古希とブログ

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 これも一種の欲だろうか。それともお気楽極楽の証拠だろうか。古希を迎えたというのに、その実感が全く沸かない。70歳という年齢はともかく「古希」という二文字がどうしてもピンと来ないのだ。本当は、そう思いたくないだけのことかも知れない。




 「人生五十年」と言ったのは信長の時代。それから日本人はどんどん平均寿命を延ばし、今では「人生八十年」。普通に生きれば90歳に手が届き、それを上回り、100歳だって珍しくない。先頃、甲府で開かれた国際ロータリー2620地区の大会にやって来た茶道の千玄室氏は90のお歳をいささかも感じさせないほど爽やかに、しかも、かくしゃくと講演した。




 古希を迎えた同級会の私たちは昭和17年と18年の早生まれ。いわゆる“戦中派”。戦争というキーワードでみる限り“戦争を知らない子供達”なのだ。つまり戦中を過ごしたのは僅か3歳数ヶ月から2歳数ヶ月。まだ物心が付いたか、付かない年齢だったのである。




 毎年の正月2日。高校(日川)時代、“同じ釜のメシ”を食った仲間達が集まって新年会を開く。今回の幹事役は気が利いていて「古希を祝う会」と銘打った。高校の在所から仲間達のほとんどが峡東地方と呼ばれる甲府盆地の東部の生まれ。


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 その頃、この辺りは米麦養蚕の農村地帯で、空襲も受けなかった。大きな衝撃がなかったせいもあって戦争の記憶は薄い。私など11月の終わりの生まれだから全く記憶にない。古希を迎えた私たち、つまり70歳を境に日本は戦争を知らない人ばかりになるのである。




 子どもの頃、70歳はおろか60歳を超えようものなら見るからに年寄りに見えた。人々は60歳になると何の抵抗もなく敬老会に入った。田舎生活がそうさせたのかも知れないが、腰を曲げて歩く人たちも少なくなかった。平均寿命だって今よりずっと低かったはずだ。




 20代、30代とは言わないまでも自らの精神年齢は40代、50代だと思っている。やりたいことはまだ山ほどある。チャンスさえあれば恋だって…。しかし、そんな強がりをよそに体の衰えは、やっぱり隠せない。肩、腰、膝…。あっちこっちに故障が。10年前の還暦の時には、全くなかった現象である。夫婦喧嘩もほとんどしなくなった。




 高齢者医療○○。市役所から届く書類、通知も高齢者、高齢者…。自動車の運転免許証も、教習所に行って適性検査講習を受けてこないと更新してくれない。「オレの精神年齢は…」と、強がりを言ってみたところで、体の衰えは隠せないし、世間の高齢者扱いは避けて通れない。自動車教習所では“枯れ葉マーク”改めクローバーマークのシールを。


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 「古希を祝う会」と銘打った新年会には、恩師の先生もおいでになる。私たちと一回り前後も違う方々で、中には90歳を超えておられる先生も。「オレは生きている限り、お前らの新年会には出て来る」。何時も元気にそんなことを仰る長坂昭雄先生は国語教師だった。毎年、「干支」の講釈をするのだが、今回は「古希」をお説きになるのだろう。




 65歳の手習い。私は還暦を過ぎてパソコンを覚えた。同級生の“萩さん”こと萩原直樹さんのおかげ。それが昂じてブログを始めた。もう4年半になる。結構、面白い。それどころか、いい“遊び“を覚えたような気がする。夜の暇つぶしには格好なのだ。


パソコン


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時代の皮肉

 時代は繰り返されるのだろうか。それとも結果的に皮肉になってしまったのだろうか。文藝春秋創刊90周年記念号と銘打った最新号が特集したエッセイ欄で、宇野千代の「もしあのとき」と並んで掲載されていた松下幸之助のエッセイ。宇野の「もしもあのとき」が「昭和五十二年十一月号」なら、こちらは「昭和四十一年六月号」とある。


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 松下は「デマ」と題して1ページ半ほどのスペースで書いている。


 「(前略)最近の我が国では、たとえば政府の高官や一部の人のちょっとした言動によって、株価が上下することがしばしばあるようだ」




 つい先頃の総選挙で大勝、次期政権を再び担うことになった自民党の安倍晋三総裁は日銀法改正でのデフレ脱却を訴え、結果的に株価を上げ、円安を導いた。その発言から10日あまり、安倍氏は国会で首班指名を受けて内閣総理大臣のポストに就くのだが、松下がエッセイで書いた「ちょっとした言動によって株価が上下した」ことは46年もたった今も変わりはない。




 松下は46年前、こんなことも言っている。


 「これは何処の国においても多少はあるようで、それも妙味かもしれない。しかし、政情が安定し、経済がしっかりとした自立性を持った国では、こうした傾向は比較的少ないのではなかろうか」


松下幸之助



 衆院選で、政権を担う自民・公明両党が安定多数を確保したとはいえ、参院は与野党の勢力が逆転。いわゆる“ねじれ国会”だ。我が国は決して「政情が安定」という状況にはない。松下がこのエッセイを書いた昭和41年当時は、自民党が単独政権を誇っていた時代。政権構造的には、今と違った。




 松下のエッセイ「デマ」は、何処からか流布された「松下危篤」のデマ。駆けつけて来た新聞記者とのやりとりをユーモラスに書きながら「世間というものは面白いものだ。好むと好まざるとに関わらず、この世の中ではデマやウワサというものがある程度の力を持っている」と。デマは松下電器の株価の操作を狙ったものであることは言うまでもない。




 たまたま文藝春秋のエッセイ欄で“顔を合わせた”宇野と松下。この二人には、共通した事業家としての顔があった。言うまでもなく松下は我が国を代表する大実業家。一方、宇野は、もちろん小説家であり、随筆家だが、着物デザイナーという事業家の側面をも持っていたのである。


宇野千代



 しかし、この二人の“生き様”は月とスッポンほど違う。小さな町工場から身を起こし、「世界の松下」を築き上げた松下。努力の人であり、やがては政治や経済にアイデンティテーを示した。彼が起こした松下政経塾は、政治の世界に一歩一歩根を張り、大きなインパクトを与えているのだ。片や、宇野は自由奔放に生き、普通の人たちから見れば破天荒な生き様をさらした。でも二人に共通しているのは、人生を真正面から生き、それぞれの哲学を世に示したことだろう。中でも私は奔放で、あの破天荒な宇野の生き様に憧れる。生半可ではない生き様が好きだ。




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宇野千代の生き様

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宇野千代


 文藝春秋の創立90周年特集号に再掲載された宇野千代の「麻雀エッセイ」に共鳴して電話してきた男はM(松本)氏といって勝沼ぶどう郷の一角にある旧家の御曹司。親譲りの特定郵便局長を定年(65歳)で辞め、今は“隠居”の身。やはり勝沼に住む高校時代の同級生の手伝いと指導を受けながらぶどう作りの“真似事”をしている。指導者はK(海沼)氏というのだが、こちらは一町七反もの葡萄園を耕すぶどう作りの本格派。




 これに私と、今は清涼飲料販売会社の社長を息子に譲って会長に退いたY(吉原)氏が揃うと何時でも面子が出来る。宇野が文藝春秋に書いた麻雀エッセイ「もしあのとき」によれば、宇野の麻雀の“師”は広津和郎だが、こちらのM氏は元はといえばK氏の“師匠”。ところが自らが言うように「いつしか力は“弟子”と逆転してしまった?」。




 そんなことはともかく、宇野がエッセイで書いている通り麻雀は面白い。宇野が言うように「80歳になっても」恐らく私たちは麻雀をしているだろう。健康であれば、のことだが…。ただ、私と同じ麻雀大好き人間のM氏。宇野と違って毎晩はおろか、「週2回」も絶対にやらない。それに今でも午前零時がタイムリミット。頭で時間配分をし、健康を度外視した遊びをするようなバカなことはしないのだ。マイペースなのである。


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 「お父さんはバカですねえ。こんな夜中まで麻雀をやって…。特に、寒いこの時期。風邪でも引いたら大変ですよ。体を壊さないでくださいよ」




 私は女房から何時も小言を食う。女性は総じて勝負事は嫌いらしい。ところが宇野は「こんな面白い、人生的な遊びを知らない人のことを、可愛そうだと思う」と、言っている。私だって、そう思う。恐らくM氏だってそうに違いない。




 宇野の面白い生き様は麻雀ばかりではない。男性遍歴だ。結婚しては別れ、また結婚。それを繰り返したのである。エッセイ「もしあのとき」で明かしているだけでも尾崎士郎、東郷青児が。このほか、エッセイの中では触れていないが、初婚の人は確か、義母の甥。その人とはすぐに別れるのである。




 社会人としての事実上の出発は、学校の代用教員。そこで同僚の教員と関係、それがバレて“首”。人間とは分からない。そのことが宇野の人生を分けたかも知れない。小説を志し、「脂粉の顔」で文壇にデビュー、次々とヒット作を飛ばすのである。

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 宇野の生き方は普通の人たち?から見れば破天荒。その生き様を小説やエッセイに反映していくのである。私は今でこそ本など面倒くさくてよほどのことがない限り読まない。「歳だよ」とお笑い召さるな。高齢化社会を鑑みて文字をどんどん大きくしてくれている新聞は苦にならないが、小さい文字の本は正直言ってくたびれる。




 でも若い頃は宇野の破天荒とも言える生き様が面白くて、彼女の小説や随筆を面白がって読んだ。明治、大正、昭和と生きた宇野。「生きてゆく私」は宇野の代名詞とも言っていい自伝小説。破天荒な生き様を見せながらも日本芸術院会員にもなった人だ。文化功労者にもなっている。そんな人が今の平成の世にいるだろうか。M氏が文藝春秋を読んで電話して来た訳が分かり過ぎるほど分かる。(次回に続く)




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宇野千代の麻雀話

 「今度の文藝春秋、読んだ?面白い話が載ってるよ」

 「藪から棒になんだよ?」

 宇野千代の麻雀の話さ…」


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 高校時代の同級生で、麻雀仲間でもある男が電話してきた。この男、私と同じように麻雀が大好き。自らを棚に上げて「ヘタの横好き」と言ったら叱られるが、週に一度は山梨市の仲間の家に集まっては卓を囲む。現役時代の癖で週末が多いが、その時が楽しい。




 その男が言う文藝春秋とは最新の新年号。創刊90周年を記念した特集号で、そこには同誌が過去に掲載した、さまざまな著名人のエッセイが特集されていた。宇野千代は、そのお一人。「もしあのとき」と題し、2ページちょっとにわたって麻雀の話を書いていた。随分昔のエッセイで、最後に「昭和五十二年十一月号」のクレジットが付いている。宇野千代の麻雀の話は、ざっとこうだ。

文藝春秋


 宇野の麻雀の“師”はやはり作家の広津和郎。「その頃(昭和七、八年)尾崎士郎と一緒に大森(東京)の馬込村に住んでいて或とき、近所に広津和郎さんが越して来た…」。「そこで始めて見た」麻雀に忽(たちまち)夢中になった。「こんな面白いことがあるかと思った」。「夕方になっても家に帰らなかった」ほど。




 しかし「或るとき、とんでもないことが起こった」。警察に踏み込まれたのである。「昭和六十年頃、新聞に『文士の大賭博』という見出しで、でかでか報道された」。菊池寛、久米正雄ら大勢の文士たちが麻雀賭博で挙げられたのである。




 その時の宇野の亭主は画家の東郷青児。東郷はどうやら男っ気のある人のようで、女房をかばって警視庁へ。警視庁のターゲットは宇野だったのだが、東郷は「病気で寝ていると嘘を言って」かばったのである。「東郷は二、三日、警視庁にとめられた」が、「こんな恐ろしい目に会(遭」ってもても(麻雀を)止められなかった」と書いている。


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若き日の宇野千代


 宇野は80歳になっても麻雀を続けた。「体力がないので毎夜のようにやることはないが、それでも週に二回はやる。時には夜が明けることがある」。いわゆる“徹マン”だ。「『どうしてそんなに面白いのですか』とよく人に訊くが、私は八十歳になっても、麻雀があれば、人生そのものがまだあるような気がする。全く麻雀は面白い」と述べている。


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 宇野はこうも言っている。



 「どんなに焦っても思いのままにならないかと思うと、どんな厄介な手でもするすると出来る。まるで空の上から神様が見ていて、残酷になったり、依怙贔屓をしたりしているのではないかと思われる。全く退屈を知らない」




 「それにしても、あの四十五、六年前、広津さんが私に麻雀の手ほどきをしてくれなかったら、私はもっと仕事をしていただろうか。(中略)却って、こんなに面白い、人生的な遊びを知らない人のことを可愛そうだと思っているのだから、呆れる」と結んでいる。




 宇野の麻雀エッセイに共鳴するのは電話の男ばかりではない。私だって。(次回に続く)



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隣の奥さんの愛犬(再)

裏の道1


 もちろん、日の出や日没時間に違いがある夏と冬とでは異なるが、毎日、我が家の前の小道を犬を連れて散歩する隣の奥さんがこの一両日、通らない。この小道は古(いにしえ)の≪幹線道路≫と言われているが、車時代になった今、その機能を散歩道に変えた。コンクリート舗装はされてはいるものの、2m足らずのこの≪幹線道路≫が今の時代に受け入れられるはずがない。我が家の庭、そしてこうしてパソコンを叩いている私の机の窓越しからでも2~30mぐらいの所にある道だ。




 隣の奥さんは人一倍の犬好き。朝が遅く、日暮れが早いこの時期だと、朝は7時半前後、夕方は4時半前後には必ずといっていいほど大きな犬を連れて通るのである。連れて、と言うより連れられてと言った方がいいが、この奥さんは私がいる時には遠くから目を合わせるように軽く頭を下げて通り過ぎる。連れている犬は老衰で死んでしまったという前の犬に変わって見つけてきた雑種犬。なんとなくだが、前の犬と違って双方の呼吸が合わないのか、奥さんが犬に引っ張られているようにも見えた。


犬1


 その奥さんが昨日も今日も通らない。なんとなく気になった。ご主人は私と年齢が一回り以上も違う80歳近い歳だから、もう70歳も半ばを過ぎているだろう。



 「奥さん、この一両日、姿が見えないですね。風邪でも引いたんですか」



 畑で遅まきながらサトイモを掘っていた私が顔を上げたらニコニコしながらこちらにやって来た隣のご主人に私はこう言った。そのご主人は笑顔を崩さないまま



 「いやあ、風邪じゃあないんですよ。実は、犬に引っ張られて転んだ弾みで肋骨にひびが入ってしまってねえ・・・」



 「えっ、それで、入院しているんですか。どんな具合です?」



 「いやいや、入院なんちゅうもんじゃあないんですが、家に居ると女はどうしてもこまごま動いてしまうので三日、四日、病院に預かってもらうことにしたんですよ」



 「いずれにしても心配だ。わたしゃあ組長だからみんなで見舞いに行かんといけんね」


 「いやいや、ホント。すぐ帰って来るんですよ」



 それから三日後、その奥さんがニコニコしながらやって来て「心配かけちゃいましたねえ」と言いながら事故の顛末を話してくれた。それによるとこうだ。




 根っからの犬好きのこの奥さんは20年近くも飼っていた犬が老衰で死んだ後、犬が諦め切れず、知り合いから「拾い犬」という、やはり雑種犬をもらってきた。ところが、警戒心がひときわ強い犬で、なかなか慣れてはくれなかった。それでも、必ず慣れてくれる、と信じながら毎朝、毎夕の散歩も欠かさなかった。その大事に仕方は人並みではない。

犬2



 ところが、ある朝の散歩中、この犬が急に走り出し、ロープで繋がれていた奥さんは犬に引っ張られて転倒、胸を打った。体重が2~30㌔はある大きな犬だから、女性の力ではどうにもならなかったのだろう。でも犬好きのこの奥さん、今日もその犬と散歩を続けている。「奥さんの気持ち、きっとこの犬に伝わりますよ」と、言ってあげた。




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万歳の明暗

 こんな言い方をしたら叱られるかも知れないが、師走の「政治ショー」は終わった。街角はむろん、テレビを囲んだ茶の間を巻き込んで日本中が大騒ぎした総選挙が幕を閉じた。でも、もう一騒ぎしないと年は越せない。3年3ヶ月ぶりに政権を奪還した自民党が安倍首相のもとで内閣を発足させ、名実ともに新政権を樹立して一区切りだ。




 選挙開票の真っただ中で、「万歳」を叫び、その余韻もさめやらないまま登院の準備をする先生達。その一方で永田町の議員会館事務所を引き払う落選組。師走の寒空の下で繰り広げられた政治ショーの舞台裏は悲喜こもごも。「猿は木から落ちても猿だが、政治家は落ちたら只の人」。ある老政治家が残した有名な言葉だが、まさにその通り。自ら選んだ道とはいえ、心中はお察しする。


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 「日本国憲法第7条により衆議院を解散する」


 衆院議長のその一言を合図に一斉に起立して「万歳」を叫んだ480人の先生達。あれから1ヶ月。当たり前の事ながら明暗を分けた。特筆すべきは8人もの閣僚の落選。内閣の半分が討ち死にしたのだから、前代未聞の出来事である。市井の私たち、ちょい悪“雀”どもが「大臣も地に落ちたものだ」と罵っても反論すら出来まい。



 「お父さん、国会という所はおかしな所ね。無理矢理、解散されたのに、どうして万歳、万歳と嬉しそうに叫ぶの?一人一人の国会議員の先生達は、本当は解散などして欲しくはないんでしょう?」



 茶の間で、国会解散を伝えるニュースを見ていた女房が独り言のように言った。



 「あの万歳には“ふてくされ”もあるようにみえるよなあ~。それはともかく、解散国会の万歳には諸説あって、来るべき選挙戦に勝ち抜いて再び、この本会議場に戻ろう、つまりそんな願いを込めての気勢というのが、どうやら一般的らしい。いつからかは定かではないが、歴史は古く旧憲法下の帝国議会から続いている衆議院解散時の伝統だそうだ」



 「へえ~、でもピ~ンと来ないわね…」



 日本人は「万歳」が大好き。忘年会や新年会の座敷でも最後の締めは万歳。間もなく迎える元日の拝賀式でも「この一年、皆様にとって…」と、やっぱり万歳。結婚式や竣工式でもそうだ。「三本締め」とか「一本締め」という“締め方”もあるが、やっぱり万歳の方が…。「一本締め」は「関東の…」と、前置きするくらいだから関東地方特有かも知れない。


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 「万歳」は、お隣の中国や韓国、北朝鮮でも。その国の新聞報道を伝えるテレビで、ちょいちょいお目に掛かる。元はといえば“本家”はそちら。中国などを旅した時、街角の看板でしばしばお目に掛かる。「万歳」は中国からの“輸入品”なのだ。

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 衆院選開票日の夜、当選を伝えられた先生達は、支持者達の「万歳」の嵐の中で平身低頭。「国家、国民のために…」、「党や国の有り様を変え、皆さんの生活を…」と、まるで天下を取ったように大見得を切る。「本当にそんなことが出来るの?」と、茶の間で冷ややかに観ている“観衆”を尻目に選挙戦を熱く戦った支持者達は「万歳」に沸いた。その一方の陣営は…。




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焚き火と焼き芋(再)

青空


 昨日の終日の雨とうって変わって今日はいい天気になった。空は雲ひとつない。秋の時期なら「抜けるような青空」と言うのだろうが、この時期だとそうはいかない。地上からの放射熱が上昇して空中に水蒸気の層を作るから秋の空とはどこか違う。




 「冬の空は下から見上げるといい青空に見えるが、空の上から見るといつも霞がいっぱい。特に都市部、つまり、住宅街の上空はそれが顕著。オフイスや家庭から放出される暖房熱のためだ。航空写真をとる場合、雨の少ない冬の時期は好都合のように思われがちだが、案外駄目。こうした暖房熱が少ない山間部はすっきりと下が見えるのですが・・・」



 ヘリコプタやセスナ機で航空写真を撮ることが多い知り合いのカメラマンがこんな話をしてくれたことがある。


飛行機と空



 今、朝の8時半。窓越しに見える富士山は、下界では雨だった昨日、雪の衣を厚くして青い空にくっきりと浮かび上がっている。東側の四分の一ぐらいの部分を朝日でまぶしく輝かせている。残る影の部分は青白い。そのコントラストが壮厳な富士を演出してくれる。下界と違って、そのうち、この富士の上空で風が起これば東斜面の雪が吹雪となって舞い上がる。その光景もまたいいものだ。





 こうしてパソコンを叩いているデスクの窓越しに見える富士は、30mぐらい先にある石の門柱のちょうど左側の肩に浮かんでいる。門柱の手前には種類の異なるカエデやイチョウがあるが、今は枯葉を落とし出して、みすぼらしい姿をさらけ出そうとしている。半月ほど前だと、イチョウは黄色に輝き、種類の異なるカエデはあるものは黄色に、またあるものは真っ赤に燃えていた。高く伸びた棕櫚(しゅろ)や各種の常緑樹の緑とマッチして見事な紅葉を見せてくれた。


富士山



 地面を見れば、その残骸ともいえる落ち葉がいっぱい。一足早く落とした柿の葉っぱなどとともに枯葉のじゅうたんである。ものの哀れさすら覚えるのだが、そんな感傷的な事ばかり言ってもいられない。厄介者を熊手でまとめては燃やすのである。そう、あの童謡にもある落ち葉焚きだ。


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 「お父さん、サツマイモを持って来ましょうか」



 普段、気が利かない女房がこんな時ばかりは嬉しそうに飛び回る。そのためでもないが、今年は我が家でサツマイモを作ったからいいが、昨年などは3~4㌔先のスーパーまで行ってサツマイモやホイル用の銀紙を買って来るのである。普段、用事を言いつければ、なんやかやと理由をつけては逃げてしまうのに、嬉々としながら率先するのだ。



サツマイモ3



 女という動物は元来、焼き芋が好きなのか。まあ、それはともかく、濡れ新聞紙やホイルに包んで焚き火の中に放り込んで置くと、確かにうまい焼き芋が出来る。濡れ新聞紙やホイルの銀紙まで用意して焼き芋をしたい女房の気持ちも分からないでもない。何より、冷え込む一方の冬空の下では、焚き火は暖かい。この機会に剪定で切り落とした植木の枝も処分するのだ。焚き火。そういえば、都会では味わえないかも知れませんね。




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縁側の陽だまり(再)

 「夕方出かけて朝帰ってくるものはな~んだ」
 私達が幼い頃、こんな「なぞなぞ遊び」があった。答えは「雨戸」だが、今の子供達にこのなぞなぞを問いかけたら、きっと「家(うち)のお父さん」と答える子供さんが多かろう。家の娘だったら確実に「マージャン好きのお父さん」と答えるに違いない。特に、休日の前ともなれば、同僚とお酒を飲み歩き、その行く先はマージャン荘。決まって朝帰りだった。元気もあった。そんな生き生きした?現役時代が今となっては懐かしい。


夜明け


 今の子供達が「雨戸」を知らないのも無理はない。ここで言う雨戸は縁側の外側にある板張りの戸である。都会だったら100%お目にかかれまい。田舎だって近代住宅にどんどん変わってしまった今、縁側を伴った雨戸の家など見たくても見られなくなった。




 お若い方なら分からないだろうから、ちょっと説明すると、文化財として各地に残る古民家武家屋敷を注意して御覧なさい。いくつも並ぶ部屋の外側に板張りの廊下が設けてある。これが縁側だ。その外側に戸がなかったら防寒、防風にも困るし、第一無用心である。だから、この雨戸は昔の住宅では欠かせなかったのだ。隅々には必ず戸袋があって「夕方に(閉めた)出かけた雨戸は朝帰って」この戸袋に収まるのである。




 古来、わが国の民家は、多くがこのような構造で、部屋と部屋を仕切るのは壁ではなくてふすま帯戸、それに障子。これを取り払えば、一つの大広間になるのだ。親、子、孫までが同居する大家族制を維持せしめた家屋構造であり、一方ではさまざまな条件に対応できる、いわゆる多目的構造であった。地域の集会、ひとたび不幸が生ずればお葬式、また結婚式にも。地域によって、お蚕の飼育場に早代わりした家もあるだろう。


障子


 どちらが先かは分からないが、今の近代住宅構造は古来の大家族主義を根底からぶっ潰し≪個≫を助長する生活様式に変えた。一つの家に同居するにしても、親達は親達、年寄りや子供達も、またそれぞれの部屋を持つ。子供の場合、その数によって子供部屋を設けるのが普通となった。その良し悪しは別として≪個≫が優先するから≪家族団らん≫の風潮はだんだん希薄になっていくに決まっている。実質的な核家族化である。




 陽だまりと縁側。この二つはよく似合った。そこにお年寄りでもいればなおさらだ。お年寄りが縁側の陽だまりで編み物をしたり、孫と遊んでいる光景があったら絵にもなる。近所の人たちが一人二人と寄って茶飲み話をする場ともなった。いわゆる地域の人達のコミュニケーションの舞台にもなったのである。


縁側


 雨戸と縁側が消えると同時に、かつてはどこの田舎にもあった、こんなのどかな光景をも一遍に消し去った。それはまた人々の心まで変えようとしている。都会、都市部では当たり前になった「隣は何をする人ぞ」の無関心風潮は田舎にも忍び寄っている。




 こんな硬苦しい話はともかく、縁側すら残る古い我が家の場合、リフォームして雨戸をサッシ戸に替えたからいいが、そうでもしなければ女房だって一緒に住んではくれまい。ただ、サッシでガードした縁側は、ただの廊下に成り下がった。




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女房と俺の差(再)

 「お父さん、へんなこと書かないでよ」

 「何の事、言ってるんだ」

 「大根よ、大根。あなたの遊び(ブログ)に私を引き合いに出すことないじゃないの」

 人物

 69歳になる女房は時々、私のブログを覗いているらしく、ニヤニヤしながらブツブツ言った。私と同じようにITなどおよそオンチの女房もパソコンを開いて、インターネットに接続するくらいは出来るのである。ブログへは「お気に入り」があるから簡単。



 そう言えば、女房と一緒に山梨市のパソコン講座に通ったのは四年前の夏。乗って行く車のハンドルが焼け付くほど暑い頃だった。入門、ワード、エクセルの3講座があって、それぞれの講座が一日2時間で週4日。つまり1講座8時間だから、延べでは24時間勉強したことになる。



 今、考えてみれば、60も半ばの人間にとってはあの講座のスピードは、ちょっときつい。私の場合、今でも師匠と思っている萩原という同級生に基礎的なことを教わっていたからいいが、女房の場合、天付けだから無理もない。十分に理解しないまま講座を終え、よく分からないから、やらない、やらないから興味も沸かない、といった具合に悪循環で、せっかくの受講も今では台無し。



 娘に教わったりしながらブログを始めてぼつぼつ4年。毎日欠かさない晩酌の後、パソコンに向かう。外でお酒を飲んだり、マージャンで朝帰りの日はともかく、この日記は毎晩、書くことにしている。そう、新米の私がパソコンのキーを叩いている姿は、今、これをお読み頂いている皆さんが想像されている通りである。


キーボード


 キーを叩くホームが身についていないから文字を打つのが遅く、従って完了までにどうしても時間がかかってしまう。私の日記はワードの1ページ分、つまり、400字詰めの原稿用紙3枚半ぐらいと決めている。その分量は多くもなく、少なくもない1ページぴったりに収めているのだ。



 不思議なことに、いくら時間がかかっても飽きないし、疲れもしないのである。物事にハマっている時とはこんなものかもしれない。むしろ慣れてしまったら逆に飽きが来るのだろう。分からないからぶつかるもの全てに興味が沸くから面白い。子供の頃、こんな感覚で勉強にも取り組んでいたら・・・。



 何でもそうだろうが、パソコンも日常的に使わなければ忘れてしまう。例えば、エクセルも一通り教わったのだが、ワード・ブログにかまけていたら、みんな忘れてしまった。頭の老化現象も手伝っているのだろうが、綺麗さっぱりだ。人間の頭なんてたわいもないものだ。



 そんな事を親しい現役の経営者に話したら「私なんかその逆。表計算などでエクセルは毎日遣うからいいが、他の使わないものはみんな駄目。同じことですよ」と、慰めてくれた。それから考えれば、女房なんか当たり前だ。




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大根足と大根役者(再)

大根5


 「この大根め・・」


 大根の収穫をしながら、なかなか抜けない大根にちょっぴり腹が立って独り言を言ったらそばにいた女房が何を勘違いしたのか


 「大根とは何よ。お父さんの足なんかゴボウじゃない。まったく・・・」


 なにやら女房は自分の足のことをいわれたと思ったらしい。いい歳をしてそそっかしいのは今に始まったことではないが、それにしても面白い。確かに大根はずん胴で、女房の足によく似ている。


大根4



 真面目に怒っているのがまた面白くなって「これなんか、おまんにそっくりだよなあ」といったら、また怒っていた。この会話が聞こえたのか隣の畑で仕事をしていた老夫婦はこちらを向いて、軽く頭を下げ、ニコニコ笑っていた。



 いい天気だ。小春日和とはこんな日のことを言うのだろう。



秋の空



 「今日は暖かいですねえ」と声をかけたら、その老夫婦は帽子を取りながらこちらにやって来た。


 「立派な大根を作りましたね。これじゃあ百姓顔負けですよ」



 「お宅じゃあ、大根作らなかったですよねえ。これ持って行って、沢庵に漬けてみて下さいよ」


大根2


 このあたりは葡萄や桃、サクランボなどの果樹地帯だから本格的な農家は手のかかる野菜作りは、どちらかというと敬遠するのだ。大根をネコと呼ばれる一輪車に載せて女房に隣の家まで運ばせた。大喜びしてくれる老夫婦がまたうれしい。大根足と勘違いしてさっきまで怒っていた女房も愛想よくニコニコしていた。





 さてその大根だが、殺菌作用も持ち合わせていて、決してアタル心配のない野菜だそうだ。刺身のつまや、そのパックの下に大根の千切り?が敷いてあるのもそんな理由からだ。それが転じて生まれた言葉が「大根役者」。当たらない、つまり、いつになっても人気が出ない役者のことを言うのである。女房が言う「大根足」は、その形容から誰とはなしに言うようになったのだろう。


大根2


 大根作りには土地が深い火山灰土の地域が適しているのだそうだ。山梨県では八ヶ岳と向かい合う茅が岳山麓の北杜市明野町の「浅尾大根」が有名。真っ直ぐであることはともかく、皮が薄く、沢庵漬けにはうってつけ。味もいい。茅が岳はあの登山家であり、エッセイストでもあった深田久弥さんが亡くなった山としても知られている。




 大根は、「青首」という種類のように地上にも伸びるが、当然、地下に生長する野菜だ。だから土の浅いところは適さないのである。私の地域は粘土質で土地が浅いから大根が真っ直ぐ伸びずに曲がったり、二股になりやすい。抜くのに一苦労する。そればかりか、力を入れると途中からポキンと折れてしまうのである。でも商品として出荷するわけではないからかまわない。今年も大根足ならぬ、しなびた女房の足のような沢庵が食べられる。




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裸になった柿(再)

柿3_convert_20121201143702 



 「お父さん、みんな採らないともったいないじゃないの」
 高い脚立の上に上って柿もぎをしている私を下から見上げていた女房が注意を促すように言った。


 「おまんは何にも知らんのだな。こうして木にいくつかの柿を残すのは、≪木守柿≫と言ってなあ・・・」



 柿の木の実をすべてを採らない理由(わけ)を説明してやったら「へえ~、そんなことあるんだ」と、この時ばかりは妙に従順な顔つきでうなずいた。よく考えてみれば、私のような田舎育ちの人間と違って、甲府の町に育った人間にそんな事が分かりっこない。脚立の上から独り言のように「木守柿」について話してやった。


柿1



 「木守柿」「きまもりがき」とも「こもりがき」「こまもりがき」「きもりがき」とも読む。木になった柿をみんな採ってしまわずに、いくつか残しておく実のことを言うのである。だんだん寒くなって食べ物がなくなる小鳥のために餌として残してやれ、と子供の頃、近所の年寄りから教わったものだ。このほか、来年の豊作祈願の意味合いもあるとも言う。この風習は野鳥など自然への人間の優しいいたわりの心であり、素朴な祈りなのだ。




 「桃栗3年、柿8年、梅はスイスイ18年・・・」と言うが、柿は梅などと共にすぐには実を付けない。我が家の柿の木はもう何十年も経つ古木で、今年もたくさんの実を付けた。毎年の事だが、東京や埼玉に住む弟達や親しい知人に送ってやる。沢山ならせすぎると、どうしても小ぶりになってしまう。




 今年もすでに何度か吹いた木枯らしで、柿の木はすっかり葉っぱを落とし、脚立の上には橙色に膨らんだ柿をぶら下げている。木枯らしと共にやって来る霜を受けると、甘味を増して、いっそう美味しくなる。形の大小は見栄えだけの問題で、味にはそれほど関係ないのである。この柿は「富有」という品種だ。


柿



 にはそのまま食べられる甘柿枯露柿などに加工しなければならない渋柿がある。それぞれ、さまざまな品種があるが、我が家の甘柿は、この富有柿と御所柿ぐらい。かつては次郎柿とか江戸一柿などの品種もあったが、今はない。一方、渋柿もさまざまな品種がある。甲州百目、蜂屋、富士、平角無、西条・・・・。このうち、我が家にあるのは最も人気の甲州百目。今、女房が近所の人に教わりながら枯露柿を作っている最中だ。




 甘柿と渋柿の関係をご存知だろうか。甘柿は渋柿の突然変異だと言われている。わが国特産の品種である。ただ、この渋柿も熟すとだんだん渋が抜けて甘くなる。特に形も大きい甲州百目の≪ずくし≫はうまい。一部は枯露柿にせずに保存しておいて冬中、この≪ずくし≫として食べる。酔い覚ましには絶品だ。





 女房ではないが若い頃、この柿で「へえ~」と思ったことがある。山梨県の八ヶ岳山麓に小淵沢という町がある。標高が7~800mはあるだろう。ここでは「富有」も「次郎」も甘柿はみんな渋柿。甘くならないのである。標高と柿の甘い、渋いの関係をご存知?




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山茶花とおふくろ(再)

山茶花4



 「サザンカ サザンカ 咲いた道 焚き火だ 焚き火だ 落ち葉焚き・・・」
そう。唱歌「落ち葉焚きのうた」の一節だ。こんな歌もある。



 「くもりガラスを 手で拭いて あなた明日が 見えますか 愛しても 愛しても ああ他人の妻 赤く咲いても 冬の花」



 ご存知、大川英策の「さざんかの宿」である。



 「落ち葉焚きのうた」は子供から大人までが、なにか心を洗われるような歌であり、一方の「さざんかの宿」は、まさしく大人の歌だ。そして、この二つの歌ほど初冬の情景を見事に詠った歌はないように思う。


山茶花2



 ここ数日、甲府盆地の冷え込みは激しく、最低気温は一桁になった。最高気温だって14度前後。御坂山塊の向こう、富士山麓地方は最低、最高ともに、これより3度から5度低い。今日のように、どんよりとした曇りの日には日中、家の中にいても素足では足が冷たい。掛け布団の下には厚手の毛布が必要になった。




 一昨日、7日は大雪。秋を一足飛びに飛び越えて季節はもう冬。ついこの間のような気がするが、庭の植え込みで真っ赤な花を付けていた百日紅も今はすっかり葉を落とし、黄色い実を膨らませた柿の木は、一枚、二枚と葉を落として丸裸。庭は女房が毎朝掃くのだが、落ち葉でいっぱい。ブツブツ言いながら熊手でかき集めている。



 歌はウソではない。山茶花の花もちゃんと咲き始めた。


山茶花1



 我が家の山茶花は、庭の植え込みと野菜畑の向こうの道沿いに植えてある。おふくろが近所の人を頼んで生垣用に植えたもので、40本は楽にある。親父を亡くした後だから、もう、かれこれ20年近く経つのかもしれない。仕事仕事で実家にも寄り付かずに甲府で過ごしていた息子を尻目に、気丈にも独りで家を守っていた、在りし日のおふくろの姿が目に浮かぶ。




 そんなバカ息子も勤めをリタイアしたからには、もちろん、畑仕事も植木の剪定もする。伸び放題になっていた山茶花は1,6m位の処で頭を切り落とし、前後を刈り込んで、生垣としての体裁を整えた。今年もいっぱい花を付けた。大川栄策は「さざんかの宿」の一番で『赤い花』と唄っているが、ピンクがかった赤もあれば純白の花もある。




 おふくろの知恵なのか、手伝ってくれた近所の人の知恵なのかは分からないが、それが交互に植えてあるから、紅白のコントラストがいい。山茶花の生垣沿いの道は、わずか3尺か4尺の細い道。子供の頃、近所のお年寄りに聞いた話だと、その昔は村の街道的な存在を担った、いわゆる古(いにしえの)道である。


山茶花3



 山茶花は、椿とよく似ているが、山茶花が一枚ずつ花びらを落とすのに対して、椿は花全体を首からころりと落とす。そんなことから椿は病気見舞いの花にはそぐわないのだそうだ。山茶花ならいい。明日は、この山茶花を入院中のおふくろに持って行ってやろう。喜ぶだろう。しかし、痴呆が始まっているおふくろには、自分の手で植えたことすら忘れているかも知れない。そんなおふくろを見るのが痛々しく、哀れでならなかった。でも、そんなことを考えていた時の方がいい。いなくなったら、それも叶わない。




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芋茎(ずいき)と木枯らし(再)

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 これが木枯らしというのだろうか。今日の甲府盆地は朝から冷たい風が吹いた。一番霜に遭ったのか、トウノイモのツル(茎)もひと頃の元気をなくした。毛糸の帽子を冠って畑に出たが、冷たい風が頬を刺す。庭先の御所柿も、その冷たい風に吹かれて、葉っぱをすっかり落とし、裸になった木に黄色い実だけをぶら下げている。


 「夕陽の丘のふもとゆく バスの車掌の襟ぼくろ 別れた人に生き写し・・・」



 ご存知の方ご存知、昭和30年代の後半、石原裕次郎と朝丘ルリ子が唄った「夕陽の丘」の歌い出しである。その3番はこんな歌詞だ。


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 「真菰の葦は風に揺れ 落ち葉くるくる水に舞う この世の秋の哀れさを しみじみ胸にバスは行く」



 この歌の舞台は、どこかのひなびた湖の畔(ほとり)だろう。私が住む農村地帯のスチュエーションとは違うが、季節はちょうど今頃。落ち葉が風に舞う光景は全く同じだ。一枚、二枚とどんどん落ちていく柿の葉はカラコロと音を立てて風に舞うのである。


落ち葉



 今日の風が春一番ならぬ木枯らし一番かどうかは分からないが、季節は本格的な 冬へとまっしぐらに進んでいることは間違いない。我が家も冬支度へやることはいっぱいだ。ロータリークラブの地区大会で浜松へ行ったり、地区のグランドゴルフ大会など、出掛けることが多く、枯露柿作りの柿もぎもやりかけ。トウノイモやサトイモ、サツマイモも掘らなければならない。特に、トウノイモは霜に当てたら肝心のツルが駄目になってしまう。


 
サトイモ
サトイモ


 トウノイモとサトイモは掘り出してみればその違いが分かるが、外観ではほとんど区別がつかない。答えをお教えしよう。簡単な見分け方は、ツル、つまり、大きな葉っぱを一つだけつけた茎が赤いのがトウノイモ青いもがサトイモである。芋はサトイモがたくさんの小芋をつけるのに対して、トウノイモは親芋だけが大きく、小芋は少ない。トウノイモの親芋はもちろん食べられるが、どちらかと言うと大味だ。


芋の弦2
トウノイモ


 この二つは作り手のそもそもの狙いが違うのである。言うまでもなく、サトイモは芋を食べることが主眼。これに対して、トウノイモはむしろ、ツルの方を食べることに主眼を置いているのである。同じようなツルだが、サトイモのツルは食べない。




 トウノイモのツルはどうして食べるの?とお思いの方もお出でだろうが、あなたも食べたことがある筈だ。巻き寿司の芯に使うあれだ。と言っても、最近はカンピョウが多く、滅多にお目にかからない。味はピカイチだが、カンピョウのように量産が出来ないからだろう。




 芋茎(ずいき)ともいう。肥後芋茎が有名だ。「随喜の涙」という言葉があるが、これとは関係ない。しかし、意味深に結びつきそうな言葉だ。いずれにしてもここで詳しく説明するわけにもいくまい。八百屋さんではなく薬局で売っている商品だ。



 刈り取ったトウノイモのツルは皮を剥いて天日干しにし、保存するが、寿司の芯ばかりでなく煮物にしてもいい。酒のつまみには絶品だ。明日はそのツル剥きをする。




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枯露柿作り(再)

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 甲府盆地もどんどん冷え込んできた。初冬の風物詩でもある枯露柿作りが始まった。初夏のサクランボから始まって、桃、葡萄と息つく間もなく、忙しくしていた果樹農家は10月中旬からちょっと一服、この冷え込みを待って、枯露柿作りを始めるのである。枯露柿作りは気温の冷え込みが、その成否の第一のポイント。なぜかって? 暖かいと皮を剥いたばかりの生柿がカビてしまうからだ。




 峡東地方と呼ばれるこの地方の中でも甲州市の松里地区を中心とした一帯は、全国的にも有名な枯露柿の産地だ。毎年、この時期になると新聞やテレビで枯露柿作りの様子が紹介されるから、ご存知の方もいらっしゃるだろう。農家の軒先には特別に設けられた棚に、剥いたばかりの柿が簾のように、いっぱい吊るされる。圧巻ともいえる黄色い柿のカーテンは、まさに、この地方の秋の風物詩である。


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 この地域が古くから枯露柿の産地として君臨しているのにはそれなりの訳がある。立地から来る気象条件であることは間違いない。東側に御坂山塊、北側にそれから連なる秩父山塊、西側にその延長線上にある岩手山や八幡山がある。そのど真ん中を一級河川の笛吹川が流れている。




 袋のようになった山と、その中央を流れる川が枯露柿作りに適した条件を生み出しているのだ。つまり、川と山がこの時期、剥いたばかりの生柿を乾燥させるのにうってつけの気流を作ってくれるのだという。ただ、その気流も暖冬には勝てない。数年前、この暖冬で枯露柿農家は大きな被害を受けた。剥いて間もない生柿がカビてしまったのだ。いつまでも冷え込まない気象に業を煮やした農家は電動の扇風機で風を送るなど躍起の策を取ったのだが焼け石に水。気象には勝てなかった。


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 我が家のある岩手地区は枯露柿の一大ブランドを持つ松里地区と笛吹川を挟んで西側で、いわば目と鼻の先。松里ブランドにはかなわないだろうが、同じ気象条件にあって立派な枯露柿の産地だ。11月の声とともに農家は柿剥きにおおわらわ。柿はもいだ後、3~4日寝かせてから剥くのがコツ。二個ずつ簾のように吊るす前に硫黄で薫淨する。殺菌効果とともに仕上がりの色をよくするためだ。煮え湯に10秒ぐらい浸けてもいい。その方法はともかく、今、剥いている柿はクリスマス、お正月には贈答品として市場に出回るのである。


干し柿



 枯露柿用の柿は甲州百目、大和、蜂屋などだが、この地方の主流は何といっても甲州百目。我が家でも女房が柿剥きを始めた。もちろん、出荷などという大それた事が出来るはずがないから、お楽しみと親しい人に差し上げる程度のものである。今年は2回ほど消毒をしたせいもあって、10本足らずだが、甲州百目の木に200個ぐらいの大きな実を付けた。



 「どうせなら、もっと吊るせし」



 慣れない手つきの女房と二人を見た近所の人が「硫黄薫淨して来た」という100個近くの甲州百目を持って来てくれた。我が家の≪柿の簾≫も昨年、一昨年より賑やかになりそうだ。簾のように吊るす竹竿も甲州市の知人がわざわざ運んでくれた。ありがたい。




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本末転倒

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 テレビを点ければ、やれ新党がどうの、第三極がどうの、とかしましい。


 「お父さん、政治ってどうなってるの?わたしなんかにや~さっぱり分からないわよ。銀行や生保の合併と同じね。お父さんは生い立ちや、それぞれの考え、順序だってみんな言える?」


 女房は藪から棒に言った。


 「オレに分かるわけ、ねえじゃねえか」


 女房のみならず、私だって「どうなってるの?」と言いたいくらいだ。原発、TPP、増税…。政府・与党を除けば総じて反対。原発に到っては経済政策との絡みや国民の電気料という名の経済負担などそっちのけで、反対、反対。その裏にはなんとなく作られたオバケのようなポピュリズムに乗って「勝たんかな」が、見え見え。堂々と将来に向けた原発政策を掲げ、論ずることが怖い? 


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 しかし、訳も分からない“ポピリュズム”に陥ったら…。選挙に勝つため?の各党の思惑、戦略だから百歩譲って、これもいい。政治家の離合集散。これも“先生達”の保身の術だから気持ちも分からないでもない。




 でも、ちょっと待てよ。「政治主導」、「官僚支配の打倒」、「霞ヶ関との戦い」。政治家先生が党派を超えて口をそろえていらっしゃる、この言葉。ちょっとおかしくありませんか。政府を担っている民主党でさえ同じことを言う。




 財務省、外務省、国土交通省、厚生労働省…。いわゆる霞ヶ関は今も昔も内閣・行政府の事務局、事務部隊のはず。「官僚支配の打倒」も「霞ヶ関との戦い」も、全くの本末転倒。国権の最高機関にいらっしゃる衆参両院の先生方が言う言葉ではない。主客転倒ともいう。


国会議事堂


 主の言うことを聞かない使用人、部下は一般にはあり得ない。内閣総理大臣は行政府の長。その行政府、つまり内閣の仕事を分担する大臣は、それぞれの担当分野の長なのだ。




 「政治主導」。当たり前の事。その当たり前の歯車がどこで狂ったのか。「政治主導」という言葉は、よく考えたら民主党政権が言い出した新しい言葉。政権交代した民主党は「よう~し、オレ達が霞ヶ関を変えてやる」と、すごんで見せた。




 ところが、おっとどっこい。「変えれるものなら変えてみろよ」。霞ヶ関からそんな声が聞こえてきそう。それもそのはず。3年数ヶ月の民主党政権中、総理大臣は3人目。霞ヶ関の現場を預かる大臣は「改造」という“洗礼”を受けるから、その任期はもっと短い。「私は素人です」。何処かの大臣が言ってひんしゅくを買った。




 この大臣、正直ですよ。1年足らずで、内政はおろか外交、果ては防衛まで理解し得たらスーパーマン。政治家先生が「政治主導、政治主導」とハナから粋がること自体がどだい無理。そのために「事務局」の霞ヶ関があるのであって、官僚のしっかりしたレクチャーを受け、それを基に判断を下すのがトップたる大臣の取るべき姿。




 分からないのに「オレがやるからいい」と言ったら、部下は「それならやってみろよ」と言うに決まっている。巨大なシンクタンク・霞ヶ関をしっかりと動かさなかったらこれこそ税金の無駄遣いだ。官僚は、“一夜限り”の政治家と違ってキャリアですものね。




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空っ風と柿

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 「木守柿」であれ、収穫されないままの“野ざらし”の柿であれ、初冬の空で葉を落とした木に橙色の実を残す柿は、いかにも寒々しい。茶色というか黒い枝に、ひと際鮮やかな橙色。抜けるような冷たい冬の青空が一層、そのコントラストを鮮やかにするのだ。




 そんな光景は、我が家の周りだけではない。甲府盆地の東部であるこの辺りは、ちょっとは知られた枯露柿の産地。「甲州百目」や「はちや」など枯露柿用の柿ばかりでなく、生食用の「富有」や、最近人気を集め出した「大秋」などの甘柿も。何時もの年だと枯露柿用、生食用を問わず、今の時期になると収穫が終わるので、残っているのは「木守柿」か、品種の悪い、いわゆる“未生”と呼ばれる柿ぐらい。


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 ところがバカ当たりの年といっていい今年は“消化”できないまま木に吊る下がっている。あっちこっちで見られる“鈴なり”と言っていい柿の実は、周囲の紅葉と相まって晩秋から初冬への移ろいをいやがうえにも彷彿とさせ、絵になる光景でもある。


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 柿は消毒しなければ、みんな墜ちてしまう。柿の木が少ない都市部と違ってこの辺りは病害虫が多いためだろうか。柿の木が多ければ、その病害虫が増える。当然の論理なのである。柿は「ヘタ」と呼ばれる部分に虫が入るから落下に拍車が掛かる。栽培者はこれを避けるため、年に2度から3度、旬を選んで消毒をするのだ。




 野菜は自らの家庭で食べるくらいなら無農薬でも済むが、柿など果物はおしなべて無農薬とはいかない。野菜はむろん、桃などは針の穴ほどの病気でも輸送中に、どんどん進行、商品にならないのだ。柿は「ヘタ虫」が入って商品になる前に落下してしまうので、なにをかいわんや、である。


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 柿が本当に美味しいのは霜が降り、空っ風が吹き始めるこの時期。初冬だ。柿の木は葉を落として丸裸になり、橙色の実だけを青い空にクローズアップする。葉を落とすのは樹勢もさることながら、空っ風が拍車をかける。




 「甲州名物」とか「上州名物」と言うように空っ風は、内陸地方特有の現象。乾燥した風が「ビュー、ビュー」と音を立てて吹きまくるのだ。この空っ風が枯露柿作りに適すのであって、産地形成の絶対条件と言っていい。空っ風は乾燥ばかりでなく、気温の低下も促してくれるのである。


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 空っ風が吹かず、気温が下がらないと皮をむいたばかりの生柿は、いくら天日干ししても腐ってしまう。腐らないまでもカビを招く。枯露柿生産農家は致命的と言っていいダメージを被るのだ。それを生業とする生産者は、気象を見ながら乾燥機を設え、人工乾燥をも試みる。自然の冷え込みや空っ風が全てに優ることは言うまでもない。




 空っ風は年々、穏やかになっているような気がする。冷え込みも同じで、地球温暖化が成せる技なのか。同じ内陸の富山に「散家村」を造らせたフェーン現象も、その規模を小さくしている。地球温暖化は人間にもたらす“体感”ばかりでなく、果樹などの植性にもジワジワと波及しているのだ。植性上、南限と言われる山梨のサクランボがすっ飛ぶ時も。




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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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