山間の温泉

ほったらかし温泉
ほったらかし温泉


 潮騒の音を聞きながら海縁(うみべり)の温泉に入るのもいいが、静かな山間(やまあい)の温泉でゆったりと露天風呂に浸かるのも、また風情がある。風呂とはいいものだ。仕事を終えて入る風呂は一日の疲れを癒してくれるし、その日にあった不快な事もあっさり流してくれる。




 これが山間の温泉、それも開放的な露天風呂だったら、そのスケールは、もっと大きい。家庭の内風呂と違って、露天のでっかい湯船に、どっぷりと体を沈める。至福を感ずる瞬間でもある。湯治。怪我や病をも治してくれるとあれば、一石二鳥である。



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みとみ笛吹の湯


 そこは「みとみ笛吹の湯」という。山梨市と言っても、もう埼玉県に近い。平成の市町村合併前は「三富村」と言った。秩父多摩甲斐国定公園の一角、奥秩父山塊の山懐と言った方が分かり易いかも知れない。




 山梨県の水系は富士川と桂川の二つ。富士川水系は甲府盆地を流れ、いくつもの支流を集めて駿河湾に、桂川水系は富士山麓地方を流れて最終的には相模湾に流れ込む。「みとみ笛吹の湯」は富士川の支流・笛吹川の源流に近い所にある。「開かずの国道」とさげすまれた国道140が「雁坂道」の名で開いて、山梨と埼玉が繋がった。



ススキ



 露天風呂に浸かり、見るともなく前を見れば、山が飛びつくように迫って来る。それでいて圧迫感など微塵もない。手の届きそうな所には、もう時期はずれになったススキがその穂を風に揺らし、もっと先には雑木の山が。クヌギやミズナラはまだ青々としているが、その中に混じる山桜や漆は紅葉を始めている。常緑の松とのコントラストがまたいい。クヌギやミズナラの雑木も間もなく紅葉を始めるのだろう。




 見上げる空は抜けるように青い。そのどでかいキャンパスに二筋に尾を引く飛行機雲が。先頭には太陽の光を浴びて小さな機影がきらきら光る。音は一切、聞こえない。高度があるためだ。飛行機雲は後ろから消えていく。しばらくすると、また新しい飛行機雲が。山梨の上空は、どうやら外国航路になっているらしい。


青空


 成田空港を飛び立った飛行機は東京、山梨、新潟を経て日本海を越え、シベリアのツンドラ地帯を下に見ながらヨーロッパに向かう。フランスなどに旅する時、自らも体験したことがあるから分かるのだが、高度は10,000㍍前後。そんな機上の事や旅の想い出を山間の露天風呂から思い起こすのも、また感慨深い。




 慌ただしい都会やホテルの温泉と違って、のどかな山間の露天風呂には、ゆったりとしと時間の流れや人々の出会いと語らいがある。


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 「どこからおいでですか?」


 一人、二人と入って来ると何気ない会話が始まる。まるで申し合わせたように四角に折ったタオルを頭に乗せ、湯船にどっぷりと浸かる。


 「温泉はいいですねえ…」


 その顔はみんな微笑んでいた。(次回に続く)





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腰痛と温泉

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 「いやあ~、寒くなりましたねえ」。

 ついこの間まで猛暑日だとか夏日などと言っていたのがウソのように朝晩の冷え込みが顕著になった。10月も終わりに近づいているのだから当たり前といえば当たり前。季節の移ろいは正直だ。




 私の住む山梨市のこの辺りは甲府盆地の山沿いで、標高も比較的高いので、盆地の底より一年中、気温は低めに推移する。梅雨の時期から夏の時期、もちろん、蒸し暑いことには変わりがないのだが、甲府などに住む人たちは「涼しくていいですね」と言う。




 山梨、特に甲府盆地は内陸特有の気象条件下にある。冬は空っ風を伴って乾燥。寒さもきつい。そうかと思えば、梅雨からの夏場は湿度が高く、蒸し暑い。私たちは慣れているから半ば、当たり前に受け入れるが、よそからおいでの方々だったら閉口するだろう。冷え込みも早いので、その分、周囲の山々の紅葉も早い。


紅葉


 私は時間がある限り、一日のどこかで温泉に行く。「はやぶさの湯」「花かげの湯」「笛吹の湯」「鼓川温泉」「坐忘」「ほったらかし温泉」「フルーツパークぷくぷくの湯」「花花」…。この地域には公営、私営の温泉がいっぱいある。歩いて行ける距離にある温泉もあれば、車で行かなければならないところもあるのだが、いずれも車で4~5分から15分の圏内。「ちょっと行って来るよ」。女房には、そう言って出かけるのだ。


ほったらかし温泉
ほったらかし温泉


 私の温泉行きには理由(わけ)がある。椎間板狭窄症という持病があって、畑仕事でちょっと無理をすると、腰痛を引っ張り出すのだ。「お父さん、無理しないで下さいよ。歳なんだから…」。女房は、そう言って心配してくれるのだが、行きがかり上、つい無理をしてしまう。特に、立鉋や鍬を使う中腰の作業がこたえるのである。


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 「腰痛なら、この温泉より、あっちの温泉の方がいいですよ」


 そこが家から3~4分と近いこともあって、よく行っていた「花かげの湯」の露天風呂に浸かりながら顔見知りになって間もないオヤジさんが勧めてくれた。「間違いないよ。経験者がいるんだから…」。オヤジさんはそんなことも言った。「花かげの湯」は、誰もが一度は口ずさんだことがある童謡「花かげ」の作者・大村主計の生誕地に因んだ命名。




 「あの温泉」とは、その「花かげの湯」よりもっと先で、我が家からだと車で10分ちょっとの所にある「みとみ笛吹の湯」埼玉県境に近い山間の温泉である。奥秩父山塊の麓のような所だ。ここの露天風呂はぬるめで、みんなゆっくりと入っている。私はいつも1時間から1時間半、ゆっくりと露天風呂に浸かって帰ってくる。


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 公営の温泉だから料金は安く、私のように市内に住む65歳以上の人だと、たったの100円。券売機で入浴券を買い、市からもらってきたカードにスタンプを押してもらって入館するのである。ただ、公営が故だろうか、朝が遅く、入館できるのは10時から。市内に数ある公営温泉はみんな同じだ。でも顔なじみとはいいもの。ここでは少々早くても「いいですよ」。受付の老夫婦はにっこり笑って便宜を図ってくれるのである。(次回に続く)




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起承転結

紅葉


 そんなことはどっちでもいいことだと思っている。文章作りで、よく引き合いに出される「起承転結」という言葉だ。文章でも言葉でも自由に書けばいいし、自由に話せばいい。要は相手に発信者の心や意図が伝わればいいのであって、形式などに拘らなくてもいいと思っているのだ。ただ、そこには礼儀や一定の節度がなくてはならないことは言うまでもない。そんなことを不遜にも所属する山梨ロータリークラブの例会での卓話で話させていただいた。卓話とは毎週一度の例会でメンバーが交代でするミニ講話である。




 「起承転結」。そもそも、この言葉は文章作りのシステムではなく、漢詩を作る上で生まれたセオリーなのである。それが五言絶句であれ、七言絶句であれ、基本となるのは四行詩。例えば、中国は唐の時代の詩人・孟浩然の「春暁」。誰もが知るポピュラーな詩だ。




  春眠不暁覚 (春眠暁を覚えず)=起句
  処処聞啼鳥 (処処啼鳥を聞く)=承句
  夜来風雨声 (夜来の風雨の声)=転句
  花落知多少 (花落つるを知る多少)=結句




 一行目が「起句」、二行目が「承句」、三行目が「転句」、四行目が「結句」。つまり、最初に句を起こし、それを継承、転じて、結ぶ、と言うのである。四行詩の組み立ての頭を取って「起承転結」なのである。


鳥


 日本人は引用が大好きなのか、この漢詩作りのセオリーをあたかも文章作りのセオリーのように取り込んでしまった。日本人の応用力は凄い。「起承転結」は七言絶句でも同じこと。やはり唐の詩人・張継の「楓橋夜泊」を例にすると。




  月落啼烏霜天満 (月が落ち烏が啼いて霜天に満つ)=起句
  江楓漁火対愁眠 (江楓漁火愁眠に対す)=承句
  姑蘇城外寒山寺 (姑蘇城外の寒山寺)=転句
  夜半鐘声到客船 (夜半の鐘声客船に到る)=結句




 ここ一年半ばかり、仰せつかった役職の関係もあって国の出先機関の役所に出入りする機会が多い。そこでお目にかかる通知文書が面白い。「時下、益々御清栄のことと…。平素は…」。まるで判を押したように同じ。どの通知文書にもくっつくのである。10年どころか20年、30年変わらない“書式”が今も厳然と生きていて、それを作っているのが20代、30代の若い職員。みんな“前例”を変えようとしないのである。




 通知文書は、何かを相手に伝え、知らしめることにある。もっと端的に用件を伝えることをしたらいいのに、と思うのだが…。そう、余計なお世話だよね。



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上下、前後の逆転

セリーグクライマックスシリーズ1
山梨日日新聞miljanより


 3連敗、4連勝。プロ野球セリーグクライマックスシリーズは、巨人軍の劇的な逆転劇で終わった。中日は勝利を目前にしながら栄冠を掴むことが出来なかったのである。それが今期の中日の力か。同シリーズは結果的に今年のペナントレースの縮図のようでもあった。中日は前半、ヤクルトとともに巨人を抑えながらも後半、巨人に楽々覇権へのリードを譲ってしまった。




 峠と言う字は「山」偏に上下、「衣」偏に上下と書けば裃。峠の上下を逆さにすると天地はひっくり返るし、裃の上下を逆さにすると江戸期の身分制度を根底から揺るがすことになる。上下や強弱の論理は今の社会や日常にも当たり前のように生きている。職場に出れば上司と部下の関係があるし、学校に行けば先輩後輩がある。宴会の座敷に座れば、上座、下座が。


酒



 しかし、この上座、下座のように次第に変形しているものもある。上座と言われる席が、いわゆる上座ではなく、真ん中に来ているケースにお気づきだろう。コミュニケーションを考えた合理的な知恵なのである。私たちの日常生活の中で、この上下の関係が知らぬ間に逆転しているものがいっぱいある。




 例えば毎日、私たちがお世話になっている水道。水を出したり、止めたりする、あのノブ。カランに代わるパーツなのだが、この機能が逆転していることにお気づきか。採用し始めた当初は、水を出す時にはノブを下に下げ、止めるときには上に上げた。それがいつの間にか逆になっているのである。地震などで物が棚から落ちてきた場合、水を出すのに、ノブを下げるシステムだと、ぶつかっただけで水が出っぱなしになってしまうのだ。


蛇口_convert_20121024175312



 野球にだって上下、順番の変化、逆転現象はある。プロ野球に限らず、日本の野球はアウトカウントをストライク、ボールの順でジャッチ、表現していた。ところが数年前から、これが逆さになった。それまであったツー・スリーというカウントはなくなったのである。ソフトボールは早くからこの方式を採用して来た。米国から持ち込んだはずの野球が何故これまで“日本式”に拘り続けてきたのかと思ったりする


野球


 「お父さん、○○さんへのお礼状、書いてくださいよ」

 「お前が書けばいいじゃないか」

 「だって、ヘタダだもん…」

 「手紙なんか、思ったことをそのまま書けばいいんだよ。文字や言葉に順番はないんだよ」


 女房とのよくある会話である。




 こんな忙しい世の中でも人間、改まれば改まるほど型にはまろうとする。「拝啓」と始まれば、時候の挨拶が続き、日頃のお世話にお礼を言ってから本文へ。お礼と言えば誠意があるように見えるが、それは決まり切った無味乾燥なもの。終われば、「敬具」と結ぶ。1,2,3と順番を踏もうとするのである。形ではなく心。順番などどっちでもいいと思うのである。時にイレギュラーすることが変化や新鮮さをもたらしたり、逆転の発想が生まれたら面白い。(次回に続く)



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幻の出会い

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釈迦如来及諸聖衆像



 山梨県立美術館で始まった「大倉集古館名品展」に並んだ大倉コレクション。大倉集古館が所蔵する、2,500点余の美術品と35,000冊と言われる典籍の一部である。同館は関東大震災で被災、大量の所蔵品を焼失したという。そんなことを考えると、大倉喜八郎、喜七郎父子が蒐集した古美術の数の膨大さは容易に想像できる。


 「大倉集古館名品展」は、その一部を誘致したものだ。四つのセクションに分けて展示していた。まず第一章が「信仰の美」と題して中世の宗教絵画を、第二章では「繚乱の美」として中・近世の日本と東洋の絵画を、第三章が「精巧の幽玄」として中・近世の工芸を、最後の第四章では「清新なる息吹」と題してローマ展出品の近代日本絵画。

 屏風や掛け軸、巻物に描かれた作品は、その時代、その時代の画風や色彩を存分に映し出し、観る者を圧倒した。
 「お父さん、こんなに凄い美術品をよく蒐集したわね。お金かかったでしょうね」
 「そうだよなあ…」
 展示場を見て回りながらの私たち夫婦の会話。二人はそんなレベルの美術観なのである。それでも見終えて何となく心が豊かになったような気分になるから不思議。この名品展は前期と後期に分けて作品を入れ替える。


 
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能面

 「お父さん、後期もまた見に来ようね」
 私と五十歩百歩。私と同じような女房にもそんなことを言わしめるから面白い。「私と五十歩百歩」などと言ったら、きっと女房はこう言うに違いない。「歌もダメ。芸術もダメ。そんなあなたと一緒にしないでよ」。まあ、それでいい。


 大倉集古館名品展を観た後のレセプションに顔を出しての帰りがけ、常設展にも立ち寄った。そこで“看板展示”のミレーの「種を蒔く人」を改めて観ながら現役時代の若かりし頃を思い浮かべた。今考えれば無茶だったかも知れない。このミレーの「種を蒔く人」と、東京は新宿、安田火災ビルにある東郷青児美術館のゴッホの「ひまわり」のドッキング展示を考えたのである。つまり「ミレーとゴッホの出会い」である。

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ひまわり(ゴッホ)


 ゴッホの「ひまわり」は、山梨県立美術館が自らの“目玉”として購入したミレーの「種を蒔く人」と相前後して安田火災が確か60億円で購入したものだ。ミレーの「種を蒔く人」は約3億円。無茶な計画の、そもそものきっかけは仕事の関係で知古を得た安田火災の幹部との出会い。当時、私は新聞社の事業担当役員の職にあった。「ミレーとゴッホとの出会い? 面白いですねえ」。幹部氏は本気で話に乗ってくれた。東郷青児美術館との交渉が始まった。もちろん、限られた人だけの水面下の交渉。。



 「面白いですねえ。ミレーとの出会いならやってみたいですね。でもねえ…」



 ネックは二つあった。一つは「何処かに貸し出せば必ず別の美術館からも貸し出し要請が出る」。二つ目は油絵の具を厚く重ねた「ひまわり」の絵の特性。「輸送中の振動での破損の危惧」。限られた人しか知らなかった画策であり、ロマンでもある「ミレーとゴッホの出会い」は幻に終わったのである。



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財閥のコレクション

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夜桜(横山大観)


 大倉財閥の豪快なる美術コレクション。甲府の郊外にある山梨県立美術館で「大倉集古館名品展」を見せていただいた。国宝「随身庭騎絵巻」から横山大観の「夜桜」まで。さすがに財閥がお金と時間をいとわずに集めたコレクション。私のような“美術音痴”の人間の心にも、ずしっと響く何かを感じさせるから不思議だ。


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 いただいた図録によれば、大倉集古館は我が国最初の私立美術館大倉財閥と言われた大倉家の大倉喜八郎が大正6(1917)年、設立した。喜八郎の古美術蒐集は明治維新以降、急激に進んだ日本古美術の破壊と流出を食い止めることに狙いがあったという。江戸幕府の瓦解によって寺院の荒廃、更に明治初期の廃仏毀釈の流れを受けて多くの優れた日本古美術が海外に流出したのである。


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 喜八郎の古美術蒐集は、そんな現実を憂えての試みであった。喜八郎は昭和3年、91歳で没するのだが、その遺志は息子の喜七郎に引き継がれる。喜七郎は、そのスケールをもっと広げ、日本美術を世界に紹介することを試みる。昭和5(1930)年、横山大観ら一流の日本画家の作品をひっさげて、ローマで大がかりな日本美術展を開くのである。財閥の御曹司のやることは流石にでっかい。


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中国扇面画集


 「お父さん、大倉集古館って、何処にあるの」


 山梨県立美術館の展示場で連れ立って大倉コレクションを見ていた女房は、私の袖を引っ張り、声を潜めて言った。


 「オレも知らないんだよ。実はオレもお前にそれを聞こうと思っていたんだよ」


 そして数時間後…。


 「こんな所にあったのか…」。大倉集古館。恥ずかしながら、この歳になるまで、それが何処にあるのか知らなかった。家に帰ってインターネットで地図を調べて初めて知った。東京は虎ノ門にあった。ホテルオオクラの隣接地。玄関先、と言った方がいい。今こそ、ほとんど行くことはなくなったが、現役時代、東京にいる時分は仕事がらみもあって、このホテルには、よく行った。興味や関心を持たないことの恐ろしさ。目の前にありながらも、その存在に気づかなかっったのである。


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 喜八郎は一代で財閥を築き上げた。土木、電気、食料品、ホテルなど様々な会社を設立して押しも押されぬ実業家にのし上がったのである。その一方では明治初期の欧米視察をきっかけに大久保利通や伊藤博文ら政治家とも知古を得る。今も昔も同じ。実業家として成功する道のりのパターンかも。貧乏人の性。すぐにうがった見方をしたくなる。


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 実業家と言われる人たちは、明治初期の廃仏毀釈や文明開化によって市場に放出された古美術品を指をくわえてみていなかったのである。同時期の財閥系の実業家も同じだった。 四大財閥と言われた三井、三菱、藤田、安田。こぞって古美術品の収集を始め、そのコレクションは、三井は三井記念美術館、三菱は静嘉堂文庫美術館、藤田は藤田美術館と言った具合に今も文化を伝えている。こうした人たちがいなかったら,歴史が代わる混乱の時期、古美術に限っただけでも海外への流失を食い止めることは出来なかっただろう。。(次回に続く)




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芸術の秋

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花籠に牡丹図(狩野探幽)


 山梨県立美術館で「大倉集古館名品展」を見た。11月25日まで約1ヶ月半の会期に先立つオープニングに招かれての観覧。女房を連れて出掛けた。美術館は甲府の中心街からちょっと離れた所にあるのだが、甲府に住まいしていた時分と違って山梨市の片田舎に引っ込んだ今、つい出掛けるのが億劫になって久しぶりの美術館行きであった。


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能装束 鬱金地垣夕顔模様縫箔


 山梨県立美術館は、文字通りの地方美術館だが、昭和50年代初頭、「ミレーの美術館」として開館、一世を風靡した。その後もミレーの作品を集めて“個性”を発揮。県内はもちろん、首都圏を中心に広くフアンを集めている。オープニングセレモニーで招待者を前に挨拶した館長は「開館から30数年、入館者は1,500万人を超えた」と、胸を張った。



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 開館時の目玉は言わずもがな、「種を蒔く人」購入価格は約3億円。その後、バブルを背景に絵画の価格は、一桁、二桁は珍しくはなくなるのだが、当時とすれは破格なお値段。「山梨のような貧乏県で、こんなに高い買い物は、とんでもない」。美術館建設と並行して極秘に進めてきた購入計画が明るみに出ると、県政を巡る党利党略も絡んで県議会は議論百出。県政与党自民党の反主流派と野党は反発を強めたものの、「種を蒔く人」に文化の伝導を託す世論に圧倒されて、反論は次第に衰退していったのである。


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種を蒔く人(ミレー)


 以来、同美術館は、ミレーの作品を中心とした常設展と、今度の「大倉集古館名品展」のような特設展を併設しながらフアンを集め、全国の地方公立美術館としてはユニークさ屈指の存在を維持してきた。このほか、県民にも展示スペースを開放。地域の公立美術館ならではの計らいも。絵画や陶芸、書道など芸術団体の格好の発表の場となっている。




 美術館があるこの一帯を山梨県は「芸術の森」と名付けた。公園と言ってもいい広大な敷地には、やはり県立の文学館が。芸術と文学。いっぺんに接することが出来るのである。文学館では、芥川龍之介展や飯田蛇笏展が開かれていた。言うまでもなく飯田蛇笏は山梨県出身の俳人。生家の笛吹市(現)境川町大黒坂に庵を構えて句を詠み、芥川龍之介や太宰治など多くの作家・文化人とも交流した。




 芸術の森は春夏秋冬、さまざまな息づかいを見せ、しばらくすると一帯は紅葉に染まる。美術館の裏庭とも言える所にある庭園は、時として野点のコーナーになったり、特設展のオープニングレセプション会場にも早変わりする。招待者を集めての開会セレモニーやテープカットで初観覧を済ませた後、庭園で開いたパーティー。立食でサンドイッチやケーキのほか、野点のお茶も振る舞われた。各界の招待者が和やかに交歓するのである。


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 「やあ~、どうも…」。久しぶりにお会いした方もいる。「ご無沙汰してまして…」。「いやあ、こちらこそ」。パーティーは人と人との再会の場でもある。足下の芝生は柔らか。周りの木々、カエデはほんのり紅葉を始めていた。10月も半ば。自然は正直だ。




 「お茶を一服、どうぞ」。鮮やかに赤く、大きな日傘の下に誘われて結構なお点前を。招待者の中には様々な方がおいでになる。裏千家の山梨県代表のこの人は、私のような凡人にも。ふと、二十歳も間もない若かりし頃、初釜に招かれて緊張した想い出が…。(次回に続く)




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2年に一度の運動会(再)

玉いれ


 玉入れ、パン食い競争、宝拾い、綱引き、障害物競走、地区対抗リレー。運動会の定番だ。ところが今年は綱引きがプログラムから消えていた。私が住む岩手地区が2年に一度小学校のグラウンドで開く地区ぐるみの大運動会。司会者もちょっと気になったのか「もし、怪我をして、明日の仕事に差し支えてはいけませんので・・・」と注釈をつけた。地域人口の高齢化現象は運動会のプログラムにも反映しているのである。





 岩手地区は山梨市に合併する前は岩手村と言った。戸数500か400足らずの小さな地区だ。一帯は葡萄、桃、サクランボなどの果樹地帯である。最近ではサクランボの面積がどんどん増えて、葡萄、桃を圧倒しつつある。その産地化が急速に進み、山梨県の先進産地である南アルプス市の白根一帯をしのぐ勢いだ。




 一方で、専業農家と兼業農家の二極化は顕著。後継者不足が深刻になりつつある。ここばかりではないわが国の少子化現象を反映するように若者達の数か減るばかりか、農業離れが進んでいるのだ。勢い地域の活性化にブレーキを掛けていることは確かで、直接的な原因ではないにしても、毎年、実施していた運動会も数年前から2年に一度になった。



ゲートボール



 運動会は地区内四つの区の代表で作っている区長会と体育協会の地区支部が実行委員会を設け、その音頭とりで実施している。その実質を担う体協によれば、半年も前から準備を進めるのだそうだ。当日は実行委員会が総出で、本部や救護のためのテントを張り、競技用のトラックを作ったり、場内アナウスのための機器も整備する。




 校舎の中央から放射線状に張った万国旗の下では、各区の役員が公会堂などに保管しているテントやテーブル、ビニールシート、座布団などを運んで、それぞれの区民達の見物席を作るのである。四つの区をさらに細分化した組別の立て札が一定間隔で並んでいる。4年生から6年生までの小学生で編成する太鼓隊の演奏で始まる開会式が終わる頃になると、トラックの回りはざっと6~700人近い人たちで埋まった。


運動会


 ラジオ体操の後始まる競技は定番もののほか、農家の庭先にあるネコと呼ばれる一輪車にいっぱい入れたボールを二人一組で運ぶ「宅急便レース」、仮想して、輪投げでお宝をゲットする「笑わせてゲッツ」、壮年と子ども二人一組で二本の棒の間にボールを挟んで走る「世代間ふれあい」など工夫を凝らした競技種目がいっぱい。いずれも遊び感覚だ。


ボーリング


 実行委員会がプログラム作り段階で、最も気配りするのは比較的歳をとった人でも気軽に参加出来る競技であることが大前提だという。もう一つ、地区間の対抗意識を煽らないようにする工夫である。対抗意識が強まると、つい、身体に無理が生ずるからで、いずれも、地域の高齢化現象への配慮からだ。




 お茶やジュース、ビールや葡萄酒を飲みながら、昼食をはさんで二部構成で楽しむ運動会。みんなの顔に笑顔がみなぎっていた。でも、その顔はいつもほとんど同じ。こうした場に、出てこない人は、今年も出てこない。一方、少子化は進み、2年に一度は活気を見せる運動会場の小学校には数年後に存続の危機が忍び寄っている。





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夫婦喧嘩は犬も食わぬ(再)

 パンダのランランではないが、うちの女房にはヒゲではなく、「トントン」「ブータン」という愛称がある。どうして「トントン」「ブータン」なのかを文字で書くと角が立つのでやめることにするが、その女房を呼ぶ時、この「トントン」などのほか「お母さん」と呼んだりする。


子豚


 これに対する返事で、女房の心中の雲行きが分かるから面白い。不機嫌なときはこうだ。


 「わたしゃあ、あなたのお母さんじゃないわよ」



 もっと雲行きが悪くなると「あなた」が「あんた」に変わるのである。おっしゃる通りで、俺のお母さんではない。お袋が元気な頃、私が女房を「お母さん」と呼ぶものだから、調子が狂ったのか目をパチクリしたものだ。「あんた、とはなんだ」と、ちょっと声を強めたら、言い過ぎと思ったのか口をつぐんだ。




 私の場合、大抵の事なら、怒らない。ただ、言い訳だけは嫌いだ。ちょっとした女房の言い訳がきっかけで口論、これがエスカレートして、いわゆる夫婦喧嘩になるのである。例えばこうだ。



 「こんな天気の日に、何も洗濯なんかしなくてもいいじゃないか」



 「しょうがないじゃない。雨ばかり降っているんだもの」



 「少しは後先、考えてやれよ」


 「考えてるわよ」


 「言い訳するな。少しは考えてやれ、と言っているんだ。バカめ」


 「バカとは何よ」


 「バカだからバカと言っているんだ」



 我が家の夫婦喧嘩はざっとこんな具合で、この場合、私が洗濯など、天気のいい時にやればいいのに、と、注意したのがきっかけ。たわいもない事から、ちょっとした口論となり、それがエスカレートするのである。「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」とはよく言ったものだ。



洗濯物



 その後を見ていれば分かるが、女房はかなりカッカとしている。しかし私の方は少しもカッカしていないのである。私の何気ない注意を≪売られた喧嘩≫と勘違い?したまでのこと。「考えてやれよ」と言われたときに「そうだよねえ」と言えば、そこで口論にも喧嘩にもならなかったはずである。



 私は結婚式の挨拶で時々こんなことを言うことがある。「夫婦だからこそ喧嘩する。どんどんすればいい。ただ喧嘩は売るもので、買うものではない。買わなければ本当の喧嘩には絶対にならない」と。八つ当たりして猫を蹴飛ばす、なんて話もあるものねえ。




 話のきっかけが何であったかは忘れたが、長野に行った時、道の駅の温泉で出会った大工の棟梁と名乗る親爺さんがうまいことを言ったのを思い出した。



 「女はとかく、目先だけでものを考え、後先考えずに直感でものを言う。だから怖いんだよなあー。そこへ行くと、男はそんなバカなことはしねえ」




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ネットは怖いもの?(再)

「学校の教室にある椅子が、なぜ、硬い木の椅子か分かりますか」



 先ごろ、富士吉田市で開かれた山梨県下の人権擁護委員研修会で講演した全国Webカウンセリング協議会理事長の安川雅史氏はこんな問いかけをした。講師は続けた。



 「そうでしょう。もし、座り心地のいいソファーなんかにしたら、児童や生徒はみんな寝てしまいますよ。だから、わざと座り心地のよくない木の椅子にしているんです」



 「そうだよなあ」。ざっと160人ぐらいはいただろ受講者はお互い、隣の人と顔を見合わせながら頷いた。そういえば私達が子どもの頃も今も硬い木の椅子を使っている。経費が高くつくのか最近ではパイプ椅子を使う学校が目立っているが、やっぱり座り心地がよくない、硬い椅子だ。


パイプ椅子


 今、こうしてパソコンを叩いている私の椅子は、もちろん、ソファーではないが、結構、座り心地がいい。我が家にしてはちょっぴり贅沢な椅子だ。


椅子



 「そうか、本を読んでいると、すぐ眠くなるのは、この椅子が原因か」と、椅子のせいにして分かったように頷いた。確かに本を読む時、楽な姿勢を取りたいから腰を深く掛け、後ろに寄りかかる。よく考えれば、眠くなるのも当然である。集中力も違うのだろうが、こうしてパソコンを叩く時には、腰は浅く、前のめりになるからいいのかも知れない。



 講師の安川さんはこんなことも付け加えた。



 「人がふんぞり返っているときは真剣ではない。少なくとも、人の話を真摯に聞こうとはしていない」。



 この日の講演は人権擁護委員が相手だから「木の椅子」の話ではなく、「ネットいじめによる子供の人権と対策」がテーマだ。安川さんは約2時間20分に渡って、子ども達の主に携帯電話を使ったいじめの実態を赤裸々に語った。いずれも、実際に相談のあったケースだと言う。生々しかった。びっくりすることばかりだった。



 それによると、子ども達は今、対面のいじめにとどまらず、携帯電話を駆使して≪顔の見えないいじめ≫に走っているのだそうだ。例えば、メールを使った相対のいじめなんか朝飯前。ひどいケースになると、他人、つまり、クラスの仲間のアドレスを使って標的とするクラスメートをいじめたり、クラス全員に成りすまして集中攻撃するケースも。


携帯



 また、仲のいい二人の間に入って、それぞれに成りすまし、メールで互いを中傷、二人の仲を裂いたりする。いじめられる側の子は完全にクラスの中で孤立したり、心理的にも疑心暗鬼に陥るのである。アナログ人間の私は正直怖くなった。



 子ども達は携帯電話を自由自在に操り、いじめも遊び感覚。裏では暴力団関係者が暗躍する出会い系サイトにも平気で入り込んでいく。安川さんは「子供たちの間でとてつもない勢いで進んでいるこうした実態を大人たちが知らないでいることが問題」と指摘する。「メールもちょうきゅうに打てないアナログ人間に分かるはずがない」とばかり言ってはいられない現実が、自分達の子どもや孫の間で静かに進行しているのである。




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年寄り笑うな、行く道だもの(再)(再)

 「子ども叱るな、来た道だもの、年寄り笑うな、行く道だもの」


 誰が言ったか知らないが、うまい事を言ったものである。私達、生きとし生けるもの、すべての人間への教訓だ。だが、人間は、およそ、叱られ、怒られ、笑われながら生き、死んで行くものかも知れない。



 とはいっても、私には子どもを叱ることは出来ても、お年寄りを笑ったり、蔑むことは到底出来ない。自分が間もなく、そのお年寄りとやらの仲間入りをしなければならないことを、実感せざるを得ない年齢に差しかかろうとしているからだ。


車椅子



 身近には、意味不明なことを言い、明らかに痴呆というか、認知症が進行いる母親がいるし、3分、5分前の事を忘れ、何度も同じことを聞いたり、言ったりする従兄弟もいた。母親は正月三日、96歳の誕生日を迎えた。話の従兄弟は92歳で、つい先ごろ逝ってしまった。考えてみれば人間、90歳にもなれば、そうなっても不思議ではない。第一、私にはそこまで生きられないだろう。





 叔母と甥が一緒に認知症に。それもそのはず、叔母、甥の関係とはいえ、その歳の差はわずか三つ。普通なら兄弟みたいな年齢だ。私と、その従兄弟は24も歳が違う。まさに親子の歳の差である。




 「貧乏人の子沢山」などと大臣が言ったら、その首が飛びかねない、揚げ足取りのような今の世の中だが、この言葉も言い得て妙。昔なら7人、8人の兄弟がいるのは普通。9人、10人だって珍しくはなかった。経済的には決して恵まれていたとはいえない時代だったはずだ。9人も10人も子どもがいれば、その子どもの年齢差が一番上と一番下とでは20も25も違って不思議ではない。今、騒がれている少子化問題がウソのようだ。


老人


 事実、私の親父は9人兄弟の末っ子、母親は8人兄弟だった。母親は長女だったから叔母と姪の年齢が逆転していた。子供の頃、母親が明らかに年下に見える人を「叔母さん」と呼んでいるのを見て、どうしても理解できなかった。親父の兄弟は自らも含めてすべてがこの世を去り、母親の兄弟も半分になった。





 母親は足腰が弱く、自力歩行は困難。だから、医療介護の病院で看てもらっている。緊張感どころか、何不自由ない毎日を送っていると痴呆が進むのか、最近は時々、おかしなことを言うし、昨日のことをみんな忘れてしまうのである。東京や埼玉から来る二人の弟達夫婦はともかく、せっかく来てくれた友達や近所の人たちを忘れてしまうのだから始末が悪い。時には「どなたでしたっけ」とやってしまうものだから、そばにいる私達はひやひやものだ。さすがに、頻繁に行く私達夫婦、特に女房の顔は忘れない。一番世話になっている、ことを知っているのだろう。それも時間の問題かもしれない。


握手



 元気な頃は歌など歌ったことがない母親が、最近、童謡や軍歌を歌うのである。それも正確に歌うのだ。昨日の事は忘れるのに、子供の頃や昔のことは覚えているのである。そんな母を見ていると、無性に目頭が熱くなる。自分も含めて、みんなが行く道、たどる道とはいえ、寂しい思いがする。「頑張って長生きして」。心で祈りながら母の顔を見た。





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秋の虫のオーケストラ(再)

 「うるさいほどの鳴き声」と、表現したら、なんと情感に乏しい人、と蔑まれるかも知れないが、今、我が家の庭先の植え込みとその周囲からは毎夜、虫の音がすごい。恐らく、鈴虫やキリギリス、コオロギなどだろうが、私には判別できない。どうやら分かるのは鈴虫くらいで、本当はキリギリスもコオロギも鳴き声を知っている訳ではない。


鈴虫


 とにかく、その鳴き声は、虫とは思えないほど大きく、明け方まで続くのである。「うるさい」ほどに感ずるのは、我が家が田舎で、車の騒音も聞こえなければ、ご近所の家もちょっと離れているので、人の話し声も聞こえないからかもしれない。寒さと共に虫の鳴き声が途絶える冬場は何の音もないから≪シーンという音≫がする。何らかの騒音が日常的な都会人には理解できないだろうが、本当なのである。



 若い頃はその≪静かな騒音≫が嫌で、音がする都会にあこがれたこともあった。我が家はちょっとした高台にあるから、子供の頃は近くを流れる笛吹川の水の音が聞こえたものだが、上流にダムが出来たことによって、水量が激減、いつの間にかその音も消えた。



 ≪静かな騒音≫を紛らわしてくれているのが虫の音だ。こうして部屋の中でパソコンを叩いていても、近くの居間で勝手に鳴っているテレビの音に負けないほどの虫の音が外から聞こえてくる。夕食後、決まってタバコを吸いながら外に出るのだが、そっと歩く足音にも虫たちは敏感に反応する。ぴたっと音が止み、通り過ぎるとまた鳴き出す。


夜の庭


 母屋から植え込みを過ぎて、ちょっと離れた石の門柱の脇の道沿いに腰掛けて、一人静かにタバコを吸っていると、暗闇の中で、あっちこっちから虫の音が。それも無数といっていいほどの鳴き声だ。ステージで聞く100や120のオーケストラなんてものではない。


 
 どでかい自然をステージにした虫たちのオーケストラの演奏を聞きながら、遠くに黒く連なる山塊の麓に見える帯のように小さく光る家々の灯りをボーッと眺める。あの光が笛吹市一宮町神沢の友の家だろうか、とか、あれが甲州市勝沼町の親戚の灯りだろうかと、思いを巡らしてみたりする。その間も虫たちのオーケストラは絶え間なく続くのである。


虫


 今、鳴いている鈴虫は、もちろん野生のものだ。かなり前のことだが、甲府に住んでいた頃、会社の同僚の中に鈴虫をふ化させる事が得意の人がいて、時期になると、しばしば、その幼虫をもらっては金魚鉢のようなガラスの器で飼っては部屋の中でその鳴き声を楽しんだものだ。騒音と雑音の中で忙しく仕事をして帰った自宅で聞く鈴虫の音は、つかの間の憩いであり、安らぎだった。

 

 かつて鈴虫のふ化は珍しく、毎年その時期になると新聞の話題になった。しかし、実際はそんなに難しいものではなく、そのことを知った同僚は、自分でふ化することを覚え、毎年大量の鈴虫の幼虫を生み出しては私達にくれたのである。今もふ化をさせ続けているに違いない。


虫2


 田舎の実家に戻って、毎晩、うるさいほどの虫の音を聞いていると、あの頃が無性に懐かしくなったりもする。人間とはわがままで、贅沢な生き物である。




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大根の間引き(再)

 台風が去って、やっと、秋空が戻ってきた。秋が来たと思ったら、雨ばっかり。こんな年も珍しい。葡萄など果樹農家はもちろん、行楽客相手の観光農園も痛手だろう。我が家の畑も雨続きのあおりを食って、草だらけだ。一番気がかりなのは大根畑。サツマイモやサトイモ、トウノイモ、落花生などは成熟して、収穫真近かだからいいが、大根は今からが成長期。しっかり草くらい取ってやらないと、草に負けてとぼれてしまうのである。植物の世界だってサバイバルなのだ。


サトイモ


大根はほうれん草などと違って発芽率は高い。我が家の場合、蒔いた種はほぼ100%発芽した。ところが、雨や野暮用を理由に草取りを怠ったら、発芽したはずの大根もいつの間にかダウン。30cm位の等間隔に列で蒔いた大根は、あっちこっちで、まるで歯が抜けたよう。「雑草のよう」という言葉どおり、雑草は強く、逞しい。


大根1



 雨が止むのを待って、畑に出た。大根より大きくなった雑草を取り、3つ、4つにかたまった小さな大根を間引きしていくのである。今ではホームセンターに行けばローラー式の小さな腰掛があって、中腰にならなくて済むから、腰痛持ちでも多少は楽だ。ただ、畑は長雨をたっぷり吸い込んでいるので、地下足袋は泥まみれである。


大根4



 通りかかった隣のおじさんが愛想良く話しかけてきた。


 「よくやりますねえ。わたしゃあ腰が悪いから草取りがどうも苦手でねえ。大根の中の草だから除草剤を使う訳にもいけんし、よわったもんです」



 この人はかなりの面積の桃や葡萄を栽培する果樹農家だが、80歳近くなって「もう果樹作りは無理。困ったもんですよ」と、よくこぼす。隣の畑に眼をやると、あっちもこっちも草まみれ。我が家と同じように小さい大根と、ツルを張ったサツマイモが雑草にうずもれていた。




 我が家もサツマイモを植えたが、実を言うと、畑に草をはやさないためだ。サツマイモは実に逞しい野菜で、グングンとツルを張る。だから草を≪食って≫くれるのである。サツマイモは、本当は植えるのではなく、差すのである。種芋から出た芽を20cmぐらいに伸びたところで切り取って、盛土の列に30cmぐらいの間隔で差していくのである。いわば、さし木で、根がなくても100%根付く。今年はゴールデンウイーク中の5月3日に差した。土地がそれほどよくない所でも出来るので栽培は簡単だ。


大根3


 雑草の話に戻るが、今では篤農家といわれる人ほどこの雑草を気にしない。忙しくて、気になんかしていられないこともあるのだろうが「草生栽培」という名の≪草との共生≫方法を取っている。ただ、これは果樹栽培に限ったことで、野菜作りには通用しない。



 だから、本格派の果樹農家は自家用の野菜作りなんかしない人が多い。そんな手間をかけるのだったら、買って食べた方が安いというのである。山梨市などこの地方は果樹地帯だから水田は完全といっていいほど姿を消し、農家はお米も買って食べている。野菜作りは、いわば趣味か農家のなれの果てといったところかも知れない。




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朝顔の大輪(再)

朝顔2


 朝顔、昼顔、夕顔。これに「寝顔」を付けくわえると、一転、無粋になってしまうのだが、ここで取り上げたいのは粋な朝顔の花。今から1,100年以上も前の奈良時代に中国から遣唐使によってわが国に伝えられたという朝顔は、庶民の間で大きなブームを巻き起こした江戸時代に品種改良が進み、観賞用植物に変わったのだそうだ。


朝顔  



浮世絵にもいっぱい描かれているから、朝顔は下町の夏をいや応なく連想させてくれる。その朝顔が、今、我が家の庭先で見事な大輪をいくつも咲かせている。「いい品種の朝顔だから植えてみて」と、近所の人がくれた園芸用のポットに蒔きつけた苗を植えつけたものだ。直径10~11cmもある大輪は赤もあれば青もある。これまでもさまざまの朝顔を見てきたがこんな見事なものにお目にかかったことはない。


朝顔2  


 持って来てくれた人が「いい品種」と言うだけあって、改良品種であることは十分に理解できる。だが、作り方を明らかに失敗。園芸用のポットから大きな鉢に植え替え、ツルを這わせる棒を2本立て、横棒も渡すなど工夫したまではよかったが、縦の棒が短過ぎたのである。分かっているようで分かっていない。無知とは恐ろしいものだ。朝顔のツルはグングン空に向かって伸びるのだが、途中で支えを失うから、下に落ちるしかない。




 ツルは折り返した途中でくちゃくちゃになるばかりか、地に落ちたツルは土の上をどんどん這うのである。その勢いは逞しい。一面が瞬く間にツルだらけになる。そこでは決して花を付けない。空中でなければ花を咲かせない植物なのだろうか。


朝顔3



 この朝顔とは別に、ぶどう園の周りでいっぱい野生の朝顔が咲く。花の大きさ、美しさは比べものにならないが、これも逞しさでは負けない。支線を伝わってぶどう棚にどんどん這い上がるのである。在来種ではない。恐らく、肥料に混じって外国からやってきたものだろうが、繁殖力は強く、自然に落ちた種は来年、何十倍にもなって生えてくる。一般雑草用の除草剤では枯れない。




 昼顔や夕顔も同じだ。野生とか、観賞用を問わず、私達の身の回りには見慣れない植物がいっぱい。花好きの女房がやたらに買ってくる鉢植えや土に下ろす花を見ても、およそ日本のものとは思えない、名前すら分からないものばかりだ。畑や道端の雑草だって「こんなもの、あったっけ」と、思うものがいっぱいだ。タンポポなどは、在来種は完全と言っていいほど駆逐され、葉っぱがギザギザした逞しい外来種に変わった。みんな肥料や飼料が媒介しているのだろう。


庭の花



 朝顔は東京の下町の夏を連想させる。爽やかな花をポツンポツンと飛ばした朝顔の緑で涼をとる庶民ののどかな暮らしを髣髴とさせてくれる。一方、朝顔は「源氏物語」の五十四帖の巻きの一つに登場する。もっとも花ではなく、作中人物だが、その朝顔は源氏に好意を抱くのである。



 失敗作とはいえ、立派な大輪をつけた我が家の朝顔。花が終わったら種を取り、欲しい人に分けてあげたいと思っている。朝顔の季節ももう終わりだ。




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銀木犀と植え込みの剪定(再)

銀木犀


 庭の植え込みからなんともいえない芳香が漂ってくる。銀木犀の香りである。金木犀の黄色い花と違って、その色は淡い白。小粒の花をいくつも付け、その一つ一つが一斉に芳香を放つのである。金木犀より匂いは柔らかいが、どこか気品がある。春先の沈丁花もいいが、銀木犀もなんともいえない。世界の香水ブランドだってこれには勝てまい。


銀木犀2


 勤めをリタイア、山梨市の実家に戻って、ぼつぼつ3年。子供の頃から、銀木犀の匂いは覚えているのだが、それがいつ咲くのかは定かでなかった。かぐわしい香りに感動するでもなし、花を観察するでもなしで、全く無頓着に過ごしてきたのである。暇になった、と言ってしまえばそれまでだが、周囲の変化に気をとめることが出来るようになったことは確かだ。




 以前は甲府に住んでいたから、庭木の手入れも植木屋さんにまかせっきり。毎年12月の終わりになると30万円近い請求書が届くのである。しかし、ここ2~3年、植木の剪定はほとんど自分でやっている。長年、黙っていてもやってくれていた植木屋さんには申し訳ない気持ちもするが、年金暮らしになった自らを省みると、そうばかりも言ってはいられないからだ。



庭3



 それに、自分でやってみると、結構面白い。ホームセンターに行って大小いくつもの剪定鋏や電動のバリカンを,また、JAに行ってこれも大小の脚立を調達するなど道具もそれなりに揃えた。シマッタ、と一瞬思うような枝の落とし方をすることもしばしばだが、自分でやったことだからあきらめも早い。むしろ、失敗は確実に次への糧になる。



 サツキやツツジのように剪定や刈り込みの時期を一歩間違えると翌年、花を付けないものもある。そんな時「どうして?」と詳しい人に素直に聞くことも覚えた。「失敗は成功の元」とはよく言ったものだ。因みにサツキやツツジは花が終わったらすぐ刈り込んでやるのがコツだ。



 「お父さん、植木屋さんみたいだね」。女房は私を褒めた後で「脚立から落ちないでよ」と心配そうに言う。その通り。脚立から落ちでもしたら笑いものだ。万一、落ちたら擦り傷では済まされないことは自分でも分かっている。安全確保のための≪命綱≫を買いに行ったが、うまいものがない。それなりの注意はしている。


庭4



 植木職人と違って自分物の剪定だから、木の作り方も自由。銀木犀も大きすぎて剪定が大変だから高さを5~6mに詰め、回りも不自然でない程度にちぢめた。香りで気づいた銀木犀の花を見て、ハッと思った。剪定の時期を誤らなくてよかったことだ。



 我が家の銀木犀は、今は咲き始だからクリーム色。満開になると白くなる。金木犀も大きな木だが、まだ開花していない。本来、銀木犀が母親で金木犀はその変種だそうで、原産地は中国南部。江戸時代に渡来したことも知った。中国名は「桂花」というのだそうだ。


銀木犀1


 こちらは真っ赤な花を付けるだけで匂いは放たない百日紅は、その名の通り長い開花期間をぼつぼつ閉じようとしている。季節は秋本番へ。庭木の奥の柿も色づいてきた。




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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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