庭の百日紅(再)

百日紅2



 庭先の植え込みにある百日紅が今年も花を付けた。紅い、と言うよりは淡いピンクの花である。太い幹のあちこちから出た穂のような枝の先に団子状に付ける小粒のいくつもの花は、一つ一つ見ると、さもない花だが、全体で見ると、風情があって美しい。


百日紅1   


 百日紅とはよく言ったものだ。毎年、7月の終わりから8月にかけて花を付け始め、9月いっぱいは順繰りに花を咲かす。100日とは行かないまでも、2ヵ月、つまり60日以上咲いている。その百日紅、今年は、花を付けるのがいつもの年より、ちょっと早かったような気がする。暑さの始まりが早かったためかもしれない。しかし、なぜかセミの鳴き声が聞こえない。もう8月の12日。お盆を迎えるというのに。


百日紅_convert_20110808224142



 私の記憶が間違っていなければ、いつもの年ならアブラセミからミンミンゼミに変わり、その鳴き声が暑苦しさをいっそう掻き立てているはずだ。今年は、どちらかと言うと空梅雨だった。その上、梅雨の間も真夏並みの暑さが続いた。そんな気象が百日紅やセミに影響を及ぼしたのかも知れない。


サルスベリ  



 百日紅は幹がすべすべしていることから、「さるすべり」とも言う。我が家の百日紅は大きく、太い。もう数百年は経っているだろう。その側には大きな石がある。在るというより、立っている、と言ったほうがいい。子供の頃、近所の子供たちと、まずこの石に這い登り、百日紅によじ登って遊んだものだ。





 私が、もう数百年は経っている、と言ったのは、ぼつぼつ90歳になる私の従兄弟や故人となって久しい親父の従兄弟が、私と会うたびに≪岩手のさるすべり≫と、大きな石の周りで遊んだ思い出を懐かしそうに話すのである。私は今65歳。百日紅の幹の太さは子供の頃とそんなに変わっていない。歳がかなり離れた私の従兄弟や、今生きていれば100歳をとうに超えている親父の従兄弟たちが遊んだ百日紅や大きな石、その周りの植え込みも、それぞれの当時とあまり変わっていないのかもしれない。





 本を読んだり、パソコンを叩いたりする窓辺りの机から見える百日紅は日ごとに花の量を増している。草花は別にして、この時期、大きな木が花を付けるのは百日紅ぐらいのもの。外出しての道すがら目にする百日紅の花はうちのそれと比べて色が濃い。品種なのか、それとも樹齢が若いためなのだろうか。色が濃いから目には爽やかに映る。しかし、淡い色もまた趣がある。


パソコンとサルスベリ



 花を落とすのを待って、毎年枝を切り落としてやることにしている。甲府に住んでいる時分は植木屋さんにまかせっきりだったが、≪毎日が日曜日≫になった今は植え込みの手入れは自分でする。お陰で、さまざまの道具もだんだん揃って来た。植木用のはさみやバリカンなど道具の手入れも、ちょっとした暇を見つけてする。




 自分でやってみると、剪定の仕方や、その時期などもおのずと覚えるようになる。皐月やつつじなどの刈り込み時期も遅まきながら知った。ただ、脚立から落ちないよう注意はしている。もし落ちたら「さるすべりから落ちた」と笑われるのがオチだものねえ。




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農地解放と現実(再)

靖国神社   靖国神社2


 靖国神社に参拝した閣僚は誰と誰。8月15日。テレビは東京・九段の靖国神社を参拝する政治家を映し出し、まるで靖国神社参拝が悪いかのようなトーンで伝えていた。毎年やってくる終戦記念日の恒例行事だ。「そんなことどうでもいいじゃないか。むしろ参拝しない方がおかしいよ」と思いながら、草っかじりをするため畑に出た。




 暑い。63年前の今日もやっぱり同じような暑さだったのだろう。昭和17年11月生まれの私は当時2歳9ヵ月。山梨県の片田舎・東山梨郡岩手村(現山梨市東)で育ったから、空襲などショッキングな出来事にも遭遇しなかった。だから戦争の記憶はない。知識として知るほかはない

夏の空



 全身から噴出す汗を拭う。なんとか草を退治して、これから大根の種を蒔こうとしている畑を見渡しながら、ふと、思った。写真やフィルムでしか見たことのないが、パイプをくわえたあの大男のマッカーサーのことである。彼は敗戦で焦土と化した日本にやってきて、さまざまな大ナタを振るった。




 その一つが農地解放。農地が富の一つとすれば、マッカーサーは一発で、その富の再配分をやってのけたのである。この農地解放は地主と小作人の関係ばかりでなく、そこから派生していた親分、子分の関係までつぶした。戦勝国の強権がなかったら、親分、子分の因習はともかく、農地の再配分など、今もって出来なかったに違いない。




 マッカーサーのこの大号令は日本にとって、善政だったと思う。自分の土地を持った農家の農業に対する意欲は計り知れないものがあっただろうし、その意欲が戦後日本復興の源になったと思うからだ。大ナタは、農地と並んで国の基礎となる教育にも及んだ。一方で平和ボケと言われる今の日本人にマッカーサー、つまり戦勝国アメリカの教育改革は良くも悪くも大きな影響を及ぼした。


ねぎ畑



 戦後、教育は地主を「搾取階級」と決め付けた。幸か不幸か、農地を解放させられる側の農家に生まれた私は、幼心にもこの「搾取階級」と言う言葉が妙に引っかかったし、矛盾を感じたりもした。




 「みんながみんな、搾取していたわけじゃあねえじゃねえか」。もちろん、農地解放後だが、親達の姿を見ていて素朴に思ったものだ。例えば、地主と小作は古い因習の親分と子分の関係にも当てはまるのだろうが、親父やお袋たちは、子分と言われる家でコメがなければ、わが子のメシを減らしてでも、コメを持っていき、夫婦喧嘩や嫁、姑のいさかいがあればその仲裁に奔走していた。その姿は、子供ながらにほほえましい運命共同体のように見えたのである。そんな家族のような、親戚のような関係はだんだん薄らいでゆく。


 戦後60余年。マッカーサーが再配分したはずの農地が、実はまた集約化の傾向を見せているのだ。農地解放で土地を手に入れたはずの農家は、軒並み、後継者不足に悩み、一方で大量の農地を集めての農業の法人化が進み出した。小作地ではなく、かつては、のどから手が出るほど欲しかった農地が今、皮肉にもお荷物になっているのである。




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諸刃の剣(再)

 ハエ。たかが一匹だが、その存在は気になるものである。こうしてパソコンをたたいているデスクの周りであれ、食卓の周りであれ、いっ時でも早く捕まえて、すりつぶしてやりたくなる。 これが女房や娘だったらもっと大騒ぎだ。躍起になって追い回すのである。そうなると、たかがハエ一匹、そんなにむきになることもあるまいに、と思うのだが・・・。




 そういえば我が家でもとんとハエを見かけなくなった。だから、たかが一匹のハエがやたらと気になるのだ。ふと、子供の頃を思い出した。今もそうだが、私が育ったのは秩父多摩国立公園(現在は秩父多摩甲斐国立公園)に程近い山梨県山梨市の片田舎だったから、ハエなんか全く珍しくなかった。むしろ、それとうまく付き合っていたと言った方がいい。部屋の天井からはハエ取り紙がぶら下がり、どこの家にもハエタタキと言うヤツがあった。





 ハエの量たるや天井からのハエ取り紙や人の手で叩くハエタタキで成敗できるシロモノではない。ちょっとうかうかしていると、茶碗の白いご飯は、ハエで真っ黒。 白いご飯といっても麦飯だが、とにかくそれを追い払って食べるのである。若い方々ばかりでなく、たいていの人たちは、そんな話を聞いただけで「わあっ、汚い」と、目をそむけるだろうが、40年前、50年前の農村地帯はそうだった。

 


 農家だから、どこの家でも牛や豚、ヤギなどの家畜を飼い、堆肥置き場を作る。子供たちはウサギやハトを飼った。トイレも水洗であるはずがない。周り中がハエの温床だ。しかし、昭和30年代半ばごろから、それまでの米麦、養蚕の農業形態は桃、葡萄などの果樹へと急速な勢いで転換して行った。同時に堆肥や豚の糞、いわゆる有機肥料は化学肥料に代わった。また冷蔵庫が普及し始め、牛乳がそこに入るようになって、ヤギが姿を消し、子供たちも少子化と勉強優先からか、ウサギやハトとの付き合いと決別した。





 こうした農村の生活様式の変化がいつしかハエを減らした。さらに、追い討ちをかけたのが果樹園への農薬の散布である。しばらくすると、これに除草剤が加わった。食卓という食卓、また台所などいたるところを我がもの顔で席巻していたハエどももたまりっこない。今では都市部より、農村部のほうがハエが少ないのである。




 ハエばかりではない。カだって同じだ。もっと決定的なのはブヨ。主に野良に居たブヨには農薬は致命的な決定打だった。ハエやカ、ブヨなどは農薬の標的ではないのだが、果樹の病害虫駆除のあおりを食った、いわば犠牲者なのである。犠牲者はこればかりではない。ハチだって同じだ。農薬はさまざまの虫を殺し、地中のミミズまで少なくした。


桃の花見



 ご存知、山梨は桃の一大産地。甲府盆地がピンクのじゅうたんに変わる頃、農家は人手を惜しんで、人工授粉に取り組む。ほとんどいなくなってしまったハチを頼りにするわけにはいかないのである。皮肉な現実だ。ハエやカがいなくなったのは確かにいい。むしろ快適になった。



 しかし、その代償はけして小さくない。文明とは諸刃の剣。どんな形にせよ、どこかで犠牲者が出る。人間の英知で、それを避けることは出来ないものなのか。



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開かずの箪笥(再)

 その昔、江戸城の大奥には「開かずの間」といわれた部屋があったという。時代劇や講談の世界だが、その開かずの間のストーリーは、その部屋である時、不吉な事件が起き、その時を境に、夜ごと幽霊が出るといった筋書きだ。大奥の女達は怖がって、その開かずの間には近づかなかったというのだ。


扉



 徳川将軍家の大奥と並べては恐れ多いが、我が家には開かずの間ならぬ、「開かずの箪笥」がある。それも何本もである。女房が嫁入りじたくの一つとして持ってきた数本と、その後に増えた何本かだ。我が家の開かずの箪笥は大奥のように不吉なことがあったり、幽霊が出るわけでもない。単に開けたことを見た事がないということである。






 開かずの箪笥などと大げさな、と言われそうだが、私にとっては不可解なこと。女房の箪笥だから中には女物の和服や洋服が入っているのだろう。そんな中身はどっちでもいい。要はほとんど開きもしない箪笥なら、場所を塞ぐだけで意味がないのだから、いっそ中身ごと処分してしまえばいいものを、と思うのである。おそらく、女房は、その中に何を入れたかすら忘れてしまっていると思う。




 注意してやればいいじゃないかって?その通り。ばかばかしい話だが、それが原因で夫婦喧嘩になったこともあるのだ。うちの女房、バカじゃねえのかなあ、と思うことすらある。でも待てよ、世の中に「箪笥の肥やし」という言葉があるのだから、世の女房族の中には、うちの女房のような人間が居るということか、とヘンなところで、その馬鹿馬鹿しさと妥協したこともある。




 良く考えてみれば、俺達、亭主族だって同じようなことが言えるのではないか。サラリーマン時代、会社で個々にあてがわれた事務用のロッカーがいい例だ。いつも利用し、中身を≪クリーニング≫していないと、底の方に何を入れて置いたのかすら忘れてしまうのである。結局、いつの間にか「開かずのロッカー」になっていた、なんて経験は、私ばかりではないかもしれない。

キャビネット


 でも、こんな馬鹿馬鹿しいことはない。無用の長物で、場所っぷさげにとどまらず、経費的にも無駄である。もう10数年、いやもっと前になるかもしれないが、私が勤めていた会社の、あるグループ会社の東京支社では個人用のロッカーや机までなくしたのである。もちろん、事務職にはデスクは必要。個人机を取っ払ったのは営業部署

デスク


 その結果はというと、日常の仕事に不便は全くなく、部屋の中が以前より、ずっと整然としたという。社員達は仕事を終え、帰るとき、その都度、整理をして、一日を終えるようになったと言うのだ。整理整頓の効果ばかりではない。ロッカーのあるなしにとどまらず、その日、その日の仕事のけじめや、広い意味での経費節減にもつながったという。




 つまり、箪笥とかロッカーなど、いわゆる箱物は必要最小限でいいということである。今住んでいる我が家は、サラリーマン時代に住んだ甲府の家と違って田舎家だから、そのスペースはそれほど気にならないが、狭かったら「開かずの箪笥」は絶対ごめんだ。




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無知と偏見(再)

都会


 偏見。人生、いや、日常生活の中でといった方がいいかもしれないが、偏見はさもない所で生まれるものだとつくづく思う。そのさもない偏見が自らを閉鎖的な世界に追い込んだり、その進路さえ変えかねない。自分だけだったらまだいい。人や事象をいとも簡単に差別したり、傷つけたりすることもあると考えると怖くなる。





 人間とは案外たわいもないもので、どこかに、この偏見と言う名の魔物を宿しているような気がする。人と人とのいさかいや、いさかいまでも行かないまでも、なんとなくしっくり行かない原因の一つに、この偏見がありはしないだろうか。偏見はさまざまな意味での無知と裏表だったりすることもある。


都会



 「戦争は人の心の中に生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」という前文で始まるユネスコ憲章は、こうも述べている。




 「(前略)恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代わりに無知と偏見を通じて人間と人類の不平等という教義を広めることによって可能にされた戦争であった(後略)」




 もう40数年になるが、ユネスコ活動に参加してきた。そして7年前からロータリークラブにも加わった。失礼ながら本音で言わしてもらえば、引っ張り込まれたといった方がいい。次期会長になるという親しい友人が「もう、会社をリタイアするずら。うちのクラブに入ってよ」と半ば無理やり入会を勧められた。




 善良なロータリアンからお叱りを受けるかもしれないが、正直言って、私にはロータリークラブが偽善者に映ったことが何度かあって、好きにはなれなかった。奉仕が行動ではなく、お金、それも相手の目線ではなく、ちょっと高いところからのスタンスが気に入らなかった。偏見とは怖いもの。それまでずっとこの偏見を引きずっていたのである。ただ、私のような偏見をお持ちの方が他にもいないかということである。




 日本人にはお金で物事を解決しようとする風潮が強まっているような気がしてならない。何年か前、国連のPKOをめぐって、世界の国々が日本に対して「ショウ ザ フラッグ」、つまり、お金だけでなく、日本は態度で示せ、という言葉を浴びせて来たことがあった。国家間であれ、個々の人間同士であれ、お金は誠意の道具ではあっても、誠意そのものではない。誠意を表す行動がなければならないし、心がなければならないことは間違いない。



羽



 偏見なんて持たない方がいいに決まっている。しかし、私のように無知が偏見を生み出すのである。無知を責めるだけでは解決しない。要はその受け皿となるところが偏見や誤解をなくす努力を惜しんではならないということである。ロータリークラブをめぐる偏見。自らがその中に入ってしまった今、そんなことを考えている。




 わが国のロータリークラブの数、人口ともここ数年、減少傾向にあるのだそうだ。その減少に歯止めをかけ、若者をも巻き込んで増加に転ずるためには、様々な偏見の源を払拭し、活動への理解を促す努力が大切である。そして行動重視の方向に舵を切らないと・・・。




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ピーナッツと落花生(再)

落花生4



 昭和51年、この年に起きたロッキード事件は米国の航空機メーカーを巻き込んだ、わが国政治史上まれにみる疑獄事件に発展した。時の宰相・田中角栄はこの事件で失脚、間もなく、逮捕されるなど日本の政界は混乱の渦に飲み込まれた。それから30数年、刎頚の友と言われた田中角栄元首相、小佐野賢治元国際興業社主、それに日本の黒幕といわれた児玉誉士夫氏ら事件の主役達はいずれも鬼籍に入ってしまった。




 受託収賄罪。当時としては比較的耳慣れない、この刑法用語がこの事件でポピュラーになった。もう一つ、贈収賄のキーワードとなったのがピーナッツである。つまり、捜査に当たった東京地検が宰相・田中角栄の犯罪として立件を目指したのが受託収賄罪であり、その収賄の現金授受の隠語がピーナッツであった。田中角栄は当時、やはり米国のグラマン社と日本への航空機の売込みを競っていたロッキード社のコーチャン副社長からピーナッツという名の賄賂を受け取り、それに便宜を図ったと言うのである。





 この事件を伝えるテレビ、ラジオの裏番組では、双子の姉妹歌手ザ・ピーナッツが茶の間で人気を集めていた。双子歌手や双子タレントの草分けであつた。もちろん、この二つのピーナッツはまったく関係ないのだが、賄賂の代名詞に対し、こちらは双子の代名詞になったのである。今ではピーナッツという言葉も忘れられたし、ザ・ピーナッツもお茶の間のテレビから姿を消して久しい。

ザ・ピーナッツ



 ピーナッツは南京豆ともいい、落花生の実のことを言う。落花生は実に不思議な植物である。お恥ずかしい話だが、私は60歳の半ばになるまで落花生の実はその根につくものとばかり思っていた。ところ、これが大間違い。文字通りの「落花生」で、花が弦のようになって、地に落ち、実を付けるのである。


落花生1



 私の親しい友人の一人に萩原さんと言う男がいる。この人は私のパソコンの師匠でもあるのだが、ある時お宅を訪ねたら「いい落花生の種があるんだけど蒔いてみるけ。その生育過程をちょっと注意してみていると感動するよ」と言ってくれたのが、その不思議を知るきっかけであった。この萩原さんは実に勉強家で、創意と工夫に旺盛な人である。





 春先に蒔いた落花生の種は間もなく芽を出し、7月下旬ごろから青い葉っぱを沢山付けた枝に黄色い花を付ける。ここからが感動的なのである。この黄色い花がいつの間にかに弦で垂れ下がり、地中に潜るのである。つまり、落花生の実を沢山収穫するためには沢山のいい花を咲かせることもさることながら、花が落ちる所にしっかりと土を盛ってやらなければならない。最初、そのことを知らない私は根元にばかり土寄せしたものだから、花は弦で垂れ下がったものの、潜るところがなく、空中ブランコ。大失敗で、苦笑いしたものである。


落花生3



 今の子供達は、もちろんロッキード事件のピーナッツも、双子姉妹のザ・ピーナッツも知らない。そんなことはどうでもいい。だが、この落花生が織り成す感動だけは教えてやりたいと、正直思った。いい歳して、たわいもないと笑われるかも。




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旬とコミュニケーション(再)

スモモ



 「これ、撥ね出し物だけど、美味しいから食べてくれますか」



 近所の人が、時にはサクランボ、時には桃、スモモといった具合に、段ボール箱や果物のもぎ箱に入れて持って来てくれる。箱への並べ方は大雑把だ。



 「何時も済みませんね」


 お礼を言うと

  「これ、形が悪かったり、過熟気味になってしまって出荷出来ないんですよ」



 いかにも美味しそうだ。食べてみてもうまい。当たり前である。木で熟れた物を、そのまま持って来てくれたからだ。桃でも、スモモでも同じだが、輸送やセリ、店頭での陳列など消費者の口に入るまでの時間を考慮して、熟れる前のものを出荷するのである。出荷の過程で、すぐ過熟になってしまうトマトなどはその典型で、真ん中の尖った所がちょっと赤くなった段階で出荷してしまう。





 桃やスモモに限らず、旬の果物や野菜をあっちこっちから頂く。こちらも、ナスやキユウリ、ジャガイモ、サトイモ、落花生など家の畑で採れたものをお届けする。果樹農家の中には、こうした野菜を自分で作らない人が多いのである。果樹作りで忙しく、手が回らないから、種類が多く、手間のかかる野菜なんか作っている暇がないというのである。


野菜



 百姓もどきというか百姓見習いの私が作ったものだから、お世辞にも立派なものではないが、無農薬で、採りたての新鮮野菜であることだけは間違いない。




 「お百姓などしたことがない人が、こんなに立派なものをお作りになって。大したもんですねえ」



 お世辞なのかなんだか分からないが、喜ばれるとうれしいものだ。田舎にはいつも、こんなコミュニケーションがあったり、旬というものの実感がある。




 小学校から高校まで、つまり子供の頃を除いてそのほとんどを甲府や東京で過ごした。土のないサラリーマン生活である。ざっと50年近く、野菜や果物はほとんどを買って食べた。子供の頃、実家では桃や葡萄を作っていたので、それを買って食べることにはちょっぴり抵抗があったが、食卓を賄う女房は甲府、つまり非農家の生まれだから、一向に気にしなかった。




 八百屋さんや果物屋さんに行けば、その店頭には一年中何でも並んでいて、季節感なんてものはない。自分ばかりではない。日本人はというものを忘れさせられてしまったのではないか。ハウス栽培という名の施設園芸の普及とその技術の高度化によるものである。あらゆる野菜や果物が一年中食べられるのだ。

筍


 竹の子を「筍」とも書く。文字通り旬の野菜である。これだけはハウスで作ってもらいたくないものだ。ともかく、会社勤めをリタイア、土のある生活に戻って、特に自分の家で作った野菜のうまさを実感した。物事にかなり鈍感な女房でさえ「お父さん、やつぱり、買ったものと家で作ったものは味が違うね」と言うのだから間違いないだろう。




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草との戦い(再)

雑草


 子供は知らぬ間に大きくなる、という言葉と一緒にしたら不謹慎、と叱られるだろうが、だって同じ。あっという間に大きくなって、百姓どもを手こずらせるのである。草だって、生きなければならないし、子孫だって増やさなければならないから、当たり前といえば当たり前。




 それにしてもすごい。20日間のハワイ、アラスカの旅を終えて帰ったら、畑ばかりでなく、家の回りも、どこもかしこも草だらけ。これを予期していなかったわけではなかったが、うんざりである。旅行に出掛ける前、このことを想定して、きれいにしていったのに、草どもは容赦なかった。身の丈と言ったら大げさだが、膝まではある。




 草だけならまだいい。草の先っぽには何百だか何千だか分からないほどの種の穂を付けているのである。この種が来年、全部芽を出し、草になると考えたらゾッとする。だから、その草の種をいっぱいはらんだ穂を女房に摘み取るように命じておいて草との戦である。


草かじり


 立ち鉋で端からかじり取っていくのだが、敵もさるもの。しっかりと根を張っているから、こちらは汗だく。流れる汗が目に沁み、着ているシャツは汗を搾るほど。一通り採り終わったと思つたらもうその次が。通りかかった近所の人は、慣れない私の姿を見かねたのか「私が除草剤を撒いてあげますよ」と、言ってくれた。確かに今の農家は草なんかにビクともしない。世間では篤農家と言われる専業農家ですらである。むしろ、桃や葡萄、サクランボなどの果樹園に草をはやしたままにし、果樹の保水に役立てるのだという。




 百姓の長男でありながら、≪会社人間≫で過ごした40数年。学生時代も含めれば50年近く百姓から離れていた自分が今となってみれば恨めしい。バカではないか、と言われるかも知れないが、除草剤とか草生栽培という言葉がピーンと来ないのである。「草をはやしたら百姓の恥」とまでも言わないまでも、それを良しとしなかつた子供の頃、何とはなしに覚えた百姓の感覚が今でも心の隅に残っているのである。


畑  


 幸か不幸か、私の家は、かつて大地主で、数町歩の農地があった。ところが会社人間で家や畑のことなど見向きもしない息子に業を煮やしたのか、不安を感じたのか、親父は家屋敷だけ残してそのほとんどを処分してしまったのである。よかった。しかし残った家屋敷はまだ1町歩。なまくらの身体になってしまった私にそれを耕す能力があるはずがない。ピオーネや巨峰が植えてある5反歩ほどのぶどう園は隣村の人に作ってもらっている。




 だから私の仕事といえば残された、ただの畑と庭やおつぼきなど、いわゆる家屋敷の管理である。畑ではジャガイモ、サトイモ、サツマイモ、なす、キユウリ、トマト、かぼちゃ、インゲン、果ては生姜、ニンニク、アスパラ、ふき、茗荷に至るまで四季の野菜を何でも作る。人から見れば趣味に毛が生えたようなもので、生産性とは全く程遠い。




 仲間たちは借りた農地での家庭菜園作りを楽しそうに話す。しかし私は草ぼうぼうにしていてはみっともないので草っかじりをし、そこに何かを作っているのである。人手が足りないから、子供をも動員、野良で朝飯を食って学校に行った子供の頃を思い出した。




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百姓の方便(再)

畑  



 草生栽培だとか雑草との共生、という言葉をよく聴くようになつた。農家、または≪農家もどき≫の人たちの間にである。100歩譲って草生栽培はいいにしても、雑草との共生で農作物が出来る訳がない。「雑草のように強い」と人にも例えられる言葉があるように雑草は逞しい。その雑草の中で農作物が育つ訳がないからだ。どんな野菜だってその周りの雑草を取ってやらないと雑草に食われてしまうのである。




 友人に≪自然との共生≫≪エコ≫をライフワークに考えている男がいる。その考え自体は素晴らしい。しかしよく分からないのは自然との共生が≪正義≫だからジャガイモやかぼちゃ、たまねぎを撒いても、肥料もやらなければ、雑草も取らないのである。ましてや、除草剤なんかもってのほかだ。


野菜づくり



 その畑を見たことがある。畑は一面草ボウボウ。ジャガイモやかぼちゃはよく見なければ分からないほど雑草の中に見事に埋没していた。今もその方法で野菜作りをしているかどうか分からないが、その畑は山間にあって、周りの畑も草ボウボウ。いわゆる遊休農地である。仲間の畑は農業後継者がいない、その遊休農地の一角をただ同然に借りたのだそうだ。ここなら草ボウボウにしていても近所から苦情も来るわけもないし、とヘンなところで納得したものだ。




 ただ、ここで思ったのは遊びの野菜作りといったら、その友人に叱られるかも知れないが、それと、農業で飯を食っていくということは、まったく別ということである。≪自然との共生≫≪エコ≫はこの友人の哲学といっていい。その哲学と実践を引っさげて、あっちこっちで講演をしたりもする。その頃、車もごく小さなものに乗り、そのどてっぱらにはエコを訴える大きな文字を書き込んでいた。


畑2



 そこまでは良かった。その車のわきで、私と立ち話をしながら、道路わきの畑で実る桃を横目に「この桃だって無農薬で作らなきゃあいけん」と、ぶった。そこをたまたま通りかかった農家の親爺らしき男はカンカン。目をむいて、こう言った。


桃



 「てめえら、何様だと思っているんだ。消毒をしちょだって?桃にゃあ灰星病というやつがすぐ着く。俺たちが消毒をしなかった、輸送中にみんな駄目になっちまって、消費者の口にゃ入らねえんだ。第一、俺たちゃあ、これで汗水たらし、飯を食ってるんだ。何も知らねえで、勝手なこと言うんじゃねえよ」



 私はもちろん、友人も一言の反論も出来なかった。




 さて草生栽培というやつだ。桃、葡萄、サクランボなど果樹園ではいいが、野菜作りでは成り立たない。果樹園での草生栽培にしても農家の方便のような気がしてならない。果樹栽培はだんだん高度化し、その一方で手間もかかるようになった。草に追われる農家は草退治に手が回らず、いっそのことと、草との共生を考えたのではないか。草生栽培といっても時を見て、草刈をしたり、除草剤を撒いているのである。らちもない事ばかり言うと「百姓もどきが、つまらぬこと、言うんじゃあねえよ」と叱られそうだ。





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蔦の爪あと(再)

蔦3



 「蔦の葉絡まるチャペルで・・・」と歌われたり、高校球児のあの暑い夏を連想させる甲子園球場の蔦。いかにもロマンチックであったり、爽やかな青春を思い起こさせる。街を歩いていて鉄筋コンクリートの建物を包み込むような青々した蔦を見ると、いかにもクラッシックな洋館を髣髴とさせ、そこに住む人たちの生活ぶりをのぞいてみたくなるのは私ばかりではないだろう。





 私がこれから言う蔦はそんなロマンチックなものだったり、爽やかなものではない。会社をリタイアして戻った実家のお蔵の白壁は蔦に覆われていた。覆われていた、なんてものではなく、あるものは枯れ、汚らしく二階の屋根まで這い上がり、大きなお蔵は廃墟をも連想しかねないぶざまな姿を露呈していた。


蔦  



 ご存知、蔦はタコの吸盤のようなものを持っていて、コンクリートでも、土壁でもどんどん這い上がってしまう。これを取り除くのに始末が悪いのは枯れた蔦である。生きていれば、引っ張ればつるごと取れるのだが、枯れているとポリポリ折れてしまう。腹が立つ。そればかりか、吸盤は小さいから壁に張り付いたままで、取れないのである。枯れた蔦も高い所は梯子を架けて取り除いたが、点々と壁一面に残る吸盤は今も残ったまま。長い間、お蔵にとどまらず、ほったらかしにしていた付けであり、証明である。





 というヤツは畑であれ、空き地であれ、絶対に真ん中には生えないのだそうだ。しかも綺麗にしているところには顔を出さない。つまり、建物や石垣の近くで、這い上がれる所があることが条件だ。蔦の葉か絡まるチャペルや甲子園の蔦は少なくとも人為的に作ったものだが、みんな垂直に這い上がっているのは共通である。いったん始末して、綺麗にしておけばもう顔を出さない。いって見れば、蔦という植物は人や自然の弱みに付け込んで生きる嫌なヤツなのである。


蔦2



 「放って置けば必ず森になる」。秩父多摩甲斐国立公園の山梨県側の一角に乙女高原がある。そこはかつてスキー場だった所。春から秋、色とりどりの野草が花を咲かせ、今では野草の宝庫とまで言われるようになった。その草原を守ろうと、山梨市のある小学校教諭の呼びかけで、ファンクラブが出来た。毎年11月23日に山梨県内外のファンボランティアが集まって下草刈をし、翌年5月にはロープの遊歩道作りをする。





 この下草刈をしないと、あっちこっちに生えるブッシュが、やがて森になってしまうのだそうだ。各地のスキー場がシーズンオフ、野草が咲き乱れる草原として人気を集めるのは、雪の上にブッシュが顔を出さないように秋の下草刈を欠かさないからである。




 蔦ばかりではない。我が家の周りの道の石垣には、かつては小さな芽に過ぎなかった木の芽が長く放って置いたツケなのか大きなブッシュとなって、あっちこっちで道をふさいでいた。この道は6尺ほどの幅を持つ古道。車社会になって忘れ去られようとしている道だが、朝夕犬を連れて散歩する人は結構いる。道をふさいだブッシュと雑草。こんな所でも人に迷惑をかけていたかと思うと「これからは・・」と肝に銘じざるを得なかった。




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サクランボとなまくら息子(再)

サクランボ1


 サクランボといえば山梨県の人たちは南アルプス市の白根をイメージする。しかし、今では白根に勝るとも劣らないのが山梨市の旧岩手地区だと思う。私が住む村だからという贔屓目ではない。東南に面した山付きを中心にサクランボ畑が広がり、そのスケールはけして小さくない。路地ものばかりではなく、シーズンには一面ビニールハウスで埋まる。その立地とおそらく地味の良さも手伝って味もいいのだそうで、人気は年々高まり、4月から5月にかけての最盛期には首都圏からの観光バスがどっと繰り込む。




 その姿を横目にちょっぴり複雑な思いに駆られることがある。全体では一部分でしかないが、一等地のような1~2町歩の土地がかつては我が家の畑だったからだ。あの土地が俺のものだったら、とつい助平根性が頭をもたげる一方で、あの土地が今も残っていたら、と思うと、ゾッとするのである。助平根性などとんでもない。なまくらになってしまっている俺に耕作出来るわけがないからである。


サクランボ2


 子供の頃を思い出した。この地方ばかりではないが、山梨県は米麦、養蚕が農業の主体を成していた。平地は水田、それも二毛作の米と麦、山付きは桑を作って、養蚕をしたり、とうもろこしや薩摩芋も作った。この地方では大きな農家だったから、中学生の頃の農繁休暇には、10人前後の仲間や上級生が宿泊研修という名のお手伝いに来るのである。自分ばかりでなく、みんな懐かしい思い出であったに違いない。70歳近い男たちが今もその思い出話をするのである。




 私が大学に入った頃、つまり昭和30年代の半ばごろから、この地方は桃、葡萄を中心とした果樹への転換が始まり、あっという間に米麦、養蚕の農業スタイルは姿を消した。我が家も水田から桃や葡萄などの果樹園に転換したことは言うまでもない。農家の長男でありながら大学を卒業した後、家に帰らず、いわゆる会社人間の歩みを始めてしまったのである。

葡萄9月



 広い農地を抱え、家業を見向きもしないせがれに親父は頭を抱えたに違いない。我が家の農地の大部分を処分せざるを得なかつた親父の心中が、ちょうど親父の年になる今の私には分かりすぎるほど分かる。その処分の仕方も、やけくそなのか、一生懸命手伝ってくれたお礼なのか、近所の人に、いわば只同然で分けてしまったのである。


桃



 俺がもし親父の立場だったらと考えると、親父のような大胆なやり方はできないだろう。もう大分前になるが、今は南アルプス市となった旧白根町の知り合いがこんなことを話してくれたことがある。



 「うちの畑を道路でも何でもいいから走ってくれないものかとつくづく思う。親から譲り受けた畑を売っぱらうのはちょっと気が惹けるが、公共用地としてなら大義名分がある。息子は大学を出て、会社勤め。百姓なんかやる気はねえんだ」




 なにか自分と親父のことを言われているような気分になったものだ。百姓の長男とはそんなもの。しかし、その百姓をめぐる環境や価値観は何十年かのサイクルで変わるのである。




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富士山への道

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 「そこに山があるから登るのだ」


 ある登山家が残した言葉である。一見、単純にも響くが、奥深い。未知への飽くなき挑戦であり、様々な苦難の克服をも意味する。そんな冒険家にも似た登山家はさておき、山登りの醍醐味や、そこで味わう爽やかさ、達成感は、体験した者にしか分からない。


  • 富士山3_convert_20120706160801


 それも私のようなメタボ人間には、今となっては体験すること自体、おぼつかない。富士山には2度登ったが、体力十分の若い頃。それも一合目からではなく、「馬返し」と呼ばれる五合目に近いところからである。若気の至り、二日酔いのような状態での登山だったこともあって,悪戦苦闘した想い出がある。緑の木一本あるわけではない。あるのは荒涼とした溶岩のガレ場だけ。空気が薄いことさえ実感する。頂上がすぐそこに見えてもなかなか到達出来ないのだ。「富士山は登る山ではなく観る山」。誰かが言った言葉を思い浮かべた。



 「もう金輪際、山登りはご免。富士山になんか来るものか」



 正直言って、そう思った。仕事を兼ねて登った南アルプスのちょっとした山でも,そんな体験をした。ところが山登りとは不思議。山頂など目的地を極めた途端、その苦しさがウソのように吹っ飛び、爽快さに変わるのである。もっと言えば「来てよかった」と、しみじみ思うのだ。苦しければ、苦しいほど、それへの喜びが倍増する。日常のどんなことにもいえる事かも知れない。


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 富士山への登山は,今では吉田口五合目の登山口から。一合目から、つまり車を使わずに登る人はほとんどいない。その昔、車がなかった時代は,全てが人間の足による登山だった。一合目、二合目,三合目…。その尺度は諸説あるが、ランプの油の消費量説が有力だという。夜、麓から山頂までをランプの明かりで歩いた場合の10等分。だから、その物差しは距離や高度とは全く関係ないのである。例えば胸突き八丁、八合目から九合目、九合目から山頂は、すぐそこに見えても時間がかかり、なかなかたどり着けない。


富士山



 日本人は古代から山に畏敬の念を抱き、信仰の対象にして来た。富士山はそのシンボル的な存在であった。地元の山梨や静岡をはじめ、全国各地に「富士講」と呼ばれる信者組織があった。中でも江戸時代、江戸八百八町には、数多くの富士講が組織され、富士山信仰はピークにあったと言われる。




 当然のことながら、その“ご一行様”を受け入れる宿舎も必要。麓の富士吉田市上吉田(現)や富士河口湖町大石(現)には「御師」と呼ばれる宿坊が軒を連ねた。その中心には北口本宮、または河口湖浅間神社があった。もちろん今でもあるが,白装束で身を固めた富士講の信者は「御師」で体を休め、身を清めて,それぞれの浅間神社に参拝。富士山の山頂を目指すのである。「御師」,浅間神社ともに、かつては河口湖の方が栄えたという。



富士山3
富士山NET より


 富士講信者の数の動きはともかく、交通の便利さが,そんな富士登山のスタイルを過去のものにした。電車やバスで簡単に富士山に向かう。それも麓からではなく、五合目からである。今は消えたが、かつては富士山へのロープウエイ架設論もあった。



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富士登山の今昔

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 富士山への登山者の数は、ここ数年、20万人を超えている。恐らく今年もその記録を更新するのだろう。山梨・静岡両県が進めている富士山の世界遺産登録への動きも少なからず影響を及ぼすのではないか、と言うのだ。




 20万人を超す登山者。その数字が大きいか、小さいかは人それぞれの受け止め方に委ねるとして、データの基準は夏山シーズンの期間中。つまり、お山開きの7月1日から、お山仕舞いの8月26日までの57日間である。単純計算だと一日平均3,500人以上の人が富士山に登る勘定だ。ピークは梅雨明けの7月終わりと8月前半の週末。これまでの例だと一日で1万人をはるかに超す。




 登山者の誰もが8合目から山頂の間でご来光を拝もうとするから登山のスケジュールは、大なり小なり同じ。溶岩の登山道に列をなし、8合目や9合目の山小屋付近は、ご来光に向かって「万歳」を叫ぶ登山客でごった返す。


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 その姿はカラフル。色とりどりのヤッケに身を包み、リュックサックもスマートだ。登山シューズもそれぞれが好みに合わせて嗜好を凝らしている。ひと頃のようなゴッツイ、いわゆる「登山靴」は影を潜めているのだ。六角棒の金剛杖は、今も昔も変わらない。「山ガール」がだんだん幅をきかせているのも当世風か。


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 ♪頭を雲の上に出し 四方のお山を見渡して 雷様を下にきく 富士は日本一の山


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 ご存じ,唱歌「富士山」だ。雷雲は総じて高度2千数百㍍界隈に発生する。日本一の富士山は3,776㍍。富士山にとどまらず、高い山に登れば雲海と呼ばれる雲の群を眼下に見ることが出来るのである。その雲海だけでも感動するのに、そこからオレンジ色の太陽が顔を出すのだから人々が「万歳」を叫んだり、手を合わせたくなるのは当たり前。




 富士山のお山開きを前にして山梨日日新聞にこんな記事が載った。その見出しは


 「地元なのに『富士登頂した』は少数派」。
 「小学生8% 中学生15% 親36%」



 このデータは富士山の麓・富士河口湖町の教育センター(武藤郁夫所長)が町内の全小中学生とその保護者や教師を対象にしたアンケート調査の結果。「へ~え、そんなものかねえ」とびっくりするか、「そんなものさ」と、半ば予想通りと受け止めるかはその人次第。



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 ただ一つだけ言えるのは、地元の人間にとって富士山が空気のような存在である、ということ。新鮮でもなければ、珍しくもない。間もなく、子供達は夏休みに。山国の子は海に憧れ、海辺の子は山に惹かれる。そんな行動パターンが、そのデータの裏側にあるのかもしれない。私のように百姓の倅に生まれた人間が野菜作りに新鮮みを覚えなかったり、面白さを感じないのと同じ…。(次回に続く)




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富士登山

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 あれから半世紀。と言っても私事だが、富士登山をめぐる様相やスタイルは大きく変わった。私が富士山に二度目に登ったのは昭和30年代も終わりの頃。例えば東京を起点にした登山者の富士山への“助走路”一つとっても国鉄中央線はJRに移行され、私鉄・富士急行線終着駅の河口湖駅から出ていた富士山登山バスは姿を消した。




 JR中央線には30分間隔で特急「あずさ」「かいじ」が走り、河口湖からは有料の富士山自動車道(富士スバルライン)が五合目まで伸びている。東京・新宿からの所要時間は大月までが丁度1時間。富士急行線も1時間足らず、河口湖から五合目までがバスで4~50分だから乗り継ぎ時間を入れても、新宿から3時間半、4時間もあれば雲海を見下ろす富士山五合目に立つことが出来る。東京駅―新宿間は15分。特急「あずさ」や「かいじ」も列車によって東京駅から離発着する。


富士スバルライン_convert_20120704103003
富士スバルライン



 その便利さが富士山人気と相まって登山者の増加に拍車をかけ、ここ数年、その数は、わずか2ヶ月足らずの夏山シーズン中に限ってみても20万人を超す。この数字は山頂を目指す登山客の数。五合目にやって来ては引き返す観光客を含めると、その数は何倍にも、何十倍にも膨れあがるのだ。




 毎日、五合目の駐車場は車で溢れ、広場はまるで東京の繁華街並みの混雑を呈すのである。期間を区切ってマイカー規制もするが、観光バスだけでも駐車場が埋まる。観光バスは全国の旅行社が募集する富士山ツアー。五合目観光組は、そんなお客さんが多くを占める。中には富士登山を目的にしたツアーバスも。関西や四国、中国方面、東北などツアーの登山者は全国に及ぶ。バスは時間にして一日近くそこで待つことになるのだ。


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富士山五合目



 山ガールと呼ばれる女の子やおばさん達のグループも目立つ。「おばさん達とはなによ」。ご婦人からは、そう叱られるかも知れないが、私のような野暮天にはそう映ってしまうのだ。中にはハイヒール姿で山登りに挑む若い女性も。交通手段の進化など安易さと便利さが富士登山や観光の姿をどんどん変えている。




 でも富士山を甘く見てはいけない。3,776㍍。日本一の高さを誇る山だ。一瞬に気象も変えれば、ご機嫌を損なえば風を巻き起こし、雨も降らす。目の前の視界を遮るガスをも発生させる。夏といえども8合目から上は残雪がいっぱい。7月1日のお山開きに備えて、山梨県や地元富士吉田市は、登山道を中心に大がかりな除雪作業をした。残雪は我が家の窓越しからも見えるくらいだから、その量は半端ではないはずだ。



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 安心、安全。当たり前だが、今の世の中ありとあらゆるもの「危険」を取り除く。登山道も下山道もきちっとコース化している。かつては「砂走り」と呼ばれる所があって下山する時は、そこを舞い降りるように下りた。登る時は今とそれほど変わらない登山道を一歩一歩、確かめるように悪戦苦闘して歩くのだが、帰りは簡単。「砂走り」の文字通り一面が細かい砂地。落差も手伝って勢いが加わるので、大げさに言えば、一歩が10㍍も進む。まさに「舞い降りる」、と言う表現がピッタリ。今になれば懐かしい。(次回に続く)





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お山開き

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写真:サンニチmiljun


 「富士山 きょう山開き ご来光めざし一心に山頂へ」


 7月1日付けの山梨日日新聞は富士山の山開きの話題を伝えていた。お山開きを待てない登山客の表情を山頂や山小屋、登山道などで追い、写真グラフで見せていた。溶岩の登山道を、にこやかに山頂を目指す登山者の表情や、白装束に金剛杖姿で「御師」と呼ばれる宿坊を出る冨士講信者を捉え、開山前夜祭の象徴とも言える写真をメーンに据えていた。



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 お山開きの前の日、富士山の麓・富士吉田市上吉田の北口本宮富士浅間神社で開く前夜祭は6月30日の恒例行事。富士吉田市長ら市民の代表や富士講信者らが夏山シーズンの無事を祈願するのだ。神事には、日本神話に登場する手力男命(たぢからおのみこと)に扮した男が登場。吉田口登山道の起点となる「登山門」のしめ縄を木槌で切り落として登山道を開けるのである。


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やまなし観光ネット



 山梨放送、テレビ山梨、NHKも映像でお山開きや、その日のご来光の様子を伝えた。それによると、この日の富士山は、どうやら下界と同じように晴れ。オレンジ色の「ご来光」が画面いっぱいに映し出され、八合目、九合目の登山客が「万歳」を叫んでいた。どの顔も一点の曇りもなく、表情は年齢を超えて純粋に見えた。




 太陽とは不思議な魔力を持つ。元日の初日の出もそうだが、富士山で拝む日の出は、いつ見ても神聖で、自然に手を合わせたくなる。「万歳」を叫ぶのも極めて純粋な人の心の発露なのだ。




 もう50年近く前のこと。富士山に初めて登った時、同じように「万歳」「万歳」と叫んだ事を、ついこの間のことのように思い起こした。


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 東京で下宿生活をする貧乏学生の頃だった。居酒屋で親しい学生仲間と安酒を飲んでいるうちに、なんの拍子か、富士登山が話題に。そこには鹿児島出身の男もいれば、京都や長野、熊本の男もいた。どうせ青臭い話でもしていたのだろう。




 「よ~し、今週末、みんなで富士山に登るか。オレが案内する」




 どうせ、あまり勉強しない連中のこと、富士登山の決行はすぐに決まった。私のように毎日、富士山を見ながら育った人間とは違って、仲間達には、富士登山は“新鮮な計画”に映ったのだろう。東京・新宿から国鉄(現JR)中央線に乗り、大月で私鉄の富士急行線に乗り換えて、終点の河口湖駅へ。そこから登山バスで馬返しまで行き、夜陰を徹して山頂を目指すのである。


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 国鉄中央線は、まだ電化がされていなかったので、今のように特急の「あずさ」もなければ、「かいじ」もない。定かなことは覚えていないが、大月までの所要時間は現在の1時間の3倍、3時間近くかかっただろう。




 それどころかトンネルが多い中央線、社内の暑さに閉口して窓を開けっ放しにでもしておこうものなら顔は蒸気機関車から吐き出されるススで真っ黒。車内に冷房もない。でも誰もが苦にならなかった。当たり前だから…。富士登山の助走路であった。(次回へ続く)




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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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