ハロウィンカボチャと野菜作り

 「お母さん、来年はハロウィンカボチャを作るか」

 「そうねえ。あれ、あっちこっちで見るよねえ。色といい、大きさといい、面白い置物になるよねえ」



 こんな女房との会話は夕食時のテレビのニュースがきっかけ。農業関係のコースを持つ山梨県内の三つの高校が開いたハロウィンカボチャコンクールの話題だった。テレビ画面に映し出された黄色いカボチャは、人間が抱えるほど大きい見事なものであった。


ハロウィン3


 ハロウィンは諸聖人の祝日の前夜、つまり、10月31日にアメリカで行われる祭りで、その起源はスコットランド・アイルランド地方だという。そこに登場するお化けカボチャはユーモラスで、楽しい。日本でも、女房が言うように、観賞用としてあっちこっちで見かけるようになった。

ハロウィン2             ハロウィン1


 ハロウィンカボチャはさておき、かつては盛んに作られた「土手カボチャ」に、とんとお目にかからなくなった。「土手カボチャのような顔」などと形容する言葉があるくらいだから昔はポピュラーな品種だったのだろう。もちろん、正式な品種名ではない。子どもの頃はよく食べたもので、カボチャといえばこれだった。





 全体は平たいのだが、縦ジワに、縦横にボクボクしていて、いかにも絵になるカボチャだった。カボチャの挿絵といえばほとんどがこれ。最近のカボチャは、いわゆる西洋カボチャだ。さまざまな改良品種が出回っている。スーパーや八百屋さんに並んでいるのを見ると、黒っぽい青か、白っぽい黄色で、いずれも型は小型。土手カボチャのような大きいものにはお目にかからない。



 

 我が家でも昨年から、このカボチャを作っているが、確かにうまい。しかし、作り方が難しい。土手カボチャの場合、極端に言えば、食べた後の種を畑に捨てておくと翌年自然に芽を出し、大きなカボチャをゴロゴロならしたものだ。ところが、最近のカボチャときたら、そうはいかない。手を掛け、丹精しないと、駄目。


家のカボチャ



 種からだと失敗するので、ホームセンターなどで苗を買ってきて植えつけるのだが、どうもうまくいかないのである。実は付けたとしても、形もきわめて小さいから、張り合いどころか拍子抜けしてしまう。ツルだけは人並みに張るが思うような実を付けてくれない。あの逞しい土手カボチャが恨めしい。




 野菜という野菜、全てがどんどん改良されていき、味はびっくりするほどうまくなった。その分、作り方が難しくなった。野性味をなくしているようにも思う。例えば、モロコシがいい例だ。一昔前のモロコシは一本の木に何本もの実をならせたが、今の改良品種は一本に一つだけ。栽培農家は本来、いくつかならす実を一本に絞るのである。味は抜群だ。


カボチャ3



 もう一つの特徴は、多くの野菜の苗が接木であることだ。トマト、キュウリ、ナス、みんな接木で、値段も普通のものより高い。私の場合、キュウリやナスはそこそこに作るのだが、毎年、トマトが駄目。どなたかご教授を。




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山砂と雑木の山林

 ピンポーン。朝早く、勝手口のチャイムが鳴った。パジャマ姿のままドアを開けると、近所の親しい人がニコニコしながら立っていた。


砂1


 「まだ寝ていた? 朝早くて悪かったかなあ。砂、持って来てあげたんだけど、どこに下ろそうか」


 頭越しに、裏庭を見ると、山砂をいっぱい積んだ軽トラックが止まっていた。



 「すみません。いつも手数をかけますねえ。ありがとうございます」



 その人は、私が場所を指示するまでもなく、家って知ったる、とばかり母屋とお蔵の間を抜け、表庭に一番近い所にトラックを停めて、砂を降ろし始めた。軽トラックだからざっと1トン、スコップで手際よく下ろした。


砂と父1        砂と父2


 「お茶、飲んでけし。お金も払わんと、いけんし」



 「今日は、そうもしていられんさ。またご馳走になります。お金なんかいいよ」



 そう言い残して、慌しく帰っていった。



 サクランボや葡萄を結構手広く作っている果樹農家だが、暇がある時には遊びにやって来る。時にはお茶を飲みながら夕方まで話し込むことも珍しくない。そんな時、庭を眺めながら「岩手山からいい砂が出る。これを入れると草取りも楽だし、植木にもいい」と言っては、時期を見計らって砂利砂を運んでくれるのである。その量はもう10トン近い。


サクランボ


 岩手山は秩父山塊から南に下がった山梨市にある山で、我が家にとっては裏山みたいな所だ。もう何年も前から業者が砂利の採取をしている。コンクリート工事用だろうが、果樹農家の中には、この砂を買ってきて畑に入れる人もいる。この付近の土壌はどちらかというと粘土質だから山砂とブレンドするといいのだそうだ。




 実は、業者が砂を採取している山の目と鼻の先には我が家の山もある。ひと山といっていいほど大きいものだが、雑木の山林で、1銭にもならない。かつては薪山として売れた。石の採取でお金になったこともあった。しかし、薪はどんな田舎でも無縁になって久しい。一方、採石は昭和50年代に中央自動車道の建設工事に使われたり、一時期は墓石としても採取された。



 一帯は御影石だから墓石にはもってこい。ところが掘って行くうちに、この御影石に斑が入るようになったとかで、ソッポを向かれた。もちろん中央自動車道用の採石も、その完成とともに終わり。今や、山は誰からも相手にされない無用の長物?となった。




 人間、いくばくともお金にならないと、山だって見向きもしない。だから、我が家の山に限らず、山という山は荒れ放題である。かつては、宝の山と言われた杉、ヒノキの山でさえ、買い手がなく荒れるに任せている。高くつく人件費との絡みで、わが国の建築用木材はほとんど外材に頼っているのである。




 私も含めて地元の人たちは業者が掘り出す山砂を工夫しながら、それぞれの使い方をしているのだが、業者は環境面からも後始末が大変のはずだ。




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お年寄りの歓声

 ふれあい広場にお年寄りの歓声が戻ってきた。


 「1番ゲート通過」「3番にタッチ」



 ゲートボールを楽しむお年寄り達だ。広場の脇にはミニバイクや軽自動車が止まっていた。年の頃は70代から80代の女性ばかり7~8人。あれっ、あんなおばあちゃん達、この地域にいたっけ?見慣れない人たちばかりだった。多分、別の地区の人たちだろう。

ゲートボール

 この地域は、どこの地方にも珍しくない少子化と高齢化が進む一方。ここでは少子化はさて置くとして、70代、80代のお年寄りはいっぱいだ。これに60代も加えれば部落人口の大半は、いわゆる高齢者である。一方で、少子化のツケが、まるでボデイブローのように響いて農業後継者不足が深刻になりつつあるのも無理はない。




 我が家の植え込みと小さな畑をはさんですぐ近くにある、このふれあい広場には特別の思い入れがある。こうしてパソコンを叩いていても歓声が聞こえるほどのの距離にあるということもさる事ながら、広場を地域にお貸しした当事者であるからだ。かつて梅畑だった10アール弱の広場だが、そこから挙がってくる歓声は、なぜか我が事のように嬉しくなるのである。より多くの人たちのふれあいの場になって欲しい、そんな思いだ。




 普段、年に一度の防災訓練やわずかな子ども達のブランコ遊び、夏場に夕涼みがてら花火を楽しむ近所の家族ずれなど、限られたような利用頻度だった。お袋が元気だった6~7年前は天気さえよければ毎日のようにお年寄り達がゲートボールを楽しんでいた。しかし、いつの間にか広場からお年寄り達の歓声が消えて久しかった。

ゲートボール2

 お年寄りはいっぱいいるはずなのに、とお思いの方もお出でだろうが、ゲートボールのようなチームゲーム、特にお年寄りの遊びは誰か音頭とりをする人がいないと駄目のようだ。ゲームとか、お年寄りに限らず、音頭とりのある、無しはすべての事のまとまりの良し悪しに繋がるのだろうが、とにかく広場からお年寄りの姿が消えていた。




 私には、若い頃だが、ゲートボールに不思議なご縁があった。まだ40代の前半だった。当時、勤務していた新聞社の会長が山梨県ゲートボール協会の会長に就任したのがきっかけ。その橋渡しをしたことや、当時の会社でのポジションもあって、協会の筆頭理事に着かされてしまったのだ。会長が本業で忙しい時には、陰に陽にその代役をやれ、ということらしかった。





 県の体育協会の中でも、競技人口では最も大きい方の団体だから、もちろん、そのための副会長もいれば、理事長もいる。ただ、協会側にしても会長にしても、その間をつなぐパイプ役が欲しかったのだろう。生い立ちが生い立ちだから、へんてこりんな理事であった。協会幹部なのでゲートボールの競技そのものを熟知し、審判員の上級資格を持っていて当然。私には何もなかった。しかし、面白い仕事だった。新聞社が主催する大会にも多く携わった。おかげで山梨県内の主だったゲートボール愛好者とも知り合った。広場で歓声を上げる人たちの中にも顔見知りがいるのではと思ったのだか・・・。時代が変わっていた。



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我が家のひょうたん

 秋の日はつるべ落とし、とはよく言ったものだ。つい2カ月、3ヵ月前だったら7時を過ぎても明るかったのに、11月の声を間近にしたら、まだ5時というのに暗くなる。天気が悪ければなおのことで、冷え込みさえ感ずるようになった。庭の植え込みの先にある野菜畑では、棚に伸びたキューリやゴーヤが実を付けることすら忘れ、葉っぱもだらしなく黄色くなった。その隣では、10個ほどの瓢箪がツルを黄色く枯らして、これまただらしなくぶら下がっている。


瓢箪5



 この瓢箪、実は≪プル友≫つまり、スポーツジムのプールでご一緒するお年寄りがご縁で作ったものだ。この方は80歳を超えているが、毎日プールで歩いたり、泳いだりすることを欠かさない元気者。何をやっても器用な人で、趣味の瓢箪作りはプロ顔負けの腕前だ。瓢箪に絵や字を施し、化粧紐を巻いて置物にするくらいは朝飯前。加工して、フクロウのループタイを作ったり、ツルや亀の置物まで、それは見事に作ってしまう。




 お人柄も温厚な方だから、山梨県瓢箪愛好会の代表も長く務めている。毎年、甲府で愛好者の発表展示会を先頭に立って開くのはもちろん、知り合いに、その技術を教えたりしている。甲府市飯田町の自宅の物置を加工して作ったという≪工房≫にはこの人の傑作がいっぱい。「上手なもんだね」と言ったら「ちょっとやれば、誰にでも出来ますよ」と。テレ笑いしていたが、どうしてどうして。


瓢箪2


 畑の野菜棚にぶら下がっている我が家の瓢箪は、この方から頂いた種を蒔いたものだ。種類はごく普通のもので、抱えるほど大きかったり、奇抜に変形したものではない。3年ほど前、我が家をリホームした時、記念に、と頂いた瓢箪は1m以上もある大きなもので、「気は長~く、心は丸く、腹を立てず、(他)人を大きく、己は小さく」と、教訓めいた文字が入っている。「心」は丸く書かれ、「腹」は縦ではなく、横になっている。トンチも効いたものだ。



 瓢箪1


 瓢箪は古くから縁起物として人々から親しまれている。古来、風水にも用いられ、その形が末広がりであることから、気をためる道具に使われ、財運をもたらすとされた。豊臣秀吉の千成瓢箪は、あまりにもポピュラーだ。美濃の稲葉山城攻略で功を成した秀吉が信長から許された馬印がそれである。以来、秀吉は戦に勝つ度に一つずつ瓢箪を増やしていったという。






 神話にも登場する。中国では古来、中が空洞になっている瓢箪は、その内部に精霊が宿るとか、別世界があるとされ、神話や伝説に登場する。例えば、孫悟空が瓢箪に吸い込まれる話は有名だ。瓢箪が「宇宙」という器の象徴とされたという説もある。


瓢箪3



 乾燥すると容器として使える。横に割ればお椀に、縦に割れば皿やひしゃくの代わりになる。瓢箪に入れたお酒は風味を増すのだそうだ。若い頃、毎晩のように入り浸った居酒屋の一つに「ひさご」という店があって、そこの主は店の屋号について「ひさご」は「ひしゃく」が転化したものだと、お酒と瓢箪の関係を説明してくれたことがある。





 瓢箪作りの名人によれば、我が家の瓢箪も収穫の時期。しばらく水に浸けて種を出すのが肝心だ。「ひょうたんから駒」が出たらいいのになあー。



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我が家の柿と杮落とし

柿3


 秋に色づく「柿」と杮落とし(こけらおとし)の「柿」とは今の今まで同じだと思っていた。いい歳をして、とお笑いになる方もお出でだろうが、これホント。どうして「こけら」を「柿」と書くのかは不思議に思ったことはある。が、そのまま通り過ぎていた。字面で見れば全く分からないが、字そのものが違うのだそうだ。



 つまり、食べる「柿」は「木扁」に「亠」の下に「巾」を書く。ところが「杮落とし」の「杮」は「木扁」に「一」を書き、その下に「ワ」を書いて上から「1」を書くのである。言葉で言うと分かりにくいが、食べる「柿」の画数は九、「こけら」の「柿」は八画である。因みに、柿落としは、新しく建てられた劇場ではじめて行われる催しの事だ。「柿(こけら)」とは木片のことで、建設工事の最後に木片を払うことが語源だという。



柿1

 

 「杮落とし」はさておき、我が家の柿も色づき始めた。一口に言って、柿は1,000種類を超す品種があるそうだが、我が家にあるのは富有御所甲州百目など数種類にすぎない。かつては次郎、蜂屋といった柿もあったが今はない。富有、御所、次郎は甘柿、甲州百目、蜂屋は渋柿だ。11月も半ばを過ぎて霜でも降りる頃にならないと美味しくならない御所柿と比べ、実りが早い富有柿はあと数日もすれば食べられるだろう。



 「柿が赤くなると医者が青くなる」という、ことわざがある。私の従兄弟にも医者がいるが、柿はビタミンCを多く含むなど栄養価も高い。その上、殺菌作用やタンパク質凝固作用があるため、下痢止め、便秘の解消などの整腸作用、さらには血止めしもやけ、やけど、発熱風邪の薬にも用いられたという。因みに、ビタミンCの含有量はレモンに次いで2番手グループだという。

柿2

 私は柿のずくしが好きで、甲州百目を収穫後、とっておいて、冬場に食べるのである。冷蔵庫で冷やしてコタツの中で食べると実に旨い。そればかりか二日酔いにめっぽう効くのだ。柿には利尿作用がある成分が含まれているので、アルコール分の排出にいいのだそうだ。でも飲みすぎればやっぱり駄目だ。また、柿にはカリウムが多く含まれていて、血液中のナトリウムを排出させ、血圧を下げる作用もあるという。低血圧の人は注意が必要かも。



 アルコールといえば、我が家でもやるのだが、柿の渋を抜く一つの方法。焼酎をへたの部分に塗ってビニール袋に入れ、4~5日置く、と渋が抜けるのである。これから町の果物屋さんに並ぶ渋抜きの柿は、こんな方法だとまどろっこしいので、炭酸ガスを使っての渋抜きをしているはず。倉庫のような大きな部屋で、コンテナのようなものに入れた柿に炭酸ガスをかけて渋抜きする方法だ。



 毎年、柿が実ると東京や埼玉に住む弟達に送ってやる。子どもの頃食べた味と同じ。大喜びしてくれる。それが嬉しい。そのためには、冬場に剪定もし、何回かの消毒も欠かせない。消毒を欠かしたら柿は絶対駄目。実を付けたとしても必ず落ちてしまうのである。もう一つ、柿の木には登ってはいけない。柿の木は裂け易い。くれぐれもご用心あれ。




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秋の虫のオーケストラ

 「うるさいほどの鳴き声」と、表現したら、なんと情感に乏しい人、と蔑まれるかも知れないが、今、我が家の庭先の植え込みとその周囲からは毎夜、虫の音がすごい。恐らく、鈴虫やキリギリス、コオロギなどだろうが、私には判別できない。どうやら分かるのは鈴虫くらいで、本当はキリギリスもコオロギも鳴き声を知っている訳ではない。


鈴虫


 とにかく、その鳴き声は、虫とは思えないほど大きく、明け方まで続くのである。「うるさい」ほどに感ずるのは、我が家が田舎で、車の騒音も聞こえなければ、ご近所の家もちょっと離れているので、人の話し声も聞こえないからかもしれない。寒さと共に虫の鳴き声が途絶える冬場は何の音もないから≪シーンという音≫がする。何らかの騒音が日常的な都会人には理解できないだろうが、本当なのである。



 若い頃はその≪静かな騒音≫が嫌で、音がする都会にあこがれたこともあった。我が家はちょっとした高台にあるから、子供の頃は近くを流れる笛吹川の水の音が聞こえたものだが、上流にダムが出来たことによって、水量が激減、いつの間にかその音も消えた。



 ≪静かな騒音≫を紛らわしてくれているのが虫の音だ。こうして部屋の中でパソコンを叩いていても、近くの居間で勝手に鳴っているテレビの音に負けないほどの虫の音が外から聞こえてくる。夕食後、決まってタバコを吸いながら外に出るのだが、そっと歩く足音にも虫たちは敏感に反応する。ぴたっと音が止み、通り過ぎるとまた鳴き出す。


夜の庭


 母屋から植え込みを過ぎて、ちょっと離れた石の門柱の脇の道沿いに腰掛けて、一人静かにタバコを吸っていると、暗闇の中で、あっちこっちから虫の音が。それも無数といっていいほどの鳴き声だ。ステージで聞く100や120のオーケストラなんてものではない。


 
 どでかい自然をステージにした虫たちのオーケストラの演奏を聞きながら、遠くに黒く連なる山塊の麓に見える帯のように小さく光る家々の灯りをボーッと眺める。あの光が笛吹市一宮町神沢の友の家だろうか、とか、あれが甲州市勝沼町の親戚の灯りだろうかと、思いを巡らしてみたりする。その間も虫たちのオーケストラは絶え間なく続くのである。


虫


 今、鳴いている鈴虫は、もちろん野生のものだ。かなり前のことだが、甲府に住んでいた頃、会社の同僚の中に鈴虫をふ化させる事が得意の人がいて、時期になると、しばしば、その幼虫をもらっては金魚鉢のようなガラスの器で飼っては部屋の中でその鳴き声を楽しんだものだ。騒音と雑音の中で忙しく仕事をして帰った自宅で聞く鈴虫の音は、つかの間の憩いであり、安らぎだった。

 

 かつて鈴虫のふ化は珍しく、毎年その時期になると新聞の話題になった。しかし、実際はそんなに難しいものではなく、そのことを知った同僚は、自分でふ化することを覚え、毎年大量の鈴虫の幼虫を生み出しては私達にくれたのである。今もふ化をさせ続けているに違いない。


虫2


 田舎の実家に戻って、毎晩、うるさいほどの虫の音を聞いていると、あの頃が無性に懐かしくなったりもする。人間とはわがままで、贅沢な生き物である。





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朝顔の大輪

朝顔2


 朝顔、昼顔、夕顔。これに「寝顔」を付けくわえると、一転、無粋になってしまうのだが、ここで取り上げたいのは粋な朝顔の花。今から1,100年以上も前の奈良時代に中国から遣唐使によってわが国に伝えられたという朝顔は、庶民の間で大きなブームを巻き起こした江戸時代に品種改良が進み、観賞用植物に変わったのだそうだ。


朝顔  



浮世絵にもいっぱい描かれているから、朝顔は下町の夏をいや応なく連想させてくれる。その朝顔が、今、我が家の庭先で見事な大輪をいくつも咲かせている。「いい品種の朝顔だから植えてみて」と、近所の人がくれた園芸用のポットに植えつけたものだ。直径10~11cmもある大輪は赤もあれば青もある。これまでもさまざまの朝顔を見てきたがこんな見事なものにお目にかかったことはない。


朝顔2  


 持って来てくれた人が「いい品種」と言うだけあって、改良品種であることは十分に理解できる。だが、作り方を明らかに失敗。園芸用のポットから大きな鉢に植え替え、ツルを這わせる棒を2本立て、横棒も渡すなど工夫したまではよかったが、縦の棒が短過ぎたのである。分かっているようで分かっていない。無知とは恐ろしいものだ。朝顔のツルはグングン空に向かって伸びるのだが、途中で支えを失うから、下に落ちるしかない。




 ツルは折り返した途中でくちゃくちゃになるばかりか、地に落ちたツルは土の上をどんどん這うのである。その勢いは逞しい。一面が瞬く間にツルだらけになる。そこでは決して花を付けない。空中でなければ花を咲かせない植物なのだろうか。


朝顔3



 この朝顔とは別に、ぶどう園の周りでいっぱい野生の朝顔が咲く。花の大きさ、美しさは比べものにならないが、これも逞しさでは負けない。支線を伝わってぶどう棚にどんどん這い上がるのである。在来種ではない。恐らく、肥料に混じって外国からやってきたものだろうが、繁殖力は強く、自然に落ちた種は来年、何十倍にもなって生えてくる。一般雑草用の除草剤では枯れない。




 昼顔や夕顔も同じだ。野生とか、観賞用を問わず、私達の身の回りには見慣れない植物がいっぱい。花好きの女房がやたらに買ってくる鉢植えや土に下ろす花を見ても、およそ日本のものとは思えない、名前すら分からないものばかりだ。畑や道端の雑草だって「こんなもの、あったっけ」と、思うものがいっぱいだ。タンポポなどは、在来種は完全と言っていいほど駆逐され、葉っぱがギザギザした逞しい外来種に変わった。みんな肥料や飼料が媒介しているのだろう。


庭の花



 朝顔は東京の下町の夏を連想させる。爽やかな花をポツンポツンと飛ばした朝顔の緑で涼をとる庶民ののどかな暮らしを髣髴とさせてくれる。一方、朝顔は「源氏物語」の五十四帖の巻きの一つに登場する。もっとも花ではなく、作中人物だが、その朝顔は源氏に好意を抱くのである。



 失敗作とはいえ、立派な大輪をつけた我が家の朝顔。花が終わったら種を取り、欲しい人に分けてあげたいと思ったのだが,実はこの朝顔、種を付けない。霜が降りる11月初旬まで花を付けているのも特徴だ。朝顔の季節ももう終わりに向かう。





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防災無線と触れ合い広場

 防災無線。いかにもいかめしい呼び名だが、言ってみれば、地域の生活情報を伝える基地局だ。キー局は山梨市役所の中にあるのだろう。施設は市内の地域端末局とネットワークされていて、情報の性格や対象によってキー局からでも地域の端末局からでも自由に放送できる仕組みになっている。私達の地域は町場と違って、平坦ではなく、傾斜地や高低差があるので、火の見やぐらにそれぞれの方向に向けたスピーカーを取り付け、放送を聞き取り易くしている。

  


 キー局からの発信は、言うまでもなく市民全体向け。行政、民間を問わず、全市レベルの連絡事や催し物情報などが流される。一方、地域局は地区の行事連絡から始まって、果樹の消毒など農業指導やご不幸のお知らせと通夜、告別式など葬儀の連絡など何でもこなす。時々ある認知症のお年寄りの捜索には決まって威力を発揮する。行方不明の放送があって数分後には「発見」の放送が。みんながホッとするのである。





 回覧板という情報ツールもあるのだが、当然のことながら、スピードにかけては、これには勝てない。しかし、他地区に職場を持っていたり、放送時に地元を留守にしている人もいるので、回覧板も欠かせない。回覧板はその都度、隣組に発信するのである。今、区長代理を兼ねた組長を仰せつかっているが、回覧板が組を一巡して手元に戻るまでにはかなりの時間がかかる。
回覧板


 防災無線はその名の通り、元々の設置目的は地震や火事など非常時の災害への対処だろう。これこそ、頻繁にあっては困るのだが、火事が発生した場合「今、○○で火災が発生しました」と、その一報を速報するばかりでなく、鎮火したかどうかも知らせる。場合によって、火事の途中情報も。また、交通事故や、それに伴う交通規制などの情報もタイムリーに伝える。

 その防災無線と前後して私達の地域に登場したのが災害時に住民が避難するための広場だ。これも現実的には多目的広場。広場の隅には防災倉庫を設けて万一に備えているが、日常的には子ども達の遊びの広場であったり、お年寄りのゲートボール場だったりする。いわゆる住民達の憩いの場だ。もちろん9月1日の「防災の日」には訓練会場になる。それでいい。
防災訓練3



 この広場には、ちょっとしたいきさつがあった。10数年前のことである。当時の区長ら区の役員が顔を揃えてやって来て「お宅の梅畑を貸して欲しい」と座り込んで来たのである。「地域のためになるなら」と、快く応じたものだ。その面積は10アール近いが、畑には戻らないから寄付したに等しい。それでいい。周囲のしだれ桜やハナミズキもすっかり大きくなり、寄付させて頂いたベンチや防災倉庫もそこに彩を添えている。


お花見 009


 いつの間にか秋がやって来た。ひと頃の猛暑がウソのようだ。昼間の子ども達やゲートボールのお年寄りの歓声とは違って、宵闇に瞬時の涼を求めるように花火を楽しむ家族ずれ。ふれあい広場にお使い頂いて良かったと、しみじみ思う。




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親バカならぬ…

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 「親バカ」という言葉がある。それに輪をかけるのが「爺バカ」「婆バカ」かも知れない。甲府で開かれた大相撲の地方巡業「富士山山梨県場所」。孫を抱っこしてくれて土俵入りする力士に一生懸命、拍手をしている自分に気づき、ふと、そんなことを思った。所は郊外のコンベンションホール「アイメッセ」。秋の3連休の中日とあってか、朝から恐らく4千人を超すだろう相撲ファンで埋まっていた。




 「お父さんねえ、チビちゃんを抱っこして土俵入りしてくれるんだってよ。それもお父さんご贔屓の遠藤関よ」


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 孫の力士抱っこの“土俵入り”は、勧進元に近い知り合いのご配慮で、観戦が決まって間もない頃にもたらされた“朗報”。「お父さん、当日は早く行かないと駐車場が混むわよ」。女房は、そんな頃から自分のことのように浮き浮き、そわそわしている様子であった。




 大相撲の地方巡業は、本場所と違って取り組みの合間に“お客様サービス”をいっぱい盛り込んでいる。「四股を踏む」「弓取り」など相撲用語の解説や相撲甚句の披露。「へ~え」、「なるほど」と、この歳になって改めて知ることもいっぱい。力士の土俵入りの仕草はむろん、取り組みまでの仕草の一つ一つに意味があることを知って、何か得をした気分にもなった。「四股」は本来、悪霊の「醜(しこ)」を踏みつぶすことから始まったのだそうだ。秋田の「なまはげ」にも由来するという。
 
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 地元の小学生を対象にした実技稽古も。一人前に廻しを締めて土俵に上がり、力士に挑むちびっ子達。お相撲さんが大きい分、ちびっ子達が小さく見えて可愛らしい。廻しを掴んで振り回したり、時にはちびっ子に投げられたり、寄り切られたりもする。その力士とちびっ子達の一挙手一投足に観客席は拍手を送る。20人くらいのちびっ子達が二人ずつ入れ替わり、立ち替わり、お相撲さんに挑んでいくのだ。




 十両の取り組みが終わると「中入り」。東西の花道に分かれて力士が土俵入りする。東は日馬富士、西は鶴竜。両横綱を先頭に、それぞれ大関、関脇、小結と続く。大横綱・白鵬の姿がないのが、ちょっぴり寂しい。子供を抱っこしているのは、いずれも平幕の人気力士。碧山、嘉風、大砂嵐、逸ノ城、玉鷲、安美錦、遠藤…。東西それぞれ5人ぐらい。子供達は2歳前後だ。いずれも緊張気味。それを通り越してわんわん泣きじゃくっている子も。孫は丁度2歳6ヶ月になった。


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 お相撲さんは大きい。体重は一般人の軽く2倍以上もあるのだから、ここでも子供は実際よりも小さく見える。抱っこする二の腕に隠れそう。東西の花道の近くではカメラのフラッシュが。親バカ、爺バカ、婆バカ達だろう。中にはビデオ撮影する人達もいる。むろん、娘夫婦や私達夫婦もその一人である。




 上位陣ではないが、山梨の郷土力士も何人かいる。朝早くから詰めかけた観客は、郷土力士が登場すると拍手喝采。何故か郷土力士は全員、勝ち名乗りを受ける。地方巡業ならではの“愛嬌”だ。満員御礼の会場には、あの向山文人さんもいるのだろう。この人は私が現役時代、仕事を共にした仲間の一人。相撲好きを通り越して、いわば相撲博士のような人。どの年の、どの場所であろうが、取り組みの勝敗、決まり手に到るまで頭に入っているのである。





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今日も流れる「花かげ」のメロディ

十五夜



「十五夜お月さま ひとりぼち 桜吹雪の花かげに 花嫁姿のお姉さま お馬にゆられて行きました」


 ご存知、童謡「花かげ」の一節である。この「花かげ」のメロディが毎日午後5時になると、私が住む山梨市と笛吹川を挟んで反対側の甲州市から、6時になると今度は山梨市から流れてくる。山梨市や甲州市ばかりでなく、この地方では防災無線の放送設備が整備されていて、さまざまの連絡媒体として威力を発揮しているのである。




 甲州市では午後5時の「花かげ」ばかりでなく、朝7時には「のばら」のメロディを流す。私達の山梨市では、朝は音楽ではなくて、チャイムで時を知らせるのである。地域の人たちは、それを合図に農作業や家事、出・退勤の時間的な目安にするのである。




 「花かげ」のメロディを流すのには理由がある。今は甲州市の一部・旧塩山市の塩の山の麓に向岳寺という名刹があって、そこに「花かげ」の歌碑があるからだ。いわば、地元のテーマソングみたいなものだろう。塩山市のロータリークラブでは月初めの例会では必ずこの歌を歌うのだそうだ。「花かげ」を地域の人たちが誇りにしている証拠である。




 「花かげ」の作詞者・大村主計(1904~1980年)の生誕地は甲州市の隣村の旧牧丘町。私達が住む旧岩手村の隣村で、今は山梨市に組み込まれている。「花かげ」の歌詞に出て来る「花嫁姿のお姉さま」は大村のお姉さん。「お馬に揺られて」通りかかった「桜吹雪」は向岳寺の桜並木だったのだろう。


桜吹雪

 このお寺さんは 臨済宗向岳寺派の総本山。日蓮宗の総本山身延山久遠時と共に山梨県では二つしかない総本山の一つである。大村が「桜吹雪」と歌った境内の桜や塩の山付近の桜は見事で、シーズンには大勢の花見客で賑わいを見せる。ただ、その桜吹雪と歌の冒頭に出て来る「十五夜お月さま」がいかにもミスマッチのような気がしてならない。




 つまり、十五夜は「旧暦の8月15日・・・」と言うから、文字通りの解釈をすれば秋。いうまでもなく桜は春だから季節が合わない。恐らく、「十五夜お月さま」は、いわゆる中秋の名月ではなく、満月のお月さまを指しているのだろう。大村主計と「花かげ」の資料は山梨と埼玉を結ぶ国道140号(雁坂道)沿いに設けられた牧丘町の道の駅の隣接地に移築された町の資料館に展示されている。




 大村主計さんとは生前、何度か仕事の関係でお目にかかったことがある。当時、大村さんは山梨県の文化人達でつくる山人会のメンバーで、毎月、東京・新橋にある中華料理屋さんで会合を持っていた。文化人というと個性的な方々が多いのだが、実に穏やかで,優しい雰囲気をお持ちになった方だった。




 今にして思えば、その時に「十五夜お月さん」と「桜吹雪の花かげ」の裏話も聞いておけばよかった、と思っている。ただ「花嫁姿のお姉さま」は実のお姉さまであることはご本人のお話なので間違いない。心優しい大村さんならではの歌である。毎夕流れて来る「花かげ」のメロディは感慨深い。





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水利権

川


 「川」という字は「鳥」などと共に象形文字の典型。大きな「河」と違って、山間の、のどかで、素朴な流れを髣髴とさせ、街の中や田園地帯をひっそり流れる「せぎ」や「小川」をも連想させる。「川の字に寝る」という言葉もあって、字の形がかもし出すイメージは穏やかな日常そのものだ。





 しかし、その川が知らず知らずのうちに変わってしまった。どの川も水量を減らした。そればかりならまだいい。川は汚れる一方だ。洗剤などを多く含んだ家庭雑廃水や工場廃水が川を汚す。工場廃水のたれ流しは法的規制もあって、さすがに減っているが、下水道化が遅れている地方では、どうしても家庭の雑廃水が流れ込む。





 昔は地方へ行けばいくほど、田舎へ行けばいくほど、川を大事にした。川は人々の生活の生命線だったからだ。人はそこで食卓に上る野菜を洗い、顔や食器まで洗った。だから、みんなが川を大事にした。川自体も自浄能力が強く「3尺流れればお水神様が清める」とまで言った。


川2


 無邪気な子どもが川に向かって小便でもしようものなら、大人たちは「おちんちんが曲がるぞ」といって、戒めたものである。ところが、今は子どもを戒めるはずの大人が平気で川に立小便をし、お母さん達は台所の野菜くずを川に捨てる。川をゴミ捨て場と勘違いしていると思えるような若いお母さんさえいる。





 川自体の水量も減った。無理もない。上流にダムが出来、本来下流に流れるはずの水が灌漑用水としてスプリンクラーで畑にまかれ、上水道水になった。水が減れば汚れを滞留させ、酸素を入れないから自浄作用も低下させる。それが、一方で紛争の火種すら起こそうとしている。


川3



 農業形態や生活環境の変化で人々が忘れかけていた「水利権」という≪寝た子≫を起こそうとしているのである。同じクラブでご一緒するロータリアンに、この地方一帯の水利権組合を束ねる連合会の会長さんがいる。彼は頭を抱えながら、こう言う。




 「地域の水にみんなが無関心になった。それをよいことに行政も水利権者と締結している協定を無視、行政だけの都合で水を使おうとする。例えば水道水への転用だ。水道に使ってはいけない、と言っているのではない。そのバランスを考えなければ将来必ず禍根を残す。田んぼを作ろうと思ってもそれも出来ないし、万一火事があっても川に水の流れがなければ消火作業すら間々ならなくなる。挙げ出せばきりがない。水というものは一つの目的ばかりでなく、多様性をはらんでいるのだ」




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 「空気や水のよう」。私達は日常生活の中で、よくこんな言葉を使う。あって当たり前で、その大切さが分からないことの例えだ。しかし、その水が都会にお住まいの方々ばかりでなく、私のように田舎暮らしをする者ですら、時にお金を出して買う時代になっている。ブランド名はともかく、どこのご家庭の冷蔵庫にも一本や二本、水のペットボトルが入っているだろう。遊び感覚だが、富士山頂などでは「空気の缶詰」も売られている。


空気の缶詰


 水代わりのお茶もそうだ。山梨では葬式の香典返しにお茶を袋で引くケースが多く、お茶なんかいっぱいあるのに、ペットボトルのそれを買って飲むのに抵抗感すらなくなった。女房に「もったいないじゃないか。あれ使えよ」と言った自分も、いつの間にか平気になった。  いつもお邪魔する仲間の家のマージャンルームには家庭用のものをちょっと小型にした冷蔵庫がポツーンと置いてあって、中には清涼飲料がいっぱい入っている。もちろん、コーヒーや各種のジュース類もあって、水やお茶ばかりではない。ペットボトルやカンは便利だ。お茶にしてもわざわざお湯を沸かさなくてもいいから気軽である。





 この仲間はそのお茶やコーヒー、ジュースを自動販売機で売る清涼飲料水販売会社のオーナーである。何台もの車や大勢の従業員を使って、県下各地に設置している系列の自販機を巡回して中の飲料水の管理や集金をしているのである。パチンコ屋さんなど設置場所がいいところに当たれば、一般では考えられないような売り上げをするのだそうだ。お茶やスポーツドリンクなどと並んで水もよく売れるという。

水


 全く別の仲間だが、いつか、こんな愚痴を言ったことがある。


「俺達が汗水たらして売る牛乳は水より安いんだよ。全く、やっていれねえよ」



 この男は富士山の西山麓にある冨士豊茂という所で、牛を何頭も飼う酪農家だ。富士山のすぐ麓だから夏は涼しいが、冬ともなれば一面の銀世界。凍てつく、という言葉がぴったりの寒さの中に巻き込まれる。




 草がある夏場のうちにサイロに牛達の餌になる枯れ草を確保して越冬しなければならない。牛との生活だからハエだつてブンブン。汚いだの、うるさいだのと言ってはいられない。冨士豊茂は山梨県でも最も大きい酪農基地。八ヶ岳山麓の田舎町からここに婿養子に来た男だから、まさに水は空気のようなもの。今の自分の苦労と重ね合わせるから「水が牛乳より高い」現実に割り切れないでいるのも無理はない。


牛乳



 県外から山梨に来たお客さんが新聞などのインタビューに応えて「水が旨いし、空気が旨い」と口を揃えるように言うのを聞くと「なんとキザな」と感じたものだ。しかし、いったん東京など都市部で暮らしてみると、そのことが逆の立場からよく分かる。




 確かに旨い。キザでもなければ、お世辞でもない。たかが、甲府から山梨市の実家に戻っただけでもそれを感じるのだ。しかしその水、旨い、旨いと有頂天になってばかりではいられない。例えば、水道水。最近、滅菌用の塩素が強くなったような気がするのだ。





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個人情報保護法の怪

 「お父さん、駄目、駄目。これ、賞味期限が切れてるよ」

食卓に並んだプリンを食べようとしたら、自分のプリンの容器を何気なく見た娘が言った。


プリン


 「大丈夫だよ。傷んでいる訳じゃないんだから」と言ったら、一緒にいた女房までが「駄目、駄目」と、まるで汚いものでも見るような目つきで言う。賞味期限も、消費期限もみんな同じ。黙っていれば、プリンは残飯入れへ一直線だ。もったいない話である。




 「期限」という文字に人が異常に反応するようになった。よしんば、消費期限が切れたからといってすぐ食べられなくなるという訳ではないのに。おっと、これは生産者の立場で言ってもらっては困るのだが、実際には食べることが出来るのである。賞味期限とは、その商品を美味しく食べられる期限を言っているのに「食べられない」と受け取ってしまう。

卵



 商品にさまざまな表示をする。そのことはいいことだ。特に安全を真っ先に考えなければならない食品の場合、ことさらだ。しかし、今の私達は自分の舌や鼻を忘れてしまっていないだろうか。こんな表示が無かった時代、誰もが自分の舌や鼻で、それが食べられるか、食べられないかをきちっと判断した。




 ところが、いつの間にか、表示に頼りっきり。もしスーパーなどの店頭に賞味期限はおろか、消費期限切れの商品でも並んでいようものならきっと大騒ぎだ。物事をあまり考えることをしないまま、すぐに反応してしまうのである。




 例えがちょっと飛躍するかもしれないが、個人情報保護法というヤツもそうだ。普段、法律などに無頓着な国民が、なぜか、これには異常に反応する。昨夜、あるロータリークラブのホームページを検索したら、会員や役員部分はロックされていた。見られて不都合なものなら、初めから載せなければいいのだが、そこまで気配りしている。




 こんなことならまだいい。学校現場では、個人情報保護を理由に、子ども達の緊急時に使う連絡網の一覧表を廃止してしまったところがいっぱいだという。子ども達の名前や電話番号が明記されるからいけないのだそうだ。同好のグループや公私を問わず組織の中でも、誰かがその≪錦の御旗≫を持ち出すと会員名簿は消えてしまうという。


人々2



 役所も、何でもかでも、個人情報保護の一点張り。空き家バンクの制度作りに奔走していた、ある宅建業界の役員が地域の空き家の実態を役所に調べに行ったら、この法律を盾に門前払いだったという。また交通安全協会の役員の場合、無事故無違反者を表彰するため、その資料を得ようとしたら、警察もやっぱり同じ。例は挙げ出せば限がない。




 人間が善良で円滑な市民生活をするために設けるルールが法律だ。第一、私達が日常生活の中で、法律を考えたり、意識してから行動することはまずない。普通の社会生活を営んでいる限り、現実には法律は空気みたいなものだ。五万とある法律の中で、これほど国民がヒステリックに反応を示す法律はないだろう。確かに、プライバシーの保護は大事だ。しかし、法の精神とは別に行き過ぎた解釈やむやみな反応は、人々の生活を阻害する。




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健康欲で頭で食べる

 頭で食べる。決して進んで食べたいと思っているわけではないが、食べているものがある。その一つがゴーヤだ。この付近では「ニガウリ」ともいう。女房は「体のためにいいんだそうですよ。沖縄の人たちが長生きするのもゴーヤや豚肉の料理を沢山食べるからだそうよ」と、いかにも知ったかぶりに言いながら、このゴーヤ料理を出してくれるのだが、私にとってお世辞にも旨い、とは言えない。


ゴーヤ


 我が家では卵や豆腐などと炒め物にして食べる。独特の苦が味と食感、進んでは食べたくないシロモノだ。しかし、何も言わずに食べている。それも全部である。健康のため、という≪欲≫のためだ。酒のつまみにめざしを出させたりする。近くにJAの直売所があって、そこに、ちょっと乾燥気味の旨いヤツが売っているのである。





 これも、健康、という≪欲≫のためだ。ゴーヤもそうだが、栄養的にどうのこうのと知っている訳ではない。若い時は、食べ物に、健康などということを考えなかったが、60歳も半ばを過ぎると、そんなことも考えるようになるのである。苦い薬でも我慢して飲むように、年齢を重ねれば重ねるほど健康への欲が優先するのかもしれない。





 食卓に上るゴーヤはすべて我が家の自前。ゴーヤばかりではない。春先のこかぶやエンドウ、春菊、夏場のタマネギ、ジャガイモ、トマト、ナス、キュウリ、インゲン、秋のサツマイモ、大根、サトイモ、冬場のほうれん草などみんな自前である。今、食べているカボチャやモロヘイヤもそうだ。百姓の真似事をするようになって、野菜は買ったことがない。


野菜



 高さ約2m、長さ15mぐらいの三角屋根のような棚の両側斜面に張ったネットにゴーヤは今も青々とツルを張り、実をならしている。ほぼ同じ頃に植え付けしたキュウリやインゲンは、もう完全に枯れ、トマトももう駄目。ナスもひところの勢いを完全になくしてしまった。




 キュウリと違って、表面がトゲのようにごつごつして、グロテスクなゴーヤ。いかにも逞しい。その生命力が、それを食べる人間にもいいのだろう。知らなかったが、モロヘイヤも逞しさでは負けない。私の身の丈ほどにも大きく繁茂したモロヘイヤはイメージとは大違い。





 子供の頃、地元の岩手小学校の先生をしていて、今も親しくさせて頂いている知人から頂いたものを植えたものだ。最初は園芸用のポットに植えられた20本ぐらいだったが、若芽のように小さいが故に、グングン伸びるカボチャのツルに覆われて、ほとんどが消滅、残った数本だ。おしたしのようにして食べるのだが、そのネバネバ感が人の健康欲をそそるらしい。これも、ゴーヤと同じように決して旨いものではない。




 三角屋根のようなツル物の野菜作りの棚は、骨組みを竹で作っている。ホームセンターに行けば手軽に組み立てられるパイプ状の材料が手に入るのだが、私は自前の竹を使うことにしている。竹は冬場の12月ごろに切ったものがいいという。虫が入らないのだそうだ。近所の人や知人、先輩に教わりながら、一つ一つ自分のものにしたいと思っている。





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おきてがみ
プロフィール

やまびこ

Author:やまびこ
 悠々自適とは行きませんが、職場を離れた後は農業見習いで頑張っています。傍ら、人権擁護委員の活動やロータリー、ユネスコの活動などボランティアも。農業は見習いとはいえ、なす、キュウリ、トマト、ジャガイモ、何でもOK。見よう見まね、植木の剪定も。でも高い所が怖くなりました。
 ブログは身近に見たもの、感じたものをエッセイ風に綴っています。

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