人権相談のベル

 JR甲府駅に程近いところにある甲府地方法務局の人権擁護委員室。応接用の机の奥にあるデスクの卓上電話が鳴った。時計の針は午前9時ちょっと過ぎを指していた。9時からの人権相談の受付を待っていたのだろう。


人権擁護委員


 「モシモシ、こちら人権相談室です。・・・」


 
 「よろしいでしょうか。私は、名前を申し上げられませんが、実は・・・・」



 ここから先の会話は、書くことは出来ないが、我が子のいじめをめぐる若いお母さんの相談だった。




 山梨県人権擁護委員会連合会が行なっている人権相談は、地域、つまり、市町村ごとの特設相談と、甲府地方法務局や、その出先機関に分かれて毎日開いている常設相談がある。特設相談は隔月、市町村の集会施設で開設していて、相談者はそれぞれの広報での告知を見てやってくる。


人権
人権イメージキャラクター 人KEN守る君



 法務大臣から委嘱を受けた人権擁護委員は、山梨県の場合は217人。市町村での特設相談では、それぞれの地域の委員が終日、会場に詰めて、手分けで相談に応じる。法務局とその出先に分かれての常設相談月曜日から金曜日の午前9時~午後4時まで一人づつ交代で詰めては相談に応ずるのだ。


人権2
人KEN歩みちゃん

 いずれも、いわゆる手弁当のボランテア。私は委嘱を受けて6年だが、この制度の歴史は長い。どの委員もこのボランテアに真剣に、しかも積極的に携わっている。年二回ずつ開いている研修会にもこぞって参加、半日、みっちり勉強する。その運営もとかくありがちな役所任せではなく、自主運営である。私の場合、2年前から県連の事務局長を仰せつかっているが、結構、忙しい。盆暗の私を支えてくれている局次長や総括は、もっと忙しい。頭が下がる思いがするのだ。


本棚


 日常のあらゆる事務も自らの事務局を作って処理するし、編集委員を出して年に何回か、機関紙も発行していた。A4版の2ページだが、その名は「結い」(YUI)。題字下には、こんな言葉が。



 「結い、とは田植えなどの時の助け合いのこと。土臭く、温かい言葉です」



 文字通り助け合いであり、思いやりがコンセプトだ。人権擁護活動のひとコマひとコマを柔らかく紹介しているのだが、この中には217人の委員が交代で投稿する一言欄も。ある号では富士吉田市の委員が同市のグループが開いている「人権教室」を紹介していた。




 甲府地方法務局などの常設会場には相談専用の電話が設けられていて、特に子どもには「子ども人権110番」が、またご婦人には「女性の人権ホットライン」が。電話に限らず、そこに出向いてくる相談者も多い。さまざまなケースのいじめ、家庭内暴力、夫婦間や近隣同士のトラブル、虐待、セクハラやストーカー行為、さらにはプライバシーの侵害や名誉毀損に至るまで、そのケースはさまざま。




 一見、何事もないように過ぎていく日常の社会の中で、人権侵害事案はいっぱい起きている。人々の生活が高度化したり、社会の機能が進歩すればするほど、こうした事案が増大する。なんとも皮肉な話だ。




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子どもたちのお天神講

 「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘れそ」
ご存知、菅原道真の和歌だ。今年も1月25日、地域の子ども達が私の屋敷の一角にあるお天神さまに天神飾りの奉納にやって来た。


お天神講1


 赤、青、黄色・・・。七夕飾りにも似た大きな笹に色とりどりの短冊が。「勉強が出来るようになりますように」「成績がよくなりますように」「今年一年健康に過ごせますように」。短冊には子どもたちのさまざまな願いが記されている。





 その可愛らしい短冊の内容をカメラに収めようと思っていたのだが、ちょっとタイミングをはずしてしまったせいか色があせてしまい、時期をを失した。それはともかく、お天神講は、小正月の道祖神祭りと共に、この地域の子ども達の一大行事。お天神さまは、もしかして学業の成績を上げてくれるかもしれないから、子ども達にとっては道祖神よりありがたい存在かもしれない。

お天神講


 このお天神講、今の子供たちはどんな形でやっているのか定かではないが、私たちが子供の頃はある意味で盛大だった。子ども達はお米や野菜を持ち寄り、各戸持ち回りで、今風に言えば食事会を開くのだ。裏方のお母さん達は大きな釜で炊き出しをした。わいわい言いながら食べた、お母さん達が作ってくれた真っ白いご飯、サトイモや大根、人参などの煮っ転がし、熱い味噌汁・・・。うまかった。この歳になっても、その味は忘れられない。


白米


 リーダー役の6年生は自転車で隣町の文房具屋さんに行ってノートや鉛筆、消しゴム、筆箱、下敷き、クレヨンなどを調達して学年別に配る。いわゆるプレゼントである。それも、嬉しかった。その頃の家は、今のような住宅構造と違って田舎風の造りだったから、内部のふすまを取っ払えばいっぺんに大きな部屋になる。子供たちはそこで腹いっぱい食べ、一日をなんとなく遊ぶのである。戦後の貧しい時代だった。






 菅原道真は、生まれたのも、没したのも25日。それも丑年だった。だから、子ども達の天神講もその日を充てているのだろう。ものの本によれば、わずか5歳で和歌を読み、11歳で漢詩を作った。14~5歳の時には「天才」と言われ、後に「文道の太祖、風目の本主」と仰がれた。天神講は、庶民の教育機関として寺子屋が普及した江戸時代、書道の上達や学業の成就を祈願して行われるようになったという。


湯島天神


 お宮は、おしなべて皇室を祭ったもの。わが国で平民を祭ったお宮は徳川家康の東照宮(日光と久能山)と菅原道真の天満宮だけ。このうち、東照宮は徳川家が自らの権力でなさしめたものだが、天満宮は、ちょっと違う。庶民の人気とは裏腹に左遷されたり、不遇を受けた道真が亡くなった後、天変、地変が相次いだことから、時の権力・平安京が祭ったものだ。道真の怨霊を恐れたのである。

お天神講3


 お天神講の子ども達にとっては、そんなことはどっちでも良かった。たらふく美味しいご飯を食べ、ノートや消しゴムをもらうことの方が喜びだった。俺達「成績がよくなりますように」なんて短冊、書いたっけ?子ども達が奉納した短冊を見ながら今の子供たちとのレベルと世相の違いをまざまざと感じた。そしてなによりも違うのは子ども達の数・短冊の激減だ。




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姿を消した雀

 あのたちはどこに行ったのだろう。勤めていた会社を定年で辞め、山梨市の田舎に戻って8 年半。春夏秋冬、一年を通して、ほとんどと言っていいほど雀を見かけない。寒くて外に出るのが嫌なものだから、こうしてパソコンを叩きながら、ふと顔を上げ、窓越しの庭や植え込みに眼をやっても、そこにやって来ているのは、見知らぬ鳥ばかり。


鳥



 ざっと40年。今の田舎暮らしから見れば都市部での生活といっていいサラリーマン時代の日常で、雀はおろか小鳥そのものを見たこともなかった。正確に言えば、見るゆとりもなく、慌しく過ごしてしまったと言った方がいい。しかし、≪毎日が日曜日≫となった今、周囲がよく見えるようになった。


景色


 リフォームして家は少し変わったものの、窓越しに見える庭も植え込みも子供の頃とほとんど変わっていない。のっぺりした幹の百日紅も大きな梅の老木も、また金木犀や銀木犀、五葉の松や椿、カリン、柏、石榴、杏、石楠花、キョウチクトウ、南天、くちなし・・。みんな昔のままだ。ところが、そこに来る小鳥はガラリと変わっているのに気づいた。


百日紅



 雀の三倍もありそうなカラフルな鳥もいれば、これも大きく、長い尾をピクピクさせながら、いつも番(つがい)でやってくる小鳥もいる。植え込みの向こうを走る電線に、群れを成して飛んできては一列に規則正しく停まる鳥たちも雀ではない。




 かつて、雀は田舎ののどかな風景のひとコマであった。この時期、子供たちは陽だまりに遊ぶ雀を捕まえようと、笊(ざる)の端を棒で支え、その下に米粒をまいて仕掛けを作り、隠れて紐をひいては遊んだ。朝は雀の鳴き声で目を覚ました。春先の産卵期ともなればわんぱく小僧は高い屋根に上って雀の巣を獲った。雀が巣を作るのは軒先。無邪気にも、瓦を剥がして獲るものだから親父にこっぴどく叱られたものだ。


スズメ2


 「親方、少しは雀の巣、ありますかねえ」


 「ねえねえ。わしら、こうして屋根の葺き替えも沢山やらせてもらうが、最近、雀の巣なんて見たことがねえですよ」



 我が家では、数年前の夏、築80数年の母屋と、それよりもっと古い四つの蔵、そして二つの物置の屋根を思い切って葺き替えた。親方以下、3~4人の屋根職人が二カ月がかりの工事だった。クレーン車など重機を使っての作業だから、ひと頃よりは楽だろうが、高い屋根の上を軽業師のように飛び回る職人さんたちを見て、さすが、と思った。子供の頃が懐かしい。


屋根修理


 「どうして、雀がいなくなっちまったんですかねえ」



 「分からねえねえ。多分で言っちゃあいけねえが、餌が減ってしまったことが原因じゃねえですかねえ。それと、見慣れぬ鳥は地球温暖化というヤツのせいじゃあ・・・」


スズメ


 そうかも知れない。米麦中心の農業形態から葡萄、桃、サクランボなど果樹地帯に姿を変えたこの地方は穀物が一粒もなくなった。消毒するから虫も少なくなった。雀たちにとっては住みにくい世の中になったのだろう。変わって登場した野鳥は逞しい。柿も食べれば葡萄も食べる。サクランボなんか、うかうかしていたら、丸裸にされてしまう。




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カラマツの親爺さん

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 長野県の佐久に近い道の駅の温泉で粋のいい親爺さんに出会った。口の利き方も、いわゆる、江戸っ子のような気風を備え、およそ信州人というニュアンスの人ではなかった。人をどこからでも受け入れるような雰囲気を持っていた。



「長野にもけっこうカラマツが多いですねえ」



 広い湯船の窓越しに見えるカラマツの山を眺めながら、目の前で手ぬぐいを頭に乗せて湯船に浸かっていたその親爺さんに話しかけると、その親爺さんはお湯を両手ですくって顔をぶるっと洗いながら昔を思い出すように話し始めた。



 「昔はあのカラマツが面白いほどどんどん売れた。今じゃあ考えれんがねえ。トラックにカラマツの丸太を積んではひっきりなしに東京に運んだもんだ。そのころのトラックじゃあ4本も積めば限界だったがねえ。あの頃は良かった。若い頃だったが、今考えると懐かしいねえ。いい時代だったよ」



 「カラマツがそんなに売れた時代があるんですねえ」



 外材に押され、スギやヒノキでさえ、国産材はことごとく敬遠され、需要を失っている今、信じられないような話だ。日本のスギやヒノキが悪いわけではない。伐採などに経費がかかりすぎるから、安上がりの外材利用に走ってしまっているのが実情だ。だから宝の山も持ち腐れ。あっちこっちにスギやヒノキの山が転がっている。それどころか下刈りなど山に手を入れないから山という山はどこも荒れ放題だ。ある学者の説によれば「花粉症の要因」まで惹き起している。ただでも素材の悪いカラマツが相手にされるわけが無い。



 今年72 歳になる私より一回り以上も違いそうなこの親爺さんは「わしよりお若いあなた方はご存じないかもしれないが、戦争で焼け野原になった東京ではとにかく材木が必要だった。おっとりっこだった。素材がうんぬんだとか、節があるだの、多いだのなんてことは二の次。その後も東京湾の埋め立てにも引く手あまただった」と話してくれた。




 東京湾埋め立て用のカラマツは杭として使ったのそうだ。安上がりの上、脂が強いので、水や土の中で長持ちするのだという。昔わが国では住宅の基礎や、湿気の多いところにはクリ材を使った。しかしカラマツのほうが安上がりで、効率的であることは間違いない。カラマツはスギやヒノキなどに比べ成長が早い。それを見込んでわが国ではこぞってカラマツを植栽した時期がある。山梨県では明治天皇から国有地を下賜され、恩師林という名の県有地がどーんと増えた。そこに植えたのが主にカラマツだった。それが今ではお荷物になってしまっている。甲府城址に立つ謝恩塔は国有地ご下賜への感謝の象徴だ。山梨県ではそのカラマツをなんとか商品化しようと林業試験場が中心になって開発研究に努めているが、その決め手は見つかっていない。




 カラマツは落葉樹だから秋には山を茶色に染め、冬は葉を落とす。5月も半ばになると緑の芽を吹く。私たちが行った長野の別荘地では緑が芽吹く一方で、建物の屋根の上には冬中に落としたカラマツの葉が汚らしく積もっていた。これまた別荘地のお荷物である。




 カラマツの話をしてくれた親爺さんは昔は材木屋を営んでいたという。「代々の材木屋で、それはいい時代もあったよ。でも今じゃあ材木屋じゃあ食っちゃあいけねえ。だから店も閉めちぃまったよ」。そういう親爺さんの顔はちょっぴり寂しそうだった。



 「うだつがあがらねえ、という言葉を知っているかね。俺にうってつけの言葉だがねえ」。材木屋に見切りをつけざるを得なかった自らを振り返ってでもいるよぅに≪うだつ≫の説明をしてくれた。



 「うだつは隣からの火事を防ぐために屋根に載せた土造りの塀みたいなもんさ。俺なんかにゃあ、そんなマネできっこねえけどなあ」



 「よくいろいろのことを知っていますね」



 その言葉に気をよくしたのか、今度は中山道と甲州街道が合流するところにある下諏訪の諏訪大社(下社)について話し始めた。




諏訪大社



 「家というものにゃあ必ず屋根の両側に波風というやつが2枚ずつ着いている。だけど社の場合、棟のところでクロスして上に突き出している。あれにもオスとメスがあって、上に突き出しているてっぺんが平らのやつはオス、斜めのやつはメスなんだよ。下諏訪にある諏訪大社の下社は女、諏訪湖を挟んで反対側の上諏訪(諏訪市)にある上社は男。だから波風の造りも自ずと違うんだよ。下社には春宮、秋宮、上社には本宮と前宮がある」



 「じゃあ波風の造りは伊勢神宮の内宮、外宮も同じですか」


 「そうさ」


 「ところで、親父さん、商売はなにやっているんですか」


 「俺は建設屋さ。いってみりゃあ大工だよ」


 「それじゃあ詳しいわけですねえ」


 親爺さんはニッコリ笑って湯船を立ち上がった。


 一足遅れて出て行ったら、この親父さん、脱衣場で噴き出す汗を拭いながら涼んでいた。ニコニコしながらまた話しかけてきた。


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 「山梨から来たんだってねえ。甲州じゃあ、かかあ天下にからっ風って言うんだってねえ。でもねえ、女があんまり威張っちゃあいけねえよ。女はとかく見たまんまを口に出して表現する。目先だけでものを見、全体を見ないんだ。そんな女が段々強くなる今の世の中、絶対よくねえよ。世間全般、細かことでくよくよ言ったり、すぐ物事にヒステリックになる。こんなことじゃ日本は悪くなるねえ」



 気心の知れた仲間のような口ぶりで話す。湯船でのわずか2、30分の出会いだったが、裸の付き合いとはよく言ったものだ。親爺さんがカラマツ材を東京に運んでいた頃のことを「トラックで夕方長野を出て東京に着くのは翌日の朝。碓氷峠を越え、旧中仙道沿いに群馬、埼玉と夜っぴで走ったもんだ」といい、佐久から板橋まで中仙道の宿場町を立て板に水で追っかけてみせたのがなぜか印象的だった。




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中華街とエクシブ

午前11時半、私達は横浜の中華街のレストランに座っていた。娘の休みの日に合わせて女房と一緒に、来日中のハワイの老夫婦をドライブに誘ったのである。山梨市の自宅を出発したのは午前8時45分。途中2回のトイレ休憩を入れても3時間足らずで横浜へ。道路網の整備の恩恵にほかならない。勝沼ICから中央道に乗り、大月JTで富士吉田線にそれて,終点の河口湖ICから富士五湖道路に乗り継いで,静岡県御殿場市へ。ここから東名高速に乗れば横浜まで一直線である。


中華街2

 土曜日の昼時とあって、中華街は人、人、人。家族連れもいれば、若者達のカップルも。バスから降りて小旗を掲げる添乗員の後に続く団体客もいっぱいだ。会話から分かる韓国や中国人グループも多い。一目で分かる欧米人の姿も。中華街は人々の巨大な胃袋であるばかりでなく、国境を越えた観光地なのだ。中国人の逞しさを見る思いだし、今、騒がれている食品の薬品問題の暗さなんか微塵も感じさせない。通りのあちこちで、売らんかなで試食させてくれる天津栗が旨い。


中華街1

 どのレストラン、というより「店」といった方がいいかも知れないが、アッという間にいっぱい。ただ、中国人の言葉はどの言葉も、紋切り型。サービスなどとはおよそ程遠い。言葉が足りないから腹さえ立つ。「ありません」「だめです」といった具合で、日本人のような「すみません」といった気配りの言葉がないから、不快感どころか「馬鹿野郎」と思いたくなる。


 アメリカ人やイギリス人には「アイ アム ソーリー」という言葉がある。中国人の日本語と言ってしまえばそれまでだが、ここが中華街だからいい。日本の飲食店なら明日から閑古鳥が鳴くだろう。言葉とは不思議なもの。使う場所、使い方で人の受け止め方が違うのである。



エクシブ1

 しばらく、横浜を散策して、夕方には山中湖のホテルへ。「エクシブ」という全国にネットワークするメンバー制のホテルである。車が玄関口に着くとドアマンが笑顔で迎え、荷物を運ぶ。その間にも、またフロントでもお客への気配りは言葉ばかりではない。飲食店とホテルの違い、と言ってしまえばそれまでだが、その差は雲泥の差だ。

 ところで、この「エクシブ」というホテル名、ご存知の方はご存知だが、これは全くのこじつけ。その説明は後にして、このホテルは全国に15前後設けられているのだが、そのメンバーの仕組みはユニークで、一室を14人で≪買う≫形をとっている。個人会員もいれば、企業会員もいるのだが、「14」という数字はメンバーが2週間に1回、利用することを前提にした計算だ。恐らく、ホテル利用の最大公約数を検討、分析した結果だろう。

エクシブ2

 さて、「エクシブ」というホテル名だが、その「14」に謎を解く鍵が。14をアラビヤ数字に置き換えたのだそうだ。つまり、10は「Ⅹ」4は「IV」。これを並べると「XIV」となり、そのまま「エクシブ」と読ませたのだという。数字の遊びだが、その中身は経営上、熟慮を重ねたものだろう。隣接地にはスイートルーム専用棟を増設中だった。

エクシブ増築


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小正月の道祖神祭り

 「十四日祭礼、お祝い申~せ」
 「家内安全、お祝い申~せ」


 ひと頃より、少しは日が長くなったとはいえ、まだまだ暗くなるのが早い。この夕暮れを待って、子供たちは今年も可愛らしい声を夜空に響かせながら、地域の家々を廻った。みんな手に手に灯篭を提げ、その後ろを育成会のお父さんやお母さん、それに交通安全協会の役員さんが見守っている。


道祖神お札



 十四日正月、つまり小正月、この地域に伝わる道祖神祭りのひとコマである。道祖神祭りの風習というか行事は、地域によって、みんな違うのだろうが、この地域では毎年、1月13日の夜、「きっかんじ」といって灯篭を担いで家々を廻り、五穀豊穣家内安全無病息災を祈った。




 この時ばかりは子供たちが主役。子供たちは七日正月が過ぎたところで、家々の松飾りや正月飾りを集めて道祖神場に「オコヤ」と呼ばれる小屋を作り、道祖神を祭るのである。今は生活改善や自然保護のため、松飾りをせずに、紙の代用品の松飾りになってしまったので、子供たちはこの「オコヤ」作りの素材集めに苦労しているらしい。米作農業から果樹農業に完全に転換されてしまったから、松ばかりか藁も手に入らない。



道祖神1



 昔のことを言ったら笑われるかも知れない。でも私たちが子供の頃、考えてみたらもう50年も前のことだが、その時分は大きな「オコヤ」を作った。東北地方の冬の風物詩でもあるあの「かまくら」にも似て、子供たちはその「オコヤ」でモチを焼いたり、みかんを食べたりして遊んだ。悪ガキ達が集まる夜のコミュニケーションの場でもあったのである。
 


道祖神2



 灯篭も縦5~60cm、横4~50cmもある立方体の骨組みを作って、障子紙を張り、色とりどりのリボンや造花で飾った。灯篭の四面には「家内安全」「五穀豊穣」「無病息災」などのことばを書き込み、デスプレイするのである。子供たちはそれをいかにカラフルに、豪華にするかを競ったりもした。


道祖神


 しかし、半世紀の時はさまざまな面で変化をもたらした。この灯篭一つ例にとっても、子供たちの手作りではなく、みんな親が作ったか、専門家が作ったもの。そのスタイルも竹竿の先に固定して担ぐのではなく、形をぐ~ん、と小さくして、手にぶら下げる方式に変わった。子供たちは「団子食うべし、虫歯の薬、お祝い、申~せ」といった言葉を今も引き継いでいるのだが、その意味すら分かっているかどうか。米、麦、粟・・・。「五穀豊穣」の五穀も見たくても見ることが出来ない。


どんど焼き


 五穀は桃や葡萄、サクランボに置き換えればいい。しかし、肝心なのは祭りを担う?子供たちが激減してしまったことだ。その一方で、過保護のお父さん、お母さんだけはどんどん増えている。「きっかんじ」の行事も、へたをすれば一人っ子に二親が付き添って廻るのだから、子供の数より大人の方が多いのである。子供たちはほとんど親掛かり。育成会のリーダーがちょっと手を抜けば、この伝統行事もあっという間に消滅しかねない。




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消え往く手書き文字

お正月_convert_20110121204847


 松の内が去ったと思ったら、あっ、という間に十四日正月も。一年中でも正月は時が過ぎるのが一番早いような気がする。親しい友や親戚、知人からの年賀状も、もう色あせたような感じがする。年賀状の束は、その顔ぶれを一部変えて、また今年の暮れまで引き出しに入る運命なのである。




 引き出しで眠らせる前、もう一度、目を通すこの年賀状。今、改めて見ても、なんと味気ないものか。みんな、申し合わせたように活字で宛先や名前が打たれ、裏返して本文を見ても印刷の活字。その内容も、似たり、依ったりで、ほとんど同じだ。


パソコン加工



 パソコン普及の功罪はこんなところにもある。パソコンが身近になかった時分は、もちろん、みんな手書きだった。自分もそうだが、字の下手くそな人もいれば、びっくりするほど上手な人もいる。大きな字を書く人や縮こまったような字の人も。また、文章が上手だったり、そうでない人も。




 つまり、みんな個性があったその字が家族の団欒の話題になったり、贈り手の心の温もりを伝えた。一人一人の顔や生活ぶりまでが目に浮かんだ。年賀状一枚一枚に血が通っていた。ところがどうだ。今のパソコン年賀状は大なり、小なり、みんな同じだから味もそっぺもない。決まり文句の本文なんか読むまでもないし、言ってみれば、どなたからの年賀状であるかを確認するに過ぎない。ちょっと言い過ぎだろうか。




 パソコンのソフトメーカーも、こうした声を反映しているのだろう。毛筆に似た字体のソフトを改良したりしているのだが、所詮は作り物。人の心や感情を活字に映し出すことは叶うまい。第一、みんな平均的で、上手過ぎるからいけないのだ。機械が書いた字が人の心を表せる筈がないし、掴める筈もない。





 私は勤めの現役時代、その職責柄、山梨県のいくつかの書道会の新年会や表彰式に招かれた。その名の通り、書家たちの集まりだから、当然のことながら、年賀状はもちろんのこと、日常の手紙も直筆でお書きになるだろう。現に、頂く年賀状はみんな個性豊かな毛筆だ。自分も、こんな字が書けたらと、つくずく思う。

習字

 挨拶をせよ、というので、その都度、私はこんなことを言わせて頂いた。



 「私の年賀状の95㌫以上はパソコンなど印刷文字。どうか自筆の文字を大切にし、それを書くことを教え、育み続けてほしい。そうしないと、日本人が日本人でありながら日本の文字を書くことを知らず知らずのうちに忘れてしまう。そんな気がしてならないのです。先生方はどうお考えになりますか」




 確かにパソコンはいい。この年賀状一つ例にとっても、原稿さえ作れば、備え付けのプリンターで大量に印刷が出来、宛名書きだって、そのソフトさえ組めば自動的にやってくれる。作業に要する時間だって、大幅に短縮できる。




 でも、それだけでいいのだろうか。こんなことに頼っていたら早晩、年賀状の習慣は廃れていくに違いない。現に、若者達はその通信がパンクするほどメール志向に走っている。




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馬鹿と阿呆

 「バカ」

 「バカとは何よ」

 「そんな事ですぐ向きになるからお前はバカなんだよ」

 「なにも、バカなんて言わなくたっていいじゃない。まったく~」


妻

 私と女房のよくある口喧嘩だ。不思議にもこの文字数が示すように、およそ夫婦喧嘩の発端はたわいもない事から始まって、エスカレートするものだ。





 この「バカ」(馬鹿)という言葉。かなで書いても、漢字でも二文字。しかし、その使い方、受け止め方によって喧嘩にもなれば、叱咤激励にもなる。「バカ、そんなことはないよ」といった具合に否定の接頭語的な役割を果たす事だってある。「バカ」に「め」をつけて「バカめ」となると女房はもっと向きになる。





 私はこの「バカ」という言葉を気にもしないし、気にもならない。関西人が「この阿呆」とよく使うように、むしろ、挨拶代わりみたいなものだ。もちろん、親しい仲間、気の置けない仲間同士のことだ。これをどこででも使ったら、失礼千万。

子供


 もう一つ、気にしなくなった訳がある。わんぱくな子供の頃、いたずらをする度に親父から「バカめ」「馬鹿野郎」と怒鳴られた。河原で水浴びをし、近くの畑のスイカ採りの競争をすれば、当たり前だが、見知らぬ親爺から「馬鹿野郎」。この言葉はわんぱく小僧の勲章のようなものだった。
子供2

 「そんな事が分からないのか」「もっとしっかり掃除しろ」。学校に行けば先生から叱られる。その言葉の頭と尻につく言葉はまた「バカ」だ。社会人になって会社に入れば先輩から遅いの、早いので怒鳴られる。ちょっとひどくなると「死んじまえ」だ。その後ろと前にはやっぱり「バカ」が付くのである。考えてみれば「バカ」と言われなかったのは大学の4年間ぐらいのものだ。ただ、そんな教授の顔は一人も覚えていない。






 この「バカ」「バカめ」には、全く悪意はなく、いわゆる親心の叱責であり、親身になっての励ましの意味まで含んだ表現であることが多い。人間、褒められたことなど記憶に残っていないものだが、叱られたことは覚えているものだ。教訓として受け止めているからだろう。叱られた先生や先輩ほど懐かしい。不思議な事に間違いなく親近感が増すのだ。





 これも不思議。叱った方は、それを忘れている。女房が向きになって怒るように深刻なものではないからだろう。ただ、私には一つだけ、反省にも似た「馬鹿野郎」の相手側の反応がある。もう15年ぐらい前のことだが、若い社員を「馬鹿野郎」と怒鳴った。将来に向けて育てたいと思った男だった。その社員は怒鳴られた途端、大粒の涙をボロボロ。「男のくせに、涙を拭け」と言ったら、また涙だ。


サラリーんまん

 同僚幹部が言った。「今の若いのは親や先生から怒られることもなく、ましてや他人から馬鹿野郎、などと言われたことがないんですよね。それが≪いいぼこ≫であればあるほどですよ」。確かにそうだ。親も先生も、ましてや隣の親爺も子供を叱らなくなった。先生や隣の親爺は見てみぬふりだ。




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隣の奥さんの愛犬

裏の道1


 もちろん、日の出や日没時間に違いがある夏と冬とでは異なるが、毎日、我が家の前の小道を犬を連れて散歩する隣の奥さんがこの一両日、通らない。この小道は古(いにしえ)の≪幹線道路≫と言われているが、車時代になった今、その機能を散歩道に変えた。コンクリート舗装はされてはいるものの、2m足らずのこの≪幹線道路≫が今の時代に受け入れられるはずがない。我が家の庭、そしてこうしてパソコンを叩いている私の机の窓越しからでも2~30mぐらいの所にある道だ。




 隣の奥さんは人一倍の犬好き。朝が遅く、日暮れが早いこの時期だと、朝は7時半前後、夕方は4時半前後には必ずといっていいほど大きな犬を連れて通るのである。連れて、と言うより連れられてと言った方がいいが、この奥さんは私がいる時には遠くから目を合わせるように軽く頭を下げて通り過ぎる。連れている犬は老衰で死んでしまったという前の犬に変わって見つけてきた雑種犬。なんとなくだが、前の犬と違って双方の呼吸が合わないのか、奥さんが犬に引っ張られているようにも見えた。


犬1


 その奥さんが昨日も今日も通らない。なんとなく気になった。ご主人は私と年齢が一回り以上も違う80歳近い歳だから、もう70歳も半ばを過ぎているだろう。



 「奥さん、この一両日、姿が見えないですね。風邪でも引いたんですか」



 畑で遅まきながらサトイモを掘っていた私が顔を上げたらニコニコしながらこちらにやって来た隣のご主人に私はこう言った。そのご主人は笑顔を崩さないまま



 「いやあ、風邪じゃあないんですよ。実は、犬に引っ張られて転んだ弾みで肋骨にひびが入ってしまってねえ・・・」



 「えっ、それで、入院しているんですか。どんな具合です?」



 「いやいや、入院なんちゅうもんじゃあないんですが、家に居ると女はどうしてもこまごま動いてしまうので三日、四日、病院に預かってもらうことにしたんですよ」



 「いずれにしても心配だ。わたしゃあ組長だからみんなで見舞いに行かんといけんね」


 「いやいや、ホント。すぐ帰って来るんですよ」



 それから三日後、その奥さんがニコニコしながらやって来て「心配かけちゃいましたねえ」と言いながら事故の顛末を話してくれた。それによるとこうだ。




 根っからの犬好きのこの奥さんは20年近くも飼っていた犬が老衰で死んだ後、犬が諦め切れず、知り合いから「拾い犬」という、やはり雑種犬をもらってきた。ところが、警戒心がひときわ強い犬で、なかなか慣れてはくれなかった。それでも、必ず慣れてくれる、と信じながら毎朝、毎夕の散歩も欠かさなかった。その大事に仕方は人並みではない。

犬2



 ところが、ある朝の散歩中、この犬が急に走り出し、ロープで繋がれていた奥さんは犬に引っ張られて転倒、胸を打った。体重が2~30㌔はある大きな犬だから、女性の力ではどうにもならなかったのだろう。でも犬好きのこの奥さん、今日もその犬と散歩を続けている。「奥さんの気持ち、きっとこの犬に伝わりますよ」と、言ってあげた。




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焚き火と焼き芋

青空


 昨日の終日の雨とうって変わって今日はいい天気になった。空は雲ひとつない。秋の時期なら「抜けるような青空」と言うのだろうが、この時期だとそうはいかない。地上からの放射熱が上昇して空中に水蒸気の層を作るから秋の空とはどこか違う。




 「冬の空は下から見上げるといい青空に見えるが、空の上から見るといつも霞がいっぱい。特に都市部、つまり、住宅街の上空はそれが顕著。オフイスや家庭から放出される暖房熱のためだ。航空写真をとる場合、雨の少ない冬の時期は好都合のように思われがちだが、案外駄目。こうした暖房熱が少ない山間部はすっきりと下が見えるのですが・・・」



 ヘリコプタやセスナ機で航空写真を撮ることが多い知り合いのカメラマンがこんな話をしてくれたことがある。


飛行機と空



 今、朝の8時半。窓越しに見える富士山は、下界では雨だった昨日、雪の衣を厚くして青い空にくっきりと浮かび上がっている。東側の四分の一ぐらいの部分を朝日でまぶしく輝かせている。残る影の部分は青白い。そのコントラストが壮厳な富士を演出してくれる。下界と違って、そのうち、この富士の上空で風が起これば東斜面の雪が吹雪となって舞い上がる。その光景もまたいいものだ。





 こうしてパソコンを叩いているデスクの窓越しに見える富士は、30mぐらい先にある石の門柱のちょうど左側の肩に浮かんでいる。門柱の手前には種類の異なるカエデやイチョウがあるが、今は枯葉を落とし出して、みすぼらしい姿をさらけ出そうとしている。一ヶ月ほど前だと、イチョウは黄色に輝き、種類の異なるカエデはあるものは黄色に、またあるものは真っ赤に燃えていた。高く伸びた棕櫚(しゅろ)や各種の常緑樹の緑とマッチして見事な紅葉を見せてくれた。


富士山



 地面を見れば、その残骸ともいえる落ち葉がいっぱい。一足早く落とした柿の葉っぱなどとともに枯葉のじゅうたんである。ものの哀れさすら覚えるのだが、そんな感傷的な事ばかり言ってもいられない。厄介者を熊手でまとめては燃やすのである。そう、あの童謡にもある落ち葉焚きだ。


落ち葉 秋 紅葉_convert_20121206193103


 「お父さん、サツマイモを持って来ましょうか」



 普段、気が利かない女房がこんな時ばかりは嬉しそうに飛び回る。そのためでもないが、今年は我が家でサツマイモを作ったからいいが、昨年などは3~4㌔先のスーパーまで行ってサツマイモやホイル用の銀紙を買って来るのである。普段、用事を言いつければ、なんやかやと理由をつけては逃げてしまうのに、嬉々としながら率先するのだ。



サツマイモ3



 女という動物は元来、焼き芋が好きなのか。まあ、それはともかく、濡れ新聞紙やホイルに包んで焚き火の中に放り込んで置くと、確かにうまい焼き芋が出来る。濡れ新聞紙やホイルの銀紙まで用意して焼き芋をしたい女房の気持ちも分からないでもない。何より、冷え込む一方の冬空の下では、焚き火は暖かい。この機会に剪定で切り落とした植木の枝も処分するのだ。焚き火。そういえば、都会では味わえないかも知れませんね。




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縁側の陽だまり

 「夕方出かけて朝帰ってくるものはな~んだ」
 私達が幼い頃、こんな「なぞなぞ遊び」があった。答えは「雨戸」だが、今の子供達にこのなぞなぞを問いかけたら、きっと「家(うち)のお父さん」と答える子供さんが多かろう。家の娘だったら確実に「マージャン好きのお父さん」と答えるに違いない。特に、休日の前ともなれば、同僚とお酒を飲み歩き、その行く先はマージャン荘。決まって朝帰りだった。元気もあった。そんな生き生きした?現役時代が今となっては懐かしい。


夜明け


 今の子供達が「雨戸」を知らないのも無理はない。ここで言う雨戸は縁側の外側にある板張りの戸である。都会だったら100%お目にかかれまい。田舎だって近代住宅にどんどん変わってしまった今、縁側を伴った雨戸の家など見たくても見られなくなった。




 お若い方なら分からないだろうから、ちょっと説明すると、文化財として各地に残る古民家武家屋敷を注意して御覧なさい。いくつも並ぶ部屋の外側に板張りの廊下が設けてある。これが縁側だ。その外側に戸がなかったら防寒、防風にも困るし、第一無用心である。だから、この雨戸は昔の住宅では欠かせなかったのだ。隅々には必ず戸袋があって「夕方に(閉めた)出かけた雨戸は朝帰って」この戸袋に収まるのである。




 古来、わが国の民家は、多くがこのような構造で、部屋と部屋を仕切るのは壁ではなくてふすま帯戸、それに障子。これを取り払えば、一つの大広間になるのだ。親、子、孫までが同居する大家族制を維持せしめた家屋構造であり、一方ではさまざまな条件に対応できる、いわゆる多目的構造であった。地域の集会、ひとたび不幸が生ずればお葬式、また結婚式にも。地域によって、お蚕の飼育場に早代わりした家もあるだろう。


障子


 どちらが先かは分からないが、今の近代住宅構造は古来の大家族主義を根底からぶっ潰し≪個≫を助長する生活様式に変えた。一つの家に同居するにしても、親達は親達、年寄りや子供達も、またそれぞれの部屋を持つ。子供の場合、その数によって子供部屋を設けるのが普通となった。その良し悪しは別として≪個≫が優先するから≪家族団らん≫の風潮はだんだん希薄になっていくに決まっている。実質的な核家族化である。




 陽だまりと縁側。この二つはよく似合った。そこにお年寄りでもいればなおさらだ。お年寄りが縁側の陽だまりで編み物をしたり、孫と遊んでいる光景があったら絵にもなる。近所の人たちが一人二人と寄って茶飲み話をする場ともなった。いわゆる地域の人達のコミュニケーションの舞台にもなったのである。


縁側


 雨戸と縁側が消えると同時に、かつてはどこの田舎にもあった、こんなのどかな光景をも一遍に消し去った。それはまた人々の心まで変えようとしている。都会、都市部では当たり前になった「隣は何をする人ぞ」の無関心風潮は田舎にも忍び寄っている。




 こんな硬苦しい話はともかく、縁側すら残る古い我が家の場合、リフォームして雨戸をサッシ戸に替えたからいいが、そうでもしなければ女房だって一緒に住んではくれまい。ただ、サッシでガードした縁側は、ただの廊下に成り下がった。




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人の行動パターン

 私たちは毎日、それぞれの日常生活を送っているが、みんな、個々に共通した行動パターンがある。朝起きる時間がほとんど同じなら、夜、寝る時間もほぼ同じ頃。食事をしたり、新聞やテレビを見てくつろぐ居間での座る位置も毎日同じ。みんな無意識のうちにそんな行動をしているのである。


家庭



 これはありふれた日常だが、この「座る」という事を例にとっても、その行動パターンは定例の会合や無尽会、果ては飲み会に至るまで、いつの間にか同じになっているのである。今、町にも銭湯を見かけなくなったが、恐らくそこでも同じだろう。私の場合、週に何度か通うスポーツジムでも同じ事をしていることに気づく。例えば、下足のロッカーや更衣室のロッカーでも無意識のうちにほぼ決まったロッカーを使っている





 山梨ロータリークラブの例会は毎週水曜日の午後零時半から山梨市の市民会館で開く。この時も同じなのだ。もちろん、三々五々集まってくる。思い思いにテーブル席に着く。しかし例会の開会を告げる会長の点鐘の時、全体を見ると、みんながほぼいつもの席に座っている。年に何度かある夜間の例会の場合も同じ。例会行事の後の酒席で、気づいて見れば隣や前でお酒を酌み交わす顔ぶれはいつもほとんど同じである。





 酒席を伴う場合は別だが、通常の例会にはみんなマイカーでやって来る。その駐車位置も大体同じ。やって来る時間もそれぞれが、ほぼ同じだから、後から来る人達は「ああー、○○さんはもう来ているな」とすぐ分かる。イレギュラーがない限りみんながほとんど行動パターンが同じとあれば、空いている所もまた同じ。このことはスポーツジムの更衣室でも同じことが言える。

ロッカー



 更衣室はかなりのスペースをとっているが、入り口を使う人もあれば、真ん中も、また奥まった所を使う人、それぞれさまざまだ。トレーニングを終えて更衣室に戻った顔を見ると、そこには決まった顔がある。隣のロッカー、前のロッカーとほぼ同じ顔ぶれだ。勢い話もはずみ、親しみも増幅してくるから不思議である。




 スポーツジムの下足ロッカーは小さいスペースで済むので、ロビーを過ぎて一段上がった所に壁状に沢山のロッカーが並ぶ。そこには算用数字で規則正しく番号がふってある。上段を使う人、また中段、それに出来るだけ下の方のロッカーを使う人と、行動パターンが現れるのだ。ここで面白いのはロッカーナンバー




 人にはなぜか好きな数字というものがある。3 とか 5 とか 7,8,1 といった具合にそれぞれ何とはなしにお気に入りの数字を持っている。そんなに意識しているわけでもないが、下足を入れる時、その好きな数字に入れているのである。選ぶ所が沢山あればあるほど、この心理が働くのだ。





 こうした行動パターンが示すように人間は大きな変化を求めない動物なのかも。チェンジ。大きな変化があっても、またそれに対応できるのも人間だ。毎日、太陽が東から昇り、西へと沈む。四季をも繰り返す。人間は一定の行動パターンでそれに順応しているのだ。





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煮干とお神酒

 「お頭(おかしら)付き」とはうまいことを言ったものだ。鯛でもなければ、平目でもない。煮干一匹である。この煮干がお神酒と見事にマッチしてしまうのだ。煮干?そう、女房達が台所で味噌汁や料理のだし取りに使う、あの煮干だ。



 「新年明けましておめでとうございます」


富士山


 激動と不況の2013年が行って、何はともあれ新しい年が来た。今年もどうぞよろしく。そして、今年こそは不景気風をぶっ飛ばして、穏やかな、平安の一年でありたい、そう思うのは私ばかりではないだろう。私たちの地区では毎年元日の朝、そんな願いを込めて、新年の拝賀式を兼ねた互礼会をする。氏神様に地区の人達が揃って参拝、一年の平安を願い、隣接する公会堂で、お神酒を酌み交わし、新年の挨拶をし合うのである。


氏神様2       氏神様


 このとき登場するのが、このお頭付きの煮干。酌み交わすお神酒は公会堂に備え付けの湯飲み茶椀に一升瓶のお酒を注ぐ、いわゆる茶碗酒だ。一升瓶は、その前の拝賀式で氏神の神前にあげたばかりの日本酒である。役員が手分けで茶碗にお神酒を注ぎ、お盆の煮干をまわす。進行役から指名された地区の長老が「地区の皆さんが健康で、穏やかな一年でありますように・・・」といった内容の挨拶をして乾杯するのである。


神酒


 そこには喪中だったり、都合でこれない人達を除いて、一家の代表60人近くが集まる。煮干を噛みながら茶碗酒のお神酒を頂くのだが、これが旨い。それぞれの家庭が用意するおせち料理を食べる前の朝一番のお神酒だから五臓六腑に染み渡る。そのつまみとなるのが煮干。たかが煮干、されど煮干。これが、またいいのだ。つまみというものは、この一本の煮干を除いて何もない。


煮干


 へえ~、と驚かれる方もいるでしょうが、一本の煮干をかみ締めながらお酒を飲んでご覧なさい。へえ~、と思いますよ。不況だの、不景気だのといっていながら毎日、そこそこのものを口にしている今の日本人。仮に、一合の晩酌を煮干一匹でする人はまずいないだろう。一年に一度、それも元日の朝、かみ締める煮干の味は、何かを考えさせられる。


元旦


 このお頭付きの煮干というヤツ、この地域でいつの時代に始まったかは定かではない。恐らく、貧しい時代の名残であったり、冷蔵庫など保冷の機器や技術が行き届かない田舎にあって、乾物のお頭付き、つまり生の魚などを容易に手に入れるすべがなかった頃の名残だろう。乾燥しているから外での神事にはうってつけ。決定的な方便は「お頭付き」だ。


煮干2


 なぜ、鰯の煮干か。そんな田舎の生活環境もあったのだろうが、もう一つ、理由があるような気がする。あの節分祭と鰯、正確に言えば鰯の頭だが、この二つの関係が何かを語っているように思う。魔除けなど、どこかで迷信とか縁起と結びついているような気がする。どなたか詳しいことをご存知の方がおいでならお教えいただきたいものだ。




 新年拝賀式と互礼会。一昔前は、そこに集まる人の多くは「どてら」と呼ばれる冬の家庭着姿だった。しかし、いつの間にかスマートなスーツ姿に変わった。互礼会の前の拝賀式では区長がもっともらしく世界経済から説き起こし、地域に触れて挨拶をするのだ。その内容は今朝の新聞によく似ていた。






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紙の門松

 慣れとか、習慣とは恐ろしいものだ。玄関先に飾る門松(松飾)が簡易式の紙になってもう何年、いや何十年になるのだろう。大きな紙に刷り込まれた松竹梅の門松に少しも違和感がなくなった。「な~んだ。紙か」と言った頃がウソみたいだ。


賀正ポスター


 私たちの地域では区で全世帯の(紙の)門松を一括購入、組長がそれぞれの組の世帯にお届けするのである。昨夜は公会堂で区の役員会を開き、この門松の配布はもちろん、年末、年始の諸行事について打ち合わせた。




 年末、年始の行事のメーンは、なんと言っても新年拝賀式と互礼会。全戸の代表が集まって、地域の氏神様に参拝、その年の地域とそこに住む人達の安泰を祈願し、一年をスタートさせる行事だ。そのために、区の役員が総出で、氏神様へのしめ縄飾りや、その周辺の清掃はもちろん、拝賀式の後、区民がお神酒を交わす公会堂の大掃除もする。




 こちらは女房達の役目。それぞれの家庭で行う大掃除と同じように区民の拠り所になって来た公会堂の一年の垢を洗い落とすのである。毎年その日は30日を充てている。しめ縄や門松など正月飾りは31日の大晦日や29日にもしない。31日の飾りつけは「一夜松」といって昔から嫌ってきた。縁起担ぎなのだが、29日の場合も同じ。こちらは「九」「苦」で、大掃除もしない。もちろん「九餅」「苦餅」といって餅つきもしない。


門松


 松竹梅の門松が絵入りの門松に変わって久しい。かつて、この門松はクリスマスツリーのモミの木と共に、その調達は子供たちの年末行事の一つだった。ちょうど冬休みになったばかりの子供たちは、当たり前のように近くの山に入り、松を取って来るのである。もちろん、子供ながらにも、小さな松を根元から切って来るようなことはしなかった。松の木によじ登り、手頃な枝を切り落として来るのである。




 子供たちは誰に教わるともなく、山を大事にすることを知っていた。今のように、自然保護がうるさく問われたり、第一、そんな言葉が無かった時代である。山は人々の生活の一部だったからだ。山の木は、今の電気やガスに匹敵する燃料、つまり薪であり、その落ち葉は田んぼや畑の有機肥料だった。




 そのことを大人たちはむろん、子供たちも知っているから無茶な伐採はしなかった。むしろ、年に一度の門松採りやクリスマスツリーとなるモミの木採りは格好の枝払いであり、下刈りでもあった。しかし、都会の人達には自然破壊に写ったに違いない。特に、教条的ともいえる自然保護団体にかかったらどうにもならなかったのだろう。


屋台2


 確かにむやみに切ったら自然の破壊だ。だが、間伐と伐採は違う。門松採りはともかく、人々の生活環境の変化は、山の無視を加速させた。松はもちろん、杉やヒノキに至るまで、やらなければならないはずの枝払いや下刈りもしなくなった。お陰で、山という山がいたる所で荒れ放題。そのツケは花粉症惹起の要因にもなっているという。


お飾り


 女房が「九」を避けて早いうちに組の各戸に紙の門松を配り歩いた。クリスマスが済んでつかの間、今度は街角に松飾りやしめ縄飾りの屋台がお目見えした。いよいよお正月だ。




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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