水(再)

 「空気や水のよう」。私達は日常生活の中で、よくこんな言葉を使う。あって当たり前で、その大切さが分からないことの例えだ。しかし、その水が都会にお住まいの方々ばかりでなく、私のように田舎暮らしをする者ですら、時にお金を出して買う時代になっている。ブランド名はともかく、どこのご家庭の冷蔵庫にも一本や二本、水のペットボトルが入っているだろう。遊び感覚だが、富士山頂などでは「空気の缶詰」も売られている。


空気の缶詰


 水代わりのお茶もそうだ。山梨では葬式の香典返しにお茶を袋で引くケースが多く、お茶なんかいっぱいあるのに、ペットボトルのそれを買って飲むのに抵抗感すらなくなった。女房に「もったいないじゃないか。あれ使えよ」と言った自分も、いつの間にか平気になった。  いつもお邪魔する仲間の家のマージャンルームには家庭用のものをちょっと小型にした冷蔵庫がポツーンと置いてあって、中には清涼飲料がいっぱい入っている。もちろん、コーヒーや各種のジュース類もあって、水やお茶ばかりではない。ペットボトルやカンは便利だ。お茶にしてもわざわざお湯を沸かさなくてもいいから気軽である。





 この仲間はそのお茶やコーヒー、ジュースを自動販売機で売る清涼飲料水販売会社のオーナーである。何台もの車や大勢の従業員を使って、県下各地に設置している系列の自販機を巡回して中の飲料水の管理や集金をしているのである。パチンコ屋さんなど設置場所がいいところに当たれば、一般では考えられないような売り上げをするのだそうだ。お茶やスポーツドリンクなどと並んで水もよく売れるという。

水


 全く別の仲間だが、いつか、こんな愚痴を言ったことがある。


「俺達が汗水たらして売る牛乳は水より安いんだよ。全く、やっていれねえよ」



 この男は富士山の西山麓にある冨士豊茂という所で、牛を何頭も飼う酪農家だ。富士山のすぐ麓だから夏は涼しいが、冬ともなれば一面の銀世界。凍てつく、という言葉がぴったりの寒さの中に巻き込まれる。




 草がある夏場のうちにサイロに牛達の餌になる枯れ草を確保して越冬しなければならない。牛との生活だからハエだつてブンブン。汚いだの、うるさいだのと言ってはいられない。冨士豊茂は山梨県でも最も大きい酪農基地。八ヶ岳山麓の田舎町からここに婿養子に来た男だから、まさに水は空気のようなもの。今の自分の苦労と重ね合わせるから「水が牛乳より高い」現実に割り切れないでいるのも無理はない。


牛乳



 県外から山梨に来たお客さんが新聞などのインタビューに応えて「水が旨いし、空気が旨い」と口を揃えるように言うのを聞くと「なんとキザな」と感じたものだ。しかし、いったん東京など都市部で暮らしてみると、そのことが逆の立場からよく分かる。




 確かに旨い。キザでもなければ、お世辞でもない。たかが、甲府から山梨市の実家に戻っただけでもそれを感じるのだ。しかしその水、旨い、旨いと有頂天になってばかりではいられない。例えば、水道水。最近、滅菌用の塩素が強くなったような気がするのだ。




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≪健康欲≫で食べる(再)

 頭で食べる。決して進んで食べたいと思っているわけではないが、食べているものがある。その一つがゴーヤだ。この付近では「ニガウリ」ともいう。女房は「体のためにいいんだそうですよ。沖縄の人たちが長生きするのもゴーヤや豚肉の料理を沢山食べるからだそうよ」と、いかにも知ったかぶりに言いながら、このゴーヤ料理を出してくれるのだが、私にとってお世辞にも旨い、とは言えない。


ゴーヤ


 我が家では卵や豆腐などと炒め物にして食べる。独特の苦が味と食感、進んでは食べたくないシロモノだ。しかし、何も言わずに食べている。それも全部である。健康のため、という≪欲≫のためだ。酒のつまみにめざしを出させたりする。近くにJAの直売所があって、そこに、ちょっと乾燥気味の旨いヤツが売っているのである。





 これも、健康、という≪欲≫のためだ。ゴーヤもそうだが、栄養的にどうのこうのと知っている訳ではない。若い時は、食べ物に、健康などということを考えなかったが、60歳も半ばを過ぎると、そんなことも考えるようになるのである。苦い薬でも我慢して飲むように、年齢を重ねれば重ねるほど健康への欲が優先するのかもしれない。





 食卓に上るゴーヤはすべて我が家の自前。ゴーヤばかりではない。春先のこかぶやエンドウ、春菊、夏場のタマネギ、ジャガイモ、トマト、ナス、キュウリ、インゲン、秋のサツマイモ、大根、サトイモ、冬場のほうれん草などみんな自前である。今、食べているカボチャやモロヘイヤもそうだ。百姓の真似事をするようになって、野菜は買ったことがない。


野菜



 高さ約2m、長さ15mぐらいの三角屋根のような棚の両側斜面に張ったネットにゴーヤは今も青々とツルを張り、実をならしている。ほぼ同じ頃に植え付けしたキュウリやインゲンは、もう完全に枯れ、トマトももう駄目。ナスもひところの勢いを完全になくしてしまった。




 キュウリと違って、表面がトゲのようにごつごつして、グロテスクなゴーヤ。いかにも逞しい。その生命力が、それを食べる人間にもいいのだろう。知らなかったが、モロヘイヤも逞しさでは負けない。私の身の丈ほどにも大きく繁茂したモロヘイヤはイメージとは大違い。





 子供の頃、地元の岩手小学校の先生をしていて、今も親しくさせて頂いている知人から頂いたものを植えたものだ。最初は園芸用のポットに植えられた20本ぐらいだったが、若芽のように小さいが故に、グングン伸びるカボチャのツルに覆われて、ほとんどが消滅、残った数本だ。おしたしのようにして食べるのだが、そのネバネバ感が人の健康欲をそそるらしい。これも、ゴーヤと同じように決して旨いものではない。




 三角屋根のようなツル物の野菜作りの棚は、骨組みを竹で作っている。ホームセンターに行けば手軽に組み立てられるパイプ状の材料が手に入るのだが、私は自前の竹を使うことにしている。竹は冬場の12月ごろに切ったものがいいという。虫が入らないのだそうだ。近所の人や知人、先輩に教わりながら、一つ一つ自分のものにしたいと思っている。




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桃太郎の生みの親は白鳳?(再)

桃太郎


 桃太郎が生まれた桃は「白鳳」だった?
 月に一度、定例的に開いているユネスコ関係の友達の無尽会で、お酒を酌み交わしながら、桃作りをしている仲間の話を聞いていて、つまらぬ事を≪発見≫した。この人は甲府盆地の一番東側の山付き、というより土地が肥沃な扇状地の笛吹市御坂町という所で桃作りをしている。



 御坂町は映画、講談の「清水次郎長伝」に必ず登場する悪役・黒駒の勝三の生誕地だ。そんなことはどっちでもいい話だが、彼はこの町では名うての篤農家。この人の話によれば、数ある桃の品種の源流品種といっていい「白桃」と「白鳳」の違いの一つに果肉と種がはなれ易いか否かがあるという。



 「白鳳」は、「白桃」が果肉と種がしっかりくっついているのに対して、それがはがれ易いのだそうだ。桃太郎伝説は、山に柴刈に行ったおじいさんとは別に、川へ洗濯に行ったおばあさんが上流からどんぶりこ、どんぶりこと流れて来た桃を拾って割ってみると、中から大きな男の子が出てきたというご存知のお話である。



 このとき、桃がパックリ割れないとこのお話は、うまく後に繋がらないのである。酔っ払って、たわいもない事を言っているじゃないよって? その通り。どっちでもいい話である。 桃太郎さんはさておき、白鳳と白桃の2系列を源流とした桃は、品種といったらさまざまで、その数は50を超すという。


桃



 町の果物屋さんやスーパーではほとんど「白鳳」「白桃」としか表示していないから消費者の皆さんはご存じないかも知れないが、その桃にはみんな○○白鳳、○○白桃といった具合に名前がついているのである。特に白桃に品種の数が多い。特によく知られているものの一つに「浅間白桃」がある。「浅間」とか「日川」「山根」というように山梨県の地名をとったものが多い。




 御坂町の篤農家さんによれば、日本の桃の原点は中国の水蜜桃。これが日本の風土に合わせて改良されて、比較的早生品種の白鳳の流れを作っていった。この論理からすると、元々は白桃が改良されて白鳳が生まれたことになる。とにかく白桃を中心に桃の品種が多いということは、改良に改良を重ねた先人達の苦労があったことを意味する。




 暑さ、寒さも彼岸までという。あの信じられないような猛暑がいつの間にか去って、季節は名実共に秋。山梨の果実峡であるこの地方は桃のシーズンに終止符を打って、葡萄の季節に移行した。一口に葡萄といっても、さまざま。白鳳の後、つまり、比較的奥手の白桃系の桃と収穫がオーバーラップするデラウエアー種から始まって、人気の巨峰、ピオーネ、甲斐路など、大房系の葡萄へと移行した。


葡萄



 これにネオマスカット、べリーA 、甲州種など、これまでに挙げたポピュラーなものを中心に品種の数は多い。在来種は甲州種ぐらいのもので、ほとんどが外国品種との改良品種である。ただ、桃と違うのは食べてみなくても、その形状、色などで素人でもすぐに区別がつくことだ。とにかく、この地方の実りの秋は、まだしばらく続く。




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個人情報保護法の怪(再)

 「お父さん、駄目、駄目。これ、賞味期限が切れてるよ」

食卓に並んだプリンを食べようとしたら、自分のプリンの容器を何気なく見た娘が言った。


プリン


 「大丈夫だよ。傷んでいる訳じゃないんだから」と言ったら、一緒にいた女房までが「駄目、駄目」と、まるで汚いものでも見るような目つきで言う。賞味期限も、消費期限もみんな同じ。黙っていれば、プリンは残飯入れへ一直線だ。もったいない話である。




 「期限」という文字に人が異常に反応するようになった。よしんば、消費期限が切れたからといってすぐ食べられなくなるという訳ではないのに。おっと、これは生産者の立場で言ってもらっては困るのだが、実際には食べることが出来るのである。賞味期限とは、その商品を美味しく食べられる期限を言っているのに「食べられない」と受け取ってしまう。

卵



 商品にさまざまな表示をする。そのことはいいことだ。特に安全を真っ先に考えなければならない食品の場合、ことさらだ。しかし、今の私達は自分の舌や鼻を忘れてしまっていないだろうか。こんな表示が無かった時代、誰もが自分の舌や鼻で、それが食べられるか、食べられないかをきちっと判断した。




 ところが、いつの間にか、表示に頼りっきり。もしスーパーなどの店頭に賞味期限はおろか、消費期限切れの商品でも並んでいようものならきっと大騒ぎだ。物事をあまり考えることをしないまま、すぐに反応してしまうのである。




 例えがちょっと飛躍するかもしれないが、個人情報保護法というヤツもそうだ。普段、法律などに無頓着な国民が、なぜか、これには異常に反応する。昨夜、あるロータリークラブのホームページを検索したら、会員や役員部分はロックされていた。見られて不都合なものなら、初めから載せなければいいのだが、そこまで気配りしている。




 こんなことならまだいい。学校現場では、個人情報保護を理由に、子ども達の緊急時に使う連絡網の一覧表を廃止してしまったところがいっぱいだという。子ども達の名前や電話番号が明記されるからいけないのだそうだ。同好のグループや公私を問わず組織の中でも、誰かがその≪錦の御旗≫を持ち出すと会員名簿は消えてしまうという。


人々2



 役所も、何でもかでも、個人情報保護の一点張り。空き家バンクの制度作りに奔走していた、ある宅建業界の役員が地域の空き家の実態を役所に調べに行ったら、この法律を盾に門前払いだったという。また交通安全協会の役員の場合、無事故無違反者を表彰するため、その資料を得ようとしたら、警察もやっぱり同じ。例は挙げ出せば限がない。




 人間が善良で円滑な市民生活をするために設けるルールが法律だ。第一、私達が日常生活の中で、法律を考えたり、意識してから行動することはまずない。普通の社会生活を営んでいる限り、現実には法律は空気みたいなものだ。五万とある法律の中で、これほど国民がヒステリックに反応を示す法律はないだろう。確かに、プライバシーの保護は大事だ。しかし、法の精神とは別に行き過ぎた解釈やむやみな反応は、人々の生活を阻害する。




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おかんなりさん(再)

 鬼がトラの皮を肩からまとい、首に数珠のようにかけた太鼓を叩いている。鬼だから二本の角を出しているが、決して怖くはなく、笑っているようで実にユーモラスだ。雷さま、雷神の絵である。誰が書いたのか知らないがうまく表現したものだ。


雷さま



 その雷が今年はやけに多いような気がする。こうしてパソコンを叩く窓越しの闇に稲妻が走ったかと思うと、間髪をいれずにゴロゴロっと雷鳴が響き渡る。その次に来るのが雨だ。真っ昼間の雷鳴だってある。



 物事にハマルとは不思議なもので、畑にいても直感的にパソコンのデータが気になる。いつも野良着のズボンに押し込んでいる携帯電話で家にいる女房に連絡してパソコンの電源を落としてもらうのである。



 今のことだから、雷へのガードぐらいしてあるのだろうが、そんなことがよく分かっていないアナログ人間は電源を切らなければ不安なのだ。「どっちみち使わないのだから、外に出るときぐらい電源を落としておけばいいのに」と、女房は言うが、そこがズボラ人間の成せるワザだ。



 この雷、日本人は、なぜか敬語をつけて呼ぶ。「おかんなり」「かみなりさん」。さらに頭に「お」を、尻に「さん」を付けて「おかんなりさん」とも言う。童謡であり、文部省唱歌の「富士山」では、その一節で「雷様」と歌っている。インターネットで調べてみたらこの歌の作詞は 巌谷小波という人だそうだ。



 ご存知、歌詞はこうだ。


     「あたまを雲の上に出し 四方のお山を見渡して 雷様を下に聞く 
冨士は日本一の山」


富士山  


 富士山は3,776m。「雷様を下に聞く」のだから雷は少なくと 3,700m以下の所で発生することになる。ちなみに富士山の高さは「ミナナロウ富士山のように」と覚えればいい。いい歳して馬鹿なこと言ってるじゃないよ、と言われるかも知れないが、飛行機の上で雷を聞くことはない。ところで、雷をどうして敬語で呼ぶのだろうか。昔から怖いものの例えで「地震」「雷」「火事」「親父」という。語呂との絡みもあるのだろうが、雷は地震の次だ。雷神という言葉があるように人々が恐れ、慄いた存在であった証だろう。




 もう一つ。私にはそれを科学的に説明することは出来ないが、昔から農家の人たちは「雷が多い年は豊作だ」と言った。その根拠は雷が空気中に窒素を合成するからだそうだ。ご存知、窒素はリン酸、カリと共に植物の3大栄養素の一つ。それを只で作り、五穀豊穣をもたらしてくれるとあったら、やっぱりありがたい神様だ。



 雷の次の「火事」は別として、「親父」はそんなに怖い存在だったのだろうか。地震や火事ほどではなかったが、やっぱり親父は怖かった。しかし今の親父はどうか。威厳がなくなっているどころか、うかうかしていたら子供に金属バットで殺されかねない時代になってしまった。親父が「おかんなりさん」を落とせなくなったのである。




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屋根の上の猫

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 「あれ、うちの猫じゃない。あんな所を歩いているわ」



 畑仕事を手伝ってくれていた女房がびっくりしたように言った。「うちの猫」と言うが、正確に言うと、我が家に住み着いた「野良」だ。お隣の家の屋根の上を我がもの顔で悠々と歩いているのである。




 お隣の家といっても山梨市の片田舎のこと。都市部と違って軒を並べているわけではない。そこそこ広い畑を挟んでいる。ナス、キュウリ、トマト。私たち夫婦は夏野菜の植え付けをしていた。夏大根の種蒔きも。ジャガイモはもう一回目の土寄せをする段階になっている。夏野菜ばかりでなく、サトイモやトウノイモ、サツマイモなど秋野菜の植え付けもした。サツマイモは「植え付け」とは言わず、「挿す」という。種芋から出た茎を切り取って盛り土に挿しておけば秋には立派なイモを付けてくれるのである。


サツマイモ3


 まだ5月の半ばと言うのに今日はやけに暑い。二人がまるで申し合わせたように額の汗を拭いながら顔を上げた時、目線の先にいたのが我が家の野良。たまたまその近くで働いていた隣の親爺さんはこちらの方を向き、ニコニコしながらぺこりと頭を下げた。「よくお稼ぎになりますね」と言いながら我が家の畑に歩み寄って来た。




 この親爺さん。私とひと回り違う午年の生まれだから今年81歳になる。自ら「腰痛の持病持ち」と言いながらも立派な桃や葡萄を作る。私たちの目線を追って自分の家の屋根の上を見た親爺さんは、優しそうに顔をほころばせてニッコリ笑った。


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 「うちの猫、いつもお宅で遊んでいるんですか? いたずらしていたら叱って下さいよ」


 「いやいや、いたずらなんかしませんよ。でも猫はいいですよねえ。人間と違って、何の垣根もなく自由奔放に何処でも歩けるんですから。可愛いもんですね」


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 私と同じように、どちらかといえば、この親爺さん、あまり動物好きには見えないが、奥さんは人一倍の動物好き。大きな犬を飼っていて、いつもこの犬と話しをしているのだ。その会話が面白い。「おはよう。あら、今朝は元気がないじゃない。夕べよく眠れなかったの」「これ、美味しいんだよ。早く食べな」「うちのお父さん、腰が痛いんだって・・・」「今日は雨が降るかもしれないね」。その会話はまるで人間同士のよう。奥さんは75歳前後か。




 朝と夕方、決まった時間に散歩もする。この時も大きな声で犬と話をしながら歩くのだ。その様はいかにも微笑ましい。昨年、それまで飼っていた甲斐犬が老衰で死んだ。奥さんが憔悴したことは言うまでもない。その後、どこからか貰ってきたのが今の柴犬だ。「なかなか、なついてくれなかった」。気性が乱暴なのか散歩中に暴れ、ロープで引っ張りまわされて転び、怪我までさせられたことも。そんな犬も優しい、犬好きの奥さんには勝てないのだろう。いつしか従順になった。


裏道


 そんなお隣さんだから我が家の野良も遊びに行き易いのかもしれない。猫の行動範囲は意外と広い。現に300m、400m離れたお宅の飼い猫が我が家にもちょいちょい遊びに来る。用事でやって来た飼い主が我が家でハチ合わせ。「おまえ、こんな所まで来ているのか・・」。




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猫の言葉

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 我が家に棲み着き、それがきっかけで仲間を呼んだ?野良猫。その野良の行く先を先回りして避妊手術をしてしまった家(うち)の女房。手際のいい判断、処置のように見えた。ところが、どっこい。どうやら、それが裏目に出た。




 二泊三日の避妊手術の入院から帰ってきた野良は、確実に変わっていた。“女”で無くなったばかりではない。性格まで変わってしまったような気がする。それが証拠に、それまで一緒にいた仲間から毛嫌いされ、ソッポを向かれるようになったのである。


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 子供達ではないが、人間社会でいう仲間はずれだ。手術前までは恋人にも夫婦にも見えたペルシャ系の「白」。今は居なくなった「黒」も、まったくの“他人”行儀だ。相手にもしなければ、喧嘩もしない。それまでの、いわゆるジャレ合う光景もなく、無視。孤立させてしまったのである。




 その先は今風の子供のいじめと同じ。孤立したトラは、それに拍車を掛けていく。皮肉なことに、昨年の秋頃から押しかけて来た、同じような毛並みのトラは気性が強く、際だって仲間はずれにするのだ。女房が餌をやる時も一緒に食べるのを拒み、嫌がらせをするのである。




 「可愛そうにねえ。お前が一番先に、ここに来たのにねえ。あいつら、理不尽だよ…」


 女房は普段は許さない家の中に入れて、特別に餌を与えているのだ。でも、そんな“親心”も野良には通じない。次第に家にいる時間が少なくなった。この野良を「ピーコ」と呼んでいるのだが、女房は



 「お父さん、全く、ピーコは何処に行っているのでしょうかねえ。ご飯、食べているんでしょうか…」



 最近では三日も四日も帰って来ない日が珍しくなくなった。女房は、思い入れなのか、やたらと心配するのだが、私なんか、だんだん可愛げがなくなる。可愛いいだの、可愛くないの、と言った感情論はともかく、三日も四日も、いったい何処にいるのか。どこで餌を貰っているのか。



猫ちゃん+001_convert_20110509235701


 猫は犬(番犬)が嫌いだという。田舎故か、この辺りでは、この犬を飼う家が多い。しかも猫の行動範囲は、そんなに広くはないという。そう考えると「ピーコ」の行状が全く分からない。そんな疑問に女房は、こんなことを。



 「ピーコに聞いてみたらいいじゃない」


 「オレにゃあ、猫語が分からんのだよ」


 さて、その“猫語”。猫の世界には、猫でしか分からない言葉・猫語があるような気がしてきた。


 「オイ、お前、腹が減っているのか。餌をくれるオバサンがいるぞ。着いてこいよ」


 「あいつ、避妊手術をさせられたんだってよ。女じゃあねえんだよなあ」


 そんな会話を交わしているのかも。でも本当の主が私とは分かっていないらしい。




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吾輩は猫

 時には仲間喧嘩もしないでもないが、結構、友達とも仲良くする。暑さや寒さも平チャラ。精神力も逞しい。その上、社交的。どこへでも、どこの家にでも気軽に行き、おやつやご飯も戴く。屈託などまるでない。愛嬌だってある。だから可愛がられるのだろう。

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 これは人間様ではない。その吾輩は、猫である。昨年、一匹の野良猫が住み着いたのをきっかけに、我が家には野良や近所の飼い猫が集まるようになった。畑仕事が暇な時、こうしてパソコンを叩いている窓越しには、いつも決まっていくつもの猫がやって来る。そのうちの何匹かが我が家の軒先に住み着くようになった。押しかけ女房ならぬ、押しかけニャンニャンだ。最初の野良猫が≪道筋≫をつけたことは言うまでもない。いつか知らぬ間に3匹に。みんな我が家の家族を気取っている。その手助けをしたのは、紛れもなくうちのかみさん。いつの間にか「キャッツフード」と書かれた大きな袋を買い込んで来た。ホームセンターからだろう。昔の猫なら喜んで食べたはずの、めざしの頭や食べ残しの魚には見向きもしない。今時の猫は贅沢極まる。「猫メシ」と言って女房はバカにするが、私は今でも時々、ご飯に味噌汁をかけて食べる。うまい。だが、これにもそっぽを向くのだ。




 猫の種類など、からきし分からないから、正確に表現することが出来ないが、先陣を切ったのは虎模様のメス。「ミーコ」と名付けてやった。二匹目は白で、顔は茶色と黒。ペルシャ系か。三つ目は真っ黒。「クロ」と呼んでいる。白いヤツは「シロ」「シロ」と呼ぶようになった。共通しているのは、みんなそれなりに「品」がある。贔屓目なんかではない。野良猫にはとても見えない。第一、愛嬌がある。野良猫特有の鋭い目つきではない。


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 「お父さんねえ、これ、みんな飼い猫だったと思うわよ。野良猫だったら、こんなに人間になつかないわよ。かわいそうに。捨てられたのかしらねえ・・・」


 「そうだよなあ。ここが住みいいということかもしれんな。まあ、何かの縁だ」




 かみさんとそんな話をした。前にも書いたことがあるが、私はかつて野良猫と≪付き合った≫経験がある。職場を退いて現在の山梨市の実家に戻る前のサラリーマン時代、甲府の自宅に住み着いた野良猫だ。縁の下で3匹ぐらいずつ子どもを生んでは育て、世代交代していく。つまり、やがては内一匹だけを残して親も子も、どこかに消えてしまうのである。この間に人間への警戒心だけは徹底して教え込んでいるのだ。餌をくれる女房ですら本当には信じ切っていない。そのことはあらゆる仕草から見て取れる。


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 その頃は仕事で忙しく、野良猫なんかにかまっていられなかったし、ましてや観察している暇もなかったのだが、親は幼い頃から子供に人間への警戒心を叩き込んでいたことだけは確かだ。まさに「雀百まで踊り忘れず」。そんな教えを受けた野良猫は大人になっても絶対に人を信じないのだ。そうでもしなければ、危ない人間社会の片隅で生きていくことなんか出来っこないと思い込んでいるのだろう。野良猫の宿命かもしれない。




 所詮は野良。子どもを作るお相手は、同じ野良同士でもいいし、通りがかりのご近所の飼い猫でもいい。相手の男は全くの無責任で、いつか知らぬ間に、どこかに行ってしまう。




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遊び感覚の農業(再)

日本酒


 特異なケースらしいが、山梨には無尽が多い。もちろん無尽は古くからあった。大坂や堺の商人達が「頼母子講」として始めたのが、その起こりだという。しかし山梨で多い無尽は、そんな経済的な意味合いのものではなく、社交的な場、つまり仲間達の交流の場なのである。




 私も5つの無尽に入っていて、毎月1回ずつお酒を酌み交わしながら、たわいもない話に花を咲かす。ユネスコの仲間達や中学校、高校の同級生たち、さらには地元のおじさんたちのグループである。同級生はもちろん、みんな還暦をとおに過ぎている。果樹農家など自営者を除けばみんな勤めをリタイアした者ばかかり。話題といえば、健康と野菜作り、土いじりの話がもっぱらだ。もちろん、地元のおじさんたちはみんな百姓だから、そんな甘い話はしない。


カボチャ3



 特に非農家が多い仲間達の無尽では時として野菜作りの話が多い。非農家のクセにといったら叱られるが、みんな良く知っている。種を蒔く時期から、手入れの仕方や消毒まで事細かく説明してくれるのである。ヘタな百性よりもっと詳しい。




 それもそのはず、一坪農園ではないが、畑を借りて家庭菜園を楽しんでいるのである。中には、かなりの面積の畑を借りて≪農業≫と取り組んでいる仲間もいる。私の場合、根っからの百姓の倅だから百姓を楽しむという感覚はない。むしろ義務感の方が強い。




 みんな嬉々としている。私も最近では、その義務感が薄れ、楽しさを覚えつつあるが、そんなものではない。退職金で農機具を買い込み、借地をもっと増やしたいという仲間さえいる。家庭菜園型であれ、農業指向型であれ、共通しているのは、野菜作りなどの農業と、健康づくりをダブらせていることだ。




 だから除草剤など一切使わず、草取りに汗を流し、消毒にも細心の注意を払う。「うちのものも食べてみて」と、その時々の野菜を持って来てくれるのだが、それは立派。私の比ではない。時間と手間、それにお金もかけている。健康づくりのために楽しんで作り、自らの手でつくった無農薬、減農薬の新鮮な野菜を食べる、そんな意欲が伝わってくる。



トマト



 中高年層のそんな風潮を見通したのだろう。最近、農地を媒体にした都市の人たちと農家の交流を仕掛けるNPO法人が目立ち始めた。そのパターンも都市、農村を問わず、勤めをリタイアした人たちなどが農家の協力を得て立ち上げるケースだ。




 山梨市のあるNPO法人に籍を置く友人の案内で、そのイベントに参加したことがある。桃の花が咲く季節だった。日曜日の朝。まだ9時前というのに、山梨県内はもちろん、東京や千葉、神奈川などから30人を超す家族連れが集まっていた。自分達が借りている桃の摘花を楽しそうにやっている家族連れもいれば、畑の中での岩魚の薫製作りをする夫婦もいる。指導役は NPOのスタッフや農家だ。


桃の花見



 どの顔も生き生きとしている。みんなおむすびなど、いわゆる手弁当である。毎週日曜日に奥さんと子ども二人の家族全員で、東京からこの畑にやって来るという40代のサラリーマンは「こんな健康的で、お金のかからないレジャーはない」と話していた。楽しむ農業、遊び感覚の農業。都市部には農家の倅にはない志向が膨らんでいる。



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体罰の是非と教育のツケ(再)

 隣にいる子、つまり幼馴染の頭から一筋の血が流れた。小学校の5年生の時だった。何が原因だったかは覚えていないが、担任の先生が筆箱で頭をコツーンと叩いたのである。その頃の筆箱はジュラルミンで出来ていて、上が半開きに開けられる角ばった物だった。




 それでコツーンとやったものだから力を入れなくても当たり所によって頭が切れて血が出よう。先生の弁解をする訳ではないが、決して向きになって叩いたわけではない。ちょっとした弾みで筆箱の角が当たってしまったのだ。




 血を見た先生は、ちょっとうろたえた。「ごめんよ。お父さん、お母さんに謝りに行こうか」。その子は即座に言った。「僕が悪いんだ。お願いだからうちには来ないで。大丈夫だよ」。


子供


 「僕が悪いんだ」という言葉は、その子の本当の気持ちだっただろう。その一方で「うちに来られたらまずい」と考えたことも確かだ。なぜそんなことが分かるのかって? 先生に殴られたことを親に知られたら「お前が悪いことをしたのだろう」と、今度は親からぶん殴られるに決まっているからだ。その子ばかりでなく、クラスのみんなが分かっていた。





 ここで私が言いたいのは二つ。まず一つは先生の叱りだ。結果的に筆箱の角が当たってしまったのだが、それは教師としての子どもへの戒めであり、決して感情的なものではなかったことだ。そしてもう一つ。子どもが取った態度。というより子どもを通して映し出す親達の姿である。どの家庭の親達も学校や先生達を信頼していた。少なくとも我が子のいたずらや非行を棚に挙げて、学校に飛んで行って噛み付くような親はいなかった。





 こんな姿を現代に置き換えて、こんなことを言う評論家がいる。「親達も高学歴化が進み、先生達と同格意識が強まった」。私はこの考え方は違っていると思っている。≪子ども達との目線≫の勘違いから先生を始とした目上の人たちへの尊敬の念とか、自分中心主義の是非を教えることを怠ったツケが親に表れているのだと思う。つまり、そんな先生に教わった子供たちが親になっているのである。もちろん、すべての先生という訳ではない。


親子


 いっぱいあるがもう一つだけ例を挙げよう。今度は中学校のケース。ある時、部活動に使う部室の前で起きた教師の体罰事件だ。先生が部室にあったドライヤーで生徒の頭を殴り、頭を切った生徒が病院に運ばれたというのだ。この事件の顛末を書き出したら長くなるので、その要点だけを書くことにする。




 先生が、久しぶりに訪ねてきた知人と部室の前で立ち話をしていた時のことだ。たまたま通りかかった生徒がすれ違いざまにその先生を小馬鹿にするような言葉を浴びせた。カッとした先生はお客さんである知人が帰るのを待って、その生徒を呼びつけ、ドライヤーでメッタ打ちしたというのである。その先生は普段は教育熱心な先生だった。




 少子化。そこそこの経済力。子どもへの教育投資。先生はもちろん、親達からも殴られることのなかった子どもたちが先生になっていく。もちろんそのことが悪いわけではない。しかし、どこを叩いたら危ないかすら知らない先生がいたとしたら、これこそ怖い。




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プル友の不思議(再)

 私にはメル友ならぬプル友がいる。もう3年越しに通うスポーツジム(甲府)のプールで出来た仲間達である。年齢は20代から80代と幅広い。中には、どこの誰かも分からないプル友もいる。もちろん、男性ばかりではなく、若いお嬢さんもいれば、下っ腹に沢山お肉を着けたおばさん達もいる。


プール
 


 さまざまの筋トレ施設の一方で、25mの立派なプールを設けているのだが、ここはスイミングスクールと違って、競技志向ではなく、健康づくりにウエイトを置いている。だから私のようにメタボのそしりを免れない人間や、その予備軍も多い。事実、私は少しでもお腹をへっこませたり、体脂肪を減らせないものかと、ここに通い始めたのである。




 だからと言って、私自身もそうだが、プールの中にそんな悲壮感が漂っているわけではない。みんな楽しそうに水中オークをしたり、泳いでいる。水中エアロビックスのプログラムもあって、幅広い年齢のご婦人達から人気だ。 ご婦人達に混じっておじさんたちも頑張っている。


プール


 それぞれゾーンが分かれているから、思い思いにプールを楽しむことが出来る。泳ぎ専用レーンは三つ。ウオーキング専用レーンは一つだが、幅を広めにとって、その中央に直線を断続させた手すりを設け、左回りで周回出来る仕組みになっている。水中エアロビックスのゾーンは二つのレーンを一つにして、若いインストラクターが30分、または45分のプログラムで指導してくれる。




 水中エアロビックスは私のようなメタボ人間にはちょっとハードだが、ご婦人たちは30分、45分単位のプログラムを三つも四つも嬉々としてこなすのである。メンバーになって間もないという山梨市に住む友人の奥さんも「私も三つか四つぐらいやるんですよ」とニッコリ話していた。もちろんこうしたレッスンをこなすのには時間がかかる。だから昼食用のおむすび持参のご婦人もいる。


プール2


 人それぞれ、思い思いにプールを楽しみ、その合間や、終わればプールに併設のジャグジーに入ったり、お風呂に行って露天風呂やサウナ風呂を楽しむ。そのすべてが≪裸の付き合い≫である。ビジネス上の付き合いだったり、職場や学校の先輩、後輩の付き合いではないので、その肩書きや年齢などまったく関係ない。単なる人間としての付き合いだ。「どこの誰だか・・」といったのはそのことで、名前すら知らないプル友も少なくない。




 プル友は「こんにちは」「頑張ってますね」「お先に」「ごゆっくり」と言った極、簡単な会話から始まる。≪裸同士の付き合い≫は回を重ねていくうちにだんだん親しさを増してゆくものだ。時にはこのプル友が集まって納涼会や忘、新年会、それに桜の季節になれば花見の宴を張ったりする事もある。私のように60半ばの男もいれば、70,80を過ぎた人生経験、社会経験豊かな人もいる。もちろん、素顔のプールと打って変わって、綺麗に化粧したご婦人やお嬢さんたちもいる。その仲間は20人近くに膨れ上がった。




 人間、男女を問わず、親しくなって始めて裸の付き合いになる。しかし、プル友とは不思議で、それが全く逆なのである。親しくなると着物を着たり、化粧をするのだ。



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習い始めの面白さ(再)

パソコン加工



 面白い。習い始とはこんなものなのかもしれない。パソコンなど見向きもしなかつた自分が不思議でならない。毎晩、電子メールやインターネットを開く。お酒を飲んだり、マージャンで夜中に帰っても同じだ。「お父さんもう遅いですよ」と言っていた女房が最近では「いい加減にしたら。今、何時だと思っているんですか」と不機嫌な顔を見せる。




 「子供と同じですね」とも言う。確かにそうだ。スキーやスケートを覚えたばかりの子供の頃、早く雪が降らないかなあ、明日は田圃が凍るかなあ、と空を見上げたことを思い出す。「子供と同じ・・・」と言う女房の言葉の裏には、そのうち飽きるだろうという思いがあるのだろうが、どうしてどうして。

顔つきパソコン



 全く不思議だ。本だと目が疲れてしまったり、第一、読んでいるうちに眠たくなってしまうのがオチ。ところがパソコンだと少しも眠くならないし、奇妙なことに目もそれほどくたびれない。ところが初心者の私には決定的な弱みがある。いろいろの機能を熟知していないから、いったんどこかで躓くと万事休す。前に進めないのである。





 初心者だから思うのかどうか知らないが、パソコンを媒体にしたインターネットや電子メールの奥の深さは底知れないような気がする。もう何十年前になるのだろうか。娘が幼い頃、スーパーマリオというテレビゲームをやったことがある。今にして思えば、その頃から不器用だったのか、すぐにダウン。その先がどうなっているのかさっぱり分からなかった。パソコンもテレビゲームのスーパーマリオと同じ轍を踏んでしまうのだろうか。


スーパーマリオ

 

 パソコンとは都合のいいものだ。消しゴムも要らなければ、定規も要らない。第一、文字や文章の書き換え、置き換えが自在に出来る。プリントが必要ならプリンターに接続すればいい。今、地元の区長代理や組長をしているが、総会資料や連絡文書も綺麗に出来上がる。事業報告や活動報告もその都度パソコンを叩いておけばいい。第一、手書きの文書など最近お目にかからなくなった。




 しかし、その便利さの一方で、怖くなることもある。文字を書かないから字をどんどん忘れてしまうような気がするのである。確実に言えることだが、文字というものは書かなければ駄目。目で読んだり、パソコンで叩きだしたりしたものでは絶対に覚えられない。文字はいい年をしているのだから、みんなそこそこ読める。しかし書いてみれば以外に書けないものだ。それが字なのである。ところが、変換機能を使えば正しい字に置き換えることが出来てしまうから逆に厄介だ。


キーボード



 もう一つ、寂しいのは、手書きの文字が自分達の周りからどんどん消えていることだ。例えば、今年ももう8ヵ月を過ぎようとしているが、年賀状がそうだし、今の時期なら残暑見舞いがいい例である。むしろ手書きの年賀状や暑中見舞い、残暑見舞いは希少価値になりつつある。第一、年賀状はともかく、暑中見舞いや残暑見舞いは書くことすら忘れてしまった。携帯電話の普及、そしてパソコンは、やがて年賀状をも駆逐、メールの世界に引きずり込んでしまうに違いない。巨大な化け物インターネットがそれに拍車をかける。


封筒と万年筆


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アナログ人間のパソコン(再)

 何事にもいえることだが、基本を覚えることが大事。そんなことはよく分かっているのだが、現実には見よう見まねで始めてしまうことは多い。ゴルフもその一つ。今は腰を痛めて、ずっとクラブを握っていないが、ひところ、少しも成長しない自分にうんざりしながら、基本をしっかり教わればよかった、と思ったものだ。





 そんなことが分かってのことかどうかは知らないが、私がパソコンを始めて間もない頃、娘がキーボードを叩く練習用のソフトを入れてくれた。「特打」というヤツだが、結構うまくできている。練習すればいいのに、と思うのだが、ほとんど開いたことがない。ゴルフと同じで、キーボードの叩き方も全くの自己流である。ずぼらというか、目先で動いてしまうから、なんでもヘンな癖がついてしまうのかもしれない。



特打


 私がパソコンを始めてまだ間もない。高校時代の同級生が遊びに来たとき、「勤めがあるわけじゃないし、時間があるんだからパソコンでもやってみたら」と勧めてくれたのがきっかけだった。山梨市の西の境、笛吹市に近いところに住む萩原という男だが、この人は頭が下がるほど奇特な人で、何度も何度も出前で教えに来てくれた。




 ありがたかった。この人に出会わなかったら、おそらく一生パソコンに触れることがなかったと思う。人の出会いというものは妙なものだ。こんなことがきっかけで女房も関心を持つようになり、二人で山梨市が開いてくれたパソコン講座にも通った。入門編から始まってワード、エクセルと三つのシリーズに分け、2時間ずつ週4日、延べで12日間の講座である。

パソコンをたたく手



 60の手習いである。講座を受けながらつくづく思った。萩原さんに基本的な操作を教わっていなかったら、その講座について行けなかったということだ。隣に座った女房なんか、事あるたびに「お父さんどうするの」 と、袖を引っ張るのである。基本的なことを教わっていた私でさえまごつく事だらけだったから、無理もない。





 考えてみれば、パソコンぐらい職場にいる時に覚えておけばよかったのに、つくづく思う。そうすれば、改めて講座に通ったり、今頃もたもたしていなかっただろうし、第一、給料分で覚えてしまえたはずだ。

マウス



 サラリーマン時代、パソコンが職場に顔を見せ始めた頃から、それに素直に着いていけないものだから、書類作りも部下に丸投げ。職場での地位というか、年齢的なタイミングからか、それが出来てしまったからいけなかった、と今にして思う。後の祭りだ。かつての部下である仲間達のことを思い出しては恨めしく思ったりもする。





 50代、といったら言い過ぎかもしれないが、少なくとも60代の人たちは私と似たり、よったりではないかと思う。中学や高校の同級生の無尽やユネスコなどの仲間たちとの飲み会で話すとき、パソコンに多くが後ろ向き。インターネットに至ってはなにをかいわんや、である。その口実は「目に悪い」「今さら」といったものだ。本当は逃げているのだが、飛び込んでみると結構面白い。食わず嫌いはいつの年齢にもある。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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