
百日紅の幹


 あれから云十年。そんな大きな木は邪魔者。植込みの調和の観点からも鬱陶しい。そればかりではない。脚立や梯子が届かず、選定作業がし難くて困るのだ。昨年冬、チェンソーで頭というか上部を思い切って切り落とした。百日紅ばかりではない。チャボヒバや樫、花梨、金木犀、銀木製も同じ。御身大切。梯子や脚立から落ちたら元も子もないのだ。





 百日紅は切り落とした幹や枝の先から徒長枝を伸ばし、その先にまるで穂のような花をいっぱい付ける。ピンクでもなければ赤でもない。やっぱり紅だ。その数は半端ではない。小さな花をいくつも付け、散らした後には次の蕾が開く。いわば蕾と花の追っかけっこである。「百日紅」と言われるように、開花期間を長く保つ所以がそこにある。




 「お父さん、うちのヒマワリ、いつも陽に背を向けているわね・・・」


 植込みの草取りをしていたら女房が畑に近い所で咲くヒマワリを見ながら妙なことを言った。「そんなこと知らねえよ。ヒマワリに聞いてくれ」。そう言ったら「だってお日様に向かって回るからヒマワリと言うんでしょう」。




 お日様に向かって回るかどうかは別にして、このヒマワリという花、よく見ると逞しい。真ん中に無数と言っていい黒い種を付け、その周りに可憐な黄色い花びらを。ゴッホが描いたあのヒマワリである。東京・新宿副都心の東郷青児美術館で見せて頂いたことがある。分厚く油絵の具を積み重ねた「ひまわり」は、脳裡に鮮明に刻まれている。豪快なタッチのヒマワリだった。ヒマワリはミツバチもたくさん集める。


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ゴッホ・ひまわり


 百日紅の花、ヒマワリ、蝉の声…。いつもと変わらない夏の光景である。でも、今年の夏はどこか違う。梅雨がいつもの年より早く開け、途端に猛暑の連続。7月の半ばから35度を超すどころか連日、39度近い気温を記録した。ところが、その下旬になると手のひらを返すように今度は30度以下。8月に入っても、それが続いているのだ。しかも天候も不純。例年、この時期が最も天気が安定、夏らしいはずなのに。やっぱり今年はおかしい。




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富士山銀座

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富士山五合目


 誰が言ったか知らないが、「富士山銀座」とはよく言ったものだ。7月末の日曜日。山梨県側の富士山五合目広場は登山客で、文字通りごった返していた。お昼を前後した頃になると、山から下りてくる人、これから登る人…。人垣を分けるように登山客が行きかう。いくつもある大きな売店やレストランも人で溢れていた。「標高2,305m」の標柱をバックにした記念撮影も順番待ち。それどころか、その標柱も人混みの中に埋没していた。


富士山と雲


 吉田口、鳴沢口、河口湖口、御殿場口・・・。富士山への登山口は山梨県側と静岡県側にいくつもある。中でも人気でポピュラーなのが吉田口。山梨県立富士ビジターセンターの近くから有料自動車道「スバルライン」が五合目まで延びているので、富士山に向かう多くの人たちの登山口は、この五合目。マイカーや乗り合いバスでやって来るのだ。




 私たちも富士ビジターセンターの駐車場に車を置き、チャーターした2台の乗り合いバスで五合目に向かった。バスにはざっと60人。山梨県の人権擁護委員の代表たちである。全国から集まる登山客に「人権の大切さ」を訴え、呼びかけるためだ。バスを用意してくれた富士急行も機転を利かせ、車体に人権擁護のラッピングを施したカラフルなバスを配車してくれた。8月6日からはマイカー規制が実施されている。



人権イメージキャラクター

 この「富士山人権啓発」山梨県人権擁護委員連合会が毎年実施しているもので、今年で5回目。メンバーたちは揃いのベスト姿で、五合目広場のあちこちにのぼり旗を立て、チラシやグッツを配って人権思想の高揚を訴えた。グッツは法務省と全国の地方法務局、それに全国の人権擁護委員連合会がマスコットに定めている「人権まもる君」と「人権あゆみちゃん」のストラップ。可愛らしいデザインのグッツとあって約3,000のストラップはあっという間になくなった。

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 「頭を雲の上に出し 四方のお山を見渡して 雷様を下に聞く 富士は日本一の山♪」

富士山1


 ご存じ、文科省唱歌「富士山」だ。その富士山人気はここ数年、高まる一方。昨年は、山梨県側から登った登山者だけでも28万人にのぼった。その原動力になっているのはツアー客、つまり、富士登山の団体さんだ。五合目の広場には、その団体さんを乗せた富士登山のツアーバスがひっきりなしに到着する。そのバスからは40人前後の登山客が吐き出されるのである。広場のロータリーは目白押しのバスで混雑に拍車をかけていた。


五合目_convert_20110806221343


 旅行社が登山者を募っていることは言うまでもない。四国の香川からの団体さんも。日本人ばかりではない。中国人や韓国人も多い。言葉ですぐ分かる。欧米人は顔形で歴然だ。みんなカラフルな登山装備で身を固め、日本一の山に挑む。小さなリュックを背負い、金剛杖やスキーのストックを持っている人も。山ガールの姿も目立つ。その日のうちに7・8・9合目まで辿り着き、山小屋で休息、翌朝を待ってご来光を拝むのである。




 今、山梨、静岡両県はユネスコの世界遺産(文化遺産)登録を目指して大詰めの作業中。再来年秋の登録実現はほぼ確実。そんな動きも富士山人気に拍車をかけているのかも。因みに富士山の高さは「み・な・な・ろうよ(3,776m)富士山のように」と覚えるといい。




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ボケの前兆?

 「オレ、最近、やたらと忘れっぽくなっちまった」


 「オレもだよ…。思いがけなく街で出会った知人の名前が、どうしても出てこないんだ。あれ、困るねえ。今更、『お前、名前は何だっけ?』などと聞くわけにもいかないし…。そのうちに思い出すさ、とタカをくくるのだが、結局、最後まで思い出せないんだよ」


 同級生の無尽会などで酒を酌み交わしながら、こんな会話がしばしば出るようになった。

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 「オジサンたち、嫌だねえ。それって、ボケの前兆じゃあないの」


 お若い方々からは、そう言われ、笑われるだろう。おっしゃる通り。「俺たち、ぼつぼつボケが始まっているかもなあ…」。みんな、そんなことを言う。でも本当はそう思っていない。と言うより、そう思いたくないのだ。




 そんなたわいもない、それでいて疑心暗鬼な話をしながら、ふと、ある人を思い出した。もう40年ぐらい前のことだが、その方は甲府市長をお努めになっていて、仕事上も個人的にも懇意にさせて頂いた。もう鬼籍に入って久しい。




 ある時、甲府の中心街・平和通りの歩道を二人で歩いていた。「やあ~、市長さん、お久しぶり…」。「おお~、久しぶり…」。前から歩いて来た同年輩の男性と、この市長は、いかにも懐かしそうに、しばらく立ち話をした。



 そこまでは、どこにでもある光景。問題はそこから先である。


 「おい、待たせて悪かったな。ところで、今、オレが話していたヤツ、誰だったかなあ…。オレ、何としても名前が思い出せないんだよ。あなたなら知っているはずだ」



 あれほど親しそうに、しかも握手までして話していたのに…。この市長の言動が信じられなかった。私?30歳になったかならない頃だった。漫談家・綾小路きみまろではないが、「あれから40年」。この方の当時の言動がよく分かる。逆算してみたら、この人、今の私と同じぐらいの年齢だった。

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 人間とは≪忘れる動物≫だという。負け惜しみではない。だいぶ前だが、ある心理学者が著書の中で私たち凡人にも分かるようにこんなことを書いていた。



 「人間の頭は、そもそも忘れるように出来ている。どっちでもいいことや都合の悪いことは、どんどん忘れるんです。もし、見たもの、聞いたもの、特に、嫌なことや怖い体験を忘れることが出来なかったら人間は、心理的にも滅入ってしまいます」



 確かにそうだ。コンピュータではないんだから。でもこんなことも言う。


 「みんな忘れてしまうかというと、そうではない。ある程度のインパクトを持ったものは、脳の中のどこかの引き出しに入っている」




 ただ、この先生、年齢と脳については説明していなかったような気がする。忘れっぽいのが、そこから来ているとしたら救いようがないのか…。そう言えばひとつ違いの女房も「お父さん、あれなんだっけ?」とよくやる。「あれじゃあ分からんじゃあないか」と言うと「あれですよ」とまた。やっぱり脳の回線ソフトが老朽化して来ている証拠かも。

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娘の強歩大会

 上州路から信濃路を経て甲斐路へ。群馬県の草津から山梨の我が家に帰る道のりである。甲斐路と言っても途中からは高速道路・中央道。かみさんと娘夫婦を伴って、ゆっくり草津の湯に浸かり、帰りは山梨まで一直線。草津、軽井沢、鬼押し出し、佐久、野辺山、清里、須玉IC。古くは中山道から途中、佐久で佐久往還(国道141)にスイッチするのである。島崎藤村が「小諸なる古城のほとり 緑なすはこべは萌えず・・・」と詠んだ小諸は佐久のすぐ隣、上田寄りだ。


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甲府第一高等学校・強行遠足(写真:HPより)


 「お父さんねえ、甲府一高伝統の強行遠足(剛健旅行)は、この小諸まで来たんだよ。100キロぐらいあったのかなあ。でも、小諸のゴールは男子のこと。女子はずっと手前の松原湖まで。40キロぐらいだったと思うよ…」


 「そうだなあ…。そんなこともあったっけなあ~」


 もう24,5年も前のこと。一人娘で、しかも年寄りっ子に育った娘。のほほ~ンと言ったら叱られるが、のんびりと育ち、闘争心もなければ、根性もなさそうな娘が最後まで歩けるか、内心心配したものだ。


強行遠足 1


 そんな心配をよそに、娘は3年間、立派に完歩した。成績など二の次。正直言って内心ホッとした。親バカちゃんりん。足を引きずり、精根尽きたような姿で帰って来た娘を見直しもした。つい、この間のことのように覚えている。




 「男子は学校のグラウンドからのスタートだったけど、女子は高根町(八ヶ岳山麓の清里近くの町)の高根東小のグラウンドから。最初はみんな走るんだけど、長続きはしないんだよねえ…」「この辺の上り坂が一番きつかったんだよ」



 自らが苦労して歩いた道だけに20年以上も経つ今も記憶は鮮明に残っているらしい。



 「でもねえ、あの頃と道はかなり変わっているわねえ…」


 時代は容赦なく人々の記憶にある環境をも変えていくのである。


 「お父さんだって歩いたんだぞ。山梨市から東京の新宿までだ」



 昭和33年秋。日川高校の1年坊主の時だった。考えてみれば、もう53年も前のことだ。大会は山梨市の甲州街道(国道20号)沿いにある学校から一路新宿へ。ゴールは今のJR新宿駅南口。距離約120キロ一昼夜をかけて歩くのだ。ここでも伝統の強歩大会は時代の荒波にさらされた。ぼつぼつ始まり出していたモータリゼーションの影響である。


日川     日川2



 明治期以来続いて来た伝統の新宿コースは、この年を最後に終止符を打ち、翌年、新たに長野・松本コースに切り替えた。つまり、甲州街道を東から西に変更したのである。しかし、ここでも時代の波はいたずらし、交通事故が。いたずら小僧のちょっとした悪行が誘発したものだが、今のように学校側は≪社会の目≫を気にする時代に入っていた。



 これが長い強歩大会の歴史にダメを押した。しばらく中断し、今は車が少ない≪山岳コース≫を歩いている。血豆を作り、足を引きずってでも歯を食いしばって歩く。忍耐力を培う強歩大会は、なぜか若者たちに今も支持されている。高校時代のいい思い出なのだ。




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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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