飲み会の延長

お酒



 「甲府ばかりでの飲み会ではなく、たまには外でやろうか…」


 そんな思いつきで出掛けた信州路だった。


 仲間は4人。サラリーマン現役時代の同僚で、気づいたらみんな70歳代に。私のように百姓モドキの人間もいれば、画廊喫茶のオーナーや新聞販売店の会長、実家との関係で僧侶を務めるユニークな人もいる。細かく言えば、年齢もまちまち。私のように今年、古希を迎えるヤツもいるし、75歳になろうとしている人もいる。




 グループは「百石倶楽部」と名付けた。新住居表示による町名変更で、とっくに姿を消したが、若い頃、社屋があった所の地名に因んだ。甲府駅南口からやや離れた所にあったオンボロ社屋。明治の初頭から昭和40年代の初頭まで長い歴史を刻んだ。今は甲府駅北口の近代ビルに。世界的と言ってもいい建築学者・丹下健三氏による建物だ。


丹下健三_convert_20120630101444


 百石町時代は昭和41年秋までだから、そこでの生活は長い人でも5年足らず。今の社屋がサラリーマン生活のほとんどだ。それでも4人の仲間達にとっては青春の一ページ。懐かしの地なのである。だから「百石倶楽部」。




 年に何度か飲み会を開く。今では集まりやすい甲府の富士屋ホテルを会場にする。わずか4人だから日程調整も簡単。夜の一時、お酒を酌み交わし、たわいもない話で過ごす。気の置けない仲間達なので、その時間は結構、楽しいのだ。時には今度のように一泊の小旅行を兼ねる時も。甲府盆地の東北部を走る雁坂みちを埼玉に抜け、秩父にある和銅温泉に行った事もある。
酒



 そこがどこであれ、場所や時間は誰ともなく言い出す、たわいもない“発案”から決まる。今度の信州行きは、仲間の一人が蓼科の会員制ホテルのメンバーだったことがきっかけ。「温泉にでも浸かって、ゆっくり飲もうや」。4人なので小回りも効く。誰かが車一台を出せばいい。泊まりだから飲酒運転の心配もない。




 ホテルの名は「XIV」(エクシブ)。このホテルのキーワードは「14」。「XIV」はアラビア数字の「14」(「X」と「IV」)を英語読みしたもの。14人のメンバーで一部屋をキープするシステムを作ったのだという。このホテルチェーンは、全国に50カ所近い拠点を持つのだそうだ。山梨県には山中湖にあって、何度か利用させてもらったことがある。
DSCF2572_convert_20120630100610.jpg
エクシブ蓼科


 蓼科の「XIV」は山中湖のそれと比べて規模が大きい。山の傾斜地を活用、設計デザインを凝らしたのか全体が“迷路”のようになっているのだ。



 「オレ達のような人間だとホテルの中で迷子になってしまうよなあ~」



 まず、自分たちの部屋に行くのに一苦労。部屋にくつろぎ、さて、温泉へ。さて、夕食のレストランへ。部屋の棟は1号館から8号館ぐらいまであって、それが連絡通路や階段はむろん、エレベーターやエスカレーターで結ばれている。人の行き来が迷うのは、ホテル自体が傾斜地に建っているため、それぞれの館(棟)に段差があるからだろう。



 そんなことはともかく、うまい酒を飲み、うまい料理をいただいて話が弾んだ。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

スポンサーサイト

山の庭園

DSCF2577_convert_20120628211221.jpg


 ロープウエイで7分。大パノラマの下界を振り向きながら山を駆け上がると、そこは“自然の箱庭”だった。長野県は北八ヶ岳。普段、私たち山梨県の人たちが何気なく見ている八ヶ岳連峰の反対側。裏側と言ってもいい。編笠山、赤岳、硫黄岳・・・。そんな峰峰のもっと北側である。その名も「北八ヶ岳 坪庭」と言うのだそうだ。


坪庭_convert_20120628212438



 「今日は、ちょっぴりガスがかかっていて、視界がよくないのですが、ガスさえ晴れれば、前衛の山の向こうに北アルプスが飛び込んで来るように見えます」



DSCF2578_convert_20120628213217.jpg



 案内役を買って出てくれた友人のO氏は、ハイマツやコメツガが盆栽のように生えている「坪庭」の向こうを指差しながら、そんなことを言った。ハイマツやコメツガは風雪のせいか大きくならない。中には枯れて朽ちかけているものも。それがまたいい。




 地べたは粗々しい溶岩。所々に白くなった所も見える。石灰岩が露出しているのだろうか。そんな箱庭の遊歩道を歩くと、普通の人なら30分くらいで周遊出来る。遊歩道の両側にはロープが張ってあって、歩きにくいガレ場には板を張ってくれている。坪庭を散策する人たちへの心配りがまたいい。




 山の上の「お庭」だから結構、アップダウンもある。



 「オレ、この辺で休んで、皆さんの帰りを待っているよ」



 百姓の真似事で腰を痛めた私は途中、仲間3人を先に行かせて遊歩道沿いのベンチに腰を下ろした。6月もぼつぼつ終わり。梅雨の最中。下界は蒸し暑い夏というのに、ここは別天地。ベンチに座っていると、ちょっぴり肌寒い。どこからともなくウグイスの鳴き声が。それも一匹や二匹ではない。下界の喧噪などおよそ縁がない大自然の真っ直中だ。



  写真(2)_convert_20120628214230



 ウイークデイだが結構、行楽のお客さんは多い。和やかな話し声とともにシニアのグループや夫婦連れが遊歩道を降りて来る。さすがに若者は少ない。仲間の3人も下りて来た。



 「いい所だねえ。高山植物もいっぱいだ」



 この時期は高山植物が花開く最盛期。ポピュラーなレンゲツツジやコケモモ、それにミツバオウレン、ゴゼンタチバナ、ツマトリソウ、コイワカガミ…。




 「お前、よく知っているねえ」。ただでも無粋な私が、そんな高山植物の名前を知っている訳がない。ロープウエイの駅でいただいたパンフレットに書いてあったのだ。


高山植物_convert_20120628213020



 ロープウエイは蓼科湖からそう遠くない所にある。北八ヶ岳の山麓駅(標高1,771㍍)から山頂駅(同2,237㍍)を結んでいる。高低差は466㍍。そこをわずか7分で駆け上がるのである。緑の樹林の上をダイナミックに走ってゆく。



DSCF2580_convert_20120628211404.jpg



 秋にはこの緑が真っ赤に染まるのだろう。ロープウエイのゴンドラはでっかい。100人乗りだという。樹林の下には諏訪盆地が。その向こうには左から南アルプス、中央アルプス、北アルプスが。まさに大パノラマである。山頂駅でロープウエイを降りると、「坪庭」という大自然が造った箱庭が。そのギャップがまたいい。気の合った仲間達との信州路。人間、リフレッシュしたような気持ちになった。(次回へ続く)




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

絵文字

新聞1_convert_20101120224442


 一緒に文章作りの勉強をしてくれたのは5年生の一クラス。その小学校の所在地は平成の大合併で新たに山梨市に加わった町。町というより村と言った方がいい、のどかな果樹地帯にある。人々はいつしか「巨峰の里」と言うようになった。そんなのどかさは、一方で人口のじり貧状態を招くのか、学年(一クラス)の児童数はたったの11人。




 でも子供たちの顔は底抜けに明るい。もっと感動したのは、すこぶる純朴だったこと。同じ山梨市での≪出前授業≫でも都市部の学校とは、どこか違っていた。みんなが話に食いついて来る。だから勉強したことをどんどん消化する。もっと驚かされたのは、自分たちが書いた文章をパソコンで叩き出し,カット写真を組み込んだり、思い思いのカット見出しまで作ってしまうのである。


新聞2_convert_20101120224620


 「お父さんねえ、そんなの当り前よ。こと、パソコンやケイタイは、お父さんたちが子供たちに教わるのよ」



 家に帰って今は嫁いだ娘に、そんなことを話したら一笑に付された。



 「へえ~、でも、小学5年生だぞ」

 

 「そこが間違っているんですよ。大抵のことは大人に教わるんだけど、ITの世界は別。世の中の教える側と教わる側。まったく逆なのよ。お父さんのようなアナログ世代の人たちを中心にものを考えたり、行動したら世の中の歯車、おかしくなってしまうわよ」


顔つきパソコン


 ≪出前授業≫をさせてもらった私が子供たちに教わるハメに。ただ、総じて今の子供たちの≪日本語≫は、私たち大人から見るそれと、どこか違う。泥臭いが、綺麗な日本語で文章を書いた「村長さん」に、そのことを話したら、どう言うだろうか。


2深沢


 かつての職場の先輩「村長さん」はともかく、なんとしても取っつきにくいのは、あの絵文字というヤツだ。



 「お父さん、そんなの簡単じゃあない」



 娘は、これこそいとも簡単に言う。でも私にはそれが思うように出来ないのである。




   「お(~∇~* )ノ は(*~∇~*)ノ よっ( *~∇~)ノ ございま~す。
   少しかみさんの様子がおかしくて、コメントが出来ず失礼しました」
   (中略)
   「今月もどうぞ宜しくお付き合い願います。いつもの応援に★o(´▽`*)/♪
   Thanks♪ 御礼の"ρ(’-’* )完了です」




 これは、何時も私のブログにおいでいただくAさんからのメッセージ。絵文字を巧みに?お使いになる。私と同じ60代の方。結局はその人のセンスの問題か。とにかく絵文字を自在に、しかも何の抵抗もなく使う方々や世代が羨ましい。やがて絵文字が広辞苑に登場する時代が来るのかも…。文字の文化、言葉の文化とはそんなものかも知れない。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

「村長さん」

 誰が名付けたのかは知らないが、その方のあだ名・ニックネームを「村長さん」と言った。サラリーマン時代の職場の先輩で、その「村長さん」が山梨日日新聞の投稿ページ「私も言いたい」欄に作家・深沢七郎との思い出を綴っていた。深沢七郎は山梨県の現笛吹市で生まれた異色作家のお一人。旧制日川中学(現日川高校)を卒業後、ギターリストを経て作家の道へ。「楢山節考」や「笛吹川」などのヒット作を残し、「風流夢譚」は日本中に物議を醸した。「楢山節考」は往年の大女優・田中絹代らが演じ、映画でもヒットした。


深沢
深沢七郎



 そんな深沢七郎をしのぶ企画展が昨年秋、甲府市にある山梨県立文学館で開かれた。「村長さん」の投稿は、その催しに因んだもので、深沢との書簡のやり取りを書いていた。「村長さん」は、もう80歳近い。でも、その文章は冴えていた。実に歯切れがいい。お若い頃と少しも変わらなかった。




 「村長さん」の文章の真骨頂は、一つ一つのセンテンスが極めて短いこと。だから読む人に歯切れの良さを感じさせる。第一、分かり易い文章なのだ。その名は定かではないが、若い頃、ある同人誌に、よく投稿しておられた。小気味よい文章だったことを覚えている。


2深沢


 今でもその同人誌のメンバーなのだろう。「文章は、センテンスを短く書くもんだ」。私と10歳近く違う大先輩の「村長さん」はそんなお説教じみたことは一言も言わなかった。朴訥(ぼくとつ)で、個性的な「村長さん」は、自らの筆調で言外にそのことを教えてくれた。余談だが、私が若い頃、言わず語らずの「見合い」を仕組んでくれたことも。




 文章は言葉と同じように、自分以外の人に意思を伝えるものだから、分かり難かったら意味をなさない。私たち凡人が陥りがちなのは「独りよがり」。困ったことに、私なんか今でも、それをやってしまう。




 話し言葉書き言葉。この二つは明らかに違う。これを一緒にしたのが公判廷でよくお目にかかった検事の論告求刑文や裁判官(長)の判決理由文。話し言葉で書いているばかりか、「.」、「。」、つまり句読点がきわめて少ないから、読み難いこと、この上ない。一義的には法廷で、量刑やその理由の詳細を知らしめることなので、それはそれでいいのだろう。言葉で伝えるのだから文体など、どっちでもいい。相手方に理解出来ればいいのだ。


新聞3_convert_20101120224751



 一昨年の春から昨年の春にかけての一年間、山梨市内の小学校数校で、子供たちと文章作りの勉強をしたことがある。山梨市教育委員会が文部科学省の指定を受けて実施した学校支援制度。平たく言えば、≪ボランティア先生の出前授業≫である。週一回、二つの校時(授業時間)を跨いだ90分ずつ、子供たちと勉強するのである。


新聞4_convert_20101120224945


 ここでは若い頃、「村長さん」に言外に教わったことをオーム返しした。


 「文章は相手の立場になって書こうよ。そのためには分かり易くなくてはいけないよね。そのコツは文章のセンテンスを出来るだけ短くすることだと思うよ。独りよがりになって、相手には分からない言葉、特に形容詞は出来るだけ使わないことさ。例えば、観た人でなければ分かたない『美しい』とか『きれい』という表現だよ…」。(次回に続く)




ブログランキングに参加中です。
 
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

セキュリティーチェック

003_convert_20120621183919.jpg


 旅をしていて、つくづく思うのはテロリストが国際社会にもたらした罪だ。いつ仕掛けて来るか分からないテロリストから人々を守り、守らなければならない。そのための時間と労力、経費…。世界中では、とてつもない時間とお金を費やしているのだろう。



 今度の海外旅行で山梨の片田舎を出発。成田空港への高速直行バスで同空港へ。その港内へ入る前で、まず検問。空港警察だろう。


005_convert_20120621184018.jpg



 「恐れ入ります。パスポートを拝見させていただきます」


 ここでは主にはパスポートのチェックだけ。バスの窓越しに見るとマイカーは、トランクを開けさせて念入りに調べている。


 「ご協力、ありがとうございました」


 ゲートが開いて、バスやマイカーは空港の第一、第二のターミナルへ。全日空や日本航空など航空会社別のターミナルに向かうのである。


006_convert_20120621184209.jpg


 搭乗チケットを券売機で買い、カウンターでトランクを預ける。ここまでは手順にそって進めばいい。その次。セキュリティーチェックだ。手荷物ばかりではない。ポケットのケイタイや小銭入れ、腕時計やネックレス、ベルトに至るまで、全てをローラーで流れる受け皿へ。カメラチェックである。

携帯電話


 “身ぐるみ“剥がされた搭乗客は、今度は金属最終チェックのゲートをくぐらされるのだ。そこを通る時の気持ちは何度経験してもいいものではない。“無事”通過した時は、子供のようにホっとするのだ。「ブー」。そこで機械にノーを突きつけられようものなら、待ち受けていた係官の手で探知機での全身チェック。靴を脱がされ、その底まで調べられるのである。




 これでセキュリティーチェックが済んだと思ったら大間違い。同時進行で進んでいた手荷物検査。黒いカーテンで仕切られたカメラゾーンで、また待ったが。ここで引っかかるのは、特に液体。機内でのお楽しみのワインやお酒類、ペットボトルの水はむろん、女性の液体化粧品に至るまで容赦なく没収されるのである。旅行客は、液体の機内持ち込みはダメ、と言うことは知っている。でも人間、どこかに助平根性が。没収されるそれが高価なものであったり、思い入れが強いものであればあるほど、あきらめきれない気分になるのだ。



007_convert_20120621184407.jpg



 「お母さん、帰ったら、このワインで乾杯しようよ」


 何年か前、大西洋―カリブ海―パナマ運河―太平洋クルーズの時、米・ロス・アンゼルスで手に入れた高級ワインを、ハワイのセキュウリティーチェックで没収された時のむなしさは今でも忘れられない。



 もちろん液体の機内持ち込みがチェックされることは知らなかったわけではない。もしチェックにかからないトランクに入れて、中で割れでもしたら…。貧乏人根性というか、そんな警戒心が逆に没収のハメに。目の前で大きなポリバケツに投げ込まれた。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

旅のキーワード

099_convert_20120619100749.jpg


 クルージングだから、今度の旅のキーワードは「船」に決まっている。もう一つキーワードがあるとすれば、それは紛れもなく「世界遺産」だ。イタリアのベネチアを出て、アドリア海を南下、エーゲ海を回って、再びベネチアに戻る7泊8日の船旅。立ち寄った国は、イタリアのほかギリシャ、クロアチアの3カ国。


038_convert_20120619100851.jpg



 イタリアの玄関口・バーリでは、アルベロベツロで「トウルッツリ」と呼ばれる、とんがり屋根の民家群を。ギリシャのオリンピアでは、かつてゼウスの神に捧げられた古代世界で最も重要な聖域だったと言われるオリンピアの遺跡を観た。そのカタコロンから回り込んで、同じギリシャのアテネではアクロポリスの丘を。都市国家時代の神域、と言われるそこには、数々の古典文化の芸術家達がもたらした傑作がひしめいていた。


114_convert_20120619100944.jpg



 エーゲ海には、大小様々な島がいっぱい浮かんでいる。その風景、特に家並みは白亜とか、カサブランカ(白い家)と言う形容がぴったり。ベネチアのサンマルコ島やクロアチアのドゥブロブニクにみられる中世風の建造物とは趣を一変する。サントリーニ島やミコノス島は、まさにエーゲ海に浮かぶ「白い宝石」だ。アドリア海とエーゲ海の雰囲気ががらりと違うのも面白い。


P1010472_convert_20120619101056.jpg



 そのことごとくがユネスコ(UNESCO=United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization=国際連合教育科学文化機構)の世界文化遺産だ。そんなところを選んで巡っている、と言ってしまえばそれまでだが、その見事さには圧倒される。ユネスコは、一も二もなく登録を認めただろう。こんな素晴らしい財産を後世に残さなかったら、人類、バチが当たるとさえ思った。


053_convert_20120619101148.jpg



 今、山梨、静岡両県では、富士山の世界文化遺産登録に向けて大詰めの準備作業が進んでいる。自然遺産の登録では失敗。文化遺産に方向転換の舵を切っての作業である。富士山は、私たち日本人にとって心のシンボルであり、山岳信仰の源。だが、あって当たり前、の山であることも確か。特に、山梨県人の私のように毎日窓越しに眺めている人間にとって、それは珍しくもなければ、これといった感慨もわかない。


富士山


 エーゲ海のサントリーニ島やミコノス島、アドリア海のゴルフ島なども、そこに住む人から見れば同じ感覚かもしれない。


P1010367_convert_20120619101304.jpg



 私は長年、ユネスコの民間活動に参画している。今年9月8~9日には山梨市の市民会館で、研究大会を開く。静岡、神奈川、長野、山梨の4県で構成する中部東ブロックの大会で、それぞれの県のユネスコ協会の代表が集まって、研究討議をするのである。




 基調テーマは「富士山の世界遺産が意味するもの~人の絆と地域の輪~」と決めた。富士山の世界文化遺産登録をきっかけに、その意味するものや地域の活性化、人と人の絆を考えようというものだ。その前段になる基調講演や、それを受けたシンポジュウムには、富士山の世界遺産登録に向けての準備に携わっている中心的な人たちがあたる。因みに、我が国の登録世界遺産は14件。内、文化遺産は11件だ。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

ベネチアングラス

015_convert_20120618144939.jpg  


 サンマルコ広場に限らず、サンマルコ島のあちこちには、ガラス工芸品を商いするお店もいっぱい。ベネチアのガラス工芸は「ベネチアングラス」の名で知られる、いわば世界のブランドなのだ。

クルーズ_convert_20120618110936



 宝飾貴金属店などとともに軒を連ねるベネチアングラスのお店には、あるある。様々なガラス細工の商品が。カラフルというかシックに造られた置物のガラス工芸品からワイングラス、ビールのジョッキ、さらにはネックレスなど女性用の副装品・・・。あらゆるものをガラスで作ってしまうと言っていい。

クルーズベネチア_convert_20120618111126


 「お母さん、あのワイングラスがいいな・・・」

 「買いますか?」

 「うん、そうだな・・・」


 手に取ってみた。欲しいことは欲しいのだが、そこが貧乏人の性(さが)。値札を見て躊躇するのだ。「ベネチアングラスって、こんなに高いのか…」。見たとたん、元の位置に戻した。そんな貧乏人亭主をよそに、うちのかみさん、いとも簡単に「気に入ったのなら、お買いになったら?」。「バカ、すぐ割ってしまうくせに・・・」。今は亭主より太っ腹に見える女房の顔を見返しながら内心そう思った。


026_convert_20120618145040.jpg



 40代の若い頃だった。今でも覚えている。会議で金沢に出張した時のこと。九谷焼の“自分では素晴らしい”徳利と猪口のセットを買って帰ったことがある。「お酒は温めの燗がいい…♪」。元来、酒飲みの私は、お燗の温度ばかりでなく、徳利や猪口にも拘っていた。



 九谷焼の徳利と猪口もその一つ。安さラリーの財布をはたいて買って来たのだ。


 「これ、オレのお気に入りなんだからな。大事に扱ってくれよ」


 「分かっていますよ…」


 夕餉の食卓で、そんな会話を交わしながら晩酌を済ませた数分後。「ガチャ~ン」。台所で不吉な音が。咄嗟の予感は、不幸にも的中。いつもは自分の非を認めたがらない、うちのかみさん。この時ばかりは「ごめんなさい」。「バカっ。今、『割るんじゃないよ』と言ったばかりじゃあないか」。あとの祭である。




 世の中とは皮肉なもの。大事にしているものほど、簡単に壊したり、無くしたりするものなのだ。世の常かも知れない。若い頃だが、外国土産でいただいたダンヒルなど高級ブランドのライターをバーやキャバレーに置き忘れて無くしてしまった苦い経験がある。今でこそ100円ライターがそれに取って代わったが、そんな時代もあったのである。


024_convert_20120618145128.jpg


 7泊8日のアドリア海、エーゲ海クルーズを目的にした12日間の旅から山梨市の片田舎に戻った今、サンマルコの土産物店に並んでいたベネチアングラスを恨めしげに思い出す。「やっぱり、買ってくればよかった」。そんな後ろ髪を引かれる思いがあったのかも知れない。ベネチアを離れ、空路、日本に帰る途中の乗り継ぎ空港・ミューヘンで、ビールのジョッキ二つを買い、重い手荷物覚悟で帰って来た。もちろんドイツ製。お値段は18ユーロ。 こちらは割られても、それほど苦にならないガラス製品だ。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

ゴンドラの唄

IMG_2560_convert_20120616102615.jpg


 「水の都」の看板の一つ、ゴンドラの発着所は、連絡船が出入りする港の一角。港と言うより、連絡船が行き来する島の岸と言った方がいい。そこには待合を兼ねた、ちょっとした案内所があって、そこで申し込みさえすれば、順番で乗せてくれる。料金は一隻、約150ユーロ。5人ぐらいが乗れるので、一人当たりにすると、日本円で3,000円ちょっと。高いか安いかは、その人の判断だ。


IMG_2516_convert_20120616102757.jpg



 ゴンドラは細長く、曲線美豊かな黒の漆塗り。単なるボートと違って、見るからに、また乗っていてもデラックスな気分になる。黒のボディに金色の留め金や赤いモールが、ちょっとしたデラックスさを演出するのである。


IMG_2537_convert_20120616102950.jpg



 島の岸、海の岸からこぎ出したゴンドラは、サンマルコ広場に通ずる海に面した道の“太鼓橋”の下をくぐって島の運河でもある、水路に入っていく。私たち日本からのツアーで募った10人のオプショングループが2隻のゴンドラを借りて出発した。料金をちょっと弾んで、うち1隻には、弾き語りの芸人を乗せてギターと歌声のライブを楽しみながらのゴンドラの“旅”。




 「あれっ、聞き覚えのある曲・・・」。前をゆく仲間のゴンドラの上で「ゴンドラの唄」のメロディーが。日本人への精一杯のサービスか。



 命短し 恋せよ乙女 赤きくちびる あせぬまに
 熱き血潮の 冷えぬまに 明日の月日は ないものを

 命短し 恋せよ乙女 いざ手を取りて かの舟に
 いざもゆる頬を 君が頬に ここには誰も来ぬものを

 命短し 恋せよ乙女 黒髪の色 あせぬまに
 心のほのお 消えぬまに 今日は再び来ぬものを





IMG_2535_convert_20120616103157.jpg



 確か、吉井勇が作詞、中山晋平の作曲。小林旭や森繁久弥がうたい、ヒットした。日本人なら誰しもが口ずさんだ事がある歌だ。あの森繁節が懐かしい。この歌の元歌はイタリアにある、と聴いたことがある。舟で奏でてくれたおじさんが、そのことを知っていたかどうかは定かではない。もちろん、無粋で、元来、音痴の私なんかに、その詳しいことが分かっているはずもない。




 考えてみれば、代わり映えがするでもない同じような家並みの間を縫うように走る運河を、のんびりと散策するゴンドラの旅。所要時間は3~40分。結構、楽しめた。腕時計は午後5時半を回っていた。対岸のベネチア港から汽笛を鳴らしながら大型客船が出航していく。8日前、私たちが乗ってアドリア海、エーゲ海のクルーズに出た「MSC=ムジカ」号。旅支度を整えて新たな客を乗せ、再びの出港だ。私たちと同じように8日間の船旅を楽しみ、またこの港に帰ってくるのだろう。感慨深く手を振り、拍手で見送った。



P1010545_convert_20120612094725.jpg


ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

ゴンドラが似合う街

IMG_2545_convert_20120614092351.jpg


 サンマルコの島にはゴンドラがよく似合う。島の中の至る所、迷路のように張り巡らされた運河をゴンドラは、まるで泳ぐように進んでいく。“船頭さん”は、みんなそろいのユニホーム姿。白地に黒っぽい横縞の半袖シャツを着ていて、長い木の竿一本で自由にゴンドラを操って行くのである。


IMG_2534_convert_20120614094332.jpg



 イタリア人は全般に背が大きい。目鼻立ちもしっかりしているので、横縞のユニホームと相まってかっこいい。街を歩いていてもイタリア人には“デブ”が少ないように感じた。それに比べてフランクフルトやミューヘンの空港で見かけたドイツ人の方が男も女も“デブ”が多い。テレビでよくお見かけするメルケル首相のようなタイプの女性がいっぱい。背丈は男性も女性も、お隣のフランス人と比べて大きい。




 女性もかっこいい。「アモーレ、アモーレ、アモレミオ・・・」。学生の頃観たイタリア映画「刑事」。あの女優さんはなんと言ったか。アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」や「ローマの休日」「戦場に架ける橋」などとともに、今でも記憶に残る洋画の一つ。ソフィア・ローレン。往年のイタリアの大女優だ。そんな映画を見歩いた青春時代が懐かしい。


刑事_convert_20120614095840


 独断と偏見で見る欧州人の背丈なんかどっちでもいい。とにかく、かっこいい“船頭さん”のゴンドラさばきで、運河の回遊を楽しむのである。運河をまたぐ陸路の“太鼓橋”から眺める光景と違って、ゴンドラから見上げる光景のイメージはガラリと変わる。ゴンドラ同士やモーターボートがやっとすれ違うことが出来るほどの狭い運河の両側に3階建て、4階建ての住宅が並ぶ。




 どの家にも運河への“玄関口”が。もちろん、“太鼓橋“で陸を結ぶ道路はあるが、車がないので、生活物資の輸送は、この運河しかない。ここではゴンドラは観光用。観光客を乗せて案内するのが用途で、物資の輸送は主にはモーターボート。ゴンドラでの回遊では、あっちこっちで、そんな光景を見た。トイレットペーパーを下ろしているモーターボートの業者も。



IMG_2526_convert_20120612100058.jpg



 生活雑排水はどう処理しているのだろう。運河を見る限り、多少は流れ出る雑排水の栄養物のせいで、いくらかは藻が発生しているが、総じて綺麗な水質を保っている。街並みは全て石造りや鉄筋コンクリートの家。歴史と共に歩んだ古い街並みなのである。そこで、「水の都」を汚さない浄化システムは? 




 私のような鈍感人間でもその不思議を考える。仮に生活雑排水が街の全てを毛細血管のように張り巡らしている運河に垂れ流されたら…。世界に誇る「水の都」は・、今にない。歴史の街には人々の英知と、それを守るために絶対妥協しないポリシーがあるのだろう。



IMG_2517_convert_20120614100741.jpg



 逆を考えれば、近代の国家や地域が環境や水質の保全を維持出来なかったり、そのシステムを作れなかったとしたら、住民の努力はむろん、為政者の責任と言っていい。そんな事例は、私たちの身の回りにゴロゴロしている。優れた歴史の裏側には、それを支え続ける人々の努力と為政者の確固たる信念があるのだ。ゴンドラの上で、水に浸かって並ぶ家並みや水面を眺めながら、ふと、そんなことを思った。(次回に続く)




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

サンマルコ広場

P1010594_convert_20120612095221.jpg


 人、人、人。サンマルコ広場は世界の観光客で埋まっていた。一口に欧米人とか欧州人と言うが、アメリカ人や地元のイタリア人はむろん、ドイツやフランス、スペイン、スイス、オランダなどEU圏の人々、それに中東やアフリカ諸国の人たちも。まさに人種の坩堝と言ってもいい。




 サンマルコ島は「水の都」と、形容されるベネチアの、いわばシンボル。ベネチアを訪れる観光客は、必ずこの島に来る。陸路からも海路からも続々とやって来るのだ。例えば私たち海路のお客さんのように大型の客船が一隻着けば、一度に少なくとも2,500人ぐらいのお客さんがはき出されてくる。サンマルコ島の目と鼻の先に位置するベネチア港には、同じような規模の船が、ほかにも二隻停泊していた。


P1010592_convert_20120612094957.jpg



 島にはベネチア港から連絡船で渡る。50人から7~80人乗りのボートが次々と接岸、観光客が上陸していく。目の前には中世風のホテルがずらりと並んでいる。もちろん私たちのように宿泊して、足を休める人もいれば、島を観光、そのまま帰っていく人もいる。




 連絡船を下りた人たちは、まるで申し合わせたようにサンマルコ広場に向かう。その数は半端ではないから、広い道路も人で埋まり、なかなか前に進まないほど。道の真ん中には仮装仮面やTシャツ、帽子など土産物を売る露店が。絵描きさんの露店もあっちこっちに。その絵は、ゴンドラをあしらった“水の都”の図柄だ。


P1010590_convert_20120612094821.jpg



 前にも書いたが、この島には、車は一台もない。島の住人達の日常交通は全てが水路。船での往来である。道路をくぐる水路の橋は、みんなアーチ型になっていて陸上を歩く人々は、その橋を昇り降りするのである。山口県の錦帯橋とまではいかないが、日本で言う、いわゆる“太鼓橋”である。


IMG_2526_convert_20120612100441.jpg



 サンマルコ広場の入り口とも言える海側には二本の大きな柱が立っていて、人々の待ち合わせの場所になったり、ツアー客の集合場所に充てられるのだという。私たちのようなツアー客やグループの観光客達は大きな広場や、その周辺でフリーの散策を楽しみ、約束の時間になると、この二本の柱の下に戻って来るのだ。




 広場を取り囲む街並みは、厳かさを演出するのに十分な中世の建造物。宮殿や教会が往時を偲ぶ。全てが石造建築。その一つ一つが人々の目を圧倒するのである。人々はそんなサンマルコ宮殿やサンマルコ寺院を見学するために長い列を作る。中にはアイスクリームを食べながら気長に列に加わる人もいる。


P1010593_convert_20120612095111.jpg



 大勢の観光客を当て込んで、店の前に椅子をいっぱい並べて、飲食を促す店も。ただ、歩き疲れて「ちょうと座らせて」という私のようなモノグサは、容赦なく追い払う。飲食を伴い、お金を落とさないお客さんはご免、と言うのである。日本ばかりではない。洋の東西を問わず、観光地は、何処も金儲けにせち辛い。



 ちょっと小腹が空いて食べるサンドイッチやホットドック、それにコーヒーやジュースも決して安くない。人が集まる所は、お店側の主導だ。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

中世の街

P1010568_convert_20120610140652.jpg  


 「この町の何処かに、この国の何処かにタヌ子さんがお住まいなのか?」


 そう考えるとクロアチアという国が無性に身近に感じた。タヌ子さんは時々、マイページにおいでいただき、私の拙いブログをお読みいただいている。クロアチアの何処にお住まいなのかも知らないし、もちろん一面識もない。インターネットとは便利なもので、国内にとどまらず、海外においでの方々ともパソコンのキーをたたくだけで、即座に双方向の交信が出来るのだ。


P1010564_convert_20120610140749.jpg

 自らを紹介するプロフィールによれば、タヌ子さんは「フランス、ギリシャを経て、現在はクロアチアでヘンテコな料理を作って楽しむ暢気な主婦」。「外国の珍しい野菜や果物も紹介しています。料理ブログのはずが、最近旅行ブログのようになってしまっていますが、あまり知られていないヨーロッパをご紹介できたらいいなと思っています」とも付け加えている。


 アドリア海・エーゲ海クルーズは、終盤にさしかかっていた。サントリーニ島やミコノス島などエーゲ海に浮かぶ島々を巡っていた船は、再びアドリア海へ。やはりギリシャのゴルフ島に寄った後、またアドリア海を北上するのだ。
190_convert_20120610134128.jpg

 ゴルフ島は同じギリシャでもエーゲ海の島々とは雰囲気を異にした島。古代、中世から19世紀に至るまで、東地中海の海上交通の要衝として歴史の表舞台にも登場した島である。オーストリアの皇后・エリザベートが愛し、頻繁に訪れた島としても知られ、エリザベートの夏の離宮・アヒリオン宮殿やギリシャ正教会の大聖堂・聖スピリドン教会などでも有名。

165_convert_20120610133722.jpg
エリザベート像

 クロアチアは、そこから船で北上すること12時間。南からギリシァ、アルバニア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナなどと並んだアドリア海に面した国である。言い換えれば、ブーツ(長靴)のような形をしたイタリア半島のアドリア海を挟んで反対側に位置した国。家並みも「白い宝石」「カサブランカ」と言うった形容がピッタリのエーゲ海の島々の、それとうって変わって中世風に。ゴルフ島も同じ。

P1010569_convert_20120610134920.jpg


 船はいつものように静かに港に接岸。ドゥブロヴニクと呼ばれるこの街の旧市街は、まるで中性にタイムスリップしたような雰囲気を持つ。街は城壁で囲まれ、フランシスコ会修道院やスポンザ宮殿など終始、圧倒される中世の建造物を眺めて歩く足下は、これまた歴史を刻んだ石畳。


192_convert_20120610133042.jpg



 すべて同じ石から造られたという石畳は、何百年もの間、人々の通行で磨かれ、すり減っていた。その街が醸し出す雰囲気は、誰をも中世にタイムスリップさせてくれるのである。海から、陸から襲いかかる敵襲を城壁で食い止め、その中で生業する人々。その時々の声が聞こえてきそうな気がする。街を取り囲む城壁を一周すれば楽に一時間はかかる。


P1010573_convert_20120610135321.jpg


 建物が石なら、街路も城壁も石。全てが石の街である。そんなしゃれた中世の街の一画のカフェテラスでいただくコーヒーやココアの味がまたいい。街を歩く観光客、カフェテラスでちょっとくつろぐ人々が中世の街と不思議に調和していた。(次回に続く)


P1010570_convert_20120610135602.jpg



ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

アキレス腱

162_convert_20120608213309.jpg



 へえ~、こんな所に。女房と連れだってのアドリア海・エーゲ海クルーズ。船が案内してくれたゴルフ島でアキレウスの像を見た。「アキレス腱」の語源になったアキレウスの像だ。ゴルフ島は同じギリシャでもエーゲ海の島々とは雰囲気を異にした島。


 
P1010548_convert_20120608214105.jpg


 古代、中世から19世紀に至るまで、東地中海の海上交通の要衝として歴史の表舞台にも登場した島である。オーストリアの皇后・エリザベートが愛し、頻繁に訪れた島としても知られ、エリザベートの夏の離宮・アヒリオン宮殿やギリシャ正教会の大聖堂・聖スピリドン教会などでも有名。


173_convert_20120608214358.jpg



 アキレウスの像はエリザベートの夏の離宮・アヒリオン宮殿の裏庭のような所にあった。小高い丘のような所なので、そこからは周囲に海も見える。アキレウスの像は、そんな海を眺めるように建っていた。


159_convert_20120608213617.jpg


 そのアキレウスの像を眺めながら、ふと、二人の仲間の顔を思い浮かべた。


 「アキレス腱が切れる時の音というのは凄いんだよ」


 10年以上も前の話だが、高校時代の同級生がそんな話をした。シニアの仲間達がサッカーの試合をしていた。「バシっ」という鈍い大きな音がしたと思ったらイレブンの一人がピッチに倒れ込んだ。左足のアキレス腱を切断してしまったのである。その音は試合中のみんなに聞こえるほど大きかったという。


サッカー_convert_20120608215821



 アキレス腱を切ったのも同じ高校の同級生。二人とも日川高校が山梨県高校サッカーの王座、または、それに準ずるポジションに君臨していた時代のエース級。一人は全日本チームの選手にも選ばれた。二人とも教育大(現筑波大)や日体大に進んで教員に。山梨県の高校サッカー指導の先頭に立った。




 アキレス腱を切ったY氏は教員時代、韮崎高校を山梨県の覇者に育て、全国の頂点を目指す国立競技場に導いた。あの中田英寿を育てたのもこの男。退職後は請われて山梨学院高校の監督になり、無名の同校をやはり国立競技場に導き、全国制覇を成し遂げたのである。そんなY氏や高校時代、全日本チームへはせ参じたS氏(旧姓H)は、教員時代はサッカーのクラブチーム「甲府クラブ」のメンバーだった。同クラブは今でこそJ2に降格しているが、そこへの復帰を狙う「FV甲府」の前進である。アキレス腱切断、というアクシデントに見舞われたもののサッカーを楽しんでいたのは、そんな往年の選手達である。



172_convert_20120608220022.jpg



 アキレウスはギリシヤャ神話に登場する英雄。トロイア戦争で活躍するが、敵のハリス王に弱点の踵を射貫かれ、これが原因で、命を落とすのである。この伝説からアキレス腱は「致命的な弱点」の代名詞に。そもそもは王妃である母親が我が子を不死身の肉体にしようと赤子の頃、冥府の川に体丸ごと漬けるのだが、母親が掴んでいた踵が水に浸らず、踵の部分だけが生身のまま残った。


P1010553_convert_20120608213444.jpg



 因みにアキレス腱を切った男・Y氏は、そんなことがあったことがウソのように70歳になろうとしている今も山梨学院高校のサッカー場に立っている。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

“第二のお母さん”

 母親の27回忌法要に臨む3人の男の子達は、いずれも30歳を超え、子を持つ親になっていた。中でも長男の年齢は、丁度、母親の享年である38歳。二つ違い、三つ違いの弟たちも間もなく、その年になる。

  


 法要が営まれた埼玉県志木市のお寺さん。立派な本堂の祭壇に安置された遺影も心なしか色あせているようにも見えた。普段は見慣れない本堂の中を物珍しげに飛び回る無邪気な5人の孫達。みんな26年の歳月がそうさせたのである。

子供_convert_20120606114602


 「5人のよい子の皆さん。よく我慢して静かにしていてくれましたね。和尚さんは、皆さんがあまりにも元気なので、いくつもの、お経を読み終えることが出来るかなあ、と、内心心配していました…」




 方丈さんは読経の後の法話の冒頭で、こんなことを言った。広い本堂の中を駆け回っていた幼子達。威儀を正して読経を聴き、祭壇に香を手向けるお父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃん、叔(伯)父さんや叔(伯)母さん、それに大叔(伯)父や大叔(伯)母さん…。幼いながらも動物的にその場の厳粛な雰囲気をかぎ取ったのだろう。いつの間にか静かになった。仏壇の遺影は見たことがあっても、自分のお母さんと同じくらいの“おばあちゃん”。今、行われている法要の意味だって分かりっこないはずだ。


菊_convert_20120606114340


 そんな幼子達をよそに、この日の法要を最も感慨深く受け止めたのは3人の子供達だっただろう。祭壇のお母さんの遺影に手を合わせた。この男の子達には、もう一人手を合わせなければいけない人が居た。“第二のお母さん”である。言葉に出さないまでも、きっと感謝の念を込め、手を合わせたに違いない。




 「お母さん、オレたちは、お母さん亡き後、今のお母さんのおかげで大きくなり、こうして所帯を持ち、子供を持つ親になったよ…」




 それぞれが自分たちを生んでくれた母親に心の中で、そう報告しただろう。




 「お父さん、富士子さんって、凄い人だわねえ。“第二のお母さん”でありながら、3人の子供を立派に教育、何不自由なく育て、それぞれ所帯も持たせた。全てにさりげなくするあの気配りだって人には真似が出来ないわよね。自分のお腹を痛めた子にだって、あれだけのことは出来ませんよ」

親子_convert_20120606110322


 子供達の“第二のお母さん”ほ「富士子」と言うのだが、女房に何時もそう言わしめる。そう感ずるのは私たち夫婦ばかりではない。法要が済んで、おときの席。私のすぐ下の弟らお招きを受けた人たちは一言スピーチで同じようなことを言い、敬意の気持ちを表現した。これより先、冒頭の施主の挨拶で“二人の妻”の亭主は「私が言うのはおこがましいが…」と前置きしながらも「富士子、本当によくやってくれた。ありがとう」と。




 一言居士で、どちらかと言えば気難しいタイプの弟が放った最大級の賛辞だった。そんなお母さんだから3人の子供夫婦は、お母さんを慕い、孫達も「おばあちゃん」が大好き。今回の法事の仕掛け人もこの人?先妻の法事である。人間とはかくありたいと思った。

家族_convert_20120606114724

ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

義妹の27回忌法要

 もう26年も経ってしまったのか。義妹(いもうと)が逝ってから、あっという間の歳月だった。光陰矢のごとし、とはよく言ったものだ。27回忌の法要が営まれた埼玉県志木市にある大仙寺という曹洞宗のお寺さんの本堂で、読経をお聞きしながら、つくづくとそんなことを思った。


お寺



 祭壇でにっこり微笑む遺影は、無邪気に振る舞う5人の孫達を一層微笑んで見ているように見えた。幼い5人は、遺影の“おばあちゃん“はむろん、今、営まれている法要のなんたるかも知るはずもない。遺影の人だって知るよしもない孫達である。




 義妹は私にとっては4人兄弟の末っ子の連れ合い。逝ったのは37歳の6月末。12歳、中学1年になったばかりの長男を頭に、二つと三つ違いの男の子3人を残してのあまりに早い旅立ちだった。


法事


 癌だった。それも「腺癌」という、それまで聴いたこともなかった厄介な癌。癌細胞がリンパ腺の中に入ってしまうため、手術が不可能。胃癌や肺癌のように癌細胞、つまり局部を切除すればいい癌と違って癌細胞が流動してしまうので、局部の切除が出来ないのだという。分かり易く、などと簡単に言えないのだが、その癌の発見は即、死の宣告を意味するのである。残酷の一語に尽きる。




 癌の宣告。死の宣告と言った方がいい。記憶によれば、それは死ぬ前の年だった。もちろん宣告は本人に対してではない。抜本的な医療は施すすべがないのだが、家族は東京都内の病院に入院させ、奇蹟が起こることを、僅かながらも期待した。インターフェロン、丸山ワクチン…。そんな抗癌の手立ても施した。




 連れ合いの弟はむろん、近くに住む兄夫婦…。必死の看病だった。そうしながらも努めて明るく振る舞う周囲。自らの体調と相まって義妹(いもうと)が事の重大さに気づかないはずがない。折しも子供達の夏休みが終わる頃だった。小6と小4、小1の男の子3人を連れて海水浴に出掛けたと言う。入院中の主治医に懇願しての海水浴、“最後の団らん”であったことは言うまでもない。「行ってらっしゃい」。余命を知る主治医の判断だった。




 そこに一人の親を見た。子を思う母親の慈しみを見た。3人の我が子にとっても自分にとってもこれが最後の夏。11歳の長男は、よしんば理解できたとしても9歳、6歳の次男、三男は、その母親の心の内を理解することは出来なかったに違いない。


海6  


 義兄の私たち夫婦も山梨から何度となく病院に見舞った。結果的に最後の見舞いの時だった。「お兄さん、お忙しいのに遠方から何度も悪いですね」。義妹はベッドの上で、努めて明るく私たちを迎えた。




 「義兄さん(お兄さん)ですか。義妹(いもうと)さんの病状は今、あなたが病室に戻られた時、息を引き取っていても不思議ではない状況です」




 主治医のそんな説明が信じられないほど、義妹(いもうと)は元気を装い、明るく振る舞って見せた。心配をかけまい、としたのだろう。それが今でも痛々しい。(次回に続く)




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

華やかさ醸す夜

146_convert_20120602075417.jpg



 フォーマルナイト。船内は、なんとなく華やかな雰囲気に包まれるのだ。服装とは不思議な魔力を持っている。七五三のお祝いや入学式、また大人達の結婚式やお葬式、服装がそれぞれの雰囲気を作る。




 日常の生活でもそうだ。朝起きたままのパジャマ姿でダラダラしていれば、何となく体も心もシャッキッとしない。反対に、それなりの服装を整えれば、それにあった行動に移れるのである。例えば、地下足袋を履き、野良着に着替えれば、農作業への気合いが入る。スポーツウエアーもそうだ。



サトイモ



 職場をリタイアして「毎日が日曜日」になった頃だった。ネクタイを締めない朝に違和感を覚え、一日中、“首がスウスウ”して仕方がなかったものだ。カジュアルウエアの生活が、何か落ち着かないのである。あれから7年。そんな生活にすっかり慣れた。




 船に戻る。フォーマルナイト。それぞれのエントリーで、バスでのエクスカーションを楽しみ、船に帰って来た人たちは、それまでのカジュアルウエアを脱ぎ捨てて、フォーマルウエアで部屋を出て来るのである。男性はスーツにネクタイ。タキシードに蝶ネクタイで、スマートに決めた紳士も。女性はイブニングドレス。




 カジュアルウエアの時と違って、なぜか背筋がピーンと伸び、その振る舞いや笑顔にも気品が出てくるから不思議。


クルーズ_convert_20120602075852
MSCクルーズより


 「お父さん、私たちも写真、撮ってもらいましょうよ」


 イブニングドレスとまではいかないまでも、おめかしした“つもり”の女房はそんなことを言った。

P1010556_convert_20120531130820.jpg



 フォーマルナイトを当て込んで、船内には、にわか作りの写真スタジオがお目見えする。広いバーラウンジのしゃれた階段や通路のちょっとしたスペースを利用しての“スタジオ”。傘を使った照明や、海や船など風景を描いたバックスクリーンをしつらえただけのラフなもの。出来上がった写真は翌日、通路脇の展示コーナーに掲示。コーナー脇のカウンターでお気に入りのものを選んで購入するのである。



051_convert_20120602080312.jpg



 専属のカメラマンは手慣れたもので、手際よくポーズを作らせてパチリ、パチリ。もっとほほえましいのは、被写体となる“お客さん”たち。何事もフランクに振る舞う欧米人は、抱き合ってほほえんで見せたり、頬ずりをするご夫婦も。若者ばかりでなく、シニア達も自在に演技するのだ。



写真_convert_20120603212139


 一方、山梨の野暮天夫婦。そんなことが出来るはずもない。そこは先刻、ご存じのカメラマン氏。さりげなく、それも有無を言わさずポーズをとらせ、あっという間に何カットかの写真を撮ってしまうのである。40年以上も前の結婚式はおろか、娘の七五三や成人式など女房と写る写真は決まって“棒立ち”。考えてみれば、へんからはない。



 「お父さん、やっぱりプロねえ。うまく撮れていたわ。みんな買ってきちゃった…」


 翌朝、展示コーナーから嬉しそうな顔をして戻ってきた女房を見たら、「バカっ」と言えなかった。




ブログランキングに参加中です。  
 ↓この下の「
甲信越情報」をクリック いただけると励みになります。
新バナー

にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 山梨情報へ  ← 「山梨情報」 こちらも応援よろしくお願いします


ありがとうございました!

ランキング参加中です!
人気ブログランキング【ブログの殿堂】
おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

最新記事
カテゴリ
最新コメント
FC2カウンター
ブログ成分解析
ブログランキングならblogram
検索フォーム
月別アーカイブ
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

全国からアクセスありがとう!

ジオターゲティング
最新トラックバック
アルバム
リンク
忍者ツール
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
RSSリンクの表示
FC2ブログジャンキー

「アクセス数が全然伸びない…」そんな悩みをブログジャンキーが解決します!