船のカジノ

 「お父さん、いいかげんにしたら・・・」



 クルーズ中、毎晩のように出掛けるのがカジノ。女房と二人して船の後方部にある大きなレストランでゆっくりディナーを楽しんだ後、今度は船首部分に近いシアターに。有に2、000人は収容出来る立派な劇場では毎晩、さまざまなショーが繰り広げられる。私にとっての楽しみは、むしろその後なのである。そんな私を女房は、いぶかしい目で見るのだ。



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 我が女房殿。私がカジノに出掛けるまではご機嫌。「レストランの料理もいいけどショーも最高ね」。前菜からスープ、メインディッシュ、サラダ、デザート…。美味しい料理をたらふく食べ、約1時間のショーを観る。コントやマジック、アクロバットやダンス、歌のショーもある。光りと色。スピード感のある舞台回し。9時15分から10時まで、そんなに長い時間ではないが、観客を存分に楽しませてくれるのである。





 ショーが終わると女房は部屋へ。私はそこで別れて5階中央部に近い所にあるカジノに向かうのである。夜の10時。普通なら夜が更けているかというとそうでもなく、そうかと言って、早くもない時間帯。街路と言ってもいい通路の免税店やバーラウンジには、船の夜を楽しむお客さんでいっぱい。


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 私にとってそんなことはどっちでもいい。一直線にカジノへ。これまた広いスペースに沢山のマシーンやルーレット、カードのテーブルが並んでいる。カードテーブルはブラックジャックやポーカーゲーム。テーブルは,賭けるチップのレートによって分かれている。私はカード派。ポーカーもやるが主にはブラックジャック



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 ブラックジャックは日本の花札・オイチョカブと原理は同じ。オイチョカブが「9」ならこちらは「21」がキーナンバー。その違いだけだ。因みにポーカーはご存じ1ペア、2ペア、3カード、フルハウス、ストレート、フラッシュ、ストレートフラッシュ…。それらの「ヤク」をデーラー(親)と競うのである。




 言ってみれば,両方とも確率と感のゲーム。特にブラックジャックは確率のゲームだから,そこにはセオリーがある。そのセオリーを外すとお客さん同士、嫌な顔をされる。自分勝手に、ただ遊べばいいというものではない。仲間への“礼儀”だってあるのだ。



カジノ



 知らぬが仏。かつてラスベガスやマカオで、セオリーのなんたるかもわきませずに遊んだことを思い出すとゾッとする。そんな頃、お客の迷惑顔など気付くはずもなければ、ましてや読み取れるはずもない。


カジノ4



 正直言ってカジノは面白い。陸路の旅ではなく,船の旅を選んでいるのには,便利さや快適さと合わせて、このカジノがあるからだ。カジノが禁止されている国でも公海に出れば無罪放免。ここは不夜城なのだ。男の遊びの“三要素”の一つ「打つ」は「勝負事」。文字通り勝つこともあれば、負けることもあるのだ。厳密に言えば負けるのである。それが証拠にカジノはむろん、公営の競馬や競輪などが潰れた試しがないし、民間のパチンコ屋さんだって設備投資や人件費が。冒険心とスリル、欲を求めるお客さんが賄うのである。




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アーモンドの花

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 11日間の旅から帰ったら我が家の庭先にある何本かの白梅、紅梅が満開だった。今年の冬は長く、春の時季なのに気温が上がらず、山梨のこの辺りでは梅の開花が何時もの年と比べて一ヶ月半も遅れた。もっとヘンなのは、3月半ばになったら今度は気温が急上昇。桜が一斉に咲き始めた。日本全国、どこも同じだが、甲府地方気象台によれば、甲府の桜の満開(基準木)は観測史上2番目に早いのだそうだ。桃の花も桜を追っかけた。




 ところが3月下旬になったら一転、気温がダウン。「三寒四温」とはよく言ったものだ。気温の上がり下がりは世の常。人間が驚くに値しないが、葡萄や桃などを栽培する、この辺りの果樹農家にとっては、気が気ではないのだ。並外れた暖かさで、花木の生育が進んだところへ、遅霜でも来られたら万事休すなのである。気象台は霜注意報を出し、これを受けて地域の防災無線は、繰り返し農家に霜対策を促していた。



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 3月初旬の地中海地方アーモンドの花が開き、早いところでは散って緑の葉っぱに。エクスカーションの車窓から見た感じでは桃の花とよく似ている。遠くからなので定かではないが、色はややピンクがかった白。木の作り方は梅の木のようにも見える。この辺りの気候は、日本と変わらないか、ちょっと暖かいぐらいの感じか。クルーズの船が地中海を回り、日日が経つにつれ、アーモンドは花を落とし、緑に衣替え。季節は初夏へと移って行くのだ。



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 船から降りて、バスでのエクスカーションで見る限り、地中海沿岸地方の作物と言えば、このアーモンドオリーブ、それに葡萄など。葡萄はもちろん、垣根栽培だが、一部に日本のような棚栽培の畑も目につく。ワイン用の葡萄作りだろう。いずれも荒れた農地だ。アーモンドの畑もオリーブの畑も、それに葡萄の畑も、みんな石ころだらけ。日本の果樹地帯では、見たくても見ることが出来ない光景だ。だからアーモンドであり、オリーブの栽培なのかも知れない。石ころは見るからに石灰分を含んでいる。アーモンドやオリーブは、それほど強い作物なのだろう。



 「お父さん、ヨーロッパって、のどかだわね」



 いみじくも女房が言うように地中海沿岸の農村地帯は、見るからにのんびりしている。何処までも続く草原では羊の群が草をはみ、山から下りた傾斜地のオリーブ畑やアーモンドの畑では野生だという山羊があっちこっちで草をはんでいた。


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 「あんなに荒れた農地でのオリーブやアーモンドの耕作。果たして生計が成り立つのだろうか」



 のどかな光景、と見る一方で、大きなお世話。そんな心配が頭をよぎった。所詮は百姓の倅のなれの果て。つい、山梨の、日本の、果樹地帯と比較して疑問にも思った。何年か前。香川県の小豆島に旅した時、オリーブの苗木を持ち帰り、我が家の畑に植えたことがある。結果は失敗。確か4本ぐらいだったが、いずれもとぼれてしまった。気候が合わないのか、それとも土地が肥え過ぎているのか…。条件に合わなかった事だけは確かだ。(次回へ続く)




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世界遺産

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 今回の地中海クルーズの出発点はイタリアのローマ。成田からの直行便の到着は出航前日の夜。乗船は翌日の午後。旅のスケジュールは、ゆっくりとローマ見物が出来るよう配慮されている。ホテルがある市街地を抜けて連れて行かれたのは、そう、あのコロッセオだ。コロッセオ(Colosseo)はイタリア語。英語ではコロシアム(Coloseum)。私たち日本人にはコロシアムの方が分かり易い。でもここはイタリア。やっぱりコロッセオだろう。





 市街地の街並みは整然としたたたずまいを見せ、街路の両側には「地中海松」が。恐らく日本人が名付けたものだろう。木の肌は日本の赤松にそっくり。でも形も仕立て方も全く違う。15㍍前後もあろう、その松は枝を下からだんだん切り落とし、てっぺん部分が丸く傘のようになっているのだ。幹は直径が50~60㎝はある。何百年の年輪を刻んでいるのだろう。その幹の太さからも十分に伺える。


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 コロッセオはローマ帝国が全盛を極めた時代のものだから、何百年などというスケールで言い表せるものではない。まだ午前9時前。そこにはもう観光客がいっぱい。白人もいれば,黒人も、私たちのような黄色人もいる。一年前にアドリア・エーゲ海クルーズで旅したギリシャのアテネのように、ローマは世界中の国から毎日、観光客を集めるのだ。まさに世界の観光地なのである。




 今、日本では富士山の世界文化遺産指定に向けて山梨・静岡両県がやっきりきに。6月にはユネスコの諮問機関・イコモスが、その調査結果を答申する。富士山は日本のシンボル。地元山梨・静岡両県にとどまらず、世界遺産への正否は政府だって無関心ではいられまい。やきもきしながらユネスコの出方を見守っているはずだ。「三保の松原(静岡)を指定の候補地から除外したら…」。イコモスは調査過程で、そんな注文もして来た。



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 それに比べれば,ローマのコロッセオを中心とした遺跡群は文化的にも歴史的にもケタはずれ。指定を乞わなくてもユネスコは、一も二もなく指定したに違いない。貴重な世界の文化遺産や自然遺産を保護、後世に伝えることに狙いがあるからだ。コロッセオの近くには文字通り1,000人が一度に入浴したという古代の「千人風呂」も。日本にも「千人風呂」という言葉があるが、「大きい」の代名詞に過ぎない。「万(よろず)」と同じだ。




 付近はまさに遺跡群。それどころか、その発掘は道半ばといった感じだ。ギリシャのアテネもそうだが、見るからにのんびりしたもの。日本なら世の中がひっくり返るほどの大騒ぎをし、埋蔵文化財法を盾に発掘作業を優先するだろう。ローマやアテネでは、手さえ掛ければ貴重な文化財がこれからも山ほど発掘されるに違いない。予算が追いつかないのか。それが証拠に発掘途中の所もあっちこっちに。


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 コロッセオは5万人もの観客を収容出来たというから半端ではない。それどころか闘技場の中には,現在のドーム球場にも似た日除けやエレベーターにも似た施設など、さまざまな工夫が施されていたというから凄い。権力の偉業を今に見せつけられた想いでもあった。




 古代ローマの闘技場からは、皇帝ネロの声や5万人の歓声と興奮が今にも伝わって来そう。世界遺産とはまさしくこれだ。(次回へ続く)




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ローマへの道

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 「全ての道はローマに通ず」(All Road lead to Roma)という言葉がある。17世紀の詩人ラ・フォンティーヌが書いた「寓話」・「裁判官と修道士と隠者」にある有名な言葉。ローマ帝国の全盛時代、世界各地からの道は首都・ローマに通ずると豪語したことから「物事が中心に向かって集中すること」の例えをいうのだ。




 山梨の片田舎からも道はちゃんとローマに通じていた。女房と二人・山梨市の弥次さん喜多さんは車で30分、約20㌔先の甲府へ。そこから高速バスで成田へ直行。中央道―首都高速道―京葉道路と乗り継いで空港へ向かうのである。距離は恐らく230~240㌔。首都高速からは京葉道路に限らず湾岸道路を使うことも。道路の混雑具合で選択するのだ。


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 その所要時間は決まって計れない。時間帯によって大渋滞を引き起こす首都高速の東京都心を通過しなければならないからだ。スムーズに行けば3時間ちょっとの道程だが、それは全く当てにならず、旅行者もバス会社も6時間、7時間を覚悟して成田に向かうのである。成田でロス時間を調整するほかはないのだ。




 「東京を渋滞なく通り抜けてくれよ」。山梨からの旅行者は,何時もそんな気持ちでバスに乗り込むのだ。バスは私たち弥次喜多夫婦など“お上りさん”の大きなスーツケースをお腹に抱いて走るのである。




 成田からローマは空路でざっと10,000㌔。厳密に言えば10,060㌔前後だ。気流との関係で5㌔、10㌔はすぐに誤差が出る。所用時間も偏西風を伴うから行きと帰りは異なり、行きが13時間半とすれば、帰りは12時間ちょっと。今度の成田―ローマ直行便の計算だ。


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 私たちのローマへの道は、旅行社(クラブツーリズム)が募集した10日間の一日前から始まっていた。山梨から成田までの当てにならない所要時間を警戒、成田前泊の道を選んだのである。そこはいかにも“お上りさん”らしい用心深さ。成田集合は午前11時半。私たちが高速バスを降り、シャトルバスで空港近くのホテルに入ったのは甲府を出てから4時間後の前日午後6時ちょっと過ぎであった。




 成田からのローマへの道は一つではなかった。私たちのローマ直行便のほか、同じ時間帯に出発するミラノ便があった。出発は午後2時40分を前後した頃。出発ゲートは、それぞれ搭乗開始をアナウンスしていた。両方の便に私たちの旅行目的・地中海クルーズのお客さんが居るのだが、ローマへの道は、二手に分かれた。航空運賃、旅行代金に差異があるのだという。ローマへの道にも、ちょっとしたマジックが。


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 それにしても私たち山梨からの“お上りさん”にとっては「ローマへの道」は遠い。ビジネスクラスならいざ知らず、エコノミーの狭い座席に押し込められて13時間半。そこで何もすることなく,二度の食事も。まるでブロイラー。鶏の気持ちがよく分かる。




 山梨県人の私たちが一息で列車に乗る時間は特急で東京・新宿までの1時間半。それでもうんざりするのだ。それに10倍近い輪を掛けるのだから、ご理解いただけるだろう。「もう限界」。そう思い始めて機内のテレビに映し出されたリアルタイムの飛行地点を見たら、まだシベリアの上空だった。(次回に続く)




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船旅への拘り

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 船の旅は今度で5回目。最初はハワイの島巡り。ハワイ8島のうち無人島や個人所有の島を除く確か4島だった。ホノルルのあるオハフ島を出てマウイ島、ハワイ島、カウアイ島を巡るコース。ハワイ8島のうちでも最も大きいハワイ島にはヒロとコナの二カ所に、マウイ島にはハワイ島への行きと帰りに寄る。再びオハフ島に戻るまで8日間の船旅。


ハワイ


 船は「Pride of America」。トン数は覚えていないが、今度の地中海クルーズの船より一回り大きかったような気がする。職場をリタイアした翌年で、女房を伴っての文字通り弥次喜多の旅であった。怖いもの知らず。言葉の壁を承知で、二人してアメリカのツアーに飛び込んだ。


船  


 動機? 仕事、仕事で女房を連れての海外旅行などただの一度もなかった“仕事人間”の、言ってみれば柄でもない罪滅ぼし。そこで観たもの、体験したもの。みんな新鮮だった。珍しかった。感動もした。第一、快適だった。ご存じ。ハワイ諸島は太平洋のど真ん中。ところが、船がイメージする揺れもなければ、それが原因しての船酔いもない。


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 「海外旅行をするなら船に限る」。その時から心に決めた。月並みの言葉で言えば“ハマった”のである。海路の場合、陸路と違ってバスや汽車、飛行機の輸送機関はいらない。移動は主に夜。お客が寝ている間に次の目的地に導いてくれるのだ。エクスカーションも寄港地で船の足元からバスで出発し、そこに戻ることが出来る。最も楽なのは旅の期間中、一度としてホテルを変える必要が無いことだ。


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 「○○時までにスーツケースを廊下に出しておいてください」、陸路だと毎日が、それの繰り返し。出発時間も朝が早かったり、ホテルへの到着時間もまちまち。正直言ってくたびれる。私のような“ものぐさ人間”には、それがない船旅がうってつけなのだ。




 味を占めた私たち夫婦は、今度はアラスカへ。米・ワシントン州シアトルから船に乗り、そこに戻るまでのやはり8日間。船はカナダの西海岸を航行、アラスカの数カ所はむろん、カナダの何カ所かにも立ち寄る。シアトルは、あのイチローが名をはせたシアトルマリナーズの本拠地。当時、城島も活躍していた。球場の正面にイチローと城島の写真がデカデカと掲げられているのを見て嬉しくなったのを覚えている。話は横道にそれるが、シアトルは、アップル社のビル・ゲイツの出身地。ホテルなどあらゆるところでインターネットは只。流石、と思ったものだ。自らのブログにも米国からアクセスしてみるなど、やりたい放題。


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 人間の欲望とは、だんだん膨らむもの。今度は旅の期間を長くしてみようと考えた。ハワイからロス・アンジェルスを経由してフロリダ州のマイアミに飛び、そこから船に。大西洋、カリブ海を経て、パナマ運河を渡って太平洋を北上、米・カリフォルニア州ロス・アンジェルスまで15日間の旅。ここまでは、全て米国のツアー。やっぱり言葉の壁に苦戦した。日本人が乗っていないから日本人向けのサービスが何もないのだ。弥次喜多夫婦の“お上りさん” 悪戦苦闘ぶりは想像していただけるだろう。




 今度の地中海の旅を刺激したのは昨年四月のアドリア海、エーゲ海の旅。長靴のような形をしたイタリア半島の根本・ベネチアを出港。アドリア海を南下、ギリシアとその諸島が広がるエーゲ海を覗いてUターン。クロアチアなどイタリア半島の対岸国を回ってベネチアの戻る8日間。地中海はブース(イタリア半島)を挟んだ反対側である。(次回へ続く)


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船酔い

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 揺れた。初めてだった。イタリア半島の尻のような所に浮かぶ大きな島・シチリア島から乗客乗員約5、000人を乗せて地中海を8日間の旅のゴール・ローマに向かう船は、大きく揺れた。この時期には珍しいという嵐(低気圧)に見舞われたのである。




 船の揺れとは気持ちが悪いもの。「お父さん、沈没しないかしら?」。弥次喜多道中の女房が神妙な顔つきで言う。そう。船の揺れは車のそれと違って、船酔いにとどまらず、頭の何処かで「沈没」という最悪な事態を考えてしまうからだ。




 「お父さんねえ、この船、何処かで座礁して、船長が真っ先に逃げてしまってひんしゅくを買った、あの船会社の船よ。大丈夫かしら」



 「バカ言え。このくらいの時化で沈没するくらいなら太平洋や大西洋を航行する船だったらみんな沈んでしまうよ」



 「イタリアで豪華客船が座礁」。船長が逃げ出したから話題にもなった。思い出した。1年前だったか、2年前だったか、女房が言うように常識では考えられない、と言われる事故を起こした船会社の船。これまで私たちが乗った別の国の船と比べると、ずっと小振りだが、それでも114、500トン。フロアは11階。つまり、11階建ての大きなホテルが海を走っている、と考えればいい。


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 時化との遭遇は下船を明日の朝に控えた前の夜。約3、500人の乗客は下船に備え、荷物を整理、午前2時をメドに廊下に出しておかなければならない晩である。「私なんかヘイチャラよ」と豪語していた女房もバスルームに飛び込んでゲロゲロ。下を向いてスーツケースの整理をしていたのが悪かった。私のように、お酒を飲んでベッドにひっくり返っている人間はいい。



クルーズ部屋


 船酔いとは不思議。大きなレストランで美味しい料理を食べ、ビールやワインを飲みながら談笑している時は何ともない。2階分が吹き抜けで天井が高い上、1、000人近くを収容出来るスペース。不思議なことに揺れを感じないのだ。ところが夕食時、沢山の乗客が行き交う船内の天井が低く、狭い通路や客室では、もろに揺れを感ずるのである。



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 揺れが人間の平衡感覚を狂わせ、“酔い”をもたらすのだが、そこに置かれた環境や特に心理的なものが大きく作用する事は確か。「私は船酔いの薬を持って来ました」。そんな用心深い人ほど先に酔う。現に母娘連れで私たち夫婦と同じツアーに参加したお二人のうちのお嬢さんは、普通の人なら揺れを感じない時でも「船」と聞き、乗った途端から船酔い。それ用の薬を飲んだら落ち着いたという。




 そんな人ごとのように言っている私だって船酔いの苦い経験は一つや二つある。若い頃だった。甲府の居酒屋で深酒をし、そのまま静岡へ海釣りに。夜が明けるのを待って小さな船で沖に向かうのである。そこでは一点を見詰めて釣り糸を垂れる。その先はご想像の通り。釣りどころではない。もちろん帰りたくても帰れない。閉口したなんてものではない。そこで教わったのは「目の前の一点ではなく、遠くを見る」事だった。(次回に続く)




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パソコンは利口者(再)

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 「おかあさん、英語の辞書、どこへやった?」


 「そんな事、知らないわよ。お父さんの辞書なんでしょう。私なんか、英語の辞書なんて関係ないわよ。まったく・・・」



 そんな女房との会話を聞いていた娘が


 「お父さん、英語の辞書、何するの?」


 女房が女房なら、娘も娘。


 「バカっ、単語、調べるに決まっているじぁないか。こんな、コメント、入っているんだけど、分からない単語があるんだよ。お前分かるか」


キーボード



 夕食が済んで母親とお菓子をむしゃむしゃ食べながら、なにやら話していた娘が、晩酌を済ましてパソコンに向かっていた私の後ろに来て



 「ああ、それのこと。お父さん、この英文で分からないことがあったら、パソコンに翻訳機能 があるんだから、それ、使えばいいじゃない。いちいち辞書なんか引かなくたっていいんですよ。パソコンんて、お利口さんなんだから・・・」



 「へえ~、そんなこと出来るのか?」



 「お父さん、何にも分かっていないんだね」



 「バカっ、お父さんに分かるわけねえじゃねえか」と開き直ったら、茶の間にいた女房が



 「お父さん、分からなかったら素直に娘に教わればいいじゃない。すぐ、バカ、バカと言うんだから・・・。まったく・・・」


パソコン加工


 女房は事ある度に娘の弁護をする。その後につくのは「まったく・・・」である。それはともかく、娘がいくつかのキーを叩いたら5~6行の英文コメントはあっという間に和文に翻訳された。「おじさん、そんな事、当たり前だよ」と、このブログをお読みいただくお若い方々に笑われるかも知れないが、私にとっては「目から鱗」であった。




 その翻訳文は、私たちが学生の頃やってきた、ぎこちない訳し方だが、そこそこの日本語になっている。若者達が、といったら叱られるから、娘達と置き換えるが、辞書を引く習慣が失われていく現実がよく分かる。国語の辞書であれ、英語の辞書であれ、そういう自分だって、あの小さな文字をページで追うことが億劫になって、今では電子辞書。いわゆる字引ではなくキーを叩いているのである。


パソコン


 娘が言うようにパソコンと言うヤツは本当に利口者だ。視覚でなんとなく覚えていれば、変換キーで難しい漢字でも、そこに導いてくれるし、お目当ての字が見つからなければ手書きで入力すれば、その字を探してくれる。表計算だってやってくれるから、無し無しの頭を使わなくてもいい。それも絶対に間違えないのだ。英語だって同じだ。



 ただ、こんなに融通の利かないヤツもない。例えば「つ」と「っ」、「ず」と「づ」、これを間違えたら絶対に許してくれない。巷にいそうな人間の利口者とよく似ている。




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ダンススポーツの魅力

ゴルフ   パレット


 60半ばを過ぎても人間、やってみたいことはあるものだ。職場を退いて時間が出来たせいもあるのだろう。あれもやりたい、これもやりたい。やりたいことはいっぱいある。例えば、改めて毛筆も習ってみたいし、も描いてみたい。釣りや、仕事に追われ、思うように行けなかったゴルフも心機一転・・・。時間なら十分にある。だってじっくり読もう。




 ところが、これがみんなダメ。根っからの無精者のせいだろうか、明日から、明日からと言っているうちに、職場をリタイアしてから、あっという間に三年半が過ぎてしまった。手近かな読書がいい例で「よ~し、今度は・・・」と思って沢山買い込んできた本が机の脇に積みっ放なし。いわゆる「積ん読」である。人間の心理とは不思議なもので、積んでしまった本は興味が半減してしまうから、また新しい本を買う。「積ん読」の繰り返しだ。


本



 野球やサッカー、ソフトボールなどスポーツは、ハナから諦めている。メタボの人間が、その真似事だって出来っこないからだ。ただ、出来たらいいな、と思うものはある。現に60を過ぎた方でもおやりになっているスポーツもあるのだ。


大会1



 先頃、山梨市にある県立の体育館で開かれたダンススポーツ大会を観にいった。もちろん、無粋の上、自らがメタボ人間であることを自覚しているから、本気でやろうなどという不遜な考えもないし、特別の関心があったわけではない。この大会を主催する山梨県ダンススポーツ連盟の会長さんは、ユネスコの活動を通じて、もう40年以上の付き合い。そんな事を言ったら叱られるが「顔を見せてよ」と言われれば、嫌だとはいえない。
ダンス

 
 いわば義理で大会会場を覗いたのである。ところがどうだ。昭和61年のかいじ国体のバスケットボール会場にもなった体育館の中は、選手達の気迫や優雅さに満ち溢れ、見る者を圧倒、その魅力の虜になった。広い競技スペースで踊る十数組ずつの選手達、その周りで次の出番を待つ選手はもちろん、スタッフが取り囲む。観客だって少なくない。ざっと見ても7~800人はいるだろう。ワルツやタンゴの曲が会場いっぱいに響き渡る。


大会2



 気遣ってくれた会長や副会長の案内で来賓席へ。頂いたプログラムを見ると、午前10時から午後5時まで、昼食時間をはさんで競技スケジュールがびっしり。ラテンとスタンダードの二部門で、B級からD級、続くランクの1~6級の選手達が技を競うのである。スタンダード部門はワルツタンゴ、ラテン部門はルンバチャッチャッチャなどだ。


大会3


 知り合いの前会長さんの話によれば、スタンダードはかつてのモダンを呼称変更したのだという。大会名は山梨県大会を銘打っているが、事実上の関東甲信大会。地元山梨はもちろん、東京、埼玉、千葉、神奈川など各都県と一部東海の選手達が参加しているのである。特に、この大会では選手カップルの合計年齢が120歳以上スーパーシニア140歳以上ウルトラシニアの両選手権も併設。私たちと同年代、いや、それ以上の人達が颯爽と踊っているのである。女性は赤、青、黄色、ピンクのドレス、男性は燕尾服姿で。背筋がピーンと伸びていた。説明をしてくれた前会長さんは間もなく80歳。まだ現役だという。見るからにお若い。スポーツダンスの効果だろう。つい「俺も」なんて考えたくなる。



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下手の横好き(再)

花札


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チンコ、競馬は当たり前。マージャン、花札、チンチロリン・・・。ヘタなくせに、この勝負事が大好き。といってもここ1~2年、パチンコも競馬もとんとご無沙汰だ。凝るといったら聞こえがいいが、どちらかといえばはまるタイプで、ひと頃、毎週のように石和の場外馬券場に通ったことがある。




 「パチンコだの競馬だの、あんな馬鹿馬鹿しいこと、まだやってるの」

 親しい同級生から笑われた。





 「まだ、じゃあなくて、始めたばっかりだよ」と言ったら、「遅ボケだね」とまた笑われた。その仲間に言わせればこうだ。


 「俺も若い頃、競馬に凝って、薄っぺらの給料をみんなはたいちまった。帰りの電車賃がなくなっちまうんだよ。それじゃあ家に帰れないから、帰りの切符だけは行きの切符と一緒に買っておくんだ。結局、こんな馬鹿馬鹿しい事、ときっぱり足を洗った。あれほど凝った自分が不思議に思えるんだが、今じゃあ、関心もないよ」



「へえ~、そんなもんかねえ」



 遅ボケと言われたっていい。俺はとことんやってやる、なんて思いながら、コンビニから毎週、400円の競馬専門紙を買って来ては一心に研究?馬券場に通った。女房の蔑みにも似た冷たい目線を横目にしながらである。






 今にして思えば、この仲間の言う通り。馬鹿馬鹿しいと言うより、馬券場に行くこと自体も面倒になった。じちがなくなったのかもしれない。競馬にせよ、パチンコにせよ、およそ、勝負事というものは、その名の通り勝ち負けがあるから、のめり込むのだし、面白いのだ。もちろん、負けっ放しだったら、何をかいわんや、である。



 ただ、競馬やパチンコとマージャンや花札などは、遊び方そのものが根本的に違うのである。一方が自分ひとりの遊びであるのに対して、一方は仲間がいることだ。


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 「今日は何時から?」


 週末ともなればマージャン仲間からお誘いの電話が。こちらからも電話する。もちろん家庭もあれば地域もあるのだから、仕事や用事がないわけではない。しかし、毎日が日曜日の仲間達だから、すぐに面子は揃うのである。面子の中に、かたくなに「午前零時が限度」という仲間がいる。そんな時はいいが、そうでもなければ確実に午前様。




 「体も身のうちですよ」と、ひと頃はいぶかしがっていた女房も今では「言っても駄目」と思ったのか、さじを投げている。8時間、9時間は当たり前。時には15時間20時間の時も。面白い。時間がウソのように、あっという間に過ぎてしまう。




 さて、その勝ち負けだ。総じて上手なヤツが勝つのに決まっている。「お前はどっち?」。私はどうやら負け頭。不思議だが、人には勝負事に強い人間と弱い人間がいる。ちょっとしたジャンケン、編み蛇くじやビンゴゲームだってそうだ。理屈では計れない先天性のようなものを備えた人間がこの世の中には確実にいる。運の強い人間というのだろう。




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食文化の違い(再)

韓国


 日本のご婦人たちが追っかけまでした、あのヨン様ブームはどこへ行ってしまったのだろう。それとは別に、韓国からの日本へのお客さんは円高、,さらには致命的ともいえる福島原発災害が災いして激減、観光業界にも暗い影を落としている。地域によっては回復の兆しが出ているものの、東京の奥座敷と言っていい、山梨県の一大温泉地・石和温泉郷は、そのあおりを食ったままだという。


ヨンさま


 日本と一番近い国・韓国。顔も体形もそっくりだから、言葉をしゃべらなければ、その区別はつかない。でも、当たり前だが、習慣やモノの考え方はまるで違う。食文化だってその一つだ。




 つい先日だが、在日の韓国のご婦人と昼食をご一緒する機会があった。カレーを注文、カレーをご飯にかけたまではよかった。あっ、と思ったのはそれからだ。ご婦人は一緒についてきたポットの小さなラッキョウや福神漬けを載せ、やおらにかき混ぜ始めた。そのかき混ぜ方は、そんな簡単なものではなく、皿の中のカレーライスは、なんとも言えないグロテスクなシロモノに変身していた。


カレーライス


 それを見ながら、ふと、私たちが焼肉屋さんで食べるビビンバを思い出した。親しい甲府の焼肉屋さんのご主人がこんなことを言ったことがある。



 ビビンと言うのは韓国語で混ぜる、はご飯の意味だ。簡単に言えば、混ぜご飯。よく混ぜることが美味しく食べるコツなんです」



 そのご主人というか、社長はカネの器のビビンバを上手にかき混ぜた。よく見ると、やはりグロテスクだが、それほど違和感はない。ビビンバとはそういうものだと思っているからだろう。ところが、目の前のカレーライスはいかにもグロテスク。人間の食に対する概念かもしれないが異様に写るのだ。




 食文化の違いなのである。日本ではかき混ぜる食は少ない。納豆やとろろなど、かき混ぜることによって粘りを生ずるものくらいのもの。盛り付けられた料理を丸ごとかき回すことはない。日本の食文化は味や香り、風味、食感など、いわゆる口や鼻で味わうばかりではなく、目でも食べるのだ。だから、色や盛り付けにも工夫を凝らす。


日本料理2



 考えてみれば、日本料理ほど、繊細な食は世界にないだろう。世界の3大料理と言われるフランス料理、中国料理、トルコ料理。さらに韓国料理やロシア料理・・・。おしなべて、みんな大雑把だ。食べ方ばかりではない。食を盛り付ける器だってそうだ。例えば、フランス料理だって、器のサラも極めてシンプル。


中華



 箸。欧米では主にはフォークやナイフ、韓国や中国では箸を使うが、その箸はカネや竹。これもシンプルである。ところが、日本では、この箸まで凝っている。ホテルや旅館、料理屋さんでは凝った割り箸を使う。そればかりか、綺麗な紙の袋や紅白の水引をもあしらったりする。もちろん使い捨て。古くから衛生面を考えたものだろう。


日本料理


 しかし、この割り箸、ようやく見直されようとしてきた。自然保護、省エネの観点からだ。いわゆるマイ箸の動きである。でも、それによって食の文化が変わるわけではない。




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雪の下の大根(再)

大根


 一昨日降った雪を乗せていた木々が、綿帽子を落として軽くした枝を、初春の風に静かに揺らしている。庭の植え込みのあちこちには春の淡雪が冷たく光り、石の門柱の向こうに新しい雪をいただいて光る富士山が悠然と浮かんでいる。前衛の御坂山塊は雪の薄化粧を徐々に落とし、風交じりの逆光にうす黒くたたずんでいた。


雪景色



 私の家は上流に出来たダムの影響で流れを乏しくした笛吹川の高台にある。目線の下に不規則に浮かぶ住宅の甍はまだ残雪でまぶしい。いつもはやってくる小鳥は、今日は見えない。犬に引かれて散歩する老人が門柱の向こうをいつものようにのんびりと歩いてゆく。窓越しにボ~っと外を眺めていた私と目が合ったのか小首を下げて通り過ぎて行った。



 「大根、お宅にはもう無いでしょう。食べてください。あるいはお宅にもあるかなあ・・」


 門柱の前の小道の一段下がったところで、畑仕事をしていた近所の奥さんがニコニコしながらやってきた。両手に二本ずつ大きな大根を吊るしていた。畑といっても3畝足らずの小さな面積だが、ナスやキユウリ、トマト、白菜、ジャガイモ、ほうれん草など季節に合わせて何でも作っている。ご主人は私より3つ下の66歳だから、この奥さん、60歳を超えているのだろう。実家は非農家だというが、野菜つくりも手馴れたものである。



 「ここに嫁いでもう30年以上経つんですもの。お義母さんが生きている頃、手取り足取りで教わりましたからね」





 私が顔を合わすたびに「よくやりますね」と褒めると照れくさそうでいて、まんざらでもなさそうな顔つきでにっこり笑う。この時期、畑は大根など秋野菜の名残りと、ほうれん草くらいのもの。多くの農家は秋にいったん抜いた大根を土にいけて保存するのだが、この奥さんは抜かずに土や藁をかけて霜から守るのだそうだ。確かに大根は少しも傷んでいない。我が家も、今年、この奥さんに見習ってみた。


大根5



 桃の節句を迎えたというのに冷たい風がほほを刺す。



 「いつもいつもすみませんね」



 「いえいえ、そんなことはありません。いつも、お世話になっているんですもの・・・」


大根4


 そんな会話の後、しばらく世間話をしていた奥さんは「それじゃあ・・・」と言って、踵(きびす)を返した。そんな後姿に女房が「ちょっと待って・・・」と、声をかけた。



 「奥さんねえ、これ頂き物の京都の漬物なんですよ。ご主人と味を見てくださいよ」



「嬉しいわ。私、これが大好きなんですよ。でも、高い大根になっちゃいましたね」



 この山梨市の田舎から見れば都会だろう、サラリーマン時代、甲府に住んでいた頃にはなかった光景であり、会話だった。いつも≪普段着≫。素朴な会話、素朴な近所付き合いの中に言葉に表せない温もりがある。


裏道2  


 甲府から私の実家に戻って6年半。田舎生活を敬遠していた女房もすっかりとまでは行かないまでも地域に馴染んだ。野菜作りの手ほどきを受けたり、枯露柿作りも覚えた。逆に、食事会や趣味の講座への案内も。田舎の隣近所のコミュニケーションには味がある。




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ザゼンソウの神秘(再)

ザゼンソウ1


 「夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬・・・」

そう、あの尾瀬のミズバショウを唄った歌だ。日本人ならだれもが口ずさんだことがあるだろう。この歌の通り、尾瀬のミズバショウが花開くのは夏。私は尾瀬に行ったことはないので、写真のそれしか知らない。尾瀬はともかく、ミズバショウそのものを見たことがない人はかなり多いはずだ。ところがみんな知っているし、ずっと昔から馴染み深い花のような錯覚にさえ・・・。歌の魔力だろう。





 このミズバショウを彷彿とさせるのがザゼンソウ(座禅草)。開花期は夏と初春でまったく違うが、どちらもサトイモ科の多年草だから、ご親戚だろう。ミズバショウと違って、こちらは馴染みが薄く、恐らく見たことはおろか、名前すら知らない方も多いはずだ。そのザゼンソウが今、山梨県甲州市の小倉山の山麓で見ごろ。ここは甲府盆地の東北部、秩父山塊のはずれのような所で、竹森という地域だ。




 「ザゼンソウって見たことあります?実に神秘的な花なんですよ」


ザゼンソウ2



 山梨ロータリークラブでご一緒する仲間が例会の後、その竹森のザゼンソウ群生地に案内してくれた。車で行ったのだが、JR中央線塩山駅から北へ約5㌔、時間にして6~7分の所。いわば塩山駅とは目と鼻の先。眼下に塩山の街並みが見える。




 山あいの人家からちょっとそれて、駐車場らしい広場に車を停め、1~2分歩くと、ある、ある。ザゼンソウがいっぱい。杉木立の中を小川、いや、岩清水と言った方がいいが、その流れの両側にかなりの幅で、帯状に群生しているのである。その群生は山の頂に向かって2~300m延びている。




 岩清水が集まるこの山沢の湿地帯に群生しているザゼンソウは黄色いものもあるが、ほとんどが赤茶色。大きさは15cm前後。仏像の光背に似た形の花弁の重なりが真ん中の胞子を包むように咲いているのである。まさにザゼンソウ(座禅草)の名の通り、花の中で僧侶が座禅を組んでいるように見える。卵型のこの花は別名ダルマソウともいう。


ザゼンソウ3


 回廊のようにジグザグ延びる木造板の遊歩道で、しきりに望遠レンズのシャッターを切っていたアマチュアらしいカメラマンは


 「私たちは毎年、地元の甲州市に見ごろを問い合わせては東京からやってくるんです。華やかさこそないが、ひっそりと山あいの湿地で咲く、このザゼンソウに魅せられるんです。まさに、ひなびた山あいで座禅を組む仏様か観音様。なんとも神秘的な花ですよねえ」



ザゼンソウ4


 この群生地に程近いところに住み、毎朝、ランニングのコースにしているという仲間のロータリアン氏によれば、シーズン中、週末ともなれば大勢の見物客で賑わう。県内外からのお客さんを当て込んで茶店も出るほどだ。ザゼンソウの群生地は、栃木県の大田原なども知られているが、この甲州市の竹森は、自生地としてはわが国の南限。その意味でも貴重だ。



 ただイノシシが天敵らしく、周囲には弱い電流を流す細い鉄条網が張り巡らされていた。



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神頼みの心(再)

鳥居


 本当に祈っているのかと言うとそうでもない。それでは祈っていないかと言うと、それも違う。頼みごとも同じだ。先頃の初詣や、普段、旅行などで寺社、仏閣に参拝した時の心の内だ。神様を信じているとか、いないとかではなく、なんとなく手を合わせ、なんとなく賽銭を投げて、手を合わせている自分に気付く。私だけだろうか。


おみくじ

 ズボラではないとは言い切れないのだが、私自身、そんなにもズボラではないと思っている。だが、はたまた、日常の生活の中で、身近にある神棚に向かっても、これとまったく変わりない自分に気付いて「おれって、ちょっとヘンかな」と思ったりすることがある。そんな私と比べ、女房は毎朝と言えばウソになるが、よく仏壇と神棚に水を上げ、手を合わせている。だから、私だけがおかしいのだろう。



 そんな私でも、神棚の祭り方でずいぶん迷ったことがある。勤めを定年で辞め、甲府から山梨市の実家に戻る時のことだ。私の実家は祖父の時代に建て替えたという築80年以上の昔風の田舎家。大きい事は悪くはないのだが、幾つもの部屋という部屋はみんなふすまや帯戸一枚の仕切りだけ。住みにくいことこの上ない。


障子12



 このふすまなどを取っ払えば、一つの大きなホールになってしまう。その上、天上が高いから、夏場はいいのだが、冬は寒くてしょうがない。そこで、女房とも相談、一部を生活し易いようにリフォームした。居間とキッチンはカウンターを隔ててワンフロアーにし、さらに、そこと、ひと続きの所に書斎とベッドを設けた。つまり、キッチンを伴う居間と、寝室として区切らないベッドと書斎のある部屋は4本の引き戸で自由に開閉できる、文字通りのワンフロアーにしたのである。




 もちろん、それはそれでいい。ところが、はたと困ったのが神棚の取り付け場所だ。神棚の置き場所にはいくつかの条件があるのだそうで、その一つは方角。南、または東向きにし、北、または西向きにはしないのだという。もう一つ、神棚の下を人が通り抜けしないところを選ぶこと、だそうだ。もちろん目線より高い所であることは当然である。


神棚


 そんな所は、いっぱいある、とお思いだろう。ところが、この幾つかの条件を満たす所は、あるようで、ないものだ。夏、冬の冷暖房のためのエアコンだって取り付けなければならないし、部屋全体の調和や美観だって考えなければならない。当たり前のことだが、神棚に足を向けるわけにはいかない。人は寝る時、北枕はしないから、その足側、つまり、その西、または北、南はダメ。そこに方角の南、または東向きの条件が絡むのだ。こう書いている本人だってこんがらかってしまうのだから、お読みになる方はなおさらだろう。


1



 人によっては、そんな事どっちだっていいだろう、と言われる方もおいでだろうが、いざ自分のこととなると、案外、縁起や風習に拘るもの。結局、幾つかの条件に適った所は、たったの一箇所だけ。それも、大きさを考えないと全体の調和が取れなかった。神棚の拝殿?には天照皇大神宮の分厚いお札。地域の道祖神や氏神様のお札も。女房は何か頂き物をしたりすると、仏壇と共にお供えしている。言葉には表さないが、えらいいものだ。



神棚2



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不思議な歌

卒業証書


 「仰げば尊し」とか「蛍の光」という歌は実に不思議な歌だ。童謡や流行歌のように普段、口ずさむ訳でもなければ、ましてやカラオケで歌う歌でもない。宴会で、ほろ酔い気分でうたう歌でもない。卒業式など一生のうちでも極めて限られた時にしか歌わないのだ。特に「仰げば尊し」は、卒業式以外では絶対に歌うことはない。その卒業式だって6・3・3制、つまり小学校、中学校、高校の3回だけ。大学の卒業式で歌った記憶はない。在校生の立場で、聞くことはあっても歌う事は、6・3・3制の卒業式の3回だけなのだ。




 それでいて多感な時期の子供達や、その子供達を教えた先生達の胸を熱くし、涙まで流させる。私も一緒だが、母校の日川高校の卒業式に招かれて胸を熱くしたという同窓会の役員氏のように70歳を遠に超えた人たちまで、その世界に引っ張り込むのだ。




 根っからに音痴な人間に歌の講釈をする資格もないし、するつもりもない。でも、歌とは不思議だ。一生の内でも二度や三度しか歌わないのに歌詞やメロディーをいつまでも忘れない。そればかりか、その時代、その時代の想い出を蘇らせるのである。もちろん、歌とは、おしなべて、そういうもの。だが、「仰げば尊し」は広く年代とか、世相を反映するのではなく、学舎を舞台にした友の顔や恩師の顔など子どもの頃の三年間であったり、六年間を見事に蘇らせてくれるのだ。




 ただ、近年、この「仰げば尊し」や「蛍の光」を歌わない学校が増えているというから寂しい。少なくとも私の地元の小学校では、もうかなり前から子供達に歌わせていない。国歌「君が代」も含め、“進歩的な先生方”のご指導があるかどうかは定かではないが、オジサン達にはちょっぴり残念だ。師(教師)に対する感謝の念を教え、学舎との別れを惜しむ。広い意味での道徳を軽んじたら…。


日川高校2



 飛躍するかも知れないが、「先生と生徒・児童は同じ目線で」、そんな風潮が学校や教育を壊す引き金になっていないか。子供達に先生を敬い、親を敬う心を教えなかったら…。学校や家庭内の暴力、果ては我が子の非をそっちのけで、ことある度に学校に押し込むモンスターピィアレント。知らぬ間にそんな親を作くっていないか。先生がそのスタンスとして、子供達を思いやり、その“身の丈”にあった目線から教育を考える、そのことが悪いと言っているのではない。ちょっとしたことだろうが、何処かで歯車が狂っていないか。




 「今日の卒業式、爽やかだったねえ。学校側のきちっとした姿勢。それと同じ生徒達の態度。感動した。胸にこみ上げるものがありましたよ…」


 日川高校ほか+011_convert_20110428212323


 母校・日川高校の卒業式があった日。体育館での式の後、校長応接室に戻った来賓の何人かが期せずして、こんな感想を漏らした。それほど厳粛で爽やかな卒業式だった。卒業生275人の名前がクラスごとに一人一人呼ばれ、その代表に校長から卒業証書が。校長はモーニング服に威儀を正し、式辞を述べた。この辺までは何処も同じだろう。名前を呼ばれて爽やかに返事を返す生徒達。式次第の節々で行う起立と礼。その礼節ぶりが式場に厳粛さを醸し出していた。校長は「使命感に燃えた輝く若者であれ」と、餞の言葉を贈った。




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「仰げば尊し」

  日川高校卒業式2


 卒業式には、やっぱり「仰げば尊し」の歌がよく似合う。卒業生は、過ぎてみればアッという間の3年間だったり、4年間、6年間だが、恐らくその一コマ一コマを昨日のことのように思い浮かべながら、歌うのである。それを聞く大人達も自らの“その頃”を重ね合わせて感慨に耽る。歌う者、聞く者が理屈抜きに一体になる瞬間である。




 3年なり、6年なりの学舎(まなびや)の期間は同じでも、その中味は、みんな違うのである。大げさに言えば、人それぞれに固有のドラマがあるのだ。一生懸命勉強した者もいれば、クラブ活動や生徒会、児童会活動に打ち込んだ者もいる。それとは逆に遊びほうけた人だっている。そのどちらにせよ、それぞれの学園生活があったのだ。そこには共通してクラスメイトという名の同級生がいて、先輩や後輩がいた。


高校生


 今年も母校・日川高校の卒業式に招かれた。山梨県の県立高校の卒業式は、毎年3月1日と決まっていて、それぞれが一斉に開く。式もいよいよ大詰め。在校生代表の「送辞」、卒業生代表の「答辞」。代表はいずれも新旧生徒会の会長だろう。送る側、去っていく側のエールの交換が済むと、いよいよ卒業式はクライマックスを迎える。卒業生は「仰げば尊し」を歌い、「我が師の恩」に感謝。在校生は「蛍の光」で先輩に別れを告げるのである。




 同校は、この「仰げば尊し」をプログラム(式次第)で「式歌」と位置づけていた。式の冒頭の「国歌斉唱」も憚ることなく、しっかりとプログラムに位置づけて「君が代」を歌う。主役の卒業生も、送る側の在校生、教職員、同窓会やPTAなど来賓も姿勢を正して歌うのである。



日川高校卒業式



 「私ゃあねえ、『君が代』で厳粛に始まる卒業式の雰囲気が好き。卒業生が3年間の学園生活への感謝の気持ち、感慨を込めて歌う『仰げば尊し』や在校生の『蛍の光』を聞くと、胸が熱くなるんですよ。この歳になって、ちょっと格好悪いが涙がこみ上げて来て仕方がないのです」




 隣にいた先輩格の同窓会役員氏は、こんなことを言った。この先輩氏、高校時代はハンドボールの名手。山梨県の覇権にとどまらず、インターハイや国体で優勝旗をかっさらう原動力になった全日本級の選手。日川から早稲田に進み、大学ハンドボール界でも名を成した武闘派である。




 「仰げば尊し」や「蛍の光」は、そんなモサをも涙させる魔力を秘めているのである。3年間の学園生活を振り返りながら「…♪学びの庭にも早幾とせ…♪」と歌う卒業生の目に涙が光っていた。卒業生と在校生の歌によるエールの交換の後は来賓や父兄を含めた式場にいる全員が起立。「天地の正気甲南に籠もりて聖き富士ヶ嶺を…」(一番)で始まり「猛き進取の調もて 歌ふ健児の精神(まごころ)は白根が嶽にこだまして、何時の世までも轟かむ」(四番)で結ぶ校歌を歌うのである。


 伴奏は生のブラスバンドだから迫力がある。同校の校歌は明治34年の創立以来、112年間、一貫して同じ校歌を歌い続けてきた。学制改革を機にほとんどの高校は校歌を変えた。日川のように旧制中学から歌い継がれている校歌は珍しいという。親子3代、親子4代が一緒になって歌うのである。(次回に続く)


日川高校ほか+010_convert_20110430202245


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座敷の雛飾り(再)

雛人形2


 「灯りを つけましょ ぼんぼりに・・・」

この間、節分、立春を過ぎたと思ったら、もう雛祭り。今年も女房が奥座敷に七段飾りのお雛様を飾った。一人娘が生まれた時、義父母、つまり女房の親から贈られたものだ。もう40年も前のことだ。でも少しも痛んでいない。サラリーマン現役時代、甲府に住んでいた時分は家が狭かったから、そこで飾ることもママならなかったが、今はスペースに事欠かない。こんな時は田舎家はいい。心なしか一つ一つのお雛様ものびのび、生き生きしているように見えるから不思議だ。



雛人形



 娘が生まれたのは昭和45年10月。この年は作家・三島由紀夫が東京・市ヶ谷の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で壮絶な自決を図った年。このショッキングな事件は娘の誕生の一ヵ月ちょっと後だったので鮮明に覚えている。私が28歳になろうとしている時だった。今の娘の年よりずっと若かったことになる。




 41年という歳月。あっという間だった。光陰矢のごとし。雛飾りを眺めながら、しみじみとこの言葉を実感した。ふと、周りを見れば、この雛飾りを贈ってくれた女房の両親と私の親父もとっくに他界。唯一残っていたおふくろも96歳の今年、この世を去った。晩年は自力での生活は困難になって、病院にお世話になっていた。認知症の症状が進んでもいた。主役の娘ばかりではなく、私たちにもこの雛飾りにはさまざまな思い出がいっぱい詰まっているのだ。お袋にとっては昨年の雛飾りが最後だった。


雛人形3


 田舎でも住宅構造は、どんどん変わり、合理的で、コンパクトな間取りになったので雛飾り、特に大型の雛壇飾りはしにくくなった。だからなのか、訪ねて来る近所の人や女房も含めての友人、知人はみんな自分の事のように大喜びするのだ。そこにはそれぞれの子ども達や自らの若かりし頃の思い出をオーバーラップしているのだろう。その一つ一つの顔は歳をとっても純真そのものである。
 その一人が言った。


「俺のところは男の子。毎年、端午の節句には鯉のぼりと武者のぼりを立てるんです。のぼりを立てるための竹竿が痛んでしまったので、知人にお願いして竹やぶから太い立派な竹を何本か頂いて来た。準備は万端。大きな鯉のぼりが今年も五月の風に泳ぎ、それを上回る武者のぼりがはためきますよ」


鯉のぼり



 自分の事のように嬉しそうだった。他の地方のことは分からないが、山梨では端午の節句に鯉のぼりと共に武者のぼりを立てる。文字通り武者絵をあしらったのぼりで、その丈は10m近くもある大きなものだ。鯉のぼりだって大きい。だから、それを支える竹竿だって、よほど太く、頑丈なものでなくてはダメ。市販の金属製のものだと風の圧力に負けてしまうのだそうだ。杉などの木を使う人もいるが、弾力のある竹の方がいいという。




 女の子にせよ、男の子にせよ、子どもの健やかな成長を願わない親はいまい。桃の節句、それを追っかけるようにやってくる端午の節句。そんな機会に大人たちも自らの子どもの頃を懐かしんでみるのもいい。しかし、我が家もそうだが、一人っ子が気になる。私の兄弟は4人だった。すでに結婚した甥、姪達には「子どもはたくさんがいい」と言っている。自分が歳を取ったらよく分かる。

雛祭り



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プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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