富士山は化粧上手

富士の山


 あと4~5日もすればサクラが咲き、春爛漫を迎えて行くというのに、窓越しに見える富士山は、今も厚い雪をかぶったまま。一方の南アルプスや八ヶ岳も同じだ。さすがに、前衛の山々には雪はない。だから、富士山や八ヶ岳、南アルプスの北岳や甲斐駒ケ岳、白根三山が一層、際立って、輝いて見えるのだろう。





 それにしても富士山とは不思議な山だ。当然のことだが、冬になれば雪化粧をするし、夏が来ればすっぴんになって、茶色く、どす黒い地肌を見せる。雪化粧も、その時々の寒さや気象に合わせて薄くしたり、厚くしたりする。うちの女房よりずっと化粧上手だ。朝には朝、夕には夕の顔がある。すっぴんの地肌だって色を変えて化粧する。


富士山



 朝日を浴びれば東側の片方の頬を爽やかに輝かせるし、夕日を頂けば見事な赤富士に変わる。二十四節気があるように太陽の黄道が違うから、その高さも光線の角度も異なる。雨も降れば風も吹く。富士山はその一つ一つに機敏に反応するのだ。毎日同じように、どっしりと座っているようだが、一度として同じ顔を見せたことがない。




 この富士山、これも当たり前だが、見る方角によって、その容姿がみんな違う。一般的には東富士とか北富士というが、南富士、西富士だってある。静岡の市街地や伊豆の海からの富士は趣を異にするだろうし、神奈川の小田原の富士は違う。山梨から見た場合でも、富士吉田市や富士河口湖町など、文字通りの山麓地方からの富士と私が住む甲府盆地の東部では、その形は微妙に異なる。第一、甲府盆地では前衛の御坂山塊に遮られるから雄大に尾を引く裾野は見るよしもない。盆地の中心・甲府の南部では前衛の角度で、まったく見えない所もある。

富士山3



 その時々、その場所場所によって顔を変えるばかりではなく、怒ったり、笑ったり、泣いたりもする。静岡や神奈川の地元の人たちもそうだろうが、山梨に住む私たちは、その時々の富士山の、そんな顔を見ながら、その日の天気を占ってきた。今は、気象予報も衛星のITを駆使しているので、テレビやラジオが伝える情報にほとんど狂いがない。勢い、気象衛星は富士山頂の測候所をも駆逐、その施設と人を山頂から追っ払った。




 富士山が吹雪き始めれば下界は寒いし、富士山の上にかかる雲の形、雲の発生の仕方によって風が吹くか吹かないか、その強弱まで分かるのだ。先人から伝えられた生活の知恵である。天候ばかりではない。富士山の表情を農作業の目安にだってする。


赤富士



 毎年、4月から5月の中旬になると富士山の中腹に≪農鳥≫が出現する。冬の間、厚く覆っていた雪が次第に融け、その過程で、残雪が鳥を形作るのである。農家はその出現を、それぞれの種蒔きや田植えの準備などの目安にして来た。農鳥は富士山が発信する初夏の合図であり、農作業へのゴーサインなのだ。




 「富嶽三十六景」の葛飾北斎に代表される江戸時代の浮世絵師達は好んで富士山を描いた。安藤広重も同じだ。行角など修験者が導いた富士山信仰(富士講)とともに、彼らはユネスコの世界文化遺産登録に一役買った。時空を超えて現代に蘇ったのである。その絵の多くは東側、つまり、静岡側からのものが多い。しかし、男らしい富士を見るなら北富士、山梨県側からに限る。身贔屓ではなく、これホント。 静岡側からのそれは女性的だ。




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ダンススポーツの魅力

ゴルフ   パレット


 60半ばを過ぎても人間、やってみたいことはあるものだ。職場を退いて時間が出来たせいもあるのだろう。あれもやりたい、これもやりたい。やりたいことはいっぱいある。例えば、改めて毛筆も習ってみたいし、も描いてみたい。釣りや、仕事に追われ、思うように行けなかったゴルフも心機一転・・・。時間なら十分にある。だってじっくり読もう。




 ところが、これがみんなダメ。根っからの無精者のせいだろうか、明日から、明日からと言っているうちに、職場をリタイアしてから、あっという間に三年半が過ぎてしまった。手近かな読書がいい例で「よ~し、今度は・・・」と思って沢山買い込んできた本が机の脇に積みっ放なし。いわゆる「積ん読」である。人間の心理とは不思議なもので、積んでしまった本は興味が半減してしまうから、また新しい本を買う。「積ん読」の繰り返しだ。


本



 野球やサッカー、ソフトボールなどスポーツは、ハナから諦めている。メタボの人間が、その真似事だって出来っこないからだ。ただ、出来たらいいな、と思うものはある。現に60を過ぎた方でもおやりになっているスポーツもあるのだ。


大会1



 先頃、山梨市にある県立の体育館で開かれたダンススポーツ大会を観にいった。もちろん、無粋の上、自らがメタボ人間であることを自覚しているから、本気でやろうなどという不遜な考えもないし、特別の関心があったわけではない。この大会を主催する山梨県ダンススポーツ連盟の会長さんは、ユネスコの活動を通じて、もう40年以上の付き合い。そんな事を言ったら叱られるが「顔を見せてよ」と言われれば、嫌だとはいえない。
ダンス

 
 いわば義理で大会会場を覗いたのである。ところがどうだ。昭和61年のかいじ国体のバスケットボール会場にもなった体育館の中は、選手達の気迫や優雅さに満ち溢れ、見る者を圧倒、その魅力の虜になった。広い競技スペースで踊る十数組ずつの選手達、その周りで次の出番を待つ選手はもちろん、スタッフが取り囲む。観客だって少なくない。ざっと見ても7~800人はいるだろう。ワルツやタンゴの曲が会場いっぱいに響き渡る。


大会2



 気遣ってくれた会長や副会長の案内で来賓席へ。頂いたプログラムを見ると、午前10時から午後5時まで、昼食時間をはさんで競技スケジュールがびっしり。ラテンとスタンダードの二部門で、B級からD級、続くランクの1~6級の選手達が技を競うのである。スタンダード部門はワルツタンゴ、ラテン部門はルンバチャッチャッチャなどだ。


大会3


 知り合いの前会長さんの話によれば、スタンダードはかつてのモダンを呼称変更したのだという。大会名は山梨県大会を銘打っているが、事実上の関東甲信大会。地元山梨はもちろん、東京、埼玉、千葉、神奈川など各都県と一部東海の選手達が参加しているのである。特に、この大会では選手カップルの合計年齢が120歳以上スーパーシニア140歳以上ウルトラシニアの両選手権も併設。私たちと同年代、いや、それ以上の人達が颯爽と踊っているのである。女性は赤、青、黄色、ピンクのドレス、男性は燕尾服姿で。背筋がピーンと伸びていた。説明をしてくれた前会長さんは間もなく80歳。まだ現役だという。見るからにお若い。スポーツダンスの効果だろう。つい「俺も」なんて考えたくなる。



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下手の横好き

花札


 パ
チンコ、競馬は当たり前。マージャン、花札、チンチロリン・・・。ヘタなくせに、この勝負事が大好き。といってもここ5~6年、パチンコも競馬もとんとご無沙汰だ。凝るといったら聞こえがいいが、どちらかといえばはまるタイプで、ひと頃、毎週のように石和の場外馬券場に通ったことがある。




 「パチンコだの競馬だの、あんな馬鹿馬鹿しいこと、まだやってるの」

 親しい同級生から笑われた。





 「まだ、じゃあなくて、始めたばっかりだよ」と言ったら、「遅ボケだね」とまた笑われた。その仲間に言わせればこうだ。


 「俺も若い頃、競馬に凝って、薄っぺらの給料をみんなはたいちまった。帰りの電車賃がなくなっちまうんだよ。それじゃあ家に帰れないから、帰りの切符だけは行きの切符と一緒に買っておくんだ。結局、こんな馬鹿馬鹿しい事、ときっぱり足を洗った。あれほど凝った自分が不思議に思えるんだが、今じゃあ、関心もないよ」



「へえ~、そんなもんかねえ」



 遅ボケと言われたっていい。俺はとことんやってやる、なんて思いながら、コンビニから毎週、400円の競馬専門紙を買って来ては一心に研究?馬券場に通った。女房の蔑みにも似た冷たい目線を横目にしながらである。






 今にして思えば、この仲間の言う通り。馬鹿馬鹿しいと言うより、馬券場に行くこと自体も面倒になった。じちがなくなったのかもしれない。競馬にせよ、パチンコにせよ、およそ、勝負事というものは、その名の通り勝ち負けがあるから、のめり込むのだし、面白いのだ。もちろん、負けっ放しだったら、何をかいわんや、である。



 ただ、競馬やパチンコとマージャンや花札などは、遊び方そのものが根本的に違うのである。一方が自分ひとりの遊びであるのに対して、一方は仲間がいることだ。


麻雀_convert_20130315095316


 「今日は何時から?」


 週末ともなればマージャン仲間からお誘いの電話が。こちらからも電話する。もちろん家庭もあれば地域もあるのだから、仕事や用事がないわけではない。しかし、毎日が日曜日の仲間達だから、すぐに面子は揃うのである。面子の中に、かたくなに「午前零時が限度」という仲間がいる。そんな時はいいが、そうでもなければ確実に午前様。




 「体も身のうちですよ」と、ひと頃はいぶかしがっていた女房も今では「言っても駄目」と思ったのか、さじを投げている。8時間、9時間は当たり前。時には15時間20時間の時も。面白い。時間がウソのように、あっという間に過ぎてしまう。




 さて、その勝ち負けだ。総じて上手なヤツが勝つのに決まっている。「お前はどっち?」。私はどうやら負け頭。不思議だが、人には勝負事に強い人間と弱い人間がいる。ちょっとしたジャンケン、編み蛇くじやビンゴゲームだってそうだ。理屈では計れない先天性のようなものを備えた人間がこの世の中には確実にいる。運の強い人間というのだろう。




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ザゼンソウの神秘

ザゼンソウ1


 「夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬・・・」

そう、あの尾瀬のミズバショウを唄った歌だ。日本人ならだれもが口ずさんだことがあるだろう。この歌の通り、尾瀬のミズバショウが花開くのは夏。私は尾瀬に行ったことはないので、写真のそれしか知らない。尾瀬はともかく、ミズバショウそのものを見たことがない人はかなり多いはずだ。ところがみんな知っているし、ずっと昔から馴染み深い花のような錯覚にさえ・・・。歌の魔力だろう。





 このミズバショウを彷彿とさせるのがザゼンソウ(座禅草)。開花期は夏と初春でまったく違うが、どちらもサトイモ科の多年草だから、ご親戚だろう。ミズバショウと違って、こちらは馴染みが薄く、恐らく見たことはおろか、名前すら知らない方も多いはずだ。そのザゼンソウが今、山梨県甲州市の小倉山の山麓で見ごろ。ここは甲府盆地の東北部、秩父山塊のはずれのような所で、竹森という地域だ。




 「ザゼンソウって見たことあります?実に神秘的な花なんですよ」


ザゼンソウ2



 山梨ロータリークラブでご一緒する仲間が例会の後、その竹森のザゼンソウ群生地に案内してくれた。車で行ったのだが、JR中央線塩山駅から北へ約5㌔、時間にして6~7分の所。いわば塩山駅とは目と鼻の先。眼下に塩山の街並みが見える。




 山あいの人家からちょっとそれて、駐車場らしい広場に車を停め、1~2分歩くと、ある、ある。ザゼンソウがいっぱい。杉木立の中を小川、いや、岩清水と言った方がいいが、その流れの両側にかなりの幅で、帯状に群生しているのである。その群生は山の頂に向かって2~300m延びている。




 岩清水が集まるこの山沢の湿地帯に群生しているザゼンソウは黄色いものもあるが、ほとんどが赤茶色。大きさは15cm前後。仏像の光背に似た形の花弁の重なりが真ん中の胞子を包むように咲いているのである。まさにザゼンソウ(座禅草)の名の通り、花の中で僧侶が座禅を組んでいるように見える。卵型のこの花は別名ダルマソウともいう。


ザゼンソウ3


 回廊のようにジグザグ延びる木造板の遊歩道で、しきりに望遠レンズのシャッターを切っていたアマチュアらしいカメラマンは


 「私たちは毎年、地元の甲州市に見ごろを問い合わせては東京からやってくるんです。華やかさこそないが、ひっそりと山あいの湿地で咲く、このザゼンソウに魅せられるんです。まさに、ひなびた山あいで座禅を組む仏様か観音様。なんとも神秘的な花ですよねえ」



ザゼンソウ4


 この群生地に程近いところに住み、毎朝、ランニングのコースにしているという仲間のロータリアン氏によれば、シーズン中、週末ともなれば大勢の見物客で賑わう。県内外からのお客さんを当て込んで茶店も出るほどだ。ザゼンソウの群生地は、栃木県の大田原なども知られているが、この甲州市の竹森は、自生地としてはわが国の南限。その意味でも貴重だ。



 ただイノシシが天敵らしく、周囲には弱い電流を流す細い鉄条網が張り巡らされていた。



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一冊のタウン誌

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 鎌倉ユネスコ協会が用意してくれた資料袋の中には、幾つもの大会資料に混じって一冊のタウン誌がそれとなく入っていた。そのタウン誌の名前は「かまくら春秋」。縦約18㎝、横約12㎝の、いわゆるポケット版。月刊誌らしく「2」の文字が。中味は92ページのこざっぱりした仕立てだ。




 公益法人日本ユネスコ協会連盟に加盟する国内のユネスコ協会などユネスコ関係団体は、八つのブロックに分かれて毎年、研究大会を開く。もちろん、主催者は同連盟だ。神奈川、静岡、山梨、長野の4県で構成する中部東ブロックもその一つ。4県の加盟協会が持ち回りでホスト役を務めるのだ。今年度は神奈川県の鎌倉ユネスコ協会。昨年度は山梨県の山梨市ユネスコ協会が担当、来年度は長野県の木曽ユネスコ協会がその任を負う。


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鶴岡八幡宮の鳥居


 むろん資料袋の中味は大会の全容を綴ったプログラム冊子が中心。だが、4県、27協会の持ち回り開催とあって、ホスト協会は観光案内など“お国自慢”の資料も用意して地域のアピールもするのである。タウン誌「かまくら春秋」2月号は、その一つであった。




 中味を覗くと著名人のエッセイや対談、タウンスポット、食や催し物の案内、名店地図など盛りたくさんの“鎌倉情報”が詰まっている。鎌倉の自然を彷彿とさせる写真も小気味よく使われていて、見る人を飽きさせない。タウン誌だから、むろん、鎌倉がテーマ。“土着“に拘っているが、巧みな編集ぶりが鎌倉をスマートに浮き彫りにしている。古都鎌倉がそもそも持っている垢抜けた地域性がそうさせているのかも知れない。




 タウン誌の編集長でもある同社の代表は、鎌倉ペンクラブ会長で関東学院大学人間環境学部教授の伊藤玄二郎さん。鎌倉ユネスコ協会のメンバーでもあり、今度の研究大会では、やはり鎌倉出身の前文化庁長官・近藤誠一さんらをパネリストにしたシンポジュームのコーディネーターを務めた。「文化の多様性とこれからの日本」をテーマにしたシンポジュームでは近藤さんら3氏の間に立ちながら、自らの文化論をぶった。


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伊藤玄二郎氏


 タウン誌には自身も登場。2月号では「日本人の宗教観と心の在り方」をテーマに宗教学者の山折哲雄さんとの対談(下)を掲載していた。その一コマをちょっと覗くと、山折さんは、最近目立つ凶悪犯罪やいじめ、体罰問題に触れ、「子供(人間)は放置しておけば限りなく野生化する」といい、「それを食い止める文化的な装置はスポーツ、軍隊、宗教、教育の四つ」と断言。いじめや体罰を単に犯罪と捉えて警察に引き渡せば、事が済むという安易な今の日本社会の在りように疑問符を呈した。伊藤さんも、特にスポーツの世界で、それが教育的な措置であるか体罰であるかの境目は難しく、「同じ行為でも送り手と受け手の心の在りようで、全く異なる」と単なる体罰犯罪論にクギを刺していた。


鳩サブレー_convert_20140321225415


 このタウン誌のお値段は276円+税。地元の広告も取り込んでいて、発行のやりくりの舞台裏も窺うことが出来る。表表紙の返しには鳩マークで有名な豊島屋の「鳩サブレー」の全面広告が。鎌倉が本社だという豊島屋の店内は土産に求める観光客でいっぱい。

  「鎌倉と言えば…」。旨いお菓子には目がない女房の注文に応え、山梨に買って帰った。




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二度目の鎌倉

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 60年ぶり、厳密に言えば59年ぶりの鎌倉行きであった。何故か12歳の小学校の修学旅行以来のこと。鎌倉ユネスコ協会がホストになって開かれた中部東ブロックユネスコ研究大会。そこへの参加は、一抹の郷愁も絡んで、ワクワクした気持ちにもなっていた。




 自分の年齢と今の年号から逆算すると、その修学旅行は昭和29年。確か、その年の秋だった。その頃、山梨県地方の小学校の修学旅行といえば、江ノ島・鎌倉が定番であった。戦後も、まだ10年と経っていなかった。世相的にはテレビ放送が始まって間もない頃で、今のようなモータリゼーションはむろん、道路事情さえ確立されていない時代だった。


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鶴岡八幡宮


 だから江ノ島・鎌倉への“足”は今のような観光バスではなく、国鉄(現JR)中央線で東京に向かい、そこからまた列車を乗り継いで目的地に向かったのだろう。定かなことは記憶にない。もちろん、中央線は、特急はなく蒸気機関車。SLである。山梨県人にとっての東京の玄関口・新宿までの所要時間は現在の1時間半に対して4時間は有に掛かった。


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鎌倉駅


 東京に行くことすらままならない田舎の子供達にとって江ノ島・鎌倉への修学旅行は今の子供達が外国へ行以上の緊張感と期待感、ワクワク感があった。幼心に、嬉しくて前の晩は眠れなかった。親はなしなしのお金をはたいて洋服を新調してくれたりもした。




 60年の歳月は鎌倉をすっかり変えていた。JR中央線の八王子から横浜線で横浜を経由、横須賀線の鎌倉駅に降り立った時、正直言って初めて来た地にみえた。歳月が記憶を薄めてしまっていた。そうばかりではない。駅舎も、駅前を鶴岡八幡宮に向けて伸びる若宮大路や両側にお土産物屋がビッシリ並ぶ小町通りの遊歩道。その街並みはスマートに姿を変えていた。土曜、日曜だったためか、どこもかしこも人、人、人。中国や韓国、台湾人もいっぱい。一見して分かる欧米人も目立った。


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小町通り


 ただ一つ変わっていなかったのは大仏さま。その姿はちょっぴり小さくなったように見えた。子供目線との錯覚だろう。この大仏さま。「長谷の大仏」と呼んだような気がしたが、案内書では高徳院の大仏さま。この高徳院のご住職・佐藤孝雄さんは、私達の鎌倉行きの目的であった中部東ブロックユネスコ研究大会のプログラムの一つ、シンポジュームのパネリストも務めてくれた。そのお母さんは大会のホスト役・鎌倉ユネスコ協会の会長・佐藤美智子さん。大仏さまが何故か身近に感じた。


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鎌倉ユネスコ協会会長・佐藤美智子さん


 裏千家15代・前家元、ユネスコ親善大使・千玄室さんの基調講演に次ぐシンポジュームのテーマは「文化の多様性とこれからの日本」。パネリストは慶応義塾大教授でもある佐藤住職のほか、前文化庁長官、元ユネスコ特命全権大使の近藤誠一さん、吉林大客員教授で詩人、版画家でもあるピーター・マクミランさん。近藤さんは昨年夏の富士山の世界文化遺産登録では、その実現の先頭に立った。三人のパネリストは、それぞれの立場で、日本の文化が持つ多様性を説き、その多様な文化を世界に発信していくことの大切さを強調した。




 古都鎌倉を時空を超えて見詰め、日本の文化の多様性を考えた2日間。電車を乗り継ぎ、あっちこっちを歩き回るのは正直言ってくたびれるが、その価値はある。(次回へ続く)





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千玄室宗匠の話

鵬雲斎 千 玄室
千玄室大宗匠・裏千家HPより


 人は何処まで矍鑠(かくしゃく)として生きることが出来るのか。茶道界の大御所・裏千家15代・前家元である千玄室大宗匠のお話しをお聞きしながら、そんなことを考えていた。所は神奈川県のJR鎌倉駅前にある鎌倉生涯学習センターホール。この日は神奈川、山梨、長野、静岡の4県で構成する中部東ブロックのユネスコ研究大会が開かれ、4県27のユネスコ協会の代表など約300人が階段式の会場を埋めていた。




 大会のテーマは「文化の多様性と平和の文化―未来世代に残す地球に向けて」。ユネスコ親善大使をも務める千さんは「未来のために平和を考えよう」と題して基調講演した。プロフィールによれば、千さんは大正12年生まれというから御年91歳。京都で生まれ、同志社大法学部を卒業。ハワイ大学を経て韓国中央大学校博士課程を修了。哲学博士、文学博士。文化功労者国家顕彰、文化勲章…。国の内外で様々な勲章を受けている。


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 大会の開会セレモニーを会場の一番前の席で見守っていた千さんは、自分のプログラムになると駆け上がるようにステージの演壇へ。背筋をピーンと伸ばし、穏和の中にも精悍な顔つきの千さんは話し始めた。




 和食がユネスコの世界無形文化遺産に登録されたことに触れ、一汁三菜をお茶、懐石の心に連動して説いた。茶道の家元に生まれながらも仏門で雲水として修行。座禅三昧の若き日のエピソードをユーモア混じりに話した。厳寒の12月初めの8日間の断食。空腹と寒さに震え、焚き火の中に投げ込んだ石ころを懐に入れて暖を採った。その暖かさ。「懐石の心はそんなところから生まれた」とも。一汁三菜。「味噌、醤油、塩。それが和食の味の原点だ」ともいい、懐石は「おもてなしの心」に他ならないことや、日本食が持つ多様性を広く世界にアピールして行く事の大切さを説いた。


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 91歳とはとても思えないほど若々しい、しかも歯切れのいい語り口調で講演はよどみなく展開して行く。「一盌(わん)からピースフルネスを」。千さんの茶道の理念である。




 「千利休は信長や秀吉など、どんな権力者に対しても『和敬清寂』、つまり、みんな平等という考えを貫いた。だから茶室に入る時は刀を外し、丸腰で一盌のお茶を譲り合って飲む。戦国の時代だからこそ平等が人間の和を作ることを茶を通して教えたのだ。私が世界中に利休の心を広めることで、戦争や人間のおぞましい葛藤を少しでもなくせたら…」




 千さんは自らを「特攻隊の生き残り」と言った。死と直面しながらも父親に持たされた茶箱セットで同じ特攻仲間と「戦中のお茶」を飲んだエピソードを紹介。「戦争は人間の傲慢。傲慢以上の傲慢だ」と力を込め、平和を希求することの大切さを訴えた。




 前任のユネスコ親善大使は、今は故人となられた画家の平山郁夫さん。千さんは平山さんを「朋友」といい、「私が今、一番気にしているのは北朝鮮にある放置されたままの古代朝鮮の遺跡。その保護を訴えていた平山さんの遺志を継いで世界遺産登録へ力を注ぎたい」とも。千さんは1時間ちょっとの定められた講演をこなすと、すぐさま新幹線に乗り継いで京都に向かった。91歳のタフネスぶりに聴衆は舌を巻いた。(次回に続く)




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梅一輪、梅一輪の…

梅の花


 「朝が来ない夜はない」。「春が来ない冬はない」。


 先人はうまいことを言ったものだ。全く予期もしなかった大雪で蕾を硬くしていた我が家の白梅や紅梅も一輪、また一輪と花を開き始めた。このところの暖かさを反映したものだが、一見、敏感そうで、実は何事にも反応が鈍い私達人間どもをよそに、自然界は、その季節や時々に機敏に反応する。科学を振りかざし、いくら人間が威張ってみても自然界の微妙ともいえる営みや折々の反応には勝てまい。




 我が家の表と裏にある植え込みには100年、いや200年以上かも知れない古木を含めて、何本もの紅梅、白梅がある。見事なしだれをなして、近所の人々まで魅了して来た紅い垂れ梅は“老衰”で数年前、その姿を消した。無粋な私なんかに一つ一つの種類が分かる筈がない。そこに生る実の形から小梅とか中梅、あるいはそれより何倍も大きい梅を「豊後梅」と呼ぶ程度の知識に過ぎないのである。


梅4



 実を採ることを目的とした畑の梅の木と違って、植え込みの梅は観賞用。我が家では、その実も漬け物やジャムにして食用にもするが、一義的には観賞用であることに違いはない。根っからの無粋はともかく、仕事、仕事の若い頃と違って、今では花を意識して木作り、形作りをするようになった。剪定である。




 「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」



 これも昔の人はうまいことを言った。ここで言う「桜」は後にアメリカの大統領になるジョージ・ワシントン、つまり、いたずら盛りの幼少時代の故事に因んだものだが、その桜はともかく、梅は思い切って切らなければダメ。樹勢が強ければ強いほど徒長枝を勢いよく伸ばす。徒長枝には花を付けない。実は言わずもがなである。




 花を愛でるとまでは行かないにしても、それを意識するようになると剪定にも気を配るようになる。不思議なことに、それを教えてくれる人もちゃんと現れるのだ。


梅2



 「紅梅にせよ、白梅にせよ、花を楽しむならタイムリーに刈り込んでやることですよ…」


 地域で「剪定上手」といわれる知人は、そんなことを言いながら我が家の植え込みで、手ほどきしてくれたものだ。その人が言うように「刈り込む」コツと同時に「タイムリー」でなくてはならない。




 我が家には、この剪定を巡る失敗談がある。子を見れば親が分かるという。生前、やはり無粋な親父は、夏の土用の最中、庭先の大きな梅の木を、それは誰が見ても強い剪定をした。徒長枝を全て切り落としたばかりでなく、至る所の枝の頭を止めた。これも樹齢100年も200年もあろう古木は、一夏で枯れた。古木と言っても樹勢のしっかりした梅の木であった。




 いい教訓だった。そんなことを言っている私にだって、この「タイムリー」に関わる失敗はある。ツツジ、サツキの刈り込み時季を知らずに、花を一年見送った苦い経験がある。つい7~8年前のことだ。近所の人に笑われた。庭先の梅一輪。間もなく来る春爛漫への道案内役である。傲慢でなく、ちゃんと管理してやれば、自然界は必ずそれに応えてくれる。




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薀蓄のある?言葉

 「いればうるさい、でも、いなきゃ寂しい」

女房のさりげない一言だが、言い得て妙。大げさだが、薀蓄すら感ずる。亭主とは、また、夫婦とは、よく考えてみればそんなものかもしれない。


夫婦


 この言葉は、今は家を空けることなど以前と比べればめっきり少なくなったのだが、それでも仲間との一泊二日、二泊三日の小旅行、飲酒運転が出来ないので宿泊形式でする忘年会や新年会、それに、時折はもつれ込んでしまう徹夜マージャン、そんな時の女房のちょっとした台詞だ。




 若い頃というか、サラリーマン現役時代は、そんな事を言ったり、ましてや感心したりしている心の余裕や暇はなかった。朝起きれば決まった時間には家を飛び出し、帰宅する夜も遅い。時には午前様だって珍しくない。それが当たり前だから、正直言って家も女房も省みたことはほとんどなかった。


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 仕事が終われば、仲間と居酒屋へ。仕事をめぐって青臭い議論もすれば、上司や先輩を酒の肴に愚痴も言う。はしごの先に行き着くところはマージャン荘。そこから先はお決まりの午前様。家で待っている女房達はともかく、自分たちにとっては格好のストレス解消策だった。そんな事を繰り返していても疲れなかったし、逆に生き生きしてさえいた。もちろん、振り子のような規則正しい人間もいないわけではない。が、そんなバカなサラリーマンが多かったことも事実。


サラリーマン


 こんなことを言ったら世のお父さん、お母さんから白い目で見られ、ひんしゅくを買うかもしれないが、ここで白状すれば、一人娘が顔を見るたびに、大きくなるのがよく分かった。仕事柄、朝や昼、夜が不規則だから、幼い娘の顔を見ることが少なかったからだ。娘側から見れば、私は時々来るどこかのおじさんみたいなものだったのかもしれない。


子供


 こんな事があった。娘が幼稚園の頃だっただろうか。ある日曜日、娘が友達の家に行ったら、そこには、お友達のお父さんがいて、子ども達と一緒に犬小屋を作り、一緒にインスタントラーメンを食べた。それが、うちの娘にはびっくりするほど特別の事に映ったのだろう。家に帰った娘は母親である女房にそのことを話したという。




 ハッとした。これじゃあいけない、と思った。それからは、時間を見つけては少なからず娘と遊ぶことを心掛けた。休みをやりくりして海にも行った。運動会や幼稚園の父親参観にも顔を出してやった。その時の、娘の嬉しそうな顔を今でも忘れられない。その娘が今では、このブログ作りやパソコンの先生の一人である。昨年4月10日には女児を出産、一児の母になった。 あと一ヶ月足らずで1歳の誕生日を迎える。




 夢中と言ったら大げさかもしれないが、そんな若かりし時期、女房だって「いればうるさい、いなきゃ寂しい」なんて、感傷的なことを言っている暇もなければ、余裕もなかっただろう。そうとは思いたくないが、歳をとった証拠かもしれない。それに、甲府での生活から一転、田舎生活が本当に落ち着いていない証かも。それにしても、夫婦とは空気のようでいて、空気ではない妙なものである。

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越冬の大根

大根2

 我が家の大根やサトイモは確実に越冬した。二十四節気のひとつ・啓蟄も過ぎた。そして山梨だって桜も花開いてくるに違いない。もちろん寒暖の揺れもあるだろう。震え上がるような寒さに見舞われることもないとは言えない。しかし、もう冬に逆戻りすることはあるまい。




 ここで言う大根とサトイモの越冬は露地、つまり畑で収穫しないまま冬を越したということである。大根は秋口に、またサトイモは夏前に種(芋)を蒔き、初冬の11月頃、収穫する。大根は、ご存知、沢庵など漬物にする一方、さまざまな方法で保存しながら食卓に乗せていく。サトイモや人参、ゴボウも同じだ。



葱


 言うまでもなく、大根や人参、ゴボウ、サトイモなど総じて秋野菜は、寒い冬が来る前に収穫しないと、凍みてしまい、食べられなくなってしまう。夜から明け方にかけては間違いなく霜がおり、そればかりか気温がグングン下がれば、当然のことながら日中も含めて地面は凍る。水分を多く含んだ野菜は、この寒さにひとたまりもない。
この寒さに耐えるのは春や初夏に向けての野菜、エンドウやタマネギ(写真)などだ。

野菜


 その昔から我が家も含めて、この辺(山梨市)の農家は、暖かい軒先などに、それなりの室を作ったり、比較的湿り気の少ない畑の片隅などに穴を掘って埋けたりして、あの手この手で保存を工夫した。




 いずれも、いったん収穫した後のワザである。大根やゴボウ、人参などの場合、その方法はさまざまで、例えば、穴を掘り、横にして、そのまま埋けてしまう方法や、埋けずに斜めに寝かせて土を被せる方法も。この場合、上向きにしたまま土を被せるやり方と逆さにする方法がある。逆さにするのは大根などが新たな発芽をしないようにするためである。発芽をすれば大根本体の養分を取られ、素が入ってしまうからだ。




 それぞれの方法が一長一短。暖かすぎれば腐ってしまうし、寒ければ凍みてしまう。越冬したとしても、素が入ってしまえば食べられない。そこで、いっその事と、秋に収穫せずに畑で越冬させてみた。もちろん、そのままだと凍みてしまうから、土を盛り、藁などを被せて防寒したのである。


大根


 これがまんまと成功。大根は一本ずつ抜いてくるし、サトイモは必要なだけ掘ってくる。少しも痛んでいない。この分ではしばらく大丈夫だろう。たかが藁。されど藁。この藁の保温効果はすごい。保温の一方で、適当に風も通すからいいのだろう。この地方は早くから葡萄や桃、サクランボなどの果樹に転換され、水田が消えてしまったので、藁がなくなった。




 今は手に入りにくいから、化学製品などの代用品に変わったが、昔は筵(ムシロ)に代表されるように藁をあっちこっちに使った。農作業ばかりではない。寒さや湿度の調整に対する生活の知恵だったのだろう。我が家の藁作戦、実は隣の奥さんの知恵である。この大根やサトイモの露地での越冬、ホントは地球全体を覆う温暖化の影響かも。肌で感ずる寒さも、子どもの頃のそれと確かに違う。昔はもっともっと寒かったような気がする。




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パソコンは利口者

ii.jpg


 「おかあさん、英語の辞書、どこへやった?」


 「そんな事、知らないわよ。お父さんの辞書なんでしょう。私なんか、英語の辞書なんて関係ないわよ。まったく・・・」



 そんな女房との会話を聞いていた娘が


 「お父さん、英語の辞書、何するの?」


 女房が女房なら、娘も娘。


 「バカっ、単語、調べるに決まっているじぁないか。こんな、コメント、入っているんだけど、分からない単語があるんだよ。お前分かるか」


キーボード



 夕食が済んで母親とお菓子をむしゃむしゃ食べながら、なにやら話していた娘が、晩酌を済ましてパソコンに向かっていた私の後ろに来て



 「ああ、それのこと。お父さん、この英文で分からないことがあったら、パソコンに翻訳機能 があるんだから、それ、使えばいいじゃない。いちいち辞書なんか引かなくたっていいんですよ。パソコンんて、お利口さんなんだから・・・」



 「へえ~、そんなこと出来るのか?」



 「お父さん、何にも分かっていないんだね」



 「バカっ、お父さんに分かるわけねえじゃねえか」と開き直ったら、茶の間にいた女房が



 「お父さん、分からなかったら素直に娘に教わればいいじゃない。すぐ、バカ、バカと言うんだから・・・。まったく・・・」


パソコン加工


 女房は事ある度に娘の弁護をする。その後につくのは「まったく・・・」である。それはともかく、娘がいくつかのキーを叩いたら5~6行の英文コメントはあっという間に和文に翻訳された。「おじさん、そんな事、当たり前だよ」と、このブログをお読みいただくお若い方々に笑われるかも知れないが、私にとっては「目から鱗」であった。




 その翻訳文は、私たちが学生の頃やってきた、ぎこちない訳し方だが、そこそこの日本語になっている。若者達が、といったら叱られるから、娘達と置き換えるが、辞書を引く習慣が失われていく現実がよく分かる。国語の辞書であれ、英語の辞書であれ、そういう自分だって、あの小さな文字をページで追うことが億劫になって、今では電子辞書。いわゆる字引ではなくキーを叩いているのである。


パソコン


 娘が言うようにパソコンと言うヤツは本当に利口者だ。視覚でなんとなく覚えていれば、変換キーで難しい漢字でも、そこに導いてくれるし、お目当ての字が見つからなければ手書きで入力すれば、その字を探してくれる。表計算だってやってくれるから、無し無しの頭を使わなくてもいい。それも絶対に間違えないのだ。英語だって同じだ。



 ただ、こんなに融通の利かないヤツもない。例えば「つ」と「っ」、「ず」と「づ」、これを間違えたら絶対に許してくれない。巷にいそうな人間の利口者とよく似ている。




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電報で咲くサクラ

サクラサク



 「サクラサク」、ましてや「サクラチル」なんて言葉はまだ早い。今年はいつまでも寒く、桜の季節までにはあと一ヶ月近くかかるだろう。いつもならとっくに花開いているはずの白梅や紅梅もまだつぼみを堅くしている。そんなイレギュラーした春を前に受験シーズンが真っ盛りだ。子ども達は志望校目指してねじりハチマキ。そして否応なく運命の合格発表へと移行する。






 年配者ならこの「サクラサク」の5文字には懐かしい響きがあるだろう。そう、この「サクラサク」は合格を伝える代名詞。大学などの構内から郷里の親などに打った電文だ。電報は、その文字数で料金計算される仕組みだから、最短文字が、この5文字なのだ。誰が考えたか、貧乏学生の知恵だったのだろう。「サクラチル」となると、涙の不合格。そんな受験者と、その家族の一喜一憂が5文字の電報に託された時代があったのである。





 お若い方々は「おじさんたち、バカじぁないの。ケイタイ使えばいいじぁない。電話だっていいし、ファックスだって使えば・・・」と笑うに違いない。しかし、おじさんたちが大学受験の頃、つまり昭和30年代の半ば、特に山梨の田舎には電話が十分に普及していなかったのである。山梨に限らず、地方は全国どこも同じだっただろう。だから電報が手っ取り早い通信手段だった。その電報も料金を節約するため電文を出来るだけシンプルにしたのだ。「サクラサク」「サクラチル」は、その要件を十分に満たした。


サクラ2



 ちょっと懐古趣味になってしまうが、当時、山梨から東京に行くには国鉄(現JR)中央線で4時間近くかかった。汽車のタイプも蒸気機関車で、窓を開けていようものならトンネルを出た後の顔はススだらけ。そう、あのSLだ。中央線がオール電化され、特急が走り始めたのは、それからしばらくした40年代初頭。山梨や、その先の長野の人々にとって画期的な出来事であった。




 そして今、甲府-新宿間は特急「あずさ」が1時間半前後で結んでいる。富士山麓に近い県境ではリニアイクスプレスの実用実験が大詰めとなって、次のステップ・路線設定へと動き出している。東京―大阪を1時間で結ぶ夢の超特急・リニアモーターカー計画が進んでいるのである。


リニアモーターカー



 電話はいつの間にかケイタイに進化、大人、子どもを問わず、ポケットの中に入った。だから電報は用無しの存在に。日常生活では確実に忘れられている。密かに息をしているとすれば、結婚式とお葬式ぐらいのもの。あの祝電弔電というヤツだ。それもカタカナ文字の読みにくいものから、ひらがな、漢字交じりの普通の文章。ファックス通信をも加味しているのだろう。




 各種の手帳の後ろを見ると、年齢や計量の早見表などと共に、祝電や弔電のモデルがあって、ナンバーで申し込めるようになっている。NTTの数少ない電報ファンへのサービス。一方、支持者への祝電や弔電に気遣う政治家秘書さんにとっては、日常的におなじみだ。「サクラサク」。早く春爛漫の過ごし易い季節が来て欲しいし、受験者にも思い通りの「桜が咲いて」欲しいものだ。今は「散る桜」は見たくない。


サクラ



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少子化の波

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 母校・日川高校の卒業式で祝辞を述べた同窓会長の丸山公夫さんによれば、同校の卒業生の数は3万人を突破し、3万200人に。明治34年の創立、113年の歴史を重ねるのだから、そのくらいの数字になるのだろう。やはり丸山さんによれば、そのうち少なくとも5,000人は故人になられているという。




 同校の今年の卒業生は272人。年々、ジワジワと減っていく卒業生の数。臨席した同窓会の役員やお父さん達は一抹の寂しさを覚えたに違いない。私は昭和17年の戦中生まれ。その世代の同校の定員は400人だった。そのちょっと後の、いわゆる団塊の世代ともなれば、500人だったり、550人だったりした。その頃から比べたら、まさに半減しているのである。県教委が示した来年度の募集定員は240人。少子化の影響は留まる所を知らない。


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 一方、クラス編成は私達の時代の50人学級から40人学級へ。卒業証書授与の前段、クラスごとの卒業生名簿の読み上げを聴いている限り、一クラスの人数は30人台。少子化とは別に教育環境から見れば、格段に良くなっている。元気のいい返事と共に次々と立ち上がっていく生徒達の体は大きくなり、身長180㎝は当たり前。190㎝も珍しくはない。その体を包む服は金ボタンの学生服に取って変わって、スーツにネクタイ姿。頭は丸刈りではなく、長髪の“イケメンスタイル”。靴も揃いの立派なものに変わっていた。




 もっと構造的な変化は男子高校然としていた学校が女子で半分が占められていることであった。同校の卒業式では、皆勤賞や文武両道賞の表彰も行う。そのいずれもに女性が目立ち、文武両道賞の代表受賞者は女生徒であった。この姿は恐らく同校に留まらず、全国何処の地方の高校にも共通しているのだろう。生徒数の減少も人口が集中する大都市圏を除けば、少なからず同じであるはずだ。


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 ただ、同校で今も昔も変わらないのは校章校歌だ。我が国は戦後の学制改革で、旧制中学から新制高校に衣替え。この時、多くの学校は校名を変更、校章や校歌を一新した。同校の校章や校歌が旧制中学時代から、そのまま引き継がれたのには理由(わけ)がある。校章にも校歌にも「中学」の文字が刻み込まれていなかったり、歌い込まれていなかったことだ。校歌の何処にも「中学」はおろか、「日川」の「日」の字も入っていない。


日川高校ほか+010_convert_20110428212502


 厳密に言えば「中学」の「中」が二つ入っている。でも、これはデザイン上のこと。つまり、「中」を二つ、縦と横に重ね、それを線で結んだデザイン=写真=なのだ。在校生はむろん、同窓達は「金平糖」の愛称で親しんでいる。二つの「中」は先発した甲府中学に次ぐ第二の旧制中学の意味合がデザインの基調にあるのだ。校章よりも何よりも、校歌が変わっていない事が同窓達にとっては嬉しい。親も子供も孫も、みんな一緒に歌えるからだ。卒業式であれ、同窓会であれ、ことある度に一つの校歌を歌うのである。明治、大正生まれのお爺ちゃんも昭和生まれのお父さん、平成生まれの孫達も…。




 誰もが持つ校歌。そこには流行歌と違った何かがある。私のようにロクに勉強しなかった者でも、さまざまな青春の一コマ一コマが浮かび上がって来るから校歌とは不思議だ。




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卒業式のキーワード

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 卒業式でそれぞれの役割を果たした母校・日川高校校長、教頭は山梨県では名の知れたスポーツマンコンビ。以前にも紹介したことがあるかも知れないが、校長の松本純也氏は、同校から早稲田大学に進んで同大のラグビー部のキャプテンを務めるなど全日本級のラガー。片や教頭の武井多加志氏は、重量挙げで、これまた全国に名を轟かせた男だ。高校時代は国体やインターハイなどを軒並み制覇、法政大、さらに社会人でも数々のタイトルを手にした。




 そんな二人がリードする同校の卒業式。スポーツマンらしい規律と爽やかさが厳粛ムードの演出に一役買ったのかも。何事にも“ぶれない”姿勢にほかならない。113年の歴史を持つ同校の伝統が、そうさせているのかも知れない。小学校、中学校、高校、大学。人にはそれぞれの母校があり、そこには、いっぱい詰まった想い出や、青春がある。もちろん、苦い想い出も在るだろう。でも、過ぎてみれば、みんな懐かしい想い出だ。



一、天地の正気甲南に 籠もりて清き富士が嶺を
   高き理想と仰ぐとき 我等が胸に希望あり



二、至誠の泉沸き出でて 流れも清き峡東の
   水に心を澄ましなば 未来の春は輝かむ


日川高校校歌


 四番まである同校校歌の一番と二番。松本校長は、その校歌を引用しながら式辞の中で卒業生達にこんな餞の言葉を贈った。




 「諸君は同窓生として固い絆で結ばれている。変化の激しい時代だからこそ、希望を高く持ち、社会に期待され、社会に役立つ人間になれ。そのためには常に柔軟な思考と判断力を養っておくことが大事だ」




 「我等が胸に希望あり」。それぞれの道で自信を持って歩むことを促した。




 弁護士でもある丸山公夫同窓会長も「希望に向かって邁進して欲しい」と訴え、「人間性の陶冶は他人を思いやる心であり、誠実な心だ」と話す。校訓でもあり、校歌の一節にも刻まれた「質実剛毅」の魂を何時までも持ち続けることを求めた。


質実剛健 


 卒業式のキーワードは「大雪」「甲子園」だった。この日は山梨県下の公立高校が一斉に卒業式を開き、約7,000人の若者が学舎を巣立った。「大雪」は半月前の2月14日朝から15日昼にかけて同県を襲った未曾有の大雪のこと。日川高校ばかりでなく、どの学校でも校長の式辞や来賓の祝辞、送辞や答辞に登場しだろう。苦難克服の代名詞である。




 片や「甲子園」。こちらは日川高校だけに与えられた“キーワード”。咋夏の高校野球で山梨県を制覇、続く甲子園でも見事な健闘を見せた野球部の活躍である。私学に押されっぱなしの高校スポーツ界にあって、その健闘ぶりは同校に留まらず、山梨県中を沸かせた。キーワード「甲子園」に内蔵しているのは「やれば出来る」ということだ。校長や同窓会長、PTA会長の餞の言葉であり、社会に巣立つ卒業生達の決意でもあった。(次回に続く)




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母校の卒業式

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 限られた時間とは言え、厳粛な雰囲気の中に身を置く事の心地よさ。3月1日。今年も母校・日川高校の卒業式に招かれた。卒業生や在校生達の爽やかな一挙手一投足、無駄のない研ぎ済まされた式の進行が「厳粛さ」を醸し出すのだろう。



 「ただいまより山梨県立日川高等学校の平成25年度卒業証書授与式を挙行いたします」



 武井多加志教頭の歯切れのいい開式の言葉が済むと式場となった広い体育館の後方から在校生が奏でるブラスバンドの演奏が。国歌「君が代」。その音色は厳粛の中にも迫力がある。卒業生や在校生はむろん、教職員や父兄、私達来賓が全員、起立して国歌を斉唱。卒業式の始まりである。




 正面のステージ天井からは国旗と山梨県旗が垂れ下がり、中央の演壇脇には校旗が。松本純也校長が、その演壇に立つと卒業生の名前が一人一人読み上げられて行く。「ハイ!」。「ハイ!」…。7つのクラス担任の読み上げに応えて起立して行く卒業生の元気な返事が静まりかえった式場に響き渡った。


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 男性教師に混じって卒業生名簿を読み上げる女性教師は、申し合わせたように和服姿。校長や教頭は式服をまとっていた。卒業生名簿の読み上げが終わると、代表が中央から演壇前に上がり、校長から二つ折りにファイルされた卒業証書を受け取るのである。




 再び登壇した松本校長は胸の内ポケットからおもむろに取り出した式辞を読み上げ、丸山公夫同窓会長や奥井和也PTA会長ら来賓の祝辞が。来賓席には私達同窓会やPTAの役員、歴代の同校校長らのほか、国会議員や県議会議員、学区内の中学校の校長も。そうした来賓も一人一人そつなく紹介されて行く。




 式次第に沿って淡々と進められていくのだ。その一つ一つに無駄がない。全体に厳粛さを醸し出す由縁がそこにあるのかも知れない。在校生代表の送辞、卒業生代表の答辞。これも定番とはいえ、式は第二のクライマックスへ。答辞を述べる卒業生の代表は、3年間の学園生活を振り返りながら、感極まって声を詰まらせ、耳を傾ける人達の胸を熱くした。送辞、答辞の代表は新旧の生徒会長だろう。




 同校では国歌「君が代」の斉唱はむろん、「仰げば尊し」を卒業式の「式歌」として、きちっと位置づけている。卒業生が歌い、これに応えるように在校生の「蛍の光」が。これに校歌が続いて卒業式は最後のクライマックスを迎えるのである。もちろん、その伴奏は迫力に満ちたブラスバンドの演奏。卒業式のムードはいやがうえにも盛り上がり、ざっと1時間半のフィナーレを迎えてていくのだ。




 胸に薔薇の花を付けた卒業生達。正面の校旗や正面脇の壁に掲げられた「質実剛毅」(校訓)の掲額を見詰めながら歌う生徒達の目には涙が。卒業式のこんな光景は来賓席のオジサンや在校生の後ろにずらりと座っているお父さんやお母さん達にもみんな経験がある。その経験は私のように50数年前であったり、60年以上、逆に40年、30年前の人もいる。


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 不思議なことに、毎年、同じように繰り返されている卒業式の一コマ一コマが、みんな新鮮に映り、そのたびに心を洗われるような熱いものを感ずるのである。(次回に続く)




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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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