フォーマルナイト

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 「お父さん、お父さんのフォーマルスーツはどうするの?私はそれなりのもの、持って行いきますけどね。靴は革靴? 私はハイヒールでいいんでしょう…」 



 「バカ言えよ。オレにタキシードでも着ろ、と言うのかい?田舎者がそんなものを着たら、まるでチンドンヤだよ。第一、タキシードなんかないじゃあないか。もし気になるなら背広にネクタイの一本も持って行けよ。カジュアルウエアでいいんだがなあ…」



 「そうもいきませんよ。私はそれなりに持って行きますよ」



 「荷物になってしょうがないじゃあないか…」


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 今度の旅に出る前、バカな弥次喜多夫婦は居間に大きなトランクを広げながら、そんな会話を交わしていた。着るものなど、全く気にしない私と違って、女房は気になるらしい。むしろ、それを楽しみにしているようにもみえる。やっぱり女だ。



 女房が気にするのには理由(わけ)がある。旅行社の事前の説明書もさることながら、過去3回のクルージングの旅での“予備知識”があるのだ。特にフロリダのマイアミから大西洋―パナマ運河―太平洋クルーズの時は顕著だった。ディナーの時やシアターでのショーの時には、ほとんどの人たちが日中のカジュアルウエアから男性はフォーマルスーツ、ご婦人はイブニングドレスに着替えるのである。




 この時は今度のように日本の旅行社のツアーで臨んだアドリア海・エーゲ海クルーズの旅と違って、米国のツアーに入ったものだから、2,500人を超す乗客のうち日本人は私たち夫婦だけ。乗客のほとんどが欧米人だ。体も大きいのでタキシードに蝶ネクタイ、ご婦人のイブニングドレスもよく似合う。腕を組んで、颯爽と歩き、レストランで椅子を引き、ご婦人を先に座らせる行為もさりげなく、様になる。


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 片や日本人の私たち夫婦。それなりに着替えたものの、やっぱり“野暮天”の域は脱しきれない。体が小さいこともある。劣等感ばかりではない。比較すれば明らか。開き直って、レストランのテーブルに。ここで、また困るのがメニュー表。全て横文字である。前菜、スープ、サラダ、メーンディッシュ、デザート…。




 しかも、レディーファースト。オーダーも女房から。女房は私に助けを求めるのだが、その位置は大きなテーブルの向かい側。横文字ばかりのメニュー表を渡された女房、開き直って「これとこれ」。指を差してオーダーを終了。


料理


 ホッとしたのもつかの間。メーンディッシュが二つも三つも。スープやデザートも同じだ。「アラ、間違えたかしら?」。女はしたたかだ。向かいにいる亭主の私の方が赤面の至りであった。失敗は成功の元。その翌日からは横文字は読めないがらも、メニュー表の読み方のコツを覚えた。



 何のことはない。よく見れば分かるメニュー表のセクションだ。前菜、スープ、サラダ、メーンディッシュ、デザート…。その中から一つずつ「これ」と指差せばいいのだ。ただ何が出てくるか…。フォーマルナイトはくたびれる。でも今度は違った。(次回に続く)



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日本人サービス

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 その船には、二つの日本人グループが乗っていた。一つは私たち「クラブツーリズム」の20人、もう一つは「JTB」の23人。乗客は、ざっと2,500人だから、日本人の数は全体から見れば、ほんの僅か。1・7%に過ぎなかった。この二つの日本人グループ、大きな船の中なので、ほとんど顔を合わすこともない。旅行社が違うので自ずと行動のプログラムが異なる。船の中では、どこかに部屋を取っているのだが、寄港地でのエクスカーションも、まちまちなのである。


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 それでも朝、昼、晩の食事時のビッフェやレストランでは時々、顔を合わすことがある。


 「どちらからいらしたんですか?」


 「東京です」


 「どちらの旅行社で?」


 「JTBです」



 外国人ばかりの中にいると、なぜか日本人に出会うとホッとした気持ちになるのだ。ここでは「外国人」と言う表現は当たらない。私たちだって外国人だ。ほとんどが欧米人で、これまた、なぜか中国人や韓国人はいなかった。東南アジア人もだ。



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 わずか43人とはいえ日本の旅行社がエントリーしているせいか、この船ではあちこちに日本人向けのサービスが。「JTB」は少なくとも日本の旅行社の大手。「クラブツーリズム」も近畿日本ツーリストの子会社だ。そんなことはともかく、日本の旅行社がお客を連れて来ている以上、船会社だって、それを無視するわけには行くまい。販路拡大の下心だって?




 例えば、乗務員の中にわずか一人だが、日本人の職員をおいていた。世話役であり、諸々のガイド役なのだろう。レストランでは、英語やイタリア語に日本語を併記したメニュー表を用意してくれていた。



 「プリーズ ジャパニーズメニュー」。


 この一言で、ウエーターやボーイは分かり易いメニュー表を持ってきてくれるのである。乏しい語学力でメニュー表とにらめっこ、“翻訳”をしなければならない煩わしさや、オーダーの失敗もない。


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 「お父さん、この方が楽だわよねえ」


 私たち山梨からの弥次喜多の相棒・女房の喜多さんが言うように外国旅行の場合、よほどの語学力に自信がない限り、日本人ツアーで旅行するに限る。



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 これまでのクルーズ(ハワイ島巡り、アラスカ、大西洋―パナマ運河―太平洋)では、怖い者知らず、直接、米国のツアーにエントリーしてしまった。いずれの船にも日本の旅行社はおろか、日本人は誰も乗っていないものだから、船会社も日本人に対するサービスだって考えっこない。



 山梨の田舎者・弥次喜多夫婦の戸惑いは、想像していただけるだろう。それに比べれば至れり尽くせりの日本からのツアーは楽だ。ただ緊張感はない。後になればだ。(次回に続く)




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新婚旅行

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 私たち山梨の弥次喜多夫婦が参加させていただいた日本からのツアーは、総勢20人。旅行社「クラブツーリズム」の添乗員・Fさんの誘導で、7泊8日のアドリア海・エーゲ海クルーズを中心にした12日間の旅を楽しんだのである。秋田の方もいれば、仙台や東京、横浜、つくば、金沢や福岡の方も。顔ぶれは全国からで、私たちのように70歳を前後したシニアの夫婦4組と、やはりシニアの女友達、母娘連れ、それに4組の新婚カップルだった。




 みんな二人連れ。大まかに言うなら職場をリタイアしたシニア達と新婚さんの道中でもあった。親子以上に離れたジェネレーションである。


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 「お父さん、私たちの世代の新婚旅行と、えらく違うわね。ヨーロッパ、それも船旅なんて考えも及ばなかったよねえ…」



 「そうだよなあ~」


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 女房は、何事にも溌剌と行動する新婚カップルを横目にしみじみと言う。



 「お前と結婚、新婚旅行をしてから、もう40年以上、経ってしまったんだよなあ~」



 言葉にこそ出さないが、そんなことを思い出した。娘も40歳を過ぎた。


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 私たちが新婚旅行をしたのは昭和45年1月。この年は、作家・三島由紀夫が東京・市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部で、衝撃的な割腹自殺を図った年である。一人娘が生まれたのは、その前の月の10月であった。




 そんなことはどっちでもいいのだが、新婚旅行の行く先は南紀白浜。もちろん、この時代、外国への新婚旅行など考えられなかった。後に、ロータリークラブの懇親の場で、お酒を酌み交わしながら話してくれたロータリアン氏はこんなことを言った。




 「私はねえ、ささやかに挙げた結婚式の後、『やっぱり、新婚旅行ぐらいはしなきゃあいかん』と、思いつきで国内を旅行した思い出がありますよ。その時は、結婚式に出席してくれた仲間まで着いてきて…」


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 この方は私より6~7歳、お若い方。「トリスを飲んでハワイに行こう」。テレビからはそんなコマーシャルが流れ、ハワイへ行くのがステータスの時代だったのである。「ノーキョーさん」などといった言葉が出てきたのはその後。小金を蓄えながらも外国旅行などしたことのない農家の人たちが、添乗員の掲げる小旗を先頭に懸命に歩く様。




 とにかく、遅かれ早かれ、そんな時代だった。私の新婚旅行は車。皇太子(現天皇)のご成婚、東京オリンピック、大阪万博…。日本が高度成長へ走り始め、モータリゼーションと言う言葉が生まれた頃でもあった。車は女房が持って来てくれた嫁入り道具の一つ。


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 たまたまかもしれないが、私たち20人のツアーのうち8人が新婚さん。「年休にゴールデンウィークの休みをくっつけて15日の休みをもらいました」。そんなカップルも。女房が言うように「えらく違う」。私たちの場合、新婚旅行に1週間の休暇、と言ったら「帰ってきたら机がないかもしれんぞ」と、冗談とも本気ともつかない言葉が。今の若い方々はいい。女房ならずとも羨ましく思った。そのカップル、主導権は女性?(次回に続く)




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海の夕日

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 山頂の街からはケーブルカーで降りた。白亜の山頂の街・サントリーニ島のフィラからは、港に一直線のケーブルカー。海抜4~500㍍の頂から乗るゴンドラの窓越しに見る海は、船から見るそれとはまた違う趣が。眼下の港。かなり距離を置いて停泊する船。そこと港とを往復するボート(テンダーボート)。それが小さな点のようにみえる。


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 急降下するゴンドラの旅はあっという間。5分足らずだ。船はサントリーニ島を散策した乗客を再び飲み込んで、また次の寄港地に向けて出航するのである。「乗り遅れたら大変」。そのことはお客さんを引き連れている旅行社の添乗員ばかりでなく、私たち一人一人、みんながそう思っている。


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 船は時間通りに出航する。次の寄港地でのエクスカーションが組まれているからだ。私たちもそうだが、乗船時間に遅れる者は誰一人といない。それが証拠に船は、いつの日もスケジュール通りに運行している。仮に、そのリズムを壊したら船自体にとどめず、船の寄港を待ち受ける、多くの関係者を混乱に引きずり込むのである。港の受け入れ体制だってその一つだ。


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 定刻の午後5時半。船はサントリーニ島沖を動き出した。エーゲ海を静かに走り、ミコノス島へ。ちょうど5時間の航海。午後7時半。太陽は西に傾いていた。この島でのエクスカーションのお目当ては、その夕日。時間がずれ込んだら、お目当ての夕日は沈んでしまう。船は接岸と同時にタラップを開け、乗客はどっと下船するのだ。



 港には20台近いシャトルバスが待ち受け、そこから10分足らずの所にある絶景ポイントに次々と運んでくれるのである。



 ミコノス島「エーゲ海に浮かぶ白い宝石」と言われる島。海縁から小高い丘に向かって立ち並ぶ家々は真っ白。紺碧の海と真っ白い家並みのコラボ。まさに「海に浮かぶ白い宝石」。白い家並みの真正面に広がる、その海に大きな太陽が沈んでいくのである。


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 その頃になると、白亜の家々は明かりをともし始め、海縁に軒を連ねる商店街の光が海面に影を落とす。海岸地帯でありながら都会的な、おしゃれな雰囲気を醸し出してくれるのだ。そんなお洒落な街でショッピングを楽しむ者もいれば、風車のある小高い丘まで足を延ばす人も。いずれも海に沈む夕日がお目当てである。


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 昇る太陽と沈む太陽。人は昇る太陽を朝日と言ったり、日の出と言ったりする。反対に沈む太陽を夕日と言い、日没という。日の出は一日の始まりを意味し、日没はその終わり。朝日が新鮮であるのはそのためで、それに向かって手を合わせもする。元日の日の出を「初日の出」といい、万歳を叫んだりする。夕日は感傷的にもなる黄昏である。


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 20代の若い頃だった。何度か富士山に登った時、雲海から昇る朝日に感動し、思わず万歳を叫んだことを思い出す。一方、夕日。女房と一緒にハワイで見た見事な夕日が、なぜか印象に残っている。確かワイキキの浜辺からちょっと離れた所にあるプリンスホテルの窓からだった。ヨットハーバーを前衛に大きな太陽が海に沈むのである。(次回に続く)



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サントリーニワイン

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 エーゲ海に浮かぶ島の一つ、サントリーニ島には、観光客を喜ばせる、いくつかのスポットが。島の中心にはフィラ(Fira)の町、北西にはイア(Oia)の村があるが、そのたたずまいは全く違う。

 
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 海から見れば、まるで山の頂に雪が積もったように見える白い家並み。この島で採れる石灰岩を使った四角い箱のような建物である。伝統のキクラデス建築というのだそうだ。山の頂に街を造っている。そんなイアの街並みと対照的なのがフィラの街並み。山の中腹の断崖絶壁のような所に、これまた白亜の家並みを造っていた。見事な造形だ。



 
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 山梨の片田舎からやって来た私たち弥次喜多夫婦ならずとも、誰しもが「よくもまあ、こんな所に」と思うほど。海抜300㍍の火山灰の崖の上にアトランダムに並ぶ家並みは、眼下に広がる紺碧の海に、それは、それはよく似合う。サントリーニ島はギリシア本島から約200㌔南にあるエーゲ海の小さな火山島。正式の名はティラ島といい、キクラデス諸島の南端に位置しているのだという。この島はサントリーニワインでも有名。


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 その原料となる葡萄の木が面白い。バスでつづら折れの山道を上っていくと、その沿道に葡萄の木が。ここでは簡単に葡萄の木というが、説明がなければ、ガレ場のあちこちに生える雑木、いや雑草。その土壌は、およそ葡萄畑なんてシロモノではなく、野山の、それもまさにガレ場だ。規則正しく植えてあるのではなく、所々に自生しているといった感じ。芽吹きのこの時季だからか、ツルもなく、直径30㎝ぐらいの株。高さも30㎝に満たない。海風にさらされ、大きくなれないのだろう。


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 「お父さん、あれが葡萄の木なの?」


 隣のシートに座り、現地ガイドの説明を聴いていた女房は、信じられないと言った表情で言った。山梨の我が家の葡萄園とオーバーラップしたのだろう。日本とヨーロッパの葡萄作りの違いくらいは、女房だって知っている。日本は梅雨があるから、雨が葡萄の房に跳ね上がらないように、世界でも希な棚栽培方式をとっている。それもワイン用ではなく、生食用が主体。

葡萄畑
我が家の葡萄棚



 果樹農家の倅に生まれた私にだって、サントリーニ島の“葡萄畑”は咄嗟には理解できなかった。緻密な日本人と、何事もおおざっぱな欧州人の違いか。収穫量を向上させたり、収益性を考える、そんなことは全く考えていないように見える。自然の恵みとの共存なのだろう。逆から見れば、それが成り立つ流通や経済の仕組みがいい。


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 その夜、船のディナーで、サントリーニワインをオーダーしてみた。うまい。「お父さん、私にも…」。普段、お酒など、ほとんど飲まない女房も「これおいしいわね」。つい、数時間前、島で見たへんてこな葡萄の木から連想したのだろう。船のレストランでのディナーの飲み物は日本酒がないので、私は冷たいビール。サントリーニ観光に合わせて、船のレストランが、そこのワインを用意してくれているのも嬉しい。帰りがけに付いてくる確認のためのレシート。請求金額はユーロだからピンとこない。(次回に続く)




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エーゲ海の島々Ⅰ

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 船はベネチアからアドリア海のど真ん中をどんどん南下。途中、イタリア半島、つまりブーツ(長靴)にも似た半島の踵(かかと)のようなところにあるバーリに立ち寄った後、ギリシヤのカタコロンを経て、エーゲ海に入るのである。カタコロンはペロポネソス半島にある港町。古代の儀式にのっとり、オリンピックの聖火が採火されるオリンピアの近郊にある。



 オリンピアは、言うまでもなく、オリンピック発祥の地。その名の由来は、聖山・オリンポスにあると言われる。かつてゼウスの神に捧げられた古代世界で最も重要な聖域であった。


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 星の数と言ったら言い過ぎだが、地図で見れば、エーゲ海にはたくさんの島がある。船はそのうちサントリーニ島とミコノス島に寄ってギリシヤの首都・アテネに向かうのである。


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 「お父さん、あの島、雪が降ったのかしら・・・。頂が真っ白じゃない」


 「バカ言え。こんな時季に雪が降るわけないじゃないか」


 そうは言ったものの、標高300㍍の山の頂は、綿帽子を被ったように真っ白。船はアドリア海からエーゲ海に。それまで何も見えなかったエーゲの海にサントリーニ島が大きな陸地のように浮かんで見えた。腕時計は午前7時を回っていた。午前8時の到着に向けて船は島にだんだん近づいているのだろう。


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 前の寄港地、ギリシヤのカタコロンを出たのは前日の午後5時半だから、ここまで14時間半の航海。言ってみれば一晩中、走り続けてきた訳である。レストランで夕食をした後、シアターでショーを見、カジノでゲームを楽しんで、ぐっすり眠り、朝になったら次の目的地。だから船はいい。



 船が島に近づくにつれ、うちの女房・喜多さんが言う「雪」の正体が分かった。山の頂の「雪」は、白亜の家。高い所に住む。先人たちの知恵だ。咄嗟に東日本大震災を思い起こした。イタリア、ギリシヤ、トルコ・・・。この一帯は過去、何度も地震を経験している。津波の危険にもさらされたのだろう。


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 トルコはエーゲ海を挟んで反対(東)側だ。サントリーニ島はギリシヤとトルコのちょうど真ん中にあってエーゲ海とクレタ海の境のような所に浮かんでいる。クレタ島が一番南側でエーゲ海とクレタ海を包み込むように位置しているのだ。




 船はサントリーニ島沖2~3㌔の所に停泊。そこからモーターボートで上陸するのである。港から山の頂にある白亜の街へのルートは、ロバの背に揺られるか、ケーブルカー、それとも、つづら折れの岸壁をバスで行くかの3ルート。ロバは距離こそ短いが、石段のような所を上り下りする。

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 「ロバの背に揺られたり、石段を登るのも一興ですが、石段はきつく、ロバの糞で臭い。一方、ロバは日和見で振り落とされでもしたら…」。ガイドさんの注釈。(次回に続く)



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とんがり帽子の家

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 最初の寄港地はバーリだった。南イタリアの玄関口。アドリア海・エーゲ海クルーズの2日目の午後1時。約3,500人の乗客、乗員を乗せた船は、スケジュール通りバーリの港に到着した。航海の出発点、ベネチアを出たのが前日の午後5時半だったから19時間半の時間を要したことになる。



 船はブース(長靴)の付け根のような所にあるバネチアから、アドリア海のど真ん中を進む。バーリは、そのブースの踵(かかと)に近いところ。19時間の所要時間のうち3分の1は、私たちが寝ている時間だ。


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 日本からずっと西なので日没が遅い分、日の出も遅い。この時季、この辺りは、午前5時半はまだ真っ暗。6時を過ぎて、やっと辺りがしらじらとし始め、水平線に太陽が顔を出すのは6時半過ぎ。ずっと東の日本と比べれば、朝のたたずまいは2時間近く遅い。




 水平線に顔を出す太陽はまん丸ではなく、丸く燃えているように見える。その淡い赤は肉眼で直視できるほど優しい。気温は9度前後。頬をなぜる風は、ちょっぴり冷たいが、それがむしろ心地いい。

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 乗客はみんな寝ているのだろう。甲板は日中の賑わがウソのように閑散とし、早起きして散歩する僅かな人影だけだ。若い何人かの乗組員がデッキの塗装など補修箇所の点検に回っていた。その頃、ビッフェやレストランでは朝食の準備が慌ただしく進んでいた。




 お昼過ぎ、つまり到着間近になってくると、遠くに陸地が見え始める。飛行機で言えば、着陸態勢に入ったのだろう。アドリア海のど真ん中を進んでいた船は陸地にだんだん寄りながら航行するのだ。この頃になるとスピードもダウンしてくるので、誰しも到着が近いことを実感するのである。




 バーリは最初の寄港地であると同時に、最初のエクスカーションの地なのである。接岸して間もなく、船はタラップを開け、乗客は列を作って下船するのだ。もちろん、この時間に合わせて、誰もがビッフェやレストランで昼食を済ませている。外には50代前後の大型バスがスタンバイしていた。それぞれがエントリーしておいたコースで思い思いに観光を楽しむのである。


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 私たち日本からやって来たツアーの“ご一行様”20人は、専用のバスでアルベロベツロへ。ここは、とんがり屋根の民家が建ち並ぶ街として知られ、ユネスコの世界遺産にも登録されているところ。港からはざっと1時間の距離だ。




 アルベロベッロとは、イタリア語で「素晴らしい木」という意味を持つのだそうで、街には緑の木々が茂り、標高415㍍の小高い丘にとんがり屋根の民家が。「トウルッリ」と呼ぶのだという。まるで申し合わせたように白壁で、屋根は灰色をした円錐形のとんがり帽子のよう。山梨から来た無粋な私たち弥次さん喜多さんでもメルヘンチックになる。


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 「お父さん、写真、撮ってよ。早く、早く」。うちのかみさん、カメラに収まってご満悦だ。因みにこの民家は別荘として4~5,000万円で売り買いされるという。(次回に続く)



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地球は丸い

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 「お父さん、やっぱり地球は丸いんだね・・・」


 船の14階デッキで、手摺りに寄りかかりながら、海を眺めていた弥次喜多の一人・女房は、相棒(弥次さん)の私に話しかけるともなく、つぶやいた。3,500人を超す乗客、乗員を乗せてイタリア・ベニスの港を出た船は、大海のど真ん中にいた。


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 「お前、今更、何バカなこと言ってるんだよ。地球は丸いに決まってるじゃないか」


 そんなことを言う自分も遙か先というか、すぐ近くにも見える水平線を眺めながら、そんなことを思っていた。出航から2時間。現地時間に合わせた腕時計は午後7時を回っていた。




 太陽は西に傾いたとはいえ、日差しは強く、真っ昼間のよう。空は限りなく青く、紺碧の海は、信じられないほど静かだ。船首が両脇に分ける海水の波と泡だけが、とてつもなく広い海の一点にに変化をもたらしていた。物静かな広大な海のちょっとしたアクセントでもあった。


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 船のスクリュー音と海を切り裂く波の音が。14階のデッキからだから、遙か下に見え、聞こえる。船の揺れなど全く感じられない。「この船も全く揺れないんだよね」。相棒の喜多さんが言うように船は、私たちに揺れを感じさせずに、静かな海を切り裂いて前へ前へと進んでいく。



 一部15階もあるが、みんながくつろげるスペースが広くとられている14階は事実上の屋上だから、そこからの眺めは、まさに360度。何もない紺碧の海がぐるっと取り囲んでいる。カメラの魚眼レンズでのぞいた風景と同じだ。女房の喜多さんならずとも地球の丸さを実感するのだ。



 「お父さん、こうしてみると地球は丸いことは分かるよねえ。でも、それを理論的に説明した人は偉いわよねえ」



 「それはなあ・・・」



 そんな水平線を眺めながら、かつて読んだことがあるモノの本の記憶を拠り所に、これまた独り言のように説明してやった。

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 「地球が丸い球体であることは、あのアリストテレスや後のプトレマイオスなどギリシャ・ローマの時代でもすでに知られていた。でも、誰が言い出したかは定かではないんだそうだよ」



 「後のルネッサンス時代の15世紀にイタリア・フィレンツェの天文学者であり、数学者であるトスカネリという人が、科学的に地球が丸い、と言うことを再発見したのだそうだ」



 「へえ~、お父さん、よく知っているね」


 バカな夫婦、弥次さん喜多さんのそんなやりとりをよそに太陽は、水平線に沈もうとしていた。私たち海のまっただ中にいれば、東西南北、方角は分からないのだが、この時だけは西の方角がよく分かる。「さあ、夕食だ。レストランに行くか」。(次回に続く)


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街の活気

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 これが財政破綻の国? そう思えるほどギリシャの首都・アテネ活気に溢れていた。もちろん国家財政の破綻が街の表情にそのまま反映するものではないことは分かっているが、短絡的というか、本能的にそう思った。




 国会議事堂前のさもない公園を囲むように軒を連ねる商店街は、たくさんの人を飲み込み、タクシーやマイカー、営業車の往来も激しかった。時計はまだ午前9時を少し回ったばかり。国会議事堂を中心にしたこの付近は最近、日本の茶の間でもテレビニュースとして登場して来るのでお馴染み。政治の混乱、住民生活の不具合やシワ寄せに抗議する相次ぐデモの場面である。その財政危機はEU諸国・経済圏にとどめず、身近な日本にまで円高などの形で影響を及ぼそうとしているのだ。


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ギリシャの国会議事堂前


 ギリシャの国会議事堂周辺は、霞ヶ関の官庁街を従えた永田町、つまり、国会議事堂や首相官邸など日本の政治の中枢の有り様とは、大きく違っていた。



 「あそこに立つ衛守は、ギリシャ警察のエリートなのです」


 エクスカーションのバスガイドは、国会議事堂玄関口の両脇に立つ衛守を指さしながら言った。そこに立つ衛守は、全て身長190㎝以上だという。そんな余談を聞きながらバスは、そこから目と鼻の先とも言えるアクロポリスの丘へ。私たちの知識でもお馴染みのアクロポリスの丘に立つ神殿は、アテネの市街地からも望むことが出来る。


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 もちろん、これも世界遺産だ。ユネスコ(UNESCO=United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization=国際連合教育科学文化機構)のマークでもお馴染み。皆さんに笑われるかもしれないが、ここで気づいたのは神殿の柱が6本(U・N・E・S・C・O)ではなかったことだ。

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 「あれねえ、UNESCOの頭文字6本になぞらえただけ。実際の柱の本数は8本だったり、17本だったりするのです」



 たわいもない質問に現地ガイドさんは、こんな説明をしてくれた。小高い丘の上に建つ神殿跡は、やはり地震で壊れ、復元作業中。その作業ぶりは日本人ではおよそ考えられないほど、のんびりしていた。その日に訪れたオリンピア遺跡もそうだし、もう10年ぐらい前に訪れたスペイン・バルセロナのサクラダファミリア建設作業もそうだ。何百年計画で建設したり、復元したりする西欧人の胆の長さに敬服どころか理解に苦しむのである。せっかち人間は困ったものだ。


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 ギリシャの古代遺跡は、みんな大理石の建造物。そういえば、この国は古くから大理石の輸出国。日本の建造物にもギリシャの大理石が使われている。アクロポリスの丘から遙か向こうに、その採石場が見える。



 恐らく5キロ以上、10キロ近くもあるのだろう。そこから大理石を切り出し、この丘まで運び上げ、壮大な古代都市を作り上げた人たち。全てが人力だ。古代ギリシャの人たちに果てしないロマンを募らせた。(次回に続く)




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五輪の聖火

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山梨日日新聞より


 「お父さん、出ているわよ。ほら、あの時の。あれよ。あれ。これ見て・・・」


 「朝っぱらから、なに言っているんだよ。オレ、夕べ遅かったんだよ。静かに寝かしておいてくれよ」


 うちの女房、いつもこうだ。自分だけ分かっていてモノを言う。今日に限ったことではない。いつもとそれほど変わらない弥次喜多夫婦の朝。だから特段、驚きもしないのだが、仕方なくベッドから顔を出した。手には届いて間もない、その日の朝刊(山梨日日新聞)を持っていた。


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 「ロンドン五輪聖火 発祥の地で採火式 オリンピア、リレー始まる」



 そこには、そんな見出しでギリシャのオリンピア遺跡で行われたロンドン五輪の聖火採火式の記事と写真が。1面のヘソとも言える所に掲載されていた。


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 その写真は、女房ならずとも、なんとも身近に感じた。ちょうど半月前、女房と二人して訪ねたオリンピア遺跡での写真だったからだ。人間とは不思議。もしそこに足を運んでいなかったら「そうだよなあ。もう聖火リレーが始まるんだよなあ・・・」と言った何事もない受け止め方で終わってしまうはず。ところが我が子や自分自身が新聞に載ったような親近感で食い入るように見るのである。




 新聞とは、そういうものだという。ニュースペーパーの名の通り、自分が知らない新たな情報を得るのはもちろん、自分の身近で起きた出来事であればあるほど、そこに引きつけられるのだそうだ。例えば、その大小はともかく、隣近所で火事が起きたとする。翌朝の新聞で真っ先に見る記事は、その一部始終を知っている近所の人だという。



 山梨の弥次喜多夫婦が今度のアドリア海・エーゲ海クルーズの旅ギリシャを訪れたのは、半月ほど前の先月(4月)26日(現地時間)だった。船はアテネ近郊の港・ピレウスに寄港。下船してバスでエクスカーションするのだが、そこで真っ先に見たのが古代オリンピック発祥の地・オリンピア遺跡。広大な面積に競技場跡やオリンピックに関わる神殿などが広がっていた。

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 ただ、主に大理石を使った神殿など建造物はことごとく地震で倒れ、復元された石の柱が、あっちこっちに立っているだけ。「ここが○○の跡、これは○○」。現地ガイドが説明してくれるのだが、私たち見物客は散在したおびただしい大理石群や復元した石柱から、古代オリンピックをイメージするのである。古代へのロマンにしたるのに十分だった。


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 やっぱり観光客に人気なのはオリンピックイヤーの4年に一度行われる聖火の採火式場。何人もの乙女が並び、純白の衣装をまとった女神が太陽光から採火した聖火を渡すお馴染みのシーンだ。



 4年に一度は必ず報じられる光景がみんなの頭に入っているのか、女神よろしく代わる代わるポーズをとって記念写真をパチリ、パチリ。フィールド競技場でも同じだ。ただ、70歳にもなろうとする弥次さん喜多さんには、そんなまねは出来なかった。(次回に続く)




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弥次喜多の旅のスタート

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 ベニスと言えば「水の都」。これも後ほど紹介するが、港に隣接したサンマルコ島を指しているのだろう。島には車は一台もなく、全てが水路交通。もう一つ、ベニスと言えば、誰もが頭に浮かべるのがシェクスピアの戯曲「ベニスの商人}(The Merchant of Venice)である。




 ウイリアム・シエックスピアが16世紀の終わり頃書いたと言われる名作。どなたの翻訳だっただろうか、若い頃読んだ、うろ覚えの記憶によれば、ベニスの善良な商人・アントニーオと、強欲が故に、いつも憎まれ役のシヤーロックを中心とした物語。ひと頃は本も読んだ。でも最近はと言えば、ほとんど読んでいない。面倒くさいと言うか、さらさらそんな気にならないのだ。歳のせいだろうか。




 「肉は与えるが、契約書にない血は一滴たりとも流してはならぬ」。物語では、あの小気味いい名裁きの場面がある。いわゆる「人肉裁判」。シヤーロックへの借金のカタに自らの肉1ポンドを差し出す、としたアントニーオ。判決はアントニーオに自分の肉1ポンドを差し出すことを命じ、一方、シヤーロックには「契約書にない血は一切流してはならぬ」という大岡裁きともいえる判決を下すのである。


 「お前、ベニスの商人って知っているか?」


 「そんなの誰だって知ってるわよ。あの有名な、あれでしょう」


 「物語の中身だよ」


 「そんなの知ってるわけないじゃない」



 うちの女房はいつもそうだ。船の甲板の手すりにもたれながら弥次さん喜多さんの夫婦は、たわいもない会話を交わしていた。ついさっきまで中世の町並みや教会を絵のように演出してくれたサンマルコ島は、だんだん小さくなり、船は大海原へ。この頃になると、船は滑るようにではなく、海を切り裂くように進んでいく。時速で言えば、40キロ近いスピードになっているのだろう。


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 クルーズはベニスから始まるのだが、旅の始まりは山梨市の片田舎。約20キロ先の甲府まで車で出て、JR甲府駅前から高速バスで成田空港に向かうのである。地元の山梨交通と富士急行、それに千葉交通の3社が甲府の郊外ともいえる竜王と成田を結ぶ高速の直行バスを運行してくれている。




 田舎者の弥次さん喜多さんは、そこそこ労り合いながら大きなトランクを引っ張って空港に向かうのである。甲府からだと順調にいけば、ざっと3時間の距離。しかし途中、交通渋滞が日常化している首都高速を通らなければならないので、この時間は、全く当てにならないのだ。


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 「安全」を考え、弥次さんと喜多さんは前泊を決め、空港近くのホテルへ。翌朝、シャトルバスで成田空港第1ターミナルに向かった。今回は前3回のクルーズ旅行の時と違って成田集合・解散のツアー。全国各地からの20人が顔をそろえた。(次回に続く)




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新たな旅の出航

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 2年ぶりだろうか。女房を連れてアドリア海・エーゲ海クルーズの旅に出た。この1月、96歳になる母が逝った。10年近い入院生活の末であった。女房はそんな母の面倒を献身的に看た。看る方も、恐らく逝く方も悔いはなかった。母も喜んでくれたに違いない。照れくさいからそんなことは言わないが、そんな女房へのご褒美。もう一つ、気分転換の旅でもあった。




 空路、ドイツのフランクフルト経由でイタリアのベニチュアに飛び、そこから船の旅イタリアの島々を訪ね、ギリシャクロアチアを回って再びベニチュア戻る8日間のクルーズである。前後を入れると今回は12日間の旅であった。


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 日本ではゴールデンウイークが始まるちょっと前。乗客、乗員約3,500人を乗せた豪華客船MSC(ムジカ)は、現地時間で午後5時、汽笛とともにベニチュアの港を出港。ここは日本よりずっと西だから5時と言っても日暮れまでにはまだ3時間以上もある。まだ真っ昼間のよう。




 波も立てず、まるで海面を滑るように沖へと向かう。後ほど紹介することにするが、左手には中世の家並みが並ぶサンマルコ島が。15階建ての大きなホテルが海を走ると考えればいい。全長293・8㍍、幅員は32・2㍍。14階、15階のデッキからはサンマルコ島が丸ごと見える。ビルの上から島を見下ろしている感じだ.客室のテラスからだって同じだ。


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 サンマルコ広場を埋めた人たちがアリのように見える。よく見ると海岸寄りの人たちが出港する私たちに、懸命に手を振っている。船の下に目を転ずれば、港と島を行き交うボートが何隻も。いずれも50人、100人乗りだが、それすら木の葉のように見える。後方にはMSCとほぼ同じようなタイプのイタリア船が停泊、次の寄港地への出発を待っていた。



 「お父さん、あの船、いつか座礁して転覆し船会社の客船だってよ。そう、船長さんが真っ先に逃げてしまった、あれ。この船、大丈夫かしら。私、泳げないんだから・・・」



 女房が後方のイタリア客船を指さした後で、甲板から遙か下の海面を見下ろしながら言った。その表情はおどけと不安が入り交じっていた。



 「バカ、この船が簡単に沈むものか。飛行機も船も今や安全な乗り物なんだ。万一の万一、沈むことがあってもオレと一緒だ」



 この船も出航の1時間前、救命避難の訓練をした。以前、乗ったハワイ4島巡り(8日間)、アラスカ(同)、大西洋―パナマ運河横断―太平洋(15日間)のクルーズの時と同じ。2,000人を超す乗客は、船内アナウンスの指示で、デッキや甲板、普段はラウンジバーとして使用される大きなホールが訓練会場。乗客はそれぞれの客室のクローゼットに備えられた救命胴衣を抱えて集まるのだ。救命胴衣の着け方や脱出ボートの乗り方などを教えてくれる。


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 飛行機での出発前のそれと同じように、何人もの職員が解説付きでやってみせる。ボートへの乗船訓練まではしない。黄色い救命胴衣を頭からスッポリ被り、後ろからのベルトを胸元で締めるのだ。船はそんな訓練をした後の出航だった。(次回に続く)




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カラマツの親爺さん(再)

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 長野県の佐久に近い道の駅の温泉で粋のいい親爺さんに出会った。口の利き方も、いわゆる、江戸っ子のような気風を備え、およそ信州人というニュアンスの人ではなかった。人をどこからでも受け入れるような雰囲気を持っていた。



 「長野にもけっこうカラマツが多いですねえ」



 広い湯船の窓越しに見えるカラマツの山を眺めながら、目の前で手ぬぐいを頭に乗せて湯船に浸かっていたその親爺さんに話しかけると、その親爺さんはお湯を両手ですくって顔をぶるっと洗いながら昔を思い出すように話し始めた。



 「昔はあのカラマツが面白いほどどんどん売れた。今じゃあ考えれんがねえ。トラックにカラマツの丸太を積んではひっきりなしに東京に運んだもんだ。そのころのトラックじゃあ4本も積めば限界だったがねえ。あの頃は良かった。若い頃だったが、今考えると懐かしいねえ。いい時代だったよ」



 「カラマツがそんなに売れた時代があるんですねえ」



 外材に押され、スギやヒノキでさえ、国産材はことごとく敬遠され、需要を失っている今、信じられないような話だ。日本のスギやヒノキが悪いわけではない。伐採などに経費がかかりすぎるから、安上がりの外材利用に走ってしまっているのが実情だ。だから宝の山も持ち腐れ。あっちこっちにスギやヒノキの山が転がっている。それどころか下刈りなど山に手を入れないから山という山はどこも荒れ放題だ。ある学者の説によれば「花粉症の要因」まで惹き起している。ただでも素材の悪いカラマツが相手にされるわけが無い。




 今年66歳になる私より一回り以上も違いそうなこの親爺さんは「わしよりお若いあなた方はご存じないかもしれないが、戦争で焼け野原になった東京ではとにかく材木が必要だった。おっとりっこだった。素材がうんぬんだとか、節があるだの、多いだのなんてことは二の次。その後も東京湾の埋め立てにも引く手あまただった」と話してくれた。




 東京湾埋め立て用のカラマツは杭として使ったのそうだ。安上がりの上、脂が強いので、水や土の中で長持ちするのだという。昔わが国では住宅の基礎や、湿気の多いところにはクリ材を使った。しかしカラマツのほうが安上がりで、効率的であることは間違いない。カラマツはスギやヒノキなどに比べ成長が早い。それを見込んでわが国ではこぞってカラマツを植栽した時期がある。山梨県では明治天皇から国有地を下賜され、恩師林という名の県有地がどーんと増えた。そこに植えたのが主にカラマツだった。それが今ではお荷物になってしまっている。甲府城址に立つ謝恩塔は国有地ご下賜への感謝の象徴だ。山梨県ではそのカラマツをなんとか商品化しようと林業試験場が中心になって開発研究に努めているが、その決め手は見つかっていない。




 カラマツは落葉樹だから秋には山を茶色に染め、冬は葉を落とす。5月も半ばになると緑の芽を吹く。私たちが行った長野の別荘地では緑が芽吹く一方で、建物の屋根の上には冬中に落としたカラマツの葉が汚らしく積もっていた。これまた別荘地のお荷物である。




 カラマツの話をしてくれた親爺さんは昔は材木屋を営んでいたという。「代々の材木屋で、それはいい時代もあったよ。でも今じゃあ材木屋じゃあ食っちゃあいけねえ。だから店も閉めちぃまったよ」。そういう親爺さんの顔はちょっぴり寂しそうだった。




 「うだつがあがらねえ、という言葉を知っているかね。俺にうってつけの言葉だがねえ」。材木屋に見切りをつけざるを得なかった自らを振り返ってでもいるよぅに≪うだつ≫の説明をしてくれた。


 「うだつは隣からの火事を防ぐために屋根に載せた土造りの塀みたいなもんさ。俺なんかにゃあ、そんなマネできっこねえけどなあ」


 「よくいろいろのことを知っていますね」




 その言葉に気をよくしたのか、今度は中山道と甲州街道が合流するところにある下諏訪の諏訪大社(下社)について話し始めた。


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諏訪大社公式サイトより



 「家というものにゃあ必ず屋根の両側に波風というやつが2枚ずつ着いている。だけど社の場合、棟のところでクロスして上に突き出している。あれにもオスとメスがあって、上に突き出しているてっぺんが平らのやつはオス、斜めのやつはメスなんだよ。下諏訪にある諏訪大社の下社は女、諏訪湖を挟んで反対側の上諏訪(諏訪市)にある上社は男。だから波風の造りも自ずと違うんだよ。下社には春宮、秋宮、上社には本宮と前宮がある」


 「じゃあ波風の造りは伊勢神宮の内宮、外宮も同じですか」


 「そうさ」


 「ところで、親父さん、商売はなにやっているんですか」


 「俺は建設屋さ。いってみりゃあ大工だよ」


 「それじゃあ詳しいわけですねえ」



 親爺さんはニッコリ笑って湯船を立ち上がった。



 一足遅れて出て行ったら、この親父さん、脱衣場で噴き出す汗を拭いながら涼んでいた。ニコニコしながらまた話しかけてきた。


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 「山梨から来たんだってねえ。甲州じゃあ、かかあ天下にからっ風って言うんだってねえ。でもねえ、女があんまり威張っちゃあいけねえよ。女はとかく見たまんまを口に出して表現する。目先だけでものを見、全体を見ないんだ。そんな女が段々強くなる今の世の中、絶対よくねえよ。世間全般、細かことでくよくよ言ったり、すぐ物事にヒステリックになる。こんなことじゃ日本は悪くなるねえ」




 気心の知れた仲間のような口ぶりで話す。湯船でのわずか2、30分の出会いだったが、裸の付き合いとはよく言ったものだ。親爺さんがカラマツ材を東京に運んでいた頃のことを「トラックで夕方長野を出て東京に着くのは翌日の朝。碓氷峠を越え、旧中仙道沿いに群馬、埼玉と夜っぴで走ったもんだ」といい、佐久から板橋まで中仙道の宿場町を立て板に水で追っかけてみせたのがなぜか印象的だった。




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やっぱり日本がいい(再)

 「おとうさん、やっぱりこれがいいね」


ハワイ、アラスカの旅を終えて帰国、家に帰った翌朝、約20日ぶりの我が家の飯を食べているとき、女房はニヤニヤしながら、それでいてしみじみと言った。



食卓に並んでいたのは、炊き立てのご飯味噌汁、うちの畑で取れたナスとキュウリのぬかみその漬物、それに焼き魚。うまい。やっぱり、これがいい。正直、私もそう思った。


ご飯味噌汁


ハワイからシアトル、そこから船に乗ってアラスカ、途中、カナダのビクトリアに寄って、シアトルに戻り、再びハワイへ。日数ではハワイが前後8日、シアトルがやはり前後2日、ビクトリアを含むアラスカクルーズが8日間。そのほとんど毎日がパンやチーズ、ステーキやローストビーフ、チキンなどの肉類、それにロブスターなどの海鮮料理。そしてフォークとナイフの生活である。

ロブスター

クルージング中のディナーはいつも豪華版。前菜からスープ、メーンデッシュ、デザートまで一流レストラン並みのメニューを用意、オーダーに応じてくれる。純白のクロースがかけられたテーブルの中央には、いかにも高級らしいワインやシャンパン。これだけは、というより、飲み物はすべてオプション料金である。めいめい渡してくれるメニュー表は、もちろん、みんな横文字。レデーファーストの国だから女性からオーダーを取る。

食4点



 女房は開き直ったのか、メニュー表を片手に「これとこれ」といった調子で、指でオーダー。そこまでは良かったが、メーンデッシュを二つも三つも。冷や汗ものである。二日目、三日目となると、ちょっぴりメニュー表の見方にも慣れて、部分的に分かる横文字から料理をイメージして、オーダーするのである。それまでが一苦労。でも料理が来てしまえばこっちのもの。食べるときだけは自信たっぷりである。  



 
こんな気苦労をしなくてすむのが、日本で言うバイキング方式のレストラン。所狭しと並べられている単品の料理や果物、それにジュースやミルクを好きなだけ持ってくればいいのだから簡単だ。気が楽になったのか、それとも欲なのか、食べる、食べる。いつもお皿一杯に持って来ては平らげるのである。「腹も身のうち」と笑ってみたが、そう言う自分にも、その≪欲≫があるのに気づいて内心、苦笑いしたりもした。




とにかく、その食べっぷりも3,4日経つとダウン。「お父さん、インスタントラーメン か カップめんでも持ってくれば良かったね」と、もう沢山、といわんばかりにニヤニヤしながら言った。「そのとおり。俺もうんざりだ」と、思ったが「あんなに嬉々として食べまくっていたじぁないか」と、からかってやったら「もういいよ」と、うんざり顔だった。




 今年の春頃だっただろうか、ご主人と8日間のフランス旅行に行ってきたという隣の奥さんが土産をくれながら「山田さんねえ、私ゃ、うちに帰った翌朝、手抜きで菜っ葉の味噌汁を作って食べたら、そのおいしこと。こんなうまいものが我が家にあったのかと思いましたよ」と、話してくれたのを思い出した。事実、私も、成田からの帰り道、石川のパーキングエリアで食べた 立ち食いそばが一番うまかったこと。やっぱり日本人だよねえ。


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人種の坩堝アラモアナ(再)

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 ワイキキから車でそう遠くない所にあるアラモアナショッピングセンター。そこはショッピングセンターというより、それ自体が大きな街だ。香水や時計、めがね、バックなど世界の一流ブランドの店がずらりと軒を並べ、一日中、大勢の人達で賑わう。




 ハワイ、特に州都・ホノルルがあるこのオアフ島は、いわば世界のリゾート地。一年中常夏の島だから、世界中から、それぞれのスタイルでバカンスを楽しむ人達がやってくるのだ。こうした人達のショッピングロードでもある。もちろんショッピング街の構成は、ブランド品ばかりではない。地元の人たちのお買い物広場でもある。


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 アメリカ本土のどこかは定かではないが、このアラモアナをしのぐショッピングセンターが出来て、その規模では全米№2となったというが、世界の知名度からすれば№1だろう。恐らくこのオハフ島にやってくる観光客で、ここに来ない人はいないといわれるくらいのスポットである。




 そこにはショッピング好きの人間達をひきつける魅力を十分に備えているのだろう。日本、とりわけ山梨の田舎からやって来た女房でさえ、ここに来ると嬉々とする。その気持ちも分からないわけではないが、私の場合、到底そんな気持ちにはなれないのだ。




 サラリーマンを辞めて「毎日が日曜日」の今、スーツも要らなければ、ネクタイやワイシャツ、靴だって要らない。スーツひとつとってもメタボになって体が入らないものも含めて、長いサラリーマン人生の中で買い込んだものがいっぱい。どうせ着ないのだから処分したいくらいだ。普段、忘れっぽいのでバックは持たないし、ブランド趣味などさらさら持ち合わせていないので、時計やサングラスなどにも興味がない。あらゆるものが機能的なもの、一つかふたつあればいいのだ。




 「お父さんて、ヘンだよね。マージャンや競馬、カジノなんかのギャンブルに使うお金はなんとも思わないのに・・・。まったくヘンよね。物だったら残るんじゃない」


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 女房には、よくそう言われるのだが、自分でも不思議なくらい興味がない。醒めているといった方がいい。




 とにかく女房の買い物が済むまで街路のベンチで座って待つことにした。これが面白い。ここは世界の人種の坩堝といってもいい。目の前をさまざまな人種の人達が行き交う。白人もいれば黒人もいる。私のように黄色いのもいれば、それよりちょっと日に焼けた人達もいる。目つきからロシアやドイツ人らしい人もいた。日本人らしい若者達も。でも中国や韓国人との区別はしにくい。年老いた人は比較的少ないが、デブもいればスマートな人もいる。なぜかブスが少ないから不思議だ。ここを歩くと綺麗に見えるのかもしれない。


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 目の前にはルイ・ヴィトンが、すぐ後ろにはディオールが。面白半分、覗いてみたら、いるいる。日本人女性たちが・・・。年の頃は2~30代から40代。スマートな黒いスーツの紳士然とした店員が日本語で丁重に応対していた。店内には10人近い女性がいたが、いずれもグループではなさそうだ。みんなのお目当てはどうやらブランドのバックらしい。





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日本人の寿司屋さん(再)

船  


 「へぇい いらっしゃい」



 アラスカクルーズの豪華客船のレストラン・寿司バーでへんてこな寿司を食わされた私を気遣ったのか従兄弟夫婦はハワイに戻ってホノルルの官庁街に近い所にある日本人の寿司屋に連れて行ってくれた。この寿司屋は「歌舞伎」という屋号でもう20数年この地で営業しているのだそうだ。以前にも連れて行ってもらったことがある。



 大将はもちろん日本人。新潟県の出身だという。ふけて見えるが私より5つも若い60歳だ。



 「久しぶりですね。お元気でしたか」



 私の顔を見て大将はニコニコしながら愛想よく話しかけてきた。店のつくりは10人ほど座れるカウンター席と、その手前に10人ぐらいのテーブル席が並び、そのおくにはやはり10人ぐらい座れる座敷が設けてあった。通りすがりに見るとテーブル席にも座敷にもそこそこのお客が入っていた。



 カウンター席にはマグロやアナゴ、海老、烏賊、ハマチ、ウニ、イクラ、日本の寿司屋にけして負けないようなネタが並んでいた。シャリはカリフォリニア米を使っていたが、小粒で、けしてまずくない。奥まったちょっと高いところには神棚、正面には大きな招き猫が置いてあった。棚には日本酒や焼酎も。ビールは日本のキリンを用意してくれていた。


寿司


 「やっぱり、寿司屋はこれだ」



 店のつくりや雰囲気を見る限りハワイにいることを忘れるくらいである。テーブル席と座敷にはいかにも日系人らしい家族連れと白人が桶に盛られた寿司を美味しそうにほうばっていた。まだ時間がちょっと早いのか、カウンター席にはお客はなく、大将との話は、はずんだ。



 その大将はアメリカンフットボールの大ファンだそうで、それに輪をかけたように大好きな従兄弟とよく話が合う。この大将と親子ほども歳が違うせいか、従兄弟夫婦はいつも「ヨシオ、ヨシオ」と名前を呼び捨てで呼んでいる。従兄弟夫婦も、その子供たちも寿司が大好きだそうで、週に一度か二度必ず来るのだそうだ。



 隣の席に夫婦らしい年配の白人が座った。



 「ヘロー」。そのヨシオはそれまでの新潟弁交じりの日本語から一転、英語で迎え、英語で話しかける。注文のマグロも「ツナ」変わるのである。そうなると店の雰囲気はガラリと変わり、なにかへんてこな気分になる。寿司は「スシ」だがネタはすべて英語である。




 寿司は日本の料理。だから、ネタの呼び名だって、日本語で言えばいいのに、と思った。そんな私の目を見ながら大将は「これ、しょうがねえんだよねえ。おれたちゃあ英語と日本語を使い分けなきゃならんのですよ」という。お客は普段、白人が多いから、言葉も英語のほうが多いのだそうだ。アメリカばかりでなく、あっちこっちの国で寿司が健康食として人気を集めているそうだが、その食べ方でも≪日本を主張≫できないでいる。




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やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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