座敷の雛飾り(再)

雛人形2



「灯りを つけましょ ぼんぼりに・・・」
この間、節分、立春を過ぎたと思ったら、もう雛祭り。今年も女房が奥座敷に七段飾りのお雛様を飾った。一人娘が生まれた時、義父母、つまり女房の親から贈られたものだ。もう40年も前のことだ。でも少しも痛んでいない。サラリーマン現役時代、甲府に住んでいた時分は家が狭かったから、そこで飾ることもママならなかったが、今はスペースに事欠かない。こんな時は田舎家はいい。心なしか一つ一つのお雛様ものびのび、生き生きしているように見えるから不思議だ。


雛人形

 娘が生まれたのは昭和45年10月。この年は作家・三島由紀夫が東京・市ヶ谷の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で壮絶な自決を図った年。このショッキングな事件は娘の誕生の一ヵ月ちょっと後だったので鮮明に覚えている。私が28歳になろうとしている時だった。今の娘の年よりずっと若かったことになる。



 41年という歳月。あっという間だった。光陰矢のごとし。雛飾りを眺めながら、しみじみとこの言葉を実感した。ふと、周りを見れば、この雛飾りを贈ってくれた女房の両親と私の親父もとっくに他界。唯一残っていたおふくろも96歳の今年、この世を去った。晩年は自力での生活は困難になって、病院にお世話になっていた。認知症の症状が進んでもいた。主役の娘ばかりではなく、私たちにもこの雛飾りにはさまざまな思い出がいっぱい詰まっているのだ。お袋にとっては昨年の雛飾りが最後だった。

雛人形3


 田舎でも住宅構造は、どんどん変わり、合理的で、コンパクトな間取りになったので雛飾り、特に大型の雛壇飾りはしにくくなった。だからなのか、訪ねて来る近所の人や女房も含めての友人、知人はみんな自分の事のように大喜びするのだ。そこにはそれぞれの子ども達や自らの若かりし頃の思い出をオーバーラップしているのだろう。その一つ一つの顔は歳をとっても純真そのものである。
 その一人が言った。


「俺のところは男の子。毎年、端午の節句には鯉のぼりと武者のぼりを立てるんです。のぼりを立てるための竹竿が痛んでしまったので、知人にお願いして竹やぶから太い立派な竹を何本か頂いて来た。準備は万端。大きな鯉のぼりが今年も五月の風に泳ぎ、それを上回る武者のぼりがはためきますよ」


鯉のぼり



 自分の事のように嬉しそうだった。他の地方のことは分からないが、山梨では端午の節句に鯉のぼりと共に武者のぼりを立てる。文字通り武者絵をあしらったのぼりで、その丈は10m近くもある大きなものだ。鯉のぼりだって大きい。だから、それを支える竹竿だって、よほど太く、頑丈なものでなくてはダメ。市販の金属製のものだと風の圧力に負けてしまうのだそうだ。杉などの木を使う人もいるが、弾力のある竹の方がいいという。





 女の子にせよ、男の子にせよ、子どもの健やかな成長を願わない親はいまい。桃の節句、それを追っかけるようにやってくる端午の節句。そんな機会に大人たちも自らの子どもの頃を懐かしんでみるのもいい。しかし、我が家もそうだが、一人っ子が気になる。私の兄弟は4人だった。すでに結婚した甥、姪達には「子どもはたくさんがいい」と言っている。自分が歳を取ったらよく分かる。


雛祭り



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「世論」は化け物?(再)

 「百万人と言えども、われ往かん」


今の時代では、何か古めかしい響きさえある言葉だ。お前はどうだ? 俺? 気概としては持ちたいのだが、さて・・。やっぱり「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の類かな。


1


 この言葉、正しいと思ったら勇敢、果敢に物事に立ち向かっていくことを言う。その根本を一歩間違えると、一転、頑固オヤジ、偏屈人間に成り下がる。しかし、しがない私達のような市井の人間はともかく、国の将来を左右する政治家の先生方には、少なからずこの気概をお持ちいただきたいものだ。茶の間で、アホ面してテレビを見ながらそんな事を思った。世論なんてクソ食らえ。国家百年のため・・。そんな先生がいたっていい。





 柄でもない、ちょっと堅苦しい話になるが、大勢いる、あの衆参両院の先生方が「世論」の名の元に、みんなで右往左往している。言葉を変えれば、その「世論」を背中に背負って、言いたい放題。そこには政治家としての「自分」があるようには見えないのだ。世論、という百万の味方を背にしていると思っているからか、その顔は自信たっぷり。


国会議事堂


 でも、この「世論」とはいったい何者だろう。ヘンな世の中、こんなことを閣僚や政党のボスが言ったら、その日のうちに首がすっ飛ぶのだろうが、この「世論」というヤツ、私は、得体の知れない、いわば、化け物だと思っている。政治家先生だって、むやみに「世論」を言うわけにはいかないから、新聞やテレビ、いわゆるマスコミの論調を引き合いに出したり、多くはそこが実施する「世論調査」のデータを楯にする。




 さて、その世論調査である。新聞やテレビがその都度明記するサンプル数は、およそ3,000。全国でである。当然、回答率は100%というわけにはいかないから、いつも、その数は1,600~1,700。多くても2,000に満たない。一億2,000万人分の、その数だ。統計学的にはそれでいいのだそうだが、感覚的には、なんとなく首を傾げたくなる。


電話



 調査の手段は電話。私の家も過去に、たまたまその対象になったことがある。感情移入を避け、調査の公正化を期すためだろう、音声はコンピュータ。そこで、はたと考える。男女とか年齢が偏らないだろうか。独り暮らしならともかく、一家で電話に出る場合、確実に主婦・女性の方が多いはずだ。もちろん、統計学的には回答者の中で分析すればいいのだろうが、全体的なウエイトは主婦層に掛かっていることは間違いない。住民票の台帳を基にした、かつての調査方法と比べればかなりラフだ。




 そんなことはどっちでもいい。問題は、結果的に「世論」として世に出て来る個々の回答だ。身近な問題ならいざ知らず、内閣支持などといったら、私なんか、何を判断基準にしたらいいのかわからない。勢い、知らず知らずのうちに新聞やテレビの論調に左右されている。特に今のテレビのように、良きにつけ、悪しきにつけ、ことある度にあの大合唱をされたら、しがない私なんかどっちだって行ってしまう。ただ、私たちが普段、野良や炬燵でするお茶飲み話と、国会の先生達やマスコミが言う「世論」とは、何か、ちょっと違うことが多いような気がする。誘導されているような気がして。私ばかりだろうか。


街

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神頼みの心(再)

鳥居


 本当に祈っているのかと言うとそうでもない。それでは祈っていないかと言うと、それも違う。頼みごとも同じだ。先頃の初詣や、普段、旅行などで寺社、仏閣に参拝した時の心の内だ。神様を信じているとか、いないとかではなく、なんとなく手を合わせ、なんとなく賽銭を投げて、手を合わせている自分に気付く。私だけだろうか。


おみくじ


 ズボラではないとは言い切れないのだが、私自身、そんなにもズボラではないと思っている。だが、はたまた、日常の生活の中で、身近にある神棚に向かっても、これとまったく変わりない自分に気付いて「おれって、ちょっとヘンかな」と思ったりすることがある。そんな私と比べ、女房は毎朝と言えばウソになるが、よく仏壇と神棚に水を上げ、手を合わせている。だから、私だけがおかしいのだろう。




 そんな私でも、神棚の祭り方でずいぶん迷ったことがある。勤めを定年で辞め、甲府から山梨市の実家に戻る時のことだ。私の実家は祖父の時代に建て替えたという築80年以上の昔風の田舎家。大きい事は悪くはないのだが、幾つもの部屋という部屋はみんなふすまや帯戸一枚の仕切りだけ。住みにくいことこの上ない。


障子12


 このふすまなどを取っ払えば、一つの大きなホールになってしまう。その上、天上が高いから、夏場はいいのだが、冬は寒くてしょうがない。そこで、女房とも相談、一部を生活し易いようにリフォームした。居間とキッチンはカウンターを隔ててワンフロアーにし、さらに、そこと、ひと続きの所に書斎とベッドを設けた。つまり、キッチンを伴う居間と、寝室として区切らないベッドと書斎のある部屋は4本の引き戸で自由に開閉できる、文字通りのワンフロアーにしたのである。




 もちろん、それはそれでいい。ところが、はたと困ったのが神棚の取り付け場所
だ。神棚の置き場所にはいくつかの条件があるのだそうで、その一つは方角。南、または東向きにし、北、または西向きにはしないのだという。もう一つ、神棚の下を人が通り抜けしないところを選ぶこと、だそうだ。もちろん目線より高い所であることは当然である。


神棚


 そんな所は、いっぱいある、とお思いだろう。ところが、この幾つかの条件を満たす所は、あるようで、ないものだ。夏、冬の冷暖房のためのエアコンだって取り付けなければならないし、部屋全体の調和や美観だって考えなければならない。当たり前のことだが、神棚に足を向けるわけにはいかない。人は寝る時、北枕はしないから、その足側、つまり、その西、または北、南はダメ。そこに方角の南、または東向きの条件が絡むのだ。こう書いている本人だってこんがらかってしまうのだから、お読みになる方はなおさらだろう。



1


 人によっては、そんな事どっちだっていいだろう、と言われる方もおいでだろうが、いざ自分のこととなると、案外、縁起や風習に拘るもの。結局、幾つかの条件に適った所は、たったの一箇所だけ。それも、大きさを考えないと全体の調和が取れなかった。神棚の拝殿?には天照皇大神宮の分厚いお札。地域の道祖神や氏神様のお札も。女房は何か頂き物をしたりすると、仏壇と共にお供えしている。言葉には表さないが、えらいいものだ。





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女房と手紙(再)

 「お父さん、ハワイに手紙、書いてよ」

 「お前が書けばいいじゃないか」

 「だって、私、ヘタだもん。頼みますよ」


手紙2


 私の従兄弟で、ハワイに住む老夫婦からの度々の手紙を受け取った後、女房とこれまた度々交わす会話だ。従兄弟は私と20違う89歳。その連れ合いは女房とやはり20違う87歳。このところ、私たち夫婦がハワイに行ったり、あちらの夫婦が日本に来たりして交流する機会が案外多く、その度に世話役となる女房の方が、この老夫婦とは仲がいい。


海



 望郷の念もあるのだろう。近況を伝える手紙や写真、贈り物が度々届くのだ。女房もまた枯露柿を作れば枯露柿を、それに山梨の名物・鮑の煮貝や老夫婦の健康を気遣っては日本の栄養剤を送ってやっている。普段、腰が軽く、フットワークがいい女房は郵便局に行っての贈り物の処理は苦にならないようだが、なぜか手紙となると二の足を踏む




 人間、不思議なのか、当たり前なのか、女房も70近くになると、威張ったもので、時に、亭主に対して高飛車にモノを言う。ところが、こんな時ばかりは極めて低姿勢。「お父さん、頼みますよ・・・」。



 「バカっ、手紙くらい、お前が書け」


 「でも・・・」



 「手紙っちゅうもんはな、自分の思ったことをそのまま書けばいいんだ。うまく書こう、なんて考えるから、億劫になるんだ。継ぎ足し、継ぎ足しでいいんだよ。うまい手紙なんて味もそっぺもないじゃないか。むしろ、まずい手紙の方が味があり、親しみや、温もりがあるんだよ。途中で間違えたら、二本棒で消して、また続ければいいじぁないか」



 「お父さんはそんなこと言うけれど、そんなに簡単にはいかないわよ」



 こんな時、私は絶対に手を出さないことにしている。いくら言ってもダメ、と悟った女房は自分で書き始めるのだが、そっと見ていると下書きをしているのだ。



 ここでまた「バカっ、下書きなんかするヤツがあるかよ。うまく書こうとしたらダメ、と言っただろう」と言ったら、女房はまた「でも・・・」。


手紙



 女房ばかりではない。私たちは手紙というものを本当に書かなくなった。もう正月から三ヶ月近くも経ってしまったが、年に一度の年賀状も決まりきった印刷文字。年賀状は出すからまだいい。暑中見舞いや寒中見舞いなんか忘れてしまった。あっという間に日本中、世界中を席巻したケイタイのメールというヤツがこれに取って代わった。


ケイタイ2_convert_20110722215531  


 そして文章などとはおよそほど遠い、あの絵文字の氾濫だ。絵文字が使いこなせないアナログおじさんのひがみ、と、お若い方々から叱られるかもしれないが、この絵文字は確実に日本語をダメにし、日本人の文章力を弱めていくと思っている。絵文字ファンの皆さん、ごめんね。毎日ポストに入る郵便物はダイレクトメールと公共料金や税金の請求書くらいのものだ。いまに、本来の郵便屋さんはいらなくなる?




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お葬式の不思議(再)

生花2


 地元紙の山梨日日新聞は、紙面の一角に「おくやみ欄」を設けて、毎朝、県内の物故者と、その葬儀の日取りを伝えてくれる。地域別に整理してくれているから見易いし、第一、便利だ。当たり前だが、結婚式などのようにお祝い事の場合は、招待状が来るから分かる。見方を変えれば、その招待状が来なければ、行けないし、行かない。





 しかし、お葬式は別だ。招待状が来るわけでもないから、何らかのルートで連絡がない限り、お伺いすることが出来ない。だから、このお悔やみ欄は便利で、必ず目を通す。うっかりすると、友人、知人はともかく、そのご家族となると、お悔やみを仕損じかねない。ご不幸を後で知って、改めてお悔やみに参上するハメになるのだ。こんな時はいい訳タラタラである。


お焼香


 病人やお年寄りが最も身体にショックを受けるのは、暑さと寒さ。だから、ご不幸が起き易い時期は夏場であり、冬場である。新聞のお悔やみ欄も、それを顕著に物語っている。この冬はいつになく寒い。正直なことに、新聞のお悔やみ欄もやたらと大きい。


 この一年、お葬式にお伺いする回数がいつもより多かったような気がする。特に、夏から秋にかけてだ。昨年の夏が異常に暑かったためだろう。誰もがそうだろうが、私も親戚や友人、知人はもちろん、地域の人達のご不幸には、何をさて置いても焼香にお伺いする。年齢なのだろうか、結婚式など慶事は少なくなる半面、ご不幸の葬儀に行く回数がやたらと多くなった。


葬儀


 山梨の場合、葬儀の弔問は、特別の都合でもない限り、通夜と告別式の両方にお伺いするのが半ば慣例だ。弔問者は黒の礼服(略式)を着て列を作り、僧侶もお経の中身は違っても、同じようにお経を読む。だから弔問者の数は通夜、告別式共にほとんど変わらない。





 東京や埼玉、神奈川など他都県の葬儀にお伺いしたことがあるが、一般の弔問客のほとんどは通夜の一回。告別式は親族、つまり、お身内の方々中心のようにお見受けした。通夜に、焼香に来る一般の弔問客の服装を見ても、ネクタイだけ変えて、スーツは平服。会社の帰りに弔問するケースが多いという。いかにも都会の合理性が浮き彫りになっているように見えるのだ。





 いつ頃から葬儀当日に行うようになったのか分からないが、いわゆる、ぶっつけ七日と呼ばれる初七日法要の仕方も違う。東京などの方式が親族中心であるのに対して、山梨は多くの一般をも巻き込み、参列者は100人,200人は当たり前。多いケースでは斎場には入りきれないので、ホテルなどで300人を超す規模の法要も。


盛り籠



 各地に斎場が出来て、かつての自宅葬はほとんど姿を消した。農協、つまりJAも参入して斎場業界は、そのシェア拡大にヒートアップ気味だ。人間、誰しも迎える終末。遺族が受け持つ葬儀の仕方も所変われば、である。いつかはみんなが行くあの世へのお見送りもさまざまで当たり前か・・・。





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犬の散歩(再)

犬


 庭の植え込みと葡萄園の向こうを東西に走る幅六尺弱ぐらいの古道を、近くのおばさんが大きな犬に引かれるようにして通る。ふと、机の脇を見たら、時計の針は午後五時ちょっと過ぎを指していた。この散歩、毎日の日課のようで、決まってこの時間に通る。今日は寒い。おばさんは、夏場に農家の主婦が日焼けを防ぐために、両方の頬まで包むように使う大きなつばつきの帽子を頭からすっぽり被って、寒さに完全武装といった格好だ。





 ひと頃より、陽が長くなった。あたりはまだ明るい。こうしてパソコンを叩いている私と目が合ったのか、おばさんはぺこっ、と頭を下げた。私も窓越しに頭を下げた。立ち上がって窓を開け、手招きをすると、おばさんはニコニコしながら石の門柱の間を通って、30mぐらいのじょう口をゆっくりとこちらに入って来た。


裏道3


 「毎日、よく歩きますねえ」



 「この犬、繋ぎっ放しじゃあ、可愛そうだからねえ・・・。でも、本当は自分のため。言ってみりゃあ、このワンちゃんに一緒に歩いてもらっているんですよ」



 おばさんは、足元に静かに座り込んだ身長7~80cmもありそうな大きな犬をいたわるように見ながら



 「私等、こうでもしないと、一日中、なんぼうも歩かんですもの。野良に行くのは軽のトラック、買い物も、もちろん車ですもんねえ・・・」



 「そうだよねえ。俺も、ここに帰ってきてからというもの、本当に歩かなくなっちまった。寒いから家に籠ってパソコンなんか叩いていりゃあ、なおさらだよねえ。暖かくなったら万歩計でも買って、歩くことにするか・・・」



 「そうですよ。人間歩かにゃあいけませんよ。この辺でも、みんなよく歩いていますよ。お若い人だってねえ・・・」



 「ところで、おじいちゃんの足腰はどう・・・」



 「それが、あんまりよくないんですよ。特に寒い時期だからねえ。病人と二人暮しだと、こうでもして、外でも歩かないと、気がめいっちゃいますよ。私ゃあ、このワンちゃんと話しながら歩くんですが、知らず知らずのうちにワンちゃんに愚痴を言ってるんです・・・。さあ、ぼつぼつ帰って、おじいちゃんの夕飯の支度、しなきゃあねえ」




 おばさんのご主人は、もうとっくに80を過ぎている。体の具合も悪いから、もちろん畑仕事なんか出来っこない。やっと、かなりの面積の葡萄園やサクランボ畑を耕作してくれる人を探して委ねたという。



 「おばさん、ほうれん草、持って行ってよ。俺が作ったもんだから、大したもんじゃあないけどねえ」



 「いつも、済みませんねえ」。年老いたおばさんは新聞紙に包んだ、ほうれん草を小脇に抱え、また犬に引かれて帰って行った。その小道を、このおばさんとすれ違うように中年の夫婦がやっぱり犬を連れて歩いてきた。陽はすぐ西の山にとっぷりと沈もうとしていた。


裏道2


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友の面影

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 「脛(すね)に傷がある」とか「叩けば埃(ほこり)が出る」といったら、少なくともまともな生き方をしている人に当てはまる言葉ではない。極道の世界、と言ったら言い過ぎかもしれないが、お天道様をまともに見れないような人生を歩んでいる人のことを言う。そんな人たちに怖がられ、また、ある時には相談相手にもなっていた男がいた。




 高校時代の同級生。ざっと40年、山梨県警で刑事畑一筋に歩んだ男。階級がもの言う警察社会にあって、「昇進などクソ食らえ」とばかり、デカ(刑事)の道を歩んだ。「お前、昇進試験を受けろ」。親しい友の忠告もガンとして聞かなかった。「一人くらい、俺のような変わり者がいたっていいじゃあないか」。




 勤務中でも暇さえあればコツ、コツ勉強して昇進をうかがう同僚警察官を横目に、靴をすり減らして丹念に質屋を回って泥棒を追い、捜査の畑を一課から二課に代われば暴力団の動きを鋭く探った。「脛に傷がある」人たちにとって怖い存在であるに決まっている。


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 見かけはぶっきら棒だが、内面は優しさを備えた男。自らが逮捕し、刑務所に送った男を出所後、陰に陽に面倒を見ていた。「罪を償い、改心すれば立派な社会人さ」。



 退職後、連れだって街を歩いていた時のこと。前から歩いて来たいかにもチンピラ風の男が、


 「お旦那、ご無沙汰しています」


 ぺこりと頭を下げた。


 「真面目に仕事、やってるか?」


  「へえ・・・」


 ドスが効いている言葉の裏側に、この男の思いやりと、二人の信頼関係にも似たものを感じたものだ。その男が逝って、今年の7月は一周忌。早いものだ。



 毎月13日に開いている無尽会にも、当たり前だが、その男の姿はない。この会は日川高校時代の同級生の親睦会で、その名は卒業回数が13回であることから「十三会」(とうさんかい)と名付けた。「父さん」たちの会、をもじってもいる。


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 人間とは不思議で、さもない会合であればあるほど、なぜか毎回、みんながそれぞれに同じ場所に座る。誰が決めたわけではない。無意識のうちにそれぞれの場所に収まっているのである。割烹の座敷に、まだその男の面影は残っている。



 「(主人亡きあと)家族みんなが明るく、元気にしなければ、とみんなで頑張っています…」



 奥様からそんなお便りを頂戴した。娘さんを新潟の大学教授に嫁がせ、甲府のお宅は会社勤めの息子さんと、年老いたお母さんの三人暮らし。私たち月に一度の無尽会ですら、その男がいないのに違和感があるのだから、ご家庭、ご家族にとっては、ポッカリ空いた大きな穴は簡単には埋まらないだろう。



 「思い切って海外旅行に行って来た」という。女は強い。そうでなければ困る。




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身体の傷

 頭が空っぽ。何も考えずに、ただボ~っとしている時間もいいものだ。四角に畳んだ手拭いを頭に乗せ、大きな湯船にどっぷり浸かる。車で5分と掛からないところにある公営、または民営の日帰り温泉のひと時である。

温泉湯_convert_20120215131609


 朝の時間帯だから、まだお客さんの数はまばらだ。一人、二人と、だんだん増えて来るのだが、夕方の時間と違って、ごった返すようなことはない。特に、公営温泉の場合、65歳以上の、いわゆる高齢者に対する割引制度があって、わずかに150円で温泉の恩恵にあずかれるとあって、もちろん、その対象者が多い。


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 受付カウンターでなくても、そのことは一目瞭然。裸になれば、なおさらのこと、その人の歳は、おおよそ分かる。体は年齢の鏡のようなものだ。それにしても、年取ると、人間、体のあっちこっちに傷を刻むものだ、と変な所に感心した。




 腹のど真ん中に縦に一直線。胃癌か何かを手術したのだろうか。今ではいい薬が開発されていて、胃潰瘍や十二指腸潰瘍では切開手術は滅多にしないという。中には横っ腹の上部から背中に大きくカーブした手術痕も。肺の手術でもしたのか。足の膝に大きな傷を持つ人もいた。歳のせいだろうか、体に大なり、小なり手術の傷を刻んだ人は多い。多い。盲腸(虫垂炎)の手術の跡などは、珍しくもない。



 「何の手術をしました?」



 「胃癌ですよ。もう15年ぐらい前になりますがねえ。全体の3分の2の胃袋を取っちゃいました。もう普通に飯も食べられますし、医者も再発の危険はないと太鼓判を押してくれていますよ」


 「よかったですね。実は、私もいろいろの所を切りました。最初が盲腸、次が痔、さらに胆石も。痔の手術は表に出ませんが、盲腸は、ほら、こんなに大きな傷が。一番最近の胆石の手術痕は消えちゃいましたよ」



 「全く傷跡がありませんねえ」



 男同士、同病相哀れむとでもいうのだろうか。初めて出会った人とは思えないように話が弾み、滑稽にも湯船を立ち上がってお互いの傷を見せ合った。


温泉湯桶_convert_20120215132118


 「まあ、こうして笑いながら、お互いの傷を≪なめ合う≫のも生きている証ですよね」



 「それにしても、あなたの胆石の手術痕は消えてしまったのに、話を聞けば同じころの盲腸の手術の跡が大きく残っている、不思議ですなあ」



 「盲腸の手術にはいわく因縁がありまして…。一方の胆石の手術は、新しい技術での手術でした。お腹を切開するのではなく、お腹の3か所に穴をあけ、1つの穴にカメラを入れ、画面を見ながらの操作で、残る2つの穴から胆嚢を摘出したのです。お腹を切開しない分、体に負担がかからないばかりか、後々、傷も残らないんですよねえ」



 「脛(すね)に傷」。生きて来た証とも言える体の傷を語り合いながら、これとは全く違う≪人生の傷≫と向き合った一人のデカ(刑事)を思い出した。(次回に続く)




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心頭滅却すれば…

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恵林寺


 山梨市や甲州市、笛吹市などを中心としたこの辺りを山梨県では、峡東地方と呼ぶ。ブドウや桃、スモモ、サクランボ。県内屈指、というより全国屈指、と言ってもいい果樹地帯である。恵林寺、向嶽寺、放光寺、大善寺、慈雲寺…。一方で寺社の名刹も多い。京都五山、鎌倉五山に習って、山梨の人たちは峡東五山などと呼んだりする。




 恵林寺は臨済宗妙心寺派で、武田信玄公の菩提寺。向嶽寺は同じ臨済宗ながらも向嶽寺派の総本山。放光寺は安田義定ゆかりの寺として知られ、慈雲寺は見事な枝垂桜、樋口一葉の碑のある寺としても知られている。一年を通して観光客や参拝の客が絶えない。この辺りには、ひなびた公営、民営の日帰り温泉も多いから、観光客にはちょっとした行楽のスポットなのだ。




 知名度では、やっぱり恵林寺。山梨では今も昔も武田信玄公のインパクトは抜群だ。恵林寺は信玄の菩提寺であると同時に、武田家滅亡の道筋にあった寺でもあった。天正10年(1582年)4月、織田徳川連合軍は恵林寺を焼き討ちし、その時を前後して武田勝頼を恵林寺と目と鼻の先ともいえる天目山に追い詰めて、自刃させるのである。


恵林寺2_convert_20120210173220


 「安禅必ずしも山水を須いず 心頭滅却すれば火も亦涼し」



 恵林寺の焼き討ちは知らなくてもこの詩は日本人の多くが知っている。恵林寺の三門に集められた僧の中心人物・快川和尚が唱えた詩の一節。無抵抗の、しかも150人もの僧を三門に閉じ込め、非道にも焼き殺す織田徳川連合軍。後の人たちがどちらに加勢したかは言うまでもない。

恵林寺5_convert_20120210174439


 「心頭滅却すれば…」。これだって日本人の心には何故かフィットする。この詩、快川和尚が詠んだと早合点する人たちが少なくないが、実は快川和尚の時代より600年も遡る唐の時代に中国で詠まれた詩「夏目悟空上人の院に題するの詩」なのである。作者は杜荀鶴



 三伏閉門披一衲  三伏門を閉ざして一衲を披る


 兼無松竹蔭房廊  兼ねて松竹の房廊を蔭にする無


 安禅不必須山水  安禅必ずしも山水を須いず


 滅却心頭火亦涼  心頭を滅却すれば火も亦涼し



 つまり「心頭滅却すれば…」は杜荀鶴が詠んだ七言絶句の詩の結句部分なのである。この四行の詩をすべて知らなくても「心頭滅却すれば…」の結句部分だけが日本人の間に独り歩きしているのが面白い。そんなことはどっちでもいい。山梨県人の一人として口惜しいのは、織田徳川連合軍の恵林寺の焼き討ちと武田攻めの時期。



 「時は今 雨が下しる 五月かな」



 ご存じ、明智光秀の辞世だ。光秀による本能寺の変は、その2か月後。「ればたら」を言ったところで仕様もないが、光秀があと3か月本能寺の変を早めていたら…。その場合、武田勝頼は天目山で自刃をしていなかったし、武田の滅亡の時期も確実に変わった。「心頭滅却すれば…」の一節も、快川和尚だって時代の人となっていなかったかもしれない。




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日帰り温泉と銭湯

 このところ毎日のように行く近くの日帰り温泉「花かげの湯」にゆっくりと浸かりながら、ふと学生時代や社会人になってからの東チョン時代、お世話になった銭湯を思い出した。


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 元々、山梨市の片田舎に生まれ育ったから,銭湯などには全く縁はなく、みんな内風呂。内風呂と言えば聞こえはいいが、何のことはない。よくて五右衛門風呂。多くはドラム缶の風呂。もちろん戦後間もない頃の話だ。流石にドラム缶の風呂は間もなく、なくなったものの、内風呂とは名ばかり。少なくとも今のようなスマートなものではなかった。



 だからか、銭湯には憧れにも似たものを感じた。20歳前後の頃だった。今の新宿区西早稲田、当時の戸塚二丁目で下宿生活をしていた学生の頃、近くにある銭湯に行くのが楽しみだった。大きなタイル張りの湯船、その湯船をスクリーンのように飾る壁面の絵。決まって帆掛け船が浮かぶ海の絵だった。前景には松原が、遠くには富士山浮かんでいた。いくつものがゆったり泳ぐダイナミックな図柄もあった。


東京町並み昔_convert_20120210121520


 番台には、年恰好が同じぐらいの綺麗なお嬢さんが。だんだん親しくなってウインク一つで風呂代をまけてくれるのである。50年もたった今でも、そんな光景を鮮明に覚えている。それから10数年後。今度は同じ東京でも麻布の狸穴(まみあな)に住んだ。社会人となって東京支社勤務を命じられ、単身赴任。いわゆる東チョン生活である。



 もちろん社宅のマンションには小奇麗な風呂があるのだが、すぐ近くに銭湯があったこともあって、こちらが優先。根っからの田舎者の銭湯への憧れだったかもしれない。銭湯とは不思議。生活パターンがどこか一致するのか、その時間、その時間で顔ぶれの多くが同じになるのだ。


 「またお会いしましたね」


 何時しか挨拶を交わすようになり、次第に気心が通じた友のようにも。


 「肩を流しましょうか」


 「ありがとうございます」


 その数はだんだん増えていく。その会話や付き合いは、学生時代のそれとはどこか違う。サラリーマンの悲哀も語れば、政治談義もする。のんびりと大きな湯船に浸かりながら、お互いに肩を流しあいながらの、たわいもない時間は至福の時間と言っても過言ではない。


 「あの男も、あの男も、とっくに定年になっちまっただろうな」


 もう二度と会うことはないだろう若かりし頃の銭湯仲間を懐かしく思い起こした。


温泉風呂湯_convert_20120201134533


 銭湯は日本人に様々な文化をもたらした。文字通り裸での付き合いは、人と人との本音の語らいを生み、人を信じることを教えた。肩を流し合う、そんな、ちょっとした行為が人間間の信頼関係を生んだ。スキンシップである。街から銭湯はどんどん姿を消した。



 社員旅行やグループで出かけたホテルや旅館の大浴場で、肩を流し合う先輩後輩の姿は見たくても見ることが出来なくなった。そんなさもないことの欠落が人の心に…。




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ふるさと創生

 甲府の湯村温泉郷や積翆寺温泉郷、南アルプスの麓にある下部温泉郷、比較的新しいとはいえ石和温泉郷など、山梨県には名のある温泉郷が多い。多くが武田信玄公の隠し湯として生まれたと伝えられ、その歴史が刻まれている。武田の治世、川中島の合戦など、戦に明け暮れた頃、傷病兵の治療に使ったというから、効能を説明するまでもない。


石和温泉_convert_20120208214836


 湯村温泉郷や積翆寺温泉郷、下部温泉郷がそんな歴史を持っているのに対し、石和温泉郷は文字通り新興の温泉郷。昭和30年代の後半、河原のような所に突如として湧き出た温泉は、あれよあれよという間に現在の温泉街を造り上げたのである。




 山梨にとって、その石和温泉郷の出現が第一次の温泉ブームとすれば、第二次の温泉ブームは、昭和の終わり。時の竹下内閣の時代である。竹下内閣は「ふるさと創生事業」の名のもとに、全国の市町村に1億円をばら撒いたのである。市町村はその使途に戸惑いながらも、それなりに知恵を絞った。中には金の延べ棒を買い込んで話題をさらったところも。金なら価値を変えずに
後世に残る、と考えたのだろう。




 山梨県の場合、どこが火付け役になったかは定かではないが、我も我もと温泉掘削に走った。そこにはそれなりの理由があった。当時、米国系の掘削会社は「成功報酬」を前提とした温泉掘削の請負システムを提案、≪不労所得の≫の小金を持った市町村は「それなら」とばかり温泉掘削に飛びついたのである。これと言って妙案のない市町村長や役人は、1億円の使途をリスクが伴わない温泉掘削にかけたのだ。住民福祉が大義名分であったことは言うまでもない。




 この温泉掘削に失敗した市町村はなかった。何のことはない。掘削技術の進歩で岩盤などの障害をものともせずに、より深く掘ることを可能にしたためだ。富士山噴火がもたらした溶岩の岩盤も敵ではなかった。今では「1,500mも掘れば、どこでも温泉が出る」とまで言われている。




 お蔭で、山梨県中、どこに行っても公営の温泉施設にありつける。大きな市だけでなく、小さな町や村に行っても温泉がある。平成の合併で、町や村の数は激減したが、山梨県の隅々にまで点在する公営温泉は、ざっと23年前、竹下内閣がもたらしたふるさと創生事業の産物なのだ。

温泉_convert_20120208215358
HPより


 このところ毎日のように行かせていただいている「花かげの湯」や「鼓川温泉」「みとみ笛吹の湯」は山梨市に合併する前の牧丘町や三富村が造ったもの。山梨県中に点在する公営温泉は、一皮むけば、維持管理やメンテナンスなど問題を抱えている所もあるだろうが、住民はそれなりの恩恵を受けていることも確か。中には登山客や観光客など、その立地条件が功を奏して一日、3,000人を超す入館者を記録する施設もあるというからバカには出来ない。




 「花かげの湯」の隣には多目的ホール、これまた「花かげホール」が。その前庭には、童謡「花かげ」の歌碑がデンと設けられている。作者・大村主計の名と共に。(次回に続く)

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一縷の望み

 私が、このところ毎日のように温泉に行っているのは、暇だからでも、好き好んででも、ましてや保養のためでもない。温泉効果に一縷(る)の望みをかけていることに他ならない。むち打ち症(頸椎捻挫)を患って2年半。何ともはかばかしくないのである。


ムチウチ


 総合病院の整形外科でレントゲンやCT、MRIを撮り、石和温泉郷の一角にある温泉病院で針やマッサージ(OT,PT)などのリハビリ治療もした。


リハビリ室  


 症状? 首筋から肩にかけて、詰りというか鈍痛を覚え、真(まこと)に不快。日中の動いている時は、気がまぎれるせいか、それほどでもないが、夜が大変。首から肩にかけて痛みがひどくなって目が覚めてしまうのだ。それも1時間から1時間半おきである。レントゲンやCT,MRIを駆使してもその原因が分からない。


 「いったい、私の病名は何?」



 そんな問いかけに、総合病院の整形外科医は、腕組みしながら考え込んだ末、メモ用紙に「リューマチ性○○」と、病名を。そこで親しい医師の紹介もあって、リューマチ専門医に診てもらった。ところがそのリューマチ専門のお医者さんは「これはリューマチ性のものでは断じてありません」と。



 「いったい、俺の病気は何? この痛み、なんとかしてよ…」



 その医師の処方による薬も飲んでいる。その一方で、同医師の勧めもあってマッサージ治療も。こちらは保険の適用外なので治療費は高額。藁をも掴む思いで続けているのだが、好転の兆しはない。そこで考えたのが近くにあって、気軽に行ける温泉となったわけ。


温泉風呂湯_convert_20120201134533


 寒い。今年は植木の手入れもほとんど手つかず。ブドウ栽培と決別することを決め、棚の葡萄の木を伐り始めたものの、それもまだ途中まで。雪を恐れて小枝までは切り落としたが、本格的な作業はこれから。野菜畑はこの時季だから放置していてもいい。とにかく寒さにかまけて諸々の仕事を先送りしていることだけは間違いない。



 「ええ~い、いっそのこと、この時期に医者通いとは別の角度から肩の治療をしてみよう」




 午前10時の開館時間を待って公営の「花かげの湯」へ。高齢者の割引制度があるので、65歳以上の山梨市民は、わずかの150円。はたして結果は分からないが、薬を入れれば数千円、保険診療外のマッサージ治療代まで入れると、1万数千円も支払わなければならない≪医者通い≫と比べれば雲泥の差。温泉通いは、まだ10日足らず。結果は出してくれないが、夜の痛みが、いくらか和らいだような気がする。


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 朝の早い時間帯だから、そこで行き会う顔ぶれは大同小異。


 「私ゃあねえ、畑仕事の無理がたたったのか、足腰が痛んでねえ…。でも、ここに来るようになって不思議に思えるほど具合がいいんですよ」


 同年輩よりちょっと上に見える親爺さんはこんなことを。「第一、温泉は気持ちがいいですよねえ。身も心もリフレッシュしますよ」とも。確かにそうだ。




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温泉大好き

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 日本人は総じて温泉が好きだ。テレビもそんな日本人の受けを狙ってか全国各地の温泉を紀行風に取り上げる。食べ物紀行などと並んで結構、視聴率を稼げるのだろう。食べ物紀行もそうだが、よくよく考えれば、たわいもない番組。でもなぜか見てしまう。家族団らんの茶の間には、時にはうってつけかもしれない。




 そんなテレビの≪援護射撃≫もあってか、この辺りの日帰り温泉には、「はとバス」など大小の旅行社の観光バスが繰り込んで来るようになった。石和温泉郷や下部温泉郷など、いわゆる温泉郷のホテルや旅館ではない。ひなびた公営や民営の日帰り温泉である。豊富な湯量の露天風呂や、そこからの眺望が売り。




 山梨市の小高い山の頂に近い所にある「ほったらかし温泉」は、広い露天風呂もさることながら、そこからの眺望は自慢に値する。山の上だから、甲府盆地のざっと半分を見渡せるばかりか、真正面には御坂山塊を前衛にした富士の雄姿、その左側には大菩薩峠、右側には南アルプス…。主に首都圏からのお客さんだが、これを喜ばない筈がない。


ほったらかし温泉
ほったらかし温泉:HPより


 テレビや雑誌の威力は大きい。バス一台単位で送り込んでくるツアー客ばかりでなく、家族連れやグループ客だって多い。むしろマイカーでやって来る、そんなお客さんの方が多いのかもしれない。公営、民営の日帰り温泉が点在する笛吹川の上流は奥秩父。秩父多摩甲斐国立公園である。



 「このご飯は、当館の温泉で炊いたものでございます。お膳のヤマメやイワナは、目の前の笛吹川で捕れたもので…」


 15人ぐらいのツアー客らしい御一行様を前に女将は満面に笑みをたたえて昼食のご接待。ここは民営の「はやぶさ温泉」。「はやぶさ」の名はその地域の「隼地区」からとったもの。あの「心頭滅却すれば火も亦涼し」の掲額があって、武田信玄の菩提寺としても知られる恵林寺のすぐ近くにある。


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 女将の補助を買って出たのか添乗員らしい女性は、こう付け加える。


 「お食事の後は、ここでちょっとくつろぎ、後はゆっくり温泉をお楽しみください。ここは自噴で、かけ流しの温泉です。何処のお湯も飲むことが出来ますし、体のためにもいいと言われています」


 「へえ~、かけ流し。贅沢だわよねえ…」


 お客の一人がこんなことも。この辺りの温泉は多くはかけ流しで、この温泉では大きな内風呂の隅にある大きな鯉を形取った給湯口から、とうとうと40度を超すお湯があふれるように流れている。

はやぶさ温泉鯉
はやぶさ温泉:HPより


 常連のお客は、大きなペットボトルを何本も持って来て、ここで汲み取っては家庭に持ち帰るのだ。晩酌の水割りや、ご飯を炊くのにも…。

はやぶさ温泉水


 「私ゃあねえ、この温泉水を飲むようになって、体の具合が良くなったんですよ」



 そのお客は「あなたも飲んだら」と言わんばかりに言った。(次回に続く)




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近くの温泉

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花かげの湯(山梨市)


 私が今、毎日のように行く温泉は、我が家とは目と鼻の先。距離にして1㌔ちょっと。車で2~3分の所だ。この辺りは温泉が豊富で、少なくても車で10分か15分の圏内に10近い温泉がある。一部は民営だが、多くは公営。地元山梨市や山梨市の社会福祉協議会の経営だ。




 公営温泉には市民、特に65歳以上の高齢者には割引制度があって、入浴料は150円。厳密には「山梨市高齢者温泉利用助成事業」と言うのだそうで、市が発行するカードを提示すれば、その料金で済むのである。




 この辺りは甲府盆地の東北部。大きく見れば山間の果樹地帯のど真ん中を笛吹川が流れている。温泉は、その支流を含めて、何故か笛吹川の沿線に分布しているのである。名称も今は名前を変えたが「笛吹川温泉」「鼓川温泉」「みとみ笛吹の湯」など川をネーミングしたり、「花かげの湯」のように、その地域が生んだ童謡の題名をそのまま拝借している所も。


ほったらかし温泉
ほったらかし温泉(山梨市)HPより


 中には「ほったらかし温泉」のように、その名前だけで素朴なイメージを醸し出してくれる温泉もある。「坐忘」のように個別棟の宿泊施設を整え、ちょっとリッチな隠れ家的な温泉も。こちらは温泉旅館だ。共通しているのは立派な露天風呂を備え、休憩や食事のサービスもあるから2時間、3時間単位の入浴ばかりでなく、一日ゆったり保養することも出来る。




 「笛吹川温泉」を閉めて、「坐忘」という温泉旅館に絞った所は別に、公営の温泉施設は、民営の温泉に配慮した料金設定をしていて、高齢者を中心にした割引は、市内在住者に限っている。公営よりちょっと高い民営もワンコイン、つまり500円玉一つでゆっくり入浴出来る。市内65歳以上に限られているが、入浴料150円は、何ともありがたい。


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笛吹川温泉坐忘(ざぼう):HPより


 この辺りは果樹地帯。春から初夏にかけてはサクランボ、夏はモモやスモモ、秋はブドウ、それが終わると枯露柿づくり。今の時季は、いわば農閑期だ。温泉でゆっくり体を休める農家の人たちが目立つ。繁忙期だって一日の仕事を終え、夕食前に「ひとっ風呂」としゃれ込む人たちも珍しくない。




 庭先の延長線みたいなところにあって、車ならひとっ飛び。第一、夫婦でも300円で温泉が楽しめるとあって、「内風呂より、ずっとマシ」と言う人も多い。農繁期の夕方、夫婦そろって農作業用の軽トラックでやって来るおしどり夫婦も。




 街の銭湯が体を洗う場所なら、こちらは体を休める場。滋養であったり、中には湯治を考えている客もいる。病院や薬では治らない、と温泉にかける人だって。だから銭湯と違って、それぞれの入浴時間は長い。1時間、1時間半は当たり前。中には2時間3時間と、ゆっくり露天風呂に浸かっている人も珍しくない。

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 温泉の露天風呂は、その地方の人たちのコミュニケーションの場でもある。二、三度会えば顔見知りになって、農作業などのよもやま話に花が咲く。(次回に続く)




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下駄スケート

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 「寒いですねえ…」


 このところ毎日のように行っている温泉の職員は、愛想よく語りかけた。


 「全く寒いですよねえ…。歳のせいですかねえ。今年はやたらと寒いような気がしますよ…」


 「いやいや、お歳のせいじゃあありません。本当に今年は寒いですよ」


 ロビーのカウンター前に置かれた券売機で入浴券を買い、受付の職員に渡しながら、そんな会話を交わした。

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 「でも、この寒さ、私らの子供の頃と比べれば、大したことはないんですよね。昔は家にある堀も田んぼも、この時季、みんな凍っちまった。そればかりか地域のため池も富士五湖もみんな全面結氷したもんですよ。湖はおろか、地域の田んぼでもスケートをしたもんですよねえ」



 「みんな、寒い、寒い、と言っているけど、昔と比べれば大したことはないんですよねえ。地球温暖化と言うヤツのせいじゃあないんですかねえ…」



 カウンター越しに話してくれた職員は見るからに50代半ば。この温泉は公営の施設だから職員の年齢は当たらずとも遠からず。69歳を過ぎた私とは少なくともひと回り前後離れた年齢だから、田んぼでのスケートなど知る由もないかもしれない。


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 戦後も間もない昭和20年代だった。無邪気な子供たちは家の近くの田んぼで下駄スケートに興じた。言うまでもなく今のような競技用のスケート靴があるわけがない。子供たちは隣町にある運動具屋さんに行って下駄スケートを買って来るのだ。一口に下駄スケートと言ってしまえば簡単だが、下駄は下駄。子供たちは下駄とスケートのエッジを別々に買って来て、それをドライバーで組み立てるのである。




 ご想像を頂きたい。歯のないポックリのような下駄にスケートのエッジを取り付けただけのものだから、そのままの状態で氷の上を滑れるわけがない。そこは子供とて工夫する。下駄と足をバンドでぐるぐる巻きして固定するのだ。バンドと言えば聞こえがいい。家にあるボロ布で作ったもの。靴のようにしっかりと足に固定しないまでも、なんとか足にフィットした。


高下駄2


 隣町の運動具屋さんと言っても、そことの距離は、7kmぐらいはあった。もちろん車に乗れるわけでもないし、第一、マイカーなどというものがない時代なので、子供たちは歩くか、自転車。その自転車も今のように子供用などないから、「突っ込み」と言って自転車の三角の部分に足を突っ込んではペダルを漕ぐのである。寒いから皹(ひび)や皸(あかぎれ)は当たり前だった。




 そんな経験をした人間が今、昼間から温泉に入り、「寒い、寒い」と言っている。そこに行くまでの格好もしっかりと保温してくれるヤッケ風の衣類や頭には、そこそこモダンな帽子も。子供の頃を考えれば何でもないはずなのに…。やっぱり寒い。(次回に続く)




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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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