大晦日の雰囲気(再)

 何か慌しくて、それでいて何かを待つようなウキウキした気持ち。それが大晦日のなんとはなしの雰囲気だった。「・・・だった」というのは子供の頃で、今はそのウキウキというか、何か新鮮なものを迎えるような雰囲気を感じなくなってしまった。一夜明ければお正月。当たり前にやってくる次の日の朝だが、特別の感慨のある大晦日と元日。私ばかりかも知れないが、どうしてそれがなくなってしまったのだろう。

お正月_convert_20110105000030


 ある年代以降の人達には「盆と正月」という言葉があった。それとは直接関係ないが「○○ならば米の飯(白い米)」という言葉もあった。日本の貧しい時代が残したフレーズだろう。貧しいながらも、親たちは、大人たちは、お盆には先祖達と共に、また正月には子供たちと共に精いっぱいに振舞おうと努力した。




 我が家の場合、母親が大晦日には「ゴシ」の葉を入れた風呂を、元日には米のとぎ汁を入れた風呂を立ててくれた。五右衛門風呂だ。寒い冬の身体を温め、新しい年を健康に、元気に過ごしてはしいという親心であり、願いであったのだろう。今風で言えば薬草風呂だ。貧しい中での生活の知恵だったに違いない。田舎だったからこその風景かも知れない。


飾りもの

 母親はおせち料理も作ってくれた。もちろん、デラックスな今のおせち料理と比べようもないが、そこにも日常と違う朝があった。玄関先には自分たちが山から切って来た松飾りが。日の丸の国旗が、なんとなくいつもと違う朝日を浴びていた。お年玉なんてもらった記憶はない。親たちに、そんな余裕がないことを子供たち自身が知っていた。無し無しのお金をはたいたのだろう、真新しい学生服や下着を与えてくれた。お年玉より生活必需品。それが、また嬉しかった。


おせち料理_convert_20110105000523


 大晦日の夜、子沢山の一家はみんなで≪お歳とり≫の食卓を囲んだ。この日はどんなことがあっても家族が揃って食事をすることが習いだった。それが家族の平安の証であり、新しい年を迎える気構えでもあったのだろう。「おじさん、幾つ?」。私ですか?昭和17年生まれ。子供の頃が戦後間もない頃だったのです。




 当たり前かもしれないが、大晦日や元日の人々のライフスタイルはガラリと変わった。我が家に限らないが、若者たちは年末年始の休みを利用するとばかり、旅行やスキー、スケートに出かけ、親達も温泉旅行にと一家の行動はまちまち。第一、子供たちの数も、ひと頃の子沢山と違って、少なくなってしまったから家族団らんなどは望むべくもなくなってしまった。少ない子供は食事が済めば、さっさと自分の部屋に籠り、インターネットやゲームと自分たちの世界を作っている。





 会社の忘年会だってそうだ。その数は年々減っているという。なにも、ことさら改めてみんなでお酒なんか飲むことねえじゃねえの、というのが若者達の声らしい。マイカーに依存しなければならない地方では、それに拍車をかけた。年が明けてお正月。デパートだって元日からいつもと同じように営業している。「初売り」という言葉もなくなった。とにかく、あと少しで激動の2011年は暮れる。そして来る年こそいい年でありますように。

お正月


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紙の門松(再)

 慣れとか、習慣とは恐ろしいものだ。玄関先に飾る門松(松飾)が簡易式の紙になってもう何年、いや何十年になるのだろう。大きな紙に刷り込まれた松竹梅の門松に少しも違和感がなくなった。「な~んだ。紙か」と言った頃がウソみたいだ。


賀正ポスター


 私たちの地域では区で全世帯の(紙の)門松を一括購入、組長がそれぞれの組の世帯にお届けするのである。昨夜は公会堂で区の役員会を開き、この門松の配布はもちろん、年末、年始の諸行事について打ち合わせた。





 年末、年始の行事のメーンは、なんと言っても新年拝賀式互礼会。全戸の代表が集まって、地域の氏神様に参拝、その年の地域とそこに住む人達の安泰を祈願し、一年をスタートさせる行事だ。そのために、区の役員が総出で、氏神様へのしめ縄飾りや、その周辺の清掃はもちろん、拝賀式の後、区民がお神酒を交わす公会堂の大掃除もする。





 こちらは女房達の役目。それぞれの家庭で行う大掃除と同じように区民の拠り所になって来た公会堂の一年の垢を洗い落とすのである。毎年その日は30日を充てている。しめ縄や門松など正月飾りは31日の大晦日や29日にもしない。31日の飾りつけは「一夜松」といって昔から嫌ってきた。縁起担ぎなのだが、29日の場合も同じ。こちらは「九」「苦」で、大掃除もしない。もちろん「九餅」「苦餅」といって餅つきもしない。


門松


 松竹梅の門松が絵入りの門松に変わって久しい。かつて、この門松はクリスマスツリーのモミの木と共に、その調達は子供たちの年末行事の一つだった。ちょうど冬休みになったばかりの子供たちは、当たり前のように近くの山に入り、松を取って来るのである。もちろん、子供ながらにも、小さな松を根元から切って来るようなことはしなかった。松の木によじ登り、手頃な枝を切り落として来るのである。




 子供たちは誰に教わるともなく、山を大事にすることを知っていた。今のように、自然保護がうるさく問われたり、第一、そんな言葉が無かった時代である。山は人々の生活の一部だったからだ。山の木は、今の電気やガスに匹敵する燃料、つまり薪であり、その落ち葉は田んぼや畑の有機肥料だった。




 そのことを大人たちはむろん、子供たちも知っているから無茶な伐採はしなかった。むしろ、年に一度の門松採りやクリスマスツリーとなるモミの木採りは格好の枝払いであり、下刈りでもあった。しかし、都会の人達には自然破壊に写ったに違いない。特に、教条的ともいえる自然保護団体にかかったらどうにもならなかったのだろう。


屋台2


 確かにむやみに切ったら自然の破壊だ。だが、間伐と伐採は違う。門松採りはともかく、人々の生活環境の変化は、山の無視を加速させた。松はもちろん、杉やヒノキに至るまで、やらなければならないはずの枝払い下刈りもしなくなった。お陰で、山という山がいたる所で荒れ放題。そのツケは花粉症惹起の要因にもなっているという。


お飾り  


 女房が「九」を避けて早いうちに組の各戸に紙の門松を配り歩いた。クリスマスが済んでつかの間、今度は街角に松飾りやしめ縄飾りの屋台がお目見えした。いよいよお正月だ。




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山砂利と雑木の山林(再)

 ピンポーン。朝早く、勝手口のチャイムが鳴った。パジャマ姿のままドアを開けると、近所の親しい人がニコニコしながら立っていた。


砂1


 「まだ寝ていた? 朝早くて悪かったかなあ。砂、持って来てあげたんだけど、どこに下ろそうか」


 頭越しに、裏庭を見ると、山砂をいっぱい積んだ軽トラックが止まっていた。



 「すみません。いつも手数をかけますねえ。ありがとうございます」



 その人は、私が場所を指示するまでもなく、家って知ったる、とばかり母屋とお蔵の間を抜け、表庭に一番近い所にトラックを停めて、砂を降ろし始めた。軽トラックだからざっと1トン、スコップで手際よく下ろした。


砂と父1        砂と父2


 「お茶、飲んでけし。お金も払わんと、いけんし」



 「今日は、そうもしていられんさ。またご馳走になります。お金なんかいいよ」



 そう言い残して、慌しく帰っていった。



 サクランボや葡萄を結構手広く作っている果樹農家だが、暇がある時には遊びにやって来る。時にはお茶を飲みながら夕方まで話し込むことも珍しくない。そんな時、庭を眺めながら「岩手山からいい砂が出る。これを入れると草取りも楽だし、植木にもいい」と言っては、時期を見計らって砂利砂を運んでくれるのである。その量はもう10トン近い。


サクランボ


 岩手山は秩父山塊から南に下がった山梨市にある山で、我が家にとっては裏山みたいな所だ。もう何年も前から業者が砂利の採取をしている。コンクリート工事用だろうが、果樹農家の中には、この砂を買ってきて畑に入れる人もいる。この付近の土壌はどちらかというと粘土質だから山砂とブレンドするといいのだそうだ。




 実は、業者が砂を採取している山の目と鼻の先には我が家の山もある。ひと山といっていいほど大きいものだが、雑木の山林で、1銭にもならない。かつては薪山として売れた。石の採取でお金になったこともあった。しかし、薪はどんな田舎でも無縁になって久しい。一方、採石は昭和50年代に中央自動車道の建設工事に使われたり、一時期は墓石としても採取された。



 一帯は御影石だから墓石にはもってこい。ところが掘って行くうちに、この御影石に斑が入るようになったとかで、ソッポを向かれた。もちろん中央自動車道用の採石も、その完成とともに終わり。今や、山は誰からも相手にされない無用の長物?となった。




 人間、いくばくともお金にならないと、山だって見向きもしない。だから、我が家の山に限らず、山という山は荒れ放題である。かつては、宝の山と言われた杉、ヒノキの山でさえ、買い手がなく荒れるに任せている。高くつく人件費との絡みで、わが国の建築用木材はほとんど外材に頼っているのである。




 私も含めて地元の人たちは業者が掘り出す山砂を工夫しながら、それぞれの使い方をしているのだが、業者は環境面からも後始末が大変のはずだ。





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夫婦喧嘩は犬も食わぬ(再)

 パンダのランランではないが、うちの女房にはヒゲではなく、「トントン」「ブータン」という愛称がある。どうして「トントン」「ブータン」なのかを文字で書くと角が立つのでやめることにするが、その女房を呼ぶ時、この「トントン」などのほか「お母さん」と呼んだりする。

子豚


 これに対する返事で、女房の心中の雲行きが分かるから面白い。不機嫌なときはこうだ。


 「わたしゃあ、あなたのお母さんじゃないわよ」



 もっと雲行きが悪くなると「あなた」が「あんた」に変わるのである。おっしゃる通りで、俺のお母さんではない。お袋が元気な頃、私が女房を「お母さん」と呼ぶものだから、調子が狂ったのか目をパチクリしたものだ。「あんた、とはなんだ」と、ちょっと声を強めたら、言い過ぎと思ったのか口をつぐんだ。




 私の場合、大抵の事なら、怒らない。ただ、言い訳だけは嫌いだ。ちょっとした女房の言い訳がきっかけで口論、これがエスカレートして、いわゆる夫婦喧嘩になるのである。例えばこうだ。



 「こんな天気の日に、何も洗濯なんかしなくてもいいじゃないか」



 「しょうがないじゃない。雨ばかり降っているんだもの」



 「少しは後先、考えてやれよ」


 「考えてるわよ」


 「言い訳するな。少しは考えてやれ、と言っているんだ。バカめ」



 「バカとは何よ」



 「バカだからバカと言っているんだ」



 我が家の夫婦喧嘩はざっとこんな具合で、この場合、私が洗濯など、天気のいい時にやればいいのに、と、注意したのがきっかけ。たわいもない事から、ちょっとした口論となり、それがエスカレートするのである。「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」とはよく言ったものだ。


洗濯物


 その後を見ていれば分かるが、女房はかなりカッカとしている。しかし私の方は少しもカッカしていないのである。私の何気ない注意を≪売られた喧嘩≫と勘違い?したまでのこと。「考えてやれよ」と言われたときに「そうだよねえ」と言えば、そこで口論にも喧嘩にもならなかったはずである。



 私は結婚式の挨拶で時々こんなことを言うことがある。「夫婦だからこそ喧嘩する。どんどんすればいい。ただ喧嘩は売るもので、買うものではない。買わなければ本当の喧嘩には絶対にならない」と。八つ当たりして猫を蹴飛ばす、なんて話もあるものねえ。




 話のきっかけが何であったかは忘れたが、長野に行った時、道の駅の温泉で出会った大工の棟梁と名乗る親爺さんがうまいことを言ったのを思い出した。




 「女はとかく、目先だけでものを考え、後先考えずに直感でものを言う。だから怖いんだよなあー。そこへ行くと、男はそんなバカなことはしねえ」




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傑作の枯露柿(再)

枯露柿


 お待たせしました。枯露柿が出来上がりました。と言っても皆さんのお口にお届けできないのが残念。もちろん、我が家の枯露柿は女房と二人、見よう見真似、近所の人に手ほどきを受けながらの≪作品≫だから商品となる贈答品とはおよそ違うことは残念ながら言うまでもない。




 それでも、今年は400個を超す枯露柿を作った。物置の軒先に特設の干し棚を設け、我が家の畑で採れた甲州百目を吊るして天日干して来た。400個と言っても我が家の畑の分は300個弱。残りの100個はご近所から頂いたものだ。慣れない手つきで皮をむき、嬉しそうに枯露柿作りに取り組む女房の姿を見てか「せっかくだから、もっと作ったらいい」と、わざわざもって来てくれたものである。


枯露柿



 この地方の枯露柿作りは、サクランボや桃、葡萄などの果樹農家が、その農閑期を利用してのいわば副業だ。と言っても、隣接の松里地区を中心にこの地域は枯露柿の一大産地。恐らく、これから年末、年始にかけて皆さん方がお食べになる枯露柿の多くはこの地方から出荷されたものと言っていい。山梨の片田舎やこのブログ記事を思い浮かべながらお食べ頂きたい。




 今年は、手頃の冷え込みと空っ風も吹いて、まずまずの出来具合だという。枯露柿農家はぼつぼつ出荷作業に入っている。クリスマス、年末年始の贈答品市場がターゲットだ。パラフィンで一つ一つ包まれて小さな箱に詰められた枯露柿は一箱1万円前後で市場に出回る。高級贈答品と言っていい。ただ、年が明けての出荷だと市場価格は大幅に下がる。


干し柿



 加工食品にありがちな添加物は何もない。強いて言えば生柿を皮むきして天日干する過程で殺菌と仕上がりの色をよくするための硫黄燻蒸だけ。砂糖も香料も一切添加していない。防腐剤だってしかりだ。まったくの無添加食品で、天然のお菓子と言っていい。私は農家が作るまさに芸術品だと思っている。天日干で最初から最後まで作るから太陽の光もいっぱい吸い込んでいる。こんな加工食品は枯露柿を置いて他にないだろう。





 枯露柿作りのコツはどうやら干し具合と揉み具合のようだ。特に、揉む過程で「芯切り」という作業がある。この芯切りをタイミングよく、しかも上手にしないと、あのスマートな枯露柿の形が生まれないのである。芯を切る、と言っても刃物ではなく、指先で外側からつまむようにして、時期を見ながら二回にわたって切っていくのだ。


枯露柿



 味は別にして、プロが作る枯露柿と我が家のものでは歴然と違う。同じように天日干ししているのに色も形もまったく違うのだ。揉み方と、この芯切りの仕方がまぎれもない原因である。もう一つ、色が悪いのは、我が家のものは硫黄薫淨ではなく、湯通しているためだ。しかしこの方法の方が味はいいのだという。100度ぐらいの熱湯に10秒浸けるのである。



 「お父さん、何も、出荷してお金を頂くわけじゃないし、家で食べたり、親しい人に差し上げるんだからいいじゃない」



 そう。女房の言う通りだ。来年はもっと上手になるだろう。




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ロータリーアンのクリスマス(再)

クリスマスツリー


 もう、そんな季節がやって来たのだ。夜、車で走っていると、あっちこっちの家にクリスマスの電飾が。赤、青、黄色。さまざまに模られたイルミネーションが闇に浮かび、子供ならずとも、心弾むような、ロマンチックな気分にさせてくれる。なぜか、その電飾は数軒ずつかたまっているのである。ある知人が、こんなことを言った。




 「あれねえ、隣近所というか、人間の心理を見事に反映しているんですよ。最初、どこかの家で、この電飾を始めますよねえ。すると、それが両隣に波及するんです。そこで、もう一つ面白いのは、波及の方向。全てとはいえませんが、その波及の順路は道を挟んで反対側ではなく、一方づきながらやがて反対側にも広がるんです」


電飾


 へえ~。そんなものかなあ、と注意して見たら、やっぱりそうだ。まあ、そんなことはどっちでもいい。子供達と一緒に楽しそうにクリスマスの電飾の飾り付けをする若いお父さんやお母さん。平和な家庭の証だ。微笑ましくもあるし、傍から見ていても楽しい。


クリスマス2


 私たちのロータリークラブでは毎年、12月の第二土曜日と決めてクリスマス家族会を開いている。メンバーが子供達やお孫さん、おじいちゃん、おばあちゃんまで連れてきて、みんな一緒に和やかなひと時を過ごすのである。メンバーの奥さんはもちろんだ。歌やゲーム、子供達や奥さん達へのプレゼントもいっぱい。


クリスマスサンタ



 名前の通りの家族会だが、恒例で市長やライオンズクラブ、JC(青年会議所)の代表をもお招きする。クリスマスならではのカラフルなとんがり帽子やレイがみんなよく似合う。催しの裏方を務めるのはクラブ内で分担しているクラブ管理運営委員会の親睦担当のメンバーたち。事前に「炉辺会談」という古めかしい名の打ち合わせ会を開いて、その趣向を凝らす。




 街のアマチュアバンドを呼んで来たり、時にはプロの歌手をお呼びすることも。いずれにしてもみんな手作りである。夫婦揃っているから金婚式や銀婚式を迎えた会員カップルのお祝いもする。お祝いの花束は会員が営む花屋さんから、子供達や奥さん達へのプレゼントは出来るだけメンバーに関係するお店から調達する。大はしゃぎで喜んだり、楽しんだりしているのは子供達ばかりではなく、お父さん達も同じ。和やかなクリスマスの夜は更けていく。



クリスマス会ステージ


 この家族会が済むと、わがロータリークラブの年内の行事はあと一回の例会を残すだけ。7月から始まるロータリー年度は前半から後半へと折り返す。対外行事は別として、クラブ内の行事は親睦旅行も済んで大きな行事は一段落。一年交代の今年の三役(会長、副会長、幹事)も内心ホッとしているだろう。




 一年が経つのがやたらと早い。あと10日足らず、クリスマスが終わって街の電飾が消えれば、すぐ除夜の鐘だ。今度はお寺の鐘を突く。一夜明ければお正月。手のひらを返したように、あっちこっちの神社に初詣だ。よく考えれば日本人は面白い民族である。世界的にも珍しいに違いない。

門松


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音痴のタブー

 絶対やってはいけない。そんなことをやっている。もちろん、好き好んでやっているわけではない。法に触れること? 犯罪? いやいや、そうじゃない。みんなの前で指揮棒を振ることだ。私が仲間に入れて頂いているロータリークラブには、ソングリーダーというのがあって例会の開会時にロータリーソングを歌う。ソングリーダーはその指揮を交代でするのである。国歌のほか「奉仕の理想」「手に手つないで」などロータリーソングの指揮だ。



 「オーケストラの指揮をするわけでもあるまいに…。仲間たちのセレモニーの歌の指揮ぐらいどうということないじゃないか」


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 大抵の方はそうおっしゃるだろう。でも私にとってはそうじゃあない。どう考えても指揮棒を振ることが出来る人間ではない。「どうして?」。お恥ずかしい話だが、私は極めつけの音痴。音符も満足に読めないのである。そんな人間が指揮棒を振ったらどうなる。誰が考えたっておかしい。後ろめたい気持ちにもなるし、ゾッとする。


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 普通の人は「ド」の音を出せと言えば、それが出来るし、音階を自由に表現できる。ところが私にはそれが出来ないのである。つまり楽譜が読めないのだ。もちろんそんな人間に楽器などの演奏となったら夢のまた夢。ハーモニカすら吹けないのである。


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 中学一年生の頃だった。もう56~7年前のことだが、音楽の授業で、こんなことがあった。何という曲か忘れたが、先生は指定の曲をみんなに吹かせるのである。ところが…。



 「あなたのハーモニカ、壊れているの? どれどれ…。壊れてなんかいないじゃない。お父さん、お母さんがせっかく買ってくれたのに、あんた、ダメねえ」




 担当の音楽教師は、こともあろうに「あなたバチ当たりよ」とも言った。




 その先生を仲間たちは「おばちゃん」と呼んだ。あだ名である。なぜか今でも鮮明にそのお顔を覚えている。その「おばあちゃん」、決して悪げも、ましてや傷つける気持ちもなかったのだろう。ところが歯車とはヘンなものだ。反抗期、というのか、多感な時期というのだろうか、その先生に対する受け止め方がまさに不思議な歯車にかみ合わさったように回転し始めた。「こんな、婆あ~の言うことなんか聞くものか」。




 以来、その「おばあちゃん」の音楽の授業は無視。か弱き抵抗だった。ペーパーテストの答案用紙は無理やり白紙で出した。ある時、その先生は私を職員室に呼んだ。「君は毎回、試験の答案をなぜ白紙で出すの?そんなことをすると損だわよ…。あなたの成績はどの教科もいいのに音楽だけは零点。総合得点や平均点を下げるだけじゃあないの。どうしてなのよ…。音楽が零点でなければトップクラスになるのに…」。


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 その中学では学期末や中間テストの上位者の成績を廊下に張り出したのである。英語や国語、理科、社会…。6~7教科はあったのだろう。学年で1番とか、2番とか、そんなことはどっちでもよかった。「おばあちゃん」への抵抗だった。今考えれば、バカなことをしたものだし、失礼なことをしたものだ。それよりも何よりも、今の音痴の原因、墓穴がそこにあったとすれば、シャレにもならない。「おばあちゃん」は既に鬼籍に入っておられる。




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岩魚の骨酒と二日酔い(再)

 夕べは飲みすぎた。二日酔いで頭がガンガンする。
「あなたはいつもそうなんだから。これからまだ忘年会、幾つも続くんでしょう。体も身のうちって知ってるでしょう。まったく懲りないんだから・・・」


酒



 その通りだ。歌の文句じゃないけれど、分かっちゃいるけど辞められないのである。お酒とはこれまた不思議。沢山飲めば、というより自分のじょうごを超せば二日酔いをすることくらいハナから知っている。しかし、それを何十年と繰り返しているのである。二日酔いの朝、それが重度であればあるほど素直に反省し「もうこんりんざい飲まないぞ」と思ったりする。






 ところが、街にネオンが輝く頃になると、身体も頭もそんな事をケロリと忘れてしまうのだ。あれほど不快感をもようした身体も快調、快調。元気いっぱい。それから先は言うまでもない。お酒を飲まない人や女房族は「なんて馬鹿な人達だろう」と、蔑みの目だ見るのだろうが、それが男、酒飲みの酒飲みたる由縁である。


酒


 「そんな事が分からねえのか」と、開き直っても見たいのだが、こればかりはその通り。反論の余地がないほど、みんなよく分かっている。「休肝日」という言葉だって知っている。週に何日かお酒を飲むのを休み、肝臓を労わるほうがいいに決まっている。まともな人なら「分かっているのならなぜ」と、言うのだろうが・・・。人間とはらちもない動物なのかも知れない。






 昨夜は中学時代の同級生達が集まる無尽会。無尽会といっても、あの頼母子講的なものではなく、気心の知れた仲間達がワイワイ、ガヤガヤ、たわいもなく話し、お酒を酌み交わすのである。みんなとっくに定年を過ぎて職場をリタイアしているから出席率は抜群で、月に一度の集まりには14人のメンバーがほとんど全員顔を揃える。





 決まった会場となる街の割烹の店では、この時期だから工夫した鍋物などを出してくれる。酒、ビール、焼酎、ウイスキーなどメンバーの酒肴もさまざま。この日は仲間の一人が岩魚の骨酒を用意して来てくれた。この男は根っからの釣り好きで、地域の漁業組合の幹部も務めている。





 この日のために冷凍保存しておいてくれた岩魚を熱燗の中に入れて飲むのである。岩魚は27~8cmもある立派なものだ。解凍したばかりの物を生のままお燗に入れるのだが、これがまったく生臭くないのである。べっ甲色になった骨酒は味と言い、香りと言い、絶品だ。


お酒


 「どうして生臭くないの?」「こんなでっかいヤツ、どこで釣った?」




 当然のことながらあっちからもこっちからも質問が飛ぶ。そこでまた当然のように、その男の解説が始まるのだ。その解説を肴にまた飲む。本当に、えもいわれぬ程旨いのだから盃が進むに決まっている。そして二次会はお決まりのカラオケ。今度はビールや焼酎。行き着く先は午前様。そしていつもの二日酔いである。明日は別の忘年会だ。






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アナログ人間のパソコン(再)

 何事にもいえることだが、基本を覚えることが大事。そんなことはよく分かっているのだが、現実には見よう見まねで始めてしまうことは多い。ゴルフもその一つ。今は腰を痛めて、ずっとクラブを握っていないが、ひところ、少しも成長しない自分にうんざりしながら、基本をしっかり教わればよかった、と思ったものだ。





 そんなことが分かってのことかどうかは知らないが、私がパソコンを始めて間もない頃、娘がキーボードを叩く練習用のソフトを入れてくれた。「特打」というヤツだが、結構うまくできている。練習すればいいのに、と思うのだが、ほとんど開いたことがない。ゴルフと同じで、キーボードの叩き方も全くの自己流である。ずぼらというか、目先で動いてしまうから、なんでもヘンな癖がついてしまうのかもしれない。


特打
       
特打1     特打2





 私がパソコンを始めてまだ間もない。高校時代の同級生が遊びに来たとき、「勤めがあるわけじゃないし、時間があるんだからパソコンでもやってみたら」と勧めてくれたのがきっかけだった。山梨市の西の境、笛吹市に近いところに住む萩原という男だが、この人は頭が下がるほど奇特な人で、何度も何度も出前で教えに来てくれた。




 ありがたかった。この人に出会わなかったら、おそらく一生パソコンに触れることがなかったと思う。人の出会いというものは妙なものだ。こんなことがきっかけで女房も関心を持つようになり、二人で山梨市が開いてくれたパソコン講座にも通った。入門編から始まってワード、エクセルと三つのシリーズに分け、2時間ずつ週4日、延べで12日間の講座である。 
パソコンをたたく手


 60の手習いである。講座を受けながらつくづく思った。萩原さんに基本的な操作を教わっていなかったら、その講座について行けなかったということだ。隣に座った女房なんか、事あるたびに「お父さんどうするの」 と、袖を引っ張るのである。基本的なことを教わっていた私でさえまごつく事だらけだったから、無理もない。





 考えてみれば、パソコンぐらい職場にいる時に覚えておけばよかったのに、つくづく思う。そうすれば、改めて講座に通ったり、今頃もたもたしていなかっただろうし、第一、給料分で覚えてしまえたはずだ。

マウス


 サラリーマン時代、パソコンが職場に顔を見せ始めた頃から、それに素直に着いていけないものだから、書類作りも部下に丸投げ。職場での地位というか、年齢的なタイミングからか、それが出来てしまったからいけなかった、と今にして思う。後の祭りだ。かつての部下である仲間達のことを思い出しては恨めしく思ったりもする。





 50代、といったら言い過ぎかもしれないが、少なくとも60代の人たちは私と似たり、よったりではないかと思う。中学や高校の同級生の無尽やユネスコなどの仲間たちとの飲み会で話すとき、パソコンに多くが後ろ向き。インターネットに至ってはなにをかいわんや、である。その口実は「目に悪い」「今さら」といったものだ。本当は逃げているのだが、飛び込んでみると結構面白い。食わず嫌いはいつの年齢にもある。





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体罰の是非と教育のツケ(再)

 隣にいる子、つまり幼馴染の頭から一筋の血が流れた。小学校の5年生の時だった。何が原因だったかは覚えていないが、担任の先生が筆箱で頭をコツーンと叩いたのである。その頃の筆箱はジュラルミンで出来ていて、上が半開きに開けられる角ばった物だった。




 それでコツーンとやったものだから力を入れなくても当たり所によって頭が切れて血が出よう。先生の弁解をする訳ではないが、決して向きになって叩いたわけではない。ちょっとした弾みで筆箱の角が当たってしまったのだ。




 血を見た先生は、ちょっとうろたえた。「ごめんよ。お父さん、お母さんに謝りに行こうか」。その子は即座に言った。「僕が悪いんだ。お願いだからうちには来ないで。大丈夫だよ」。

子供

 「僕が悪いんだ」という言葉は、その子の本当の気持ちだっただろう。その一方で「うちに来られたらまずい」と考えたことも確かだ。なぜそんなことが分かるのかって? 先生に殴られたことを親に知られたら「お前が悪いことをしたのだろう」と、今度は親からぶん殴られるに決まっているからだ。その子ばかりでなく、クラスのみんなが分かっていた。





 ここで私が言いたいのは二つ。まず一つは先生の叱りだ。結果的に筆箱の角が当たってしまったのだが、それは教師としての子どもへの戒めであり、決して感情的なものではなかったことだ。そしてもう一つ。子どもが取った態度。というより子どもを通して映し出す親達の姿である。どの家庭の親達も学校や先生達を信頼していた。少なくとも我が子のいたずらや非行を棚に挙げて、学校に飛んで行って噛み付くような親はいなかった。





 こんな姿を現代に置き換えて、こんなことを言う評論家がいる。「親達も高学歴化が進み、先生達と同格意識が強まった」。私はこの考え方は違っていると思っている。≪子ども達との目線≫の勘違いから先生を始とした目上の人たちへの尊敬の念とか、自分中心主義の是非を教えることを怠ったツケが親に表れているのだと思う。つまり、そんな先生に教わった子供たちが親になっているのである。もちろん、すべての先生という訳ではない。

親子
 いっぱいあるがもう一つだけ例を挙げよう。今度は中学校のケース。ある時、部活動に使う部室の前で起きた教師の体罰事件だ。先生が部室にあったドライヤーで生徒の頭を殴り、頭を切った生徒が病院に運ばれたというのだ。この事件の顛末を書き出したら長くなるので、その要点だけを書くことにする。




 先生が、久しぶりに訪ねてきた知人と部室の前で立ち話をしていた時のことだ。たまたま通りかかった生徒がすれ違いざまにその先生を小馬鹿にするような言葉を浴びせた。カッとした先生はお客さんである知人が帰るのを待って、その生徒を呼びつけ、ドライヤーでメッタ打ちしたというのである。その先生は普段は教育熱心な先生だった。




 少子化。そこそこの経済力。子どもへの教育投資。先生はもちろん、親達からも殴られることのなかった子どもたちが先生になっていく。もちろんそのことが悪いわけではない。しかし、どこを叩いたら危ないかすら知らない先生がいたとしたら、これこそ怖い。




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馬鹿と阿呆(再)

 「バカ」

 「バカとは何よ」

 「そんな事ですぐ向きになるからお前はバカなんだよ」

 「なにも、バカなんて言わなくたっていいじゃない。まったく~」


妻

 私と女房のよくある口喧嘩だ。不思議にもこの文字数が示すように、およそ夫婦喧嘩の発端はたわいもない事から始まって、エスカレートするものだ。





 この「バカ」(馬鹿)という言葉。かなで書いても、漢字でも二文字。しかし、その使い方、受け止め方によって喧嘩にもなれば、叱咤激励にもなる。「バカ、そんなことはないよ」といった具合に否定の接頭語的な役割を果たす事だってある。「バカ」に「め」をつけて「バカめ」となると女房はもっと向きになる。





 私はこの「バカ」という言葉を気にもしないし、気にもならない。関西人が「この阿呆」とよく使うように、むしろ、挨拶代わりみたいなものだ。もちろん、親しい仲間、気の置けない仲間同士のことだ。これをどこででも使ったら、失礼千万。

子供


 もう一つ、気にしなくなった訳がある。わんぱくな子供の頃、いたずらをする度に親父から「バカめ」「馬鹿野郎」と怒鳴られた。河原で水浴びをし、近くの畑のスイカ採りの競争をすれば、当たり前だが、見知らぬ親爺から「馬鹿野郎」。この言葉はわんぱく小僧の勲章のようなものだった。
子供2

 「そんな事が分からないのか」「もっとしっかり掃除しろ」。学校に行けば先生から叱られる。その言葉の頭と尻につく言葉はまた「バカ」だ。社会人になって会社に入れば先輩から遅いの、早いので怒鳴られる。ちょっとひどくなると「死んじまえ」だ。その後ろと前にはやっぱり「バカ」が付くのである。考えてみれば「バカ」と言われなかったのは大学の4年間ぐらいのものだ。ただ、そんな教授の顔は一人も覚えていない。






 この「バカ」「バカめ」には、全く悪意はなく、いわゆる親心の叱責であり、親身になっての励ましの意味まで含んだ表現であることが多い。人間、褒められたことなど記憶に残っていないものだが、叱られたことは覚えているものだ。教訓として受け止めているからだろう。叱られた先生や先輩ほど懐かしい。不思議な事に間違いなく親近感が増すのだ。





 これも不思議。叱った方は、それを忘れている。女房が向きになって怒るように深刻なものではないからだろう。ただ、私には一つだけ、反省にも似た「馬鹿野郎」の相手側の反応がある。もう15年ぐらい前のことだが、若い社員を「馬鹿野郎」と怒鳴った。将来に向けて育てたいと思った男だった。その社員は怒鳴られた途端、大粒の涙をボロボロ。「男のくせに、涙を拭け」と言ったら、また涙だ。


サラリーんまん

 同僚幹部が言った。「今の若いのは親や先生から怒られることもなく、ましてや他人から馬鹿野郎、などと言われたことがないんですよね。それが≪いいぼこ≫であればあるほどですよ」。確かにそうだ。親も先生も、ましてや隣の親爺も子供を叱らなくなった。先生や隣の親爺は見てみぬふりだ。





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おじさんのパソコン(再)

 ケイタイやインターネットは化け物だとつくづく思う。デジタルの世界にオンチなアナログ人間だからだろうか。どこまで行ったら到達点なのか、先が全く見えない。もう数十年も前になるが、娘に、確かスーパーマリオというゲーム機を買ってやり、一緒に遊んだ事がある。この時も、どんどん先に進む娘をよそに、いつも入り口であえなくダウン。その先に何があるのか毛頭分からずじまいだった。ケイタイやインターネットはこんなゲーム機とはわけが違うのだ。


スーパーマリオ


 「パソコンやインターネットを始めて年が浅いヤツに分かるはずがねえよ」。おっしゃる通り。このブログをお読みいただいている読者の皆さん方の大方はそうおっしゃるに違いないし、それを熟知されているから、ここにも来れたり、どこにでも一人歩きできるのだろう。





 しかし、私の場合、と言うより私も含めた仲間達の多くがと言ったほうがいいかも知れないが、例えばケイタイは「モシモシ」の道具に過ぎない。メールすら満足に打てない世代なのだ。絵文字なんてはじめて見た時にはキツネにつままれたようだった。あなた幾つ?私ですか?69歳。戦中生まれなんです。仲間達の中には「分かりっこない」が先行、メールすらしない人達がいっぱい。


ケイタイ  


 そんな人間達だからケイタイに内蔵されているさまざまな機能を操れるはずがない。でもみんなのポケットにはケイタイが入っているのである。「モシモシ」のまさに携帯電話なのだ。不思議にもカメラの機能だけはよく使っている。電卓だって同じ。足し算、引き算、掛け算、割り算、これにちょっと毛がはえた程度の機能しか使っていないのである。これまた「まさか」とお思いでしょうがホント



 「俺、ブログを開設したんだよ。URL教えるから暇があったら見てよ」


 「URLって何?」



 アドレスという言葉なら分かるが、URLとなるともう分からない。そう言う私だってブログを始めた3年ちょっと前、初めて知ったのだ。一念発起、女房と一緒にパソコン講座に通った時には、入門編、ワード編、エクセル編、いわゆる基礎講座だったからそんなことは教えてくれなかった。





 仲間達の中には言い訳なのか「この歳になってパソコンやインターネットをやると目に悪い」と言ってハナから触ろうともしない人達がいっぱいだ。そんなことを娘に話したら「お父さん、そんなもんだよ。仮に、ヘタだって、やろうとする事だけでもいい事さ」と、励まされた。ここでは親子が逆転である。

顔つきパソコン


 パソコンの入り口は、かつての仕事柄か、私たちの世代ではITに滅法詳しい高校時代の同級生が師匠だが、日常の先生はこの娘。≪二人の先生≫を頼りに毎日、悪戦苦闘。ハマルという言葉を久しぶりに実感した。お陰で、テレビを見ながらだらだらと続いた晩酌時間が減った。女房は、そのうち飽きるさ、と見ているらしいが、どうして、どうして・・・。




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高原の下草刈り(再)

乙女高原_convert_20111207154512


 一面に黄色く色づくクヌギやミズナラ、その間に間に真っ赤に燃えるナナカマドやウルシ。秩父多摩甲斐国立公園の一角にある乙女高原から見渡す紅葉は見事だった。杉などの常緑樹がその紅葉をいっそう引き立たせていた。甲武信岳、奥千丈岳、鶏冠山・・・。三角点に立って後ろを振り向けば、五合目から上を雪化粧した富士山が前衛の山を従え、稜線を引いて雄大にそびえる。空は限りなく青かった。




 この日の乙女高原行きは紅葉狩りなんかではない。高原の下草刈のためだ。標高1,700mの乙女高原は全国でも有数と言っていい野草の宝庫。春にはサクラスミレやツツジなどが一斉に花開き、夏を迎えるとキンバイソウをはじめ、100種類を超す花々が高原を彩る。まさに広大なお花畑だ。秋には控えめながらも、あっちこっちに、あの紫のリンドウが・・・。いずれの季節のお花畑にも周囲の白樺かよく似合う。



リンドウ


キンバイソウ


 下草刈はこうした高原の野草を守り、後世に伝えよう、と「乙女高原ファンクラブ」の呼び掛けで始まったものだ。ファンクラブのメンバーは同高原にやって来て見事なお花畑や自然に惚れ込んだ文字通りファンが集まって作ったもので、地元山梨はもちろん、東京や千葉、神奈川、埼玉、茨城など関東近県に広がる。週末、ドライブがてら家族連れでやって来るファンも多い。



 「どんな草原も放って置けば必ず森になる」




 数年前、山梨ロータリークラブの例会に招かれてゲスト卓話をした乙女高原ファンクラブの代表世話人・上原彰さんはこんなことを言った。森になるということは、言うまでもなく、日本で一番大きなスミレの花といわれるサクラスミレなどこの高原の貴重な野草が絶滅することを意味する。


スミレ



 毎年、11月23日(勤労感謝の日)の下草刈りと5月中旬の遊歩道作りは欠かさない。今年も200人を超すボランティアが集まった。多い年には300人近い人が集まる時もある。みんな手弁当で、刈払い機と呼ばれる草刈機や鎌などを持ってやって来る。錦織り成す山々、と言っても高原はもう完全に冬。吐く息は白く、冷たい風が頬を刺す。



草刈2
 

 午前9時。赤いトタン、丸太造りのロッジ前庭での開会式の後、200人を超すボランテアは一斉に高原に散って作業開始。一面に生い茂ったカヤを刈り、あっちこっちで大きくなりつつあるブッシュを刈り取るのである。山梨ロータリークラブからは会長、副会長以下11人が参加した。


草刈


 一帯は、かつてはスキー場だった所。その面積は760haにも及ぶという。全国的に高原のお花畑は冬のスキー場の跡に多い。長野県の車山高原スキー場のニッコウキスゲもその一つ。放って置くとブッシュが育ってスキー場の体を成さなくなるから、雪が降る前に下草を刈るのである。原理はみな同じだ。





 大勢の力とはすごいものだ。作業開始から3時間。広大な高原は綺麗になった。スロープになって広がる斜面を眺めながら、土曜日の午後、カバンを放り投げ、手作りのスキー板を担いでバスに乗り、麓から3時間も歩いてこのスキー場に来た子どもの頃を目に浮かべた。ついこの間のような気がするが、50年以上も前だ。この高原は毎夏、ユネスコの国際子どもキャンプでお世話になる。思い入れの深い所でもある。





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個人情報保護法の怪(再)

 「お父さん、駄目、駄目。これ、賞味期限が切れてるよ」

食卓に並んだプリンを食べようとしたら、自分のプリンの容器を何気なく見た娘が言った。

プリン


 「大丈夫だよ。傷んでいる訳じゃないんだから」と言ったら、一緒にいた女房までが「駄目、駄目」と、まるで汚いものでも見るような目つきで言う。賞味期限も、消費期限もみんな同じ。黙っていれば、プリンは残飯入れへ一直線だ。もったいない話である。




 「期限」という文字に人が異常に反応するようになった。よしんば、消費期限が切れたからといってすぐ食べられなくなるという訳ではないのに。おっと、これは生産者の立場で言ってもらっては困るのだが、実際には食べることが出来るのである。賞味期限とは、その商品を美味しく食べられる期限を言っているのに「食べられない」と受け取ってしまう。


卵


 商品にさまざまな表示をする。そのことはいいことだ。特に安全を真っ先に考えなければならない食品の場合、ことさらだ。しかし、今の私達は自分の舌や鼻を忘れてしまっていないだろうか。こんな表示が無かった時代、誰もが自分の舌や鼻で、それが食べられるか、食べられないかをきちっと判断した。




 ところが、いつの間にか、表示に頼りっきり。もしスーパーなどの店頭に賞味期限はおろか、消費期限切れの商品でも並んでいようものならきっと大騒ぎだ。物事をあまり考えることをしないまま、すぐに反応してしまうのである。





 例えがちょっと飛躍するかもしれないが、個人情報保護法というヤツもそうだ。普段、法律などに無頓着な国民が、なぜか、これには異常に反応する。昨夜、あるロータリークラブのホームページを検索したら、会員や役員部分はロックされていた。見られて不都合なものなら、初めから載せなければいいのだが、そこまで気配りしている。





 こんなことならまだいい。学校現場では、個人情報保護を理由に、子ども達の緊急時に使う連絡網の一覧表を廃止してしまったところがいっぱいだという。子ども達の名前や電話番号が明記されるからいけないのだそうだ。同好のグループや公私を問わず組織の中でも、誰かがその≪錦の御旗≫を持ち出すと会員名簿は消えてしまうという。


人々2  


 役所も、何でもかでも、個人情報保護の一点張り。空き家バンクの制度作りに奔走していた、ある宅建業界の役員が地域の空き家の実態を役所に調べに行ったら、この法律を盾に門前払いだったという。また交通安全協会の役員の場合、無事故無違反者を表彰するため、その資料を得ようとしたら、警察もやっぱり同じ。例は挙げ出せば限がない。






 人間が善良で円滑な市民生活をするために設けるルールが法律だ。第一、私達が日常生活の中で、法律を考えたり、意識してから行動することはまずない。普通の社会生活を営んでいる限り、現実には法律は空気みたいなものだ。五万とある法律の中で、これほど国民がヒステリックに反応を示す法律はないだろう。確かに、プライバシーの保護は大事だ。しかし、法の精神とは別に行き過ぎた解釈やむやみな反応は、人々の生活を阻害する。





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大根足と大根役者(再)

大根5


 「この大根め・・」
 大根の収穫をしながら、なかなか抜けない大根にちょっぴり腹が立って独り言を言ったらそばにいた女房が何を勘違いしたのか


 「大根とは何よ。お父さんの足なんかゴボウじゃない。まったく・・・」



 なにやら女房は自分の足のことをいわれたと思ったらしい。いい歳をしてそそっかしいのは今に始まったことではないが、それにしても面白い。確かに大根はずん胴で、女房の足によく似ている。


大根4


 真面目に怒っているのがまた面白くなって「これなんか、おまんにそっくりだよなあ」といったら、また怒っていた。この会話が聞こえたのか隣の畑で仕事をしていた老夫婦はこちらを向いて、軽く頭を下げ、ニコニコ笑っていた。



 いい天気だ。小春日和とはこんな日のことを言うのだろう。


秋の空


 「今日は暖かいですねえ」と声をかけたら、その老夫婦は帽子を取りながらこちらにやって来た。


 「立派な大根を作りましたね。これじゃあ百姓顔負けですよ」



 「お宅じゃあ、大根作らなかったですよねえ。これ持って行って、沢庵に漬けてみて下さいよ」


大根2


 このあたりは葡萄や桃、サクランボなどの果樹地帯だから本格的な農家は手のかかる野菜作りは、どちらかというと敬遠するのだ。大根をネコと呼ばれる一輪車に載せて女房に隣の家まで運ばせた。大喜びしてくれる老夫婦がまたうれしい。大根足と勘違いしてさっきまで怒っていた女房も愛想よくニコニコしていた。





 さてその大根だが、殺菌作用も持ち合わせていて、決してアタル心配のない野菜だそうだ。刺身のつまや、そのパックの下に大根の千切り?が敷いてあるのもそんな理由からだ。それが転じて生まれた言葉が「大根役者」。当たらない、つまり、いつになっても人気が出ない役者のことを言うのである。女房が言う「大根足」は、その形容から誰とはなしに言うようになったのだろう。

大根


 大根作りには土地が深い火山灰土の地域が適しているのだそうだ。山梨県では八ヶ岳と向かい合う茅が岳山麓の北杜市明野町の「浅尾大根」が有名。真っ直ぐであることはともかく、皮が薄く、沢庵漬けにはうってつけ。味もいい。茅が岳はあの登山家であり、エッセイストでもあった深田久弥さんが亡くなった山としても知られている。




 大根は、「青首」という種類のように地上にも伸びるが、当然、地下に生長する野菜だ。だから土の浅いところは適さないのである。私の地域は粘土質で土地が浅いから大根が真っ直ぐ伸びずに曲がったり、二股になりやすい。抜くのに一苦労する。そればかりか、力を入れると途中からポキンと折れてしまうのである。でも商品として出荷するわけではないからかまわない。今年も大根足ならぬ、しなびた女房の足のような沢庵が食べられる。





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裸になった柿(再)

柿_convert_20111130221551


 「お父さん、みんな採らないともったいないじゃないの」
 高い脚立の上に上って柿もぎをしている私を下から見上げていた女房が注意を促すように言った。


 「おまんは何にも知らんのだな。こうして木にいくつかの柿を残すのは、≪木守柿≫と言ってなあ・・・」



 柿の木の実をすべてを採らない理由(わけ)を説明してやったら「へえ~、そんなことあるんだ」と、この時ばかりは妙に従順な顔つきでうなずいた。よく考えてみれば、私のような田舎育ちの人間と違って、甲府の町に育った人間にそんな事が分かりっこない。脚立の上から独り言のように「木守柿」について話してやった。


柿3



 「木守柿」「きまもりがき」とも「こもりがき」「こまもりがき」「きもりがき」とも読む。木になった柿をみんな採ってしまわずに、いくつか残しておく実のことを言うのである。だんだん寒くなって食べ物がなくなる小鳥のために餌として残してやれ、と子供の頃、近所の年寄りから教わったものだ。このほか、来年の豊作祈願の意味合いもあるとも言う。この風習は野鳥など自然への人間の優しいいたわりの心であり、素朴な祈りなのだ。




 「桃栗3年、柿8年、梅はスイスイ18年・・・」と言うが、柿は梅などと共にすぐには実を付けない。我が家の柿の木はもう何十年も経つ古木で、今年もたくさんの実を付けた。毎年の事だが、東京や埼玉に住む弟達や親しい知人に送ってやる。沢山ならせすぎると、どうしても小ぶりになってしまう。



 今年もすでに何度か吹いた木枯らしで、柿の木はすっかり葉っぱを落とし、脚立の上には橙色に膨らんだ柿をぶら下げている。木枯らしと共にやって来る霜を受けると、甘味を増して、いっそう美味しくなる。形の大小は見栄えだけの問題で、味にはそれほど関係ないのである。この柿は「富有」という品種だ。


柿


 柿にはそのまま食べられる甘柿枯露柿などに加工しなければならない渋柿がある。それぞれ、さまざまな品種があるが、我が家の甘柿は、この富有柿と御所柿ぐらい。かつては次郎柿とか江戸一柿などの品種もあったが、今はない。一方、渋柿もさまざまな品種がある。甲州百目、蜂屋、富士、平角無、西条・・・・。このうち、我が家にあるのは最も人気の甲州百目。今、女房が近所の人に教わりながら枯露柿を作っている最中だ。




 甘柿と渋柿の関係をご存知だろうか。甘柿は渋柿の突然変異だと言われている。わが国特産の品種である。ただ、この渋柿も熟すとだんだん渋が抜けて甘くなる。特に形も大きい甲州百目の≪ずくし≫はうまい。一部は枯露柿にせずに保存しておいて冬中、この≪ずくし≫として食べる。酔い覚ましには絶品だ。





 女房ではないが若い頃、この柿で「へえ~」と思ったことがある。山梨県の八ヶ岳山麓に小淵沢という町がある。標高が7~800mはあるだろう。ここでは「富有」も「次郎」も甘柿はみんな渋柿。甘くならないのである。標高と柿の甘い、渋いの関係をご存知?





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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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