習い始めの面白さ

パソコン加工



 面白い。習い始とはこんなものなのかもしれない。パソコンなど見向きもしなかつた自分が不思議でならない。毎晩、電子メールやインターネットを開く。お酒を飲んだり、マージャンで夜中に帰っても同じだ。「お父さんもう遅いですよ」と言っていた女房が最近では「いい加減にしたら。今、何時だと思っているんですか」と不機嫌な顔を見せる。




 「子供と同じですね」とも言う。確かにそうだ。スキーやスケートを覚えたばかりの子供の頃、早く雪が降らないかなあ、明日は田圃が凍るかなあ、と空を見上げたことを思い出す。「子供と同じ・・・」と言う女房の言葉の裏には、そのうち飽きるだろうという思いがあるのだろうが、どうしてどうして。

顔つきパソコン



 全く不思議だ。本だと目が疲れてしまったり、第一、読んでいるうちに眠たくなってしまうのがオチ。ところがパソコンだと少しも眠くならないし、奇妙なことに目もそれほどくたびれない。ところが初心者の私には決定的な弱みがある。いろいろの機能を熟知していないから、いったんどこかで躓くと万事休す。前に進めないのである。





 初心者だから思うのかどうか知らないが、パソコンを媒体にしたインターネットや電子メールの奥の深さは底知れないような気がする。もう何十年前になるのだろうか。娘が幼い頃、スーパーマリオというテレビゲームをやったことがある。今にして思えば、その頃から不器用だったのか、すぐにダウン。その先がどうなっているのかさっぱり分からなかった。パソコンもテレビゲームのスーパーマリオと同じ轍を踏んでしまうのだろうか。


スーパーマリオ

 

 パソコンとは都合のいいものだ。消しゴムも要らなければ、定規も要らない。第一、文字や文章の書き換え、置き換えが自在に出来る。プリントが必要ならプリンターに接続すればいい。今、地元の区長代理や組長をしているが、総会資料や連絡文書も綺麗に出来上がる。事業報告や活動報告もその都度パソコンを叩いておけばいい。第一、手書きの文書など最近お目にかからなくなった。




 しかし、その便利さの一方で、怖くなることもある。文字を書かないから字をどんどん忘れてしまうような気がするのである。確実に言えることだが、文字というものは書かなければ駄目。目で読んだり、パソコンで叩きだしたりしたものでは絶対に覚えられない。文字はいい年をしているのだから、みんなそこそこ読める。しかし書いてみれば以外に書けないものだ。それが字なのである。ところが、変換機能を使えば正しい字に置き換えることが出来てしまうから逆に厄介だ。


キーボード



 もう一つ、寂しいのは、手書きの文字が自分達の周りからどんどん消えていることだ。例えば、今年ももう8ヵ月を過ぎようとしているが、年賀状がそうだし、今の時期なら残暑見舞いがいい例である。むしろ手書きの年賀状や暑中見舞い、残暑見舞いは希少価値になりつつある。第一、年賀状はともかく、暑中見舞いや残暑見舞いは書くことすら忘れてしまった。携帯電話の普及、そしてパソコンは、やがて年賀状をも駆逐、メールの世界に引きずり込んでしまうに違いない。巨大な化け物インターネットがそれに拍車をかける。


封筒と万年筆



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偽善を教えてくれた住職

偽


 「人の為、というのは、実は偽善なんだよねえ。偽りという字はにんべん(イ)にため(為)、つまり、人の為と書くんだよ」



 高校時代の同級生でお寺の住職をしている友人が、ある時こんな事を言った。なるほど、仏門の人間だけあって、うまいことを言う。その言葉の一方で何を言おうとしたのかは分からなかったが、そうだよなあ、と、うなづいた。


空



 私も常々そう思っていた。まったく同感。だから同じようなことをロータリークラブの例会で言ってしまった。3年前の事で、その例会は、事もあろうに私の入会日。新入会員の挨拶でやってしまったのである。




 「生意気なヤツが入って来たもんだ」と、みんなが思ったに違いない。しかし私は≪故意犯≫だった。ロータリークラブに対する偏見があったことも事実だ。でも少なくとも新入会員が言うことではなかったかもしれない。例会が終わっての帰り道、たまたまメーキャップで来ていた他クラブの知人に「俺、言い過ぎだったかなあ」と言ったら、その知人は「俺達ロータリアンには、そんな所がないとは言えないよ。みんなにいい刺激になったさ」と、言ってくれた。

 


 ロータリアンは、傍から見て偽善者に映っていないだろうか。私は自らの戒めとして今でも自問自答している。人の為、なんてまだまだ未熟な私が言えた柄ではない。「情けは人の為ならず」と言う言葉もある。そのスタンスを整えないと、地域社会や多くの人たちの理解は得られないと思っている。


木  



 友人が住職務めるお寺には、親戚や知人の法事などでよくお邪魔する。その本堂には、うまいことが書いてあつた。『「私は正しい」争いの根はそこにある』とか「現代の愚かさは知性に満ちた愚かさである」。こんなのもあった。「どこにも人間はいない。いるのは幸福の奴隷ばかりだ」。確かにそうだ。




 叱られるかもしれないが、私は僧侶の読経をいつもあまり聴いていない。聞いていても分からないからだ。ごめん。「このバチ当たり者め」と言われるだろうが、自分が施主を務める法事ですら「早くお経が終わらないものか」と思ったりする。何日か前のお盆中にこんなことを書いたら、帰っていた親父に仏壇からぶん殴られるに決まっている。




 友である住職さんに、そのことを白状し「むしろ法話に力を入れてもらったらいいのになあ」と言ってみたら、その答えは「そうもいかんよ」。当然だろう。私だけかもしれないが、経文は分かりにくい。262文字の般若心経ぐらい、中身を理解し、覚えてみようと、解説書めいた本を買ってきてはみたものの、ちょっと読んで机に積んだままだ。




 最近、私達の地域でも、自宅葬は完全になくなり、その道のプロが仕切る祭場葬に代わった。自宅葬の場合、隣組の人たちが葬具の手配やものによっては自分達の手で準備もした。その過程で仏教について、知らず知らずに知ることもあった。無知や無関心、そしてややもすると陥る傲慢は偽善を生みかねない。友の住職に教えられたような気がする。




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アナログ人間のパソコン

 何事にもいえることだが、基本を覚えることが大事。そんなことはよく分かっているのだが、現実には見よう見まねで始めてしまうことは多い。ゴルフもその一つ。今は腰を痛めて、ずっとクラブを握っていないが、ひところ、少しも成長しない自分にうんざりしながら、基本をしっかり教わればよかった、と思ったものだ。





 そんなことが分かってのことかどうかは知らないが、私がパソコンを始めて間もない頃、娘がキーボードを叩く練習用のソフトを入れてくれた。「特打」というヤツだが、結構うまくできている。練習すればいいのに、と思うのだが、ほとんど開いたことがない。ゴルフと同じで、キーボードの叩き方も全くの自己流である。ずぼらというか、目先で動いてしまうから、なんでもヘンな癖がついてしまうのかもしれない。



特打


 私がパソコンを始めてまだ間もない。高校時代の同級生が遊びに来たとき、「勤めがあるわけじゃないし、時間があるんだからパソコンでもやってみたら」と勧めてくれたのがきっかけだった。山梨市の西の境、笛吹市に近いところに住む萩原という男だが、この人は頭が下がるほど奇特な人で、何度も何度も出前で教えに来てくれた。




 ありがたかった。この人に出会わなかったら、おそらく一生パソコンに触れることがなかったと思う。人の出会いというものは妙なものだ。こんなことがきっかけで女房も関心を持つようになり、二人で山梨市が開いてくれたパソコン講座にも通った。入門編から始まってワード、エクセルと三つのシリーズに分け、2時間ずつ週4日、延べで12日間の講座である。

パソコンをたたく手



 60の手習いである。講座を受けながらつくづく思った。萩原さんに基本的な操作を教わっていなかったら、その講座について行けなかったということだ。隣に座った女房なんか、事あるたびに「お父さんどうするの」 と、袖を引っ張るのである。基本的なことを教わっていた私でさえまごつく事だらけだったから、無理もない。





 考えてみれば、パソコンぐらい職場にいる時に覚えておけばよかったのに、つくづく思う。そうすれば、改めて講座に通ったり、今頃もたもたしていなかっただろうし、第一、給料分で覚えてしまえたはずだ。

マウス



 サラリーマン時代、パソコンが職場に顔を見せ始めた頃から、それに素直に着いていけないものだから、書類作りも部下に丸投げ。職場での地位というか、年齢的なタイミングからか、それが出来てしまったからいけなかった、と今にして思う。後の祭りだ。かつての部下である仲間達のことを思い出しては恨めしく思ったりもする。





 50代、といったら言い過ぎかもしれないが、少なくとも60代の人たちは私と似たり、よったりではないかと思う。中学や高校の同級生の無尽やユネスコなどの仲間たちとの飲み会で話すとき、パソコンに多くが後ろ向き。インターネットに至ってはなにをかいわんや、である。その口実は「目に悪い」「今さら」といったものだ。本当は逃げているのだが、飛び込んでみると結構面白い。食わず嫌いはいつの年齢にもある。




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カブト虫とロータリアン

 過日、私が所属するロータリークラブの例会で、カブト虫をテーマにした卓話をしてくれたロータリアンがいた。この方は山梨市や甲州市に店舗を持つ花屋さんだが、根っからのスポーツマン。毎朝、数10キロの山道を走り込み、仕事の合間を見ては、あっちこっちのマラソン大会やロードレース大会にも参加する。メタボのそしりを免れない私などと違って、身体はスリムで、いかにも健康そうだ。


カブトムシ



 「カブト虫が大好き」というこのロータリアンがカブト虫の話をするとき、その顔は童心に返ったように嬉々としてくるのだ。仕事を終えて家に帰り、夕食を済ました後、毎夜のようにカブト虫採りに出掛けるのだという。そんなお父さんに家族はけげんな顔をするのだそうだが、このお父さんはビクともしない。


虫取りあみ



 好きこそ物の上手なれ、ではないが、カブト虫がいそうな所が動物的な感で分かったり、毎朝のジョキングでも普通の人なら見逃してしまう道端のカブト虫も見逃さないのだそうだ。かつては好きと趣味が高じて5,000匹ものカブト虫を飼育、子供たちのために出荷までした事があるという。




 カブト虫の飼育にはおがくずなど、その環境作りが必要だ。しかし、そのおがくずが手に入らないようになって今では断念したという。その語り口調はいかにも寂しそうだ。カブト虫好きの人たちの飼育は別にして、私達の周りにカブト虫が育ち、棲む環境が知らないうちに減ってしまった。


麦わら帽子



 考えてみれば、カブト虫は養殖なんかしなくても、あっちこっちにいた。私は田舎育ちだったから、裏庭の堆肥置き場をひっくり返せば、カブト虫の幼虫がゴロゴロ出てきた。ゴロゴロと言ったのは、その白濁色の幼虫は胴回りが直径2㎝、長さ5~6cmぐらいで、玉のように丸くなって土の中や堆肥の中にいるのである。学名は定かではないが、みんなが「ノケサ」と呼んでいた。




 そのノケサがいっぱいいるのだから、カブト虫があっちこっちにいるに決まっている。夜、窓、というより戸を開けているとセミやカナブンブンなどと共にカブト虫が舞い込んで来るのである。その頃は子供の数が多いから、大騒ぎでセミやカブト虫を追い回すのだ。こんな光景は日常茶飯事で、いわば、田舎のどこにでもある夏の風物詩でもあった。



カブトムシバー


 ところが、卓話のロータリアンさんが言うようにカブト虫はどんどん減って、今や貴重品。毎年夏になれば、デパートやホームセンターではカブト虫売り場が出る。お母さんに連れられた夏休みの子供たちでどこも大賑わいだ。最近では、大人のカブト虫ファンも増えているのだそうで、大人向けのカブト虫ショップも珍しくない。


カブトムシ


 そういえば、日本のどこの博物館だったか、あるいは外国の博物館だったかは忘れたが、そこで見たカブト虫の種類の多さにびっくりしたことがある。カブト虫に目のないフアンなら振るいつきたくなるようなシロモノもいっぱい。マニアの間では5万、10万、高いいものでは100万円単位で売り買いされるものもあるという。


百万円


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農地解放と現実

靖国神社   靖国神社2


 靖国神社に参拝した閣僚は誰と誰。8月15日。テレビは東京・九段の靖国神社を参拝する政治家を映し出し、まるで靖国神社参拝が悪いかのようなトーンで伝えていた。毎年やってくる終戦記念日の恒例行事だ。「そんなことどうでもいいじゃないか。むしろ参拝しない方がおかしいよ」と思いながら、草っかじりをするため畑に出た。




 暑い。70年前の今日もやっぱり同じような暑さだったのだろう。昭和17年11月生まれの私は当時2歳9ヵ月。山梨県の片田舎・東山梨郡岩手村(現山梨市東)で育ったから、空襲などショッキングな出来事にも遭遇しなかった。だから戦争の記憶はない。知識として知るほかはない

夏の空



 全身から噴出す汗を拭う。なんとか草を退治して、これから大根の種を蒔こうとしている畑を見渡しながら、ふと、思った。写真やフィルムでしか見たことのないが、パイプをくわえたあの大男のマッカーサーのことである。彼は敗戦で焦土と化した日本にやってきて、さまざまな大ナタを振るった。




 その一つが農地解放。農地が富の一つとすれば、マッカーサーは一発で、その富の再配分をやってのけたのである。この農地解放は地主と小作人の関係ばかりでなく、そこから派生していた親分、子分の関係までつぶした。戦勝国の強権がなかったら、親分、子分の因習はともかく、農地の再配分など、今もって出来なかったに違いない。




 マッカーサーのこの大号令は日本にとって、善政だったと思う。自分の土地を持った農家の農業に対する意欲は計り知れないものがあっただろうし、その意欲が戦後日本復興の源になったと思うからだ。大ナタは、農地と並んで国の基礎となる教育にも及んだ。一方で平和ボケと言われる今の日本人にマッカーサー、つまり戦勝国アメリカの教育改革は良くも悪くも大きな影響を及ぼした。


ねぎ畑



 戦後、教育は地主を「搾取階級」と決め付けた。幸か不幸か、農地を解放させられる側の農家に生まれた私は、幼心にもこの「搾取階級」と言う言葉が妙に引っかかったし、矛盾を感じたりもした。




 「みんながみんな、搾取していたわけじゃあねえじゃねえか」。もちろん、農地解放後だが、親達の姿を見ていて素朴に思ったものだ。例えば、地主と小作は古い因習の親分と子分の関係にも当てはまるのだろうが、親父やお袋たちは、子分と言われる家でコメがなければ、わが子のメシを減らしてでも、コメを持っていき、夫婦喧嘩や嫁、姑のいさかいがあればその仲裁に奔走していた。その姿は、子供ながらにほほえましい運命共同体のように見えたのである。そんな家族のような、親戚のような関係はだんだん薄らいでゆく。


 戦後60余年。マッカーサーが再配分したはずの農地が、実はまた集約化の傾向を見せているのだ。農地解放で土地を手に入れたはずの農家は、軒並み、後継者不足に悩み、一方で大量の農地を集めての農業の法人化が進み出した。小作地ではなく、かつては、のどから手が出るほど欲しかった農地が今、皮肉にもお荷物になっているのである。




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危なっかしい子供達

乙女高原ロッジ

 秩父多摩甲斐国立公園の一角・乙女高原で二日間にわたって開いたユネスコの国際子供キャンプは天候にも恵まれ、無事終わった。何であれ、野外活動は、その成否が天候に左右される。昨年からだが、8月のお盆前の土、日としたのは正解だった。この時期は天候が安定する時期だからだ。

乙女高原の花


 しかし、弱点もある。山梨市を中心に、峡東と呼ばれるこの地方は山梨県きっての果樹地帯。桃や葡萄が出荷の最盛期を迎える。だからキャンプを運営するスタッフや指導者の確保が難しくなるのも確かだ。


 このキャンプは、もちろん子供たちが主役。国際子供キャンプだから日本ばかりではなく、外国籍の子供たちもいる。今年はブラジルやペルーの子供たちを含めて主役は約50人。これに大人のスタッフや指導者を合わせて参加者は総勢80人を超した。


 主催者の山梨市ユネスコ協会とユネスコみどりの会が入念に用意したプログラムに沿って子供たちは二日間の野外生活を楽しむのである。歌やゲーム、思考を凝らした創作活動、ハイキングや星空の観察、キャンプファイヤーもある。キャンプだから自分達が寝るテント張りや食事のための飯盒炊さんもある。


ナベ

 子供たちが和気合い合いに取り組むのはやっぱり飯盒炊さん。カレーが定番で、子供たちは持ち寄ったおコメを研ぐ傍ら、タマネギやジャガイモ、肉など具の調理をする。これがまた悪戦苦闘。まず、包丁の使い方をほとんどの子供たちが知らない。危なっかしくて見ていれないから使い方を教えるのだが、今度はジャガイモを小さなサイコロに切ってしまうのである。


 こんなことならまだいい。タマネギを剥かせたら、芯まで剥いてしまう。今回はなかったが、もっとひどいケースになると、飯ごうに水を入れずにご飯を炊いたり、「コメを研ぐ」という言葉が分かりにくいと気遣った指導者が「おコメを洗って」と言葉を置き換えたら「洗剤はどこ」と言うのである。世のお母さん達、ホントだよ。


笑うに笑えない話だ。考えてみれば無理もない。子供たちは家庭で母親が作ったご飯を食べ、料理を食べる。そこで親に手伝うとか、手伝わせるといったことがない証拠である。ご飯を炊くのは自動炊飯器だから、火をたく必要もない。しかし子供たちは嬉々として火を焚き、カレーの具を作った。




 もっとびっくりしたのはトイレ。小学4年生の子が「トイレが出来ない」と、ベソをかいて来るのである。「どうしたの」と言うと、キャンプ場のトイレが和式だったからだった。跨ぐのが怖かったというのである。スタッフもすぐには理解しかねたと言う。


 この子の場合、生まれながらに便座の洋式トイレで育ったのだ。スタッフの中には教師もいるので聞いてみたら、そんな子供は珍しくないのだそうで、学校では和式ばかりでなく、洋式トイレを増設しているのだそうだ。生活のハイレベル化は子供たちを軟弱にしてしまうのか。野外活動の大切さを改めて思い知らされた。



乙女高原風景




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子供達の国際交流

 「遠~きや~まに日は落ちて・・・」

 真っ赤に燃え盛るキャンプフヮイヤーを囲んだ子供たちの歌声は、静まり返った山々の闇に響き渡った。ここは秩父多摩甲斐国立公園の山梨県境に位置する乙女高原の一角である。

地図   

真っ赤な炎に照らし出された顔、顔、顔。みんな清らかに輝いていた。


キャンプファイヤー2

 国際子供キャンプ。山梨県高校ユネスコのOBたちで組織したユネスコみどりの会が子供たちの国際交流を狙いに1966年、やはり山梨県山梨市の万力林で始めたのが、その始まりである。その後、ユネスコみどりの会が母体となって結成した山梨市ユネスコ協会が継承、再びユネスコみどりの会と共催で、1回も休むことなく43年間実施してきた。



 このキャンプに参加した子供たちの数は延べでは3,000人近い。参加者の人数にとどまらず、さまざまの場面で
歴史の重みを実感ずる。最初の頃に参加した子供たちが親となって、その息子や娘達を参加させているのである。無邪気に飯盒炊さんや創作クラフト、ハイキングやキャンプファイヤーを楽しんだ子供たちが立派なお父さんやお母さんになっていた。間もなくお孫さんをこのキャンプに送り込んでくるだろう。

キャンプファイヤー


 しかし、子供たちを取り巻く環境は変わった。例えば、日本の子供たちと並んでキャンプの主役となる外国の子供たち。かつては横田基地などを廻り、キャンプの米兵の子弟に参加を促した。白人もいれば黒人もいるが、当然のことながらアメリカ人一色。ところが、今は違う。中国、韓国は当たり前。タイ、フィリピン、インドネシアなどの東南アジア、さらにブラジルやペルーなど南米、またイラン、イラクなど中近東といった具合に参加国は多岐にわたる。一方、アメリカ人は影を潜め、イギリスやフランス人はほとんどいない。 外人さん金髪 笑



 最初の頃のアメリカの子供たちはほとんど日本語が話せなかったのに対して、今参加している外国の子供たちは日本語がぺらぺら。それもそのはず、半ば日本の社会から閉鎖された米軍キャンプの子弟達の多くは、アメリカ人学校に通っていたから日本語が話せないのも無理はない。子供たちの環境が全く違う。



 今参加している外国の子供たちは、そのすべてが山梨県内の小、中学校の在籍者。かつては山梨県の学校にはほとんどいなかった外国人の師弟が今はかなりの数にのぼる。確かな数は分からないが、平均では30人、40人学級のクラスに1
人ぐらいの割合でいるのではないか。子供たちのお父さん達は日本で懸命に働き、やがては母国に帰る人たちもいるのだそうだ。外国人の師弟は甲府や、その近郊を中心に増加の傾向にあるという。


乙女高原



 こうした子供たちは言葉ばかりでなく、日本の生活や習慣まで結構理解している。だから、かつてのように米軍キャンプのアメリカ人の師弟が片言の日本語を話し、日本の子供たちが片言の英語を覚える、といった光景はなくなった。言葉ばかりでなく、風俗や習慣は、それぞれ国によって違うのだが、二日間のキャンプ生活の中で外国の子供たちは、それを日本の子供たちに合わせてしまうのである。考えてみれば、今の子供たちは国際交流を銘打ったキャンプ生活以前に毎日の学校生活の中で国際交流をしているのである。



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新盆とアナログ人間

 中央道など高速道路や一般幹線道路のUターン現象が収まって、今年もお盆が静かに去っていった。家族連れなど思い思いに夏休みを楽しんだ働きバチたちは、またいつもの仕事に戻っていき、子供達の夏休みも終わった。

お盆


 新盆。死者を送り出して、始めてお盆を迎える家庭では、一般家庭より入念にお盆の行事をする。ナスやキュウリで作った牛や馬、菓子や果物など供物を供えた祭壇を飾るのはもちろん、玄関先には真新しい盆ちょうちんをつるし、新しい先祖の霊をお迎えするのである。全国的な風習かどうかは分からないが、ご近所はもちろん、親交が深かった友たちは黒のネクタイで威儀をただして、思い思いにお参りする。


提灯   きゅうり   ナス   提灯


 私も地元山梨市や甲府など6軒の新盆家庭を廻り、お参りさせていただいた。これは5年ほど前の、やはり新盆でのことだが、中学時代の同級生で無尽仲間の家では酒や料理を用意してくれていた。13人の仲間たちは祭壇に線香を手向け、ご馳走になった。お酒を酌み交わしていくうちに、施主でもある友人のご子息と話がはずんだ。


 このご子息は地元民放局の技術畑で活躍する当時35歳。今、2011年、つまり3年足らずで迎える地上波放送の完全デジタル化に向けて詰めの作業の真っ最中だっだ。放送局側は「地上デジタル化」を「チデジ」とちぢめてコマーシャルを流し、視聴者に事前の準備を促していた。


01001


 さて、そのデジタルというヤツだ。「0と1を組み合わせた信号を一秒間に30・・・」と説明されても、アナログ派の人間にはさっぱり分からない。実生活や身の回りの物でもデジタル化はどんどん進んでいる。そのことは分かる。しかし、その仕組みや理屈となるとちんぷんかんぷんである。


 このご子息ばかりでなく、やはり民放局の技術畑にいたご子息のお父さんや私の親友で高校時代の同級生からも聞いたことがあるから、デジタルの説明を聞くのは一度や二度ではない。ジェネレーションギャップにとどめず、自らの凝り固まったアナログ人間ぶりにうんざりする。「0と1の信号・・・」。のっけの説明からよく分からないのだから、おそらく救いようがない。それが自分だけ?と思うと・・・。

障子

 ある時、高校時代の同級生は、障子の升目を例に、また、今度のご子息は方眼紙を例に、それぞれデジタルの説明をしてくれた。0と1の次の説明である。障子の升目と方眼紙、その表現の仕方は違うが、言っていることは同じ。分かりもしないアナログ人間が「へえー」とうなずいたのは、例えの仕方が共通していたことに過ぎない。


 地上波のデジタル化は、放送界にとって革命だっただろう。視聴者にとっても同じことが言える。電波の発信方法が変わり、それまでの受像機は使えなくなった。テレビをみんな買い換えなければならなかった。その時の需要はおそらく大変なもので、家電業界はかつてないほどの売上増を図ったはず。毎年、お盆に帰ってくる仏さんも綺麗に写るテレビ画面にびっくりししたに違いない。




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諸刃の剣

 ハエ。たかが一匹だが、その存在は気になるものである。こうしてパソコンをたたいているデスクの周りであれ、食卓の周りであれ、いっ時でも早く捕まえて、すりつぶしてやりたくなる。 これが女房や娘だったらもっと大騒ぎだ。躍起になって追い回すのである。そうなると、たかがハエ一匹、そんなにむきになることもあるまいに、と思うのだが・・・。




 そういえば我が家でもとんとハエを見かけなくなった。だから、たかが一匹のハエがやたらと気になるのだ。ふと、子供の頃を思い出した。今もそうだが、私が育ったのは秩父多摩国立公園(現在は秩父多摩甲斐国立公園)に程近い山梨県山梨市の片田舎だったから、ハエなんか全く珍しくなかった。むしろ、それとうまく付き合っていたと言った方がいい。部屋の天井からはハエ取り紙がぶら下がり、どこの家にもハエタタキと言うヤツがあった。





 ハエの量たるや天井からのハエ取り紙や人の手で叩くハエタタキで成敗できるシロモノではない。ちょっとうかうかしていると、茶碗の白いご飯は、ハエで真っ黒。 白いご飯といっても麦飯だが、とにかくそれを追い払って食べるのである。若い方々ばかりでなく、たいていの人たちは、そんな話を聞いただけで「わあっ、汚い」と、目をそむけるだろうが、40年前、50年前の農村地帯はそうだった。

 


 農家だから、どこの家でも牛や豚、ヤギなどの家畜を飼い、堆肥置き場を作る。子供たちはウサギやハトを飼った。トイレも水洗であるはずがない。周り中がハエの温床だ。しかし、昭和30年代半ばごろから、それまでの米麦、養蚕の農業形態は桃、葡萄などの果樹へと急速な勢いで転換して行った。同時に堆肥や豚の糞、いわゆる有機肥料は化学肥料に代わった。また冷蔵庫が普及し始め、牛乳がそこに入るようになって、ヤギが姿を消し、子供たちも少子化と勉強優先からか、ウサギやハトとの付き合いと決別した。





 こうした農村の生活様式の変化がいつしかハエを減らした。さらに、追い討ちをかけたのが果樹園への農薬の散布である。しばらくすると、これに除草剤が加わった。食卓という食卓、また台所などいたるところを我がもの顔で席巻していたハエどももたまりっこない。今では都市部より、農村部のほうがハエが少ないのである。




 ハエばかりではない。カだって同じだ。もっと決定的なのはブヨ。主に野良に居たブヨには農薬は致命的な決定打だった。ハエやカ、ブヨなどは農薬の標的ではないのだが、果樹の病害虫駆除のあおりを食った、いわば犠牲者なのである。犠牲者はこればかりではない。ハチだって同じだ。農薬はさまざまの虫を殺し、地中のミミズまで少なくした。


桃の花見



 ご存知、山梨は桃の一大産地。甲府盆地がピンクのじゅうたんに変わる頃、農家は人手を惜しんで、人工授粉に取り組む。ほとんどいなくなってしまったハチを頼りにするわけにはいかないのである。皮肉な現実だ。ハエやカがいなくなったのは確かにいい。むしろ快適になった。



 しかし、その代償はけして小さくない。文明とは諸刃の剣。どんな形にせよ、どこかで犠牲者が出る。人間の英知で、それを避けることは出来ないものなのか。




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庭の百日紅

百日紅2



 庭先の植え込みにある百日紅が今年も花を付けた。紅い、と言うよりは淡いピンクの花である。太い幹のあちこちから出た穂のような枝の先に団子状に付ける小粒のいくつもの花は、一つ一つ見ると、さもない花だが、全体で見ると、風情があって美しい。


百日紅1   


 百日紅とはよく言ったものだ。毎年、7月の終わりから8月にかけて花を付け始め、9月いっぱいは順繰りに花を咲かす。100日とは行かないまでも、2ヵ月、つまり60日以上咲いている。その百日紅、今年は、花を付けるのがいつもの年より、ちょっと早かったような気がする。暑さの始まりが早かったためかもしれない。しかし、なぜかセミの鳴き声がいつもの年より少ない。もう8月も下旬というのに。


百日紅_convert_20110808224142



 私の記憶が間違っていなければ、いつもの年ならアブラセミからミンミンゼミに変わり、その鳴き声が暑苦しさをいっそう掻き立てているはずだ。今年は、どちらかと言うと空梅雨だった。その上、梅雨の間も真夏並みの暑さが続いた。そんな気象が百日紅やセミに影響を及ぼしたのかも知れない。


サルスベリ  



 百日紅は幹がすべすべしていることから、「さるすべり」と読ませる。我が家の百日紅は大きく、太い。もう数百年は経っているだろう。その側には大きな石がある。在るというより、立っている、と言ったほうがいい。子供の頃、近所の子供たちと、まずこの石に這い登り、百日紅によじ登って遊んだものだ。





 私が、もう数百年は経っている、と言ったのは、ぼつぼつ90歳になる私の従兄弟や故人となって久しい親父の従兄弟が、私と会うたびに≪岩手のさるすべり≫と、大きな石の周りで遊んだ思い出を懐かしそうに話すのである。私は今70歳。百日紅の幹の太さは子供の頃とそんなに変わっていない。歳がかなり離れた私の従兄弟や、今生きていれば100歳をとうに超えている親父の従兄弟たちが遊んだ百日紅や大きな石、その周りの植え込みも、それぞれの当時とあまり変わっていないのかもしれない。





 本を読んだり、パソコンを叩いたりする窓辺りの机から見える百日紅は日ごとに花の量を増している。草花は別にして、この時期、大きな木が花を付けるのは百日紅ぐらいのもの。外出しての道すがら目にする百日紅の花はうちのそれと比べて色が濃い。品種なのか、それとも樹齢が若いためなのだろうか。色が濃いから目には爽やかに映る。しかし、淡い色もまた趣がある。


パソコンとサルスベリ



 花を落とすのを待って、毎年枝を切り落としてやることにしている。甲府に住んでいる時分は植木屋さんにまかせっきりだったが、≪毎日が日曜日≫になった今は植え込みの手入れは自分でする。お陰で、さまざまの道具もだんだん揃って来た。植木用のはさみやバリカンなど道具の手入れも、ちょっとした暇を見つけてする。




 自分でやってみると、剪定の仕方や、その時期などもおのずと覚えるようになる。皐月やつつじなどの刈り込み時期も遅まきながら知った。ただ、脚立から落ちないよう注意はしている。もし落ちたら「さるすべりから落ちた」と笑われるのがオチだものねえ。




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開かずの箪笥

 その昔、江戸城の大奥には「開かずの間」といわれた部屋があったという。時代劇や講談の世界だが、その開かずの間のストーリーは、その部屋である時、不吉な事件が起き、その時を境に、夜ごと幽霊が出るといった筋書きだ。大奥の女達は怖がって、その開かずの間には近づかなかったというのだ。


扉



 徳川将軍家の大奥と並べては恐れ多いが、我が家には開かずの間ならぬ、「開かずの箪笥」がある。それも何本もである。女房が嫁入りじたくの一つとして持ってきた数本と、その後に増えた何本かだ。我が家の開かずの箪笥は大奥のように不吉なことがあったり、幽霊が出るわけでもない。単に開けたことを見た事がないということである。






 開かずの箪笥などと大げさな、と言われそうだが、私にとっては不可解なこと。女房の箪笥だから中には女物の和服や洋服が入っているのだろう。そんな中身はどっちでもいい。要はほとんど開きもしない箪笥なら、場所を塞ぐだけで意味がないのだから、いっそ中身ごと処分してしまえばいいものを、と思うのである。おそらく、女房は、その中に何を入れたかすら忘れてしまっていると思う。




 注意してやればいいじゃないかって?その通り。ばかばかしい話だが、それが原因で夫婦喧嘩になったこともあるのだ。うちの女房、バカじゃねえのかなあ、と思うことすらある。でも待てよ、世の中に「箪笥の肥やし」という言葉があるのだから、世の女房族の中には、うちの女房のような人間が居るということか、とヘンなところで、その馬鹿馬鹿しさと妥協したこともある。




 良く考えてみれば、俺達、亭主族だって同じようなことが言えるのではないか。サラリーマン時代、会社で個々にあてがわれた事務用のロッカーがいい例だ。いつも利用し、中身を≪クリーニング≫していないと、底の方に何を入れて置いたのかすら忘れてしまうのである。結局、いつの間にか「開かずのロッカー」になっていた、なんて経験は、私ばかりではないかもしれない。

キャビネット


 でも、こんな馬鹿馬鹿しいことはない。無用の長物で、場所っぷさげにとどまらず、経費的にも無駄である。もう10数年、いやもっと前になるかもしれないが、私が勤めていた会社の、あるグループ会社の東京支社では個人用のロッカーや机までなくしたのである。もちろん、事務職にはデスクは必要。個人机を取っ払ったのは営業部署

デスク


 その結果はというと、日常の仕事に不便は全くなく、部屋の中が以前より、ずっと整然としたという。社員達は仕事を終え、帰るとき、その都度、整理をして、一日を終えるようになったと言うのだ。整理整頓の効果ばかりではない。ロッカーのあるなしにとどまらず、その日、その日の仕事のけじめや、広い意味での経費節減にもつながったという。




 つまり、箪笥とかロッカーなど、いわゆる箱物は必要最小限でいいということである。今住んでいる我が家は、サラリーマン時代に住んだ甲府の家と違って田舎家だから、そのスペースはそれほど気にならないが、狭かったら「開かずの箪笥」は絶対ごめんだ。




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ピーナッツと落花生

落花生4



 昭和51年、この年に起きたロッキード事件は米国の航空機メーカーを巻き込んだ、わが国政治史上まれにみる疑獄事件に発展した。時の宰相・田中角栄はこの事件で失脚、間もなく、逮捕されるなど日本の政界は混乱の渦に飲み込まれた。それから30数年、刎頚の友と言われた田中角栄元首相、小佐野賢治元国際興業社主、それに日本の黒幕といわれた児玉誉士夫氏ら事件の主役達はいずれも鬼籍に入ってしまった。




 受託収賄罪。当時としては比較的耳慣れない、この刑法用語がこの事件でポピュラーになった。もう一つ、贈収賄のキーワードとなったのがピーナッツである。つまり、捜査に当たった東京地検が宰相・田中角栄の犯罪として立件を目指したのが受託収賄罪であり、その収賄の現金授受の隠語がピーナッツであった。田中角栄は当時、やはり米国のグラマン社と日本への航空機の売込みを競っていたロッキード社のコーチャン副社長からピーナッツという名の賄賂を受け取り、それに便宜を図ったと言うのである。





 この事件を伝えるテレビ、ラジオの裏番組では、双子の姉妹歌手ザ・ピーナッツが茶の間で人気を集めていた。双子歌手や双子タレントの草分けであつた。もちろん、この二つのピーナッツはまったく関係ないのだが、賄賂の代名詞に対し、こちらは双子の代名詞になったのである。今ではピーナッツという言葉も忘れられたし、ザ・ピーナッツもお茶の間のテレビから姿を消して久しい。

ザ・ピーナッツ



 ピーナッツは南京豆ともいい、落花生の実のことを言う。落花生は実に不思議な植物である。お恥ずかしい話だが、私は60歳の半ばになるまで落花生の実はその根につくものとばかり思っていた。ところ、これが大間違い。文字通りの「落花生」で、花が弦のようになって、地に落ち、実を付けるのである。


落花生1



 私の親しい友人の一人に萩原さんと言う男がいる。この人は私のパソコンの師匠でもあるのだが、ある時お宅を訪ねたら「いい落花生の種があるんだけど蒔いてみるけ。その生育過程をちょっと注意してみていると感動するよ」と言ってくれたのが、その不思議を知るきっかけであった。この萩原さんは実に勉強家で、創意と工夫に旺盛な人である。





 春先に蒔いた落花生の種は間もなく芽を出し、7月下旬ごろから青い葉っぱを沢山付けた枝に黄色い花を付ける。ここからが感動的なのである。この黄色い花がいつの間にかに弦で垂れ下がり、地中に潜るのである。つまり、落花生の実を沢山収穫するためには沢山のいい花を咲かせることもさることながら、花が落ちる所にしっかりと土を盛ってやらなければならない。最初、そのことを知らない私は根元にばかり土寄せしたものだから、花は弦で垂れ下がったものの、潜るところがなく、空中ブランコ。大失敗で、苦笑いしたものである。


落花生3



 今の子供達は、もちろんロッキード事件のピーナッツも、双子姉妹のザ・ピーナッツも知らない。そんなことはどうでもいい。だが、この落花生が織り成す感動だけは教えてやりたいと、正直思った。いい歳して、たわいもないと笑われるかも。




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旬とコミュニケーション

スモモ



 「これ、撥ね出し物だけど、美味しいから食べてくれますか」



 近所の人が、時にはサクランボ、時には桃、スモモといった具合に、段ボール箱や果物のもぎ箱に入れて持って来てくれる。箱への並べ方は大雑把だ。



 「何時も済みませんね」


 お礼を言うと

  「これ、形が悪かったり、過熟気味になってしまって出荷出来ないんですよ」



 いかにも美味しそうだ。食べてみてもうまい。当たり前である。木で熟れた物を、そのまま持って来てくれたからだ。桃でも、スモモでも同じだが、輸送やセリ、店頭での陳列など消費者の口に入るまでの時間を考慮して、熟れる前のものを出荷するのである。出荷の過程で、すぐ過熟になってしまうトマトなどはその典型で、真ん中の尖った所がちょっと赤くなった段階で出荷してしまう。





 桃やスモモに限らず、旬の果物や野菜をあっちこっちから頂く。こちらも、ナスやキユウリ、ジャガイモ、サトイモ、落花生など家の畑で採れたものをお届けする。果樹農家の中には、こうした野菜を自分で作らない人が多いのである。果樹作りで忙しく、手が回らないから、種類が多く、手間のかかる野菜なんか作っている暇がないというのである。


野菜



 百姓もどきというか百姓見習いの私が作ったものだから、お世辞にも立派なものではないが、無農薬で、採りたての新鮮野菜であることだけは間違いない。




 「お百姓などしたことがない人が、こんなに立派なものをお作りになって。大したもんですねえ」



 お世辞なのかなんだか分からないが、喜ばれるとうれしいものだ。田舎にはいつも、こんなコミュニケーションがあったり、旬というものの実感がある。




 小学校から高校まで、つまり子供の頃を除いてそのほとんどを甲府や東京で過ごした。土のないサラリーマン生活である。ざっと50年近く、野菜や果物はほとんどを買って食べた。子供の頃、実家では桃や葡萄を作っていたので、それを買って食べることにはちょっぴり抵抗があったが、食卓を賄う女房は甲府、つまり非農家の生まれだから、一向に気にしなかった。




 八百屋さんや果物屋さんに行けば、その店頭には一年中何でも並んでいて、季節感なんてものはない。自分ばかりではない。日本人は
というものを忘れさせられてしまったのではないか。ハウス栽培という名の施設園芸の普及とその技術の高度化によるものである。あらゆる野菜や果物が一年中食べられるのだ。

筍


 竹の子を「筍」とも書く。文字通り旬の野菜である。これだけはハウスで作ってもらいたくないものだ。ともかく、会社勤めをリタイア、土のある生活に戻って、特に自分の家で作った野菜のうまさを実感した。物事にかなり鈍感な女房でさえ「お父さん、やつぱり、買ったものと家で作ったものは味が違うね」と言うのだから間違いないだろう。





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草との戦い

雑草


 子供は知らぬ間に大きくなる、という言葉と一緒にしたら不謹慎、と叱られるだろうが、だって同じ。あっという間に大きくなって、百姓どもを手こずらせるのである。草だって、生きなければならないし、子孫だって増やさなければならないから、当たり前といえば当たり前。




 それにしてもすごい。20日間のハワイ、アラスカの旅を終えて帰ったら、畑ばかりでなく、家の回りも、どこもかしこも草だらけ。これを予期していなかったわけではなかったが、うんざりである。旅行に出掛ける前、このことを想定して、きれいにしていったのに、草どもは容赦なかった。身の丈と言ったら大げさだが、膝まではある。




 草だけならまだいい。草の先っぽには何百だか何千だか分からないほどの種の穂を付けているのである。この種が来年、全部芽を出し、草になると考えたらゾッとする。だから、その草の種をいっぱいはらんだ穂を女房に摘み取るように命じておいて草との戦である。


草かじり


 立ち鉋で端からかじり取っていくのだが、敵もさるもの。しっかりと根を張っているから、こちらは汗だく。流れる汗が目に沁み、着ているシャツは汗を搾るほど。一通り採り終わったと思つたらもうその次が。通りかかった近所の人は、慣れない私の姿を見かねたのか「私が除草剤を撒いてあげますよ」と、言ってくれた。確かに今の農家は草なんかにビクともしない。世間では篤農家と言われる専業農家ですらである。むしろ、桃や葡萄、サクランボなどの果樹園に草をはやしたままにし、果樹の保水に役立てるのだという。




 百姓の長男でありながら、≪会社人間≫で過ごした40数年。学生時代も含めれば50年近く百姓から離れていた自分が今となってみれば恨めしい。バカではないか、と言われるかも知れないが、除草剤とか草生栽培という言葉がピーンと来ないのである。「草をはやしたら百姓の恥」とまでも言わないまでも、それを良しとしなかつた子供の頃、何とはなしに覚えた百姓の感覚が今でも心の隅に残っているのである。


畑  


 幸か不幸か、私の家は、かつて大地主で、数町歩の農地があった。ところが会社人間で家や畑のことなど見向きもしない息子に業を煮やしたのか、不安を感じたのか、親父は家屋敷だけ残してそのほとんどを処分してしまったのである。よかった。しかし残った家屋敷はまだ1町歩。なまくらの身体になってしまった私にそれを耕す能力があるはずがない。ピオーネや巨峰が植えてある5反歩ほどのぶどう園は隣村の人に作ってもらっている。




 だから私の仕事といえば残された、ただの畑と庭やおつぼきなど、いわゆる家屋敷の管理である。畑ではジャガイモ、サトイモ、サツマイモ、なす、キユウリ、トマト、かぼちゃ、インゲン、果ては生姜、ニンニク、アスパラ、ふき、茗荷に至るまで四季の野菜を何でも作る。人から見れば趣味に毛が生えたようなもので、生産性とは全く程遠い。




 仲間たちは借りた農地での家庭菜園作りを楽しそうに話す。しかし私は草ぼうぼうにしていてはみっともないので草っかじりをし、そこに何かを作っているのである。人手が足りないから、子供をも動員、野良で朝飯を食って学校に行った子供の頃を思い出した。





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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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