薀蓄のある言葉

 「いればうるさい、でも、いなきゃ寂しい」
女房のさりげない一言だが、言い得て妙。大げさだが、薀蓄すら感ずる。亭主とは、また、夫婦とは、よく考えてみればそんなものかもしれない。

夫婦

 この言葉は、今は家を空けることなど以前と比べればめっきり少なくなったのだが、それでも仲間との一泊二日、二泊三日の小旅行、飲酒運転が出来ないので宿泊形式でする忘年会や新年会、それに、時折はもつれ込んでしまう徹夜マージャン、そんな時の女房のちょっとした台詞だ。




 若い頃というか、サラリーマン現役時代は、そんな事を言ったり、ましてや感心したりしている心の余裕や暇はなかった。朝起きれば決まった時間には家を飛び出し、帰宅する夜も遅い。時には午前様だって珍しくない。それが当たり前だから、正直言って家も女房も省みたことはほとんどなかった。


夫婦#12860;

 仕事が終われば、仲間と居酒屋へ。仕事をめぐって青臭い議論もすれば、上司や先輩を酒の肴に愚痴も言う。はしごの先に行き着くところはマージャン荘。そこから先はお決まりの午前様。家で待っている女房達はともかく、自分たちにとっては格好のストレス解消策だった。そんな事を繰り返していても疲れなかったし、逆に生き生きしてさえいた。もちろん、振り子のような規則正しい人間もいないわけではない。が、そんなバカなサラリーマンが多かったことも事実。

サラリーマン
 こんなことを言ったら世のお父さん、お母さんから白い目で見られ、ひんしゅくを買うかもしれないが、ここで白状すれば、一人娘が顔を見るたびに、大きくなるのがよく分かった。仕事柄、朝や昼、夜が不規則だから、幼い娘の顔を見ることが少なかったからだ。娘側から見れば、私は時々来るどこかのおじさんみたいなものだったのかもしれない。
子供
 こんな事があった。娘が幼稚園の頃だっただろうか。ある日曜日、娘が友達の家に行ったら、そこには、お友達のお父さんがいて、子ども達と一緒に犬小屋を作り、一緒にインスタントラーメンを食べた。それが、うちの娘にはびっくりするほど特別の事に映ったのだろう。家に帰った娘は母親である女房にそのことを話したという。




 ハッとした。これじゃあいけない、と思った。それからは、時間を見つけては少なからず娘と遊ぶことを心掛けた。休みをやりくりして海にも行った運動会幼稚園の父親参観にも顔を出してやった。その時の、娘の嬉しそうな顔を今でも忘れられない。その娘が今では、このブログ作りやパソコンの先生の一人である。




 夢中と言ったら大げさかもしれないが、そんな若かりし時期、女房だって「いればうるさい、いなきゃ寂しい」なんて、感傷的なことを言っている暇もなければ、余裕もなかっただろう。そうとは思いたくないが、歳をとった証拠かもしれない。それに、甲府での生活から一転、田舎生活が本当に落ち着いていない証かも。それにしても、夫婦とは空気のようでいて、空気ではない妙なものである。

夫婦3



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パソコンは利口者

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 「おかあさん、英語の辞書、どこへやった?」


 「そんな事、知らないわよ。お父さんの辞書なんでしょう。私なんか、英語の辞書なんて関係ないわよ。まったく・・・」



 そんな女房との会話を聞いていた娘が


 「お父さん、英語の辞書、何するの?」


 女房が女房なら、娘も娘。


 「バカっ、単語、調べるに決まっているじぁないか。こんな、コメント、入っているんだけど、分からない単語があるんだよ。お前分かるか」


キーボード



 夕食が済んで母親とお菓子をむしゃむしゃ食べながら、なにやら話していた娘が、晩酌を済ましてパソコンに向かっていた私の後ろに来て



 「ああ、それのこと。お父さん、この英文で分からないことがあったら、パソコンに翻訳機能 があるんだから、それ、使えばいいじゃない。いちいち辞書なんか引かなくたっていいんですよ。パソコンんて、お利口さんなんだから・・・」



 「へえ~、そんなこと出来るのか?」



 「お父さん、何にも分かっていないんだね」



 「バカっ、お父さんに分かるわけねえじゃねえか」と開き直ったら、茶の間にいた女房が



 「お父さん、分からなかったら素直に娘に教わればいいじゃない。すぐ、バカ、バカと言うんだから・・・。まったく・・・」


パソコン加工


 女房は事ある度に娘の弁護をする。その後につくのは「まったく・・・」である。それはともかく、娘がいくつかのキーを叩いたら5~6行の英文コメントはあっという間に和文に翻訳された。「おじさん、そんな事、当たり前だよ」と、このブログをお読みいただくお若い方々に笑われるかも知れないが、私にとっては「目から鱗」であった。




 その翻訳文は、私たちが学生の頃やってきた、ぎこちない訳し方だが、そこそこの日本語になっている。若者達が、といったら叱られるから、娘達と置き換えるが、辞書を引く習慣が失われていく現実がよく分かる。国語の辞書であれ、英語の辞書であれ、そういう自分だって、あの小さな文字をページで追うことが億劫になって、今では電子辞書。いわゆる字引ではなくキーを叩いているのである。


パソコン


 娘が言うようにパソコンと言うヤツは本当に利口者だ。視覚でなんとなく覚えていれば、変換キーで難しい漢字でも、そこに導いてくれるし、お目当ての字が見つからなければ手書きで入力すれば、その字を探してくれる。表計算だってやってくれるから、無し無しの頭を使わなくてもいい。それも絶対に間違えないのだ。英語だって同じだ。



 ただ、こんなに融通の利かないヤツもない。例えば「つ」と「っ」、「ず」と「づ」、これを間違えたら絶対に許してくれない。巷にいそうな人間の利口者とよく似ている。





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物忘れ

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 「俺ねえ、最近、物忘れがひどくてねえ…。朝、昼、晩の薬を、ちゃんと飲んだかどうかを忘れちまうんだよ」


 「俺もそうだ。久しぶりに出会った仲間の名前を咄嗟に思い出せないことがあるのさ」


 同級生仲間でつくる無尽会で、お酒を酌み交わしながらの、たわいもない会話である。


 「オジサン、それって、認知症の始まりじゃあないの?」


 お若い方なら、そう言うに決まっている。確かにそうかもしれない。でも、当のご本人達は、まったく自覚はなく、あっけらか~ん、としているのである。




 そんなお気楽・極楽人間も、考えてみれば御年72歳。4月12日生まれの仲間の場合、あと20日足らずで73歳になる。「オレ、夜、よく眠れないんだよ」。精神安定剤を服用するようになったという。大好きだった麻雀も、もう半年以上やっていない、お酒も減った




 お前はどうだって? 私の場合、人間ドックで一般に言う「不整脈」(心房細動)が見つかり、もう1年以上も前から朝晩の薬が欠かせないでいる。その上に、先頃、思い切って受けた脊髄手術の術後に絡む薬も。大なり小なり薬のお世話にならなければならない年齢になったということか。血圧の薬を服用している仲間も少なくない。


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 問題は、その薬。「さて、今朝は飲んだっけ」。飲んだかどうかを忘れてしまうのだ。そんな私をお見通しなのか、義妹(いもうと)が薬のケースを買ってきてくれた。このケース、縦20数㎝、横10数㎝のプラスチック製。縦に月曜日から日曜日までの曜日、横に朝、昼、夕、夜の表示があるコンパクトな分類ボックス。そこに医者から処方された薬を入れて置きさえすれば、一目瞭然。私のような認知症予備軍でなくとも便利至極だ。




 「やあ~、お久しぶり」


 たまたま、街で行き会った顔見知り。握手をし、話し出したまではいいのだが、その相手の名前が、なんとしても出て来ない。苦悶の末、咄嗟の知恵?「今どこにいるんですか?名刺を下さいよ」。話し込んでしまったが故に「どなた様でしたっけ」などと言えなくなってしまったのだ。



 「何を仰るんですか。お互い、この年齢になれば、名刺を持つような立場にはないではありませんか」

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 もう何十年か前の話。こんなこともあった。もちろん私は若かった。近所に住むおばさんが私に会う度に「うちの嫁は、ご飯を食べさせてくれないんですよ。そればかりではない。私のお金や着物まで盗ってしまうんだよ」と、あからさまに言うのである。歳は60歳半ば。丸々と太り、身なりも綺麗にしていた。




 ご飯を食べたことを忘れ、自分のお金や物の所在が分からなくなってしまっていたのだ。当時は認知症などと言う言葉は無く、痴呆症と言った。「高齢化が進めばこういう人は増えるんだろうな」と、他人事のように思った。そんな私が同じように…。そんなことを考えるとゾッとする。「オレは大丈夫」だって? あなただって、そんなことを実感する時が必ず来ますよ。





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春爛漫への序奏

 赤く咲いた冬の花・山茶花がいつの間にか消え、その後を追うように淡く咲いていた庭先の白梅もすっかり花を落とした。一足遅れで満開になった紅梅も春の嵐にハラハラと散った。その足元では水仙が黄色い花を。紅白の梅からバトンを受けたように、今度は杏が大きな木に薄いピンクの花をいっぱいに咲かせている。

花



 は梅と同じで木に勢いがある。だから太い徒長枝を秋口に強めに切り落としてやった。昨年までは、剪定の時期が悪かったのか、大きな木をしているくせに、ひとつも実をつけなかった。それとも、一本だけだと、自然受粉が出来ないのか。杏のことは定かではないが、例えば、サクランボの場合、必ず二本以上植えろ、と教わったことがある。現に知人の家の庭先にあるサクランボは、太く、樹勢はあるのだが、ひとつも実をつけない。




 子どもの頃、我が家と隣の家の畑を挟んだ境に大きな杏の木があった。6月頃になると、熟した黄色い実がポタポタと落ちる。その杏の甘酸っぱい味が今でも忘れられない。その木の代わりのように、我が家の庭先で大きくなった杏の木を見上げながら、今年こそは、実をつけてくれよ、と祈るような気持ちだ。もう80歳近くになる隣のおじさんにも≪懐かしい味≫を味合わせてあげたい。


花4



 「サクラ切るバカ、ウメ切らぬバカ」という言葉がある。「サクラ切るバカ」はアメリカの初代大統領・ワシントンの幼年時代のエピソードから来ているのだろうが、確かに、ウメは切らない方がバカ。若ければ若いほど、樹勢が強く、放って置くと藪のように大きくなってしまう。そうなると風通しや、陽の当たりも悪くなるから、実をつけにくくなくなるのである。特に、徒長枝の剪定は絶対条件。杏だって同じだ。


花2


 杏の木の足元では、蕗が一面に緑の丸い葉をつけて地面を埋めている。酢味噌和えや天ぷらにして食べたフキノトウは、もはや見る影もない。その傍らで椿が一輪、二輪と真っ赤な花をつけ始めた。裸になって久しい何本ものカエデも枝の芽を徐々に膨らませ、葡萄園の下ではハコベラが小さな赤紫の花を一面に咲かせている。


 フキ


 窓越しに真っ白い雪をかぶって浮かんでいる富士山も、ひと頃のような冷たさを感じさせない。むしろ優しく見えるから不思議だ。薄っすらとかかる春の霞がそうさせているのだろう。


花3


 そういえば、昨日の新聞には、甲府地方気象台が発表したサクラの開花宣言の記事と写真が載っていた。平年より9日、昨年より4日も早いという。サクラの開花宣言は春到来の証である。しかし、実際には気象台が指定する標準木に数輪の花をつけたのに過ぎない。本当のサクラの花を見るのはまだ先だ。今はいわば、春爛漫への序奏なのである。


庭で


 花は蕾から三分咲き、五分咲き、八分咲きがいい。今年はどうやら満開が早そう。4月の第一土曜日には甲州・山梨の一大イベント・甲州軍団出陣がある。いつもの年なら満開のサクラの下で、戦国絵巻が繰り広げられるのだが、今年はサクラ吹雪の中での出陣になりそう。それも風情がある。甲府の街は大勢の観光客で、今年も賑わうだろう。





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富士山は化粧上手

富士の山


 あと4~5日もすればサクラが咲き、春爛漫を迎えて行くというのに、窓越しに見える富士山は、今も厚い雪をかぶったまま。一方の南アルプスや八ヶ岳も同じだ。さすがに、前衛の山々には雪はない。だから、富士山や八ヶ岳、南アルプスの北岳や甲斐駒ケ岳、白根三山が一層、際立って、輝いて見えるのだろう。





 それにしても富士山とは不思議な山だ。当然のことだが、冬になれば雪化粧をするし、夏が来ればすっぴんになって、茶色く、どす黒い地肌を見せる。雪化粧も、その時々の寒さや気象に合わせて薄くしたり、厚くしたりする。うちの女房よりずっと化粧上手だ。朝には朝、夕には夕の顔がある。すっぴんの地肌だって色を変えて化粧する。


富士山



 朝日を浴びれば東側の片方の頬を爽やかに輝かせるし、夕日を頂けば見事な赤富士に変わる。二十四節気があるように太陽の黄道が違うから、その高さも光線の角度も異なる。雨も降れば風も吹く。富士山はその一つ一つに機敏に反応するのだ。毎日同じように、どっしりと座っているようだが、一度として同じ顔を見せたことがない。




 この富士山、これも当たり前だが、見る方角によって、その容姿がみんな違う。一般的には東富士とか北富士というが、南富士、西富士だってある。静岡の市街地や伊豆の海からの富士は趣を異にするだろうし、神奈川の小田原の富士は違う。山梨から見た場合でも、富士吉田市や富士河口湖町など、文字通りの山麓地方からの富士と私が住む甲府盆地の東部では、その形は微妙に異なる。第一、甲府盆地では前衛の御坂山塊に遮られるから雄大に尾を引く裾野は見るよしもない。盆地の中心・甲府の南部では前衛の角度で、まったく見えない所もある。

富士山3



 その時々、その場所場所によって顔を変えるばかりではなく、怒ったり、笑ったり、泣いたりもする。静岡や神奈川の地元の人たちもそうだろうが、山梨に住む私たちは、その時々の富士山の、そんな顔を見ながら、その日の天気を占ってきた。今は、気象予報も衛星のITを駆使しているので、テレビやラジオが伝える情報にほとんど狂いがない。勢い、気象衛星は富士山頂の測候所をも駆逐、その施設と人を山頂から追っ払った。




 富士山が吹雪き始めれば下界は寒いし、富士山の上にかかる雲の形、雲の発生の仕方によって風が吹くか吹かないか、その強弱まで分かるのだ。先人から伝えられた生活の知恵である。天候ばかりではない。富士山の表情を農作業の目安にだってする。


赤富士



 毎年、4月から5月の中旬になると富士山の中腹に≪農鳥≫が出現する。冬の間、厚く覆っていた雪が次第に融け、その過程で、残雪が鳥を形作るのである。農家はその出現を、それぞれの種蒔きや田植えの準備などの目安にして来た。農鳥は富士山が発信する初夏の合図であり、農作業へのゴーサインなのだ。




 「富嶽三十六景」の葛飾北斎に代表される江戸時代の浮世絵師達は好んで富士山を描いた。安藤広重も同じだ。行角など修験者が導いた富士山信仰(富士講)とともに、彼らはユネスコの世界文化遺産登録に一役買った。時空を超えて現代に蘇ったのである。その絵の多くは東側、つまり、静岡側からのものが多い。しかし、男らしい富士を見るなら北富士、山梨県側からに限る。身贔屓ではなく、これホント。 静岡側からのそれは女性的だ。





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越冬の大根

大根2

 我が家の大根やサトイモは確実に越冬した。二十四節気のひとつ・啓蟄も過ぎた。そして山梨だって桜も花開いてくるに違いない。もちろん寒暖の揺れもあるだろう。震え上がるような寒さに見舞われることもないとは言えない。しかし、もう冬に逆戻りすることはあるまい。




 ここで言う大根とサトイモの越冬は露地、つまり畑で収穫しないまま冬を越したということである。大根は秋口に、またサトイモは夏前に種(芋)を蒔き、初冬の11月頃、収穫する。大根は、ご存知、沢庵など漬物にする一方、さまざまな方法で保存しながら食卓に乗せていく。サトイモや人参、ゴボウも同じだ。



葱


 言うまでもなく、大根や人参、ゴボウ、サトイモなど総じて秋野菜は、寒い冬が来る前に収穫しないと、凍みてしまい、食べられなくなってしまう。夜から明け方にかけては間違いなく霜がおり、そればかりか気温がグングン下がれば、当然のことながら日中も含めて地面は凍る。水分を多く含んだ野菜は、この寒さにひとたまりもない。
この寒さに耐えるのは春や初夏に向けての野菜、エンドウやタマネギ(写真)などだ。

野菜


 その昔から我が家も含めて、この辺(山梨市)の農家は、暖かい軒先などに、それなりの室を作ったり、比較的湿り気の少ない畑の片隅などに穴を掘って埋けたりして、あの手この手で保存を工夫した。




 いずれも、いったん収穫した後のワザである。大根やゴボウ、人参などの場合、その方法はさまざまで、例えば、穴を掘り、横にして、そのまま埋けてしまう方法や、埋けずに斜めに寝かせて土を被せる方法も。この場合、上向きにしたまま土を被せるやり方と逆さにする方法がある。逆さにするのは大根などが新たな発芽をしないようにするためである。発芽をすれば大根本体の養分を取られ、素が入ってしまうからだ。




 それぞれの方法が一長一短。暖かすぎれば腐ってしまうし、寒ければ凍みてしまう。越冬したとしても、素が入ってしまえば食べられない。そこで、いっその事と、秋に収穫せずに畑で越冬させてみた。もちろん、そのままだと凍みてしまうから、土を盛り、藁などを被せて防寒したのである。


大根


 これがまんまと成功。大根は一本ずつ抜いてくるし、サトイモは必要なだけ掘ってくる。少しも痛んでいない。この分ではしばらく大丈夫だろう。たかが藁。されど藁。この藁の保温効果はすごい。保温の一方で、適当に風も通すからいいのだろう。この地方は早くから葡萄や桃、サクランボなどの果樹に転換され、水田が消えてしまったので、藁がなくなった。




 今は手に入りにくいから、化学製品などの代用品に変わったが、昔は筵(ムシロ)に代表されるように藁をあっちこっちに使った。農作業ばかりではない。寒さや湿度の調整に対する生活の知恵だったのだろう。我が家の藁作戦、実は隣の奥さんの知恵である。この大根やサトイモの露地での越冬、ホントは地球全体を覆う温暖化の影響かも。肌で感ずる寒さも、子どもの頃のそれと確かに違う。昔はもっともっと寒かったような気がする。





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ちゃんこ料理とお相撲さん

 ちゃんこ鍋 


 大相撲春場所は間もなく千秋楽。ちゃんこ鍋と言えばお相撲さんだが、ちゃんこ料理の店はあっちこっちに出て、ちゃんこ鍋はすっかりポピュラーになった。山梨の郷土力士・富士錦関が高砂親方になる前の尾上親方の時代、親方が経営しているちゃんこ料理屋に案内され、ご馳走になったことがある。車で連れて行かれたので、場所は定かに覚えていないが、東京・北区の東十条だった。



 道路を挟んで一方が大衆向けの居酒屋風、もう一つがちょっとシックな料亭風の店だった。そこで「へえ~」と、驚いたのは、店で働く従業員達全てがお相撲さん。正確にはそのOBだ。親方はこんな説明をしてくれた。




 「あいつらは、相撲界に入ってきた時には恐らく、みんながみんな大関、横綱を夢見ていた。しかし、勝負の世界はそんなに甘いもんじゃあない。それぞれの能力の限界もあるし、相撲取りとして致命的な怪我だってある。そういう連中にとって、こういう場所がないと困るし、言ってみれば、第二の職場なんですよ」


相撲 


厨房で働いているのもお相撲さんなら、愛想よく接客するのもお相撲さん。普通の居酒屋だったら、かわいいお嬢さんだったり、お姉さんだったりするのだが、ここではみんな若い大男達だ。「ごっさんです」に代表されるように、テレビに映るお相撲さんは口数が少なく、どちらかと言えば口下手の人が多いのだが、どうして、どうして。愛想良く、みんな生き生きしている。下っ端の時代、毎日作っていたから、ちゃんこだってお手のものだ。

相撲1 


 親方はこの居酒屋を見せた後「さあ、今度はゆっくり飲みましょう」と言って、料亭風の店の座敷に案内してくれた。「あれっ、どこに行ったのかな」と思っていたら、ふすまが開いて、スーツ姿から一変、羽織袴姿の親方が。「いらっしゃいませ。よく来てくれました」と、びっくりしたことに三つ指をついて挨拶をするのである。



 「親方、そんな事をされると、困っちゃいますよ。どうぞお手をお挙げになって・・・」


 「わたしゃねえ、ここに来ていただくお客さんには、どなたにもこうするんです」




 この親方は、四股名が富士錦の現役時代、やはり山梨の郷土力士で「突貫小僧」と呼ばれた富士桜関とともに押し相撲に徹し、先代朝潮の高砂親方らに「相撲はかくあるべし」と言わしめたお相撲さん。回しをとり、大イチョウを切り落とした親方は、後進の指導にあたる一方で、見事な経営者に変身していた。「そうしないと、若い連中に飯を食わすことは出来んのですよ」と、言外に言っているようだった。




 考えてみれば相撲界(角界)とは不思議な所だ。両国の国技館に行っても、その裏方で働くのは、お相撲さんや、そのOB。みんなで助け合い、いたわり合って生きている。結びの一番、一日の取り組みの終わりを告げる拍子木が鳴れば、弟子も親方もなく、升席をはじめとした場内整理をするし、部屋に帰れば親方が師匠、女将さんが母親代わりだ。


国技館 



 日本相撲協会は、言ってみれば大きな相撲家族なのかもしれない。そこにはまた国技としての「品格」も求められる。変わりゆく若者感覚、どんどん増える外国人力士。さて、私のかつての仕事仲間で、相撲に滅法詳しい向山さんはどう見ているのだろう。





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女性と男性

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 看護婦さんの帯帽が姿を消したばかりではない。呼称が看護婦から看護師に変わって登場したのは、もちろん男性だ。かつて医師の補助役でもあった看護婦さんは、医療の現場で、確固たる女性の城を築いていた。場合によっては、医師でさえ、その領域に立ち入れないほどの存在でもあった。




 ところが、男性の登場で、帯帽に留まらず、制服まで捨てた。かつて看護婦さんを「白衣の天使」と言った。しかし、そのイメージも結果的に捨て去ったのである。ひげ面の男性だったら「白衣の天使」などとは、お世辞にも言えない。




 私が腰椎手術で入院した東京・目黒の病院では、制服はそこにいる看護師さんの選択制。白、青、深紅。好みで自由に選んでいた。だからナースセンターは白衣に統一されていた時代と違ってカラフルに。そこに登場した男性。でも、その数は全体から見れば、まだわずか。お世話になった病棟では、知る限り一人であった。




 人間という“単位”でくくれば、確かに男性も女性もない。男女共同参画、それもいいし、その主張の裏にある女性の社会進出、それも素晴らしいことだ。ジェンダーフリーの思想は、私のような野暮天でも理解出来る。男女の区別や差別なく、みんなが同じように社会に貢献できる姿が当たり前である。


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 ただ、男性と女性は生理学的にも確実に違う。女性は、男性には絶対に出来ない出産という機能を備えているし、男性は女性にはない筋力や腕力を備えている。内面的な精神構造だって微妙に違うだろう。“構造”の違いがもたらす「向き、不向き」だってある。そんな二つが上手に補完しあって人間社会を構築しているのだ。




 世の中には「○○らしい」という言葉がある。ジェンダーフリーの“過激派”は、場合によって、これもダメ。もう何年も前のことだが、こんなことがあった。小学生40人ぐらいを対象にしたキャンプでの出来事。


 「今時の男の子は、男らしさに欠けるような気がするねえ…」


 「俺も、そう思うよ。“草食人間“は、これから増えていくんじゃあないかね」


 男同士、そんなたわいもない会話をしていたら隣にいた女性教師に、こっぴどく叱られた。




 「男は男らしくなければいけないとか、女は女らしくなければ、と言う考えはおかしい。男・女ではなく、人それぞれが持つ個性であって、それを尊重する社会でなくてはならない」と言うのである。


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 看護師の仕事は女性に似合う、などと言ったら、ここでも叱られるに違いない。でも看護師さんは女性、つまり看護婦さんの方がいい。病人を扱う場合、男性にはない柔らかさと優しさ、気遣いがあるように思うからだ。「お前が男だから、そう思うんだよ」と、仰る方もおいでかも知れないが、女性には出来ても男性にはフォロー出来ない部分が必ずある。それが看護婦さんだ、と入院患者の立場で思った。




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ジェンダーフリーとコンピュータ

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 ジェンダーフリーの思想と、その逞しい叫びは、社会のあちこちで、さまざまな変化をもたらしている。看護婦を看護師とし、スチュワーデスを客室乗務員に置き換えた。「君」(くん)と呼んできた小中学生の男の子の敬称を、女の子と同じ「さん」に統一しようとしている。先に神奈川県川崎市で起きた中学1年生の殺人事件でもテレビ報道は「さん」。




 “過激派”は、家庭、とりわけ夫婦の中にも入り込み、「主人」という言葉にも「ノー」を突きつけるのだそうだ。男性だけが「主」というのはおかしい、というのである。普通のご夫人がよく使う「うちの主人」という言葉がダメになると、世の奥様方は「うちの宿六」とでも言うのだろうか。小中学生の運動着も男女の違いをなくしつつある。帽子から靴までみんな同じなのだ。




 病院の中を知らず知らずのうちに変えているのはジェンダーフリーばかりではない。パソコンに代表されるコンピュータシステムだ。病室にやって来る看護師さんは、みんなパソコンを乗せたキャリーを引いている。聴診器や体温計などと並ぶ中枢の役割を担う“七つ道具”のひとつである。




 体温、血圧、脈拍、さらには体内酸素や前日、前夜の排便や排尿の回数まで、こと細かな患者情報を、その場でパソコンに入力する。パソコンの進出は、病院に限ったことではないが、そこにおさめられた情報は、患者の治療のために関係者が共有するのだ。医師は患者と離れた所にいても患者の容体を知り、投薬などの処方を指示出来るのである。


医師先生病院カルテ_convert_20150314112553



 従来は手書きだったカルテだって様変わりした。パソコンを覗けばワンタッチで患者情報が出て来る。レントゲンやCT、MRIなどの画像も検査室で処理さえすれば患者を前にした診察室で見ることが出来るのだ。



 昔の医者は、診察室では患者と正面で向き合った。ところが今、お医者さんは多くの時間をパソコンと向き合っている。患者の顔色や皮膚の乱れなどの容体ではなく、パソコンに映し出されるデータを見ながら診察するのである。「そんなこと、いいんだよ」と言わんばかりに患者側の症状説明を遮る医者だっている。




 私達が知る限り、街のかかりつけのお医者さん、つまりホームドクターは、少なくとも患者に寄り添った。往診もするから、その家族や家庭環境も知った。生活習慣まで把握していたのである。いわゆる一次医療を担う街のお医者さんは、その症状を見ながら、場合によって高度医療態勢を備えた二次医療の総合病院にバトンを譲るのである。




 人間の経験則、つまり積み重ねによる“感”ではなく、医療の現場は科学や、それを導くコンピュータに依存度を深めている。コンピュータソフトは、どんどん開発されて行くだろうから、薬の処方はむろん、治療の手順までコンピュータがガイドするようになるのだろう。現に投薬の処方箋をコンピュータソフトに依存している医師にも出っくわした。


病院聴診器_convert_20150314113316


 症状など、さまざまな患者データを入力すれば済む、と言うことになると…。医者に求められるのは、高度化するデータを読み取る力と、それを処理するスキル、ということになる。医療機器はどんどん高度化し、コンピュータシステムは、それを補完し、裏打ちしていくのだ。医療の現場は、あと5年、10年経ったらガラリと変わってしまうのだろう。(次回に続く)






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医者と看護師

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 病院の主役は、もちろん患者。外来診療で済む人もいれば、手術などの荒療治をして、入院を余技なくされる人もいる。その回復への道程は、腰椎手術を受けた私のように 時間、つまり日柄だけ、という人もいるが、中には命を賭けて病と闘わなければならない人もいる。病状も違えば、その症状もみんな違うのである。




 そんな患者達を支えてくれるのは、言うまでもなく医師であり、看護師さんたちである。普段、患者の目には見えない薬剤師さんや栄養士さん、三度、三度の食事を賄ってくれる調理師さんや、入院着などを洗濯したり、ベッドメイクや病室の掃除を丹念にしてくれる人達もいる。患者は、それほど大勢の人達に支えられて自らの病と闘うのだ。


先生看護師病院_convert_20150311221414



 医師は毎日のように回診する。毎朝、朝ご飯が配膳され、それが済む8時半過ぎにはやって来るのだ。主治医ばかりではない。部長回診?というのもあって、こちらは何人かの医師や看護師を引き連れて来る。




 山崎豊子の長編小説「白い巨塔」や先頃まで何処かのテレビ局で放送されていた医療ドラマ「ドクターX」などに出て来るような仰々しい回診ではないが、どこか、それに似ている。形式や権威の片鱗が透けて見えるのだ。


総回診



 「お医者さん達には休みの日がないの?」



 そう思えるほど、日曜日も祝日もなく、ほとんど決まった時間にやって来る。恐らく、平日の診察担当日は、診察室に入る前に回診を済ませるだろうことは、回診時間から見て明らかだ。急患が運び込まれたり、入院患者が急変することでもあれば、曜日はむろん、夜、昼も関係なく事に当たらなければならない。怠惰であったり、強面に週休二日制など休暇を要求しなければ収まらない人間には医師は務まらない、と熟々思った。




 看護師さんだって同じだ。時間を区切ってのローリングシステムで勤務しているとは言え、夜勤もあれば、日曜、祭日の勤務もある。制服を脱げば、渋谷や原宿をボーイフレンドと手を繋いで闊歩していてもおかしくない年齢の若い看護師さん達が、懸命に患者の世話をしている。




 当たり前だが、手術の後、身動きが出来ない重症患者の場合、下の世話もする。さらに「トイレに行きたい」からはじまって「暑い」、「寒い」、「身体が痛い」…。夜中など時をかまわずにナースコールは鳴りっぱなし。「どうしました?」。その都度、看護師さんはナースセンターから病室に駆けつけるのだ。

病院2


 スチュワーデスを客室乗務員と言ったり、キャビンアテンダントと言うようになったのと同じように、看護婦さんという言葉が消え、看護師さんに変わって久しい。それと共に看護師さんのスタイル(服装)も変わった。




 その象徴とも言えるのは、看護師さんが被っていた帽子が消えたことだ。看護学校を卒業、晴れて看護師になる時の「帯帽式」もナースの世界から消えた。昔はその帽子で婦長さんなどの職責も分かった。でも今は…。(次回に続く)




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病室からの富士山

厚生中央病院_convert_20150309232715


 病室から富士山がよく見えた。ビルの間に遠く望む富士山に、なんとはなしの違和感を覚えたばかりか、なぜか不思議なものでも見た思いがした。東京で富士山? 山梨にいれば窓越しに毎日見る。一方で、東京のど真ん中で見る富士山は新鮮でもった。


富士山  


 東京は目黒。JRの恵比寿駅を降りて、動く歩道をしばらく東に進むと恵比寿ガーデンスクエアーにぶつかる。その右手・JR山手線を挟んで反対側が私の腰椎手術を受けた病院である。


恵比寿ガーデンプレイス_convert_20150309232340


 「この病院のどこからでも富士山が見える訳ではないんですよ」



 回診にやって来た主治医(執刀医)は、「あなたはラッキー」と言わんばかりに、そんなことを言った。確かに高度何百㍍の上空ならいざしらず、わずか5階の部屋から、恐らく100㎞近い距離にある富士山を望める所は、そんなに多くはないはずだ。高層化を繰り返すビル群は、お互いに視界を遮り合っているのである。




 富士山は一昨年、ユネスコの世界文化遺産に登録された。その構成遺産の中に葛飾北斎や安藤広重の浮世絵がある。北斎や広重は好んで富士山を描いた。その中に江戸は日本橋から描いた富士山がいくつかある。そこには富士山を望むことが出来た江戸のど真ん中での庶民の暮らしぶりや息づかいがリアルに描かれている。富士山は、後の日本画家・横山大観らも好んで描いた。



横山たいかん 富士山_convert_20150309233113
横山大観砂丘に聳ゆ


 その頃、一番高いのは江戸城の天守閣ぐらい。庶民の住まいは、いわゆる長屋に象徴される平屋建てであった。落語の世界でいえば、そこには大家さんや、たな子の八っさん、熊さんもいる。庶民の台所を預かる魚河岸もあって、一心太助のような威勢のいい魚屋さんもいる。そんな庶民の暮らしの先には、当たり前のように富士山があった。




 北斎や広重が今に生きていたら東京からの富士山をどのように描いただろう。高層化をどんどん進めるビル群。その足元にはマッチ箱にも見える住宅が。都心から一歩離れれば、そんな光景もいっぱいだ。恐らく風刺を込めて描くであろう現代版の浮世絵を想像すると面白い。


広重 富士山_convert_20150309233800
歌川広重・東都両ごく


 病室からの富士山は、いつも見える訳ではない。お天気が悪ければダメだし、スモックが発生すれば、これもダメ。空気が比較的澄んでいる冬場でも毎日ではない。放射冷却現象というのだろうか。寒々しく晴れ渡った日には、ものの見事、くっきりと望むことが出来るのである。



 「今日は、いい天気だ」


 その反対に


 「今日は雨か…」


 毎朝、入院患者が病室の窓の外を見て呟くのは、なぜか、その日のお天気。そんなたわいもないことから一日が始まるのである。むろん、そんな“ゆとり”は術後しばらく先のこと。午前6時。起床時間だ。看護師さんがカーテンを開けに来る。(次回に続く)





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引ける腰

病院4


 病院の廊下を歩く患者達。車いすを卒業して歩行器で歩く人もいれば、その歩行器を卒業した人もいる。面白いのは、みんな腰が引けているのだ。腰を後ろに尖らせて歩いているのである。面白い、などと言ったら叱られる。自分もその一人だ。トイレに行く時もリハビリの階段歩きの時も同じ。




 「腰が引ける」。健常な日常の中にもある言葉である。物事に消極的だったり、逃げたりする様をいう。言い得て妙、とはこのことだと思った。言葉としては理解しても、身体で理解出来たのは、この時だった。腰の手術を受け、一ヶ月近くの入院生活で実感したのである。


腰痛2


 一方で、「顎を上げる」とか「顎を引く」という言葉がある。マラソンなど苦しい場面に遭遇すると、だんだん、顎が上がる。転じて、顎を上げたらダメで、“降参”をも意味する。顎は、引かなければいけないのだ。腰と顎は反対と言うことになる。




 「今日は、いいお天気です。窓の外を見て下さい.富士山が見えますよ」



 朝食が済んだ時間。白衣姿で回診に来た主治医(執刀医)は、窓の外を指差して言った。手術の翌日。身動きも出来ないほど痛みが激しい時であった。いくら天気が良くても身動き一つ出来ない患者にとって窓越しの目線の富士山が見えるはずがない。



 「富士山どころじゃあ、ありませんよ.痛くてたまらんのですよ」


 内心では、咄嗟にそう言いたかった。でも


 「綺麗ですね。真っ白い雪を厚くして…」


 そんな言葉を返した。医師の患者への思いやり、気分転換の励ましが伝わって来たからだ。私は山梨の人間。窓越しにいつも視ているので、富士山のイメージはまぶたに焼き付いている。


富士山_convert_20120706104053



 「手術は終わったんだぞ。元気を出せ」



 回診の主治医は、そんな励ましの言葉を言外に送ってくれたのだ。今の外科治療は術後、出来るだけ早期に“行動”させる考えらしい。それによって回復への速度を早めるのだ。そうは言っても痛い。




 特に周りが静まりかえる夜中は深刻で、我慢が限界に来た時は、ベッド脇のブザーを鳴らしてはナースセンターに待機する看護師さんを呼んでは痛み止めの処置をして貰うのだ。腕にセットされている点滴装置から鎮痛剤を流し込めばいいのだから、簡単。それが切れたら座薬。そんな日が三日三晩続いた。




 腰を引いて歩く患者たちに、もう一つ共通しているのは、みんな腰にコルセットを巻いていることだ。この病棟は外科病棟であることは間違いないが、恐らく、多くが腰椎の手術を受けた人達なのだろう。コルセットは編み上げのしっかりしたものもあれば、マジックテープでワンタッチで装着出来るものもある。みんなセパレーツの入院着の上から巻いている。もちろん私も同じスタイル。健常者が見れば、滑稽至極だろう。(次回に続く)





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テレビと治療

腰痛

 「あっ、これだ。俺の症状とぴったりだ」


 手術を決断するきっかけは、テレビ番組であった。昨年6月初めだった。確か、月曜日夜の日テレ系のテレビ番組。北野武が司会する医療をテーマにした番組で、腰痛と頻尿の関わりを説いていた。途中から見たので番組の全容は知る由もないが、そこで取り上げていた東京・目黒の総合病院の外科医の説は、私の症状にぴたりと符合していた。




 腰痛は若いときからで、半ば“持病”と諦めていた。ところが、70歳の声を聴こうとした頃から頻尿現象が現れたのである。


 「オジサン、それって歳のせいだよ」


 お若い方は、簡単にそう仰るかも知れないが、当事者にとっては“歳”では済まされない。半端ではない頻尿現象は、やっぱり気になる。




 当然のことながら総合病院の泌尿器科のドアを叩いた。前立腺を中心に様々な検査をした。結果は「異常なし」。そんな馬鹿な…。


 医者は言った。


 「お酒の飲み過ぎじゃあないんですか」


 親しい真柄にあったための医師の言葉であったことは言うまでもないが、私には腑に落ちなかった。


 「そんなことなら医者はいらねえよ」


 こちらも親しさに乗じてそんな悪態をついたものだ。とにかく頻尿の原因が分からなかった。


病院_convert_20110813081019  


 そんな時の腰痛と頻尿の因果関係を説いたテレビ番組は、私を画面に釘付けにした。福音にも聞こえた。簡単に言えば、腰痛がもたらす緊張が、前立腺を刺激して頻尿現象を誘発するのだという。その翌日、説を唱える外科医の病院に電話したのは言うまでもない。


 「お父さん、電話が繋がらないわよ」


 女房が不思議そうな表情で言った。「やっぱり」。私のような症状を持つ人は全国にはいっぱいいるのだろう。内心そう思った。テレビの影響力のすごさをまざまざと見せつけられた思いでもあった。番組の放映から一夜明けて、私と同類の悩みを持つ人達からの電話が殺到したことは容易に想像出来た。



 初診の日を予約出来たのは、その日から丁度、5ヶ月後だった。10月の終わり。結果的に2月21日の手術への助走路が始まった。その都度、山梨から出向き、レントゲンやCT(Computed Tomography)、MRI(Magnetic Resonance Imaging System)駆使するなど3~4回の診察を重ねた師走も押し迫った、ある日、私の隣で診察を待っていたご婦人が
「私もテレビを見て、ここに来たんです。淡路島から電車を乗り継いで通っています」



 このご婦人は70歳前後。私と同じくらいに見えた。初診は12月初めだったという。同じようにワラをも掴む思いで、遠路やって来ていたのだ。(次回に続く)




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手術台

病院2
 「お父さん、大丈夫?」


 「お父さん、大丈夫?」


 その声が女房なのか、娘なのかははっきりしないが、一瞬、私を心配そうに覗き込む二人の顔が見えた。文字通り一瞬で、再び気が遠くなった。手術を終えて、病室に戻るベッドの上のこと。キャリー付きのベッドに仰向けに寝かされ、忙(せわ)しく搬送されていることだけは分かった。




 手術が終わった直後、恐らく、ほっぺたでも叩かれ、麻酔を覚ます措置を執ったのだろう。後で聴けば、再び、目を覚ましたのは、病室のベッドの上。それも、しばらくしてからのことだという。手術が終わった後、出来るだけ早く麻酔から覚ますことは、どうやら医学上も、生理学上も必要なことらしい。




 手術に要した時間は4時間だったという。簡単に言えば、二カ所の変形した脊椎を削り、神経への圧迫を解消する手術だそうだ。手術箇所は二カ所。腰の部分の背中だから自分では確かめることは出来ないが、その痕跡は、むろん、二カ所にあるはずだ。この手術と一緒に、脊椎に並行して走る“筋”(神経?)を切断する作業も行っている。




 私には腰痛のほか、頻尿の症状があるのだ。この症状が、また厄介で、東京の病院にまで出向いての手術を決断したのも、そのためだ。その辺のことは後ほど書くことにする。


病院


 手術の当日。腕には点滴の針がセットされ、身体は手術着一枚。頭にはビニールキャップを被せられた。手術着は腰、腹、肩、脚など部位ごとにホックかマジックテープで外せるようになっている。手術室の入り口では病室看護師と手術室看護師との引き継ぎが。患者の厳格な確認作業である。私の腕には入院時に着けられたビニール製の認証環が。そこには氏名、生年月日などの患者情報がバーコード付きで印字してある。




 手術室の雰囲気は寒々しかった。中央に大きな手術台が。その後ろには揃いの青い手術着を纏った5~6人がいて、私を迎えた。お顔を知らないから、どなたが医師なのか、看護師なのかは分からない。麻酔医はむろん、循環器系の医師も立ち会っているのだろう。主治医でもある執刀医の姿は、まだなかった。そんな手術室の風景を見たのもほんの一瞬。麻酔は確実に意識を止め、その後のことは知る由もない。




 医療機器の進歩は日進月歩。次々と開発され、進化していく医療機器が医療の進歩を後押ししているのだ。かつて画期的な医療機器とされたレントゲンは、今や“空気”のような存在。CT(Computed Tomography)やMRI(Magnetic Resonance Imaging System)だって珍しい存在ではなくなった。胃や大腸ファイバーなどのカメラも大幅に小型化し、物理的にも精神的にも患者への負担を軽減した。




 手術に使用する機器も同じだろう。こちらは麻酔をかけられての使用だから患者側は知る由もない。手術機器の高度化は、手術チームの編成にも変化をもたらしている。医療機器メーカーの専門スタッフが立ち会うのが一般的になっているのだそうだ。手術室にいるのはドクターや看護師ばかりではないのだ。(次回に続く)




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まな板の鯉

病院

 「緊張していますか?手術は4時間ぐらいで済むそうですよ」


 予定されていた手術の日の朝、一足早く病室にやって来た看護師さんは、私を思いやるように言った。年の頃は35歳前後の愛らしい看護婦さんだ。血圧や脈拍を測り、点滴の注射針を差し込むなど、手術前の準備を手際よく進めて行く。そうしながらも、間もなく手術に向かわなければならない患者の緊張感を和らげようと気を配っているのだろう。



 「まな板の鯉です。緊張なんかしていませんよ」


 口では強がりを言ったものの、緊張していない、と言ったらウソになる。緊張と言うより、不安と言った方がいい。手術の開始時間は、予め告げられているから病室への迎えの時間も、おおよそ見当がつく。
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 足音が聞こえた。普段、忙しそうに廊下を往き来する看護師さんのそれとは違っていた。私を手術室に運ぶキャリー付きのベッドを転がす何人かの看護師さんの足音だ。




 とある、死刑囚の手記を読んだことがある。そこには刑の執行に怯える様がリアルに綴られていた。「コツっ、コツっ、コツっ…」。静まりかえる監獄の中で、自らの独房に近づく看守の足音。その都度、戦慄が走った、というのだ。その足音が通り過ぎた時、か細い命の糸が明日に繋がったことを知るのだという。




 「大石内蔵助殿」、「大石主税殿」、「小野寺十内殿」…。こちらは「仮名手本忠臣蔵」でお馴染みの赤穂浪士・四十七士の切腹の名場面だ。主君の仇討ちを成し遂げた後、法の裁きを受けるのである。大名屋敷にお預かりの身となっていた47人の赤穂藩の忠臣達は、全員が白装束。静かに“その時”を待つのだ。裁きの刻限が来ると一人一人名前を呼ばれ、切腹の場に案内されるのである。


忠臣蔵


 想像するこの二つの場面と似ていた。むろん、その緊迫感や恐怖心とも言える緊張感は比較すべくもないが、似て非なるものがあった。前者の二つは、その後にやって来るのは間違いなく「死」。これに対して手術は、現状の改善であり、その先は快方である。でも「手術がうまく行かなかったら…」などと頭の片隅ではマイナス思考がよぎって、所詮は小さな人間を不安に陥れるのだ。




 手術が決まる前、主治医から告げられた病名は「腰椎黄色靱帯骨化症」と「脊椎終糸症候群」。難病指定に値する病だという。主治医はCT(Computed Tomography=コンピューター断層撮影)やMRI(Magnetic Resonance Imaging System=磁気共鳴画像装置)画像をパソコンに投影しながら丁寧に説明してくれた。それによると、腰椎部分の何カ所かの骨が変形して出っ張り、脊椎と並行して走る神経を圧迫しているというのだ。



画像を基に説明されてみれば、素人の私でも一目瞭然。よく分かる。



「俺の積年の腰痛は、これが原因か」



内心、頷いた。私の腰痛との付き合いは長い。30代の前半からで、見よう、見真似で始めてしまったゴルフでの無茶なスイングが原因と勝手に思い込んでいた。(次回に続く)





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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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