日本人の寿司屋さん

船  


 「へぇい いらっしゃい」



 アラスカクルーズの豪華客船のレストラン・寿司バーでへんてこな寿司を食わされた私を気遣ったのか従兄弟夫婦はハワイに戻ってホノルルの官庁街に近い所にある日本人の寿司屋に連れて行ってくれた。この寿司屋は「歌舞伎」という屋号でもう20数年この地で営業しているのだそうだ。以前にも連れて行ってもらったことがある。



 大将はもちろん日本人。新潟県の出身だという。ふけて見えるが私より5つも若い60歳だ。



 「久しぶりですね。お元気でしたか」



 私の顔を見て大将はニコニコしながら愛想よく話しかけてきた。店のつくりは10人ほど座れるカウンター席と、その手前に10人ぐらいのテーブル席が並び、そのおくにはやはり10人ぐらい座れる座敷が設けてあった。通りすがりに見るとテーブル席にも座敷にもそこそこのお客が入っていた。



 カウンター席にはマグロやアナゴ、海老、烏賊、ハマチ、ウニ、イクラ、日本の寿司屋にけして負けないようなネタが並んでいた。シャリはカリフォリニア米を使っていたが、小粒で、けしてまずくない。奥まったちょっと高いところには神棚、正面には大きな招き猫が置いてあった。棚には日本酒や焼酎も。ビールは日本のキリンを用意してくれていた。


寿司


 「やっぱり、寿司屋はこれだ」



 店のつくりや雰囲気を見る限りハワイにいることを忘れるくらいである。テーブル席と座敷にはいかにも日系人らしい家族連れと白人が桶に盛られた寿司を美味しそうにほうばっていた。まだ時間がちょっと早いのか、カウンター席にはお客はなく、大将との話は、はずんだ。



 その大将はアメリカンフットボールの大ファンだそうで、それに輪をかけたように大好きな従兄弟とよく話が合う。この大将と親子ほども歳が違うせいか、従兄弟夫婦はいつも「ヨシオ、ヨシオ」と名前を呼び捨てで呼んでいる。従兄弟夫婦も、その子供たちも寿司が大好きだそうで、週に一度か二度必ず来るのだそうだ。



 隣の席に夫婦らしい年配の白人が座った。



 「ヘロー」。そのヨシオはそれまでの新潟弁交じりの日本語から一転、英語で迎え、英語で話しかける。注文のマグロも「ツナ」変わるのである。そうなると店の雰囲気はガラリと変わり、なにかへんてこな気分になる。寿司は「スシ」だがネタはすべて英語である。




 寿司は日本の料理。だから、ネタの呼び名だって、日本語で言えばいいのに、と思った。そんな私の目を見ながら大将は「これ、しょうがねえんだよねえ。おれたちゃあ英語と日本語を使い分けなきゃならんのですよ」という。お客は普段、白人が多いから、言葉も英語のほうが多いのだそうだ。アメリカばかりでなく、あっちこっちの国で寿司が健康食として人気を集めているそうだが、その食べ方でも≪日本を主張≫できないでいる。




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へんてこな寿司屋さん

 8日間のアラスカクルーズで日本人には一人も出会わなかった。ハワイからツアーできた日系人はいたが、純然たる日本人は私たちだけ。その日系人たちも日本語はほとんど駄目。いつもこの船には日本人が少ないのか、日本人向けのサービスはゼロに等しい。


イラスト寿司


 しかし、ちょっぴりカルチャーショックに陥りそうな私たち日本人にとって嬉しくなったのは寿司や鉄板焼きのレストランがあったことだ。のぞいて見るといつも白人達でそこそこ賑わっていた。鮨バーと大きく書かれてあって、中にはカウンターもある。鮪、烏賊、海老などそこそこのネタが並んでいるが、へんてこな巻き寿司が妙に気になった。海苔を使わず、キュウリなどちょっとした具を中心に渦巻状に巻くのである。




 へんてこといえば、このレストランはへんてこだらけ。まず、外観から気に入らない。店内の装飾は唐草模様。鮨を握っている親爺、というより息子といったほうがいいかもしれないが、その男は色がちょっと黒い。おそらくタイかマレーシア人である。のっけから寿司屋に行った気分にはならない。白人の男女達が、箸を使って、ワイングラスを傾けながらへんてこな巻き寿司を食べているのである。  


寿司



食べてみたら、もっとへんてこ。シャリは細長いカリフォルニア米。百歩譲ってカリフォルニア米はいいにしてもシャリの味が全く駄目。シャリに酢を打っていないのである。「これが鮨か」、口には出さないが、腹が立った。それでも白人のお客たちはそこそこ美味しそうに食べているからなおさら腹が立つ。




 まだある。この鮨バーの入り口の壁には鮮やかな朱色で蛇の目傘が描いてあるのだが、その傘に書かれている文字がなんともへんてこである。漢字なのかなんだか分からない。ここばかりでなく船のデッキの壁面に書かれた蛇の目傘も同じだった。




 よく考えてみれば、このようなへんてこな場面は多々ある。たとえば、映画を見ていても日本人を描きながら、着ているものがチャイナ服のようなものであったり、部屋の家具がいかにも中国風であったりするケースによく出会う。欧米人は日本と中国、韓国など東南アジアの国国の区別がよく分からないのである。 




 「経済大国日本」、なんて言われているらしいから日本は世界によく知られると思っていたら大間違いということがよく分かる。日本の文化が私たちの意に反して以外に知られていないということである。国際化はどんどん進み、情報テクノロジーは急速に進化しているのに、その溝はまだまだ埋まっていない。へんてこりんな鮨バーだって、そのオーナーなり、担当者がちょっと勉強すればすぐ理解できるのに、と思うのだが・・。




 待てよ。その逆の場合はどうだ。私たちがアメリカやフランス、ドイツ、その文化を十分に理解しているだろうか。残念ながら、はなはだ疑問である。≪知っているつもり≫ だが、案外知らないことがいっぱいではないだろうか。
 同じ言葉を使うアメリカ人とイギリス人はおろかアメリカ人とフランス人の生活習慣や文化が分かるだろうかと考えたら、私はノーだ。人の事を言えた柄ではなかった。





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胃袋の違い

 よくあんなに食べれるもんだ。日本人が食べる3倍、とはいかないまでも倍以上、平気で食べてケロッとしているのである。



 ハワイ滞在中、従兄弟夫婦はランチやデナーに街の大衆レストランへ連れて行ってくれた。そこでいつも目にする白人たちの食べっぷりである。例えば、ランチ。お皿の上には幾重にも重なったハンバーガーとポテトチップス。そのポテトチップスの量も半端ではない。日本ではあんきに3人分である。

ハンバーガー


 それに飲み物もだ。セルフサービスのカウンターの端にコーラや日本では見慣れない飲み物のセルフコーナーがあって、思い思いに持ってくるのだが、その紙コップの大きさもどでかい。ハワイではコカよりペプシが強いのか、ペプシコーラコーラばっかり。他の飲み物も同じように甘い。ハンバーグをパクパク食べながら、その甘い飲み物をがぶがぶ飲み、またお変わりを持ちに行く。



 その食べっぷりにビックリしたのは私ばかりではなかった。隣に座っていた女房は日本語が相手に分からないことをいいことに「この人たち、よくあんなに食べれるわね。だからみんなあんなにデブになっちゃうんだよね」。日本ではけして人のことを「デブ」などといえた柄の体形ではない女房がまるで人ごとのように言う。アメリカを旅している間中≪デブ≫の女房が確かにスマートに見えたから不思議だ。そんな女房はこれまた人ごと、「お父さんもスマートに見えるわねえ」と、ニヤニヤしながら言った。




特に白人女性のデブっぷりは私たちの目からすれば桁外れにすごい。そもそも身長があるから若いときにはスマートで綺麗だ。しかし、ある年齢になるとぶくぶく太り出す。自分だってデブの女房が「夜寝るときベットが壊れないかしら」と、心配するほど。余計なお世話というものだが、その私もあっちこっちで出会うそのデブたちにあっ気に取られる、というより圧倒されたものだ。



 女たちほど気にならないが、男たちも同じだ。とにかくよく食べる体もでっかい。日本人とアメリカ人の胃袋の違いだろうか。5,6年前、ロス・アンジェルスに行った時も同じような光景に出っくわしたことを思い出した。そして、そこから空路ラスベカスに飛んだ飛行機の窓から延々と続く台地を見下ろしながら「こんな国のやつらと戦争をしたら勝てっこない」と、直感的に思ったものだ。食いっぷりも、第一、国土のスケールも違う。


肉



 ラスベカスはかつては緑一つない砂漠だった。そこにアメリカ人は≪ラスベカス≫という世界的といっていい歓楽街を造ってしまった。人が住む上でもっとも大事なのは水である。当然のことながら砂漠には水がない。100㌔も150㌔も先から水を引いたのである。その水で、街路樹などの緑も育てた。



 アメリカ人の開拓精神は逞しい。あの広大な国土に人口は3億前後。そのアメリカが世界の超大国たらしめている根底は、このフロンテア精神、その源は大きな胃袋かもしれない。そんなことまで考えさせられるアメリカ人の食いっぷりであった。


アメリカ星



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やっぱり日本がいい

 「おとうさん、やっぱりこれがいいね」


ハワイ、アラスカの旅を終えて帰国、家に帰った翌朝、約20日ぶりの我が家の飯を食べているとき、女房はニヤニヤしながら、それでいてしみじみと言った。



食卓に並んでいたのは、炊き立てのご飯味噌汁、うちの畑で取れたナスとキュウリのぬかみその漬物、それに焼き魚。うまい。やっぱり、これがいい。正直、私もそう思った。


ご飯味噌汁


ハワイからシアトル、そこから船に乗ってアラスカ、途中、カナダのビクトリアに寄って、シアトルに戻り、再びハワイへ。日数ではハワイが前後8日、シアトルがやはり前後2日、ビクトリアを含むアラスカクルーズが8日間。そのほとんど毎日がパンやチーズ、ステーキやローストビーフ、チキンなどの肉類、それにロブスターなどの海鮮料理。そしてフォークとナイフの生活である。

ロブスター

クルージング中のディナーはいつも豪華版。前菜からスープ、メーンデッシュ、デザートまで一流レストラン並みのメニューを用意、オーダーに応じてくれる。純白のクロースがかけられたテーブルの中央には、いかにも高級らしいワインやシャンパン。これだけは、というより、飲み物はすべてオプション料金である。めいめい渡してくれるメニュー表は、もちろん、みんな横文字。レデーファーストの国だから女性からオーダーを取る。

食4点



 女房は開き直ったのか、メニュー表を片手に「これとこれ」といった調子で、指でオーダー。そこまでは良かったが、メーンデッシュを二つも三つも。冷や汗ものである。二日目、三日目となると、ちょっぴりメニュー表の見方にも慣れて、部分的に分かる横文字から料理をイメージして、オーダーするのである。それまでが一苦労。でも料理が来てしまえばこっちのもの。食べるときだけは自信たっぷりである。  



 
こんな気苦労をしなくてすむのが、日本で言うバイキング方式のレストラン。所狭しと並べられている単品の料理や果物、それにジュースやミルクを好きなだけ持ってくればいいのだから簡単だ。気が楽になったのか、それとも欲なのか、食べる、食べる。いつもお皿一杯に持って来ては平らげるのである。「腹も身のうち」と笑ってみたが、そう言う自分にも、その≪欲≫があるのに気づいて内心、苦笑いしたりもした。




とにかく、その食べっぷりも3,4日経つとダウン。「お父さん、インスタントラーメン か カップめんでも持ってくれば良かったね」と、もう沢山、といわんばかりにニヤニヤしながら言った。「そのとおり。俺もうんざりだ」と、思ったが「あんなに嬉々として食べまくっていたじぁないか」と、からかってやったら「もういいよ」と、うんざり顔だった。




 今年の春頃だっただろうか、ご主人と8日間のフランス旅行に行ってきたという隣の奥さんが土産をくれながら「山田さんねえ、私ゃ、うちに帰った翌朝、手抜きで菜っ葉の味噌汁を作って食べたら、そのおいしこと。こんなうまいものが我が家にあったのかと思いましたよ」と、話してくれたのを思い出した。事実、私も、成田からの帰り道、石川のパーキングエリアで食べた 立ち食いそばが一番うまかったこと。やっぱり日本人だよねえ。


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欲望と不夜城のカジノ

ラスベガス夜景



 全体が煌びやかなネオンで埋まり、夜を知らない、いわゆる不夜城の街と言ったらラスベカス。この街のもうひとつの顔はカジノ、つまりギャンブルだ。5、6年前ロス・アンジェルスを経て、このラスベカスに行った事がある。宿泊したのはホテルベネチアンだった。宿泊というよりはカジノにどっぷり浸かったと言う方がいいかもしれない。


ベネチアン
ベネチアン



 ベネチアンはホテルというより、それ自体が一つの大きな街といった感じで、そのスケールに圧倒された。ホテルの中にショッピングロードやくつろぎ、散策の広場があり、ホテルやカジノがあるといった感じである。ビルのなかの街が昼間ばかりでなく、夕暮れや朝まで演出する。また一つカジノを例にとっても、そのスペースはとんでもなく広い。ゲームの途中トイレに立ったら、その帰り、自分のテーブルを見失ったくらいだ。




 ラスベカスはカジノのメッカ。しかし、その規模ではマカオがラスベカスをしのいだとも言う。マカオのカジノには30年ぐらい前、会社の同僚と行った事があるが、もう街全体ががらりと変わっているのだろう。私は自分が根っからの勝負事好きではないかと思うことがある。ちょっと誘われればソウルぐらいならいつでも飛んでいってしまう。今月の終わりに、中学時代の同級生と、またソウルのカジノに行くことになっている。




 今度のハワイ、アラスカの旅でもラスベカスに足を伸ばす予定だった。それを取りやめたのは今回のアラスカクルーズで存分にカジノを楽しめたからである。クルージングの大型客船は6階に大きなスペースを割いてカジノを設けていた。バカラやブラックジャック、ポーカー、レット・イット・ライドなどのカードゲーム、それにクラップスやビンゴ、ルーレットやスロットルマシーンなど何でも楽しめる。


ラスベカス



 カジノの雰囲気とは不思議で、そのすべてをやってみたくなる。だが、残念なことにルール、つまり遊び方を熟知していないので、いつも比較的気軽に出来るブラックジャックのテーブルに着く。カードゲームのテーブルはみんなランク別、つまり10ドル以上、50ドル以上、100ドル以上といった具合に分けてある。10ドル~500ドルのテーブルが私の遊び場である。ランクでは一番低いテーブルだ。


  カジノ



 テーブルはいずれも6,7人掛け。100ドル紙幣5枚をテーブルに出すとデーラーはまず紙幣をテーブルの上に並べて客の見ている前できちっと確認した後、それに見合ったチップを客の手元に出してくれる。カードの配り方を含めて、その手さばきは鮮やかだ。賭けるチップの量はリミットの範囲内であれば自由。客はカードの流れを見ながらチップの量、つまり賭ける金額を加減するのである。ブラックジャックは日本のオイチョカブとやり方は同じ。ただカードと花札の違い、それに上限の勝負数字が21と9の違いである。オイチョカブを知っていれば遊べるゲームだ。



 オイチョカブも同じだが、デーラー(親)が強いに決まっている。お客のほうは勝負勘とツキ以外のなにものでもない。結局は負けてしまうのだが、≪好き≫と≪欲が≫後を追わせる。いつも女房が嫌がるのも無理はない。でもギャンブルとはそんなものだ。


ドル山積み



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船上の出稼ぎ

自衛隊1


 ハワイ諸島めぐりのクルージングがきっかけで、船に乗るのが癖になったのか、昨年は海上自衛隊の体験航海に応募、横須賀や清水に飛んで、護衛艦に乗った。水平線に向かってすべるように進む船での航行はいかにもダイナミックで、気持ちがいい。体験航海だから操舵室や船橋(ブリッジ)にも入れてくれる。「面舵いっぱーい」。海上らしいスマートな白の制服に身を包んだ自衛官が双眼鏡をのぞきながら前方を確認し、操舵室に運行指示を出している。肩と胸には階級章がついていて、それぞれの立場が一目で分かるようになっている。


自衛隊2


 面舵とは右旋回、これに対して取り舵は左旋回のことを言う。「いっぱーい」は30度のことをいうのだそうだ。つまり、船は左右30度の旋回が限度ということか。護衛艦は昔の駆逐艦。自衛隊は「駆逐」という言葉を避けているのだろうか。戦艦も客船も多くはタグボートを使って接岸したり、離岸する。しかし最近ではこのタグボートを使わすにすむ機能を備えた船が増えているのだそうだ。



自衛隊3


 護衛艦と客船は目的が異なるから、もちろん見た目も中身も違う。性能は別にして、双方ともレーダーを積載、船橋や操舵室もほぼ同じだろう。当然のことながら根本的に違うのはミサイルなどの搭載。外観の色も違う。客船が極めてカラフルなのに対して護衛艦は相手の視界から見えにくいメタリック色だ。呼称は異なるが、客船でもキャプテン(艦長)以下、幹部は肩、または胸に階級章を付けていて、担当別のクルーの指揮を執っている。


自衛隊5


 例えばレストラン。クルーは幾つかのレストランを日替わりで担当しているようで、あっちこっちで同じ顔ぶれに出っくわして顔馴染みになったりもした。そのクルーばかりでなく、全艦の乗務員に言えることだが、白人より東南アジア人が多いように見えた。主にタイ、マレーシア、フィリピン人のようで、中には黒人もいた。


 日本で言うバイキング方式の大衆レストランはともかく、テーブルに高級ワインやシャンペンを並べ、個々にメニューを渡し、前菜からメーンデッシュ、デザートまでオーダーを取るレストランで、もたもたする私たちに「ジャパニーズ?」と声をかけてきた。「イエス」とこたえると「おげんきですか?」「こんにちは」と、愛想よく片言の日本語で返してくる。グアムの出身だというその男はそのクルーのチーフで、数年前、東京のホテルで接客の研修を受けたという。「研修ではなく、一度は日本に行きたい」とも。


 東南アジア系のクルーといえば、ハワイの行き帰りの飛行機の中でも同じような現象を見た。日航機だったが、かつてはスチュワーデスといった客室乗務員のほとんどがタイ人だった。この人たちをリードする日本人のアテンダントに内緒で聞いてみたら、日航では10年ぐらい前からタイ人女性を採用しているのだそうで、さらにフリピン女性の採用を検討しているという。東南アジア系の採用は何れも人件費削減策に他ならない。ことの良し悪しは別に日本を除く東南アジア人の≪出稼ぎ≫範囲はあっちこっちに広がっている。そのみんなが、それぞれ夢を持って頑張っているのである。


海

自衛隊4




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クルージングの魅力

クルージング


 凝っているといったら、ちょっと大げさだが、今、クルージングにはまっている。3年前のハワイ諸島めぐり、昨年のアラスカクルージングに次いで、今度はマイアミからロス・アンゼルスまでの旅を女房と一緒に楽しむことにしたのだ。前2回は8日間だったが、今回は15日間である。クルージングは豪華客船の旅ということもさることながら、毎たび、ホテルを変えずに旅行を楽しむことが出来るのがいい。




 陸の旅だとバスや汽車で移動し,その行く先々でホテルを変え,あの重いトランクを持ち運ばなければならない。それに比べ船の旅だと、そのわずらわしさがない。しかもお客が眠っている夜の時間に目的地まで移動してくれる。決まった船室が旅の期間中のホテルであり、行動拠点である。面倒がり屋にはこんな好都合はない。


部屋


 船はざっと20万トン。収容人員は乗客数2,500人。それに1,000人の乗務員が乗り組んでいるのだそうだ。14階建ての船には3箇所のエレベーターホールがあって、それぞれ6基のエレベーターが稼動している。船の全長は300メートル近い。いってみれば、どでかいホテルが海に浮かび、太平洋を動いていると考えればいい。その大きさゆえか、少しもゆれないから快適だ。船酔いなどの心配は全くない。
船


 船の中には大小13のレストランをはじめ,1,500から1,600人収容できるシアターやボーリング場、大人も子供も一緒に楽しめるゲームコーナー、インターネットルームや静かに本を楽しめる読書室、子供専用の遊戯室や大人の遊技場・カジノもある。普通のホテルではロビーに当たる部分は7階にあって、8階まで吹き抜けになっているこの空間には、大小の豪華なソファーがアトランダムに並び、お客同士の待ち合わせや団欒の場となる。

船の中

 また様々な問い合わせに応ずる案内カウンターやドリンクコーナー、それに大型のスクリーンを見たり、歌や楽器のライブを楽しめるようゆったりした空間を演出している。夜のひと時ともなると、臨時の写真スタジオがお目見えして、気軽に記念写真を撮ってくれる。若者たちのグループや老若を問わず、カップルたちがお気に入りのコスチュームに着替えてやってくる。どの顔もみんな楽しそうだ。
ボーリング


 このロビーがある7階は主にシアターや読書室などの娯楽施設、それに大衆レストランなどがある。長い通路の両側にはバックや香水、時計、めがね、ネクタイ、男性、女性用の衣類など各種のブランド店やお土産品店が並んでいる。その通路の一角では、臨時のスタジオばかりではなく、レストランやロビーなどでプロのカメラマンが撮ったお客さんの写真が翌日には展示される。沢山のアングルの中からお気に入りの写真だけをチョイス出来る仕組みだ。


クルーズ3



 屋上には大小のプールがあって、家族連れや若者たちが水しぶきを上げている。ちょっと気温が下がる日には温水に代わる。プールサイドには沢山のビーチチェアが置かれ、人々はサングラスをして日光浴を楽しんだり、透けるような青空の下で読書を楽しんでいた。ドリンクコーナーもある。


ジム



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日本人米軍属の母国進駐

浜辺


 海面はいつも波静かだった。遠くからだったかもしれないが戦艦の姿は一艘も見えず、どこにでもありそうな平凡なクリークでしかない。旅行中、その真珠湾を見下ろす高台の住宅街に滞在中、直感的に頭をよぎったのはあの日本軍の奇襲作戦だ。真珠湾は日米開戦、そして第2次世界大戦の口火を切った舞台である。1941年、昭和16年12月8日の出来事である。私が生まれる1年前のことだ。この事実を知らない日本人も、またアメリカ人もいないだろう。日本とか、アメリカではなく、世界中の衝撃だったはずだ。



「当時、僕は19歳。まだ兵役していなかつた。その日は日曜日の朝だった。真上を何機もの飛行機が飛んだ。一瞬はなんだか分からなかった」




ハワイ滞在中いろいろ面倒を見てくれた従兄弟は私と20歳違いの85歳。れっきとした日本人だが、ハワイ生まれで国籍はアメリカ。2歳違いの日本女性と結婚、今は、もちろん成人した1男1女と、孫4人が近くに住んでいる。夫人はかつて松竹映画の女優として活躍した人。83歳とは思えないほど若く、美しい。とんちも効いた秀才型の女性だ。結婚式の写真には小林桂樹や今は亡き船越英二らの若き日の姿があった。



銀髪に染まった頭に手をやりながら従兄弟は複雑な思いの戦争について話してくれた。



「戦後、マニラやシナを経て日本に進駐した。軍属、もちろんアメリカ軍だ。横浜で船を降り、東京に向かった。見渡す限り、一面の焼け野原だった。真っ先に探したのは、上野桜木町の実家。戦争前、日本に帰っていた親爺とおふくろは私の顔を見てビックリ仰天した。甲府にも行った。ここも鉄筋のビル(松林軒)が一つ、ポツンと焼け爛れて残っているだけで一面の焼け野原だった。薄汚れた衣服を着て、すすけたような顔の中に二つの目だけが鋭く光った少年たちがチュウインガムやチョコレートをほしがって集まって来る。あっちこっちで、そんな象徴的な光景に出っくわした」



相次ぐ空襲、果ては広島、長崎への原爆投下。見る影もなく叩きのめされた日本。住まいはおろか今日のメシにも事欠く人々。それが母国・日本の姿だった。れっきとした日本人の血が流れながら、全く立場を異にした米軍としての日本進駐。同じ日本人だから、その心の複雑さは十分すぎるほど分かる。言葉に言い尽くせぬ切なさを味わっただろう。



5年ぐらい前、やはりハワイを訪れたとき、その従兄弟は真珠湾に浮かぶ戦争記念艦・アリゾナ号に案内してくれた。日米開戦を象徴する、あの真珠湾攻撃の放火を浴び、その日の出来事をつぶさに見ていたアリゾナ号。今なお、この船の底から流れ出る油は不気味だった。あの忌まわしい第二次世界大戦をもたらした66年前の出来事を「真珠湾は忘れないぞ」といっているようであった。



昭和17年11月19日。いわゆる戦中生まれの私も今年66歳になる。わずか3歳足らずでの戦争体験。田舎に住んでいたせいか、記憶は全くない。いわゆる戦争を知らない子供たちである。忌まわしい戦争がどんどん風化されてゆく。その真珠湾と目と鼻の先にあるワイキキの浜辺ではナイスバデイの日本の若者たちが波に戯れ、はしゃいでいた。




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真珠湾が見える丘

ハワイ家2

 アメリカ旅行でハワイ滞在中は従兄弟の家にお世話になった。そこは真珠湾が見下ろせる閑静な住宅街であった。それぞれかなりのスペースを持った住宅はいずれも平屋建て。上手に区画整理されていて、街路も広く、圧迫感が微塵もない。のどかな感じを受ける。申し合わせたようにそれぞれの家には木で出来た自動シャッター付きの車庫がついていて、屋根は瓦ではなくブロックの木造りである。木造りのシャッターはどこの家も格子模様だ。




 平屋建てと併せて屋根に重量感がないのも街全体に圧迫感を感じさせない理由かも知れない。木のブロックを重ね合わせた屋根は雨の音をうまく吸収してくれるようだ。時々スコールのような雨が降ったが、少しもうるさく感じなかった。

 

ハワイ家


 これも申し合わせたように庭には刈り込み形の植木が幾種類も植栽してある。平屋建ての住宅との調和のためなのか大きな樹木は植えていない。玄関ドアを開けて中に入ろうとすると、従兄弟から「待った」がかかった。靴は外に脱いで家に入るのだそうだ。少なくともこの住宅街の家のつくりは同じだが、みんなが玄関の外で靴を脱いで入るのではない。従兄弟夫婦は日本人。欧米人のように外と内が土足の生活様式ではない。そんな詳しい説明はしなかったが、頭ではすぐうなづけた。でも、その違和感は滞在中ずっと消すことは出来なかった。ちょっと改良したらいいのにと思ったのは一緒に行った女房も同じだろう。玄関に上がりかまちがないのだから靴は外に脱ぐしかない。





 車庫はどの家も車2台が入るスペースを確保しているが、家の前の道路にはそこに入り切れない車が止まっている。夕食後、散歩がてら広い住宅街を20分ほど歩いてみた。何気なくそれぞれの家の前に止まっている車をみているうちにその車種を調べてみたくなった。結果は何とここでは90パーセントが日本車だった。ちなみにトヨタ車が大半を占めた。



車中


 ハワイには定期バスはあるが、鉄道も地下鉄もない。だから日本の田舎のように車がなければ1日とて過ごせないのである。一家に2台、3台はあたり前。成人の数だけ車を持たなければならないから、その量が多いのは当然だ。この国の車の所有率はすごく高いだろう。朝夕のラッシュ時は日本と同じようにすごい。ただ日本と違うのは道路が10車線、12車線と広いからまさに車の洪水だ。その解消策かどうか分からないが、時差出勤を採用している企業が多いのだそうで、朝4時、5時に出勤するサラリーマンも多いという。組合が強いこの国のこと、きっちり8時間労働だから帰りも早い。午後1時、2時には帰宅しているサラリーマンも多いのだ。




 ハワイは小さな島の集まり。アメリカ全土で見た場合、国土が広いから鉄道や地下鉄、それに定期バスをくまなくネットワークするわけにはいかない。車産業が発達したゆえんがそこにあるし、車がなければ一日も過ごせない現実がそこにある。ただ、この車産業、トヨタやホンダ、日産、マツダ、三菱など日本車に40パーセントのシェアを取られ、さらに追い上げられているのだから心中穏やかではないだろう。現に経営危機に陥っている有力メーカーも出てきているという。さてオバマ大統領はどんな救援策を取るのだろう。





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8という数字

ハワイ8

 

「七転び八起き」とか「末広がり」といって、わが国では8は縁起のいい数字だ。しかしハワイ王朝にとって8という数字は、結果的にその終焉を意味する不吉なものであった。

 


 かつてこの王朝が支配したハワイには8つの島がある。南からハワイ島、マウイ島、ラナイ島、マルカイ島、オハフ島、カウアイ島、それに人を寄せ付けない無人島と、個人が所有する島だ。ご存知、州都ホノルルはオハフ島にある。




 アラスカに次いで50番目の州になったハワイ全土の人口は今、ざっと120万人。うち約80万人がホノルルを中心としたオハフ島に住んでいるのだそうだ。一年中アロハシャツとサンダルがあれば過ごせる、まさに世界のリゾート地である。ワイキキの浜辺では1年を通してナイスバデイの若者たちが海水浴やサーフインを楽しみ、リタイアした老夫婦たちものんびり日光浴をしている。白人や黒人に混じって浜辺ではしゃぐ日本人の姿も少なくない。ただ、一年中アロハシャツとサンダルがあれば過ごせるということは、裏を返せば、ここで世界のファッションなどというものは決して生まれるはずがない。




 ハワイはもともとは一個の王国。あの有名なカメハメハ大王から始まって8人の王様が8つのハワイ諸島を支配するのである。しかし8世でハワイ王国は終焉を迎え、1889年、アメリカ合衆国に組み入れられる。建国から98年、ハワイ王国は100年足らずの歴史しかないし、アメリカになっての歴史も120年足らずということになる。




 ハワイ王国はどうして100年足らずで崩壊してしまったのか。ホノルルからそう遠くないところにあるビショップ・ミュウジアム(博物館)の学芸員によれば、血族結婚にその原因の一つがあった。ハワイ王朝は代々、王族間で婚姻が結ばれた。そのためか病弱の王が多く、100年足らずで8人が王様を交代するハメになった。ひとりが平均12年3ヵ月しか王位を勤めなかったことになるから、いかに短命政権が続いたかが分かる。




 そのことに気づいた王室は8世(女王)のとき、その婿に一般人を迎え入れた。しかし時はすでに遅く、8世の女王は20歳台の若さで病死、王家の血筋は完全に絶えてしまったのである。皇室間の婚姻に終止符を打ち、2代に渡って皇太子妃を一般人から迎かえたどこかの国とよく似ている。皇室ではないが、265年続いた日本の徳川幕府の将軍職は15人。1人平均の在職期間は176ヵ月。やはり、それほど長くはないが、ハワイ王朝とはちょっと違う。徳川幕府は家柄を重んじた縁組の一方で、万一の場合を考え、後継者を確保する手段として公式に≪大奥≫というシステムを作った。そこには血縁の近い婚姻がもたらす弊害を避けようという意図もあったのである。




 女王を亡くした婿は王家の全財産を学校や博物館の建設などハワイの公共事業に寄付、98年のハワイ王朝に終止符を打ったのである。その人の名がビショップ氏、この博物館も王朝が崩壊した年に建てられたもので、ビショップの冠がつけられた建物は威厳をも漂わせる見事な建築だ。その年は1889年というから日本の明治中期である。中身も2400万点をも所蔵、当時のハワイ原住民の生活や風俗、習慣が一目で分かるよう気を配っている。




 ハワイの原住民には生活の中に文字というものが無かった時代があった。カメハメハ大王の後を継いだ2世の王(カメハメハの息子)は、このことを憂い、12の文字からなる言葉を作った。いわゆるハワイ語である。アルハベットが26字だからその構成は極めて少ないが、人々に文字による言葉が初めて生まれたのである。3世(2世の弟)は土地を住民に解放する一方、コイン(通貨)や切手を発行、ホノルルをハワイの首都に定めた。こうしてハワイ王朝は国家としての体裁をだんだん整えていくのである。さらに4世(3世の甥)は病院を作り、5世(4世の兄)は日本と平和条約を締結して外交への足がかりを作った。6世は老人ホームを造り、7世はサトウキビ農場を奨励して住民の経済基盤を確立したのである。特に7世は平和条約を足がかりに日本の皇室との縁組を提案している。しかし、この提案は実らず、8世の民間アメリカ人迎え入れにつながっていく。そのころ日本の天皇家がハワイの皇室と縁組をするはずがない。




 王を王室だけで継承したのは5世まで。6世から議会から選ぶ、いわゆる公選制にしたのである。血縁による婚姻から起きる弊害で王位の継続すらままならないハワイ王朝の裏側が透けて見える。例えば2世の兄から王位を継承した3世は、若干10歳であった。

博物館

ビショップ・ミュウジアム

 ビショップ・ミュウジアムのエントランスホールには、左側にハワイ王朝最後の女王8世の肖像画が、右側にその婿ビショップの肖像画が大きく掲げられ、その右側の大きな部屋には威厳と威儀をただしたカメハメハ大王から7世までの肖像画が展示されている。

肖像画


 エントランスをはさんで右側、さらに2階、3階の大きな展示ホールにはざっと2,400万点といわれるハワイの歴史、文化、自然にかかわるコレクションが並んでいるのである。その一つひとつにハワイと南太平洋諸島の逸話をはらんでいることは間違いない。


メモ

※ハワイ州の木 ククイ=レイに用いたり、種はキャンーナットに。

※クアの木 成長が遅く80年で1メートル キャプテンクックが貿易に。白檀。

※ティの木 魔除け,葉はラウラウの料理に。




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美人とのすれ違い

赤トンボ



 芽を出した大根畑で草取りをしていたら、赤とんぼが飛んでいた。秋の到来を実感する瞬間だった。でも残暑はきつい。今日も30度を超しているだろう。額の汗を首にぶら下げた手拭で拭いながら、その赤トンボを目で追っていたら、その先に真っ白い蝶ちょが。はて? この時期に、こんな蝶ちょがいたっけ。春じゃあなかったか。いかに、自然に無頓着に過ごしていたかを実感した一瞬でもあった。





 問題は、白い蝶ちょだ。これまでなら確実に、ヒラヒラと舞うこの蝶ちょを、可愛らしく思い、目を細めて追っただろう。だが違った。瞬間的に、追っかけて捕まえ、すりつぶしたくなった。「お前は異常性格者か」と、ひんしゅくを買うかもしれないが、異常性格でもなんでもない。単なる立場の問題だ。実はこの蝶ちょ、無邪気に初秋の空を舞う赤とんぼと違い、ちゃんと目的があるのだ。可愛らしく、舞っているようだが、実は魂胆があるのである。


蝶


 やっと芽を出し、二枚葉になったばかりの大根の葉っぱの裏側に、次々と卵を産み付けるのだ。この卵はやがて蝶の幼虫となって、大根の葉っぱを食いつぶすという寸法である。よほどののうてんきでも、可愛い、などと言ってはいられまい。汗だくで種を蒔き、晩秋というか、初冬の収穫を夢見ている百姓にとつては天敵以外のなにものでもない。





 蝶ちょへの恨み節はさておき、残暑はあってももう秋だ。日が暮れれば庭先の植え込みからはコーロギや鈴虫の鳴き声が。私はこの時期になると毎夜のように密かに外へ出る。虫の音を聞くためではなく、ある美人に会うため だ。




 「お父さん、毎晩、外に何しに出るの」。女房の疑いを込めた問いかけに「美人に会いに行くんだよ」と、言ったら「なに馬鹿なこと言ってるのよ」と、これまた、けげんな顔。庭先の月下美人を見に行っていることを知った女房は「ああ、そうか。もうそんな季節になったんですねえ」。うちの女房、極楽トンボで、季節感がねえのかなあ。


月下美人2



 我が家の月下美人は一昨年、親しい友が鉢植えで持って来てくれたものだ。昨年も見事な大輪を三つも四つもつけた。色といい、形といい、まさに美人である。なんともいえない気品も備えている。才色兼備である。その上、なんともいえない、いい香りを放つ。シャネルやエルメスなど世界の香水ブランドでもこの香りはつくれまい。ご存知、月下美人は夜、花を開き、一夜にして萎む。「美人薄命」という言葉はここから来たのだろう。



月下美人1



 今年はその美人とすれ違いになってしまった。マージャン会や無尽会で、留守にした夜に咲いてしまったのである。シワだらけに萎んだ≪昔の美人≫がいくつもぶら下がっていた。私が「美人、美人」と言うものだから女房は何を勘違いしたのか「お父さんねえ、≪美人は三日で飽きる、ブスは三日で慣れる」と言うんだよ」と。「じゃあ、救いようのないブスはどう言うんだ」と聞いたら「一円玉ブス、と言うんでしょう」。「そうだよなあ、これ以上、壊しようがねえものなあ」。「お父さん、美人に逃げられたからといって八つ当たりはよしてよ」と笑っていた。とにかく美人との再会は来年までお預けだ。






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ユリの花と本当の百姓

 「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」

 そこまで書いたら、覗き込んでいた女房が「ヘンな事かかないでよ」と言いながら「立てばビヤ樽、座ればたらい、歩く姿はドラム缶、でしょう」と、かる口を叩いた。このところ、女房を引き合いに出して書くものだから、機嫌が悪い。「お前なんか、お世辞にも、立てば芍薬・・・なんて言えないよなあ」と、返そうと思ったがやめた。


ユリ2



 我が家の植え込み、畑の周りや隅々では今、ユリの花が満開 だ。真っ白いラッパのような花を付ける。一本に三つ四つ、多いものでは五つも六つも。その咲きっぷりはなんとなく控えめで、満開と言う表現はふさわしくないかもしれない。いかにも地味だが、白い花は周りの緑や真っ赤な百日紅の花と見事なコントラストを見せてくれる。



ユリ1



 この時期、我が家の周りで、花といえば、このユリや百日紅のほか、すごく地味な露草くらいのもの。コスモスにはちょっと早い。百日紅の開花時期の息は長く、9月終わりまで咲いているから、今を盛りと咲くユリは遅くに開いて、すぐ散る運命。花びらを落とすとその跡に種の袋が膨らむ。このユリ、今年はやけに大きい。2mを超すものもいっぱいだ。こんなに背丈が大きいユリは始めてである。天候異変のためだろうか。頭が重いので風でも吹けばひっくり返りそうだ。


ユリ3



 畑とは別に、5反ほどあるぶどう園は隣部落の人に作って貰っている。ピンポン玉をひとまわり小さくしたような大きな粒をつけたピオーネの房が収穫期を迎えている。勤めをリタイヤする時には「よーし、今度は俺がいい葡萄を作ってやる」と,本気で思った。しかし、その序盤でやってみた畑仕事、それよりなによりも、作ってくれている人のきめの細かい仕事っぷりや手法を見ていたら「これは駄目だ」と、思った。


葡萄



 なぜかって? 労力もさることながら、技術が全くない。技術なら覚えればいいじゃないか、とお思いの方がおいでかもしれないが、どうして、どうして。一朝一夕に覚えられるものではないし、経験が育むカンはすぐには掴めない。果樹農家は毎年、成功と、失敗を繰り返し、さまざまの研究を重ねながら、今日の葡萄を作っているのである。




 ぶどう狩りを楽しんだり、ただ食べている人たちには分からなくていい。果樹作りや百姓を甘く見てはいけないことを思い知った。そればかりではない。私にとって、絶対駄目だと思ったのは、地域ブランドを壊し、隣近所にご迷惑をかけかねないことだ。いい加減なものを作ればブランドの足を引っ張るし、消毒の手を抜けば病害虫の温床になり、隣近所に降りかかるのである。そんなことが出来るはずがない。


葡萄



 大根やジャガイモは種を蒔けば芽を出し、そこそこの収穫が出来る。しかし、そんな家庭菜園に毛が生えたような百姓とは違う。勝沼で一町七反のぶどう園を栽培するマージャン仲間の同級生は「どんなに遅く寝てもお天とう様が出る頃には畑にいる」と、言う。その手を見ると、グローブのように大きい。




 その仲間のように本当の百姓は、大根やジャガイモなんか作っていない。忙しくて、そんなところに手が回らないのである。俺はあきらめた。家庭菜園に毛が生えた百姓でいい。





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おかんなりさん

 鬼がトラの皮を肩からまとい、首に数珠のようにかけた太鼓を叩いている。鬼だから二本の角を出しているが、決して怖くはなく、笑っているようで実にユーモラスだ。雷さま、雷神の絵である。誰が書いたのか知らないがうまく表現したものだ。


雷さま



 その雷が今年はやけに多いような気がする。こうしてパソコンを叩く窓越しの闇に稲妻が走ったかと思うと、間髪をいれずにゴロゴロっと雷鳴が響き渡る。その次に来るのが雨だ。真っ昼間の雷鳴だってある。



 物事にハマルとは不思議なもので、畑にいても直感的にパソコンのデータが気になる。いつも野良着のズボンに押し込んでいる携帯電話で家にいる女房に連絡してパソコンの電源を落としてもらうのである。



 今のことだから、雷へのガードぐらいしてあるのだろうが、そんなことがよく分かっていないアナログ人間は電源を切らなければ不安なのだ。「どっちみち使わないのだから、外に出るときぐらい電源を落としておけばいいのに」と、女房は言うが、そこがズボラ人間の成せるワザだ。



 この雷、日本人は、なぜか敬語をつけて呼ぶ。「おかんなり」「かみなりさん」。さらに頭に「お」を、尻に「さん」を付けて「おかんなりさん」とも言う。童謡であり、文部省唱歌の「富士山」では、その一節で「雷様」と歌っている。インターネットで調べてみたらこの歌の作詞は 巌谷小波という人だそうだ。



 ご存知、歌詞はこうだ。


     「あたまを雲の上に出し 四方のお山を見渡して 雷様を下に聞く 
冨士は日本一の山」


富士山  


 富士山は3,776m。「雷様を下に聞く」のだから雷は少なくと 3,700m以下の所で発生することになる。ちなみに富士山の高さは「ミナナロウ富士山のように」と覚えればいい。いい歳して馬鹿なこと言ってるじゃないよ、と言われるかも知れないが、飛行機の上で雷を聞くことはない。ところで、雷をどうして敬語で呼ぶのだろうか。昔から怖いものの例えで「地震」「雷」「火事」「親父」という。語呂との絡みもあるのだろうが、雷は地震の次だ。雷神という言葉があるように人々が恐れ、慄いた存在であった証だろう。




 もう一つ。私にはそれを科学的に説明することは出来ないが、昔から農家の人たちは「雷が多い年は豊作だ」と言った。その根拠は雷が空気中に窒素を合成するからだそうだ。ご存知、窒素はリン酸、カリと共に植物の3大栄養素の一つ。それを只で作り、五穀豊穣をもたらしてくれるとあったら、やっぱりありがたい神様だ。



 雷の次の「火事」は別として、「親父」はそんなに怖い存在だったのだろうか。地震や火事ほどではなかったが、やっぱり親父は怖かった。しかし今の親父はどうか。威厳がなくなっているどころか、うかうかしていたら子供に金属バットで殺されかねない時代になってしまった。親父が「おかんなりさん」を落とせなくなったのである。





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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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