TPP

世界_convert_20111129162253


 TPP(トランス・パシフィック・パートナーシップ=環太平洋戦略的経済連携協定)問題。「日本は鎖国を解かなかったら、必ず世界に遅れをとる」。ご近所の果樹農家のオヤジさんは、茶飲み話にそんなことを言った。TPP参加に反対する人たちへの苦言だ。私もそう思う。




 国論を二分しているといわれるTPP参加をめぐる賛成、反対の論議。面白いのは、一皮むけば、みんな立場論。目先の論議に見えてならない。反対の急先鋒・農協さんは「日本の農業は壊滅的な打撃を受ける」といい、経済界は「貿易の土壌拡大」を説く。それはそれで当然の構図かもしれない。

世界地球_convert_20111129163021


 しかし見え見えなのは政治家先生の動き。反対論を唱える先生たちの顔ぶれをみると、農家、農村を選挙地盤に持つ方々。自らの選挙、はっきり言えば保身術。そこには目に見えない政治的な思惑も見え隠れする。踏み切れるかどうかは別にして政界再編もちらつかせる。それもせんじ詰めれば天下国家のためではなく、自らの保身、≪生きる道のなれの果て≫と言ったら言い過ぎか。そこには、どう見ても国家百年の計、はない。




 日本の農家は、あらゆる意味で時の政権の保護政策の上に成り立ち、生きて来た。税制面でも商工業、そこに働くサラリーマンと確実に違った。かつては米価の二重構造、つまり生産者米価、消費者米価を温存した、へんてこりんな政策が長い間続き、農協、農家は時期になるとムシロ旗を立てて、その値上げを訴えた。国は農家のために消費者米価との格差分、つまり穴を惜しげもなく埋めたのである。


米_convert_20111129162515



 そんなことは朝飯前。コメがひとたび生産過剰になれば≪生産調整≫という名の、これまた保護政策をとり、減反者に金まで出した。不労所得である。そればかりではない。農家の育成を大義名分に最近の政権は個別保障という名のバラマキ政策まで。いったいどうなっているの? 百歩譲って≪基幹産業≫と言っている農業が成長したのなら、それでいい。ところが現実は衰退する一方。主観ではない。統計がもたらすデータである。やはり統計で言うならば、農業、特に米の生産高はGDP(国内総生産)のわずか1%に過ぎない。




 かつてサクランボやオレンジを自由化する時、農家は「日本のサクランボ農家やミカン農家は、壊滅的な打撃を受け、絶対に立ち行かない」と、大騒ぎした。しかし、どうだ。サクランボ農家は何事もなかったようにサクランボを作り、ミカン農家も同じだ。山梨市は岩手地区というのだが、その後、一大産地として今も成長を続けている。高品質化はむろん、ハウス栽培などで付加価値を付け、差別化も。荒波であればあるほど知恵を絞る。



サクランボ



 育児と同じ。過保護なやり方を続けていたら、子供は知らず知らずにひ弱になり、気が付いた時には脆弱な社会を作っている。「お前だって百姓のなれの果てじゃあないか」。その通り。後継者はいない。周りを見てもみんな同じ。農業をめぐる光と影。この辺りも日本農業の縮図。TPPという荒波の中ですべてを考え直さないと、行きつく先は…。保護政策は確実に限界。農地法など関係法の見直しも必要だろう。柄にもなく熱くなって、固苦しいことを書いてしまった。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!
スポンサーサイト

ノウキョウさん

 ノウキョウさん。小旗を持ったツアーコンダクターや添乗員が何人ものオジサン、オバサン達を率いて歩く。それが国内であれ、外国であれ、ノウキョウさんが闊歩(かっぽ)した時代があった。我が国の経済が上昇気流に乗り始めた頃であった。自治体関連の公的な海外派遣団ともなれば、ユニホームまで揃えた。ブレザーコートにネクタイや帽子。胸にはこれまた揃いのエンブレムまで。


飛行機


 そんな頃の日本人の外国旅行スタイルと言えば、サングラスをかけ、肩にはカメラ。そのカメラはキャノンであり、ニコン、オリンパス…。ところが小さなデジタルの開発でトレードマークの一つだった肩のカメラはポケットへ。サングラスはまだまだ健在。カメラに代わって登場したのはリュックサック。若者ばかりでなく、それほど背丈がないオジサンやオバサンまで、お尻に引っかかりそうな不格好な出で立ちで外国を歩いている。折からの円高は、外国旅行にはお得。長引く経済不況も、ここではなんのその、である。


旅行



 いわゆるノウキョウさんは、さすがに姿を消した。外見からちょっと見の海外旅行事情だけでも世相の変化を反映している。元気がよかった農協は、どこも元気がない。山梨県の果樹地帯であるこの辺りでは、しっかりしている農家ほど農協を相手にしない。技術面での指導力が伴わないからで、落ち目の農協は、本来の業務である「農業」のウエイトをどんどん削いで、金融機関と化している。一方、降ってわいたように表面化したオリンパスの巨額な損失隠し・不正経理事件は、カメラ業界の一翼を担った同社を足元から揺さぶっている。





 賛成、反対で国論を二分しているTPP(トランス・パシフィック・パートナーシップ=環太平洋戦略的経済連携協定)問題。落ち目と言ったらお叱りを受けるかもしれないが、農協は、反対の急先鋒。TPPに加わったら日本の農業は潰れる、と思っている。農家と言っても専業もあれば、兼業もある。何町歩もの田畑や果樹園を耕作する農家もあるし、2反、3反の畑を耕す弱小農家だってある。作付け作目の中身によってもTPP問題の受け止め方も違うに違いない。


葡萄9月


 現にご近所のブドウ栽培農家は、我が家でのお茶飲み話で、こんなことを言った。


 「TPP? オレはねえ、日本は絶対に参加すべきだと思いますよ。江戸時代じゃああるまいし。鎖国を解かなけりゃあ、すべてに世界に遅れを取る。近世において日本が世界に遅れをとったのは、あの徳川政権の鎖国政策が原因さ。歴史が証明しているんだよ」




 この人は、かつての国鉄がJRに移行するのを機会に職場を退職、ブドウや柿の栽培に真正面から取り組む篤農家。こんなことも言う。




 「オレねえ、思うんだけど、この辺りの果樹地帯は、日本の桃やブドウの生産基地で甘んじていちゃあいけないと思うんだよ。保冷技術の高度化、輸送システムのスピード化は、さらに進む。日持ちの悪い桃ですら輸出が始まっている。貿易を自由化して市場を海外に広げなきゃあ…。そう言うオレたちゃあ少し歳を取り過ぎているがねえ…」(次回に続く)




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!


一枚のアングル

西沢渓谷+001_convert_20111125134826


 オフイスの壁に一枚の写真が飾ってあった。富士山や南アルプスと並んで山梨の名山・八ヶ岳連峰を正面に、その山麓ののどかな田園風景を捉えた写真だった。




 「これですか?これは、あなたもよく知っている○○さんの写真ですよ。いい写真じゃあないですかねえ…。撮影は今年8月下旬。屏風のように捉えた八ヶ岳の前衛に広がる黄金色の田んぼが、いかにも初秋を表現していますよねえ」




 そんな話をしてくれたのは、人権擁護委員としてご一緒させていただいている司法書士さん。人権擁護委員はこの12月いっぱいで、定年退任する。オフイスは山梨市の法務局(出張所)のまん前にあるので、通りかかった折には、お寄りしてうまいコーヒーをご馳走になるのだ。間もなく78歳になるのだが、気さくな方なので、ご迷惑も顧みず、ついつい長居してしまうのである。




 存じ上げなかったのだが、この方もアマチュアの写真家。壁にかかった一枚の写真から、そのことを知った。壁の写真の主は、元は小中学校の校長先生。奥さんは、やはり人権擁護委員だから、お二人ともよく存じ上げている。




 「今日も、『写真を撮りに行っての帰り』と言って、ここに寄ってくれたんですよ。彼は暗いうちに家を出て目的地でカメラを構え、時間に糸目を付けずにレンズを覗き続けるんです。今の私には、そのジチも気迫もなくなりましたがねえ…」


 「先生も写真、おやりになるんですか?」


 「ええ…、ちょっとばかりねえ…。あれは5年ほど前、撮った私の作品ですよ」


 オフイスの壁の反対側にかけられた写真を指差した。その写真は山梨県人ならお馴染みのアングル。秩父多摩甲斐国立公園の一角にある西沢渓谷の「七ツ釜」の滝壷をメーンに据えた紅葉の写真。小さな滝となって落ちる白い水の流れと真っ青な滝壷。その周囲を彩る紅葉。赤や黄色のカエデやウルシ。それをいやが上にも浮き立たせる緑の常緑樹。そのコントラストがまたいい。



 西沢渓谷+002_convert_20111125134621


 話の弾みとは面白いもの。人権擁護委員を仰せつかったのをきっかけに、もう4年近いお付き合いをさせて頂いているのだが、この先生がアマチュアの写真家とは、つゆ知らなかった。オフイスの壁に掛かった一枚の写真の話題がアマチュア写真家の正体に導いてくれたのである。




 この先生と元校長先生とは、どうやら写真仲間のようで、10歳ほど若い元校長先生は写真撮影の帰り道や写真を仕上げた後、このオフィスに寄り込んでは、写真談義をしているのだ。この夏逝った高校(日川)時代の友も自称アマチュアの写真家だった。




 「写真は、同じものを二つと撮ることは出来ない。文章は後からでも取材することも出来るがねえ…。暇と金、もう一つジチがなければできない技なんだよ。つまり、面倒がり屋さんには出来ない技さ」



 そんな友の元気な頃の姿を思い起こした。今頃、黄泉で写真を撮っているのだろうか。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

思わぬ出会い

DSCF2369_convert_20111122213906.jpg


 キルト展を見に行った。その会場、甲府市内なのだが、真(まこと)に分かり難い所。やっと見つけた、と言ったらちょっと大げさだが、そこでお目にかかったのは、なんと一隣家、文字通り隣の奥さんだった。



 「あれ、ひょんなところでお目にかかりますねえ」


 「もう3年以上になります。ここの先生についてキルトを習っているんです」


 「へえ~、隣に住んでいても知りませんでしたよ」



 中学時代の同級生のご婦人からキルト展の案内状を頂いて訪ねた展示場。正直言って、義理での訪問以外の何物でもなかった。この日は山梨県の「県民の日」(11月20日)。その行事にこれも義理で参加した後、分かり難い会場を探しあぐねながら辿り着いたのだ。この日は一日中、冷たい氷雨が。


DSCF2370_convert_20111122214406.jpg



 そこはJR中央線甲府駅からそう遠くない山の手。文教地区の一角であった。私が住まいしている山梨市とは約20kmの所。隣の奥さんは、この春、山梨市役所を定年退職、今は農家の専業主婦。聞けば、もう3年も先生についてグループでキルトを勉強しているのだという。思いがけない出会いだっただけに、何か不思議を感じた。


DSCF2372_convert_20111122214232.jpg



 キルトと言えば、高校時代の同級生の奥さんも、もう長い間、勉強していて、何度か展示会に招かれたことがある。いずれも趣味でおやりになっているのだが、その作品は見事。玄人はだしと言ってもいい。みんな趣味のグループ。中学時代の同級生や隣の奥さんたちのグループは、女性ばかり10人で、毎月2回ずつ勉強会を開いているのだという。勉強会場が、そのまま展示会場になった。




 作品は、そのままベッドカバーにもなりそうな大型のものもあれば、バックやクッションなどの小物もある。高い天井の壁一面に所狭し、と展示された作品は芸術作品と言っていい。大型作品は1年も、2年もかけて製作するものもあるのだそうだ。私のような無粋な人間でも、その素晴らしさに引き込まれる何かがある。


DSCF2371_convert_20111122214101.jpg


 女性のパワーはすごい。女性というより、ズバリ「女」と言った方がいい。男ども、亭主が「仕事」を口述に家庭を空け、もっと言うならば、ないがしろにしている間に、様々な趣味を求め、追求し、極めようとする。それも世間話をするように、あっけらか~ンと、やってしまうのである。




 仕事と言えば聞こえがいい。男ども、亭主どもは仕事の延長線上で酒を飲んでウサを晴らしてみたり、それでも飽き足らず、私のように麻雀をし、朝帰り。今は毎日が日曜日だが、現役時代の日曜日と言えば、「一週間の疲れの解消」を口実にグ~タラ休日。そんな間に、かみさんたちは、趣味の習い事やコンサート、舞台、レストランにも飛んで行く。


 食事_convert_20090430200808


 何の取り得もないと思っていた、うちのかみさん。何がきっかけか知らないが、週に一度、油絵を習い、ペン習字も。その間にはスポーツジムにも。頭も体もリフレッシュするはずだ。「私、忙しいのよ…」。そんな言葉が平気で飛び出すのである。世の女たちが亭主を尻に敷く根拠と背景がそこにある。悔しいが、降参だ。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

臨機応変

麻雀


 車の運転や麻雀もしかりだが、世の中と言うか、日常の中で、物事のタイミングをずらすヤツ(人)がいる。つまり流れに逆らうので、周りの人たちはリズムと言う名の調子を狂わせられたり、場合によっては、イライラさせられるのである。それを逆から見れば「そんなに急ぐことはないじゃないか」と、おっしゃるのだが、まあ~、どっちもどっち。せっかち屋と、のんびり屋の違いかもしれない。



 でも、それが故意であったら、したたかの極みだし、そうでなかったら、ノロマのそしりを免れまい。

車


 「狭い日本、そんなに急いでどこに行く」


 交通事故の防止に絡んで、そんな標語がある。「ゆっくり走ろう 山梨県」。そんな標語もある。「ゆっくり」は「慎重」の裏返し。世の中、慎重に越したことはない。しかし、その人が慎重と考えていても、周りがノロマと受け止めたら意味合いは違う。何事も臨機応変がいい。




 臨機応変。この四文字熟語、うまい言葉だ。その時々に適切に対処するというのだから、これ以上のことはない。人間、みんなが、そんなことが出来たらトラブルも生じなければ、争いも生まれない。万事、物事はスムーズに運ぶに違いない。




 私は勝負事が大好き人間麻雀パチンコはおろか、ひと頃は競馬にも熱くなった。それにも飽き足らず、カジノにも。簡単に行けるソウルばかりでなく、マカオやラスべカスにも行った。こんなことを書くと世のご婦人からは鼻つまみ者のようにひんしゅくを買うだろう。≪ご婦人≫の一人、うちのかみさんからは嫌がられたものだ。


カジノ#12853;



 勝負事には≪男のロマン≫がある。「そんなもの、勝手のロマンよ。勝負事やる人、大嫌いですよ。そんなお金があるなら、おいしいものでも食べた方がいいじゃない」。花より団子。すべてが現実的な、かみさんは、ギャンブル好きの亭主をまるで汚いものでも見るように言うのである。




 大根がいくら安い、と言って安売りのスーパーを飛び回る女房にしてみれば、とんでもないことであるに違いない。世の中、うまく出来ていて、グータラ亭主にはしっかり者の女房がいる。車と同じで、一軒の家にもブレーキとアクセルがあって暴走をセーブしているのかもしれない。臨機応変である。




 どこかの製紙会社の御曹子。なんと100億円を超すお金をカジノにつぎ込んだというから凄い。「オレも一生に一度でいいからどでかい勝負、やってみてえよ」と言ったら、うちのかみさん「あなたバカねえ。そんなこと普通の人に出来る訳ないじゃない」。「そりゃあ、そうだよなあ・・・」。

カジノ
  


 オーナー会社の御曹子。アクセルばかりで会社にはブレーキの機能が欠落していたのだろう。我が家は健在。怖~い、かみさんが、ちゃんとブレーキを踏んでくれるのだ。それにしてもカジノの、あのスリルとロマンは忘れることは出来ない。第一、カジノの雰囲気は最高だ。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

2枚のチケット

 ビリーバンバン

 「奥様とご一緒にどうぞ」


 そんなメッセエージを付けて2枚のコンサートチケットが届いた。ビリー・バンバンのコンサートだった。贈り主はTテレビ局の関連会社の社長。普段は一見、凡庸と構えながらも人への細かい気配りをする方なので、社員からの信望も厚い。




 IT関連の企業を率いるこの社長、元はと言えば、親会社であるテレビ局のサラリーマン役員。だから「ITには決して詳しいわけではない」。「私ゃあねえ、若い社員と、そのアイデアの交通整理役さ。若い連中は一生懸命やってくれるんです。分かりもしない人間が口出しなんかしない方がいいんですよ」と、いつも謙虚だ。その分、対中国や台湾など外交面では時間を惜しまず奔走する。



 そんな人だから、業界にあっても信頼が厚いのだろう。会長などいくつものリーダー役を務めている。同じコンサートチケットにしてもビップ級の席を用意してくれるのである。




 ビリー・バンバンを選んだのも恐らく気配りの一つだろ。ジャリタレ(乱暴な言葉で、ごめんなさいね)のコンサートなど理解できるはずがない、と見込んだに違いない。クラッシックのコンサートだって同じだ。「俺ねえ、クラッシックのコンサートを聴いていて眠ってしまったことがあるんだよ」。そんな話をしたことを覚えていたのだろう。




 ビリー・バンバンは菅原孝・進のインテリ兄弟ユニット。「また君に恋してる」、「さよならをするために」、「誓います」、「めぐり逢い」…。愛をテーマにした詩作と甘い歌声。その上に、なんとなく温かいフォーク・ギターの調べがいい。

また君に来いしてる



 かつて大ヒットしたデビュー作「白いブランコ」は、私のような音痴のオジサンでも、つい口ずさみたくなる曲だ。10年ぐらい前だろうか。ユニット結成30周年を記念して出したアルバム「めぐり逢い」も好きな曲の一つ。年齢的にも同世代だからか、何か共通するものがあるような気もするし、持ち歌にも共鳴するのだ。



 コンサートは2時間強。兄弟ユニットのビリー・バンバンは、最初から終わりまで、たっぷり観客を魅了するのである。立ちっ放し、歌いっ放しの2時間である。


 「お父さんねえ、あのお二人は私たちとほぼ同じ歳なのよ」


 「そうだよなあ…。2時間も歌い続ける体力と精神力、プロとはいえ、凄いもんだよなあ…」


 客席で、オジサン夫婦は独り言のようにつぶやいた。同世代が故に歌ばかりでなく、すべてを自らに重ね合わせるのである。


 ビリー・バンバンは麦焼酎「いいちこ」のCMソングでも有名。「さよならをするために」もCMで使われた。こうしたCMからビリー・バンバンに辿り着いた若いファンも少なくないという。でもこの日のコンサート。ホールを埋めたお客さんは、やっぱり私たちのようなオジサンおばさんが主流だった。主催者も抜け目なく「いいちこ」の会社をスポンサーに。こちらも抜け目なく、麦焼酎「いいちこ」を頂いて帰った。

君の詩 


ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

夫婦の散歩

犬

 「よく歩きますね」

 用事に行く途中、車を止めて、窓越しに話しかけた。

 「ええ、ダイエットのためです。足腰を鍛えるには、これが一番いいんです」


 午後4時。日が短くなったとはいえ、日没にはまだちょっと時間がある。狭い田舎道で、私の車をよけるように立ち止まってくれたご近所のご夫婦。ご主人は私とひとつ違いだから70歳。県の農業改良普及所を定年で辞めた後は奥さんと二人でブドウ作りをしている。




 ご主人が犬の手綱を引き、奥さんは、その犬の糞を処理するための小さなスコップと袋を持っていた。二人ともジャンパーを着て、真っ白い軍手をはめている。立冬を過ぎて、朝夕はやっぱり冷え込む。



 この辺は全国的にも、ちょっとは知られた枯露柿の産地。毎年のことながら11月の声とともに柿の皮むき作業を始める。主には粒がひときわ大きい甲州百目という品種である。枯露柿づくりをしない人たちは、この時季が一年中でも一番、暇な時。時を争わない肥料かけや、剪定作業までには時間がある。この時期の肥料かけは≪お礼肥い≫という。そんな作業の合間。地域の仲間や無尽のグループなどで旅行をするのもこの時期なのだ。みんな、それなりの収入があるから、国内もあれば、外国旅行も。結構、豪勢だ。


枯露柿


 それほど遠くない同じ地区の人でありながら普段、そんなに緊密に話すことのない二人は、車の窓越しに話を交わす。交通量など気にしなくてもいい田舎道なので、すべてが、のんびりしているのだ。



 「俺ねえ、農業地帯(この地域)に住んで、歩くことなど当たり前と思っていたんですよ。ご存じのように、俺は百姓。ところが、よく考えてみたら、意外と歩いていないんです。家から畑までの行き帰りは軽トラック。畑の中も機械なんです。消毒も機械。除草や耕運も機械。体を使っていないんですよねえ…」


 「忙しいところ、足を止めさせてすみませんねえ…」



 男同士の、そんなたわいもない会話に、一緒に歩いていた奥さんは言い訳じみて言った。



 この道路は狭いながらも車が通ることが可能だが、私の家の前を通る道は、いわゆる三尺道。車は通れない。郷土史研究家によれば、もともとは隠れ秩父往還。つまり、甲斐と秩父を結ぶ古道。古い道は多くは忘れられていく存在なのだが、あにはからんや、結構、利用者は多いのだ。散歩者である。


裏道2


 車が走れないから逆に、地域の人たちにとってはウォーキングに格好の道である。畑仕事を休んで、こうしてパソコンを叩いていても窓越しに見える古道には朝に夕にウォーキングの人が。ご夫婦で一生懸命歩く人もいれば、犬を連れている人もいるし、一人でのんびりと歩く人もいる。



 山梨市と言っても甲府盆地の片田舎。そもそも農村地帯だから、元々は、散歩だとか、ましてや、健康づくりのためのウオーキングなど考えも及ばなかった地域である。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

足の退化

靖国神社


 地下鉄を降りたら、目の前に靖国神社の大鳥居が。東京は九段下。関東ブロック1都10県連の人権擁護委員代表の研修会と事務局長会議の会場になった東京法務局は、そこから目と鼻の先。歩いて7~8分の距離だが、久しぶりの東京の道は、やたらと遠く感じた。歩くのが遅いばかりではない。すれ違う人が多いから、気分的にも疲れる。そんな田舎者をよそに後ろから来る歩行者はどんどん追い越していく。ホテルや懇親会場への道も同じだ。


都会



「東京は人が多いよなあ・・・。あんなに沢山の人、どこから湧き出て来るのかねえ…」


 山梨市の片田舎。二日にわたった会議を終え、我が家に戻ってホッと一息。そんなことを独り言のように、つぶやいたら、うちのかみさん、


 「お父さん、何言っているのよ。そんなこと当たり前じゃあない。山梨県は90万人足らずだけど、東京には1,200万人もの人がいるのよ。昼間人口となると、その3割増くらいになるんじゃない…」



 そんなことは分かっている。私が言いたかったのは、人が多くてくたびれるということだ。まだ、そんな年齢ではないから≪歳のせい≫ではないだろうが、足が弱くなったことだけは確か。勤めをリタイアして田舎暮らしにどっぷりつかったツケかも。都会の雑踏に着いていけなくなっている自分を実感せざるを得なかった。


 都会


 つい10年、いや5~6年前までは、そんなことを感じさえもしなかった。むしろ、その雑踏が小気味よく、いい刺激にもなった。私たち山梨県人はJR中央線の先にある東京・新宿を山梨の表玄関のような所と受け止めている。特急の「あずさ号」や「かいじ号」で新宿駅に降り立ち、雑踏の中にハマると元気をもらうような刺激さえ覚えたものだ。夜のとばりが下りて歌舞伎町のネオンを見ると心が騒いだ。若い時は、ぼったくりバーを半ば承知で、飲み歩いたことも。


都会


 ところがどうだ。そんな時代がウソのように列車を降りて見る人、人、人が、うんざりするのだ。そればかりではない。そこからまたJRや地下鉄(メトロ)への乗り換えだってある。アクセス通路がまた長い。切符売り場ばかりでなく、特に地下鉄の場合、出口でハタと戸惑うのだ。若い頃はそんなことは絶対なかった。日常の習慣や慣れもあるのだろう。まるで泳ぐように歩く都会の人たちを尊敬したくなる。





 足が弱い、足が遅いのには、それなりの訳がある。田舎暮らしをすればするほど歩くことを忘れるのである。≪足≫はドア・ツー・ドアのなのだ。山梨県の場合、公共交通機関は極めて稀薄。ローカル線のJR身延線と小海線がわずかに走っているものの幹線のJR線は県土を東から西に縦断する中央線1本だけ。連結路線バスも間引きされるばかり。


車_convert_20111014071257


 勢い、人々はマイカーに依存。ドア・ツー・ドアになるから歩かない。久しぶりに東京を歩いてみてそう思った。都会に住む人たちは毎日の通勤だけでも5~6km。多い人は7~8kmは歩いているのだろう。ゴルフ場に換算すれば1ラウンド分だ。知らず知らずに足腰が鍛えられるはず。それと比べると、田舎者はどんどん足を退化させているのである。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

嫌な年

富士山_convert_20110626205114


 今度は医者の従兄弟が逝った。57歳のあまりにも若い旅立ちだった。この夏から秋にかけて、高校(日川)時代の同級生が3人、相次いで逝ったばかり。それより先の3月(11日)には、あの未曾有の被害をもたらした東日本大震災。夏になったら全国各地で相次いで台風による大災害が。私個人のことは別としても、これほど大きな禍が重なった年は、かつてない。




 あと半月もすると師走。今や恒例になった京都・清水寺の大和尚による「今年を表現する漢字一字」は「禍」か「災」しかないだろう。それではあまりにも暗すぎる、とすれば、それが転じた「絆」。まあ、その判断は、主催者の和尚に委ねるほかはないが、それほど災難や禍が重なった年であったことだけは紛れもない事実である。


冬景色



 「医者の無養生」とはよく言ったものだ。従兄弟は肺から侵されたリンパ腺癌だった。山梨県は甲府盆地の東北にある牧丘町で、医者の二男坊に生まれ、自らも名古屋に出て内科・小児科医院を開業した。57歳だから、もうベテランの医師と言っていい。ところが自らの体と言えば無頓着?で、どうやら人間ドックでの検診もしていなかったらしい。健康体で、病気をしたことがなかった普段が、むしろ災いしたのか。




 「弟が癌と診断される、そもそもの端緒は、単なる食欲不振。『どうも胃の調子が悪い』と言い出したのが始まり。9月中旬のこと。胃の検査をしたが異常なし。おかしいと思ったのでしょう。自ら自分の医院で肺のレントゲン写真を撮った。そこに写っていたものは…」




 実家の跡取りである兄は同じ内科・小児科医。弟の癌発見に至る経過をこう説明する。つまり、自分で自分の肺癌を発見してしまったというのである。癌の告知を受けるとか、受けないという次元ではない。その瞬間の心の内は、誰だって想像に難くない。レントゲン写真を手に、自らの死期まで読み取り、悟ったに違いない。専門的なことは私のような門外漢には分かりようもないが、お兄さんの説明によれば、リンパ腺に癌細胞が入り込む手術不可能な癌だった。




 癌の発見から死までの期間は、わずか一か月半。若い体が故に癌の進行も早い。本人にとっても耐えられない闘病の期間であったに違いない。癌の末期は極度の痛みを伴うという。「もう楽になりたい」。入院中のベッドで、普段からよく知る後輩格の主治医にモルヒネの投与を促したという。主治医も、その投与が何を意味するかをもちろん知っている。




 従兄弟には、やはり医者の娘だった愛妻と二人の息子が。二人とも医学部の学生だったり、そこを目指す、いわゆる≪医者の卵≫。長男は3年生だから、医者の資格を取るスタートラインに立つまでには、まだ3年の学業が残っている。2年のインターンも。




 「父は息を引き取る直前に『俺は幸せだった。幸せすぎた…』と、母に言った。それを聞いて父が哀れで、涙が止まらなかった。ゴルフやマリーンスポーツが大好きな父は、私が通う大学がある沖縄にもよく来てくれた。一人暮らしの私を気遣ってくれたのだろう。親子でのゴルフが楽しみだったようで、その嬉しそうな顔は今も忘れられない…」。葬儀・告別式の後、≪学生喪主≫の挨拶は参列者の涙を誘った。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

焼き芋

 「おやつに焼き芋、こんな贅沢はありません。スーパーの食料品売り場では焼き芋の匂いがします。夕方になると『いーしやーーき 芋ーーーイモ!』と、車で売りに来ますが、1本500円以上です。滅多に食べられません。トホホホ」


サツマイモ  


 いつもこのブログにお出で頂く「ゴチさん」から、こんなメッセージを頂いた。9日付の投稿「季節の香り」の中で触れた焼き芋に対する感想である。田舎育ちの私には素直に贅沢とは思えないのだが、「ゴチ」さんが、おっしゃるように今や、焼き芋は贅沢な食べ物の一つかもしれない。




 「石焼き~芋~」。蒸気で鳴らす笛なのだろう。軽トラックで寒い夜の街を行く焼き芋屋さん冬の夜の風物詩に。遠くからだんだん近づいてくる笛の音。何とも言えない音色である。えも言われぬ匂いを伴い、寒空に暖かさを彷彿とさせてくれるのだ。




 35歳ぐらいだった。いわゆる≪東チョン≫、サラリーマン時代、勤務先の東京支社に単身赴任していた頃、ほろ酔い加減の帰り道や社宅のマンションで、よくこの音色を聴いた。家路を急ぐサラリーマンは、みなコートの襟を立てている。「おやじ、一つくれよ」。ニッコリ笑って親爺さんが手渡してくれる焼き芋は、新聞紙で作った粗末な袋を通して、手掌(てのひら)に暖かさを伝えて来る。

焼き芋_convert_20111111085517



 なぜか子供の頃食べた味とは違った。不思議と上品な味がするのだ。「季節の香り」(9日付)の中でも書いたが、戦中生まれの私にとって、焼き芋や蒸(ふか)し芋、それを保存食にした「切っ干し」は、食糧難の戦後の象徴だった。そんな時代はしばらく続き、国民の夢を演出した、時の首相・池田勇人は「所得倍増政策」を打ち出したまではよかったが、「貧乏人は麦を食え」と豪語して自らの首を飛ばした。そんな時代だったのである。




 白いコメが尊かった。麦飯ならまだいい。焼き芋や蒸(ふか)し芋、「切っ干し」は米に代わる主食の代用品。モロコシの粉で作った「おやき」「おねり」もそうだ。今は果樹地帯に一変、その面影はないが、この辺りは米麦、養蚕の地帯であった。「おねり」は、モロコシの粉を鍋で練り、サトイモやカボチャと一緒に煮立てて食べるのである。今だったら鶏(ニワトリ)だってソッポを向くかもしれない。



 時代は変わって誰もが「飽食の時代」と言う。私たちが貧しさ故に食べた焼き芋や蒸し芋、切っ干しが自然食の嗜好品として珍重がられ、「おやき」に至っては観光土産にも。みんな立派な値段がついているのだ。一般家庭で毎晩食べた「ほうとう」は山梨の郷土料理屋の定番メニューとなった。


ほうとう_convert_20111110214417
ほうとう


 人間とは不思議。「こんなもの、お金を出して食べるものではない」。そう思っていた焼き芋などを、いつしかお金を払って買っているのである。「ほうとう」だって同じだ。



 継ぎはぎのズボン。わざわざ擦切らせて着るジーンズ。食生活もファッションも豊かさや、その演出を変えれば価値観も変われば、味や見方も180度変わる。「ゴチさん」が言うように≪贅沢品≫になるのである。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

初冬の香り

 人生いろいろ。人それぞれ。人間には、その生い立ちや、生かされている環境によって生き様も違えば、その時々の感じ方も違う。恐らくみんな偶然なのだろうが、その偶然から知らぬ間に固定化したイメージになるものだってある。


焼き芋


 例えば、季節の香り。立冬が過ぎ、人々の吐く息が白く変わり始める初冬。晩秋からの枯葉が舞い、その焚火からイメージするのは焼き芋。いや、いやイメージする主は私ではない。うちの女房だ。独断と偏見で決めつけたら、怖い女房にまた叱られるが、焚火というと一も二もなく焼き芋を連想するらしい。


焼き芋食べる


 普段ならお世辞でも機転が利くとは言えない、うちの女房、黙っていてもサツマイモを準備。畑から自分で掘って来るのだ。しかも周到にもそれを包む銀紙や濡れ新聞まで用意するのである。それも嬉々としている。ほかの作物や周囲に影響がない畑の真ん中で、枯葉や植木の剪定くずを燃やしていると、ちゃんとやって来る。



 その表情が面白い。嬉々というより照れ笑いのように、媚を売るようにニコニコするのだ。ある種のテレや、野良仕事をしている亭主への遠慮もあるのだろう。


 「お父さん、これ・・・」


 言わず語らず、である。銀紙に包んだ芋を差し出す。


 「この火にくべろ(火の中に入れて焼け)、ということか?」


 女房はニコニコしながら頷いた。




 田舎育ちの私にとって、焼き芋などお世辞にも御馳走でもなければ、風流でもない。戦中生まれの私たち子供を待っていたのは食糧難。秋、おやつと言えば、蒸したてのサツマイモ「太白」とか「農林○○号」という品種があった。「太白」は表皮が赤く、中身は白い。ポピュラーな品種で、この辺りでは今でも作る。一方「農林○○号」は、味はまずまずだが、形は大きく、恐らく量産向きだったのだろう。今ではあまりお目にかからない。



サツマイモ3



 サツマイモは保存食のおやつにもなった。大きな芋を薄切りにし、天日干しして冬場に食べるのである。わんぱく小僧たちの薄汚いズボンや服のポケットには、この「きっぽし」が入っていた。中には小学校のお弁当箱の中身が蒸したサツマイモだったり、「きっぽし」だったりする子もいた。ご飯の代わりだ。米は尊く、供出してしまうのである。




 見方を変えれば、そんなことが出来るのも自給自足型の農家に生まれたおかげ。食糧難は日本全国を覆っていたのだから田舎も都会も同じ。ちょっとだけ違うのは、土のある生活がもたらしてくれた恩恵かもしれない。でも御馳走ではないことだけは確かだった。


サツマイモ2



 ところが甲府の鉄工所の娘に生まれ育った女房にとっては、サツマイモや、その焼き芋は新鮮に映る。第一、町場だと焚火をのんびりする環境もないし、出来ない。田舎での生活の特権かもしれない。まだ木枯らしにはちょっと早い。まっすぐ空にのぼる焚火の煙。や焼き芋の匂いに留まらず、焚火の匂い初冬の香りそのものなのだ。若い頃は私の実家である山梨市の田舎生活を敬遠していた女房も住めば都。今ではまんざらではなさそうだ。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

門前の小僧

P1010036_convert_20111107175855.jpg  


 「門前の小僧、習わぬ経を読み」。先人はうまいことを言ったものだ。10月末、地域のお寺であり、菩提寺である寺院の新命方丈(新住職)の晋山式で、参列した檀信徒の代表が誰しも、「オヤッ」と感じたのは幼い≪チビッ子和尚≫の存在だった。



 晋山式を営んだのは山梨市の曹洞宗巌松山信盛院。晋山式は同寺院の開山450年忌と合わせて催された。この≪チビッ子和尚≫、聞けば小学校の2年生。晋山式を営む、それは大勢の方丈さんの中のお一人のご子息。≪チビッ子和尚≫といえども、大人と変わらない法衣をまとい、お父さんらしい方丈の脇に。ちょこんと座る≪チビッ子和尚≫はいかにも可愛らしい。


P1010035_convert_20111107180007.jpg



 もちろん、まだ得度していないから方丈ではない。立派に法衣をまとっていても「お拝」と呼ぶ「挨拶」の時に使う、布団代わりのような布は与えられていない。「お拝」とは儀式における僧ならではの挨拶の仕方で、座っては立ち、下座を3回繰り返し、頭を伏して相手に礼を尽くす。私など市井の人間には、その呼び名を何というか分からないが、布切れは畳半畳ほど。布団代わりではなく、法衣を汚さないための意味があるらしい。




 この≪チビッ子和尚≫が参列者をうならせたのは、晋山式のクライマックスである禅問答新命方丈と呼ぶ新しく住職になったばかりの和尚に弟子の方丈たちが代わる代わる問答を仕掛けるのである。≪チビッ子和尚」は、その前座?の口上も。仏教用語が多いから、いい歳をして恥ずかしながら中身の意味はよく分からない。ともかく、その口上は堂々としていて聞くからに、見るからに大人顔負け。


P1010034_convert_20111108220318.jpg


 「○○や、いかに?」。須彌壇で仁王立ちする新命方丈に質問を浴びせる。弱冠10歳にも満たない≪チビッ子和尚≫の堂に入った、見事な振る舞いは本堂を埋めた300人近い参列者をうならせた。市井の人間にとっては堅苦しくもある二日間にわたる仏事の儀式。その堅苦しさを吹っ飛ばしてくれるような、一服の清涼剤でもあった。


P1010016_convert_20111107180223.jpg



 信盛院の安下処(所)を代々務める現在の当主でありながら、私は仏の習わしには正直言って無頓着。実は今月の親父の二十七回忌法要もかみさんに促されての実施だ。「お父さん、ご先祖の供養は、ちゃんとしないとダメですよ」。普段と違って、返す言葉もなかった。


P1010017_convert_20111107180450.jpg


 そんな無信心の≪ご苦労なし男≫。何故か、身の周りに仏教の影が。代々の安下処もさることながら、うちのかみさんの、おふくろ、つまり私の義母の兄は、日蓮宗総本山身延山久遠寺第88世の法主だった。その法名を「日慈」と言った。東京は葛飾柴又の帝釈天でお馴染みの「題経寺」。そこの住職から身延山に直った。あの映画「男はつらいよ」の寅さんが慕う住職は、この和尚がモデルだ。映画では笠智衆が演じた。笠は元はと言えば熊本県のお寺さんの息子だというから面白い。坊さんの息子が坊さん役を演じたのだ。




 お蔭で身延山久遠寺の奥の院とよばれる「水明楼」には何度もお邪魔した。そんな折に謙虚に説法でもお聞きしていたら・・・。≪ろくでなし男≫も少しはましになっていたかもしれない。今となってはあとの祭りだ。門前の小僧であったら違っていたかも。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

福島の影

P1010010_convert_20111104104344.jpg


 福島から300㌔もある山梨市の片田舎、こんな所にも東日本大震災、福島原発事故の影が・・・。晋山式を無事済ませた曹洞宗巌松山信盛院の新住職の一番弟子は、福島県のお寺さんの御曹子。それはそれでいいのだが、実は、この若い方丈をめぐって信盛院関係者はひと頃、みんなでヤキモキ。心配した。




 それというのも震災以降、音信が途絶えてしまったのだ。「よもや震災に巻き込まれたのでは…」。心配のタネはそこだった。結果的には被災ではなかった。そのお寺さんのご住職親子も立派な方で、震災後、被災者の救済に奔走していたのだという。




 その親子は晋山式に何事もなかったように出席。父親のご住職は来賓でもあり、師として。もちろん息子さんは新住職の一番弟子だから、式でも重要な役割を担った。安下処、つまり新住職の親代わりとして参列した私は立派に役どころをこなす若い≪主役≫と≪脇役≫に拍手を送りたい気持ちだった。


P1010042_convert_20111104105421.jpg


 一番弟子は、新住職に与えられた何人ものお弟子さんの≪総領格≫。菩提寺・信盛院の代々の安下処の当主といっても所詮は市井の人間。仏門のことなど分かりようもないが、その側近の作り方、置き方は、映画や小説に見るお殿様の世代交代にも似ているようにも見えた。総本山永平寺・総持寺での修業時代の同窓らで周りを固めていた。


P1010044_convert_20111104110041.jpg


  信盛院の新住職は第31世。先先代の29世、つまり祖父は村上道隆と言って曹洞宗総本山総持寺の監任まで務めた大和尚。信盛院450年の歴史の中でも異彩を放った人。宗門の方なら誰でも知る存在だろう。しかし、血縁の新住職はともかく新しい布陣のお弟子さんたちは、実際には知る由もない。間もなく69歳になる私でさえ、道隆大和尚のご逝去やご葬儀に立ち会ったのは40年近く前だ。


P1000994_convert_20111104104524.jpg


 世代の交代、変化は、そのまま時代の変化をも意味する。お寺を取り巻く環境も変われば、人々、特に若者たちの意識も変わる。長い伝統を誇ったお寺が道路の拡張や新たな都市計画によって別天地に追われるケースだって珍しくない。追われなくてもビルの谷間の息が詰まるような佇まいの中でひっそりと≪生きる≫お寺や墓地もある。




 幼稚園、保育園、駐車場・・・。お寺さんの副業化は当たり前のようになった。副業化の先陣は学校の先生。私たちが高校生の頃、もう、ご僧侶の教師は珍しくなかった。主には国語や漢文の先生だった。でも、その時代の≪副業化≫≪兼業化≫と、今は、そのニュアンスも違えば、本質も違う。


P1000997_convert_20111104104823.jpg


 時代の変化と言ってしまえばそれまでだが、背景には人々、特に若い人たちのお寺に対する見方、考え方、対処の仕方の変化がある。お寺や宗門と比較的かかわりが薄い公園墓地が増えたり、人気を集めているのも、その表れ。




 沢山の、それもしっかりした檀家を抱えた信盛院。新しい住職は、やがてはそんな時代の流れと真正面から向き合わなければならないことは確か。そんなことも晋山式のご挨拶で言いたかったが、ちょっと憚った。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

安下処(所)

P1010001_convert_20111102223832.jpg  


 お経三昧。お叱りを受けたり、バチが当たるかもしれないが、正直言って≪食超気味≫だった。菩提寺の新住職(新命方丈)の晋山式開山450年法会。「首座入寺式」「土地堂念誦」「開山歴住忌逮夜」本則配役行茶」(一日目)、「晋山式」「晋山開堂」「首座法戦式」「開山四百五十回大遠忌並びに歴住忌」「三十世和尚三回忌報恩諷経」「檀信徒総回向」(二日目)。市井の私たちには小難しい仏事の儀式が二日間にわたった。寺の宗派・曹洞宗の僧侶はもちろん、檀信徒の代表が、だだっ広い本堂を埋め、次々と儀式が繰り広げられるのである。


P1010004_convert_20111102234637.jpg


 儀式のメーンは二日目の「晋山式」。午前8時半。新命方丈の行列が同寺院の山門に到着時点から、この晋山式が始まるのだ。恭(うやうや)しく広い境内を進み、本堂へ。儀式は午後1時半過ぎまで延々と続く。この儀式には、まだ前段がある。「安下処」でのセレモニーだ。午前7時過ぎ、新しく住職になる新命方丈は6人の弟子を連れて「安下処」へ。





 「安下処」は新命方丈の、いわば仮宿。家を持たない旅の僧は「安下処」という名の仮宿にわらじを脱ぎ、そこを親元として山に入る。つまり住職に直るのである。実はその安下処が我が家。数日前から我が家の常口には「安下処」の立札、玄関口には赤、青、黄色、白の経文入りの大きなのぼり旗が。桜湯を飲み、お寺側と安下処側が口上を交わして、我が家の先祖代々に回向する。一連のセレモニーには檀家総代の代表7人も立ち会った。



P1000976_convert_20111102223458.jpg   P1000979_convert_20111102223522.jpg    



 我が家は代々、同寺の安下処を務めている。前回は40年近く前のことだから確かな記憶がないが、その先代住職の晋山式にも親父の≪脇役≫として立ち会った。新命方丈には、その時と同じように緋の衣を切って差し上げた。新しい住職として晋山する方丈への、いわば≪晴れ着≫である。≪晴れ着≫をまとった新命方丈は付き人が持つ真っ赤な大日傘を背に、さっそうと≪山≫に向かう。家の前には大勢の人たちが集まって、合唱しながら行列を見送り、空には花火が上がった。

P1000987_convert_20111102223007.jpg

P1000988_convert_20111102223117.jpg



 晋山式のクライマックスは「晋山開堂」という儀式の中で行う問答。新住職として直ったばかりの方丈と何人もの弟子たちが問答を繰り広げるのである。「○○はいかに?」。新命方丈の法へのスタンスをただす弟子もいれば、法への迷いを払しょくするための教えを乞う弟子もいる。そのやり取りは大声で、しかも歯切れがいいから人々の心を引き付ける。第一、眠気が吹っ飛ぶ。



P1010013_convert_20111102233952.jpg

P1010016_convert_20111102234018.jpg



 本堂正面の祭壇中央にしつらえられた須彌壇に仁王立ちした新命方丈は、代わる代わる浴びせて来る問いかけに即答。弓状の杖で弟子たちの肩を叩いて戒めるのである。この後、新命方丈への祝辞が。曹洞宗の大本山である永平寺と総持寺の代表、宗務所長らに続いて私も安下処当主の立場でご挨拶をさせて頂いた。


P1010027_convert_20111102234254.jpg


 「立派な大問答にみんなが新しい住職へ心強さを感じ、期待を膨らませたはず。お寺は檀信徒にとどめず、地域の人々の心の拠り所でなくてはならない。祖父にあたる先先代は大本山総持寺の最高指導者をされ、大きな功績を残された大和尚・・・」。翌日、挨拶に来てくれた新住職に改めてお祝いと、一連の式での見事な立ち振る舞いに賛辞を送った。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

トイレと新聞(再)

 「また、そんな所で新聞を読んでぇー。いい加減にしてくださいよ」
私の一日は、女房から叱られることから始まる。私が朝一番で見る新聞はトイレの中と決まっている。「なんてお行儀の悪い」。皆さん方もお笑いになるだろう。場所が場所だから女房が嫌がるのも無理はない。私だって、そんなことがいい事でないことぐらい十分に分かっている。


トイレ2



 しかし、これが止められないのである。元々は、出勤前の慌しさの中での時間稼ぎの意味があった。朝のトイレと新聞に一通り目を通す作業を一辺にやってしまおうというものだ。寝坊なサラリーマンがお出でになるとしたら、その辺の気持ちは分かって頂けるだろう。朝の時間は一分だって惜しい。学校に通う子ども達だって同じだ。私の場合、当時、新聞社に勤めていたから、新聞に目も通さずに出勤とはいかなかった。





 実は、これをやってみると、堪(こた)えられないのである。朝の慌しさの中でもやけに落ち着くのだ。甲府に住んでいる時分だが、新聞を読みながら「この空間をもっと居心地のいい所に出来ないものか」と思いを巡らせたこともある。勤めを辞め、山梨市の田舎に戻るのを機会に実家のリフォームを決意した時、大工さんに注文を付けたいくつかの項目のうちの一つが、このトイレだ。





 機能もさることながら、ゆったりしたスペースをとることだった。ただこの注文がトイレの側面の裏側に設けたクローゼットにしわ寄せして、使いにくいものになってしまったのだが、それはそれでしょうがない。クローゼットの奥行きが半分になった分、トイレが広くなった訳で、新聞を開いても差し障りがないし、第一圧迫感がないから心地いい。



トイレ


 「新聞」と、トイレの中から声を掛けると、女房はいつものようにブツブツ言いながら新聞受けから持ってくるのである。そんな自分が後ろめたくもあるが、今日もそれを繰り返している。こんなことをしているのは私だけだと思ったら、他にもいた。いつもマージャン遊びでお世話になる仲間の家のトイレをお借りしたら、週刊誌などの雑誌と一緒に新聞が小さな台の上に重ねてあった。





 ちょっと前のことになるが、ある心理学者が書いた本を読んでいたら、人間が心理的に最も落ち着く空間としてトイレを挙げていた。その時「俺も普通の人間だよなあー」と、妙にうなずいたものだ。トイレは自分が入っていれば絶対に人がはいってくることはない。テレビの音など外部の雑音も入ってこない。自分だけの空間なのだ。「お父さんのポーズは考える人、だね」。嫌な顔をしながら新聞を持ってくる女房が言うように、考え事をするにもうってつけである。






 我が家のような田舎家の場合、およそ個室などとは縁遠い。ふすまや帯戸一枚で仕切られた部屋がいくつも並んでいるだけ。娘達が嫌がるのも無理はない。居間やキッチン、それに書斎、寝室をオープン形式にして結構使い易くリフォームしたのだが、個室はない。老後も考え、トイレの位置やバスも近場にまとめた。女房と二人だから個室のようなものだ。





ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!
ランキング参加中です!
人気ブログランキング【ブログの殿堂】
おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

最新記事
カテゴリ
最新コメント
FC2カウンター
ブログ成分解析
ブログランキングならblogram
検索フォーム
月別アーカイブ
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

全国からアクセスありがとう!

ジオターゲティング
最新トラックバック
アルバム
リンク
忍者ツール
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
RSSリンクの表示
FC2ブログジャンキー

「アクセス数が全然伸びない…」そんな悩みをブログジャンキーが解決します!